社会教育の主要課題としての消費者教育
――1 9 6 0年代前半の議論の検討――
永 井 健 夫
1 消費者教育と社会教育
消費者行政を総合的に進めるための土台となる法律として、1968(昭和43年)に「消 費者保護基本法」が制定されて以降、半世紀が経とうとしている。この法律は、経済・
産業が高度に発展し、様々な商品やサービスが溢れる現代社会において、消費者は弱 者の立場にあることを前提として、その名称のとおり「消費者の保護」のための施策 を求めるところに基本があった。その後、情報化やグローバル化が進展し、また、市 場原理と自己責任原則を基本とする規制改革が進むなど、消費生活を取り巻く環境が 大きく変わってきたなかで、2004(平成16)年には消費者の「保護」から「自立支援」
に比重を移す法改正が行われ、その名称も「消費者基本法」と改められた
(1)
。 旧法(第12条)においても改正法(第17条)においても「消費生活に関する教育」を 充実させることを求める条文が設けられている。両者を比べると、改正法は消費者教 育を消費者の権利の一つとして明示したほか、消費者教育が行われるべき場として「学校、地域、家庭、職域その他の様々な場」を挙げ、消費者教育の充実を国だけで なく地方公共団体の責務として規定するなど、旧法に比べより積極的に消費者教育に ついて規定している。こうした変化の延長にあると言えるのが、2012(平成24)年の
「消費者教育の推進に関する法律」(以下、「消費者教育推進法」と略)の成立である。
この法律は、消費者が自らの消費行動が及ぼす影響について自覚し、公正で持続可能 な社会の形成に積極的に参画する「消費者市民社会」という理念を核として構成され ている。すなわち、消費生活に関する知識の普及や被害防止に向けた啓発にとどまら ず、より良い産業社会や市場経済に向けた消費者の主体性形成をも目指すものであ り、消費者教育の新たな展開を促す法律となっている
(2)
。ところで、人々が「自ら実際生活に即する文化的教養を高め得るよう」(社会教育法 第3条)支援することが社会教育の意義だとすると、当然、消費者教育も社会教育の 主要課題に数えられるはずである。実際、消費者教育推進法は「公民館その他の社会 教育施設等において消費生活センター等の収集した情報の活用による実例を通じた消 費者教育が行われるよう」(第13条−2)求めている。ここには消費者教育の充実に向 けた社会教育への期待が込められていると言えるが、社会教育の消費者教育に対する 従来の関わり方はどのようなものであったか。その点に関し、2013(平成25)年6月
−105−
に閣議決定された「消費者教育の推進に関する基本的な方針」は、「公民館、図書館 を始めとする社会教育施設においては、地域の人々に身近な学習や交流の場として、
消費者問題に関する普及・啓発を実施するなど大きな役割を果たしている」(日本政 府,2013,p.23)と評価している。時期や地域によってはこの記述が当てはまるケー スも少なくないだろう。しかし、「施設」以外の側面を合わせて全体として見た場合、
全国的な傾向として、社会教育が消費者問題に関して一貫して「大きな役割」を果た してきたと言い切れるだろうか。
たとえば、消費者教育関連の概説書やテキストを見てみると、消費者教育の機会を 提供する主体として言及されるのは消費生活センター、消費者団体、企業などであ り、社会教育の担当課や関連施設の事例が紹介されることは少ない。あるいは、「現 代的課題」に関する学習機会の必要性を訴えた1992(平成4)年の生涯学習審議会答 申においては、取り組まれるべき学習課題の一つとして「消費者問題」も挙げられた が(生涯学習審議会,1992)、その後、「現実には消費生活に関わる学習活動は、もっぱ ら地域の消費生活センターで行われ、狭義の社会教育では現在はほとんど行われてい ない」(西村,1999,p.83)という状況が続いている。
他方、学界の動向を瞥見してみると、日本社会教育学会は2010年から2014年にかけ て、消費者教育にとっても重要なテーマである「持続可能な開発教育(Education
for
Sustainable Development : ESD)
」に焦点を当てたプロジェクト研究に取り組み、その成果を年報にまとめている。そこには、消費者教育の実践や研究にも深く関わる観点や議 論が多く含まれているものの
(3)
、消費者教育それ自体への言及や関心はほとんど見ら れない。また、同学会の『紀要』を振り返ってみると、論題に「消費者教育」の語を 含んでいる論文は、これまでのところ田中秀樹(1991)の1点のみである。第二次世界大戦以前の社会教育が国家統制と国民教化の道具としての役割を担わさ れていたのとは異なり、戦後の社会教育は、民主社会の一員として必要な市民的資質 の形成に資する営みとなることが期待されて再出発した。消費者教育は、市場経済の 発展がもたらす生活課題や地域課題に取り組むものであり、社会的公正や生産・労働 などに対する関心や行動力を高める契機が多分に含まれるテーマである。にもかかわ らず、戦後70年の社会教育の歴史のなかで、消費者教育は社会教育における主要な関 心事の位置を占めるまでには至らなかった
(4)
。だからといって、社会教育の分野において消費者教育が全く看過されたというわけ ではない。消費者保護基本法が制定される以前から、社会教育関係者による消費者教 育に関する主張や問題提起は行われており、その後も1970年代前半には山口富造が、
また1980年代半ば以降から1990年代にかけて宮坂広作が消費者教育論を展開している
(ex.山 口,1971
a,1
971b,1
971c,1
971d,1
971e,1
974a,1
974b;宮 坂,1
986,1991,1995)。 これら、社会教育の文脈で提起された往時の消費者教育論は、「消費者市民社会」を−106−
鍵とする近年の消費者教育論にとって、意味の無い議論であったのだろうか。この小 稿では、消費者保護基本法が制定される以前の、言わば日本における消費者教育の黎 明期
(5)
に提起された議論の内容を振り返り、それらと今日の消費者教育論との関係を 探ってみたい。Ⅱ 1 9 6 0年代前半の消費者教育論
1)「消費者保護に関する答申」
a)当時の状況
第二次世界大戦敗戦後の混乱期を脱し、『経済白書』(年次経済報告)において「も はや戦後ではない」という認識が示された1956年の頃から、日本は高度成長の局面に 入った。そして1960年には、10年間で実質所得を2倍に増大させようという「国民所 得倍増計画」が池田勇人内閣において閣議決定された。その後、1960年代をとおし て、景気の拡大と後退を繰り返しつつ、全体としては経済成長が更に進むことになっ た。この高度成長の初期段階においては、必然的に生じる物価上昇だけでなく、森永 ヒ素ミルク事件(1955年)、ニセ牛缶事件(1960年)、サリドマイド事件(1962年)など の食や薬品の安全性に関する事件、水俣病、イタイイタイ病、四日市喘息などに代表 される深刻な公害の発生、小売店のチェーン展開による「流通革命」、家庭電化製品 の普及による生活スタイルの変貌、等々、モノ(商品)の生産と消費に関わる様々な 現象や問題が次々と現れ始めていた。他方、消費社会の先進国であるアメリカ合衆国 で は、1962年 に
Kennedy
大 統 領 が「消 費 者 の 利 益 保 護 に 関 す る 特 別 教 書(SpecialMessage to the Congress on Protecting the Consumer Interest)
」を発表した(Kennedy, 1963)。こ れは、消費者には「安全の権利(the right to safety)」「知らされる権利(the right to beinformed)
」「選ぶ権利(the right to choose)」「聞いてもらう権利(the right to be heard)」が あり、これらが実現されるように努めるのが政府の役割であると主張するもので、世 界の消費者政策に大きな影響を与えた。b)
「答申」における消費者教育以上のような時代状況を背景として、1963(昭和38)年6月、国民生活向上対策審 議会(会長:東畑精一)から経済企画庁(長官:宮沢喜一)に対し「消費者保護に関す る答申」が示された(国民生活向上対策審議会,1963)。「消費者教育」の記述を中心に 内容を概観しておくと、以下のとおりである。
答申では、最初に、消費財やサービスの多様化ゆえの商品選択の難しさ、販売競争 の激化、消費物価の高騰など、「生活に不利益をもたらす種々の要素」が産み出され、
−107−
「消費者保護」が注視されるようになってきた状況が記述されている(「Ⅰ 消費者保 護の意義」)。次に、消費者は商品・サービスに関して「品質や安全性が適切なもので あること」「価格や取引条件が自由・公平な競争によるものであること」「表示・広告 が虚偽誇大でなく適正であること」の三つの権利を有しているものの、消費生活が複 雑化・多様化するなか、消費者は未組織であるゆえ立場が弱く、あらゆる商品・サー ビスについて十分な知識を得られるわけではなく、また射幸心や虚栄心などの「心理 的弱点」も持っているため、その権利を保護する施策が必要であると指摘されている
(「Ⅱ 消費者の権利と消費者保護」)。その方法としては、立法・司法・行政面からの保 護(法的規則、行政指導、情報提供など)と生産・販売者による保護(品質や表示・広告な どに関する自主的規制)に加えて、「消費者が強力な消費者団体を結成するとか、消費 者教育を充実するとかなどの方法によって行なう消費者自身による保護」が提起され ている(「Ⅲ 消費者保護の方法」)。
「保護」の具体策として期待される「消費者教育」に関して、答申は「消費者の商 品やサービスに関する知識が急速に古くなりつつある現在ではその知識の向上が必要 であり、このために学校教育や社会教育が大いに役立つのであるが、現行の教育は消 費者意識の昂揚や消費者としての知識の向上に関してはなお充分とはいえず、ここで も消費者利益への認識を明確にする必要があろう」と現状の問題点を指摘している
(「Ⅳ 消費者保護行政の現状と問題点」)。そして、今後に向けた基本的方策の一つとし て「消費者教育ならびに消費者保護に関する広報活動に力を注ぐこと」を挙げ、「一 般消費者に対する消費者教育を社会教育により充実するとともに、学校教育における 消費者教育を強化し」てゆくことを求めている(「Ⅴ 消費者保護のための基本的方 策」)。
要するに、消費者問題への対応策として消費者教育が重要であること、しかしなが ら、社会教育と学校教育のいずれにおいても消費者教育は未発達の段階にあり、両方 の領域で消費者教育を充実することが消費者保護のために必要であることが主張され ているのである。では、このように消費者教育に関する社会教育の役割に政策的な期 待が高まっていた当時、社会教育の世界ではどのような議論が為されていたのか。社 会教育の総合専門誌である『社会教育』
(6)
の1962年4月号と1963年7月号に掲載され たものを取り上げ、以下、検討を試みる。2)「消費者教育―その考え方・進め方―」
『社会教育』誌における最初の本格的な消費者教育論と言えるのが、二人の社会教 育研究者、岡本包治と古野有隣の共同執筆による「消費者教育―その考え方・進め方
―」(岡本&古野,1962)である。前半の「消費者教育の考え方」と後半の「消費者教育 の進め方」に分かれており、先ず前半の内容を概観しておく。
−108−
岡本&古野は「消費者教育」の意味を暫定的に「買い方」についての学習としたう えで、これが「生産学習」(ものを作り出すための学習)とは別に必要とされるように なった背景として、生産量が消費需要を上回るまでに高まる経済的変容が生じ、「生 産社会」(生産力の向上を追い求める社会)から豊かな「消費社会」へと移る社会的変容 が起きたことを指摘する。この「豊かな社会」では、大量消費を促すために、大衆説 得手段(宣伝や
PR
広告)によって「もともと人間がそなえていない欲望をも、つくり 出しさえする」(p.23)までに大衆の欲望が掘り起こされ、その欲望に応ずるべく、科学や技術が消費財の高度化、複雑化、多様化に利用される。こうして「まぎらわし い生産」が盛んとなり、その紛らわしさを選り分けるため、「消費者自身の新らしい 学習」が必要となってくるのである。
次いで、「社会の消費化と大衆化」という観点からも消費者教育の必要性が論じら れる。今日では生産と勤労ではなく余暇と消費が美徳とされるようになり、「美徳消 費をいかに展開するか」が重要になってくる(社会の消費化)。他方、行動・発言の指 針を他人や集団に求める傾向(外部志向)を有するのが現代人で、そのような消費者 に対して「他人」の代表であるマスコミからの「まぎらわしい説得」が降り注いでい る。すると、消費者は消費財の実体を認識できないまま疎外されることになり、「ま すます大衆消費生活が主体性を失っていく状況から、その自主的な消費生活づくりが 現代の重要なテーマとして登場してくる」(p.23)のである。つまり、岡本らは単に
「買い方」をめぐる経済的合理性(端的には、損得)のためだけでなく、「買い方」を 支える主体性・自主性を高めるべきものとして消費者教育を捉えていたわけである。
このように消費者教育の必要が認識されるようになったことの意味を、岡本らは
「教育の生産的傾斜」の再検討という動きとして捉える。従来の社会は生産活動中心 の社会であり、教育も生産活動や生産に関わる文化を軸として発展してきた。その
「生産社会」から「消費社会」に移行していくなかで、生産のための教育であっても
「消費生活の自主化」を視野に入れざるを得なくなり、消費者教育が発生した。消費 の大衆化が進むと、支配者側は大衆説得で統制しながら国民所得の再回収を図ろうと するが、「大衆が主人公たるべき消費社会を建設するためにこそ、消費者教育が振興 されねばならない」(p.24)。今や、こうして教育における「生産」への傾斜が相対化 されつつあるのだという。
以上のように論じた後、前半の最後のところで岡本らは、消費者教育が単に消費技 術の教育に終わるのではなく、「よりすぐれた社会を志向し創造するはっきりした、
価値的な、指標をそなえた全人教育」(p.24)であるべきだと主張する。そして、消 費者教育は消費と生活の哲学であり、消費生活の「非合理」も尊重されるべきであ り、適応ではなく社会変革を考慮せざるを得ないなどと指摘し、消費者教育には「消 費面における大衆の疎外を排除し、その主体性をとりもどさせる」(p.24)可能性が
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あると述べている。
論の後半では、先ず導入部分において、消費者教育の中心的対象は「消費行動を自 己の考えにもとづいてなしうる者」、つまり「青年男女」「男子成人」「婦人」という
「社会教育の対象そのもの」であるため、消費者教育はこれからの「社会教育の重要 な内容となってくる必然性が感ぜられる」(p.25)と指摘されている。そして、消費 者教育が扱うべき内容として、岡本らは、バランスのとれた消費生活、商品購入の判 断に関する情報と基準、情報(広告)の見方や利用方法、商品の生産・流通の過程な どを挙げ、根本的な課題として「合理的な消費生活の在り方を考えさせ、ひいては、
消費生活を通して、経済・社会への関心を拡げうる内容」(p.26)が扱われるべきで あると主張している。そのうえで、消費者教育の方法論として「話し合い」「講義」
「見学」などについて概説した後、改めて、消費者教育の目的が合理的な消費活動と 社会関心の喚起であることを指摘し、最後に「つまるところ消費者の学習は各人の生 活改善をのりこえた、消費社会全体の再評価でなければならない」(p.27)と結んで いる。
岡本らは、消費者教育は商品選択や金銭的損得という次元に止まるものではなく、
人間の主体性、あるいは個人と経済・政治との関係などに深く関わるもの、したがっ て、社会教育の主要テーマとなりうるものと捉えていたと言える。にもかかわらず、
当時の消費者教育の受け止められ方としては、論稿の導入部分で「社会教育としては 私生児 みたいな取扱いしかうけていない」(p.22)と記されているように、その 重要性が十分に認識されない段階にあった。その状況を少しでも改善したいという強 い思いがこの稿の執筆意図としてあったのだろうと推察される。それはさて措くとし ても、そのような時期にあって、岡本らが消費者の主体性形成を強調する議論を提起 していたことは、今日の消費者教育論の先駆けであったとも言え、留意しておく必要 がある。
3)「消費者としての市民教育」(特集)
岡本&古野による問題提起の1年後、『社会教育』の1963年7月号において、「消費 者としての市民教育」という特集が組まれた。以下、そこに掲載された論説
(7)
の内容 について検討してみよう。a)
「消費者としての耳と目を育てる」これは、家政学研究者である氏家寿子によるものである(氏家,1963)。氏家は、現 代人が置かれた状況について、産業の目覚ましい発達により生活水準が高まり、消費 の内容が質的・量的に高度化する「消費革命」が進行し、その原動力として生活意識 や生活態度が変化する「生活意識の革命」が作用していると捉える。それは「物に負
−110−
かされ、生産に振りまわされている」(p.9)状況であり、人々は生活の快適さや豊か さを「よい生産」や「よい製品とその供給」に委ねることになる。したがって、「耳 を澄まして音を聴きわけ、目を開いてしっかりと見極める」(p.10)ための生活の技 術が求められるという。このように状況認識を示した後、ケネディ大統領の特別教書 に触れながら「消費者の権利」の意義について言及し、世界的に「消費者の保護」が 各国の主要課題となっており、日本においても政府による保護行政の動きや、消費者 保護に取り組む団体があることを紹介している。
注目すべきは、その直後に記された、消費者教育に関する次のような指摘である:
この辺で問題が発生するのは当然ではないでしょうか。即ちそれは「消費者は保 護されるだけでよいか」ということです。然り。「消費者は無力だから保護を必 要とする」段階は、実は大方既に超えたものと見ることができます。もっと成長 しているのです。ですから引続いて進歩向上するためにも必要となるのは「消費 者教育」でなければなりません。それは消費者が自覚をもって自己教育すること であり、また意識の高揚を促がすためにあらゆる頭脳と機関を動員することでも あります。要求は既に切なるものがあるのです。(p.11)
既述のとおり、2004(平成16)年の基本法改正により消費者行政が「保護」から「自 立支援」に比重が移されたわけだが、氏家は、その40年前の時点で、保護の段階は「大 方既に超えた」と捉え、それを前提に(しかも、「自己教育」や「意識の高揚」と結びつけ て)消費者教育を論じていたのであった。
では、氏家にとって消費者教育はどのような意味や内容であったのか。上記の引用 箇所の後で、氏家は、業者が商品や製造技術に関する知識を啓発する活動や、社会教 育、学校教育、そしてメディアによる消費者教育への期待を示したうえで、消費者教 育の目的は「動機を選択し得る人間」の形成であり、「自分で自分の消費行動の動機 を取捨選択し得る力」(pp.11−12)を育むことこそがその真髄であると主張する。そ して、特に消費者が身に学ぶべきこととして「広告を正しく読む力」を挙げるととも に、「知らされる権利」が保障されたうえで消費者自身が選択・決定できるようにな ることの必要性を提起している。先の岡本&古野ほど明示的ではないが、氏家も消費 者の主体性に着目して消費者教育を展望していたことは明らかであろう。
b)
「消費者教育の現状とその社会的背景」この論説の執筆者は朝日新聞記者の今沢正躬で(今沢,1963)、消費者教育の実情を 検討することから始まっている。それによると、行政、メーカー、販売業者、そして 消費者それぞれが「消費者層」を意識せざるを得なくなった傾向がある一方、誰もが
−111−
消費者であること(つまり、「消費者」という特定の集団があるわけではないこと)、商品や サービスごとに誰が「消費者」となるかが異なることなどのため、消費者を組織化す ることは困難であるという。そうではあっても消費問題に取り組む必要があるわけだ が、日本の政府はまだ消費者保護には消極的で、消費者行政は遅れている。そして、
消費者教育の実情としては「買物知識の普及や家計簿の記入や商品テストの推奨な ど」が主な内容であり、「 お買物上手な家庭の幸福 を吹きこむような観を呈してい る」(p.16)。今沢は現状をこのように批判した後、次のように述べている:
この原因は消費者教育には十分な商品学の知識はもとより、消費構造、生産、流 通構造を心得た学者がいなければならないのにそういう適任者が非常に少[な]い こと、そのために旧来の視野の狭い消費テクニックを論ずる家政学の先生がたに まかされていること。消費者教育を大メーカーがコマーシャル・メッセージにす りかえるにおあつらえ向きのテーマであり、またこういう教化活動のみが消費者 教育だとしたら少数の大メーカーが中小メーカーを蹴落とすための機会に利用で きるから大いに協力していることである。(p.16)
この件には、当時の社会における「消費者教育」の理想と現実の乖離が端的に表れ ている。引用箇所の手前で今沢は、ケネディ大統領の提起した「権利」の内容につい て検討することを、消費者教育の目的の一つとして例示する。ところが、「消費者教 育」と称するもののなかには企業の宣伝活動も少なくなかった。理想的な側面と現実 的な側面のどちらに比重を置いて捉えるかによって、消費者教育の見え方は全く異な る。いつの時代でも、また、どのような言葉についても、そのような相違はありうる とはいえ、「権利内容の検討」と「コマーシャル・メッセージ」とでは次元が違い過 ぎる。当時の状況としては、議論の前に「消費者教育」という言葉の共通理解を探る ことの必要性が、今日よりもずっと高かったということであろう。
こうして消費者教育の実情に触れたうえで、今沢は、問題のある「消費者教育」で はなく、消費者自身の啓発活動という意味での「消費者活動」を望むとする。そして、
その具体的実践としての商品テストをめぐる課題や消費活動を担う消費者団体につい て論じた後、「消費者の立場をみきわめる(確立する)」ために消費者は消費者の利益 をもっと主張すべきであり、専門家は経済の流れ、消費者の立場、メーカーの戦略な どについて消費者に理解させるべきであると主張する。
このように論じた後、消費者問題が広く理解されるために、やさしく読みやすい
「生活白書」が作られるべきであることを提起しながら稿が閉じられる。その中の一 節に「消費」をめぐる当時の社会意識が、次のように端的に記述されている:
−112−
消費は主婦まかせ、消費についてとやかくいうのはみみっちくて、男らしくない と考えていたら、間違いである。それは従来、消費者のことを行政上配慮する必 要はない、自然に立法、行政当事者の頭に織込まれて調整されるからそれで十分 だという思想が久しく信じられていたのと同様かもしれない。(p.19)
つまり、「消費」は女性の問題として捉えられ、立法や行政施策の主要課題とも見 なされていなかったという意味である。当時、「消費」の社会的位置づけにジェンダー 的な偏りがあり、また「消費」が政策的・公共的な課題であるという認識が社会的に 未発達であったのは、「時代的な制約」として止むを得なかったであろう。この「偏 り」と社会的な軽視という問題は、その後、完全に払拭されたわけではない。多少な りとも「原型」のようなものとして残存し続けており、これらは今日の問題でもある と言える。
c)
「行政は消費者教育をどうとり上げているか」この執筆者は、明石市教育委員会社会教育課長の職にあった筒井逸である(筒 井,1963)。最初の部分で、物価の状況が「先進国型」(工業製品の低価格化と生鮮食料品 やサービスの高価格化)となりつつあること、「生活環境施設」の立ち遅れに対処する ために社会全体の協力が必要であること、新しい時代に相応しい生活態度が求められ ていること、これらが現状認識として示される。次に、明石市で最近行われた消費者 教育関連の施策(昭和36年度、37年度)として、「婦人大学(文部省委嘱婦人学級)」「成 人学校(公民館事業)」および「関係機関と協力しての消費者教育」の事業や活動が紹 介されている。そして、「新しい施策―昭和38年度以降」として、10数年先の1975(昭 和50)年に向けて行われた「明石市の長期総合開発調査」に即した社会教育施策の必 要性や、兵庫県教育委員会による「公民館を中心とする生活科学化推進」の概要が触 れられている。最後に「結び」では、「巡回文庫」活動が「主人族」に喜ばれている という話題を示した後、次のように述べて閉じられている:
消費者教育も全市全家庭の主婦に、「主人ばかり責めなさんな、あなたの金の使 い方はどうなのか、寄って話しあいをしませんか」との呼びかけを根気よく進め たらどうだろうと思います。加減を忘れがちな亭主まで一しょによろこんでも らっては困るのですが、とにかく「消費者教育」はこうした話に落ちつく程、地 味なものであろうと思います。(p.23)
この記事は、筋道立てて主張が展開された論稿ではなく講演資料のような文面と なっている。また、必ずしも行政としての組織的な対応でない活動も「施策」として
−113−
紹介され、さらに、「新しい施策」とされる社会教育施策と消費者教育の関係が不明 確であるなど、文章としての問題が多い。
しかしながら、往時の消費者教育観を伝える証言が含まれていることは確かであ る。たとえば、「従来の施策」として真っ先に「婦人大学」が挙げられていることや、
最後の「結び」に表れているとおり、消費者教育の対象が「女性」に偏って考えられ ていたことを示す記述が見出される。また、「関係機関と協力しての消費者教育」と して「県立水産試験場の生活普及員」の家計簿指導や明石市における「新生活運動」
が取り上げられ、あるいは、「新しい施策」として「消費生活を主とした生活の科学 化」の推進が公民館事業に求められていることが紹介されるなど、消費者教育と「生 活の合理化」が結びつけて捉えられていた様子も読み取れる
(8)
。d)
「『消費者教育』とは―現代『社会教育』の一環として―」これは、1961(昭和36)年に設立された日本消費者協会の専務理事、山崎進による 記事である(山崎,1963)
(9)
。山崎は、まず、「消費者保護」と「消費者教育」の関係 について、「保護」の新しい内容となるのが「教育」であると説明する。それによる と、注文生産の時代から大量生産の時代に移行し、生産者と消費者の距離が拡大した ことにより、商品の「量目」「価格」「品質」に問題があっても消費者が苦情を訴える ことが難しくなってきた。そこで、これらの3点に関する政府の生産者規制が求めら れるようになって、「消費者保護」が始まった。更に時代が進むにつれ、「量目」「価 格」「品質」に注意するだけでは済まない状況に至り、「機能」について知らされる(=学ぶ)機会の要求として、新たに現れてきたのが「消費者教育」運動であるとい う。
このように説明したうえで、もとは「品質」の一部と見られていた「機能」が意識 されるようになった理由や背景として、①同じような商品が数多く作られるように なったため、最も優れた機能のものはどれか、高価な物の方がよいのか、自分の生活 に適合するのはどれか、などについて人々が知りたがるようになった;②商品の社会 的寿命や流通期間が格段に短くなったため、商品の「機能」は生活経験ではなく商品 テストによって理解せざるをえなくなり、「買物の判断力」が求められるようになっ た;③商品の在り方が、かつての原材料的または半製品的なものから、完成品的なも のに変わってきた;④家庭外の生活が増え、社会的サービスを上手に選ぶ必要が高 まってきた、これらのことを指摘している。
このうち、4番目の記述の中で山崎は、学校の「家庭科」
(1 0)
や主婦にとって、買い ものの方法や商品の使い方を学ぶことが大切になると指摘する。そして、成人教育と しての「消費者教育」について、次のように提起している:−114−
それはもう一般主婦の常識講座の程度ではすまされなくなってきているのであ る。こうした生活の知識は学校教育から成人教育まで、一貫して体系的に教えこ まれなければならない課目となってきたのである。そしてさらに、それは女性だ けを対象とすべきものではなく、男子にも同様に必要になってきた課目なのであ る。(p.32)
こうして、商品の「機能」について知るための消費者教育の必要性を提起した後、
最後の部分で、「『成人教育』の重要化」について論じている。彼は、上記の「生活の 知識」に関する教育の必要性は、商品や生活活動に関してだけでなく、職業や生産活 動に関しても生じており、したがって、学校卒業後も「10年に1回位は、3ヶ月以上 1ヶ年ぐらいの基礎的体系的教育」を受けるべきであると述べる。そして、レジャー には「積極的な人間能力の開発」という意義があることや、学校教育だけで暮らす人 と追加的基本教育を重ねる人では大きな違いが出てくることを指摘したうえで、「成
人教育はもはや年少時の学校教育の補充という意味に止どまってはならないのであ り、それ自体独立し、一つの体系をもったものに変わらねばならないのである」(p.
32,傍点ママ)と主張している。
消費者教育を商品の「機能」についての知識を学ぶ教育と特徴づけていることは、
「消費者保護」との対比では重要な指摘であると同時に、強調しすぎると一面的な消 費者教育論になりかねない。その点では異論もありうるが、山崎は、当時は常識的で あった、消費者教育を女性(特に主婦)の問題として捉える見方を否定し、男性の問 題でもあることを主張した。しかも彼は、やがて盛んになる生涯教育論やリカレント 教育論に通ずる観点も合わせて提起している。このように、山崎の論稿は、短い文章 ながら、示唆的な内容となっている。
Ⅲ 消費者市民社会論の予兆
本稿の冒頭でも触れたとおり、消費者教育推進法において、消費者教育の在り方を 方向付ける理念として掲げられているのが「消費者市民社会」である。それは「消費 者が、個々の消費者の特性及び消費生活の多様性を相互に尊重しつつ、自らの消費生 活に関する行動が現在及び将来の世代にわたって内外の社会経済情勢及び地球環境に 影響を及ぼし得るものであることを自覚して、公正かつ持続可能な社会の形成に積極 的に参画する社会」(第2条2)と定義されている。ここに展望されているのは、消費 の問題が、個人個人の私事としてではなく、社会、自然、そして未来と関連する問題 として広く認識されている社会であり、消費者としての市民が主人公となっている社 会である。西村(2015)は、この社会を構成するべき消費者市民の姿を「消費生活の
−115−
向上を目指して日々商品選択を行う消費者としての性格と、消費行動を通じて社会へ の影響力を行使しうる市民としての性格を併せ持った主体的な消費者」(p.783−784)
として描き、かつその行動には他者の利益、社会的公正、地球環境への配慮が求めら れると指摘する。すなわち、消費者市民とは、経済的、政治的、かつ倫理的な面で自 覚的で主体的な市民という意味であり(西村,2013,pp.19−20)、そのような市民を育 成することが今日の消費者教育の本質的責務となっているのである。
このような消費者市民や消費者市民社会という言葉は、本稿で取り上げた論説が著 された当時の社会では使われていなかっただろうし、それぞれの文章中にも見当たら ない。しかしながら、概観してきたとおり、岡本&古野は「買い方」における主体性 を重視し、「大衆が主人公たるべき消費社会」の建設に向けた消費者教育を提起して いた。また氏家は、消費者教育の目的を「自分で自分の消費行動への動機を取捨選択 しうる力」の育成と捉え、今沢は消費者がもっと消費者の利益を主張すべきと主張し ていたし、山崎は職業や生産活動も含めた「生活の知識」の生涯にわたる教育の充実 を求めていた。主張の力点や厚みは一様ではないものの、消費者の主体性の確立や社 会参画の重要性を意識した議論、したがって、今日の消費者市民社会論の予兆とも言 える議論が行われていたことは確かである。
だからといって、以上のことをもって、社会教育の文脈で為された往時の議論が消 費者市民社会の議論の基礎となった、などと飛躍して結論づけることはできない。社 会教育界の議論が今日の消費者教育論に影響していると仮定するにしても、今回取り 上げた時期よりも後の議論を更に検討する必要がある。それはまた別の機会に試みた い。
〈注〉
1
この間の経緯に関しては、安田&鎌田(2005)を参照。2
消費者教育推進法の趣旨と意義に関しては、西村(2013,2015)を参照。「消費者市民社 会」に関しては、永井(2014)も参照されたい。3
たとえば、田中菜採兒(2014,pp.9−12)は、消費者教育推進法が目指す消費者教育に とって参考になる実践としてESD
に注目している。4
その原因や経緯を探ることが本稿の目的ではないので、ここでは詳しくは立ち入らない が、推測される背景としては、次の二つの事情が考えられる。一つは、社会一般におい て、消費者問題は経済企画庁(国民生活局)が「啓発」するテーマであって「教育」の 中心課題ではないという捉え方が主流となったこと。そして、社会教育関係者の間でも、市場経済と労働・生活との在り方との関係こそが重要な問題と見なされ、「消費問題」は 周辺的・副次的な課題に過ぎないとする見方が支配的となったことである。
5
阿部(2015)は、消費者問題が認識され始めた1960年代から1981年に日本消費者教育学 会が発足する直前までの1970年代を「草創期」、消費者教育学会が活発に活動する1980年−116−
代から1990年代を「展開期」と呼んでいる。それに従うなら、本稿が取り上げるのは「草 創期」の前半の議論である。
6
国土社から発行される『月刊社会教育』と区別するために「大判社会教育」とも呼ばれ るもので、1946年創刊の『教育と社会』の後継誌として1950年に創刊された。長らく全 日本社会教育連合会から発行されていたが、同会と日本青年館が合併したことを機に、2012(平成24)年11月号より日本青年館から発行されるようになった。
7
その他、資料、事例報告、手記が掲載されている。8
「生活の科学化」は大正期に由来する概念であり、これは「消費」を日本の近代化過程 との関連で考える場合の重要な鍵となるだろう。大正・昭和初期の「生活の科学化」運 動について考察したものとして、たとえば、山本(1997)。9
論題は、掲載号の目次で「現代『社会教育』の一環としての『消費者教育』とは」と記 載されているが、ここでは本文での表記に即して「『消費者教育』とは―現代『社会教 育』の一環として―」とした。1 0
当時の中学校では、「技術・家庭科」のうち、男子は電気・機械などの技術に関する内 容、女子は被服・食物などの家庭経営に関する内容を学ぶのが通例であった。引用・参照文献
阿部信太郎(2015)「日本における消費者教育論の草創・展開期の研究」『城西国際大学紀 要』第23巻第1号(経営情報学部),pp.31−45.
今沢正躬(1963)「消費者教育の現状とその社会的背景」『社会教育』第18巻第7号,pp.15−
19.
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〈http : //quod.lib.umich.edu/p/ppotpus/4730892.1962.001/298〉国民生活向上対策審議会(1963)「消費者保護に関する答申」(昭和38年6月15日)〈http : //
www.caa.go.jp/seikatsu/shingikai2/kako/pspc01/toushin/pspc01−toushin_1−0.html〉
宮坂広作(1986)「消費者教育の概念・理念と実践―消費者教育論序説―」『東京大学教育学 部紀要』第25巻(1985年),pp.151−180.
宮坂広作(1991)「消費者教育の基本(Ⅰ)―教育学的アプローチ―」日本消費者教育学会編
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宮坂広作(1995)『消費者教育の現代的課題―原理と実践の諸問題―』(財団法人消費者教育 支援センター 消費者教育読本シリーズ
No.2)
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