(東女医大誌 第40巻 第12号頁829〜834昭和45年12月)
妊娠に合併した巨大水腎症の1例
東京女子医大第二病院産婦人科(主任 大内広子教授)
黄
コウ チョウ カ アイ バ サ n り長 華・講師相羽早百合
(受付 昭和45年9月30日)
はじめに
最近,著者らは妊娠7ヵ月で,急激に腹部膨隆 を来たし急性羊水過多症の合併と診断し,人工流 産をおこなったが,なお,腹部に腫瘤を認めたた め,開腹したところ,後腹膜嚢腫の診断のもとに別 出術をおこなった.病理組織学的検査で,左側巨 大水腎症であった一例を経験したので報告する.
症 例
患者:伊○睦○.27才主婦,初妊婦.
家族歴,既往歴:特記すべきことなし.生来腹部が 膨隆していると家族に指摘されたことがある.
月経状況=初潮14才,28日型,順調,持続4日間,
月経時にはたまに軽い腹痛を認める.昭和41年24才で 健康男子と結婚.
現症歴=最:終月経は昭和44年7月15日から5日間.
悪阻症状は軽く経過した.胎動初感は昭和44年12月初 旬,すなわち妊娠21週頃.
昭和44年12月20日妊娠6ヵ月23週で,子宮底28.5c田,
腹囲93cm,体重63㎏,妊娠月数に比し子宮が大きいこ とを指摘された.双胎を疑い,腹部x線撮影を行なっ
た.
昭和45年1月13日妊娠7ヵ月26週,左側肋骨弓窩部 の痛みを訴え来院、体重66㎏,腹囲103cm,子宮底40cm,
急性羊水過多症の診断のもとに昭和45年1月14日入院.
入院時所見:体格中等度,栄養良好,食欲旺盛
,貧血なし.血圧,尿検査に異常なく,浮腫も認 めず,胸部異常なし.腹壁は強度に緊張し,二二 突起から3指下に子宮底をふれ(40cm),打診上で 油音を呈し,波動を認めた.なお,右側膀下にも
う一つの腫瘤の山を認め,腹囲は103cmであっ た.児心音は右側勝棘線上で聴取できた(図1).
/ g 等
Lcm
× 103
ts℃R/.
図1 入院時腹部所見
内診所見:先進部は児頭,右側に胎児部を1触 知,子宮口は閉,左側回状突起下に硬いものがふ
れた.
入院後経過:入院後,利尿剤ダイクPトライド 50mgを投与,腹部レントゲンで児頭は右下:方に あり,左肋骨弓窩に異常陰影を認めた(写真1).
血液一般,血沈,」血清化学検査(表1),尿検査
(表2)などに異常は認められなかったが,腹部 膨隆ひどく,妊娠継続不能と診断,1月16日La−
minaria桿挿入,17日Laminaria桿抜去後,破 膜し,200mlのメトロイリービを施行,デリバ リン6錠を投与後,順調に陣痛が発来.1月18日 午前3時22分1,1009の男児を娩出.分娩後,剣 状突起下3指に腫瘤をふれ,波動を認めたが,左
Chang Hua HUANG, Sayuri AIBA (Department of Obstetrics and Gynecology, Tokyo Women s Medical College Second Hospital): A case report of giant hydronephrosis with pregnancy.
血液一般
白血球数ヘマトオクリツト % 血 沈 mm 総タンパク g /dl
AIG
6100 38
(15)(35)(80)
7600 39
(18)(18)(78)
6.7 6.8
L 22 1. 13
尿素N
mgidl 1 17.3クレアチニン mg/dl ,i O. 75
16.5
8300 32
(47)(69)( 116)
6.1 1. 22 8.8
血清化学検査
Na
mEq/LK
mEq/L134 138
7.2 4.4
Ca mg/dl
Cl mEq/L
GOT
unitGPT
unitLDH
アルカリホスファターービ 総コレステロール mg/di 総ビリルビン mg/d1
9.1 9.4
104 104
7 5
5 210
O.9
5 6
7 226
O.5
10000 35.5
(38)(78)( 118)
7.3 1. 04 12.2
137 ユ36
4.3 9.7
4.0 9.7
99 99
8 3
ユ5
50 4 204
O,7
6 280 6 232 1.0
表2尿検査
色
混 濁 反 応 比 重
タンパク定性
糖定性
ウロピリノーゲソ アセトン
沈 渣 赤血球
白血球
扁平上皮
粘液糸 結 晶 細 菌
化学検査 総タンパク
尿素N
クレアチニン
Na
K
CI P
アルカリホスファタ㎞ゼ
16/ 1 い8/1
黄褐色
(±)
酸 性
1020
(一)
(一)
Normal
(一)
1/7 ・一 8F 4一 5/1 F 3一 4/ 1F
(十)
(粁)
(十)
(一)
304 54 62 21 63 20.6
27/ 1 28/ 1
黄褐色 黄褐色
(十) (±)
酸 性
1018
(一)
(一)
Normal
多数/1F
7一 8/ IF 1/3 一 4F
(一)
(+〉・
(十)
i−1. 4−41
アルカリ性 1011
(一)
(一一)
Norma1
1/ 7一 8F 5一 6/ IF ユ/10F
(一)
(十)
(十)
9/ ll
黄褐色
(一)
酸 性
1016
(一)
(一)一
Norma1
1/15−16F 1/10F ユー2/1F
(一)
(十)
(十)
写真1 腹部レントゲン 写真3 胃腸透視 肋骨弓窩部の圧痛はなくなった.分娩後の腹囲は
97㎝.産褥8日目に腹部膨満が急に減少し,腹囲 81.5c皿となり,内診所見では,子宮は後傾後屈 で,手拳大,柔かく,付属器にも異常はなかっ た.胃腸透視において,食道,胃に平平を認め ず,十二指腸,大腸は共に右に圧排され,横行結 腸は上方に押され,下行結腸は右に圧排されてい ることが認められた(写真2,3).産褥13日目子 宮造影を行ない,特に異常を認めなかった(写真
写真2 胃腸透視
写真4 子宮卵管造影像
4).
産褥17日目,ラバロスコピーを行なう予定で,
気三針を挿入したところ,黄色透明な腹水様の液 が浴出し,1,330 mlを穿刺し得たので,卵巣嚢 腫への穿刺と考え,直ちに開腹術を行なった.
手術時所見=腹腔内に少量の出血を認め,子宮 は後傾後屈で,超鷲卵大で柔かく,両側の卵巣,
卵管には異常なく,左側後腹膜に上界は剣状突起 上2指に至る巨大嚢腫様腫瘤が認められた.左側 一831一
出した.摘出後,上方より出血を認めたため止血
した.
嚢腫の肉眼的所見=35×25cmの嚢腫様で,1カ 所に充実性の硬いものがふれ,全重量は3,460
9,内容液は黄色透明,手術時吸引した液とあわ せて4,8309であった(写真5).
写真5
病理組織学的診断:水腎症で,大きい嚢胞の壁 は,移行上皮で被われているので,腎孟あるいは 尿管から生じたものと考えられる.また腎孟には 著明な筋肉の肥厚があることは,尿の排出障害が あったことを意味している,腎実質は扁平化され てはいるが,構造はよく保たれており,また腎実 質全体の残り方からみて,尿のうつ滞は,長期に わたりきわめて徐々に生じてきたものと思われ
る.残っている腎実質および腎孟,尿管に感染は みられず,摘出標本からでは,尿管の狭窄は分ら なかった(写真6,7,8).
内容液の検査結果は滲出液であった(表3).
考 案
水腎症は,泌尿器科では日常遭遇するごく一般 的な腎の形の形態学的変化で,1841年Rayeri)に
よって始めて記載された病態である。水腎の程度 が,初期的なものは毎日のごとく発見されるが,
その程度が進行して著明な甲州腎杯の拡張をきた
写真6 H・E染色弱拡大.移行上皮に被われた 腎孟.その下層に円形細胞浸潤.線維化 した腎髄質.比較的によく残っている腎 皮質.
写真7 H・E染色 写真6の強拡大
写真8 H・E染色弱拡大 尿管断面.移行上 皮からなる粘膜,筋層の肥大.
表3
嚢腫穿刺液検査
3/ ll色 混 濁
りバルタ反応 パソデイ反応 比 重 総タンパク
細 胞登〉
細 菌
尿素N
NTtK
Ca CI
アルカリホスファターゼ 酸ボスファターゼ 総コレステロール 総ビリルビン
黄色透 明
(一)
(一)
(一)
1.015以下 3mg/dl 数個/全視野
(一)
139 57 11.8
o 56 2 1.5 7.7 O.2
して,大量の尿貯溜をきたしたところの,いわゆ る巨大な水腎症はまれなものである.
巨大水腎症と呼称されるためtlこは,相当量の貯 溜尿が必要であるが,1,939年Marion2)はこれ を500m1以上としたが,同年Stirling3)』
ヘ内容
液1,000皿1以上の水腎症をGiant hydronePh−rosis or Massive hydronephrosisと定義し,現在 はこれにならって,その報告がなされておる.
頻度:水腎症中,巨大水腎症の発生率は,Ho−
ffman4)3.3%, Smart5)3%と述べ,一方,楠6)
は8.7%という数字を出しているが,いずれにし ても5%内外で,非常に少ないものであることが
うかがえ,る.
性別と患側:赤坂・今村7)らの報告例では,男 女比をみると,2:1と男性に倍ぐらい多くみら れ,男性は左側に,女性は左右ほぼ同じにみられ ている.また新島ε)らによると,男女比はほぼ同 数で,左右別は男女とも右側が多いと述べてい
る.著者らの症例は女性で,患側は左であった.
年令別:岡1)の統計によると,10才未満15%,
10二代10%,20才代22%,30才代21%,40才代16
%,50才代以上16%となり,赤坂7)らの統計によ っても,これと全く同じ傾向がみられた.青壮年
層の占める割合は69%もあり,水腎症の発現にか なりの日時を要することを示し,なお10才未満に 15%にもみられたことは,水腎症の成因として,
先天的要因の関与することが推測できる.
容量と性別ならびに患側:赤坂7)らの報告で は,内容液量:を1,000 mlごとに区切って,性別 と左右別とを比較してみると,内容量1,000ml 代が最も多く,次いで2,000 ml代,3,eoO ml 代,5,000 ml代,101代の順となっておる.そ の性別比は,先述のごとく2:1と男性に多い。
容量と左右差をみると,特に著明な意味はないよ
うに思われる.ただ7,8,91代は左側のみ
で,右側にはみられなかった. 本例の内容液は4,830m1であった.
原因:大きく分けて,上部尿路の病変に基づく ものと,下部尿路の病変によるものとになり,前 者には腎奇形,腎孟内腔の異常,尿管起始部の異 常,異常血管による圧迫や,尿管結石,尿管狭 窄,腫瘍,あるいは機能障害などがあり,後者に は尿管口の異常,神経因性膀胱,前立腺肥大症,
尿道狭窄,あるいは高度の真性包茎等があげられ る.そして,さらに水腎が巨大になるためには,
山本)ら(1964)は,1)自覚症状が軽度であるこ ど2)患側腎の機能が保たれていること.3)間繊 的に内容液が排除されていること.4)合併症を起
さぬこと,の4条件が必要であり,このためには 毒死尿管移行部の変化が重要である.また,下部 尿路に起因するものは,主として両側性に水腎を 招来することが多いと述べておる.
.新訓)らによると,本邦報告例では異常.血管に よるもめが最も多く30。1%o,次いで尿管狭窄の 22.2劣となっておる.
本症は,膀胱鏡,逆行性腎孟尿管撮影の結果,
尿管の狭窄は認められなかった(写真9).
症状:新島8)らは70例中,腹部疹痛が最も多く 44.2%を占め,ついで腹部膨隆41.4%,胃腸障害 32.8%が多かったと述べており,大塚10)は60例 中,腹部痙痛35,0%,腹部膨隆23.3%,腹部腫瘤 16.7%,胃腸障害13.3%であったと述べておる.
また,東福寺11)らVl:10 t以上の巨大水腎症におい 一833一
写真9 逆行性腎孟尿管撮影像
ても,腹部膨隆以外に著明な自覚症状は少ないと 述べておる.本症例においては,左上腹部痛を訴
えていた.
合併症:Smart5)は胆道を圧迫して閉塞性黄疸 を生じた例,Heller, Schringt and Bouchardは 穿孔して腹膜炎を併発した例,Bergmann12)は腎 孟内に大出血を併発,ショック状態に陥った例,
東福寺18)らは腎孟扁平上皮癌の併発例を報告し,
Harrow14)らは妊娠に合併した例を報告している.
診断:泌尿器科的検査,特に静脈性,逆行性,
および経皮的二二造影法,尿管カテテリスムス,
後腹膜腔気体注入法等により,また内科的セこは,
穿刺液のクレアチニン,総窒素,尿酸の定量によ って腹水と鑑別している.診断上有用な手段はx 線撮影である.とくに腎孟尿管撮影法は,最も確 実な診断法であるが,しばしぼ一般の1・V・P.で は高度の水腎症はSilent Kidneyとして造影され 得ない.このような場合には,点滴静注法による
することを確認すれぽ,異常血管の圧迫に起因す る水腎症と確定診断を下すことが出来るといわれ ている。また腎孟尿管移行部の通過状態および腎
孟の形態などを連続的に観察する目的で,最近は X線テレビが応用されておる.
はじめから水腎症と診断されることは少なく,
腹水,嚢腫と診断きれ,まちがえることが多いよ うである.
治療は,腎摘出術または腎孟形成術,あるいは 保存的療法があるが,その処置法は腎機能によっ て判断すべきであるといわれている。
結 語
著者らは27才初妊婦の妊娠7ヵ月に合併した巨 大水腎症の1例を経験したので,報告した.
稿を終るにのぞみ御指導,御校閲いただきました大 内広子教授に深謝致します.
主要文献
1)岡 直友:日本泌尿器科全書,2の1(1960)
243頁
2) Marion, G.: J d Urol 485(1939)
b) Stirling, W.C.: J Urol 42 520 〈1939)
4) Hoffman, H.A.: J Urol 59 584 (1948)
5) Smart, W.R.: J Urol 67 605 (1952)
b)楠 隆光:外科の領域1141(1953)
7)赤坂 裕・今村一男・他:臨画2212(1968)
8)新島端夫。他:日泌会誌48378(1957)
9)山本泰秀・他:口羽泌18443(1964)
IU)大 塚:青県病誌647(1961)
11)東福寺英之・他:臨皮靴1512(1961)
12) Bergrnaim, M.: Zschr Urol 153 315( 1960)
13)東福寺英之・他:口口泌1413(1960)
14) Harrow, B.R.: Surg Gynec Obstet 1042 (1964)