と当世風の結婚 : 16・17世紀のグローバル交易と ロンドンの物質文化
著者 勝山 貴之
雑誌名 同志社大学英語英文学研究
号 98
ページ 1‑26
発行年 2017‑09
権利 同志社大学人文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016799
— 16 ・ 17 世紀のグローバル交易とロンドンの物質文化 —
勝 山 貴 之
序. 膨張する都市ロンドン
16世紀から17世紀にかけて、都市ロンドンは劇的な経済的変化を経験して いる。大陸との交易や、地中海交易、更には大西洋を横断する交易の要衝と なることによって、ロンドンは政治・経済の中心地としてその重要性を増す こととなったからである。地方からは多くの人口が流入し、1500年に推定
40,000~50,000人とされたロンドン人口は、1600年に200,000人へと、更に
1700年には実に500,000~575,000人へと膨張したという(Sacks 22)。様々な 交易を通して、ロンドン市場に多くの海外製品が登場するなか、人々は新た な物質文化の誕生を目の当たりにする。アントワープの取引所をモデルにし て、1566年にロンドンに創設された「王立取引所(the Royal Exchange)」の登 場は、こうしたグローバル交易に英国が参入したことを物語る象徴的な出来 事であった (Howard 29)。「王立取引所」の建設により、ロンドンにも各国の 商人が集まり、世界各地の交易品の売買が繰り広げられるようになった。グ ローバル交易への参入を果たした英国人にとって、新たな経済的価値観が自 分たちの人間関係に影響を及ぼすことは、避け難い現実であっただろう。
シェイクスピア(Shakespeare)作『じゃじゃ馬馴らし(The Taming of the
Shrew)』は、イタリアのパデュア(Padua)を舞台としているものの、劇場に足
を運ぶ観客たちは自分たちの暮らすロンドンの経済状況を、そこに重ね合わ せたにちがいない。男性に反抗する女性という主題は、既に中世神秘劇の中
のノアの女房やチョーサー(Chaucer)の『カンタベリー物語』などをはじめ、
古くから存在するものである。そうした女性を家父長社会の掟に服従させる という筋書きは、民間に広まっていた口承伝説やバラッド、言い古された諺 なども含めると、様々に形を変えながらも、常に人々と共にあった古典的題 材であった。しかしシェイクスピアの作品は、台詞の中に16世紀末のロンド ンの経済状況を巧みに取り込み、婚姻にまつわる金銭の授受や人々の物欲に とりわけ関心を向けているように思われる。本稿では、劇作家の描き出す当 世風の結婚のありかたに、当時の世相の反映と経済の影響を読み取ってみた い。
Ⅰ. グローバル交易とロンドンの物質文化
16世紀後半、ヨーロッパのキリスト教諸国は、オスマン・トルコ帝国、ペ ルシャ帝国、ムガール帝国、東南アジア、明王朝・中国といった広大な地域 を結ぶ巨大な経済市場との結びつきを強めつつあった。ヨーロッパの西端に 位置する島国英国にとって、ヨーロッパの列強国と足並みを揃えていくため に、海外との交易の拡大は、何としても推し進めいかなくてはならない重要 な国策であった。畜産が盛んであった英国の特産品は羊毛であり、羊毛織物 を北海沿岸の低地帯に輸出することにより、英国はグローバル市場への活路 を見出そうとしたのである。大陸のスヘルデ川流域に位置するアントワープ は、既に、ヨーロッパ交易の中心となっており、大陸各地の産物や地中海交 易の品々はアントワープに集められ、再びこの地から各国に出荷された。し たがって英国の羊毛織物もこのアントワープの地を通して、ヨーロッパ各地 へ運ばれた。英国から半完成品として輸出された羊毛織物は、アントワープ で染色と仕上げを施されることによって、原価の30%以上の高値で他国へ再 輸出されたという(Keene 63)。
他方、英国商人はアントワープにおいて、イタリア産の絹、レース、ガラ
ス食器、紙などを仕入れたほか、ドイツ産や低地帯産の刀身、鎧、真鍮製品 をはじめ、測量や航海に使用する金属製品などを買い付けた。スペイン産や ブリュッセル産の装飾をほどこした皮革製品なども、英国商人にとっては魅 力的な商品であった。その他、遠くオスマン帝国、ペルシャ帝国、中国から の品物も、このアントワープの地で入手することができた(Keene 64-65)。ト ルコ産のカーペットは、コンスタンチノープルやヴェニスから地中海を渡っ て、あるいは陸路によってアントワープを経てロンドンに運ばれ、裕福な英 国人の家庭の居室を飾ることとなったのである。
歴史家ジョン・ストウ(John Stow)から、『英国の歴史(The Annales of England)』の執筆を引き継いだエドマンド・ハウズ(Edmund Howes)は、当時 のロンドンの物質文化を次のように伝えている。
. . . citty filled more aboundantly with all sorts of silkes, fine linnen, oyles, wines, & spices, perfection of arts, and all costly ornaments and curious workmanship, then any other province, so as London well deserves to beare the name of the choicest storehouse in the world. (Stow, “letter dedicatory”)
文章からは、各地の産物や贅沢品がロンドンの取引所に集まり、大都市が活 況を呈していた様子が窺われる。またホリンシェッド(Holinshed)の年代記に 収録されたウィリアム・ハリソン(William Harrison)の『イングランド誌(The Description of England)』も、当時の大都市ロンドンの物質文化の様子を記し ている。
. . . in the houses of knights, gentlemen, merchantmen, and some other wealthy citizens, it is not geason [uncommon] to behold generally their great provision of tapestry, Turkey work, pewter, brass, fine linen, and thereto costly cupboards of plate worth £500 or £600 or £1000 to be deemed
by estimation. But as herein all these sorts do far exceed their elders and predecessors, and in neatness and curiosity the merchant all other, so in time past the costly furniture stayed there, whereas now it is descended yet lower, even unto the inferior artificers and many farmers, who, by virtue of their old and not of their new leases, have for the most part learned also to garnish their cupboards with plate, their joint beds with tapestry and silk hangings, and their tables with carpets and fine napery. . . . (Harrison 200)
ハリソンの記述から、綴れ織り、トルコ産織物、白目製(錫を主体とする鉛 などの合金)の器、真鍮の器、上質のリンネルといった様々な交易品が、裕 福な市民の生活に取り込まれていたことがわかる。そればかりか彼の文章か ら、限られた上流階級ばかりではなく、こうした嗜好が中流階級の人々の間 にも広まり始めていたことが理解されるのである。
シェイクスピアの『じゃじゃ馬馴らし(The Taming of the Shrew)』に登場す るパデュアの商人グレミオー(Gremio)の台詞は、まさにそうしたロンドンの 活況を物語るかのようである。より多くの財産を持参金として用意してくれ る者に、次女ビアンカ(Bianca)を与えるというバプティスタ(Baptista)のこと ばに、グレミオーは自分が集めた自慢の贅沢品を列挙してみせる。
Gre. First, as you know, my house within the city Is richly furnished with plate and gold,
Basins and ewers to lave her dainty hands;
My hangings all of Tyrian tapestry;
In ivory coffers I have stuff’d my crowns;
In cypress chests my arras counterpoints, Costly apparel, tents, and canopies,
Fine linen, Turkey cushions boss’d with pearl,
Valens of Venice gold in needle-work;
Pewter and brass, and all things that belongs To house or house-keeping. (II. i. 346-356)1
グレミオーの台詞に登場する品々は、いずれも交易を通して当時の英国に輸 入されていたものであり、ロンドンで手に入らぬものはない。象牙の箱は、
アフリカ北部のバーバリー地方から、また地中海の東端に位置するタイアの 綴れ織りやトルコ製のクッションは地中海交易をへて英国へと運ばれた。更 にフランス産のアラス織やヴェニス産の垂れ布は陸路を通って、当時の大陸 交易の要衝であったアントワープを経由し、ロンドンに輸入されたにちがい ない(図1参照)。 パドュアの地に展開される芝居を観守る観客たちも、知 らぬ間にそこにロンドンの風景を重ねていたであろう。
(図1)
グレミオーが遠い国々との交易を手がける貿易商人であることは、マル セイユに停泊させてあるという自慢の大型帆船からも知れる(“besides an argosy / That now is lying in Marsellis road” II. i. 374-75)。遠方の地より、陸路・
海路を通って運ばれた数々の交易品は、まさにグレミオーの物欲の証しなの であろう。そのように考えると、ビアンカもまた、老齢の彼にとっては自分 の屋敷に花を添える、類いまれな装飾品に他ならないのかもしれない。グレ ミオーの台詞は、まさにグローバル交易に参入したロンドン市場に溢れる海 外からの交易品の様子を物語るものである。
Ⅱ. 交易経済と土地経済
グレミオーの台詞に、更に耳を傾ければ、彼の蓄えている財産が高価な交 易品ばかりではないことが知れる。屋敷を飾る数々の交易品のほか、彼の自 慢は自分の所有する不動産へと続く。
Gre. . . . Then at my farm I have a hundred milch-kine to the pail, Six score fat oxen standing in my stalls,
And all things answerable to this portion. (II. i. 356-59)
多くの乳牛や雄牛を放牧する牧草地もまた、彼の誇る豊かな資産なのであ る。他方、自分の主人ルーセンショー(Lucentio) になりすましたトラニオー
(Tranio)も、資産自慢では負けてはいない。トラニオーは自分が父の唯一
人の財産相続人であることを強調し(“my father’s heir and only son” II. i. 364)、
将来、父の財産を相続したなら、グレミオーの自慢する屋敷と同じく立派な 屋敷を三つ四つ、更に土地からあがる年間2000ダカットの利益をビアンカ のために用意するという(“I’ll leave her houses three or four as good, / Within rich
Pisa walls, as any one / Old Signior Gremio has in Padua, / Besides two thousand ducats by the year / Of fruitful land, all which shall be her jointer.” II. i. 366-70)。 そればかりか彼によれば、父は大型船舶を3隻、三本マストの船舶を2隻、小 型船にいたっては12隻を所有するらしい(“. . . ’tis known my father hath no less / Than three great argosies, besides two galliasses / And twelve tight galleys.”
II. i. 377-79)。トラニオーの父親が、海上貿易に携わる大商人であることを
物語る台詞である。
グレミオーもトラニオーも自らの資産自慢に、土地への言及を交えている 点は興味深い。ヘンリー八世による宗教改革によって、修道院は解散を強い られ、没収された土地は市場に放出された。このことは、交易を営む商人た ちの土地購入を可能にし、多くの商人が土地の売買に関心を示すこととなっ た。言うまでもなく、交易ヘの投資には常に危険が付きまとう。悪天候によ る遭難や盗賊や海賊の襲来といった予期せぬ事態が起こりかねないことか ら、不安定な投機であると言わざるを得ない。それに比して土地への投資は 安全であった。交易による莫大な利益に比べれば、土地からの収益は少なかっ たかもしれないが、確実な利益が見込める点で、土地所有は堅実な蓄財の方 法でもあった。商人たちが交易で得た利益は、土地資本へと流れたのである。
もちろん土地を所有するということは、商人たちにとって資産を安定させ ることだけを目的とするものではなかった。彼らは大規模に土地を購入し、
大地主になることによって地方の名士となり、上流階級である「郷士」たち の仲間入りすることを夢見たのである。1640年に地方の上流階級と目された 人々の半数以上が、伝統的な由緒正しい家柄の者とは言えず、15世紀末から の経済の隆盛に乗じて、新たに紳士階級に加わった新参者であるとされる。
(Greenblatt 7)
当然のことながら、こうした商人たちの土地への投資は非難を浴びた。同 時代の教育者リチャード・マルカスター(Richard Mulcaster)は、「紳士となる 方法のうち、金の力によって紳士になることは最もいかがわしい(“of all the
means to make a gentleman, it is the most vile to be made for money)」と嘆いてい
る (Archer 178-80)。伝統的な階級を尊重する人々からすれば、交易によって
財を手にした中産階級の商人たちが、金の力によって土地を取得し、地方の
「郷士」と肩を並べることは許せないことであったのだろう。経済力によっ て流動性を増した階級社会は、階級間に軋みを生じさせていたのである。
Ⅲ.「郷士階級」とロンドン
ここで言う「郷士(Gentry)」とは、肉体労働に従事することなく、土地 収入だけで生活することができる地方の中小地主を指す。一般に、准男爵 (Baronet)、騎士(Knight)、スクワイア(Squire)、ジェントルマン(Gentleman)な どの地位を有する者たちの総称で、地方行政は彼らの手に委ねられていた。
歴史学者ローレンス・ストーン(Lawrence Stone)の定義によれば、「郷士」階 級は、経済力、生活様式、職業、文化活動の範囲などによって、二つの集団 に分類されるという。
By the 1580s the gentry were drawing apart into two groups, definable in terms of economic resources, life-style, occupation, and range of cultural interests and activities. The first, known to modern historians as the ‘parish gentry’, were men whose interests and powers were limited to the boundaries of one or at most two villages, most of whom had had no education beyond that at the local grammar school, and who were rarely eligible for any administrative post above that of JP. . . .
The second are known as the ‘county gentry’, men of greater wealth, power, and sophistication, who automatically laid claim to local political leadership, including membership of parliament, who enjoyed the benefits of higher education, often finished off by the Grand Tour of Europe, and whose
intellectual and political horizons began with the county but spread out to include the capital city of London. (Stone and Stone 6)
ひとつには「教区郷士(parish gentry)」と呼ばれ、グラマースクールでの教育 を受けた程度で、だいそれた政治的野心を抱くこともない集団があり、もう ひとつには、「州郷士(county gentry)」と呼ばれる、財力や政治力を備え高等 教育を受けて、英国議会の議員になるといった野心を抱く人々の集団があっ た。後者は、終世、地方で暮らすことに満足することはなく、機が熟せば大 都市ロンドンへも打って出ようとする類いの者たちであった。中央政府の動 向に関心を寄せる彼らが、ロンドンの物質文化に大いに興味を抱いたのも当 然である。大都市における経済の活況を受けて、土地を資本とした州郷士た ちもやがて消費文化の洗礼を受けることとなった。宮廷や大貴族たちの趣味 に倣い、彼らもまた流行のファッションに身をやつし、数々の贅沢品で地方 の屋敷を飾ることとなっていったのである。
郷士のなかには、地方の屋敷を生活の拠点とするのではなく、大都市ロン ドンでの生活を満喫しようとする者も現れた。妻や娘たちも、都会での生活 に憧れ、主人にロンドン暮らしをせがむ者が多かったという。当時の記録を 繙けば、都市での生活は、「晩餐の客として、より洗練され知性のある友人 を招くことができた、そのほうが田舎の粗野な紳士や粗暴な隣人を招くよ りもずっとよかった( “men of more cibilitie, wisdom and worth then your rude County gentlemen or rusticall neighboures”)」からであるとの記述が見受けられ ることからも、郷士たちの都会志向が垣間みられる (Archer 177)。
他方、郷士のなかには、急激な経済の変化についていけず、困窮する経済 状態から自分たちの次男・三男を商人にしようとする者や、自分たちの娘を 裕福な商人に嫁がせようとする者も現れた。貴族社会ではこうした契約結婚 がしばしば行なわれており、テューダー朝の貴族が婚姻関係の成立をめぐっ て、経済用語を使用していたことも知られている。既に15世紀後半において、
マーベル・パー(Mabel Parr)やエリザベス・ルーシー(Elizabeth Lucy)は婚姻 契約を「売買契約(“bargain”)」と言及しており、両親たちは花嫁の持参金を あてこんで、息子を「売る(“selling”)」という表現を使用していたことが当 時の記録から知れる。紋章と土地を有する郷士階級が、交易商人の娘を娶る ことは、まさに地位と現金の交換であり、売買とも呼べるものであった。伝 統的階級の綻びは、自らの階級の上昇を願う商人たちに付け入る隙を与える ことともなったのである(Harris 44)。
Ⅳ. 郷士ペトルーキオーとロンドン文化
郷士が、田舎育ちであるため、洗練されたロンドンの都会文化に慣れてい ない様は、しばしば話題にのぼり、劇作家たちによって嘲笑の的として芝居 の中に描き出された。シェイクスピアの描くペトルーキオー(Petruchio)もま た、そうした人物のひとりである。バプティスタのもとを訪れたペトルー キオーは、挨拶もろくにせぬまま、口を開くなり「カタリーナという美人 で徳高いお嬢さんをお持ちではないかな(“Pray have you not a daughter / Call’d Katherina, fair and virtuous?”)」(II. i. 41-42) と切り出す。ペトルーキオーの無 作法このうえない単刀直入な物言いは、側にいたグレミオーを狼狽させる。
「君は無遠慮だな、ものごとは型通りにやらねば。(“You are too blunt, go to it
orderly.”)」(II. i. 45) グレミオーの反応からも、シェイクスピアがペトルーキ
オーを礼儀知らずの郷士階級の青年として描こうとしていることが知れる。
更に悪びれるどころか、ペトルーキオーは初対面のバプティスタに対して、
早速結納金の交渉を始めてしまうのである。
Pet. . . .
You knew my father well, and in him me, Left solely heir to all his lands and goods,
Which I have bettered rather than decreas’d.
Then tell me, if I get your daughter’s love, What dowry shall I have with her to wife?
Bap. After my death, the one half of my lands, And in possession twenty thousand crowns.
Pet. And, for that dowry, I’ll assure her of Her widowhood, be it that she survive me, In all my lands and leases whatsoever.
Let specialties be therefore drawn between us,
That covenants may be kept on either hand. (II. i. 116-27)
グレミオーとトラニオーの資産自慢が、様々な交易品であり所有する船舶の 数であったことを想い起こせば、ペトルーキオーの関心が、常に土地と現金 に向けられていることは注目に値する。ペトルーキオーは自分が父から譲り 受けた土地の唯一の相続人であることを強調し、自分が巧みに土地の運用と 拡大を行なっていることを自慢してみせる。そればかりか彼は、あからさま にバプティスタの用意する持参金の額を尋ねると、カタリーナが寡婦となっ た場合の土地相続の条件を申し出て、契約の取り交わしを急ぐのである。ペ トルーキオーの財産が世襲による土地に基づくものであり、彼が多くの不動 産を有する郷士であることの証である。
そもそもペトルーキオーがパデュアにやって来たのも、裕福な妻を娶るた めであった。ホーテンシオー(Hortenshio)にパドュアに来た理由を尋ねられ たペトルーキオーは、「世間に身を投じて、できるものなら妻を見つけ、金 儲けをしてみたい(And I have thrust myself into this maze, / Happily to wive and thrive as best I may.)」(I.ii.55-56)、と返答している。台詞の中で、“wive” と
“thrive” が等しく扱われているように、彼にとって「妻を娶る」ことは、こ
れすなわち財産を殖やし経済的に「豊かになる」ことなのである。更に、ペ
トルーキオーは、自分が都会へ出て来た理由は、金持ちの娘を見つけ出し結 婚することだと公言して憚らない。
Pet. Signior Hortensio, ’twixt such friends as we Few words suffice; and therefore, if thou know One rich enough to be Petruchio’s wife (As wealth is burthen of my wooing dance), Be she as foul as was Florentius’ love, As old as Sibyl, and as curst and shrowd As Socrates’ Xanthippe, or a worse, She moves me not, or not removes at least Affection’s edge in me [Whe’er] she is as rough As are the swelling Adriatic seas,
I come to wive it wealthily in Padua;
If wealthily, then happily in Padua. ( I. ii. 65-76, 下線は筆者による)
「富はまさに求婚の踊りの伴奏」であり、「経済的な豊かさ」こそが「幸 福」だとペトルーキオーは豪語する。主人の台詞を受けて発せられる召使 いグルーミオー(Grumio)の「何の問題もない、金さえあれば (“nothing comes amiss -- so money comes withal.”)」(I. ii. 80-81) という間の手も、あからさまに 主人の心中を語って、金に執着するペトルーキオーの人物像を浮き彫りにし てみせる。ペトルーキオーは、ホーテンシオーよりも、はるかに現実主義者 であり、時代を象徴するかとも思える財力というものの影響力を知り抜いて いるのである (“Hortensio, peace! thou know’st not gold’s effect.” I. ii. 93)。彼は、
まさに時代の上げ潮にのり、婚姻により更なる財産の獲得を夢見る、当時の 郷士の姿を代表しているといえるだろう。
更に、カタリーナとの婚礼に際して、ペトルーキオーは宣言する。
Pet. . . .
She is my goods, my chattels, she is my house, My household stuff, my field, my barn,
My horse, my ox, my ass, my any thing; (III. ii. 230-32)
彼は自らの所有する地方郷士の資産を列挙し、カタリーナもそのひとつと なったと言い放つのである。ペトルーキオーが、グレミオーやルーセンショー のような商人ではなく、地方の郷士であることを、シェイクスピアは繰り返 し台詞を通して観客に伝えていることがわかる。ペトルーキオーの嫁取りは、
言わば郷士階級と商人階級の間に交わされた当世風の商取引とも呼べるもの なのである。2
そうしたペトルーキオーの台詞に呼応するかのように、バプティスタとト ラニオーのやり取りも、娘カタリーナを「交易の品(“commodity”)」に喩えて 興味深い。
Bap. Faith, gentlemen, now I play a merchant’s part, And venture madly on a desperate mart.
Tra. ’Twas a commodity lay fretting by you;
’Twill bring you gain, or perish on the seas.
Bap. The gain I seek is, quiet [in] the match. (II. i. 326-30)
二人の会話が示唆するように、仮にカタリーナが交易市場でやりとりされる 商品であるとするなら、それを手に入れようと全力を尽くすペトルーキオー は、活況を呈すロンドンの経済に引寄せられ、異国との交易によってもたら される高価な商品に魅せられた地方郷士に他ならない。作品は、当時の英国 経済によって引き起こされた社会の変化を、じゃじゃ馬馴らしという民間伝
承の中に、巧みに取り込んでいるのである。あるいは、人々がしばしば耳に し、慣れ親しんできた民間伝承を、当世風に書き換えていると言っても過言 ではないであろう。
この後、舞台上では、ロンドンで暮らす大商人たちの華麗な婚礼や披露宴 が、洗練を知らぬ地方郷士の粗暴な振舞によって、大騒動となる様子が描か れる。ペトルーキオーが、わがままなカタリーナを夫の権威にかしずかせる ために、地方郷士の無作法さを極端なまでに演じてみせるからである。婚礼 の席に老いぼれ馬に乗って現れたペトルーキオーのおんぼろ衣装は、人々の 嘲笑の的であり(III. ii. 43-63)、婚礼の儀式における彼の無作法さは、人々を 驚嘆させる( “Such a mad marriage never was before.” III. ii. 182)。挙げ句の果 てに彼は、豪華な披露宴への出席も辞して、そそくさと花嫁を田舎の屋敷に 連れ去ってしまうこととなるのである( “Dine with my father, drink a health to me, / For I must hence, and farewell to you all.” III. ii. 196-97)。 都会に出てきた ものの、社交界の洗練とはほど遠い地方郷士の様子を、ペトルーキオーは意 図的に演じて、カタリーナをはじめとする周囲の人々を困惑させる。言い換 えれば、シェイクスピア自身が、作劇上のテクニックとして、ペトルーキオー に誇張した田舎紳士を演じさせることにより、当時の観客の抱腹絶倒を引き 出そうとしているのである。
Ⅴ. 消費社会ロンドンに対する戒め
傍若無人なカタリーナに対するペトルーキオーの対応は、裕福な商人の子 女が身につけた贅沢への戒めともいえる。当時の英国では、大都市ロンドン に象徴されるような、行き過ぎた消費社会の出現に対する、警鐘も聞かれ た。人々が、海外からの輸入品や贅沢品を追い求めたため、当然のこととし てそこには貿易の不均衡が生じていたからである。羊毛織物を主軸とする英 国経済は、海外から国内に流れ込む贅沢品に圧倒された。フィリップ・ス
タッブズ(Philip Stubbs)は、自国の提供する品々では満足できない英国人の物 欲に失望を表明し、バーリー卿ウィリアム・セシル(William Cecil, 1st Baron Burghley)も、絹やワイン、そして胡椒を手に入れようとする人々の果てしな い欲望が国を疲弊させると嘆いている(Archer 184)。海外製品への飽くなき 欲求は抑制されるべきであり、英国国内の生産物の消費へと転換されるべき であった。この点についても、劇は時代の声を取り入れている。
裕福な商人バプティスタの催す婚礼の宴は、さぞや盛大なものであったで あろう(“great store of wedding cheer” III. ii. 186)。当時の貴族の宴には、英国 の地産の食物の他に、贅沢な輸入食品がテーブルに並んだという。寒冷な 気候の英国は果物の種類に恵まれず、多くの果物が低地地方より輸入され た。果物は船便で輸入されたが、傷み易く、その希少価値から非常に高価で あった。ヘンリー八世の王室付き青果商であったリチャード・ハリス(Richard Harris)は、低地地方やフランスから様々な果物の苗木を持ち帰り、ケント州
テンハム(Tenham)に養樹園を造園したことで知られる (Sim 118-19)。また英
国ではワイン用のブドウが育たないため、ワインはすべて輸入に頼っていた。
しかし温度管理の難しいワインは、陸路や海路を通って遠方から運ぶのに適 しておらず、これもまた贅沢品であった (Sim 58-61)。序幕においてスライ(Sly) が召使いから、「ワイン(“sack”)」や「砂糖漬けの果物(“conserves”)」を勧め られて、口にしたことのない飲み物や食べ物よりも、「エール(“ale”)」や「塩 漬け肉(“conserves of beef”)」のほうが良いと言うのも当然である(Ind. ii. 1-8)。
「ワイン」や「砂糖漬けの果物」といった品物はいずれも、一般庶民が到底 口にすることができない高級品であった。しかし大富豪バプティスタが娘カ タリーナのために準備した婚礼の宴は、これらの高級品が惜しみなく供され るような、まさに贅の極みを尽くしたものであったにちがいない。
にもかかわらず、誰もが心待ちにする婚礼の晩餐会に出席することなく、
ペトルーキオーはカタリーナを伴って家路を急ぐ。やっとの思いで辿り着い たペトルーキオー邸でカタリーナに供される夕食は、焼いた羊肉である。し
かもペトルーキオーは、肉が焼け焦げているため、こうした物を口にすると
「癇が高ぶって、怒りっぽくなる」からと、今夜は二人とも断食しようと提 案するのである。
Pet. . . .
And better ’twere that both of us did fast, Since of ourselves, ourselves are choleric, Than feed it with such overroasted flesh.
Be patient, to-morrow’t shall be mended,
And for this night we’ll fast for company. (IV. i. 173-77.)
食べ物も与えられず、ひもじい思いをするカタリーナは、召使いのグルミ オーに何か食べ物を持ってくるように言いつける。グルミオーが提案す る食べ物は、 “a neat’s foot”であり、“a fat tripe finely broil’d”、更に “a piece of beef and mustard”である(IV. iii. 17-23)。ジョーン・フィッツパトリック (Joan Fitzpatrick)の『シェイクスピアと食べ物用語辞典(Shakespeare and the Language of Food: A Dictionary)』によれば、“a neat’s foot”とは牛の足を焼い た料理で、近代初期の英国ではよく食されたものであるという。また “tripe”
は、牛、豚、羊といった家畜の胃を料理したもので、これもまた当時の英国 では一般的な品であった。すなわちペトルーキオーの屋敷で供される料理は いずれも、英国の郷土料理であり、貴族や裕福な商人たちの宴の席を飾る豪 華な料理とはほど遠い品々である。そればかりか結局グルミオーはカタリー ナをからかっただけで、それすら彼女の口に入ることはない。ペトルーキオー は、カタリーナが今まで当然のことのように享受していた食卓での贅沢を取 り上げてしまったのである。
同じことは、カタリーナが身に纏う衣服にも言える。劇の第四幕三場で、
豪華に着飾ってカタリーナの実家に帰ろうとペトルーキオーは提案する。絹
のコートに帽子(silken coats and caps)、襟飾りに袖飾り(ruffs and cuffs)、スカー トを広げるファージンゲール(farthingales)、スカーフに扇子(scarfs and fans)、 そして装飾品を揃えようと彼は言う(IV. iii. 52-60)。しかしながら、いよいよ 小間物屋や仕立屋が持参した帽子や衣服を見せ始めると、ペトルーキオーは 仕立て屋のデザインにことごとく難くせをつけ始める。
Pet. Why, this was moulded on a porringer – A velvet dish. Fie, fie, ’ tis lewd and filthy.
Why, ’tis a cockle, or a walnut-shell, A knack, a toy, a trick, a baby’s cap.
Away with it! come, let me have a bigger.
Kath. I’ll have no bigger, this doth fit the time,
And gentlewomen wear such caps as these. (IV. iii. 64- 70)
カタリーナが、いくらこれが今の流行だと言い張っても、ペトルーキオーは いっさい耳を傾けようとはしない。仕立屋の用意した「流行のファッション (“According to the fashion and the time”)」も、彼にとっては「まるで大砲のよ うな袖(“ A sleeve? ’tis like [a] demi-cannon”)」であり、「林檎のパイのごとく(“like an apple-tart”)」、切り目が多すぎるということになる(IV. iii. 88-95)。ペトルー キオーが非難の矛先を向けているのは、海外の流行を追いかける華美な服装 である。
当時、海外製品の流行は、住宅の居室を飾る装飾品ばかりでなく、人々の 服装にも影響を与えた。交易都市ロンドンの人々は、こぞって海外の衣服を 身に纏ったという。前述のウイリアム・ハリソンは、異国のファッションに 夢中になる人々の軽薄さを嘆いている。
For my part, I can tell better how to inveigh against this enormity than
describe any certainty of our attire; sithence such is our mutability that today there is none to the Spanish guise, tomorrow the French toys are most fine and delectable, ere long no such apparel as that which is after the High Almain [German] fashion, by and by the Turkish manner is generally best liked of, otherwise the Morisco [Moorish] gowns, the Barbarian sleeves, the mandilion worn to Collyweston-ward, and the short French breeches make such a comely vesture that, except it were a dog in a doublet, you shall not see any so disguised as are my countrymen of England. And as these fashions are diverse, so likewise it is a world to see the costliness and the curiosity, the excess and the vanity, the pomp and the bravery, the change and the variety, and finally, the sickleness and the folly that is in all degrees, insomuch that nothing is more constant in England than inconstancy of attire.
Oh, how much cost is bestowed nowadays upon our bodies and how little upon our souls! (Harrison 145-46)
人々は、次々と各国の服装を流行として取り入れ、その様はまさに無節操と すら呼べるものであった。女性たちは、衣服に膨らみを持たせるため、粗織 りの布地で詰め物をし、襟を立たせる為に厚紙を使用した。また胴着を締め 付けるためや、スカートのシルエットに広がりを持たせるためには、クジラ の骨が使用された。外国製の装飾をふんだんに取り入れた、これらの衣装を 身に着けることこそ、彼女たちにとっては自分たちの社会的地位と経済力を 誇示する手段であった。
じゃじゃ馬であるカタリーナを手なずけるようとするペトルーキオーの思 惑の裏には、彼女が体現する豊潤な交易の利益を、堅実な地方経済へ取り込 もうとする郷士の策略がある。ペトルーキオーのじゃじゃ馬馴らしは、常に 危険の伴う、不安定な交易によってもたらされた過剰な消費を、安定した土 地と金貨へと回収しようとする経済的行為なのである。このように考えれば、
最後の賭けで、カタリーナが帽子を踏み潰すのも、そうした浪費への戒めを 表す象徴的行為なのかもしれない (V. ii.121-22)。海外製品に対する人々の欲 望を制御し、英国国内の消費に向かわせようとする配慮もまた、じゃじゃ馬 馴らしの形を借りたこの芝居に、時代の経済という色あいを添えていると言 えるであろう。
結: 当世風の結婚模様
シェイクスピアは、ペトルーキオーとカタリーナのカップルによって、金 銭をめぐる当世の結婚風景を描くと同時に、ルーセンショーとビアンカの カップルを通して、純粋な恋愛関係を描くことにより、作品にバランスを与 えようとしている。ルーセンショーの恋は、ビアンカの財産とは無関係な一 目惚れであり、二人の恋愛は決して相手の経済力を念頭においたものではな いからである。当時の文献の中には、経済が重視される時代への反発とし て、財産目当ての結婚を非難した文書も多く見受けられる。そうした文献に おいては、若者たち双方の合意が尊重され、子供たちに彼らの意に沿わぬ結 婚を無理強いする強欲な両親が非難される (Grassby 46)。こうした社会の声 もまた、ビアンカとルーセンショーの恋愛を通して、作品の中に取り入れら れていることを忘れてはならない。シェイクスピアは、イタリア人アリオス
ト(Ariosto)によって書かれ、ギャスコイン(Gascoigne)が英訳した『取り違え
(Supposes)』の筋を組み込んで、恋人たちの恋の行方を描いてみせる。やが て彼らもまた、紆余曲折を経た恋の冒険の末、互いに地位と経済力を備えた、
幸せな結婚へと辿りつくこととなる。ルーセンショーが、航海の比喩を用い て自らの冒険を「幸運にも私はこうして航海を続け、ついに幸せの港に辿り つくことができました (“ And happily I have arrived at the last / Unto the wished haven of my bliss.”) 」(V. i. 127-28)と語るように、舞台上に描かれるのは若者 たちの恋の冒険なのである。
更に、ビアンカとの恋に破れたホーテンショーも裕福な未亡人との結婚を 通して、大団円に花を添える。当時の社会では、人々の高い死亡率と相まっ て、再婚は決して珍しいことではなかった。実にロンドンの商人の25%は再 婚であったという(Archer 184)。したがって、経済力のある未亡人の確かな 愛に気付くことによって、ホーテンショーもまた幸せな結婚を手に入れたと いえよう。
若者たちは、自分にふさわしい女性を探し求めるというそれぞれの冒険を 通して、最終的には成功を収める様が舞台上に描かれた。劇場の観客は、遠 く離れたイタリアのパドゥアを舞台にしたこの芝居を観ながら、経済の活況 に沸く大都市ロンドンでの嫁とり物語に、そして富裕層の人々の間に繰り広 げられる恋の駆け引きに心奪われたにちがいない。舞台に登場する若者たち はいずれも、三者三様の恋を経験し、それぞれに相応しい伴侶を得て結婚 に辿りつく。シェイクスピアは、三人の若者たちの恋の冒険を通して、当世 の結婚模様を描いて見せたのである。序幕において、召使いがこれから上演 される芝居を「楽しい喜劇(“a pleasant comedy”)」(Ind. ii. 130)としながらも、
スライが期待するような「クリスマスの踊りや軽業(“Christmas gambol or a tumbling trick”)」(138) の類いではなく、「ある種の物語(“a kind of history”)」(141) と呼んでいるのも、このためであろう。ここで使われる “history”には、「芝 居で演じられるような筋のある話」という意と「歴史のような事実に基づい た話」という両方の意味が重ねられているからである。『じゃじゃ馬馴らし』
はまさに、経済が活況を呈する当時のロンドンとその街に生きる人々の風景 を活写した芝居であったにちがいない。
経済成長を経験するなかで、大都市ロンドンには地方から職を求めて多く の人口が流れ込み、貧富の差の拡大は著しい広がりを見せていた。富裕層の 暮らす住宅が数々の贅沢品でその財力を誇ったことは、多くの資料が示し ている。市長であったサー・ウィリアム・クレイヴァン(Sir William Craven, lord mayor in 1610-11)の住居は、大広間、応接間、食堂、回廊などを備えた
大邸宅で、暖炉には大理石が使われ、すべての部屋の壁には羽目板細工が施 されていたという。また裕福な商人であったサー・ジョン・スペンサー(Sir John Spencer)は、ビショプスゲート通りに古風な屋敷を構えていたばかりか、
イズリントンにも豪奢な別荘を所有していた。
しかし豪奢な邸宅に暮らす富裕層とは対照的に、貧困層は裏通りの共同住 宅に身を寄せていた。共同住宅は、小さく部屋割りがされていて、そこに子 供を抱えた家族がすし詰め状態となっていた。わずか12フィート足らずの一 部屋に家族で暮らし、その隣の部屋にも別の家族が暮らすという有様で、便 所などの最低限の生活施設を欠いた住居もごく普通であった。ロンドンの家 賃は高騰しており、そうした劣悪な環境ですら、年20~40シリングを大家 に支払わねばならなかった。多くの芝居の中で、金貸しと大家が貪欲な金の 亡者として描かれているのは、こうした世相を反映したものである。
貧民たちは、なけなしの金を酒や賭博といった遊興に費やしてしまうこと も多く、その困窮度は悲惨を極めた。当時の道徳家たちが金持ちの贅沢を 諫め、貧民救済を訴えたのも当然であろう。道徳家ヘンリー・スミス(Henry
Smith)は20着ものコートを持っている金持ちたちが、それにもかかわらず貧
民の救済を拒んでいると、富裕層の無理解を批判している(Archer 182-84)。
ロンドンの貧富の差の拡大に目を向ける時、芝居の冒頭に描かれたクリス トファー・スライの役割が読み取れる。酒場を追い出された「貧しく哀れな
乞食(“a poor loathsome beggar”)」のスライは、領主の余興として貴族に仕立
上げられ、「嬉しい夢や、はかない空想の世界(“a flattering dream or worthless
fancy”)にしばし戯れることとなる(Ind. i. 123, 43)。劇場に詰めかけた一般民
衆にとっても、ペトルーキオーやバプティスタのような富裕層の物語は、遥 か手の届かないところにある別世界の物語であろう。しかしひと時の間でも、
裕福な郷士や商人たちと立場を入れ替わり、現実を忘れることができたのかも しれない。じゃじゃ馬を手なずけることと同じく、裕福な商人となって嫁選び をするという芝居の世界も、庶民にとっては夢のまた夢だったのかもしれない。
註
1 シェイクスピアの作品からの引用は、すべてThe Riverside Shakespeareによるもの とし、以降は、幕、場、行数のみを示すものとする。
2 この箇所を、類似の作品である『ジャジャ馬馴らし(The Taming of a Shrew)』と 比較してみるのも興味深い。シェイクスピアの『じゃじゃ馬馴らし(The Taming of the Shrew)』は、1623年の第一・二つ折り本に初めて収録された作品であり、それ 以前に出版された四つ折り本などが発見されていないことから、制作年代も不明 とされる。ただし酷似した題名を冠した作者不明の作品『ジャジャ馬馴らし(The Taming of a Shrew)』が、ペンブルック伯一座によって上演されていたことが知られ ている。『ジャジャ馬馴らし』は、1594年5月に書籍商の登録を受けて、同年、四 つ折り本として出版され、その後、1596年、1607年と版を重ねた。この作品は、
題名はもちろん、その内容にいたるまでシェイクスピアの作品と類似しているた め、両作品の相互関係は批評史の中で多くの議論を呼んできた。研究者たちの間 で意見は分かれ、(1)『ジャジャ馬馴らし』を種本として、シェイクスピアが『じゃ じゃ馬馴らし』を完成させたとする説、(2)『ジャジャ馬馴らし』もシェイクスピ アの『じゃじゃ馬馴らし』も共に、もとにした共通の作品があったと考える、い わゆるThe ur-Shrew説、そして(3) 『ジャジャ馬馴らし』は、『じゃじゃ馬馴らし』を 役者の記憶から再現した作品である、あるいは『じゃじゃ馬馴らし』を種本として、
別の劇作家によって書かれた作品であるとする説がある。いずれの説も可能性は あるものの確証はない。
『ジャジャ馬馴らし』においてケート(Kate)に求婚するフェランド(Ferando)は、
充分な財産を有しているとされるものの(“a man of wealth sufficient” ii, 48)、その 素性は定かではない。更に、ケートへの求婚の理由も、ケートの父アルフォンソ (Alfonso)が6000ダカットを持参金に付けてくれるということ以外は、何も語られ ない。これに対して、シェイクスピアの手になる『じゃじゃ馬馴らし』のペトルー キオーの台詞は、当時の世相を色濃く反映していることがわかる。
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* 本論文は、科学研究費基盤研究(C)「シェイクスピア作品におけるグロー バル経済の影響と物資文化への人々の関心」(課題番号:16K02471 代表:
勝山貴之)の研究成果の一部である。
Synopsis
The Taming of the Shrew and Marriage à la Mode:
Global Trade in the Sixteenth and Seventeenth Centuries and the Material Culture of London
Takayuki Katsuyama
The city of London experienced dramatic changes in its economy during the sixteenth and seventeenth centuries. England had begun to export woolen textiles to Antwerp in the first half of the sixteenth century, and, through this western commercial metropolis, they were distributed widely in central Europe. A great deal of England’s new wealth derived from these exports. On the other hand, in Antwerp, a hub of the global trade network, English merchants purchased various products made abroad––glassware from Italy, metal goods from the Low Countries, carpets from Turkey, raw silk from Persia, and drugs and spices from East India. London’s markets abounded with exotic merchandise, and its inhabitants were doubtless marked by these developments. Participation in the global trade network was rapidly transforming London into a world city.
Though Shakespeare’s The Taming of the Shrew is set in Padua, the audience likely projected an image of a newly prosperous London onto the Italian city. By these means, the abstract and distant world of trade was rendered meaningful and intelligible to contemporaries. The episode involving Petruchio and Katharina in the play is, of course, no novelty. Folk stories about taming a difficult wife were repeated in plays, sermons, and pamphlets in England; indeed, versions of the tale circulated widely in
northern Europe. Making deft use of folklore, Shakespeare satirizes the emergence of mercantilism in London in the late sixteenth century.
Moreover, his biting comment upon “marriage à la mode” in The Taming of the Shrew ridicules Londoners’ keen interest in material culture, as displayed, for example, in the symbolic exchange of betrothal contracts.
This paper illustrates how the early processes of globalization can be viewed as intertwining economic and cultural phenomena; it also explores the relationship of the economic to the literary.