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七 三

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(1)

オールド・ベイリ概観 オールド・ベイリ研究の課題

聖職者の特権と一八世紀前半のイギリス刑事法

1聖職者の特権の世俗化

2一八世紀前半のイギリス刑事法I 殺人︵以上第十八巻第一号︶

I I

財産犯罪

3流刑の導入(以上第十八巻第三•四号)

五一八世紀イギリスの刑事裁判

四=一—

七 三

0

年 代 の オ ー ル ド

,;-———---~:

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5

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〗説~i

̲̲̲̲̲ ̲ ‑‑‑‑‑

. 

七 六

︵ 三 ︶

公判前手続

I逮捕

I I

調査と保釈

I I I

治安判事としてのヘンリ・フィールディング 号 ︶ 大陪審 刑の宣告と恩赦 審理陪審

ニューゲイト監獄 一 七 ︱ ︱

1 0

年代のオールド・ベイリ

まとめ

ベイリ

19‑2  117 (香法'99)

(2)

一八世紀イギリスの刑事裁判

現代のイギリスでは︑犯罪と容疑者を知った者でそれを立証するための証拠をもっている者は誰でも自ら刑事訴追

を提起することができる︒全ての刑事訴追が私人訴追主義の理念のもとに行われている︒警察官が訴追する場合も私

人と同じ立場で訴追は行われる︒訴追者が警察官であるという事実は訴追の性質を変えないのである︒国家の訴追機

関︵法務総裁

A t

t o

r n

e y

G e

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r a

l ︑公訴局長

D e

r e

c t

o r

o f   P

u b l i

c   P r o s e c u t i o n )

も私人訴追主義のもとで機能しており︑

訴追を独占する検察制度はイギリスには存在しない︒私人訴追主義はイギリスの刑事司法の特徴となっている︒

一八世紀イングランドにおいても︑刑事訴追は私人︵通常は被害者及びその親族︶による犯罪者の告発によって開

始される︒まして︑近代的意味の警察制度が確立していない時代には︑犯罪者の逮捕と告発に私人が果たす役割は大

きいと思われる︒そして︑私人による逮捕と告発を受けて刑事訴追手続を行うのは︑治安判事

j u s t

i c e

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と治e

安官

c o

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t a

b l

e などのその官吏達であった︒治安判事のもとで犯罪の調査

e x

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n ︑犯罪者の保釈などの手続が行

われる︒正式起訴に至るまでの公判前手続でその中心となるのは治安判事であった︒治安判事の多くは法律の専門的

訓練を受けていないが︑彼らは治安判事の職務を解説する手引き書や刑事訴訟の注釈書に導かれて公判前手続を処理

一八世紀に利用されていたダルトン

M .

D

a l

t o

n ︑

(4 ) 

書から公判前手続を探ってみたい︒そして︑さらに︑ 1公判前手続

ヘイ

M .

H a

l e ︑

したと思われる︒ここでのテーマは犯罪者の逮捕と告発から正式起訴に至るまでの公判前手続を概観することにあ

(3 ) 

る が

ホーキンス

W .

H a

w k

i n

s の手引き書や注釈

一八世紀中頃のウエストミンスター自治都市とミドルセクス州

(3)

一七三0年代のオールド・ベイリロ(栗原)

すことができる︒疑いのある人の逮捕に関しては︑ 私人は重罪犯人を逮捕することができる︒

しか

し︑

それには一定の条件がある︒ てのそれの実効性はほとんど失われていたと思われるので︑ここでは説明を省略する︒ I逮

( 1

)  

の治

安判

事︑

②官吏による逮捕︑ ヘンリ・フィールディング

He nr yF i e l d i n

g の公判前手続を検討する︒

一九九七年︶ニ

( 2

)

鯰越溢弘﹁訴追理念としての私人訴追主義﹂︵内田博文︑鯰越溢弘編﹁市民社会と刑事法の交錯﹂所収

0

ーニ五六頁︒

( 3

) 我が国では︑小山貞夫﹁絶対王政期イングランド法制史抄説﹂︵創文社一九九二年︶がアサイズ裁判における刑事訴訟に言及す

る︵二九0ー三一四頁︶︒同書では一六世紀後半から一七世紀前半にかけてのアサイズにおける刑事訴訟が分析されているが︑制度

としては一八世紀に入っても大きな変化はない︒一八世紀イギリスの刑事裁判の研究としては︑鯰越溢弘﹁イギリス刑事法の近代化﹂

︵澤登佳人編﹁近代刑事法の理念と現実﹂所収立花書房一九九一年︶がある︒

(4)M•

D a l t o n ,   Co un tr ey u s   J t i c e 1 ,   6 1 8   ( r e p . 1 9 7 5 ,  

W .  

J .   Jo hn so n  I n c . )

M . ;  

  H

a l e , H   i s t o r i a   P la ci to ru m  Co ro na e,

 

v o l s 1 ,   7 3 6   ( r e p .   1 9 7 1 P ,   r o f e s s i o n a l   B oo ks

)  ; 

W .  

H

aw ki ns , 

T r e a t i s e   o f   th e   P le as   of   th e   C ro wn , 

v o l s ,   1 7 1 6   ( r e p .   1 9 7 8 ,   Ga rl an d  P u b . ) .  

重 罪 犯 人 の 逮 捕 に は 次 の 四 つ の 場 合 が あ る

① 私 人 に よ る 逮 捕

③ 叫 喚 追 跡

h u e a n d   c r

にy

る逮捕︑い令状

w a r r a n

t もしくは命令

p r e c e p

t による逮捕である︒これらのなかで︑③叫喚追跡による逮捕はアング

ロ・サクソン時代以来の古来の逮捕の方法である︒

叫喚追跡は一八世紀に入っても行われていたが︑逮捕の方法とし

﹁あらゆる私人は︑彼が強盗︑故殺もしくは他の菫罪を犯したことを知る他の人を逮捕し︑その人を治安官に引き渡

実際に犯された重罪であらねばならない︒疑いのある人を逮捕す

成文堂

19‑2 ‑119 {香法'99)

(4)

る当事者は自らがその重罪に対して疑いをもたねばならない︒

(2 ) 

由で

はな

い︒

さもなければ︑通常は疑いは他の人を逮捕するべき理

このように︑私人による重罪犯人の逮捕には二つの場合がある︒

菫罪犯人を逮捕する場合である︒この場合に私人が重罪犯人を逮捕することは義務として考えられており︑

(3 ) 

自力で逮捕できない場合には︑他人の援助を求めてまで逮捕することを義務づけている︒

もうひとつの場合は重罪の疑いによる逮捕である︒私人が重罪の疑いで重罪犯人を逮捕するためには三つの要件が 必要とされる︒

その

第一

は︑

むし

ろ︑

ひとつは重罪が犯され︑重罪犯人を知る人がその

その重罪が実際に犯されねばならないことである︒重罪が存在しない場合にはそれの疑

いの理由も存在しないからである︒その第二は︑重罪犯人を逮捕する人は自らが重罪の疑いをもたねばならないこと

である︒そして︑第三は︑逮捕を正当化する疑いの充分な理由

s u f f

i c i e

n t c a u s e s

f     o

s u s p

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n があらねばならないこ

とで

ある

ヘイルの概念を使うならば︑重罪の疑いの相当な理由

p r

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l e

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f     o

s u s p

i c i o

n もしくは合理的理由

(5 ) 

r e

a s

o n

a b

l e

  c a u s e s

があらねばならないことになる︒重罪の疑いで重罪犯人を逮捕する私人は︑実際に犯された重罪に

対して重罪の疑いの充分な理由もしくは相当な理由を自らもたねばならないわけである︒

それでは︑どのようなことが重罪の疑いの充分な理由もしくは相当な理由として考えられていたのだろうか︒ホー

(6 ) 

キンスは重罪の疑いの充分な理由として次の六項目を挙げている︒①地域の共通の評判

co

mm

on

f a

m e

  o f   c o

u n

t r

y ︑

しか

し︑

共通の評判が逮捕をもたらした行動のなかで相当な根拠をもつことが証拠にもとづいて明白であるべきであ る︒③目にみえる生活手段をもつことなく︑放浪して怠惰で治安を乱す生活を送っていること︒③犯罪のときに犯罪

者であると知られた人達と一緒にいること︑もしくはそれ以外のときにも悪評のある人達といつも一緒にいること︒

④有罪の強い推定を促すような状況で発見されること︒⑤有罪の意識をもらすような仕方で自ら行動すること︒⑥叫

(5)

一 七 三0年代のオールド・ベイリ(三)(栗原)

上記の六項目は疑いの充分な理由の主要なものにすぎない︒これらはヘイルが示す疑いの相当な理由にも含まれる︒

このように︑疑いの充分な理由も疑いの相当な理由も犯罪の状況と犯罪者の人格に求められた︒私人は上記の疑いの 充分な理由もしくは相当な理由に当たる疑いを自らもつならば︑疑いだけで重罪犯人を逮捕することができる︒たと

え︑それが無実の人を逮捕した場合であっても︑

一六世紀には︑治安官は悪意︑偏見︑ その逮捕は正当な逮捕とされた︒重罪犯人を逮捕した私人は︑

重罪犯人を自分で監獄に連れて行くか︑彼を治安官に引き渡すことができるが︑逮捕した私人が重罪犯人を治安判事 の前に連れて行くのが妥当な方法とされた︒重罪犯人を逮捕した私人は︑治安判事や治安官の前で逮捕理由︑すなわ ち重罪の疑いによる逮捕であれば︑重罪の疑いの充分な理由もしくは相当な理由を立証せねばならない︒

その 重罪犯人の逮捕は私人だけで常にできるとは限らない︒官吏の援助が必要とされる場合も多い︒私人に逮捕の援助

を求められた官吏が重罪犯人を逮捕することもありうる︒私人を援助して︑あるいは私人に代わって重罪犯人を逮捕 する官吏が治安官

c o

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t a

b l

e であった︒治安官は︑地域社会の治安の維持のために地域住民のなかから選ばれ︑シェリ

フの巡回裁判

S h

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s

To

ur

n やリート裁判所

c o

u r

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l e e t

で任命された︒この任命方法は一七世紀に入っても形式的

には維持されていたが︑リート裁判所が機能しない地域では︑教区会

p a

r i

s h

v e

s t

r y

がその役割を引き継いだりしてい た︒しかし︑治安官の選任手続は地方の慣習に依存しており︑多様であった︒

不公平なしに誠実に職務を執行する正直さ︑なすべきことを理解する知識︑

熱心に職務に立ち向かい︑それを執行す

るような土地や財産の能力と身体能力という三つの資質をもつことが求められた︒治安判事の権限の拡大にともない︑

治安官は治安判事の下級官吏として広範な職務を負わされた︒重罪から軽罪にまで及ぶ犯罪の捜査︑社会的経済的規

制立法の執行︑租税の徴収︑軍事的任務にまで治安官の職務は及んでいた︒地域住民のなかから一年ないし二年の任 喚追跡によって追われること︒

19‑2  121 (香法'99)

(6)

かっ

た︒

( 1 2 )  

期で選ばれた治安官は地域社会の何でも屋

j a c k o s f   a l l   t r a d

e であることが期待された︒

重罪が犯される場合に︑治安官は重罪犯人を職権で

ex o f f i c i  

0逮捕し︑拘禁することができる︒重罪が犯され︑

A

が相当な理由で

B

を菫罪犯人であると疑い︑治安官にそのことを知らせ︑

B

を逮捕するための援助を求めるならば︑

( 1 3 )  

治安官はBを逮捕することができる︒しかし︑治安官によるBの逮捕は無条件で執行されるのではない︒治安官は

A

の疑いの相当な理由を調査し︑それを確認せねばならない︒これによって︑Aの疑いの相当な理由は治安官の疑いの

相当な理由にもなり︑治安官は自ら確認した疑いの相当な理由にもとづいてBを逮捕することができる︒治安官によ

る逮捕は私人による逮捕と全く同じ立場で認められるのであって︑私人に認められない逮捕は治安官にも認められな

治安判事による重罪犯人の逮捕は令状によって執行される︒逮捕令状は治安判事の命令を執行する治安官ばかりで

なく︑私人に対しても発給される︒重罪で︑まして重罪の疑いで逮捕するための令状を発給する全ての場合に︑重罪

がなされたのかどうかと疑いの理由を宣誓のうえで令状を求める当事者に尋問するのがよい︒というのは︑治安判事

( 1 4 )  

はこの場合に逮捕令状を発給せしめる諸状況の適した審判者だからである︒治安判事は逮捕令状を発給する前に︑疑

いの理由の相当性

p r o b a b i l i t

y を評価せねばならない︒治安判事にとって︑疑いの相当な理由は逮捕令状を発給するた

めの基準であり︑事実の調査にもとづく証拠上の要件を意味した︒逮捕令状の発給は告発者によって示された証拠に

( 1 5 )  

対する治安判事の評価の結果であった︒

疑いの相当な理由は治安判事によって捜索令状

s e a r c h w a r r a n

t が発給される前にも治安判事によって審査され

た︒捜索令状が発給されるために︑令状を申請する当事者は次の二点を治安判事の前で宣誓して示さねばならない︒

ひとつは重罪が犯されたことであり︑もうひとつは︑盗まれた物品がこの家もしくはこの場所にあると疑う相当な理

'

(7)

一 七 三0年 代 の オ ー ル ド ・ ベ イ リ ロ ( 栗 原 ) ( 8

)  

( 7 )  

( 6 )  

( 5 )  

( 4 )  

( 3 )  

( 2 )  

( 1 )  

ヘイルやホーキンスによって列挙された疑いの相当な理由や充分な理

シャピロ

B .

Sh ap ir

はホーキンスやヘイルのあとの世代では︑o

仲間の性質のような疑いの理由が無視されたことを指摘するが︑

なり後の時代に生じたと思われる︒

M .  

H a l e ,  

p .  

c i t . ,   v o l .

  I I ,  

p .  

7 2 .   M•

D a l t o n ,   o p .   c i t . ,   p p .  

295296. 

M .  

H a l e ,   o p .   c i t . ,   v o l .

  I I ,  

p .  

76 . 

W .  

Ha wk in s,

 

p .   c i t . ,   v o l .

  I I ,  

P .  

76 . 

M .   H

a l e ,

 

p .   c i t . ,   v o l .

  I I ,  

p .  

78 . 

W .  

H a w k i n s ,

 

p .   c i t . ,   v o l .

  I I ,  

p p .  

75‑

76 . 

M .   H

a l e ,   o p c i t .   . ,   v o l .

  I I ,  

p .   8 1 .  

治安官の歴史的起源は古く︑アングロ・サクソンの時代に求められる︒治安官にはハンドレッド

Hu nd re

d の治安維持官である上

級治安官

h i g h c o n s t a b l

と十人組e

T i t h i n

の治安官である小治安官g

p e t t c y o n s t a b l e

W .

Ha wk in s,

 

p .   c i t . ,   v o l .

  I I ,  

p p .  

61 

66;J. R .  

K e n t ,   Th e  E n g l i s h i   V l l a g e   C o n s t a b l e

158 1642:  0

S o c i a l n   a d  A d m i n i s t r a t i v e   S t u d y ,   O x f o r d ,  

19 86 , 

p p .  

1 4

2

3.

ントの研究は一0州からニ︱一の町や村の記録を資料にした実証的な歴史研究である︒

的地

位︑

疑いの観念の変化は一八世紀と言ってもか

由を基準にして逮捕は執行された︒ 悪評︑社会的経済 いう基準で執行された︒

一八世紀に入っても︑

私人による逮捕であれ︑治安官による逮捕であれ︑治安判事の令状による逮捕であれ︑

逮捕は疑いの相当な理由と

場に立ち会い援助するだけであった︒ 治安官や他の官吏に対して発給された︒捜索令状の執行は治安官などの官吏に限定され︑

令状を申請した当事者は現

由が

あり

( 1 6 )  

この疑いの彼の理由を提示することである︒

捜索

令状

は︑

特定の場所を捜索する目的で︑私人にではなく

19‑2 ‑123 (香法'99)

(8)

ノ[

(O"l) ~{tI!IQ朔出0巨臨旦r,;いざIbid.,pp. 58‑72; C. B. Herrup, The Common Peace: Participation and the Criminal Law 

in the 17th Century England, Cambridge, 1987, pp. 68‑69. t‑‑‑I'(,.L 111Xぷーやざ如妬皿芸l洪<~母益~]1]‑<(Q‑!III氾活

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旦疫之窪疇如0製以孟遥涵如径~~0 E. A. Reynolds, Before the Bobbies: The Night Watch and Police Reform in Metropoli

tan London 1720‑1830, Macmillan, 1998, pp. 7‑28. 

M. Dalton, op. cit., p. 37. 

~{tI!IQ迅~~蓋恕旦0;ゃ竺

'J.

R. Kent, op. cit., pp. 15‑19, pp. 24‑56. 瑞器旦芸1"'t-0~{nrrQ如画t2("¥ い芸'C.B. Herrup, 

op. cit., pp. 67‑92. ~{tI!IQ恕臣旦竺II腟起芯~t-0゜も心い芸’茫{~弄誓G.'4昔{巴碩双訃屯臆紐玲芸器#ぐ屈項砒巧沿{nrr~~_)0

畢浬や~!-0゜かmも心0竺’栽禁訳麟心朔芸ニ女要器訳謬ご燦拙心S邑国や~t-0゜栽禁#ぐ認之砥如心や要器訳唸氾似

如蔀捉1"'!-0ぶ;,("\姿{~{nrrQ出途認,{nrr~ ド回悩迅如癖ヒ1"'!-0出恕心堂旦竺哀4吋ヤ心゜淀足’臨器~~q翡裟醤淀忌認号吋迅S恙ヒ

旦泣二や囲悩迅心芸器~q唸巴翌全索i氾…肉唸ぐ叫竺’如糾皿竺’要證#ぐ底凜{~如裁淀10¥t-0~ U'如似心

や囲條垢如癖ぬ1"'t‑0

.l‑6 5;:¥...;:,, 翌器#ぐ訳辻竺料口心や雪ま如孟怒臣如咲~,..)+.2~J~芯把濫約菜いこ沿゜J.A. Sharpe, Enforcing the Law in the 17th 

Century English Village, in A.G. Gatrell, B. Lenman, G. Parker (ed.), Crime and the Law: The Social History of Crime in 

Western Europe since 1500, Europa pub., 1980, pp.107‑117; K. Wrightson, Two Concept of Order: Justices, Constables and 

Jurymen in 17th Century England, in 

J. 

Brewer and 

J. 

Styles (ed.), An Ungovernable People: The English and their Law in 

the 17th and 18th Centuries, Rutgers Univ., 1980, PP. 21‑32 ; Do, English Society 1580‑1680, Rutgers Univ., 1982, pp. 155‑159 

(廿犀謳「'\"""~'.:'\¥'(訳諏

l

<0‑1 K1(0

」(ざトロモー,.L

1

兵共

l

母)1]~<1店古事0)

心)C. B. Herrup, op. cit., p. 69. 

ぼ)M. Hale, op. cit., vol. II, pp. 91‑92. 

(コ)Ibid., vol. II, p. 110.  ぼ)(二)

(9)

一 七 三0年代のオールド・ベイリい)(栗原)

こ ︒

i H

 

って

この調査は保釈手続にお 拘禁法によって︑

B .   S h a p i r o ,  

Be yo nd R   e a s o n a b l e   Do ub t  an d  P r o b a b l e   C a u s e :   H i s t o r i c a l   P e r s p e c t i v e s   o n  t h e   An g!  

C

Am er ic an La w  o f   E v i d e n c e ,   U n i v .   o f   C a l i f o r n i a ,  

19 91 , 

p p .  

135136. 

M .   H

a l e ,   o p c i t .   . ,   v o l .   I I ,   p .  

15 0.  

B .   S h a p i r o ,  

o p .   c i t . ,   p .  

14 6.  

一七五五年に刊行されたバーンR.Burnの﹁治安判事と教区官吏The

J u s t i c e   o f   P ea ce   an d  P a r i s h  

fficer﹂では︑ホーキンスによって示された六項目の疑いの充分な理由がそのまま列挙されている

( R .

B u r n ,   Th e  J u s t i c e   o f   P ea ce   an d  P a r i s h   O f f i c e r ,  

I .  

17 55 , 

p p .  

68

6 9. )︒一七六九年に刊行されたブラックストーン

W .

Bl ac ks to ne Co mm en ta ri es   on a   L ws   of   En gl an d

pr ob ab le su sp ic io n 使

( W .  

B l a c k s t o n e ,   Co mm en ta ri es   on a   L ws   of   E n g l a n d ,   v o l .   I

V,  

1769 

( r e p

1.  

97 9) , p

286p

29 2.

)

調査と保釈

重罪犯人が逮捕されて治安判事の前に連れて来られると︑

は保釈法The

Ba il   Ac t ( 1

 

P h i l i p

 

Mary 

C .  

1 3  (1554

15

55

))

と拘禁法The

Co mm it ta l  A ct  (2 

P h i l i p

 

Ma ry  

C .  

1 0  

(1

55

5)

)と称される一六世紀の二つの法律にもとづいて行われた︒保釈法は治安判事によって行われる重罪犯人の

調杏書を作成す

保釈法では保釈される重罪犯人に調査と調査書の作成が義務づけられたが︑

保釈手続よりも

重罪犯人が治安判事の前に連れて来られたときに行うことによって全ての重罪犯人に対して義務づけ

調脊についての法律上の文言は保釈法の文言がそのまま拘禁法においても使われているが︑

安判事による重罪犯人の調査は保釈から分離した別個の手続として確立された︒

もち

ろん

19‑2 ‑125 

重罪犯人に対してはそれらは義務づけられなかった︒

拘禁

法は

重罪犯人の調査と調脊書の作成を︑ ることを義務づけられた︒保釈されない 保釈手続を規制する目的で制定された︒保釈法によって︑治安判事は保釈の前に重罪犯人を調査し︑

II 

のかについての言及はない

( 1 7 )

 

( 1 6 )

 

( 1 5 )

 

治安判事によって犯罪の調査が始まる︒重罪犯人の調杏i

(香法'99)

(10)

から治安判事による公判前の調査を詳しく示したい︒ あ

る︒

いても利用されるが︑より重要なのは公判との関連においてであった︒ここでは最初に拘禁法の下での治安判事の調

査についてふれ︑次に保釈についてふれることにしたい︒

拘禁法︑すなわち︑故殺もしくは重罪の疑いのある被勾留者

P r

i s

o n

e r

s を調査するための法律は︑治安判事に二つの

義務を課した︒ひとつは犯罪の調査に関してである︒治安判事は︑故殺もしくは重罪︑もしくはそれらの疑いで連れ

て来られた被勾留者を監房に拘禁したり送致する前に︑容疑事実とその状況について被勾留者を調査し︑彼を告発す

る人達の情報を集め︑そして重罪を証明するために重要であろうことを調査後二日以内に書面に記載することが義務

づけられた︒治安判事は被勾留者︑告発者︑告発側証人を調査し︑調査書を作成せねばならない︒

もうひとつは訴追に関してである︒治安判事には︑監房に拘禁されるであろう被勾留者に対して故殺もしくは重罪

を証明するために重要なことを陳述する全てのものを︑次の通常の未決囚釈放裁判

g e

n e

r a

l g

a o

l   d

e l i v

e r y

に出廷して

被勾留者に対して証拠を与えるために︑正式誓約書

r e

c o

g n

i z

a n

c e

もしくは書面による約束

o b l i

g a t i

o n によって出廷

を保証させる権限が与えられた︒治安判事は︑被勾留者の重罪を証明するために必要な告発者及び告発側証人が次の

アサイズ裁判に出廷して証言することを︑出廷保証命令によって告発者及び告発側証人に調査のときに命じたわけで

拘禁法には上記の二点が規定されているにすぎない︒この法律にもとづく治安判事による公判前の調査が実際にど

のように行われていたのかは︑むしろダルトンやヘイル達の注釈書から知ることができる︒そこで︑これらの注釈書

拘禁法の条文をみる限り︑調査を担当する治安判事は一人であっても複数であってもよいことになっているが︑通

常は一人の治安判事が調査を担当した︒重罪を犯したとして︑あるいは重罪の疑いで逮捕された被勾留者が治安判事

1 0

 

(11)

一 七 三0年代のオールド・ベイリ(=:)(栗原)

ることを治安判事によって義務づけられた︒ の前に連れて来られると治安判事による調査が始まる︒調査の結果︑容疑事実で拘禁する理由が発見されない場合には︑治安判事は被勾留者を無罪放免することができるとされた︒しかし︑

その一方で︑告発者が宣誓して重罪で告発 した場合には︑治安判事は自らの裁量で被勾留者を無罪放免することはできないとされている︒このように︑注釈書 の記述には混乱がみられ︑治安判事が告発を受けて拘禁法にもとづき調査を決定する基準は︑ほとんどの注釈書で明

瞭ではない︒前者では治安判事の裁量が働くことになるが︑後者では治安判事の裁量が働く余地はない︒

拘禁法にもとづく治安判事による調査の対象者は被勾留者︑告発者︑告発側証人である︒被勾留者に対する調査で は被勾留者は宣誓せずに証言する︒治安判事は被勾留者の証言から調査書を作成する︒被勾留者に対する調査には次

のような項目が含まれた︒①特性

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(被勾留者の人格︶︑②徴表もしくは痕跡︵証拠︶③事実︵犯行の場所と日

時︑アリバイ︶④理由︵悪意︑利得︶︑固被勾留者の性質︵主犯か共犯か︑責任能力の有無︶︒特に︑特性と徴表もし

くは痕跡には︑疑いの充分な理由もしくは相当な理由として列挙された項目が含まれた︒

告発者と告発側証人に対する調査では︑治安判事は告発者と告発側証人に宣誓のうえで証言を求め︑疑いの相当な 理由を審在する︒疑いの相当な理由が見い出されれば︑治安判事は彼らの証言を調査書に加える︒しかし︑被勾留者

が令状によって逮捕される場合には︑疑いの相当な理由の審査は逮捕令状の発給のときにすでになされたと思われる︒

そして︑告発者は︑次の未決囚釈放裁判に出廷し︑正式起訴状案を提出し︑告発側証人とともに証言するという出廷 保証命令を治安判事によって出される︒告発者と告発側証人は次のアサイズ裁判に出廷し︑被勾留者を重罪で訴追す 拘禁法では︑治安判事の調査は告発者と告発者によってもたらされた告発側証人だけを調査するという受動的な調

査を規定するにすぎない︒しかし︑この時代の注釈書ではより積極的な調査を治安判事に求めている︒ひとつは告発

19‑2 ‑127 (香法'99)

(12)

側証人に対してである︒治安判事は告発者が示した証人以外の告発側証人をも召換し︑調査することができた︒治安

判事は︑被勾留者が疑われている重罪を証明するために︑被勾留者に対して何か重要なことを告げることができる他

の人達についての知らせを受けたのちに︑この人達に対して召換令状を出し︑彼らの情報をとり︑被勾留者に対して

証拠を与えるためにこの人達に出廷保証命令を出すことができる︒というのは︑誰でもが国側の証拠

e v i d e n c e

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(8 ) 

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を与えるために認められるべきだからである︒このように︑治安判事は︑告発者と告発者が連れて来た証人の証

言が重罪を証明するために不充分な場合には︑事件を積極的に捜査し︑重罪を証明するために重要な他の証人達を捜

し出し︑宣誓のうえで証言させ︑彼らに対しても次のアサイズ裁判で証言するために出廷保証命令を出すことが求め

注釈書で求められたもうひとつの調査は被勾留者側の証人についてである︒重罪犯人もしくは菫罪で疑われた人に

対する告発を受ける治安判事は︑被勾留者の無罪釈放もしくは疑いを晴らすことになる情報︑証明︑証拠と同時に︑

被勾留者に対する国側のものをも集め立証するべきである︒というのは︑治安判事によってとられた情報︑証拠︑証

明とそれらの立証は︑国王と未決囚釈放裁判官に事件の真実を知らせるためだからである︒治安判事は真実を知るた

めに被勾留者側の証人をも調査する︒しかし︑被勾留者側の証人の調査は宣誓なしになされねばならない︒従って︑

末決囚釈放裁判官は︑被告人の無罪釈放や疑いを晴らすことになる証言や証拠を公判で聞くことがしばしばあるであ

( 1 0 )  

ろうが︑宣誓された証言や証拠としてそれを受けとらないであろう︒このように︑注釈書では被告人側証人が公判で

( 1 1 )  

宣誓なしで証言することを認めるが︑実際には被告人が証人を申請することは当時の公判では容易なことではない︒

調査書そのものは調査終了後に二日以内に作成された︒調査書には証言が逐語的に記録されるのではなく︑

旨が記録された︒それでは︑調査書は公判でどのように扱われるのだろうか︒調査書そのものは公判に証拠として提 ら

れた

その要

(13)

一 七 三0年代のオールド・ベイリに)(栗原)

出されることはない︒調査書に書かれた告発者や告発側証人の証言は公判で再び証言されない限り︑証拠として認め られない︒彼らの証言が公判で証拠として提示されるために︑治安判事は彼らに出廷保証命令を出すのである︒公判

で直接に口頭で提示された証拠だけが証拠として認められた︒

調査書には犯罪者の自白も記録された︒犯罪者の自白は宣誓されないが︑犯罪者の署名のうえで通常は記録された︒

しかし︑調査段階での犯罪者の自白は犯罪者の有罪を決める証拠として扱われることはない︒罪状認否もしくは公判

でそれが示されて有罪の証拠として認められた︒調査書によって︑大陸型の書面証拠の制度は全く意図されなかった︒

しかし︑調査書の証拠力が完全に認められなかったのではない︒例えば︑出廷保証命令を受けた告発者が未決囚釈放 裁判が開かれるときに死亡していたり︑あるいは病気のために出廷できないときには︑調査書に記録された告発者の

宣誓証百は証拠として朗読された︒

しか

し︑

そのためには︑調査をした治安判事もしくは調査を書面にした書記が告 発者の証言が宣誓して与えられたことを宣誓して証言せねばならない︒さらに︑調査書に記録された犯罪者の自白も

公判で証拠として朗読されることが認められた︒しかし︑

その場合も︑調査書は犯罪者が調査のときに自白したこと の正確な要旨であることが調査をした治安判事もしくは調査を書面にした書記によって公判で宣誓のうえで証言され

ねばならなかった︒

さらに︑犯罪者が彼に強いられた脅迫もしくは不当な脅威もなく任意に自白したことも彼らによ って立証されねばならないとされた︒治安判事もしくはその書記が犯罪者の自白が強制もなく任意になされたことを

宣誓して証言しさえすれば︑調査書に書かれた犯罪者の自白は公判で証拠として認められた︒一八世紀前半の0

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には︑調査書に書かれた犯罪者の自白が主として治安判事の書記による上記の宣誓証

言によって証拠として認められた多くの事例が記録されている︒

このように︑調査書は口頭主義的な公判で補助的に利用された︒しかし︑裁判官

Iにとって調査書は公判に必要不可

19~2~129 (香法'99)

(14)

欠な参考資料であったと思われる︒年二回のアサイズ裁判では︑裁判官の巡回が始まるニヶ月から一ヶ月前までに三

つの任命書︵アサイズ裁判官任命書

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e ︑刑事巡回裁判官任命書

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︑未決囚

釈放裁判官任命書

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が裁判官に発せられ︑一七日間に巡回するべき巡回区内のアサイズ裁判の日程y )

( 1 6 )  

と場所が出発する三・四週間前には裁判の準備のために当該州のシェリフに通知された︒裁判地での裁判官の滞在期

間は事前に決められていた︒

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では一っの裁判地での裁判官の滞在期間はほとんどが三日間で︑裁判官はこの三日間で一日に平均して一五ー

( 1 7 )

1 8 )

 

0

件の公判を処理したという︒裁判官の滞在期間と扱う事件数は一八世紀に入っても大きな変化はない︒裁判官は

短い滞在期間に大量の事件を処理することを求められたのである︒裁判官が短い滞在期間に大量の事件を円滑に済ま

せるために︑全ての事件についてではないにせよ︑被告人の犯罪の状況と人格についての情報を公判が始まる前に知

る必要があったかもしれない︒ コウバーン

J.

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一五

0

年代のロンドン近隣諸州巡回区

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さらに︑被告人に弁護士がつかない時代の刑事裁判では︑公判は裁判官が告発者︑告

( 1 9 )  

発側証人︑被告人︑被告人側証人に尋問し︑彼らが応答することによって裁判官中心に進められており︑公判で中心

的役割を果たさねばならない裁判官にとって︑扱う事件の性質を知るためには犯罪の具体的状況と被告人の人格につ

いての情報はむしろ必要な情報であったと思われる︒これらの情報は正式起訴状には記されていないので︑裁判官が

これらの情報を公判前に得ようとすれば︑治安判事の調査書にそれを求める以外にない︒

( 2 0 )  

拘禁法は重罪にあたる犯罪の捜査と調査︑訴追の準備を治安判事に委ねた︒犯罪の調査と調査書の作成は法律上は

保釈法の規定を引き継いだものであるが︑実際には軽罪の公判前手続で治安判事によってすでになされていたことを

( 2 1 )  

重罪の公判前手続に導入したにすぎない︒

しかし︑重罪の公判前手続における治安判事の権限の確立はもうひとつの重要な変化をもたらすことになった︒

一 四

(15)

一七三0年代のオールド・ベイリ(=) (栗原)

否定されたと言うことはできない︒

一 五

︱ニペンスという盗まれた物品の評価額を基準

リザベス期には︑菫罪における治安判事の権限が犯罪の捜査と調査︑訴追の準備という公判前手続だけに限定された からである︒治安判事には一四世紀の治安判事制度の創設のときからアサイズ裁判官とともに重罪の裁判権が認めら

( 2 2 )

2 3

)  

れていたが︑一六世紀後半には治安判事の重罪の裁判権は事実上失われていた︒重罪では︑公判前手続は治安判事に︑

公判は裁判官と陪審に地方の刑事司法の権限が事実上分割された︒刑事巡回裁判官任命書では︑治安刑事から重罪の 裁判権が事実上失われた後も︑二人の裁判官︑アサイズ書記︑副書記とともに︑巡回区の代表的な治安判事達が刑事 巡回裁判官に指名され続けているが︑任命書で指名された治安判事が裁判官として公判に加わることは通常はなくな

り︑重罪はアサイズ裁判で裁判官によって審理されるようになったと思われる︒

しかし︑重罪における治安判事と裁判官の権限の分割は必ずしも明瞭ではなく︑治安判事の重罪の裁判権が完全に

一般的な未決囚釈放裁判官任命書には治安判事は裁判官として指名されないが︑

監獄が囚人で一時的に過密状態になったり拘留された囚人が小犯罪だけで告発されているときには︑未決囚釈放裁判

官の特別任命書

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r y によって︑治安判事は治安判事の法廷で重罪の裁判権を行使

( 2 5 )  

した︒これは大量の未決囚釈放者名簿

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r をかかえた州でみられ︑治安判事は軽微な重罪に限る

( 2 6 )  

ことなく︑死刑犯罪に対しても裁判権を行使した︒さらに︑小窃盗

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や軽微な重罪

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の場合

には︑重罪であっても治安判事の四季裁判所の裁判権が認められていた︒治安判事は︑これらの調査を行い︑告発者 に出廷保証命令を出し︑次の四季裁判所で調査と告発を立証することが求められた︒特に︑窃盗の場合には︑アサイ

ズ裁判で扱われる大窃盗と四季裁判所においても扱われる小窃盗は︑

にして区別されるが︑この評価額は実態から切り離された観念的な評価額であり︑調査のときに治安判事の裁量が評

価額の認定に働いたことは言うまでもない︒窃盗を観念的な擬制によって小窃盗として治安判事の裁判所に委ねるこ

19‑2 ‑131 (香法'99)

(16)

選別的執行のひとつの局面として位置づけねばならない︒ と

は ︑

アサイズ裁判を定められた日程で消化するためにも必要とされたと思われる︒特に︑流刑法︵一七一八年︶に

よって流刑が四季裁判所の通常の刑罰として採用されてからは︑窃盗に対しては二つの裁判所で同じ刑罰が科せられ

( 2 8 )  

るようになったために︑窃盗を小窃盗に擬制して治安判事の裁判所に委ねる傾向が強まったことが指摘された︒

拘禁法は︑治安判事に重罪の調査と訴追のための手続を定めることによって治安判事の裁量を規制したかのように

みえる︒しかし︑治安判事の裁量は拘禁法の手続のもとでも機能したとみるべきである︒もちろん︑重罪の疑いの相

当な理由が明白な場合に︑謀殺や強盗などの重い重罪であれば︑治安判事の裁量が働く余地は実際にはありえないで

あろう︒しかし︑疑いの相当な理由の審査には治安判事の裁量が働くことを否定することはできない︒逮捕令状の発

給のときに︑あるいは調査のときに︑治安判事は被勾留者︑告発者︑告発側証人の人格を評価せねばならないからで

( 2 9 )  

ある︒これらの評価は治安判事の裁量が働く分野であった︒

拘禁法のもとで治安判事に求められた重罪の捜査︑調査︑訴追の権限をこの時代の注釈書から検討した︒しかし︑

どれだけの治安判事が注釈書が示すように実際に行動したのかは別の問題である︒注釈書を指針にした熱心な治安判

( 3 0 )  

事もいたかもしれないが︑注釈書は必ずしも現実を反映したものではない︒イングランドでは︑刑事法は私人訴追主

義のもとで選別的に執行されたからである︒刑事法は犯罪の告発から刑の執行に至る刑事司法の全ての局面で選別的

( 3 1 )  

に執行された︒ここでは治安判事による調査の実態にまでふれてはいないが︑拘禁法下の治安判事の調査も刑事法の

調査後に︑被勾留者は保釈法にもとづきそのまま監獄に拘禁されるか︑保釈されるかが審査される︒重罪が犯され

た場合には︑故殺もしくは重罪︑あるいはそれらの疑いで逮捕された被勾留者は︑拘禁されるか︑保釈されるかであ

る︒保釈法では︑保釈は調査のときに作成された調査書をもとに審査され︑治安判事の公開の法廷︵四季裁判所︶も

一 六

参照

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