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若き牧口常三郎の単級教授論

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Academic year: 2021

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創価大学教育学会第13 回教育研究大会報告 シンポジウム

指定討論1  

 

若き牧口常三郎の単級教授論

 

創価大学文学部准教授

伊 藤  貴 雄

   

1.問題の所在――牧口教育学の「萌芽」とは?

 牧口常三郎の北海道師範学校教諭時代の著作物は,その多くを今日,第三文明社版

『牧口常三郎全集第7巻』(1982年刊。以下『全集7』と略記)で読むことができる(同 巻に収録されているもの以外にも,ペンネームか匿名で発表されたものが数編あった ようであるが,それらについては塩原将行氏の研究を参照されたい)。同巻の責任編 集を務めた日本教育史家の佐藤秀夫によれば,この時期の牧口の公刊論文16編のうち 最大の労作は,1897年1月から翌年9月までの 1年8 か月間にわたり『北海道教育週報』

に連載(全32回)された「単級教授の研究」であると言うが,この評価は誰もが納得 するところであろう。それほど同論文は質的にも量的にも他の論文を圧倒する出来と なっている。

 しかし,牧口教育思想の全体像のなかで同論文をいかに位置づけるかという問題は,

案外に難しいものを孕んでいる。佐藤秀夫は「牧口の単級学校論は,高等師範学校の

『単級学校ノ理論及実験』や,かつて文部省講習会で指導を受けた黒田定治の所論な どに学んでいるから,とくにユニークだとみることはできない」(『全集7』,443頁)

とした上で,以下のように述べている。「多級編成の『知育過剰』『教師による説明の 過大』や『訓練の分散化』を批判し,単級編制における児童の学習の『自動』性,『訓 練の統一』および学校集団の『家族』的な統合などの利点を強調している点など,当 時の単級学校論と大筋において軌を一にしていた。ただ,第八章・第九章などにみら れるような,児童の自主的な学習の重視と,第六章・第十章にみられるような,教師 の細心で合目的的な指導との統合を強調しているところに,大正期の東京市における 彼の教育実践とそれに基盤をおいた彼の教育学の萌芽が,すでに胚胎していることを みとめることができよう」(『全集7』,443頁,下線筆者)。

 ここで佐藤は,牧口の単級学校論について,一方でそれが「当時の単級学校論と大 筋において軌を一にしていた」ことを認めつつ,他方でそこに「彼の教育学の萌芽が,

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すでに胚胎している」と評価している。この見方に筆者も異議はないが,その上であ えて次のような問いを立ててみたい。それは,ここでいう牧口教育学の萌芽とは,具 体的に何を指すのかという問いである。佐藤の表現を借りれば,それは「児童の自主 的な学習の重視」と「教師の細心で合目的的な指導」との「統合を強調している」点 であるという。だとすれば,それはどのような《統合》であり,どのような《強調》

であるのか。すなわち,牧口の単級学校論と当時のそれとを分ける微妙な差異は何で あるのか。もちろん,全集編集者の佐藤自身には自明のことであったに違いないが,

我々としてはそこをもう少し詳しく知りたいところである。

 それゆえ本稿では,牧口の単級学校論と,彼がそれを構想する際に下敷きにした黒 田定治の単級学校論とを比較対照し,両者の間に窺える差異に注目することで,佐藤 のいう牧口教育学の「萌芽」の中身について考えてみたい(付言しておくが,筆者は 佐藤が牧口研究に果たした意義は極めて大きいと考えている。拙稿「佐藤秀夫の牧口 常三郎研究」,創価教育研究センター編『創価教育研究』第2号,2003年,31-39頁を 参照のこと)。

 

2.目的としての「興味」,手段としての「類化」

 牧口は 1895年8月に文部省主催の小学校単級教授法講習会で,黒田定治(当時,高 等師範学校訓導兼助教諭)による講義を克明に筆記し,同年10月から翌年3月にかけ て『北海道教育週報』に「単級教授法講義」と題して連載した(全19回)。また,並 行してほぼ同じ内容のものを『北海道教育雑誌』に「単級教授法講習筆記大要」と題 して連載している(全10回)。これらに記録された黒田講義の内容と,先述した牧口 自身の論文「単級教授の研究」とを比較するとき,どのようなことが言えるだろうか。

もっとも,このときの黒田自身の講義録は今日まで発見されていないため,厳密な意 味での比較は不可能である。本稿では,上述のように牧口が同時に二つの記録を残し ていることから,あくまで相対的な意味で「講義内容をほぼ正確にたしかめることが できる」という佐藤の評価(『全集7』,440頁)を踏襲して,論を進めることにする(そ れゆえ,黒田講義に言及する際には,出典として二つの記録を併記する)。

 牧口論文「単級教授の研究」は,「単級教授法研究の方針」と題する章でもって始 まるが,この構成からしてすでに黒田講義との違いが窺える。黒田講義では最初に「単 級と云う意義」と題して単級学校の定義を述べたあと,さっそく実践的な話題に入っ ていく。これに対して牧口はまず研究の方法論から吟味しようとする。牧口は,維新 以後の日本教育界がヨーロッパの後追いに終始し,単級教授についても「先つ( づ )外形を 摸するに 汲(きふきふ)々 たるのあまり,深く攻究するの 暇(いとま)あらす(ず)」(『全集7』,154頁)という 状態にあると批判する。経済的理由から単級教授を導入しようという一部の見解に 対しても,「若し一方に於て如何様の利益を有するも,一点教育学上の許容なくんは(ば)

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断然之れを排斥するに 躊(ちうちよ)躇 すへ(べ)からす(ず)」(『全集7』,155頁)と異議を唱える。それゆ え牧口によれば,あくまで教授の目的に照らしてそれに叶う形で単級教授の研究をす べきである。では教授の目的とは何であり,それに叶った研究法とはどのようなもの であるのか。牧口はいう,「蓋(けだ)し教授の目的は興味にあり。之れを達するには,須(すべか)ら く心理学上の理法に準拠せさ(ざ)るへ(べ)からす(ず)」(『全集7』,154頁)。

 単級教授の許容をめぐる牧口の論証プロセスについては今は措くとして,ここで強 調したいことは,牧口があくまで教授における「理法」を重視している点である。私 見によれば,この点で牧口論文は黒田講義とは比較にならないほど徹底している。そ しておそらくここが,佐藤のいう牧口教育学の萌芽,すなわち「児童の自主的な学習 の重視」と「教師の細心で合目的的な指導」との統合の強調という点に関わっている と思われる。

「児童の自主的な学習」を論じる上で,避けて通れないのが「予習」と「復習」の位 置づけである。いずれも「細心で合目的的な指導」が求められるが,牧口は,なかで も「予習」の意義を重視している。心理学(この場合,主としてヘルバルト派心理学 を念頭に置いている)の理法でいう「観念の類化」(旧観念をもとに新観念を理解す ること)に基づき,既知と未知との連絡を密にすることが,教授の目的である「興味」

の喚起を達する上で不可欠と考えるからである(『全集7』,199頁)。これに対して黒 田のほうは,生徒各々の内面に「道徳的意志」を育むからという理由で自主的な学習 の必要性を説くにとどまり,予習の意義についてはほとんど顧慮していない(『全集7』,

43-47頁/ 110-114頁)。

「復習」の意義についても,黒田と牧口とでは力点の置き方がまるで異なる。両者の 主張を比べてみよう。成立年代に鑑み,まず,黒田の見解を紹介する。

 

「自動の作用中,復習につきて今少しく研究せんに,教授の結果を永久に保続せし め,生徒の習得の智識を不滅ならしむるには,常に反復ならしめざるべからず。一 度吾人の脳裡に印象したるのみのものは,未だ之を以て吾人の心意の所有に帰せり と思ふべからず。心意上の印象は,時の経過によりて消滅するのみならず,孤立し て連絡する所なければ,後に入り来る印象の為に其場所を奪はる故に,印象を反復 するときは,印象の深さを増して消滅せしめす(ず),従て連結強固となりて忘却するこ と少し。」(『全集7』,46頁/ 113頁)

 

 次に,牧口の見解を見てみる。

 

「授けたる観念を把持せしめ,類化せしめ,固着せしめ,統一せしめ,以て心意の 一部となさしむるは難し。〔…〕観念の永続は反復により得らる。反復をも興味を

減せ( ぜ ざ )さらんとせば,同一の観念と新関係を以て提出するに在り。即反復の形式を変

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ずるにあり。吾人は更に言はんとす,反復にして興味を欠かさ(ざ)る限りは,寧ろ新観 念を提出せさ(ざ)るも可なり。斯く反復の課業に於て児童をして能く興味を感し(じ),倦怠 を来さゞらしむるの手腕を有するものこそ,最も熟練にして最も熱心の教師なり と。」(『全集7』,202頁)

 

 黒田が「反復」の大切さを強調するので終わっているのに対し,牧口は反復をいか に興味の喚起につなげるかという視点から考察している。その際牧口は,労を避けた いというのが人情であり,その点は児童も教師もさほど変わりはないのだから,反復 の強調だけでは問題の解決にならない,とも付言している(『全集7』,201頁)。もち ろん,黒田もペスタロッチ開発教授論やヘルバルト段階教授論に依拠しながら議論 をしているので,教授内容の連絡という視点を欠いているわけではないが(『全集7』,

42-44頁/ 109-110頁),それでも両者の違いは歴然としている。牧口論文に何度も見 える,教授目的としての「興味」や,それを達する手段としての「類化」という言葉が,

黒田講義には全くといってよいほど見られないという事実が,その証左である(なお,

若き牧口における「興味」と「類化」という二大キーワードの意義については,拙稿

「J・F・ヘルバルトの類化論と初期牧口思想の形成」(『東洋哲学研究所紀要』第16 号,2000年,67-103頁を参照のこと)。

 

3.作文教授法をめぐって――文法中心か,添削中心か

 牧口と黒田の主張が好対照をなしている例として,もう一つ,作文科に関する議論 を取り上げよう。後に牧口自身も回顧しているように(「四十五年前教生時代の追懐」,

『全集7』,409-413頁),同科は北海道時代の牧口が最も教案作りに腐心した科目の一 つであった。その際彼が最も重視したのが,やはり教授における「理法」である。

 作文科の場合,牧口がいう理法とは「文法」を指す。「蓋し作文は,既に有する思 想を文章的に修述するにあり,正しく文章的に修述せんとせば,文法上の規則に則ら

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るべからず」(『全集7』,225頁)。この方針は,のちに 1898年7月から翌年1月にか けて『北海道教育雑誌』に連載(全 6 回)された論文「作文教授につきて」で,「人 は無より有を生す(ず)る能はず。吾人か(が)茲に一文章を作らんとするや。(ママ)必す(ず)先づ過去に 於て学習したる文躰に則り。(ママ)既習の熟字を集めて之を排列して始めて成効す」(『全 集7』,308頁)という命題に結晶化されるが,もともとのアイディアとしては,教生 時代に初めて担当した授業で考案されていた。それは,最初に教師がある題材をもと に模範文を作って示し,次に子どもたちと共同作業で別の題材で一文を作り,最後に 子ども自身の応用自作で新しい文を作らせるという,三段階教授のアイディアである

(「四十五年前教生時代の追懐」,『全集 7』,411-412 頁)。これは 1892 年,牧口が 21 歳のときに行った授業で,彼が黒田講義を受ける 3年前のことである。

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 一方,黒田講義のほうを見ると,「作文科は各教科目の教授によりて習得したる観 念を,筆を以て明瞭に表出すべきものなり」(『全集 7』,56 頁/ 123 頁)と述べてお り,一見牧口の考えと近いようにも見えるが,実際に提示されている教授法としては,

「態(わざわざ)々誤謬の文を作りて生徒に正さしむ」正誤法,「談話的なものを作文に改むる」

訳法,「生徒自ら観察したるものを教師の多少の補助を受けて作る」観察記述法など が中心であり,模範文から出発するという要素はあまり見られない(『全集7』,57頁

/ 124 頁)。むしろ,黒田が腐心しているのは,生徒の文章を教師が「添削」する方 法である。以下に黒田講義の一節を引いておく。

 

「作文の添(てんさん)刪は是甚だ困難なる事業なれば,可(なるべく)成教師の労力を省くを主とすべし。

故に下組の如きは,一二の生徒のものをとりてなすときは,板上訂正を為すを得べ し。上組にありても可成監督の際に訂正し,時々板上訂正をなすへ(べ)し。之却(かえ)りて 効あるものなり。時間外に訂正するに,其誤僅少にして不注意より起りたりと認め たるものの如きは,符号を付して返 す(ママ)生徒自身をして修正せしむへ(べ)し。又同様の 誤謬なるときは次の課業時間に於て一般に対(むか)ひて訂正すへ(べ)し。」(『全集7』,57頁/

124頁)

 

 これに対して,牧口論文を見ると,添削よりも,三段階教授法の第二段階までの内 容に圧倒的に多くの記述を割いている。以下は,「鰹節」を題材にした彼の作文指導 の例である(ここで文中に出てくる「組」という言葉は,単級教室のなかでの児童の グループを意味する)。

 

 「 鰹(かつおぶし)節 は鰹の肉を炙(あぶ)り製し, (製法)

  煮物に味を付くるに用ふ,  (効用)

  吾国にては土( と さ )佐に産するもの,最も上品なり, (産地)

 等の文章に於て,下の組には名称を仮名にて綴らしめ,丙の組には製法を単文にて 綴らしめ,乙の組には製法及び効用を記述せしめ,甲の組には悉く記述せしむる等,

同じ教材に於て,名称は各組全体に,製造法は丙組以上に,製造法及効用は乙組以 上,製法効用及産地は甲組と,各組其力に応じ共通の教授をなす。

   〔中略〕

  児童は教授を始むるに 先(さきだ)ち,既に自然に見聞,或は交際によりて幾多の観念を 有す。然れども是多く,偶然に堆積集合して,錯擾せる群に過ぎず。〔中略〕

 尚,之を前例の文題(鰹節)に就て観るに,之を教授するに当りて,教師は,

 一,之は何なりや,

 二,鰹節は如何にして造りたるものなりや,

 三,味は如何,何に用ふに(ママ)は,

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 四,鰹節の中,何と云ふ種類が最も上品なりや,

 吾国にて最も上品のものは何れに産すると思ふか,

 等の問答をなさば,容易に鰹節の内容に就ての観念は児童に得せしむるを得べし。

是多く明確ならざるも,既に有せる所のものなり。」(『全集7』,234頁,下線筆者)

 

 もちろん,牧口が添削を軽視したということではない。「単級教授の研究」の末尾 に提示されている指導案では,(読書科によって模範文の学習を兼ねた上で)授業の 前半は生徒との共同作業,後半に板上での訂正という段取りになっている(『全集7』,

248-249頁)。

 むしろ,注目すべきは,牧口がここでヘルバルト教授理論の「多方興味」説を援用 していることが窺える点である。上記引用の中ほどにある「児童は教授を始むるに先 ち,既に自然に見聞,或は交際によりて幾多の観念を有す」という記述がそれを示し ている。「見聞」「交際」という言葉は,「多方興味」説における,人間が対象と知的 に関わる仕方としての「経験」(経験的興味・思考的興味・審美的興味)と,人間が 対象と情的に関わる仕方としての「交際」(同情的興味・社交的興味・宗教的興味)

を踏まえていると見てよい。鰹節を題材にした作文指導でいえば,鰹節の「製法」は 思考的興味,「味」は経験的興味,「効用」は審美的興味,「産地」は社交的興味に当 たるだろう。こうした「多方興味」説による作文教授という発想は,少なくとも黒田 講義には見られないものであり,おそらく牧口の発案と考えてよいであろう。前節で 触れた牧口の「蓋(けだ)し教授の目的は興味にあり」(『全集7』,154頁)という言葉ととも に,ヘルバルト教授理論が若き牧口に与えた影響の大きさを物語るものといえる(な お,この件については,拙稿「書く力,考える力――牧口常三郎の作文教授法」,東 洋哲学研究所編『教育――人間の可能性を信じて』,2013 年,133-169 頁を併せて参 照のこと)。

 

4.結語

 以上,牧口が 24歳のときに筆記した黒田定治の「単級教授法講義」(および「単級 教授法講習筆記大要」)と,牧口が 26歳から 27歳にかけて執筆した論文「単級教授の 研究」とを,自動論(この場合は予習と復習)と,作文教授法との 2点に絞って比較 してみた。その結果,佐藤のいう牧口教育学の萌芽,すなわち「児童の自主的な学習 の重視」と「教師の細心で合目的的な指導」との統合の強調が,具体的に何を指して いるかが,かなりはっきりと浮かび上がってきた。それは,教授における「理法」(教 授目的としての「興味」や,それを達する手段としての「観念類化」および「多方興味」)

の重視であり,またその実践としての指導案の緻密な構成である。本当は,さらに修 身科や読書科も視野に入れて,黒田講義と牧口論文とを総合的に比較検討しなければ

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精確なことはいえないが(また,単級学校での教育実践が,その後牧口のなかに,学 校を一つの社会と見なす「社会的教育学」への関心を育んだ経緯についても述べなけ れば,初期牧口思想の研究としては不十分であるが),本稿で見た範囲のなかだけでも,

牧口の単級学校論と当時のそれとを分ける微妙な差異を見いだすことは十分可能であ ろう。

 少なくともここでいえることは,若き教師牧口が,与えられた条件・環境の下で,

単に時代や社会の要請に応えるだけでなく,あくまで教育の「理法」を重視し優先す るという《普遍性への志向》を精一杯打ち出していたことである。もとより,黒田を はじめとする明治の単級学校理論家たちが牧口に与えた影響を過小評価してはならな いが,単にそれらの理論の模倣者では終わらなかった牧口の努力も,同じく過小評価 すべきではない。もちろん,模倣のないところにそもそも創造はないであろう。いか に独創的な思想家であっても,必ずどこかに先行者からの《受容》の痕跡を留めてい るものである。ただし,この受容はすでにある種の《変容》を伴っている。いやしく も独創的な思想家であるならば,その仕事が先行者の追随で終わることはありえない からである。それゆえ,ある思想家の歴史的な位置づけを図るときには,彼の思想形 成における先行者との緊張関係,換言すれば,受容と変容との相乗作用を理解するこ とを忘れてはならないだろう。その意味で,「単級教授法講義」および「単級教授法 講習筆記大要」という受講筆記と,その後の牧口自身の著作群とは,一人の思想家の 成長過程を示すだけにとどまらず,そもそも創造とはいかなる営みであるかという根 本問題についても,われわれに思索を促してくれる貴重な記録といえよう。

 以上のことを踏まえるならば,われわれは佐藤秀夫が牧口の論文「単級教授の研究」

に与えた次の評価を,深い納得とともに受け取ることができると思われる。「劣悪貧 弱な小学校をとりまく現実の社会条件のもとで『必要悪』的に採用された単級学校に 正面から取り組み,その現実に拘泥し固執することを通じて,子どもの学習の組織化 と教師による教授の系統化との統合を生み出していった,明治・大正期のすぐれた教 師たちの一人に,牧口常三郎が位置していたことが,ここには示されている」(『全集 7』,443 頁)。――牧口の単級学校論は,一人の若き創造者の苦闘の記録であり,明 治中期北海道という時代と場所との制約を超えて,それを読む私たちに今もなお教育 に取り組む勇気を与えて止まない。

   

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