Kyushu University Institutional Repository
Entretien: Quand un psychiatre troublé prend la
plume (II)
松嶋, 圭
辻野, 裕紀
九州大学大学院言語文化研究院 : 准教授
https://doi.org/10.15017/2560382
出版情報:言語文化論究. 44, pp.85-95, 2020-03-13. Faculty of Languages and Cultures, Kyushu
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作家として(承前) 辻野:それでは、次に、作家としての〈書く〉という仕事と、精神科医としての臨床の仕事との関 係性について考えてみたいと思います。〈精神科医という仕事が書くという仕事にいかに活か されているか〉という問題です。私なりに仮説を立ててみると、精神科医療の対象となる主 要な疾患、例えば、夙にエミール・クレペリンが大きく二分した、統合失調症と双極性障害 というのは、いわゆる内因性精神病で、器質的な疾患ではないので、当然 CT や MRI などで 明確に鑑別をつけられるものではないですよね。最近では、光トポグラフィーのような非侵 襲的な方法で抑うつ症状の鑑別を補助的に行なう病院もあって、メディアで取り上げられた りもしていますが、基本的には、クレペリンを鼻祖とする〈記述精神医学〉に拠って立って いて、例えば、アメリカ精神医学会の DSM も記述精神医学に基礎を置いています。かつて は、リュムケの言うプレコックス・ゲヒュールで統合失調症を看破するというようなことも あったようですし、斎藤環さんは、皮膚科の診断学と精神科の診断学は通ずるところがあっ て、精神分析家のディディエ・アンジューなどを引きながら、皮膚科と精神科には「外胚葉 仲間」とでも呼ぶべき親和性があると述べています(『承認をめぐる病』、日本評論社)。こう したことを基に考えると、精神科医の仕事というのは、患者の観察可能な行動や状態を感知 する力とか、微細なる兆候を敏感に察知する能力とか、あるいは、中井久夫さん的に言えば、 微分回路的認知のような直感力が要請されると思うのですが、そうした繊細な人間観察力み たいなものが小説を書くという営為に活かされることはありますか。あるいは、統合失調症 の患者さんの独特の思考形式や世界把握、例えば、〈フォン・ドマールスの原理=述語思考〉 とかいろいろあると思いますが、そういったものから創作のインスピレーションを得るとか。 不謹慎な言い方かもしれませんが、精神科病棟にはある種のアジールのような側面もあって、 異常とか狂気のスティグマを負わされた当事者たちには、小説のヒントになる、物語るべき ストーリーが数多く潜在しているのではないかとも思ったりしますが。 松嶋:そこまで深い水準で考えたことはあまりないんですけど、もう少しざっくりと、精神科の臨 床場面で、どういった気持ちで挑むかというと、やはり人間、相手に対する興味関心を深く 持つということなんですね。そういうのを他者から持たれていない、ということで痛んだり している人たちなので。書くのも人間とか心に対しての関心から書いていて、そういったと ころで共通しているので、活かされたりしているのかなと思います。 私は昔、鹿児島に住んでいたことがあって、本の出版イベントをしてもらったので、先週 も行ってきたんですけど、鹿児島に10年来の付き合いのある、リチャードっていう、バーと
対談:悩める精神科医がものを書くとき(Ⅱ)
松嶋 圭
(精神科医 / 作家)× 辻野 裕紀
(言語学者)洋服屋さんを一緒にしたレシフェっていうお店を経営しているイギリス人がいるんですけど、 彼と話していたら、彼はもともとイエーツとか、イギリス詩の先生だったんですけど、彼は アイルランド出身ということで、それで小泉八雲の話になって、私は大好きなんですけれど も、リチャードはあまり好きじゃないと言っていて、彼曰く小泉八雲は「目の作家」で、見 て、観察して、書く作家だというふうに言っていたんですけど、その時に、私はどういう作 家かなと思ったときに、やはり精神科医としての作家というのは、「耳の作家」で、対話で相 手のことをキャッチして書くっていう循環は、精神科医という仕事と、私がしている書き方っ ていうのに接続しているのかなっていうのは思います。 辻野:「耳の作家」ですか。興味深いですね。確かに、『陽光』には、いわゆる聞き書きをライフヒ ストリーとしてかたちにして、小説としているものがたくさんありますよね。「月夜の綱引 き」とか「書き初め」とか「母と子」とか。あのような作業をするためには、極めて高いコ ミュニケーション能力が要求されると思います。医療の世界だと、「ムンテラ」という業界用 語もありますが、患者にとって、医師のことばというのは、千鈞の如く重いものです。また、 ハーバード大学のアトゥール・ガワンデが、診療科を問わず、医大生へのアドバイスとして、 患者に「筋書きにない質問をしなさい」と言っていて(『医師は最善を尽くしているか:医療 現場の常識を変えた11のエピソード』、みすず書房)、要するに、患者と病気以外の話もして、 しっかりと意思疎通を図りなさい、ということだと思うのですが、況してや、精神科という ことになると、病気の発症に心理的要因や環境要因も深く関わるでしょうから、患者とよく 対話をして、患者を全人的=ホーリスティックに把握しておくということが重要ではないで しょうか。そういう精神科医としての日々の患者との接触で磨いたコミュニケーション力が、 壱岐での取材や聞き書きにも活かされているに違いないと察するのですが、実際のところ、 どうでしょうか。 松嶋:コミュニケーション能力というよりは、さっきの話ではないですけど、「よき耳」になるとい うことだけですかね。聞き書きをしている時には、まだ本になるとは決まっていなかったん ですが、私のようなどこの馬の骨ともわからないような者に対しても、熱心に語ってくれる んです。まず「最初の記憶は何でしたか」という質問をよくしていたんですね。それから精 神科の面接みたいに、家族の樹形図を聞いたりもしたんですが、あとはこちらからあまり口 を挟まなくても語り続けてもらえたりしたんですね。その話の中身っていうのは、楽しい話 ばかりではなくて、小説にも書いたんですけど、すごくつらい経験とか物悲しい話とかも多 くて。自分の中に抑うつとかマイナスな部分とか翳りみたいなものを持っていたのが共鳴し 合って、「今までこんなことは話したことがない」とか「家族にも言ってない」ということを 話して頂けたのかなと。やはりどこか深いところで、共鳴し合ってお話をしてもらえたのか なと思います。 聞き書きをするにあたって、民俗学者の宮本常一さんの『忘れられた日本人』っていう本 を、渡辺京二さんという地元の文筆家から勧められて「これを読んでから聞き書きしなさい」 と言われて読んで、すごく参考になったんですけれども、いろんな地方の民俗学研究をする のに、聞き書き、インタビューがとても上手くて、地元に入り込んで、深いところまで話を 聞いているんですね。「どうしてこんなことができるんだろう」と思い、たまたま池澤夏樹さ んという作家が熊本に来られて、宮本常一さんのことを話されたので、その時に、どうした ら宮本常一のように聞けるのかを聞いたら、池澤さんはしばらく考えられて「魅力的な人間
になりなさい」って仰ったんですね。それは難しいと思ったんですが、私は聞き書きを1年 間やったんですけど、月に数回地元の壱岐に帰って、むしろそうやって経験を重ねていくこ とが、磨いてくれたというような印象ですね。だから、特に培った技法で、特別に引き出す という方法をとったというよりは、これは理系の人たちはあまり好きな話ではないかもしれ ないんですけど、言語外のところで何か深く繋がれたところがあったのではないかなという ふうに思います。 辻野:松嶋さんの抑うつとかマイナスな部分とか翳りとかが相手のそれと共鳴し合って話が聞き出 せたというのは、『陽光』の最後に収められた掌編「ジュニアパイロット」の中の「話を聞く ということ。それはつまるところ、共鳴なのではないか。聞き手の側に古傷が一つも無かっ たとしたら、声を届けてはもらえなかったかもしれない」という一節とリンクしますね。非 常に印象的です。このフレーズに、作家や医師といった、分節可能な、表層的な側面を超越 した、ホーリスティックな存在としての「松嶋圭」という人間が集約されているような気が します。また、これを読んで、ゲルトルート・シュヴィングの著作『精神病者の魂への道』 も併せてふと思い出し、患者の傍に静かに坐していることを重要視する医療者の精神と相通 ずるようにも感じました。 それから、実は、私も最初に『陽光』を拝読したとき、宮本常一のことを即座に思い出し ました。文学を越えて、宮本常一や山口麻太郎などの民俗学的思考にも連なっていくような 奥行きを感じました。特に、柳田国男の影響で民俗学研究を志した、郷ノ浦出身の山口麻太 郎は、既に大正時代の中期から壱州弁を逓伝しようとする運動を行なっていたようで、松嶋 さんの試みもそうした系譜に位置付けられるかもしれませんね。 ところで、その聞き書きにあたって、ご苦労はなかったでしょうか。例えば、方言を聞い てそれを正確に文字化するというのは、言語学者でも困難が随伴する作業ですし、そもそも お年寄りに話を聞くというのも、なかなかエネルギーを要します。私も、韓国の地方で方言 調査をすることがありますが、まず、インフォーマントを探すことから大変です。それから、 松嶋さんのフィールドワークとは性質が違いますが、こちらが知りたい言語学的な内容を限 られた時間で効率的に聞き出すのはかなり苦労します。ある程度、場数を踏まないと、上手 に聞き出せないと思いますが、松嶋さんの場合はどうでしたか。 松嶋:あまり意図して、整理して聞こうとは思わなかったんですよね。 辻野:言語調査とはまた目的が違いますしね。 松嶋:聞きながら注意したことは、その人の話の中に、やはりその人の物語というか、鍵のような もの、核になるようなものがしっかりあって、それをちゃんと拾って、物語にするというこ とが大事だったので、その人の鍵とか文脈みたいなものをきちんとキャッチするようにする ということだけですね。だから、整理した話を聞こうというふうには思わなかったんですね。 それがうまくいけば、成功だろうなと。 方言について言うと、これも渡辺京二さんに勧められて、みなさんもご存じだと思うんで すけど、熊本の作家で、亡くなられましたが、石牟礼道子さんの、ことばを生のまま文字に 移すようなことをぜひやってみようとトライしてみたんですけど、私の16篇の短編の中には、 標準語っぽい小説仕立てのものもあれば、聞いたものをそのままみたいな、方言をそのまま 書いたというようなテイストのものも入っているんですね。そして、そのままの方言ではあ まりにもきついので、読者には分からないんじゃないかと不安になって、どうしようか、と
編集者とやりとりしながら考えたこともあったんですけど、ある時、長野に用事で行った時、 長野には栞日っていう、いい感じの本屋さんがあるんですね。そして、そこの2階がカフェ スペースになっていて、そこで本を読んでいたら、たまたま私が聞き書きしていたうちのひ とつの、『アルテリ』っていう雑誌に「書き初め」っていうきつい方言をそのまま記載したも のがあるんですけど、その『アルテリ』を女性のお客さんが手に取って読み始めたので、声 をかけて、「それ、私が書いたんですけど、方言がきついのをそのまま本にするか、少し標準 語のように変えて読みやすくするか、どうしようか迷ってるんです」と話をしたら、その人 が、長野の生まれ育ちだったんですけど、「それはぜひそのまま本にしたほうが良い」、「たぶ んことばは失われていくもので、高齢の人たちのことばは変わっていくであろうから、それ を残しておくことに意味があると思うので、ぜひそのまま本にされるのが私はいいと思いま す」と仰って、それで絶対にそうしようと思ったんです。そういうわけで、ちょっと意味が 通じないかなと思うところもあったんですけど、そのままでいこうとその時決めました。 辻野:すごい偶然の出会いですね。私もその選択は良かったと思います。すべての作品が方言だと 読者層が限定されてしまうかもしれませんが、『陽光』には同時に、共通語の作品もいくつも 収録されていて、言ってみれば、日本語の〈非均質性〉、〈ダイグロシア性〉が可視化された テクスト群になっています。やはり、方言はいいですよね。文学作品に方言が出てくると、 ヴァーナキュラリティのようなものが自ずと生起して、共通語のみで貫かれた作品よりも、 必然的に掬すべき滋味が滲み出てくるような気がします。そういえば、文学作品の中に方言 をふんだんに取り入れた文学者としては、『まるめろ』などを書いた、津軽詩人の高木恭造が いますが、彼も医師でしたね。精神科医ではなく、眼科医だったと思いますが。 ところで、松嶋さんご自身の母方言も壱岐方言ですか。育ちは福岡ですよね。 松嶋:生まれは壱岐で、育ちは福岡で、夏休みに帰るというぐらいだったので、あまり方言とかも 分からないし、だから録音して、文字起こしして、創作して話している部分はネイティブ チェックじゃないですけど、壱岐の人が読んでもおかしくないように、全部細かくチェック をした上で作りました。 辻野:そうですか。私の方言調査の経験では、とりわけ、インフォーマントが高齢者の場合は、入 れ歯で、articulation、医学では「構音」と訳しますよね、我々言語学者は「調音」と言って いますが、それがうまくいかなかったりとか、加齢による声帯萎縮のせいか、気息性嗄声で 聞き取りにくいとか、誤嚥して頻回に咳き込むとかいうことがしばしばあるのですが、そう いうことはありませんでしたか。 松嶋:聞き取れないのも、テープ起こしを頑張る(笑)。でも、やはり、さっきも言ったように、 ディテールは後で直してもらったりすればよくて、聞いているときに一番注意したのは、核 を拾うということ。それがどうしても大事だと思っています。 有名な本ですが、フランクルの『夜と霧』という、ナチスの収容所での経験を基に心理学 者が書いた本があって、原題は全く違って『心理学者、強制収容所を体験する』というタイ トルなんですが、その中でフランクルが収容所内で、苦しくて自殺を考える人がどうしても たくさん出てきて、そういう人は必ず「生きるとは何か」ということを問いかけて、今の自 分の生活を考えると、生きる意味を感じられない、と。だから、意味がないから死ぬ、とい う流れになってしまう人がいて、でも、それに対してフランクルは、どうやってそれを止め るかというのを考えた時に、これはとてもコペルニクス的転回だと思うんですけど、むしろ
生きるとは何なのかということを問うのではなくて、自分が生きているということが自分に 何を期待しているのかと、生きることから自分は何を期待されているのかと考えて、それに 自分たちは答えなければいけないと。その答えは観念的なものではなくて、それぞれに具体 的な、何をするかっていうことを答えろっていうんですね。具体的な例としては、フランク ルの周りにいた人では、収容されて生き別れている息子がいるから、終わったら帰って息子 をしっかり育てよう、というのがあなたの答えだと。ある人は、学者で連続物の論文を書い ていたんだけど、最終巻をまだ出していないと。だから戦争が終わったら、その最終巻を仕 上げるんだと、それがあなたの具体的な答えだと。そうすると、そのふたりは死なずに済ん だという話があって。私は聞き書きをずっとしていて、捕まえたかったのは、それぞれの人 のフランクルの言う答えみたいなもので、どうそれを捕まえるかっていうのが聞き書きでト ライしたことで、たぶん書き終わったものを、みなさんに読んでもらうことができて、聞き 書きさせてもらった方々にも喜んでもらえたので、インタビューしたふたりの時間でそこを 捕まえることが出来たのかなというふうに実感はしています。そこがコアで、細かいこと、 聞き取れなかったことはそれはそれでいいかな、というふうには考えていました。流れがき ちんと整っているとかいうのもどうでもいいかなと。『陽光』には、短編が16篇あって、自 分のルーツを探る部分と聞き書きの部分と大きく2つあって、自分の兄弟のこととかが抜け てたりするんですね。よくそのことを言われたりもするんですけど、それも同じで、きちん と整合性がとれた年表を作ろうと思って書いているわけではないので、自分の興味があると ころに行って、空白があってもいいので、断片を描ければいいのかなと思ってやっています。 医療と文学のあわいで 辻野:松嶋さんは、医療の世界と文学の世界のあわいにいて、日々双方を往還されているわけです が、医療の世界というのは、例えば、WHO による ICD-10という、確たる国際疾病分類があ り、精神医学であれば、DSM-5というアメリカ精神医学会のマニュアルがありますよね。「標 準治療」ということばもありますが、端的に言って、医師には、標準的=スタンダードなマ ニュアルに基づいた、医療的振る舞いが要請されると思うんですね。医療史を繙いてみても、 19世紀のフランスのピエール=シャルル・ルイやクロード・ベルナールなど、先賢たちの許 多の苦闘を経、時間の関係上、あいだは飛ばしますが、1992年には、アメリカ医師会雑誌に 「EBM 宣言」とも称呼される論文が掲載されて、爾来、医療の世界というのは、エビデンス に基づいたガイドラインに沿うということがまずは金科玉条みたいになっているような印象 を受けます。 それに対して、文学の世界というのは、創造の世界で、いかにオリジナリティや個性を出 すかということが重要視され、凡庸なものは避けられるわけですよね。そこには、当然マニュ アルもないし、エビデンスも問題視されません。アメリカの日本研究者であるノーマ・フィー ルドは「文学とは証明できない真実を表現するもの」と言っていますが(『ノーマ・フィール ドは語る:戦後・文学・希望』、岩波書店)、正鵠を射た剴切なる名言だと思います。 それから、プラクシスとしての文学に限らず、学問としての人文学の沃野全体を見渡して も、パトリシア・チャーチランドの消去主義的唯物論のように、物質としての脳の機能から 心を照らすといったような哲学の潮流もありますが、概して自然科学ほどはエビデンス、エ
ビデンスと言われることはないように感じます。「エビ厨」(エビデンス厨)ということばも あるぐらいですからね。このように考えていくと、医療の世界と文学の世界というのは、一 見、互いに背馳する世界、仮名に言えば、志向性が真逆の世界のようにも見えるのですが、 そのへんについてはどうお考えですか。 松嶋:患者さんのために、標準的で、正しいものを提供するっていうのが医療なんですけれども、 書くときは基本的に自分本位で、正義のために道徳の教科書を書くつもりはないですし、標 準的なものを提供するということもないので、全然違う営みだなあと思う部分はあるんです けど、ただ、やはり前にも言いましたが、関心が人間とか関係性とかに向くし、書くにあたっ て今回のような聞き書きとか、診察室を移し替えたようなことを繰り返すこともあって、ど こかでやはり繋がるところがあるなあとも思います。 凡庸さについてなんですけど、私はあまり凡庸であることが悪いとは思っていなくて、オ リジナリティを声高に訴えるほうが、むしろ凡庸じゃないかという感じがするんですけど、 例えば、診察室に来たうつの人の悩みを聞いて、「またあなたもその悩みですか」とか「もう ちょっとオリジナリティのある悩みを持って来てください」とは言わないわけですよね。そ んなことも思わないし。その人のかけがえなさとか、固有性、意味っていうのは、突飛であ るかっていうのとはまた別なので、核心を捉えたちゃんとしたものを書けば、それは凡庸で あろうと、それには価値があると思います。 辻野:なるほど、そういう見方もありますね。面白いです。 それから、医学医療と文学の類似点として、いずれも人間という「なまもの」を対象にし ている点、そして、医学医療も文学も、人類が生き延びていくために編み出した叡智の賜物 だという点があって、例えば、医学書を繙くと、〈全人的苦痛=トータルペイン〉という概念 がありますよね。つまり、ペイン(痛み)には4種類ある。身体的苦痛、心理的苦痛、社会 的苦痛、そして、スピリチュアル=霊的苦痛の4つで、これらは、WHO の定義する4つの 健康に各々対応するものです。ところが、精神科以外の科では、おそらく、身体的苦痛しか 扱えないですし、精神科では、心理的苦痛も範疇に入ってきますが、社会的苦痛やスピリチュ アルな苦痛まで療治するのは非常に困難だろうと愚考します。一方で、文学は、優れた向精 神薬のように、著効するわけではないですが、パレのことばともトルドーのことばとも言わ れている有名な格言「治すことは時々できる、和らげることはしばしばできる、慰めること は常にできる」を引くまでもなく、医学医療が治し得るものは限られていて、そうした医学 医療の限界を文学や人文学が何とか支え、人間の不可避的な痛苦を相互補完的に緩和させて いるように私には思えます。この意味においては、散々役に立たないと言われて、その存在 感が落魄しつつある文学や人文学も十分、世の役に立っているのかなと思ったりもします。 松嶋:医学って実用的で役に立つものみたいで、文学って批判されるときには役に立たないみたい に言われたりするんですけど、小説って、さっき、フィクションをなぜ読むのかっていうこ とについて語ったりもしましたけど、何はともあれ、多くの人はフィクションを読むってい う営みをしますよね。それが高尚なものでなくても、それがエンターテイメントなものであ れ、それを楽しむっていうことが日常の中にあるわけで、やはり、人がフィクションになぜ 触れるのかっていうのは、科学的なものとは違う真理にアプローチしたいというところが深 層にあって、気づいていないけれど、フィクションを読むっていうのは、どんなものであれ、 形而上学的、哲学的な営みだと思うんです。それは西洋医学のアプローチだけでは接近でき
ない、人間の接近の仕方だと思うので、現に実際、存在し続けているわけだし。これだけか なりの名著が出揃っても、これから新しいものにトライする人間は、私も含めて、出てくる し、新しいものを読むわけなので、そこにはやはり意味があるとしか考えようがないという ふうに思います。 辻野:さっき、ヴィクトル・フランクルの話をされていましたが、彼の別の本に『生きる意味を求 めて』っていうものがありますよね。その中で、彼が「治療としての書物」とか「読書によ る癒し」という問題を挙論していたことをいま思い出しました。 医師と教師 辻野:私は〈研究者〉であると同時に〈教師〉という立場でもあって、松嶋さんは〈医師〉という 立場ですが、医師と教師の共通性、類似性についても少し考えてみたいと思います。私は、 精神科医に求められる素質と教師に求められるそれは似ているところがあるのではないかと 思っていて、例えば、オーストリアの精神科医で、自己心理学の創始者でもある、ハインツ・ コフートが、患者が治療者に求める心理ニーズとして、〈鏡機能〉、〈理想化機能〉、〈双子機 能〉の3点を挙げています。これは治療者側から見ると、〈鏡機能〉とは、患者を褒めてあげ るとか、励ましてあげるということで、〈理想化機能〉とは、「この医者なら絶対に大丈夫だ」 と思わせること、それから、〈双子機能〉とは、医師といっても、別世界の人間ではなくて自 分と同じ人間なのだと、親近感を患者に感じてもらうこと、というように平たく解釈可能だ と思うのですが、これらは、教師に求められる要素とぴったり一致しているように思うんで すね。学生の努力や能力を称揚してあげる、圧倒的な知的アウラで〈ミメーシス〉(感染的摸 倣)を喚起する、でも、ちょっとかわいらしいところや弱点、人間味も流露して親しみが自 ずと生起するような、そういうことが、損得勘定なしに、内発的にできてしまうような人が、 天性の教師だと思います。 それから、教師の「臨床」現場は、病院のように、人の生き死にに直結するような切迫し たものではありませんが、眼前の学生が一体何が分からないのかということを、学生の稚拙 なことばや表情から犀利に読み取って手当てをするとか、あるいは、いかなるマインドセッ トの学生で、いかなる知的背景を有しているかを瞬時に診断しつつ、相手のレベルに合わせ て、処方箋を出すということを日々しないといけないわけです。これは、言い換えると、以 前私がある論文に書いたことですが(「言語教育に伏流する原理論的問題:功利性を超えて」、 『言語文化論究』37、九州大学大学院言語文化研究院)、〈教える:学ぶ〉というような非共 軛的な関係にあっては、権力関係は別として、構造的には教える者が学ぶ者のもとに傅かざ るを得ないというところがあって、思想家の柄谷行人さんのことばを借用すれば、「教える立 場は、学ぶ側の恣意に従属せざるを得ない弱い立場にある」(『探究Ⅰ』、講談社)というふう にも言えると思うんですね。そして、医療現場においても、医療社会学者のエリオット・フ リードソンが『医療と専門家支配』の中で論じていたかと思いますが、医師と患者には上下 関係があり、少なくとも医学的知識の多寡という点では、医師と患者の間には普通、位階差 があるわけです。だからこそ、〈医療パターナリズム〉という術語があるわけですし。一方 で、患者の疾患が寛解し、最終的に完治してはじめて、十全の医療行為が成就したと言える 側面もあって、この意味においては、医師と患者の上下関係が顛倒しているわけです。松嶋
さんご自身は教壇に立つ「教師」ではありませんけども、オーベン(指導医)として、研修 医を臨床の現場で指導するという経験が豊富におありだと思いますが、医師と教師の共通性、 類似性について、もしお考えのことがあれば、教えてください。 松嶋:そうですね。医師も教師も「先生」というふうに呼ばれるんだけど、どっちも「先生」と呼 ばれるような人間ではない人種だっていうことが共通点だと思います(笑)。そんなに大した ものではないと考えています。結構大変で報われないことが多い、けど、報われないので、 小さいことに幸せを見つけやすい。あとは、やはり、やりがいのある仕事、ということぐら いですかね。 辻野:謙虚ですね。医師も教師も大したことはないと。いや、私はいずれも立派な職業だと思いま すよ(笑)。最近、患者を「患者様」って呼ぶ風潮があるじゃないですか。それについてはど うですか。思想家の内田樹さんが、患者を「患者様」と呼んで、「お客様」扱いする風潮が医 療崩壊を齎したというような旨のことを書かれています(『街場のメディア論』、光文社)。医 療崩壊は、ビジネスモデルで医療を把捉したことの帰結であると。教育についても同断で、 ニーズなどといった、経済の語法で教育を語ること自体が愚昧だと私は思っています。 松嶋:ディテールの議論はあまりどうでもいいかなと。受診している患者さんは「この病院は患者 さんって呼ぶな、あの病院は患者様って呼ぶな」っていうのは気にして受診してはいないと 思うので、あまり大したことではないんじゃないかと思っています。 辻野:私は、こうした問題を日々考えているので、気にします。枝葉末節なことのように思われる かもしれませんが、ことば遣いひとつひとつに、その病院の理念や患者観が仄見えるような 気がしています。職業柄、ことばに過敏なせいもあるでしょうが。大学でも、そのうち学生 を「学生様」なんて呼ぶようになるのではないかと、本気で危惧していて、これはあながち 荒誕な予見ではないと思うのですが(笑)。授業アンケートの実施などもそうですが、今の流 れでは、教員の権威が失墜し、大学教育が機能不全に陥ること必定です。 松嶋:この間、東京のエッジの効いた本屋さん何店かの人たちのトークイベントに行ったんですよ。 本屋がなくなりつつあることへの危機、みたいな話で。病院が少なくなっているとか、経営 が難しくなっているとか、大学がどう、とかいう話と、規模は違えど共通したところがあっ て、そのイベントである人が言っていたんですけど、「町のちっちゃな本屋さんがなくなる、 大変だ、困る」と言うけど、誰が困るのかなとよく考えたら、その本屋さんが困るだけで、 読者は本当は困らないので、なくなるべきはそれはしょうがなくて、むしろ新しい本屋さん を建てようと思っても建てにくいというシステムに問題がある、というようなことを仰って いました。学ぶ者も学ぼうと思えばいつでも学ぶことができるし、患者さんも治療を受けよ うと思えば受けられるので、まあ、そんな感じです。 『陽光』をめぐって 辻野:では、いよいよ、最後に『陽光』について語りたいと思いますが、改めまして、『陽光』出 版、おめでとうございます。たいへん興味深く、にれかむように、拝読いたしました。帯を 書かれていた、渡辺京二さんの著書『逝きし世の面影』ではありませんが、〈逝きし壱岐島の 余映〉を、壱岐を知らぬ者にもありありと想像させるような、素晴らしい作品になっている と思います。
まず、タイトルについては、いかがですか。なぜ『陽光』というタイトルになったのかと いう、タイトルに込めた思いを聞かせていただけたらと思います。 松嶋:小説の中にもあるんですけど、壱岐で生まれたんだけど、ホームグラウンドは福岡で、夏休 みだけ祖父母のいる壱岐へ帰るっていう習慣になっていたので、夏の思い出っていうことで、 陽の光、陽光というふうにしたんですけど、あとは、たくさんの人の聞き書きをする中で、 憂いのある話とか悲しい、困った、とか、どちらかというと、雨とか曇りの話が多かったん ですね。でもその中で、希望や救いを希求するっていうような、前向きさも常に感じられるこ とだったので、陽の光を求める、といったこともあって、『陽光』というタイトルにしました。 実は『陽光』っていうタイトルなのに、装丁は雨の絵で、頼んだ画家さんすごいなって思っ たんですけど、ある週末に、1泊2日で装丁の画家さんに壱岐に来てもらって、風景を見て もらって、フィールドワークした上で描いてもらったんですね。それで、できた絵が曇り空 の雨の絵で、そこは画家の方が感じてくれたのかなと。すごく気に入っています。 辻野:そうですね。私も、松嶋さんから刊行されたばかりの『陽光』をいただいたとき、何よりも まず、本の意匠、佇まいが、固有の馥郁たる香りを醸し出しているようで、美しいなあと思い ました。色調も素敵ですし、水滴のリアルさからは、韓国の美術家の金昌烈を想起しました。 「陽光」とか「ジュニアパイロット」の中で、松嶋さんご自身のある種の自伝的小説みたい な形になっているところがあって、どこまでがフィクションで、どこまでがファクトなのか、 曖昧模糊としているところが散見されて、そこもひとつの魅力かなと思います。こういうこ とをお聞きするのは無粋かもしれませんが、これは完全にフィクションだとか、これは完全に 誇張したとかいうところがあったら、支障のない範囲で、ぜひ教えていただきたいのですが。 松嶋:フィクション作品なんですけれども、基本的には、ノンフィクションベースというか、実際 にあったこと、もしくは私が直接経験してなくても、母が経験してきたことを私が経験した 形にしているところも少しはあったりするんですけれども、9割方事実みたいな感じなので、 何も言われなかったら本当のノンフィクションにしか見えないと思うんですけど、どうして 創作を加えるか、今回のことに関して言うと、全く新しい話を付け加えるというよりは、い ろいろ聞き書きをしていくと、どの話も全部面白かったので、創造性、インスピレーション を刺激されるんですよね。もしかしたらあり得たかもしれないもうひとつの未来とか事実と か、語られてはいなかったけどこんなことが実はあったんじゃないかとか、こういう会話が あったんじゃないか、とか。どちらかというと、起きていた事実の強度を強めるというよう な形で創作を加えたという感じです。インタビューをしていく中で思い浮かんできたことも 含めてまるっとドキュメントしたという形で、大方ノンフィクションが多いかなと。でも、 意外と、みなさんが創作かなって思われるところが事実だったり、ここは事実だろうってい うところが創作だったりというところはあるんじゃないかな、と思います。感想を聞いてい て、何回かそういうことがあったんですね。 辻野:「まとめ」に近い話になるんですけれども、『陽光』を読んでいると、圧倒的な生への肯定と 言いますか、ありとあらゆる人間の人生を無条件に肯定する、松嶋さんの人間的な温かさや 繊細さを強く感じます。日本が戦争によって沈淪していた頃など、あまり豊かではなかった 時代を壱岐で懸命に生き抜いてきた様々な人たちの個人史を顕現させることによって、壱岐 の郷土史の総体を朧げながらも描き出すと同時に、壱岐とは直接ゆかりのない人たちにとっ ても、自身の個人史を顧瞻してみたり、家族や故友など、入れ替え不可能な、唯一無二の人
たちの人生に思いを馳せる動因になるのではないかと思います。そして、おそらくその底流 に常に在るのは、ある種の郷愁だと思いますが、郷愁というと思い出すのが、最近読んだ、 ブラジル文学者の福嶋伸洋さんの『リオデジャネイロに降る雪:祭りと郷愁をめぐる断想』 (岩波書店)に引用されていた、詩人セシーリア・メイレーリスの「わたしたちの現在は、未 来にふれるやいなや、それを過去に変える。生とは、絶え間なく失うことである。生は、そ のため、絶え間ない郷愁(サウダーヂ)である」ということばで、今を生きる私たちの時間 も、またいつしか回想され、物語られる対象に変容していくわけです。だからこそ、残され た生をこれからも丁寧にあざなっていきたい。『陽光』は、そう深く思わせてくれるような、 未来志向の向日的な作品になっていると感じました。 麻酔科医の外須美夫さんのご本に引かれていたのですが(『命をみつめる言葉 麻酔科医ノ オトⅤ』、大道学館出版部)、内科医でもあり歌人でもあった上田三四二が、大患を患って、 次のような短歌を遺しているんですね。「痛み涸れ腫れひきてわれを生かしむる医薬のみとは おもはぬものを」。この「医薬以外」というのは、いろいろな要素があるでしょうが、やは り、文学の力、ことばの力というものがきっと多くを占めていただろうと思うんですね。で すので、医学と文学の双方を知悉した松嶋さんには、向後も、医学の力とことばの力を総合 して、病める人も、未だ病めぬ人も、癒していっていただきたいと心から庶幾します。 それでは、時間ですので、最後に、冒頭に提示していた問い〈精神科医がものを書くとは いかなる営みか〉についての現段階での解を松嶋さんの方からお話しいただければと思いま すが、いかがでしょう。 松嶋:「耳で書く」というふうに言ったと思うんですけれども、精神科医がものを書くというのはつ まるところそういうことだと思います。壱岐で聞き書きをしていたときに、先ほどちょっと 言っていただいたような、広がりみたいなもの、私が作ったものというよりは、私は単に、 ただの耳だったと思うんです。むしろ語り手が何をしていたかっていうのが、そこに包括性 とか、ホーリスティックなものがあったんだと思うんですね。それはどういうことかという と、高齢の方が多かったんですけれども、それは私の耳に語っていると同時に墓石、先祖に ストーリーを語っていたんだと思うし、今はいない将来の曾孫のその次の代とか、そういっ た人たちにも語っていたというか、そういう感じで物語をご自身で紡いでいたと思うので、 あまり科学的ではないと思うんですが、その場にいたのが私と語り手だけじゃなくて、ご霊 前だったりもしたので、そういう方もいた感じがする、そういう意味でホーリスティックな 物語になったのかなというふうには思っているんですね。うまく小説が機能したとしたら、 そういう語り手の紡ぎ方に大きく包摂するようなものがあったんだろうというふうに感じて います。 これを読んで壱岐に興味をもって、行きたくなりました、というのも嬉しいんですけど、 やっぱりこれを読んで自分の故郷だったり、ルーツとかと対話をすることがありました、と 言っていただけるのが嬉しいです。どうしてルーツやそういう郷愁的なものが必要だったり、 意味を成すのかっていうと、これから未来をどう生きるかっていうのを、例えば私であれば、 何を次に書くかだったりするんですけれども、その時に今の自分の生活とか考えとかで、次 はどう書くかとか、人生をどう選んでいくかっていうのだけでは心許なくて、やはり過去と かルーツとか郷土とか、そういった昔と今の自分との対話の中で、未来を選び取ったり、何 かを創っていったりということに、意味が生まれると思うので、そういったことがうまく描
ければいいなと思っています。 辻野:ありがとうございます。まだまだ話したいことはあるんですけれども、既に時間を超過して しまっていますので、今日の講演会は以上にしたいと思います。最後に、松嶋さんに大きな 拍手をお願いします。 *本稿は、2018年11月28日(水)に九州大学伊都キャンパスにて行われた対談「悩める精神科医が ものを書くとき:松嶋圭 × 辻野裕紀」の後半を文字化した原稿に加筆修正を施したものである。 文字起こし作業は、荒牧弓雅さん(九州大学教育学部2年)が行なってくれた。ここに感謝申し 上げたい。なお、対談の前半は、本誌第43号に掲載されているので、併せてご覧いただきたい。