情報時代における国語(日本語)表記のあり方について
国語教育勝俣隆
朝日新聞の1995(平成7)年1月4日付けの論壇(l)で、梅樟忠夫氏は、次のような発言をされた やや長くなるが、後半部分を引用したい。
問題はそのソフト面である。とくに情報ソフトのおおきな部分は言語情報でしめられている。
なかでも文字という記号系列による情報の伝達は、文明をささえるもっとも基本的な条件であ る。文字による情報伝達の道は、つねに効率よく整備しておかなければならない。この情報の 流路がつまると、社会はたちまち混乱におちいり、文明は停滞するであろう。今日の日本文明 において、もちいられている文字システムは、はなはだ不合理なものである。この「漢字かな まじり」という表記システムは、日本語におおくの混乱と非能率をもたらした。とくにヨーロッ パやアメリカにおけるローマ字がきの諸言語にくらべると、その効率性において比較にならな いほどおとっている。数千の文字要素を必要とする言語と二十個そこそこの字母でたりる言語 とをくらべたら、勝負はあきらかである。いままでのところは、この漢字かなまじりという不 合理きわまるシステムでなんとかつじつまをあわせてきたが、二十一世紀の文明をかんがえる
と、これでは情報の質と量において競争に勝つことはむずかしいであろう。
漢字で困難をきたしているのは、中国文明もおなじである。中国においても、その点ははや くから着目されていた。………わたしは、中国が全面的ローマ字化にふみきるのは必至だとみ ている。その時期は、おそらく日本語よりもはやいのでないか。そうなれば、日本はアメリカ などのローマ字国にくわえて、中国とのはげしい競争にたたされることになる。
日本語の場合は、そのローマ字表記のシステムが完成しているとはいいがたい。二十一世紀 における情報の国際競争を勝ちぬくためにも、いまこそ、その準備にとりかかるべきであろう。
氏の論は、正しいであろうか。結論から言えば、答えは否である。氏の論には、多くの疑問点が 指摘できるように思われる。
氏は、「漢字かなまじり」の表記システムは、「はなはだ不合理」で、「日本語におおくの混乱と非 能率をもたらした。」とする。氏が根拠とされているのは、「ヨーロッパやアメリカにおけるローマ 字がきの諸言語」が「二十個そこそこの字母でたりる言語」であるのに対し、日本語は、「数千の文 字要素を必要とする言語」であるから、「その効率性において比較にならないほどおとっている。と いう点にあると思われる。
確かに、日本語は、常用漢字だけでも、1945字あるから、その習得に時間がかかることは否定で きない。しかし、誤解してはならないのは、ヨーロッパやアメリカではアルファベットを完全に覚 え、かつ、逐一の単語のスペルを正確に覚えなくては、表記が出来ないが、日本語は、1945字の漢 字をすべて覚えなくては表記が出来ないというものではないことである。とりあえず、48字の平仮
名を覚えるだけで、小学校低学年段階で読み書きできる。これは、開音節語である日本語は、その 音節数が僅か102(112)しかないからである。濁音や劫音の利用で、わずか48宇を知っていれば、
すべての日本語が表記できてしまうのだ。これは大変素晴らしいことである。それに対して、例え ば、英語では、音節数が3000近くあるとされるから、アルファベット26字を覚えただけでは殆ど英 語らしい英語を表記できないのである。さらに、日本語は漢字がある御蔭で、単語を意味の面から 習得していくことが出来る。日本人は語棄の習得で漢字の存在のために随分と楽をし、徳をしてい ると思われる。ところが、アルファベットの表音表記をしている言語では、アルファベットに意味 はないから、一語一語意味を覚えていかなくてはならず、そのエネルギーは膨大になる。アルファ ベットのみを使っている言語の方が漢字仮名まじり表記を使っている日本語よりも、識字率が低い のは、その辺にも原因があるのではないか。また、穆着語である日本語には、欧米の言語に主流な 屈折語と違い、単複・人称・時制による複雑な格変化がないため、主語の違いによる動調の変化な どから自由であるもの、労力が少なく済むという点で、表記を易しくするのに貢献していると思わ れる。漢字を使うことで表記が難解に見えるのは、表面的な現象に過ぎないのでないか。平仮名だ けでも日本語の表記は出来るが、漢字に置き換えることで意味の限定が出来、より正確な日本語が 表記できるのである。段階を追って、少しずつ漢字を学校教育で覚えて行くので、その点でも無理 がない。識字率が他の国より高いのは、初等中等教育の充実もさることながら、日本語が漢字仮名 まじり表記をしているところに拠る所が多いのでないか。
本来、言語と表記の合理性や能率性は、そうした言語の性格に対して表記の形態が適切か否かに 基づいて評価されるべきであって、単に文字要素の多寡で決まるわけではない。言語の性格の違い を無視して、文字要素の数を比べても、ほとんど意味はない。日本語の表記には、単音表記のロー マ字よりも、音節表記の仮名と表意表記の漢字を併せた漢字仮名まじり文による表記の方が、より 合理性と能率性を持っていると言うことではないのか。
少し考えてみれば分かることであるが、漢字仮名まじり表記は、日本語のローマ字表記に比べ、
多くの点で勝っている。
まず、漢字は2音節から3音節が多く、平仮名・片仮名は1音節であるため、母音と子音の組み 合わせであるローマ字よりも、はるかに少ないスペースで表記できる。同じ内容の情報を伝えるの に、ローマ字表記では、漢字仮名まじり表記に比べ、
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倍近いスペースが必要で、効率が悪いし、不経済である。新聞紙なども、倍の紙が必要になるであろう。この点について、鈴木孝夫氏は、『閉 ざされた言語・日本語の世界.!I(2)の中で、次のように述べられている。
日本語の音節は、そういう事情から、子音・母音と切り離して考えられない一体として感じ られるのが普通で、...・H ・..日本語が仮名という音節文字を使っていることは、以上のように日 本語の音声構造上の要求を、最小の単位で過不足なく表わすために、実によく工夫されている ものなのであって、言語の構造上の必要から、単音に固有の文字をあてざるを得ない西欧諸国 のアルファベット二十六文字と、数の上だけで比較することはまったく意味のないことである。
もちろん日本語を西欧のアルファベットを用いて書き表わすことは可能である。しかしいわゆ
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るローマ字表記は、日本語の構造の見地からは無意味で不必要なレベルに、一段進んで音を表 記するという過剰表記になる(そこでたとえば日本語をローマ字で書くと長くなる)
第2に、漢字は表意文字であるために、ぱっと見ただけで、意味を把握できる。表音文字のロー マ字で、は、そうした芸当はできない。文字に意味があるということは、たとえ読めなくても、漢字 の意味から大体の意味が推量できるのであり、この点が表音文字のローマ宇との大きな相違点であ る。金田一春彦氏の『日本語』によれば、専門用語も、英語の場合は、一般人にはほとんど理解不 能であるが、日本語では、全くの門外漢でも、その漢字表記で、大体の意味が推測できる聞という。
これも、表意文字の漢字の特性であろう。鈴木孝夫氏は、この点について、前掲書で、次のように 指摘されている。
日本語が漢字を豊富に使い、しかもそれを音と訓の二通りに読むという習慣を確立したこと が、高級な概念や、難しい言葉を一部特権階級の独占物にしないですんでいる大きな原因なの である。
たしかに漢字の学習には時間がかかるかもしれない。しかしひとたび学習された漢字は、日 本人の日常卑近な生活のレベルに必要な安定したことばと、抽象度の高い高級な概念とを連結 する真に貴重な言語媒体としての機能があったとを、改めて認識する必要があるのではないか。
言語を一部の学者や金持ちの独占物としないためにも、漢字仮名まじり文は有効であることにな る。それに人名や地名などの固有名詞を考えても、ローマ字表記では、その名前にどういう意味が 込められているかが全く分からず、単なる識別のための記号になってしまう。例えば、佳子・良子・
美子・慶子・好子・義子・吉子・由子では皆意味が異なるのに、ローマ字表記ではすべて
YOSIKO
になってしまい、親が名前に託した意味合いを表現できない。つまり人間や土地を番号で呼ぶのと 同じことになりかねない。また、表音文字では、逐一の単語の意味を覚えるしか語葉を増やす方法がないが、表意文字の漢 字では、一つの漢字の意味を知るだけで、それに関する熟語が、芋づる式に増えて行くのである。
つまり、二千足らずの漢字を覚えるだけで、最終的には、何十万という日本語の熟語を理解できる ようになるが、ローマ字表記では、何十万の日本語を覚えるには、その数だけの単語として語棄を 増やさなくてはならず、多大な労力を要することになるのである。それにもかかわらず、そうした 漢字の有用性を利用せず、外来語を発音のままに片仮名表記することが増えているのは由々しき事 態である。片仮名表記は、音だけの表記であるから、その表記だけからは意味がわからず、逐ーそ の意味を覚えなくてはならず、習得する負担が極めて重くなっているのである。マスコミで片仮名 語を使うことが増え、意味が分からなくなったという慨嘆の声がよく聞かれるのは、まさにそこに 起因する。翻訳をやめてしまった結果から生じた片仮名語の氾濫は、日本語の表記から意味を排除 してしまったことに他ならず、日本語が貧しくなって行くことを意味する。何故なら、全く新しい 概念・事物の導入に片仮名語が使われるのならともかく、多くの場合、従来から使用されてきた漢 字熟語を放棄して、片仮名の外来語に置き換えているのに過ぎず、それは、意味がよくわかる漢語
が死語となり、代わりに音しか持たない分かりにくい日本語に置き代わって行くことを意味するか らである。
この点についても、鈴木孝夫氏は、前掲書で、次のように論じられている。
借用語は教育のない人によっては、機械的な記憶の負担を増す重荷となることが多い。日本 語のカタカナ語が増えることは、要するに一般の人にとってはよく分からない言葉が増えるこ とになるのだ。...・H ・..従って仮名書き借用語を思う存分に、そして正しく使えるのは外国語に 造詣の深い一部のインテリ段級に限られことになる。
実際、日本語に相当する言葉があるにも係わらず、街学的に仮名書き借用語を使いたがる人々が 多いのは困ったものである。
第3に、ローマ字表記の場合は、意味を区別するため、文節や単語等を単位として、分かち書きを しなければならないが、これが、実に大変なことなのである。点字は、表音文字で、基本的にロー マ字と同じなので分かち書きをするのが、この分かち書きの困難さが、点字表記の大きな問題点と なっている。ローマ字表記の場合も、全く同じ問題が生じるであろう。漢字仮名まじり表記が、分 かち書きの労力から解放された表記であることは、言うまでもない。
第 4に、日本語は同音異義語が非常に多いが、それは、漢字仮名混じり表記によってこそ、明確 に区別されるのであり、ローマ字表記では、判別が困難なことが多く、むしろ、伝達の効率を下げ ることになろう。情報は正確でなければ、意味がないからである。現にマルチメディア時代の新し い媒体として注目されている「電子ブックJの検索法について、『情報の仕事術.!I(4)の中で、山根一 員氏は次のように批判されている。
検索語の入力に漢字が使えず仮名だけというのは、最低の設計である。 r鈴Jを調べたいから と、「すずJ と入力すると、「鈴」、「錫」、「涼」、「珠洲」と同音異義語が並ぶ。目的以外の項目 のノイズがどんどん入ってくるのだ。これは、ひどい。...・H ・..古典文学などで「読み」が不明 なものがある。不明でも、漢字という表現手段をもっているのが日本語の豊かなところだ。だ が、[電子ブック]は、そういう文化を拒否している。
山根氏の見解には、全く同感である。豊かな表現手段としての漢字を拒否する必要は全くないの だ。ただ、山根氏も指摘されているように、漢字の中には、「読みJが不明なものがある。人名など も、どう読んだら良いのか困るものがある。それを解決する方法としては、かつて、阪倉篤義氏仰 が主張されたように、ルピ(振りがな)を復活すれば良いのである。戦前の新聞はすべて振りがな がしてあったそうだ。全部の漢字にルピを振る必要はないが、難しい漢字・誤読の恐れのある漢字 にルピを振るだけで、そうした問題は解決できるはずである。
第
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に、日本語は、漢字・平仮名・片仮名・ローマ字を組み合わせて、複雑な内容をきめ細かく 書き分けていることで、視覚的に判りやすく、表現豊かな言語表記がなされていると言えよう。つ まり、名詞や動詞・形容詞などの語幹は表意文字の漢字で書かれて意味が明確に表示され、助詞・助動詞など語の関係や格を表わす辞に当たる部分や用言の活用語尾は、平仮名で表わされ、外来語
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等は片仮名で表記されることにより、語の内容・関係が極めて明確に把握されるのである。さらに、
時間・回数・年数等は洋数字も、漢数字も必要に応じて使用でき、項目を並べる時はアルファベッ トを使うなどバラエティに富んでいる。これ程種類の豊富な文字を使った言語は他にないのであっ て、この表現の豊かさが日本語の特色であり、むしろ優れた点といえよう。ローマ字書きでは、こ の豊かさが明らかに失われてしまう。
第6に縦書き・横書きの問題がある。ローマ字では、横書きしかできないが、漢字仮名まじり表 記では、横書きも縦書きも自由に出来る。縦横好みのままというのは、考えてみれば素晴らしい表 記手段と言える。日本語の表記を縦横のどちらかに統一しようという意見があるが、せっかくの特 長を捨てて不自由な書き方にするのは勿体ないことである。必要に応じて縦横を使い分ければ良い のである。横書きの言語が多い中で、縦書きも出来るということは、いろいろなメリットがある。
代表的なものは、本の背文字である。日本の書物は縦書きで書名を記入できるため、書名が見やす く、書庖や図書館で本を探すのに極めて便利である。欧米の言語で書かれた書物は背文字が
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度歪 んで書かれているので、非常に読みにくい。顔を9 0
度曲げないと、読みづらいような書き方は、基 本的に背文字としては失格である。また、都市に溢れている看板も、日本は縦横自在であるが、欧 米では、横の看板が主流で変化に乏しいし、横に大きくスペースばかりとってしまい、融通性に欠 ける。中国語も同様であるが、縦書きが出来ることは言語表記として非常に優れていると言えよう。それを、わざわざ縦書きが出来ない不便なローマ字に変える必要はあるまい。
第7に、表記のスピードの問題がある。一見、ローマ字書きの方が使用する文字が少ないので、
スピードは早いように恩われる。そして、画数の多い漢字に比べて、ローマ字の方が筆記のスピー ドで優れており、だから日本語表記は漢字仮名まじりから、ローマ字や仮名のみに変えるべきだと いうのが、ローマ字論者や仮名文字論者の言い分であった。
ところが、先にも少し触れたように、ローマ宇や平仮名の専用論では、どうしても分かち書きが 必要になってくる。だが、この分かち書きが曲者で、どこで切るかは、かなり困難な問題なのであ る。そのルールを決めるのがまず大変だし、決めたルールに従って表記することがかなり大変な作 業なのである。点字は、基本的にローマ字や仮名専用論と同じことが実践されているのだが、点訳 者はいつも点字表記辞典を携えていないと正しい点字の分かち書きが出来ない状態である。情報の 手段としては、分かち書きが誰でも同じようになされなければ正しいやり取りが出来ないわけだか ら、そのために多くのエネルギーが使われることになる。決して、文字素が少なければ早く交信で きるといった単純な問題ではないのである。
その上、筆記という点に関して言えば、ワープロやパソコンの普及で、漢字仮名まじり文の表記 が大変スピードアップされ、かつてのローマ字論者や仮名文字論者の主張の拠り所であった、漢字 仮名まじり文は表記に時間が掛かるから不便だという前提が全く崩れてしまったのである。分かち 書きの不便さを考えれば、分かち書きに頭を痛めなくても済む漢字仮名まじり文の方が、電子機器 の利用において、恐らく筆記の速度でも勝っているだろうと推測される。これは、正確には実験で 検証するべきであるが、取りあえず、推論を述べて置く。
第8に、読む速度の問題がある。ローマ字専用論者や仮名文字専用論者は、書く速さは問題にし
てきたが、読む速さは問題にしてこなかった。というのは、読んで、正しく意味を理解するという 点においては、漢字仮名まじり文の方が速度の点でも勝っていることを内心では認めていたからで ある。だから、論点を専ら筆記の問題に絞っていたのである。しかしながら、文字が書くものであ るとともに、読むものであるからには、読むという視点を除外することは本来あってはならないこ
とであった。
上述したように、日本語は同音異議語が極めて多い。それ故、ローマ字書きの場合、意味の特定 が困難になる場合が多数生じる可能性がある。どういう意味か判定するのに多くの時間がかかり、
結果として漢字かなじり文よりも、文の内容を正確に理解するのに、より多くの時間を必要とする のである。また、漢字仮名まじり文は、漢字と平仮名・片仮名・洋数字・アルファベットが巧みに 組み合わされ、意味の把握が極めて的確に行われるようになっている。場合によっては、漢字だけ を飛ばし読みしても、大体の意味は理解できてしまう。ところが、ローマ字は、単調なアルファベッ トの繰り返しだから、めりはりがなく、単語の区別も定かでなく、勿論飛ばし読みもできない。漢 字という表意文字でないから、意味は逐一考えなくてはならず、その結果、時間が余計に掛かるの である。
石川啄木に
r
ローマ字日記z
というものがあり、手軽には岩波文庫で手に入るので、ローマ字の 部分と漢字仮名まじり文に直された部分を読み比べてみればよいが、遥に短い時間で、漢字仮名まじり文の方が正確に読めるはずである。
以上のように、ローマ字表記と漢字仮名まじり文を比べたら、読みの速さと正確さにおいて、断 然漢字仮名まりじ文の方が勝っているのである。
第9に、表現の豊かさの問題がある。漢字には意味があるから、そこからいろいろな連想が働く。
桜は春の花、春の美の代表であり、楓は秋の紅葉の代表、秋の美の代表である。それ故、桜楓とい う名は、春と秋の美を兼ね備えた美しい名前である。ところが、その美しい名前を捨てて、 r桜楓社」
という出版社は「おうふう」と平仮名書きの社名にしてしまった。平仮名書きによって、社名が意 味を失い、単なる記号化してしまったわけで、勿体ないことをしたものである。同様な社名変更は 枚挙に暇がない程であるが、どれも、何の会社かすら不明になっているものが多い。意味がない記 号化された名前では、何ら愛着も沸かないであろう。
JR
やJA
は国鉄や農協と比べて、音声的に も、意味の明確さからも、遥に劣った名称、と忠われる。 rJJという音は濁音が耳障りであるし、表 音文字であるから、 r国」と違い、意味の特定ができない。それに、何で、そもそも、日本の法人の 名称、が英語の略語でなくてはならないのかと思う。ローマ字書きなら、 N TやN Nでも良いはずだ。明治以来の近代化が欧米化と同義語であったために、未だに、欧米への劣等感から抜け出せないの は何と悲しいことではないか。それに対して、関西国際空港が関空という略語を作ったのは、評価 できる。略語は基本的に一目で理解できるものが望ましい。
ローマ字化は、漢字の持つ意味の切り捨てに他ならず、表現を貧しくする行為である。特に、日 本の文学を考えた場合、表現手段がローマ字だけになったら、今までよりも、はるかに劣った作品
しか作られなくなるだろう。例えば、ローマ字書きでは rHitOJとしか表現できない「人」は、漢 字仮名まじり文では、「ひとJrヒトJr人Jr女Jr彼女Jr彼Jr他人Jといった表現が可能で、それ
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ぞれ意味は微妙に異なるのである。俳句や短歌といった短詩形の作品においてはなおさらである。
漢字を使うか平仮名を使うかによっても、微妙なニュアンスの違いが生まれるのである。そんな繊 細な表現は、ローマ字表記で、はとても表わすことはできない。
第
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に、日本語表記をローマ字書きにしてしまった場合、従来の膨大な記録・情報との断絶とい う問題が出てくる。仮に、学校教育でローマ字しか教えなくなれば、今までに営々と積み上げてき た書籍・雑誌・新聞・その他、漢字仮名まじり文で書かれたものが、早晩読めなくなってしまう。これは、日本人と日本文化にとって重大な損失である。一方、学校教育では、今までどおりに、漢 字仮名まじり文を教えるのなら、その方が表現手段として勝っているのだから、敢えて、ローマ字 で表記し、ローマ字を読む必要もない。文化の継承という観点から見ても、ローマ字表記に統一し ようという発想はデメリットの多い無理な発想であると言えよう。
第11に、コンビューターとの関係がある。
浜野保樹氏は、『マルチメディア マインド,n<6)の中で、コンビューターはアメリカで生まれたも ので、アメリカ文化の産物なので、日本語には不向きであることを指摘されている。浜野氏は、そ の中で、コンビューターの画面上の文字を朗読することは日本語では困難であると指摘されたが、
その指摘から1年もたたないうちに、日本語でもそれが可能になった。技術は日進月歩である。タ イプライターでは不便であった漢字仮名まじり表記がワープロ・パソコンで容易になったように、
日本語では困難とされたことが、次々と技術的に解決されている。現在、様々の英語を使って行わ れているコンビューターの操作が、翻訳機能を使って日本語ですべて操作できるようになれば、コ ンピューターの使用人口も、年齢層に係わらず、はるかに増大するであろう。そして、コンビュー ターの命令語を日本語に置き換えることは、決してそんなに困難なこととは恩われない。例えば、
英語や片仮名語に括弧を付けて、日本語の意味を記すだけでも、電子機器の操作は随分易しくなる はずである。パソコン通信にしても、将来的には、日本語で打ったものが、即座に流暢な外国語に 変換され、どこの国の人とも、その国の言語で応答できる日が来るのではなかろうか。現在のイン ターネットは、英語が共通語となっているが、これでは、英語国民のみが圧倒的に有利で、他の言 語を使用する人は、情報的に極めて不利な状況に置かれることになり不公平である。情報は、すべ ての国の人にとって、平等なものでなくてはならない。そのためには、自国語で自由に通信できる システムが絶対に必要である。その場合日本語は、漢字仮名まじり文が意味を正しく判別するため にも望ましいのであって、ローマ字にする必要は全くない。
第
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に、用字と国際競争力の関係についてである。国力や経済発展が、漢字の使用で阻害されているという見方が誤りなのは、漢字、それも省略さ れない!日来からの漢字のみを使用している台湾が、世界経済の中でみても、膨大な外貨準備高を抱 え、順調に成長を続けていることからも明らかであろう。その国の用字が何であるかは、経済や社 会の発展とはほとんど無関係なことであって、ローマ字表記にしなければ、 r情報の国際競争を勝ち ぬけない」などというのは、考えにくことである。梅椋氏の論は、用字と社会の発展の関係を、安 易に短絡的に結び付け過ぎているのでないか。
鈴木孝夫氏は、前掲書の中で、次のように述べられている。
幕末から明治初年にかけての前島密の漢字廃止案に始まり、森有穫の国語英語化論、そして 田中館愛橘の羅馬字会の設立に至る一連の国語改良変革運動を支えていた思想的根拠は、今か ら見ると非常に単純なもので、次の図式で簡単に示すことができる。
西洋文明の決定的な優位一日本の立遅れー西洋言語の優秀性一日本語の劣等性一国字の非能 率一国語改良の必要(漢字廃止または仮名書き、そしてローマ字化)
鈴木氏は、この図式の誤りを著書で述べられているが、梅樟氏の論はまさに、この図式そのもの でなかろうか。
結論として、梅梓氏の「日本語のローマ字化」は、もし、本当に実行したとしたら、むしろ「社 会はたちまち混乱におちいり、文明は停滞するJ可能性さえある危険な面を持とう。
日本語をローマ字表記に統一しようという考えには、ほとんど利点はなく、不利益の方が遥に大 きいと言うべきであろう。漢字仮名まじり文は、梅梓氏の指摘のごとく「非能率Jで「不合理きわ まるシステムJでは決してなく、日本語のローマ字表記に比べたら、むしろより多くの合理性と能 率性を持っていることを正当に評価すべきである。
注
(1) 朝日新聞、論壇の「情報時代と日本語のローマ字化」の記事に拠る。
(2) 鈴木孝夫氏『閉ざされた言語・日本語の世界』新潮社、昭和50年 3月に拠る。
(3) 金田一春彦氏『日本語新版(上).g岩波新書、 1988年1月に拠る。
(4) 山根一翼氏『マルチメディア版情報の仕事術(上).11日本経済新聞社、 lω4年9月に拠る.
(5) 阪倉篤義氏 r(読む人・書く人・作る人〉ルピの復権.J (Ii'図書.!I331号 岩波書庖、昭和52年3月号に拠る。
(6) 浜野保樹氏『マルチメディア マインド.11BNN、1993年12月「コンピューターは日本語を駆逐するか」に拠 る。
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