金融
ADRにおける裁定基準と保険法
福 田 弥 夫
■アブストラクト
平成22年10月1日からスタートした金融ADR制度に基づいて,各保険関 係団体が指定紛争処理機関としての認可を取得し,共済協会はADR促進法 に基づくADR機関としての認証を平成22年1月に取得した。これらの ADR機関は,法に基づいて紛争解決を行う裁判制度とは異なった新たな紛 争処理機関として位置づけられるが,裁定にあたってはどのような紛争を対 象とするのか,そして何を基準として判断をして行くのかが問題となる。金 融ADR制度は訴訟とは異なり,民事上の損害賠償の対象とはならない紛争 に対しても幅広く対応することがその制度趣旨であるとされており,これま で業界団体内部に設置していた苦情相談室等が裁定を行うに適当ではないと 判断された事例も裁定対象となろう。裁定基準についても,制定法や約款な どに厳格に拘束されるのではなく,当事者の合意に基づき,公序良俗に反し ない限り,法や約款等から離れた判断が認められると考えられる。
■キーワード
金融ADR,紛争解決,裁定基準
1.はじめに
金融ADR制度が10月1日よりスタートした。保険関連としては,生命保 険協会,損害保険協会,少額短期保険協会の各保険関係団体が,指定紛争処
*平成22年10月24日の日本保険学会大会(早稲田大学)報告による。
/平成23年4月5日原稿受領。
ADR
理機関としての認可を取得した。共済に関しては,日本共済協会がADR促 進法に基づくADR機関としての認証をすでに本年1月に取得している。こ のように,新しい紛争処理機関としての組織は立ち上がったが,共済協会の それを別として,これらの紛争処理機関の実際の活動はこれからであり,具 体的にどのような紛争処理が行われるのであろうか。
これらのADR機関は保険の領域にとっては決して新しいものではない。
生命保険協会は裁定審査会,損害保険協会は損害保険調停委員会,少額短期 保険協会は査定審査会を設けて,消費者と保険会社間の紛争解決に当たって きた。さらに自動車保険に関連する領域においては,自動車損害賠償保障法 に基づく指定紛争処理機関として㈶自賠責保険・共済紛争処理機構が国土交 通大臣及び内閣総理大臣による指定を受けているし,㈶交通事故紛争処理セ ンターは,交通事故に関する紛争処理の適正な処理を目的として昭和53年に 設立されて現在に至っている。
裁判システムとは別に,これまでは個々の協会内部において自主的に行っ てきた消費者と保険会社との紛争解決であるが,これが金融ADRという新 たな制度の下で,これまでとは違う紛争解決を行うこととなるのかが注目さ れる。各団体が新たに設置した紛争処理機関は,これまで各々の業界が内部 的・自主的に設置し,消費者からの苦情・相談に対応していたものとほとん ど変わらない構造であるとも言うことが可能であり,確かに認証手続きは経 由したものの,看板を付け替えたに過ぎないとか,あるいはこれまでの紛争 処理システムを単に追認するに過ぎないとの批判も可能である。
新たな紛争処理機関であるとするならば,これまでの処理システムから一 歩踏み出した具体的な処理が期待されてしかるべきであり,また,金融 ADR制度導入の目的も,これまでの自主的な苦情・紛争処理システムの単 なる焼き直しではないことも確かであろう。
保険に関連する金融ADR制度は,たとえば自動車保険の分野においては,
必ずしも損害保険協会の開設する損害保険紛争解決サポートセンターのみに 限ることなく,交通事故紛争処理センターなども存在しており,また,国民
生活センターのADRも存在している。保険の種類によって単独の機関が独 占的に紛争解決を担当するのではなく,いわば複線的な構造をとることとな った。そのため,個々のADR機関が採用する紛争処理に際しての判断基準 のありかたによっては,訴訟におけるフォーラムショッピングのような事態 の発生も予想される。確かに,各ADR機関の業務規程を検討すると,他の ADR機関との相談・連携が盛り込まれており,必要に応じてケースの移送 も行われることとなっていることから,それが十分に機能すればフォーラム ショッピングは起こりえないかもしれない。しかし,新制度における懸念事 項のひとつではある。
以下,保険に関連する紛争処理機関が,これからどのような基準で当事者 間の争いについて判断を下して行くのかを考える。
2.紛争処理の形態
紛争処理機関による判断の形態としては,裁定型(裁断型)と調停型(調 整型)がある。裁定型は,紛争当事者があらかじめ第三者の判断に従う合意 をして行うものであり,調停型は,第三者が自らの判断を直接下すことは行 わないものの,積極的に紛争当事者の和解に向けての仲介を果たすものであ る。
新たに運用を開始する保険会社関連の紛争処理機関が,このいずれに該当 するのか,あるいは両者の性格を備えるものかを検討する必要がある。これ は,当事者の一方から裁定の請求がなされた場合に,もう一方はその裁定手 続きに参加することが強制されるのか,さらにその裁定結果は当事者をどの ように拘束するのかという問題と深く関連する。裁定書によって示された和 解案を尊重する義務ないしは応諾義務があるのかがポイントとなろう。
保険業法は,保険関係業者に対して指定紛争解決機関への加入義務すなわ ち手続基本契約の締結義務を負わせている。そして,加入保険関係業者は,
手続実施基本契約上の義務として,①苦情処理手続,紛争解決手続の応諾,
②事情説明・資料提出,③特別調停案の受諾,以上の各義務を負う(保険業
法308条の7第2項)。正当な理由がなく,これらの義務に違反した場合には,
指定紛争処理機関により業者名の公表,監督当局への報告がなされる(保険 業法308条の8)が,その手続の実効性等に関しては甘利報告が疑問を提示 されている。
3.これまでの事例に見る紛争処理の実際
新たにスタートするADR機関に先立ち,これまで生命保険協会,損害保 険協会そして共済協会は,苦情相談室等を自ら設け,消費者からの苦情相談 に当たってきた。新たなADR機関は,金融商品取引法,保険業法に基づく ものであって,これまで業界が監督法規とは別箇に任意に設置してきたもの とは性格が異なる。しかし,そこにはある程度の連続性が認められよう。
これまで業界が独自に設けていた紛争ないしは苦情処理機関が,具体的に どのような判断を下してきたかを検討し,そこから推測できる判断基準につ いて検討を加える。
生命保険協会の相談所リポートは,相談所の受付状況に加え,苦情受付状 況や苦情解決支援,裁定審査会における苦情解決支援について報告している。
個別の事案については,裁定審査委員会が取り扱った事案の概要が公刊され ている。個別の事案の検討はここでは行わないが,平成21年度では,申し立 て件数122件のうち,和解が成立したものが4件,審理の結果,申し立て内 容を認めるまでの理由がないとされたものが34件,相手会社から裁判等によ り解決をはかりたい旨の申し出があり,審理の結果それが認められたものが 2件,裁定申し立てが取り下げられたものが1件,審理の結果,事実認定の 困難性などの理由から裁判等での解決が適当であると判断されたものが9件,
裁定開始の適格性についての審理の結果,申し立ての内容がその性質上裁定 を行うに適当でないと認められたものが9件であり,審理継続中が63件であ った。
これらのうち,保険会社が裁判で争うことを希望したケースや,裁判等で の解決が適当であると判断されたケースは,新たな紛争処理制度の下でも同
じような取り扱いを受けることとなるのであろうか。また,裁定開始の適格 性が問題となったケースが9件あるが,これもどのように取り扱われるので あろうか。
紛争の実態として,告知義務違反の事例が複数存在しているが,いずれも 商法および約款の規定を解釈して,告知義務違反を認め,保険会社による契 約の解除を有効としている。事案がそれほど複雑ではなかったこともあろう が,生命保険協会における従前の苦情処理・裁定制度は,法令と約款に忠実 に従った解決と裁定であったように思われる。また,和解による解決が図ら れたケースは,いずれも事実関係を保険会社が厳しく争う姿勢を見せたもの ではないように見受けられる。
損害保険協会はどうか。 損害保険調停委員会の対応事案について が損 害保険協会損害保険相談部から公表されており,2009年度上期受付分の報告 書によれば,申し立て件数は33件であり,そのうち不受理が18件,受理が15 件,受理後の調停成立が8件,不調6件,取下等が1件である。保険種類別 では自動車保険が最も多く11件,火災10件,傷害保険9件,賠償責任保険そ の他が3件である。
申立人から提出された資料からでは被害物件や所有者等の確認が困難であ り,調停委員会にはそれらの事実関係を調査する権能を持たないこと,ある いは,因果関係の判断が困難であるとか,事故の偶然性についての事実認定 に必要な調査を委員会が行うことが出来ない等の理由によって不受理の判断 が下されているが,これも生命保険協会におけるのと同様に,新たなADR 制度のもとでも対象とならない事案であろうか。
ところで,調停成立の内容を検討すると,保険会社が申立人に対して解決 金を支払うことによって調停が成立している例がある。詳しい金額等は公表 されていないが,これは申立人の主張を容れて 保険金の支払 として 解 決金 を支払ったのか,それとも 保険金の支払 を肯定するのではないが,
若干の解決金を支払うことによって紛争を解決するためのものであるのかは 明らかでない。
生命保険と異なって,損害のてん補を目的とする損害保険契約においては,
損害額の算定をある程度工夫することによって,柔軟な保険金の支払が可能 になるとの側面もあり,紛争解決の面からは肯定しうる。しかし,解決金支 払の根拠となったのがどのような事情であるのかについては明らかではない。
また,解決金の額によっては,むしろ保険金の支払いと考えるべき場合もあ り得ようが,ここではこの程度の指摘にとどめる。
共済協会の設けている審査委員会は,平成21年度には23件の裁定申し立て を受け付けており,裁定書の作成されたケースと和解の成立した合計6事案 の紹介がなされている。そのうち,損害共済関係に関するケースでは,2件 において損害保険協会におけるのと同様の 解決金 による処理がなされて いるのが注目される。
ところで,金融ADRではどのような金融トラブルを解決することができ るのかについては, 金融ADR制度においては,幅広い金融商品・サービ スを対象とし,金融機関が業法に基づき実施する業務に関して生じた苦情・
紛争は幅広く金融ADRの対象となり得るよう金融ADRの対象について詳 細な定義規定は設けられていない。ただし,トラブルの内容によっては,金 融ADRによる紛争解決になじまないものもあると考えられることから,事 業の内容に応じて紛争解決委員の判断に基づき紛争解決に入らないこと等も 可能としている。たとえば,限界的なものとして,法令等に基づく対応では なく金融機関の道義的な対応が争点となる紛争,時効期間が経過した紛争,
金銭の支払いを求めるのではなく従業員の陳謝や金融機関の業務改善等を求 める紛争など,様々なケースが想定されるが,いずれも一律には金融ADR の対象からは排除しておらず,事案の内容に応じた紛争解決委員の判断に基 づき対応が行われることとなる。また,紛争解決手続きにより提示される和 解案・特別調停案の内容としては,金融機関に金銭の支払いを求めるものに 限られるものではなく,金融機関に謝罪を求めるものや金融機関に再発防止 を求めるものなどさまざまなものが想定され,いずれも事案の内容に応じた 紛争解決委員の判断に基づくこととなる。 との解説が立法に参画した者に
よってなされている(大森義人・中沢則夫他 詳説金融ADR制度 72頁商 事法務,2010年)。
なお,同様に, 金融ADRによる苦情処理・紛争解決になじまないもの としては,例えば,反社会的勢力からの脅迫的な苦情,他業態における金融 ADRでの解決が適当と考えられる苦情・紛争,金融機関の経営判断に属す る紛争,純粋な法律解釈に関する紛争,役職員の個人的な対応(謝罪等)を 求める紛争などが考えられる。 (大森義人・中沢則夫他 詳説金融ADR制 度 50頁)と述べたうえで, ただし,金融ADRは訴訟とは異なり,民事 上の損害賠償の対象とはならない紛争も幅広く柔軟に対応することがその制 度趣旨であることから,苦情処理・紛争解決の申出の要件が過度に厳しく設 定され,利用者保護に欠けることのないよう,指定紛争処理機関の指定・業 務規程の変更の認可にあたっては十分に確認が行われることが予定されてい る。 (大森義人・中沢則夫他 詳説金融ADR制度 51頁)と解説されてい る。この考え方からすれば,これまでは裁定の対象になじまないと判断され,
実質的な検討がなされなかったような事案であっても,金融ADR制度のも とでは,実質的な判断をすることが必要となると思われる。
4.裁定基準と法規制
それでは,新たな金融ADR制度のもとでは,紛争処理に際して何を基準 として裁定を行う必要があるのであろうか。保険に関連する消費者と保険会 社との紛争処理に際しての裁定基準としては,①民法,②商法,③保険法,
④約款,⑤ガイドラインなどが考慮されうる。しかし,これらに完全に拘束 されて裁定を行うことは,裁判制度によることと実質的に違いはなく,
ADRの目的や趣旨と必ずしも一致しない。しかも,金融ADR制度の対象 とする苦情・紛争がかならずしも法的な紛争と直接関連しないものである場 合も想定されているため,事案の解決のために直接参照すべき法的根拠が見 当たらない場合も考えられよう。その場合には,最終的には裁判の例と同じ ように,条理によることとなるのであろうか。
金融ADR制度の創設に際して参考とされたイギリスの制度はどうかとい えば,かなり柔軟である。 オンブズマンは,オンブズマンの意見において,
当該事案のあらゆる状況に照らし,何が公 正(fair)か つ 妥 当(reason- able)で あ る か に 基 づ き,苦 情 に つ い て 判 断 す る も の と さ れ て い る
(FSMA2000.s228⑵,ハンドブック3.6.1)。その際,オンブズマンは⑴① 適用ある法令及び規則,②規制当局のルール,ガイダンス及び基準,③適用 ある実務規範(codes of practice),並びに⑵(適切な場合には)当該時点 において何がよき業界慣行であったのかを考慮するものとされている(ハン ドブック3.6.4)。そのため,オンブズマンは金融機関の 不適切 (但し違 法ではない。)な行為により損害を受けた消費者について,救済することが できる。このように,オンブズマンによる苦情の処理は,裁判手続とは異な り,公正性・妥当性という基本原則の下,非常に弾力的であることが特徴で あり,迅速かつ実質的に適切な紛争解決が志向されている と紹介されてい る。また,ADR制度が普及しているアメリカにおいてはどうかといえば,
仲裁における法の適用に関しては,仲裁人に公平性の観点のもと幅広い自由 裁量権が与えられており,例外はあるものの,厳格な法の規定に従う必要は なく,幅の広い正義の原則を適用する権限が与えられている。さらに,不合 理な結論にならない限り,事実に対して法を自由に適用することも認められ ている。そして,伝統的な法の規定に反した判断も許される。したがって,
一般原則として,仲裁人は幅の広い正義と良心の原則を自由に適用して,正 義の概念に従って判断を下す。もっとも,基本的に当事者の合意によって拘 束されることは確かである。
このような外国における,裁定をめぐる基準に関する考え方は,そのまま 日本において妥当するものではないであろうが,一助となることは確かであ る。ADRはあくまでも当事者の合意に基づく紛争解決の方法であって,手 続きの簡易さ,柔軟性,迅速性,専門性,非公開性,低廉な費用等のメリッ トを有するものとされている。また,対象となる苦情や紛争の性質から,必 ずしも約款や法の規定に厳格に従わない紛争処理が行われることも認めてい
ると理解できよう。しかし,具体的には,どの程度であればそれが許容でき るかである。たとえば,旧商法が適用されるべき紛争において,保険契約者 に有利と思われる保険法の規定を適用して裁定を下すことが可能であろうか。
公序良俗に反しない限りは,法や約款から離れた内容の裁定が可能であるろ うか。
ADR促進法第6条第5号は,弁護士の助言措置として,和解の内容によ っては,法令違反や公序良俗違反となる恐れがある事案において,紛争の当 時者の利害の調整を図り,和解案を提示する上で,高度な法律に関する問題 を解決する必要があるときなどには,弁護士の助言を受ける必要があるとさ れている。そして,法律に関する問題としては,手続の進行の過程で生じる 法律問題や和解内容に関する法律上の問題が考えられている。この点からす れば,明確な法令違反や公序良俗違反は別として,それ以外の幅広い内容の 和解案には問題がないものと考えられているようにも思われる。なお,複数 の紛争処理機関が対応可能な事例において,それぞれの裁定基準が異なるこ とによるいわば フォーラムショッピング 的な行為が許されるのかは,慎 重に検討が必要である。
ところで,昭和56年に西嶋梅治博士がお書きになった論文に, 生命保険 契約と告知義務⎜弔慰金制の問題点を中心に⎜ がある(ジュリスト749号 137頁)。この論文は, 保険の実務が必ずしも商法の規定に即して行われる とは限らず,場合によっては商法の規定から大幅に乖離した処理が行われる ことがある。 との書出しで始まり,災害保険金の支払いをめぐって,被保 険者の死亡が災害死か自殺かが全く判別しないケースの処理,そして,告知 義務違反を理由とする保険契約の解除と見舞金の支払いまたは既払保険料相 当額の払戻という,当時の保険的慣行が検討対象とされている。西嶋博士は,
弔慰金制には合理性があり適法であると考えるが,しかし,反面において,
運用上の危険性が少なくないので,その悪用を厳重に戒める必要があること を強調したい と述べておられる。もっとも,この弔慰金の支払いについて は,後日大蔵省による指導が行われ,現在ではこのような弔慰金の支払いは
行われていない。
保険法は,プロラタ主義の導入を見送ったが,金融ADR制度のもとで,
告知義務違反事案に関連してプロラタ的な判断が可能であるか,可能である として,それは保険金として支払うのか,それとも弔慰金のような形で支払 うべきであろうか。これは,保険業法の問題とも関連することから,慎重に 検討をしなければならない。
定額保険契約である生命保険契約において,紛争解決の一つの手段として,
一種のプロラタ的な処理が可能であるとしても,それは保険金というよりは,
損害保険の紛争解決に際して用いられる 解決金支払い に近いものといえ る。しかし,実際に解決金として支払われる金額はそれほど高額ではないと いう話もあり,生命保険の場合とは同列には考えることができない。
5.むすび
柔軟な解決が求められる金融ADRにおいては,少なくとも約款や法の規 定に完全には従わない判断も可能であると思われ,公平,公正そして正義と いうシンプルな原則に基づく判断も可能であると思われる。対象となる事案 がきわめて幅広いものであることは確かであり,それに対する判断基準もま た柔軟であることが要求されよう。スタートしたばかりの金融ADRである が,実際の判断がどのようになされて行くのかも含めて,今後の行方を見守 りたい。
(筆者は日本大学法学部教授)