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中村嘉男

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Academic year: 2021

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『息子と恋人』または『ポール・モレルの

「母親」と彼の「恋人たち」』 (その1)

中村嘉男

Sons and Lovers or Paul Morel's Mother

and his Sweethearts (Part I)

YOSHIO NAKAMURA

Sons and Loversという小説の題名の意味については,大方の意見は定まっているように思 われる.伊藤整は,モレル夫人にとって息子のウイリアムとポールは「息子たちでありまた愛 人たちであった」(1)というふうに解釈しているし,吉田健一も,この小説が「息子であり,悲 人でもあるという,母と子の・‑関係を扱っている」(z)と述べ,二人とも全く同じ考えを表明

している.このような考えは,たしかに一面では小説の内容を十分に説明しているのである が,しかし, Sons and Loversという題名をただ単に上記のように解釈することしか知らな いとすれば,その小説の意味内容は非常に狭く限定されてしまうことになるだろう.一体,ウ イリアムとポールが,青年期に達しても,恋人のような母親との関係を自分たちの生活の中心 にしているという事実に注目するだけで,どれほど重要な意味がその小説から引き出せるで あろうか.そのような青年の健全な成長に対して否定的な関係は,それ自体では, Sonsand Loversのどとき重要な小説の中心テ‑マたりえないのではあるまいか.

Sons and Loversという題名のもう一つの解釈は,全く平凡なものではあるが,それなくし てはその小説の十分な理解は不可能になる.これはSons and Loversの単数形をA Son and Lover (息子兼愛人)ではなく, A Son anda Loverと考える立場をとるのである.モ

レル夫人ばかりでなくミリアムやクレアラのことも考慮に入れ, 「モレル夫人にとって」とい

う発想に「ミリアムやクレアラにとって」という発想をつけ加えるのだ.すなわち,求‑ル

は,モレル夫人にとって「息子」であり,ミリアムやクレアラにとって「恋人」であったと解

釈するわけである.最初の,伊藤整や吉田健一の解釈は, (ウイリアムや)ポールの人生経験

(2)

がモレル夫人を中心とした円を描いている状況に注目しているのに対して,二番目の極く平凡 な見方は,ポ‑ルの経験が,母親や家族から,あるいはそれらに象徴される緊密ではあるが閉 塞的な人間関係から離れ,その外‑広がってゆこうとする動きに重点を置いている.吉はば, 母親(的なもの)から離れまいとする動きと,それから脱け出ようとする動きの,相反する二 つの力がその小説には見られるのであって,そのどれか一つの力の動きに注目するだけでは, その小説の魅力は十分に捉えられないのである.

この小論では,フロイトのオイデッブス理論をもちだして母と子の関係にばかり目を向け る(3)のでもなく,また,教養小説を読むように主人公の成長発達にのみ注意を払うのでもな く,上に述べた二つの相反する力の動きが措抗している状態に注目しながらSons andLover?

が提示している問題について考えてみたい.

II

Sons andLoversは,主人公ポ‑ルの母親モレル夫人の死によってその結末を迎えるが,そ れが書き始められたのは,ポールのモデルであるロレンスの,気丈な母が不治の病に犯され死 の床にふせっていた頃であった{i).恐らくロレンスは,死につつある母を看病しながら,それ

まで自分の生命を支えてくれていた母の,存在と非存在の意味をはっきり捉えてみたかったの だろう.その書き出しの部分は,よく知られているように,伝統的な小説作法にならって物語 の舞台となる風景描写から始っているが,それからいきなり,地域社会から隔絶しているうえ に父親不在も同然の貧しい家庭における母と子の結びつきが,いかに緊密なものになりうるか

という重要テーマの一つに単刀直入に入りこんでいるのである.

仕事が終れば居酒屋に入り浸りで家庭をかえりみない父親を除いたモレル一家は,物語の最 初あたりでは, 「谷底長屋」という貧民街住宅のようなところに引越してきたばかりで近所に 知人もいないため,地域社会から隔絶しているという感じは一層深まっている.そのように閉 された貧しく陀しい家族のたたずまいにおいて,ただ一つ確かな安心のできるものがあるとす れば,それは母と子の緊密に結ばれた関係である.モレル夫人は中産階級の出であり,ピュ‑

リタン的気質をもったインテリ女性であるため,向上心も責任感もない酒飲みの夫や,夫に代 表される周囲の炭坑社会に生涯どうしてもなじめなかった.何かを求めてやまない気性の彼女 は,そのように閉塞的な生活環境のなかで,勢い,子供たちに,特に二人の息子たちに格別な 愛情を注ぎ,彼らによって自分の生の証をたてようとしたのである.

息子たちも,閉された環境のなかだけによけい激しさを増す母の愛を敏感に感じとって,幼 い頃からそれに報いようと子供らしい努力をする.しかし,ごく幼い頃は家が全世界だった 子倣も,徐々に大きくなるにつれ経験の場は家の「外」へと広がってゆかねばならない.物 語の初めあたりで,ようやく七才になったウィリアムは,遠くから響いてくる祭りの音を聞い

たとたん,食事もそこそこに引越して間もない谷底長屋の家から「外」へ飛び出して行こうと

(3)

F息子と恋人』または『ポール・モレルの「母親」と彼の「恋人たち」 』 111 する.祭りは,吉はば,そこに家の外で体験される魅力的な人生模様の集中している場なので ある.その祭りの場で,少年はさまざまな見世物に夢中になって見入るのであるが,あとから 妹のアニ‑を連れてきた母親の姿を見つけると,大喜びで,今度は母から離れようとはしなく なる.

̀You never said you was coming isn't the'a lot of things? that lion's killed three men I've spent my tuppence an'look here.'

He pulled from his pocket two egg‑cups, with pink moss‑roses on them.

̀I got these from that stall where y'ave ter get them marbles in them holes.

‥ they've got moss‑roses on, look here. I wanted these.'

She knew he wanted them for her.

'H'm!'she said, pleased. 'They are pretty!'

'Shall you carry 'em, 'cause I'm frightened o'breakin''em?'(s>

家を飛び出してきた祭りの場で,ウィリアムが小道にもらった二ペンスをはたいて買ったもの は,なんと母への贈物であった.祭見物に夢中になりながら,少年が一番に考えていたことは 母のことだったのだ.その母と一緒に祭見物ができるということは,少年にとって最高の喜び である. 「彼は母親が来たのに興奮しており,彼女を引っぼって,祭りをあちこち見せて歩い た.そのうちに,のぞきからくり屋のところで,彼女が並んでいる絵を一つの話にして聞かせ ると,彼は魅せられたように聞き入った.彼は母親から離れようとはしなかった.」のだ.こ こでは,家の「内」と「外」という二律背反的な関係は幸福にも消え失せ,子供時代にのみ可 能な理想的な状態が現出している.しかし,それも束の間,母には家の用事もあり,いつまで も子供の相手をしているわけにはゆかない.

When she was tired she said her son:

̀Well, are you coming now, or later?'

̀Are you goin'a'ready?'he cried, his face full of reproach. ̀Already? It is past four, / know.'

̀What are you goin'a'ready for?'he lamented.

̀You needn't come if you don't want,'she said.

And she went slowly away with her little girl, whilst her son stood watching her, cut to the heart to let her go, and yet unable to leave the wakes.(6)

ここで耐えているつらさを,少年はこれから先の人生において何度か味わうことになる.母と

別れることは, 「身を切られるようにつらい」のに,自分は祭りの場にどうしても留まってい

(4)

たい.祭りの場に留まるということ,すなわち家から離れて生きていくということは,なぜこ のように悲痛な代償を要求するのであろうか.外で生きるということは,果してそれほどの苦

しみに価することなのであろうか.

吉はば,真に独立した男として生きていくためには,母に引きつけられる力が大きくなれば なるほど,家の外へ向おうとする力が少なくともそれに桔抗できるだけの強さをもってこなけ ればならないのである.それなら, Sons andLoversにおいて提示されている重要な問題の一 つは,息子たちが大きくなり物心つくようになるにつれますます細やかに緊密なものになって いく母と子の愛情を,ほとんど凌駕せんばかりの魅力的な人生経験が,家の外においていかに して可能であるか,ということになるかもしれない.モレル夫人の愛は,その性質上,息子た ちが成長するにつれ独占的な性格を強めてゆかざるをえず,息子たちが青年期に達すると,家 の「内」か「外」かという対立の激化はその頂点に達し, 「内」を否定しそれを越えようとす る「外」の実質的な意味は,最も鋭く問われてくるようになるのである.

Ill

ウイリアムが祭りの出店で母のために買ったゆで卵入れは,彼が母から小遣としてもらった 二ペンスで手に入れたものであったが,彼が徒競争で一番になったときにもらった鉄床の形を

したインク・スタンドは,彼が最初に独力で勝ちとった母‑の貢物であった.

When he was twelve he won a first prize in a race; an inkstand of glass, shaped like an anvil. It stood proudly on the dresser, and gave Mrs Morel a keen pleasure. The boy only run for her. He flew home with his anvil言breath‑

less, with a 'Look, mother!'That was the first real tribute to herself. She took it like a queen.

'How pretty!'she exclaimed.'7

ウィリアムにとって家の外での活動が,真の意味で家から独立できたことは,彼の短い二十数 年の生涯のうち,ほとんどなかったと言っても過言ではないだろう.徒競争の本当の決勝点 は,運動場のなかではなく家のなかにあったのである.彼は,ほかの誰のためでもない,ただ 母のために走ったのだ.

外に出てもどこかで家につながれている彼は,真に家から離れたことがないので,真に家に

帰ることも最終的には不可能になる.ロンドンの下宿で危篤状態に陥ったとき,彼はすぐに塙区

けつけて来てくれた母を母と認知できないままうわ言を言い続け,その夜のうちに,意識を取

り戻すことなく死んでしまった.そのうわ言も, 「当船の船槍内の浸水により,砂糖は硬化

し, ‥.」といった調子の職務上のものであり,そこには自己を見失ったウィリアムの痛まし

(5)

r息子と恋人』または「ポール・モレルの「母親」と彼の「恋人たち」 』 113 い姿があった.母親が来る前は, 「部屋には火もなく,ミルクが一杯,寝台の傍の小さなテー ブルにあるだけ」の, 「だれも彼についていない」状態で苦しみぬき,結局,みじめな最期を 彼は遂げたのである(8)

青年期に達した彼がとりわけ熱中したものと言えば,出仕のための勉学とダンス・パーティ などに出かけることぐらいであった.勉学は自分のためというより母のためのものであり,翠 なる出世をめざすものだけに,自己実現に資するようなものではなかった.むしろそれは自己 を妓弊させるだけで,そのことはダンス・パ‑ティについても同じことが言えた.彼がそこで 知り合う女性とのつき合いは,底の浅い一時的なものばかりで,ただ一つ長続きのしたりリー 嬢との交際も,彼女が非常に美しい容姿をしていながら浅薄きわまりない女性であったため, 結局は,ウィリアムの生活をますますうわっつらなものにし,彼の生を根底から損うことによ

って,彼の死のほとんど直接的とも言える原因となったのである.

彼がなぜ皮相な勉学,皮相な女性関係といった生活に押し流されていったのか,なぜ彼が母 親との関係に少なくとも匹敵するような魅力的な関係を家の外で開拓できなかったのか,さま

ざまな理由が考えられるが,その一つを,思春期に達したウィリアムと母の,ある若い女性を めぐる対話から探ってみよう.ウィリアムは,ダンス・パーティで知り合った女性が自分の留 守中せっかく訪ねて来てくれたのに,モレル夫人によっていとも突けんどんに追い返されたこ とを知り,腹を立てて家に帰って来る.モレル夫人は内心たじろぐが,彼とダンス・パーティ の是非について議論しているうち,突然,母親としてはどうかと思われるような激しい嫉妬を 爆発させる.

(‥・And tell your girls, my son, that when they're running after you, they're

not to come and ask your mother for you. Tell them that brazen baggages you meet at dancing‑classes.'

I'm sure she was a nice girl.' 'And I'm sure she wasn't.' There ended the altercation.'9'

モレル夫人は,せっかく萌え出た人間関係の芽を,しかもそれが自分のものではなく息子のも のであるのに,断固つみとってしまおうとする.これはしかし,厳格な母親なら犯しやすい過 ちであると言えば言えるかもしれない.彼女の態度よりさらに解し難いのは息子ウィリアムの 反応である.それは,思春期の若者の反応にしては,信じられないぐらいおとなしい.これ が,第二反抗期に入っているはずの若者の,理不尽なまでに激した母親に対する態度であろう か.

要するにウイリアムは, 「精神的自立に伴う自己主張のあらわれ」(1鴫である反抗期を,全く経

験したことのないお母さんっ子なのである.会社からせっかく地中海旅行に行かせてもらえる

(6)

機会を与えられても,それをあきらめて母のもと‑帰ることを選ぶような子なのだ.

But William came home for his fortnight's holiday. Not even the Mediterra‑

nean, which pulled at all his young man's desire to travel, and at his poor man's wonder at the glamorous south, could take him away when he might come home. That compensated his mother for much.w

あまりにも強い「内」の魅力に対し,それに引きつけられないよう「外」で生きていくために は,よほどしっかりした関係をそこにおいて創造しなければならないのである.ウイリアムは そのことに失敗した.そして家に留まることを選んだ.母親はそのような息子に「非常に満 足」するが,それは決して「満足」して良いような事態ではなかったのだ.なぜなら,前にも 述べたように,ウイリアムは本当の意味で家から離れたことがなかったため,そこへ帰るとい う行為も必然的に不可能になり,結局,母は,彼のみじめな最期を目の前で目撃しながら,彼 に自分を認識させることすらできず,そのために一生苦しむことになったからである.

IV

ウイリアムの弟ポ‑ルの場合は,事情はだいぶ異ってくるように思われる.彼にとって母 は,兄の場合と比べて勝るとも劣らない魅力をもった存在であり,彼もさかんに母に貢物をさ さげるのであるが,それは, 「金」をだして買ったものでもなく, 「一番」になることによって 獲得したものでもない,豊かな「自然」との交流において彼が自ら兄いだしたものなのであ る.

求‑ルはアニーやアーサーたちと夏のある朝きのこ狩りに出かける. 「ひばりが飛びたつ濡 れた草を押し分けてさがすと,白い肌をしたすばらしいきのこが,裸でひっそりと草の間にう ずくまって」おり, 「それが半ポンドも採れることがあると彼らはとても幸福」な気持になる.

「その喜びは,何かを見つける喜び,何かを直接自然の手から受け取る喜び,それから家計を 助けることの喜びだった」のだMまた, 「ブラックベリ‑の季節」になると,ポ‑ルとア‑サ Pは遠くの山々までそれをさがLに行き, 「死ぬほど疲れ,腹を空かせて帰って来ると」,得意 気にそれが入っているバスケットを母に見せる.

̀ ‥. And look here, our mother!'

She peeped into the basket.

̀Now, those are fine ones!'she exclaimed.

'And there's over two pounds isn't it over two pounds?'

She tried the basket.

(7)

『息子と恋人』またはFポール・モレルの「母親」と彼の「恋人たち」 』 115

̀Yes,'she answered doubtfully.

Then Paul fished out a little spray. He always brought her one spray, the best he could find.

̀Pretty!'she said, in a curious tone, of a woman accepting a love‑token.

The boy walked all day, went miles and miles, rather than own himself beaten and come home to her empty‑handed.0

ポールの贈物は,ウイリアムのそれに比べ,山々を歩き回って見つけてきたものだけに,より 素朴であるかもしれない.しかし,彼の母に対する愛がそのため小さくなるわけでは決してな い.むしろ,彼が近所ではあまり見かけなくなったブラックベリーを求めて「一日中‥.何マ イルも先まで」歩き回るとき,家から遠く離れれば離れるほどますます彼は,母のふところ深

く入りこんで,その愛を求めようとしているわけなのである.

ポールは,彼の母に言わせれば,いわゆる「深刻型」紬の少年であり,幼い頃から母の気拝 の動きを敏感に感じとって行動していた.恐らくその「深刻」さゆえに,彼は家の「内」のみ ならず「外」でも,いくつか創造的な関係を結ぶことができたのであろう.彼は,前にも少し ふれた美しい自然との交流により,だんだん自分の画才を伸ばしていく.そして二十才になっ たとき, 「ノッチンガム城で開かれた秋の学生展覧会」に出品した二枚の絵が,両方とも「一 等賞」をとったのである(15)それは,運動会で「一番」になったり,徐々に「出世」したりし て母の誇りを満足させたウィリアムの場合と比べて,同じように母を喜ばせたにしても,その 内容において少し異っているように思われる.ポ‑ルは,ウィリアムのように,ダンス・パ‑

ティに出席したあと夜遅くまで出性のための勉強をしたりして,生命を消耗させることによっ て母を喜ばせたのではない.彼は,自然の美を自らの手で再創造し,その価値を万人に認めて もらうことにより,母を喜ばせたのである.

また,ポールにとって深い交流の対象は,何も自然だけに限られているわけではない.自然 とのつき合いを通して,彼は,創造的な人間関係も発展させていった.彼の初恋の人ミリアム は,ウイリアムの恋人だったリリー嬢とはおよそ対照的な性格の持主で,リリ‑嬢が軽薄にし かなれないのに,彼女は深刻にしかなれないのであった.ミリアムは「強烈な宗教心をもち, 世の中を修道院の庭か楽園であるかのように思いこみ,普通の生活から切りはなされて生きて いた」的のである.勢い,求‑ルとのつき合いも,美しい自然との清らかな交流を主体にした 精神主義的なものにならざるをえなかった.

ミリアムによってポールが得たものは決して少なくない.ポールは, 「ミリアムとつき合う ことにより,洞察力を身につけた.彼のものの見方は以前よりも深くなった.彼は母親から生 命のあたたかさを得たが,ミリアムはそのあたたかさを,白熱した光の強さにまで燃えあがら せ」的てくれたのである.ミリアムとつき合い始めた頃は,母の嫉妬もまだ激しくなく,家の

「内」と「外」の調和は見事にとれていた.夜,母が「揺り椅子にすわって」, 「針仕事をし

(8)

たり,本を読んだり」しているとき,その傍で無心に絵をかいていると「いちばんいい仕事が できる」ft8)とポ‑ルは母に向って言う.そして,このようにして「無意識に描きあげた絵を」

ミリアムに批判してもらうと,それを「改めて認識するような刺激を」帥彼は受けたのであっ た.

このようにポールが,自分の生活を家の「内」と「外」に分裂させることなく,むしろそれ らを互いに相補わせる形で創造的な活動に従事できたのは,しかしながら,ほんの短い間のこ とであった.彼はまもなく母の嫉妬に悩まされ始め,ミリアムとの交際にも「息苦しさ」を感 じるようになる.そして,青年期に入り「内」と「外」の対立が激化するにつれだんだん「外」

が強くなってこなければならないのに,ポールの場合はそれが逆になってしまいそうなのであ った.青年が「外」‑積極的に出ていくことができず「内」に引きこもっているとどういうこ とになるか,ウイリアムの例でも見た通りである. 「内」が「外」より強くなった結果,そこ に引きとどめられた者は,徐々に内部崩壊してゆかざるをえなかったのだ.結局,ポールは,

「内」においても「外」においても,人生の危機に直面する羽目に陥りそうなのである.

ミリアムとの交際によりボールは洞察力を深めることができたけれども,注目すべきこと は,その場合,ポ‑ルが「男が何か仕事をするときに使う道具のように」帥ミリアムを使って いた,ということである.つまり,彼は,白熱した創造的な瞬間に,彼女を生身の女性として ではなく,脱性化された,抽象的なものとして捉えていたのだ.生身のミリアムは,ポールに とっては最初から,さまざまな欠点をもった異性の友達として存在していた.それらの欠点の うち,彼女の感情過多の傾向は,それが抽象化されるとき美しく白熱するのに,具体的なもの に向けられるときは,しばしばポールを驚かせたり苛立たせたりするのであった.例えば,五 才になるいちばん下の弟フバートを,ミリアムは傍で見ているものをいらいらさせるようなや り方で溺愛する.

̀Eh, my Hubert!'she sang, in a voice heavy and surcharged with love. ̀Eh, my Hubert!'

And folding him in her arms, she swayed slightly from side to side with love, her face half lifted, her eyes half closed, her voice drenched with love.

̀Don't'said the child, uneasy‑̀don't, Miriam!'

̀Yes; you love me, don't you?'she murmured deep in her throat, almost as if she were in a trance, and swaying also as if she were swooned in an ecstasy of love.

̀Don't'repeated the child, a frown on his clear brow.

(9)

r息子と恋人』またはFポール・モレルの「母親」と彼の「恋人たち」 』 117

̀You love me, don't you?'she murmured.㈲

ミリアムの過剰な感情の流露に,ポールはすっかり苛立って, 「どうして,その子をもつと普 通に扱ってやれないんだ?」と叫ぶ.対他関係において「普通」になれないということ,感情

が激しすぎるため「ノ‑マルな形で感動が味わえない」ということが,ミリアムの長所であ り,また短所でもあった.それは,ポールの洞察力を深めてくれた反面,その対象を包みこん でしまうような閉塞的な性格のため,彼を「捕われた」ような気持にさせたのであった.

感情を抱く対象が「神」とか「自然」なら,感情はいくら過剰になってもかまわないであろ う.ミリアムにとってこの世が「修道院」か「楽園」であったら,彼女はこの上なく自然に生 きることができたにちがいない.現実では,彼女は, 「普通の生活」における普通の人とのつ き合いに,ほとんどいつもぎこちなく調子がはずれている.ポールと野原を駆っているときな ど, 「彼女の目は一種の悦惚状態におちて赤裸々に輝く」ので「彼を驚かせ」的ることがあり, 彼女の感情の激しさは,対人関係において,もうーっしっくり噛み合わないのである.そし て,この過剰な感情のから回りのため,彼女は自分に自信がもてなくなり,自分から積極的に 出ていくことがなかなかできないようになる. 「ミリアムはめったに他の若者に話をしかけな かった.若者たちは,ミリアムと話をすると,すぐに間がわるくなった.そのため,彼女はい つも黙っていた」的のだ.彼女が積極的になれるのは,ポ‑ルを除けば,神とか自然とか子供 たちに対してだけであり,それらとの関係において,彼女は一人で心ゆくまで精神的な陶酔に 浸ることができたのである.この,深くはあるが閉されており,しばしば一人よがりに堕しや すい世界に,ミリアムは,自分を理解してくれるただ一人の異性として,何度かポールを呼び こもうとする.が,果してそれは,彼を母のもとから引き離しておくだけの魅力をもちうるで あろうか.

ミリアムは「夏のある夕方」,図書館からの帰りに「森は今ごろとてもきれいよ」と言って ポールを誘う.ミリアムとの交際をだんだん嫌うようになっていた母の小言を気にしながら も,ポールは彼女について行く. 「ミリアムは,自分が見つけておいた野ばらのやぶを」彼に 見せたがっていたのである. 「彼女は,ポールがその花の前に立ったとき,その場にいっしょ

にいたいと,ほとんど狂おしいばかりの気持になっていた.ふたりはいま,一つの内的経験を わかちあおうとしていた‑彼女を感動させるものを,何か神聖なものを,ふたりでわかちあ おうとしていた」のだ.そして,目的地に着いたふたりは, 「身を寄せあって,無言で」, 「大 きな星をちりばめたようにほの白く光って」いる「純白の花」に見入る.

Point after point the steady roses shone out of them, seeming to kindle something in their souls. The dusk came like smoke around, and still did not put out the roses.

Paul looked into Miriam's eyes. She was pale and expectant with wonder, her

(10)

lips were parted, and her dark eyes lay open to him. His look seemed to travel down into her. Her soul quivered. It was the communion she wanted. He turned aside, as if pained.軸

ここでも,めったにないミリアムの積極性は,少しから回りしているように思われる. 「被女 が望んでいた魂のふれ合い」は,このあとで,彼女が「この夜の神聖さに心がみたされたこと を感じながら」家‑帰って行ったので,彼女の方では達成されたと思いこんでいるようにみえ る.しかし,何年かのちになってポ‑ルが別れ話をもち出したとき,ミリアムは, 「いつも‑

いつも...あなたはわたしからのがれようとしていた」幽と言って激しく彼を非難する.彼女は 心のどこかで,この白いばらの花による「魂のふれ合い」すら,もう一つうまくゆかなかった ことを敏感に感じとっていたのかもしれない.

ポールは,たしかに,ミI)アムとの「魂のふれ合い」にある程度まで入っていきながら,良 終的にはそこから「のがれ」た.彼はそのなかに自分を埋没させて陶酔することができなかっ たのである.なぜできなかったのか.彼は,そのあと, 「まっ自なばらのひえびえとしたにお・

い」, 「白い,処女のような香り」に「なんとなく不安な,捕われたような気持」になり,も う帰ろうとミリアムを促す.結局,ミリアムの黒いひとみが彼をそのなかに引きこもうとした 世界に,ポールは閉じこめられるような不安を抱いたのかもしれない.その世界は「白いば ら」に象徴される清く神聖なせ界であり,これまでのミリアムとのつき合いから,それが鎖さ れた狭隆な世界だということを,ポ‑ルは感づいていたのだろう.

ミリアムは農場に住んでいながら,あるいはかえってそのためか, 「出産とか種つけ」とい ったことに対して「過度に敏感」で, 「このようなことをほんのわずかほのめかしただけで も, ‑・嫌悪の念にさいなまされてしまう」軸のであった.ポールがそのようなミリアムにすぐ 歩調を合わせるようになったのは,彼がずっと母親の圧倒的な影響のもとに育ったせいである かもしれない.母との関係は肉体的なものの排除のうえに成り立っており,それに深く影響さ れて大きくなった若者にとっては,ほかの女性との関係も,勢い精神的な傾向を強めてゆくの・

ではあるまいか.後年,ミリアムのモデルとなったジェシー・チェインバースや母親とのある 特殊な精神的関係を否定的な媒体にして,肉体を出発点とする思想を展開していったロレンス ではあったが,彼の女性友達は,妻になったフリーダを大きな例外として,意外にミリアム的 な,精神的女性が多かったのである. ‑リ‑.Tォムアはこの事情を説明して, 「フリーダは ロレンスの経験した女性では中心的な存在であったが,彼女とは違ったタイプの,本質的に

『精神的な』女性が, ‥. (ミリアムのモデル)ジェシーを除いて,自分の母の承認をかちえ たであろうということを,ロレンスは無意識のうちにも知っていたので,精神的な女性にまだ 幾分か引かれるものを彼は感じたのかもしれない」的と言っている.

母の影響は,彼女の死後フ1)‑ダと一緒になってからも,依然としてロレンスを支配してい

たということになるかもしれない.そのような影響力をもっていた母のもとへ, 「自いばら」

(11)

F息子と恋人jまたはFポール・モレルの「母親」と彼の「恋人たち」 119 によるミリアムとの精神的な交わりからのがれて帰る途中, 「森のひろびろと開けた野原に出 て,やっと息苦しさから解放され」たとき,ポールはようやく「血管の車に甘美な目まいのよ うなものを感じ」㈱るのである.それは初恋の甘美さなのかもしれない.しかし,この甘美さ 杏,ミリアムと一緒にいるときはついぞ感じることができなかったということが,ポールの恋 の不幸を物語っている.恋の甘さを,恋人からのがれ,嫉妬で「いらいらし腹を立てている」銅 母親のもとへ帰る途中でしか味わえないというのは,たしかに,悲劇的かつ喜劇的な状況であ

るにちがいない.そのときのポールには,甘い恋愛感情の自由な流露を阻んでいた白い世界の 正体は,まだ捉えられうべくもなかったのである.

ミリアムとの自いばらによる「魂のふれ合い」とよく比較されるのは,その少しあとにでて くる「シラの花」による母親との交歓である.ボールは,ミリアムに誘われたときと同じよう に,ただそのときよりはもっと大っぴらな明るい声で, 「ポール,求‑ル.来てどらん」と母 から呼ばれる.庭の隅の,彼女がいままで気づかなかったところに, 「シラの花が三つ咲いて いた」のだ.

̀Now, just see those!'she exclaimed. ̀I was looking at the currant‑bushes, when, thinks I to myself, "There's something very blue; is it a bit of sugar‑

bag?" and there, behold you! Sugar‑bag! Three glories of the snow, and such

beauties.. ‥ '

̀They're a glorious colour!'he said.

̀Aren't they!'she cried. ̀I guess they come from Switzerland, where tey say they have such lovely things. Fancy them against the snow! But where have they come from? They can't have blown here, can they?'㈱

マーク・スピルカは,生気のないミリアムの自然に対する態度に比べて,上に引用した場面に おけるモレル夫人には,あふれる「生命力,命の炎の健康な輝き」が見られると言っている.

たしかに,スピルカの言う通り,彼女がポールと一緒になって花を愛でるとき, 「いつも,そ の場面は陽気で生き生き」糾)してくるのだ.

しかし,ここでさらに注目すべきことは,母親との交歓の方が,ミリアムとの精神的な交わ りより生気にあふれ魅力的であるということから生じてくる結果である.それは,シラという 我の,一風変った名前と青い色によって暗示されているように思われる.シラ(scylla)という 花の創ま,ギリシャ・ロ‑マ神話にでてくるイタリア海岸の岬シラ(Scylla)とつづりが同じ であり,そこの岩場に住んでいた「女の怪物」シリーア(Scyllaea)は,近くを船で通る人を 何人かつかまえては食べていた.帥また,シラの花は,モレル夫人の言葉によれば,スイスの

「雪をついて花を咲かせる」のであり, 「雪から生れたすばらしい花」なのである.雪の白さ,

(12)

冷たさは,ロレンスの他界では不毛を象微するものとしてよく使われているが,シラの花の青 さは,研究社販SonsandLoversの註によれば,白い「雪が積って青く見ゆる」的,その青さ と無関係ではないように思われる.つまり,母親とのシラの花による交歓は,その健全さ,の びのびとした明るさにもかかわらず,あるいはまさにそのような魅力のゆえにこそ,求‑ルに とって危険な内実を, 「白い」不毛よりさらにずっと恐ろしい「青い」不毛を,そのうちに含 んでいるようにみえるのである.それは,魅力的であることによってポ‑ルを「内」に引きつ, け,ただそれだけのことで彼を滅ぼしかねないのだ.

シラの花の「青」と共に, SonsandLoversにおいて重要な「青」は,モレル夫人の目の

「青」である.その「青い目」は,ポールが彼女をリンコーンに連れて行ったとき, 「青く, 気高く空に向ってそびえ立ち,永遠の眠りについているような大寺院」を「静かに見つめてい・

た」のだった.その頃モレル夫人は,体が弱っていて,大寺院の立っている丘を満足に登るこ とすらできなかった.その母の弱った体と澄んだ空にそびえる大寺院の永遠性が,ポールに母 の「宿命」, 「死」を予感させ,彼をたまらない気持にさせる. 「彼の心臓は熱いものに握りつ・

ぶされるように苦しくなってきた.彼は泣きだしたくなった.彼はそこいらにあるものをたた きつぶしたくなった」(34)のだ.また,母の青い目は,彼女が癌にかかって死につつあったとき, ポールの脳裏に焼きついて,彼に一生消えることのない刻印を残したのであった. 「彼女の日 は非常に青かった‑それはわすれな草の青さだった.彼は,もし母の日がそんな色でさえな かったなら,もっとよくこらえることができたかもしれないと感じた」も句のである.

すなわち,母が年とって病弱になっていくにつれ,彼女とポールの精神的なつながりは,だ んだんと深まり極まっていくのだ.吉はば, 「青」はますますその精神性を深めていき,凄絶 な感じさえ漂わすようになってくる.このような状況にあって,ミリアムが「自いばら」に象 徴される清らかで神聖な精神的世界を武器にポールをめぐってモレル夫人と争ってみても,と うてい勝目はないであろう.いくら「自」が清く神聖な魅力を発揮しても, 「青」のはてしな い深さ,その永遠性にはかなわないのだ.

ミリアムがこれほどまで深く母と結ばれているポ‑ルとの関係をそれでも発展させたいと敵 うなら,彼女は精神性とは異った何か別のものに頼らなければならないであろう.なぜなら, 若い男女がをの関係を発展させてゆくためには,普通,プラトニックな関係がごく自然にエロ

スへ転化してゆけばよいのに,ボールのような青年を恋人にもった場合,それは絶対にエロス

に転化してはならないものになるからである.ポールにとってプラトニックな変とは,すでに

母との関係においてその典型的なものを体験しているがゆえに,エロスとは切り離されたまっ

たく別のものであらねばならないのだ.しかし,ミリアムのような少女が,プラトニックな変

を通らないでどうしてポールを彼の母親から奪えるほど魅力的な女性として成長できるであろ

うか.特に彼女には,異性の友と言えば,彼女に負けず劣らず処女性の強いように思われるポ

ールしかいないのである. (続く)

(13)

F息子と恋人』またはFポール・モレルの「母親」と彼の「恋人たち」 』 121

木文中の訳文は,ほとんど,伊藤整訳『息子と恋人』河出書房新社より借用させていただいたもの である。

(1)伊藤整訳, r息子と恋人』,河出書房新社p. 500.

(2)吉田健一訳, F息子と恋人』 (下) ,新潮文庫p. 280.

(3) Daniel A. Weiss, Oedipus in Nottingham, The University of Washington Press.

(4) Harry T. Moore, The Intelligent Heart, Heinemann, pp. 98‑107.

(5) D. H. Lawrence, Sons and Lovers, Penguin Books, pp. 10‑ll.

(6) Ibid., p. ll.

(7) Ibid., p. 69.

Ibid., pp. 168‑9.

(9) Ibid., p. 71.

(10)新村出編,広辞苑(第二版),岩波書店p. 1834.

D. H. Lawrence, op. cit., p. 105.

Ibid.,p.

a胡Ibid., p. 200.

Ibid., p. 226.

Ibid., p. 185.

(17),仕飢Ibid., pp. 195‑6.

Ibid., p. 279.

Ibid., p. 190.

Ibid., p. 191.

Ibid., p. 207.

Ibid., p. 198.

Ibid., p. 362.

Ibid., p. 201.

Harry T. Moore, op. cit., p. 86.

D. H. Lawrence, op. cit., p. 199.

Ibid., p. 203.

Mark Spilka. The Love Ethic of D. H. Lawrence, Indiana University Press, 1966, pp‑

47‑50.

(32)ホメーロス, 『オデュセイア,イリアス』,筑摩書房(世界文学大系1), 1961,p. 87.

(33)土居光知,佐治秀毒編註, Sons and Lovers (I),研究社, 1962, NOTESのp. 56.

D. H. Lawrence, op. cit., pp. 294‑5.

Ibid., p. 455.

(昭和49年9月26日受理)

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