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パーリ学仏教文化学 (創刊号) - 006杉本 卓洲「パーリ仏典に見られる菩薩」

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(1)

Society for the Study of Pali and Buddhist Culture

NII-Electronic Library Service Soolety  for  the  Study  of  Pall  and  Buddhlst  Culture

パ ー

菩 薩

杉 

  卓 洲

1

.  は じめ に

      〔工)

  菩薩

Bodhisatta

, 

Bodhisattva

とい う言

Jaina

文献

に も見え,

必ず し も仏 教 特

の 言

で は ない が , 種々 の

相を もっ て 大い な る展 開をみ た の は

教に お い て で ある こ と は

ない 。

に 大

乗仏教

菩薩

道の

践 と思

を標

榜す

るもの して

高揚

され, い わ ゆる小

乗仏教

の 阿羅

道,

聞 及び縁 覚 乗 と対

させ られ る。 し か し, こ うし た 図式 的 な 見方は,

W

. 

Ra

−       (2)

hula

を待つ もな く こ とは 言 うまで もな い 。

で に

Sutta

nipata

p

132

, 

G

683

)に は 「勝 れ し宝に し て無 比な る

薩は, 人間世 界に 人々 の 利 益 安 楽の た め に (

hitasukhataya

) 生 れた も うた。 − 1

記 事

られ,

菩薩

生 利 益の 理

わ れて い るの が認め られる

 

パ ー

仏典

菩薩

され

論その すべ て を渉 猟し うる もの で はない 。 こ こ で はそ こ で 、主に 四 部

Nikaya

及びその 注釈 書, 

Jat

akatthavappana , 

Nidanakatha

, 

Dasabodhisattupattikatha

に 見 られ る

菩 薩の 諸 相を概 観 し, 北 伝 仏典に 説か れる もの との 対比 を も

り込み な が ら, 南方上座 部の 菩 薩 観の 一 も明 み た

2

Nikaya

及 び注釈

の説 く

薩       (3)

 

これにつ い て はすで に 一

表を し た こ とがある が, こ こ で再

検討

理 して み よ う。

 

先 ず定 型 句とし て, 「比 丘 たちよ, 私が証 覚 する以前, 未だ完全に 証 覚 せ N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(2)

98        パ ・一リ学 仏 教 文 化 学 ざる者 (anabhisambuddha

なる菩 薩で あっ た時に , 次の よ うに 思っ た の とい う文が, 長 部を除い て 頻

に 過 去 を追憶 する か た ちで 述 べ い る。

 

こ のか らは ,

菩薩

とは

等 覚者

意味

し, 正覚以前の 仏 陀の 呼称で あ る こ とが知られる。 しか し, 菩 薩 とい う語は上 の 定型句に おい て の み な ら ず, 托胎 ・生

の 際に も使用 され る。 そ れ な らぽ王子 時

薩と呼 ばれ た の か, とい うこ とが問 題 と なろ う。

 

そ う した

を も

め て , も う

薩の用 例や意味を探 っ てみ るこ とに す る。 それは実に種々 の 場 合が認め られ , 韃 理 するの は容易で ない が, 一応 次如 き六 種に 分け られ よ う。 〔

1

〕 不 完 全で 未 熟な る

 

完全に 真理 を 開悟した 者 で あ る仏陀 との に, 明

な る断

が置かれ る。 仏 陀よ り低 位に る者で , 知見等に お い て欠如 ある段 階に 留まる者を

して い る。

 

た と え ば, 菩 薩であっ た時に は 五

の 楽

味 (

assada ) ・ 過 患

adinava

)。 出

離 (

nissara a

を知 らなか っ た とか ,

欲に

誘 引

され ざる老 (anavattin ) に な らなか っ た とか , 諸 色を見ず知 見が清

と な らなか っ た とか, 愛 欲の 中 に 過患の るの 見ず 九 次 第 定に 順 逆に 入 し

なか っ た とか言われ る。 そ して , そ の よ うな状 態か ら離 脱 しない 限 りは,

々及び 人々 に 対 し て 泊 分 は無上 正等 菩 提を完全に証

i

覚 した者で あ る とは 公 言 しなか っ た (na 

pacca

一 簡

asim

が, そ れ を超 出し た 時に

め て ,

全に

証覚

し た

で ある と公 言       (4) したの で ある とする。 〔

2

〕 未 完成 なが らもそ れ よ り超 出 す る者

 

不完 全な

側 画

み な が らも, その よ うな状 態や段 階か ら超 出せ ん とす る 者, 或い はその 確 信を持つ に 至 っ た 者で , 仏

との 連 続体, 連 続

同 一 ある者とな り, 菩 薩と仏 陀 との 区別は 不 明

と な る。

 

で あっ た時に , 一 閑林 住 む 恐 怖 の の , 自分は 身

の清 浄な る聖 者 (ariya であ り,

林に住む者の 中の

上 者 (afifiatama ) であると

察 し て安心 を得た (

pa11ama

) とか , 生 ・老 ・病 ・ 死 ・ 愁 ・ 雑

(3)

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      パ ー仏 典に 見 ら れる菩薩      99 を求め るが ま まに っ た が, それは 聖な ら ざる尋 求で ある と知 っ て , 聖 な る 尋 求 (ariya  

pariyesana

め るこ とを 決 意した と か , 疑 惑 が生 じた た め に 三 昧が滅し, その た め に光 明と諸 色につ い て の

見が

失し       (5) た こ とがあっ た の で , 疑 惑の 生 じない よ うに、 と決 意し た とか 説か れ る。

 

こ こに は また, 菩

とは 「迷

なき有 惰」 (asammohadhamma   sa −

tta

で あ り, 多くの 人 々 の 利益安 楽,哀 愍の た め に こ の

に 出

し,

精進

に 励 み 不 退 な る者

asallina )で あっ て, 自己の現 法 楽 住の み な らず

の 人 々       (6) を

哀 愍す

るこ とを 目ざ

す者

で あるとい う記 事 も見 られ,

北方

とも通 ず るとこ ろがあ り, 極めて

目に

する。 〔

3

〕離 欲の 出家者 ・苦 行者

 

在 家

にある こ とを非 とし, 出家の

界を 自由 なる もの と し て賛 嘆 し, 苦 行 ・

難行

勤 しむ

で ある 。 し か し, その

苦行 も捨

て る こ とが述べ られ, 仏

とし て の 記 述で ある。 菩 薩か ら仏 陀へ の 過 程は 同 ・…

上 に 置か れ て 描 か れ る。

 

に , 在 家は

障碍

(sambadha )であ り,

は塵 垢の 場 (raja −

patha

で あ るが, 出家は広が れ る空 (abbhokasa )で ある と

えて

出家

した こ と が

語 られ る。 そ し て ,止息 禅 (appanaka  

jhana

)や断

等の難 行を な し た も の の

えた 身 体で は 目

を達成 し

ない と して , 米 粥を摂 っ て 四禅 を       (7) 修 した こ とが語られる。 〔

4

〕 修 定 者 ・ 観 法の 修 習 者

 

を修し, 三 明 を

, 縁起を観 察 し, 苦の 根 源を探 求 する者, 更に は 六 神 通 等の 超 自然 力を獲

する者と して

かれ,

菩薩

の 超 人 性が強 調され, 仏 陀 とは 何ら異な らない で あ る。   こは過 去 仏の

vipassin

が菩 薩で あっ た 時の 話 と され, 完 全な仏 伝の 体 裁を とっ て い る。 十二 支 縁 起の逆観 ・順観を な した

に ,

薩に は

ま で 聞 い た こ との

が現わ となり, 眼 ・ 慧 ・ 明 ・ 光が生 じた と言われ , こ の こ

とは

Sikhin

, 

Vessabh

α, 

Kakusandha

, 

Ko

gamana

, 

Kassapa

各仏

ち も同 じ であ り,

大なる

Sakyamuni

 

Gotama

菩 薩

であっ た時に到

(4)

 100       .益ry 学教 文 化 学 した とこ ろ で

る, と

敷衍

され る。 ま た, 自分の 明か し た真理 が ,古 えの 仏 たちに よっ て辿 られて きた古えの 道を

けつ い だ もの で し か ない こ と, 四種 の 神足

修習

に よ っ て種々 の

神変

 

iddhi

) をなす よ うに なっ た こ と, 出入 息

定 (

a

apa

。 。,。

ti

な る靺 を多習し た 。 と等 髄 べ

 

こ こ では菩 薩は何 らの 欠点な く

な ら

何故 菩薩

とい う 言葉を使 用し な け れ ばな らない の か , その 必 然 性は 殆 ど

め られない 。

・ 世

事柄

し て記述

支 障 。 〔

5

〕 托 胎 ・生誕 時の 呼 称

 

まで は正

以前の 呼称で あ っ たの に対 し て ,

仏陀

誕生

の 際の

奇蹟

られ るとこ 使用 され る。

 

こ れ も

Vipassin

仏に して られる もの でt 仏 伝の か た ち を とっ て い る。

Tusita

よ り母胎 内に

菩薩

降臨 した時に, 太 陽や 月の

を しの ぐ

明が

わ れ た り, 世 界が

震動

した こ と,

菩薩

が母胎よ り出た時

ll

’ こは

浄潔

に して 血 な どに よ る汚れ が な く, 天 よ り水が流れ 出て 母 子 ともに 洗われ,

薩は 北に

っ て 七歩 歩ん で, 我は世 界の

人者 (agga

である と宣言した, とい っ た こ と等が物 語 られる。

 

ところが, 話が 王子 時 代に 移る と,

菩薩

で は な くて 「王 子 」(

kumara

,童 子 )とい う語で呼ば れ,

の ため に 三宮 殿の 造られた こ とや 四 門 出遊の 話が 語 られる. そ して 油 家を黼 し塒 点で再び菩

と呼ぼ れる よ うに な

は後に

Nidanakatha

, 

Buddhacarita

, 

Sa

ghabhedavastu

で 王 子 時 代に も

菩薩

と呼ぶ の と異 なっ た立場で ある。 ガ ン ダ ーラ の 太子 型の 菩 薩 像 の 如 きは , こ の 立場か らは認め られ ない こ とに なろ う

6

〕 大夢を 見た

 

証覚 以 雨,

薩であっ た

に 五種の 大 夢 を 見た と して , そ の

容 と理 由づ けが説かれる。

 

 

大 地がベ , ヒ マ ラ ヤ山 王が枕と な り, 東西の 海上に 両 手, 南の 海上 に両足を置い た こ と,  

か ら

Tiriya

とい う蔓 草が生 じ空 中に 立 っ た こ と,   膝の ところ まで黒 首の 白い 虫が這い 上が り,   足 許に色の

なる四羽

(5)

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      づ一リ仏 典に見 ら れ               1G1が 四よ り来て, み な純 白に化 し た こ と, そ し て  大 きな

の 山に登っ て

経行

し た が

されるこ とが なか っ た, とい うの で ある。

 

  は

如来

上 正

等菩提

全に

覚 し た こ と,

 

は八 正道を

し人天に 善 く知 らし め た こ と,   は

家 者即 ち 白 衣者が

如来

生帰 依 した こ と,   は 四姓の 者が如 来の

とに おい て 出家 し,

上 解脱 を作 証 した こ と,   は

来が 四

そ れに

執着

, 過 患を見る者 と して

用 した こ と       (10) に , そ れ ぞれ対 応 するもの と され る。     以下は多 少理 解で きる側 面を 示 し てい る もの の,   と  は あま り結びつ きそ うに い 。 むしろ  は仏 陀が 宇宙の 大 人

Mahapuru6a

と化 され,神 格 化された こ とを

語り,   は

vispu

神の

か ら蓮 華が生 じ, それよ り創造       (11)

である

Brahma

われた とい う

宇宙創

造の

話を想

さ せ , 神 話 学

な 面か ら

考察

すべ ーマ と言 え

 

こ の 夢の 話は仏 ・

来の

証覚

を前提と して 語られて い る一種の

であ っ て ,

菩薩

の 夢とす べ ぎ理 由は

ら見出せ ない 。

如来

て 見た夢で あ る とし て

られて も,

ら不

然で は ない 。

の 山の上 を

経行

し た の を,

来の 所 行とするの は抵 抗があっ た か らなの であろ うか。 〔

7

Nikaya

説 く

菩薩

定 義

 

先 ず

Sumahgala

.vilasini

DA

1

427

)に は , 「

菩 薩

とは賢 き有 情 (

pa

rpdita

..satta , 目覚め た

情 (

bujjhanaka

−satta )の こ とである。 或い は, 菩       (12)

提 (

bodhi

)と呼ぼ れ る 四種の に執 着 し (satta 固執 し (

asatta

),付着の

心 (

lagga

−manasa を持つ とい うの が

菩薩

で ある。」との 解説が 見られ る。   ま た,

PapaficasUdani

MA

1

113

)及び

Manorathapttrani

AA

,]

ll

365

)に よれば, 「

菩 薩

で あ っ た 時に とは , 目覚め た

情であ り, 正 等菩 提を

得 するに

価す

その ため に励ん でい る〕 者で あっ た時に , 或い は

提に

執着

し, 付 着 して いた時に , とい う意 味で ある。

Dipahkara

の 足許に て 八法の 結 合に よ っ て決 意 (abhinihara ,誓願 ) を完遂 し (samiddhita ), そ れ よ り以 後 如 来の菩 提に 執

し,

付着

し,

これは

に よっ て

ら れ る べ きで あ る』 と して , そ の 証 得の ため に努 力  (

parakkama

) をゆる め る こ と N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(6)

 

lO2

      パ ー仏 教 文 化 学 な くや っ て来た これ故に 菩 薩 と言わ れるの で ある。」と説 明され る。

 

こ こ に

る八

と は

菩薩

と なる た め の 条件の こ とで ,   人 間である こ と,  

性 で るこ と,   悟 りを

る素 因 (

hetu

)の ある こ と,

  師

に 見え る こ と,   出家 し て い るこ と,   勝れた徳 性を具えて い る こ と (

g

叫 a−sa皿

pa

tti

),  

仕 す る こ と

 

(adhikara ,

身 ),   修 行へ の 意 欲を持つ こ と

 

(c−       (13)

handata

を指 し てい る。

 

以一

L

注 釈 書説 明か ら, 菩 薩 とは  賢 き

清,   口覚め た

情,   菩 提       (14) を

証得

す る に

する

もし くはその ため に励ん で い る者,  

提に 執

せ る 者とい , 四種の

義が あ

られて い るの を

る。   こ の で 目を惹 くの は   の 定義である。 こ こ で は satta が サ ン ス ク リ ッ ト

語の sattVa で は な くて , sakta (x/safij の 過 去 分詞 )に 対 応 する もの とし て

      (ユ5)

説 明されてい る。

Samyutta

−nikaya

皿,

190)

に も,「

有情

satta )とは 色

等の五

欲 望

悦 ・ 渇

を抱 き,そ れに執

し (satta ) , 固

し       (16) て い る (visatta が故に 言われ る。」とい う記 述が得 られ, 上の 理解が支 持 さ れ る。 とこ ろ が, こ の よ うな 理

は大 乗

典 『八 千頌 般 若 経』

A

與asahasri −

ka

prajfiap2ramita

Vaidya

 ed  

p

9

菩薩

とは

r

べ て の の に

執着

し ない こ と (asaktata

を 学ぶ 者」で り, 厂執

し ない こ とに お い て無 上正等

提を

覚する者 」で る とい う説 明と矛盾し, 問題に 当面さ せ られる。 そ こ で , パ ー リ

仏典

に 載る如 き菩 薩の 解 釈は奇 異で あり, 真の 菩 薩の 姿で は な       (17) い , と評され た りするこ と に な る。 しか し, これ は

北問の

菩薩観

の 相 違を 示 す もの であっ て, 価 値 判 断を加え て見るべ き筋 合い の もの で は ない 。 む し ろ こは , 両 者の 問に相 互の 交 渉が あっ た もの と解す る方が 自然で あろ う。       (18) ス リラ ン カ に 般 若

思 想が流 伝 し た 事実 も然る こ とな が ら, 『大 智 度 論 』 に も 「未だ仏 道を得 ざるを 名づ て 菩 薩となす。 未 だ仏 道を得ずし て 心に 愛

あり,

めて 阿耨多 羅三 藐三 菩提を取 らん と欲 す。 是れ を 以 っ て の故に名       (19) づ て菩 薩とな す。」との 文が見 出され, パ ー 仏 典

菩 薩

め る こ とがで きる か らで ある。

(7)

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パ ー仏 典}こ冕 られる菩 薩 103

2

J5takatthavannan5

〔−atthakath5 〕及び

Nidanakathfi

に お【ナ

  る菩薩 ジャ ータ カ注 釈 本の 中の 菩 薩 も多種

様であ り, 分類 が難 しい が, 次の 四 種に 分 け られ よ う。

 

先 ず 第一 は単な る脇 役的 存 在で あり, 物 語の 中で

ら特 別の 役割を演 じて い ない で ある。 物語が終っ た後に , 極め て唐 突な佳 方で, そ の 時に その

景を 見て い た樹 神 (rukkhadevata

菩 薩

であっ た , と付 言 され る

き が それである (eg .

No

400

)。

 

第二 に は,

薩と して は相応し くない 者, 非 難に価 する よ うな者が あ げ ら れ る。

 

た と えば, 盗賊の 首

とな り追 剥等をなして 生 計 を立て て い た

菩薩

っ た りす る (

No

279

)。 そ こ で 「諸の 菩 薩は大 人 (mahapurisa )である が, 他 の

財産

っ た の は悪し ぎ再 生を得た こ とに よっ て で あ り, 星宿の 過 失

nakkhatta −

dosa

に よっ て で

る と人々 は

る。」 とい っ た よ うな文 章が       (20)

入 された りし てい る

 

(豆,

389

)。

 

第三 は有 徳 ・善 行の

菩 薩

で あ り, 何の 説 明 も要 しまい 。 し か し, 常に主人 公 とは らない し,

菩 薩

よ り

善行

を なす

が登 場 し た りする。

 

第四 は捨

で ある。

ない 。 代 表

な 例 とし て は ,

乞食者

に 火 中に 自身を投 じて捧 げよ うとし た 兎 (

No

316

),畜 目の バ ラモ ン に 自らの 眼 をえ ぐり取っ て 与えた

Sivi

ヨ三(

No

499

)の

きが あげられ る。       (21)

 

パ ー ータ カは, 本

来菩薩

の修 行を物 語る もの で は なか っ た 。

事実

菩 薩の所 行 よりも,

Devadatta

や 比 丘 た ちの 過 去 世に お け る行為が テ ーマ と な っ て い る もの が非 常に 多 く, 菩薩は脇 役的な存 在で し か ない 場 合が

な くない。 そ れ なの に , ど うして ジ ャ ータ カ は “仏

の ” 前生

語とされて い るの であろ うか 。 ど うして 前 世の 修

を語る もの と された の で あろ うか。 そ の

え 及び理 由は,

Jatakatthavaprpana

序 文の か たち を とっ てい る

Ni

danakatha

冒頭に ある偈文 (工

L1

G

1

4

5

)か ら明 らか に される 。 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(8)

  104      バ ー学 仏 教 文 化 学

   

世間師で ある大

は , 幾 千 ・ 幾 千万 もの 生を繰 り返 して , 世 間 利益 の

  

た め に りない

を な さっ た。

   

あ れ これ の 因縁に基づい て, 光 輝 ある師は

Apa4rpaka

jataka

を初め

  

とする

えの の ジ ャ ータ カを説かれた。

   

そ れ らそ れ ぞ れ に お い て, 長 期 間に わ た っ て 師は世間 の 人 々 の

救済

  

め ざし, 菩 提の た め の 資糧 (

bodhi

−sambhara

を 限 りな く増 進な さっ     た。

 

ところ で ,

Nidanakatha

とよ く

容が 一致 し, パ ー 訳 され た と見られてい るチ ベ

在 す 。 とこ ろが そ れに は上 述の 偈文に 相       (22) 当する

所がな く, 一 南 方

添 加で は ない か と考え られ てい る。 チ ベ

典の

体裁

保持

して お り,

世尊

園に居 られ た時に ,

大 長老

don

 mthoh

ArthadarSin

, 

Atthadassin

)が仏

・ 世尊 の 因 縁

(rgyud  

gyi

 chos )をお聴き したい と

し出た の に対 し, 世

は悟 りの

智 慧

静 を有せ る 阿羅 漢た ちの 本 生 因

縁 (

skyes  

pa

 rabs  

kyi

 

glen

 

gshi

意味

称賛

を語 られた とあ り, 続い て 「遠 き」, 「中 間」, 「近 き 」の

F

咽 縁       (23) の

を皆は 聴い た, とい う筋 書 きに な っ て い る。 こ こ に は明 らか に, ジ ャ ータ カ

連あ

され お ら , また ジ ャ ータ カ注 釈

とい うべ

性格

存 在

, 南 方

の 意 図が看 取 され る。   さて, ジャ ー は上 偈頌 わ れ た如 き ッ トーに必ず しも応えて い るもの で は ない が, ま た た と え

益や

菩提

の 資

積 集 を説 くもの と認 めて , その 目的 も

結果

も明

に打ち出され てい る わけで は ない 。 そ こでそ れ らを 明らか に る た め に , ジ ャ ータ カ

Dipahkara

を初め とす る

24

人の 過 去 仏での

菩薩

誓願 及

授記

物語

え られる こ とに な っ た と言える。 ジ ャ ータ カ 菩 薩

提を

め ん との 意志は 見られない し, 彼の

仏陀

にな る こ とが

された もの で なか っ た。 ジ ャ ータ カの 菩 薩は因位の 菩 薩で はない の で ある。 そ こで, ジ ャ ー タ カ の

菩薩

欠 け い た もの

め に,

願 ・

記の

菩薩

は創 出され たの で あ る。 そ れ は ま

(9)

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             .づ7 匸

M

ム鑿些見埜れる菩藤一      

105

 それな らば, 新たな菩 薩はい か なる行を な し, 仏と成るこ との 保 証を得た の で あろ うか 。 以下,

Nidanakatha

願 ・ 授

菩 薩

え た過 去 仏       (24) た ち の , 菩

の 名, 所 行の 内 容を表示 し, その

徴を探っ て 見よ う。   「  「一

11

Dipafikara

(me  mdsad

i

 

 

仏 ト ー IIL                              コ

                             」

2

Ko

 

a兪 a

Kampqanya

3

Mahgala

bkra

ξ

is

 

bza

  

hpo

に 

4

Sumana

thugs

 

bzah

 

po )

II

Sumedha

blo

 gros 

bzah

苦儲

         

1

      一 po )パ モ ソ 年、 の ちに ,布髪 掩

泥 齢 ・

ij

ta

rgy ・

11

大 施 m

h

d

・na )

i

po

)転輪王

Suruci

(ξ

in

 tu sred  pa)        飲食の施 … モ ソ

     

L

_

Atula

(mfiam  med

竜王 天 上の音 楽の供養

 

l

l

大 施依 (チ ベ ・ ト

衣)を僧

.       1

      IAtideva  

llhag

 

pa

りi 

Iha

L

_ 一

  

15

Revat

・am … can )

       

i

上衣の施

      1

…6

Sobhita

(mdses  

byed

II

      I

Ajlta

(mi  

pham

 

pa

  

1

大 施 バ ラ モ ン

        

  

1

.・一一

i

  }

  

1

1

・・… m ・

dass

・・ (・

h

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1

騨 (・・

kkh

− I

 

an mthoh  

ba

    

I        napat 韮チベ ッ ト訳で は 、

      

L

夜 叉 9。。

d

byi

。 g,

ig

) ’       { 大施

     

1

       「

       {

8

Paduma

pad

 ma       ん とする

9

N2rada

(mi sbyin  

pa

  の仙 人       1 大 施、 赤栴檀の供養

1

        」L・

0

Padumuttara

(pad ma  

Ja

ila

(ral 

pa

 can )大 領

      2

 

mcho9 )

      

(maharatthiya , yul

khor

       

… chen  p。)       1 衣の施 (チ ベ ッ ト訳 i        l は、 法 衣を伴える大 }       … 施)

       

i

11

Sumedha

blo

 

gros

 

bz

−…

U

仁tara 

Gus

 mcho9 )         .       「 貯わ えて い た (チベ

l

I      、 ah  po)

12

Su

、、、。 (

1

属 繭

/ミラモ 輔 の ち礪

                     1 捨施         

1

七 宝 を伴える四 大 洲

i

      t N工 工一Eleotronio  Library  

(10)

106 パ ーり学 仏 教 文 化 学

13

Piyadassin

dga厚

mth −   oh)

 

Kassapa

on  

bsruh

 

1

バ ラモ ソ青年

一 兆 金 財 施 僧院 を 造 る

14

Atthadassin

don

 mth − lSus 蜘 a   tshams  

bza

      d

  oh                1 苦行

5

 . 

Dhammadassin

(chos

Lm

h

1 

Siddhattha

don

 

grub

神王

Sakka

_ _ _.

_ _       ミ

M

hg

1

bg

・a 

9i

bza

1

 

1

ン ブ

po

)苦行者

    

  

1

      嗣 「、

, , ユ

1

Tissa

dkar

 rgyal

iSujata

 

legs

 skyes

「王、 の ち辷出家

一一

天 上 嘩 ・蘚 を

             コ …っ て供 養、 』 空 中に

i

か ざ す

  「

18

Phussa

gyur 

ba

19

Vipassin

mam  par

  gzigS )

lVijitavin

(rnam  

par

 

byed

 クシ ト リヤ、 の ちに 出家

…一’一.一

ニー 一一一「

Atula

mtshums  

ba

 med   I

 pa )

1

竜王 i

    

i

−一一一・一一一__一← 戒 波羅 蜜 を 金 う し・ た 七 作  

1

・. 1 具)の 施

20

Sikhin

(gtsug 

tor

 can

skyob po )王 Ω thams  cad       ヨ

Sudassana

王、 の ちに

A

i

dama

(sg 「a脚

ba

プ・施・ 宝象 (チ  

Sudassana

blta

 na  sdug

22

Kakusandha

leg

 pa  

dah

 sel)

Khema

dge

 

ba

王、 の ちに 出家 .

F

b

…  …)

i

王・ の ちに 出家

F

ト訳は、 大象)の 施 1 大 施

. ,

         「 大 施、 薬 物の 施

24

Kassapa

 

bod

 s「u 轟)

IJ

・tipal (

h

d

 

bsyor

1

.・

法 出 家 し、 精進 矧

i

カし、 三 蔵 を醐 し

l

i

、 種々 の務め を 成 i

大 施、 鉢 ・羊毛 ・中

国産の 布 (チベ ッ Fl

i

訳は 、

Anavilavati

 

i

産の 布) 等の 施

1

       − 一一

1

(11)

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      パ ー仏 典に見られる菩 薩      

107

 

菩薩

は これ らの た ちの で 「奉 仕 (adhikara

を な し て」 〔チベ で は, 誓願 (smon  

Iam

)を なし て 〕四阿僧

祇劫

・ 十万

を過 し て

た と され る。 これ らの

し く語 られ るの が最初の もの で, あ とは い わ ぽ付加 物で しか ない

内容

し て お , 出 家の仙 人が大

を な し た とい うよ うな内 実の わ ない も あ り, い か に も

で ある。 衣服や 金

銭 等

よ り成る大施 を仏及び僧た ち に な した とい うの が殆ど で, ジ ャ ーカ の

行為

と比べ 中味 も

貧弱

で ,

S 番

E

の ラ イ オ ン の

身,

18

番 目の 戒

羅 蜜の 成就 等が 目につ く程

である。

最後

Jotipala

の 話 も,

最初

と同       (25) 様

文 献に再 説 される有 名な もの であ る が, 独特の 叙 述 内容 となっ て い るも の の さ して 目すべ の は ない 。 こ こに は,

が友 人の

Gha

ika

− ra の勧め に不承不承 した が っ て

Kassapa

仏 を 信奉 した とい う

に は 言 及 が       (26) な く,

Dipahkara

仏へ の 華供

の 欠

と共に , こ の

品の特 異 な点である。

 

Sumedha

Jotipala

も, ともに バ モ ソ

青年

, 彼 らの仏 教 へ の 回 心 が 主題となっ て い る。

Sumedha

皮の 衣 を脱 ぎ,頭 髪を 解い た こ とは 共       (27) に

Brahmanism

放 棄を意

して お り, 泥 中に 身を投 じた こ とは 一 捨 身 行と され る一

へ の

Bhakti

的な

対 帰 依を表 明し た もの である。 

Jotipil

la

も最 初は

Kassapa

仏を誹 謗 し て い た青 年であっ た 。 そ れが

に は

心な 仏の信 奉者へ と転身 す の である。

 

とこ ろで , こ の 作 品の 中で看過 し得ない の は, 第三 の

Mahgala

仏に 関 し て, その

菩薩

の 所 行が二 例

入 され てい る こ とで ある。 こ の よ うな例は 他 の た ち に は 認め られず, 極め て

異な もの で あ る。

 

その 一つ は, 次の 如 きもの で ある。 菩 薩が

子 (チ ベ ッ ト訳で は 息 子 と

娘 )

Vahka

 

l

1

に 住ん で い た時に, 

Kharada

ika

(堅 き

)とい う

Yakkha

チ ベ

叉 」mchi  ma  

gcig

pa

 

gdug

 

pa

 can  

gyi

 

gnod

 sbyin  shig )〕モ ン の

姿

じて 近づ き,

を 乞 うた。

薩は

ん で与 えた。 子供た ちを

べ る

Yakkha

の 口か らは , 火 炎の 如 く血潮が 吐 き出され た。

菩 薩

は これ を見て, 厂来 世 に

おい てこ の よ うな光 明が

よ り

。」との

pattha

(12)

  U8       パ ーり学 仏 教 文 化 学 n2 )を なした

チ ベ

ヅ ト訳 :願い 求め た (

don

 

du

 

gfier

 

ba

)〕。 そ こ で , そ の

願い は かな え られた。

 

また別の 前 世の所

で は, ある

仏陀

Cetiya

〔チ ベ ッ ト訳 :

(sku

gduh

 

gi

 mchod  rten )〕 を 見て

, 私に は こ の

に 対して 生

捨 離す

る こ と が想 応しい とし て , 自らの 身体を燃や して 一

右 遶

を な した。 そ の 行 為の       (28) 結 果,

Mahgala

仏の

は一万 の

世界

たすこ とに な っ た, とい う。

 

前者

Vessantara

lataka

と言 える が,

者は

経』

中の

王       (29)

ee

 

Bhai

§ajyaraja前生 因 縁 (

parva

yoga

想 起せ , 南 北の 交流を 示

唆する もの で ある。 何 故 こ の よ うな話が

Ma

gala

仏に の み

られて い るの か , 理

しむ とこ ろ で ある。

 

誓願及 び授 記の に, 今度は十 波 羅 蜜 行に それぞれ 適合 する

菩薩

を諸の ジ ャータ カ の 中か ら探しだ し て配 置 させ る。 これは

Cariyapitaka

に 倣っ た も       (30)      (31) の である。 前の 誓 願 ・ 授 記の 方

Buddhavaipsa

よ り由

し てい る。 こ の 両 者を

合 した こ とに よっ て, 菩 薩の 過 去 世に おけ る修行 の偉大 さは弥が 上 に も

め られ た。 しか し, こ の

法はすで に 北

仏 典に おい て も

られてい       (32) た もの で る。 恐 らくは

Nidanakatha

者は こ の 手法を 見習っ た の であ ろ う。 しか し,南 側の 特 色を示 すた め であろ うか ,北側 とは逆に 誓 願 ・ 授記の 菩 薩を先 きに し, ジャ ータ カ の

薩を後に 配し て い る。

仏陀

最後生

として

Tusita

よ り降臨 する前の れが

Vessantara

王子であ っ た , とするの で ある。 ジ ャ ータ カ注 釈

最後

事蹟

, . その まま時 間 的な経 過の

最後

と解 釈し よ うとし て い る わけで る。

論北方に は 見 当らぬ考 え

である。

3

Da8abodhisattuppattikath

の 菩薩

 

これ は

14

世 紀

半頃の と言わ れ,題 名の 示す 如 く,

io

人 の

菩薩

の 出生 を物       (33) 語 るもの であるが, テ ーマ 授 記 。 とこ ろ が

Nidanakatha

中 の

菩薩

とは異な っ て , 捨 身 行を敢 行 する者が少 な くな く, 極めて

異 な

菩薩

た ちの登 場 を 見る。 構 成 も複雑で,

まで の 釈

迦 菩薩

Mahgala

菩薩

現在仏

乃至過 去

薩 時 代の

説 くの で は な くて,先 ず

未来

仏の 出現

(13)

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      一バ ー仏 典 ら れ る菩 薩      109 に つ い て

べ , そ れ ら未 来仏の 菩 薩 行を物 語るの で ある。 し か もそ の 中間

在 として , 現 在即 ち仏 陀 時 代の 人物や動 物に それ らの

菩薩

及び未 来 仏は結 合させ られ る。

 

Metteyya

に も仏の 出現は数 限りない と説かれ, 先ず

10

人の 未来 仏の 出現が明らか に され る。 即 ち,

Metteyya

仏以

に は :三宝なき

無仏

時 代が賢 劫 後一 阿僧 祇

あり, そ のに二

Rama

Dhammaraja

Marpda

−−

kappa

と な 。 そ の 劫が火 に よ っ て滅せ られた後に, 

Sara

kappa

る。 神々 の 王

Abhibhtt

が仏

Dhammassam

量と

次に

LakkharPa

ka

ppa

(無 仏 時代 )を経て

Ma

a−

kappa

に 入 る と

, 二 仏即 ち

Narada

Rahu

asurinda が前

)と

Ra

simuni モ ン

Cafiki

身 ) 出 現 す

次に ま た 別の

Map

a−

kappa

とな っ て , 

Devadeva

Narasiha

の 二 仏が

出現 する。 次に 無 仏 時 代 一劫を経て , 二 仏即 ち

Tissa

Sumahgala

現 の

Mapda

kappa

 

これ ら未来 仏の

誓 願

記が られ るわ けで るが,

NL

danakatha

内容

と比

する た め に ,

薩に授 記を与えた 過去仏の 名称, 菩 薩の 名 (現 在 名 未来 仏 名

, 所行の 内容を表 記 して み よ う

  

 

 

tE

− 一

. 蓄

   

 

 

  

1

Si

i

・ …

   

S

… a 転 輪

 

i

      

 

i

  ト          

 

12

Kassapa

      

Narada

 

青 年

    

焼身供養

1

     

嬲 表

3

Kopagamana

iS

ddh

,、

      1 蓮 華 ・葦 (na1aka び衣

i

服の  

4

Kassapa

        

Bodhi

i

       

旺        ト

l

     

l

         

1

−一 二. 一

   

一 一

一一一一.

ib

.〔

Yanta

Yakkha

)〕

 

Sirigutta

大 臣              1誰 よ りも先に仏に 食器 と

1

贐 謝

b

  )

衣服を施さ ん として 王 の

1

怒り を か い 首 をは ね

r

れる (生命の    1 ta

 

     1Yakkha

11

N工 工一Eleotronio  Library  

(14)

ユユ

e

パ ーり学 仏

よ り

6

Kakusandha

Magha

 

青年

    

1

十 万 金 と一枚の 毛布の施

1

     

i

『 」 一       1 六 牙象王

      

 

Kopagamana

仏の弟子、

糟 )

蜘 長老の

1

       1

8

。 一 辟支仏   (Pacceka −

buddha

  鉾 施

1

9

Ko

agamana

10

Kakusandha

             

l

      ヨ

Mahapanada  

転輪王 1法の た めに 捨身

。、,

i

      一一 ト

         …

真 実語を な し て頭 施       「       …

  最

しく語 られる の は

Nidanakatha

場合と同 様一番 目の で ,概 要 は

如 き

の で

る。

 

Kuru

国の

転輪

Saftkha

(長 老

Ajita

前 身 と され る)は,一人の 沙 弥

か ら

Sirimata

仏の 出現を教え られ, 沙 弥に

転輪

王 国を 与え 王位に つ け た

, た っ た一人と な っ て

えるため に

住所

Pubbarama

まで

か げる。 仏へ の畏 敬を 示すため に裸 足で歩い て 行 くが,

細な 足 の

つ き 血 が 流 れ 出す。 そ こ で 膝をつ き掌をつ か っ て進んだ が, それ らも

つ き, 最 後に は

い て

ばい が ら, 大い なる

勇猛 (

ussana

を もっ て仏の 許に

こ う とする。 その 時

Sirimata

仏は 一 釖知性

(sabbafifiutafiarpa

で もっ て 世 問 を観

し て,

進 力 (viliyabala )を 見て, 彼を仏の芽 ・ 種子 (

bu

ddhankura

 

biia

, 大 悲心 をもっ て青 年の 姿に変えて 王 の とこ ろ に 到る。 二 人は

に 乗っ て

Pubbarama

に 行 き, そ こ で対 坐 する。 仏は王 に

湟槃

法話

くが, 王 は

の 深 重な るこ とを知っ て途 中 で

を 制 し, そ れ 以上 の 法を聞 くに は 自らの 頭 を法の ため に

供養

する外は な い と し

(15)

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      .益二_ヨ.墾典に見 ら れ る菩薩 .       1]1

て, 「これは

切 知 性

智 (

獲得

の ため)の

とな りますよ うに」

Idam

 sa−

bbafifiutafiapassa

 

paccayo

 

hotu

) と言

っ て爪 (nakha )で頭を切 り取 っ た。

こ の頭 施

sisa −

dana

最勝波 羅

paramattha

− parami

で あ り,

jivita

paccaga

る と され る 。 王 は 死ん で

Tusita

天に 天 子 として 再 生する。 か

して

Metteyya

仏の 波

羅 蜜

は 成

した と され, 頭 施に よっ て

身体

88

の 高 さ とな り , 足か ら血 を流 し た こ とに よっ て 身 体 よ り

明が出て遍ね く広 が り,大地 に 蓮 華が出現 して 両 足を安立 さぜ るで ろ       (鋤 う, と結ば れ る。

 

第二 は,

Narada

青 年 (

Rama

王 の 前身 )が

Kassapa

仏を見て ,厂正 等

覚者は極め て がた い

 

(atidulabha 。 私に とっ て こ の 厭わ しき己れの

身 体

は何の用 が

ろ う。 私に は仏の た め に 生

を捨

する こ とこそ相 応 しい 。」と 考 えて , 衣に油を浸し て全 身を

い 炬 火の 火の 如 く燃や し て 「こ の 灯明の

行 (

pradipa

pufifia

)を なすこ とが一切 知 性

智 (

獲 得)

助縁

と な り

よ うに、」 との 誓 願 (

patthana

)を な し た , とい うもの で ある そ こで  

Kassa

pa

仏は

N

註rada に

Rama

と名つ

とな るで あろ う。」と授 記 し た 。

Narada

は死ん で

Tusita

pura

に 再 生 し た 。 彼の

供養

の 場所 (

pttjatthana

焼 身の 場 所 )に蓮 華の

paduma

gabbha

が生 じた 。

べ て の 人々 は それ

を見て

Narada

である。 お お,なん と希 有なる こ と よ。

未来

に お

い て と なる で あろ う。」と

賞賛

し, 大い なる供 養をな し た 。 次い で

Narada

Rama

仏と な っ た時の 身体の 光 明が

, 月や太

を しの ぐもの となる

こ と, 釈 迦

尼 仏及び

Metteyya

仏の教えに お い て 道 果 (magga −

phala

)を

      (35) 得ない が ,

Rama

えに おい て道 果を通 達す るで あろ う,と結ぼ れ る。       (:6)

 

それ ぞれの 菩 薩所 行要 旨につ い て は

し た こ ともある の で , 以 下 それに ゆずるが,

1

9

10

は頭 施に よる仏 もし くは法の 供 養,

2

は 焼 身,

4

は死刑の 甘 受,

5

9

は子 供の

Yakkha

へ の 施与が説かれて お り 極め て 血の

い の

惨な内容を

して い るの が ,

Nidanakatha

場 合 と異な る特

すべ 。 し か し,

方で は蓮

, 衣

, 金

, 毛

とい うよ うに,

Nid

置nakatha で 見られた もの に沿 う例 も認め られ る

5

と N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(16)

 112      ノく一 学 仏教 文 イヒ学

9

は, 明らか に 先 きの

Ma

gala 菩

薩の 話や

Vessantara

jataka

素 材 して い る。

 

とこ ろ で ,菩 薩た ちが結合 され る現 在 名で あるが ,

1

の 転 輪王

Sahkha

と 長 老

Ajita

との は , パ ー 仏 典 (

DN

.皿

75

76

で は な く

阿 含経』

13

『説本

か ら明らか に され, 作者 の 北方 仏 典の 知 識を推 定 さ   (37) せ る。 今そ れ らすべ て につ い て考 察を加え る

余 裕

がない が, 特に 注 目され る の は, 仏 陀 と親 しい 者 とは 言 え ない 老まで もが

菩薩

と結び つ けられ い るこ とでる。 た とえば

5

Rahu

asurinda (阿修 羅 ラ ーフ は仏

を念 じ て い た月天 (

Candima

)及び 日天 (

Suriya

)を捕えた 悪

魔的存在 (

・日食を 生 じさす もの で あ り,

8

の バ ラ モ ン

Todeyya

は仏 陀が 一

U

ddaka

 

Ramaputta

し てい た 人で , 大 地 主 で 大金持ち であ りなが ら非 常な

嗇 家で あ っ たた め に 犬に 再 生 し た と言わ れ,

9

の 象

Dhanapala

(別 名

Nalagiri

Devadatta

に 仏 陀を傷つ け るべ 酔 象 し て       (38) に有 名で あ る。 ど うし てこ の よ うな者た ちが

菩 薩

とされ, 未 来 世に お い て仏 となるで あろ うとの 授 記が与え られた の か, 甚だ

問 とな る とこ ろである。 北 方諸仏

に おい て,

Devadatta

が悪玉 か ら善玉化 され, 未 来 世に お い て       (39)

支仏となるこ とが予 言され る例 が

め られ るが, その よ うな思 潮 と軌を 一 に す る もの なの で あろ うか。 こ の 作

の 基調に あるの は, 仏教の 衰 微 とその

興へ の 願い で ある よ うに 感

され るの も示

的で あ る。

 

さて,次に特 微的 なの は捨 身 (

jivita

pariccaga

)とい うこ とが繰 り返 し 言 及され,

patthana

の 内容とし て 「こ れが 一 切 知 性

助 縁 と な りま すよ うに。」とい うの が 定型 句と し て再三再四発せ られて い るこ とで ある。 ま た 「一切 知 性智こ そ私に とっ て

しい もの (

piyatara

)だ 。」とい う表 現 も見 られる。

論 「未 来に おい て 仏 陀 と なれ ます よ うに 。」

Buddho

 

bhave

yyan

hessam

homi

anagate )とい う文 も見え ,先の 定型 句よ り頻 度 は

  (40)

い。

 

こ の 切 知 性

とい う言

は,

でに

Jatakatthavappana

内で も使

用 されて い て新 しい 術 語で は ない 。 た と え ば

Chaddanta

(17)

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      、ノ 皇墜る菩1:      13

V

53

)に は, 六牙

猟師

え る

に 「私が これ を FJ

S

..るの ば帝 釈 天 ・

王 ・

位 を望ん で で は な く , こ の 牙よ り 一

切知

方が に は 酉千 催 も愛 しい か らである。 こ の 善行 (

pufifia

)が 私の 切 知 性

智獲 得

pativedha

) の 助縁 と な り ますよ うに 。」と 言 っ て与え, 死ん で い っ た とあり,

Vessantara

jataka

No

547

, 

II

5

17

)に も,子 供をバ ラモ ン に与 え る時に ,一切 知 性智へ の 誓願 (

patthana

)を な して 水 を灌 ぎ, !私に は子 供よ りも一切 知 性 智の が 百千倍 ・十 万

」 とっ た とある。

 

ま た

Nidanakatha

で も, 

Sumedha

せ なが ら 「私は一切 知 性

(sabbafifiuta , 

thams

 cad  mkhyen  

pa

して 天界を

む 世界 の

となり, 人々 の た め に教えを説 き, 多 くの 人 々 を

そ う。」との 決 意を 明 らか

に し てい る とこ ろ が また ,

大な る人 (mahapurisa ,  skyes  

bu

 che −

npo

軍を破 っ て菩 提 座に て 一切知 性智 (thams  cad  mkhyen  

pabi

 

ye

6es

)を得た こ と,た後に七 日間そ こ に留まっ てい た こ とが述べ られ ,最 後

の ところ に は,大

提座に おける

切知 性 獲 得 (sabbafifiutapatti

は一 切

t5

・ 

thams

 cad  mkhyen  

pahi

 

ye

 

9es

 

thob

 

pa

い う

        (41)

語 も見える。

 

こ の 一切知 性切 知 性智 とい う言 葉は 北 方 仏 典 の 「一 切種

」Sarva −

j

丘ata , sarva 担aliana に相 当 し よ う。 し か し, こ こ で は仏

の知 とい う例 も

ある が 主に

菩薩

獲 得

き 目 て の

1

お り , 「全 知 全       (42)

な る者

Omniscient

と して の

知 」とい う結 果 とし て の

な知を指

に まで は な っ て い ない よ うに

わ れ る。

方 仏

で も…切

, 一 切 種

とい う言

が単に

を意 味 して い る場 合が認め られ, 宙 北 共 通の 要 語と言 うこ とがで き, 相互 の 往 来が 想 定され る。 しか し, 「 一 切知 性

智 獲 得

助 縁となりますよ うに 。」とい う

願文

は 北

方仏典

に は 見

し難い も の で あ       (43 り, 南

方側

独 自の

現 と言 っ て よ か ろ う。

 

こ の

こ の 作 品の 特 徴 として は ,

菩 薩

に 対す る授 記が

に過 去 仏に よ る も の と

ま っ てい ない こ とで ある。

5

Sirigutta

王は

Yakkha

か ら 「

に 子供を与えるな らぽ, 汝は未 来 世に お い て世 界の 中の 仏 と なる で あろ う。」と N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

参照

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