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商経学叢 第49巻第3号 2003年3月
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大森 弘先生と近畿大学
-「実学一如の精神」の実践の軌跡―
齋 藤 美
雄
I. は じ め に
この度, 大森弘教授 (以下「学兄」)の教授退任記念号の刊行にあたり, 筆者に学友録の 執筆依頼があった。 当初, 筆者はこの記念号には学術論文による参加を考えていたし, 従 来, この種の文章は書いた経験もない。 戸惑うところがあり, 一度は固辞することも考え た。 しかし, 学兄との40年来の友情には, とうていそれを許さぬ重みがあり, 結局, あえ て筆をとらせていただくことになった次第である。 乱筆拙文をご寛恕戴きたい。 なお, 学 兄は非常に世間に顔が広<. 学会や教育界のみならず, 財界や実業界に加え, 政界や宗教 界にもずばぬけて幅広い人脈を持っておられる。 その人脈も国内だけにとどまらず, 3回 にわたる長期海外留学を契機に培われた縁により, 広く海外にも及んでいる。
しかし, 大森学兄の眠業生活の主たる舞台が近畿大学商経学部であったのはいうまでも ない。 学兄と筆者との交流の中心舞台もそこにある。 加えてこの記念号は「近畿大学商経 学部教授」としての学兄の退官を記念するものである。 そこでこの拙文では当然に, 近畿 大学を舞台にした「大森弘教授」の活動の軌跡をたどることが中心になる。 しかし, 大森 学兄ほどの大人物ともなると, その交流談も筆者一人の経験だけに限定するには余りにも 存在が大き過ぎる。 幸い, 大学院商学研究科の大森ゼミを中心とする院生諸君, 更には,
学兄の紹介で非常勤講師として商経学部にご協力を賜っている 「耳順会」の会員各位や大 学の事務局職員各位からも数多くの感動の手記や玉文をお寄せ戴いた。 そこで, これらを 抜粋, 引用, 集約し, 最大限に活用させていただきたい。 出来るだけ大勢の人々の目を通 じて, より多面的かつ客観的にアプローチした方が, 近畿大学における教育者, 研究者と しての大森弘教授の素顔や全体像により鮮明に迫れると思うからである。 したがって, こ れから展開される 「人間:大森弘」に関する論議に不要領なところがあるとすればその責 はひとえに筆者にある。 手記をお寄せいただいた各位のご協力に心から感謝申し上げる次 第である。
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II. 学兄との出会いから今日までの経過
学兄と筆者は. 母校 (神戸大学大学院経営学研究科) および戟場 (近畿大学商経学部)
において先輩・ 後輩の関係にある。 但し母校で直接に学兄の姿を見たことはない。 筆者が 母校の修士課程に入学した昭和38年4月には, 学兄は既に博士課程を終了し,ハーバー ド 大学経営大学院に留学中であったからである。
筆者が学兄の存在を知るにおよんだのは, 同年, 同じゼミの故中川公一郎先輩 (元松山 商科大学教授)から, 「同級生に松下電器に就識した大森と言う元気のいい面白い男がい る」と聞いた時からである。 翌年, 修士課程 2 年の秋に, 筆者は近畿大学商経学部に専任 助手としての就戦が内定した。 この時に大学院の関係者から「近畿大学の商経学部では,
大森さんが非常勤講師をやっている」と耳うちされた。 学兄は昭和37年4月から既に商経 学部で教碓をとっていたのである。 その時以来.「やがて出会うかもしれない」と学兄の存 在をかなり強く意識するようになった。 この予感が的中したのは筆者が商経学部助手に就 任した昭和4 0年のことである。 ある日, 竣工間もない21号館の廊下で学兄とバッタリ顔を 合わした。 どういうわけで, その時の相手が大森学兄と判ったのかは今となっては定かで ない。 ともかく授業で教室に向かう途中であったので,一言二言. 簡単な初対面の挨拶を した微かな記憶がある。 初対面の印象も今は朧げであるが, 噂通りの颯爽とした快活な学 兄の姿に接して頼もしく感じたことだけは確かである。 当時の学兄は今と違って, リーゼ ントスタイルにロ イド眼鏡とかなりモダン・ ボーイを気取っていた節がある。
昭和43年4月に学兄は松下電器を退社して商経学部助教授に就任することによって, 筆 者にとって一層身近な存在になった。 それまでに既に学兄と筆者の間にある程度の親密な 交流があったのは確かであろう。 時の商経学部教務課長が42年の秋ごろに, 筆者に「大森 先生は商経学部に専任で来てくれないやろか?」と密かに意向を打診してきた。 筆者は
「大学側が本気でこの話を進める気があれば,大丈夫だろう」と回答した。 これを契機に学 兄の商経学部への移籍話はトントン拍子に進んだかに見えたが,就任の身分が「専任講師」
ではなく.「助教授」だったのには驚いた。 というのは. その時は筆者が丁度, 3年間の助 手期間を経てやっとの思いで専任講師に昇格したばかりの時点であり, 年齢的にもさして 差がない学兄がいきなり「助教授」に就任するとは予想していなかったからである。 もっ とも. 筆者は大学院に入るまでに色々な道草をしており.「年齢差」以上に「学年差」があ るのは事実であったが. ともかく「さすがは大物」と感服を禁じえず. 改めて頼もしい先
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輩としての印象を強くした。 以来, 同 じ戦場の先輩後輩として様々の過程を経ながらも,
公私にわたり, 一貫して親密なご指導に預かりながら今日に至っている。 最近は同 じ職場 でも, 出講日の関係で, 対面の機会は案外少ない。 それだけにたまに顔を合わすだけで,
ひたすらにほのぼのと懐かしく, お互いに心底より癒される思いを共有できるのは大きな 喜びである。 本当によき先輩をもって有り難いとしみ じみ痛感することの多い昨今であ る。
皿 研究活動の軌跡
神戸商科大学の商経学部で経営学の基礎を学んだ大森学兄は, 昭和31年に神戸大学大学 院経営学研究科に進学し, 当時の日本経営学会の重鎮であった平井泰太郎教授に師事し た。 修士課程修了後, 昭和35 年に松下電器に入社, 8 年間在戦したが, その間も研究活動 を極めて活発に展開した。 まず, 神戸大学大学院経営学研究科の久保田音次郎教授の下で 博士後期課程を修了すると, 直ちに近畿大学商経学部の非常勤講師に就任した。 更に翌 年 の昭和38年から9年にかけてハーバー ド大学経営大学院に留学し, 米国流の経営学研究の 実践に参加した。 帰国後はテレビ事業本部の企画調査課長として, 当時の代表的成長企業 であった松下電器を舞台に企業活動の最前線で活躍したが, 既にこの段階から, 理論と実 践の融合を目指す「実学一如の精神」に立脚する実学経営学への志向が大森経営学を方向 づけるアイデンティティの中核を形成しつつあった。 「多角企業経営の構造研究ー一号i業 部制の経営構造研究―-」と題する修士課程修了論文と「外注価格論の実証研究—企業 集団の経営機構研究—」と題する博士課程修了論文のタイトルにも反映されている如 く, 大森経営学の基本的出発点は「組織論」にあるが, それが経営学者の常道にそうもの であるのはいうまでもない。 ちなみに前者が 「経営組織」を「事業部制組織」として取り 上げた経営史的研究であるとすれば, 後者は「経営組織」を「外注管理組織」として取り 上げた実証的研究であるが, それはいわゆる組織的思考と計算的思考の交流の場としての 企業経営を構造的, 機構的に理解しようとする方法論的志向によって方向づけられてい る。
事業部制に関する主要論文には更に 「経営組織の史的研究 事業部制にかんする事例 研究一」(商経学叢 No. 39 昭和44年)や「企業者活動の国際比較—事業部制の史的考 察一」(井上•豊原編, 千倉書房, 昭和48年)などがあるが,それに関する学会報告も昭 和48年の7月と11月に日本経営史学会でなされている。 大森学兄によるこれらの研究が.
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我国ではつねに事業部制の展開の先頭に立ってきた松下電器における勤務経験に経験的基 盤をもつのはいうまでもない。 通常の経営学者にはみられない理論と実践の高度の融合が 大森経営学にみられる所以である。
しかし大森経営学における論議は決して 「組織論」の領域のみにとどまらない。 それは
「経営戦略論」「経営環境論」「 産業経営論」「研究開発論」「経営意思決定論」「経営者論」
などの諸領域との有機的関連において展開されている。
「戦略論」との関連をみると,事業部制を経営組織の問題として取り上げた 背 後には「戦 略が経営組織を規定する」という チャン ド ラーの命題への注目があるのは言うまでもな い。 こうして昭和48年11月に日本経営史学会でなされた 「事業部制の変遷」と題する学会 報告では,「経営組織は経営戦略の表現であり,行動の結晶である」とする視点から経営組 織の歴史的変遷が取り上げられている。
「経営環境論」の領域では2編の共同翻訳 (①Lynn H. Peters, MANAGEMENT AND SOCIETY, 1968. 大森• 江夏他訳 『経営と社会』好学社,昭和45年12月。 ② N. W. Cham
berlain, Enterpガse and Environment-The Firm in Time and Place-1968. 不二苺.
堀田 ・大森• 齋藤訳 『企業と環境』 ダイヤモンド社, 昭和49年6 月) に加え, 単 著論文が2編 (① 「地域開発への比較経営論的接近」商経学叢 No.42, 昭和46年9月。
② 「企業集団と経営環境の相互作用機構」商経学叢 No. 43, 昭和47年3月)あり. 更に「地 域開発と経営環境」と題する学会報告 (昭和46年7月, 日本経営学会) がなされている。
これらの業績における大森学兄の狙いは, 地域開発への比較経営論的接近を通 じて, 特定 の産業と地域の, 成長と開発の相関を実態的に把握し, 具体的に検討することにあるが,
そこでは地域社会的企業集団論, 地場産業論などにとって甫要な先駆的意義を持つ論議が 種々の測定手法を駆使しながら展開されている。
「産業経営論」の領域では次の6 編の単著論文がある。
① 「国際マーケティング戦略――電気機器の国際マーケティング 」 (生島広治郎 編昭和46年2月) では電気機器の国際マーケティング問題を, 無線機器と電化機器 の市場特性の差異に即して取り上げる必要を論 じ, 先進欧米諸国と発展途上諸国では 有効な対応の方法が異なることに言及している。
② 「住宅産業論」 (生島広治郎編『経済学ハンドプック』 好学社,昭和46年10月)では,
当時の代表的な成長産業として住宅産業を位置づけ, その産業特性をシステム産業に 見出す立場から, その特質と課題の経営的な解決に, 成長のための経済的な必要条件 に対応する, 内的な十分条件を見出している。
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③ 「桜井木材業経営史 流通機構および住宅産業への方向 」(栗田真造編, 桜井 木材協同組合, 昭和48年4月) は住宅産業論の論議をさらに具体化した地場産業の経 営史的な研究の一環として試みられた流通機構の実体把握を「当面の課題と方向」と の関連において展開している。
④ 「地域産業における経営実態の調査研究」(商経学叢 No. 40, 昭和45年3月)では桜井 木材業を舞台に, 地域 空間と企業経営との関連において地場産業をとらえ, 事例研究 の観点から製材業の集散地での経営実態を調査研究し, 今後の展望を得ようとする試 みがなされている。
⑤ 「地域産業の経営史にかんする研究序説」(商経学叢 No. 41, 昭和45年7月)では地場 産業の現在形の実態を踏まえつつ過去から現在までの地域空間における企業経営の構 造的かつ機能的な史的変遷を追求し, 有効な研究枠組みの模索に努めている。
⑥ 「地域産業における環境問題」(商経学叢・記念論文集, 昭和46年3月) では, 人為 的な公害問題の発生を契機にクローズアップされてきた企業団地あるいは工場団地化 構想の先例をイギリスのエステート, アメリカのインダストリアル・ パークに求める ことによって, 当面する課題と解決方法の探究がなされている。
『研究開発政策』(千倉書房, 昭和48年) と題する主著のタイトルは 「研究開発論」が大 森経営学の重要な領域であることを示している。 そこでは企業経営における研究開発の甫 要性をふまえて, その政策的, 戦略的理解を松下電器の事例研究のなかで得ようとする試 みがなされている。 すなわち 「組織は戦略に従う」という構想に即して, 松下電器の創業 以来の経営組織の変遷と経営戦略の展開の相関を考察するとともに, そこでの研究開発の 体制および具体的な実践が跡づけられている。
昭和50年代に入ると,学兄は N. W. チェンバレンの 「企業と環境との相互作用」を主題 とする制度論的アプローチをふまえた一連の学術論文を活発に発表する。 以下にその一部 を紹介する。
① 「経営意思決定の構図」(商経学叢 No. 60, 昭和53年6月)では,松下幸之助の経営意 思決定の構図を, 特に戦略的決定と経営理念との関連において浮き彫りにする松下電 器の事例研究が展開されている。
② 「経営意思決定過程の考察」(商経学叢 No. 61, 昭和53年11月) では, 経営意思決定 と組織問題が, 松下電器の事業部制組織との関連において考察され, 地位, 個性, 交 渉の連関が構造的に考察されている。
③ 「経営理念 目的と個性—の考察」(商経学叢 No. 62. 昭和54年2月)では,松下 -443 (847)-
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電器の事例研究によりながら戦略的意思決定と経営理念の関連を特に経営の個性との 関連において, その形成や役割を検討している。
④ 「戦略的経営決定の考察」(商経学叢 No. 63, 昭和54 年7月) では, 目的性と将来性,
予見と判断, 常軌的決定などとの関連において, 戦略的経営決定に焦点を合わす考察 が松下電器の事例研究でなされている。
このチェンバレン・シリーズは更に続くが, そのタイトルだけを紹介すれば次の通りで ある。
⑤ 「企業成長と経営組織の考察」(商経学叢 No.64, 昭和5 4 年12月)
⑥ 「管理的経営決定の考察」(商経学叢 No. 66, 昭和55 年3月)
⑦ 「企業の歴史的環境の考察」(商経学叢 No.67, 昭和55 年6 月)
⑧ 「企業の社会的相互作用の考察」(商経学叢 No.68, 昭和55 年12月)
⑨ 「経営分権化と経営計画の考察」(商経学叢 No.69, 昭和56 年3月)
⑩ 「企業の国際的環境の考察」 (商経学叢 No.7 0, 昭和56 年6月 )
⑪ 「国際企業行動の考察」(商経学叢 No. 71, 昭和56 年12月)
この頃から学兄の経営学的関心は広く海外にも及び, 特にプラ ジル日系企業の史的比較 研究に大きな関心をよせ, 昭和56 年から57 年にかけてプラ ジル ・ サンパウロ 人文科学研究 所に留学した。 その成果は現地月刊誌『実業のプラ ジル』に掲載された14編の論文に結実 している。 更に学兄は平成3年から4 年にかけてオーストラ リア・ グリフィス大学に留学 し, 酪農品の生産· 流通過程を中心に現地企業の活動を, 日本の市場との関係においてつ ぶさに視察したが, その成果は理論と実践の両面にわたり, 多様に結実し, 大森経営学の 国際色をますます豊かに彩ることになる。
その後の大森経営学の注目すべき動きは, 経営意思決定と経営戦略策定の中心的主体で ある経営者の意識に注目する深層心理学的接近の展開にあるが, その成果は平成7年11月 以来, 毎 年, 1 編ずつ商経学叢に寄稿される一連の研究論文に反映されており, このシ リーズは, なお今日も継続中である。
なお, 著書, 論文以外の, 学兄の注目すべき研究業績の成果としては昭和48 年の3 月30 日と10月23日に放送された NHK テレビの報道番組「経営新時代」のシリーズに「海外進 出の企業経営」と「活動を求める工業団地」というタイトルで 2 回にわたり報道発表がな されたことは特筆に値する。 それは学兄の研究成果が広く社会的に認知されたことを意味 しているからである。
学兄の所属学会は日本経営学会(会員), 日本経営診断学会(理事), 日本経営史学会(会 -444(848)-
員) であるが, 組織学会の年 2 回の大会にも頻繁に参加されている。
以上, 学兄の研究活動の軌跡を大まかに概観したが, 最後にその基本的特質にも若干の 言及を試みたい。 まず大森経営学を一貫する通底奏音としての理論的ベクトルは理念論そ して組織論と戦略論の統合にある。 この方法論的志向は最近の経営学において次第にその 意義を高めつつあるが, 大森経営学ではいち早く, 松下電器をは じめとする多くの企業に 関する豊富な事例研究を通 じて, それをめざす経験実証的なアプローチが活発に展開され ているが, その先進性は高く評価されてしかるべきであろう。
さらにこのようなアプローチを導く基本的な方法論的志向を制度学派的接近に見出しう るところにも, 大森経営学の重要な方法論的特質がある。 もとより制度学派は,均質な「個 人」ではなく, 歴史や社会構造に規定される 「国民」を理論の前提におく歴史学派の伝統 を継承し, 経済主体と社会構造との関わりに注目するという方法論的特質をもつ。 更にそ れは進化論の影響を受け, 歴史や文化, 慣習といった, 個人や社会の質的多様性と変化に 注目するが, このアプローチの特質は多分にそのままに, 企業経営の経験的多様性に注目 し, その歴史的変遷過程を重視する大森経営学の特質に通 じている。
加えて, このようなアプローチの根底にある大森経営学の精神的特性が 「理論と実際と の整合性」を重視し, 実践的に有効な理論構築を目ざす 「実学一如の精神」にあることは 重要であろう。 けだしそれは近畿大学の初代総長であった故世耕弘ー先生が提唱した建学 精神の二本の柱の一つに他ならないが, この事実に着目すると, 学兄がその教員としての 生涯を全面的に近畿大学に託したのも決して偶然でない。 まさに大森経営学の真髄は, 「実 学一如の精神」の一貫した不断の実践の軌跡に他ならない。
IV. 教育活動の軌跡
一口に言えば学兄の近畿大学における40年間の教育活動は. 本学の建学精神である 「実 学__:___如の精神」の一貫した実践の軌跡と形容できよう。 この建学精神は 「理論と実際の調 和」を重視し, 実際社会に役立つ高い教養と知識の育成に努める 「学問•実際一如」の有 機的教育の徹底を目指しているが, これを経営学の分野で不断に実践していくことに大森 経営学の真髄がある。 学兄が他大学に移籍せず, その教育活動を最後まで近畿大学でまっ とうしようとする所以である。
近畿大学における学兄の教育活動の場は商経学部と大学院商学研究科にある。 学部にお ける担当科目は経営学, 生産管理論, 経営理念論などであり, 大学院における担当科目は
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生産管理論や経営戦略論などである。 学部にお ける大森ゼミの演習履修者も毎 年, 20名を 超え, その総数は1 , 000人に近い多数にのぼる。
学兄の教師としての素顔を知るには, 教え子達か ら の情報提供がなに よ りも貴重である が, 幸い, 大学院の大森ゼミを中心に5人の院生諸兄か ら 手記が寄せ ら れており, これを
「直接引用」して最大限に活用したい。
(1) 田中誠一氏 (大学院博士後期課程 2 年:学部時代か ら の大森ゼミ生) は 「大森先生は 不思議な先生」と語るが, その概要は次の通りで ある。
① 《一般学生の態度に関連して》 「先生の授業に臨む態度は非常に厳しく, 学生にとっ ては辛いことも多いのに, なぜか人気があ り, 結構, 多くの人が集まり, 最後までつ いてくる。」
② 《 自 分 自身の内面の変化に関連して》 「大学院修士課程進学時の所属ゼミ選択におい て, 当初は気軽に受 け ら れるゼミを望んだにも関わ らず, 結局はそれと全 く 逆の, 厳 しさにおいて定評のある大森ゼミをあ えて選択した 自 分 自 身の心の変化が我なが ら不 思議である。」
③ 《「耳順会」(大森教授の紹介で商経学部非常勤講師に就任している元私企業幹部で 構成された, 大森教授を座長とする研究グループ) に関連して》 「ここでは毎 回統一 テーマ を決めてグループ発表を行なうが, そこに臨む先生の態度は大学院や学部のゼ ミよ りもはるかに厳しい。 元一流企業の幹部として激しい市場競争を生き残ってきた 歴戦の勇士もかたなしで, 先生の指導は厳しすぎると悲鳴をあげる。」「それなのに発 表後の飲み会では各人がいかにも楽しそうに飲み, 次の発表の話題で持ちきりで あ る。 不思議である。 」
… … 田中氏は以上の観察か ら次の結論を下している。
① 「先生は厳しい指導をすることにより, 多 く の人をその魅力の虜にさせる不思議な 力をもつ。」
② 「熱意と愛情が あふれる指導方法のおかげか, 先生にしがみつき,必死に頑張ってい る人々をみていると, 驚 く べきことに最後はそれぞれがそれなりの成果をあげるか ら 不思議である。」
③ 「先生は 『厳しさ」 と 『熱意• 愛情』 を逆説的に繋ぎ合わせる天才で, 不思議な包容 力をもつ。」
… …さすがは大森ゼミ6 年生だけのことはある。 田中氏は 「教師=大森弘」の実像を見 -446 (850)-
事に活写 し ている。
(2) 岡野公博氏 (大学院商学研究科博土前期課程 2年 : 大学院時代からの大森ゼミ生)も
「厳しい指導に も かかわらず, 楽しく有意義な授業を受けることがで き た」 と振り返る が, それは次のような経験か らである。
① 学部時代は「厳しい」と噂に聞くだけで大森先生の授業を受けたことはなかった。
② 大学院人学後, 実際に指導を受けだしてからの印象は, 「やはり厳しい」が第一で,
「指導についていくのが非常に大変」がそれに続く。
③ しかしその一方で 「先生が授業中にとりあげる話題の幅は驚くほどに広く, 豊富な 実務体験に基づく話には興味のつきない面白さがある。」
④ 「毎 週の発表は大学院のどの授業より も 大変で, その都度, 非常に厳しい批判と指導 を戴いたが, その一つ一つが 自 分の貴重な糧になっている。」
⑤ 「ゼミ旅行や忘年会では, 授業で聞く話とは打って変わって, その旅行先などに関連 づ けた多くの話を聞くことが 出来, 非常に有意義で楽 し く時間を過ごすことがで き た。」
(3) 王 絆氏(中国からの留学生)(大学院商学研究科博士前期課程 l 年 : 学部時代からの 大森ゼミ生)は, 「大森先生からは, 勉強上だけでなく, これか ら の人生における重大事 について も参考になることを多く学んでおり, それは将来, 必ず役に立つに違いない」
と確信 し, 次のように述べている。
《学部のゼミ面接試験における大森先生の印象》
① 事前に 「この先生は厳 しい」と聞 き , 極度に緊張しながら面接を受けたが, 今 も記 憶に残る先生からの質問は『自 分の将来目標』と 「これ ま でになしたそのための具体 的行動」 の2点である。
② 面接の終わりに, 先生から 「あなたはこれから絶対に, 自 分の目標のための努力と 工夫が必要である。 さ も なければ必ず貴重な学生時代が幻に終わる」と強く注意され たことが今 も 忘れられない。
③ 面接後の印象は 「先生はそんなに厳しくない。」ということと「先生は理論だけでな く , 実践を非常に重視している」ことである。
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《大学院の大森先生の授業について》
① 「勉強への態度から思考の方法に至るまで,いろいろ教えて貰い,私にとって本当に よい勉強になった。」
② 「授業中に先生は一人一人をT寧に指導し, 生徒たちの質問に懇切詳細に説明して く れるが, これにはすご く 感動している。」
③ 「生徒たちの資質は人によって違うので,勉強の進度も違うが,先生が一番力を注 ぐ のは, それぞれの方法で全員が一緒に前進することであり, ここに他の先生との大き な違いがある。
④ たとえば私の場合, 事例研究ではいつも偏った極端な思考方向をとる傾向がある が, 先生はその度毎 に問題点を厳し く 指摘し, 必ずそれを是正させることを通 じて正 しい方向を教えていただいた。」
(4) 楊 佳桓氏(台湾からの留学生)(大学院博士前期課程 l 年 : 大学院時代からの大森ゼ ミ生)は 「大森先生は, 何事についても世の中には一つだけではな く 他にもいろいろな 道が存在することを教えて く れた重要な人だと思います。」と語り,それに関係する次の ような経験に言及している。
① 「大学院人学試験の口頭試問が大森先生との初対面の場であったが,緊張の余り,的 確に回答できなかった 自分に対して, 大森先生は一度も嫌な顔をみせず, 私が理解で きなかったところを, 逐一説明して く れ, 必要に応 じて凄 く わかりやすい比喩まで用 いて理解させて く れた。」
② 「そのお陰で,偉そうな日本の大学教授のイメージとは逆に,親切で面白そうな先生 というイメージが大森先生の第一印象になった。」
③ 「人学後,大森先生の授業では強い圧力感と緊張感を覚えた。 毎 週の課題が山ほど多 く ,一日の授業が一週間ほどにも長 く 感 じられたからである。」
④ 「授業中は絶えず意見表明や コ メントが求められるので, 大変なストレスを受けた が, そのお陰で, 単なる理論の習得だけ でな く , それを実際の問題解決に活かす方法 についても多 く のことを学ぶことができた。」
⑤ 「従来,自分は物事について表面的な理解しかできなかったが,大森先生から知恵の 活用方法を学び, 物事の裏にある意味にも思考を及ぼす多面的な思考モデルにより,
思考力が多面的に培われてきたが, これは 自 分の人生観と思考モデルにとって, 破壊 的なイ ノ ベー シ ョ ンとしての重要な意義を持つ。」
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⑥ 「大森先生に学び始めてからまだ 1 年も経過しないが, 有限な知識よりも無限な知 恵の伝授の方が, 日 本に留学してきた自 分にとっては役立つことが多く, 大森先生か ら学ぶところは極めて大きい。」
(5) 黄 沿氏 (中国からの留学生)(大学院博士後期課程 l 年 : 大学院時代からの齋藤ゼミ 生) は大学院商学研究科で大森学兄の授業を受講する機会を得た喜びを 「大森先生の学 問に対するま じめさと熱心さ, 授業に対する厳しさ, 人に対する親切さ, 物事に対する 考え方などは, 私の人生にとって, とても役に立つと思います。 本当に 日 本に来て, 近 畿大学で大森先生の授業を受けることが出来, とてもよかったと思っています。」と極め て率直に表明するが, それは次の一連の経験に基づいている。
① 「私は 2 年半前の『生産管理特論』の授業で大森先生との最初の出会いをしたが, そ の時の先生の服装は正式のスーツ ではなく, 普通のジャケットだった。 一瞬, 私はこ の先生に ソ フトな印象を抱き, 眼鏡をかけた深い額の霰から先生の年齢を判断した。 」
② 「まず先生はハーパー ド 大学の留学体験談から 自 己紹介を始め, アメリカのクラ ス の 自 由な発言に基づく活発な論議が 好きだと語った。 更に一度, 松下電器で仕事をし てから近畿大学に来たという話を聞くうちに, 先生が開放的で 自 由闊達な論議を 好む だけでなく, 実践と経験を重ん じる人物であるという印象をうけた。」
③ 「授業中の大森先生は受講生にどんどん質問を浴びせて, 問題を 自 分で考えさせる ように仕向けた。 授業中の緊張は大きいが, 豊富な経験知を持つ先生は, 理論だけで はなく, いろいろな実例に基づいて, 理論と実践の両面から問題を分析してくれるの で, 十分に納得できる結論が得られる。 皆がかなりの緊張を強いられながらも, やは り大森先生の授業を受けたいと思うのも無理はない。」
④ 「特に 日 本語が不 自 由な留学生に対してはいつも丁寧でわかりやすい解説をしてく れるので, 先生の授業はいつも多くの留学生が受講しいる。」
⑤ 「私は修士課程で既に一度, 大森先生の授業を受講していたが, 博士課程に入ると,
ゼミを担 当する齋藤先生から, 再度, 大森先生の授業を受け, 経営戦略論をよく勉強 するよう勧められた。 大森先生の授業の厳しさを知る私は, その時は即答できなかっ た。 しかし, 結局はそれが 自 分のためになると言う結論に達し, 再度, 大森先生に受 講のお願いをした。
⑥ 「大森先生は来年に定年を控え, 何かと多忙であるにも関わらず, 私のために学部事 務所や大学院事務所に足を運び, 必要な手続きを済ましてくれた。 更に私の寂しさと
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緊張を弱めるために, 大森ゼミの院生達と一緒に勉強で き るように周到な配慮をして いただ き , 大変感動した。 お陰で大森先生だけでなく, 大森ゼミの皆さんからもいろ いろ勉強で き , 大変楽しんでい ま す。」
以上の院生諸君の手記から浮かび上がるのは, 厳しい緊張を強いられはするが, 反面,
内容的には極めて解か り やすく為にな り , 面白くてやめられない白熱の論議を理論と実践 の両面にわたって幅広く展開していくバイタリティあふれる 「熱血教師」 のイメージであ る。 その意欲的な「教師像」はいかにも学兄らしく, ま さにその面目躍如たるものがある。
V . 学部 (大学) 運営 に お け る 活動の軌跡
《学部運営面における一般的活動》
学兄は学部運営面でも助教授時代から積極的に発言し, 学部改革に意欲を燃やして き た。 近畿大学の発展向上を願う純粋な気持ちと情熱は既に当時から人一倍強烈であったの は紛れもない事実である。 助教授の間は各種委員会や連絡会議が主な発言の場であった が, 学部機能の強化充実をめざす積極的な提言や建設的な批判を繰 り 返し, いち早く学部 内世論をリー ド する代表的論客の地位を確立した。
昭和50年の教授昇格後は声量豊かなバリト ン が教授会を賑わすことにな り , 学部運営の 中核としての地位の確立にもさほどの時間を要さなかった。 昭和58年の経営学科長への就 任後は, ま す ま す学部改革の推進に邁進し, その存在は次第に全学的に知られるように なった。 その頃になると学部内の誰しもが, そのリーダーシップと力量, 学部改革への情 熱と努力からして, いずれは学部長の重責をも担う存在として一目おくようになっていた が, その予想や期待が結局, 実現するに至らなかったのは, 昭和62年10月の学生部長就任 に大 き な原因がある。 それは学兄の組織変革の手腕に全学的な期待が集ま った結果に他な らないが, 当時, 農学部の教務課にいたある事務喘員もその頃を振 り 返 り 「大森先生がな かなかの理論派であることは農学部教務課内でも知る人ぞ知るであった」と述懐する。
《学生部長時代の活躍》
学生部長に就任するや, 阻ちに学兄の本領が発揮された。 大森学生部長の部下に配属さ れたある職員は次のようにふ り 返る。「当時, 学生部と学生自 治の最高決議機関である学生 会連合会中央執行委員会との間にはかな り 冷たい 空気が流れていた。 体育会と文化会が一
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方的に後者に同調していたことか ら も解かるが, 体質的に是正を要する根深い問題に大学 は悩んでいたのである。 先生は着任後. す ぐさまその 空気を察するや. 即刻, 学生団体の 三役を招集し,『鉄は熱いうちに打て」 といわんばかりに, 自 ら の所信を表明した。 それは 大学 自 治と学生 自 治の基本理念を真正面か ら 踏まえ, 事態の正常化を図る必要性を啓発 し, 直ちにそれを実現すぺく行動に移ることを じ ゅ ん じ ゅ んと学生に説き諭そうとするも のであった。」
「大学の長い歴史でも. これはまさに画期的出来事だった。 それを契機に本格的な学生部 改革が始まったが, この様なことはそれまでは, ついぞ見 られなかったか ら である。 大学 の制度の根幹に関わる根深い問題が学生部の所管内に生 じていることは. 当時の関係者の 間では既に周知の事実であったが, 自 分に降りかかる火の粉を恐れて, 見て見ぬふりをす る場合も多く, 本気になって正面か らそれに取り組み, 解決しよ うとするだけの気概と勇 気を持ち合わせた人物はなかなかに現れなかったのである。」
「学生部内は先生をお迎えし,ご挨拶を戴いた。 その本旨は,各セクシ ョ ンの委員会を週 1 ' 全体会議を月 1 - 2回のペースで開催することと, 各セクシ ョ ン の現況と今後の改善 案を早急にレポートにまとめて提出せよ との指示であった。」
「レポートが提出されると先生はす ぐに各学部長に通達し,文化,体育活動の活性化を主 眼とする文化体育専門部会を設置し, 課題の検討に着手した。 その結果, 指導者の若返り を図る 『任期制』を導入し, クラ プ部長 ・ 監督 ・ コーチの三位一体の指導体制を確立する ことで意見がまとまり, 機会をみて関係者に通知した。」
「しかし,唐突だったためか. 学内外の指導者か ら かなりご批判を仰 ぐ 結果となり. 一時 は騒然とした。 しかし, この問題を回避しては改革案の実行は不可能である。 唐突である にせよ, この問題に着手したことによ り, 大学制度の根幹に関わる体質改善への第一歩が 印された意義はきわめて大きい。 」
「元来クラ プ出身の OB は. クラ プの運営はすべて出身者の手中にあるという考え方が 主流になっていた。 しかし先生は, 課外活動といえども大学においては教育活動の一環で あり. その指導体制に関する人事権は大学にあることを再三再四. 粘り強く説得され, OB 諸兄の理解を求めた結果 OB 各位もその趣旨を理解されるにいたり, 各クラ プは新指導 体制への移行によ って, 旧態依然の体制か ら の脱却を図った。 するとその後ほどなく, グ ラ ンドスラ ムという快挙を成し遂げたクラ プや全日本を制覇するクラ プが続出するなど,
その成果は予想外に早く結実した。」
次に学生自 治会活動に目を転 じると.「ここでも,活動運営費の徴集方法や予算配分制度 -451 (855)-
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の抜本的改革, 各 団体の予算執行における月次会計報告制度の導人などの制度変革が矢継 ぎ早に断行された。 更にこの改革の詳細を周知徹底すべく, 各学部に新しく学生部長補佐 制度を導入した。 加えて, 学生部内にも学生部会議や学生指導委員会を導人し. 各学部と の調整と連携の強化を図った。」
学生の健康増進をはかる福利厚生事業では, 「心身ともに学生の健康の維持 • 増進をは かり, より充実した人生への助成を目指すウェルネ ス推進委員会を他大学に先駆 けて導入 し. つねにグローバルな視点から. 大学改革を推進するとともに新規事業の導入にも先生 は強く意欲を燃やされた。」
しかしこ う した学生部長としての活動も3年目にはいると, 学兄はいつま でもその地位 にとどま ることを望 ま なくなった。 オーストラ リアヘの留学に関連する研究プロ ジェクト の浮上が一つの契機になり, 「一応はやるべ き ことはやった」との心境から, あとは後任に 託したいとい う 気持ちが次第に高ま ったのか, その頃から筆者には内々に辞意を漏らすよ う になっていた。 その後の経過の詳細は知らないが, 希望通り3年間で学生部長の激務か ら解放された学兄は, 翌年, 勇躍. オーストラ リアに留学し, 再び研究活動中心の生活に 戻ったのである。
《教学面における学部運営への貢献》
留学から帰国後, 平成6 年に入ると, 学兄は 自 ら 「実学一如の精神」に基づく 「実学経 営学」を授業で積極的に展開するのみならず, 実業界に活躍した経験豊富な有為の人材を 次々に非常勤講師として学部に紹介しは じめた。 それは, いくら一人で頑張っても個人の 能力には限界があり, それを超えるには, 集団的 ・組織的に実学経営学の教育を展開して いくことが必要不可欠であることを 個人的実践を通 じて痛感したからである。 こ う して 本学の建学精神の集団的 ・ 組織的展開の試みが実施に移されたが, これは学兄にして始め て為し う るところであって, 到底, 余人のなし う るところでない。 この面において学兄が 本学のために果たした役割と貢献は極めて大 き い。
しかもこの面にお ける学兄の努力の凄いところは, 単に有為の人材を学部に紹介するだ けにとどま らず, 近畿大学が誇りとする 「実学一如」 の建学精神を徹底的にそれらの人々 にたた き 込 むために勉強会を組織し, 自 らが座長になり, 会員各位の担当科目の授業内容 や授業方法のエ夫 ・ 改善と併せて, 本学の建学精神の高揚と実践につとめる強いリーダー シ ッ プを今日 ま で一貫して発揮して き ていることである。 このよ う に本学の建学精神や教 育理念の実現を 日 常的な実践を通 じて強力に推進していこ う とする学兄の真剣な努力と情
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熱をわれわれ本学の関係者はもっと真剣に見習うべきであろう。 いずれにしても, 学兄が このような形で払ってきた長期間の持続的努力が商経学部の学部機能の強化充実に果たし てきた役割と貢献は高く評価されるべきである。
この勉強会は当初は「大森会」と称したが, その後, 「耳順会」に改称し, 平成13年8月 には更に 「実践知研究グループ」 と改称, ホーム ページも設定するに至っているが, これ はこの会合の質的な発展 (勉強会→研究会→シンクタンク)の過程を如実に反映するもの であろう。
この学兄による非常勤講師の紹介および勉強会の活動を通 じて, 会員による授業が実際 に始まったのは平成7年度以降である。 以来, 今日までに学兄によって紹介された非常勤 講師各位の人数は15人の多きを数え, 担 当講座数も10講座 (マーケテ ィ ング論, 工業経営 論, 研究開発管理論 国際経営論, 貿易経営論, 国際会計論, 外国為替論, ビジネ ス情報 論, ベンチ ャービジネ ス特論(1) . (2)) に及んでいる。 こうした耳順会会員による実学経営 学の展開は, 本学における建学精神の実践の一環として極めて重要な意義をもつが, これ また学兄の抜群の企画力と人徳豊かな リ ーダーシップがあって始めて実現できたのは言う までもない。
VI. 社会活動の軌跡一耳順会の リーダーと し ての活躍を中心に
学兄は若い頃か ら 社会活動面でも, 各界において持前の行動力で様々 の実績を上げてき た。 枚挙にいとまがないので, ここでの言及は, 最近, 学兄が力をいれている 「耳J順会」
活動のみに限定する。 なお, この退官記念号の刊行に当って, 11名の耳順会会員各位か ら 感動的な珠玉の手記をお寄せ戴いた。 本当は原文をそのまま, 掲載するのがベ ス トである が, 紙幅の関係でそうもゆかない。 失礼を顧みず, 筆者が抜粋 ・ 集約させていただいたが,
ご迷惑の段はひ らに ご寛恕賜りたい。
こ こに 「耳順会」 とは, 学兄を通 じて近畿大学商経学部の非常勤講師に就任した現 ・ 元 企業幹部によって構成されている勉強会の旧称 (現在は 『実践知研究グループ』)であり,
最初は「大森会」 と称していた。 この研究グループの発足の当初か ら世話役として活躍さ れてきた真田啓志氏は次のように述懐される。 「大森先生が近畿大学商経学部の非常勤講 師を産業人に担当させてはと, お考えにな られたのは, 平成 6 年のことでしたでし ょ うか。
このお考えに応え, 松下電器および三洋電機の OB (元幹部), また現役の方々 が非常勤講 師として講座を担当することになり, 以来, 今日までに, 延べ15人の非常勤講師によって,
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10講座が担当されてきましたが, 受講し単位を取得した学生数を考えると, 大森先生の初 志の影響力の大きさ• 重さに敬服する次第です。」「大森先生の ご指導で『産業人の単なる 成功談 ・ 体験談ではなく, 学生に喜ばれる, かつ 自 分のためにもなる学問としてのレベル にある講義を継続すること』を 目 的として, 当初から勉強会がもたれました。 この勉強会 は当初は非公式に『大森会』と称し, 大森先生のお話 ・ 討議 · 夕食懇親が定例で, 精力的 に継続されましたが, 平成 8 年に大森先生の発意で, 孔子の言葉から 「耳順会』と命名さ れました。」「大森先生の ご指導のお陰で, 耳順会の勉強会も定着し, 他大学の『客員教授 または講師』や『講演会の講師』として活躍するメ ン バーも増え, 活動範囲が広がるとと もに, グループにおいて耳順会は中核的な存在として位置づけられるに至っています。 」
「平成13年には, ベン チ ャー企業 「メガ チ ッ プス』の躍進状況を, 実践知研究として取り上 げ, 一冊に集大成する研究活動を行なうなど, 対外活動も次第に拡大しつつあることに対 応して, 耳順会を『実践知研究グループ」 に改称し, ホームページを設定しました。」この 真田氏の手記にも, 勉強会的要素の強い 「大森会」から, 研究会的要素の強い「耳順会」
ヘ, 更にはシ ンクタ ンク的要素を強めつつある「実践知研究グループ」 へと量的のみなら ず質的にも大きく発展しつつある大森研究グループの飛躍の過程が鮮明に反映されてお り, いまさらながらに学兄の卓越した行動力と影響力の大きさを痛感せざるを得ない。
会員各位の手記を拝見すると, 一様に, 初対面の印象に触れておられるが, 中でも特に 面白く拝読させていただいたのは山 口満雄氏の次の手記である。 「私が大森先生に初めて お 目にかかったのは, 4 年前の晩秋, 雨の一日の午後。 先生と私の共通の知人に伴われて 研究室を訪れた。 先生についての知識は, 古希に近いお年で経営学担当の教授, 松下電器 の OB といった真に貧弱なものだったが, それを膨らませて漠然とした人物像を描いてい たことを記憶している。 … …ロ ングの白髪, 長身痩躯をダークスーツに包む。 声は, < ぐ もり気味で小さい, 等々。 研究室の ド アを ノ ッ クして返ってきた 「声」は張りのあるバリ ト ン。 声楽上基本となるパートでオ ペラ では頂厚な王侯貴族の役どころ。 この後, 勝手な 予想は悉く覆り, 私は終日 自 分のペースを取り戻せなかった」と。 学兄独特の雰囲気を思 い出すまでもなく, 山 口氏のその時の心情が痛いほど伝わってくるのは筆者だけであるま い。 学兄の耳順会における リ ーダーとしての厳しさと舌鋒の鋭さについても氏は次の ごと
< 述べられている。 「「松下幸之助研究』を進める過程において受けた厳しい批判, またあ る程度の成案を得た後 拙い論旨 結論を活かす為に戴いた与力の中に, 学究 ・ 教育者の 姿を見た。」「 ご指導は厳しい。 資料を渉猟し推敲を重ね, そこそこの 自 信作 (実は 自 信過 剰作) を先生に提示するものの, 返ってくるのは, 論理破綻指摘の山。 妥協はない。 そし
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てとどめの言葉が追いかけてくる。 『私の言うことを正しいと認めることは山 口さん,貴方 は私に負けたということを意味するんです よ。 それで良いんですか ? 』良いはずがない ! その度に 自 己嫌悪と戦いつ つ, ネバー, ネバー, ネバーサ レ ン ダーと 自らを鞭打ったもの だった。 」
既に尚経学部の非常勤講師歴6 年の宇田成徳氏は次のよ うに語られている。 「企業では 報告を短くすることに心を砕きましたが, 大学では社会経験のない学生に『如何にわかり やすく講義するか』が焦点にな る。 最初はテキ スト作成に, 講義のエ夫にと余裕もありま せんでしたが, 大森先生の耳順会でご指導を戴くうちに企業の仕事では関係な かった色ん な勉強をさせて戴き, 講義のやり方が進歩しました。 その勉強会で得た知識で講義の内容 に幅が出て参りました。 特に大森先生の『経営理念論』に関する色々な知識が私の 「ベ ン
チャービジネ ス II Cものづくり創造論) に大いに役立ちました。」「仏教にも深い関心をお 持ちで仏教哲学のお話も新鮮で興味をもって拝聴させて頂いております。 講師のメ ンバー が多彩で私の未知の分野のお話が聴けることも大きな楽しみです。 通期の講義をさせて頂 くことで 自 分の ノ ウハウの整理が出来, 他の大学, 企業, 高校, 各種 団体で講義させて頂 く機会が年々増加して楽しませて頂いています。 これも大森先生との出会いがなかったら ありえないことと感謝しております。」
天野吉彦氏は 「人間60歳を超えると 自分の意見ばかり主張し, 他人の意見に耳を傾けな い人が多い。 この勉強会グループでは, 他人の意見を素直に聞きながら論議をし, 自 己研 鑽に励もうという趣 旨で大森先生が耳順会と命名された」と説明されるとともに, その勉 強会の様子を次のよ うに述べている。 「毎 回大森先生から出されるテーマはかなりハード ルが高く, メ ンバー達は先生との論議において防戦一方。 例のロ ジカル説法で勝負になら ず, およそ『耳順』という雰囲気からは程遠いが, メ ンバー同志で論議がもつれれば, も つれるほど大森先生のロ ジカルな手綱さばきは威力を発揮し, 参加している人に納得を与 えていただける。 あのもつれた糸をほ ぐ し, 明解に論理づけされる大森流ウルトラ ・ テク ニツ クは凡人には真似できない。」更に 「大森先生は実年令 よ り若く見える時が多い」が,
その精神的原因を「人並み以上の 好奇心の強さにある」とされ,「この 好奇心の強さが先生 のバイタ リ ティの源泉であり, それが続く限り, 大森先生の精神的老化はやってこな いと 信じる」と断じておられる。
商経学部における講師歴6年目 の野崎春男氏は, 大森先生の第一印象を 「温厚 な先生」
と語り, 「この先生のもとでなら, きっと講師の仕事も続けられるだろうと思ったことは,
いまでも強く印象に残っている」と振り返るとともに,次のよ うに続けられる。「耳順会で -455 (859)-
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は, 年間の講義計画を説明し, ご指導を頂いたのですが, あわせて私語が多いこと, 出席 率が悪いこと,授業中に教室を出入 り すること,などなど悩みを相談した訳 です。」 先生は それを聞いて 「私語が多いのも, 出席率が悪いのも,学生の授業を受ける態度が悪いのも,
これすべて 自 分の講義がいたらないからだ, と思いなさい。 講義がすばらしければ, 学生 の受講態度も素晴らしくなるものです」と厳しく言われた。 「『 自 己の講義に対する厳しい 自 省の念J もっと広く言えば 「 自 己に対する厳しさ』を今更ながらに教わったと思いまし た。 外見の温厚さとともに内面の厳しさの一端に触れたように思ったことも, 先生の思い 出として残っています。」 更に氏は 「大森先生の 『論理構築力』の素晴らしさ」 に触れて
「いつも論議の後, 休憩時間などで仲間が顔を合わせると,『う一ん, さすがですね』とか
『いや一恐れ入 り ました』とか言っては感心している次第です。 失礼ですが,年齢を感 じさ せない頭脳の き れは, 我々の羨望の的であ り ます」と感嘆してやまない。
松本幹夫氏は 「みんなで励まし合って目標点に到達しよう」という 「衆働の精神」に大 森哲学の根本を見出し, そこから得た大 き な教訓として 「 自 分一人ではで き ない。 しかし よ き 師, 仲間がいることで, 人間強くなることがで き る」という 「衆働」のすすめをあげ ている。 もちろん 「大森先生の言葉には戸惑うことも多々ある」 が,「その最たるものは
『学説は仮説よ り 始まる』という言葉である」そうだ。 「学問の世界といえども事実の積み 重ねの上に学説が成 り 立つのが当然, という当方の言い分も先生の前には全く歯がたたな ぃ。 理路整然と, 立て板に水の如く 自 説を立証される。 まさに白いものも黒とな り , 丸い 月も四角になる。 理論用 ・ 思索用の引 き 出しがふんだんに用意され, その時々に応 じて必 要な引 き 出しを開けて完膚な き までに論破される。 われわれから見れば何の変哲もない一 片の文節から仮説が生まれ, それが一本の筋の通った道にな り , やがて結論へと導かれて いく。 魔法を見る思い。 頭の中の構造が普通の人とまるで違う, まさに多重構造的な宇宙 人の世界である。 しかも,どんなに頑張ってみても, 結局は『あ あ いえば弘 (こう)言う」
式で論破され返 り 討ちに あ ってしまう。 こちらは満身創損。 言われることが正論だけに シ ャ クの種。 J 「唯一の救いは,飲んでいる時には勉学時のあ の鋭さ,厳しさが消えて,『そ うか』『そんな考えもあるのか』ととたんに聞 き 分けの良い普通の人に戻ってくれることで あ る。 それが先生の大 き な魅力で あ ることは間違いない。 ただ先生のストレス解消に役 だっているのが『酒』であるのか, 『吹っかけ論議』 であるのか, その判断は愚者の私には 難しい」という氏の言葉にも実感がよくこもっている。
かって学兄と同 じ町内に住んでいたことが あ り , 大森 自治会長のもとで 自治会活動をし た経験のある桑田光輝氏は, 奇しくもその20余年後に, 今度は近畿大学で活動を共にする
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ことにな っ たことに驚くばかりでなく, 「当時と比して, その声の調子, 弁舌の内容もます ます磨きがかかり, お陰で私たち先生のお世話にな っ ているグループは, 今も心休まる暇 もなく厳しく鍛えて頂いております」と感謝の気持ちを隠さない。
早くから耳順会に参加している岩佐仁雄氏も当初, 非常勤講師の話があ っ た時には, 躊 躇し, 一度は話を断 っ たそうである。 活動の舞台が専門の技術ではなく, 経営学だ っ たか らである。 しかし初対面の折に, 「いろいろ雑談しながら躊躇している私に授業の進め方な ど懇切丁寧に教えて頂いたうえに, 『学問と実業をつな ぐ実学経営学が必要だ』 ということ を大きなお声で, かつ明瞭に話されたので, 非オを顧みず引き受けてしま っ た」と述懐さ れている。 研究会に関しては「ものの見方, 資料の読み方で厳しい指導があ っ た。 一見多 岐にわたる事象の中から即座に本質を見極め, 個別的な事例 を抽象化 ・ 普遍化する様を目 前にし, 我々の非力を 嘆くだけであ っ た。 … …しかし, 回数を重ねるに従い先生の言われ ることが少しずつ理解できるようになり, 研究の結果をまとめるに際しては, フレーム ワークの重要さなどを実感し, 充実した数年であ っ た。 また, 考え方の ヒ ントは与えるが,
答えを 自分で考えさせる先生のア プローチに, 教育者としての姿勢を見た思いがする」と 述べられ, 最後に次の言葉で手記を結んでいる。「飾り気のない先生は研究会を離れるとわ れわれに仲間として接していただいたが, 研究会での厳しい口調も教育者として我々のこ とを真剣に考えてくださ っ ている証左であろう。 最近はその舌鋒も些か柔らかくな っ たの で少しほ っ としているのが, 正直なところであるが, 結果に対してはいつまでも妥協しな いで頂きたいと思う。 そして我々にと っ てはいつまでも師であ っ て欲しいと願う。」
三洋電機在哉中から耳順会に参加した小川行光氏は, 「実学一如」に徹する学兄の言動に 強い感銘を覚え, 次の一連の言葉でそれを表明されている。「先生のご指導には事例研究方 式が多か っ たが, これがまた実に面白く, 多くを学べ, よく理解できる。『実学一如』 には 最適の方法と思 っ ている。」 「もう一つの先生の特徴は全体像や流れをつかみ, そこから分 析し, 政策提言に至るプロ セスを盾視される『Whole ⇒ Part ⇒ Whole』 の流れだ。 だか ら経営学で指摘される要素還元主義の弊害に陥ることがない。 」「Whole では東西の哲学 や心理学まで広がり, 予習も大変であ っ たが, 今ではも っ と儒教などの東洋思想を経営に 取り入れ, 東西思想の融合も必要でないかと痛感させられている。 ま, それにしても現場 中心のわれわれに良くここまでご指導戴けたものだと, 心から感謝している次第である。
しかもすべてポラ ンティアの奉仕である。」「世の中が怒濤のごとく変化している時に, 企 業人ももう一度勉強することが必要だと思うが, こうしたスタイルの社会人再教育こそ大 学に課せられた使命ではなかろうか。」
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昭和38年に大学を卒業し, 松下電器に就戦し学兄が所属していたテレビ事業部に配属さ れ, 当時より, 学兄の存在を認知していた山本憲司氏は, 平成9年から京都産業大学で教 帷をとられているが, 松下電器で長く同 じ眠場に所属していた真田氏より, 学兄に関する 話を聞き, 耳順会に参加するまでの経緯を, 大きな喜びを込めて次のように語っている。
「理論, 実践, およびその融合した領域における幅広いご活動に大いに感銘を受けました。
加えて, シリーズになっている 「経営者意識論」 を頂戴して, そこでの論理の創造性, 深 さ, あるいは厳しさに重ねて感銘を受けました。 」 「また, 私の著書 『経営改革と IT 戦略』
や執筆中の著書 『真の物づくり』 の中間のまとめ等をお届けしました。 『物づくり』 では
『面交流J という新しい概念を用意して, 松下電器の世界をリー ド する商品開発の実践責任 者の皆さんと一緒になってマ ネ ジメン ト モデルを創出しようとしていました。 そのような 時に 『経営者意識論」 はまさに天の助けというべきタイミングでの出会いとなりました。
そして大いに学ばせていただき活用させていただきました。 」「以上のような過程が機縁と なって, 『耳順会』 に加えていただき, お目にかかって色々とご指導•ご支援を賜ることが できるようになり, 今日にいたっております。 そして, 実際と学問の融合する領域におけ るいろんな考え方や実践事例について思索を深めさせていただいております。」
神戸大学の平井ゼミおよび松下電器で先輩後輩関係にある掘正幸氏は, 退眺後, 学兄の 推薦で商経学部の非常勤講師に就任したが, 就任後, 顔を合わせる度に 「実業の社会と異 なり新しい勉強をしないと教識を努めることはなかなかできないものだ」と語る 「大森先 生の言葉」に 「私共が続けられるよう, 又内容が充実した講義ができるよう先生が心から 念 じておられたのがひしひしと感 じられました」と述べられている。 更に次の言葉も大森 経営学の核心にふれるものとして看過しがたい。 「大森先生には5 年間ご指導を頂きまし たが一言で言えば誠に貴重な経営学者ではないかと考えます。 と申しますのも世の多くの 経営学者は 『経営は人が根本である』 と言いながら, その人, 人間を正面から研究するこ とをさけて通っています。 その中で大森先生はその人間の意志の働きを正面からとり上 げ, 人間心理の動静変化がどのように現実の経営行動に反映され, 影響しているかを研究 されている。」「組織論も, 管理論もそれはそれなりに成果はありまし ょ うが, やはり, 経 営を動かすのはトップの人間であり, その人の考え方, 意思決定, 行動, 実践がすべての ように私は思います。」「その根本に研究の矢を打ち込まれ従来の枠組みにとらわれず, 謙 虚に心理学の世界, 宗教の世界と思索されるひたむきな姿に唯々敬服しています。」
学兄を語る場合に 「酒」と 「夜」にめっぽう強いことも外せない。 事実, 耳順会の多く の会員がこの点にも言及されているが, とりわけ天野吉彦氏の次の言葉は誠に描写がリア
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ルで印象深い。 「酒はもっばら健康を意識しての焼酎派であるが, 加齢に伴う酒量の減少な ど全くなく, 酔いつぶれる姿などは拝見した事がない。 もちろん酒での失敗談も聞いたこ とがない。 まさしく酒豪である。 夜が更け, 酔いが回るにつれ, ますます舌鋒鋭く冴わた り, 一緒に飲んでいるものは圧倒される。 酒席で語られる先生の夢とロ マ ンを聞いている と, 『退官』というイ メージは全く感じられず, これからが人生の壮年期という印象が強 い。 どうか, より一層健康管理にご留意いただき, 益々のご健勝とご活躍を期待するとと もに, 更なるご指導をお願いしたいものである。」
以上は耳順会会員各位から寄せられた手記からの抜粋であるが, 最近の学兄の動静を知 る上では何よりの資料であり, 各位のご協力に感謝申し上げたい。 もし, 不要領なところ があるとすれば, それはひとえに筆者の編集の拙さによるものであり, お詫び申し上げる 次第である。 最後に筆者なりに一言, 学兄の人と学問に言及させていただいて, この 「学 友録」を締め括りたい。
VII. お わ り に
端的に表現すれば大森経営学の基本的特質は 「実学経営学」にある。 それは「理論と実 際の整合性」を重視する「実学一如」の精神に立脚する 「実践志向的経営学」に他ならな い。 学兄の学問人生はひたすらにそれを実践 ・ 推進することに捧げられてきたといって も, 決して過言であるまい。 学兄がその実践の場として近畿大学を選んだのも決して偶然 でない。 奇しくもこの 「実学一如」の精神こそは, 創立者の故世耕弘ー先生が提唱した近 畿大学の建学精神に他ならず, ここに学兄が世耕弘ー先生を敬愛してやまない最大の理由 がある。
この大森経営学の経営学としての特質に目を向けると, まづ学派的には基本的には,
ヴェプレ ン (Thorsten Veblen) や コ モ ン ズ CJ. R. Commns) を始祖とする制度経済学か ら生成•発展してきた制度的経営学に属している。 この立場がバー リ =ミー ン ズ (A. A.
Berle and G. C. Means), バーナ ム (J. Burnham) ゴー ド ン (R. A. Gordon), ド ラ ッ カー (P. F. Drucker) などに代表されているのはいうまでもない。 学兄が注目する N. W.
チ ェ ンバレ ンもこの立場に属しているし, 一貫して事例研究や歴史を重視する学兄のア プ ローチにもその特色が鮮明である。
学兄の研究における基本的方向性は, 事例研究を重視する経験実証主義的 ア プローチを 通じて, 理念論そして組織論と戦略論の有機的統合を追求していく事にある。 最近の経営
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