バングラデシュ農村における一方的贈与と社会関係 : タンガイル県,M村のムスリム集落の事例より
著者 西川 麦子
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 18
号 4
ページ 649‑695
発行年 1994‑03‑31
URL http://doi.org/10.15021/00004214
西川 バング ラデシュ農村におけ る一方的贈与 と社会関係
バン グ ラデ シ ュ農 村 に お け る一 方 的 贈 与 と社 会 関 係 タンガイル県, M 村のムス リム集落の事例 より
西 川 麦 子 *
One-Way Gifts and Social Relations Among Rural Muslims in Bangladesh:
A Case Study from a Village in the Tangail District
Mugiko NISHIKAWA
This paper treats the subject of gift giving for merit without the ex- pectation of any return from the receiver, a practice common among Muslims in rural Bangladesh. The three main examples are almsgiving, the provision of religious feasts and the sacrifice of animals. This paper is based on findings from a field survey which was conducted in a village in the Tangail District which I will refer to as M village. It consists of two settlements: a Muslim one and a Hindu one. Most Muslims in M village live in the Muslim settlement.
Many scholars have been studying the economic and political aspects of village life in Bangladesh by analyzing the social and economic relationships among the villagers. While the practice of one-way giving is essentially religious in nature, I will analyze its significance in village life by discussing the characteristics of the relationships which stem from one-way gift giving.
I will describe three matters. First I will discuss two kinds of religious feast, one held according to the Hijra calendar and the other as the need arises to pray to God for worldly benefits such as relief , from disease, or for a good harvest or a healthy baby. Muslim male beggars called fakir and male villagers are invited to such feasts. Next I will describe the practice of the animal sacrifice in Eid-al-adha and the distribution of the meat. Finally I will treat three cases of the funeral rites and feasts. The families of the deceased vary greatly in terms of
金 沢大学 ,国立民族学博 物館共 同研究員
Key Words : rural Bangladesh, Muslim, one-way gifts, social relation, ritual
キ ー ワ ー ド :バ ン グ ラ デ シ ュ 農 村 , ム ス リ ム , 一 方 的 贈 与 , 社 会 関 係 , 儀 礼6SO
国立民族学博物館研究報告 18巻 4号
economic and social standing in M village, and I will illustrate how these factors influence not only the scale of the feasts but the attitudes to them of the villagers.
I wish to analyze the one-way gift giving among Muslims in M village from three points of view. The first is that of the receiver of the gift. The gifts for religious merit are often said to be given to "the poor." However, there is neither a strict religious definition nor are there clear categories or castes of "the poor" in the Muslim society in Bangladesh. The second point of view is how villagers view the relation- ship between the giver and the receiver. From a religious point of view the gifts are given to God. However, they have great potential in the world to make the power relationships among villagers. The third point of view is in regard to the valuation of the gift by a third person and the prestige of the individuals and the social groups. All the gift giving treated in this paper is open to the gaze of a third person and to the infor- mation network.
The one-way gift giving for merit is an important religious practice for Muslims. However, most villagers, even if they are in poverty, don't like to become the receiver of the gift for fear of being defined as "the poor" and placed in a lower social status. They tend to avoid making in- dividual relationships through the receipt of a gift.
The main receivers of alms are Muslim beggars called fakir and fakir- ni (female), who are in other respects normal villagers. The fakir oc- cupation is assigned a religious role. The relationship between fakir and the giver of alms or the host of the feasts is more ritual than personal.
In regard to religious feasts there is no rule concerning guests with the exception of fakirs. For the host it is more important to gather an adequate number of people for the scale of the feast than to invite any particular persons. The host calls on neighborhoods or on the people who come to the Mosque in the Muslim settlement to pray on Friday afternoon. At the feast, as soon as the guests have finished eating they leave without enjoying conversation with the host and guests. The guests do not feel an obligation to return something to the host.
The one-way gift giving among Muslims in M village is neither
regulated by village law, nor is it an obligation of particular posts within
the village. The giving depends on individual intention. Among the
villagers who are in the same economic conditions, some villagers give
alms regularly and others rarely; some people serve dinner to hundreds
of people for a feast and the others invite only a few fakirs. The
villagers are conscious of the valuation by a third person which affects
the dignity of an individual and his/her household. The accumulation
西 川 バ ン グ ラデ シ ュ農 村 に お け る一方 的贈 与 と社 会 関 係
of such valuations in daily life determines the social standing of the villagers.
In the rural areas of Bangladesh it is difficult to find a clear social unit as a corporate group. In M village there is no special Muslim organization responsible for religious ceremonies. However, the villagers recognize their social boundary and themselves as Muslims of M village as distinct from "the others." During ceremonies they are sometimes united together. In Eid festival in M village, regardless of who sacrifices the animals a third of the meat is divided equally among all Muslim households of M village. In a large-scale feast in which most of the guests are the inhabitants in other villages, if the M villagers think it will affect the honor of their own village, they will work in a body for the success of the feast. I believe the awareness of the consciousness of
"th
e ohters" is an important element for the people within a social boun- dary to help them rally together to protect the honor of their group.
は じめ に 1. 調 査 地 の 概 略
1 . 1. 行 政 単 位 , 居 住 単 位 , 家 族 ・世 帯 a. 行 政 単 位
b. 居 住 単 位 , 家 族 ・世 帯 1 . 2. M 村
a。 立 地 , 人 口
b. シ ョマ ー ジ , 村 , 集 落 c. 生 業
2. ム ス リム 集 落 に お け る一 方 的 贈 与 一 食 事 の ふ る ま い , 肉 の 分 配 , 施
し, 援 助
2.1. M 村 の ムス リム集 落 a. 集 落 , 屋敷 地 の空 間 的構 造 b. モ ス ク と宗 教 的役 割
2.2. M 村 の ムス リム の宗 教 行 事 , 食事 の ふ る ま い, 動物 供 犠
a, ムス リムの年 中行 事 b. 宗 教 的 食 事 の ふ るま い c. 犠 牲 祭 の動 物 供 犠 2.3. 葬 送 儀 礼 3. 考 察
は じ め に
バングラデシュ の農 村 の ムス リム の あ いだ で は ,受 け手 か らの 直接 の見 返 りを 求 め な い一 方 的 贈 与 が さま ざ まな か た ち でみ られ る。 宗教 儀 礼 ,通 過儀 礼 に おけ る食 事 の ふ る ま い,犠 牲 祭 に お け る供 犠 獣 の 肉 の 分配 ,儀 礼 や 日常 生 活 に お け る施 し,モ ス ク,
マ ドラサへ の寄 付 ,村 人 の特 別 な事 情 にた い して の 金銭 や 物 品 に よ る援 助 や ,労働提 供 な どで あ る。 本稿 で は ,パ γ グ ラデ シ ュ, タ ソ ガイ ル県 にお け る実 地 調 査 Y も とづ
国立民族学博物館研究報告 18巻4号
き,さ ま ざ まな儀 礼 を通 じて な され る一 方 的 贈 与 の 世俗 的意 味 の 考 察 を とお して,ム ス リム集 落 に お け る人hの 社 会 関 係 の特 徴 を さ ぐって ゆ く。
この よ うな テ ーマ を扱 うに あ た って,こ れ ま で のバ ン グ ラデ シ ュ農 村 に お け る社 会 関 係 の分 析 視 点 に つ い て,本 文 の 内 容 と関連 す る2つ の問題 点 を述 べ て お きた い。
第1点 は,集 団 の と らえ方 につ い て で あ る。 持 続 的 か つ コー ポ レー トな 集 団 や組 織 の 有 無 に 注 目 した 場 合,調 査 研 究 者 に と って バ ング ラデ シ ュの 村 は,「 集 団的 な組 織 が 非 常 に 弱 い村 とい う印 象」1)を与 え る。 か つ てBertocci【1970】は,「 とらえ ど ころ の ない 村 」 と題 した 論 文 に お い て,バ ング ラデ シsで は,そ れ 自体 を ひ とつ の 持 続 的 な 社 会 と して と りだす こ とが で き る よ うな社 会 的 単位,共 同体 的 村落 を見 出せ な い と述 べ た2)。Bertocciの この論 文 以後,バン グ ラデ シ ュの 村 落 の 集 団 と して の特 徴 を 分 析 し よ う とす る試 み は少 数 の研 究3)に 限 られ,「 と ら え ど ころ の な い 村 」 像 は,充 分 に は批 判,検 討 され て こなか った よ うに 思わ れ る。
だ が,実 体 と して の村 落 の特 徴 とは別 に,バ ング ラデ シ ュの村 落 の と らえ方 につ い て,研 究 者 の 側 に 次 の よ うな問 題 が あ った の では ない だ ろ うか 。 ひ とつ は,調 査 研 究 の 単 位 に つ い て で あ る。バ ン グ ラ デ シュ 農 村 研 究 は 多 くの場 合,villageと 訳 され る グ ラ ム(複 数 な い しは 単 数 の 集 落 か らな る。 後 述),あ る いは モ ウザ(英 領 期 に導 入 され た 地租 行 政 上 の末 端 単位,グ ラム と モ ウザ の境 界 は 必 ず し も一 致 しない 。 後 述) を 調 査 研 究 の対 象 として 扱 って きた 。 グ ラ ムや モ ウザを 調 査 分析 の単 位 とす る こ と 自 体 に つ い て は,ほ とん どの 農村 研 究 に お いて 自明 で あ るが ご と く扱 わ れ,あ らた め て 議 論 され る こ とが なか った 。
これ に 対 し,安 藤 ・河 合 【1989]は,「村 に集 団 的組 織 性 が 見 られ な い とい う場 合 『村 』 を どの範 囲 で 区切 るか とい う こ とが 問題 とな る」4)と述 べ,従 来 の 研 究 とは 異 な り, パ ラ と よば れ る集 落 こそ が 自然 村 的 小集 落 で あ り,村 落 の集 団 の 組 織性 を支 え て い る
と論 じて い る5)Ovillage(グ ラ ム,モ ウザ)を 安 易 に 分析 単 位 と した た め,あ る い は分 析者 が設 定 した 社 会単 位 の枠 か ら 「村 落 」 を と らえ よ うと した こ とに よ って,現 地 の 人 々が意 識 して い る社 会 的 境 界 や 集 団 意識 を把 握 で きな か った ので は な い だ ろ うか。
1) 安 藤 ・河 合[1989:39】 。 2) Bertocci[1970:7]0
3)安 藤 ・河 合 【1989,1990],Barman[1988】, Jansen【19871。
4)安 藤 ・河 合 【1989:391。
5)安 藤 ・河 合 【1989,19901は,バ ン グ ラ デ シ ュ で の 現 地 調 査 と英 領 時 代 の 地 租 調 査 な ど の 資 料 に も と づ き,バ ン グ ラ デ シ ュ 農 村 の 集 落(パ ラ)の 形 成 史 の 研 究 を す す め て い る 。Settle‑
mentの 諸 形 態,草 分 的 父 系 集 団,居 住 地 と耕 地 ブ ロ ッ ク の 分 布 状 況 な ど か ら,パ ラ と い う 単 位 を 分 析 し て い る 。
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西 川 バ ソ グラ デ シ1農 村 に お け る一 方 的 贈 与 と社 会 関 係
これ ま で の研 究 は また,コ ー ポ レー トな集 団や 既 存 の 組 織 の有 無 だけ に 注 目 し,集 団 化,組 織 化 の プ ロセ スが 考 察 され る こ とは少 なか った 。 現地 の人 々 は,さ ま ざ まな 社 会 的境 界 を意 識 して い る。 どの よ うな場 面 に お い て ど の よ うな か た ち で さ ま ざ まな 社 会 的境 界 が表 面 化 す るか,人 々が 何 を契 機 に集 団 と して 結束 し どの よ うに 組織 的 な 行 動 を とる か,そ の 動 的 な プ ロセ スを 記 述 し分 析 し よ うとす る試 み が と くに 欠 け て い た 。
第2点 は,社 会 関 係 の分 析 に お いて 階 級 が偏 重 され て きた こ とで あ る。 バ ング ラデ シ ュ農 村 の 社 会 学 的,人 類 学 的 研 究 で は,経 済 的,政 治 的側 面 を 重 視 す る傾 向 に あ る6)0土 地 所 有 を基 準 と して社 会 を階 級 に 分類 し,異 な る階級 間 の垂 直 的 関 係,あ る いは 階 級 内 で の水 平 的 関 係 を考 察 して きた 。富 裕 層 と貧 困 層 との 間 の,搾 取,力 関係, パ トロンー ク ライ アン ト関 係 が強 調 され,ま た 貧 困層 内 で の階 級 を 基 盤 と した社 会 関 係 を と らえ よ うと して きた 。
階 級 は,し か し,研 究 者 が設 定 した分 析 枠 組 で あ り,現 地 の人 々が 用 い る社 会 的 カ テ ゴ リーで は な い。 経 済 的 差 異 を人 々が認 識 して い る こ と と,そ こに 階 級意 識 が あ る とい うこ とは 同 じで は な い。 人 々 に と って,貧 し さ とは 相対 的 な もの で あ り,「貧 困 層 」 とい う明確 な カテ ゴ リーが あ った り,「土 地 な し層 」 とい う社 会 集 団が あ るわ け で はな い 。 階 級分 析 は,人 々 自身 が どの よ うな 社 会 的 区 分 を意 識 して い るか,自 ら を 社 会 の なか に どの よ うに位 置 づ け るか,ど の よ うに 社 会 関 係 を作 りあげ て ゆ くか,そ の 多様 な側 面 へ の考 慮 を欠 く傾 向が あ る。 た とえぽ 農 村 の 宗教 的 行 事,儀 礼,食 事 の 供応 につ いて は,従 来 の農 村 研 究 で は 断片 的 に しか 記 述 されず,ま た 婚 姻,と くに ダ ウ リーな ど特 定 の テ ー マ のみ が 詳 細 に論 じ られ て きた 。 儀 礼研 究 か らバ ン グ ラデ シ ュ 農 村 の 社 会 ・政 治 的 関 係 を ひ ろ く考 察 し よ うと した 試 み は,Ellickson[1972]な ど少 数 の研 究7)に 限 られ る。
こ うした問 題 点 を 指摘 した うえ で,以 下 で は調 査 村 の ムス リム集落 の社 会 関 係 や 集 団の特 徴 を考 察 して ゆ く。本 文 で 具 体 的 に扱 うのは,ヒ ジ ュ ラ暦 に も とつ く年 中行 事, 祈 願 儀 礼,そ して葬 送 儀 礼 の諸 事 例 であ る。 そ こで は食 事 の ふ る まい,肉 の分 配,施
6) 1960年 代 以 降 の バン グ ラ デ シ ュ(東 ベ ン ガ ル)の 経 済 的 側 面 を 重 視 した 人 類 学 研 究 の 傾 向 に つ い て は,高 田 【1991】が 概 観 して い る 。
7)J.Kotalova【1993】 の10章 で1ま,バン グ ラ デ シ ュ 農 村 の ム ス リ ム の 礼 拝,葬 式,食 事 の 供 応
に つ い て 述 ぺ,(イ ス ラ ム 的 な)コ ミ ュ ニ テ ィ ー と して の シ ョマ ー ジ(本 稿1.1.b.参 照 の こ と)
の イ メ ー ジ が,ど の よ う に 作 りだ さ れ て ゆ くか を 論 じ て い る。 こ の 著 作 は,本 稿 の テ ー マ と
深 くか か わ る 内 容 を 含 ん で い る が,筆 者 は 校 正 の 段 階 で こ の 書 物 を 入 手 し た た め,本 文 で は
と りあ げ る こ と が で き な か っ た 。 宗 教 行 事 や 儀 礼 と 村 落 の 社 会 関 係 と の か か わ りY'つ い て は
こ の 他 に 次 の よ うな 研 究 に お い て,断 片 的v'で は あ る が 記 述 さ れ て い る 。Arens and van
Beurden[1977:31‑32, G8,144], Bertocci[1974:85‑87], Jansen[1987:88‑89,134‑135]0
国立民族学博物館研究報告 18巻4号 し,援 助 な ど受 け手 か ら物 品 で の 見 返 りを求 め ない さ ま ざ まな贈 与 が み られ る。 一 方 的 贈 与 の問 題 に焦 点 を しぼ る こ とに よ って,「 富 裕 層 」 と 「貧 困 層 」 と い った 分 類 か らは み え に くい社 会 関 係 の さ らに 複雑 な側 面 を と ら え る こ とがで き るの で は な い か と
考え て い る。調 査 村 では,こ の ほ か,出 産,割 礼,婚 姻 の儀 礼 に 際 して 食事 の ふ る ま いが 行 な わ れ る。 こ の3つ の 通過 儀礼 で は,食 事 に 招 かれ た者 か ら も金 銭 や物 品 が贈 られ る。 結 婚式 で は,取 妻 者 側 と与 妻 者 側 の双 方 が 供 応 しあ う。 この 論文 で は一 方 的 贈 与 が 行 な われ る諸 事 例 を と くに扱 い,婚 姻 な どの 贈与 交 換 につ い て は別 稿 で あ らた め て 論 じた い。
ムス リムの宗 教 儀 礼 に と もな う一 方 的贈 与 は,し ぽ しば神 と人 間 の あ い だ の贈 与 交 換 の 枠 組8)で 論 じられ る。 また 嶋 田 【1993】は,マ ル セ ル ・モ ース が 贈 与 を 「全 体 的 給 付 の体 系 」 とい う観 点 か ら とら え異 次 元 交 換 に着 目 して い る こ とを評 価 し9),嶋 田 自身 が 調査 した レイ ・ブ ーバ の ム ス リム の 「物 乞 い」 や 「お 年 玉 」 に み られ る財 貨 と コ トバ や踊 りとの交 換 を 異 次元 交 換 の視 点 か ら論 じて い る10)。本 稿 で は,食 事 の供 応, 供 犠,喜 捨 とい った 贈 与 の 問題 を扱 うが,し か しそ こか ら総 体 的 な 「交 換 体 系 」 を論 ず る こ とを 目的 に して い るの で は な い。バングラデシュ 農 村 の世 俗 に お け る人 と人 と の 社 会 関 係 や集 団 のあ り方 の特 徴 を さ ぐるひ とつ の重 要 な手 が か りと して,一 方 的 贈 与 の 問題 を と りあ げ る。
互 酬や 等 価 交 換 で は な い物 品や 金 銭,労 働 力 な どのや りと りに 関 して は,与 え手 と 受 け 手 の 二 者 関 係 に つ い て多 く議 論 され て きた 。 近 年 の南 ア ジ ア 研 究 では,異 な る カー ス ト間 の交 換 に つ い て,贈 与 者 の不 吉 や危 険 が贈 与 を とお して受 贈 者 へ 転 化 され る とい う議 論11)が あ る。 ま た,バングラデシュ の 調 査 研 究 では バ トロ ソか ら ク ラ イ ア ン トへ の庇 護 のか た ち の一 事 例12)と して,あ る いは 裕 福 な 村 人 の 威 信 の 問 題13)と して描 か れ て きた 。
こ う した 議 論 を 検討 しな が ら,次 の よ うな3つ の側 面 に 着 目 して記 述 と考 察 を す す め る。 第1は,研 究者 が設 定 した 「貧 困層 」 とい うカ テ ゴ リーで は な く,現 地 の人 々 が宗 教 的 贈 与 の受 け手 を どの よ うに 設 定 して い るか につ い て 。第2は,一 方 的 贈 与 の 贈与 者 と受 贈 者 との あ い だ で ど の よ うな 二者 間関 係 が 作 られ て い るか 。 第3は,一 方
8) 大 塚 和 夫 【1989:1211。
9) 「異 次 元 交 換 の 人 類 学 一 モ ー ス 『贈 与 論 』 の 意 味 す る も の 一 」[嶋 田 1993:226‑270]。
10) 「非 物 質 的 価 値 の 支 配 と 権 カ ー ア フ リ カ の イ ス ラ ー ム 王 国 の 事 例 か ら 一 」 【 嶋 田 1993:
271‑295]0
11) Parry[1989], Raheja[1988]0 12) Arens and van Beurden[1977:144)0
13) Jansen[1987:134‑135], Ellickson[1972:92]0
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西川 バングラデシュ農村 におけ る一方的贈与 と社会関係
的 贈 与 の世 俗 に おけ る第三 者 の評 価14)と 個 人 や 集 団の 対 外 意識 につ い て であ る。
1.調 査 地 の 概 略
本 稿 で 扱 うの は,パ ソ グ ラ デ シs,タ ン ガ イ ル 県,モ ドプ ー ル ・ウ ポ ジ ラ のM村 で,1988年12月 か ら1991年2月 に か け て,の べ1年5ヶ 月 間 行 な った 調 査 資 料 で あ る。
こ の 章 で は ま ず,バングラデシュ 農 村 の 末 端 の 行 政 単 位 と現 地 の 人 々 が 用 い て い る 居 住 単 位 や 家 族 ・世 帯 に つ い て 説 明 し,次 にM村Y'つ い て 概 観 す る 。
1.1.行 政 単 位,居 住 単 位,家 族 ・世 帯 a.行 政 単位
バングラデシュ の 農 村部 の最 小 の地方 行 政 体 は ユ ニオ ン と よばれ る行 政 村 で あ り, これ は,平 均 す る と14ほ どの モ ウザか らな る。 全 国4401(1991年 現 在)の ユ ニオ ソの 平 均 人 口は 約25000人 で あ る。 各 ユ ニオ ソは3区 か らな る。 ユ ニオ ソ議 会 の議 長1名
と,各 区 か ら3名 の 議 員 が住 民 の直 接選 挙 に よ って選 出 され る。 このほ か,任 命制 の 女 性議 員1名 の議 席 が あ る。農 村 で の,農 業 開発 プ ロジ ェク トや洪 水 対 策,郵 便 事 業, 保 健 衛 生 な どの行 政 サ ー ビス が,ユ ニ オ ソを単 位 と して 行 な わ れ て い る。 一 般 の 住 民 に と って は,ユ ニオ ソが共 同 の生 活 の場 と して と くに機 能 す る こ とは な い。
モ ウザ は,英 領 期 に導 入 され た地 租 徴 収 を 目的 と した 行 政 上 の 単位 で あ る。 そ の 境 界 は,地 図 の うえ では 明 確 に 区 分 され,土 地 は一 筆 ご との 地 籍 の所 有 者 が 確 定 され て い る。 モ ウザ は公 的 な名 称 を もつ 末端 の行 政 区 の 単位 で あ るが,各 モ ウザ に行 政 上 の 組 織 は な く,特 別 な役 職 もお か れ て い ない 。
b.居 住 単 位,家 族 ・世 帯
バングラデシュ の 農村 に は,グ ラ ム(村),パ ラ(集 落),バ リ(屋 敷 地),ポ リバ ー ル(家 族),カ ナ(世 帯)と い った単 位 が あ る。
グ ラム とは,複 数 な い し単 数 の 集 落(パ ラ)と 集 落 の 周辺 の土 地 の 集 合 で あ る。 物 理 的境 界 は 明確 では な く,外 観 か らは グ ラム の単 位 を と らえ に くい。 各 グ ラ ムは地 域 の 人 々 に認 知 され た それ ぞれ の名 称 を もつ 。 グ ラ ムは 行政 単 位 では ない が,し ぼ しば モ ウザ と グ ラム の領 域 が重 な り,モ ウザ と グ ラムが 同 じ名称 で よぼ れ て い る場 合 が あ る。 しか し,グ ラムの 規模 は一 様 では な く,複 数 の グ ラ ムが行 政 的 には 一 つ の モ ウザ
14)鹿 野 【1991:37】,Werbner【1990】 。
国立民族学博物館研究報告 is巻4号 で あ った り,複 数 の モ ウザ が 村 人 に は一 つ の グ ラ ム と認 識 され て い る場 合 もあ る。 行 政 単 位 と人hが 用 い る居 住 単 位 の境 界 が必 ず しも同 じでは な い こ とが,バ γグ ラデ シ ュの村 落 を 把握 しに くいひ とつ の要 因 とな って い る。 こ の論 文 で は グ ラムを 「村 」 と 訳 してい る。
集 落 と集 落 の あ い だは あ る程 度 の距 離 が 離 れ て い る場 合 が 多 く,そ れ ぞ れ の集 落 は 田畑 よ り高 く土 盛 りされ 周 囲 を 木 々に蔽 わ れ て い る ため,外 観的 に他 の集 落 と区別 す る こ とが 容 易 で あ る。 村 の な か で の位 置 や,集 落 の特 徴 に よ って,東 パ ラ,南 パ ラ, Yパ ラ,Xパ ラ とい った そ れ ぞ れ の名 称 を もつ 。 世 帯 数 の増 加 な ど集 落 の規 模 が 大
き くな る と,分 裂 して独 立 した 複数 の集 落 が形 成 され る こ とが あ る。 集 落 は,人hの 共 同 の生 活 の場 と して,経 済 的,政 治的,社 会的,宗 教 的 な 活動 の核 とな る こ とが 多 いo
集 落 は,バ リと よば れ る屋 敷 地 が 単 数 な い し複 数 集 ま って構 成 され る。 居 住単 位 と して のバ リとい う用 語 は,屋 敷 地 そ の もの を さす 場 合 もあ れ ば,そ れ を 構 成 す る世 帯 の集 合 を意 味す る こ と もあ る。 屋 敷 地 は,複 数 あ る いは 単 数 の世 帯 の住 居 や 台所 小 屋 が ひ とつ の 中庭 を取 り囲 む か た ち で並 ん で い る。 屋 敷 地 全 体 は,バ リの 共 有 財産 では な くパ リを構 成 す る各世 帯 の所 有 地 の集 合 で あ る。 男 性 に 比 べ て集 落 外 で の 行動 を規 制 され,ま た 田畑 で働 くこ との少 な いバングラデシュ の と くに ム ス リム女 性 に と って は,屋 敷 地 は,一 日の多 くの時 間を そ こで過 す 生 活 空 間 で あ る。 バ リを 構 成 す る世 帯 群 は,父 系 の親 族 関 係 に あ る場 合 が 多 い が,常 にそ うとは 限 らな い。 状 況 に 応 じて, バ リが政 治的,社 会 的 単位 と して協 同,結 束す ることはあ って も,日 常生活において バ リの集 団 と して の機能 は弱 い。
バングラデシュ の 農村 に は このほ か,も め ご との裁 定 や寄 合 い,諸 儀 礼 や 宗教 行 事 な どを共 同 で行 な うシ ョマ ー ジ と よぼ れ る社 会 単 位 が 存在 す るが,そ の 規模 や機 能 は シ ョマ ー ジ に よ って 一様 で は な い。 複 数 の村,あ るい は ひ とつ の村 内 の 複数,単 数 の 集 落 か ら構 成 され る シ ョマ ー ジ もあ れ ば,ひ とつ の シ ョマ ー ジが 分 裂 して,各 集 落 が 独 立 した新 た な シ ョマ ー ジを 形 成 して ゆ く場 合 もあ る。
ポ リバ ー ル(家 族)の 基 本 的 な成 員 は,夫 婦 と未婚 の子 供 で あ る。娘 は,結 婚 後, 一般 的 に は夫 方V'居 住 し,夫 の ポ リバ ー ル の成 員 とな る。 息 子 は 結婚 した順 に い ずれ 親 の ポ リバ ール か ら分 か れ,同 じ屋敷 地 内に 新 しい竈 を作 り独 立 した ポ リバ ール を築 く。 末 の息 子 は,結 婚 後 も親 の ポ リバ ール に と ど まる ケ ー スが 多 い が,常 に そ うで あ るわ け では な い 。親 子,兄 弟 な どの複 数 の ポ リバ ー ルが 同 じ小 屋 に居 住 して い る場 合 は,そ れ ぞ れ の ポ リバ ール は 別 の竈 を使 用 し,家 計 を ともに しな い。 また,複 数 の ポ
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西川バングラデシュ 農村における一方的贈与と社会関係
リパ ール が,何 らか の 事情 で ひ とつ の ポ リバ ー ル とな る よ うな場 合 は,竈 を共 有 す る こ とに な る。
誰 が 同 じ竈 か ら食 事 を と るか は,一 つ の ポ リバ ー ルの 成 員 を他 の ポ リバ ール の成 員 か ら区 別 す る指標 とは な るが,そ う した 者 がす べ て一 つ の ポ リバ ール の 成 員 で あ る と は限 らない 。 年 契約 の住 込 み の労 働 者 や,通 学 の た め に一 時 的 に親 戚 や 知 人 宅 に下 宿 して い る者 た ち は,他 村 に 自分 の所 属 す るポ リバ ー ルを もつ。
M村 の場 合 ほ とん どの住 民 は,そ れ ぞ れ が 特 定 の一 つ の ポ リバ ール に 属 して い る と 自他 ともに 認識 され てい るが,例 外 もあ る。寡 婦 とな った母 親 が,複 数 の 息 子 た ち の竈 か ら食 事 を と り,経 済 的 に は息 子 た ちの ポ リバ ー ル に依 存 して生 活 して い る場 合 で あ る。 そ の 母 親 は,ど の息 子 の ポ リパ ール に属 す る のか 特 定 され て い ない し,ま た そ の母 親 だ け が,独 立 した ポ リバ ー ル を形 成 して い る ともみ な され て い ない 。
カナ(世 帯)は,同 じ竈 か ら食 事 を と り生 計 を と もにす る人 々か らな る。 筆 者 の調 査地 では,ポ リバ ール が そ の 成員 の社 会 関 係 を表 わ す 意 味 合 い が含 まれ るの にた い し, カナ とい う用 語 は,経 済 的 単 位 を あ らわ す 文 脈 の な か で使 わ れ る こ とが 多 い 。 本 稿 で は,同 じ竈 か ら食 事 を と り,生 計 を と もにす る経 済 的単 位 を世 帯 と よぶ。 また,同 じ ポ リバ ー ル に属 す る と認 識 され て い る者 を,こ こで は そ の世 帯 の成 員 とみ なす 。 住 込 み の 労働 者,下 宿 人 は,あ る ポ リパ ール と共 住 して い て も,世 帯 員 と して扱 って い な い。上 述 した 寡 婦 の場 合 は,複 数 の世 帯 に属 す る者 と して扱 い,そ の寡 婦 のみ を 独 立
した世 帯 とは数 えて い な い。
1.2.M村
a.立 地,人 口
M村 は,バングラデシュ の 首 都 ダ ッ カか ら北 西 に 約180km,バ ス で4時 間,小 さ な 常 設 のNバ ザ ー ル で 下 車 し,そ こ か ら 徒 歩15分 ほ ど の 距 離 に あ る。 モ ウ ザ と グ ラ ム の 範 囲 が 一 致 し,モ ウ ザ 名,グ ラ ム 名 と も 「M」 と い う名 称 が 使 用 さ れ て い る 。 し か し,M村 は,こ こ の 住 民 も 含 め て,地 域 の 人 々 か ら は,rX」 と い う俗 称 で よ ぼ れ る こ と が 多 い 。 現 在 のM村 は,ム ス リ ム 集 落 と ヒ ソ ド ゥ ー 集 落 か ら な り,こ れ
ら は 北 と 南 に100メ ー トル ほ ど離 れ て い る 。 村 の 周 囲 に は,田 畑 を 隔 てA村,B村, C村,D村 がM村 の 北,東,南,西 の 方 向 に そ れ ぞ れ 位 置 して い る 。
M村 の 世 帯 数,人 口 は,1990年6月 現 在,62世 帯,318人 。 こ の うち ム ス リ ムは, 38世 帯202人,ヒ ソ ド ゥー は,24世 帯116人 で あ る 。 ム ス リ ム の うち1世 帯 は,1970年 代 な か ば に,D村 か らM村 の ヒ ソ ド ゥ ー集 落 の 南 端 に 移 り,現 在 も ヒ ソ ド ゥ ー集 落
国立民族学博物館研究報告18巻4号
に 住 ん で い る 。 他 の ム ス リム の 世 帯 は す べ て 北 の ム ス リ ム集 落 に,ヒ ン ド ゥ ー 世 帯 は 南 の ヒ ソ ド ゥ ー 集 落 に 居 住 し て い る 。 これ ら62世 帯 は,ム ス リム はlI,ヒ ン ド ゥ ー は 10の バ リ(屋 敷 地)に 分 か れ て い る 。 村 人 た ち の あ い だ で,バ リを ひ と つ ひ とつ 区 別 す る名 称 は と くに 用 い られ て い な い 。
本 文 で は,記 述 の 便 宜 上,パ リ,世 帯,そ の 世 帯 員 を 次 の よ うに 表 記 し て い る 。21 の ・ミリは,M村 の ヒ ン ド ゥ ー 集 落 の 南 端 か ら 順 に ム ス リ ム 集 落 の 北 端 ま で(西 を 上 に 左 か ら右 へ),A,B,C… …Uと,大 文 字 の ア ル フ ァベ ッ トで 表 記 す る。 こ の うち, Aバ リ,Lパ リ〜Uバ リの11が ム ス リム の バ リaBバ リ〜Kバ リの10が ヒ ソ ド ゥ ー の
パ リで あ る 。 世 帯 に つ い て は,バ リ記 号 の 横 に 同 じバ リ内 の 世 帯 を 区 別 し て ,a,b, c… と い っ た 小 文 字 の ア ル フ ァベ ッ トを つ け る 。 た と え ぽ,Qバ リは,6つ の 世 帯 か ら構 成 さ れ て い る が,こ れ ら の 世 帯 は そ れ ぞ れ,Qa,Qb,Qc,Qd,Qe,Qfと い う記 号 で 表 わ さ れ る 。 パ リの な か に 一 つ の 世 帯 しか な い 場 合 は,バ リ記 号=世 帯 記 号 と な っ て い る 。 た と え ぽ,Pバ リの 世 帯 は,世 帯Pの み で あ る 。
世 帯 員 は,ポ リパ ー ル ポ リ ダ ン(ポ リダ ン:長,こ こ で は 世 帯 主 と訳 す)を エ ゴ と し,世 帯 主 と の 関 係 に よ っ て 表 わ す 。 そ の 場 合,F:父,M:母,W:妻,H:夫,S:
息 子,D:娘,B:兄 弟,Z:姉 妹,と い う記 号 を 組 合 わ せ て い る 。 ま た,世 帯 主 は, 世 帯 記 号 と一 致 す る 。 た とえ ぽ,世 帯Qbの 世 帯 員 は6人,そ の 構 成 は 世 帯 主Qb,
そ の 妻Qb・w,息 子 が3人Qb・Sl,Qb・S2,Qb・S3,娘1人Qb・D1で あ る 。
b.シ ョ マ ー ジ,村,集 落
M村,A村,B村 の3つ の 村 は,1970年 代 ま で は 一 つ の シ ョマ ー ジ で あ っ た と い う。3村 が 一 つ の シ ョ マ ー ジ で あ っ た と き に は,そ の 内 部 の も め ご とを 調 停 す る ビ チ ャ ー ル(あ る い は シ ャ リ ー シs)と よぼ れ る寄 合 い が 共 同 で 開 か れ て い た 。 シ ョマ ー ジ 内 の 世 帯 は 相 互 に 宗 教 儀 礼 や 通 過 儀 礼 な ど で 食 事 に 招 き,ム ス リム で あ れ ば 犠 牲 祭 の イ ー ドで 供 犠 獣 の 肉 を 分 配 し て い た 。現 在 で は こ の シ ョ マ ー ジ は,M村,A村 と, B村 内 の2つ の 集 落 と の4つ に 分 裂 し て い る 。
調 査 時 点 で のM村 は,A村,B村 内 の2つ の シ ョマ ー ジ とは 区 別 さ れ て い る が, M村 内 の2つ の 集 落 が 常 に 一 つ の シ ョマ ー ジ で あ る と考 え られ て い る わ け で は な い 。 A村,B村 の 住 民 は す べ て ム ス リ ム で あ る が,M村 の 場 合 は,宗 教 が 異 な る2つ の 集 落 か ら な る 。M村 の 村 の 名 称Mと は,村 人 の 説 明 に よ る と,M村 に 土 地 を も っ て い た ヒ ソ ド ゥ ー の 地 主 の 名 前 に 由 来 し て い る ら し い 。M村 の ヒ ン ド ゥ ー た ち は, 自 分 た ち の 集 落 をMと よ び,そ れ と は 区 別 し て ム ス リ ム集 落 をXと よぶ 場 合 が あ る。
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西 川 バ ン グ ラデ シ ュ農 村 に お け る一 方 的 贈 与 と社 会 関 係
ま た,M村 の ム ス リ ム た ち は,ヒ ン ド ゥ ー 集 落 の こ とを ム ス リ ム の 村 人 ど う し で 話 し て い る と き に は マ ジ バ リ と よ ぶ 。M村 の ヒ ソ ド ゥ ー た ち が,魚 と りを 伝 統 的 職 業 と す る低 い カ ー ス トに 属 し,マ ジ と よ ば れ て い た た め で あ る 。 現 在 は,ヒ ン ド ゥ ー の な か で は 魚 と りを 生 業 と す る 者 は い な い 。 こ の マ ジ バ リ と い う呼 び 方 に は 蔑 み の ニ ュ ア ソ ス が 含 まれ て い る た め,ム ス リム た ち は ヒ ン ド ゥ ー の 前 で は マ ジ バ リ と い う呼 び 方 を し な い 。 な お,本 稿 で は,rM村 の ム ス リ ム 集 落 」 を,「 ム ス リ ム 集 落 」 な い し はrX集 落 」 と記 す 。
宗 教 行 事 や 儀 礼 に お い て は,M村 の ム ス リム 集 落,ヒ ソ ド ゥ ー 集 落 は そ れ ぞ れ 別 個 の 社 会 集 団 と な る 。 た だ し ヒ ソ ドゥ ー 集 落 に 居 住 す る 世 帯Aは,M村 の 他 の ム ス リ ム と 同 様 に ム ス リム 集 落 の 宗 教 行 事 に 参 加 す る。 こ の 論 文 で ム ス リ ム 集 落 を ひ とつ の 社 会 集 団 と して と ら え る と き,世 帯Aも ム ス リ ム 集 落 と い う社 会 単 位 に 含 ま れ る も の とみ な し て い る 。 ム ス リ ム の な か に はM村 の ヒ ソ ド ゥ ー の 宗 教 儀 礼 を 見 物 に ゆ く者 も い る が,そ の 逆 は み ら れ な い 。
一 方,村 の 寄 合 い は,2つ の 集 落 を 合 わ せ たM村 と い う単 位 で 行 な わ れ る 。 しか し,村 の 寄 合 い の 現 場 で は ヒ ソ ド ゥ ー の 発 言 力 は 弱 い 。 ヒ ソ ド ゥ ー 集 落 で 起 こ った 事 件 や そ の 調 停 に ム ス リ ム は 積 極 的 に 介 入 す る が,ム ス リム 集 落 で の 事 件 や 寄 合 い に は, ヒ ン ド ゥ ー た ち は む し ろ で き る だ け か か わ りを も た な い よ う に して い る 。 も め ご とや 寄 合 い を 中 心 と な っ て ま とめ る 村 や 集 落 の 調 停 役,指 導 者 は マ ト ッ ボ ル と よぽ れ る が, 現 在 のM村 で は2つ の 集 落 全 体 を 統 率 し て ゆ く こ と が で き る よ う な 強 力 な マ ト ッ ボ
ル が 欠 け て い る 。 経 済 活 動 に つ い て は,ヒ ソ ド ゥ ー,ム ス リ ム の 各 集 落 を 個 別 に み て ゆ く よ りも,M村 と い う単 位 で と ら え た ほ う が 把 握 しや す い 。
c.生 業
M村 の世 帯 は,そ の ほ とん どが 賃 金 労 働 を 含 め て農 業 に だ ず さわ っ て収 入 を え て い る。村 の政 治,経 済 に絶 対 的 な影 響 力 を もつ よ うな大 土 地所 有 者 は い な い。 最 も広 い 土 地 を所 有 して い る世 帯 で あ って も,そ の 面 積 は9.8エ ー カ ー ほ どで あ る。筆 者 が 滞 在 して い た時 点 で,土 地 の所 有 面 積 と農 業 外 の定 収 入,そ して世 帯 員 の数 を 考 慮 し て,村 で も比較 的 安 定 した生 計 を維 持 で き る世 帯 は13,こ れ らの世 帯 の平 均 土 地 所 有 は 約4.7エ ー カ ー であ る。 残 り49世 帯 の平 均 土 地 所 有 は,約0.7エ ー カ ーで あ る。 この うち の半 数 ち か くは耕 作 権 を もつ土 地 を ほ とん ど所 有 して お らず,自 作 に よる農 業 収 入 は の ぞ め な い。 土 地 は,ヒ ソ ド ゥー で は息 子 た ちへ,ム ス リムで は娘 へ も息子 の2 分 の1の 割 合 で,分 割 相 続 され る こ とに な って い る。 今後 さ ら に土 地 が細 分 化 してゆ
国立民族学博物館研究報告 18巻4号
く可 能 性 が 強 い 。
M村 で は,い く つ か の 種 類 の 土 地 貸 借 方 法 は あ る が,世 帯 員 を 養 うだ け の 充 分 な 土 地 を も た な い 世 帯 で も,生 計 に お い て 他 人 か ら 借 りた 土 地 に 依 存 す る 度 合 い は 小 さ い 。 こ う し た 世 帯 の 収 入 は,主 に 賃 金 労 働 に よ る15)。賃 金 労 働 に は,年 契 約,日 雇 い, チ ュ ク テ ィ と よ ば れ る 特 定 の 仕 事 の 請 負,と い う3種 類 が あ る16)。1989年 に は,M 村 の11世 帯 が1〜3名 の 労 働 者 と,最 低500タ カ(1992年 現 在/1ド ル=39.5タ カ) か ら 最 高6700タ カ の 年 給 で 契 約 を 結 ん で い る。
バ ン グ ラ デ シzの 季 節 は,乾 季(10月 か ら3月)と 雨 期(4月 か ら9月)に 大 き く 分 か れ る。 日雇 い 労 働,チsク テ ィ の 需 要 は,乾 季 に 作 付 け さ れ る ポ ロ稲 と雨 期 に 作 付 け さ れ る ア ウ ス,ア マ ソ 稲 の 農 作 業 に 大 き く左 右 さ れ る 。 日 雇 い 労 働 は,1日 あ た
し
り3回 の食 事 つ き10〜20タ カ,食 事 な しの 場 合 は10〜30タ カで あ る。 チ ュ クテ ィの労 働 内容 は 主 に 田植 や 土 堀 りで あ るが,何 人 か の 村 人 が集 ま って グル ー プで 引 き受 け る こ とが 多 い。 た とえ ば,乾 季 の ポ ロ稲 の 田 植 の シ ーズ ソに は,M村 で は,住 民 数 名 か ら十 数 名 で 構成 され る大 小 の グル ー プが い くつ か で きる。 グ ル ー プの 主 な構 成 メ ン バ ーは 年 に よ って異 な り,ヒ ソ ドゥー,ム ス リム,あ るい は両 者 の混 合 の メ ンバ ーか
らな る。
M村 では,ム ス リム と ヒ ン ドゥー の あ い だ で も相 互 に 雇 用 しあ う。 また,近 隣 の 村hの 住 民 や,農 繁期 に は他 県 か ら仕事 を も とめ て や って くる労 働 者 も雇 わ れ る。年 契 約,日 雇 い,チZク テ ィの いず れ の賃 金 労 働 につ い て も,特 定 の個 人 の あ い だ で長 期 にわ た る固 定 した 雇用 関係 はみ られ な い。 年 契 約 の場 合 も,長 年 にわ た って 同 じ世 帯 で働 く労 働 者 は 少 な い。
M村 の住 民 は,農 業 労 働 に よる 収 入 の ほ か に も多 種 多 様 な 収 入 の 手 段 を組 合 わ せ て 生 計 を た て て い る。 女 性 が 行 な うヤ ギ,ニ ワ ト リ,ア ヒル の飼 育 は世 帯 に と って も 重 要 な 収 入源 で あ る。 ウ シは,農 作 業 に 利 用 され るほか 搾 乳 され,ミ ル クはバ ザ ール や 定 期市 で売 られ る。 村 の4分 の1の 世 帯 で は,2月 下 旬 か ら4月 に かけ て ジ ュ リと よば れ る米菓 子 を作 り,定 期 市 な どで商 品 と して売 る。この ほ か季 節 や 状 況Y'応 じて, 雑 貨 行 商,魚 と りを した り,資 本 の あ る者 は,ジ ュー トや 米 の 仲 買 を行 な う。
M村 か ら3kmほ ど離 れ たDバ ザ ー ル は 地 域 の行 政 や 商 業 の 中 心 地 で あ る が,こ 15) M村 の女 性 は,屋 敷 地 で行 な う収 穫 物 の 処 理 作業 や,屋 敷 地 に 接 す る畑 の手 入 れ を す る者 は い て も,田 畑 に 出 て 本格 的 な農 作 業 を 行 な う者 は い な い。 他 の世 帯 の 女 性 の 仕 事 を 手 伝 う 場 合 は,報 酬 は現 金 では な く主 に精 米が 渡 され る。
16) この ほ か に 労働 提 供 の謝 礼 に御 馳 走 を ふ る ま うマ グナ カ ム ラや,労 働 力を 提 供 しあ うダ ラ カ ム ラ と よば れ る労 働 交 換 の か た ち が あ るが,近 年 あ ま り行 なわ れ な くな って い る。
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西 川 バ ング ラデ シs農 村 に お け る一 方 的 贈 与 と社 会 関 係
こに はM村 の村 人 が経 営 す る常 設 店(雑 貨 屋 と機 械 部 品屋)が あ る。 この バ ザ ー ル の 映 画 館 に も,村 人 数 名 が働 い て い る。 この ほ か,Dバ ザ ー ル と ダ ッカを 結 ぶ パ ス の 乗 務 員,役 所 や 軍 隊 の 小 間使 い,人 力 車 引 き,Nバ ザ ー ル の 高校 の 教 員 が 数 名 ず つ い る。 遠 方 へ は,ダ ッカへ高 校 教 員 と して1名,タ ンガ イ ルや チ ッタ ゴ ンの工 場 に も1名 ず つ 働 きに 出 て い る。
2.ム ス リ ム 集 落 に お け る 一 方 的 贈 与 一 一 食 事 の ふ る ま い,供 犠,施 し,援 助
こ の 章 で は,M村 の ム ス リ ム 集 落 に お け る 一 方 的 贈 与 に つ い て,具 体 的 な 諸 事 例 を 記 述 し て ゆ く。2.1.で は ま ず,M村 の ム ス リ ム集 落 を 概 観 す る 。2.2.a.で は,主 に ヒ ジ ュ ラ 暦 に そ っ て 行 な わ れ るM村 の ム ス リ ム の 年 間 の 宗 教 行 事 を 紹 介 し,2.2.b.
で 宗 教 的 食 事 の ふ る ま い の 一 方 的 贈 与 と し て の 特 徴 を ま と め る 。2.2.c.で は,年 中 行 事 の な か で 唯 一M村 の ム ス リム の 全 世 帯 が 関 与 す る,犠 牲 祭 の 動 物 供 犠 を と り あ げ
る。
2.3.で は,葬 送 儀 礼 を 扱 う。 死 者 や 喪 家 の,経 済 状 況 や 社 会 的 位 置 づ け が 異 な る3 つ の 事 例 を と りあ げ る。 死 者 や 儀 礼 の 主 催 者 の 個 人 的 背 景 に 焦 点 を あ て な が ら,埋 葬 や 死 後 の 食 事 の ふ る ま い の プ ロセ ス を 記 述 して ゆ く。
な お,調 査 地 に お い て は,ム ス リ ム の 食 事 の 招 待,あ る い は 招 待 一 般 を 意 味 す る の に ダ ワ ッ ト と い う言 葉 が 用 い られ る 。 ダ ワ ッ トの う ち 儀 礼 な ど で 複 数 の 者 が 招 待 さ れ
る 場 合,そ の 食 事 の ふ る ま い は メ ジ ュバ ソ と よ ば れ る 。
2.1.M村 の ム ス リ ム 集 落
a.集 落,屋 敷 地 の 空 間 的構 造
M村 の ム ス リム集 落 は,南 北 に 貫 く小 道 に 沿 って,そ れ ぞ れ のバ リの住 居 が 並 ん で い る。 図1は,ム ス リム集 落 を構 成 す るバ リの 配置 を示 して い る。道 の東 側 には, Mバ リ,Qバ リか ら分 か れ て新 し く作 られ たNバ リ, Pバ リが あ る。 先 に 述 べ た よ
うに,ヒ ン ドゥー集 落 の 南端 に は ムス リム世 帯Aが 住 ん で い る。 これ らの バ リを 構 成す る世 帯 間 の 親族 関 係 を,図2の 系 譜 に示 した 。 現在 生 き て い る人 か ら4世 代 以上 さか のぼ って 親 族 関 係 を た どる こ とは難 しい。 血 縁,姻 戚 関係 は,個 人 を 中心 と した 親 族 関係 の ネ ッ トワー ク と して重 要 で あ る。バングラデシュ で は父 系 親 族 集 団 を グス テ ィと よぶ が,M村 で は,ム ス リムや ヒ ソ ドゥーの あ い だ で,あ る グス テ ィが 他 の
図1 M村 の ムス リム集 落
西 川 バ ン グ ラデ シ ュ農 村 にお け る一 方 的贈 与 と社 会 関 係
グ ス テ ィ と区別 され る固 有 名 称 を もっ てい た り,祖 先 崇 拝 の 儀 礼 が行 なわ れ た りす る こ とは ない 。 各 バ リの屋 敷 地 の規 模 は 一 様 で な い が,空 間 的構 造 は 共 通 して い る。 ど のバ リに も必ず 中庭 の空 間 が あ る。 そ れ ぞ れ の世 帯 の住 居 と台 所 小屋 が そ の 中庭 を 囲 む。X集 落 で は住 居 は道 に面 し,台 所 小 屋 は, 中庭 をは さん で そ れ ぞれ の住 居 と向 か い あ うか た ち で建 て られ て い る もの が 多 い。 竈 は,台 所 小屋 と, 屋 外 には 中庭 内 の 各住 居 の前 に作 られ て い る。 雨 季 に は 台所 小 屋 の,乾 季 あ る い は雨 が あ が って い る と
きに は中 庭 の竈 が 利 用 され る。 台所 小 屋 の裏 に は木 々が茂 っ てお り,そ の 向 うに 田畑 が 広 が る。
住居 の前 の空 間(中 庭 と反 対 側)は,バ イ レル バ リ(バ イ レル:外 の)と よば れ る。 こ こで は,収 穫 後 の農作 物 の処 理,た とえ ば,稲 の脱 穀,籾,藁 の 乾 燥 な どの作 業 を行 な う。 牛 小屋 は,バ イ レル バ リ や 中庭 に あ る。
中庭 とそ れ を 囲む 小 屋 は,バ リの ウチ の空 間 で あ り,と くに女 性 に とっ ては ソ トと区別 され た 生 活 の 場 で あ る。住 居 に さえ ぎ られ て 外 か らは ウチ の空 間 が見 えに く くな って い る。 各 世 帯 の住 居 の あ いだ の 間 隔 が広 い 場 合 は,外 か ら中庭 が 見 え な い よ うにす る た め,竹 や ジs一 トの芯 を組 ん だ塀 が た て られ, ウチ と ソ トを 区 切 って い る。 村 人 や親 しい親 戚 を除 い て,成 人 男 性 が この 中庭Y'自 由に 出 入 りす る こ と は な い。 長 年 の な じみ の 行 商 人 で あ っ て も,M村 の 村 人か あ る いは 少 年 で な けれ ば,男 性 が 中庭 に 入 って くる こ とは な い。 女 性 で あれ ば 他 村 の 者 で あ っ て も,と くに 住 民 に 断 る こ とな く中庭 に 入 って くる。
これ に た い してバ イ レル バ リは,文 字 どお りソ ト の空 間 で あ り,ま た 外 部 に 開 か れ た公 の場 所 で もあ る。 他地 方 か らや っ て きた 日雇 い労 働 者 は,こ の パ
国立民族学博物館研究報告 18巻4号 イ レルバ リで食 事 を とる。 カ チ ャ リゴ ール あ る いは ゲス トハ ウス とよば れ る簡 易 な応 接 小 屋 は,バ イ レル バ リに建 て られ て い る。X集 落 で は2世 帯 が ゲ ス トハ ウス を も つ。結 婚 式 や 宗教 儀 礼 の食 事 の ふ る まい,埋 葬 の際 の 村 人 に よる共 同礼 拝 も,た いてい はバ イ レル バ リで行 なわ れ る。こ う した バ イ レルパ リでの 行 事 に は女 性 は 参 加 しな い。
外 部 の 存在 が 強 く意 識 され る こ とが な い限 り,バ リの女 性 た ちは 日常 生活 に お いて 中庭 とバ イ レルバ リとのあ い だ を 自由 に 出入 りす る。バ イ レル バ リで収 穫 物 を 処理 し, 顔 見 知 りの雑 貨 行 商 人,あ るい は サ リーや 食 器 の 行商 人 が 来 れ ば,バ イ レル バ リに 出 て き た り,ソ トに 面 した 住 居 の戸 口の と ころ で 交 渉 す る。 他 村 か らX集 落 に婚 入 し て間 もな い娘 や 裕 福 な 世 帯 の 女性 は,貧 しい 世 帯 の女 性 に 比 べ て 行動 範 囲は 狭 くは な るが,集 落 の なか で あ れ ば,女 性 た ちは 一 人 で も他 のバ リを 気 楽 に訪 問す る。 実 家 を 訪 ね るな ど,何 か 特 別 な 事 情 や 目的が ない 限 り,一 般 には 成 人 女 性 が集 落 の 外 へ 出 か け る こ とは少 な い。 また,M村 の ムス リム集 落 の女 性 は,グ ラ ミ ソ銀 行 の 集 会17)が 開 か れ る な どの 理 由 が な い 限 り,ヒ ソ ドゥー集 落 を訪 れ る こ とは珍 しい。一 部 の ヒ ン
ド ゥー女 性 は,ム ス リムに 比べ る と しば しぼ ムス リム集 落 を 訪 問す る。
b.モ ス ク と 宗 教 的 役 割
X集 落 に モ ス ク が で き た の は,1970年 代 の な か ば で あ る 。 そ れ ま で は,M村 の マ ト ッ ボ ル で あ るMN・F(故 人, Mc, Md, Me, Nの 父r Ma, Mbの 祖 父)の 家 の ゲ ス ト ハ ウ ス を 利 用 し て,村 人 た ち が 礼 拝 を 行 な っ て い た。集 落 内 に モ ス ク が で き る ま で は, 熱 心 に 礼 拝 を す る 者 は 少 な か っ た ら し い 。 金 曜 日 も,一 部 の 者 だ け がD・ ミザ ー ル や, 隣 のB村 の モ ス ク へ 出 か け て 礼 拝 を し て い た 。MN・Fは,自 分 の 屋 敷 地 内 の 木 を 売 っ た 収 益300タ カ を 費 用 に して,自 宅 の ぞ ぽ に ジi一 トの 芯 や 竹 や 藁 で 小 屋 を 作 り, これ をX集 落 の モ ス ク と し た 。MN・Fが2度 目の メ ッ カ の 巡 礼 か ら 戻 っ て 数 年 後 の こ と で あ る 。 現 在 の モ ス ク は 同 位 置 に あ る が,竹 を 編 ん だ 壁 に トタ ソ の 屋 根 で で き て い る 。 な お,モ ス クで 礼 拝 を す る こ とが で き る の は 男 性 だ け で あ る。 女 性 が モ ス クに 入 る こ と は 許 可 さ れ な い 。
M村 の ム ス リ ム の あ い だ で は,選 定 方 法,在 職 期 間,報 酬 が 規 定 さ れ た 宗 教 的 役 職 は な い 。 村 の 宗 教 的 な 役 割 と し て は,モ ウ ロ ビ(イ ス ラ ム 教 の 導 師)と 礼 拝 の 呼 び か け を 行 な う ム ヤ ジ ェ ム と の2つ が あ る 。M村 の モ ウ ロ ビ と み な され て い るMc(60 才 前)18)は,マ ド ラ サ(イ ス ラ ム の 宗 教 学 校)に12年 生 ま で 通 っ た 。M村 の ム ス リ 17) グ ラ ミソ銀 行 に よ る村 の 貧 困世 帯 の主 に女 性 を対 象 と した 組 合 。 会 員 に資 本 を貸 し,彼 ら の生 活 改 善 を 図 る。 村 内 で毎 週 集 会 が 開 かれ る。
18)年 齢 は 調 査 時 点 で の筆 者 の おお まか な推 定 に よる。
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西 川 バ ング ラ デ シ ュ農 村 に おけ る一 方 的 贈 与 と社会 関 係
写 真1 X集 落 の モ ス ク(ム ヤ ジ ェム が ア ザ ンを 唱 え て い る)
ムに は,Mc以 上 に 高 い 宗教 教 育 を 受 け た者 は い な い。 X集 落 での ウ シ,ス イ ギ ュ ウ, ヤギ な どの 供犠 は,Mcが 行 な う。Mcは,村 の祭 儀 の際 に共 同礼 拝 の 中 心 人 物 とな るが,他 村 の モ ウ ロ ビが依 頼 され る こ と もあ る。Mcが 日常 的 に村 人 に宗 教 教 育 を 行 な うな ど とい った,特 別 な 活動 は行 な って い な い。また モ ウ ロ ビで あ るか ら とい って, 強 い発 言 力 が あ った り,村 人 がMcに 対 して 特別 な敬 意 を抱 い て い る とい うわ け で は な い。Mcの 活動 に謝 礼 は支 払 わ れ れ て い な い。
ム ヤ ジ ェ ム役 につ い ては,0(75才)とRb(30才 前)の2人 が交 替 で,1日5回, X集 落 の モ ス クの前 で ア ザ ンを 唱 え る(写 真1)。 彼 らは,広 い 宗 教 的 知 識 を そ な え てい るわ け で も,他 の村 人 と比 べ て と くに熱 心 な イ ス ラ ム教 徒 であ る とい うわ け で も ない 。 アザ ンを 唱 え る ことが で き る声 を も って い る こ と と,彼 ら の世 帯 が 自給 自足 す るだ け の土 地 を もた ない とい う二 つ の理 由か ら,ム ヤ ジ ェム とな った よ うで あ る。 ア ザ ンを 唱 え る行 為 に た い して,村 人 か ら定 期 的 に 報 酬 が 支払 わ れ るわ け で は な い が, イ ー ドの 礼 拝 の と きに村 人 が 持 ち寄 った 米が 与 え られ た り,村 の食 事 のふ る まい に 多 少 とも招 か れ や す い。
2.2.M村 の ム ス リ ム の 宗 教 行 事,食 事 の ふ る ま い,動 物 供 犠 a.ム ス リムの年 中行 事
M村 の ム ス リムの 宗 教 行 事,儀 礼,あ るい は 毎 日の 礼拝 や 個 人 の 祈 りを ふ くむ 宗
国立民族学博物館研究報告 18巻4号 教 的 行 為 は,村 人 に 義 務 づ け ら れ た も の で は な く,基 本 的 に は 個 人 の 主 体 性 に も と つ い て 行 な わ れ る 。 ヒ ジ ュ ラ暦 に も と つ く行 事 は,年 に2回 の イ ー ドの 祭 を の ぞ き, X集 落 で 毎 年 必 ず 行 な わ れ る と は 限 ら な い 。 こ こ で は ま ず,筆 者 の 滞 在 期 間 に 行 な わ れ た ム ス リ ム の 宗 教 行 事 を 暦 の 順 に 説 明 し て ゆ く。
ヒ ジ ュ ラ暦 は,ム ス リム が 宗 教 上 の 必 要 に 応 じて 使 用 し て い る も の で あ り,日 常 生 活 で は 村 の ヒ ン ド ゥ ー と 同 様 ベ ンガ ル 暦 を 用 い て い る。 高 校 以 上 の 学 校 教 育 を 受 け た 若 者 の な か に は 西 暦 を 用 い る 者 も い る が,一 般 の 村 人 は 使 用 し な い 。 太 陰 暦 で あ る ヒ ジ ュ ラ暦 の1年 は,太 陽 暦 の べン ガ ル 暦 や 西 暦 よ り も11日 ほ ど短 く,ヒ ジ3ラ 暦 に も と つ く年 中 行 事 の 季 節 は 毎 年 少 しず つ ず れ て ゆ く。 主 な も の は 次 の と お りで あ る 。 第 1月 ム ハ ラ ッ ム1日 か ら11日 の ア シ ュ ラ バ ロ ン,第3.目 ラ ビ ー ・ア リ ア ッ ワ ル1日 か ら12日 の ミ ラ ッ ト,第8月 シ ャ バ ーン1日 か ら15日 の ル テ ィ タ ワ,第9月 ラ マ ダ ー ン の 断 食 と 第10月 シ ャ ッ ワ ー ル1日 か ら3日 の 断 食 明 け の イ ー ド,そ して 第12月 ズ ー ・ ア ル ヒ ッ ジ ャ10日 か ら12日 の 犠 牲 祭 の イ ー ドで あ る 。
ヒ ジ ュ ラ 暦 の 第1月 の1日 か ら11日 の い ず れ か の 日に 食 事 を ふ る ま う こ と を,M 村 で は ア シ ュ ラ バ ロン とい う。 ム ハ ラ ッ ム 月 の10日(ア シ ュ ラ)は 預 言 者 の 娘 婿 で あ る ア リ ー の 子 フ サ イン が,カ ル バ ラ ー の 地 で 戦 死 し た 殉 教 の 日で あ る 。 ア リー を 預 言 者 の 跡 継 と し て 支 持 す る シ ー ア 派 の ム ス リム は,フ サ イ ソ の 死 を 悼 む 行 事 を 行 な う。
M村 を は じめ 調 査 地 域 の ム ス リ ム は ス ン ニ 派 に 属 す る が,ム ハ ラ ッ ム 月10日 の 行 事 は,バングラデシュ の 他 の 地 域 で も み ら れ る19)0ア シ ュ ラ バ ロ ン で は,比 較 的 裕 福 な 世 帯 が,村 の ム ス リ ム男 性 や 子 供 た ち,フ ォキ ー ル(ム ス リム 男 性 の 物 乞)20)を 食 事 に 招 く。 主 催 者 は,事 前 に フ ォキ ー ル に 招 き た い 日時 を 伝 え て あ る の だ が,こ の 期 間 は 調 査 地 域 の フ ォ キ ー ル た ち は,ア シ ュ ラ バ ロ ン の 招 待 が い くつ も 重 な っ て 忙 し い 。 そ の 日 に 予 定 し て い た 数 の フ ォ キ ー ル が そ ろ わ な い こ と も あ る 。
第3月 の12日 は 預 言 者 ム ハ ン マ ドの 生 誕 の 日 で あ り死 亡 した 日 と さ れ て い る 。 村 人 は,1日 か ら12日 ま で,X集 落 の モ ス ク や 村 人 の 家 に 集 ま っ て ミ ラ ッ ト(複 数 の 者 が と も に コ ー ラ ソを 読 唱 す る)を 行 な う。 ま た,M村 の ム ス リ ム の い ず れ か の 世 帯 が 自 分 の 家 に 他 村 の モ ウ ロ ビ を 招 く 日 も あ る。 モ ウ ロ ビは,そ の 家 に 集 ま っ て き た ム ス リ ム に,何 日か に わ た っ て ム ハ ン マ ドの ラ イ フ ヒ ス ト リ ー を 聞 か せ た り,ハ デ ィ ー ス を 説 く。 第3月 の ミ ラッ トへ の 参 加 は 村 人 の 自 由 で あ り,数 十 名 が 集 ま る 日 も あ れ 19)バングラデシュ の ム ス リムの 多 くは ス ン ニ派 で あ るが,筆 者 の調 査 地 域 以 外 に も ムハ ラ ッ ム月 の行 事 が 行 な わ れ て い る[EELLICKSON 1972:82,84]。
20) フ ォキ ール,フ ォキ ル ニ と よば れ る ムス リム の物 乞 に つ い て の 詳 細 は,西 川 【1992a, b, c1 で論 じて い る。