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浮世草子と教訓 : 其磧の気質物・町人物と『当世誰 が身の上』

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Academic year: 2022

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

浮世草子と教訓 : 其磧の気質物・町人物と『当世誰 が身の上』

倉員, 正江

http://hdl.handle.net/2324/4741882

出版情報:雅俗. 5, pp.10-13, 1998-01-10. 雅俗の会 バージョン:

権利関係:

(2)

浄士宗の談義僧静観坊好阿は︑﹃当世下手談義﹄︵宝

暦二年刊︶序で︑益軒教訓書と其碩の気質物を併称し︑

﹁大惣蔵書目録﹂を幡けば︑第十五冊に︑﹁西鶴﹂﹁艶

︵好色本︶﹂︑﹁八文字屋︵主に長編時代物︶﹂︑別に﹁浮

世教訓﹂なる名称で︑﹁気質物﹂と町人物系統の浮世草

子が掲載される︒目録は明治期の作成だが︑江戸時代の

ニーズを反映していよう︒この﹁浮世教訓﹂中に︑涼花

堂斧麿作﹃当世誰が身の上﹄︵宝永七年正月刊・正徳五

年正月再印/大本六巻六冊︶が含まれる︒序文に言う如

く︑山岡元隣の仮名草子﹃他我身の上﹄︵明暦三年刊︶

を意識した︑西鶴町人物風の出世・没落諏である︒ 気質物の教訓性

其碩名を明記し︑自作の旨を強調した﹃世間子息気質﹄

︵正徳五年秋自序刊︶は︑気質物の嘴矢として文学史上

に名を残す︒序文は明かに﹃本朝二十不孝﹄を意識し︑

西鶴剰窃の大部分が﹃二十不孝﹄﹃日本永代蔵﹄に出る

こと︵長谷川強氏﹃浮世草子の研究﹄第二章第四節︶や︑

益軒教訓書等の影響が従来指摘されている︵堤邦彦氏

﹁﹃世間子息気質﹄成立の背景﹂﹃芸文研究﹄

4 3 )

︒これ

を否定すべくもないが︑本書の成立に直接の影響を与え

た作として︑前掲﹃誰が身の上﹄を検討したい︒外題添

ふうりう書きに﹁身は末代の品鏡﹂とあり︑巻末に﹁風流世の人

心﹂︵六冊︶を予告︑これは未刊と思しい︒西鶴亜流の ﹃世間子息気質﹄と﹃当世誰が身の上﹄

浮 世 草 子 と 教 訓 其 門 の 気 質 物

・ 町 人 物 と

﹃ 当 泄 誰 が 身 の 上

﹄ ー

倉 員 正 江

特 集 近 世 文 学 と 教 訓

(3)

好色物に手を染めた俳諧師は少なくなかったが︑大坂住

の雑俳点者山本斧麿は︑町人物系を継承しようと試み︑

教訓的言辞を多用する︒当時好評であったと見え︑﹃子

息気質﹄刊行年に再印されていることも︑其碩を刺激し

た可能性が強い︒以下具体的に影響関係を指摘する︒

とくさ﹃子息気質﹄冒頭章﹁木賊売は心を磨正直な百姓形気﹂

うぶすなは︑子供のいない木賊売に︑産宮の小坊主が今時の子育

ての様相を説くが︑明かに﹃誰が身の上﹄巻一の︱︱‑﹁上

:吉箱入の銀持﹂冒頭箇所による︒息子の教育に甘い父

を描写した箇所を比較する︵以下上段其碩作︑下段﹃誰

が身の上﹄の引用︑濁点適宜補う︶︒

其親の叔父たる人見かねて去智者のいへる我あたりの

尤そなたの子は発明なとは童の不行義なるに折檻をも

いひながら︒むかしから走せざる親の心を尋ねければ︒

る馬にも鞭といへば︒ちと幼少の時に礼をおしゅれば

折/\は行義をなをされよ入目に成て虫病や発るらん︒

と身の中とて心をつくるに︒只ありたきまAに育︒骨身

皆迄仰られな︒惣じておさもかたまりて異見をくはふ

なひ時に躾をおしゅれば入べしと思へり︒以ての外の

やまひ

目に成て病づき︒虫など出不覚悟なり︒それ人の子は て後ミ迄の煩ひとなれば︒胎教とて腹にやどるよりあ

幼少の時は息災なを勝にししき物くはず︒悪敷事見ず

Aて︒ありたきまA にそだて聞ず︒起居までよく謹時は

骨身もかたまり︒物の心も姿美しく

︒オ智人にすぐる

わきまへる時分より︒万のA

との

教な

り︒

事をおしゅればよくがてん

し︒異見もよくきA入る物

なりと︒それなりけりにそ

もちだてあげて︒後には持あま

かんだうして勘当する事是皆親のと

がぞかし︒木竹をつくるに

も若き内よりそろ/\揉つ

くれば思ふごとくなれり︒

ひねて後ためんとすれば枝

かれおれ枯しぼむがごとし︒又

せいじん其子成人しておのれとはづ

あしきくせかしき事をしり︒悪曲をな

をさんとすれば物うく︒元

気をへらし或は窮屈にて拐

木竹を作るにも若き内より

そろ/\揉付れば︒思ふご

とく成り︒ひねて後ためん

とすれば枝をれ枯しぼむが

せいじんごとし︒又其子成人して己

と恥かしき事をしり悪しき

曲をなをさんとすれば物浮

元気をへらし或は窮屈にて

癌療と成事女子は勿論なり︒

11 

(4)

‑ 咲 苓 苔 匹

其身善果なくしてはいかほ一但シかくいへばとて貧者が またをの

亦己と発起もせず︒異見を

も用ひざるときは親は怒子は町み︒芦ひに叩い叡

A z

成て命をしゞめ身を亡ぼし

終に楽しき心なく相果るぞ

かし︒凡世界の悪人親の仕

わざならずして誰かわざと

かいふべき 療となり︒親よりさきだち父母一生の思ひとなれり︒

又おのれと発起もせず異見

をももちいざる時は︒親は

し力り怒子は恨みたがひに憤り悪

人となつて︒家をうしなひ

身をほろぼす人おほし︒お

よそ世界のあく人親のしわ

ざならずして︒誰がわざと

いふ

べき

其碩は後に﹃善悪身持扇﹄.︵三巻三冊/享保十五年刊・

明和二年﹃万福富貴自在﹄と改題刊行︶中巻一﹁雀百に

なれど躍忘れぬ﹂にも同一箇所を利用しており︑こちら

は﹁胎教﹂に言及するなど︑より﹃誰が身の上﹄の本文

に近い︒本書は其碩の座右の書であり続けた︒

また﹃子息気質﹄最終章﹁福人になる世倅が身の上知

たることぬ占形気﹂も︑﹃誰が身の上﹄巻四の二﹁足事を知る裸

長者﹂に拠る表現が見られる︒ どねがひいのりても︒貧者福者になるには不非貧福は

が俄に福者にはならぬもの天地の道具にて︒駕籠に乗

なり︒貧福は天地の道具にる貴人有て

︒是を界賤者な

て︒駕籠に乗る福者あつてくては︒世界は立難し硯に

是を界貧者なくては世界は成ル石もあり火打に成石も

立がたし︒硯になる石あれあり何れも石の役は勤る也

ば火打になる石もあり︒

い人も其ごとく銘ミの役を勤 づれも石の役はつとむるぞめ死するが人なり︒富るを

か し

︒ 人 も そ の ご と く 銘 う ら や み

︒我わざに飽果疎

ミの役をつとめ死するが人略なるは役にた

Aずといふ

な り

︒ な り

其碩は後に町人物﹃商人家職訓﹄︵外題﹃家職訓﹄五

巻五冊/享保七年刊︶巻四の二﹁手代が力でねぢ直した

旦那の身代﹂冒頭にも︑同一箇所を利用する︒

﹃家職訓﹄は︑其碩の浮世草子には珍しい半紙本形で︑

益軒や西川如見の教訓書の盛行を意識している︵﹃八文

字屋本全集﹄8拙稿解題参照︶︒巻三の一﹁手代が減す ﹃家職訓﹄の教訓

(5)

私金鍛冶屋が延す細工の銀﹂も﹃誰が身の上﹄巻二の二あしきり﹁袋を通す難波の芦錐﹂による︒

倒 な 給 全 千 屋 替 ひ ざ 何 す て 膠 炉 手 蚕:iの て 用 も し 商 し れ は 万 に を て れ ぞ 是 箱 臼 童 号 よ 糞 謹 御 筆 ひ 何 売

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手 て る む 居 ゐ 自 じ う ば 鍛 か 等 と 便 い り な え 手 を て を は い 鉄 碩 和 か る 慢

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ぬ賤切冶叶ましい製訃出りに造渭墨砂、草;

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る多炉り く〈

し 人 の 業 を な の き あ 薬 す の ら い り と 何

> く 知 ¥ れ の つ の 工 業 を た り や 金 る づ 毛 け せ を 両 取 考 行

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る 子 と や 容 た な い 凡 名 に 銀 > れ を ん か 替 込i官 糾 ま の む う を り て 木

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人 応 何 呉 : も ね 阿Iこ上素 は し 位 糾 虹 鍛 か る に 荘 砂 蒻 剣

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をけ支し者服げ貴きぶ膠い、り 世 て を 外 榊 缶 両 思 ら は と 削 づ 阿 ぁ の 物 の 人 ぽ つ を と

商売は草の種何をか上りと

し何をか下りとせん只少の

道理を以て位を分るのみな

らん︒阿膠を用ひて墨をね

り毛を用て箪を作りて何れ

も貴人の御手にふれらる呉

服物かいこの糞也両替の金

なにもの銀何者の手より出けん薬屋

に人支あり︒凡木をけづり

て箱とし鉄をきたひて剣と

/

す︒此等は清浄の業なり︒

たいへい殊に太平の御代をあがめて

剣を箱に納むといへり︒剣

はなんぞや鍛冶の職也箱は

なんぞや指物屋のエなり容

を荘らざれば賤敷業のやう

よろに思ひて宜しからぬ世渡す

る身より人がいへばとて︒

にありたゞ人は身の端正を

磨かんより心のきらを磨ベ

し⁝︵中略︶⁝主取の善悪

を吟味し家職の撰嫌ひする

手問でをのが子の性を見す

ヘ紛が心太く大胆なるむま

れつきならばきびしく折檻

してずいぶんたゞゐせぬい

そがしき商売屋の強親方に

っとめさすべし

よ 成 れ 冶 ち ・ 事 出 事 な 箱 り べ ぬ は 多 合 す な ど 屋 心 し 両 召 靖 し 親 り > の の 只 替 さ く 0 此 い 二 き 身 は 側 危 知 詐 家 か 心 へ ざ ら の 無

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れ 行 競 叡 よ る う を 加 数

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て 官1}を り は 鍛 か 耐 正 渭 ゜位糾撰詞知慮

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子し外It

し 磨 な 見 錠

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ひ 奉 炉

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° か ざ 打 る す 公 刃 万I!ざ ん る た 鍛 か る に の う

﹃誰が身の上﹄は︑其碩作品の構想自体に影響を与え

た箇所もあるが︑紙数の都合で省略する︒

総じて﹁浮世教訓﹂型の浮世草子は︑改題本も含めて

刷りを重ねていることは注目すべきである︒﹃誰が身の

上﹄も無刊記後印本の他︑﹃人間一生盛衰記一名誰が身の

上﹄︵外題︶と改題され︑弘化三年・嘉永︱︱一年に刊行さ

れた︒見返に﹁八文字屋自笑作﹂とあるのは皮肉である

が︑幕末まで命脈を保った事実を見直してよかろう︒

13 

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