• 検索結果がありません。

ツ リ は 背 徳 の 徒 に 微 笑 む か ?

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "ツ リ は 背 徳 の 徒 に 微 笑 む か ?"

Copied!
47
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

7

7 『岡山大学法学会雑誌』第60巻第 1号 (2010年8月)

マ キ ァ ヴ エ ツ リ は 背 徳 の 徒 に 微 笑 む か ?

‑マウリツィオ・ヴイロリにおける徳の概念について(二・完)‑

秀 臣

一はじめに

二公民的徳「徳(以)メ.徒に?(以)

三二徳と戦争

四結びにかえて

美徳は狂暴に抗して'武器をもって起たん

戦火はすみやかに穂(や)まん

イタリアの民の心に

古えざれば

‑ペ‑ラルカ﹃カ(第1L)

七七

(2)

(60‑ 1) 78

三マキァヴエツリは背徳の徒に微笑むか?

ヴィロリの二つのテーゼ

ここからはヴィロリの徳観念がマキァヴエツリの意図に即しているかどうかを検討することにしよう。まずこれ

までのヴィロリによるマキァヴエツリの徳の解釈を振り返り'その中心的な考えを要約しておこうrJヴイロリによ

れば、マキァヴエツリは'公民的徳性を個人の自由の前提条件として捉えていた。徳の陶冶は、個人の自由に反す

るどころか、同質的かつ排他的なナショナリズムではな‑'「自由を維持する政治的諸制度と生活様式」へと向けら

れたパーリオティズムに基づ‑がゆえに'けっして危険ではない。それは宗教や戟争とも無関係である。すなわち

それは'!方で単1の宗教への信仰を強要する狂信的ショ

ビズムと区別され、他方で領土拡大を目的とする侵略

戦争とも切断される。それは'多様な価値観の存在を許容する多元的で、かつ安定した平和な社会と両立する。し

たがってそれは'すでに公共心を失ったわれわれの現代社会にとっては'むしろその復活が求められる必須の要請

である。そしてそれは、マキァヴエツリの共和主義的解釈を通して再現されることができる。マキァヴエツリは'

多元的で安定した社会に住まう'われわれ背徳の徒にも微笑むはずであろうから‑と。

本稿の後半では'前記のヴィロリの主張を次の二つの側面から検討したい。すなわちヴィロリの徳解釈は'①宗

教・信仰の側面と'②戟争・軍事の側面から'マキアヴェッリの意図を正確に捉えているか'そしてそれゆえにそlil)れが現代の多元的で平和な社会において真に妥当性を有するかについて検討する。このような問題関心から'ヴイ

ロリの主張を次の二つのテーゼに分けて考えてみる。

(3)

79

マキ ァヴェ ッリは背徳の徒 に微笑 むか ?

公民的徳性は'社会の多元的状況と両立し、宗教の強制を伴わない。

マキァヴエツリにおいて、徳と宗教とは峻別される。人格の陶冶はある特定の宗教に基づいて強要されるので

はない。人格が陶冶されるべきなのは'ある特定の宗教の教義や真理によってそう求められているからではな

。マキァヴエツりの下では'徳の陶冶は'複数の宗教が並立・共存し、かつ各人がそれらの中から自ら選択

た宗教を信仰する多元的社会においても可能であ‑'個人の信仰の自由を否定することはない。

②公民的徳性は、平和で安定した社会にも求められ'軍事的な意味をほとんどもたない。

マキァヴエツリにおいて、徳と戦争とは切‑離される。たとえそれらが結びついたとしても'自由を維持する

ために必要な場合に限られる。戦争は'自由を維持・保護する限りで求められるにすぎない。マキァヴエツリ

の下では'徳の陶冶は'自由のためにのみ軍事的意味をもちうるだけで'平和で安定した社会において必要と

され、個人の私的生活を乱すことはない。

これらの二つのテ

ゼは'マキァヴエツリの文献の解釈を通して完立されうるだろうか。また、それらは徳なき

現代社会に生きるわれら背徳の徒にとっても妥当するだろうか。以下では'二つの小節に分けて'それぞれのテー

ゼを検討することにしたい。

三.一.徳と宗教

まずヴィロリの第一テーゼ「公民的徳性は'社会の多元的状況と両立し、宗教の強制を伴わない」からはじめよ

七九

(4)

(60‑ 1) 80

う。ヴィロリによれば、マキァヴエツリにおいて、宗教と徳とは直接的な関係にはないと捉えられていたtという。

彼と彼の影響を受けた共和主義の伝統において、人々は同質的で画1的な宗教的共同体に届することが求められて

いたわけではない。単二特定の宗教を信仰するように強要することは'社会の多元性を否定ないし破壊する点で

望ましくはない。マキァヴエツリにとって、l示教教育は徳を陶冶・育成するための手段にすぎなかったのである、

と。

徳と宗教はどのように関係するか

だがマキァヴエツリがどのように宗教と徳との関係を捉えていたかについては'かつてから争いがあったところ

である。論争の焦点は、マキァヴエツリが﹃ディスコルシ﹄の一巻一〇章において'古代ローマの創設者ロムルス

と立法者ヌマの関係をどのように捉えていたかにある。マキァヴエツリによれば、ロムルスはロ

マ建国者にして

政治家であり、ヌマはロ

マ法の定立者にして宗教家でもあった。マキァヴエツリは'この箇所で

「尊敬を受ける

べき人物」として預言者

立法者'戦士を順次列挙するのであるが、そのあいまいな記述が'彼が政治と宗教との

関係をどのように捉えていたかについて相異なる解釈を招いたのであるo

l方でジョン・ポ

コック(JohnP

oc oc k)

は、ヴィロリと同様にマキァヴエツリを共和主義の伝統に位置づけよ

うとする立場にいるのだが、マキ

エ ツ

リにおいて宗教と徳との関係は希薄であった、と主張する。ポ

コック

によれば、マキァッヴエツリにおいて、宗教はあ‑まで政治に従属するのであって、徳が市民の日常的な営みのな

かで陶冶されるのであれば、「宗教上の習慣は市民的徳を構成する様々な事柄のご‑一部でしかない」。もちろん宗

教的な儀礼や祝祭は、市民の普段の営みのなかで実践され継受されてい‑のであれば、それらもまた部分的に徳の

陶冶に貢献するのではあろう。ただ宗教は、徳の陶冶を行う唯一無二の手段ではありえない。すなわち「人間の性

(5)

8

1 マキ ァヴェ ッリは背徳 の徒 に微笑むか ?

質は変えうるから'宗教は市民的徳の前提条件であるとしても'徳は市民的な枠組みのなかでのみ存在できるとす

れば、宗教は徳それ自体ではない」、のである。

他方でレオ・シュトラウス

(L eo

Strauss)は'ヴィロリと反対にマキァヴエツリの共和主義的解釈を否定する立

場にいるのだが、マキァヴエツリにおいて徳と自由とは疋の関係があると主張している。シュトラウスによれば'

マキァヴエツリが「宗教」という語を用いる仕方には二つある。ひとつは「宗教」を派閥

(se c

t)あるいは覚派クェルフィギヘッ

リ‑ 二 (p ar ty )

として理解する仕方であり'これによってマキァヴエツリは'たとえように'必ずし

も共和国に共通する

的や善を志向せず、各集団固有の特殊利益によって結合する社会的部分集団のことを意味す

る。ここではもうひとつの用法の方が問題となるが'それは「宗教」を「徳の1部あるいはさまざまな徳のなかの

ひとつとして理解する」仕方であり、これによってマキァヴエツリは、神の力や叡智を理解するための基礎を意味

している。ここではマキァヴエツリは'ロムルスは依然として堕落したままのローマにおり'単にローマに武器を

与えただけであって'ヌマこそがローマ共和国に宗教をもたらし、その結果として善と徳を与えた、というのであ

る。マキァヴエツリにおいて、宗教の創設者により高い評価がなされているために、「宗教は徳の一部であるか'あ(v︺るいは徳へそのもの)である」とされているのである。

徳と宗教との関係についてのヴィロリの理解は'いわばこれらの両極に位置する解釈のうち'ポ

コックの極に

近いことは間違いなかろう。ヴィロリもまた'ポーコックと同様に'公民的徳性を陶冶するにあたって宗教がもつ

役割を特権祝してはいないからである。だがヴィロリとポコックの理解は'シュトラウスの主張するように'争

いの余地があるのではないか。ヴィロリが第一テーゼを支持することができるのは'マキァヴエツリが、多元主義

を否定せず宗教の強制を伴わない形で'徳の陶冶を行うことができる「宗教」のあり方を示せる場合のみである。

問題は'マキァヴエツリ自身が、「宗教」によって何を想定し、何を念頭に置いていたかである。

八一

(6)

同 法 (60‑ 1)82

八二

キリス‑教はヴィルーウを失わせたがゆえに非難されるべきである

ヴィロリの主張するように'マキァヴエツリがある特定の宗教に基づいて徳の陶冶を行うべきだと考えていたわ

けではないのは確かである。マキァヴエツリが「宗教」によって念頭に置いていたのは、たとえば彼の同時代で最●■■●●●●●●■●■●●●●■●も支配的な影響力のあったキリス‑教のことでは必ずしもなかった。この点そのものには'争いはない。たとえば

クエンティン・スキナ‑(QuentinSkinner)は'マキァヴエツリはキリスー教を非難したのであって'その非難の

理由は'キリス‑教が現世での共同体の栄光や幸福を否定して'彼岸での魂の救済と神への畏怖を説いたことにあ

る・としている。人々は'神の威光を怖れ天国での幸福に心を割‑あまり、「無為に(se

co nd o J

.

oz to )

」怠惰に現世(5)の生を送り'現世での共同体の利益には振‑向かな‑なったからだtというのである。またシ

ュ ー

ラウスも'マキァ

ヴエツリはキリス‑教に批判的であったとした上で、彼の批判の理由が「キリスー教が世界を脆弱にした」ことに

あると指摘している。マキァヴエツリは'キリス‑敦がそれ以前にはなかったほど神への畏敬を誇張Lt人々が自

分たち自身の名誉や栄光を求めることを否定することによって'人々の資質を弱め'血肉や意志への信頼を失わせL仁U」てしまったことを非難したのだ、と。

これらの論者が指摘するように'マキァヴエツリはキリスー教に対して概して嫌悪感を抱いていたと言われてい

(

7

Dとりわけその理由は,キリス‑敦が人々の資質と性格を根本から変貌させてしまったことにある。彼は﹃ディ

スコルシ﹄において'次のように述べている。

ところが今日われわれの信奉する宗教は'行動的な人物よりは'目立たない暁想的な人物をもちあげる傾向がある。その

うえ現代の宗教は'服従'謙遜をもっとも貴いことと考えて、人間が対処しなければならない日常の事柄をさげすむ。

‑ところで'現代の宗教がわれわれにた‑まし‑あれと要求する場合'なにか大事業をやれと言っているのではな‑て'

(7)

83

マキ ァヴェ ッリは背徳の徒 に微 笑むか ?

忍従できるような人間になれ、と言っているのである。‑・・・世の中に惰弱な風潮がみなぎり、神意のほどもその威光を失ヴ‑ルトウ墜するようなことにでもなれば、それはまさし‑安逸をむさぼ求めずに自分たちの宗教を解釈しようとしてきた・J・現代人のだらしなさによるものといえよう。

ここで記されている「今日われわれの信奉する宗教」'あるいは「現代の宗教」とは'言うまでもな‑キリス‑教一qこのことを意味するDマキァヴエツリによれば'「われわれの信奉する宗教」'つま‑キリス‑教は'人間の資質と性

格を弱め'駄目にしてしまった。それは'神への畏敬や来世での幸福を誇張することを通して、人々を服従'謙遜'

忍耐といった非活動的で非行動的な徳性を植えつけた。これらの資質は、マキァヴエツリが理想としたヴィルーウ

とは異なるDマキァヴエツリが理想としたヴ‑ルーウとは'古代ローマで見られたような「強靭な精神、頑健な肉汁体'さらにこのほか人間をこのうえもな‑力強い存在に鍛えあげうるすべての事柄」にかかわるのであって'キリ

スー敦の美徳に比べてはるかに活動的で行動的である。キリス‑敦は'人々からこのようなヴィル‑ウを奪い'人「‖)々を「堕落」させてしまったのだ、というのである。

古代ローマの宗教はヴィルーウに資するがゆえに称賛されるべきである

このマキァヴエツリのキリスー教批判は'ロ

マの古代宗教の称賛といわば表裏関係にあるtと様々な論者によっ

て捉えられている。それらの指摘によれば彼は

'

ヴイルーウを失わせたのが彼の時代まで続いていたキリス‑敦で

あったと非難する1万で'ヴィルーウを育んだのはキリス‑敦が普及する以前のローマの古代宗教であったと述べ

ているtとされる。マキァヴエツリがロ

マの古代宗教として念頭に置いていたのは'キリス‑教の観点から見れ

ば異教的な'卜占や鳥占い(au

gu

ries)である。これらは'キリス‑敦の儀式や典礼とは異なり'戟場に向かう兵

八三

(8)

法 し60‑ 1) 84

1\‖ヨ‖̲

士や将校に勇気を奮いたたせ、戦意を高揚するために利用されるものであった。ここではキリスー教と古代宗教と

がはっきりと対照されている。「キリス‑教は﹃現世の栄光﹄への評価を低めたのに対して'数々の異教は現世の栄耶.光を最高善とみなし、それゆえ彼らが行為するときにtより残忍であって'弱‑はなかったのである。マキァヴエツ

リは、「﹃人々を元気づけ、人を善良にLt悪人を恥じ入らせる﹄ことにおいて果たす役割」において「ローマの古(ー3︺代宗教はキリス‑教信仰よりもはるかに好ましい」と明言したのだtとされる。

さらに異教の卜占は'戦時に武装市民たちの戦意を高揚させるばかりでな‑'混乱した状況下でも人々に共通の

利益のために自分自身を犠牲にする気持ちを強めるtと考えられた。ポーコックによれば'マキァヴエツリにおい

て、「‑占の虚偽や錯誤も、それが人びとに信頼を与え、彼らが軍事的な∧徳>を発揮するのを助けるものであれば、

正当化された‑‑こうして'異教徒の宗教の道徳的内容であった共通善への献身は'市民的徳の本質へと発展した

のである」。古代ローマの異教がキリス‑数よ‑優れているのは'戦時であれ平時であれ、前者が後者よりもいっそ

うヴィルーウを高めることができたからであるtと。

確かにマキァヴエソリは'古代の宗教がいかに有効であったかをさまざまな箇所で力説している。古代の宗教が「15役立つ局面はい‑つか挙げられるが'とりわけ強調されるのはそれがヴィルーウを喚起する場面であるO彼は、古

代の宗教がヴイルーウを喚起した二つの実例を挙げている。それは、「誓い」の事例と「鳥占い」の事例である。

マキァヴエツリは'サモ二ウム人たちがエ‑ルリア地方でロ

マ人たちによって決定的な大敗を喫した後、不退

転の覚悟で最終決戦に挑む前に'彼らが用いた方途を紹介している。彼らは厳粛に犠牲の儀式を行い、犠牲となっ

た獣の死骸と燃えさかる祭壇を前にして、彼らの主だった兵士たちに「指揮官の命ずるところならどこでも死地に

おもむき'死闘となっても一歩たりとも退かない、また逃亡が見つかれば、誰かれを問わず殺されるむねを神の前

で誓わせた」。結局'サモニウム人たちは最後のロ

マ人たちとの戦いで敗れることになるが、信仰心に訴えること

(9)

85

マキ ァヴェ ッリは背徳 の徒 に微笑 むか ?

が「祖先のもっていた勇猛心を呼びもどす希望をかきたてる」唯lの手段であったことを知っていたのであるrJこ

のサモニウム人たちの例は、「宗教がうま‑使われるとき'それが与える確信の大きさの証拠をあたえる」、とマキァー.;ヴエツリは述べているO/またマキァヴエツリは'ピリウスがサモ二ウム人たちとの決戦で用いた手段を紹介しているrJローマ人

たちは重大事を決定する際につねに鳥占いを重用しており'戦時にはプルラリイと呼ばれる占師を軍に帯同させて、アウスビチ「軍隊が敵軍に決戦を挑もうとするときは、いつでもこのプルラリイ命ずることになっていた。パピリ

ウスがサモニウム軍と対峠していたとき、烏が餌をついばまなかった事実を隠して占いが上々であったことを兵士

たちに告げ'その嘘がばれたときも敵軍の槍が偶然プルラリイに刺さった事実を「嘘つきが排除された」と都合よ

く解釈して、兵士たちの戦意を落とさずに戦うことができた。このような鳥占いは、「決戦の場に兵士たちを確信を︹ー7)もっておもむかせる目的」に役立った、というのである。

そしてマキァヴエツリは'これら古代宗教の利用がヴィルーウを伴うもの、あるいは伴わねばならないものであ

ると強調している。

7ローマ人は'軍隊にこうした自信をつけるために'宗教という手段を利用したOこのため'よって'執政

官の選出とか、兵籍をこしらえ'軍隊の出発や戦闘開始の時期などをきめるようになった。そこで賢明な指揮官はtかな

らず占いを実行してから'軍事行動に出るようになったのである。‑‑事実、このささいなことが軍隊に結束と自信をつヴイルトウける励ましになり、またこうした力がつねに勝利の最大の原因となったのだ。しかし、もちろんこれに伴なって

いなくてはならないなくては'それは役にたたないので

(10)

(60‑ 1) 86

八 六

古代の宗教はヴィル‑ウを喚起し高揚するために有用かつ必要であったoそれは'現代では'あるいはマキァ(19)ヴエツリが生きた当時でさえも'残酷で無慈悲であるように見えるかもしれない。しかしそれは戦死や負傷の危険

とつねに向かい合っていた古代の兵士や将校たちに不退転の覚悟と勇気を奮い立たせる点で重要であった。古代の

宗教は徳にとって不可欠であったのである。

宗教は政治的目的のために有用であるにすぎない

しかしもしマキァヴエソリが想定していた「宗教」が'キリスト教ではな‑古代宗教を意味していただけだとす

るならば'マキァヴエツリは'古代宗教という単一の宗教に基づいて徳性を陶冶すべきであると主張していたこと

になるだろう。もしそうならば、彼は'ヴィロリの主張に反して、多元的社会とは両立しない仕方で、古代宗教と

いうひとつの特定の宗教に基づいて'それが提示する宇宙の真理や人格の理想像を人々に強要すべきことを説いて

いたことになるだろう。しかしマキァヴエツリが念頭に置いていたのは、少な‑ともヴイルトウとの関係では'必

ずしもそうではなかった。マキァヴエツリが、キリスト教が人々を堕落させ'古代宗教が人々を有徳にしたと考え

たのは、キリスト教よりも古代の宗教の方が正しいとか、あるいは真理を説いているという理由からではなかった。●●●●■●■●●■●●●●●●●●■●●■●1●●■●彼にとって'キリスト教であれ'古代宗教であれ、宗教が説‑正しさや真理など副次的で項末な問題であるにすぎ

なかったのである。この点は多‑の論者によっても指摘されている。シュトラウスによれば、彼は'宗教をたんなる=社会的部(20)分集団として捉えてお‑'「宗教の真理に対する完全な無関心さLLかもちあわせていなかまたスキナ

も'(∃I㌧彼は「宗教上の真理については少しも関心をもたない」ことを指摘しているOマキァヴエツリは'先述の「宣誓」

と「鳥占い」の二つの例においても、神に対して約束を守るべきであるとか'あるいは占いの結果が実際はどうで

(11)

87

マキァヴェッリは背徳の徒に微笑むか ?

あったかなどに関心を示さず、古代の軍事指導者たちがそれらをどのように都合よく利用し、解釈したかに焦点を

当てているだけである。アイザイア・バ

リン(HsaiahB

eユ in )

もまた次のように述べている。マキァヴエツリに

おいては、「神や神法の存在について何か真剣な仮定あるわけではない。‑‑そこには権威や慣習に対する敬慶の(22)念は見られず'個人の良心の役割や何らかの形而上学的'神学的議論についての関心は全‑見当らない」'と。

マキァヴエツリは、キリスー教と古代宗教のどちらがよ‑真理や正義に合致しているかに関心をもたなかったの

であるから'これらの宗教の間に本質的な相違を認めないDシューラウスが述べているように、キリス‑教と古代(23)宗教は'いずれも神ではな‑人間を起源にしている点では違いは彼は'確かにキリス‑教は世界を脆弱にLt

古代宗教は勝者に栄光を与えてきたからこそ'キリス‑教を非難し、古代宗教を礼賛している。しかしやや極端な

言い方をすれば、シューラウスが述べているように、「マキァヴエツリは'キリス‑教が世界を弱‑したと言ったか

らといって'キリスト教が非常に大きな力を生み出すことを否定しているわけではない」D実際キリス‑教は'ロー「24)マが政治的な勢力と徳性を失っていた時代には'人々に訴えかける力をもっていたのである。キリス‑教が世界を

弱‑した結果'イタリアがロ

マ教会の腐敗と堕落によって混乱と分断に見舞われたとしても、このことはたんな

る歴史的偶然にすぎない。キリスー教がたまたま手段として不適切であっただけである。もし仮にキリス‑教がも

ともとの魅力と美点を保ちつづけることができるのであれば'何も古代宗教を当てにする必要はない。彼は、キリ

スー教が彼の時代ではもはや役に立たないと考えたから、ローマに偉大さと繁栄をもたらした古代宗教にならうべ

きだと述べたにすぎないのであるo

結局のところマキァヴエツリは'キリスー教であれ'古代宗教であれ'宗教を政治的目的によって評価していた

にすぎないDこの観点からすれば'キリス‑教と古代宗教の相違は表層的・副次的である。どちらの宗教が、ある

疋の政治的目的を達成するための適切で効果的な手段であるかが問題であるにすぎないからであるDシューラウ

八七

(12)

同 法 (60‑ 1) 88

,/,/

スはこの点を明確に指摘している。マキァヴエツリは、キリスト教を評価する場合でも'「と‑に宗教的ではない目

的'つまり政治的幸福'言い換えれば強さと自由との結合にのみ臼を向けて」それを判断したのである。もしそう

ならば'宗教が政治的幸福をよ‑効果的に実現することができるとすれば、それがキリスト教であろうが古代宗教

であろうが、どちらでも構わないことになろう。これらの宗教の相違について'彼はあ‑までも「その政治的側面(25)に主に関心をもっていた」のであるtと。この点だけを考えてみれば'ヴィロリの第一テ

ゼが示している通‑'

マキァヴエツリが古代宗教を選好したことは、ある特定の宗教を特権祝したことを示しているわけではないと言え

るかもしれない。

宗教の政治的目的とは徳の陶冶である

しかし問題は'マキアヴェッリが「宗教の政治的日的」として具体的に何を想定していたかである。まず、先述

したマキァヴエツリの二つの例を見ても'多‑の論者が指摘するように'それは「軍事的徳性を陶冶すること」で

あることに異論はないであろう。ヴィロリも'マキァヴエツリにおいて'宗教の政治的目的が徳の陶冶にあったこ

とそのものを否定してはいないっすなわち神への誓いを兵士たちに立てさせたことや'鳥占いの結果を都合よ‑解

釈して兵士たちに伝えたことは、面前の敵に対して臆することな‑勇気をもって戦うよう兵士や将校たちを奮い立

たせるためである。マキアヴェッリがキリスト教を非難し古代宗教を賛美したのは'何よ‑もまず'前者が人間を

弱くさせ後者が人間を奮い立たせたからである。彼は宗教の役割を次のように捉えている。

なぜなら、もし仮に宗教が祖国の士気高揚と防衛とに果たす役割に思いをいたすなら'われわれは当然自分の祖凶を熱愛

Ltこれをたたえるのが義務であることを肝に銘ずるようになるからだLlさらに'すすんで祖国防衛に挺身するように努

(13)

8 9

マキ ァヴェッリは背徳の徒 に微笑むか ?

[26)めるに違いないからでO

このようにマキァヴエツリにおいて'宗教が実現すべきであるのは'政治的目的というよ‑も'むしろ軍事的目(2)的にあると言った方がより正確かもしれない。もし宗教の政治的・軍事的目的が'純粋に徳の陶冶にのみあるとす

るならば'ヴィロリが主張するように'マキアヴェッリが社会の多元性を否定せず'単一の特定の宗教に基づいて

人格教育を行うことを説いたのではなかったことは明らかであろう。というのもマキァヴエツリにとって'徳の陶

冶という政治的目的に役立ちさえすれば'その担い手がどの宗派であろうが'さらには複数の宗派であっても、まっ

たく構わないことになるからである。マキァウエツリがキリスト教よりも古代宗教を選好したのは'徳の陶冶とい

う目的を実現するための効果的な手段が'彼にはたまたま苗代宗教であるように思われたからである。もし仮にキ

リスト教の教義が、人々を隈想的にではな‑活動的にさせる内容を含んでいたとするならば'マキァヴエツリは何

も椿措なくキリスト教を選好したであろう。もしそうならば'ここまではヴィロリの第1テーゼは擁護可能であろ

う。すなわちマキァヴエツリは'徳の陶冶に関して'社会の多元性を否定せず、単一の宗教に訴えはしなかったこ

とになろ、つ。

だが政治的目的には社会的結束も含まれていた■●●●●●●●■■1●●1●●●1●1●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●しかし問題は、マキァヴエツリは宗教の政治的目的として徳の陶冶だけを念頭に置いていたわけではなかったこ

とである。もし彼が徳の陶冶にのみ関心を抱いていたとすれば'人々が宗教の力によって有徳にな‑'勇気や戦意

を保ち続けることができ'平和にな‑安定した社会を築いた後では、もはや宗教は不要となるはずである。しかし

彼は'その後も宗教が不要になるとは考えなかった。マキァヴエツリは'宗教が'戦時の非常事態や建国の一時期

(14)

同 法

( 6 0 ‑1)9 0

九〇

だけではなく'戦争が終結し勢力が均衡した平時においてさえも必要であると考えている。マキァヴエツリが宗教

の政治的目的として捉えていたことは'実にさまざまであった。徳の陶冶は'宗教の政治的目的のひとつではある

が'その目的の中には徳の陶冶以外の'よ‑根底的なものも含まれているのである。

この点に関して、たとえばスキナ

I

は、マキァヴエツリにとって宗教を規制する法は、「神への畏敬を公共的な考

慮へと変換するような仕方で、宗教的なものから自己利益的な動機をうま‑抑える

(h arn

ess)ことのできるような(28)ものになるだろう」と述べている。マキァヴエツリの認識では'人はどこまでも利己的

存在であ‑'祖国や共同

体の利益のために自分を犠牲にするどころか'自らの党利や私益の実現を求め祖国や共同体を私物化してしまう。

祖国や共同体を維持するためには'このような人の利己心を抑えなければならない。利己心を抑えることによって'

人々は共通の利益のために自分の役割を理解し'祖国や共同体のために身を捧げることができるであろう。

しかし宗教は、スキナ

I

の主張するように'薄められた徳の陶冶‑平時における公共心の育成Iだけを対象

にするものとして捉えられていたのだろうか。シューラウスによれば'マキァヴエソリの宗教への訴えは'人々を

共通善に眼せしめ共和国を維持することだけを目的にしていたのではなかった。むしろ「宗教の共和国への影響は'(29」セナトウス市民たちを彼らの支配者たちへ服従させることにあろう」。ロ

マ共和国においても'神への畏敬はその指プレフス導者たちがあらゆる企てを容易するため、さらに管理・統制するために用いられていたのだ。マキァヴエツ

リは、宗教をたんなる貴族による平民支配のための便宜的手段としてのみ考えていたのであって'平民自身の利益

と共同体の利益とを両立させる方途として捉えていたのではなかった。「神への崇敬としての宗教は'とくに神に「3D一よって支持され'神を連想させる人々の集団としての支配階級への敬譲を育む」ものに他ならなかったので●●●■■■●●●●■●●●■●●■マキァヴエツリは'徳の陶冶よ‑も'むしろ人々に祖国や共同体への忠誠心を育むことをよ‑根本的な政治的目(=)的としていたのではなかったか。ハ

ヴェイ・マンスフィールド

(H arv ey

C.

M an

sfield)によれば'マキァヴエツ

(15)

91 マキ ァヴェ ッリは背徳 の徒 に微 笑 むか ?

リが建国者よりも宗教家を称賛したのは、「宗教が、政治的境界を越えて、あるいは政治的境界を交えた人々の忠誠(32)心を求めるからであ

」。宗教は'ある共同体に対してのみもたれる愛国心を超えて、国を異にする人々の忠誠をも

引きつける力をもつ。このことは'君主国においても、共和国においても、どちらにも当てはまる。宗教は、君主

によって最もよ‑用いられるが、共和国においても、共和国を堕落から保護・維持するために犠牲の精神を育むこ

とが必須だからである。すなわちどのような国においてであれ、マキァヴエツリは、支配体制の確立と維持、そし

て被支配者階級からの支持を得ることを宗教の政治的目的としていた。宗教とは'「神の力と摂理において好機と予;:見できない未来を制御する試み」であったのである。

もし宗教が人々の忠誠心を育むための手段であり、国を維持するための基盤であると捉えられるならば、宗教は●●■●●●■■■●●■●●●●●●●●●●社会を結束させる精神的紐帯であると捉えられることになろう。バーリンもマキァヴエツリにおいてt示教が社会の

杵であったことを指摘している。すなわち「宗教に関して言えば'マキアヴェッリにとってそれは社会的に必要不

可欠な装置であり、それだけ有益な社会の杵である。宗教の価値を判断する基準はそれが人々の団結と結合を促進

する役割を果すか否かにある。・・‑宗教上の杵が弱まることは社会l股の堕落、腐敗と1体不可分の関係にある」、3矧Eと。マキァヴエツリにとって、宗教が手段として有用であるかどうかは、それが人々を結束させ、堕落を防ぐこと

ができるかにかかっている。人々は生来、自らの党利や私益の実現のため、政治社会での覇権を求めて、互いに争

いあう性向がある。社会の分断を阻止し、人々を結束させるためには'宗教の効用に訴えなければならない。それ

が、彼の同時代に影響力をもっていたキリスト教であるかどうか、真理や本質を述べているかどうかは問われない。「宗教は、それがキリスト教が実現するのに失敗した社会的連帯性を保持し、男らしい徳を推進する類のものであ(35)れば'仮に偽‑に満ちていても奨励されるべきであ

九一

(16)

(60‑ 1) 92

九二

マキァヴエツリは道徳的多元論者か?

もし前記のとおりマキァヴエツリが'社会の結束と連帯を宗教の政治的目的として捉えていたとするならば'ヴィ

ロリの第二T

l

ゼは覆されることになるかもしれない。すなわちもし宗教が人々の忠誠心を育み、社会的紐帯とし

ての役割を果たすことが期待されたのであれば'ここから単一・特定の宗教が人々に強要されるべきだという主張

が帰結されるのではないか。もし人々がある祖国に対して強い忠誠心をもち'社会が強く結束することが求められ

ているならば'人々がそれぞれ別個の宗教を信仰Lt社会が多元的に分裂することは望まれないであろう。マキァ

ヴエツリの政治的目的が、ヴィルーウを陶冶することを超えて'社会的結束を高めることにあるならば'彼の支持

する宗教は'複数ではな‑単一、寛容ではな‑排他的であることが帰結されるように思われる。すなわちマキァ

ヴエソリの宗教観は倫理的1元論を帰結するおそれがあるtということである。

かつてバ

リンは、有名な論文「二つの自由概念」のなかで'この倫理的二九論に対して警鐘を鳴らしていた。

自由には消極的/積極的の二つの概念があ‑'自由は「行為に障害がない」という意味で消極的に解釈されなけれ

ば'積極的な意味で捉えられる他はないoLかしいったん自由を積極的な意味で捉えれば'人は行為をするときに、

現在もつているものとは異なる欲求や選好をもつことが求められ'それらの欲求や選好が何かを教える「高次の自

我」や「道徳的実体」を必然的に招き入れることになる。それらは、現在もっている欲求や選好を否定Ltひいて

は人々が有している多様な道徳を否定することになるoすなわち'こうした倫理的二九論は'道徳的多元性を根本(36.から破壊する危険な考えなのである'と。マキァヴエツリの宗教が'前記のとお‑'社会的結束を強‑求めるもの

であるならば'それは'バ

リンの理論枠組みでは'バ

リンが危供した積極的自由論への一歩を踏み山しており'

その結果、倫理的一元論に必然的に陥ることになるのではないか。

ところがバーリンは、この可能性を完全に否定する。バーリンの考えでは'マキァヴエツリは'倫理的l元論に

(17)

93

マキ アヴェ ッリは背徳の徒 に微笑 むか ?

陥るどころか'むしろ道徳的多元主義の道を拓いた最初の論者であったDバーリンは'次のように述べている。ベ

ネデツー・クローチェ(B

en ed ett o Cr o

ce)らの伝統的解釈では、マキァヴエツリは思想史上はじめて政治と道徳を

分離したとされるが、それは誤りである。むしろマキァヴエツリは'政治と道徳ではな‑'道徳と道徳の区別をし

たのだCすなわち1万は「異教世界」の道徳であ‑'「勇気、精神力'逆境での堅忍不抜'公的業績'秩序、訓練'

幸福'強さ、正義」などが尊重される。他方は「キリス‑教の遺徳」であり「慈悲、あわれみ'犠牲'神に対する:LJ愛、敵の赦し」などが推奨される。これらは'「二つの両立不可能な道徳的世のであって'原理的に和解・折

衷されることを許さない。このようにマキァヴエツリが「二つの両立不可能な道徳的世界」を示したことは'西欧

世界に対して「解決不可能なディレンマを暴露し、後世の人々の歩む道筋に永遠の疑問符を植えつけ」ることになっL湘Iた。すなわちマキァヴエツリは'「西欧の哲学的伝統の核心を成す一つの基本的な考え'すなわち'全ての真の価値1‖りノが究極的にl致するという信念」に対して決定的な挑戦状を突きつけたのであか。

そしてバーリンは次のように続ける。確かにマキアヴェッリ自身は'自分の政治哲学がどのような影響を生み出

すことになるかをはっきり意識していたわけではないが'しかし彼の政治哲学は次のような帰結を「論理的に」生

み出すことになった。すなわち'「複数の同じように究極的で、同じように神聖な口約が互いに対立し合い'価値の

全体系は理性による調停の可能性を失って内部衝突に陥‑'しかもそれは‑‑・人間の通常の状況の山部分であるこIと」である。マキァヴエツリの政治哲学によって'西洋社会は一つの道徳的世界に安住することはもはや許されな

くなった。複数の道徳的世界が和解Lがたく存在し'しかもその状況が永続することを認めざるをえな‑なったか

らである。そしてバーリンは'マキァヴエツリが現代の政治哲学に対してなした寄与を次のように評するのである。

著者自身は全‑意識していなかったが'歴史の幸運な皮肉の結果'その知的帰結として出て来たのは正に自申王義の諸基

九三

(18)

(60‑1〕 94

九四

礎であった。マキアヴェッリが自由主義を弱体で無性格なものとして批判し'権力を一貫して追求する点に欠け'光輝やウィルトウ組織、どに欠け、無秩序な人間を強敵に抗してエネルギーを持った全体へと組織する力に欠けるとして批判した

ことは確実であったであろう。しかし彼は、彼自身のこうした見解にもかかわらず'多元主義の創始者の7人であり、危

険な‑彼にとっては‑寛容を受け容れた一人であったrJ

マキァヴエツリほ'伝統的な解釈では'自由主義や多元主義の敵であると考えられてきたが'実はそうではない。

彼こそが'たとえ本人はそのように意識していなかったとしても'自由主義や多元主義の視であったのである。し

たがって彼は、倫理的一元論を説いたわけではけっしてない。むしろ道徳的世界は複数あ‑多元的であると述べた

のである。

こうしたバ

リンのマキァヴエソリの位畢づけは'即座には受け入れがたいかもしれない。しかしスキナーもま

た'このバーリンの考えを受け継いでいる。スキナ

I

は'マキァヴエツリと現代の自由主義者ジョン・ロールズ

(l

ohn

Raw‑S)とを比較したうえで、両者に多‑のアプローチ上の相違があることを認めながらも'彼らの結論は「実質的に同こであるとしている。彼らはともに'「自由な政体にとって最善の法的基盤が、二院制議会に華つ‑(42)共和的国利である」という結論には同意しているのであって'その点ではマキァヴエツリの立場はロ

ルズのよう

な自由主義と変わるところはない。マキァヴエツリは'しばしば法の強制力を用いて人々を無理にでも共通善に向

かわせるべきことを説いた反自由主義の論者として理解されているが、しかしこうした考えも'「高次の自我の欲求;に沿って、われわれの欲求を合わせるよう強いられるものとして描かれているわけではない」。すなわちスキナI

は、マキァヴエツリが倫理的l元論を説いたわけではないとしている点で、バ

リンに同意しているのであるO

(19)

95マキ ァヴェ ッリは背徳の徒 に微笑むか ?

マキァヴエツリは宗教の単一性と排他性を擁護したのでは

ヴィロリの第一テ

ゼは、これらバ

リンとスキナ

I

の解釈を受け継いでいるよう思われる。それは'マキア

ヴェッリが自由主義者であったと述べてはいないが、しかし少な‑とも倫理的一元論者ではないtと主張している

からである。だがやは‑マキァヴエツリは'社会的結束という政治的目的を念頭に置いていたとき'宗教は単一か●●●●●●●■●●●●■●●●●●●●●●っ排他的であるべきだと考えていたのではないか。マキァヴエツリの悲願は'彼の祖国フィレンツェを諸外国の支

配から解放することにあった。そして時勢に応じて御都合主義的に離散集合していたイタリア諸都市を他国の支配

に対抗できるように統TすることにあったL"しかし彼の願望は実際には叶えられなかったのであり'イタリアの続

1を妨げ分裂を助長していたのは'キリス‑教とローマ教会であった。だからこそ、それらは非難されたのだ。マ

キァヴエツリは﹃ディスコルシ﹄のなかで次のように嘆いている。

もしキリスー敦がキリスー数回の支配者の手で'その設立者によってきずけられたままの資を維持されていたなら'今日

のキリスー教諸国家は'現在よりもっとまとまりのある'はるかにしあわせなものになっていたであろう‑‑イタリア全

体をまとめて統治する単1の共和国または君主国を出現させなかった理由は'一にかかって教会にあるのである。

マキァヴエツリにとって'残念ながらキリス‑教は役に立たなかった。なぜならば'それは'創設当時の高い精

神性がもはや見られず'聖職者たちによってその求心力が失われてしまったからである。もし仮にロ

マ教会が腐

敗しておらず、キリスー敦がそのもともとの姿をとどめていたのであれば、イタリアはキリス‑教によって幸福の

うちに統Tされていたはずである。しかし現実にはそうではなかった。それは教会や聖職者たちによって歪められ

てきたからである。マキアヴェッリがキリス‑教にもはや期待を抱かな‑なったのは、キリス‑教が歴史的偶然に

(20)

法 (60‑ 1)96

九六

よってもはやイタリア統一という政治的目的の手段として役に立たな‑なったからである。マキァヴエツリにとっ

て、先に指摘したとお‑'キリス‑教と古代宗教の相違は実は表層的で些細であるにすぎなかった。社会を結束す

ることが目的なのであて、そのためにキリス‑教であれ'古代宗教であれ、ある特定の宗教が統一される必要が

あったのだoマキァヴツリはへ﹃フィレンツェ史﹄において、イタリアが蛮族支配に翻弄される様子を括‑なか

で'次のように述べている。

だが多くの変化のなかで、宗教の変化は少なからぬ重要性を帯びているCなぜなら'新しい信仰の奇跡を通して占い信仰

の習慣と戦っていた際、人びとの間できわめて重大な騒乱や争いが生じたからである。もしもキリスー教の信仰が統一さ

れていたならば'混乱はずっと小さかっただろう。だがギリシャ、ローマ'ラヴエンナの各教会がともに争い'おまけに︹15、異端の宗派がカーリックの各派と戦うことによって'世界を多様な仕方で悲惨にした。

マキァヴエツリの分析によれば、現在のイタリアの混乱は宗教が統一されていないことに由来しているのであ‑、

もし仮に宗教が統一されていれば'イタリアは分断の憂き目にあうことなどなかったはずである。キリスト教は'

歴史的偶然によって'たまたまそれに成功しなかった。ここで注目すべきは'この箇所に前提されている、マキァ

ヴエツリが「宗教」に対して期待している政治的役割である。彼にとって宗教は、「混乱」や「悲惨」を避け、「ま

とまり」や「しあわせ」をもたらすために'統lされなければならない。人々は、他の宗教を信仰することな‑、

単一の宗教を信仰して'蛮族の支配に対抗するために結束しなければならない。宗教は、政治的統一と社会的結束

を実現するために、単一かつ排他的である必要があったのである。

ーリンの主張するように、マキァヴエツリの思想から多元主義が「論理的に」帰結するとしても、マキァヴエツ

(21)

97マキ ァヴェッリは背徳の徒 に微 笑むか ?

リ自身はけっして多元主義者ではなかった。マキァヴエツリは'確かにキリスト教に古代宗教を対置したが'対置

したのは、これら二つの道徳観が両立不可能であることを示すためではなく'古代宗教の方が政治的目的に有用で

あると考えたからであった。もしキリスト教よ‑も古代宗教の方が、イタリア統1の目的にも役立つのであれば'

マキァヴエツリはキリスト教を拒否し古代宗教だけを擁護したであろう。またスキナ

I

が主張するように'マキァ

ヴエツリは結論において自由主義の枠内にいるとしても、寛容を最重視するタイプの自由主義者ではなかったLl

キァヴエツリは'共和政体を支持したとしても'ある宗教を信奉する集団と別の宗教を信奉する集団との抗争を許

容するような政治体制は支持しなかったであろう。そのかぎ‑で、マキァヴエツリは倫理的1.元論に踏み出してい

たのである。

もしマキァヴエツリが倫理的l元論者であったとすれば'ヴィロリの第一テーゼ「公民的徳性は'社会の多元的

状況と両立し、宗教の強制を伴わない」は覆されることになろう。たとえ公民的徳性の陶冶という目的そのものは、

必ずしも宗教の単一性や排他性を正当化しないかもしれないが'マキァヴエツリの目的が徳の陶冶に限定されず'

社会的結束まで含むのであれば、宗教の単一性や排他性を正当化することになろう。それこそが社会の多元性の否

定であるO人々は'マキァヴエツリが理想とする社会では、同1の信仰を共有し、他国の支配から逃れ'強固に結

束することを求められるのであって'多数派の宗教とは異なる宗教を自ら選択し自由に信仰することを許されない(46)であろう。社会は多元性を失い'個人もまた「信仰の自由」を失、つことになろう。マキァヴエツリが主張する徳の

陶冶は、宗教の観点から見れば、必ずしも個人の自由を保障することにはなりそうもない。これらの理由から'ヴィ

ロリの第一テ

ゼはマキァヴエツリの思想から導かれず、現代の多元的社会にそのまま妥当しないように思われる。

九七

(22)

(60‑ 1) 98

三.二.徳と戦争

次にヴィロリの第二テ

ゼ「公民的徳性は、平和で安定した社会にも求められ'軍事的な意味をほとんどもたな

い」について検討を進めていこう。ヴイロリは、マキァヴエツリにおいて、公民的徳性は軍隊や侵略戦争と無関係

であったことを強調している。彼と彼の影響を受けた共和主義の伝統において'軍事力の行使は'たとえ擁護され

たことがあっても、それはあ‑まで国内外の敵による支配と依存を避け都市の自由と平和を維持することを目的と

していたのであって、軍人や戦士の勇猛さを誇示するためではなかった。公民的徳性は、むしろ法の支配を保持す

るために必要な口常的な市民の気質なのであったのだ,LJc

公民的徳性は軍事的資質を意味する

だが最初に指摘しなければならないのは、ヴィロリの強調に反して、マキァヴエツリにおいてヴィルトゥと戦争

とが密接に結びつけられていたことは明らかだ'ということである。たとえマキァヴエツリを共和主義者として何

とか彫琢したとしても'この点を完全に否定しまることは難しい07エデリコ・シャポー(FedericoChabod)は'

マキァヴエツリにおいてはじめて'戦争の関心が政治問題として明確に打ち出されたことを指摘ている。マキァ

ヴエツリの﹃戦争の技術﹄において、近代国家の重要な根本原理としてはつき‑と把握されているのは、「良き武装

によって国家が防衛されることの必要性の把握、換言すれば政治問題と軍事問題の間の直接的連関の認識」である、けという。またマンスフィールドも、マキァヴエツリ自身が戦争の擁護論者であったことを際立たせている。マキァ

ヴエツリの残忍な性格のせいで、「徳は紛争や戦争なしでは行使されることはできない」のであって、たとえ彼はパ

(23)

9 9

マキ ァヴェ ッリは背徳の従 に微笑むか ?

(49)トリオッ‑であったとしても'いやそれゆえにこそ'「内紛を起こす軍隊の隊長」なのであるtと。

実際のところマキァヴエツリは、自らフィレンツェ自国軍の創設に奔走したという経緯や﹃戦争の技術﹄という

題名の著作を上梓したという事実を挙げるまでもなくこれらの論者たちが指摘するように'徳と戦争、政治と軍

事との関係を明確に把握していた。これはマキァヴエツリ自身のテキスーからもはっきりと裏付けられる。たとえ

ば彼は'共和主義的自由を擁護したと言われる﹃ディスコルシ﹄の中でさえ'古代ロ

マ人たちが戦争に勝利する(50)(5ー」ときに'並外れたヴイルーウの後ろ盾があったこどのような困難にも屈せず士気と戦意を保ち続けたことをハ5)指摘し'敵の領国内で戦うときの敵慢心をヴィルトウと呼んでいる。また決定的なことに'彼は﹃戦争の技術﹄

冒頭、ロレンツォ二アィ・フィリッポ・ス‑ロッツィ(r

or en NO di F i‑ip po

StroNNi)に向けた献辞の中で次のよう

に述べている。

しかしながら、古代の諸制度を考えてみれば'当然とはいえ、この市民生活と軍隊生活ほど互いに親和し、似通い、

となっているものは他に見あたりません。というのも'すべての仕事は、人びとの共通善を別らんがために、市民生活

ただ中で制度化されてお‑、またすべての制度は'法と神を呆れて生きんがために作りなされたものなのですが'そのい

ずれも自国民による防衛力が準備されていなければ、甲斐のないものとなってしまうからです。・・良き諸制度でも軍事(53)力の助けがなければ崩壊するばか‑です。

さらにマキァヴエツリを共和主義の伝統のなかに位置づけようとする論者でさえ'共和主義者マキァヴエツリが

戦争遂行を自ら進めたことを否定しない。たとえばポーコックは'ジョン・マッコーミック(lohロP.McCormick)

の指摘によれば、﹃ディスコルシ﹄に焦点を当て人民の中心的役割を際立たせているが'その場合人民は「市民兵

九九

(24)

法 (60‑ 1) 100

一 〇 〇

・54︺

(c itiz en so ‑d ieユ

」に限定されてお‑、政策形成ではな‑戦争遂行への人民の関与を強調しているtという。ポ

が 、

マキァヴエツリの思想研究をするなかで、もっとも強い関心をもっているのは戦争に他ならないtとい=⁚∵うのであまたスキナ

I

も'マキァヴエツリが軍事の面でヴィルトウを重視しないことは「もっとも危険な方策」r56一であって'戦争をヴイルーウの問題として考慮していたことをかつてから指摘してきた。さらに彼は'マキアヴェッ

リが祖国防衛のために個人に二つの気質を植えつけるべきこと、すなわち戦争をいつ遂行すべきかを知らせる知恵

(sa

v10)や賢慮(pr

ud en tia )

と'効果的な勝利を収めるための勇気

(an

i

m o)

や意気地(ost)na

zio n e )

を植えつけこ加︺るべきだと主張していたことを指摘している。

ヴィロリは'彼らと同様にマキァヴエツリを共和主義者として解釈しようとする立場にいるが'しかし彼ら以上

にマキァヴエツリを穏健で温和な共和主義者として際立たせようとしているようである。すなわちマキァヴエツリ

の主張していたヴイルトウを'軍事力の行使や戦争の遂行から切り離す仕方で解釈しようとしている。しかしなが

ら'ヴィロリの解釈は'多くの論者が認め'マキァヴエツリ自身が意図していたことから乗離しているように思わ

れる。この点に限れば、ヴィロリの第二テーゼは'マキァヴエツリのヴィルトウの正確な解釈とは言いえず'その

一面を過度に誇張した偏った解釈であるように見える。

軍事的徳性が必要なのは都市の自由を維持するためである

しかしヴイロリは'マキァヴエツリが軍事的徳性の陶冶そのものを政治的目的として捉えていたわけではないt

という。ヴイロリによれば'マキァヴエツリが軍事的徳性の必要性を強調したのは、それ自体が重要であるからで●●●●●■●●●●●●●●●■■●●はなく'むしろそれが都市の自由を守るため'言い換えれば都市を国内外の敵による支配から守るために必要だっ

たからだtというのであるDもし都市が諸外国の勢力や国内の野心家の手に落ちれば'それは支配され'もはや自

(25)

1 0

1 マ キ ァヴェ ツリは背徳 の徒 に微笑 むか ?

由ではいられなくなる。都市が自由でいるためには、それが国内外の敵によって支配・掌握されないよう、市民自

らが武器をとって常時から備え、そして侵略を受けた時には命を投げ出しても祖国を防衛する市民兵が不可欠であ

る。市民兵がこうした困難で危険な任務に耐える士気と戦意をもつためには、徳を陶冶することが必須である。こ

のようにヴィロリが徳と自由との結びつきを示しているのは、都市の自由を維持するために徳の陶冶が不可欠の前

提条件になるからである。

このかぎりでは'ヴィロリは他の共和主義の論者と変わるところがない。たとえばポ

コックも'徳が自由と市ポリティア民の生活と密接に関連していることを主張している。彼は、「市民の徳とは<>の安定性のことであり、逆も

また真であるrJ政治的にも道徳的にも、<市民的生活

> viv er e ci

vileこそ<運命>の優勢に抗する唯一の防御であり'

「58 )

個人における徳の必要不可欠の条件であった」と述べている

そしてマキァヴエツリは、古代ローマの軍人に理想

的なヴィルーウを見出したとし、「そしてマキァヴエツリが背負ったフィレンツェの民兵制度の伝統は、ソデリ

のもとで実際に民兵を組織した経験も加わって'市民的生活を軍事的な徳に基づかせ、前者を後者の所産とすると︹59)ころまで、彼を導くのである」としているrJ市民生活は軍事的徳性を育む温床であるとともに、逆に軍事的徳性が

市民生活を可能にする条件でもある。軍事的徳性が育まれなければ、遅かれ早かれ都市は国内外の敵によって支配

されることになり'市民生活も都市の自由も失われることになろう。すなわち、マキァヴエツリにおいて「自由とJf市民的徳と軍役とは互いに密接な関連をもって存在しているように見えるのであ

確かにマキァヴエツリ自身も'戦争こそが自由を維持するために必要な条件であることを認めていたのは明らか

であるように思われる。彼は、﹃フィレンツェ史﹄のなかで、フエデリ

ー ゴ

Ⅱ世(FederigoI)の死去後、高潔で

エルフィギヘソリ‑こ美徳ある中産階級の人々が彼ら自身の手によって、それまで対立してきまとめあげたうえ、優

れた軍制と政治制度を整備したことを讃えて次のように述べている。

一 〇 一

(26)

(60‑日 102

l 〇 二

フィレンツェ市民たちは'こうした軍事的、市民的制度によって彼らの自由を樹立した。フィレンツェがほんのわずかの

時間で'どれほど大きな権威と力を獲得したかは'とても考えられないほどである。そしてトスカ

ナの盟主となっただ

けでなく'イタリア第l流の都市のlつに数えられるにいたったOもしも'たび重なる新しい分裂がこの町を襲わなけれIば'いかなる偉大きにでも到達できたことだろう。

実際にはフィレンツェはこの後も度重なる内部対立によって引き裂かれ、自由を失うことになるのだが、マキァクユルフィギヘッリ‑ニヴエツリが、の対立が一時的にでも収まっていたこのわずか十年間を理想祝していたのは間違い

なかろう。この時代において、フィレンツェ市民たちは'国内のひとつの党派が政権を掌握しないようにうま‑権

力を分配しておいたために'自分たちの都市の自由を維持することができたのだLl当時の人々はこのような優れた

軍事的・市民的制度のもとで'「大変立派な美徳の持主」として「きわめて寛容な精神」をもって身を持することが

できた。このようにマキァヴエツリが、都市の自由を保持するために、優れた軍事制度と市民生活'そして何よ‑

も徳性が重要な条件であると考えていたことを指摘している点では、他の共和主義論者が指摘している通‑'ヴィ

ロリの第二テーゼは的を射ているように思われるD

軍事的徳性が必要なのは'個人の自由を維持するためである

ただヴィロリが'一方で他の共和主義の論者と異な‑'また他方でマキァヴエツリ本人とも東経してい‑ように

思われるのは'軍事的徳性が、たんに都市の自由を維持することを超えて'個人の自由を保護するために必要であ

るtとマキァヴエツリは考えていたとしている点にあるLlヴィロリは'本稿の第二章で紹介したように'公民的徳

性は、公共善のために私的関心を犠牲にLt命さえも捧げることを要求する「英雄的な自己犠牲とは異なる」とし

(27)

103マ キ ァヴェ ッリは背 徳 の徒 に微 笑 むか ?

て'「そうしなければならない時には'公共広場や集会場に出かけるがへその後は家や自分の店や友人のもとへ帰っ

て‑る」ことを認め、自由な私的生活の余地を残しておくものであると理解しているLlすなわちヴィロリによれば'

マキァヴエツリにおいて'公民的徳性は'公的生活と私的生活とを幸福のうちに結びつける要であり'都市の自由

と個人の自由をともに保護するための条件であったtというのである。

このヴィロリの主張は'スキナ

I

の共和主義的自由論をいわば縮約しているように思われる。スキナ‑は、ヴィ

ロリよりも明確に'徳が個人の自由を維持するための必要条件であることを認めている。スキナIによれば'「公共

的事業への献身は'個人の自由を維持するための必要条件であると捉えられているがゆえに'自由は奉仕の一形態.I:である」とマキァヴエツリは述べている'という。個人の自由は、まずもって外敵を撃退する能力に基づいている

のであって'各市民は自分の政治体を防衛する役割を自ら進んで引き受けなければならない。軍務遂行に前向きで

あること'自国軍に参加することが、「自分自身の個人の自由を隷属から守ってお‑ための必要条件」であるC「こ

うした公的事業を遂行するために各々の市民個人に求められる属性は徳でなければならず、有徳に行為する人たち(63」だけが自分たち自身の自由を保持してお‑ことができすなわち軍事的徳性をもつことが'都市の自由のみなら

ず'個人の自由をも保護するための条件なのであるtとLT

さらにスキナ

t

は'自由をめぐる現在の論争に照らしてみれば'マキァヴエツリは、バーリンが言うところの自

由の消極的構想を支持していた'とまで言い切る。先述のように'バ

リンは自由には消極的//積極的の二つの解

釈があるとしているが'スキナIによれば'マキァヴエツリとその影響を受けた共和主義の論者たら‑彼の表現

では「ネオ・ロマン派(n

e

?

Ro m an )

」の著作家たちーは'けっしてバ

リンの言う自由の積極的構想を支持した

のではない。すなわち彼らは

'

「高次の自我」や「道徳的実体」が指示する目的を実現することが自由な生き方であ(64)(65)ると主張したわけではない。彼らは'自由の概念を「何かの欠如」として消極的に捉えていたのである。ただしバー

一〇三

参照

関連したドキュメント

ハイデガーは,ここにある「天空を仰ぎ見る」から,天空と大地の間を測るということ

Usingthe X-FEMeXtendedFiniteElememtMethod,we analyzetheenergyreleaseraterate at the onsetof crackkinkingfor an isotropiclinearelasticmaterialin an

狭さが、取り違えの要因となっており、笑話の内容にあわせて、笑いの対象となる人物がふさわしく選択されて居ることに注目す

はある程度個人差はあっても、その対象l笑いの発生源にはそれ

朝,はじめて顔を合わせた人同志は「おはようございます」,帰宅時には「さようなら」な

*海外派遣にかかる渡航や現地滞在にかかる手配は UNV を通じて行います (現地生活費の支給等を含む)

印刷物をみた。右側を開けるのか,左側を開け

▼ 企業名や商品名では無く、含有成分の危険性・有害性を MSDS 、文献