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における李白受容について

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全文

(1)

( 一)はじめに

現在、我々が李白という詩人をイメージする時、まず思い

かぶのは、詩仙、酒仙、もしくは豪放磊

てのイメージであろう。この一 な天才詩人とし 樣々なエピソードが、そのイメージをさらに の作品それ自體が淵源となってもいるが、彼の人生について のイメージは、むろん李白

うである。たとえば、『 幅しているよ 書』、『新

書』を繙くと、

韓準、父、裴政、張叔明、陶竊等と徂徠山に隱れ、「竹溪六 ような七つのエピソードが記されている。一、い頃に孔害 の され、泥醉していながら「 人也」と賞贊され、玄宗より羹を賜ったこと、三、玄宗に召 」と呼ばれたこと、二、長安に行き、賀知章に「天上謫仙

詞」を書き上げ、高力士に 靴を

安祿山の反亂時、永王軍へ參戰し、夜 がせたこと、四、崔宗之らとの「酒八仙」の行樂、五、

郭子儀の盡力によって罪を赦されたこと、七、宣 に流されたこと、六、

「醉死」したことこのように多 において なエピソードを有する 代詩人は稀有である。

年の李白

價史の の來 究において、右のようなエピソード やその信憑性についての考證、ならびに殷

『河岳

靈集』等の

人の手になる

詩 集や 白の詩風への 人の詩文に見える李 に對する 時ただし、代背景を考慮に入れ、作品のみならず、詩人李白 語についての檢討は、すでに行なわれている。 (1)

價の變

について系統

本稿は、 見の限りではきわめて少ない。 に論じた先行論文は、管 詩文を中心に李白ならびに李白の作品がどの

における李白受容について

詩人像形

を中心に

渡部れ い 子

(2)

ように

價されているのかを

段階について檢討を加え、從來の李白 査し、李白受容史の最初期の

するものである。 究の空白を補おうと

( 二)中

における李白

・中

期における李白

行 價についてはすでに多くの先 究がある。ここでは、特に重

李白の生 おきたい。 なポイントのみ指摘して より、李白の文學に對する

李白詩文に對する議論が 「酒仙」「謫仙人」という詩人像も確立していた。その後、 (2) 價は高く、また、

んになるのは中

(3)である。その中でも、その後の李白

李白杜甫優劣論について、 價に大きな影を與えることになる 中 干の考察を加えたい。

不知群兒愚、 では、韓愈を中心として「李杜文章在、光刎萬丈長。

用故謗傷」(韓愈「

(4)」)、「李杜才

下非可 、高

。文與一氣

、爲物莫與大」(皇甫湜「題浯溪石」、『

こうして元 など、李白、甫を對等に賞贊した作品が多い。杜卷三六九)詩』

けるという ・白居易に至るまで、二人を比較して優劣を付

優劣論」として現れるのは、以下の作品においてである。 點は存在していなかった。それが明確に「李杜 ○元

故工部員外

杜君 時人謂之李、杜……至 係銘」

鋪陳 始、排比聲韻、大或千言、

數百、詞氣豪邁而風

深、屬對律切而脱棄凡

李 、則

不能 其 翰、況堂奧乎。(『元

集』卷五十六) (5)

○白居易「與元九書」世稱李、杜。李之作才矣、奇矣、人不

矣。索其風

律、盡工盡善、又 興、十無一焉。杜詩最多、可傳千余首、至于貫穿今古格 比

!于李。(『白居易箋校』卷四十五) (6)

ここで

韻律、作風、技巧、また風 較の對象としていることである。李白を基準に据えた上で、 "目したいのは、元白が杜甫を讃える際、李白を比

を凌ぐものとして 比興などにおいて、杜甫は李白

價される。裏

#せば、すでに高い

固まっている李白を相對 價が 人として $に貶めることで、杜甫を最高の詩 元 價しようとするものである。 (7)

と白居易が新樂府

%動を推

&していく上で、最も

したのが杜甫である。彼らは現實 價 '會を批

($に凝

いう )すると

點から杜甫詩に價値を見出した。そして、當時、第一

*詩人として誰しもが

+めていた李白を貶めることで、杜甫 ,における李白受容について(渡部)

(3)

の文學

文學 價値を高め、自分たちが杜甫の文學の中に見出した

張を、效果

元白の李杜 に世に喧傳しようとしたのであろう。

價が後世に與えた影

は非常に から考えれば、この方法 功したと言えるだろう。二人への

價に關する

料が李杜優劣論が

貞元時代の二人への こる元和までほとんどないため、大、 法自體が、李白の高い を抑えることが、そのまま杜甫を揚げることになるという論 價は空白になっている。しかし、李白 價を 提とするものであり、李白の しろ孤立した しかし、元白の唱えた「李杜優劣論」は當時においてはむ 推測されよう。 價は李白の死後から元和にかけて、相當に高かったことが

張であり、中

後期から

に至るまでを見

すなら、

代を代表する詩人として兩

見る を併稱して對等に 價が定

しているのである。李杜の (8)

を設け、杜甫を李白より優れるとした元 に敢えて優劣 少なくとも當時、多數 、白居易の發言は、

を する

戰 ろ、韓愈の發言に代表されるような當時の常識に對する、挑 ではなかった。むし な批 李白が生 のスタンスであったと見るべきであろう。

から ち得た作品に對する

られつつ引き繼がれ、中 價は、死後、高め

以後には、

代を代表する大詩人 としての地位がゆるぎないものとなる。特に、中

李白がすでに最も優れた詩人として目されていたことは、中 期に、

後期の元

、白居易の抑李揚杜の

價より

ることができる。このような に推測す 價は

に至っても變

ことはなく、中 する 白は より始まる「李杜」という竝稱の中で、李

に至るまで高い

興味深いのは、中 價を維持することになる。

では、「李杜優劣論」や、李白の文學 功績が

に關する記 んに論じられる一方で、李白の人生のエピソード 李白像 がほとんど見られないことである。以下、詩人 こととしたい。 について、「謫仙人」をキーワードとして考察する

(三 )

における李白

詩歌を見て氣づくのは、中

のと が好んで李杜を對比する である。詩人たちにとって、李白という詩人そのものが なり、李白が單獨で詩歌に表れている作品が多いこと

對象となり始めたとみることができよう。 價

(1)超俗

李白像について

後期から、李白のエピソードをふまえた、超俗

李白 中國詩文論叢第二十五集

80

(4)

像が詩の題材として見られるようになる。

吾愛李太白、身是酒星魄。口吐天上文、跡作人

客。

千丈林、澄徹萬

碧。醉中

承明盧、天子親賜 樂府、十幅筆一息。召見 。醉曾吐御床、傲幾觸天澤。權臣曲 才、心如斗黷窄。失恩出坪、

岳甘自

……竟

脇疾、醉魄歸八極。大 腐

(皮日休「七愛詩・李翰林」、『皮子文藪』卷十) 不可籠、大椿不可植。

この詩には、李白にまつわる樣々なエピソードが集

ず「宮中行樂詞十首」を一息で書き上げた、という天才 飮んでいるところを玄宗に召され、醉っていたにもかかわら 語られている。「天上文」という詩風の超俗性、市中で酒を に 詩の才能、玄宗手ずから な 吐くという傲岸さ、そして、「 事を賜った時、醉って「御床」に 臣」の嫉妬によって長安を

放されるという轉

。これらの

極」という語を介して、仙人李白のイメージを てが、「酒星」「醉魂歸八

特に、玄宗自らが羹を賜るという榮光の している。

讒言によって長安を 頂と、高力士の

放されるという轉

ドは、「身謫蓬棲金 を物語るエピソー

外、寶裝方丈玉堂

。虎靴醉索將軍用、 鴻筆悲無令子傳」(殷文圭「經李翰林

」、『

「玄宗 、詩』卷七〇七)

之七寶床、虎殿龍樓無不可。一

力士用靴後、玉上 蠅生一箇」(貫休「古意九首」其八、『

など、詩』卷八二六)

詩歌において特に多く見られる。さらに「夜

醉死此江邊」(項斯「經李白 歸未老、

」、『 として、詩』卷五五四)

年の夜

放という李白の人生第二の轉

ことが災いし、長安より ところで靴事件、すなわち醉って高力士に靴をがせた ている。 も取り上げられ は、實は初期の 放されるという有名なエピソード

!料には見られないものである。李白の傳記

!料において高力士が初めて言

(八一七年)に書かれた范傳正「 "されるのは、元和十二年 左拾

#翰林學士李公新

優寵是如。 においてであるが、この段階では、「仍命高將軍扶以登船、 $」

%而上疏

中、不能言 &舊山、玄宗甚愛其才、或慮乘醉出入省 '室樹、

(衿後患、惜而

に命じて醉った李白を船に乘せさせたことが )之」と、玄宗が高力士

ぎず、山へ歸ることは李白自身の自發 *べられるにす 希

+であり、李白の

,放な振る

-いも一因となって、仕方なく玄宗は李白を

.

から出したと

白が長安の宮 *べられるだけである。つまり、ここでは、李 .を 放されたことと高力士との因果關係は

における李白受容について(渡部)

(5)

く示されていない。「一

力士 靴後、玉上

休「古意九首」其八)に見られるようなエピソードは、中 蠅生一箇」(貫

期、長慶年 末 に

纂された李

『 國史補』の「李白

上命小閹排出之」として初出するものである。その後、『舊 後白稍能動索筆一揮十數章文不加點、對御引足令高力士用、 に「李白在翰林多沈飮、玄宗令撰樂辭、醉不可待、以水沃之、 靴事」

書』を始めとして、『

ようになる。つまり、 漲言』『本事詩』などにも見られる

靴事件は中

末期にようやく現れ、

に入ってから

李白の詩人像を たのである。 んに題材として取り上げられるようになっ

する最も重

な である。天上界から 素の一つが「謫仙人」

放された「謫仙人」が、人

ても長安からの 界におい 放、夜 (9)

への流罪と、

放と轉 を繰り

す。この轉

のエピソードが、李白という詩人の超俗

イメージを な

と形 め、「謫仙人」「酒仙」という詩人像がはっきり

「我愛李峨嵋、 されていったと考えられる。このような超俗性から、

不見。忽聞

宴。須臾不醉下碧 上騎鶴人、雲白正陪王母 、辧頭 浪鞭赤魚」(張跫「

李白」、『

詩補 と、死後昇天して仙人となった李白を』卷十一)

く作品や、「仙筆」(貫休「古意九首」其八)といった李白の超 俗

詩風

も詠じられるようになっていくのである

(2)懷才不

の詩人としての李白 では、このような超俗

とは 李白像と共に、後世の李白像 く なる、李白の不な側面に

!目した作品が現れる。

a氣

碧水鱸魚思、 "何人識、才高舉世疑。禰生狂善賦、陶令醉能詩。 、、、、、、、、、、

#鳥悲。至今孤

(許渾「 $在、荊棘楚江籔。

%經李翰林

&」、『 b李杜復李杜、彼時逢此時。干戈 、、、、、、、、、、 詩』卷五二九)

'(里、流

槙 向天涯。

)*於酒、

+生斷在詩。懷才不得志、祗 、、、、、

(杜荀鶴「江南逢李先輩」、『 ,滿頭絲。 、、、、、

夜c 詩』卷六九一)

歸未老、醉死此江邊。 、、、、、、、、、、

-闕官家禮、詩殘樂府篇。 .魂應到蜀、小碣豈旌賢。身沒

/何罪、

(項斯「經李白 0野火燃。

&」、『 詩』卷五五四

1

これらの詩では、世

に才能が

にまれなかったために懷才不 2められず、また時代に惠 たb・cでは、李白の人生における二度目の轉 3わったことが詠じられ、ま

と言える夜

への流罪にも言

4されている。aの許渾「

%經李翰林

&」 中國詩文論叢第二十五集 82

(6)

は許渾が四十

にしてようやく科

に あり、才能を 第した直後の作品で ている。また、bの杜旬鶴「江南逢李先輩」は、杜荀鶴が科 められることの無かった自己を李白に比定し に 同じ境 先輩」になぞらえている。つまり、許渾・杜旬鶴は、自分と 第した直後の作品であり、李白と杜甫を、自己と「李

であった懷才不

のである。 な詩人として李白をとらえている れたような超俗 における李白像は、皮日休「七愛詩」に見ら な側面のみならず、「不

= 會 高い官位を手に入れられない」をかこつ生身の人 名聲・

側面にも としての 目していたのである

さらに、 。

では李白の

に 目した作品が現れる。

d下

垂楊拂路塵、雙峰石上

苔文。濃霜滿徑無紅

絡日高枝有白雲。春砌 、 飄 旋 、 溪子 鶴先聞。

堪寂寞悲風

、、、、、、、、千樹深藏李白

、、、、、、、。(鄭谷「松」、『

詩』卷六七七)

鄭谷「松」では、尾聯において李白の

の寂莫たる樣子が

かれている。李白の

て八首みられる を詠じた作品は、鄭谷「松」を含め

。後でふれる白居易「李白

」を除けば、 李白の

目した作品は

とから、この時期に李白の 後期に至るまで見られないこ が ここで う。 目され始めたと言えるだろ 詩人が

に 目した意味を考えたい。人生の

焉を最も端

に象

しているのが

の である。特定の人物 いく を詠じるということは、その人物の、生まれて死んで

!に關心を

李白の "くということにつながるだろう。つまり、

が詠じられるということは、謫仙人としての超俗

側面ではなく、生身の人

としての李白が

このような世俗 いうことに他ならないのである。 目されていたと な李白を

にふさわしい官職を與えられなかった點に 詩文に見出すことができる。以下の作品では、李白が才能 く淵源ともなる作品を、中

目している。

e有之代宗登極、廣淹

#瘁、時君亦拜拾

君亦 $、聞命之後、

(劉 %矣、嗚呼、與其才不與其命、悲夫。

白「故翰林學士李君碣記」、『李太白

集』卷三十一)

f其

&也、當塗之

'人、代宗之初、搜羅俊

(、拜公左拾

$、制下於柚庭、禮

)於玄壤、生不

祿、沒而稱官、

における李白受容について(渡部)

(7)

嗚呼命與。(范傳正「

左拾 翰林學士李公新

太白 」、『李 集』卷三十一)

e、fでは、李白が代宗よりようやく

すでにこの世を去った後であった、という不幸が められた時には、

れず、又『舊 る。この記は李白と同時代の李陽冰、魏顥の序文には見ら かれてい か確定できない 書』にも記載されていないため、事實かどう

。しかし、李白の天才

俗 わしい官職をもって報われることは生涯なかったとする、世 詩才がそれにふさ な 點からの悲劇が記されている點が

さらに、このような 目される。

白居易「李白 點から李白をとらえた作品として、

」も

げられる。

g采石江邊李白

、遶田無限

雲。可憐

曾有 壟窮泉骨、

天動地文。但是詩人多

命、就中淪

(白居易「李白 君。

」、『白居易箋校』卷一七)

李白の

を詠じたとはいえ、「

零 命」な詩人の中でも最も した詩人として李白を詠じている

の頃の作品であり、自己と同樣の不 。白居易が杭州司馬

な存在として、李白が 意識されている。

後期の李白を詠じた詩で興味深いことは、

る。天才 の點であ 詩才を持ちながら、高位高官とは無

う現實 だったとい

側面。金星の

地上に墮とされて謫仙人と稱された、その超俗 としてこの世に生を享け、天上から

には酒を愛し、深山の生活を愛した、その飄 側面。さら らが、李白の中には混在していた。それが の側面。これ 白の中の現實 に至って、李 側面が取り上げられ

目されるようになるに い、その

會 轉 李白のイメージにおいて重 當てられるようになる。 のきっかけとなった長安放に焦點が

!な

「酒」である。李白は酒によって名を !素は、言うまでもなく て轉 げたが、また酒によっ した。李白は泥醉のあげくに、高力士に靴を

創作され、榮 ずる。このような酒にまつわるエピソードがまことしやかに その怒りを買い、また玄宗の床で嘔吐するといった失態を演 "がせで

#から轉 した詩人として、李白は

人に詠じられることになる。そして、この「轉 期の詩 劇」に

れて、天から放された謫仙人としての李白のイメージが $か

%

幅され、結果として、非現實の物語である「李白の仙人

が引き出されることになった。李白の現實に關心を持った &」

中國詩文論叢第二十五集

84

(8)

期の詩人たちによって李白の「人

」が促

しかし却ってその背後において、李白の「仙人 されるが、

ることになったのである。 」が催され を味わおうとした。 生き方にあった。李白の「詩」ではなく、李白という「詩人」 期の詩人たちの關心は、李白という詩人にあり、彼の

た。そしてこの時代に完 合わせて李白の人生を潤色することにも躊躇することはなかっ わい深いものにするために、あえて樣々なエピソードを貼り 期の詩人たちは李白の人生をより味 後世へと繼承されていくことになる。 された謫仙人としての李白像が、

李白像が形 という時代こそ、

される決定

な時期だったのである。

(四 )

詩壇を擔った詩人たち

では何故、

に至ってこのような李白像の形

たのであろうか。 が行われ 詩歌に見られる詩人は李白のみではない。

に至ると樣々な詩人が詩文に現れるようになる。その中でも の後 出するのが、杜甫、賈島、孟

然である

たちに共 。これらの詩人

するのは、文學

價の高さに比べ、世俗

比例しなかったという點である。このことは、詩人としても が 官僚としても世に

められた王維や張九齡、白居易と大きく

なる。その影

宗」と にほとんど歌われていない。例えば、代宗によって「天下文 を受けてか、王維、張九齡、白居易は詩歌

贊され、錢

ら大

十才子から高い

ある 丞維滄洲圖歌」など、繪畫に關係している作品がほとんどで 維は、わずか七首にしか見られない。しかも、皎然「觀王右 價を受けた王

。また、張爲『詩人

客圖

白居易も五首にしか見られない 』において最高位を占めた

このことから見て取れるのは、いずれも小官であった 。

詩人たちは、自らと同じように懷才不

であった

去の な詩人に自己を投影するようになったということである。 大 代詩人を詠じた作品を

る。彼らは、出世榮 荀鶴、鄭谷、殷文圭、曹松、釋齊己、釋貫休などが散見され 覽していくと、許渾、張跫、杜 とは

い小官で一生を

遁のを えたか、隱

!ばざるを得なかった詩人である

代における 。自らと同じ時 "

大な詩人

の中から、特に「懷才不

」に

た詩人 わっ

!び出し、詩作を

じて、自己の不

を昇 感、挫折感

#させていったのであろう。その

で、

に詠じられた 詩人たち 色され、『本事詩』や『雲仙雜記』、『 代詩人の人生は、詩に詠ずるにふさわしく脚

漲言』などに收

$され における李白受容について(渡部)

(9)

ているような樣々なエピソードが傳播していったのだろう

ここで重 。

なのは、

よりも、むしろその人生に關心を 詩人たちは、詩人の作品そのもの

特に、文學 いているという點である。

才能と世俗における

價に差のある詩人を

び、彼らの人生における轉

たのである。また、李白の場合と同樣、孟 や貧窮、超俗性を題材としていっ

の 然、杜甫、賈島 を詠じた作品が散見される。彼らの

不 を詠ずるのは、

明することに他ならない。 なままに世を去った彼らの人生に對する關心の深さを表

後期に李白の人生における轉 がクローズアップされ、謫仙人に象

される超俗

像が形 な詩人

されていったのはこのような

中 あったからである。 詩人たちの志向が では、あるべき詩歌の

開されていた。一方、 について、活發に文學論が展

になると、

李 期にあたる杜牧や の、後 隱らの作品においてはなお文學論の名殘が見られるもの 李杜優劣論爭でも明らかなように、中 人の人生に大きな關心を向けるようになる。 に至ると、文學論は影をひそめ、これに代わって詩

は、從來の文學

の打破を目指し、新しい文學

を た。そのような こうとしていた時代であっ

流の中で、

範となる作品が

定の肝

と なり、また、『詩經』、『楚辭』、魏晉南北

から中 で、各時代の文學に對する に至るま 一方、 彼らの文學そのものが議論の對象になってくる。 うな時代においては、李白や杜甫を取り上げる時にも、當然、 價も議論の對象となる。このよ

詩壇を擔ったのは、高位高官とは

中心であり、また彼らが生きたのは い詩人が 王

末期という衰

時代である。 の

る氣 の詩人たちは、もはや新しい文學を開拓す を持つこともできず、自らと同じように懷才不

た であっ

に 去の大な詩人を探して、そこに自己を投影するより他 李白に對する關心、また李白 !は無かったのである。

れと無 價も、このような時代の流

"ではなかった。

詩人は、孟

ら不 然や杜甫、賈島か な人生に

その人生の不 #目したのと同じように、李白についても、

に なったのは、不 #目した。ただ唯一、李白が他の詩人と 加されたことである。李白は、その超俗性のために轉 にとどまらず、そこに超俗という價値が付

の大きい天才を受け入れられなかったのである。 き目にあった。言い換えれば、俗世が、あまりにもスケール の憂 ちは李白のこのような超俗性に 詩人た

#目し、李白を仙人

たのである。それは、 $していっ

%

には李白と同等の才能を持つ自 中國詩文論叢第二十五集

86

(10)

分たちを決して受け入れようとしない世

たない不滿の表明だったのであろう。 に對する、やるか

李白は中

から

うことなく論じ、詠じ續けてきた。その結果、中 ち續けた詩人である。各時代の詩人たちは李白への關心を失 に至るまで、大詩人としての名聲を保

は、李杜優劣論を一つの軸に、李白の文學 において

論が深められ、

では、「謫仙人」としての超俗

な李白像が形

この一方で、中 された。

から

にかけて、不

白像も確かに存在した。しかし、 な詩人としての李 に において「現實の轉」 しむ李白像を超えたところに、超俗

な李白像が

れ、その 索さ

で李白の不

性は

ての高踏 第に淘汰され、謫仙人とし で闊

なったのである。 な李白が今日に至るまで繼承されることに

( 五)結語

以上、

代における李白

ら中 價を考察してきた。李白死後か にかけて、李白の文學

位置が確定し、

は、李白の詩人像が において に形

された。これは、中

、 おいて、詩人を に

價する基準が

なることを表している だろう。新樂府

動のような、新しい文學を

こうという

取の氣風のあった中

から

く になると、詩人たちを取り卷 會 境は一變する。不毛な政爭や、外敵の

王 攻の中で、

に向かう中、人

個人の生き方が、詩人

の中心となっていったと見ることができるだろう。 の關心 の詩人たちのこのような關心の中で、李白の

きく展開する。彼らは 價も大 念 としての生き方に な文學論を去って、李白の詩人

目した。その

で、世俗

榮 除され轉した不 から排 の詩人としての李白像が形

かしそれ以上に重 される。し に一 」「天上仙界からの轉のイメージと重ね合わされて、ここ なことは、この「世俗からの轉」が とである。 に「謫仙人」「超俗天才」という詩人像が結晶したこ

期こそ、まことに李白

價に決定

持つ時代だったのである。 な意味を

二〇〇〇年)、楊栩生「 (1)楊文雄『李白詩歌接受史』(臺北五南圖書出版公司出版 】

五代時人論李白

究』一九九四年集馬鞍山李白究 」(『中國李白

「 !出版)、胡可先 人

"

詩與李白詩」(『中國李白究』二〇〇〇年集)、胡 における李白受容について(渡部)

(11)

振龍「

五代人對李白詩歌

傳播與接受」(『雲

四卷四期二〇〇三年)、劉 學刊』第二 「 人對李白詩歌風格

「李白接受史 (『荊州師範學院學報』第二四卷四期二〇〇三年)、朱易安 」 文本 讀和替代

讀」(『中國李白

〇五年集馬鞍山李白 究』二〇

(上)―二回上京 (2)松浦友久『李白傳記論』第五章「李白における長安體驗 究出版)などがある。

に對する

長安體驗(下)―「謫仙人」の呼稱を中心に」( 問題」、第六章「李白における

文出版

一九九四年)では、李白が、當時、

を を得ていた賀知章から「謫仙人」という じて玄宗の寵愛 が與えた李白のその後の言動への影 て玄宗より翰林院に登用されたこと、「謫仙人」という呼稱 價を得たことによっ

(劉之」 (3)當時の李白詩歌の傳播について、「文集又無定卷、家家有 じられている。 白における「謫仙人」という呼稱の意味について、詳細に論 世の「酒仙」といったイメージの源泉となったことなど、李 、また「謫仙人」が後 白「

故翰林學士李君碣記」)、「早于人

得公 篇 句」(范傳正「

左拾 翰林學士李公新

劉 」)などがある。

白の碣記は貞元六年(七九〇年)、范傳正の

十二年(八一七年)に書かれている。 は元和 から中

(4)韓愈が李杜を論じた作品として、以下が 李白の詩文が廣く傳わっていたことがうかがえる。 にかけて、

數は『韓昌黎詩繋年集釋』(錢仲聯集釋上 げられる。(卷 古 出版

一九八四年)參照。)昔年因讀李白杜甫詩、長恨二人不相從。吾與東野生竝世、如何復躡二子蹤。(「醉留東野」、卷一)爲此徑須沽酒飮、自外天地棄不疑。

國 長醉多文辭。(「感春四首」其一、卷四) 憐李杜無檢束、爛漫 文章、子昂始高蹈。勃興得李杜、萬

(「 困陵暴。

馳坑跨谷未 士」、卷五)

!、爲利而止眞貪廻。高揖群公謝名譽、

"

#

甫白感至

$。(韓愈「酬司門盧四兄雲夫院長

才勸我試、死陵無人謫仙少歌。石鼓作文、手持石鼓生張 %秋)七、卷作」

&

將奈石鼓何。(「石鼓歌」、卷七)

之有天下、陳子昂、蘇源明、元結、李白、杜甫、李

皆以其能鳴。(「 '、 (孟東野序」、『韓昌黎文集校

)』卷四、馬

伯校

)中

*書局香

元 +分局一九八四年)

,「唐故工部員外郎杜君

書」が元和十年の作品である。ここに 敍「詩寄樂天」が元和十年(八一五年)、また白居易「與元九 係銘」が元和八年(八一三年)、

「 げた韓愈の作品は、

-張 兩られ、當時、韓愈を中心として、 甫見の作品がも同樣に湜皇子であった弟、郊孟詩友であった 八年)から元和六年(八一一年)までの作品である。韓愈の 」(卷九、元和十一年の作)以外は貞元十四年(七九

いう .を併稱する「李杜」と 價が定

年集釋』參照。 /していたと考えられる。繋年は『韓昌黎詩繋 中國詩文論叢第二十五集

88

(12)

(5)『元

集』冀

點校中

(6)『白居易箋校』朱金 書局一九八二年。

(7)この二作品と制作時期を 箋校一九八八年。

篇敵、蘇張筆力堡」(元 にする作品において、「李杜詩 「代曲江老人百韻」、『元

十)、「 集』卷

年逋客恨、

歎陳夫子「 (白居易「讀李杜詩集因題卷後」、『白居易箋校』卷十五)、 世謫仙悲。吟詠留千古、聲名動四夷」

名高折人常嗟李謫仙。 ,

思 ,

當時 減天年。不得 空令後代憐」(「江樓夜吟元九律詩 ,

七)など、元 三十韻」、卷十 た詩人として賞贊している作品が見られる。彼らが、風 ・白居易ともに李白を杜甫と同じように優れ

どの な

點から意圖

別な場合」を除けば、李白を相當に高く に杜甫優位の李杜優劣論を提唱する「特

(8) ければならない。 價していると見な でも、

代を代表する詩人として兩

「李杜」という を對等に見る 稱が定

(李 李杜操持事略齊、三才萬象共端倪。 している。

隱「漫

命代風騷將、誰登李杜壇。少陵鯨 五章」其の二)

動、翰

鶴天

(杜牧「 。

訪趙愿街西

大 居三韻」) 有李杜、後有元白、信

國初上好文章 (滔「答陳隱論詩書」) 滄溟無際、華岳於天然。

!風、特

"沈宋始興之後、

#出於江

於李杜極矣、右丞蘇州趣味澄夐、 $、宏思 %

&之貫逵、大

'十數公 抑、又其

(元白力勍而氣孱乃

(司空圖「與王賀 )市豪估耳。

公爲古風最善。自李、杜之後、風 詩書」)

!*喪、繼其美

一人。故白太傅讀公集曰、張公何爲 、唯公 府詞、章代少其倫。(張 、業文三十春。尤工樂

(9) +「張司業詩集序」)

,二 -書、第六章(二三三頁)に、李白が長安を

れた原因として、李白の「謫仙人」足ることを自 .放さ の放縱な言動が、 /した上で 0會

( 指摘さがれている。 組織に受け入れられなくなったこと 濤、刳 10)李白の詩風を表す作品として、齊己「讀李白集」に「竭雲

1鼇。搜括

23空牢牢、冥心入

珠 4怖。驪龍不敢爲 5、人 6物象不供取。

7飮

『人」(言是綺羅兒女夫氣、不丈一一須知、口傳炙嚼楊膾 48篇。餘千鏗玉金鏘、向懸圃

9

詩』卷八四七)とある。(

11)李白の超俗性を表す作品として、以下が

は『 :げられる。卷數

、留李首三千醉。高吟大生先鍾在、一時酒星與星何事文 9詩』による。

;

6<

常思李太白、仙筆驅 =明。(鄭谷「讀李白集」、卷六七五)

23。玄宗

。一可 >之七寶床、虎殿龍樓無不

?力士用靴後、玉上

@蠅生一箇。紫皇殿

五色 忽然掣斷仔金 A、 日詩中 B。(貫休「古意九首」其の八、卷八二六)

=酒中仙、

C地雄飛上九天。身謫蓬棲金

丈玉方堂 D外、寶裝 。靴醉索將軍用、鴻筆悲無令子傳。十字

EF三 における李白受容について(渡部)

(13)

尺 、只應吟客弔秋

。(殷文圭「經李翰林

雖稱李太白、知是 」、卷七〇七) 星 。御宴千鍾飮、蕃書一筆

杜工部、不錯 。宜哉 裕桃 (貫休「觀李翰林眞二首」其一、卷八二九) 騎鯨。

。吟狂鬼走、酒惕天地

。 芻生階除、漓之束

束。(貫休「書陳處士屋壁二首」其二、卷八二七)我愛李峨嵋、

不見。忽聞

宴。須臾不醉下碧 上騎鶴人、雲白正陪王母 、辧頭

浪鞭赤魚。……

憔悴爲酒客。……爾當三萬六千日、訪我蓬棲山。高聲 雲舊李白、

白、爲爾開玄關。天明 李 覺白亦去、兀兀此身天地

(張跫「 。 李白」(『

詩補

夜 』卷十一)

歸未老

醉死此江邊。 ,

闕官家禮

詩殘樂府篇。 ,

應到蜀 魂

小碣豈旌賢。身沒 ,

何罪

(項斯「經李白 野火燃。

謫下三 」、卷五五四)

列八仙、

羹鼎侍龍顏。吟開

闥窺天

金鑾待詔。舊隱不歸劉備國、 、醉臥

!魂長寄謝公山。

"

#$

應飛去、散入

%雲瑞日

。(徐盥「李翰林」、卷七〇八)

特に、貫休「觀李翰林眞二首」其一では、「宜哉杜工部、不錯

騎鯨」とあり、北宋期より

白が鯨の背に乘って天に昇った」という傳 &んに詠じられ始める「李

'にもつながる記 (であり、

( )目される。

12)同樣の作品に、許彬「經李翰林廬山屏風疊

*居」がある。 放逐非多罪、江湖偶不迴。深居應有謂、濟代豈無才。疊

+ ,舒障、

(『 -川暗動雷。誰能續高興、醉死一千杯。

( 詩』卷六七八)

13)皮日休「魯

.昨以五百言見貽、

/有襃美。坪揣庸陋、彌

0

愧悚。因

一千言、上

(吾 文物之

&、 1敘相得之歡、亦

2

和之

3旨也」(『

將奮亦、得時哉不惜。窗喧 、其子昂陳射洪「に、卷六〇九)詩』聲

拘攣。玉壘李太白、銅堤孟

李寬 4然。 5堪輿、孟澹擬糘漣。埋骨采石壙、留鹿門桴。俾其羇

。一可捐不字 !猗與子美思、不盡如轉死、。縱爲三十車、。孱覺天地實蝴

6作風 78、 に李白の不仙。當直接」とある。名輩或泝沿、際李杜於 9司歌眞埋、耒陽土知誰。權詠卻

:

を詠じてはいないが、李白と孟

4然について「俾其羇

、生身の人く詠じるのではなを俗性超の を詠んでいる。李白た人生し死窮に末白の漂というように、 !死」

として

しとて ら生き、死んでいった李白、というとらえ方をしているもの ;しみなが

( )目されよう。

14)李白の

を詠じた作品として、項斯「經李白

仔萬。泥如便去歡陪暫、事齊將曾一醉 下の作品がある。以、他。)の參照 」(五c頁

<李白 桓彝宅後溪。九 =路、碧浪 宣寄第「下愿趙( 自。西到日眠有、惆悵不 >霜中隨計吏盡春言莫。灌春畦江上年、十

?@中 A公」、『

八韻與五字、障爲時 詩』卷五四九)

*先。幽魂應自慰、李白

相 B

中國詩文論叢第二十五集

90

(14)

(鄭谷「弔水部賈員外嵩」、『

籠中江 詩』卷六七五)

禽、日夕有歸心。魏闕長謠久、伶山獨

群木 深。別時 、 處亂猿吟。李白

路、溪

(張喬「弔水部賈員外」、『 入林。

耒陽山下傷工部、采石江邊弔翰林。兩地 詩』卷六三八)

各三尺、欲

開解哭君心。(杜荀鶴「哭陳陶」、『

何爲先生死、先生 詩』卷六九三)

日新。

山明

(杜荀鶴「經 空銷骨、聲名不傍身。誰移耒陽冢、來此作吟鄰。 夜、千古一詩人。天地 山弔李翰林」、『

( 詩』卷六九一)

15)『新

書』卷二百二「文藝」には「代宗立、以左拾

而白已卒、年六十餘。」という記 召、

( がある。

「與元九書」では、「李白、孟 16)白居易には他にもこのような李白を詠じた作品があり、

然渦、不

というように、 一命、窮悴嶮身」

く官職を與えられなかった李白の不

に言 では「翰林江左日、員外劍南時。不得高官職、仍逢 し、また、「讀李杜詩集因題卷後」(『白居易箋校』卷十五)

「江樓夜吟元九律詩 亂離」、 三十韻」では「

仙。名高折人 歎陳夫子、常嗟李謫 、思

減天年。不得當時

(卷十七)と、不 、空令後代憐」

( わった人生を詠じている。

17) 詩歌に二首以上詠じられている詩人を

げる。()

は作品數。李白(二十八)杜甫(二十一)賈島(十八)孟

(張(二)白居易(五)王維(四)李賀九齡三)孟郊(三) 然(十) ( 陳子昂(二)。

18)王維と繪畫に關

閉門同隱士、不出動經時。靜堋王維畫、閑 する作品として、以下のものがある。

駲胤棋。

當薩 泉

、殘 下窗遲。卻想從來意、无

(韋莊「和友人」、『 亦自嗤。

一從天寶王維死、于今始 詩』卷六九六)

修夫子。能向鮫膀四幅中、丹

暗與春爭工。勾芒見應羞

!、暈綠堡紅漸分別。堪憐

(裴諧「觀修處士畫桃 似東風、一銀一枝隨手發。 "筆

#圖歌」、『

南歸乘客櫂、 詩』卷七一五)

$崎嶇。江上經時

含巉岫、雨氣泛 %、船中聽鷓鴣。春容

&蕪。 日停舟

(齊己「南歸舟中二首」其二、『 '、王維未有圖。

詩』卷八三八)

家畫としてより重 詩人が詩に王維を詠じるとき、詩人としてではなく、

(していたことが分かる。

( 端深い。興味りおして示をの一容受王維 るおけに期 19)『

)代詩話』(何文煥輯中

( *書局一九八一年)參照。 20)「吾愛白樂天、

+才生自然。誰謂辭翰

才 ,、乃是經綸賢。文 -從 .凩詩、作得典誥篇。立身百行足、爲文六藝

( 日休「七愛詩・白太傅」)など。 」(皮 21) 、五代の詩人に關しては、劉

/『 宋之際詩歌演變

0

究―以元白之元和體

1創作影

2爲中心』(北京師範大學出版 3二〇〇二年)第三章「

がある。 末五代詩人群體」に詳細な考證 における李白受容について(渡部)

(15)

( 22) 集二首」など)、 詩歌では、特定の詩人の別集を讀む(貫休「讀杜工部

居や を り う(殷文圭「經李翰林 ぎる、特定の人物を弔 また、このようなスタイルを詠じたのはに、本文に 」など)、という詩題が散見される。

げた が形 後期の詩人たちである。當時、ゆるやかなコミュニティー され、共

た、 可能性がある。この點については、今後の課題としたい。ま のスタイルによって詩歌が競作されていた 十九 書では、彼らをその境

から「

「隱 素詩人」、 詩人」「干

詩人」に分

し、各詩人群が、詩作を

て相互に交流があったことを示唆している。 じ 中國詩文論叢第二十五集

92

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