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― ― ― ― 法令等にみる教育制度の変遷と障害児教育

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法令等にみる教育制度の変遷と障害児教育(白井)

はじめに

 障害のある子ども,特に知的障害や障害を併せ有する重度の子どもの多くは,明治期から 昭和期の養護学校義務化前まで,法令に謳われている就学猶予・免除規定により,学校教育 から排除されてきた。彼らは学ぼうと思っても,学ぶための学校がなかったために,就学猶 予・免除を余儀なくされた。このような状況を改善するために,戦後1952(昭和27)年に文 部省内に特殊教育室が設けられ,養護学校の義務化に向け,様々な施策が段階的に打ち出さ れた。そして盲・聾学校の義務化から遅れること,31年を経過した1979(昭和54)年に養護 学校の義務化が完了し,就学猶予・免除者を激減させる結果となった。

 一方,養護学校の義務化は,就学基準による子どもの振り分けを画一的,強制的なものへ と変え,養護学校の入学を希望しない保護者たちの反発を招くなど,問題が顕在化した。や がてその保護者への対応が,それぞれの市町村教育委員会に温度差を生み,結局,2002(平 成14)年の改正学校教育法施行令において,「認定就学者制度」を導入することにより,就学 指導の弾力化が図られた。即ち,この制度により,特別支援学校への就学が適当と判断され た子どもでも,通常の小・中学校で受け入れ態勢が整っていると市町村教育委員会が判断し た場合には,小・中学校への就学が可能となった。また,文部科学省は就学先を決定する際 の対応について,市町村教育委員会に専門家の聴取を義務付けたり,保護者の聴取を義務付 けたりし,就学指導の在り方も本人や保護者に配慮したものへ変わってきた。

 そのような時代の移り変わりに追い打ちをかけたのが,国外からの力,すなわち障害者権 利条約であった。条約の批准に向け,数多くの法律の制定・改正が行われ,2013(平成25)

年には学校教育法施行令が改正され,就学先決定の仕組みについて大幅な変更があった。

即ち,就学基準に該当する障害のある子どもは,従来特別支援学校に就学することを原則と していたが,改正後は,本人の教育的ニーズ,本人・保護者の意見,学校や地域の状況等を

*立正大学社会福祉学部社会福祉学科

キーワード:障害児教育,教育制度,就学指導,障害者権利条約,学校教育法施行令 立正大学社会福祉研究所年報 第21号(2019)105~136

法令等にみる教育制度の変遷と障害児教育

―障害のある子どもたちの就学指導に視点を当てて―

Changes in Education System Classified by Laws, and Education for Children with Disabilities

―Focus on Guidance for School Children with Disabilities―

白井 健次

Kenji Shirai

〈原著論文〉

(2)

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踏まえ,総合的な観点から就学先を決定することになった。また,就学先を決定する際の対 応についても,最終的な判断は市町村教育委員会としながらも,「本人・保護者の意見を最大 限尊重する」に変わった。

 本稿は,障害のある子どもたちの就学指導に視点を当て,時代ごとの問題点を抽出し考察 を深める。具体的な研究方法として,①明治期から昭和期にかけての法令や文部省から発出 された通知・通達,さらには中央教育審議会の答申等(以下,法令等と称する)の資料を手 がかりに,各時代の教育制度を世相と対比させながら概観する。②それらの資料の中で特に 戦後の就学指導に関するものを細読し,就学先決定のあり方に関する問題点を分析する。③ 今後の我が国の就学指導に関わりの深い,障害者権利条約(教育)と平成25年 9 月 1 日施行 の改正学校教育法施行令(政令第244号)の解釈について考察する。

1  法令等にみる教育制度の変遷と障害児教育

⑴ 江戸幕末期,寺小屋で学ぶ障害のある子どもたち

 江戸時代の日本には藩校や郷学といった公的な学校だけでなく,民営の私塾である寺子屋 が全国に多数存在し,寺子屋を中心に庶民の教育は展開されていた。乙竹(1)の「日本庶民教育 史」によると,嘉永,安政の幕末期(1850年代)に子ども時代を過ごした古老たちへの全国 調査において,寺子屋への障害のある子どもたちの通学状況は,表 1 のようであった。表か ら分かるように,全国で確認された寺子屋3090校の内266校において,障害のある子どもたち が障害のない子どもたちと一緒に教育を受けていた。通っていたのは,聾唖児が最も多かっ たとある。このことについて乙竹(2)は,「思ふにこれは寺小屋では習字を主としたから,目の見 える限り,彼らの教育の可能が盲児以上に有効と信じられたからであろう。現に聾唖者で寺 子屋の師匠たりしものもあった。」と述べている。一方,「都市の寺小屋では,盲児の学に就 いたる者も若干あり」とある。また各地方の記録には,低能児,愚鈍児に関して特別な注意 を払って指導した記録(3)もわずかに残されている。

 上述のように,寺子屋で学ぶ障害のある子どもたちは聾唖が中心であった。このことは,

乙竹が言うように,聞こえなくても習字という学習が追いついていきやすかったのであろう。

また,盲児も若干いたとある。個人差はあったかも知れないが,盲唖児の場合,知的な遅れ がなく,周りとのコミュニケーション(音声言語以外のサイン等を含む)が可能であるとい うのが大きな理由であったと考えられる。過去の歴史を見ても障害児教育の始まりが,国を 問わず盲唖教育からおこっていることからも言えよう。盲唖教育以外の障害児教育が歴史的 に遅れた所以である。

 一方,障害のある子どもたちと障害のない子どもたちが,この時代に同じ場で共に教育を 受けており,現代のインクルーシブ教育の原型が,この時代に既に存在していたと見ること もできる。

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法令等にみる教育制度の変遷と障害児教育(白井)

表 1  江戸末期の寺子屋への障害のある子どもたちの通学状況 単位:校 地 域 通学状況 通学あり 通学なし 不詳 計 奥羽地方及び北海道 46(14.6%) 249 19 314 関東地方 43(10.2%) 342 37 422 中部地方 60( 8.3%) 613 53 726 近畿地方 57( 7.9%) 629 39 725 中国地方 17( 5.0%) 300 26 343 四国地方 24( 8.3%) 247 18 289 九州地方及び沖縄県 19( 7.0%) 231 21 271 計 266 2661 213 3090

※ 乙竹(1)の「日本庶民教育史」を基に作成してあるものを,中村・荒川(4)編著の

「障害児教育の歴史」より転記した

⑵ 明治期の教育制度と障害児教育

① 欧米の教育制度を模範とした学制の発布

 1871(明治 4 )年 9 月,イギリス各地の盲学校,聾唖学校への豊富な視察経験をもつ開明 派の工学頭山尾庸三は,太政官に『盲唖学校ヲ創設セラレンコトヲ乞フノ書』という建白書 を提出し,盲学校,聾唖学校の 2 校の創設を懇願した。建白書中,「西欧諸国の方式にならっ て,まず盲学校,聾唖学校を建てて教育を施し,漸次『各種廃疾ノ窮民』にまでこれを及ぼ し,『無用ヲ転シテ有用』となし,国家経済に裨益せしめんとする。」とあり,盲唖以外の障 害についても触れられていたが,この建白書による実現は何もなかった。しかし,彼の思想 は後に彼が関わる楽善会訓盲院に生かされることになる。

 1872(明治 5 )年,文部省は我が国最初の近代教育制度を定めた「学制」を発布した。こ の「学制」は,欧米の教育制度を模範として制定された法令であり,国民皆学を目標に先ず は小学校の普及を図った。教育年限を下等小学校 4 年,上等小学校 4 年の計 8 年としたが,

強制力は弱かった。学制を進めるに当たって,学校を設立・維持するための経費の負担を国 民に強いたり,西洋の新しい考え方を取り入れた中央集権的な政策を強引に行ったりしたこ とから,学制への国民の抵抗は強かった。障害児教育に関しては,第29章に「廃人学校アル ヘシ」の文言を見出すことができるが,文言のみでその性格,内容についての詳しい説明は どこにも見当たらない。

② 学制の廃止,教育令制定へ

 「学制」に対する国民の抵抗を踏まえ,文部大輔田中不二麻呂はアメリカの自由主義的,地 方分権的な教育行政を取り入れた「学制」の改革に着手し,「学制」の改正案である「日本教 育令」を起草し太政官に提出した。そして,1879(明治12)年に「教育令」が公布された。

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この「教育令」は,教育年限をこれまでと同様に 8 年としたものの,最短で16ヶ月通学すれ ばよいと規定し,また,「学校に入らすと雖も別に普通教育を受くるの途あるものは就学と做 すへし」と規定するなど,学制と比較すると緩やかなものであった。さらに,この「教育令」

は,学制の中央集権的な考え方を改めて,教育の権限を地方に委ね地方の自由に任せる方針 をとったため,学校を廃止する所も現れるなど就学者を減少させる結果となり,政府は教育 令の改正に迫られた。このように短命な教育令ではあったが,案段階において学校の種類に 盲学校,聾唖学校,改善学校を掲げるなど,障害児教育に関する規定が盛り込まれ,「学制」

の反省を生かしたものとなっていた。しかし,法制局の審議過程で却下された。

 文部卿河野敏鎌は教育令改正の準備を進め,改正原案を太政官に上申し,1880(明治13)

年に再び管理強化をねらいとした「改正教育令」が公布され,就学義務の強化が図られた。

その内容は,教育年限は 8 年のまま,最短規定を 3 年(毎年32週通学の場合)とし,その後 も,相当の理由のない限り毎年16週以上通学させるとした。また,学校又は巡回授業以外で 学齢児童に普通教育を受けさせようとする者は,郡区長による認可及び児童に学業成果の確 認のための試験を受けさせる必要があり,教育令よりも厳しく管理された。

 さらに,「改正教育令」の公布と同時に,学齢児童の就学督励をする際に作成する規則の基 準となる『就学督責規則起草心得』を各府県に発した。その中の規定に「未タ小学科 3 箇年 の課程ヲ卒ヘサル学齢児童ニシテ就学スル能ハサルノ事故アリト認ムヘキ者ハ概ネ左ノ如 シ 一疾病ニ罹ル者 一親族疾病ニ看護ノ人ナキ者 一廃疾の者 一一家貧苦ノ者 但此等ノ者ヲ 待ツヘキ学校ノ整備ナキ場合ニ限ル」とあり,廃疾すなわち障害のある子どもについても言 及され,受け入れできる学校がない場合に限り,事故として不就学が認められた。「改正教育 令」後,文部省は小学校教育の振興に努め,図 1 及び図 2 に示すように相応の成果を見たが,

思うように学齢児童の就学率は上昇しなかった。

4

は就学と做すへし」と規定するなど,学制と比較すると緩やかなものであった。さらに,こ の「教育令」は,学制の中央集権的な考え方を改めて,教育の権限を地方に委ね地方の自由 に任せる方針をとったため,学校を廃止する所も現れるなど就学者を減少させる結果とな り,政府は教育令の改正に迫られた。このように短命な教育令ではあったが,案段階におい て学校の種類に盲学校,聾唖学校,改善学校を掲げるなど,障害児教育に関する規定が盛り 込まれ, 「学制」の反省を生かしたものとなっていた。しかし,法制局の審議過程で却下さ れた。

文部卿河野敏鎌は教育令改正の準備を進め,改正原案を太政官に上申し,

1880(

明治

13)

年に再び管理強化をねらいとした「改正教育令」が公布され,就学義務の強化が図られた。

その内容は,教育年限は

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年のまま,最短規定を

3

年(毎年

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週通学の場合)とし,その 後も,相当の理由のない限り毎年

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週以上通学させるとした。また,学校又は巡回授業以 外で学齢児童に普通教育を受けさせようとする者は,郡区長による認可及び児童に学業成 果の確認のための試験を受けさせる必要があり,教育令よりも厳しく管理された。

さらに, 「改正教育令」の公布と同時に,学齢児童の就学督励をする際に作成する規則の 基準となる『就学督責規則起草心得』を各府県に発した。その中の規定に「未タ小学科3箇 年の課程ヲ卒ヘサル学齢児童ニシテ就学スル能ハサルノ事故アリト認ムヘキ者ハ概ネ左ノ 如シ 一疾病ニ罹ル者 一親族疾病ニ看護ノ人ナキ者 一廃疾の者 一一家貧苦ノ者 但此等 ノ者ヲ待ツヘキ学校ノ整備ナキ場合ニ限ル」とあり,廃疾すなわち障害のある子どもについ ても言及され,受け入れできる学校がない場合に限り,事故として不就学が認められた。 「改 正教育令」後,文部省は小学校教育の振興に努め,図

1

及び図

2

に示すように相応の成果 を見たが,思うように学齢児童の就学率は上昇しなかった。

※文部省「学制百年史」よりデータを入手※文部省「学制百年史」よりデータを入手 図1㻌 明治19年㻔小学校令制定㻕前の学校数,㻌 㻌 㻌 㻌 図2㻌 明治19年㻔小学校令制定㻕前の就学㻌

教員数及び児童数の推移㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 㻌 率の推移㻌

③障害のある子どもたちを教育の対象外へ

改正教育令公布 教育令公布

明治 年学制発布

改正教育令公布 教育令公布

明治 年学制発布

図 1  明治19年(小学校令制定)前の学校数,

教員数及び児童数の推移 図 2  明治19年(小学校令制定)前の就学率 の推移

※文部省「学制百年史」よりデータを入手 ※文部省「学制百年史」よりデータを入手

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法令等にみる教育制度の変遷と障害児教育(白井)

③ 障害のある子どもたちを教育の対象外へ

 1886(明治19)年,初代文部大臣森有礼の「第 1 次小学校令」制定により,「改正教育令」

は廃止され,義務教育の文言が初めて登場した。義務教育を 3 ~ 4 年と規定するとともに,

就学義務猶予規定「疾病家計困窮其他止ムヲ得サル事故ニ因リ児童ヲ就学セシムルコト能ハ スト認定スルモノニハ府知事県令其期限ヲ定メテ就学猶予ヲ許スコトヲ得」を定め,同時に 不就学の手続きを届出制から許可制に変えた。

 また,1890(明治23)年,「第 2 次小学校令」制定により,市町村に小学校の設置義務を課 すとともに,盲唖学校を小学校に類する各種学校として規定し,市町村に盲唖学校を設置す ることを可能とした。さらに私立の盲唖学校については,府県知事の許可で設立できるよう にした。一方,障害児の就学義務の猶予・免除規定「貧窮ノ為又ハ児童ノ疾病ノ為其他己ム ヲ得サル事故ノ為学齢児童ヲ就学セシムルコト能ハサルトキハ学齢児童ヲ保護スヘキ者ハ就 学ノ猶予又ハ免除ヲ市町村長ニ申立ツヘシ 市長村長ハ前項ノ申立ニ依リ必要ナリト認ムルト キハ学齢児童若クハ学齢児童ヲ保護スヘキ者ニ就キテ検査ヲ行フコトヲ得市町村長ハ本条第 一項ノ申立又ハ第ニ項ノ検査ニ依リ就学ヲ猶予シ又ハ免除スルトキハ監督官庁ノ許可ヲ受ク ヘシ」を定め,障害のある子どもたちは,実質的に義務教育の対象から外された。

④ 小学校への就学率の飛躍的な向上及び私立盲唖学校の拡充

 図 3 に示すように1890(明治23)年「第 2 次小学校令」以降,国民の関心も徐々に高まり,

小学校への就学率は向上を続け,特に1900(明治33)年の「第 3 次小学校令」では,義務教 育費が無償となったことから,就学率は更に向上した。

※文部省「学制百年史」よりデータを入手

5

1886( 明治 19) 年,初代文部大臣森有礼の「第 1 次小学校令」制定により, 「改正教育令」

は廃止され,義務教育の文言が初めて登場した。義務教育を 3 ~ 4 年と規定するとともに,

就学義務猶予規定「疾病家計困窮其他止ムヲ得サル事故ニ因リ児童ヲ就学セシムルコト能 ハスト認定スルモノニハ府知事県令其期限ヲ定メテ就学猶予ヲ許スコトヲ得」を定め,同時 に不就学の手続きを届出制から許可制に変えた。

また, 1890( 明治 23) 年, 「第 2 次小学校令」制定により,市町村に小学校の設置義務を課

すとともに,盲唖学校を小学校に類する各種学校として規定し,市町村に盲唖学校を設置す ることを可能とした。さらに私立の盲唖学校については,府県知事の許可で設立できるよう にした。一方,障害児の就学義務の猶予・免除規定「貧窮ノ為又ハ児童ノ疾病ノ為其他己ム ヲ得サル事故ノ為学齢児童ヲ就学セシムルコト能ハサルトキハ学齢児童ヲ保護スヘキ者ハ 就学ノ猶予又ハ免除ヲ市町村長ニ申立ツヘシ 市長村長ハ前項ノ申立ニ依リ必要ナリト認 ムルトキハ学齢児童若クハ学齢児童ヲ保護スヘキ者ニ就キテ検査ヲ行フコトヲ得市町村長 ハ本条第一項ノ申立又ハ第ニ項ノ検査ニ依リ就学ヲ猶予シ又ハ免除スルトキハ監督官庁ノ 許可ヲ受クヘシ」を定め,障害のある子どもたちは,実質的に義務教育の対象から外された。

④小学校への就学率の飛躍的な向上及び私立盲唖学校の拡充

図 3 に示すように 1890( 明治 23) 年「第 2 次小学校令」以降,国民の関心も徐々に高まり,

小学校への就学率は向上を続け,特に 1900( 明治 33) 年の「第 3 次小学校令」では,義務教 育費が無償となったことから,就学率は更に向上した。

※文部省「学制百年史」よりデータを入手

図 3 第 2 次小学校令公布 ( 明治 23 年 ) 後の就学率

また,盲唖学校を小学校に附設して良い旨が規定される一方,障害の種類等によって細か く規定された就学猶予・免除規定「学齢児童瘋癲白痴又ハ不具廃疾ノ為就学スルコト能ハス ト認メタルトキハ市町村長ハ監督官庁ノ認可ヲ受ケ学齢児童保護者ノ義務ヲ免除スルコト

第2次小学校令公布 第3次小学校令公布

図 3  第 2 次小学校令公布(明治23年)後の就学率

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 また,盲唖学校を小学校に附設して良い旨が規定される一方,障害の種類等によって細か く規定された就学猶予・免除規定「学齢児童瘋癲白痴又ハ不具廃疾ノ為就学スルコト能ハス ト認メタルトキハ市町村長ハ監督官庁ノ認可ヲ受ケ学齢児童保護者ノ義務ヲ免除スルコトヲ 得 学齢児童病弱又ハ発育不完全ノ為就学セシムヘキ時期ニ於テ就学スルコト能ハスト認メタ ルトキハ市町村長ハ監督官庁ノ認可ヲ受ケ其ノ就学ヲ猶予スルコトヲ得 市長村長ニ於テ学齢 児童保護者貧窮ノ為其ノ児童ヲ就学セシムルコト能ハスト認メタルトキ亦前ニ項ニ準ス」が 定められた。石島晴子(5)は「白痴とは重度の知的障害を指し,廃疾とは盲者・聾唖者・肢体不 自由者を指す。」と述べている。したがってこの条文は現在で言う病虚弱児は就学猶予,知的 障害児・肢体不自由児・聴覚障害児・視覚障害児は就学免除と解される。義務教育の強化が 図られる一方,就学の猶予・免除規定が対象によって区分され,明確にされたことで障害の ある子どもたちの就学は益々困難になった。また,この規定が定められたことで教育の対象 外とされてしまった盲・聾児のために,図 4 に示すように篤志家の善意による私立盲唖学校 の設置が急速に進んだ。

※文部省「特殊教育百年史」よりデータを入手

6

ヲ得 学齢児童病弱又ハ発育不完全ノ為就学セシムヘキ時期ニ於テ就学スルコト能ハスト 認メタルトキハ市町村長ハ監督官庁ノ認可ヲ受ケ其ノ就学ヲ猶予スルコトヲ得 市長村長 ニ於テ学齢児童保護者貧窮ノ為其ノ児童ヲ就学セシムルコト能ハスト認メタルトキ亦前ニ 項ニ準ス」が定められた。石島晴子

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は「白痴とは重度の知的障害を指し,廃疾とは盲者・

聾唖者・肢体不自由者を指す。 」と述べている。したがってこの条文は現在で言う病虚弱児 は就学猶予,知的障害児・肢体不自由児・聴覚障害児・視覚障害児は就学免除と解される。

義務教育の強化が図られる一方,就学の猶予・免除規定が対象によって区分され,明確にさ れたことで障害のある子どもたちの就学は益々困難になった。また,この規定が定められた ことで教育の対象外とされてしまった盲・聾児のために,図 4 に示すように篤志家の善意 による私立盲唖学校の設置が急速に進んだ。

※文部省「特殊教育百年史」よりデータを入手 図 4 国立,公立,私立別の盲唖学校数の推移

さらに, 1907( 明治 40) 年の「第 5 次小学校令」では,義務教育を 6 年とし 6 年制義務教

育が実現した。そしてこれに伴い小学校教員養成を充実させるために,文部省は師範学校 規定 ( 省令第 12 号 ) を制定し,同時に文部省訓令第 6 号で「師範学校規程ノ要旨及施行上ノ 注意」を発し,その中で盲人,唖人,心身発育不全の児童のための特別学級を設け,教育方 法の研究を政府は奨励した。その結果,岩手師範,姫路師範,福岡女子師範,東京高等師範 の附属小学校に特別学級が設けられ,また公立の小学校にも特別学級開設の動きがあり,群 馬県館林尋常小学校,長野県小諸尋常小学校,北海道丸山尋常小学校に特別学級ができた。

しかし,これらの特別学級は財政的措置がなかったことなどから, 10 年を経たず,東京高 等師範附属小学校を除いて廃止された。

⑤その他の明治期の主な出来事

その他の明治期の出来事として, 1878( 明治 11) 年に盲唖教育の起源となる京都盲唖院 ( 現,

第3次小学校令公布

図 4  国立,公立,私立別の盲唖学校数の推移

 さらに,1907(明治40)年の「第 5 次小学校令」では,義務教育を 6 年とし 6 年制義務教 育が実現した。そしてこれに伴い小学校教員養成を充実させるために,文部省は師範学校規 定(省令第12号)を制定し,同時に文部省訓令第 6 号で「師範学校規程ノ要旨及施行上ノ注 意」を発し,その中で盲人,唖人,心身発育不全の児童のための特別学級を設け,教育方法 の研究を政府は奨励した。その結果,岩手師範,姫路師範,福岡女子師範,東京高等師範の 附属小学校に特別学級が設けられ,また公立の小学校にも特別学級開設の動きがあり,群馬 県館林尋常小学校,長野県小諸尋常小学校,北海道丸山尋常小学校に特別学級ができた。し かし,これらの特別学級は財政的措置がなかったことなどから,10年を経たず,東京高等師

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法令等にみる教育制度の変遷と障害児教育(白井)

範附属小学校を除いて廃止された。

⑤ その他の明治期の主な出来事

 その他の明治期の出来事として,1878(明治11)年に盲唖教育の起源となる京都盲唖院

(現,京都府立盲学校,初代院長に古河太四郎)が設立され,さらに1880(明治13)年に東京 に楽善会訓盲院(後に東京盲啞学校を経て,現在の筑波大学附属視覚特別支援学校)が設立 されている。

 また,前述の師範学校の附属小学校や公立小学校の特別学級の開設前の1890(明治23)年 に,知的障害特別支援学級の起源となる落第生学級が松本尋常小学校に,さらに1896(明治 29)年には,促進学級的位置づけで晩熟生学級が長野尋常小学校に開設されている。

⑶ 大正期の教育制度と障害児教育

① 特別学級による精神薄弱教育の発展

 明治時期の後半から大正期の初期にかけて,我が国の近代教育制度は初等教育から高等教 育に至るまでの基本となる学校体系が整った。

 一方,第 1 次世界大戦を経験し,自由主義・民主主義の風潮が高まり,個性尊重の教育に 目が向けられ,劣等児や精神薄弱児の教育への関心が再び高まった。そしてこの時期,ヨー ロッパの児童中心主義思想が広まり,特に心理学の研究が進んだことから,教育の方法に知 能検査や学力検査等を用いるものが多くなった。

 この他,列強諸国に匹敵するための国力増強という観点で,児童保護施策の一つとして児 童相談所が設けられ,1919(大正 8 )年に我が国最初の公立児童相談所として,大阪市立児 童相談所が開設された。精神薄弱児の研究と教育を活動の中心に位置付け,相談所の他に教 育施設を併設し,知能検査等を用いて教育に取り組み,当時の精神薄弱教育を後押しした。

 以上を背景に,東京,大阪,京都を始め神戸や名古屋の大都市で,再び小学校に特別学級 を設置することが進められ,特に大正10年代には全国的に特別学級の開設が進んだ。第 2 次 世界大戦前の我が国において,この時期が成績不良児や精神薄弱児等を対象とした特別学級 の最も普及したと時期と言われる。また,肢体不自由児教育では,大正末期から昭和期にか けて増設された虚弱児の特別学級に,肢体不自由の子どもたちが編入した例が相当数あった。

その当時の虚弱児の概念・分類が明確でなかったことによると考えられる。因みにこの時期 に特別学級を設置していた学校数及び児童数は,文部省普通学務局の「全国特殊教育状況」

調べによると,1923(大正12)年度235校18,654人,1925(大正14)年度138校6,298人,1926

(大正15)年度175校13,394人となっている。数字を見て分かるように変動幅が大きく,前述 の大都市を除き, 1 ~ 2 年以内に廃止されたものも多く,人的な確保の難しさなどがあった と考えられる。

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② 盲学校・聾唖学校の公立化

 1923(大正12)年に「盲学校及び聾唖学校令」が公布され,盲学校と聾唖学校を制度上分 離し指導の充実を図った。同時に政府は盲学校と聾唖学校の設置義務を道府県に課し,学校 運営に必要とされる費用を道府県に負担させた。学校には初等部,中等部を置くこと,予科,

研究科,別科も置くことができること,公立の盲学校,聾唖学校の初等部及びその予科では,

授業料,入学料を徴収しないことなどを規定した。このように我が国の盲・聾唖教育は,こ の学校令により,学校教育としての体制を確立し,これ以後昭和期にかけ,図 5 , 6 のよう に私立学校が公立学校へ移管されていった。以上のように盲学校及び聾唖学校が順調に整備 されていく中,他の障害の教育は大きく出遅れることとなる。

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研究科,別科も置くことができること,公立の盲学校,聾唖学校の初等部及びその予科では,

授業料,入学料を徴収しないことなどを規定した。このように我が国の盲・聾唖教育は,こ の学校令により,学校教育としての体制を確立し,これ以後昭和期にかけ,図

5

6

のよう に私立学校が公立学校へ移管されていった。以上のように盲学校及び聾唖学校が順 調に整備されていく中,他の障害の教育は大きく出遅れることとなる。

図5国立,公立,私立別の盲学校数の推移図6国立,公立,私立別の聾唖学校数の推移

※盲学校及び聾唖学校令により,大正13年から盲唖学校は,盲学校と聾唖学校に分離した

※図ともに文部省「特殊教育百年史」よりデータを入手

(4) 昭和期の教育制度と障害児教育 (ア) 第2次世界大戦前

就学猶予・免除規定の継承

小学校に類する各種学校として,

1932(

昭和

7)

年に日本最初の肢体不自由児対象の東京市 立光明学校

(

後に養護学校へ

)

1940(

昭和

15)

年に日本最初の知的障害児対象の大阪市立思斉 学校

(

後に養護学校へ

)

が開校した。一方,

1939(

昭和

14)

年に第

2

次世界大戦が始まった。

1941(

昭和

16)

3

月,前記小学校令を改正した国民学校令が公布され,第

9

条に就学猶

予・免除規定「就学セシメラルベキ児童

(

学齢児童ト称ス以下同ジ

)

ノ瘋癲白痴又ハ不具廃疾 ノ為之ヲ就学セシムルコト能ハズト認ムルトキハ市町村長ハ地方長官ノ認可ヲ受ケ前条ニ 規定スル保護者ノ義務ヲ免除スルコトヲ得

2

学齢児童ノ病弱又ハ発育不完全其ノ他巳ム ヲ得ザル事由ニ依リ就学時期ニ於テ之ヲ就学セシムルコト能ハズト認ムルトキハ市町村長 ハ其ノ就学ヲ猶予スルコトヲ得此ノ場合ニ於イテハ直ニ其の旨地方長官ニ報告スベシ」が 定められた。基本的には

1900(

明治

33)

年の第

3

次小学校令の就学猶予・免除規定の内容を ほぼ受け継いだ形になっているが,就学猶予・免除の事由から貧困が削除された。

国家主義,人材確保のための法整備

1941(

昭和

16)

3

月の国民学校令の公布とともに,国民学校令施行規則が公布され,そ

図 5  国立,公立,私立別の盲学校数の推移 図 6  国立,公立,私立別の聾唖学校数の推移

※盲学校及び聾唖学校令により,大正13年から盲唖学校は,盲学校と聾唖学校に分離した

※図 5 , 6 ともに文部省「特殊教育百年史」よりデータを入手

⑷ 昭和期の教育制度と障害児教育 ア 第 2 次世界大戦終戦前

① 就学猶予・免除規定の継承

 小学校に類する各種学校として,1932(昭和 7 )年に日本最初の肢体不自由児対象の東京 市立光明学校(後に養護学校へ),1940(昭和15)年に日本最初の知的障害児対象の大阪市立 思斉学校(後に養護学校へ)が開校した。一方,1939(昭和14)年に第 2 次世界大戦が始まっ た。

 1941(昭和16)年 3 月,前記小学校令を改正した国民学校令が公布され,第 9 条に就学猶 予・免除規定「就学セシメラルベキ児童(学齢児童ト称ス以下同ジ)ノ瘋癲白痴又ハ不具廃 疾ノ為之ヲ就学セシムルコト能ハズト認ムルトキハ市町村長ハ地方長官ノ認可ヲ受ケ前条ニ 規定スル保護者ノ義務ヲ免除スルコトヲ得  2 学齢児童ノ病弱又ハ発育不完全其ノ他巳ムヲ 得ザル事由ニ依リ就学時期ニ於テ之ヲ就学セシムルコト能ハズト認ムルトキハ市町村長ハ其 ノ就学ヲ猶予スルコトヲ得此ノ場合ニ於イテハ直ニ其の旨地方長官ニ報告スベシ」が定めら れた。基本的には1900(明治33)年の第 3 次小学校令の就学猶予・免除規定の内容をほぼ受

(9)

― 113 ―

法令等にみる教育制度の変遷と障害児教育(白井)

け継いだ形になっているが,就学猶予・免除の事由から貧困が削除された。

② 国家主義,人材確保のための法整備

 1941(昭和16)年 3 月の国民学校令の公布とともに,国民学校令施行規則が公布され,そ の第53条に「国民学校ニ於イテハ身体虚弱,精神薄弱其ノ他心身ニ異常アル児童ニシテ特別 養護ノ必要アリト認ムルモノノ為ニ学級又ハ学校ヲ編成スルコトヲ得 前項ノ学級又ハ学校ノ 編制ニ関スル規定ハ別ニ之ヲ定ム」が定められ,身体虚弱,精神薄弱等の子どもたちの特別 学級や特別学校を設置することが法的に認められた。さらにこの条文を補足するために発し た「国民学校令施行規則第53条の規定による学級又は学校の編制に関する規定」では,「養護 学級又ハ養護学校ニアリテハ成ルベク身体虚弱,精神薄弱,弱視,難聴,吃音,肢体不自由 等ノ別ニ学級又ハ学校ヲ編制スベシ」とあり,「養護学級」,「養護学校」の文言が登場した。

養護学校の編制が可能となったことから,1942(昭和17)年に大阪市立思斉学校,東京市立 光明学校は,それぞれ国民学校に位置づけられることとなった。一方,盲学校,聾唖学校に ついても,国民学校令施行規則第74条の中で国民学校と同等であることが認められた。これ らの法整備が行われた理由としては,障害のある子どもたちのために尽力してきた教師や保 護者らの運動の成果という面もあったが,彼らを国家主義の中に取り込み人材の確保に繋げ ようとした側面もあった。このように一見すると障害児教育は前進したように見えるが,戦 争の終盤が近づくにつれて,学童疎開等の戦時非常対策によって,その様子は変わっていっ た。また,1940(昭和15)年の「国民優生法」の制定により,優生主義の考えが社会に広ま るなど,戦時下の障害者に向けられる目は厳しいものとなっていた。

イ 第 2 次世界大戦終戦後

① 盲・聾学校の義務化へ

 1947(昭和22)年,学校教育法が定められ,その中で学校の種類として小学校・中学校と 並んで盲・聾・養護学校が特殊教育諸学校として位置づけられ,保護者の就学義務や都道府 県の設置義務についても規定された。このように法律の条文上では,障害のある子どもたち の義務教育が実現した。しかし, 6 ・ 3 制の新しい学校制度を早急につくりあげることがこ の時期の文部省の最優先課題であり,盲・聾・養護学校の設置義務及び就学義務の施行期日 については,附則で別に政令で定めるとされ,盲・聾・養護学校の義務化は実質的に延期さ れた。しかし,盲・聾学校については,関係団体等の根強い働きや明治時代からの学校の整 備により,図 7 に示すように1948(昭和23)年時点でその学校数が盲学校74校,聾学校64校 あり,養護学校と比較して義務化しやすかったことから,1948(昭和23)年,「盲学校及び聾 学校の就学義務及び設置義務に関する政令」が公布され,この年から学年進行で義務化が実 施され1956(昭和31)年に完成した。学校教育法には,病弱,発育不完全その他やむを得な い事由のため就学困難と認められる者の保護者に対しては,国民学校令を基本的に継承した

(10)

― 114 ―

就学猶予・免除の規定が設けられ,これにより,盲・聾児以外の子どもたちはまたしても教 育制度から排除されることとなった。

10

※文部省「特殊教育百年史」よりデータを入手

図7 盲・聾・養護学校数の推移

特殊教育の拡充期,養護学校義務化へ

1952(

昭和

27)

年,日本の特殊教育行政の中心となる特殊教育室が文部省初等中等教育局

内に設置された。この特殊教育室の最大の課題は,特殊学級

(

国民学校令では養護学級と称 す

)

や養護学校の整備の立ち遅れをどのように推し進めていくかであった。これ以後,特殊 教育室を中心にして,これらの課題解決に向けた数々の取り組みがなされていくことにな る。

1954(

昭和

29)

年,中央教育審議会は「特殊教育およびへき地教育振興についての答申」

の中で,盲・聾学校への就学率の低調さと盲・聾児以外の特殊教育について,国としてほと んど具体的な施策が講じられていないことを指摘し,盲・聾学校への就学奨励の促進,保護 者への経済的援助,養護学校設置の地方公共団体への財政的補助を勧告した。

この答申を受け,

1956(

昭和

31)

年に養護学校に対しても他の義務教育諸学校同様に,財 政的援助を行うための「公立養護学校整備特別措置法」が公布された。実質的にこの法律の 成立により,養護学校の義務化に向けた流れができあがった。文部省は

1960(

昭和

35)

年度 から養護学校設置促進に向けて整備費補助を開始した。

1963(

昭和

38)

年,文部省は通知「盲者,聾者等の就学の適正な措置と指導について」を

発出し,保護者の理解不足による未就学,小学校等への不適正な就学,盲者等の判別の不適 正さに対し是正を促した。

1969(

昭和

44)

年,特殊教育総合研究調査協力者会議

(

座長辻村康男

)

より, 「特殊教育の基

本的な施策のあり方について

(

報告

)

」において,①特殊教育機関の拡充整備の方向性

(

通級の 必要性,特殊学級の設置促進,養護学校の設置促進,重複障害児教育の拡充,早期教育の拡 充,義務教育以後の教育の拡充

)

,②教職員の養成と資質向上,③判別と就学指導組織の充

図 7  盲・聾・養護学校数の推移

※文部省「特殊教育百年史」よりデータを入手

② 特殊教育の拡充期,養護学校義務化へ

 1952(昭和27)年,日本の特殊教育行政の中心となる特殊教育室が文部省初等中等教育局 内に設置された。この特殊教育室の最大の課題は,特殊学級(国民学校令では養護学級と称 す)や養護学校の整備の立ち遅れをどのように推し進めていくかであった。これ以後,特殊 教育室を中心にして,これらの課題解決に向けた数々の取り組みがなされていくことになる。

 1954(昭和29)年,中央教育審議会は「特殊教育およびへき地教育振興についての答申」

の中で,盲・聾学校への就学率の低調さと盲・聾児以外の特殊教育について,国としてほと んど具体的な施策が講じられていないことを指摘し,盲・聾学校への就学奨励の促進,保護 者への経済的援助,養護学校設置の地方公共団体への財政的補助を勧告した。

 この答申を受け,1956(昭和31)年に養護学校に対しても他の義務教育諸学校同様に,財 政的援助を行うための「公立養護学校整備特別措置法」が公布された。実質的にこの法律の 成立により,養護学校の義務化に向けた流れができあがった。文部省は1960(昭和35)年度 から養護学校設置促進に向けて整備費補助を開始した。

 1963(昭和38)年,文部省は通知「盲者,聾者等の就学の適正な措置と指導について」を 発出し,保護者の理解不足による未就学,小学校等への不適正な就学,盲者等の判別の不適 正さに対し是正を促した。

 1969(昭和44)年,特殊教育総合研究調査協力者会議(座長辻村康男)より,「特殊教育の 基本的な施策のあり方について(報告)」において,①特殊教育機関の拡充整備の方向性(通 級の必要性,特殊学級の設置促進,養護学校の設置促進,重複障害児教育の拡充,早期教育 の拡充,義務教育以後の教育の拡充),②教職員の養成と資質向上,③判別と就学指導組織の

(11)

― 115 ―

法令等にみる教育制度の変遷と障害児教育(白井)

充実整備,④一般社会の協力理解の促進についての提言がなされた。

 1971(昭和46)年,中央教育審議会より,「今後における学校教育の総合的な拡充整備のた めの基本的施策について」の答申がなされ,「特殊教育の積極的な拡充整備」の項で,①養護 学校の義務化と市町村への精神薄弱特殊学級の設置義務,②教育形態の多様化の促進,③重 度の重複障害児のための施設等,特殊教育施設の整備拡充,④心身障害児の早期発見,⑤義 務教育以後の教育の充実,⑥特殊教育と関係諸機関との緊密な連携についての提言がなされ た。

 1972(昭和47)年,「養護学校整備 7 ヶ年計画」が文部省から示され,翌年の1973(昭和 48)年に養護学校義務化に向けた「学校教育法中養護学校における就学義務及び養護学校の 設置義務に関する部分の施行期日を定める政令の制定について」が公示され,その中で1979

(昭和54)年 4 月から養護学校の義務化が開始することを国民に示した。

 1979(昭和54)年,養護学校の義務化が行われた。これにより,図 8 に示すように,就学 猶予・免除者数は激減した。なお,義務化の背景には,様々な運動団体が関わっていた。日 教組は義務教育制度の早急かつ完全実施を要求し,全国障害者問題研究会は発達保障を軸と し,権利としての障害者教育の創造を方針に掲げ,「1979(昭和54)年をまたずして可能な自 治体から『希望者全員就学』を実現する」ことを提起し,障害者の教育権を実現する会は,

「就学先は強制されるものでなく,親の意向を尊重してなされるものである」と統合教育の必 要性を主張した。

※国立特別支援教育総合研究所 web サイトより,データを入手

11

実整備,④一般社会の協力理解の促進についての提言がなされた。

1971( 昭和 46) 年,中央教育審議会より, 「今後における学校教育の総合的な拡充整備のた

めの基本的施策について」の答申がなされ, 「特殊教育の積極的な拡充整備」の項で,①養 護学校の義務化と市町村への精神薄弱特殊学級の設置義務,②教育形態の多様化の促進,③ 重度の重複障害児のための施設等,特殊教育施設の整備拡充,④心身障害児の早期発見,⑤ 義務教育以後の教育の充実,⑥特殊教育と関係諸機関との緊密な連携についての提言がな された。

1972( 昭和 47) 年, 「養護学校整備7ヶ年計画」が文部省から示され,翌年の 1973( 昭和 48) 年に養護学校義務化に向けた「学校教育法中,養護学校における就学義務及び養護学校の設 置義務に関する部分の施行期日を定める政令」が公示され,その中で 1979( 昭和 54) 年 4 月 から養護学校の義務化が開始することを国民に示した。

1979( 昭和 54) 年,養護学校の義務化が行われた。これにより,図 8 に示すように,就学

猶予・免除者数は激減した。なお,義務化の背景には,様々な運動団体が関わっていた。日 教組は義務教育制度の早急かつ完全実施を要求し,全国障害者問題研究会は発達保障を軸 とし,権利としての障害者教育の創造を方針に掲げ, 「 1979( 昭和 54) 年をまたずして可能な 自治体から『希望者全員就学』を実現する」ことを提起し,障害者の教育権を実現する会は,

「就学先は強制されるものでなく,親の意向を尊重してなされるものである」と統合教育の 必要性を主張した。

※国立特別支援教育総合研究所 ZHE サイトより,データを入手

図 8 就学猶予・免除者数の推移

③ 通級による指導,制度化へ

1978( 昭和 53) 年の特殊教育に関する研究調査会 ( 会長辻村康男 ) の文部省への報告「軽度心

身障害者に対する学校教育の在り方」の中で, 「軽度の障害児を通常の学級において指導す

養護学校義務化

図 8  就学猶予・免除者数の推移

③ 通級による指導,制度化へ

 1978(昭和53)年の特殊教育に関する研究調査会(会長辻村康男)の文部省への報告「軽 度心身障害者に対する学校教育の在り方」の中で,「軽度の障害児を通常の学級において指導 する場合は,必要に応じて特殊学級への通級による指導又は専門の教師の巡回による指導を

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考慮すること」が報告された。これは前述の1969(昭和44)年に辻村が座長を務めた特殊教 育総合研究調査協力者会議から提言されていたものをより具体化したものであるが,養護学 校義務化 1 年前の報告ということからも分かるように,養護学校の義務化を実現した後の特 殊教育の課題は,軽度障害児への対応に向けられていた。

 その後,1987(昭和62)年の臨時教育審議会の「教育改革に関する第 3 次答申」でも,「特 殊学級については,障害の実情等を考慮し,いわゆる通級学級における指導体制の充実を含 め,その整備に努める。」ことが提言された。

 さらに学習障害児への関心の高まりもあって,1990(平成 2 )年に文部省は「通級学級に 関する調査研究協力者会議」(座長山口薫)を設置し,通級による指導を実施する場合の具体 的な課題の検討を行った。その審議のまとめとして1992(平成 4 )年に「通級による指導に 関する充実方策について」を発表し,通級による指導の現状を示すことや,教育課程上への 明確な位置づけが必要であることなどを取りまとめた。これらの報告を受けて文部省は,1993

(平成 5 )年に学校教育法施行規則の一部改正を行い,「通級による指導」を制度化した。

④ 特殊教育から特別支援教育へ

 1995(平成 7 )年,文部省は「障害者プランの概要~ノーマライゼーション 7 か年戦略~」

を策定し,また1996(平成 8 )年,「盲学校,聾学校及び養護学校施設整備指針」を策定し た。さらに1997(平成 9 )年,特殊教育の改善・充実に関する調査研究協力者会議より,「特 殊教育の改善・充実について」の第 1 次報告がなされた。養護学校の義務化,通級による指 導へと時代が進む中で,この時期はこれまでの特殊教育を振り返り,さらに充実を図るため の方向性が示された時期でもあった。

 2001(平成13)年,21世紀の特殊教育の在り方に関する調査研究協力者会議が開かれ,「21 世紀の特殊教育の在り方について」の最終報告がなされた。主な内容は,①今後の特殊教育 の在り方についての基本的な考え方,②就学指導の在り方の改善(乳幼児期から学校卒業後 まで一貫した相談支援体制の整備,障害の程度に関する基準及び就学手続きの見直し,就学 指導委員会の役割の充実),③特別な教育的支援を必要とする児童生徒への対応(障害の状態 等に応じた指導の充実方策,特殊教育諸学校,特殊学級及び通級による指導の今後の在り方,

後期中等教育機関への受入れの促進と障害のある者の生涯学習の支援),④特殊教育の改善・

充実のための条件整備であった。

 2003(平成15)年,特別支援教育の在り方に関する調査協力者会議より,「今後の特別支援 教育の在り方について」の最終報告がなされた。主な内容は,①「特殊教育」から「特別支 援教育」への転換,②障害種にとらわれない新たな特別支援教育制度の創設,③センター的 機能を有する特別支援学校(仮称)の創設,④特別支援教育を支える 3 つの仕組み(個別の 教育支援計画,特別支援教育コーディネーター,広域連携協議会)の必要性,⑤特別支援教 室(仮称)構想,⑥新しい免許制度の必要性であり,現在の特別支援教育制度のもととなる

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法令等にみる教育制度の変遷と障害児教育(白井)

数々の提言がなされた。

 2005(平成17)年,中央教育審議会より,「特別支援教育を推進するための制度の在り方に ついて」の答申がなされた。主な内容は,①「特殊教育」から「特別支援教育」への転換,

②障害種にとらわれない新たな特別支援教育制度の創設,③センター的機能を有する特別支 援学校,④特別支援教室(仮称)構想,⑤特別支援学校教諭免許状(仮称)への見直し,⑥ 通級による指導の指導時間数の弾力化であり,上記の特別支援教育の在り方に関する調査協 力者会議の「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」とほぼ同様の内容であっ た。

 2006(平成18)年,前述の答申を受け学校教育法施行規則を一部改正し,通級による指導 の対象者に「学習障害者」,「注意欠陥多動性障害者」を加えた。一方,従来より,自閉症や 選択制かん黙等のある者を「情緒障害者」として一緒に扱ってきたが,近年,これらの障害 の原因及び指導法が異なることが明らかになってきたことから,両者を分け,「自閉症者」と

「情緒障害者」として分類の見直しを行った。通級による指導の指導時間数についても弾力化 を図った。

 また同年,教育基本法の改正があり,第 4 条に次の規定「 2  国及び地方公共団体は,障 害のある者がその障害の状態に応じ,十分な教育を受けられるよう,教育上必要な支援を講 じなければならない。」を追加した。

 さらに同年,特別支援教育推進のための学校教育法等の一部が改正された。主な内容は,

①盲学校,聾学校,養護学校を障害種別を超えた特別支援学校へ 1 本化,②特別支援学校に おいては,在籍児童の教育を行うほか,小中学校等に在籍する障害のある児童生徒等の教育 について助言援助に努める旨を規定,③小中学校等においては,学習障害(LD),注意欠陥 多動性障害(ADHD)等を含む障害のある児童生徒等に対して,適切な教育を行うことを規 定,④盲,聾,養護学校ごとの教員免許状を改め,特別支援学校の教員免許状への変更であっ た。

 上述の改正は,翌年2007(平成19)年 4 月 1 日から施行され,障害児教育の歴史を変える ほどの大きな制度変更が行われた。

 一方,同日,文科省初等中等教育局より,「特別支援教育の推進について(通知)」が発出 された。主な内容は,①特別支援教育の理念,②校長の責務,③特別支援教育を行うための 体制の整備及び必要な取組(特別支援教育に関する校内委員会の設置,実態把握,特別支援 教育コーディネーターの指名,「個別の教育支援計画」の策定と活用,「個別の指導計画」の 作成,教員の専門性の向上),④特別支援学校における取組(特別支援教育のさらなる推進,

地域における特別支援教育のセンター的機能,特別支援学校教員の専門性の向上),⑤教育委 員会等における支援,⑥保護者からの相談への対応や早期からの連携であった。

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⑤ 世界的な潮流の中で障害者の権利に関する条約(以下,障害者権利条約)批准へ  以上の国内での動きとは別に,1994年(平成 6 )年,スペインのサマランカでユネスコと スペイン政府共催による「特別なニーズ教育に関する世界会議」が開催され,サマランカ声 明と行動の枠組みが採択された。声明は,「特別なニーズ教育」,「インクルーシブ教育」の推 進を打ち出したことで知られる。かねてから,ユネスコは,初等教育をまともに受けられな い子どもたちが世界に存在することに着目し,「すべての者に対する教育」を呼びかけてき た。サマランカでの会議はその延長線上に位置づくものであり,様々な理由で学校教育への 参加が排除されている子どもたちに対し,インクルーシブ教育の必要性を提起した。さらに,

2001(平成13)年には,国連総会において,障害者の尊厳と権利の保障を掲げた障害者権利 条約の原案作成のための特別委員会(アドホック委員会)の設置が採択され,その後 8 回の 特別委員会を経て,2006(平成18)年の国連総会で障害者権利条約が採択された。なお,条 約の第24条(教育)では,インクルーシブ教育の権利を保障するとともに,質の高いインク ルーシブ教育を推進するのに必要な支援や条件を各国政府および国際機関に課している。

 2007(平成19)年,我が国は高村正彦外務大臣がこの条約に署名し,その後 7 年をかけ,

批准に向けて以下の国内法の整備を行った。

 2006(平成18)年 国連総会において採択  2007(平成19)年 日本が署名

 2008(平成20)年 障害者権利条約が発効

 2009(平成21)年 国内法の整備のため,「障がい者制度改革推進本部」を内閣府に設置  2010(平成22)年 「障がい者制度改革推進会議」を設置

 2011(平成23)年 障害者基本法の改正,障害者虐待防止法成立  2012(平成24)年 障害者総合支援法成立

 2013(平成25)年 障害者差別解消法成立,障害者雇用促進法改正     〃     学校教育法施行令の一部を改正する政令成立  2014(平成26)年 条約に日本が批准

2  戦後の就学指導に関する法令,通達等の整理

 戦後の障害のある子どもたちの就学に関する事項は,学校教育法施行令や通知・通達の形 で示されることが多い。ここでは「特殊教育百年史」,「学制百年史」,「戦後日本の特別支援 教育と世相」を参考に,障害のある子どもたちの就学指導を時代区分ごとに整理した。

⑴ 判別基準の制定,特殊教育対象の児童生徒の全国実態調査へ

 1953(昭和28)年10月,学校教育法施行令(政令第340号)が公布,施行された。この施行 令は,前年に施行された地方自治法の一部改正により,「地方公共団体またはその機関が処理 すべき事務は,すべて法律や法律に基づく政令によること」を受け制定されたもので,主な

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法令等にみる教育制度の変遷と障害児教育(白井)

内容は,従来文部省令で規定されていた就学事務に関すること,認可に関すること,届出に 関することであった。

 一方,これに先立ち,1953(昭和28)年 6 月,「教育上特別な取り扱いを要する児童生徒の 判別基準について」(文初特第303号)が,文部事務次官名で各都道府県教育委員会,同知事 宛に通知され,これによって初めて特殊教育の対象とする児童生徒の範囲が示され,精神薄 弱者を含め盲者や弱視者などの定義や基準の他,就学免除,就学猶予,養護学校,特殊学級,

通常学級のいずれが望ましいかの教育的措置について明示された。文部省は,この判別基準 制定後,年次計画(1953(昭和28)年~1955(昭和30)年度)によって,障害の種類別に特 殊教育の対象となるべき児童・生徒の全国実態調査を実施した。そして特殊教育を必要とし ている精神薄弱,肢体不自由,病弱・虚弱の児童・生徒が100万人以上いることが分かった。

⑵ 学校保健法等による就学指導体制の法的整備

 1958(昭和33)年 4 月,学校保健法が制定され,就学時健康診断が規定され,「市町村の教 育委員会は,前条の健康診断の結果に基づき,治療を勧告し,保健上必要な助言を行い,及 び学校教育法第22条第 1 項に規定する義務の猶予若しくは免除又は盲学校,聾学校若しくは 養護学校への就学に関し指導を行う等適切な措置を取らなければならない。」ことが示され た。また,同年 6 月の「学校保健法施行規則」によって,学校における毎学年の定期の健康 診断の結果に基づく事後措置の 1 つとして,養護学校への就学又は特殊学級への編入につい ての指導・助言を行うべきことも規定された。このように,学校保健の面から,盲・聾・養 護学校及び特殊学級への就学指導体制の法的整備が図られた。

⑶ 特殊教育諸学校や特殊学級へ振り分ける制度の基盤の確立

 1959(昭和34)年,中央教育審議会から「特殊教育の充実振興についての答申」が報告さ れた。主な内容は,障害の種類や程度に応じた望ましい教育の場についての指針,養護学校・

特殊学級の設置促進のための方策,及び教員養成の充実についてであった。この答申を受け,

1961(昭和36)年の「学校教育法の一部改正」(法律第166号)における第71条の 2 「前条の 盲者,聾者又は精神薄弱者,肢体不自由者若しくは病弱者の心身の故障の程度は,政令で,

これを定める。」の追加,1962(昭和37)年 3 月の「学校教育法施行令一部改正」(政令第114 号)における第22条の 2 「法律第71条の 2 の政令で定める盲者,聾者又は精神薄弱者,肢体 不自由者若しくは病弱者の心身の故障の程度は,次の表に掲げるとおりとする。」の追加,同 年10月の通達「学校教育法および同法施行令の一部改正に伴う教育上特別な取扱いを要する 児童・生徒の教育的措置について」(文初特第380号)における教育的措置の留意点の明示,

以上の一連の法令改正,それに伴う通達により,障害のある子どもたちを障害の区分別に,

特殊教育諸学校や特殊学級に振り分ける制度の基盤が整えられた。

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⑷ 強制的な振り分けによる就学指導

 1973(昭和48)年に設置された「特殊教育の改善に関する調査研究会」の提言を受け,1978

(昭和53)年に戦後 3 回目の教育措置基準として,「教育上特別な取り扱いを要する児童・生 徒の教育措置について」(文初特第309号)が通達され,就学の猶予免除については限定的な 運用に留めるとされた。また,同通達により,障害の種別及び程度によって,子どもを分類 し,通常学級,特殊教育諸学校,特殊学級の中のどこで教育すべきかを画一的に規定したの で,就学先の強制に繋がる結果となった。さらに,同通達により,都道府県及び市町村にお いては,教育上特別な取扱いを要する児童・生徒の心身の故障の種類,程度等の判断につい て調査及び審議を行うための「就学指導委員会」を設置するものとした。

⑸ 就学指導の弾力化,専門家の聴取義務付けへ

 2002(平成14)年,「学校教育法施行令の一部改正について」(文科初第148号)が,文部科 学事務次官名で通知各都道府県教育委員会,各都道府県知事,付属学校を置く各国立大学長,

国立久里浜養護学校長宛てに通知された。主な内容は,①医学,科学技術の進歩等を踏まえ,

教育学,医学の観点から盲・聾・養護学校に就学すべき障害の程度(就学基準)を改正した こと,②就学基準に該当する児童生徒について,その障害の状態に照らし,就学に係る諸事 情を踏まえて,小学校又は中学校において適切な教育を受けることができる特別の事情があ ると市町村の教育委員会が認める場合には,小・中学校に就学させることができるよう就学 手続きを弾力化したこと(認定就学),③障害のある児童の就学に当たり,市町村の教育委員 会は専門家の意見を聴くものとしたことであった。

⑹ 保護者からの意見聴取,義務付けへ

 2006(平成18)年の学校教育法等一部改正を踏まえ,2007(平成19)年に学校教育法施行 令を一部改正し,障害のある児童生徒の就学先の決定手続きについて見直しが行われた。特 に今まで障害のある児童の就学先を決定する際には,市町村教育委員会が専門家の意見を聴 いて決定することとされていたが,学校教育法施行令18条の 2 として,保護者の意見も聴く ことが法令上義務付けられた。

⑺ 障害者権利条約による学校教育法施行令の改正,保護者の意向を可能な限り尊重へ  障害者権利条約を踏まえた上記の国内法の整備の中で,2013(平成25)年 8 月26日に学校 教育法施行令の一部を改正する政令が公布された。従来行われてきた改正がその時々の就学 上の課題を踏まえ行われてきたのと違い,世界的潮流であるインクルーシブ教育の動きに連 動して行われた改正であり,就学先を決定する仕組みの改正が含まれるなど,今までにない 大きな改正となった。

 同年, 9 月 1 日に同施行令の施行とともに,「学校教育法施行令の一部改正について」(文

(17)

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法令等にみる教育制度の変遷と障害児教育(白井)

科初第655号)が,文部科学事務次官名で各都道府県・指定都市教育委員会教育長,各都道府 県知事等宛てに通知された。主な内容は,①就学先を決定する仕組みの改正,②障害の状態 の変化以外に教育体制等の変化を踏まえた転学,③視覚障害者等による区域外就学等,④保 護者及び専門家からの意見聴取の機会の拡大であった。なお,保護者の意見については,可 能な限りその意向を尊重しなければならないこと,「就学指導委員会」の名称については,中 央教育審議会初等中等教育分科会報告「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システ ム構築のための特別支援教育の推進」を受け,入学後も一貫した支援や助言を行うという観 点から,「教育支援委員会」(仮称)といった名称が適当であることが留意事項として挙げら れた。

 なお,改正にあたっては,以下に示す①2006(平成18)年に国連総会において採択された 障害者権利条約第24条(教育),②2011(平成23)年公布の障害者基本法第16条(教育),③ 2012(平成24)年の中央教育審議会初等中等教育分科会報告「共生社会の形成に向けたイン クルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進」に拠るところが大きい。

① 障害者権利条約第24条(教育)抜粋

2  締約国は, 1 の権利の実現に当たり,次のことを確保する。

⒜ 障害者が障害に基づいて一般的な教育制度から排除されないこと及び障害のある 児童が障害に基づいて無償のかつ義務的な初等教育から又は中等教育から排除され ないこと。

⒝ 障害者が,他の者との平等を基礎として,自己の生活する地域社会において,障 害者を包容し,質が高く,かつ,無償の初等教育を享受することができること及び 中等教育を享受することができること。

② 障害者基本法第16条(教育)抜粋

「国及び地方公共団体は,障害者が,その年齢及び能力に応じ,かつ,その特性を踏ま えた十分な教育が受けられるようにするため,可能な限り障害者である児童及び生徒が 障害者でない児童及び生徒と共に教育を受けられるよう配慮しつつ,教育の内容及び方 法の改善及び充実を図る等必要な施策を講じなければならない。」

③  中央教育審議会初等中等教育分科会報告「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教 育システム構築のための特別支援教育の推進」抜粋

「就学基準に該当する障害のある子どもは特別支援学校に原則就学するという従来の就 学先決定の仕組みを改め,障害の状態,本人の教育的ニーズ,本人・保護者の意見,教 育学,医学,心理学等専門的見地からの意見,学校や地域の状況等を踏まえた総合的な 観点から就学先を決定する仕組みとすることが適当である。その際,市町村教育委員会 が,本人・保護者に対し十分情報提供をしつつ,本人・保護者の意見を最大限尊重し,

本人・保護者と市町村教育委員会,学校等が教育的ニーズと必要な支援について合意形 成を行うことを原則とし,最終的には市町村教育委員会が決定することが適当である。」

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 さらに,同年10月,「障害のある児童生徒等に対する早期からの一貫した支援について」

(文科初第756号)が,文部科学省初等中等教育局長名で各都道府県・指定都市教育委員会教 育長,各都道府県知事等宛てに通知された。主な内容は,同施行令改正に伴う,障害のある 児童生徒等に対する早期からの一貫した支援についての留意事項であり,①障害のある児童 生徒等の就学先の決定に当たっての基本的な考え方,②総合的な判断に基づく就学先の決定 について述べられている。

3  考 察

⑴ 障害児教育を教育制度の中に位置づけることを主張した二人の政府要人

 明治維新黎明期に明治政府の要人で,障害児教育を教育制度の中に位置づけることを強く 主張していた人物が二人いるので,紹介しておきたい。

 一人目は,山尾庸三である。彼は明治期の障害児教育を語るとき,必ず出てくる人物であ る。1837(天保 8 )年に彼は長州藩士の二男として生まれた。20歳の時に父親の援助で江戸 へ遊学し,齋藤弥九郎の練兵館へ入塾し,そこで松下村塾主宰の吉田松陰の弟子桂小五郎(後 の木戸孝充)と出会い,その後,伊藤博文ら吉田松陰の弟子たちと親交を深め,行動を共に した。1863(文久 3 )年に彼は後に長州 5 傑と呼ばれる伊藤博文,井上薫,遠藤謹助,野村 弥吉らと藩命によりイギリスへ密出国し,その後 3 年間ロンドン大学で工業技術を学び,後 半の 2 年間を昼はグラスゴーの造船所で働き,夜はアンダーソン・カレッジの夜間学級に通 い造船技術を学んだ。そしてこのとき,造船所内で聾唖者たちが手話で会話をしながらいき いきと作業し,職業自立している姿を目の当たりにした。その後,彼は合間を見てはイギリ スの聾唖学校や盲学校を視察した。日本に帰国後,1871(明治 4 )年 4 月に工学のエキスパー トを育てる高等教育機関の「工部学校」の設立を建白し,続いて同年 9 月には太政官に盲唖 学校創設の建白書を提出した。1873(明治 6 )年に「工部学校」設立の建白は,「工学寮」と して実現し開校に至るが,盲唖学校の建白は実現には至らなかった。盲唖児よりも工業を盛 んにし国力を上げることが,当時の政府の優先課題であったことが推測できる。それにして も当時の政府の中には,開明派の要人も山尾以外に多数いたはずである。山尾以外は,障害 児教育に関心がなかったということなのであろう。

 久田(6)によれば,盲唖学校の建白の際には,詳細の構想も提出する用意があるとあったそう である。山尾の建白にかける並々ならぬ決意が伝わってくるエピソードである。

 その後,1876(明治 9 )年に彼は楽善会に入会し,木戸孝允ら政府関係者に学校設立のた めの協力を要請するとともに,学校建築,教育方法,入校規則,資金募集の仕方など,次々 と会に指示を出した。このような努力により,1880(明治13)年,楽善会訓盲院が開校し,

翌々年彼は会長となった。

 彼は当時の産業振興及び工業教育を司る工部省設立の第一人者であり,「工学の父」と呼ば

参照

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