とする民族運動の拠点となっているニンマ派僧院は数多く存在する︒本書では︑特に東チベットの宗教ナショナリズムをめぐり︑﹁ゲルク派﹂=教義・戒律重視の組織性=活動上の制限が大きい︑﹁ニンマ派﹂=自由な瞑想実践・密教的秘儀の開放性=政治的自由度が高い︑という属性の蓋然化を行っているが︑評者の経験では︑チベット各地の僧院が﹁宗派﹂ごとに一貫した縦割りのアイデンティティを超地域的に確立しているとは考えられない︒本書の趣旨に沿って考えるならば︑﹁ゲルク/ニンマ﹂の二元的属性で縦割りにするのではなく︑歴史的にリメ運動に関係してきた甘孜チベット族自治州北部の宗教センター群が︑地方政府の政策実践との関係性において﹁活動上の一定の自由を獲得している﹂という形で限定的に論じる必要があろう︒
以上のような個別の疑問点は残るものの︑本書が総体として﹁中国の中のチベット社会﹂に表出する︑宗教実践を介した新たな社会的連帯の萌芽を活写しえたことの価値は論を俟たない︒著者は﹁東チベットを研究対象とした理由は︑そこに残された中国共産党と毛沢東の足跡であった﹂︵一四頁︶と記している︒著者自身は︑中国政治の研究者として宗教の問題にぶつかり︑懊悩・呻吟してきた経歴に触れている︵四五〇頁︶︒著者のこうした経歴が︑単にスタンダードな中国研究に留まらない︑現代中国社会の周縁に噴出する重層化された新たなエネルギーを捉える独創的な視座の保持に作用していると思われる︒本書が︑中国の宗教政策/チベットの宗教信仰のいずれに関心を持つ研究者にもぜひ一読を進めたい︑優れた読み物であることを確信する次第である︒ 永岡 崇著
﹃ 新 宗 教 と 総 力 戦
││ 教祖以後を生きる ││﹄
名古屋大学出版会 二〇一五年九月刊A5判 ⅵ+三五三+七頁 五四〇〇円+税
弓 山 達 也 一 永岡崇とは誰か 本書序章六節﹁中山みきとは誰か﹂の顰みに倣って始めるならば︑本書著者の永岡崇氏とは何者なのだろうか︒
﹁永岡さんは︑お道の人ですか﹂と︑これまで何度か天理教関係者から尋ねられたことがある︒評者が教外者であるにもかかわらず︑天理教の分派に関わる論考を発表しているので︑著者も同じなのか違うのかという意図からの質問だったのだろう︒そこには﹁教外者がなぜ天理教を﹂という素朴な疑問もあるだろうが︑これに対する著者の弁明は本書あとがきに譲るとして︑質問にはもう少し違った意味の疑問︑つまり著者の立ち位置が判りづらいという疑問もあったのかもしれない︒それは著者が﹁天理教の歴史認識や教義・信仰のありようにまで批判 00
的に 00論及﹂︵三四七頁︑傍点評者︶という教内的関心に根差していながら︑著者の対象への立ち位置は規範的な内部からのものでもなく︑かといって外在的・限定的なアプローチでもない︒いわば周辺から常に視点︵既存の宗教研究の視点︶をずら
的・社会的形成を追い︑その企みは現行の教義の真理性や自らの基盤すら崩しかねない危険性を有する﹁教義の形成過程を脱構築的に読む﹂︵二九頁︶作業であった︒こうした教学︑特に金光教学に範をとるところは︑宗教研究と教学との学術的交流の必要性が叫ばれて久しいが︑前者が後者と問題意識を共有することは多くはなく︑本書のユニークな点であるとともに︑立ち位置の判りづらさの遠因になっているともいえる︒
ここから著者は本書の﹁戦争と宗教﹂というモチーフについて︑以下の三つの着眼点を提起する︒すなわち︵一︶宗教の戦争協力に関する研究がビリーフ︵教学や思想︶中心であったのに対して︑本書ではプラクティス︵奉仕活動など︶がビリーフに及ぼす影響や相互作用・循環関係をとらえる︒︵二︶戦争という歴史的文脈のなかで︑一般信者レベルでどのような出来事が生起したのかを率直に見据える︒︵三︶あらゆるものを総動員した総力戦における信仰世界の再編制過程と︑そこに巻き込まれもせず︑抵抗した訳でもない﹁脱落﹂﹁総力戦の外部﹂の存在に目を向ける︒以下︑六章からなる本論を見ていこう︒
二 本書本論の内容
本論第1章﹁信仰共同体の危機と再構築││飯降伊蔵と本席︱真柱体制﹂では︑天理教教祖中山みきの高弟で︑彼女の没後︑彼女の言葉︵神の言葉︶を﹁おさしづ﹂として啓示することとなった本席飯降伊蔵が取り上げられている︒著者は﹁伊蔵の身体﹂をキーワードにする︒それは教外にあっては権力に抵抗する教祖に対して権力に妥協する伊蔵という二項対立や︑教内に しつつ対象を︑しかもその対象となる信仰者自身も宗教伝統を絶えず読み替えて継承していく︑そのありよう︵読みの運動︶を把捉しようとする﹁脱構築的な読み﹂を志向するところにある︒さらに著者はその﹁読みの運動﹂に﹁真摯に耳を傾けてみるべき﹂︵二五頁︶︑﹁率直に見すえることへと︑課題をシフトしていくことが求められる﹂︵三七頁︶︑後述する教学者に仮託しつつ述べる﹁当時の言説の論理に寄り添いつつ﹂︵三七頁︶と︑﹁真摯﹂﹁率直﹂﹁寄り添い﹂といった︑いわば求道的な物言いと交錯して語るところに︑判りづらさがあるのかもしれない︒これを解きほぐすためにも本書の内容を紹介する前に︑ある程度の紙幅をとって︑序論における著者の立ち位置の説明を試みたいと思う︒
序論では先行研究が検討され︑著者の研究上のスタンスが鮮明にされている︒そのスタンスとは﹁﹁二重構造﹂論の脱構築﹂︵二五頁︶と言えよう︒﹁二重構造﹂論とは村上重良︑小沢浩︑李元範︑島薗進らが示した天理教や金光教などが︑一方で公的には国家神道体制下に組み込まれ︑他方で信仰の担い手一人ひとりの私的なレベルで保たれている信仰という枠組みと考えられる︒これに対して著者はこう問う︒﹁当事者が︑自ら望む信仰を生きながら︑しかも 000国家の意図に沿っている︑という状態は考えられないのだろうか﹂︵二一頁︑傍点著者︶と︒ここで著者が注目するのが︑佐藤光俊︑渡辺順一︑幡鎌一弘といった金光教・天理教の附置研究所や大学に身を置く教学学者であり︑彼らの志向するところは︑固定化した現在の教学や信仰の規範から過去の教義を見るのではなく︑規範そのものの歴史
る天理教の日本主義は︑﹁革新﹂より前に語られていたことが著者の着眼点である︒大正期の機関紙・誌には国民教化が教祖の教えとして説かれ︑同じ時期の青年会の設立は国家主義・植民地布教の推進母体として︑また教祖は﹁熱烈な愛国者﹂︵教団教育顧問の廣池千九郎︶と位置づけられ︑昭和に入ると満州天理村も建築された︒もちろん﹁革新﹂による教団への不満の声も収集しつつも︑著者は﹁それが天理教の戦争協力への不満につながるとはかぎらない﹂︵一九四頁︶ことを指摘し︑﹁革新﹂とそれ以前との天理教の日本主義との連続性を論じている︒
第4章﹁宗教経験としてのアジア・太平洋戦争││︿ひのきしん﹀の歴史﹂では︑天理教で神恩報謝の行為を指す﹁ひのきしん︵日の寄進︶﹂がアジア・太平洋戦争をテコに︑教団内でその意義を高めたことが明らかにされている︒著者によれば﹁ひのきんしん﹂は明治末から大正期にかけての神殿建設の奉仕活動であるとともに︑本来は戊申詔書︵一九〇八年︶を受けて天理教で推奨された無償労働として︑その価値が﹁発見﹂されたという︒著者は前者が後者に浸食されていくことに注意を払い︑﹁天理教信仰と国家奉仕や天皇崇拝とが矛盾したものととらえられてはいない﹂﹁天理教の﹁日本主義﹂がさかんに宣伝され︑良き臣民であることと良き天理教徒であることとは矛盾なく一致するものとされていた﹂︵二四〇︱二四一頁︶ことを︑特に一九四一年に結成された﹁ひのきしん隊﹂の大規模な人員動員にみようとする︒﹁ひのきしん﹂を通して︑貶められた労働や信仰が歴史の表舞台に躍り出る価値転換を促し︑臣民としての自覚と天理教徒としてのアイデンティティを同時に形 あっても恒常的に﹁月日のやしろ﹂であった教祖に対して︑﹁おさしづ﹂を語る時のみ神が顕現する﹁カラッポの器﹂︵八八頁︶としての本席という考え方を保留し︑伊蔵の身体︑つまり信者の視線にさらされ包囲され︑﹁おさしづ﹂が語られる場に存在する身体を注視するためである︒これにより二項対立の中で限定されて語られる信仰状況を﹁重層的なまま理解し﹂︵一一一頁︶︑そして﹁おさしづ﹂を含む多様な信仰形成のプロセスを﹁その複数性﹂︵一一二頁︶としてとらえる重要性を説く︒
第2章﹁戦前における中山正善の活動││宗教的世界の構築とその政治的位置について﹂・第3章﹁﹁革新﹂の時代﹂は中山みきの孫である初代真柱中山眞之亮の長男で二代真柱中山正善と天理教が国家の要請を受けて一九三八年から進めた教義・儀式等の改変︵﹁革新﹂運動︶が扱われている︒第2章では︑教内で認識されているように﹁革新﹂と中山正善との関係をめぐって︑国家の弾圧とそれに我慢した教団指導者という理解が斥けられる︒そして著者は正善の①原典研究︑②古書・民族学資料収集︑③海外巡教・伝道に注目し︑①は真正な親神=教祖の理解者としての正善の自己認識を促し︑②は彼の進歩史観︵被伝道者側の文化が伝道者側の文化に取って代わられる︶と通じ合い︑③の実践へと向かっていたという︒国家による強制と信仰者の忍従という枠組みを棄て︑信仰者の宗教的世界が国家主義的・帝国主義的な潮流と連動して教団実践に帰結する思想的過程が描かれている︒
第3章では﹁革新﹂運動の実際が扱われている︒前述の通り︑﹁革新﹂が国家側の要請であるとともに︑そこで標榜され
でいることを指摘している︒ 三 脱構築的な読みの先にあるもの 評者は︑冒頭︑著者の対象への立ち位置の判りづらさが︑周辺から常に視点をずらしつつ対象を︑しかもその対象となる信仰者自身も宗教伝統を絶えず読み替えて継承していく︑そのありようを把捉しようとする﹁脱構築的な読み﹂にあると述べた︒本書を閉じた際の読後感を率直に述べると︑一つは動いている電車から︑隣のレールを走っている電車の中をうかがうような︑次々と映画のコマのように入れ替わる車窓の流れの壮快さと︑時として二つの列車のスピードがあって車内にいる人の表情や動作が同じ列車に乗っているかのごとくはっきりと見えたような心持ちである︒もう一つは金光教学から天理教学を見ると︑こう見えるのかなという印象である︒著者がたびたび金光教の教学者を参照にしているだけでなく︑先行する教学や取次という極めてパーソナルな立脚点から教団の存立をも相対化しようとする教学のスタイル︵河井信吉・弓山達也﹁対談︵公財︶国際宗教研究所賛助団体紹介⑦金光教﹂﹃国際宗教研究所ニュースレター﹄八四号︑二〇一六年︶が本書に踏襲されているのが興味深い︒
ところで著者の提起する着眼点︑つまり︵一︶プラクティスがビリーフに及ぼす影響︑︵二︶一般信者レベルでの出来事の生起︑︵三︶総力戦における信仰世界の再編制過程と︑そこからの﹁脱落﹂﹁総力戦の外部﹂への着目は功を奏したのであろうか︒繰り返し述べているように︑本書の特色の一つは信仰者が宗教 成したという︒
第5章﹁宗教のなかの﹁聖戦﹂/﹁聖戦﹂のなかの宗教││︿ひのきしん﹀の思想﹂では藤田宗光﹃橿原神宮と建国奉仕隊﹄︵一九四〇年︶と諸井慶徳﹃ひのきしん叙説﹄︵一九四六年︶が取り上げられ︑総力戦期の︿ひのきしん﹀概念と︑政府や軍によって語られた﹁聖戦の教義﹂との共鳴が描かれている︒ここでいう﹁聖戦の教義﹂とは神話的世界と現世との連続性︑皇室と国民との親密さ︑そこで醸し出される﹁内向きの共同性﹂とまとめることができよう︒著者は両者の共通点や相似性を指摘するのみならず︑天理教の教学者がいくら皇室信仰に収斂されない信仰の独自性を叫ぼうとも︑﹁聖戦の教義﹂は﹁天理教信者にとって︑︿ひのきしん﹀の教義と多くの点で響きあうものだったのであり︑彼らは前者を後者﹇︿ひのきしん﹀概念︱評者注﹈の論理に手繰りよせることを通じて︑総力戦の遂行を主体的に担っていった﹂︵二六九︱二七〇頁︶とする︒
第6章﹁﹁復元﹂の時代﹂では︑戦後︑天理教が進めた教祖の教えについて﹁元を極め︑根源をたづねる﹂︵﹃復元﹄創刊号︑序︑一九四六年︶﹁復元﹂運動が扱われている︒復元が宣言された戦後︑天理教は戦中からの教勢退潮を引き続き経験していた︒著者は︑﹁ひのきしん隊﹂の大号令モデルを望む声と地方への教団権限委譲を求める声を青年層から拾い︑﹁社会の諸問題に働きかけようとする﹁理想﹂への欲求﹂︵二九四頁︶が教内にあったという︒そのうえで著者は天理教が復元においては信仰信念の涵養が志向され︑こうした歴史や社会との関わりを避ける方向で︑かつ呪術的救済をも後退させる方向で進ん
説明がほしい︒ にもかかわらず評者が本書の先駆性を述べるとするならば︑それは本書が読者をも﹁読みの運動﹂に組み入れようとする力を持っているところにある︒既述のように信仰者は宗教伝統の不断の読み替えを行う︒そして著者もまた︑それを信仰者とは違った文脈から読み解いていく︒そして信仰者はもちろん︑宗教や歴史や戦争や個々の生活者のライフヒストリーの近代経験に心寄せる読者もまた︑﹁読みの運動﹂に参画し︑自らの信仰・関心・研究課題に重ね合わせて本書を読むのであろう︒
これから永岡崇氏はどこに向かうのだろう︒脱構築的な読みは﹁信仰当事者にとっては︑信仰実践の基盤を掘り崩しかねない﹂︵二九頁︶︒著者はこうしたある種退路を断った﹁抜き身﹂の教学者と伴走し続けるのだろうか︒いくら研究が進展しても信仰の核心に到達することも︑信仰をトータルにとらえることも難しいとすると︑著者は日々重ねられ︑拡がりゆく信仰者の﹁読みの運動﹂のうねりの中を泳ぎ続けるのだろうか︒本書の着眼点の一つである総力戦を経た教団から﹁脱落﹂﹁外部﹂へと向かった信仰者については十分にその姿を結ぶことなく︑﹁新宗教にとって救済とは何か﹂︵二九八頁︶という問いとともに今後の課題とされていたが︑こうした根源的な問いを抱えつつ著者は︑天理教の外部に飛び立つのだろうか︒ 伝統を絶えず読み替えて継承していく﹁読みの運動﹂にある︒その運動は飯降伊蔵であれば身体のともなった﹁おさしづ﹂の現場での啓示の授受︵聞かれ︑書かれ︑協議される︶過程や︑総力戦期の信者であれば﹁ひのきしん﹂の炭鉱の中で中山みきから始まる天理教の苦難の記憶が読み替えられ︑我がものとなっていく過程が︑先のたとえで言えば︑時には一連の流れとして︑時には一人ひとりのエピソードとして説得力をもって評者は受け止めることができた︒ただそれは評者が天理教の分派教団の調査の過程で︑信者宅や教会で寝食を共にしたり︑神意を授けられたり︑机を並べて教義を学んだりした経験=ある程度の共鳴板があることが大きい︒
しかし限定された範囲で量質ともにデータを収集し︑何らかの理論やモデルを抽出しようとする実証研究を期待する読者にとって︑そうした理論やモデルといった固定点自体を相対化し掘り下げようとする本書はやや肩すかしを食らった感が残るかもしれない︒また言葉尻をとらえるようだが︑本書に散見される教団や信仰者に対する当為として︑例えば﹁天理教が︑アジア・太平洋戦争について﹁反省﹂をするなら︵中略︶どのような信仰がそこ﹇ひのきしん隊︱評者注﹈で培われていったのか︑という問題にも向きあっていくべき﹂︵二四五頁︶︑﹁信者にこそ︑ここでのべてきたような︿ひのきしん﹀の歴史的な読みが必要だ﹂︵二四七頁︶も︑価値中立を掲げる研究者には理解の外となりえよう︒先に触れた﹁真摯﹂﹁率直﹂﹁寄り添い﹂もまた然りで︑実証研究における対象に対するデタッチメントよりなぜ﹁真摯﹂﹁率直﹂﹁寄り添い﹂が優位な立場にあるのか