長崎大学教育学部社会科学論叢 第62号 1‑ 2 (2003)
女の戦略 としての夫婦同姓 篠 鹿 駿 一 郎
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∴.SHINOHARA●Shun'ichiro・
い ささか唐突の感 を免れ ないが、・r選択 的夫婦別姓」 を論ず るにあたってi.私 は、「人間 は動物 で ある
、
」 とい う単純 かつ厳然 たる事 実か ら始 めてみ たい
。 この別姓 ・同姓問題 に関 しては、・;や や議論 が出尽 くした感 も.あ り̀、屋上屋 を架す ことにな るの を避 けたいがためで もある。1
さて、動物 としての人間 に とって重要 なことは、なん と言 って も、個体の生存 と新 しい 個体わ再生産 、す なわち生殖 、で あろ う. その システ ムが機 能す るためには、 もち ろん、
動物学的にあるいは生理学的に異 な る男 と女の存在 が前提 に されてい る。文学や芸術 をは じめ文化 ・文明の総体 が詮ず るにこの システムを駆動 させ るための装置 で あるとも言 える で あろ う。
・男 と女 が愛 し合 う。女 が妊娠す る。女 は十 ヶ月の忍耐 を引 き受 けなければな らない。誰 のせいで もない。 それが女 に生 まれた とい うことの意味 で ある。 もちろん子供 を持つ持 た ないは生殖 に対す る女の 自己決定権 (リプロダクテ イヴ ・ライツ) に属す るとい うことを 認 めて もよい。 しか しなが ら、 ここではそ うい うことを問題 に してい るわけではない。女
は子供 を産 む性 で あるとい う一般的 な事実 を論 じてい るだけで ある。
また、あるフェ ミニス トの性科学者 は、いつの 日か科学 が発達 して人工子宮 が開発 され た暁 には、女 が生殖 か ら開放 され異の男女平等 が実現す る、 と述べていたが、 ここではそ の よ うなSF世界 を問題 に してい るわけで もない。 ただい ま現在 の時代 と社会 を問題 に し てい るので ある。
さて、妊娠 した女 は十 ヶ月の後 に出産す る。 これは もちろん 自分の血 を分 けた子供 で あ り、 その ことを女 は百パ ーセ ン ト承知 してい る。 ときには、生 まれて きた子の遺伝 的な父 親 がだれであるか定 かでない とい う事態 もあろ う。 しか し自分の子供 で あることは確 かで ある。
その確信の もとにい よいよ育児 が始 まる。 これか らが本 当の戦 いである。授乳や育児 は 基本 的に女の仕事 で ある。 もちろん人工乳 (ミル ク) もある し育児 を引 き受 けて くれ る施 設 を見つ けることも可能 であろ う。 しか し、母乳で あれ人工乳 であれ授乳 は母親 によって な され ることの意味 があるで あろ うし、.生 まれ たばか りの子供 を直 ちに他人 に任せて、 そ れで よ しとは考 えに くい。動物 と しての人間 に とって 「母親」 は特別の存在 で あるとい う
ことは証 明の必要 もない其実であろ う、。.
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さて、この よ うに、女 が産 む性 で あ り長期 にわたって妊娠 と授乳や育児 に従事す ること、
そ して人間の嬰児 は生理 的 に きわめて無力 で あること、 を考 えればす ぐにわか るよう に、
彼 らには彼 らを保護す る力 を持 った 「父親」 とい う存在 が ど うして も必要 なので ある。
2 女の戦略 としての夫婦同姓
それでは、女にとって、この父親 なるものの存在 を確保す るためには何が必要であろう か。 これは子供 を生み育て る女にとっては最 も重要な課題である。
まず必要なこと、それは、女は自分の男に 「この子はあなたの血 を受けた子です」 と確 信 させ ることである。そ して、そのために、女は貞操 を守 っていることを男に示す必要が ある。事実、一般的には、女は男 よりも貞操堅固であるとい うのは、少な くともこれ までは、
其実であったように思われ る (もちろん男は浮気 をして もよいと言 うつ もりはないが)0 この ことは単なる男のわがまま、あるいは男女不平等の象徴であろうか。そうではある まい。女の貞操 は女自身にとって賢い戦略だったのである。早い話、男は、自分の女が浮 気性であってその産んだ子が自分の子であるとい う確信が持てなかったな らば、彼 らを守 り育児に協力す る意欲 を持つであろうか。女の貞操 は男 にとって も女にとって も重要であ るのは明 らかである。
しか しなが ら、男女共同参画社会は着々と歩 を進めてお り、あらゆる面で男女平等 (そ の実 は同質化)が促進 されてい る現代、「処女」や 「女の貞操」 は死語 にな りつつ ある。
今や女は性的にも自由にな りつつある。女の仕事や私事における交友関係 は昔に比べれば はるかに広 く、もちろん、友人の中には男 も含 まれ る。残業や出張 あるいは単身赴任 さえ もあり、私的な時間 も自由に使 えるようにな りつつ ある。
そうい う中で、男は自分の女が産んだ子が自分の血縁の子であるとい う確信 をどのよう に形成す るのだろうか。 もちろん、これ まで男が女 を信頼 して きたように、これか らも信 頼 していかなければな らない。夫婦関係の礎は信頼である。だがそのような理想はこれか らも力を持ち続 けるだろうか。私は、女が性的に解放 されてい くとい う流れの中に家族の 崩壊 を導 く一つのベク トル を感 じざるを得ない。
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そ してこの家庭崩壊のベ ク トルに さらなる力を与 えるのが、選択的であろうが無かろう が 「夫婦別姓」 とい う家族制度の導入である。
婚姻に際 して、現民法下では、男女のいずれの姓 を選ぶ ことも認め られているにもかか わ らず
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パ ーセン トの夫婦が男性の姓 を選ぶ とい うのは、見方 を変 えれば、男女不平等 の表れではなく女の戦略だったのではないか。女は自分の姓 を捨て相手の姓に転化す るこ とによって、より強い 「精神的貞操」 を男に示 そ うとしたのではないか。男 と女が結婚 して子 をな し新たな家族 を形成する。そ して家族の生活の維持 と安全の確 保のためには父親が必要であり、そのために女は貞操 を守 り、そ して女 も子供 も男の姓 を 受け継 ぎ家族の秤 を強める。 これは 「人間は動物である」 とい う、浅薄な男女平等論 を吹
き飛ば して しまうほどの厳粛な事実か ら.出て くるものである。
夫婦別姓が実現 したときの、一つの具体的な場面を想定 してみよう.中村 さん (男) と 田中 さん (女)が結婚す る. ここで子供 を一方の姓に統一 して しまうとまたもや
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パ ー セン トが男の姓 を選んで しまうことになりかねないので、たとえば二人の子供は一人ずつ 中村 と田中にす るのが正当であろう。ここで残念 なことにこの夫婦が離婚 したとす る。話 し合いで中村 さんが田中姓の子供 を、
そ して田中さんが中村姓の子供引 き取 ることになった。そ して中村 さんは鈴木 さん と再婚 したとしよう。同 じよ うな事情で鈴木 さんに も山本姓の連れ子がいたとする。新 しい家族
篠原 駿一郎 3 は中村 ・田中 ・鈴木 ・山本の四姓か らなることになる。別姓派の主張の根本 は個人の姓 を 大切 にする とい うことだか ら、 ここで 「子供の姓 を親の姓 に合 わせ よう」 な どとい うこと は主張で きないはずである。
もっと複雑 なケース を考 えることもで きようが、要す るに別姓派の主張の行 き着 く先 は 姓 など要 らない とい うことであろう。国民総背番号の ように個人個人の識別名のみがあれ ば よいのである。
旧い家族制度 は確 かに否定 されて きた。 しか しなが ら、そのことは家族や親子 とい う関 係が全面的に否定 された とい うことではない。養育の権利や義務、あるいは相続 な どさま
ざまな場面で家族 とい うものが社会制度の中に組み込 まれている。そ して今 なおわれわれ は 「家族 を大切 に」 とい う文化の中に生 きている。
現代のわれわれは、夫婦別姓の導入 によって個人のアイデ ンテ ィテ ィーを大切 に し個人 主義 をさらに進める文化 を形成 しようとしているのか もしれない。それは うま くい くのか いかないのか、容易 に見通せ る ものではない。 しか しなが ら、この 「選択的夫婦別姓」 は、
少 な くとも動物 としての人間 とい う視点か らは、家族崩壊 を進めるベ ク トルに力 を与 える ものである とい うことをわれわれは承知 してお くべ きであろう。