欧州統合とアイルランド労働党 : 政党政治の欧州 化に関するケース・スタディ
著者 力久 昌幸
雑誌名 同志社法學
巻 63
号 1
ページ 385‑418
発行年 2011‑06‑30
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013792
欧州統合とアイルランド労働党 三八五同志社法学 六三巻一号
欧州統合とアイルランド労働党
︱
政党政治の欧州化に関するケース・スタディ︱
力 久 昌 幸
︵三八五︶ 一 はじめに
一九七三年にアイルランドが現在のEU︵
European Union
︶の前身であるEC︵European Communities
︶加盟を果たしたとき︑加盟国の中でも経済的に最も遅れた位置にあった︒ところが︑一九九〇年代後半からの﹁ケルトの虎︵
Celtic
T iger
︶﹂と呼ばれる空前の高度経済成長により︑二一世紀のアイルランドはEUの中で経済的に最も発展した加盟国の一つに数えられるようになったのである︒
たしかに︑EC加盟から﹁ケルトの虎﹂以前までの二〇年間ほどの経済パフォーマンスは︑加盟国の中で特筆すべき
ものではなかったし︑世界金融危機の影響を受けた二〇〇七年末のバブル崩壊は相当程度大きな打撃をもたらしたと言
うことができるが︑EC加盟後のアイルランドが︑経済的に大きな変化を遂げたことには変わりないだろう︒そして︑
欧州統合とアイルランド労働党 三八六同志社法学 六三巻一号 ︵三八六︶
アイルランドの経済発展に対するEUの貢献は︑地域政策を通じた道路︑空港︑港湾などの社会資本整備︑さらには︑
市場統合の進展によりアメリカなどの外国企業によるEU市場を視野に入れたアイルランド進出を促進したことなどを
含め︑非常に大きなものであったと言っても過言ではない︒
アイルランドにおけるこうした経済的な変化は︑社会的な変化とも結びついていた︒かつてアイルランドは︑工業化
や都市化が進展したヨーロッパ諸国とは対照的に︑農業が主要産業となる農村社会の色合いが強い国であった︒ところ
が︑経済発展の進展とともに経済における農業の比重が低下することになり︑それとともに農業従事人口も減少し︑農
村から都市への人口移動︑すなわち都市化が急速に進むことになったのである︒経済発展と都市化の進展は︑人口の九
割を占めるカトリック教徒に対する教会の影響力の弱体化をもたらした︒妊娠中絶禁止は継続しているが︑離婚や避妊
具販売の合法化が実現し︑カトリック教会の影響力の下に社会的保守主義が顕著なアイルランドにおいても︑自由化や
世俗化の流れが確実に進んでいるように見える︒さらには︑社会の中における女性の地位も︑男女差別を禁止するEU
指令の貢献により︑以前とは格段の向上が見られるようになった︒
加えて︑EUにおける人の自由移動の確立に向けた努力や二一世紀に入ってからの中東欧諸国のEU加盟は︑アイル
ランドにおける急速な経済発展と相まって︑移民の流入を飛躍的に加速させた︒かつて貧しかった頃のアイルランドは︑
アメリカやイギリスなどへ移民を送出する国であったが︑﹁ケルトの虎﹂となったアイルランドは移民受け入れ国に変
わったのである︒これまで比較的同質的な社会を維持してきたアイルランドは︑徐々にではあるが多民族多文化社会の
方向に動きつつあると言ってもいいだろう︒特に︑繁栄の中心である首都ダブリンは︑世界の主要都市と遜色のないコ
スモポリタン都市となっているのである︒
EUのインパクトが主要な要因であるか否かについては議論の余地があるかもしれないが︑EC加盟後のアイルラン
欧州統合とアイルランド労働党 三八七同志社法学 六三巻一号 ドが︑上記のように経済面︑社会面で大きな変化を遂げたことは明らかであろう︒それでは︑EUのインパクトによる
政治面での変化はどのようなものだったのだろうか︒
政治面での変化について︑EUの影響をはっきり見ることができるのが︑さまざまな政策分野における変化である︒
すでに見たように︑男女差別の解消に向けた努力については︑EUからのインパクトが大きな役割を果たしていた︒ま
た︑EUの地域政策はアイルランドの地域開発や社会資本整備を大きく促進することになった︒さらに︑EUの共通農
業政策は︑アイルランドの農業に対する支援を飛躍的に強化することになったのである︒加えて︑欧州単一通貨ユーロ
への参加は︑アイルランドの金融財政政策に対するEUの規律を強化することになった︒その他︑環境政策から外交政
策に至るまで︑幅広い政策分野でEUの影響が垣間見られるようになっている︒
一方︑政治制度については︑EUの影響を受けた変化はそれほど大きなものではなかった︒EC加盟に伴ってアイル
ランドの政府や議会に関して大きな制度改革がなされたわけではなかったのである︒ただ︑加盟国としてEUとの関わ
りが深まるにつて︑徐々に変化も見られるようになっている︒政府機構については︑ヨーロッパ問題を取り扱う内閣小
委員会やヨーロッパ問題担当大臣の設置が見られ︑各省庁内にヨーロッパ問題担当部局が設置されることになった︒議
会についても︑EU法案を検討するためのヨーロッパ問題検討両院委員会が設置され︑近年その権限が強化されつつあ
る︒ このようにアイルランドにおいては︑政治面でも政策や制度に関するEUのインパクトを受けた変化が︑一定程度存
在することを確認することができる︒これに対して︑政治過程の主要アクター︑特に政党に関していえば︑EUのイン
パクトを受けた変化は必ずしも自明のものではない︒
そこで︑本稿では︑EUのインパクトによりアイルランド政治の中でも特に政党政治にどのような変化がもたらされ
︵三八七︶
欧州統合とアイルランド労働党 三八八同志社法学 六三巻一号
たのか︑あるいは︑変化はあまり見られなかったのか︑という問題について︑主要政党の一つであるアイルランド労働
党に焦点をあてて検討することにする︒アイルランド主要政党の中で︑唯一EC加盟に反対の立場をとった労働党は︑
その後立場を転換させ︑近年では欧州統合に積極的な立場を明確にさせるようになった︒その意味では︑労働党はアイ
ルランドの政党の中でもEUのインパクトを大きく受けた政党として数えられるが︑本稿では︑そのような欧州統合を
めぐる基本的な立場の変化に留まらず︑政策プログラムや政党組織︑政党システムや政府︱政党関係︑そして︑国家レ
ヴェルとEUレヴェルの政党関係などの諸側面に関する変化に注目していく︒
二 アイルランド政治と労働党
アイルランド労働党に対して欧州統合がもたらした影響を検討する前に︑アイルランド政治および労働党について概
観しておくことにしよう︒
アイルランドでは儀礼的権限を持つ大統領が存在するが︑政治システムの基本は議院内閣制となっている︒議会は二
院制となっており︑単記移譲式比例代表制︵
PR-STV : Proportional Representation-Single T ransferable V ote
︶による選挙で選ばれた一六六名の議員により構成される下院︵
Dáil Éireann
︶︑および︑定員六〇名のうち︑四三名は下院議員と地方議員により選出される職能代表︑一一名は首相による任命︑六名は大学卒業者により選出される上院︵
Seanad
Éireann
︶が存在する︒両院の関係については下院の優越が確立しており︑首相は下院から選出される一方︑上院は下院が可決した法案に対する拒否権を持たない︒首相は一五名以内の閣僚をメンバーとする内閣を構成し︑必要に応じて
任命される閣外大臣とともに政権運営にあたる︵
Adshead and T onge 2009 , 9 50
︶ ︒
︵三八八︶
欧州統合とアイルランド労働党 三八九同志社法学 六三巻一号 議院内閣制を基本とするアイルランドの政治システムには︑イギリスの影響が強く見られる︒この点は︑アイルランドが一九二二年までイギリス︵連合王国
United Kingdom
︶の一部であったことを考慮すれば︑驚くには値しないと言うことができるかもしれない︒なお︑一九二二年の﹁決着﹂は︑イギリスからのすっきりとした﹁独立﹂ではなかっ
た︒まず︑新たに誕生した﹁アイルランド自由国﹂は英連邦の自治領として位置づけられ︑一九四九年の英連邦脱退ま
で︑形式的な国家元首の地位はイギリス国王となっていたのである︒さらに︑アイルランド自由国はカトリック教徒が
多数派の南部二六州によって構成されたが︑プロテスタント教徒が多数を占める北部六州はイギリスに残留したことか
ら︑アイルランド島の南北分断がもたらされ︑この状況は現在に至るまで継続している︒
アイルランド政党システムにおける主要政党として
︑まず挙げることができるのが右派のフィアナ
・フォイル党
︵
Fianna Fáil
︶とフィナ・ゲール党︵Fine Gael
︶である︒両党の起源はアイルランド独立派のシン・フェイン党︵Sinn
Féin
︶分裂に求めることができる︒アイルランド自由国成立の基礎となった一九二一年の英愛条約︵イギリス・アイルランド条約
Anglo-Irish T reaty
︶への賛否をめぐって︑シン・フェイン党の党内は深刻な対立を経験したが︑その対立はやがて武力衝突を伴う内戦にまで発展したのである︒英愛条約に示された南北分断に反対して︑あくまでもアイルラ
ンド島全島独立を求める条約反対派は︑後にフィアナ・フォイル党を形成することになった︒それに対して︑条約賛成
派はフィナ・ゲール党に結集することになる︵池田二〇一〇︑一︱二︶︒
アイルランド政党システムの最大の特徴は︑独立派の流れをくむ右派の二大政党が圧倒的に優位な立場を継続してき
たということである︒総選挙におけるフィアナ・フォイル党とフィナ・ゲール党︵およびその前身となる政党︶の得票
率 ︵
を合計すると︑わずかな例外を除くとほぼ七〇%前後を占めており︑いくつかの選挙では八〇%を超えていたのであ 1︶
る︒また︑一九二二年の事実上の﹁独立﹂以降︑現在に至るまで︑すべての首相は右派の二大政党が輩出している︒こ
︵三八九︶
欧州統合とアイルランド労働党 三九〇同志社法学 六三巻一号 表 1 総選挙結果:第一選好票得票率と議席数
FF FG L PD G SF その他 投票率
1922 21.7(36)38.5(58)21.3(17) 18.5(17) 45.5 1923 27.4(44)39.0(63)10.6(14) 23.0(32) 61.2 1927/6 26.1(44)27.5(47)12.6(22) 33.8(40) 68.1 1927/9 35.2(57)38.7(62) 9.1(13) 17.0(21) 69.0 1932 44.5(72)35.3(57) 7.7 (7) 12.5(17) 76.5 1933 49.7(77)30.5(48) 5.7 (8) 14.1(20) 81.3 1937 45.2(69)34.8(48) 0.3(13) 9.7 (8) 76.2 1938 51.9(77)33.3(45)10.0 (9) 4.8 (7) 76.7 1943 41.9(67)23.1(32)15.7(17) 19.3(22) 74.2 1944 48.9(76)20.5(30) 8.8 (8) 21.8(24) 67.7 1948 41.9(68)19.8(31) 8.7(14) 29.6(34) 74.2 1951 46.3(69)25.8(40)11.4(16) 16.5(22) 75.3 1954 43.4(65)32.0(50)12.1(19) 12.5(13) 76.4 1957 48.3(78)26.6(40) 9.1(12) 16.0(17) 71.3 1961 43.8(70)32.0(47)11.6(16) 12.6(11) 70.6 1965 47.7(72)34.1(47)15.4(22) 2.8 (3) 75.1 1969 45.7(75)34.1(50)17.0(18) 3.2 (1) 76.9 1973 46.2(69)35.1(54)13.7(19) 5.0 (2) 76.6 1977 50.6(84)30.5(43)11.6(17) 7.3 (4) 76.3 1981 45.3(78)36.5(65) 9.9(15) 8.3 (8) 76.2 1982/2 47.3(81)37.3(63) 9.1(15) 6.3 (7) 73.8 1982/11 45.2(75)39.2(70) 9.4(16) 6.2 (5) 72.9 1987 44.1(81)27.1(51) 6.4(12)11.8(14) 10.6 (8) 73.3 1989 44.1(77)29.3(55) 9.5(15) 5.5 (6) 11.6(13) 68.5 1992 39.1(68)24.5(45)19.3(33) 4.7(10) 1.4(1) 11.0 (9) 68.5 1997 39.3(77)27.9(54)10.4(17) 4.7 (4) 2.8(2) 2.6 (1)12.3(11) 65.9 2002 41.5(81)22.5(31)10.8(21) 4.0 (8) 3.8(6) 6.5 (5)10.9(14) 62.6 2007 41.6(78)27.3(51)10.1(20) 2.7 (2) 4.7(6) 6.9 (4) 6.7 (5) 67.0 2011 17.4(20)36.1(76)19.4(37) 1.8(0) 9.9(14)15.4(19) 70.0 出典 John Coakley and Michael Gallagher eds., Politics in the Republic of Ireland, 5th edition(Abingdon: Routledge, 2010), pp. 439‑440.
RTE News/Election 2011(http://www.rte.ie/news/election2011/results/index.
html).
※ 得票率は各党が獲得した第一選好票の割合(%)を示している。議席数は( )の中 に示している。各党の略称については、FF(フィアナ・フォイル党)、FG(フィナ・
ゲール党)、L(労働党)、PD(進歩民主党)、G(緑の党)、SF(シン・フェイン党)
となっている。なお、フィアナ・フォイル党の選挙結果については、結党以前の英愛 条約反対派の結果を含めて示している。また、フィナ・ゲール党の選挙結果について も、結党以前の英愛条約賛成派の結果を含めて示している。
︵三九〇︶
欧州統合とアイルランド労働党 三九一同志社法学 六三巻一号
表 2 政党の党員数と得票数
党員数(2008年) 得票数(2007年総選挙)
フィアナ・フォイル党 65,000 858,565
フィナ・ゲール党 35,000 564,428
労働党 7,500 209,175
緑の党 2,000 96,936
シン・フェイン党 5,000 143,410
出典 Liam Weeks, “Parties and the Party System”, in John Coakley and Michael Gallagher eds., Politics in the Republic of Ireland, 5th edition (Abingdon: Routledge, 2010), p. 155.
︵三九一︶ のような政党システムにおける右派政党の優位は︑裏返せばアイルランドにおける左派政党の弱体な立場を示していた ︵
︒労働党︑そして近年になって台頭してきた緑 2︶
の党やシン・フェイン党 ︵
などの左派政党が総選挙において獲得した得票率の合計は︑ 3︶
比較的善戦した場合でも二〇%前後に留まることが多く︑一〇%を下回る選挙でさ
え見られたのである︒なお︑アイルランド自由国成立後から近年までの総選挙にお
いて︑各党が獲得した得票率と議席数を︿表
1
﹀に挙げておく︒政党組織に関しても︑右派政党の優位と左派政党の弱体な状況が見られる︒近年
の政党党員数に関する概数を示した︿表
2
﹀によれば︑フィアナ・フォイル党やフィナ・ゲール党が︑数万人規模の党員を有しているのに対して︑労働党︑緑の党︑
シン・フェイン党など左派政党については︑最大規模の労働党でさえ一万人に達し
ておらず︑数千人規模に留まっているのである︒このようにアイルランドにおいて
は︑フィアナ・フォイル党とフィナ・ゲール党という右派二政党が優位な地位を占
め︑勢力的にはかなり見劣りのする左派の労働党が続くという形が見られてきたこ
とから︑
two-and-a-half
政党システム︵右派の二大政党と1
/2
政党としての労働党︶と特徴付けられたこともあるが︑現在では緑の党やシン・フェイン党など小政
党の参入により︑穏健な多党制に分類できる︵
W eeks 2010 , 143
︶ ︒
アイルランド政党システムについて︑もう一つ指摘しなければならない特徴は︑
右派の二大政党のうち︑フィアナ・フォイル党が二〇〇七年総選挙まで得票率およ
欧州統合とアイルランド労働党 三九二同志社法学 六三巻一号
び議席数で常にフィナ・ゲール党を上回り︑アイルランド政党システムにおいて支配政党としての役割を演じてきたこ
とである︒
独立派のシン・フェイン党の分裂により一九二六年に結成されたフィアナ・フォイル党は︑一九三二年に初めて政権
を獲得してから二〇一〇年までの七八年間について︑五九年間も政権の座にあった︒言い換えれば︑一九三〇年代以降︑
ほぼ四分の三の期間にわたって︑フィアナ・フォイル党が政権を握り続けてきたわけである︒また︑たまにフィナ・ゲ
ール党を中心とする野党連合に政権を奪われる事態が生じても︑フィアナ・フォイル党は常に下院の任期である五年以
内で政権に復帰してきたのである︒その結果︑アイルランド国民の間には︑フィアナ・フォイル党は政権与党の地位に
あるのが常態であり
︑たまに下野してもそれは例外的事態であるという認識が広がることになった
︵
W eeks 2010 ,
150
︶ ︒
なお︑政権構成のパターンについては︑長い間︑フィアナ・フォイル党による単独︵少数または多数︶政権とフィナ・
ゲール党を中心とする連立政権という二つの選択肢の間で争われてきたが︑総選挙でのパフォーマンスの長期低落傾向
から︑過半数議席の獲得が困難になったフィアナ・フォイル党が一九八九年に進歩民主党と連立政権を組んで以来︑二
つの右派政党のどちらかが主軸となる連立政権が常態化することになった︒
アイルランド政党システムにおいて︑長年にわたって右派二大政党の後塵を拝してきた労働党が結成されたのは︑第
一次世界大戦勃発前の一九一二年のことである︒ところが︑労働党が総選挙 ︵
に初めて参加したのは︑結党後一〇年が経 4︶
過した一九二二年であった︒この選挙で労働党は二〇%あまりの得票率にとどまるが︑その後の総選挙でこの数値を超
えることはなく︑だいたい一〇%程度に留まるのが通常であった︒多くのヨーロッパ諸国において︑社会民主主義政党
が政党システムの中心的存在となっているのと比べれば︑アイルランド労働党はかなり見劣りがする存在であると言わ ︵三九二︶
欧州統合とアイルランド労働党 三九三同志社法学 六三巻一号 ざるを得ないかもしれない︒ 労働党の低迷は︑アイルランド政党システムの特徴である右派の優位と左派の弱さを反映しているが︑その背景としてよく指摘されるのは次の三点である︒ 第一に︑アイルランド政治におけるナショナリズムの影響力が︑独立派の流れを汲む二つの右派政党を有利にしたことが挙げられる︒新たに独立を達成した国家においては︑独立に貢献した政治勢力が独立後の政治を支配するケースがよく見られるが︑アイルランドもその例外ではないと言うことができよう ︵
︒ 5︶
第二に︑工業化の進んでいなかったアイルランド社会においては︑左派政党の支持基盤となる労働者階級がきわめて
小さく︑農民が大多数を占めていたことが挙げられる︒そして︑アイルランド独立時には︑大土地所有の問題がかなり
解消しており︑農民の多くが左派の主張に耳を傾けがちな農業労働者から︑より保守的な小規模自営農民に転換してい
たことも︑労働党の支持拡大を阻害することとなった︒また︑独立︵アイルランド自由国成立︶時の南北分断により︑
比較的工業化が進んでいた北アイルランドがイギリスに残留したことも︑アイルランドにおいて左派政党を支える労働
者階級の基盤を弱めることになった︒
第三に︑アイルランド社会に対するカトリック教会の強力な影響力が︑国民の間での社会的保守主義を強化し︑労働
党支持の広がりに対する防波堤となっていたことが挙げられる︒このように︑ナショナリズム︑工業化の遅れ︑カトリ
ック教会の影響力により︑独立後のアイルランド政治において周辺的存在に押しやられた労働党は︑その後こうした要
因の効果が次第に衰えていったにもかかわらず︑なかなか党勢拡大の契機を見いだすことができなかった ︵
︒ 6︶
保守的な態度が幅広く見られるアイルランド国民の支持を獲得する必要から︑アイルランド労働党のイデオロギー的
立場は︑他のヨーロッパ諸国と比べてかなり穏健なものとなり︑急進的︑社会主義的立場は注意深く避けられることに
︵三九三︶
欧州統合とアイルランド労働党 三九四同志社法学 六三巻一号
なった︵
Gallagher 1982 , 12 13
︶︒アイルランド労働党は常に議会主義的︑改良主義的立場から離れることはなかった︒なお︑イデオロギー的に穏健な立場をとっていたことにより︑労働党の連立政権への参加には困難が伴うことはなかっ
た︒すでに見たように︑労働党はフィナ・ゲール党を中心とする連立政権に参加する場合が多いが︑一九九三年にはフ
ィアナ・フォイル党との連立政権を構成する経験をしている︒
労働党では︑隔年で開かれる党大会が政策や組織を含め党運営の最高決定機関とされているが︑現実には党大会の権
限は形式的なものであり︑実際の決定は常設の全国執行委員会が行っている︒また︑党員選挙で選ばれる党首は下院議
員の中から選ばれることが示しているように︑労働党の実質的な権力の中心は︑議会労働党︵下院議員︑上院議員︑欧
州議会議員により構成される︶を率いる党首の手に握られていると言ってよい︒なお︑現在の労働党党首は︑ダブリン
郊外ダンレイリー選挙区選出のエイモン・ギルモア︵
Eamon Gilmore
︶である︒三 欧州化概念
政党政治を含めて加盟国の政治に対するEUのインパクトを検討するための概念として︑一九九〇年代以降︑﹁欧州
化︵
Europeanisation
︶﹂概念が多くの研究者によって使用されるようになっている︒しかしながら︑欧州化の概念は︑欧州統合に関連する多種多様な現象を分析するために︑研究者によりそれぞれのやり方で使用されており︑いまだ一致
した定義が存在せず︑使用する論者によって異なっているのが現状である︵力久二〇〇七︑三二︶︒
ヨハン・P・オルセン︵
Johan P . Olsen
︶の整理によれば︑欧州化の概念は次の五つの現象に関わっているとされる︵
Olsen 2002 , 926 943
︶︒①欧州ガヴァナンス・システムの地理的範囲の変化︵EU拡大など︶︒②欧州レヴェルでの制 ︵三九四︶欧州統合とアイルランド労働党 三九五同志社法学 六三巻一号 度形成︵EUの組織的発展︑欧州市民権など共通観念の発展︶︒③欧州レヴェルでの発展︵欧州統合︶に伴う加盟国の
制度・政治・政策の変化︒④欧州ガヴァナンス・システムの欧州外への普及︵東アジア共同体など︶︒⑤欧州政治統合︵欧
州合衆国へ向けた進展︶︒
オルセンが挙げた五つの分類のうち︑一九九〇年代から二〇〇〇年代にかけて欧州化研究が進展するとともに︑その
多くが第三の分類︑すなわち︑﹁欧州レヴェルでの発展に伴う加盟国の制度︑政治︑政策の変化﹂について分析するも
のとなっていった︒この背景には︑比較政治を専門とする研究者達が︑国内政治における変化を説明する要因として︑
EUの活動に注目するようになったことがあった︒それまでEUを対象とする研究については国際政治のアプローチが
中心であったが︑比較政治のアプローチを用いる研究者が参入することにより︑欧州化の概念を用いた研究が発展する
ことになったのである︵
Ladrech 2010 , 8 9
︶︒単純化すれば︑欧州化概念の登場は︑国際政治のアプローチと比較政治のアプローチの合流に端を発していると言うことができるかもしれない︒
欧州化概念に関してしばしば引用されるものとして︑フランスの国内政治が欧州化の影響でどのような変容を見せた
のか検討したロバート・ラドレック︵
Robert Ladrech
︶の論文がある︒ラドレックによれば︑﹁欧州化とは︑ECの政治的︑経済的ダイナミズムが加盟国の政治と政策形成の組織的論理の一部となるような政治の方向と形態の再設定に関
する漸増的な過程である﹂︵
Ladrech 1994 , 69
︶とされていた︒ラドレックの論文に刺激を受けて︑一九九〇年代後半から欧州化概念を使った研究が急増するようになったが︑その
多くはEUから加盟国への﹁トップ・ダウン﹂のインパクトを分析する︑いわばトップ・ダウン型欧州化の研究であっ
た︒言い換えれば︑EUレヴェルで形成された制度︑政治︑政策が︑国家レヴェルにどの程度︑および︑どのように﹁ダ
ウンロード﹂されるかという点に焦点があてられていたのである︵
Héritier 2001 ; Buller and Gamble 2002 ; Bulmer and
︵三九五︶
欧州統合とアイルランド労働党 三九六同志社法学 六三巻一号
Radaelli 2004
︶ ︒
なお︑トップ・ダウン型欧州化のアプローチは︑EUのインパクトが加盟国を変容させるメカニズムに関して︑EU
と加盟国の間での制度︑規則︑手続きなどに関する﹁適合度︵
goodness of fit
︶﹂に焦点をあてる︒そして︑EUレヴェルと国家レヴェルの間の
﹁適合
︵
fit
︶﹂もしくは
﹁不適合
︵
misfit
︶﹂の程度によって
︑﹁
適応圧力
︵
adaptational
pressures
︶﹂が発生するとされる︒すなわち︑EUの制度と加盟国の制度の間の適合度が低ければ低いほど強い適応圧力が発生し︑加盟国の側で何らかの変容が見られるとされる︵
Risse, Coweles and Caporaso 2001 , 6 12
︶ ︒
こうしたEUから加盟国へのインパクトに注目するトップ・ダウン型欧州化の研究とは異なるアプローチとして︑加
盟国とEUの間の相互作用︑もしくは︑双方向的な関係に注目する研究が見られるようになっている︵
Kassim 2005 ,
287
︶︒言い換えれば︑EUレヴェルから国家レヴェルへのトップ・ダウンのインパクトに注目するトップ・ダウン型欧州化だけでなく︑国家レヴェルからEUレヴェルへの﹁ボトム・アップ﹂のインパクトをも視野に入れた双方向型欧州
化の研究と言うことができるだろう︵
Howell 2004 , 3
︶︒EUの加盟国はEUから制度︑政治︑政策を単に﹁ダウンロード﹂するだけでなく︑EUに対して﹁アップロード﹂する努力も行っており︑その関係は一回限りのものではなく循環
的な過程として捉えることができるのである ︵
︒ 7︶
トップ・ダウン型欧州化および双方向型欧州化のアプローチは︑因果関係の矢印︑もしくは︑インパクトの方向性に
関してきわめて異なっている︒前者は︿EU↓加盟国﹀のインパクトに焦点をあてているのに対して︑後者は︿EU
加盟国﹀という相互作用のインパクトに注意を向けているのである︒しかしながら︑両者ともに超国家レヴェルのEU
と国家レヴェルの加盟国との関係に注目している点で︑欧州化の垂直的側面に関して主たる関心を持つアプローチであ
ると言える︒ ︵三九六︶
欧州統合とアイルランド労働党 三九七同志社法学 六三巻一号 これに対して︑EUと加盟国の間の垂直的関係ではなく︑EUを介在した加盟国間の水平的な相互作用を欧州化の観
点から検討するアプローチも見られる︒いわば︑制度︑政治︑政策に関する加盟国の間での水平的移転としての欧州化︵﹁水平移転型欧州化﹂︶である︒このタイプの欧州化は︑いわゆる﹁促進された調整︵
facilitated coordination
︶ ﹂
に か
かわっている︵
Bulmer and Radaelli 2004 , 7 8
︶︒促進された調整が行われる場合︑EUは加盟国が受け入れを義務づけられるEU法の制定を行う機関としてではなく︑多様な問題に関する議論の場︑あるいは︑政策移転の場として機能す
ることになる︒
いわゆる﹁ソフト・ロー︵
soft law
︶﹂の議論に見られるように︑EUに限らずこうした促進された調整の枠組は︑近年注目を集めている ︵
︒EUにおいては︑共通外交安全保障政策や司法内務協力などの分野で促進された調整の枠組が使 8︶
用されてきたが
︑二〇〇〇年の欧州理事会で合意されたリスボン戦略において提起された
﹁開放的調整手法
︵
open
method of coordination
︶﹂︑いわゆるOMCにより︑さらなる広がりを見せることになった︵European Council 2000
︶ ︒
OMCにおいては︑加盟国がEUの最良実施事例︵
best practice
︶をめぐって継続的に議論を行い︑自国の事例との比較︵
benchmarking
︶を行うことにより︑加盟国全体のレヴェル・アップおよびEUにおける収斂を促進することが期待されている︒言い換えれば︑欧州理事会や欧州委員会などのEUの機関が媒介する形で︑加盟国の間で一定の目標
が共有される一方で︑国家間競争を奨励することにより︑各国の間での相互の政策学習を促進し︑最良実施事例を広げ
ていくことがOMCの主眼となっていると言ってもよいだろう ︵
︒ 9︶
促進された調整やOMCのような﹁水平移転型欧州化﹂においては︑欧州化のインパクトは︑トップ・ダウン型欧州
化が想定するようなEUから加盟国へもたらされる垂直的な適応圧力への対応︵︿EU↓加盟国﹀︶ではない︒しかし︑
そのことが欧州化のインパクトが存在しないということを意味するわけではない︒むしろ︑自発的︑あるいは︑非強制
︵三九七︶
欧州統合とアイルランド労働党 三九八同志社法学 六三巻一号
的な欧州化が見られる可能性が考えられるのである︒この場合の欧州
化のインパクトは︑エリートの社会化過程︑知識や政策パラダイムに
関する学習などを通じた﹁微妙なインパクト﹂となるだろう︵
Radaelli
and Pasquier 2007 , 38
︶ ︒
なお︑トップ・ダウン型欧州化︑双方向型欧州化︑水平移転型欧州
化の概念図として︑︿図
1
﹀を挙げておく︒四 欧州化と政党政治
EUのインパクトにより加盟国の政治に何らかの変化が見られると
しても︑加盟国の政治に関係するさまざまな要素の中で︑﹁EUのイ
ンパクトによって影響を受けるのは何か﹂という欧州化の対象を明確
にするという問題がある︒この点に関して︑欧州化の対象として比較 ︿トップ・ダウン型欧州化﹀
加盟国
加盟国 ︿双方向型欧州化﹀
︿水平移転型欧州化﹀ EUEU
加盟国
加盟国 EU
図 1 3 つの欧州化アプローチ
出典 力久昌幸「欧州統合の進展に伴う国内政治の変 容:『欧州化』概念の発展と課題に関する一考 察」『同志社法学』第59巻第2号、2007年、44頁。
的早い段階から取り上げられてきたのは︑EUの影響を比較的見やすいと考えられたいくつかの政策︵
policy
︶であった︒たとえば︑農業政策︑環境政策︑地域政策などEUの関与が深い政策分野を取り上げて︑EUのインパクトにより
加盟国の国内政策がどのような変容を見せたのか︑あるいは︑変容が見られなかったのか︑という形で数多くの研究が
なされてきたのである︒
欧州化の対象として政策に次いで注目されたのが︑執政府︑議会︑中央地方関係などの政体︵
polity
︶であった︒加 ︵三九八︶欧州統合とアイルランド労働党 三九九同志社法学 六三巻一号 盟国の政体もしくは政治制度に関する諸側面が︑欧州化のインパクトによりどのような影響を受けたのか︑という点について研究が進むことになったのである︒その後︑政党や政党システム︑投票行動︑利益団体など加盟国の政治過程もしくは政治の動態︵
politics
︶に対する欧州化のインパクトに注目する研究も見られるようになった︵Dyson and Goetz
2003 , 19
︶ ︑ ︵
Pennings 2006
︶ ︒
しかしながら︑これまで欧州化研究の多くは︑政治的なダイナミズムよりも制度的なダイナミズムに焦点をあてたも
のであった︒ピーター・メア︵
Peter Mair
︶が﹁欧州化に関して政治的︑党派的対立の果たす役割をほとんど見ることがない﹂と指摘するように︑欧州化研究においては︑政策︵
policy
︶︑次いで政体︵polity
︶に関するものが大半を占め︑政治︵
politics
︶に関する分析が十分になされているとは言い難いとすることができる︵Mair 2004 , 344
︶ ︒
なぜ政治︵政治過程もしくは政治の動態︶に関する欧州化概念にもとづいた分析があまり多くないのかということへ
の理由については︑一つにはEUと政治︵特に政治に関わる政党や利益集団などのアクター︶の間に︑政策や政体の場
合に見られるような直接的な関係が必ずしも見られないということが挙げられる︒また︑トップダウン型欧州化の場合
の﹁適応圧力﹂や水平移転型欧州化の場合の﹁政策学習﹂など︑国家レヴェルにおける政策や政体の変化をもたらす欧
州化のメカニズムについても︑政治の主要なアクターである政党や利益団体の場合には︑必ずしも明確ではないという
ことも理由として考えられる︒
しかしながら︑近年におけるEUの制度的発展と権限拡大を中心とする欧州統合の進展が︑加盟国政治の中心アクタ
ーである政党などに何のインパクトをももたらさないと考えるべきではないだろう︒たしかに︑EUと加盟国の政党と
の間には︑欧州議会選挙キャンペーンなどを除くと︑直接的な関係はあまり見られないと言えるかもしれないが︑EU
は加盟国の政体や政策など政党が活動する環境に変容をもたらすことにより︑間接的に政党の変化を引き起こしている
︵三九九︶
欧州統合とアイルランド労働党 四〇〇同志社法学 六三巻一号
可能性があると考えられるのである ︵
︒EUが加盟国の政治システムに一定のインパクトを与え︑それが政党の追求する 10︶
得票・議席極大化や政権参加などの目標の達成に何らかの影響をもたらすことも考えられる︒そうすると︑政党は変化
した政治環境に対応するために
︑一定の適応策を打ち出す必要に迫られることになると言うことができるだろう
︵
Poguntke, et al. 2007 , 6 9
︶ ︒
言い換えれば︑EUの間接的なインパクトにより政党の変化が見られることになったとすれば︑それはEUによって
もたらされた政治的機会構造を︑政党の側が自己の目的追求のために利用するといった形で現れると見ることができる
のである︒あるいは︑EUが加盟国に対してもたらすさまざまな束縛や国内での欧州懐疑主義の増大などにより︑政党
の目的追求が困難になるのをできる限り回避する努力が見られるといった形で現れるとも考えられる︵
Ladrech 2010 ,
130 133
︶ ︒
EUの間接的なインパクトによる政党の変化は︑必ずしも顕著なものではないかもしれないが︑ラドレックは欧州化
による政党および政党システムの変化について︑次の五つの次元を分析対象として挙げている︒①政策プログラムに関
する変化︑②政党組織の変化︑③政党間競争パターンの変化︑④政府︱政党関係の変化︑⑤国家レヴェルの政党システ
ムを超えた関係の変化︵
Ladrech 2002 , 396
︶ ︒
第一に︑政策プログラムに関する変化についての分析は︑政党のイデオロギー的立場や政策的立場にどのような変化
が見られたのかという問題を主として取り扱い︑具体的には政党のマニフェストや政策プログラムの中で︑EUの政策
や制度に関する言及が増大しているのかどうかなどについて検討することになる︒第二に︑政党組織の変化についての
分析では︑政党組織の中で政党指導部の自立性が強化されたのかどうか︑あるいは︑EU関連の役職が創設もしくは強
化されたのかどうかについて検討される︒第三に︑政党間競争パターンの変化についての分析では︑主要な政党の間で ︵四〇〇︶
欧州統合とアイルランド労働党 四〇一同志社法学 六三巻一号 欧州統合に関する政策収斂が見られたのかどうか︑あるいは︑極左政党や極右政党の側による欧州懐疑主義の利用は見られたのかどうかについて検討される︒第四に︑政府︱政党関係の変化についての分析では︑与党の際に︑政府のメン
バーとしてEUにおける交渉に関わる政党幹部と一般の活動家や党員との間での亀裂や対立が見られるのかについて検
討される︒第五に︑国家レヴェルの政党システムを超えた関係の変化についての分析では︑加盟国政党による欧州議会
の政党グループへの参加や所属グループの変更などが検討されることになる︵
Ladrech 2002 , 396 399
︶ ︒
ラドレックの挙げた五つの次元は︑政党政治の欧州化に関してすべての側面を網羅するものではない︒また︑それぞ
れの次元が相互に排他的なものではなく︑連関しているところもあると見ることができるかもしれない︒しかし︑これ
ら五つの次元は︑加盟国の政党や政党システムに関する欧州化の影響を検討するうえで有効な枠組であると見なすこと
ができるので︑以下ではこの五つの次元に沿って︑アイルランド政党システムにおける労働党の変化に焦点をあてて欧
州化の影響を見ていくことにしよう︒
五 労働党の欧州化
先に見たように︑アイルランド労働党はヨーロッパの社会民主主義政党の中でも︑選挙での得票や議席獲得に関して︑
かなり見劣りのする政党である︒そのような労働党の状況からすれば︑アイルランドがEU加盟国として欧州化のイン
パクトを受けることは︑一面では願ってもない機会を提供していると見ることもできるが︑反面では大きな困難をもた
らしていると考えることもできる︒すなわち︑一方で︑労働党はEUにおいて︑より強力な他の加盟国の社会民主主義
政党との提携を深めることにより︑国内政治における自己の立場を強化できる可能性があるが︑他方で︑保守的なアイ
︵四〇一︶
欧州統合とアイルランド労働党 四〇二同志社法学 六三巻一号
ルランド社会において︑あまりにも社会民主主義的立場を強調すると︑有権者の支持拡大にとって逆効果になる可能性
もあったのである︵
Holmes 2009 , 528
︶ ︒
さて︑政党政治の欧州化に関してラドレックの挙げた五つの次元のうち︑政策プログラムに関する変化については︑
労働党のケースにかなりあてはまると言うことができる︒まず︑最も明確な変化が見られた政策として挙げられるのが︑
欧州統合に対する労働党の基本的な立場である︒労働党はアイルランドのEC加盟をめぐる一九七二年の国民投票にお
いては︑加盟反対の立場から運動を行っていたが︑EUを設立するマーストリヒト条約批准をめぐって行われた一九九
二年の国民投票以降︑EUの基本条約をめぐって実施されたすべての国民投票において︑批准賛成の立場を明確にして
きたのである︵
O ’Mahony 2009
︶︒その意味では︑EC加盟以降︑労働党は欧州統合に関して明確な政策転換を遂げたと言うことができる︒
ただ︑注意しなければならないのは︑労働党がEC加盟をめぐる一九七二年国民投票まで欧州統合への参加に対して
原則的に反対の立場をとってきたわけでもなければ︑その後しばらくの間︑欧州統合を積極的に支持するようになった
わけでもなかったということである︒
一九七二年国民投票における労働党のEC加盟反対は︑アイルランド経済の発展程度に関する実情を考えれば加盟は
時期尚早であり︑まずは準加盟をめざすべきという議論にもとづいていた︒労働組合を主な支持基盤とする労働党の党
首として︑ブレンダン・コリッシュ︵
Brendan Corish
︶は︑EC加盟に伴う競争激化によりアイルランドの各種産業で雇用削減がもたらされるのを恐れたのに加えて︑アイルランドの国家主権や中立政策に対する影響を懸念していたので
ある︵
Keogh 1990 , 246 247
︶︒一方︑一九七二年国民投票において八割を超える圧倒的多数の賛成でEC加盟が承認されたことを受けて︑労働党も国民の審判を受け入れることになったが︑それは欧州統合を積極的に促進する立場に変わ ︵四〇二︶
欧州統合とアイルランド労働党 四〇三同志社法学 六三巻一号 ったということを意味しなかった︒一九七〇年代から一九八〇年代にかけての労働党は︑加盟がもたらす不利益を最小限にとどめ︑ECの望ましくない側面を改革するという立場をとっていたのである︒そうした欧州統合に対する労働党
の消極的受け入れという姿勢は︑一九八七年の単一欧州議定書の批准をめぐる国民投票において︑労働党の党内が賛否
をめぐって割れていたために
︑結局のところ自主投票で臨まざるを得なくなったところにも現れることになった
︵
Holmes 2006 , 71 138
︶ ︒
先述のように︑マーストリヒト条約批准をめぐる一九九二年国民投票以降︑労働党は欧州統合に積極的な立場を明確
にするようになるが︑その背景には︑加盟国の中でも国家規模がかなり小さいという︑EUにおけるアイルランドの位
置に対する認識があった︒一九八〇年代から一九九〇年代に党首の座にあり︑副首相まで務めたディック・スプリング
︵
Dick Spring
︶は︑欧州統合の将来に関して小国アイルランドが持つ選択肢の幅は︑きわめて狭いということを率直に認めていた︒その上で︑通貨統合などEUの主要プロジェクトに対するアイルランドの参加の重要性を強調していたの
である︵
The Irish T imes , 30 September 1992
︶ ︒
一九七〇年代におけるEC加盟の消極的承認から︑一九九〇年代における欧州統合に対する積極的支持に至るという
EUに関する労働党の基本的態度の転換は︑政策プログラムの全般にわたるEUの影響を受けた変化と結びついてい
た︒ まず︑社会経済政策に関して︑労働党はEUとの関係をもとにして政策を形成するようになった︒これはある意味当
然のことであって︑共通農業政策や地域政策の影響を受けて︑アイルランドの農業政策︑地域開発︑社会政策について
は︑EUとの結びつきを抜きに考慮できなくなっていたのである︒また︑労働党に限られるわけではなく︑フィアナ・
フォイル党やフィナ・ゲール党など右派の主要政党にもあてはまるが︑EUの政策形成過程においてアイルランドの利
︵四〇三︶
欧州統合とアイルランド労働党 四〇四同志社法学 六三巻一号
益を最大化する努力が顕著に見られるようになった︒
なお︑一九九〇年代中頃に政権に参加していた労働党は︑財務相に就任したルーリ・クイン︵
Ruairi Quinn
︶を中心として︑欧州単一通貨を導入する通貨統合に参加するための条件としてマーストリヒト条約に定められた収斂基準を達
成するために︑財政赤字の削減など経済の引き締め政策を採用するうえで大きな貢献をすることになった︒短期的には
増税や支出削減などで労働党の支持層に犠牲を強いることになっても︑長期的には単一通貨への参加がアイルランド経
済にプラスになるという判断により︑それまでのケインズ主義にもとづく経済政策から健全財政を重視する正統派経済
政策への転換がなされたのである︒
加えて︑EC加盟反対理由の一つとなっていた中立政策に関しても︑注目すべき変化が見られることになった︒冷戦
終結後の旧ユーゴスラヴィアなどでの民族紛争の激化という経験が︑EUの共通外交安全保障政策に対してそれまで消
極的であった労働党の立場を︑より積極的なものにすることになった︒さらに︑紛争防止と危機管理に関するEUの能
力を向上させるために︑欧州安全保障防衛政策の発展についても支持する姿勢を見せるようになっているのである︒こ
うした姿勢は︑スプリング副首相兼外相が一九九六年に発行した政府白書の中でも示された︒この中では︑ヨーロッパ
における信頼醸成を通じて平和に貢献するためにNATOが打ち出した﹁平和のためのパートナーシップ︵
Partnership
for Peace
︶﹂への参加を前向きに検討する立場が示されていたのである︵Government of Ireland 1996 , 128 132
︶︒そして︑実際にアイルランドは一九九九年に﹁平和のためのパートナーシップ﹂への参加を実現することになった︒また︑
労働党の二〇〇九年欧州議会マニフェストでは︑EUが紛争解決︑平和維持︑人道援助に向けた努力を強めるべきとす
る立場が打ち出された︵
The Labour Party 2009 , 19
︶︒これは左派政党の中でもシン・フェイン党や緑の党が︑﹁EUの軍事化﹂に懸念を示していたのと比較すると︑大きな相違を見せていると言ってもよいだろう︒ ︵四〇四︶
欧州統合とアイルランド労働党 四〇五同志社法学 六三巻一号 次に︑政党組織の変化については︑アイルランドがEC加盟を果たして以降︑労働党の党組織のあり方に顕著な違い
がもたらされることになった︒労働党は︑一九六〇年代あたりまで政党間の国際的な結びつきに無関心であり︑孤立主
義的傾向を強く持っていた︒一九六〇年代末から一九七〇年代にかけて労働党書記長を務めたブレンダン・ハリガン
︵
Brendan Halligan
︶が後に回顧しているように︑ヨーロッパ諸国の社会民主主義政党との関係強化でさえ真剣に検討されてこなかったため︑この時期のアイルランド労働党は社会主義インターナショナルにも非加盟であった︒労働党が
ようやく社会主義インターナショナルに加盟するのは︑一九六八年のことであった︵
Halligan 2000 , 19
︶ ︒
ところが︑EC加盟以降︑アイルランド労働党は国際的な関係の強化に関心を高めるようになり︑党内に国際関係委
員会が設置され︑その担当書記も置かれることになったのである︵
Brown 1980 , 93
︶︒また︑一九七九年の直接選挙導入以降の欧州議会の権限拡大を反映する形で︑一九九〇年代に入って︑それまで下院議員と上院議員で構成されていた
労働党の議員組織である議会労働党に︑欧州議会議員を加えることになった︒その結果︑労働党欧州議会議員がEUの
政策形成に関する情報を労働党指導部に対して円滑に伝達することが可能となり︑EU関連政策分野における労働党の
政策形成を充実させることになったと言うことができる︒
ただ︑議会労働党への欧州議会議員の加入をあまり強調すべきではないかもしれない︒労働党は二〇〇九年欧州議会
選挙まで七回の欧州議会選挙を戦ってきたが︑第一回目の一九七九年選挙で四人︑そして︑最近の二〇〇九年選挙で三
人の当選者を出した以外は︑五回の選挙において当選者一人もしくは〇人であったのである︵
Holmes 2009 , 531
︶ ︒ こ
のように非常に少数のメンバー増加に留まったことから︑議会労働党の変化はあまり大きなものではなかったと言えよ
う︒ なお︑労働党組織の変化ではないが︑労働党がアイルランド政党政治に関連する組織変化に貢献した事例を二つ挙げ
︵四〇五︶
欧州統合とアイルランド労働党 四〇六同志社法学 六三巻一号
ることができる︒一つは︑欧州統合の進展とともに増大するEU法に対する議会による精査を促進するためのヨーロッ
パ問題両院委員会︵
Joint Committee on European Affairs
︶︑および︑その下に置かれることになった小委員会の設立について︑労働党が大きな貢献をしたことである︒また︑EUのニース条約批准をめぐる二〇〇一年国民投票が否決され
たのを受けて
︑欧州統合に関する情報提供および議論の場としての役割を持つ欧州問題全国フォーラム
︵
National
Forum on Europe
︶の設立についても︑労働党は少なからぬ貢献をしていた︵O ’Brennan 2005 , 117
︶ ︒
このように政党組織の変化に関して︑労働党は必ずしも目立ったものではないものの︑欧州化の影響を受けた組織改
革を行ってきた︒それはEC加盟以前の孤立主義的傾向の強い労働党組織からすれば︑確実な変化であると言えるだろ
う︒また︑組織変化について注目されるのが︑労働党が欧州統合の進展に対応する議会の委員会改革および世論形成に
資する新組織︵欧州問題全国フォーラム︶設立に貢献した点である︒労働党は︑党組織の内外で欧州化のインパクトを
受けて改革を先導したと言うことができる︒
欧州化による政党政治の変化について︑ラドレックが三番目に挙げている政党間競争パターンの変化という次元につ
いて見ると︑欧州統合に関する労働党の基本的立場の転換︵EC加盟反対から容認へ︶は︑アイルランドにおける政党
間競争を有利に進めるための労働党の戦略として捉えることができる︒
まず︑EC加盟国民投票における反対の立場には︑二つの右派政党が加盟賛成の立場をとる中で︑労働党が主要政党
で唯一反対の立場をとることにより︑有権者に対して強いアピールをすることができるという期待があった︒しかし︑
実際の国民投票結果が八割を超える圧倒的多数による加盟承認ということになったことから︑欧州統合への反対が労働
党にとって支持拡大につながる余地がないことが明らかになったのである︒そのため︑EC加盟容認という立場への転
換が見られることになった︒こうして︑EC加盟国民投票以降の労働党の政策転換により︑欧州統合に対する主要三党 ︵四〇六︶
欧州統合とアイルランド労働党 四〇七同志社法学 六三巻一号 の立場は︑親欧州的立場に収斂していくことになる︒ なお︑シン・フェイン党や近年までの緑の党などが︑欧州懐疑主義の立場から︑EUの基本条約批准をめぐるいくつ
もの国民投票において反対運動を行ってきたのは︑これらの政党が小政党であることと関わっていた︒有権者の支持率
が基本的に一桁に留まるような小政党にとっては︑主要政党がすべて賛成する欧州統合に反対の立場をとることによ
り︑既成政党に飽き足らない層の支持を集めることが追求されるようになったと見ることができるからである ︵
︒ 11︶
政党間競争パターンの変化について︑政権構成へのインパクトという側面から見てみると︑欧州統合に関する政策転
換は労働党の政権参加可能性を高めたと言えるかもしれない︒労働党はフィナ・ゲール党などと組んでいた連立政権が
一九五七年に下野して以来︑フィアナ・フォイル党の長期政権が継続するなか︑長年にわたって野党暮らしを強いられ
ていたが︑一九七三年に再びフィナ・ゲール党との連立政権を形成し︑与党に復帰することになった︒その際︑労働党
が前年のEC加盟国民投票における国民の審判を受け入れていたことが︑連立政権構築を容易にしたと言えるだろう︒
EC加盟賛成を明確にしていたフィナ・ゲール党にとって︑労働党が反対の立場を堅持した場合には︑連立合意が非常
に困難となったであろうことが予想されるからである︒
欧州化のインパクトによりアイルランド労働党をめぐる政党間競争パターンに大きな変化が生じたわけではないが︑
欧州統合に対する労働党の政策転換を︑政党間競争および政権参加を考慮に入れた現実主義にもとづく戦略転換として
見ることが可能であるように思われる ︵
︒ 12︶
第四の次元である政府︱政党関係の変化については︑政党の政権参加に伴い︑閣僚としてEUの場での交渉に関わる
政党幹部と一般の活動家や党員との間で政策面での乖離が生じ︑その結果として党内の緊張が高まっているかどうかが
注目される︒
︵四〇七︶
欧州統合とアイルランド労働党 四〇八同志社法学 六三巻一号
他の加盟国の政党指導部にもあてはまることかもしれない
が︑アイルランド労働党の指導的立場にある人物の場合︑閣
僚就任とともにEUの閣僚理事会などへの参加経験を積むこ
とにより︑親欧州的立場を強めるケースがよく見られた︒一
九八〇年代から二〇〇〇年代初頭にかけて労働党党首を務め
たマイケル・オリアリー︵
Michael O ’Leary
︶︑ディック・スプリング︑ルーリ・クインの三人は︑それぞれ労働政策︑外
交政策︑財政金融政策担当大臣として閣僚理事会に参加し︑
EUの政策形成過程において積極的な貢献をする一方︑党内
で親欧州派の立場を明確にすることになったのである︒もち
ろん︑もともと親欧州的な人物がEUとの関連が深い政策分
野の閣僚就任を求めたとも考えることができるが︑それでも
閣僚就任以降︑欧州統合に対してさらに積極的な立場をとる
傾向が見られたのである︵
Holmes 2006 , 155 156
︶ ︒
このように労働党のエリート・レヴェルにおいて欧州統合
に対する積極性が顕著なのとは対照的に︑一般党員や支持者
などの党の草の根レヴェルでは︑欧州統合に対する支持はあ
まり強いものではない︒EUの基本条約の批准をめぐってた
表 3 EU(EC)条約批准国民投票における賛否
有権者全体 労働党支持者
賛成 反対 賛成 反対
単一欧州議定書 40% 21% 13% 36%
マーストリヒト条約 49% 28% 47% 33%
アムステルダム条約 43% 18% 46% 19%
ニース条約(第一回) 45% 28% 50% 36%
ニース条約(第二回) 42% 29% 38% 35%
出典 Michael Holmes, “The Irish Labour Party: The Advantages, Disadvantages and Irrelevance of Europeanization? , Irish Political Studies, Vol. 24, No. 4, p. 535.
※ 数値は国民投票の投票日直前の世論調査にもとづいているので、実際の投票結果と は異なる場合もある。たとえば、ニース条約(第一回)については、世論調査結果 においては賛成が反対を上回っている。しかし、実際の結果は批准反対票が多数を 占めることになった
︵四〇八︶
欧州統合とアイルランド労働党 四〇九同志社法学 六三巻一号 表 4 第一回リスボン条約批准国民投票における政党別の賛否
賛成 反対
フィアナ・フォイル党支持者 63% 37%
フィナ・ゲール党支持者 52% 48%
労働党支持者 39% 61%
緑の党支持者 47% 53%
シン・フェイン党支持者 12% 88%
出典 Milward Brown IMS, Post Lisbon Treaty Referendum:
Research Findings, September 2008 ( Dublin: Milward Brown IMS, 2008), p. 6.
びたび実施されてきた国民投票において︑労働党支持者の反対の割合は有権
者全体における反対の割合を若干上回っているのである︒
︿表
3
﹀に示されているように︑単一欧州議定書をめぐる国民投票からニース条約批准をめぐる第二回目の国民投票に至るまで︑すべての国民投票に
おいて︑労働党支持者の反対の割合は有権者全体の反対の割合を上回ってい
た︒また︑︿表
4
﹀が明らかにしているように︑二〇〇八年に実施されたリスボン条約批准をめぐる第一回目の国民投票では︑欧州懐疑的立場が明確な
シン・フェイン党の支持者を除くと︑労働党支持者の間での反対の割合が高
いことが際立っていたのである︒労働党指導部の親欧州主義が党の底辺を構
成する人々にまで浸透しているとは言い難いとすることができるだろう ︵
︒そ 13︶
の意味では︑現在のところあまり顕著になってはいないが︑労働党の党内に
おける指導部と草の根の関係︵政府︱政党関係︶に︑欧州統合をめぐってな
んらかのあつれきがもたらされる可能性が考えられる︒
ラドレックが挙げた五番目の次元である国家レヴェルの政党システムを超
えた関係の変化について見てみると︑まず注目されるのが︑アイルランド労
働党がEC加盟前後の時期に︑社会主義インターナショナルや後に欧州社会
党︵
Party of European Socialists
︶ に 発 展 す る E C の 社 会 主 義 政 党 連 盟
︵
Confederation of the Socialist Parties
︶に加盟したことである︒すでに見た︵四〇九︶
欧州統合とアイルランド労働党 四一〇同志社法学 六三巻一号
ように︑孤立主義的傾向を強く持っていた労働党は政党間の国際的な連携に関心を有していなかったが︑EC加盟およ
びその後の欧州政党組織の発展を通じて︑他の加盟国の社会民主主義政党との関係を深めることになったのである︒欧
州社会党の活動を通じて︑労働党は党首など指導部から青年・女性組織に至るまで︑さまざまなレヴェルにおいて他の
加盟国の社会民主主義政党との関係を持つことになった︒欧州議会選挙に向けた共通マニフェスト作成過程や︑欧州社
会党の大会︑指導者会議などの会合など︑アイルランド労働党が他の加盟国の社会民主主義政党と関係を持つ機会は多
様なものになっているのである︒
なお︑ルーリ・クインが財務相を務めていた時期に︑通貨統合へ向けたEUの歩みが進展を見せる一方︑アイルラン
ドが欧州単一通貨参加国の第一陣に加わるために大きな努力がなされたのはすでに見たとおりであるが︑クイン財務相
は欧州社会党の活動についても一定の貢献をしていた︒欧州社会党では︑加盟政党党首レヴェルによる指導者会議など
の定期的会合を持つようになっていたが︑クイン財務相は︑EUの経済相財務相理事会開催前に︑欧州社会党に加盟し
ている社会民主主義政党の経済相︑財務相︵与党の場合︶︑もしくは︑経済財務担当スポークスマン︵野党の場合︶の
会合を実施するうえで︑積極的なイニシアティヴをとっていたのである︵
Quinn 2005 , 349 350 ; Lightfoot 2004 , 44
︶ ︒
このように欧州社会党組織の発展について︑アイルランド労働党は一定の貢献をしていたと見ることができる︒
六 おわりに
アイルランド労働党は︑ラドレックが政党政治の欧州化に関して挙げた︑①政策プログラムに関する変化︑②政党組
織の変化︑③政党間競争パターンの変化︑④政府︱政党関係の変化︑⑤国家レヴェルの政党システムを超えた関係の変 ︵四一〇︶