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価値論形成史の試み ―牧口常三郎と戸田城聖―

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指定討論

価値論形成史の試み

―牧口常三郎と戸田城聖―1

 

創価大学大学院 文学研究科教育学専攻

岩 木  勇 作

はじめに

 現在、刊行されている牧口常三郎

2

著の『価値論』には、①聖教新聞社(聖教文庫)

版『創価教育学体系・第Ⅱ巻』 (1972年刊)、第三文明社版『牧口常三郎全集・第五巻』 (1982 年刊)に収録された「価値論」 (以降『初版』

3

と略す)と、 ②第三文明社(レグルス文庫)

版『価値論』(1994年刊、以降『補訂版』

4

と略す)の二種のテキストがある。この『初 版』と『補訂版』の二つのテキストを読み比べると、目次構成も異なり、文章自体も 随所に相違がある。

 『初版』の原著は、牧口常三郎著『創価教育学体系・第二巻』として 1931(昭和6)

年3月に出版されている。内容はもちろん牧口常三郎の手によるものだが、既刊分の 体系第一巻と同様、牧口がそれまでに書き留めてきたメモなどを、戸田城聖

5

の手に よって分類整理し、出版したものである

6

 『補訂版』の原著は、1952(同27)年11月の牧口常三郎の九回忌法要にて戸田城聖 から出版計画が発表され、1953(同28)年の 11月18日に刊行された。以降、版を重 ね六版までが確認されている

7

 『補訂版』の戸田の「序」には、「今ここに[牧口]先生の十周忌を期して、先生の 価値論を校訂増補し、世界の学界に問わんとするものである。但し先生の御出発は教 育学にあり、価値論の著述に当たられた当時もこの面に重点があつた。然し晩年には 生活指導法の原理として価値論をお説きになつている。今余はこれを承継して世に問 うものである」とあり、この記述から、牧口は晩年には、「価値論」を教育学の原理 としてではなく、生活指導法の原理として説いていたこと、またこの『補訂版』は、

生活指導法の原理としての「価値論」という立場を継承して校訂増補されたことがう かがえる。

 「価値論」は、創価教育学体系において教育方法の原理と位置づけられており、「価 値論」の理解ぬきには創価教育学の真の理解もなしえないと言われている

8

。しかし、

現在二種の「価値論」テキストが存在するのである。後に出版された『補訂版』は、

(2)

決定版と見なされるべきものなのだろうか。この二種の「価値論」テキストをどう位 置づければよいのだろうか。

 本稿は、牧口常三郎著・遺弟戸田城聖補訂『価値論』を、資料批判を通して、牧口・

戸田の価値論形成史へと改めて位置づけるための試みである。具体的には、 『補訂版』

テキストと『初版』テキストを比較し、差異部分を抽出した後、その差異部分を諸資 料と対照するという作業を通して行った

9

1.『初版』『補訂版』出版の経緯

 『初版』の「価値論」は、『創価教育学体系・第二巻』として 1931(昭和 6)年 3 月 に出版された。既刊の体系・第一巻は、1930(昭和5)年11月に出版。当初、創価教 育学体系は総論四巻、各論八巻の全十二巻として構想されたが、総論第四巻の執筆中 に、総論部分は更にもう一巻を費やす必要が生じ、総論は第五巻までとなった

10

。結 局、この第五巻は未刊となったが、脱稿の段階まで来ていたことは確かなようであ る

11

。以下に体系の総論部分をリスト化すると、

 

 第一巻 1930(昭和5)年11月刊、第一篇教育学組織論・第二篇教育目的論  第二巻 1931(昭和6)年 3 月刊、第三篇価値論

 第三巻 1932(昭和7)年 7 月刊、第四篇教育改造論

 第四巻 1934(昭和9)年 6 月刊、第一篇教育方法論緒論・第二篇教材論・第三篇        教育技術論

 第五巻      未刊、第四篇学習指導即教導論

12

 

となる。

 戸田と創価教育学との関わりは深く、「創価教育」という名称自体が牧口と戸田の 会話の中から生まれたことは有名で、『創価教育学体系』出版の際も編集を担当した。

その作業の実際は、次のようなものであったと戸田は述べている。

 

先生の原稿は時折先生が思ひつくまゝにほご紙の様なものに切れゝゝに書いたも のですから、二度も三度も同じ様なものも出てきます。重複するものはハサミで 切つて除き私の八畳の部屋一杯に一切一切並べて見ると全く一巻の本になるので す。私は先生の原稿を第三巻まで整理致しました

13

 

 また、『創価教育法の科学的超宗教的実験証明』

14

には、

 

最初からの実証者戸田城外氏。約十七年前、著者の東京市小学校時代の同僚で、

(3)

熱心なる創価教育の研究者であり、十四年前より私立小学校時習学館を創じめる に当つては、全くこの主義に基いて経営したゝめ、異常の好評を博して今日の名 声を挙げ、殊に実験の結果としての著書「推理式指導算術」が年々非常なる売れ 行きを以て、日本小学校の算術教授の改良に役立ちつゝある如きは、本研究の唯 一最大の価値の証明といつてもよいと思ふ

15

 

と実践面においても創価教育学の価値を大きく示したと紹介されている。

 『補訂版』は、前述の通り九回忌法要の際に、戸田によって「わたしの思想内容は、

[牧口]先生からたくさんいただいている。来年までに、価値論を検討しきって、先 生滅後十年を期して、世界の各大学へ、この価値論を送る。」

16

と出版計画が発表された。

翌年の出版までにも『補訂版』に関する発言を様々おこなっているが、特に重要と考 えられるものを取りあげたい。

 

牧口先生が、若いときからあの老年にいたるまで、身命を打ちこんでなされ、命 がけでなされた価値論を、いままで口にしなかった。当時の人々にはわからな いので、十年間、伏せておいたのである。先生逝いて十回忌を迎えるが、これを 記念して、全国大学へ価値論を発表したい。反響の有無にかかわらず、三十年、

五十年後にかならず驚きの目をみはるものが出るだろう。あれほど真剣に社会に 立脚した価値論である。偉大な人には見えぬはずがない。価値論を出すべきとき がきたのである。教育学説も、社会学説も、根本は価値論である。(中略)私が このまま死ねば伝えようがない。私が教育界を去って二十数年になるが、私の知 れるかぎり、あなた方とともに研究したい。この価値論は、かならず世界的に広 まるものと確信している

17

 

 私は弟子として、この先生の残された大哲学を、世界に認めさせる。先生は、

わが子がかわいいのと同様に、価値論に片寄られた点はあった。私も、天台に流 れて大罰をうけたが、あくまで御本尊様が中心であり、価値論は流通分として用 いるのである。これがなかったならば、価値論を生かすことはできない。そのため、

十年間、世に出さなかったが、今後は絶対にやる。利善美の価値体系を、世界的 哲学として認めさせるまで、私の代にできなければ、きみらがやっていただきた い。たのみます

18

 

 以上の発言内容から、『初版』「価値論」をそのまま復刻再版するわけではなく、検 討・研究した上で出版すること、さらに「価値論」の位置づけを流通分としているこ とがわかる。

 この流通分とは、序分・正宗分・流通分という経典を解釈する場合の三つの分け方

(4)

で、順に、趣旨・由来を説く部分、本論の部分、後世に流通させるための部分を指す。

この分け方は、実は牧口も創価教育学体系を理解する上で採用しており、体系第一巻・

二巻を序分、第三・四・五巻を正宗分、以降の各論を流通分としている

19

。ただし戸 田は前述の通り『補訂版』の出版にあたって「あくまで御本尊様が中心であり」とし た上で、この「価値論」を流通分として位置づけている。

 また当時の聖教新聞では、世界の各大学等に送るため、英文のイントロダクション が日大英文科の教授であった神尾武雄の手によって翻訳されたこと

20

、11月20日には 戸田による「価値論」講義が開始されたこと

21

が掲載されている。

2.『補訂版』出版後の位置づけ

 戸田が亡くなった後、『補訂版』は、どのように位置づけられてきたか、『補訂版』

に関する記述を見ていきたい。まず、1965(昭和40)年に発刊された東西哲学書院版

『牧口常三郎全集・第一巻』には、『初版』ではなく『補訂版』が収録されているが、

その理由が「凡例」に記されている。「価値論を原典でなく、補訂版に拠った理由は、

後者には、前者に載らない著者晩年の思想が、先師の一切を承継した遺弟戸田城聖に よって遺憾なく顕現されているからである。」

22

とあり、牧口晩年の思想が戸田によっ て補訂されているので、牧口の著作として認めるという立場である。これは、 『補訂版』

の戸田の「序」と同じ説明といえる。

 次に、1983(昭和58)年に発刊された聖教新聞社版『戸田城聖全集・第三巻』には、

『補訂版』の「第六章生活指導原理としての価値論」は牧口の所説を踏まえた上での、

戸田の書き下ろしに近い内容、戸田の著作と位置づけられ、第六章部分が収録されて いる

23

 ほかにも 1972(昭和47)年発刊の牧口の伝記・証言集である『牧口常三郎』(聖教 新聞社)には、大きな違いは第六章で、その内容に沿って、他にも修正が加えられて いること

24

、また『補訂版』の英文イントロダクションを作った神尾はより詳しく『補 訂版』と『初版』の違いについて述べているが、今のところもっとも詳しい説明とい えるので、引用しておきたい。

 

この原版[『初版』]は牧口全集第一巻[東西哲学書院版]に掲載の価値論[『補

訂版』]とはかなり相違する記述があることである。もちろん相違といっても異

質のものではないが、牧口全集の価値論をみればすぐにわかるように、この価値

論は、牧口先生十周年忌を期して、遺弟戸田城聖先生によって校訂増補されたか

らである。しからばなぜ戸田先生が恩師の著を補訂されたかというに、それは牧

口先生の日蓮正宗帰依以来、先生の価値論が単に教育の指導原理たるにとどまら

ず、人生一般の生活指導原理にまで発展していったからにほかならない。先生が

(5)

晩年に創価教育学会機関紙「価値創造」等に載せた諸論文が価値論原版に見えな いことは、先生の晩年の学的業績を知るものにとって残念なことであったが、戸 田先生の手によって、牧口学説の完成をみたことは、創価教育学のためにまこと によろこばしいことである。(中略)戸田城聖先生校訂の価値論を見るに、後半 と前半とのあいだに何か目にみえない相違があるのを感じるのは、たんに文体の 相違によるのではなく、第五[六]章の生活指導原理としての価値論が、牧口先 生のなくなられる二、三年前に発表された論文に基づくからである。後半は前半 に比して平易であると評した者があるが、それは、晩年における牧口先生の論文 が、教育者を対象とするよりは、むしろ広い階層を相手とされたからにほかなら ない

25

 

 神尾は、牧口の価値論が晩年まで発展していったこと、そして戦前の創価教育学会 の機関紙『価値創造』などに掲載された牧口晩年の論文が、牧口の「価値論」の学問 的業績として非常に重要であること、『補訂版』第六章以降の文章の変化は、その論 文をもとに書かれたためであると説明している。

 そもそも 1979(昭和 54)年に『創価教育学体系』の復刻版が刊行されるまで、研 究者らに参照される「価値論」テキストは『補訂版』が収録された東西哲学書院版『牧 口常三郎全集』しかなかったのであり

26

、この戸田の校訂増補について種々論議をよ んでいた

27

3.『補訂版』作業時の資料状況

 さて、『補訂版』作業において検討・研究する際に参照されたであろう資料は、戸 田の元にどれくらいあったのか見ていきたい。まず、『大白蓮華』第十二号(創価学 会、1950 年 11 月発行)に掲載された「牧口先生の御一生」という記事の中で現存す る牧口の著作・論文等が紹介されている。これは『補訂版』出版より前の 1950(昭和 25)年11月時点の資料蒐集状況を示している。『補訂版』の出版は 1953(昭和28)年 11月であるので、この記事以降も更に蒐集されていたと推測される。

 次に東西哲学書院版『牧口常三郎全集』全五巻の収録内容

28

は「牧口先生の御一生」

の記事から資料が増えており、具体的には、戦前の機関紙『価値創造』よりも前に発 行されていた教育雑誌『新教』に掲載された論文の一部、また『価値創造』廃刊後に 発行された『大善生活実証録』に掲載された論文が増えている。以下に、そのリスト を対照して示す(表1)。

 おそらく『補訂版』作業時に手許にあった資料としては、『大白蓮華』の資料紹介

記事以上、東西哲学書院版『牧口常三郎全集』以下というのが実際の状況であったと

いえるだろう。

(6)

4.『初版』『補訂版』テキスト対照

 ここまで『補訂版』の出版経緯や従来行われてきた出版後の位置づけを見てきた。

いよいよ『補訂版』テキストの検証に入りたい。まず、『初版』『補訂版』の目次構成 を比較する(表2、相違する項目をグレーで表示)。

 目次から、大きく異なるのは第六章以降ということがわかる。この第六章の変更が 従来、戸田の補訂部分として考えられてきた部分である。しかし、今回『初版』と『補

表1

「牧口先生の御一生」資料紹介 牧口常三郎全集 全五巻

『人生地理学』 『人生地理学』初版、改訂増補十一版

『創価教育学体系』全四巻 『創価教育学体系』全四巻

(第二巻は『補訂版』)

『創価教育学梗概』 『創価教育学梗概』

『郷土科研究』(初版・改訂第十版) 『郷土科研究』改訂第十版

巣鴨拘置所からのお手紙 書簡

雑誌『価値創造』 雑誌『価値創造』

  第一号 目的観の確立   目的観の確立   第二号 大善生活法の提唱   大善生活法の提唱

  第三号 大善生活法即ち人間の平凡生活   大善生活法即ち人間の平凡生活に   第四号 大善生活法の実践   大善生活法の実践

  第五号 宗教改革造作なし   宗教改革造作なし   第六号 価値判定の標準(上)   価値判定の標準   第七号 同      (下)

  第八号 大善生活の根本原理

  第九号 法罰論   法罰論

雑誌『新教』

  教育態度論

  教育国策の根幹的六大問題

  学制系統の根本的改革の先決問題如何   創価教育学に基づく国語科教授の研究発表   教育者の恋愛の問題

  「光瑞縦横談」と教育・宗教革命   科学と宗教との関係を論ず

『大善生活実証録』

  法華経の信者と行者と学者およびその研究法   大善生活法実験証明の指導要領

  新体制の理想たる大善生活法の意義と可能

(7)

訂版』のテキストを全文比較した結果、判明したのは、目次構成上も異なるが本文テ キストは、全般にわたり膨大な量の修正がほどこされている、ということである。そ

表2

『初版』 『補訂版』

創価教育学体系 第二巻   序

 第三篇 価値論 価値論

  第一章 緒論=価値と教育   第一章 緒論=価値と社会科学   第二章 真理と価値=認識と評価   第二章 真理と価値=認識と評価    第一節 真理と価値    第一節 真理と価値

   第二節 認識と評価    第二節 認識と評価    第三節 認識と評価との関係    

  第三章 認識観   第三章 認識観

   第一節 認識の過程・同と異=等同意識

       と差別意識    第一節 認識の過程・同と異=等同意識        と差別意識

   第二節 本質と非本質    第二節 本質と非本質    第三節 認識の対象    第三節 認識の対象    第四節 直観及び思考    第四節 直観及び思考

  第四章 価値観   第四章 価値観

   第一節 価値の概念    第一節 価値の概念    第二節 関係性及関係力    第二節 関係性及び関係力    第三節 価値概念の要素    第三節 価値の有無・正反・変化    第四節 価値の有無

   第五節 価値の正反    第六節 価値の変化

   第七節 主観的価値と客観的価値    第四節 主観的価値と客観的価値   第五章 価値の系統   第五章 価値の系統

   第一節 価値の分類    第一節 価値の分類    第二節 経済的価値    第二節 経済的価値    第三節 道徳的価値    第三節 道徳的価値    第四節 審美的価値    第四節 審美的価値    第五節 宗教的価値とは何か    第五節 宗教的価値とは何か    第六節 宗教と科学・道徳及び教育と

       の関係    第六節 宗教と科学・道徳及び教育と        の関係

  第六章 人格価値   第六章 生活指導原理としての価値論    第一節 人格価値の概念及び等級    第一節 目的観の確立

   第二節 人格価値の判定    第二節 価値判定の規準    第三節 人格価値の要素及び人格教育    第三節 人格価値の創造   第七章 評価法及創価法    第四節 宗教の価値判定    第一節 評価法原理    第五節 生活における実証    第二節 創価法原理 附録(※レグルス文庫版には無し)

   第三節 創価活動の種別と社会の分業

(8)

の補訂作業における修正を以下で ABCD の 4 つのタイプに分類し、説明する。

A―現代表記的修正

 タイプAは、現代表記的修正で、「吾々→我々」「取扱ふ→取扱う」「言はれてゐる

→言われている」「斯様に→このように」などのように、表記の修正が行われている。

B―簡易的な表現(削除・要約)

 タイプBは、簡易的な表現への修正で、『初版』の文章を削除・要約している。具 体的に以下で示すと、

 

 何人も承認しなければならぬ、承認するより外に考へようないと、人の心意の 方向を制限するのは承認することを至当とし、承認せざることを不当とする人間 の性質に合致したと見做さなければならぬ。更に一転して人間には右の様なもの に逢着すると、何人も承認しなければならぬ性質があるといふことを予想しなけ ればならぬ

29

 

という『初版』の文章を、

 

 人間には右の如き場合何人も承認せざるを得ない本性があると予想される

30

。  

と『補訂版』では簡潔に要約されている。

 また『初版』でよく見られる長文引用の削除

31

、またその要約である。『初版』の約 四頁(第三文明社版『牧口常三郎全集』)もの長文引用

32

を『補訂版』では、次のよ うにわかりやすく要約している。

 

経済学に云う「享楽逓減の法則」はこのことを意味する。即ち同一の享楽を反覆 していると飽和点に達して終に享楽と感じなくなる。又即に享受せる享楽を反覆 する時は享楽の大きさは同様に減少し、単に減少するばかりでなく享受の初めに おける享楽の大きさも小となり、享楽を感ずる期間も亦反覆により短縮し、飽満 の到達も一層早くなるというのがこれである

33

C―生活指導法の原理としての修正

 タイプCは、牧口晩年の「生活指導法の原理としての価値論」という立場からの 修正である。「創価教育学→創価学説」「教育→社会科学」など、教育に関する事柄は、

生活に関する事柄へと修正されている。具体的には、

 

(9)

溌溂たる児童のぐんぐん伸び行く姿に追随して、寸暇の停滞も許されないほどの 忙しさを以て研究して行かなければならない教育の実務に於て、盗賊を捕へて縄 をなふ様な仕業は余りに職責上相済まぬことではないか。仮にそんな暇があつた としても、所謂概念の遊戯に等しいような実生活に甚だ縁遠い形而上学的説明の 如きは、結局実務者には解らず仕舞に陥ることが、本邦半世紀に於ける教育思想 発達史の物語つて居る所ではないか。卑近と云はうが浅薄と云はうが、そんな批 評に頓着せず、吾々は飽くまで経験的の立場に於て実生活に即して反省をなし分 析をなし思索をなし、以て真理に到達しなければならぬ

34

 

という、『初版』の教育に関する記述が、

 

現代の世相を熟視するならば誰人が真の幸福生活を楽しんでいると云えるであろ うか。生活苦に悩む者、不良児を持つ親の悩み、難病に苦しむ者、肉親の間で すら諍いが絶えることなく、怒り・嫉妬・貪欲・愚痴・懐疑・傲慢等が充満して、

すべての人が悩みあえいでいるのである。此の状態を見ながら形而上学的な概念 の遊戯に耽つている暇がないのは当然のことである。

 よつて我々は科学の発達過程に実証されている如く、第一に生活から学問へ、

次いで学問より生活への過程を忠実にたどるべきである。即ち概念の遊戯を捨て てあくまで経験的な立場から、実生活に即して反省をなし分析をなし思索をし、

以て真実の姿を把握しなければならない

35

。  

と、生活に関する記述へと修正されている。なお、ここまで挙げた例は、分類上の特 徴的な事例の一部であり、全てではない。

D―戸田の「生命論」的立場からの修正

 タイプA・B・Cまでは、ほぼ、従来の『補訂版』の位置づけ通りの修正と言って よいだろう。しかし、タイプDでは戸田が戦後に掲げた「生命論」的立場からの修正 および加筆が施されている。一つ一つを引用照会するのは、長大に過ぎるので、修正 個所の指摘に留めておきたい。

 

 ①『初版』にも牧口の宗教的な記述、たとえば日蓮、法華経に対する言及や、日蓮 遺文の引用などがあるが、総て削除・差し替えが行われている

36

 中でも『初版』第五章第六節「宗教と科学・道徳及び教育との関係」は、目次構成

上は『補訂版』と同一タイトルであるが、すべて差し替えられ、『補訂版』の第六節

部分には『大白蓮華』に掲載された戸田の巻頭言「科学と宗教」

37

を加筆・修正した

内容が収録されている。

(10)

 

 ②『補訂版』第六章「生活指導原理としての価値論」は新しく作られた章で、戸田 の加筆である。その第六章第二節「価値判定の規準」は『価値創造』第六、第七号(1942 年2・3月)に掲載された牧口の論文「価値判定の標準」に大幅な加筆修正を加えたも のである

38

 

 ③『初版』第六章は大幅に削除され、一部が『補訂版』第六章第三節「人格価値の 創造」へと改められている。『補訂版』第六章第四節「宗教の価値判定」の内容は、 『大 白蓮華』第六号(1950 年 1 月発行)において「天晴地明係」

39

によって書かれた「宗 教に対する考へ方」という論考を加筆・修正したものである。

 

 ④『初版』第七章「評価法及創価法」は大幅な削除・修正が加えられ『補訂版』第 六章第五節「生活における実証」へと改められている。

 『補訂版』末尾の文章には、

 

 このようにして外界に対する研究が進められると同時に、内面的な生命に対す る研究を忽せにすべきでない。仏教の極理として説き明されている一念三千の法 門は、あらゆる科学の研究を遙かに超越した深奥の哲理であり、茲に於て始めて 生命の実相が明らかとなる。(中略)

 かくして人間の慾望を無視しては如何なる価値も成立することはないし、又如 何なる価値の研究も人間の生命を無視して論ずることは、架空の観念論にすぎな いことをよく認識すべきである。

 而して評価法と創価法の原理が確立し、人間の生命を説き明かす真実の仏法が 流布された時に始めて無上最大の幸福なる寂光土が建設されるのである

40

。  

と、 「生命論」的立場からの言及が見られる。タイプDで挙げた箇所は、すべて「生命論」

という立場から叙述されている。これは単なる通俗的な生命論のことではなく、戦後 の戸田城聖が至った境地であり、端的にいうと、仏とは生命なり、仏法・仏教とは生 命論、生命哲学を説いたものであるという理解の仕方になる

41

 実は、『補訂版』第六章第一節第二項

42

ではその「生命論」の立場であるというこ とを明言している。まずは、第二項の冒頭を見ておきたい。

 

 余は、第一章の序論において述べた如く、人生の目的は幸福の追求にあると断

定する。而して幸福の内容となり要素となるものは価値である。されば価値には

小利益大利益のあるが如く、又大善中善小善のあるが如く、幸福にも無数の段階

序列がある。故に価値を最大限に創造獲得した生活が人生の最高の目的である。

(11)

 そのためには先ず価値の内容を明らかにしなければならない。即ち真理は価値 でないのである。真理と価値の概念の区別、認識作用と評価作用の心理的区別を 先ず明確にする必要がある。次いで価値の内容となるものは利善美であることを 知り、しかも価値の本来の性格からして小中の価値を捨てて大価値を取り、美利 の個人的価値よりは社会を基盤とし評価主体とする善の価値を核心として行く大 善生活こそ人生最大の目的であり、至幸至福への道であると信ずる。

 ここに至つてもう一度値

( マ マ )

価の概念を考えてみるに、価値は主観と客観世界の関 係している状態である。対象となる客観世界の探究は自然科学等の範囲であつて、

この方面における研究は驚くべき長足の進歩を来している。ラジオ電気汽車飛行 機等による文化生活は、古代人の想像も及ばなかつたところであろう。

 

 ここまでは、「生活指導法の原理としての価値論」を非常にわかりやすく要約して いる。そしてこの文章は「しかし」と続く。

 

 然し一方の主観世界たる生命の探究は一向に進んでいない。現代一流の物理学 者・生物学者・医学者・哲学者の四人が「生命とは何か」について対談した小冊 子がアテネ文庫より出版されている。もとより第一流の大学者がこのような小冊 子で意を尽くして終うことはありえないことではあるが、ここにそれぞれ専門の 立場から論じられていることは、或は生命を客観世界の物質と肩を並べて論じた り、或は哲学の上から論じてみても極めて限られた生命論であり、現実の大衆の 不幸を救済するには道遠しの感が深い。今後幾十年か幾百年かの後に何か発明発 見されたなら、或は生命の本質を説き明かして衆生救済の根本原理となるかも知 れないが、少なくとも現実には根本原理としての能力も働らきも一向に見当らな いのである。

 驚くべき事実は三千年の昔に釈尊は既に生命の本質・生命の実体を残りなく説 き示しており、しかも七百年以前に日蓮大聖人は実践の方式を打ち樹てられてい るのであるが、インチキ宗教偽似宗教に禍いされて、世人はその深奥な哲学と幸 福生活の実践にふれる機会がないことは、残念の極である。

 美の価値も利の価値も我々の生命力が弱体ならば如何程の価値も生じえない。

況んや善の行為即ち社会に貢献するなどとは考える余地もないのである。故に生 命論の立場から別項に述べる如く生命の実体生命の本質を追求して行くことが、

さらに重要なことであり、これこそ真実の宗教の分野である。

 

 この『生命とは何か』という小冊子は 1949(昭和24)年発行である

43

。戦後の戸田

が『生命』について思索を深めていたことがうかがえる。この文章の後は、第二節「価

値判定の規準」

44

が続く。「価値判定の規準」の加筆・修正は「生命論」の立場から行

(12)

われている。この「生命論」は、戸田の独創的な見解であり、管見の限り牧口晩年の 著作・論文等にも出てこないものである。

おわりに―牧口・戸田の価値論形成史へ向けて―

 以上が、 『初版』 『補訂版』テキストの全文比較の結果判明したことである。「価値論」

は牧口常三郎によって構築され、体系・第二巻発表後も、変化・発展を続けていった。

 牧口は、1935(昭和10)年春頃に配布された小冊子である『創価教育学体系梗概』

の中で、

 

勿論最初から経文を演繹したのではない。中途からといふよりは、最後の粗ぼ完 成期に至り、第一巻発表以後であるが、端なく法華経を信解するにより今まで無 意識の進行が期せずして一致しゐるが如きに驚き、益々進んで見ると、法華経の 中の肝心が吾々の生活法の総体的根本的のものであるに対し、創価教育学の唱道 する合理的教育法は、その部分的末梢的のものであるといふことが解つたに就て、

更に大なる驚異と歓喜を感ずると共に、なほよく見直すことによつて、価値判定 の標準等に重大なる欠陥があつたことに気付き、善悪の判定が初めて正確となる に至り、それから多くの追加補充をしなければならぬ所が生じ、以て右の自信を 得るに至つたのである

45

 

と、自身の「価値論」における〈価値判定の標準〉の欠陥に気付き、多くの追加補充 をしなければいけなかったことを告白している。この〈価値判定の標準〉の最終形は

『価値創造』第六、第七号に掲載された牧口の論文であり、牧口「価値論」の最終的 な発展形態を示すものである。

 戸田は、牧口晩年の論文等をもとに、生活指導法の原理として「価値論」を補訂し、

更に戦後の創価学会員および一般読者のために

46

、できるだけ難解な表現をさけなが ら、自らが至った「生命論」の立場から「あくまで御本尊様が中心」とした上で、流 通分としての「価値論」を再構築した。

 試みに価値論形成史という枠組を設定して、『初版』『補訂版』を位置づけるなら ば、『初版』は、牧口「価値論」の始点にあるが、『補訂版』はその終点というよりも、

戸田「価値論」として位置づけられるべきであろう。牧口「価値論」は、現在までに 発見されている牧口の著作・論文を丹念に辿っていかなければ、その全貌がわからな いままとなる。

 少なくとも前述の論文「価値判定の標準」および『創価教育学体系概論』

47

、『創価 教育法の科学的超宗教的実験証明』

48

、『大善生活実証録』に掲載された論文

49

などは、

牧口「価値論」として『初版』と同様に重視されるべきである。その際に注目すべき

(13)

なのは、 〈価値判定の標準〉である。これは『価値創造』掲載の論文のことではなく、 『初 版』発表以降、変化・発展を続けていった〈価値判定の標準〉を指す。

 さきに牧口による創価教育学体系の理解の仕方として、序分(第一・二巻)、正宗分(第 三・四・五巻)、流通分(各論八巻)があることを取りあげたが、本論である正宗分 のうち第五巻が未刊であり、かつこの第五巻の内容には「評価標準論」を予定してい た

50

。創価教育学体系は牧口が示した通り、正宗分から理解されなければならないの ではないだろうか。

 『補訂版』発刊後、初の学問的批評であるとして「聖教新聞」に取りあげられた

51

山内得立

52

の批評には、

 

この書において最も遺憾に感ずることは、価値概念から宗教に転ずるあたりの論 述である。

 私の考えるところによれば、この移行の間になお何かがなければならず「価値」

から「意味」の世界に転じ、そこから宗教に移るべき理論が展開せらるべきであ ると思うのであるが、著者の論理には多くの飛躍があり、諸々の価値と宗教的価 値との関係が頗るアイマイである。この点について著者はヴィンデルバンドの

「聖」の概念とは異る立場に立ち、直ぐに日蓮の教義に結びついているようであ るがこの推移についての論理的道程が明解ではない

53

 

と、述べられている。

 『補訂版』は、当時の資料蒐集の状況から言えば、牧口「価値論」の形成過程、特 に善悪の〈価値判定の標準〉の変化を辿ったものとは必ずしも言えない。最後期の牧 口の〈価値判定の標準〉を継承しながら、あくまでも戸田の「生命論」の立場から補 訂されているため、山内が言うように論理が飛躍したような印象を与えるのではない か。

 〈価値判定の標準〉の変化・発展については、すでに本稿に紙幅の余裕はなく、別 に稿を立てて詳細に論じる必要がある。他日の機会に譲りたい。

 さて、本稿冒頭に掲げた『初版』と『補訂版』をどう位置づければよいのか、とい う問題であるが、改めて結論を言えば、『初版』は牧口「価値論」の変化・発展の始 点にあり、その全貌を理解することはできない。全貌を理解するには、少なくとも現 在までに発見されている牧口の著作・論文群を丹念に辿る必要がある。また『補訂版』

は牧口「価値論」の発展的可能性として論じることまではできるかもしれないが、そ の所論すべてを牧口に帰することはできないため、戸田「価値論」として享受するこ とが、価値論形成史という枠組を設定した場合に取れる妥当な態度であろう。

 

(14)

1  本稿は、2016年2月28日の創価大学教育学会教育研究大会(於創価大学)におい てシンポジストとして報告した同タイトルの内容に加筆・修正を施したものである。

本稿では人名の敬称はすべて略した。なお、タイトルの「価値論形成史」とは、牧口「価 値論」は晩年まで修正・発展し続けたという認識を前提としてつけたものである。

2  1871 ~ 1944 年。創価教育学会(創価学会の前身)を戸田城聖とともに創立。同 会の初代会長。主著に『人生地理学』、『創価教育学体系』などがある。

3  聖教文庫版は、「初版に基づいて多少の校訂を加え」(凡例)たものであるが、こ こでは『初版』に含める。ほかに 1979(昭和54)年に第三文明社から復刻版の『創 価教育学体系』全四巻・別巻一(解題)が出版されている、現在絶版。

4 『補訂版』は、創価学会発行の『価値論』(1953年11月18日、初版)が原著である、

現在絶版。ほかに東西哲学書院版の『牧口常三郎全集・第一巻』(1965 年刊)に収 録されている、現在絶版。レグルス文庫版は明言していないが、人名等の修正が行 われているため、『価値論』第五版以降を底本にしていると考えられる。

5  1900 ~ 1958 年。牧口常三郎とともに創価教育学会を創立し、戦後、創価学会と して再建した。同会の第二代会長。主著に『推理式指導算術』、小説『人間革命』

などがある。

6 以降『初版』と表記する場合、特に断らない限り、原著のことを指す。

7 以降『補訂版』と表記する場合、特に断らない限り、原著のことを指す。

8 「創価教育学の真の理解にもこの[価値]問題の理解を回避しては到底不可能と信 ずるからである」(『牧口常三郎全集・第五巻』第三文明社、1982年、214頁)。

9 『初版』テキストは『牧口常三郎全集・第五巻』(第三文明社、1982年)に所収のもの、

『補訂版』テキストは『価値論』(創価学会、1952年、初版)を用いた。

10 『体系・第三巻』『体系・第四巻』の巻末広告参照。『体系・第四巻』には「是等 の大部分は本巻着手の際の構想に於ては意識し得なかった所本巻を以て創価教育学 の総論を完結する予定であつたが、今になつて見ればなほ一巻の追加を要する事に なつたので、出版者に此の上の負担を重ねしめるのは真に忍びない所ではあるけれ ども、強ひて断行を願ふ事にした」(『牧口常三郎全集・第六巻』第三文明社、1983年、

471頁)とある。

11 『新教材集録』第四巻第四号(1934 年 5 月 15 日発行)に掲載の「国語教育学習 指導案の研究発表(上)」に「日本小学教育研究会五月の集会に於て、牧口会長が 創価教育学体系第四巻及第五巻の教育方法論の脱稿をなし」とある。これは 1934

(昭和 9)年 5 月までに第五巻の原稿が出来ていたことを意味する。この『新教材 集録』第四巻第四号は近年発見されたもので、 『創価教育』第一号(創価教育研究所、

2008年)に新発見資料として翻刻掲載されている(165頁参照)。

12 タイトルは体系・第四巻の巻末広告による。

(15)

13 戸田城 正

(ママ)

「故牧口先生追憶の辞」(『大白蓮華』十三号、創価学会、1951 年 1 月 発行、22頁)。この引用部分は「その後私の手で第五巻まで出版しまして」と続くが、

第五巻が出版された形跡はない。脱稿段階までいったことを指しているのか。ほか、

小平芳平「青年に深い愛情を注ぐ」(『牧口常三郎』聖教新聞社、1972年、461頁)

なども参照。

14 1937年(昭和12)年9月に創価教育学会から出版された小冊子。『牧口常三郎全集・

第八巻』(第三文明社、1984年)に収録。

15 『牧口常三郎全集・第八巻』第三文明社、1984年、14 ~ 15頁。

16 「牧口初代会長九回忌法要・十年期して世界に価値論を」(『戸田城聖全集・第三巻』、

聖教新聞社、1983年、503頁)、傍線引用者。

17 1953(昭和28)年6月23日、 「教育者懇談会・恩師の学説を後世に」 (『戸田城聖全集・

第四巻』、聖教新聞社、1983年、63 ~ 64頁)、傍線引用者。

18 1953(昭和28)年11月17日、「牧口初代会長十回忌法要・牧口学説を全世界に」

(『戸田城聖全集・第四巻』、聖教新聞社、1983年、94頁)、傍線引用者。

19 前出『牧口常三郎全集・第八巻』、57頁参照。

20 1953(昭和28)年9月30日、『聖教新聞』同年10月4日付1面参照。

21 1953(昭和28)年11月20日、『聖教新聞』同年11月22日付1面参照。

22 『牧口常三郎全集・第一巻』編集兼発行・池田大作、東西哲学書院、1965年。

23 「注」『戸田城聖全集・第三巻』、聖教新聞社、1983年、353頁参照。

24 同『牧口常三郎』301頁参照。

25 神尾武雄『信仰と文学に生きて』第三文明社、1981年11月、100・107頁。傍線引用者。

26 聖教文庫版は注3 で述べた通り「初版に基づいて多少の校訂を加え」たもので、

厳密に『初版』テキストを反映したものではない。

27 波多野完治「創価教育学は世界教育古典」『復刻・創価教育学体系』別巻解題、

第三文明社、1979年、36 ~ 40頁。

28 東西哲学書院、1965(昭和40)年刊。池田大作による「序」には「本全集には、

牧口先生、三十二歳のとき執筆の『人生地理学』をはじめとして、以来四十年にわ たる、すべての思想を結集、細大もらさず収めたいと念願している。」と方針が示 されている。

29 『初版』(『牧口全集・第 5 巻』279 頁。『聖教文庫・Ⅱ』95 頁。参照の便を考え左 の様に該当頁を略記した)。

30 『補訂版』(『価値論』初版 85 頁。『レグルス文庫』79 頁。参照の便を考え左の様 に該当頁を略記した)。

31 『初版』(『牧口全集・第五巻』250 ~ 253頁、283頁、299 ~ 300頁等。『聖教文庫・

Ⅱ』62 ~ 65頁、99 ~ 100頁、118 ~ 120頁等)。

32 『初版』(『牧口全集・第五巻』304 ~ 307頁。『聖教文庫・Ⅱ』123 ~ 128頁)。

(16)

33 『補訂版』(『価値論』初版110 ~ 111頁。『レグルス文庫』99頁)。

34 『初版』(『牧口全集・第五巻』216頁。『聖教文庫・Ⅱ』20 ~ 21頁)。

35 『補訂版』(『価値論』初版6頁。『レグルス文庫』19頁)。

36 『初版』(『牧口全集・第五巻』290 ~ 291頁、357頁等。『聖教文庫・Ⅱ』108 ~ 109頁、

187頁等)。

37 『大白蓮華』32、33、34号(1953年5月~ 9月)の巻頭言「科学と宗教」(戸田城聖)。

38 牧口晩年の論文であれば「生活指導法の原理」として「価値論」を説いているは ずなのだから、特に加筆・修正をする必要もないと考えられるが、かなり手を加え ている。

39 「天晴地明係」は戸田自身である可能性が最も高いと考えられるが、同定できな いため、筆者が誰であるのかは今のところ不明。

40 『補訂版』(『価値論』初版230 ~ 231頁。『レグルス文庫』192頁)、傍線引用者。

41 『戸田城聖全集・第二巻』聖教新聞社、1982年、12頁など。また後出の『補訂版』

第六章第一節第二項の文章を参照。

42 『補訂版』 (『価値論』初版178 ~ 181頁。『レグルス文庫』152 ~ 154頁)、傍線引用者。

43 田宮博、川喜田愛郎、岡小天、務台理作『生命とは何か』アテネ文庫(弘文堂)、

1949年発行。

44 牧口が『価値創造』に掲載した論文のタイトルは「価値判定の標準」である。

45 前出『牧口常三郎全集・第八巻』411頁。傍線引用者。

46 「完成のあかつきには全国の各大学へ送つてこの学説が世に問われることとなる。

又出来次第この本に依つて会員に対し、価値学説の再教育も行われよう。」(1953年 9月13日『聖教新聞』1面)。

47 『創価教育学体系』四巻の原型。1930(昭和5)年ごろに創価教育学支援会から発 行された。『牧口常三郎全集・第八巻』(第三文明社、1984年)に収録。

48 牧口研究の大家である斎藤正二は「牧口先生の《最高傑作》」と評している。同 上483頁の解題参照。

49 戦前の創価教育学会の機関紙『価値創造』廃刊後に出版された雑誌。『牧口常三 郎全集・第十巻』(第三文明社、1987年)に収録。

50 前出『牧口常三郎全集・第八巻』57頁参照。

51 『聖教新聞』1957年11月22日付3面参照。

52 1890 ~ 1982 年。哲学者、京都大学名誉教授。著書に『現象学叙説』、『ロゴスと レンマ』などがある。

53 「価値論を読みて 二、三の疑問について」(『中外日報』1957年2月12日付、1面)、

傍線引用者。

参照

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