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密教研究 Vol. 1927 No. 25 002森田 龍僊「観賢僧正開廟の真相 P33-82」

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一 わ が 宗 祖 大 師 に つ い て は 、 そ の 奇 蹟 、 そ の 靈 感 、 古 來 相 傳 ふ る 所 眞 に 枚 擧 に 遑 な き 程 で あ る が 、 さ て 御 在 世 時 に お け る 奇 蹟 は 、 各 種 の 大 師 傳 に 之 を 譲 り 、 今 は た ゞ 御 入 定 後 の 靈 感 の 一 般 に ふ れ む と す る が 目 的 で あ り 、 就 中 、 今 は ま づ 種 々 の 方 面 に 大 影 響 を 及 ぼ せ る 般 若 寺 觀 賢 僧 正 の 開 廟 事 蹟 の 眞 相 を 明 ら か に し て み た い と 思 ふ の で あ る 。 之 を 明 ら か に し や う と す る に は 、 ど う し て も 前 以 て 僧 正 の 風 格 を 知 ら な け れ ば な ら す 、 之 を 知 ら む と す る に は 、 ま た 豫 め 僧 正 出 現 當 時 の わ が 宗 状 の 大 體 に 通 じ て お か な け れ ば な ら ぬ 。 故 に ま づ 第 一 に 時 代 相 よ り 述 べ て 見 や う と 思 ふ 。 台 密 の 本 祖 傳 教 大 師 、 わ が 大 師 に つ い て 更 に 深 く 密 教 の 奥 旨 を 究 む べ き 念 願 の た め に 、 弘 仁 三 年 十 一 月 十 五 日 、 洛 西 高 雄 山 に お い て わ が 大 師 よ り 金 剛 界 の 灌 頂 を 受 け 、 同 年 十 二 月 十 四 日 ま た 同 所 に お い て 胎 歳 の 灌 頂 を 受 け ら れ 、 そ の 後 屡 々 使 を 遣 は し て 、 大 師 請 來 の 秘 密 經 軌 を 借 覧 し 、 そ の 本 宗 だ る 天 台 宗 の 法 燈 を か ゝ ぐ る 餘 暇 に は 、 常 に こ の 秘 密 の 法 門 に 潜 心 さ れ て ゐ た 。 傳 教 の 滅 後 十 九 年 た る 天 觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 三 三

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観 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 三 四 長 八 年 九 月 二 十 五 日 、 そ の 門 弟 た る 圓 澄 等 二 十 餘 人 、 先 師 の 遺 旨 に よ り 、 わ が 大 師 に つ い て 眞 言 教 を 學 ぶ べ く 、 連 署 し て 懇 請 状 を 呈 せ ら れ 、 ﹁ 伏 し て 乞 ふ 、 大 阿 闍 梨 慈 悲 の 故 に 印 可 を 埀 れ 玉 へ 。 弟 子 若 し 兩 部 の 大 法 を 受 け し 後 に 、 本 源 と 力 を 爭 ひ 、 非 器 の 爲 め に 法 を 傳 へ ば 、 則 ち 越 法 の 罪 、 如 來 も 拯 ひ 玉 は ず 、 永 く 無 間 の 人 と な り 遂 に 成 覺 の 期 な か ら む ﹂ と ま で 赤 誠 を 披 瀝 し た の で あ る 。 大 師 の 在 世 當 時 に は こ の や う に 、 台 密 は 到 底 東 密 の 比 で は な か つ た の で あ る 。 し か る に 大 師 の 定 後 三 年 を す ぎ 、 仁 明 帝 の 承 和 五 年 よ り 清 和 帝 の 貞 觀 七 年 に 至 る 二 十 餘 年 間 に 亘 り わ が 東 密 よ り は 常 曉 、 圓 行 、 惠 運 、 宗 叡 の 四 家 台 密 よ り は 圓 仁 、 圓 珍 の 兩 家 が 相 つ い で 入 唐 學 法 さ れ た 。 こ れ み な 當 代 に お け る 宗 門 の 龍 象 た る は い ふ ま で も な き が 、 就 中 、 台 密 の 雨 家 即 ち 圓 仁 慈 覺 、 圓 珍 智 證 の 兩 大 師 の 如 き は 特 に 傑 出 し て ゐ る 。 そ し て 慈 覺 は 在 唐 十 年 に 亘 り 、 全 雅 、 元 政 、 法 全 の 三 師 に つ い て 兩 部 大 法 を 學 び 、 義 眞 よ り 蘇 悉 地 法 を 傳 へ 、 又 寳 月 よ り 悉 曇 を 受 け 、 智 證 は 在 唐 七 年 に し て 法 全 よ り 三 部 の 大 法 を 學 び 、 般 若 恒 羅 及 び 智 慧 輪 よ り 悉 曇 を 受 け 、 兩 家 歸 朝 の 後 は 各 々 密 教 に 關 す る 數 十 部 の 著 作 を な し 、 本 宗 の 天 台 は 却 つ て 密 教 に と り 入 れ ら れ た 概 を 呈 し 、 台 密 は こ ゝ に 頓 に 勃 興 す る に 至 つ た 。 兩 家 の 著 作 中 、 慈 覺 の 金 剛 頂 經 疏 七 巻 、 蘇 悉 地 經 疏 七 巻 の 二 部 の 如 き は 、 實 に 台 密 の 源 泉 を な し て ゐ る 。 慈 覺 の 資 に 博 識 の 安 然 和 尚 が あ り 、 兩 大 師 の 築 き し 台 密 は こ の 人 に よ つ て 完 成 さ れ 、 さ ら に 良 源 、

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慈 慧 大 師 に よ つ て 極 盛 を 見 る に 至 つ た 。 要 之 、 わ が 大 師 の 定 後 、 文 徳 、 清 和 、 陽 成 、 光 孝 の 四 帝 四 十 餘 年 間 は 、 末 流 た る 台 密 は 本 源 た る 東 密 を 遙 か に 凌 駕 し 、 か の 圓 澄 等 が 捧 げ だ り し 誓 状 は こ ゝ に 至 つ て 全 く 自 然 消 滅 の 姿 と な つ た わ け で あ る 。 台 密 の 勢 力 が わ が 東 密 を 凌 い だ 有 力 な 證 左 の 一 は 、 三 大 師 に 對 す る 贈 諡 の 年 月 に 徴 す べ き で あ る と 思 ふ 。 即 ち 傳 教 、 慈 覺 に 對 し て は 、 貞 觀 六 年 に 法 印 大 和 尚 位 を 賜 ひ 、 同 八 年 七 月 十 二 日 に 同 時 に 贈 諡 さ れ て ゐ る が 、 こ は 全 く 法 驗 の 名 、 朝 廷 に 高 か つ た 慈 覺 の 資 た る 無 動 寺 相 態 の 表 請 に よ つ て ヾ あ り 、 傳 教 は 滅 後 四 十 五 年 、 慈 覺 は 滅 後 三 年 の こ と で あ る 。 之 に 對 す る わ が 大 師 は ど う か と い ふ に 、 定 後 二 十 三 年 、 文 徳 の 御 宇 天 安 元 年 十 月 十 七 日 に 、 高 弟 眞 濟 が 自 己 の 大 僧 正 の 榮 位 を 辭 し て 之 を 大 師 に 讓 り 奉 ら む こ と を 上 表 さ れ た 。 そ の 表 文 に よ る と 、 凡 そ 臣 子 の 情 と し て 、 一 善 を 得 れ ば 必 ず ま づ 之 を 君 父 に 献 す る 。 吾 師 空 海 は 延 暦 の 末 年 に 入 唐 し て 新 教 を 傳 へ 歸 り 、 種 々 の 天 災 地 變 に は 法 に よ つ て 結 念 す れ ば 感 應 掌 に あ る が 如 く に し て 、 鎭 護 國 家 の 功 績 の 大 な る も の が あ る 。 し か る に 常 に 思 ふ に , 先 師 は 賞 少 く 名 降 つ て ゐ る 。 冀 は く ば わ が 官 職 を 解 い て 先 師 に 賜 は ら む こ と を と の 至 誠 こ も れ る も の で あ る 。 朝 廷 そ の 志 を 賞 し 、 眞 濟 の 官 職 を そ の ま ゝ に な し 同 年 十 二 月 廿 七 日 を 以 て 大 師 に 大 信 正 位 を 賜 ふ た 。 ( ﹁ 高 野 雑 筆 下 、﹂ 全 集 十二二三 )。 そ れ か ら 又 八 年 後 の 清 和 帝 の 貞 觀 六 年 三 月 二 十 七 日 に 至 り 、 眞 雅 の 推 擧 に よ つ て 法 印 大 和 尚 位 を 賜 は つ た 。 ( 全 集 十 五 五 十一 ) し か る に 肝 心 の 諡 號 に 至 つ て は 、 づ つ と お く れ て 定 後 八 十 七 年 に 漸 く 賜 は つ た の で あ る が 、 こ れ 實 に 觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 三 五

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觀 賢 信 正 開 廟 の 眞 相 三 六 傳 教 、 慈 覺 よ り お く る ゝ こ と 五 十 六 年 、 圓 珍 智 證 大 師 に 先 つ こ と 讒 か に 三 年 で あ り 、 功 績 遙 か に 傳 教 、 慈 覺 の 上 に 出 づ る わ が 大 師 と し て は , 洵 に 美 玉 山 巖 の 下 に 潜 み 、 黄 金 沙 石 の 中 を 免 か れ ざ る の 感 を 禁 じ 得 な い も の が あ る 。 こ の 一 事 、 當 時 に お け る 東 密 の 教 風 の 甚 だ 振 は す し て 台 密 の 下 風 に あ り し こ と が 首 肯 し 得 ら れ る 。 光 孝 帝 退 位 の 後 に 宇 多 帝 が 君 臨 し 玉 ふ た 。 宇 多 帝 は 御 幼 年 よ り 佛 教 の 感 化 を 受 く る こ と 深 く 、 そ の 幼 時 叡 山 に 登 り て 僧 儀 を 見 る や 、 終 日 還 る こ と を 忘 れ 、 諸 寺 を 歴 覧 す る を 唯 一 の 樂 み と な し 、 十 七 歳 の 時 頻 り に 出 家 を 求 め ら れ 、 常 に 善 無 畏 三 藏 を 理 想 の 人 と な さ れ て ゐ た 。 寛 平 九 年 に 至 り 遂 に 位 を 皇 太 子 に 譲 り 、 昌 泰 二 年 益 信 僧 正 を 戒 師 と し て 落 飾 し 、 法 號 を 塞 理 と 名 け て 仁 和 寺 に 住 し 、 延 喜 元 年 ま た 益 信 に つ い て 具 支 灌 頂 を 受 け 、 廣 澤 第 二 の 祖 師 と な ら せ 玉 ふ た 。 常 に 寛 平 法 皇 と 稱 し 奉 つ る は 同 帝 の こ と で あ る 。 法 皇 が わ が 東 密 の 門 に 入 ら せ 玉 ふ た と い ふ こ と は 、 こ れ が 何 よ り の 教 勢 挽 回 の 原 因 と な る も の な る が 、 し か る に 法 皇 歸 信 の 的 こ な り し 本 覺 大 師 益 信 の 偉 徳 は 永 久 に 沒 す べ か ら ざ る も の が あ る 。 同 帝 の 皇 太 子 を 敦 仁 親 王 と 稱 し 、 こ れ 即 ち 後 年 の 延 喜 聖 主 醍 醐 帝 の こ と で あ る 。 帝 は ま た わ が 東 密 の 聖 寳 、 觀 賢 の 二 師 に 歸 依 し 玉 ふ こ と 厚 く 、 屡 々 醍 醐 山 に 幸 し 、 そ の 山 上 山 下 に 大 伽 藍 を 建 立 し 玉 ふ た 。 特 に わ が 大 師 を 信 す る と は 歴 代 中 稀 れ に 見 る 所 の も の で あ る 。 そ れ は 延 喜 十 年 三 月 二 十 一 日 勅 使

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少 納 言 某 を し て 永 代 の 恒 式 と な す べ く 、 東 寺 灌 頂 院 に お い て 大 師 御 影 供 の 修 行 を 宣 下 せ ら れ 、 又 同 十 九 年 に は 、 大 師 の 著 作 た る 秘 藏 寳 鑰 、 顯 密 二 教 論 、 即 身 義 、 秘 府 論 、 三 教 指 歸 等 を 大 藏 經 中 に 納 め て 天 下 に 流 布 せ し む べ き 優 勅 を 下 し 玉 ふ て ゐ る 等 の 事 實 に よ る も 明 ら か で あ る 。 東 密 は か ゝ る 機 運 に 逢 ふ て 日 々 に 盛 ん に な り こ ゝ に 再 び 台 密 の 上 に 立 つ て わ が 祖 風 を 發 揮 し 得 る こ と ゝ は な つ た 。 し か る に 又 私 に 思 ふ に 帝 の 御 影 供 恒 式 の 宣 下 と い ひ 、 大 師 の 遺 著 刊 行 の 優 勅 と い ふ が 如 き 、 そ の 背 後 に は 必 ず や 觀 賢 僧 正 の 内 奏 が こ れ あ り し こ と で あ ら う 。 要 之 、 台 密 と 東 密 と の 一 轉 期 を 劃 し だ り し 代 表 的 の 人 と し て は 、 ど う し て も 、 こ の 益 信 、 聖 費 、 觀 賢 の 三 師 を 數 へ な け れ ば な ら の こ と 勿 論 で あ る 。 二 聖 寳 尊 師 ( 理 賢 大 師 ) は 觀 賢 僧 正 の 師 で あ る 。 尊 師 は 天 智 帝 の 苗 裔 、 兵 部 大 亟 葛 聲 王 の 息 と し て の 王 統 め 出 で あ り な が ら 、 そ の 主 義 に お い て は 頗 る 民 衆 的 で あ つ た 。 そ れ は か の 役 の 小 角 以 來 人 跡 う ち 絶 に し 大 峰 の 險 を 踏 破 し て 修 驗 道 の 開 祖 と な う 、 山 岳 佛 教 の 粹 を 發 揮 し て 剛 健 の 精 神 を 鼓 舞 せ し め た り し こ と や 、 又 貞 觀 年 中 、 貞 觀 寺 座 主 と 南 都 七 大 寺 の 檢 校 に 補 せ ら れ し 得 意 の 地 位 に 捉 は れ ず し て 、 京 師 東 南 の 一 角 笠 取 山 を ト し て 密 教 宣 揚 の 一 大 道 場 を 開 創 せ し こ と な ぞ 、 そ の 濶 達 の 襟 度 は 随 所 に 現 は れ て ゐ る 。 資 た る 觀 賢 僧 正 が 深 く そ の 感 化 を 受 け し こ と は も と よ り 當 然 で あ る 。 僧 正 は 第 五 十 五 代 文 徳 帝 の 仁 壽 三 年 癸 酉 の 誕 生 で あ る 。 産 地 は 讃 岐 の 國 で あ り 、 族 籍 は 大 伴 宿 禰 家 觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 三 七

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觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 三 八 で あ る 。 姓 氏 録 に つ い て 考 ふ る に 、 佐 伯 宿 禰 と 大 伴 宿 禰 と は 道 臣 命 七 世 の 孫 、 室 屋 大 連 公 の 後 で あ る か ら 、 大 師 の 佐 伯 家 と は 同 祖 で あ る 。 常 の 傳 説 に よ る と 、 聖 寳 尊 師 、 師 眞 雅 の 室 を 辭 し て 讃 州 行 脚 の 日 、 偶 ま 群 童 中 、 聰 明 の 相 を た ゝ に 犯 し が た き 氣 品 を 備 ふ る 幼 童 を 發 見 し 、 そ れ の 東 道 に よ り て 父 母 に 遇 ひ 、 乞 ふ て 許 し を 得 自 か ら 負 ふ て 歸 洛 さ れ た 、 こ れ が 即 ち 後 年 の 觀 賢 僧 正 で あ る 。 こ は 貞 觀 四 年 の こ と で あ る か ら 、 僧 正 九 歳 の 時 で あ る 。 十 五 歳 に し て 甫 め て 眞 雅 僧 正 に 仕 へ 、 そ の 翌 年 得 度 を 許 さ れ て 十 八 道 、 兩 部 の 大 法 を 受 け 、 又 直 師 聖 寳 よ り 法 相 、 三 論 の 教 義 を 學 ば れ た 。 そ の 後 南 都 に 遊 學 し 貞 觀 十 四 年 十 九 歳 に し て 東 大 寺 の 戒 壇 に 登 つ て 具 足 戒 を 受 け 、 興 福 寺 維 摩 會 の 請 に 應 じ て 竪 義 を 勤 め 名 聲 大 い に あ が る に 至 つ た 。 寛 平 七 年 十 二 月 十 三 日 官 符 を 賜 ひ 、 即 日 東 寺 灌 頂 院 に お い て 尊 師 に つ い て 入 壇 灌 頂 し 、 延 喜 二 年 三 月 二 十 三 日 權 律 師 に 任 ぜ ら れ 、 同 五 年 八 月 八 日 正 律 師 に 轉 じ 、 同 九 年 七 月 東 寺 一 の 長 者 に 任 ぜ ら れ て 同 寺 第 九 代 の 座 主 と な り 、 同 十 年 三 月 二 十 日 權 少 僧 都 に 轉 じ 、 そ の 翌 日 、 醍 醐 帝 の 勅 を 奉 じ て 御 影 供 を 修 せ ら れ た 。 同 年 六 月 二 十 三 日 少 僧 都 に 進 み 、 同 十 二 年 五 月 十 五 日 法 務 に 任 せ ら れ た 。 同 十 四 年 五 月 二 十 四 日 、 勅 を 奉 じ 二 十 口 の 伴 侶 を 率 ひ 神 泉 苑 に お い て 祈 雨 し て 甘 雨 を 滂 沱 た ら し め 、 十 六 年 四 月 六 日 權 大 僧 都 に 轉 じ 、 十 八 年 東 大 寺 檢 校 に 補 せ ら れ 、 十 九 年 九 月 十 七 日 醍 醐 寺 座 主 に 、 又 同 月 十 九 日 金 剛 峯 寺 檢 校 に 任 じ 、 二 十 一 年 十 月 二 十 日 金 剛 峯 寺 座 主 を 兼 任 せ し め ら れ 、 延 長 元 年 五 月 三 十 日 大 僧

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都 に 進 み 、 同 三 年 三 月 二 十 三 日 權 僧 正 に 任 ぜ ら れ 、 こ れ よ り 時 人 常 に 般 若 寺 僧 正 と 稱 す る に 至 つ た 。 般 若 寺 は 去 る 昌 泰 三 年 に 僧 正 が 仁 和 寺 の 附 近 に 建 立 さ れ た も の で あ る 。 同 年 六 月 十 一 日 、 七 十 三 歳 、 藹 五 十 四 を 以 て 奄 然 入 滅 さ れ た 。 以 上 は そ の 略 歴 な る が 、 こ れ に よ つ て 觀 る も 、 朝 廷 の 信 任 が 一 貫 し て か は ら ざ る も の が あ り 、 そ の 生 涯 は 眞 に 坦 た る 王 道 を 行 く の 概 が あ る 。 以 下 そ の 血 脉 と 著 書 と に 就 い て 少 し く 述 べ て 見 る こ と 、 す る 。 抑 、 東 密 一 家 の 血 服 は 、 等 と 次 第 す る は 常 の 如 く で あ る 。 そ う し て 僧 正 受 法 の 弟 子 の 員 數 は と い ふ に 、 小 野 仁 海 の 秘 密 宗 體 要 文 に は 、﹁ 七 十 三 人 在 別 紙 ﹂ と い つ て あ れ ど 、 そ の 別 紙 は 今 は 已 に 尋 ぬ る に 由 が な い 。 し か し 、 永 享 七 年 に 權 大 僧 都 榮 印 の 記 せ る 三 寳 院 血 脉 や 、 そ の 他 小 野 血 脉 鈔 、 瑜 伽 傳 燈 録 略 系 譜 な ど に よ つ て 見 る と 凡 そ 二 十 餘 人 ば か り は わ か る 。 そ し て そ れ 等 は 南 都 、 北 嶺 、 台 密 、 東 密 、 小 野 、 廣 澤 の 各 方 面 に 亘 つ て ゐ て 、 そ の 當 時 僧 正 が 各 方 面 よ り い か に 具 瞻 さ れ て あ つ た か ゞ 想 ひ や ら れ る 。 二 十 餘 人 の 受 法 の 弟 子 と は 、 觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 三 九

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觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 四 〇 こ の 外 、 延 性 、 神 遍 、 安 快 、 仁 祖 、 正 賀 、 遍 眞 、 尊 猷 、 中 圓 、 法 器 、 長 數 、 令房 、 眞 頼 、 寛 忠 等 が あ る 。 以 上 の 中 、 淳 祐 、 一 定 、 遍 基 、 平 遍 の 四 人 は 、 最 も 親 し き 付 弟 で あ り 、 僧 正 の 寂 年 た る 延 長 三 年 二 月 二 十 三 日 般 若 寺 に お い て 、 同 壇 受 法 さ れ て ゐ る 。 そ れ か ら 、 法 皇 と 僧 正 と は 一 面 非 常 に 親 厚 な り し こ と が 種 々 の 事 蹟 に よ つ て 明 ら か で あ る 。 そ れ は 法 皇 か 直 師 益 信 よ り 受 法 の 後 、 さ ら に 醍 醐 の 中 院 に 幸 し て 僧 正 よ り 重 受 し 玉 ひ し が 如 き 、 又 法 皇 が 僧 正 の 墓 を そ の 帝 陵 の 傍 ら に 併 置 す べ く 遺 命 あ ら せ ら れ し が 如 き に 徴 し て も 、 ほ ゞ 想 像 さ れ る 。 そ れ か ら 、 か の 四 人 の 付 弟 中 で も 、 石 山 普 賢 院 の 淳 祐 内 供 は 、 特 に そ の 愛 弟 で 僧 正 の 衣 鉢 を つ ぎ し 唯 一 の 正 嫡 で あ る 。 内 供 は 泊 中 辞 淳 茂 の 息 、 即 ち 菅 原 道 眞 の 孫 で あ り 、 寛 平 二 年 ( 一 、 五 五 〇 ) に 誕 生

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し 、 天 暦 七 年 ( 一 、 六 一 三 ) に 寂 せ ら れ て ゐ る が 、 居 常 世 と 交 り を 絶 ち 、 專 ら 修 法 と 研 究 と に 潜 心 し 、 そ の 幾 多 事 相 上 の 著 作 は 千 歳 不 磨 の 異 彩 を 放 つ て ゐ る 。 叡 山 の 良 源 は 同 師 に つ い て 東 密 を 學 ん だ の で あ る 。 次 に 本 篇 の 必 要 上 、 や は り 僧 正 よ り 重 受 さ れ た 廣 澤 第 三 祖 た る 寛 空 に つ い て そ の 片 鱗 を 語 ら な け れ ば な ら ぬ 。 寛 空 は 元 慶 八 年 ( 一 、 五 四 四 ) に 左 京 文 屋 氏 の 家 に 生 れ 、 神 日 律 師 の 門 に 入 り 、 寛 平 法 皇 の 御 付 法 と な り 、 天 暦 三 年 己 酉 十 二 月 三 日 、 一 の 長 者 に 任 じ 、 同 四 年 庚 戍 三 月 十 一 日 高 野 座 主 に 補 せ ら れ 、 天 徳 四 年 梅 僧 正 に 進 み 、 康 保 元 年 正 に 轉 じ 、 天 緑 三 年 ( 一 、 六 三 二 ) 二 月 六 日 、 八 十 九 歳 に て 入 滅 さ れ た 。 高 野 春 秋 に 、 ﹁ 空 師 平 日 修 行 功 高 く 、 現 身 に 他 方 佛 土 に 往 詣 す ﹂ ( 四 、 五 五 ) と い つ て ゐ る 。 常 に こ れ を 蓮 臺 寺 僧 正 又 は 香 隆 寺 僧 正 と 稱 し て ゐ る 。 以 上 は 觀 賢 僧 正 よ り の 受 法 血 脈 に つ く 大 略 な る が 、 以 下 そ の 著 書 に つ い て 學 殖 の 一 端 を 窺 ふ べ き で あ る 。 僧 正 の 著 書 は 、 も と よ り 多 數 と い ふ ほ ど で も な い が 、 し か し 古 來 東 台 兩 密 を 通 じ て 大 日 經 疏 末 釋 中 の 最 古 の も の と し て 、 特 に 根 嶺 の 碩 學 頼 瑜 法 印 を し て 、 加 持 身 教 主 論 を 胚 胎 せ し め た り し 本 源 資 料 と 見 ら る べ き 、 大 疏 鈔 四 巻 の 如 き は 最 も 有 名 で あ る 。 次 に 五 大 明 王 義 一 卷 の 如 き は 、 性 相 學 の 深 き 造 詣 が よ く 顯 は れ て あ り 、 後 七 日 由 緒 作 法 一 卷 と い ひ 、 三 十 帖 策 子 勘 文 一 卷 と い ひ 、 こ れ 等 は 洵 に 事 理 明 暢 な 行 文 で あ る 。 こ の 外 、 猶 數 種 あ る も そ は 概 し て 斷 片 的 の も の で あ る 。 三 觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 四 一

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觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 四 二 觀 賢 僧 正 の 生 涯 を 通 じ て 、 東 密 發 展 史 上 に 特 記 す べ き 行 蹟 が 三 件 あ る 。 所 謂 そ の 一 は 三 十 帖 策 子 の 件 で あ り 、 そ の 二 は 諡 號 奏 請 の 件 で あ り 、 そ の 三 は 開 廟 感 見 の 件 で あ る 。 こ の 中 、 第 一 は 宗 團 統 一 の 上 に 、 第 二 は 教 勢 振 作 の 上 に 、 第 三 は 祖 師 信 仰 の 上 に 何 れ も み な 重 大 な る 影 響 を 及 ぼ し て ゐ る 。 先 づ 第 一 に 三 十 帖 策 子 の 件 と は 、 元 來 こ の 三 十 帖 の 策 子 と い ふ の は 、 大 師 在 唐 の 砌 、 主 と し て は 惠 果 和 尚 よ り 、 兼 ね て は 般 若 三 藏 及 び そ の 他 よ り 傳 受 し 玉 へ る 眞 言 教 唯 一 の 所 依 た る 法 文 儀 軌 に し て 、 大 師 、 橘 逸 勢 及 び 唐 人 の 筆 寫 に な れ る 經 典 の と で 、 洵 に こ れ 一 宗 の 重 寳 と し て 永 久 に 秘 藏 し 散 佚 を 防 ぐ べ き 性 質 の も の で あ る 。 故 に 大 師 は こ れ を 東 密 の 根 本 道 場 た る 東 寺 大 經 藏 に 納 め て 、 こ れ が 開 閉 に は よ く 情 を 知 れ る 實 慧 、 眞 雅 の 高 弟 以 外 に は 叨 り に せ し む べ か ら ざ る 旨 を 、 御 遺 告 中 に も 特 に 明 示 し 玉 へ る ほ ど で あ る 。 大 師 の 御 舎 弟 た る 眞 雅 ( 法 光 大 師 ) が 長 者 た り し と き 、 甥 に あ た ら せ ら れ る 高 野 の 眞 然 が 之 を 繙 く べ く 、 貞 觀 十 八 年 六 月 六 日 付 の 一 通 の 借 書 を 入 れ て 借 用 さ れ た 。 眞 雅 の 滅 後 、 眞 然 が 禪 林 寺 の 宗 叡 と 共 に 長 者 職 に 任 じ た が 、 眞 然 の 内 意 と し て は 、 蓋 し 動 も す れ ば 兵 燹 な ど の 災 變 を 免 か れ な い 京 洛 の 地 に 、 か ゝ る 無 二 の 重 寳 を 安 置 す る こ と の 危 險 な る よ り は 、 寧 ろ 比 較 的 安 全 な 幽 僻 の 高 野 に 藏 す る に し か じ と の 懸 念 よ り 、 高 野 に 歸 る と き 之 を 随 身 し て 、 そ の 經 藏 に 納 め ら れ た 。 そ の 後 壽 長 、 無 空 の 二 代 の 座 主 が 又 太 切 に そ の 保 管 の 任 に 當 た ら れ た の で あ る 。 所 が こ の 間 の 消 息 を ば 夙 に よ く 知 る 観 賢 僧 正 が 、 延 喜 九 年 に 長 者 に 任 ぜ ら る ゝ や 、 徐 ろ に 之 が 復 古 を 圖 り 、 屡 々 文 書 又 は そ の 他 の

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方 法 に よ つ て 無 空 に そ の 返 還 を 促 が し た 。 然 る に 護 法 の 爲 め に は 最 も 忠 實 な り し 無 空 は 、 こ は 代 々 先 師 の 繼 承 す る 重 寳 な る こ と を 理 由 と し て 頑 と し て 之 に 應 じ な い 。 こ ゝ に 於 て 信 正 は 最 早 や 百 計 つ き は て ゝ 、 潜 か に 之 を 寛 平 法 皇 に 上 奏 さ れ た そ こ で 同 十 五 年 十 二 月 、 法 皇 は 宣 下 を 下 し て 無 空 を 超 責 し 玉 ふ た 。 し か し 無 空 は 依 然 と し て 應 じ な い 翌 年 八 月 に 至 り 、 一 味 の 門 弟 と 共 に 之 を 捧 持 し て 山 城 の 園 提 寺 に 逃 れ 奔 つ た 。 同 十 八 年 六 月 二 十 六 日 無 空 は 伊 賀 の 蓮 臺 寺 に 於 て 卒 せ ら れ た る が 、 そ の 卒 去 前 に 當 り 漸 く に し て 之 を 返 付 せ し む る こ と を 得 十 九 年 十 一 月 二 日 、 自 今 東 寺 の 闘 外 に 出 だ す べ か ら ず と の 官 符 を 賜 ひ 、 憎 正 多 年 の 宿 望 は こ ゝ に 始 め て 達 せ ら れ た の で あ る 。 凡 そ こ の 一 件 は 一 は 大 師 の 御 遺 告 を 忠 實 に 煙 奉 す る 立 場 よ り 、 他 は 師 資 相 承 を 最 も 重 ん ず る 立 場 よ り 起 る 係 爭 で 、 兩 者 の 心 事 は 共 に 晴 天 白 日 で そ の 間 に 優 劣 な ど は 認 め ら れ な い そ の 詳 細 は 延 喜 御 記 及 び 三 十 帖 策 子 勘 文 等 の 如 く で あ る 。 (全 集 十 五 、二 二五 )。 次 に 諡 號 奏 請 の 件 と は 、 前 述 の 如 く 、 當 時 台 密 の 勢 力 な ほ 盛 ん に し て 朝 野 一 般 を 風 靡 す る に 反 し 、 根 本 宗 家 た る わ が 東 密 は 、 委 靡 沈 滞 し て 常 に そ の 下 風 に 立 た な け れ ば な ら ぬ 有 様 で あ り 、 こ と に 傳 教 慈 覺 の 二 師 と は 何 れ の 點 よ り 觀 る も 、 寧 ろ 遙 か に 勝 れ る と も 決 し て 劣 ら ざ る わ が 大 師 が 、 か の 二 祖 の 夙 に 贈 諡 の 榮 に 浴 せ し に も か ゝ は ら ず 、 定 後 八 十 餘 年 の 久 し き を 經 て 、 空 し く 節 屈 し 名 降 れ る の 一 事 は 、 抱 負 に 満 つ る 僧 正 と し て は 、 之 を 坐 視 す る に 忍 び な い の は も と よ り 當 然 で あ る 。 觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 四 三

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觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 四 四 東 寺 の 杲 寳 曾 て か の 二 祖 と わ が 大 師 と の 學 徳 を 比 較 し て 以 爲 へ ら く 、 ま づ 學 歴 に つ い て 觀 る に 、 わ が 大 師 の 密 教 造 詣 の 深 き は い ふ ま で も な く 、 顯 教 に お い て は 、 法 相 を 護 命 僧 正 に 學 び 、 三 論 を 勤 操 大 徳 に 傳 へ 、 天 台 、 華 嚴 は 入 唐 の 砌 、 又 か の 宗 の 明 師 に 遇 ふ て そ の 大 歸 を 面 受 口 訣 し て 若 干 の 章 疏 を 請 來 し 玉 ふ て ゐ る 。 し か る に か の 二 祖 の 如 き 、 四 家 大 乗 の 中 で は 單 に 天 台 の み に 限 ら れ て あ り 、 密 教 の 體 驗 に 至 つ て は わ が 大 師 と は も と よ り 同 日 の 論 で は な い 。 次 に わ が 大 師 の 徳 行 に 就 て 考 ふ る に 、 か の 室 戸 勤 行 の 朝 に は 明 星 飛 で 口 に 入 り 、 大 瀧 捨 身 の 夕 に は 靈 神 足 を 接 し 、 弘 仁 講 經 の 砌 に は 蘇 人 途 に 佇 み 、 天 長 修 法 の 庭 に は 神 龍 形 を 現 ず る と い ふ が 如 き 殆 ん ど 常 情 の 及 ば ざ る 神 秘 の 奇 蹟 を も つ て 滿 た さ れ 、 或 は 池 沼 を 鑿 つ て 灌 漑 の 道 を 開 き 、 或 は 文 字 を 造 つ て 文 運 の 資 に 供 す る と い ふ が 如 き 大 悲 行 願 の 事 蹟 は 枚 擧 に 遑 な き ほ ど で あ り 、 遂 に 全 身 を 南 峯 に 留 め て 龍 華 三 會 の 曉 を 期 す る が 如 き 、 又 そ の 在 唐 時 に は 、 皇 帝 五 筆 和 尚 の 號 を 賜 ふ て 國 師 の 待 遇 を 與 へ ら れ て ゐ る が 如 き 、 も と よ り 遠 く か の 二 祖 の 及 ぶ 所 で は な い と 。 ( 我 慢 鈔 ) こ は 恐 ら く ば 、 期 せ ず し て 觀 賢 僧 正 當 時 の 心 事 を 語 つ た も の と も 見 ら れ 得 る 。 抑 、 諡 號 奏 請 の 最 初 は 、 延 喜 十 八 年 八 月 十 一 日 付 に な れ る 、 恐 れ 多 く も 寛 平 法 皇 の 御 上 表 が そ れ で あ る 。 思 ふ に こ れ は 僧 正 の 内 奏 懇 請 が 預 か つ て 大 い に 力 あ つ た こ と で あ ら う 。 第 二 回 以 後 は 何 れ も 僧 正 直 接 の 上 奏 で あ る が そ の 第 二 回 め の 分 は 、 同 年 十 月 十 六 日 付 に て 式 部 少 輔 大 江 千 古 の 代 作 に な り し も の で あ り 、 第 三 回 め

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の 分 は 、 同 二 十 一 年 十 月 二 日 付 に て 、 大 學 頭 三 善 文 江 の 代 作 に な れ る も の で あ る 。 延 喜 聖 主 と し て は 前 述 の 如 く 、 ど ち ら か と い は ヾ 台 密 よ り は 東 密 に 厚 き 因 縁 を 有 せ ら れ 、 こ と に 大 師 御 歸 依 の 度 が 深 く あ ら せ ら れ た の で あ る か ら 、 一 日 も 早 く 允 許 せ む と の 御 思 召 な り し や う な る も 、 蓋 し 久 し く 宮 中 に 扶 植 せ し 台 密 の 餘 勢 が 預 か つ て 朝 議 遷 延 の 原 因 を な し た も の で は あ る ま い か 。 そ は 賢 寳 の 行 状 要 集 に 、 ﹁ 免 許 の 天 氣 有 り と 錐 も 、 明 詔 遲 滞 せ し む る に 依 つ て 度 々 の 奏 請 に 及 ぶ ﹂ と い へ る が こ の 間 の 消 息 を も ら せ る も の で あ ら う 。 賢 寳 の こ の 説 の 本 は 實 は 第 四 回 め の 分 、 即 ち 同 年 同 月 五 日 付 の 奏 文 が こ れ で あ る 。 こ の 中 に 云 く 、 天 許 の 後 、 未 だ 明 詔 を 蒙 ら ず 。 觀 賢 今 遺 跡 を 拝 せ む が 爲 め に 遙 か に 南 岳 に 向 は む と す 。 望 み 請 ふ 諡 名 將 つ て 廟 前 に 告 げ む 。 (全 集 十 五 、 五 九 ) こ れ が 作 者 は 未 詳 な る の み な ら ず 、 行 状 要 集 に 觀 賢 の 日 記 を 引 い て 、 こ は 草 案 な れ ば 遂 に 捧 呈 し な か つ た こ と を 考 證 し て ゐ る 。 因 み に い ふ 、 觀 賢 の 自 筆 日 記 な る も の 、 古 徳 ま ゝ こ れ を 引 用 さ れ て ゐ て 、 開苗 の 眞 相 を 究 む る 上 の 唯 一 の 文 献 な ら む も 、 今 私 に こ の 篇 を 草 す る に 際 し 、 遂 に こ れ を 發 見 す る に 至 ら ざ り し こ と を 遺 憾 と す る 。 四 觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 四 五

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觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 四 六 僧 正 數 度 の 表 請 に よ つ て こ ゝ に 漸 や く そ の 目 的 を 達 す る こ と ゝ は な り し が 、 し か る に ち な み に 一 言 辯 じ お か な け れ ば な ら の こ と が あ る 。 そ は 諡 號 雑 記 に よ る に 、 台 徒 の 言 に 曰 く 、 隆 俊 中 納 言 ( 隆 國 の 子 、 俊 明 の 兄 ) の 記 、 及 び 江 師 の 神 仙 傳 に よ ら ば 、 空 海 大 師 へ の 贈 諡 は 、 か の 門 徒 が 、 よ し 末 徒 中 に 將 來 智 徳 秀 で 優 に 贈 諡 に 値 す る も の が 輩 出 す る こ と あ り と し て も 、 そ れ に 對 し て は 誓 っ て 一 切 申 請 し な い か ら 、 希 は く ば 大 師 に の み 速 か に 贈 諡 し 玉 は む こ と を と の 一 札 の 起 請 文 を 捧 げ を は つ て 、 始 め て 漸 や く そ の 允 許 を 得 る に 至 り し も の で あ る 。 こ の 事 は 聖 寳 既 に 記 録 し て か の 流 に も 之 を 傳 へ て ゐ る 。 要 之 、 贈 諡 の 前 後 遲 速 は 一 に 徳 行 の 優 劣 に よ る と 。 難 記 主 之 を 破 し て 曰 く 、 兩 卿 の 記 は 果 し て 何 に 據 れ る か 、 奏 請 の こ と は 、 前 に 述 べ た 法 皇 の 表 文 な り 僧 正 の 數 度 に 亘 る 奏 状 が 、 必 ず や 唯 一 の 文 献 で な く て は な ら な い 。 し か る に そ の 中 に は か ゝ る 起 請 の 意 味 が 毫 も 見 に な い 。 及 び そ の 他 の 記 録 に 徴 す る も ま た 同 様 で あ る 。 况 ん や 兩 卿 は 大 師 の 定 後 遠 く 二 百 餘 年 を も 隔 つ る 人 で あ つ て 、 そ の 記 録 な る も の は 決 し て 信 を 措 き が た い 點 が あ る と 。 そ れ か ら 又 杲 寳 は 我 慢 鈔 に お い て 、 さ ら に 委 曲 の 辯 明 を な し て ゐ る 。 そ は ま づ 徳 行 の 優 劣 に つ い て は 前 節 の 辯 の 如 く な る が 、 神 仙 記 の 如 き は 、 湯 河 玄 圓 の 作 と い ひ 大 江 匡 房 の 作 と い ひ 古 來 一 決 し な い が 多 分 玄 圓 の 作 で あ ら う 。 匡 房 は 天 仁 二 年 廣 澤 の 寛 朝 の た め に 、 初 祖 益 信 に 對 す る 贈 諡 の 奏 文 を 代 作 し て ゐ る 。 も し 東 密 の 起 請 の 事 實 な る も の を 既 に 知 り た ら ん に は か く も 前 後 矛 盾 す る 代 作 な ぞ な す べ き は ず が な い か ら で あ る 。 又 か の 玄 圓 の 如 き は 一 箇 の 行 者 に し て

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そ の 説 往 々 正 確 を 缺 い で ゐ る か ら 、 今 の 起 請 の 件 の 如 き も 信 用 し が た い も の で あ る 。 又 聖 寳 が 記 し て 小 野 流 に 傳 へ た と い ふ に 至 つ て は 、 同 師 は 贈 諡 の 十 餘 年 前 た る 延 喜 九 年 七 月 六 日 普 明 寺 に お い て 寂 せ ら れ て ゐ る か ら 、 前 代 に あ り て 後 代 の 事 を 記 し や う が な い と 。 贈 諡 に 對 す る 台 徒 誣 罔 の 説 は こ れ ら の 辯 明 に よ つ て す べ て 一 掃 さ れ て ゐ る 。 贈 諡 の 年 月 が 延 喜 二 十 一 年 十 月 た る こ と に は 諸 記 異 讓 な き も 、 日 付 に つ い て は 或 は 二 十 一 日 と い ひ 或 は 二 十 三 日 と い ひ 、 或 は 二 十 七 日 と い ふ な ど 一 定 し て ゐ な い 。 そ の 二 十 一 日 と い ふ の は 釋 家 初 例 鈔 及 び 高 野 春 秋 等 で あ る 。 初 例 鈔 に 云 く 、 ﹁ 延 喜 二 十 一 年 十 月 二 十 一 日 、 觀 賢 の 上 表 に 依 て 弘 法 大 師 の 號 を 賜 ふ ﹂ 。 と 高 春 第 三 に 云 く 、 ﹁ 又 御 傳 に 外 記 日 記 を 引 い て 云 く 、 十 月 二 十 一 日 己 卯 天 晴 、 野 山 の 勅 書 少 納 言 平 維 助 之 を 草 す 云 々 ﹂ と 。 そ の 二 十 三 日 と い ふ の は 、 性 海 の 金 剛 峯 寺 衆 徒 官 位 司 職 記 に 、 ﹁ 延 喜 二 十 一 年 辛 己 十 月 二 十 三 日 、 弘 法 大 師 と 諡 す 。 其 の 大 師 號 は 長 者 觀 賢 僧 正 の 請 に 依 る ﹂ と 云 へ る が 之 れ で あ る 。 そ の 二 十 七 日 と い ふ の は 、 聖 賢 の 廣 傳 及 び 名 靈 集 な ど の 説 で 、 こ は も と 扶 桑 畧 記 の 第 二 十 四 及 び 行 化 記 所 引 の 外 記 日 記 な り 又 諡 號 寫 な ど に よ る も の で あ る 。 扶 桑 略 記 第 二 十 四 の 裏 書 に 云 く 、 延 喜 二 十 一 年 十 月 二 十 七 日 己 卯 、 權 大 僧 都 觀 賢 の 申 に 依 り 、 贈 大 僧 正 空 海 に 諡 號 勅 書 の 事 有 り て 弘 法 大 師 と 號 す 。 次 に 行 化 記 に 云 く 、 觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 四 七

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觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 四 八 外 記 日 記 云 、 延 喜 二 十 一 年 九 月 二 十 七 日 己 卯 天 晴 、 右 大 臣 就 左 近 陣 座 。是 日 依 權 大 僧 都 觀 賢 申 請 。授 故 贈 大 僧 正 空 海 諡 號 。勅 書 令 寳 少 納 言 平 惟 扶 。發 遣 于 紀 伊 國 金 剛 峯 寺 。其 諡 名 弘 法 大 師 焉 。但 准 弘 仁 二 年 贈 遍 照 僧 正 勅 書 。其 承 和 以 後 日 、可 下 諸 司 者 勅 語 也 。史 生 淺 口 守 行 使 二 人 依 舊 例 相 從 、少 納 言 即 辨 官 、奉 右 大 臣 宣 並 載 巳 了 。 續 年 譜 第 三 に 以 上 の 二 證 を 引 き を は り 、 要 集 所 引 の 外 記 日 記 、 長 者 補 任 の 一 説 及 び 僧 官 補 任 な ど 何 れ も み な 九 月 二 十 七 日 と な つ て は を れ ど 、 前 述 十 月 二 日 付 の 觀 賢 第 二 度 め の 表 文 と 相 齟 齬 す る の み な ら す 、 行 化 雑 集 所 引 の 外 記 日 記 に は 十 月 二 十 七 日 と な つ て ゐ て 、 扶 桑 略 記 に 符 合 す る か ら 、 恐 ら く ば 九 月 は 十 月 の 寫 誤 な る べ し と 判 じ て ゐ る 。 又 現 流 の 諡 號 寫 は 勿 論 の こ と 、 諸 傳 記 、 史 冊 、 眞 言 傳 、 醍 醐 寺 縁 起 、 東 寺 王 代 記 、 元 享 釋 書 、蓋 嚢 抄 、 編 年 合 運 、 本 朝 僧 傳 、 本 朝 通 記 、 王 代 一 覧 、 史 徴 、 叡 岳 要 記 、 如 是 院 年 代 記 等 み な 悉 く 十 月 二 十 七 日 と な つ て ゐ る か ら 、 宜 し く こ の 説 を 採 用 す べ き も の で あ る 。 そ れ か ら 又 諡 文 の 作 者 に つ き 、 廣 傳 、 深 賢 記 に は 大 學 頭 三 善 丈 江 又 は 藤 原 元 方 と い ひ 、 諡 號 雑 記 に は 文 江 説 を 用 ひ て ゐ る 。 藤 原 元 方 は 今 私 に 藏 す る 諡 號 寫 に は 在 原 元 方 と な つ て ゐ る が 、 こ れ 等 は 他 日 の 考 證 に 讓 り お く 。 猶 勅 使 に つ い て も 古 記 異 説 す る も 、 ﹁ 令 贋 勅 書 於 少 納 言 平 惟 扶 。 發 遣 于 紀 伊 國 金 剛 峯 寺 ﹂ と あ る 日 本 紀 略 や 、 ﹁ 少 納 言 平 惟 扶 賚 勅 書 。 向 紀 伊 國 金 剛 峯 寺 ﹂ と あ る 扶 桑 略 記 第 二 十 四 の 裏 書 や 、 又 外 記 日 記 の 示 す 所 な ど に よ る も 、 も は や 平 惟 扶 な る こ と は 動 か な い 。 惟 扶 を ば ま ゝ 維 助 に

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作 つ て あ る 記 録 が 多 い 、 所 謂 廣 傳 に は 少 納 言 朝 臣 惟 助 と い ひ 、 通 念 集 、 高 野 春 秋 、 諡 號 寫 等 も ま た 同 樣 な る が こ れ ま た 他 日 の 考 證 に 待 つ こ と ゝ す る 。 諡 號 の 全 文 に 云 く 、 勅 ず 。 琴 絃 巳 に 絶 に て 遺 音 更 に 清 く 、 蘭 叢 凋 め り と 雖 も 餘 芳 猶 播 こ す 。 故 の 贈 大 僧 正 法 印 大 和 尚 位 空 海 は 、 煩 悩 た 消 疲 し 、 驕 貪 を 抛 却 す 。 三 十 七 品 の 修 行 を 全 う し て 、 九 十 六 種 の 邪 見 な 斷 つ 。 既 に し て 佛 日 西 に 沒 し 、 溟 海 を 渡 つ て 餘 輝 々 仰 ぎ 、 法 水 東 に 流 れ 陵 谷 に 通 じ て 清 浪 を 導 く 。 密 語 な 受 く る 者 多 く 山 林 に 滿 ち 、 眞 趣 を 習 ふ 者 自 か ら 淵 叢 を 成 す 。 况 ん や 太 上 法 皇 、 既 に 其 の 道 を 昧 ひ 、 其 の 人 を 追 憶 し 玉 ふ な や 。 誠 に 浮 天 の 波 濤 と 雖 も 、 何 ぞ 積 石 の 源 本 を 忘 れ ん 。 宜 し く 崇 餝 の 典 を 加 へ 諡 し て 弘 法 大 師 と 號 す べ し 。 さ ら に 繁 重 な る も 私 に 藏 す る 慶 安 元 年 十 月 醍 醐 山 報 恩 院 の 本 を 謄 寫 し た る も の に よ る と 、 左 の 如 く 文 字 の 配 置 な ぞ ま こ と に よ く 整 ふ て い か に も 贈 謚 の 原 文 に 接 す る の 感 じ が す る 、 曰 く 、 觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 四 九

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觀 賢 信 正 開 廟 の 眞 相 五 〇 猶 こ の 寫 の 初 に 前 に も い つ た と ほ り ﹁ 在 原 元 方 作 ﹂ と 署 せ ら れ て あ る 。 又 觀 賢 の 申 請 さ れ た 諡 名 は 本 覺 大 師 て ふ 號 な る も 、 正 し く 下 賜 の 諡 名 は そ の 豫 期 し な か つ た 、 弘 法 大 師 な る 號 で あ る 。 こ は か の 久 米 寺 東 塔 下 よ り 出 で し 善 無 畏 の 讖 文 に よ つ た も の で 、 ま こ と に 善 美 を つ く し た も の で あ り 、 細 心 審 査 の 餘 に な り し こ と が 想 見 し 得 ら れ る 。 僧 正 の 熱 心 つ い に そ の 功 を 奏 し で 一 た び 贈 諡 の 榮 典 に 浴 せ し 以 來 、 果 し て 祖 徳 日 に 光 り を 放 ち 、 教 勢 頓 に 振 作 す る に 至 つ た 。 前 述 の 如 く 、 延 喜 十 四 年 五 月 二 十 四 日 の 祈 雨 の こ と に よ つ て 、 そ の 法 驗 が 尋 常 な ら ざ り し こ と が 想 見 さ れ 、 又 か の 大 疏 鈔 等 の 著 作 に よ つ て 學 殖 の 深 遠 な 點 が 知 り 得 ら れ 、 又 か の 三 十 帖 策 子 復 古 の 件 と こ の 贈 諡 申 請 の 件 と に よ つ て 意 志 の 毅 然 と し て 動 か ざ る こ と が よ く わ か る 。 か ゝ る 背 景 を 通 ふ し て も つ て 、 こ れ よ り ま さ に 述 べ ん と す る 開 廟 感 見 の 事 蹟 が 、 始 め て よ く 首 肯 し 得 ら る べ き こ と ゝ な る 。 五 觀 賢 僧 正 開 廟 感 見 の 記 録 は 、 各 方 面 に わ た つ て 異 説 さ ま ぐ で 容 易 に 取 捨 し が た い も の が あ る 。 私 に 見 聞 す る 所 に よ る も そ の 數 大 凡 そ 四 十 餘 種 に 上 つ て ゐ る が 、 史 的 考 察 を 運 ら さ む と す る 上 か ら は 必 要 の こ と ゝ 思 は れ る か ら 、 繁 冗 の 嫌 ひ は 免 か れ な い も 、 可 成 的 年 代 別 に よ つ て 試 み に 左 に 列 擧 し て 見 る 。 ( 一 ) 池 上 頼 尊 記 ( 定 後 以 下 准 知 二 五 六 寂 )

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第 六 祖 た る 性 信 親 王 は 三 條 帝 の 皇 子 に し て 世 に 大 御 室 と 號 す る 。 こ の 大 御 室 の 受 法 の 弟 子 に 、 長 信 、 行 禪 、 頼 觀 、 頼 尊 、 經 範 、 教 尋 、 行 明 、 快 禪 、 頼 尋 、 寛 意 、 寛 助 、 濟 暹 、 義 範 等 と い ふ が 如 き 、 當 代 第 一 流 の 巨 匠 が 二 十 二 人 の 多 き に 達 し て ゐ る 。 頼 尊 は そ の 中 の 一 人 で あ つ て 常 に は 池 上 律 師 と 稱 す る 堀 河 上 皇 聽 政 代 の 寛 治 五 年 正 月 二 十 八 日 の 寂 で あ る か ら 、 前 掲 の 如 く 、 大 師 の 定 後 二 五 六 年 、 開 廟 後 一 六 九 年 に 當 り 、 私 の 調 べ た 所 に よ る と 、 恐 ら く こ れ が 最 古 の 記 録 な ら む と 思 は れ る 。 但 し 今 そ の 記 が あ つ た と い ふ こ と は 、 要 集 所 引 の 興 然 闍 梨 の 記 及 び 印 融 の 血 脈 鈔 な ど に よ つ て 間 接 に 知 る の み に す ぎ な い こ と を 遺 憾 と す る 。 ( 二 ) 大 師 御 行 状 集 記 ( 二 六 九 寂 ) こ れ は 又 大 御 室 付 弟 の 一 人 た る 、 本 寺 法 務 經 範 が 、 寛 治 三 年 に 大 師 の 行 状 百 三 箇 條 を 集 め し も の で あ る 。 範 は 長 治 元 年 の 寂 。 ( 三 ) 大 師 御 傳 (約 三 〇 〇 ) こ れ は 成 蓮 院 兼 意 の 作 な る が 、 兼 意 は 大 御 室 付 弟 の 寛 意 の 弟 子 で あ る 。 ( 四 ) 大 師 御 廣 傳 ( 三 一 三 寂 ) 醍 醐 金 剛 王 院 流 の 祖 に し て 、 近 衛 帝 の 久 安 三 年 の 寂 た る 三 密 房 聖 賢 の 作 。 觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 五 一

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觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 五 二 ( 五 ) 鶴 林 抄 ( 三 四 三 記 ) 治 承 二 年 四 月 、 兼 意 、 覺 印 、 寳 心 と い へ る 三 師 の 口 訣 に 基 け る 常 喜 院 心 覺 の 記 。 ( 六 ) 玄 秘 鈔 ( 三 二 七 寂 ) 勝 倶 胝 院 實 運 の 作 、 師 は 永 暦 元 年 の 滅 。 (七 ) 拾 要 意 ( 三 六 七 寂 ) 建 仁 二 月 の 寂 た る 喜 多 院 御 室 守 覺 親 王 の 御 作 。 ( 八 ) 行 化 記 (三 七 〇 記 ) 得 仁 の 續 年 譜 第 五 の 考 證 に よ ら ば 、 行 化 記 に 四 本 の 別 が あ る 。 所 謂 藤 原 敦 光 の 作 と 傳 へ ら れ て ゐ る も の が そ の 一 で あ り 、 闕 文 あ つ て 作 者 不 明 な る が そ の 二 で あ り 、 善 通 寺 藏 の 行 遍 の 記 に な れ る が そ の 三 で あ り 、 承 久 元 年 十 二 月 十 五 日 の 記 に な る 醍 醐 深 賢 の 分 が そ の 四 で あ る 。 今 擧 ぐ る 所 は 即 ち こ の 深 賢 の 記 で あ る 。 ( 九 ) 南 山 記 ( 三 八 五 記 ) 道 範 の 弟 子 明 澄 尊 信 房 が 後 堀 河 帝 の 寛 喜 二 年 の 記 な る が 、 頗 る 立 川 流 の 臭 味 を 有 し て 信 用 し が た い 點 が 多 い 。 (十 ) 奥 院 興 廢 記 ( 三 九 〇 記 )

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元 仁 二 年 乙 酉 、 覺 體 房 尚 祚 の 記 。 ( 十 一 ) 寛 信 法 務 所 持 の 或 本 ( 三 一 八 寂 ) 法 務 は 仁 平 三 年 の 卒 な れ ば 前 表 の 如 き も 、 そ の 所 持 せ し 開 廟 記 録 の 年 代 は 不 明 で あ る 。 ( 十 二 ) 平 家 物 語 (約 三 七 〇 ) こ の 書 は 異 本 頗 る 多 く 作 者 も ま た 異 説 あ る が 、 凡 そ 常 に は 建 久 の 亂 前 の 作 と 傳 へ ら れ て ゐ る 。 (十 三 ) 扶 桑 略 記 ( 三 五 〇 頃 ) こ の 作 者 は 法 然 上 人 の 師 た る 叡 山 功 徳 院 の 皇 圓 の 作 と い ひ 、 又 一 説 に は 北 畠 親 房 な ら む と も い ふ 。 も し 親 房 な ら ば 定 後 五 〇 〇 年 頃 で あ る 。 (十 四 ) 日 本 紀 略 作 者 、 年 代 共 に 未 詳 。 (十 五 ) 御 遺 告 釋 疑 抄 ( 四 二 七 記 ) 弘 長 二 年 、 根 嶺 頼 瑜 法 印 の 記 。 ( 十 六 ) 行 状 圖 繪 ( 約 四 〇 〇 ) 著 者 不 明 。 し か し 序 文 に 、 ﹁ 今 弟 子 リ ツ カ ニ 遺 流 ヲ ク ン ク 値 遇 ノ ア サ カ ラ サ ル 事 ヲ 悦 ヒ 、 其 昔 ヲ カ ヘ リ ミ レ バ 、 星 霜 カ サ ナ リ テ 、 ス テ ニ 四 百 餘 歳 ヲ ヘ タ リ 云 々 ﹂ 。 故 に 文 暦 、 建 長 年 間 の 作 で あ る 。 觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 五 三

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觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 五 四 (十 七 ) 略 頌 抄 、 秘 記 ( 四 〇 〇 記 ) こ の 二 部 は 道 範 の 著 で あ り 、 就 中 、 略 頌 抄 は 文 暦 元 年 の 著 な る こ と 奥 書 分 明 で あ る 。 (十 八 )謙相 秘 傳 鈔 ( 約 四 〇 〇 ) 西 院 流 元 瑜 の 作 。 師 は 建 長 年 間 の 人 で あ る 。 ( 十 九 ) 受 法 用 心 集 ( 四 三 五 記 ) 文 永 七 年 九 月 、 誓 願 房 定 心 の 記 。 ( 二 十 ) 南 山 記 ( 約 四 五 〇 ) 信 堅 の 作 。 師 の 勸 發 信 心 集 は 永 仁 二 年 に な つ て ゐ る が 、 多 分 そ の 頃 の 作 な ら む 。 ( 廿 一 ) 高 野 秘 傳 抄 ( 約 五 〇 〇 ) 奥 書 に 文 安 三 丙 寅 年 三 月 六 日 、 於 定 蓮 寺 書 寫 了 、 右 筆 元 勢 と あ つ て 作 者 未 詳 な る も 、 書 中 に 道 範 の 記 を 引 け る よ り 考 ふ る に 、 蓋 し 前 表 の 頃 な ら む 。 ( 廿 二 ) 元 享 釋 書 ( 五 〇 〇 寂 ) 師 錬 の 著 、 師 は 貞 和 二 年 の 卒 。 ( 廿 三 ) 神 皇 正 統 記 ( 五 〇 五 記 ) 北 畠 親 房 興 國 元 年 の 作 。

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( 廿 四 ) 眞 言 傳 ( 約 五 〇 〇 ) 杲 寳 の 師 榮 海 の 作 。 ( 廿 五 ) 我 慢 鈔 ( 五 二 四 記 ) 杲 寳 の 著 、 奥 書 に 云 く 、 延 文 三 年 戊 戌 八 月 一 日 、 東 寺 末 流 西 山 隠 士 日 玉 記 之 。 ( 廿 六 ) 行 状 要 集 ( 約 同 時 ) 杲 寳 の 弟 子 、 賢 寳 の 作 。 ( 廿 七 ) 摧 勝 述 記 ( 同 前 ) 東 寺 義 寳 の 作 。 ( 廿 八 ) 中 聞 記 ( 六 四 八 記 ) 文 明 十 五 年 、 心 南 院 方 長 淳 の 記 。 ( 廿 九 ) 通 念 集 ( 八 三 七 記 ) 寛 文 十 二 年 初 冬 、 一 無 軒 道 冶 の 作 。 ( 卅 ) 高 野 由 來 卷 ( 約 同 時 ) 奥 書 に 、 寛 文 六 年 丙 午 六 月 二 十 二 日 と あ る も 著 者 は 不 明 。 ( 卅 一 ) 南 山 之 傳 記 (約 同 時 ) 觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 五 五

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觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 五 六 南 山 補 陀 落 院 眞 海 の 記 。 ( 卅 二 ) 名 靈 集 (九 一 七 記 ) 奥 書 に 、 寳 暦 二 年 三 月 石 州 の 愚 禿 明 有 泰 圓 洛 下 の 寓 居 に 書 と あ る 。 ( 卅 三 ) 高 野 春 秋 ( 約 同 時 ) 修 禪 院 懷 英 の 著 。 ( 卅 四 ) 紀 伊 續 風 土 記 高 野 山 部 (約 一 、 〇 〇 〇 記 ) 風 土 紀 中 の 高 野 山 部 は 天 保 五 年 の 校 正 に な れ る も の で あ る 。 ( 卅 五 ) 眞 粹 要 記 ( 卅 六 ) 類 聚 傳 ( 卅 七 ) 高 野 物 語 ( 卅 八 ) 開 苗 記 以 上 の 四 種 、 往 々 續 年 譜 等 に 引 用 す る も 、 未 だ そ の 正 本 に 接 し な い 。 ( 卅 九 ) 金 剛 峯 寺 衆 徒 司 職 記 ( 九 四 七 記 ) 天 明 二 年 補 陀 落 院 性 海 の 記 。 ( 四 〇 ) 日 本 神 仙 記 ( 四 一 ) 榮 華 物 語 こ の 二 種 は 直 接 開 廟 の 記 事 な き も 、 し か し そ の 事 蹟 の 影 響 を ば 受 け て ゐ る 。 ( 四 二 ) 續 年 譜 ( 一 、 〇 〇 〇 記 )

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天 保 年 間 、 無 量 壽 院 得 仁 の 集 。 私 の 見 聞 す る 開 廟 記 録 ほ ゞ か く の 如 く な る が 、 こ れ に よ つ て 觀 る と 、 大 師 定 後 二 百 五 十 年 、 開 廟 後 百 六 七 十 年 頃 に 始 め て 記 録 さ れ 、 そ の 後 の 記 録 は 何 れ も 内 容 に 多 少 の 變 化 を 來 し つ ゝ 今 日 に 及 ん で ゐ る 。 六 観 賢 僧 正 開 廟 の 動 機 に は 、 且 ら く 古 記 に よ つ て 考 ふ る に 凡 そ 内 外 の 二 因 が あ る 。 内 因 と は 大 師 が 修 し 玉 ひ し 御 入 定 法 の 大 事 及 び 入 定 留 身 て ふ こ と が 果 し て 事 實 か ど う か の 疑 問 を 解 決 せ む と す る 念 願 そ の も の で あ り 、 外 因 と は 延 喜 帝 が た ま く 靈 夢 を 感 じ て 、 こ ゝ に 送 衣 の 典 と な り 、 僧 正 が そ の 廟 使 の 任 に 當 り し こ と が こ れ で あ る 。 明 澄 の 南 山 記 に 云 く 、 延 喜 二 十 一 年 辛 巳 正 月 十 一 日 鬼 宿 、 眞 言 院 に 於 て 後 七 日 御 修 法 の 時 、 普 賢 延 命 の 大 法 の 次 で に 藥 師 供 私 に 行 す 。 觀 賢 僧 正 御 入 定 法 の 中 の 不 審 に 依 て 誓 願 を 立 て 申 さ く 、 願 に く ば 我 れ 高 野 山 に 參 詣 し 、 奥 院 石 窟 開 發 の 心 、 大 師 の 慈 顔 を 拜 見 し 、 必 ず 遮 那 の 妙 體 を 證 せ む と 。 又 云 く 、 觀 賢 僧 正 奥 院 を 開 く べ き 御 立 願 の 志 趣 は 、 不 動 の 七 種 御 入 定 法 の 大 事 を 尋 決 す る に あ り 云 々 。 前 に も い つ た と ほ り 、 こ の 書 頗 る 立 川 流 の 臭 味 を 有 し て 信 じ が た い 點 多 い が 、 今 ま た こ の 記 事 の 如 き も ど こ ま で 信 じ て よ い の か は 、 や ゝ 判 斷 に 苦 し ま ざ る を 得 な い 。 し か し 經 範 の 行 状 集 記 に 、 ﹁ 或 説 に 觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 五 七

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觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 五 八 曰 く 、 延 喜 年 中 、 觀 賢 僧 正 祈 誓 感 應 あ り 、 官 裁 を 蒙 り て 御 入 定 の 巖 窟 を 開 く ﹂ と い ひ 、 高 野 秘 傳 抄 に も 、 ﹁ 觀 賢 年 來 高 野 に 參 詣 し て 、 直 に 大 師 を 拜 し 奉 ら む と 願 ふ ﹂ と い へ る な ど に よ つ て 考 ふ る に 、 御 入 定 法 大 事 の 尋 決 は と も あ れ 、 開 廟 親 謁 の 念 願 あ り し こ と は 事 實 で あ ら う 。 こ れ に つ い て は 、 か の 延 喜 二 十 一 年 十 月 五 日 付 の 同 師 の 諡 號 奏 請 文 の 一 節 が そ の 事 實 を 語 つ て ゐ る 。 云 く 、 觀 賢 今 遺 跡 を 拜 せ む が 爲 め に 遙 か に 南 岳 に 向 は ん と す 云 々 。 紀 伊 風 土 記 奥 院 部 に 、﹁ 延 喜 の 比 、 大 師 皇 帝 の 夢 に 一 首 の 和 歌 を 詠 じ 玉 ふ に よ り て 、 檜 皮 色 御 衣 一 襲 を 送 り 賜 ふ ﹂ と い へ る が 、 こ は も と 名 靈 集 の 説 で あ る 。 即 ち 延 喜 二 十 一 年 十 月 二 十 一 日 の 夜 、 大 師 が 帝 の 夢 に 入 り 和 歌 を も つ て 送 衣 を 乞 は せ ら る ゝ や 、 帝 直 ち に こ れ が 新 調 を 命 じ 、 少 納 言 平 惟 扶 を 勅 使 に 般 若 寺 觀 賢 を 廟 使 に 命 じ て 諡 號 と 新 衣 と を 送 ら せ 玉 ふ と い ふ の で あ る 。 さ て そ の 一 首 の 和 歌 と い ふ の は 、 高 野 山 む す ぶ 庵 に 袖 く ち て 苔 の 下 に ぞ 有 明 の 月 が 之 で あ る 。 眞 海 の 南 山 之 傳 記 に も ま た 同 歌 を 載 せ て ゐ る 。 し か る に 續 年 譜 第 三 の 考 證 に よ ら ば 、 成 雄 の 遺 告 頭 書 に 或 人 の 雑 談 と し て 載 せ た る も の は 、 高 野 山 む す ぶ 庵 の 軒 く ち て 死 し て も 苔 の 下 に あ る か な と い ひ 、 眞 俗 興 廢 記 卷 尾 に 記 せ る は 、

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高 野 山 む す ぶ 庵 の 軒 く ち て 生 き て も 苔 の 下 に 寸 む か な 思 ふ に こ の 中 、 後 の 二 首 は そ の 古 傳 で あ り 初 の 分 は 後 に 至 つ て や ゝ 洗 錬 さ れ た も の で あ ら う 。 續 千 載 集 釋 教 の 部 に 、 高 野 の 奥 院 に て よ め る て ふ 、 長 き 夜 の 曉 を ま つ 月 影 は い く え の 雲 の 上 に 澄 ら ん ( 前 大 僧 正 隆 辨 ) 曉 を 高 野 の 山 に ま つ ほ ど や 苔 の 下 に も 有 明 の 月 ( 寂 蓮 法 師 ) こ の 二 首 と 對 照 す る に 、 大 師 の 御 詠 と 傳 へ ら れ て は あ れ ど 、 蓋 し 後 世 こ れ 等 に よ つ て 翻 案 さ れ た も の で は な か ら う か 。 從 つ て か ゝ る 和 歌 の 記 事 は 前 掲 記 録 中 で は 何 れ も み な 新 ら し き 分 に あ る の み で 、 古 記 に は 一 向 に 見 當 ら な い し 、 又 感 夢 の 事 す ら 一 切 記 し て ゐ な い も の す ら 多 數 あ る か ら で あ る 。 單 に 感 夢 の 事 の み を 記 し た も の と し て は 、 延 喜 二 十 一 年 十 月 二 十 一 日 、 醍 醐 天 皇 、 夢 想 の 告 に 依 り 檜 皮 色 の 御 装 束 一 襲 を 、 御 入 定 の 廟 所 に 送 ら る 。 ( 信 堅 南 山 記 ) と あ る が 、 然 る に 信 堅 よ り は 五 十 年 前 た る 道 範 の 略 頌 鈔 に ﹁ 或 記 云 ﹂ と し て 範 師 既 に こ の 文 を 引 い て ゐ る 所 よ り 思 ふ に 、 信 堅 は そ の ﹁ 或 記 ﹂ に よ つ た も の に 相 違 な く 、 そ し て そ の ﹁ 或 記 ﹂ な る も の が よ ほ ど 古 い も の な る こ と 明 ら か で あ る 。 範 師 よ り 百 數 十 年 前 の 人 た る 經 範 の 行 状 集 記 に 、 ﹁ 或 説 に 曰 く 、 帝 皇 の 御 夢 想 に 依 り 、 僧 正 觀 賢 を 以 て 祈 請 せ し め ら る 。 重 ね て 夢 想 あ る に 依 り 、 其 感 應 に 隨 ふ て 御 入 定 の 巖 室 を 開 く 。 ( 中 略 ) 法 御 服 を 整 ふ 云 々 ﹂ と あ る に よ る と 、 帝 の 感 夢 は 二 度 に な つ て ゐ る 。 道 範 師 よ り は 百 觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 五 九

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觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 六 〇 餘 年 前 の 兼 意 の 大 師 御 傳 に は 、 ﹁ 延 喜 の 御 時 、 大 師 我 に 夢 想 を 示 し て 衣 装 送 り 賜 ふ べ き も の と 。 茲 に 因 て 檜 皮 色 の 御 装 束 一 襲 を 調 ふ ﹂ と あ り 、 前 の 或 説 も こ れ も 年 月 に は か け て ゐ な い 。 又 杲 寳 の 我 慢 鈔 に ﹁ 高 祖 の 諡 號 は 延 喜 の 御 代 な り 聖 王 靈 夢 の 告 に 依 り て 、 法 服 を 南 山 の 廟 窟 に 送 り 般 若 僧 正 を 勅 使 と す ﹂ と い ひ 、 平 家 物 語 第 十 に 、﹁ 抑 延 喜 の 御 門 の 御 時 、 御 夢 想 の 御 告 有 て 、 ひ は だ 色 の 御 衣 を 參 ら せ 給 ひ ﹂ と い ひ 、 そ の 外 尚 祚 の 興 廢 記 、 師 鯨 の 元 享 釋 書 第 十 等 、 和 歌 の こ と な き も み な 夢 想 に よ る 送 衣 の こ と を 語 つ て ゐ る 。 そ の 他 夢 想 の 記 事 に ふ れ て ゐ な い の は 、 一 本 の 行 化 記 に 引 く 或 記 、 廣 傳 、 高 僧 傳 要 文 扶 桑 略 記 第 十 三 、 深 賢 の 行 化 記 、 東 要 記 な ど が そ れ で あ る 。 要 す る に 詠 歌 の 事 實 に つ い て は 俄 か に 信 じ が た き も 、 大 師 が 送 衣 を 乞 は せ ら る ゝ 夢 想 に 至 つ て は 、 多 く の 記 録 が 一 致 し て ゐ る か ら 、 こ は 恐 ら く 事 實 な り と 思 ふ 。 要 す る に 上 述 内 外 の 二 因 が 開 廟 感 見 の 事 蹟 を 導 出 せ し め た り し も の で あ る 。 七 醍 醐 天 皇 宸 惠 の 法 衣 に つ き 、 心 覺 の 鶴 林 抄 、 明 澄 の 南 山 記 に は 單 に 御 衣 と い ひ 、 高 野 秘 記 に は 香 染 御 衣 と い つ て ゐ る 。 道 範 の 記 、 元 享 釋 書 、 高 野 高 僧 行 状 記 に は 紫 衣 と い ふ も 、 一 本 の 行 化 記 、 略 頌 鈔 の 道 範 所 引 の 或 記 、 兼 意 の 大 師 御 傳 、 尚 祚 の 興 廢 記 、 信 堅 の 南 山 記 平 家 物 語 等 何 れ も み な 檜 皮 色 の 法 衣 と い つ て ゐ る の が 事 實 な り と 思 ふ 。 御 衣 加 持 法 則 に 緋 衣 と い ひ 、 名 靈 集 に 赭 色 と い へ る は 共 に こ の

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暗 褐 色 た る 檜 皮 色 の こ と で あ る 。 そ し て 諸 記 多 く 法 衣 一 襲 と い へ る が 、 こ の 一 襲 と い ふ 意 味 に は 單 な る 袈 裟 と 衣 と の み で は な く 、 古 例 を 逐 ふ て 現 に 毎 年 新 調 し て 廟 前 に 奉 献 す る 、 か の 御 衣 加 持 法 則 に 示 す 所 の 、 袍 衣 御 袈 裟 祖 單 ( ア コ メ ヒ ト ヘ ) 大 口 ( オ ウ ク チ ) 黒 裳 ( コ ク モ ) 御 帽 子 衣 帯 韈 ( シ タ ゥ ヅ ) 御 念 珠 檜 扇 表 袴 草 鞋 と い ふ が 如 き 附 屬 品 が 含 ま れ て あ る べ き で あ る 。 さ て 大 師 が 青 龍 和 尚 よ り 付 囑 請 來 し 、 一 宗 の 重 寳 と し て 現 に 東 寺 に 秘 藏 す る 中 に 有 名 な る か の 健 陀 穀 子 の 袈 裟 一 領 な る も の が あ る 。 か れ と こ の 檜 皮 色 法 衣 と の 間 に 何 か 關 係 が あ る で あ ら う か 否 か を 案 ず る に 、 心 覺 の 鵝 珠 抄 上 及 び 運 敞 の 谷 響 集 第 五 等 の 説 に よ ら ば 、 抑 、 健 陀 穀 子 の 袈 裟 と は 、 元 享 釋 書 に 健 陀 國 所 製 の 袈 裟 な り と の 曲 解 を 試 み し よ り こ の か た 、 世 人 や ゝ も す れ ば 健 陀 と は 國 名 の こ と ゝ 思 へ る も 、 元 來 健 陀 穀 は 或 は 乾 陀 、 或 は 健 達 、 或 は 乾 陀 羅 耶 と も い つ て 香 の 梵 語 で あ る 。 故 に 健 陀 穀 と は 香 樹 の 名 で あ つ て 、 そ れ の 果 實 、 木 皮 、 脂 膠 等 を 総 じ て ﹁ 子 ﹂ と い ひ 、 そ の ﹁ 子 ﹂ の 煎 汁 を も つ て 染 む る 所 の 袈 裟 な れ ば 、 之 を 健 陀 穀 子 の 袈 裟 と い ふ の で あ る 。 寳 樓 閣 經 の 中 卷 に 、 ﹁ 若 し 乾 陀 羅 樹 香 を 以 て 白 芥 子 油 に 和 せ ば 一 切 の 龍 を 伏 す ﹂ と 説 き 、 そ し て 自 註 に ﹁ 乾 陀 羅 樹 と い ふ は 安 息 香 な り ﹂ と あ る 。 又 不 動 立 印 軌 に は ﹁ 乾 陀 は 褐 色 な り ﹂ と い ひ 、 大 日 經 疏 第 五 に は 、﹁ 東 方 初 門 の 中 に 於 て 、 先 づ 釋 迎 牟 尼 を 親 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 六 一

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親 賢 信 正 開 廟 の 眞 相 六 二 置 け 、 身 眞 金 色 に し て 并 び に 光 輝 三 十 二 相 を 具 す 。 所 披 の 袈 裟 は 乾 陀 色 に 作 せ ﹂ と い ひ 、 又 略 出 念 誦 經 第 四 に は 、 ﹁ 若 し 出 家 の 人 な ら ば 、 乾 陀 衣 を 著 す べ し ﹂ と 説 い て あ る 。 故 に 健 陀 穀 子 の 袈 裟 と は 本 家 よ り い は ヾ 、 安 息 香 樹 を も つ て 染 む る 所 の 袈 裟 で あ り 、 そ し て そ の 色 は 自 か ら 暗 褐 色 を 呈 す る の で あ る が 、 今 は そ の も の が 佛 陀 所 制 で あ る か ら 、 か の 香 樹 に よ る と 否 と を 問 は ず 、 褐 色 さ へ 出 で た ら ば 、 そ れ が 直 ち に 健 陀 穀 子 と い ひ 得 ら れ る と い ふ の で あ る 。 讃 州 道 光 の 繪 衣 光 儀 上 に 、 古 來 支 那 及 び 本 邦 の 高 僧 に し て 蠶 衣 を 服 す る こ と 多 數 で あ り 、 こ と に わ が 大 師 御 請 來 の 健 陀 轂 子 の 欝 多 羅 僧 怯 衣 は 、 實 に 貴 重 の 繪 帛 を も つ て 造 ら れ て あ る 。 歴 代 の 王 公 之 に 對 し て 特 に 敬 重 を 加 へ さ せ ら れ 、 靈 元 帝 、 東 山 帝 の 如 き は 勅 し て 大 價 の 繪 帛 を 織 り 、 と も に か の 製 造 に 準 ぜ し め て 、 大 師 に 供 養 し 玉 ふ て ゐ る 。 世 に 之 を 新 健 陀 衣 と 號 す る 。 さ れ ば 古 來 の 高 僧 に し て 、 或 は 麻 布 を 著 し 、 或 は 繪纊 を 服 す る 等 、 そ の 迹 必 ず し も 一 準 な ら ざ る は 、 是 れ 全 く 機 に 契 ふ て 道 の 爲 め に 益 す る 所 あ る を 擇 ぶ の み で あ る と 論 じ て ゐ る と ほ り 、 健 陀 穀 子 の 袈 裟 は 善 美 を つ く し た る 絹 帛 製 の も の で あ る 。 由 是 觀 此 、 檜 皮 色 法 衣 は 大 師 御 請 來 の 健 陀 穀 子 の 袈 裟 そ の ま ゝ を 準 用 せ し も の と は 見 ら れ な き も 、 し か し そ の 色 は か れ に 準 ぜ し も の で あ り 、 そ し て そ の 色 は 元 來 佛 制 よ り 出 で し も の で あ る 。 行 状 記 に 云 く 、﹁ 右 大 辨 定 親 朝 臣 語 て 云 く 、 大 師 御 入 定 の 相 を 見 奉 り 、 勅 に 依 り 御 服 料 の 内 を 以 て 法

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衣 を 縫 ひ 、 著 せ し め 奉 る の 由 、 官 文 に 注 し 置 く 。 此 の 趣 を 以 て 宗 の 人 々 兩 三 に 語 り 傳 ふ 云 々 ﹂ と 。 こ れ に よ ら ば 、 延 喜 帝 の 御 送 衣 は 、 恐 れ 多 く も 御 服 料 の 内 よ り 御 新 調 あ ら せ ら れ し こ と が わ か る 。 こ れ よ り 以 後 の 帝 王 は そ の 先 蹤 を 逐 ふ て 年 々 大 師 に 賜 ふ こ と ゝ な つ て ゐ る が 、 高 野 春 秋 第 五 、 名 靈 集 第 三 及 び 續 年 譜 第 三 等 に よ ら ば 、 後 一 條 院 の 治 安 三 年 癸 亥 三 月 に は 、 大 師 の 御 衣 料 所 と し て 紀 州 の 藥 勝 寺 村 御 寄 附 の 宣 旨 を 賜 ひ 、 後 冷 泉 帝 の 治 暦 三 年 丁 未 二 月 六 日 に は 、 去 る 治 安 三 年 寄 附 の 状 相 違 あ る べ か ら ず と の 給 旨 を 賜 ひ 、 後 三 條 帝 の 延 久 四 年 壬 子 六 月 二 十 二 日 に は 、 三 た び か の 先 蹤 を 逐 は せ ら る ゝ 宣 旨 を 賜 ふ て ゐ る 。 し か る に 中 古 の 亂 以 後 、 こ の 叡 惠 の 典 中 絶 せ し が 、 天 正 十 八 年 三 月 、 豊 公 に よ つ て そ の 再 興 が 講 ぜ ら れ た 。 當 時 の 寄 附 状 に 云 く 、 安 良 見 村 の 入 地 五 十 石 を 以 て 御 衣 料 と す と 。 又 治 亂 記 に 云 く 、 千 福 山 を 以 て 此 の 料 に 充 つ と 。 兩 度 合 す れ ば 則 ち 八 十 石 と な る が 、 御 衣 料 八 十 石 の こ と は も と 嘉 元 四 年 三 月 の 文 書 に 載 せ て あ る 。 蓮 體 の 眞 言 礪 石 集 第 三 に 、﹁ 高 祖 弘 法 大 師 ハ 高 野 山 ニ 入 定 シ テ 、 全 身 散 セ ズ 今 現 ニ 住 シ 玉 ヘ ヲ 。 昔 シ 延 喜 帝 ノ 夢ニ 見 玉 ヒ テ 衣 ヲ 乞 ヒ 玉 ヒ シ カ バ 、 觀 賢 僧 正 ヲ 勅 使 ト シ テ 衣 ヲ 贈 リ 玉 ヒ シ コ ト ヨ リ コ ノ カ タ 毎 年 三 月 二 十 一 日 ニ 御 衣 ヲ 更 上 ル 。 山 上 山 下 ノ 土 俗 傳 ラ ク 、 毎 年 改 メ 更 ル 衣 ノ 裳 ニ 土 著 ケ リ ト 。 是 レ 全 身 今 ニ 住 シ ラ 十 方 ニ 往 來 シ 、 有 縁 ヲ 救 濟 シ 玉 フ 徴 シ ナ リ 。 設 ヒ 其 ノ 衣 ノ 裳 ニ ハ 土 著 ス ト モ 、 身 ヲ 百 億 ニ 分 テ 、 變 化 等 流 ノ 身 、 十 方 世 界 ニ 現 ジ 玉 フ コ ト 何 ゾ 疑 ハ ン ヤ ﹂ と い へ る 如 く 、 こ の 御 衣 替 の 典 は 親 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 六 三

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親 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 六 四 現 に 毎 年 三 月 二 十 一 日 嚴 粛 に 執 行 さ れ て ゐ る 。 わ が 南 山 寳 龜 院 は 觀 賢 の 開 基 と 傳 へ ら れ る 縁 故 よ り し て 、 往 昔 よ り こ の か た 、 法 衣 一 襲 は す べ て こ の 寺 に お い て 新 調 し 、 毎 年 三 月 十 七 日 を も つ て 理 趣 三 昧 の 法 を 修 し て 之 を 加 持 し を は り 之 を 唐 櫃 に 收 め て 同 月 二 十 一 日 奥 院 廟 前 に 献 備 す る 恒 式 と な つ て ゐ る 文 化 十 四 年 丁 丑 五 月 、 如 意 輪 寺 弘 榮 の 法 則 を 本 と し て 修 正 を 加 へ た り し 、 東 前 院 寛 光 の 寄 附 に か ゝ る 寳 龜 院 所 藏 の 御 衣 加 持 法 則 に 云 く 。 恭 考 其 往 昔 。醍 醐 天 皇 之 御 暦 、延 喜 辛 巳 之 季 春 、 天 皇 於 叡 夢 中 。感 新 衣 乎 吾 祖 之 求 請 。勅 使 詣 廟 洞 下 。捧 緋 衣 恩 賜 之 勅 書 。 自 爾 以 來 ,代 々 聖 朝 、踏 先 蹤 而 爲 定 準 。年 々 三 月 調 新 衣 以 換 舊 服 。方 今 隨 恒 規 。開 加 持 法 莚 。嚴 勅 衣 修 理 趣 三 昧 秘 法 。叡 慮 宸 惠 、其 既 嚴 重 、 大 師 照 覧 、何 不 隨 喜 云 云 。 同 院 に は 現 に 、 か の 治 安 三 年 、 治 暦 三 年 の 官 符 を 初 め 、 御 衣 の 寸 法 、 材 料 、 染 方 、 そ の 他 之 に 關 す る 種 々 の 古 文 書 を 藏 し て ゐ る 。 以 上 は 、 延 喜 聖 主 の 送 衣 に ち な み 、 見 聞 に 任 せ て 聊 か 考 證 を 試 み た の で あ る 。 八 以 下 送 衣 と 贈 諡 と の 同 異 時 、 及 び 勅 使 の 異 同 、 從 僧 并 び に そ の 他 の 參 加 者 に つ い て 決 擇 し て 見 や う と 思 ふ 。 眞 言 傳 第 四 に 云 く 、 延 喜 年 中 に 圭 上 の 御 使 と し て 高 野 の 奥 院 に 參 り 、 檜 皮 色 の 法 服 を 入 定 の 廟 窟 に 送 り 奉 ろ 。 僧 正 御 廟 を 開 く と い へ ど も 、 聖 容 を 拜 見 す ろ 事 能 に ず 云 々 。

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實 運 の 玄 秘 鈔 に 云 く 、 延 喜 年 中 に 祖 師 觀 賢 、 親 お り 入 定 の 全 身 を 拜 見 す 。 勅 に 依 て 法 衣 を 著 せ し む 。 行 状 圖 繪 に 云 く 、 人 王 六 十 代 延 喜 ノ 御 門 ノ 御 時 、 檜 皮 色 ノ ヲ ン 装 束 一 襲 ヲ 以 テ 、 大 師 五 代 ノ 弟 子 、 觀 賢 僧 正 ト 云 人 ニ テ 、 高 野 ノ 御 廟 ニ 送 ラ レ ケ リ 。 平 家 物 語 第 十 に 云 く 、 抑 、 延 喜 の 御 門 の 御 時 、 御 夢 想 り 御 告 有 て 、 ひ は だ 色 の 御 衣 を 參 ら せ 給 ひ た り け る に 、 勅 使 中 納 言 す け す み の 卿 、 般 若 寺 の 觀 賢 を め ひ ぐ し て 此 御 山 に 參 、 御 廟 の と び ら を ひ ら ひ て 御 衣 を き せ 奉 ら ん と し け る に 云 々 。 以 上 の 記 録 は 單 に 延 喜 年 中 と い つ て 、 年 月 に は か け て ゐ な い 。 元 享 釋 書 第 十 に 云 く 、 延 喜 二 十 一 年 、 上 夢 に 、 弘 法 大 師 奏 し て 曰 く 、 我 が 衣 弊 朽 せ り 、 願 は く ば 宸 惠 を 辱 ふ と む と 。 覺 め て 後 、 勅 し て 法 の 徒 の 尤 な ろ 者 を 擇 び 、 紫 衣 一 襲 を 野 山 に 送 ろ 。 賢 選 に 中 つ て 山 に 入 り 定 扉 を 啓 く 。 道 範 の 略 頌 鈔 に 云 く 、 或 記 に 云 く 、 延 喜 二 十 一 年 十 月 二 十 一 日 、 醍 醐 天 皇 御 夢 想 の 告 に 依 て 、 檜 皮 色 の 御 装 束 一 襲 、 大 師 御 入 定 の 廟 所 に 送 ら ろ 。 勅 使 中 納 言 扶 閑 、 長 者 觀 賢 云 々 。 信 堅 の 南 山 記 全 く こ れ と 同 じ い 。 明 澄 の 南 山 記 、 及 び 高 野 秘 記 に は 、 如 上 の 勅 使 御 衣 を 捧 持 し 、 同 月 二 十 五 日 政 所 慈 尊 院 に 着 し 、 二 觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 六 五

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觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 六 六 十 六 日 朝 、 政 所 よ り 百 八 十 町 の 墾 道 を 登 り 、 二 十 七 日 奥 院 に 至 つ て 賜 衣 の 儀 を 行 ふ 。 扶 閑 多 年 持 病 あ り し が 、 勅 を 奉 す る に 當 つ て 大 師 の 靈 夢 を 感 じ 、 奥 院 道 た る 大 坂 の 西 の 麓 の 水 を 飲 む で 痼 疾 頓 に 除 く と い つ て ゐ る 。 高 野 春 秋 第 三 に 云 く 、 開 廟 記 に 云 く 、 二 十 三 日 勅 使 京 を 出 で 、 二 十 五 日 政 所 に 到 り 、 二 + 六 日 中 院 に 着 御 す 云 々 。 以 上 の 記 録 、 勅 衣 が 正 し く 廟 前 に 達 し た る は 、 延 喜 二 十 一 年 十 月 二 十 七 日 と 見 る の で あ る 。 然 る に 尚 祚 の 興 廢 記 に は 、 十 一 月 二 十 七 日 と な つ て ゐ る が 、 私 に こ の 十 一 月 は 多 分 十 月 の 寫 誤 な ら む か と 思 ふ て 色 々 と 對 照 し て 見 る に 、 や は り 寫 誤 と も 思 は れ な い 。 現 に 風 土 記 所 引 の 同 書 ま た 十 一 月 と な つ て ゐ る 。 凡 そ 送 衣 と 贈 諡 と の 同 異 時 の こ と は 容 易 に 判 定 し が た い 。 行 状 圖 繪 の 第 九 、 高 野 高 僧 行 状 記 、 扶 桑 略 記 第 十 三 等 に よ ら ば 、 送 衣 が 先 、 贈 諡 が 後 に な つ て ゐ る 。 略 記 に 云 く 、 延 喜 十 二 年 孟 春 、 聖 皇 高 野 大 師 に 御 法 服 を 進 め 給 ふ 。 勅 使 権 僧 正 観 賢 、 大 納 言 藤 原 扶 閑 。 し か る に 前 に 已 に 述 べ し が 如 く 、 同 記 第 二 十 四 に よ ら ば 、 贈 諡 は 二 十 一 年 十 月 二 十 七 日 と 定 め て あ る か ら 、 送 衣 は 贈 諡 よ り 先 で あ る と 見 る 。 但 し 送 衣 を 十 二 年 孟 春 と す る こ と は 、 諸 記 の 二 十 一 年 説 に 相 違 し て ゐ る か ら こ は 從 ふ べ か ら さ る も の で あ る 。 又 眞 海 の 南 山 之 傳 記 に は 、 僧 正 延 喜 十 八 年 に 登 山 し

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て 先 づ 廟 窟 を 開 い て 大 師 に 謁 せ ら れ 、 之 を 奏 す る や 帝 御 感 の あ ま り 法 衣 を 賜 ひ 、 後 さ ら に 贈 諡 の 宣 下 と は な つ た と い ふ の で あ る 。 義 寳 の 摧 勝 述 記 も ま た こ の 送 衣 前 、 贈 諡 後 の 説 に よ つ て ゐ る 。 高 野 秘 傳 抄 、 行 状 要 集 、 高 野 春 秋 等 は 一 向 に 同 時 な り と 見 て ゐ る が 、 し か し こ れ に も 首 肯 し が た い 點 が あ る 。 そ れ は ま づ 勅 使 の こ と な る が 、 高 野 由 來 卷 に は 右 中 辨 希 世 と い ひ 、 廣 傳 、 扶 桑 略 記 第 二 十 四 、 外 記 日 記 等 に は 少 納 言 平 惟 助 と い ひ 、 平 家 物 語 、 南 山 之 傳 記 、 摧 勝 述 記 、 朋 澄 の 南 山 記 等 に は 中 納 言 藤 原 扶 閑 と い つ て あ る 。 右 中 辨 希 世 と い ふ が 如 き は 、 他 の 記 録 に は 合 し な い か ら 用 い ら れ な い 。 但 し 注 意 す べ き は 惟 助 説 は 、 名 靈 集 に 贈 諡 送 衣 同 時 に し て こ の 入 が そ の 勅 使 な り と 見 る 以 外 の 記 録 に は 、 送 衣 の 記 事 は な く て 贈 諡 の み の 記 事 あ る 場 合 に 限 り 、 そ れ か ら 扶 閑 説 は 、 諡 衣 同 時 の 勅 使 な り と の 高 野 春 秋 以 外 は 、 大 抵 送 衣 の 勅 使 と な つ て ゐ る こ と が 之 で あ る 。 扶 閑 は 古 來 ﹁ ス ヶ ズ ミ ﹂ 、 ﹁ ス ヶ ノ リ ﹂ の 二 樣 の 讀 み か た あ る も 、 恐 ら く ば 平 家 物 語 等 に 用 ふ る ﹁ ス ヶ ズ ミ ﹂ が 正 し い の で あ ら う 。 紀 伊 風 土 記 に 云 く 、 按 ず る に 、 贈 諡 の 事 に 是 歳 十 月 二 十 七 日 た る こ と 諸 傳 詣 一 同 の 説 な り 。 延 喜 帝 の 夢 想 に よ り 御 衣 を 贈 進 し 、 廟 窟 を 開 見 す る に 至 て は 、 諸 説 多 く は 延 喜 の 比 と し て 年 月 に 係 ず 。( 中 畧 ) 邊 告 頭 書 鈔 、 高 野 物 語 の 説 も 年 月 に 係 ざ れ と も 、 觀 賢 兩 度 定 躬 を 拜 し 奉 る よ ふ 記 ぜ り 。 ( 中 畧 ) 又 諡 號 の 勅 使 に 少 納 言 平 惟 助 な る こ と 、 勅 書 の 名 置 、 外 記 日 記 、 紀 畧 等 に 其 證 明 白 な り 。 但 し 山 記 の 中 、 多 く 勅 使 を 中 納 言 扶 閑 と 云 。 こ れ 惟 助 と 別 人 な る や 、 或 は 同 時 に 兩 卿 登 山 す る や 、 同 異 の 間 考 る に 由 な し 。 又 續 年 譜 第 三 に も 粗 同 樣 に 、 ﹁ 蓋 し 惟 助 、 扶 閑 の 兩 卿 同 時 に 登 山 す る か 、 亦 未 だ 知 る べ か ら ざ る な り 。 觀 賢 僧 正 開 廟 の 眞 相 六 七

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