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は じ め に 昭 和 六 十 二 年 は 日 本 国 と タ イ 国 と が ﹁ 日 タ イ 修 好 に 関 す る 宣 言 書 ﹂ を 取 り 交 し て か ら 百 年 目 に あ た っ た。 両 国 に お い て は 同 年 九 月 二 十 六 日 に そ の 記 念 の 式 典 を 同 時 に 挙 行 さ れ た の で あ っ た。 す な わ ち 日 本 国 を 代 表 し て は 中 曽 根 総 理 大 臣 が 訪 タ イ し、 タ イ 国 を 代 表 し て は ワ チ ラ ロ ン コ ン 皇 太 子 が 訪 日 し て そ れ ぞ れ に お け る 記 念 式 典 に 列 席 さ れ た の で あ っ た。 特 に 日 本 に お い て は 記 念 切 手 の 発 行、 書 籍 類 の 刊 行、 講 演 会、 写 真 展、 美 術 展 と い っ た 催 物 が 東 京 を 中 心 に 開 催 さ れ た。 高 野 山 真 言 宗 に は 本 山 教 学 部 の 中 に 開 教 局 が あ り、 北 米、 南 米、 ハ ワ イ の そ れ ぞ れ に 別 院 を 設 置、 布 教 々 化 に あ た っ て い る。 こ の 点 は 他 の 宗 派 に お い て も 同 様 で あ る。 し か し 本 宗 に は テ ー ラ ワ ー ダ 仏 教 国 の 一 つ で あ る タ イ 国 の 主 都 バ ン コ ッ ク に 別 院 で は な い が、 他 宗 派 に は み ら れ な い 開 教 の 拠 点 が あ る。 そ れ は ワ ッ ト ・ ラ ー ジ ャ ブ ラ ナ ( ワ ッ ト ・ タ イ 国 日 本 人 納 骨 堂 と 高 野 山 真 言 宗密 教 文 化 リ ャ ッ プ と 略 称 す、 以 下 こ れ を 使 用 す る) の 境 内 の 一 角 に 建 立 さ れ て い る タ イ 国 日 本 人 納 骨 堂 ( 以 下 納 骨 堂 と 略 す) と 事 務 所 兼 僧 房 の 弘 法 苑 と で あ る。 こ こ に は タ イ 国 日 本 人 会 招 騰、 高 野 山 真 言 宗 派 遣 の 開 教 留 学 僧 が タ イ 比 丘 と な っ て 常 住 し、 納 骨 堂 の 管 理 僧 と し て そ の 任 に あ た っ て い る の で あ る。 か つ て 著 者 も そ の 任 を 拝 受 し、 納 骨 堂 に 居 住 し た 一 人 で あ る。 昭 和 五 十 二 年 十 月 に 当 時 納 骨 堂 建 設 委 員 の 一 人 と し て、 ま た 納 骨 堂 初 代 管 理 僧 で あ っ た 横 浜 市 増 徳 院 々 主 藤 井 真 水 大 僧 正 の 古 稀 の 会 に そ れ ま で の 留 学 僧 が 招 待 を 受 け 参 列 し た 折、 そ れ ぞ れ の 親 睦 を は か る と 共 に 二 年 に 一 度 の 訪 タ イ と 納 骨 堂 建 立 五 十 周 年 記 念 法 要、 さ ら に は そ の 記 念 誌 の 刊 行 と を 当 面 の 目 的 と し て 藤 井 僧 正 を 会 長 に、 高 野 山 堀 川 別 院 主 監 佐 々 木 弘 傳 師 を 幹 事 と し て ﹁ 高 野 山 真 言 宗 タ イ 国 開 教 留 学 僧 の 会 ﹂ (以 下 留 学 僧 の 会 と 略 す) を 結 成、 発 足 し た の で あ っ た。 爾 来、 年 一 回 の 会 員 相 互 の 親 睦 会、 昭 和 五 十 三、 五 十 五 年 の 二 回 の 訪 タ イ を 通 し て 日 本 人 会、 並 び に 在 留 邦 人 と の 親 交 を 密 に し て き た の で あ っ た。 そ し て 昭 和 六 十 年 十 一 月 に は 本 山 教 学 部 開 教 局 の 協 賛 を え る と 共 に 佐 伯 仁 経 開 教 局 長 (副 団 長) の 参 加 を え て、 藤 井 僧 正 を 団 長 と し て 総 勢 四 十 四 名 に て 訪 タ イ し、 タ イ 国 目 本 人 会 の 支 援 を え て 日 タ イ 合 同 で の タ イ 国 日 本 人 納 骨 堂 建 立 五 十 周 年 記 念 法 要 を 挙 行 し た の で あ っ た。 そ し て 帰 国 後 は そ の 記 念 誌 の 編 集 に 取 り か か り、 昭 和 六 十 二 年 七 月 二 十 一 日 に ﹃ 泰 国 日 本 人 納 骨 堂 建 立 五 十 周 年 記 念 誌 ﹄ ( 以 下 ﹃ 記 念 誌 ﹄ と 略 す) を 自 費 出 版 し た の で あ っ た。 こ こ に、 著 者 は 昭 和 六 十 年 七 月 三 十 日 に 留 学 僧 の 会 幹 事 を 佐 々 木 師 よ り 引 継 ぎ、 そ の ﹃ 記 念 誌 ﹄ の 編 集 に 携 っ た 関 係 上、 宗 団 内 に お い て も 余 り 知 ら れ て い な い 五 十 年 の 歴 史 を も つ 納 骨 堂 の 歩 み と 高 野 山 真 言 宗 と の か か わ り、 さ ら に は 留 学 僧 の 生 活 な ど に つ い て 紹 介 す る こ と と す る。
一 納 骨 堂 建 立 の 由 来 著 者 在 タ イ 中、 日 本 人 会 の 長 老 方 よ り 聞 き、 且 つ ま た こ の 度 の ﹃ 記 念 誌 ﹄ に 寄 稿 さ れ た 諸 氏 の 論 文 を 拝 読 す る と、 明 治 四 十 二 年 頃 か ら 在 留 邦 人 の 有 志 が 集 っ て 墓 地 設 置 基 金 を 設 立 し、 募 金 活 動 を 始 っ た よ う で あ る。 そ し て 大 正 三 年 九 月 に ﹁ タ イ 国 日 本 人 会 ﹂ ( 以 下 日 本 人 会 と 略 す) が 設 立 さ れ た 際、 そ の 活 動 は 日 本 人 会 に 移 り、 続 け ら れ て き た の で あ る。 昭 和 七 年 九 月 に 藤 井 真 水 僧 正 が 本 山 よ り ﹁ シ ャ ム 国 留 学 並 在 留 邦 人 布 教 の た め に ﹂ と の 命 を 受 け て 渡 タ イ さ れ た の で あ っ た。 当 時 在 留 邦 人 達 の 間 で は 若 い 僧 侶 が や っ て き た と い っ て 大 変 な 歓 迎 振 り だ っ た よ う で あ る。 早 速 僧 正 は 在 留 邦 人 と 接 し つ つ タ イ 語 を 学 び、 旧 ト ン ブ リ 市 に あ る ワ ッ ト ・ ア ノ ン ガ ラ ン に 入 寺 の 許 可 を え て 沙 弥 戒 を 受 け、 沙 弥 と し て 僧 院 生 活 を 送 る と 共 に 本 山 よ り の 任 に あ た ら れ た の で あ っ た。 そ の 内 に 開 業 医 江 尻 賢 美 氏 が 再 々 僧 正 の も と を 訪 ね、 墓 地 設 置 に 関 し て 種 々 相 談 な さ れ た よ う で あ っ た。 当 時 タ イ 国 に は 在 留 邦 人 が 約 二 百 名、 そ の う ち 日 本 人 会 々 員 は 八 十 名 ほ ど で あ り、 彼 ら の ほ と ん ど が 一 生 涯 を タ イ 国 で、 そ し て そ の 地 に 骨 を 埋 め る つ も り の 者 達 の よ う で あ っ た。 彼 ら の 間 に て 墓 地 設 置 に 関 し て は 長 時 間 に わ た っ て 種 々 論 議 さ れ た よ う で あ る が、 機 熟 さ ず と い う の か、 募 金 活 動 は 進 め ら れ て は い た が、 具 体 的 な 話 し 合 い に は 進 展 せ ず、 時 は 移 り 行 く ば か り で あ っ た。 だ が 前 述 し た よ う に、 昭 和 七 年 に 藤 井 僧 正 が 渡 タ イ し、 在 留 邦 人 と 密 に 接 す る よ う に な る と、 そ の 機 到 来 と い う の か、 墓 地 で は な し に 納 骨 堂 と し て 建 設 す る こ と を 日 本 人 会 に て 決 定、 小 川 蔵 太 日 本 人 会 々 長 を 建 設 委 員 長 に 選 出 し、 六 名 の 委 員 ( 江 尻 賢 美 ・ 旦 筒 秋 雄 ・ 藤 井 真 水 ・ 藤 島 護 三 郎 ・ 三 木 栄 ・ 溝 上 政 憲) で 納 骨 堂 建 設 委 員 会 が 設 立 さ れ た の で あ っ た。 そ し て 納 骨 堂 の 建 タ イ 国 日 本 人 納 骨 堂 と 高 野 山 真 言 宗
密 教 文 化 設 場 所 は ラ ー マ 一 世 王 記 念 橋 の 側 の ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ 境 内 の バ ナ ナ 畑、 約 五 百 坪 の 敷 地 を 宗 教 局 よ り 永 久 無 償 で 借 り 受 け、 バ ナ ナ の 木 一 本 何 バ ー ッ か を 支 払 っ て 整 地 し た そ う で あ る。 京 都 の 金 閣 寺 を 模 し て 設 計 さ れ た 納 骨 堂 は 委 員 の 一 人 で 設 計 の 心 得 の あ る 藤 島 氏 が そ れ を 担 当 し、 地 下 一 階 ( 納 骨 室) 三 層 で コ ン ク リ ー ト で 須 弥 壇 を 作 り、 昭 和 十 年 ( 昭 和 九 年 説 も あ る) 五 月 に 完 成 し た の で あ っ た。 昭 和 十 一 年 に は バ ン コ ッ ク ホ テ ル 主 橋 本 夫 人 を 代 表 と す る 日 本 人 会 々 員 の 有 志 に よ っ て 納 骨 堂 側 に 管 理 僧 専 用 の 純 日 本 式 の 僧 房 が 建 設 さ れ、 藤 井 僧 正 は 初 代 の 納 骨 堂 管 理 僧 と し て ワ ッ ト ・ ア ノ ン ガ ラ ン よ り 移 り 住 ん だ の で あ っ た。 さ ら に 同 年 六 月 に は 名 古 屋 市 に 在 住 し て い た タ イ 名 誉 領 事 で あ る 加 藤 勝 太 郎 氏 と 小 川 蔵 太 建 設 委 員 長 と の 斡 旋 で、 明 治 三 十 七 年 に 名 古 屋 市 千 種 区 に 建 立 さ れ た 覚 王 山 日 泰 寺 ( 旧 称 は 日 遅 寺) よ り 足 利 時 代 作 と 伝 え ら れ て い る 釈 迦 如 来 座 像 一 体 が 納 骨 堂 本 尊 と し て 招 来 さ れ、 官 民 一 体 と な っ て 盛 大 な る 入 仏 式 が 挙 行 さ れ た の で あ っ た。 二 戦 前、 戦 中 の 納 骨 堂 に か か わ つ た 人 々 藤 井 僧 正 が 納 骨 堂 に 移 り 住 ん だ 昭 和 十 一 年 九 月 に 高 野 山 中 学 で 同 級 生 で あ っ た 吉 岡 智 教 師 (現 在、 徳 島 市 本 願 寺 住 職) が 渡 タ イ し、 タ イ 比 丘 と な っ て 納 骨 堂 に 居 住 し た。 後 に 師 は ビ ル マ を も 訪 ね、 昭 和 十 四 年 七 月 に 帰 国 さ れ た が、 そ の 時 の 見 聞 録 を ﹃ 泰 国 仏 教 の 概 見 ﹄ と 題 し て 発 表 し て い る (密 教 研 究 会 刊 ﹃ 密 教 研 究 ﹄ 第 七 十 五 号)。 昭 和 十 六 年 十 一 月 に は 高 野 山 大 学 在 外 研 究 員 と し て 上 田 天 瑞 教 授 ( 昭 和 四 十 九 年 八 月 十 六 日 逝 去) が 渡 タ イ し、 ニ ケ 月 後 に ホ テ ル よ り 納 骨 堂 に 移 ら れ た。 上 田 教 授 は 昭 和 十 七 年 に ビ ル マ に 渡 り、 具 足 戒 を 受 け て ビ ル マ 比 丘 と な ら れ た。
詳 細 に つ い て は 著 書 の ﹃ 戒 律 の 思 想 と 歴 史 ﹄ を 参 照 さ れ た い (高 野 山 大 学 内 密 教 文 化 研 究 所 刊、 昭 和 五 十 一 年 四 月)。 こ の 頃 藤 井 僧 正 も 軍 の 嘱 託 と し て ビ ル マ に 渡 り、 ラ ン グ ー ン の 軍 政 監 部 に 勤 務 し、 後 日 シ ャ ン 州 タ ウ ン ジ イ ー 日 本 語 学 校 長 に 就 任 さ れ、 昭 和 十 九 年 二 月 に 帰 盤 し、 タ イ 日 本 国 大 使 館 情 報 部 に 勤 務 さ れ た。 こ の 頃 に な る と 戦 争 の 雲 行 き は 悪 く な っ て き た が、 軍 部 の 力 は 強 く、 布 教 活 動 ど こ ろ で は な か つ た そ う で あ る。 藤 井 僧 正 不 在 時 の 納 骨 堂 に は 日 本 山 妙 法 寺 の 小 此 木 上 人 ( 昭 和 十 六 年 頃) や 智 野 藤 吉 上 人 ( 昭 和 十 八 年 頃) ら が 居 住 し て 管 理 僧 の 任 に あ た っ て い た そ う で あ る。 さ ら に 佐 々 木 教 悟 師 ( 現 在、 大 谷 大 学 名 誉 教 授) も 居 住 し て お ら れ た。 佐 々 木 師 は 財 団 法 人 大 日 本 仏 教 会 タ イ 国 派 遣 留 学 僧 と し て 渡 タ イ し、 昭 和 十 八 年 三 月 に ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ に て 沙 弥 戒 を 受 け て 僧 院 生 活 を 始 め た。 後 日 ワ ッ ト ・ ス タ ッ ト に て 具 足 戒 を 受 け て タ イ 比 丘 と な ら れ た。 そ し て 終 戦 の 昭 和 二 十 年 十 一 月 に タ イ 国 政 府 の 指 示 で 還 俗 す る ま で 納 骨 堂 に 住 ん で お ら れ た。 昭 和 二 十 年 八 月 十 五 日 に 全 て の 在 留 邦 人 は 大 使 館 に、 軍 人 は 軍 司 令 部 広 場 に 召 集 さ れ 敗 戦 を 知 り、 終 戦 を 迎 え た の で あ っ た。 し か し 十 六 日 の 真 夜 中、 辻 正 信 大 佐 以 下 七 名 の 若 手 将 校 達 は 陸 軍 本 部 を 脱 走 し、 タ イ 比 丘 の 姿 に 変 え て 納 骨 堂 に 潜 入 し た の で あ っ た。 半 月 後、 若 手 将 校 達 は 大 佐 の 命 令 で ワ ッ ト ・ マ ハ ー タ ー ト に 移 つ た が、 大 佐 は 十 月 二 十 入 日 に 脱 出 す る ま で の 約 二 ヶ 月 間、 納 骨 堂 に 住 ん で い た。 因 に 大 佐 の 著 書 ﹃ 潜 行 三 千 里 ﹄ の 始 ま り は こ の 納 骨 堂 か ら で あ る。 な お 九 月 末 に は 光 機 関 に も 所 属 し て い た 日 本 山 妙 法 寺 の 小 此 木 上 人 が 再 び 納 骨 堂 に 住 ん で い る。 一 方、 終 戦 を 迎 え た 在 留 邦 人 達 は 九 月 か ら 十 月 に か け て バ ン コ ッ ク の 北 四 十 キ ロ ほ ど の と こ ろ に 設 置 さ れ た バ ン ブ ァ ー ト ン ・ キ ャ ン プ に 抑 留 さ れ、 昭 和 二 十 一 年 七 月 の 第 一 回 引 揚 船 (鹿 児 島 港 着) と 同 年 九 月 の 第 二 回 引 揚 船 (浦 賀 港 着) と に よ っ て 四、 五 家 族 を 除 い て 全 員 が 強 制 帰 国 さ せ ら れ た の で あ っ た。 藤 井 僧 正 に は 後 者 に て 帰 国 な さ れ て い る。 タ イ 国 日 本 人 納 骨 堂 と 高 野 山 真 言 宗
密 教 文 化 然 る に そ れ 以 後 の 納 骨 堂 に 関 し て は 一 切 不 明 で あ る。 現 在、 当 時 の 納 骨 堂 建 設 委 員 七 名 の 内、 藤 井 僧 正 を 除 い て 全 て が 故 人 と な っ て し ま い、 且 つ ま た 僧 正 自 身、 御 高 齢 な た め に 納 骨 堂 に 関 し て の 細 部 に 亘 る 記 憶 も 薄 れ て い る。 さ ら に 何 ん と い っ て も、 敗 戦、 日 本 人 会 の 自 然 消 減、 在 留 邦 人 の キ ャ ン プ 抑 留 と い っ た こ と で、 そ れ ま で の 納 骨 堂 に 関 す る 詳 細 な る 資 料 が 日 本 人 会 に 保 存 さ れ て あ っ た こ と で あ ろ う が、 悲 し い 哉、 そ れ を 見 な い 今 日、 こ れ 以 上 述 べ る こ と は で き な い。 望 む ら く は、 そ れ ま で の 資 料 が 何 処 か に 保 存 さ れ、 そ し て 発 見 さ れ る こ と で あ る。 三 戦 後 の 納 骨 堂 と 留 学 僧 昭 和 二 十 七 年 に 首 都 バ ン コ ッ ク に 日 本 国 大 使 館 が 開 設 さ れ た。 そ の 前 後 頃 か ら 戦 前、 戦 中 に か け て 住 し て い た 人 達 が 再 び 渡 タ イ を し、 貿 易 な ど に 従 事 す る よ う に な っ た。 や が て 日 本 人 の 数 も 増 し、 昭 和 二 十 八 年 四 月 に は タ イ 国 日 本 人 会 が 再 発 足 さ れ、 大 賀 洋 氏 を 会 長 に 理 事 十 五 名 が 選 出 さ れ た の で あ っ た。 理 事 会 に お い て は 子 弟 の 教 育 と 納 骨 堂 の 修 復、 並 び に 管 理 僧 の 招 聴 に 関 す る 議 案 が 提 言 さ れ、 種 々 論 義 さ れ た よ う で あ る。 し か し 話 し 合 い は 進 展 を 見 ぬ ま ま 有 志 諸 氏 に よ っ て 多 方 面 に 働 き か け、 納 骨 堂 管 理 僧 の 派 遣 方 を 懇 請 し た よ う で あ る。 だ が そ れ も 適 わ ず、 結 局 は 納 骨 堂 建 設 に タ ッ チ し た 藤 井 僧 正 に 管 理 僧 派 遣 方 を 要 請 し た の で あ っ た。 藤 井 僧 正 に は 昭 和 二 十 九 年 十 二 月 に ビ ル マ の 首 都 ラ ン グ ー ン に て 開 催 さ れ た 第 三 回 世 界 仏 教 徒 会 議 に 日 本 代 表 と し て 参 加 さ れ た 折 や 昭 和 三 十 二 年 五 月 の バ ン コ ッ ク に て の 仏 暦 二 千 五 百 年 記 念 式 典 参 列 の 折、 さ ら に は 昭 和 三 十 三 年 十 一 月 に バ ン コ ッ ク に て 開 催 さ れ た 第 五 回 世 界 仏 教
徒 会 議 に 出 席 し た 折 に 以 前 よ り 親 交 の あ っ た 在 留 邦 人 の 方 々 と 会 い、 再 々 管 理 僧 の 派 遣 方 を 懇 請 さ れ た が そ の 実 現 を み な か っ た よ う で あ る。 や が て 昭 和 三 十 五 年 に 訪 タ イ し た 折、 日 本 人 会 役 員 を は じ め 在 留 邦 人 の 方 々 が 管 理 僧 の 来 タ イ さ れ ん こ と を 一 日 千 秋 の 思 い で 待 ち 望 ん で い る こ と を 痛 感 し、 非 常 に 感 激 さ れ、 そ の 実 現 を 約 束 し て 帰 国 し た の で あ っ た。 帰 国 後、 藤 井 僧 正 は 昭 和 三 十 五 年 七 月 十 一 月 号 の 高 野 山 時 報 に ﹃ タ イ 国 を 訪 問 し て ﹄ と 題 し て 論 文 を 掲 載 し、 そ の 中 で ﹁ 大 師 の い ま す と こ ろ 必 ず 光 明 あ り、 自 発 的 に 南 方 の 地 バ ン コ ッ ク に 吾 宗 教 線 拡 張 を せ ん と す る 熱 意 あ る 青 年 僧 な き や ﹂ と 訴 え た の で あ っ た。 さ ら に 宗 会 議 員 の 要 職 に つ い て い た 関 係 上、 本 山 に も 種 々 働 き か け た よ う で あ る。 そ の 頃 現 地 バ ン コ ッ ク で は 昭 和 三 十 五 年 十 一 月 に ﹁ タ イ 国 日 本 人 納 骨 堂 奉 賛 会 ﹂ を 結 成 し、 小 谷 亀 太 郎 氏 を 世 話 人 代 表 に、 上 松 次 雄 ・ 滝 川 虎 若 ・ 日 高 秋 雄 の 三 氏 を 世 話 人 に 選 出 し て 青 年 管 理 僧 の 受 け 入 れ 準 備 に 取 り か か り、 吉 報 を 待 っ た の で あ っ た。 や が て 高 野 山 時 報 の 記 事 を 読 み、 そ の 志 を た て て 名 告 り あ げ た の が 本 山 信 徒 課 に 勤 務 さ れ て い た 長 原 敬 峰 師 ( 現 在、 神 戸 市 転 法 輪 寺 住 職) で あ っ た。 長 原 師 は 当 時 の こ と を ﹃ 記 念 誌 ﹄ の 中 で 次 の よ う に 回 想 さ れ て い る。 私 と タ イ 国 と の つ な が り、 藤 井 真 水 大 僧 正 と の 出 会 い は、 今 か ら 四 半 世 紀 前 の 昭 和 三 十 五 年 の 事 で あ る。 梅 雨 期 の 雨 の 降 る 日、 学 友 の 土 生 川 正 道 僧 正 を 無 量 光 院 に た ず ね た 時、 当 時 高 野 山 出 版 社 に 勤 務 し て お ら れ た 巴 陵 院 住 職 浦 上 隆 彰 僧 正 が お ら れ、 私 が 昭 和 三 十 五 年 七 月 十 一 日 号 の 高 野 山 時 報 に 掲 載 さ れ て い る 藤 井 真 水 僧 正 の 記 事 に よ れ ば、 タ イ 国 日 本 人 会 で は 開 教 留 学 僧 を 求 め て い る と の 事 で あ る の で、 行 っ て み よ う か と 申 し た の が 発 端 で あ る。 当 時、 私 は 本 山 信 徒 課 に 勤 務、 三 十 歳 を 過 ぎ な が ら、 目 的 意 識 も な く 無 為 徒 食 の よ う な 毎 日 の 生 活 を 続 け て い た よ う な 状 態 だ っ た の で、 環 境 の 変 化 が 欲 し く、 又 な ん で も 見 て や ろ う、 体 験 し て や ろ う と 一 念 発 起 し た 次 タ イ 国 日 本 入 納 骨 堂 と 高 野 山 真 言 宗
密 教 文 化 第 で あ る。 早 速、 浦 上 僧 正 が 斡 旋 し て 下 さ り、 故 草 繋 全 弘 ( 当 時 財 務 部 長) 僧 正 等 の 推 薦 も あ っ て と ん と ん 拍 子 に 話 が す す み 藤 井 僧 正 の 快 諾 を 得 た わ け で あ る。 昭 和 三 十 五 年 当 時 は、 ま だ 現 今 の よ う な 海 外 ブ ー ム に は な っ て お ら ず、 パ ス ポ ー ト を 取 得 し た 時 は、 嬉 し く 緊 張 感 を 強 く 感 じ た も の で あ る。 当 時、 宗 会 議 員 を し て お ら れ た 藤 井 僧 正 に は、 公 私 御 多 忙 の な か、 渡 航 手 続 き の 御 世 話 を い た だ い た り、 現 地 バ ン コ ク の 日 本 人 会 等 と の 交 渉、 依 頼 等 い た れ り つ く せ り の 橋 渡 し を し て 下 さ っ た お か げ で、 昭 和 三 十 六 年 二 月 十 六 日 に 神 戸 港 を 出 発 す る 事 が 出 来 た わ け で あ る。 長 原 師 は 目 本 人 と し て 戦 後 初 の 仏 教 国、 タ イ 国 へ の 開 教 留 学 僧 と い う こ と で マ ス コ ミ な ど か ら の 注 目 を あ び、 大 原 智 乗 管 長 狙 下 か ら タ イ 国 宗 教 局 フ ン グ ・ シ リ ピ シ ャ ハ ル 局 長 宛 の メ ッ セ ー ジ を 携 え、 戦 後 初 の タ イ 国 日 本 人 会 招 聴、 高 野 山 真 言 宗 タ イ 国 派 遣 開 教 留 学 僧 と し て 昭 和 三 十 六 年 二 月 十 三 日 に 本 山 開 教 局 (坂 田 撤 全 局 長) よ り 辞 令 を 拝 受 し、 十 六 日 に 神 戸 港 を 出 港 し た の で あ っ た。 バ ン コ ッ ク 上 陸 後 は し ば ら く 奉 賛 会 世 話 人 ( 上 松 次 雄 氏) の 経 営 す る ホ テ ル に 滞 在 し、 タ イ 国 宗 教 局、 日 本 国 大 使 館、 日 本 人 会 な ど へ の 挨 拶 や 石 井 米 雄 氏 ( 現 在、 京 都 大 学 東 南 ア ジ ア 研 究 セ ン タ ー 所 長) の 指 導 で 出 家 得 度 式 次 第 の 暗 記 に 日 々 を 送 っ て い た よ う で あ る。 一 方 現 地 で は、 戦 前 に 納 骨 堂 の 側 に 建 設 さ れ た 僧 房 は 跡 形 も な く、 さ ら に 住 職 の 対 日 感 情 の 悪 さ で 日 本 人 比 丘 が 僧 院 内 に 居 住 す る こ と を 許 可 さ れ ず、 や む な く 外 国 人 に 対 し て 極 め て 開 放 的 で あ っ た ワ ッ ト ・ マ ハ タ ー ト に て そ の 許 可 を え、 長 原 師 は 四 月 二 十 四 日、 沙 弥 戒 を 受 け、 出 家 得 度 し た の で あ っ た。 聞 く と こ ろ に よ る と、 長 原 師 は 僧 院 に 用 事 の あ る 日 以 外 は 朝 食 後 に 納 骨 堂 へ で む い た り、 在 留 邦 人 宅 を 訪 ね た り、 常 に コ ミ ニ ケ ー シ ョ ン を も っ て そ の 任 に 当 っ て い た よ う で あ る。 そ し て 約 一 年 半 後 の 昭 和 三 十 七 年 七 月 一 日 に 具 足 戒 を 受 け て タ イ 比 丘 と な り 一 層 の 精 進 を な さ れ、
三 年 間 の 任 期 を 終 え た 昭 和 三 十 九 年 三 月 二 十 三 日 に ワ ッ ト ・ マ ハ ー タ ー ト に て 還 俗 し、 二 十 五 日 に 帰 国 さ れ た。 帰 国 一 年 前 の 昭 和 三 十 八 年 三 月 十 日 に は 堀 田 真 快 大 僧 正 ( 昭 和 五 十 九 年 一 月 一 日 逝 去) 揮 毫 に よ る ア ユ タ ヤ 日 本 人 町 跡 の 記 念 碑 除 幕 式 法 要 が 挙 行 さ れ、 そ の 導 師 を つ と め て い る。 長 原 師 在 タ イ 時 の 昭 和 三 十 八 年 十 二 月 十 四 日 に 大 多 賀 実 忍 師 ( 現 在、 帯 広 市 高 野 寺 住 職) と 教 海 俊 慮 師 ( 現 在、 笠 岡 市 海 龍 寺 住 職) と が テ ー ラ ワ ー ダ 仏 教 の 実 践 と 研 究 の た め に 本 山 開 教 局 の タ イ 国 留 学 僧 と し て 藤 井 僧 正 の 世 話 で、 渡 タ イ さ れ た の で あ っ た。 そ し て 両 師 は 長 原 師 の 世 話 で ワ ッ ト ・ マ ハ ー タ ー ト 住 の 長 老 比 丘 が 住 職 を 勤 め る ワ ッ ト ・ パ リ ナ ヨ ッ ク に て 同 年 十 二 月 二 十 四 日 に 出 家 具 足 戒 を 受 け て タ イ 比 丘 と な ら れ た の で あ る。 そ し て 両 師 に は そ れ ぞ れ の 目 的 に 努 力 す る 一 方、 翌 昭 和 三 十 九 年 一 月 に は 長 原 師 と 三 人 で ラ オ ス の 主 都 ビ エ ン チ ャ ン を 訪 ね、 戦 後 バ ン コ ッ ク よ り こ こ に 移 り 住 み、 医 療 活 動 に 専 念 し て い た 小 川 蔵 太 博 士 の 世 話 で 日 本 人 と し て 初 め て 正 式 に ラ オ ス 国 宗 教 局 ク ル オ ン ・ バ ト ム ク サ ド 局 長 を 訪 ね た り、 局 長 の 世 話 で 国 内 唯 一 の 仏 教 専 門 学 校 を 有 し て い る ワ ッ ト ・ オ ン ト ウ に 宿 舎 を と り、 三 日 間 と い う 短 い 時 間 で は あ っ た が、 主 都 ビ エ ン チ ャ ン の 仏 教 事 情 を 調 査 す る な ど ラ オ ス と 日 本 と の 親 善 に 努 め ら れ た。 さ ら に 両 師 は 長 原 師 帰 国 後、 次 の 本 山 派 遣 開 教 留 学 僧 の 来 タ イ す る ま で の 約 半 年 間、 納 骨 堂 管 理 僧 の 任 に 当 た ら れ て い る。 そ し て 昭 和 三 十 九 年 十 月 二 十 二 日 に ワ ッ ト ・ マ ハ ー タ ー ト に て 還 俗 し た 両 師 は オ ー ス ト ラ リ ア を 訪 ね、 カ ウ ラ 市 郊 外 に 昭 和 三 十 九 年 に 外 務 省 が 建 設 し た ﹁ 日 本 人 戦 没 者 の 墓 ﹂ の 開 眼 法 要 の 導 師 を つ と め 慰 霊 供 養 を 行 い、 昭 和 四 十 年 一 月 三 十 一 日 に 帰 国 さ れ た。 昭 和 三 十 九 年 一 月 十 七 日 に 本 山 開 教 局 ( 亀 山 弘 慮 局 長) よ り 辞 令 を 拝 受 し た 佐 々 木 弘 傳 師 ( 現 在、 高 野 山 真 言 宗 堀 川 別 院 主 監) は 七 月 四 日、 神 戸 港 を 出 港 し、 二 十 八 日 に バ ン コ ッ ク 港 に 到 着、 八 月 九 日 に ワ ッ ト ・ パ ク ナ ム に て 出 家 具 足 戒 タ イ 国 日 本 人 納 骨 堂 と 高 野 山 真 言 宗
密 教 文 化 を 受 け て タ イ 比 丘 と な ら れ た。 そ し て 大 多 賀 ・ 教 海 両 師 と 交 代 し て 納 骨 堂 管 理 僧 の 任 に あ た ら れ た の で あ る。 佐 々 木 師 が ワ ッ ト ・ パ ク ナ ム に 入 寺 の 許 可 を え た の は 大 多 賀 ・ 教 海 両 師 の 世 話 と 聞 く。 ワ ッ ト ・ パ リ ナ ヨ ッ ク に て 両 師 が 坐 禅 三 昧 に 精 進 努 力 し て お っ た 折、 ワ ッ ト ・ バ ク ナ ム 在 住 の タ イ 人 比 丘 と 知 り 合 い、 彼 の 僧 院 に 父 親 が 日 本 人 で あ る 長 老 比 丘 が 坐 禅 の 指 導 に あ た っ て い る こ と を 知 り、 長 老 を 訪 ね、 指 導 を 願 っ た の が そ も そ も の 縁 だ そ う だ。 現 在、 長 老 に は タ イ 仏 教 僧 伽 の 中 で も 坐 禅 の 第 一 人 者 で あ る と 共 に 僧 院 に お い て は 住 職 代 理 を つ と め る 副 住 職 の 要 職 に つ き な が ら 出 家、 在 家 を と わ ず そ の 指 導 に あ た っ て お ら れ る。 よ っ て 前 述 し た よ う に、 長 老 と 大 多 賀 ・ 教 海 両 師 と の 出 合 い 以 来、 ワ ッ ト ・ パ ク ナ ム と 高 野 山、 さ ら に は 目 本 と の 繋 が り が で き 今 日 に 至 っ て い る の で あ る。 然 る に 現 在 ま で に 本 宗 の み な ら ず 存 家 者 を も 含 め た 他 宗 派 の 者 約 百 名 の 日 本 人 が こ の 僧 院 に て 出 家 具 足 戒 を 受 け タ イ 比 丘 と な っ て 僧 院 生 活 を 送 っ て い る の で あ る。 タ イ 比 丘 と な ら れ た 佐 々 木 師 は 長 原 師 同 様 に 昼 間 は 納 骨 堂 で 過 し、 夕 方 に は ワ ッ ト ・ パ ク ナ ム に 帰 っ た の で あ る。 昭 和 四 十 二 年 七 月 十 五 日 に や っ と ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ の 住 職 の 許 可 が で て 納 骨 堂 に 移 り 住 む こ と が で き た の で あ る。 ま た 佐 々 木 師 は 納 骨 堂 管 理 僧 と し て は 在 タ イ 期 間 五 年 間 と 最 も 長 く、 開 教 留 学 僧 と し て、 ま た 納 骨 堂 管 理 僧 と し て そ の 任 に あ た る 一 方、 数 多 く い る 日 本 人 比 丘 の 中 た だ 一 人 タ イ 国 仏 教 僧 伽 の 実 施 す る 仏 教 々 理 部 門 の 国 家 試 験 に パ ス し て い る。 そ し て 師 は 昭 和 四 十 四 年 十 二 月 七 日 に ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ に て 還 俗、 帰 国 さ れ 高 野 山 堀 川 別 院 主 監 の 要 職 に つ き な が ら も タ イ 比 丘 に 近 い 生 活 を 送 る と 共 に 訪 日 す る タ イ 人 比 丘 の 世 話 を 一 手 に 引 き 受 け、 仏 教 を 通 じ て の 日 タ イ 親 善 に 活 躍 さ れ て い る。 昭 和 三 十 五 年 十 一 月 二 十 九 日 に 納 骨 堂 管 理 僧 を 招 聴 す る に あ た り 設 立 さ れ た ﹁ 泰 国 日 本 人 納 骨 堂 奉 賛 会 ﹂ の 役 割 は
昭 和 四 十 三 年 八 月 よ り 日 本 人 会 に 委 ね ら れ、 そ の 組 織 は 事 業 部 が 担 当 す る こ と に な つ た。 こ の 点 に 関 し て 奉 賛 会 の 代 表 世 話 人 で あ っ た 小 谷 亀 太 郎 氏 ( 現 在、 日 本 人 会 事 業 部 長) の ﹃ 記 念 誌 ﹄ に よ せ た 手 記 に よ る と 次 の 如 く で あ る。 ( マ マ) 昭 和 三 十 六 年 在 留 邦 人 の 要 望 に 依 り 高 野 山 真 言 宗 よ り 納 骨 堂 管 理 僧 を 招 聰 し (現 在 の 管 理 僧 は 七 代 目 で あ る) 管 理 僧 を 迎 え る に 当 り、 納 骨 堂 奉 賛 会 を 組 織、 代 表 世 話 人 に 就 任、 日 本 人 会 の 援 助 を 得 て 管 理 僧 の 世 話 に 当 る。 そ の 後、 外 務 省 よ り 在 外 墓 地 修 復 資 金、 維 持 資 金 の 援 助 を 受 け る 様 に な っ た 為、 納 骨 堂 は 日 本 人 会 の 直 接 管 理 に 移 し 納 骨 堂 奉 賛 会 は 仏 教 奉 賛 会 と な り、 仏 教 奉 賛 会 は 発 展 的 に 解 消 し て、 懇 和 会 と な り、 現 在 は 厚 生 部 に 属 し 長 期 在 留 邦 人 或 は 今 後 長 期 在 留 を 希 望 す る 者 の 親 睦 を 計 る 会 と な っ て い る。 昭 和 五 十 三 年 七 月 十 日 記 昭 和 四 十 四 年 八 月 十 四 日 に 本 山 開 教 局 ( 麻 生 恵 光 局 長) よ り 辞 令 を 拝 受 し た 資 延 憲 英 師 (現 在、 深 川 市 真 言 寺 副 住 職) は 翌 十 五 日 に 渡 タ イ し、 二 十 五 日 に ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ に て 出 家 具 足 戒 を 受 け て タ イ 比 丘 と な ら れ た。 師 は 渡 タ イ に 際 し て の 心 境 を ﹃ 記 念 誌 ﹄ の 中 で 次 の よ う に 述 べ ら れ て い る。 バ ン コ ク に 着 い て 十 日 目 ( 一 九 六 九 年 八 月 二 五 日) に 得 度 式 を 行 う こ と に な っ た。 既 に こ の 年 の 安 居 は 始 ま っ て い て、 ひ と り 私 だ け が 三 十 日 遅 れ の 安 居 に 入 る わ け だ。 む ろ ん 安 居 明 け も、 ひ と よ り 三 十 日 遅 れ る こ と に な る。 本 来 な ら 正 式 の 安 居 に 間 に 合 わ す よ う 得 度 式 の 日 程 を 組 む は ず だ が、 そ の 頃、 私 は 札 幌 市 の 女 子 高 校 の 教 員 で、 お ま け に 三 年 生 の 担 任 だ っ た か ら、 進 学 や 就 職 を 心 配 す る 生 徒 の 白 い 眼 に 取 り 囲 ま れ て い た。 か て て 加 え て、 女 房 は 二 番 目 の 子 の 出 産 を ひ か え て、 ま る で ス イ ヵ を だ き 抱 え る ほ ど の 腹 だ っ た。 幸 い こ の 方 は、 赤 ん 坊 が 気 を 利 か し て、 予 定 よ り 二 十 日 も 早 く 六 月 三 十 日 男 児 と し て 出 生 し て く れ た。 お そ ら く ﹁ 開 教 留 学 僧 ﹂ で、 妻 子 を 日 本 タ イ 国 日 本 人 納 骨 堂 と 高 野 山 真 言 宗
密 教 文 化 に 残 し て 赴 任 す る の は、 あ と に も 先 に も 私 ぐ ら い の も の で あ ろ う。 師 の 渡 タ イ は 自 ら も 述 べ て い る よ う に 妻 子、 そ れ も 乳 呑 児 を 残 し て の 渡 タ イ、 釈 尊 の 出 離 時 の こ と を 思 い お こ せ る の は 著 者 一 人 で は な い で あ ろ う。 ま た 師 は ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ に て 出 家 具 足 戒 を 受 け て タ イ 比 丘 と な ら れ た 最 初 の 日 本 人 で あ る。 た だ し 当 時 は ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ の 住 職 が 出 家 具 足 の 際 の 戒 師 和 尚 の 資 格 を 有 し て い な か っ た の で、 和 尚 は 他 の 僧 院 か ら 招 い て の 出 家 具 足 戒 で あ っ た そ う だ。 佐 々 木 ・ 資 延 両 師 は 約 四 ケ 月 間、 狭 い 納 骨 堂 に て 共 住 し て い た が、 佐 々 木 師 は 十 二 月 七 日 に ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ に て 還 俗、 帰 国 さ れ た。 明 け て 昭 和 四 十 五 年 に は 資 延 師 は 日 本 人 会 の 協 力 に よ つ て 納 骨 堂 を は じ め カ ン チ ャ ナ ブ リ 慰 霊 塔、 ア ユ タ ヤ 日 本 人 町 跡、 チ ェ ン マ イ 市 ワ ッ ト ・ ム ー ン サ ー ン に あ る 戦 没 者 慰 霊 碑 な ど を 紹 介 す る パ ン フ レ ッ ト を 作 製 し た り、 バ ン コ ッ ク 日 本 人 商 工 会 議 所 工 業 部 会 で の ﹁ 小 乗 仏 教 の 思 想 と タ イ 人 の 信 仰 ﹂ と 題 し て の 講 演 を 皮 切 り に 日 本 人 会 婦 人 部、 日 本 人 商 工 会 議 所 観 光 部 会 従 事 者 研 修 会、 総 理 府 派 遣 青 年 の 船 に て の 講 演 と 多 岐 に わ た っ て そ の 任 に あ た ら れ た。 ま た 師 在 任 中 の 昭 和 四 十 六 年 八 月 五 日 の 日 本 人 会 理 事 会 で 納 骨 堂 管 理 僧 の 委 嘱 要 項 が 決 定、 文 書 化 さ れ、 事 業 部 長 青 木 孝 雄 氏 よ り 八 月 二 十 七 日 付 で 麻 生 恵 光 開 教 局 長 に そ の 旨 が 報 告 さ れ て い る。 な お こ の 委 嘱 要 項 は 次 の 管 理 僧 よ り 適 用 さ れ る と の こ と で あ っ た。 そ の 委 嘱 要 項 を 示 す と 次 の 如 く で あ る。 一、 泰 国 日 本 人 会 よ り の 日 本 人 納 骨 堂 々 守 僧 侶 の 委 嘱 期 間 は 原 則 と し て 最 低 三 年 間 と す る。 尚 実 際 の 蹄 国 時 期 の 決 定 は 本 人、 本 人 の 所 属 す る 本 山 と 日 本 人 会 三 者 の 取 決 め に よ る も の と す る。 二、 得 度 式 費 用 約 五 千 バ ー ツ は 日 本 人 会 が 負 担 す る。 三、 毎 月 の 御 布 施 は 一 五 〇 〇 バ ー ッ と し 年 末 に 更 に 一 ケ 月 の 御 布 施 を す る。
四、 赴 任 及 び 蹄 国 の 往 復 旅 費 は 当 会 が 負 担 す る。 外 に 赴 任 支 渡 金 二 ヶ 月 分 三 〇 〇 〇 バ ー ッ、 錦 国 御 蝕 別 ニ ケ 月 分 三 〇 〇 〇 バ ー ツ を 御 布 施 す る。 五、 在 任 中 印 度 の 佛 跡 巡 拝 を 一 回 許 可 し、 そ の 費 用 の 約 半 額 一 万 バ ー ッ を 当 会 が 補 助 す る。 六、 昭 和 四 八 年 度 よ り 政 府 補 助 の 手 当 の 増 額 が 認 め ら れ た 際 は 毎 月 の お 布 施 も 之 に 伴 い 増 額 す る。 七、 以 上 の 事 務 取 扱 い は 事 業 部 長 が 之 を 担 当 す る。 ( 原 文 通 り) な お 資 延 師 は 昭 和 四 十 六 年 十 月 五 日 に ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ に て 還 俗 し、 十 二 月 二 日 に 帰 国 さ れ た。 資 延 師 在 任 中 の 昭 和 四 十 六 年 六 月 十 七 日 に 本 山 開 教 局 (麻 生 恵 光 局 長) よ り 辞 令 を 拝 受 し た 浦 上 隆 康 師 ( 現 在、 高 野 山 正 覚 院 住 職) が 二 十 五 日 に 渡 タ イ し、 七 月 三 日 に ワ ッ ト ・ パ ク ナ ム に て 出 家 具 足 戒 を 受 け て タ イ 比 丘 と な ら れ た。 そ し て 十 月 に 資 延 師 と 交 代 し、 納 骨 堂 に 移 っ て い る。 師 は 高 野 山 大 学 在 学 中 に も 短 期 間 で は あ っ た が ワ ッ ト ・ パ ク ナ ム に て 僧 院 生 活 を 経 験 し て い る と の こ と で あ る。 ﹃ 記 念 誌 ﹄ 掲 載 の 師 の 回 顧 録 に よ る と、 納 骨 堂 管 理 僧 の 任 に あ た り な が ら 戒 律 の 研 究 に 従 事 し て い た よ う で あ る。 翌 昭 和 四 十 七 年 六 月 に 師 が 師 僧 の 竪 精 明 神 手 伝 い の た め に 一 時 帰 国 し、 再 度 渡 タ イ し た 六 月 二 十 九 日 に 著 者 も 師 と 共 ハ に 渡 タ イ し た。 著 者 は 藤 井 僧 正、 小 谷 亀 太 郎 氏 の 世 話 で ワ ッ ト ・ パ ク ナ ム に て 七 月 七 日 に 出 家 具 足 戒 を 受 け て ﹁ タ イ 比 丘 と な っ た。 そ し て 翌 昭 和 四 十 八 年 四 月 六 日、 ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ に て 還 俗、 帰 国 し た 浦 上 師 の 残 留 期 間 ( 一 年 間) を 引 き 受 け る と い う こ と で 現 地 に て 本 山 開 教 局 か ら の 辞 令 を 受 け 取 り、 四 月 十 九 日 に 納 骨 堂 に 移 り そ の 任 に あ た っ た。 十 一 月 五 日 に 武 田 和 昭 師 ( 現 在、 香 川 県 三 豊 郡 仁 尾 町 円 明 院 住 職) が 渡 タ イ し、 二 十 四 日 に ワ ッ ト ・ パ ク ナ ム に て 出 家 具 足 戒 を 受 け、 短 期 間 で は あ っ た が、 パ ー リ 仏 教 の 実 践 忙 つ と め た。 武 田 タ イ 国 日 本 人 納 骨 堂 と 高 野 山 真 言 宗
密 教 文 化 師 は 十 二 月 二 十 二 日 に ワ ッ ト ・ パ ク ナ ム に て 還 俗 し た が、 著 者 と イ ン ド 仏 跡 巡 拝 や 国 内 視 察 旅 行 な ど を し て 翌 昭 和 四 十 九 年 三 月 十 九 日 に 帰 国 し た。 同 年 二 月 十 日 に は ワ ッ ト ・ ケ ン コ イ 境 内 に あ る 第 一 回 日 本 人 移 民 の 碑 の お 堂 が 完 成 し、 日 本 人 会 主 催 で 落 慶 法 要 が 挙 行 さ れ、 著 者 は そ の 導 師 を つ と め た。 納 骨 堂 に て は 二 月 十 八 日 か ら 三 月 十 日 に か け て 全 面 的 な 修 復 工 事 が な さ れ た。 著 者 は 四 月 二 十 一 日 か ら 六 月 十 日 ま で 一 時 帰 国 し、 引 き 受 け た 任 期 の 満 了 を 本 山 開 教 局 に 報 告、 さ ら に そ の 任 を 引 き 受 け て 再 度 渡 タ イ し た。 そ の 折、 本 山 開 教 局 よ り 仏 具 一 式 が 納 骨 堂 に 寄 贈 さ れ た。 六 月 二 十 八 日 に は 岸 本 公 秀 師 ( 現 在、 姫 路 市 国 分 寺 住 職) が 渡 タ イ し、 七 月 五 日 に ワ ッ ト ・ パ ク ナ ム に て 出 家 具 足 戒 を 受 け た が、 体 調 を 崩 し 八 月 二 十 四 日 に ワ ッ ト ・ パ ク ナ ム に て 還 俗、 翌 二 十 五 日 に 帰 国 し た。 日 本 人 会 に お い て は 長 年 懸 案 と な っ て い た 納 骨 堂 僧 房 兼 事 務 所 建 設 が 理 事 会 で 承 認 さ れ、 新 野 芳 四 郎 氏 ( 昭 和 五 十 五 年 八 月 六 日 逝 去) を 代 表 世 話 人 と す る ﹁ バ ン コ ク 日 本 人 納 骨 堂 僧 坊 建 立 基 金 募 集 世 話 人﹂が 選 出 さ れ、 建 立 基 金 七 百 五 十 万 円 を 目 標 に 募 金 活 動 に 入 っ た の で あ る。 因 に 世 話 人 は 小 谷 亀 太 郎 ・ 曽 我 祐 知 ( 昭 和 五 十 九 年 九 月 二 十 四 日 逝去)・瀧 川 虎 若 ・ 日 高 秋 雄 ( 昭 和 五 十 四 年 十 月 十 三 日 逝 去) ・ 村 上 六 治 郎 ( 昭 和 五 十 三 年 五 月 十 四 日 逝 去) の 六 氏 で あ る。 そ し て 本 山 開 教 局 に は 亀 山 弘 鷹 管 長 狽 下 宛 に 世 話 人 連 署 で 募 金 総 額 の 三 分 の 一 に あ た る 二 百 五 十 万 円 の 援 助 を 乞 う 懇 請 状 が 送 附 さ れ、 ま た 管 理 僧 で あ っ た 著 者 に も 世 話 人 方 よ り 本 山 開 教 局 へ 要 望 書 送 附 を 乞 わ れ、 設 計 図 を 添 付 し て 新 居 祐 政 開 教 局 長 ( 現 在、 高 野 山 真 言 宗 総 務 部 長) 宛 に 協 力 を お 願 い し た の で あ っ た。 さ ら に こ の 件 に 関 し て は 宗 会 議 員 資 延 光 雄 僧 正 ( 現 在、 深 川 市 真 言 寺 住 職)・佐 々 木 兼 俊 僧 正 ( 現 在、 高 野 山 真 言 宗 同 和 局 課 長)・藪 本 寿 紀 僧 正 方 よ り も 協 力 要 請 書 が 本 山 開 教 局 に 提 出 さ れ た の で あ っ た。 こ れ ら の こ と を う け て 本 山 内 局 に お か れ て は 近 藤 本 昇 宗 務 総 長 ・ 新 居 祐 政 開 教 局 長 連 署 で 関 係 諸 大 徳 に 趣 意 書 を 配 し、 協 力 を 要 請 さ れ た の で あ っ た。 趣 意 書 は 次 の 如 く で あ る。
趣 意 書 タ イ 國 首 都 バ ン コ ッ ク の ワ ッ ト ・ リ ヤ プ 寺 の 境 内 に 日 本 人 納 骨 堂 が あ る こ と は 皆 様 ご 承 知 の こ と と 思 い ま す ( マ マ) 昭 和 八 年 に 建 立 さ れ た こ の 納 骨 堂 に は、 明 治 二 十 七 年 以 来 現 在 ま で 現 地 で 物 故 さ れ た 方 々 三 百 二 十 余 霊 並 び に 戦 時 中 タ イ 國 で な く な ら れ た 日 本 軍 将 兵 の 英 霊 が ま つ ら れ て お り ま す。 こ こ に は 今 日 ま で 高 野 山 か ら 多 く の 開 教 僧 の 方 が 招 か れ て 堂 の 管 理 物 故 者 へ の 圓 向 等 の 佛 事 の 他 冠 婚 葬 祭 の 行 事 を 行 っ て ま い り ま し た。 戦 災 に よ っ て 納 骨 堂 の 周 辺 は 荒 廃 し た ま ま 今 日 に 至 っ て お り ま す が、 タ イ 國 は 國 民 皆 僧 の 佛 教 國 で あ り 僧 侶 を 最 も 大 切 に す る 國 で あ る に も か ㌧ わ ら ず 日 本 人 僧 に 長 く 不 自 由 な 生 活 を し て 頂 く に し の び ず、 又 体 面 に も か ゝ わ る 事 で あ る と の 趣 旨 に よ り こ の 度 タ イ 國 日 本 人 会 の 手 に よ っ て 僧 坊 事 務 所 の 建 立 が 進 め ら れ る こ と と な り ま し た。 い ま や、 バ ン コ ッ ク 在 留 邦 人 の 数 は 七 千 余 名 に も お よ び、 こ こ が 在 留 邦 人 の 心 の よ り ど こ ろ と し て 極 め て 大 き な 支 え と な っ て お り ま す。 こ こ に 本 宗 よ り 派 遣 さ れ た 開 教 僧 が 駐 在 し て お る と い う こ と は 開 教 の 意 義 も 又 ま こ と に 大 き な も の が あ り ま す。 日 本 人 会 は、 こ の 度 の 僧 坊 建 立 に あ た り 特 に 高 野 山 真 言 宗 に 対 し て 物 心 両 面 か ら の 協 力 を 要 請 し て お ら れ ま す。 宗 団 と し て も こ の 要 請 に 答 え る べ く 最 大 の 協 力 を 致 す こ と に な り、 こ れ を 契 機 に こ の 施 設 を 拠 点 と し て 南 方 諸 國 へ の 開 教 に 一 段 と 力 を 注 ぐ こ と に な り ま す。 つ き ま し て は 各 位 に お か れ て も 右 の 趣 旨 を お 汲 み 取 り 頂 き、 お 力 添 え の 程 お 願 い 申 し 上 げ る 次 第 で ご ざ い ま す。 昭 和 四 十 九 年 七 月 二 十 一 日 各 位 タ イ 国 日 本 人 納 骨 堂 と 高 野 山 真 言 宗
密 教 文 化 高 野 山 真 言 宗 宗 務 総 長 近 藤 本 昇 團 開 教 局 長 新 居 祐 政 圃 ( 原 文 通 り) こ の 結 果、 総 本 山 金 剛 峯 寺 を は じ め 二 十 四 口、 二 百 八 十 五 万 九 千 六 百 四 十 円 の 浄 財 が 寄 せ ら れ た の で あ る。 そ し て 昭 和 四 十 九 年 十 一 月 四 日 の 本 山 内 局 の 責 任 役 員 会 で 教 学 部 長 を 特 使 と し て 派 遣 し、 浄 財 を 持 参 す る 旨 了 承 さ れ た の で あ っ た。 そ れ を う け て 新 居 局 長 は 十 二 月 八 日、 歴 代 開 教 局 長 と し て は 初 め て 訪 タ イ し、 持 参 し た 浄 財 を タ イ バ ー ッ に 交 換 し、 そ の 内 の 十 六 万 七 千 五 百 バ ー ッ を 僧 房 建 設 資 金 と し て 日 本 人 会 に 寄 付 す る と 共 に 残 り 二 万 三 千 九 百 七 十 六 バ ー ツ を 局 長 配 慮 で 管 理 僧 が 公 的 で あ れ ば 自 由 に 使 え る 納 骨 堂 基 金 を 設 立 さ れ た の で あ っ た。 さ ら に 新 居 局 長 に は 短 時 間 の 中 で 西 野 順 次 郎 日 本 人 会 々 長 を は じ め 役 員 諸 氏 と 面 談 す る と 共 に 納 骨 堂 参 詣、 日 本 国 大 使 館、 世 界 仏 教 徒 協 会 本 部、 ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ、 ワ ッ ト ・ パ ク ナ ム な ど を 表 敬 訪 問 も、 十 日 に 帰 国 さ れ た の で あ つ た。 因 に 著 者 は ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ に て 昭 和 五 十 年 五 月 二 十 一 日 に 還 俗、 七 月 四 日 に 新 し く 作 製 さ れ た 僧 房 の 設 計 図 を 携 え て 帰 国、 本 山 開 教 局 に 報 告、 提 出 し た。 著 者 在 任 中 の 昭 和 五 十 年 三 月 十 一 日 に 本 山 開 教 局 ( 新 居 祐 政 局 長) よ り 辞 令 を 拝 受 し た 河 野 良 文 師 ( 旧 性、 野 見 山、 現 在、 奈 良 市 大 安 寺 副 住 職) は 十 五 日 に 渡 タ イ し、 五 月 四 日 に ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ に て 出 家 具 足 戒 を 受 け て タ イ 比 丘 と な ら れ た。 師 は ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ 住 職 プ ラ ・ ク ナ ー チ ャ ー ラ ワ ッ ト (現 在 名、 プ ラ ・ ラ ー チ ャ プ ッ タ ー チ ャ ン) 比 丘 の 戒 師 和 尚 と し て の 具 足 戒 を 受 け た 最 初 の 日 本 人 で あ る。 著 者 は 自 ら の 還 俗 に と も な い そ の 任 を 河 野 師 と 交 代 し た。 師 は 在 任 中
日 本 人 会 婦 人 部 を は じ め ジ ェ ト ロ (貿 易 振 興 会) な ど 多 方 面 に わ た っ て 講 演 を し、 本 山 布 教 研 修 生 (渡 タ イ 前 の 一 年 間) と し て 修 得 し た も の を 十 二 分 に 発 揮 さ れ て そ の 任 に あ た ら れ た の で あ る。 昭 和 五 十 年 十 一 月 に は 僧 房 兼 事 務 所 が 著 者 持 参 帰 国 し た 折 の 設 計 図 と は 屋 根 の 部 分 な ど に 変 更 は 見 ら れ る も の の 総 二 階 建 て で 完 成 し、 翌 昭 和 五 十 一 年 二 月 十 日、 近 藤 本 昇 宗 務 総 長 を 団 長 に 一 行 四 十 一 名 が 訪 タ イ し、 翌 十 一 日 に 団 長 導 師 に て 落 慶 法 要 を 勤 修 さ れ た の で あ つ た。 因 に 僧 房 は ﹁ 弘 法 苑 ﹂ と 命 名 さ れ、 亀 山 弘 鷹 管 長 狙 下 に よ る 揮 毫 を 渡 慈 秀 詠 監 が 彫 刻 し た 門 標 を 玄 関 に 掲 げ た の で あ っ た。 河 野 師 は 昭 和 五 十 三 年 四 月 二 十 三 日 に ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ に て 還 俗 し、 五 月 二 十 四 日 に 帰 国 さ れ た が、 そ の 時 ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ の 住 職 の 長 年 の 念 願 が 適 え ら れ、 師 と 共 に 訪 日 し、 師 の 案 内 に て 本 山 金 剛 峯 寺 を は、 じ め 国 内 の 関 係 寺 院 を 表 敬 訪 問 さ れ て い る。 聞 く と こ ろ に よ る と、 帰 盤 後 (漢 字 で バ ン コ ッ ク を ﹁ 盤 谷 ﹂、 ま た は ﹁ 曼 谷 ﹂ と 記 す) の 住 職 は 大 変 な 親 日 家 に 変 貌 し た そ う で あ る。 河 野 師 在 任 中 の 昭 和 五 十 二 年 十 一 月 十 日 に 本 山 開 教 局 (島 田 信 了 局 長) よ り 辞 令 を 拝 受 し た 中 山 全 條 師 が 十 四 日 に 渡 タ イ し、 翌 昭 和 五 十 三 年 一 月 七 日 に ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ に て 出 家 具 足 戒 を 受 け て タ イ 比 丘 と な ら れ た。 師 も バ ン コ ッ ク 駐 在 金 融 業 界 主 催 な ど で の 講 演 を 行 う な ど し て そ の 任 に あ た っ て い る。 昭 和 五 十 三 年 十 一 月 二 十 六 日 に は 留 学 僧 の 会 主 催 の 第 一 回 訪 タ イ 団 ( 団 長 ・ 藤 井 真 水 会 長) 一 行 十 九 名 が 訪 タ イ し、 納 骨 堂、 カ ン チ ャ ナ ブ リ 慰 霊 塔 ( 昭 和 十 九 年 二 月、 日 本 鉄 道 隊 建 立) に て 慰 霊 法 要 を 勤 修、 さ ら に ジ ョ ホ ー ル バ ル ー 真 如 親 王 供 養 塔 ( 昭 和 四 十 五 年 一 月、 高 野 山 親 王 院 住 職 中 川 善 教 前 官 建 立)、 シ ン ガ ポ ー ル 日 本 人 墓 地 を 参 詣 し て 十 二 月 一 日 に 帰 国 し た。 中 山 師 は 翌 昭 和 五 十 四 年 十 月 十 一 日 に ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ に て 還 俗 し て 十 七 日 に 帰 国 し た が、 そ の 残 任 期 間 を う め る べ く 本 山 教 学 部 に 奉 職 さ れ て い た 河 野 師 が 十 一 月 十 九 日 に 再 度 渡 タ イ し、 十 二 月 二 十 日 に 出 家 具 足 戒 を う け て そ の 任 に あ た ら れ た。 翌 昭 和 五 十 五 年 二 月 十 タ イ 国 日 本 人 納 骨 堂 と 高 野 山 真 言 宗
密 教 文 化 一 日 に は、 稲 葉 義 猛 財 務 部 長 ( 現 在、 高 野 山 専 修 学 院 門 主) を 団 長 と す る 本 山 主 催 の 弘 法 大 師 像 入 仏 法 要 並 慰 霊 法 要 団 一 行 十 八 名 が 訪 タ イ し、 翌 十 二 日 に 団 長 導 師 に よ る 入 仏 慰 霊 法 要 を 勤 修 さ れ た。 河 野 師 は 五 月 十 八 日 に 二 度 目 の 還 俗 式 を 行 い、 七 月 二 十 六 日 に 帰 国 さ れ た。 河 野 師 在 任 中 の 昭 和 五 十 五 年 四 月 二 十 四 日 に 本 山 開 教 局 (大 月 俊 信 局 長) よ り 辞 令 を 拝 受 し た 藤 井 隆 照 師 ( 現 在、 高 野 山 奥 の 院 勤 務) が 五 月 二 十 三 日 に 渡 タ イ し、 六 月 二 十 一 日 に ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ に て 出 家 具 足 戒 を 受 け て タ イ 比 丘 と な ら れ た。 師 在 任 中 は 婦 人 部 主 催 の 講 演 会 や 博 物 館 め ぐ り の 講 師 な ど を つ と め そ の 任 に あ た ら れ て い た。 十 一 月 十 九 日 に は 留 学 僧 の 会 主 催 の 第 二 回 訪 タ イ 団 ( 団 長 ・ 藤 井 真 水 会 長) 一 行 二 十 八 名 が 訪 タ イ し、 納 骨 堂、 チ ェ ン マ イ 市 ワ ッ ト ・ ム ー ン サ ー ン 戦 没 者 供 養 塔 に て 慰 霊 法 要 を 勤 修 し、 二 十 四 日 に 帰 国 し た。 な お 一 行 に 参 加 さ れ た 藪 光 龍 教 学 次 長 ( 現 在、 高 野 山 真 言 宗 企 画 室 々 長) は 藤 井 団 長 達 と 共 に 日 本 奉 仕 セ ン タ ー を 表 敬 訪 問 し、 持 参 し た 本 山 よ り の 難 民 救 済 義 援 金 を 寄 附 さ れ た。 ま た 昭 和 五 十 七 年 二 月 十 日 か ら 十 二 日 に か け て 豊 田 高 詔 師 ( 高 野 山 地 蔵 院 住 職)・肥 田 邦 道 師 (前 高 野 山 大 学 総 務 課 長)・藪 本 寿 紀 師 は 本 山 よ り の 難 民 救 済 義 援 金 を 携 え ア ラ ン ヤ プ ラ テ ー ト ( バ ン コ ッ ク の 東 方 二 八 〇 キ ロ に あ る カ ン ボ ジ ア と の 国 境 の 町) を 訪 ね、 日 本 奉 仕 セ ン タ ー の 協 力 に て カ オ イ ダ ン を 中 心 と し た カ ン ボ ジ ア 難 民 キ ャ ン プ を 慰 問 さ れ た。 藤 井 師 は 昭 和 五 十 七 年 十 月 十 四 日 に ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ に て 還 俗 し、 十 二 月 十 三 日 に 帰 国 さ れ た。 藤 井 師 在 任 中 の 昭 和 五 十 七 年 九 月 二 十 八 日 に 本 山 開 教 局 ( 大 月 俊 信 局 長) よ り 辞 令 を 拝 受 し た 木 村 聰 元 師 (現 在、 新 居 浜 市 宗 像 寺 副 住 職) は 十 月 二 十 二 日 に 渡 タ イ し、 十 一 月 十 三 日 に ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ に て 出 家 具 足 戒 を 受 け て タ イ 比 丘 と な ら れ た。 師 も 前 任 者 の 活 動 を 引 き 受 け 講 演 会 へ の 参 加 や 写 経 の 会 な ど を 主 催 し た り し て そ の 任 に あ た ら れ た。 藤 井 師 帰 国 後 の 十 二 月 二 十 二 日 に は 高 野 山 高 等 学 校 (山 階 清 弘 校 長) の 第 三 回 海 外 研 修 旅 行 団 一 行 が 訪 タ イ し、 翌 二 十 三 日
に 納 骨 堂 を 参 詣、 一 座 の 法 要 を 勤 修 さ れ た。 昭 和 五 十 九 年 十 一 月 二 十 五 日 に は ワ ッ ト ・ パ ク ナ ム 前 住 職 生 誕 百 年 祭 に 参 列 さ れ た 佐 々 木 弘 傳 師 ・ 資 延 憲 英 師 ・ 河 野 良 文 師 と は 納 骨 堂 に て 仲 田 順 和 醍 醐 派 宗 務 総 長 一 行 と 合 同 慰 霊 祭 を 勤 修 さ れ た。 翌 六 十 年 十 一 月 十 六 日 に は 本 山 開 教 局 の 協 賛 を え て 留 学 僧 の 会 主 催 の 第 三 回 訪 タ イ、 タ イ 国 日 本 人 納 骨 堂 建 立 五 十 周 年 記 念 法 要 団 (団 長、 藤 井 真 水 会 長) 一 行 四 十 四 名 が 訪 タ イ し、 翌 十 七 日 に 管 長 代 理 の 藤 井 団 長 を 導 師 に、 佐 伯 仁 経 開 教 局 長 を 脇 導 師 と し て 記 念 法 要 を 勤 修 し た。 さ ら に チ ェ ン マ イ 市 ワ ッ ト ・ ム ー ン サ ー ン を も 表 敬 訪 問 し て 一 座 の 慰 霊 法 要 を 行 っ た。 こ の 僧 院 の 境 内 の 一 角 に は 有 志 諸 氏 に よ っ て 建 立 さ れ た 小 さ な 供 養 塔 が 建 っ て い る。 そ の 塔 に は ﹁ 英 霊 よ、 安 ら か に 眠 れ ﹂ と 刻 ま れ て い る。 聞 く と こ ろ に よ る と、 第 二 次 世 界 大 戦 の 折、 イ ン パ ー ル 作 戦 に 失 敗 し た 目 本 軍 は そ の 後 の ビ ル マ 国 内 に お け る 全 て の 作 戦 に も 失 敗 し 苦 し い 戦 い を く り か え し 撤 退 を 余 儀 な く さ れ、 当 時 唯 一 の 友 好 国 で あ つ た タ イ 国 へ 逃 が れ れ ば ど う に か な る で あ ろ う と、 ジ ャ ン グ ル を さ 迷 い な が ら 険 し い 山 々 の 連 な る 国 境 を 越 え て チ ェ ン マ イ 市 を 中 心 と し た 国 境 に 接 す る 北 タ イ の 町 々 へ、 九 死 に 一 生 の 思 い で か な り の 数 の 日 本 軍 兵 士 が 逃 が れ て き た よ う で あ る。 そ の た め に 市 内 の 僧 院 は い う ま で も な く、 道 路 ま で に も あ ふ れ、 市 全 体 が 日 本 軍 兵 士 に よ っ て う め つ く さ れ た と い っ て も 過 言 で は な い ほ ど で あ っ た そ う だ。 そ し て 彼 ら の ほ と ん ど が 傷 つ き、 マ ラ リ ヤ な ど の 風 土 病 に 冒 さ れ た 者 達 ば か り で あ っ て 健 康 体 の 者 は ほ ん の わ ず か な 数 の 者 だ け で あ り、 そ の 中 の か な り の 数 の 者 が こ の 地 で 亡 く な ら れ た そ う で あ る。 当 時 た ま た ま、 こ の 僧 院 が 野 戦 病 院 に あ て ら れ、 波 多 野 秀 氏 ( 現 在、 チ ェ ン マ イ 市 在 住) が 現 地 の 人 と 日 本 軍 と の 問 に 入 っ て 大 変 な 御 苦 労 を な さ れ た こ と を 著 者 は か っ て 氏 を チ ェ ン マ イ 市 の 自 宅 に 訪 ね た 折、 う か が っ た。 当 時、 も し 氏 が い な か つ た な ら ば 病 院 は お ろ か、 病 か ら 回 復 し 無 事 に 帰 国 で き た 兵 士 達 の 命 は 助 か ら な か っ た と い っ て も 過 言 で は な い ほ ど に 氏 は そ の 間 に 入 っ て 活 躍 さ れ た と の こ と で あ る。 そ う い っ た 因 縁 で タ イ 国 日 本 人 納 骨 堂 と 高 野 山 真 言 宗
密 教 文 化 こ の 僧 院 に 供 養 塔 が 建 っ て い る の で あ る。 な お 佐 伯 局 長 は 本 山 よ り の 難 民 救 済 義 援 金 並 び に 納 骨 堂 基 金 を 持 参 し 各 関 係 者 に 託 さ れ た。 ま た 佐 伯 局 長 は 歴 代 開 教 局 長 と し て は 二 人 目、 十 年 ぶ り の 訪 タ イ で あ り、 藤 井 団 長 達 と 共 に 短 時 間 の 問 に 日 本 国 大 使 館、 日 本 人 会 と 役 員 諸 氏、 世 界 仏 教 徒 協 会 本 部 な ど を 表 敬 訪 問 さ れ た。 な お 木 村 師 は こ の 記 念 法 要 を 挙 行 す る た め に 任 期 を 約 一 ケ 年 間 延 期 し、 昭 和 六 十 一 年 五 月 二 十 日 に ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ に て 還 俗 し、 七 月 十 五 日 に 帰 国 さ れ た。 木 村 師 在 任 中 の 昭 和 六 十 一 年 四 月 二 日 に 本 山 開 教 局 ( 佐 伯 仁 経 局 長) よ り 辞 令 を 拝 受 し た 渡 辺 光 昭 師 (直 方 市 西 教 院 徒 弟) は 二 十 九 日 に 渡 タ イ し、 五 月 十 七 日 に ワ ッ ト ・ リ ヤ ッ プ に て 出 家 具 足 戒 を 受 け て タ イ 比 丘 と な ら れ た。 木 村 師 帰 国 後 の 九 月 二 十 五 日 か ら 十 月 九 日 に か け て 約 十 二 年 ぶ り に 納 骨 堂 の 修 復 工 事 が な さ れ た が、 五 十 年 の 風 雪 に 堪 え て き た 納 骨 堂 も そ の 老 朽 化 を 覆 い 隠 す こ と は で き な い よ う で あ る。 昭 和 六 十 二 年 三 月 九 日 に は 待 望 の 電 話 が 弘 法 苑 に 設 置 さ れ た。 ま た 昭 和 六 十 三 年 十 月 二 十 四 日 に 本 山 開 教 局 ( 資 延 光 雄 局 長) の 協 賛 を え て 留 学 僧 の 会 主 催 に よ る 第 四 回 訪 タ イ、 タ イ ・ シ ン ガ ポ ー ル 仏 跡 巡 拝 団 ( 団 長、 藤 井 真 水 会 長) 一 行 三 十 七 名 が 訪 タ イ し、 納 骨 堂、 カ ン チ ャ ナ ブ リ 慰 霊 塔、 外 国 人 墓 地 に て 慰 霊 法 要 を 勤 修 し、 ジ ョ ホ ー ル バ ル ー 真 如 親 王 供 養 塔、 シ ン ガ ポ ー ル 日 本 人 墓 地 を も 参 詣 し て 三 十 日 に 帰 国 し た。 以 上、 戦 後 の 納 骨 堂 と 開 教 留 学 僧 を 含 め た 高 野 山 真 言 宗 と の 係 り を 述 べ て み た が、 タ イ 国 日 本 人 会 招 聴 の 開 教 留 学 僧 を 高 野 山 真 言 宗 が 今 日 ま で も 派 遣 し、 そ の 関 係 が 維 持 で き て い る こ と は、 初 代 納 骨 堂 管 理 僧 の 藤 井 真 水 大 僧 正 と ふ る き よ き タ イ 国 在 留 邦 人 と の 深 い 繋 が あ っ た れ ば こ そ で あ る こ と が 知 ら れ え る で あ ろ う。 然 る に 納 骨 堂 の 五 十 年 の 歴 史 は 藤 井 僧 正 を 抜 に し て は 語 れ な い と い っ て も 過 言 で は な い で あ ろ う。 さ ら に タ イ 国 日 本 人 会 と 在 留 邦 人 の 方 々 の 献
身 的 な 世 話 が あ っ た れ ば こ そ で あ る。 特 に 納 骨 堂 奉 賛 会 世 話 人 方 の 留 学 僧 へ の 世 話 は 言 葉 に い い 表 わ す こ と の で き ぬ も の で あ る。 そ の 他 の 在 留 人 の 方 で も、 敢 え て 尊 名 を 挙 げ ぬ が、 奉 賛 会 世 話 人 方 に も 勝 る と も 劣 ら ぬ 世 話 を 下 さ っ た こ と を 見 逃 す こ と は で き な い。 し か し 今 日 で は そ れ ら の 方 々 の 中 に は す で に 故 人 と な ら れ た 方 も 多 勢 い る。 時 代 は 変 っ て き て い る の で あ る。 現 地 に お い て も 様 々 な 意 見 の 提 示 が な さ れ て い る よ う で あ る。 さ ら に 納 骨 堂 の 老 朽 化 に 共 な い 再 建 話 し も で て い る 現 在、 タ イ 国 日 本 人 会 と 本 山 開 教 局 で は 常 に 情 報 を 取 り あ い、 今 ま で の 繋 を 大 切 に、 そ の 関 係 維 持 に 努 め る こ と が 望 ま れ る で あ ろ う。 加 え て 我 々 留 学 僧 の 会 に お い て も 両 者 と の 紳 を 最 重 視 し、 そ の 関 係 を よ り 密 に す る こ と が 強 ら れ ね ば な ら な い。 四 納 骨 堂 管 理 僧 の 生 活 と 心 得 以 下、 著 者 自 身 の 経 験 を 踏 ま え、 管 理 僧 の 生 活 と 心 得 と を 簡 単 に 述 べ る こ と に す る。 本 山 開 教 局 よ り そ の 任 を 受 け、 渡 タ イ し て 先 ず 最 初 に や ら ね ば な ら ぬ こ と は 日 本 人 会 を は じ め 関 係 諸 機 関、 在 留 邦 人 へ の 挨 拶 で は あ る が、 そ れ と 平 行 し て ハ ー リ 語 に よ る 具 足 戒 ( 比 丘 の 出 家 得 度 式 の こ と) の 式 次 第 の 暗 記 で あ る。 そ れ の 暗 記 が で き た れ ば、 そ の 旨 を 住 職 に 報 告 し、 出 家 得 度 式 の 日 取 り を 決 め て も ら う の で あ る。 日 取 り 決 定 後 は 当 日 ま で 式 次 第 の 暗 記 は も ち ろ ん の こ と、 三 衣、 鉄 鉢 な ど 比 丘 の 必 需 品 を 揃 え る と 共 に 戒 師 和 尚 な ど 職 衆 へ の 供 養 物 な ど を も 用 意 し な け れ ば な ら な い。 管 理 僧 で あ れ ば こ れ ら の こ と は 全 て 日 本 人 会 が 準 備 し て く れ る。 そ れ 以 外 の 者 は ス ポ ン サ ー を み つ け る か、 自 分 で 用 意 す る か で あ る。 で き る だ け 長 く 出 家 生 活 を 送 る の で あ れ ば、 タ イ 人 は よ ろ こ ん で ス ポ タ イ 国 日 本 人 納 骨 堂 と 高 野 山 真 言 宗
密 教 文 化 ン サ ー に な っ て く れ る。 出 家 得 度 へ の 供 養 は 最 高 の 功 徳 を 積 む 行 為 で あ る と 考 え て い る か で も あ る。 僧 院 の 関 係 者 に 相 談 し て み る こ と が 必 要 で あ る。 因 に 著 者 は 自 費 留 学 で あ っ た た め に 費 用 は 自 分 で 用 意 し た ( タ イ 人 が ス ポ ン サ ー に な っ て く れ る こ と を 知 ら な か っ た)。 一 切 合 財 で 約 十 万 円 ( 当 時 は 一 バ ー ツ 十 五 円 で あ っ た) の 出 費 を み た。 然 る に 本 人 は 当 日 の 式 が ス ム ー ズ に 行 わ れ る よ う 式 次 第 を 一 字 一 句 違 わ ず に 完 全 に 暗 記 し て お く こ と が 必 要 な の で あ る。 特 に タ イ 人 に 対 し て の 発 音 に 関 し て は か な り 厳 し い 点 が あ る。 黄 衣 を 纒 い タ イ 比 丘 と な り、 納 骨 堂 管 理 僧 に 就 任 し た な ら ば、 早 朝 の 托 鉢、 朝 多 の 勤 行、 月 々 の 布 薩 会、 雨 安 居 な ど 種 々 な る 仏 教 行 事 へ の 参 列 に 加 え、 納 骨 堂 に 祀 る 先 亡 者 四 百 五 十 有 霊 位 へ の 回 向、 春 秋 の 彼 岸 法 要、 年 一 回 の カ ン チ ャ ナ ブ リ 懇 霊 塔 並 び に 五 年 に 一 回 の 第 一 回 日 本 人 移 民 の 碑 で の 法 要、 納 骨 堂 な ど に お け る 冠 婚 葬 祭、 日 本 人 会 な ど で の 講 演、 日 本 人 会 発 刊 誌 へ の 投 稿、 写 経 の 会 な ど の 催 し、 在 留 邦 人 宅 訪 問 と い っ た こ と が 主 な 任 務 で あ る。 し か し 時 間 的 に は 比 較 的 自 分 の 自 由 な 時 間 が あ る た め に そ れ を 利 用 し て 学 校 ( 比 丘 は 一 般 の 者 が 通 学 す る 学 校 へ は 入 学 で き な い) へ 行 く も よ し、 見 聞 を 広 げ る た め に 国 内 外 を 旅 す る も よ し、 そ の 者 の 料 簡 で 意 外 と 自 由 に 行 動 で き る の で あ る。 タ イ 語 の 修 得 が 次 に 挙 げ ら れ よ う。 日 常 英 会 話 に 堪 能 で あ れ ば こ れ に 越 し た こ と は な い が、 現 地 語 を マ ス タ ー す る こ と が 肝 要 で あ る。 渡 タ イ 当 初、 著 者 は 前 任 者 に 世 話 願 っ た と こ ろ 多 々 あ っ た が、 幸 い し た こ と は、 僧 院 に 自 分 以 外 の 目 本 人 が 居 な か っ た こ と で あ る。 普 段 自 分 の 意 志 を 主 張 伝 達 す る に は 絶 対 に タ イ 語 が 必 要 で あ っ た た め に 僧 院 に い る 時 に は 同 室 の 沙 弥 達 に 教 え て も ら い、 自 分 な り に タ イ 語 修 得 の た め に は 努 力 し た つ も り で あ る。 お か げ で 在 タ イ 三 ケ 月 頃 に は 簡 単 な 日 常 会 話 も で き る よ う に な り、 以 後、 言 葉 の 面 で 不 自 由 を 感 じ た こ と は な か っ た。 タ イ 人 と 話 し を す る 場 合、 特 に 地 方 都 市 へ 出 か け た 時 な ど タ イ 語 を 使 用 す る と 彼 ら の 接 す る 態 度 に も 親 し み が 見 い だ せ る。 ま た 我 々
の 話 す タ イ 語 を よ く 聞 い て く れ る。 例 え ば 文 法 的 に 誤 が あ れ ば そ の つ ど 指 適 し、 正 し い タ イ 語 を 教 え て く れ る の で あ る。 こ の こ と は 著 者 に と っ て 大 変 勉 強 に な っ た。 常 ね 日 頃 か ら 心 掛 け て お か な け れ ば な ら な い 点 は 病 気 で あ る。 例 え ば 病 気 に な っ て も 自 分 一 人 で 病 院 に 行 く こ と が で き る の で あ れ ば よ ろ し い が、 起 き 上 る こ と す ら で き な い 病 気 に か か っ た 場 気、 特 に 納 骨 堂 弘 法 苑 の 住 人 は 管 理 僧 一 人 で あ り、 内 側 か ら 鍵 を か け て し ま っ た な ら ば そ れ ま で で あ る。 現 在 で は 電 話 が 設 置 さ れ て い る の で 幸 い で あ る。 著 者 は 在 タ イ 三 ケ 月 の 折、 同 室 の 年 老 い て 出 家 具 足 し た 日 本 人 比 丘 が 数 日 後 の 真 夜 中 に 疑 似 コ レ ラ に か か り 大 騒 動 を お こ し た 経 験 が あ る。 当 時 は 雨 安 居 中 で あ り、 夜 の 明 け ぬ 内 は 外 出 で き ず 持 参 の 薬 を 飲 ま せ た が、 脱 水 症 状 に 陥 り、 彼 よ り 遺 言 ま で い わ れ、 そ の 時 に は も う だ め か と 思 っ た く ら い で あ る。 幸 い 夜 明 け と 共 に コ レ ラ 専 門 の 病 院 に 入 院 で き 一 命 は と り と め た が、 渡 タ イ 初 期 に こ の よ う な こ と を 面 の 当 に み た た め に そ れ 以 後 は 病 気 に 対 し て は 自 分 な り に 十 二 分 に 気 を つ け て い た。 お か げ で 三 年 間 の 在 タ イ 中 は 軽 い 下 痢 や 風 邪 の 程 度 で す ん だ。 ま た 管 理 僧 の 中 に は 肝 炎 に か か り 数 ケ 月 間 も 入 院 生 活 を 送 っ た と い う こ と も 聞 い て い る。 因 に 首 都 バ ン コ ッ ク に は 出 家 修 行 者 専 用 の 病 院 が あ る。 最 後 に 管 理 僧 の 金 銭 的 な こ と で あ る が、 前 述 し た よ う に こ の 点 は 昭 和 四 十 六 年 八 月 の 日 本 人 会 理 事 会 決 議 で 定 め ら れ た 月 々 の 手 当 ( 現 在 で は 月 に 五 千 バ ー ツ、 約 二 万 五 千 円、 円 高 の 影 響 あ り) が 支 給 さ れ る し、 そ の 他 の 諸 手 当 や 冠 婚 葬 祭 な ど に よ る お 布 施 が あ る た め に 金 銭 的 に は 一 切 不 自 由 し な い。 戒 律 の 中 に は 出 家 修 行 者 の 金 銭 授 受 の 禁 止 が う た わ れ て い る が、 実 際 に そ の 中 で 生 活 し て み る と 必 要 な 時 が 多 々 あ る。 因 に 僧 伽 に お い て は ﹁ バ イ パ ワ ー ラ ナ ー ﹂ と 称 す る 一 種 の 小 切 手 を 使 用 し た り し て 出 家 修 行 者 が 直 接 に 金 銭 に 触 れ な い よ う 工 夫 さ れ て い る。 以 上、 五 十 年 の 歴 史 を も つ タ イ 国 日 本 人 納 骨 堂 と 高 野 山 真 言 宗 と の か か わ り、 管 理 僧 の 生 活 な ど 自 ら の 経 験 を 踏 え タ イ 国 日 本 人 納 骨 堂 と 高 野 山 真 言 宗
密 教 文 化 て 述 べ て き た が、 こ れ に よ っ て 納 骨 堂 管 理 僧、 あ る い は タ イ 仏 教 な ど に 関 心 を 持 っ て い た だ け た ら 幸 甚 で あ る。 ︹ 追 記 ︺ 一、 本 稿 は 昭 和 六 十 二 年 十 月 二 十 二 日、 密 教 学 会 主 催 に よ る 昭 和 六 十 二 年 度 第 一 回 特 別 講 演 の 折 の 原 稿 を 加 筆、 校 正 し た も の で あ る。 一、 本 稿 の 中 に 示 し た 資 料 は 本 山 開 教 局 の 御 配 慮 に よ る も の で あ る。 特 に 開 教 局 担 当 の 岩 木 隆 幸 師 に は 感 謝 申 し あ げ る。