奈良教育大学学術リポジトリNEAR
「教員研修留学生制度」充実のための提言 −留学 生の受入れと大学の 国際化 をめぐって−
著者 田渕 五十生
雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学
巻 38
号 1
ページ 51‑61
発行年 1989‑11‑25
その他のタイトル A Proposal to Improve "In‑Service Foreign Teacher Training Student System"
URL http://hdl.handle.net/10105/1977
「教員研修留学生制度」充実のための提言
‑留学生の受入れと大学の=国際化"をめぐって‑
田 測 五十生
(奈良教育大学社会科教育教室) (平成元年4月26日受理)
1.はじめに
本学が、 1983年に文部省教員研修留学生の受け入れを開始して、約6年間が経過した。その間、
受入れ総数は29名に達したが、まさにトラブルの連続であって、カルチャーショックや孤独感か ら情緒不安定に陥った留学生も少なくなかった。
周知のように、留学生に対する完壁な「手引書」やノウ・ハウは存在しない。もしあるとすれ ば、それは、試行錯誤の実践を通して体験的に獲得される性質のもので、一つ一つの失敗を克服 した経験がマニュアルとして蓄積されるものであろう。したがって、わずか6年間の実績でもっ て、この制度に対する性急な評価は慎むべきであろう。
教員研修留学生制度の問題については、既に多くのことが指摘されている。例えば、 1年半と いう中途半端な期間では研修成果が期待できないとか、せっかく留学しても学位(修士号)が得 られず、それが研修意欲の低下をきたしているとか、派遣国の選考基準があいまいであるとか等々
‑。けれども本稿は教員研修留学生制度そのものの矛盾や問題点について論じようとするもので はない。むしろ、現行制度の下で、どのような改善・工夫を加えれば、この制度がより充実した プログラムになり得るかについて、次の四点から論究しようとするものである。
まず第一に、教員研修留学生のバックグラウンドの多様性を指摘し、彼らの研修ニーズがいか に異なっているかを確認する。次に、彼らとの交流を通して明確になってきた、教員研修留学生 に共通する研修ニーズや要求を抽出し、本学の受入れ体制の問題点について言及する。そして、
過去筆者が試みた実践を紹介し、その意図や成果について報告する。最後に、本学においてどの ようなプログラムが実現可能であるかを提言し、その具体的方途についても触れてみたい。以上 の考察を通して、本学における教員研修留学生制度の充実に、少しでも貢献できれば幸いである。
また、本制度の充実は、本学だけの問題ではない。彼らの受入れを委託された全国4教育系大 学および11教員養成学部に共通した焦眉の問題である1)したがって本学の取組みは、一つのケー
ス・スタディとして、他大学・学部に示唆を与えるものと確信している。
2.教員研修留学生の多様性と多面性
文部省の教員研修留学生制度は開発途上国から現職教員を招聴して、大学院レベルの研修を与 えようとするもので、わが国の国費留学制度の重要な柱の一つである1988年度その実数は140 名に達している。彼らは日本語予備教育機関(大阪外大、名古屋大等)で6ケ月の研修後、受入 れ大学・学部に派遣されることになっている2)けれども、その後の研修プログラムは受入れ大
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田 淵 五十生学の指導教官の自由裁量にゆだねられており、大学や指導教官により、大きく異なっているのが 実情である。
次表(亘X勤は、過去6年間本学に派遣された教員研修留学生の年度別留学生名簿と派遣国別統計 である。
まず、現職教員というものの、彼らの所属する教育機関は多種・多様であって、派遣国により、
傾向性が見受けられる。例えば、韓国の場合、初等・中等教員が中心である。また、中国の場合、
ほとんど大学教員である。東南アジア諸国の場合、教員養成大学の付属学校教員か、エリート中 等教育機関の教員が中心である。また高等教育に属する専門学校教員や教育監督機関の行政官の 派遣も見受けられる。
第二に指摘できるのは、彼らの留学目的・動機が非常に異なり、研修ニーズや要求が多岐に亘っ ていることである。高等教育機関の教員は、自己の学問分野での専門的学術研究を希望している
し、初等・中等教育機関の教員は、視聴覚メディアの操作技術、カリキュラム開発や授業方法の 表(丑 年度別留学生名簿
氏 名 国 籍 性 別 年 齢 所 属 校 種 ( 地 位 )
5 8 H AJI SU LA IM A N A H M A D SA LL E H BIN マ レー シア 男 3 3 校長兼州教育観学官
午 L O H S O O K C H U N シンガポール 女 2 7 中 等 学 校 教 員
痩 L IT O N JU A M A N IM F A M E N D 10 L A フ ィ リピ ン 女 L'S 専 門 学 校 教 員 ( 4 年)
Y O O K IL D O N G 韓 国 男 3 3 国民 (小 )学 校 教 員
5 9 午
C H O I, K U I S U N 韓 国 女 ‑9 女 子 高等 学 校 教 員
R A T A N A M A N I▼A O Y T H IP タ イ 女 30 大学 附属 学 校 教 員 痩 S A N G P U N Y A S U P A C H A I タ イ 男 3 1 大学 (教育学部 )講師 ( 4 年)
B O O N S O T O N S A T ID ーS IR IN タ イ 女 3 1 大 学 教 員 6 0
>'r
K H IN S A W W IN ビ ル マ 女 2 5 中 等 学 校 教 員
D O R IA , A R N E L IO D E O G R A C IA S フ ィ リピ ン 男 2 8 女 子 大 学 助 教 授
度 L E E , S U N G S O O K 韓 国 女 2 4 国民 (小 )学 校 教 員
( 4 年)
C H O A . Y O N G T A E K 韓 国 男 2 8 国 民 (小 )学 校 教 員
6 1
O N G S A N G K O O N ▼T IP P A D E E * ]蝣 k 3 0 大学附属小学校教員 IG N A T IU S , B U D IK IN G G O N O インドネシア 男 3 4 音 楽 専 門 学 校 教 員 午度 CA LA TA .M A RIA TERESA A RT URIA S フ ィ リピン 女 3 0 大 学 助 手 ( 5 年) M Y IN T , M Y IN T T H A W ビ ル マ 女 3 1 高 等 学 校 教 員
C H U N ーH O Y O U N 韓 国 男 2 7 国民 (小 )学 校 教 員
6 2
S W A N G A R O M , N O P P A D O L タ イ 男 2 9 職 業 専 門 学 校 教 員 S A R A P A K D I. N IT IP H A N タ イ 男 3 2 体 育 大 学 助 手 午
痩 L O K U , H O O I C H O O マ レー シア k 2 9 高 等 学 校 教 員
( 5 年 ) W A N G , JIA N X IN 中 国 男 3 3 大 学 講 師
L I, H O N G 中 国 男 3 3 師 範 大 学 教 員
6 3
R U G K A R A T W IN A I タ イ 男 3 1 視 学 官 (指 導 主事 ) T W E E S A K S A K C H A I タ イ 男 3 4 教 育 行 政 ( 企画 )官
P H O O N A H L E Y マ レーシ ア 男 3 4 高 等 学 校 教 員
午
痩 N Y U N T Y IN W IN ビ ル マ * c 3 4 高 等 学 校 教 員
( 7 年 ) L O P E Z E N R IQ U E A L B E R T O アルゼンチン 男 3 4 小 学 校 教 員
K IM K W A N G B O K 韓 国 男 3 3 国 民 (小 )学 校 教 員
E L L O R E N D E L IT A A C E N A S フ ィ リピン 女 3 4 大学附属小学校教員
〔本学の留学生調書より筆者作成〕
表(参 派遣国別統計
国 名 年 度
5 8 59 6 0 6 1 6 2 6 3 計
韓 国 1 1 2 1 1 6
フ ィ リ ピ ン 1 1 1 1 4
マ レ ー シ ア 1 1 1 3
シ ン ガ ポ ー ル 1 1
タ イ 3 1 2 2 8
L: >l ‑;' 1 1 1 3
イ ン ド ネ シ ア 1 1
中 国 蝣) 2
ア ル ゼ ン チ ン 1 1
合 計 4 4 4 5 5 7 2 9
〔本学の留学生調書より筆者作成〕
改善等、教育実践力の向上を強く望んでいる。
第三に、E]本譜能力の差が大きく、補助的言 語となる英語力の差がそれ以上に異なっている ことである(3)
。韓国や中国の留学生の場合、漢
字文化圏に属するからであろうが、彼らの日本 語能力は非常に高い。また両国の留学生は、来 日以前の日本語学習期間も長く、実力による厳 正な選考がなされているようで、大学での研修 活動も比較的スムーズに行われているO
一方、東南アジア諸国からの留学生は、来日 以前の日本語予備学習は僅少もしくは皆無で、
E]常生活にしばしば不便をきたしている。来E]
後、大阪外大での集中豪雨的な日本語研修に自
信を喪失し、そのまま本学に送り込まれたケースも少なくない。特に年輩の留学生にその傾向が 強く見受けられる。僅か6ケ月間の語学研修で、その国の大学・大学院レベルに在籍することが、
いかに困難であるかは既に多くの留学生により指摘されているとおりである4)
また、英語力は派遣国の英語普及率と密接に関連している。フィリピンやマレーシアの留学生 の英語力は非常に高い。研修分野により、たとえ日本語が不十分であっても、英語文献や英会話 で、研修遂行も可能であろう。けれども問題は、日本語、英語共に不十分な留学生である。不適 応症状に陥るのはこのケースである。東南アジア諸国では、留学申請時に、この教員研修留学生 制度の主旨が十分に徹底されておらず、選考においても、実力以外の要素が左右しているようで ある。
最後に指摘したいのは、研究推進能力の違いである。そして、その格差に影響を与えていやの は、日本語能力よりは過去の研究キャリアである。一定の方法論をマスターし、大学院や研究機 関で研究実績を持つ留学生は、資料収集や論文作成を自主的に行っている。けれども、そのよう な研究経験を持たない留学生の場合、研修テーマ設定段階でつまずくケースも少なくない。むし ろ彼らは、指導教官の積極的な指導や具体的助言を待ち望んでいる。
以上、教員研修留学生がいかに多様な背景を持っているか、また彼らの研修要求がいかに多岐 に亘っているか確認できた。したがって、それらの要求を全て充たした研修プログラムを立案す ることは非常に困難である。特に、本学のように施設・スタッフともに限定された小さな単科大 学においては‑0
3.共通した研修ニーズ・要求の確認
本節では発想を転換して、彼らに共通する研修ニーズ・要求を抽出してみたい。というのは、
全ての研修ニーズ・要求に応えるのではなく、彼らの共通した要求・希望を碓認しそのいくつか に応える研修プログラムを立案したいと思うからである。
では、彼らの共通した要求・希望とは、いったい何であろうか。本学教官と教員研修留学生の
懇談会(5)や筆者が彼らとの個人的交流を通して確認できたのは、次のような希望であった。そ
の重要度の順に紹介してみたい。
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田 測 五十生まず、彼らは日本語能力のより一層の向上を望み、継続的な日本語研修を求めている。読み・
書きに習熟した中国・韓国留学生は、日本文化とそれに対応する言語の理解や、口語表現の完壁 性を求めているし、東南アジア諸国の留学生は、たとえ漢字学習は諦めても、日常会話の修得は 強く望んでいる。
短期集中研修の挫折から、日本語学習を断念したという留学生が毎年存在している。けれども、
それは本音ではなく、超過密な語学研修に対する拒否反応で、来日後向上しなかった日本語能力 に対する反対表現と理解すべきであろう。
彼らは、日常生活に機能する会話中心の基礎日本語講座を必要としている.特に一定年齢以上 の留学生は、時間をかけ、反復学習できる小人数の日本語クラスを求めている。彼らの要求に応 える本学独自の日本語研修プログラムが期待されている。
第二に、彼らは、衣・食・住を含む日本人の生活様式、習慣・伝統や考え方などを理解したい と願っている。換言すれば、生活の背後にある文化(価値観や生活充実感)を知りたいというこ とである。
けれども、彼らの生活は、学内と下宿に限定され、そのような異文化と接する機会は非常に少 ない。一昨年の教員研修留学生歓迎の=スキヤキパーティ"を自宅で開いた時のことである。一 人の留学生が突然メモをはじめたのである.スキヤキの作り方を‑。彼は来日以来8ケ月、日本 人の家庭に一度も招かれたことがなかったのである。けれどもこれは決して例外的なケースでは ない。それがアジアの留学生の実情である6)したがって年中行事から冠婚葬祭にいたる広義の 日本文化に直接触れるような研修プログラムが必要とされている。
第三に、彼らは日本の教育現場の実情を知りたいと願っている。それも、教育制度やカリキュ ラムなどの文献的知識にとどまらず、児童・生徒の学校生活の実態を詳細に観察したり、日本の 教師たちと、待遇、勤務時間、教師観等について意見交換をしたいと希望している。その国を代 表して派遣されたエリート教員として、当然の要求であろう。
けれども、そのような情報収集や意見交換は、短時間の学校訪問では不可能である。しかも留 学生に学校参観の機会を与えてくれる学校は少なく、たとえ許可されても、表面的な学校訪問に 終始している。
第四に、彼らは自国の言語や文化を日本人に伝えたいという希望を持っている。ある意味で、
活躍の場を求めているのである。本国で教師であっただけに、彼らは何らかの形で受入れ大学や 日本社会に貢献したいと思っている。
事実、中国語講座のボランティア教師の申し出をする中国人留学生は少なくない。また、教員 研修留学生と本学の学部に在籍する一般留学生との違いは、彼らが周到に民族衣装や母国の玩具 などを持参していることである。ただ残念なのは、それを紹介する場所や機会が保障されていな いことである。
最後に、彼らが最も望んでいるのは、地域社会のより広範な人々との交流で、この要求は、全 ての留学生に共通する希望である7)例えば、総務庁が1987年全国の留学生、1,119人を対象に行っ たアンケート調査では、地域住民との交流を「望んでいる」と答えた者は81.2%、 「望んでいない」
と答えた者は2.4%であった。しかも、実際に「交流機会がある」と回答した者は30.9%tこ過ぎ
なかった。このように、留学生の交際範囲は大学に限定され、非常に狭い。特に教員研修留学生
の場合、年齢差や日本人学生の社交性の欠如から、一般学生との交際チャンスさえ少なく、交友
範囲も受け入れ教室の学生に限定される傾向が強い。また彼らの住居である「国際交流会館」は、
その名称とは全く逆で、日本人との交流がほとんどなされていない。このような留学生専用宿舎 のあり方は全国に共通した傾向であって、その閉鎖的現状を打破する具体的施策が考えられるべ
きである(8)
以上、彼らに共通するニーズ・要求を確認してきたが、その上に、彼ら一人ひとりに固有な留 学動機や研修目的が存在している。何はともあれ、彼らの日本留学への期待が大きのは事実であ る。
4.二つの実践事例を通して
本節では、 1987年度の本学の教員研修留学生の活躍を報じた二つの新聞記事を紹介し、プログ ラムを立案した筆者の意図とその成果について報告してみたい。まず59頁の記事に目を通してい ただきたい(9)筆者が引率して、田原本町平野小学校を訪問した時の記事である。
この日、一日体験入学を許された留学生たちは、朝礼後各クラスに配属されたo午前中授業を 受け、給食を児童と共に食べ、午後から全校児童との交歓会を持った。そして、彼らは、国際理 解教育の生きた教材として活躍し、まさに…GiveandTake"の学校訪問を実現したのである。
また放課後、同校の先生方と食卓を囲み、教育論議は深夜まで続いたという。更に、この訪問 が契機となって、正月元旦、二日と平野小学校の先生方の家庭にホームステイをし、日本の伝統 的正月を経験することができたのである。同校との交流は熱心な中核的教師が推進役を果たし、
その後も継続している。
また1988年度は、堺市立登美丘小学校(大阪府教委:国際理解教育推進指定校)に招かれ、そ こで母国の遊びや歌などの児童文化を紹介する機会が与えられた。次の文章は、当日の印象を綴っ た児童の感想文である。
「アジアの人々との交流会」
6‑1 河原 史武
この前、 5 ・ 6時間目にアジアの人たちと交流会をして、ぼくは、アジアの人たちとははじめ てだったのできんちょうした。でもあとから気楽になってきて楽しくなった。王先生や金先生、
ス‑先生、ロク先生、ニティパン先生と、ノッパドル先生、みんな日本語がうまくて、びっくり した。ぼくも、英語やほかの国の言葉をうまくなりたいなあ、と思った。いろいろな国の遊びや あいさつとかも教えてもらってむずかしかった。アジアの人々もぼくたちの日本語をおぼえるの
に、苦労したと思う。ぼくだって自分の国の言葉は、かんたんだけどほかの国の言葉は、かんた んには、おぼえられないからくろうしたと思う。いろんな思い出になって楽しかった。中学でも
こういう行事があるといいなあと思う。
「アジアの人と交流して」
6‑1 小山 妙子
私は、一番最初に入場してこられた時に日本人に似ているなあと思ったことと、ス‑先生やキ
ム先生の服がすごくきれいだなあということを2つ思いました。あの服は多分、日本の着物の様
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田 測 五十生な服だろうと思って見ていました。それと、文字の書き方にもびっくりしました。マレーシアで はローマ字を書くことや中国や台湾では、漢字を使うことにも大変おどろいた。タイの字は、まっ たくわからなかったです。二時間以上という長い間だったのにほんの10分位にしか感じられな かった。時間なんか気にしなかった。それも先生方が遊びやおどりを教えてくださるなど楽しこ とを教えてくださったからです。先生方の国のことは数多く知ることができました。この交流会 のことは一生忘れません。ありがとうございました。
筆者の手許にクラス全員の感想文が送られてきたが、そのほとんどが留学生の先生方に対する 感謝と、アジアの国々に対する関心が深化したという報告である。児童のアジア観、アジア人像 をつくるのはほとんどの場合マスコミである。そこでは、貧困と経済援助を求めるアジア観が強 調され、アジア人像についても「ジャバゆきさん」か「不法就労者」という固定観念が定着して いる。けれども登美丘東小学校の児童たちは、 「ニティパン先生」、 「王先生」という固有名詞を 持つアジアの人々と出会い、その国の子どもの遊びやゲーム、文字、民族衣装を通して、アジア
の国々に対する認識を深めたのである。
経済的繁栄を依り頼み、周辺アジア諸国民に対する蔑視と民族的優越感が日本人の間に形成さ れつつあるのは否定できない事実である。だからこそ、このような直接的な人格を通した交流が 教育現場で必要なのである。教員研修留学生の学校訪問は持ち方によって、留学生・教育現場双 方に有益なプログラムになり得るのである。
次に60頁の記事に目を通していただきたい。これは、教育学教室に韓国から派遣された田先生 と本学学生との交流記事である(10) 11名の学生達は、ホームステイを含む韓国研修旅行を行い、
その結果を『アンニョンハセヨ!韓国一大学生の異文化体験‑』という冊子で刊行した(ll) 筆者が、この「韓国の勉強室」と称するハングル講座を開設したのは、教員研修留学生に活躍 の場が与えられ、その関係を互恵的なものにしたいと思ったからである。即ち、留学生が一方的 に学ぶのではなく、日本人学生にも留学生から学ぶ機会が与えられ、その交流を通して、留学生 の交友関係が拡大できればと期待したからである。
このハングル講座は、田先生の帰国まで約10ケ月間継続された。受講生は、多い時で、 10名、
常時5‑6名であったが、田先生の交際範囲は確実に拡大していった。それは、受講生である社 会科教育院生の家庭に招かれ、その家族旅行に沖縄まで同行するほどであった。
また、筆者を含め、予復習を怠る受講生に、田先生は、実に忍耐強くハングルを教えて下さっ た。毎週一回、しかも無報酬で‑。この交流のなによりの成果は、日本人学生が謙虚な田先生の 人格を通して、韓国・朝鮮人像を結んだことである。隣国に対する偏見や蔑視が依然として国民 感情の末端に根強く残っている。それゆえに、教師志望の学生たちが田先生と出会ったことは将 来の教師生活において非常に役立つはずである。なぜなら、彼らを待ち受けている近畿圏の教育 現場には多数の在日韓国・朝鮮人児童生徒が在籍しているからである。
残念なことに、このハングル講座は筆者の多忙さから、その後開かれていない。悉意的な個人
プレイの限界である。やはり組織的位置づけが必要であったと反省している。実は、翌年度の韓
国留学生からも、ハングルのボランティア講師の快諾を得ていたのである。また、中国語講座が
学内に開設されるならば、喜んで奉仕したいと中国人留学生からも申し出を受けている。やはり
彼らは教師であり、自己の活躍の場を求めているのである。
5.本学独自の研修プログラムへの提言
ここでは、本学独自の研修プログラムや受入れ体制の整備について具体的な提案を行ってみた い。
先ず第一に、本学独自の日本語研修プログラムを設けて彼らの日本語能力の向上をはかる。し かも、その内容は、学校見学や授業参観など教育現場に出ていく際に実際に役立つ日本語や「学 習指導要領」等、教育に関する文献が読めるような「特別な目的」に即した日本語クラスが求め られる。その意味で広島大学留学生日本語研修コースの先進的実践が参考になるであろう(12)こ の日本語クラスは、少なくとも週2回以上開講し、休暇中も可能な限り継続する。講義は正式な 日本語専任教官が担当するが、各留学生に国語科または学校教育専攻院生をチューターとして採 用し、彼らに日本語研修の助言者の役割を果たさせる。これは形式的なチューター制度を、実質 的に機能する語学チューターに改善しようという提案でもある。もちろん彼らには妥当な謝金を 支払う。その費用の捻出のため、非常勤講師の特別ケースとして規程運用を柔軟に行うなど、大 胆な施策が求められる。なお、漢字文化圏からの留学生や上級者は、このクラス以外に一般留学 生用に開講されている日本語講座を受講すれば、彼らの日本語はさらに向上するであろう。
第二に、日本の伝統文化や社会の実態に触れる体験研修プログラムを立案する。年間10回程度 とし、小・中学校への体験入学もその中に含める。その他、文楽・能などの伝統文化鑑賞や、茶 華道・参禅体験等、日本文化の根底に触れるような直接体験のプログラムや研修旅行を組織する。
では、だれがそのような体験研修プログラムを立案して実施するのか‑.そこで提案したいの がボランティアのネットワークづくりである。例えば、ほとんどの教員研修留学生が、本学の‑
事務官の尽力で文楽観賞の機会が与えられている。また、奈良市内のあるロータリアンは、本学 留学生に家庭を開放するだけでなく、茶華道師範である夫人の無料教授で、一般留学生のケース であるが、既に師範免許を獲得している女子留学生もいる。さらに地域のボランティア組織が、
正月、ひな祭り、端午の節句、お月見等、留学生にホームステイの機会を提供している(13)
。この
ような幅広い善意を組織化し、そのネットワークづくりを行いながら、日本文化理解のための年 間プログラムを立案するのである。
大学の力量には限界がある。けれども地域ボランティアのネットワークとと連携できれば、そ のエネルギーは飛躍的に増大するし、地域の活性化にも役立つはずである。既に兵庫県では神戸 大学が窓口になって、その試みが開始されている。また留学生を地域に呼び込んだユニークな交 流が北海道(14)ぉよび鹿児島でなされている(15)
。このような先進的実践を学ぶべきであるO論じ
るまでもなく、留学生の受入れは大学のみが行うのではない。広汎な地域社会の善意やボランティ ァが結集されて、留学生の受入れ体制が整備されるのである(161
第三の提案は、彼らの交友範囲を拡大するために一般学生との人為的な交流機会を学内におい てつくることである。現在留学生との懇話会が年2回、パーティー形式で持たれている。けれど も参加者は教官、担当部局事務官、留学生(一般留学生も含む)、チューターに限定され、一般 学生は予算の都合上排除されている。けれども一般学生の中にも留学生との交流を望む者は存在 している。ただ積極的に話かける勇気がないだけである。残念ながら、これが現代大学生の交友 形成能力の実態である。
筆者は、社会科教育専攻院生と留学生との=フットベースボール&バーベキュー大会"を毎年
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田 測 五十生主催している.最初はソフトボールであったが、翌年から女子留学生も楽しめるフットベースボー ルに切り替えたところ、彼らは小学生のように喜々として走り回ったのである。その後バーベ キューとビールで語り合うのが恒例になっている.実はこの交流が契機となって、必ず院生が留 学生のだれかを、海水浴やスキー等に誘うのである。このようにたとえ人為的な交流であっても、
ひとたび面識ができると彼等はディスコやカラオケ等の彼らの世界で体ごとの交流を深め、交友 関係を発展させていくことができる。
一般学生の未熟な社交性を喋うのは簡単である。けれども、今求められているのは、現状を打 破する具体的方策である。その意味で、一般学生との出会いの場を創出するイベントがより多く 持たれることが必要である。
第四の提案は、留学生の相談相手、世話係となるチューターに対するオリエンテーションの実 施である。先輩チューターの経験を聞いたり、留学生の心理や要求の一般的傾向性を把握したり、
「世話的活動」の内容について研修を深めることがどうしても必要である。チューターを依頼さ れ快諾したものの、実際に何をしていいのか分からなくて困惑しているのが彼らの実情である。
留学生の孤立化を防ぐ方策の一つはチューターをキー.パーソンとして位置づけ、周密なオリエ ンテーションを実施することである。留学生受入れ体制づくりには、前述した地域のボランティ アの組織化だけでなく、学内の一般学生の協力や組織化が不可欠である。
6.おわりに
大学の"国際化"をめぐる論議が最近喧しい。交流を望みながら行動に至らない学生の社交性 の欠如を指摘したが、はたしてその傾向が学生だけの問題であろうか0
「留学生に少しでもいい思い出を持って帰国してもらいたい。特に海山遠く越えてきたアジア の先生方には‑。」これは、本学教職員の共通した願いである。けれども、その願いが、シそテ ムとして反映され、組織や規程が充分に機能しているであろうか‑。実に心もとない限りである。
前節で提案した以外に、一般留学生用の集会室の確保や留学生担当事務官の補充など、本学の留 学生受入れ体制整備には課題が山積している。
大学の"国際化"とは、なにも海外の大学と協定を締結することだけではない。現在、留学生 の受入れに際して、組織や規程運用の柔軟性の欠如が露呈されている。そのような硬直した現状 をどう改め、どう自己変革していくのか‑、そのことの方が、筆者にはより重要だと思えるので ある。異文化を持つ留学生を受入れ、彼らと共存していくためには、大学とその構成員の自己変 革が不可欠である(1㌢なぜなら、 ‑国際化"とは「自分と自分の社会を変えていく過程」であり、
「自己変革を要素としない国際化はあり得ない」からである(18)
注
( 1 )昭和63年度現在、教員研修留学生の受入れ大学は次のとおりである。昭和55年度I期生から、筑波大学、
千葉大学、横浜国立大学、愛知教育大学、広島大学。第Ⅲ期生から、静岡大学、神戸大学、岡山大学。
第Ⅲ期生から、弘前大学、岐阜大学、奈良教育大学、愛媛大学、長崎大学。第Ⅳ期生から、東京学芸大 学、第Ⅴ期生から、福岡教育大学。なお平成元年Ⅸ期生からは、新たに兵庫教育大学、鳴門教育大学、
金沢大学などで受入れが開始される。
( 2 )国費留学生の日本語予備教育は、従来大阪外国語大学留学生別科で行われていたが、留学生数の増加 に対応して、後には名古屋大学総合言語センターでも行われるようになり、昭和60年以後は、北海道大
学、東北大学、筑波大学、東京大学、広島大学、九州大学が各ブロックの拠点大学として、国費留学生 対象の日本語予備教育を担当するようになった。したがって、教員研修留学生も若干分散されるように
msa
( 3 )藤原雅憲、神田紀子「日本語研修コースの現状と課題」 名古屋大学総合言語センター『言語文化論集』
Ⅸ巻 第2号 所収1988年
(4)岩男寿美子、萩原滋著r留学生が見たE]本‑魅力と批判‑』 サイマル出版会1987年 p.117‑120 ( 5 )松村竹子他『教員研修留学生の教育システムの研究』 (奈良教育大学特定研究報告書1989年)に懇談
会の詳細な内容が報告されている。
(6)アジア留学生会(大阪) 『ァジア留学生の現状1988』は、大阪府下の221人の留学生対象のアンケー ト調査報告書の、第Ⅴ章「対人関係・交流」に関する「まとめ」で、次のように記録している。 「欧米 志向の日本人が自分たちに関心をもってくれず、寂しい思いをしている留学生もいる。」 p.22
(7)総務庁行政監察局編『留学生受入対策の現状と問題点』大蔵省印刷局1988年 p.111‑114 (8)荻田セキコ著『文化「鎖国」ニッポンの留学生』 学陽書房1986年 p.119‑123
(9)毎日新聞1987年2月17日付 奈良版 (10)毎日新聞1987年8月14日付 奈良版
(ll)奈良教育大学留学生を囲む会「アンニョンハセヨ!韓匡トー大学生の異文化体験一』奈良教育大学社会 科教育研究室1987年
(12)奥田邦男「留学生指導の現状と課題(4 )一留学生に対する日本語教育‑」 文部省高等教育局学生課 編『大学と学生』 第265号 所収1987年
(13)大阪YWCA留学生里親の会編『留学生と里親‑交流の十年‑』 No.9、 10記念特集号 大阪YWCA 留学生里親委員会1988年 に詳細な交流記録が報告されている。
(14)秋尾晃正「国際交流を通した異文化との触れ合い」 開発教育協議会『開発教育』 No.i 所収 1986年
(15)加藤憲一「国際交流による地域活性化はの試み‑内なる国際化を考える‑」 国際理解教育研究所『国 際理解』 第19号 所収1987年
(16)文部省学術局留学生課「留学生交流の現状と施策」 『大学と学生』 第261号 所収1987年
(17)小林哲也「異文化間教育と国際理解」異文化間教育学会『異文化間教育』 No.2 所収 アカデミア 出版会1988年
(18)杉本良夫著『進化しない日本人‑』 情報センター出版局1988年 p.180
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注10) 1987.8.14 毎日新聞 奈良版
A Proposal to Improve "In‑Service Foreign Teacher Training Student System"
Isoo TABUCHI
(Department of Social Studies Education, Nara University of Education, Nara 630, Japan ) (Received April, 26, 1989)
We have accepted 29 in‑service foreign teacher students during the past six years in Nara University of Education. They are almost all from Asian countries, come from very different back‑
grounds, possess varied ability in Japanese, and have different training goals.
Through six years experience, we can ascertain some of their most common training needs.
The author has made some suggestions to improve the "In‑service foreign teacher training students system as follows.
( 1 ) We should have Japanese classes as part of our training program to improve their Japanese, because the six months'Japanese training period in Osaka tIniversity of Foreign Studies is too short to enable them to communicate effectively in Japanese. In the Japanese classes, the les‑
sons should be focused on the educational terms such as"Course of study".
( 2 ) Field‑work programs should be held to experience Japanese life and culture such as visit‑
ing schools. To make effective programs, its necessary for us to co‑operate with voluntary orga‑
nizations which are active in accepting foreign students.
( 3 ) Some events should be held on campus to give them chances to meet ordinary students who want to asociate with foreign students.
( 4 ) "The tutors" who take care of foreign students should receive a careful orientation of what sort of service would be expected by them.
The author believes that these suggestions should be realized not only in Nara University of Education but also in other universities, where foreign teacher training students are accepted.