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パブリックアート活動における

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Academic year: 2022

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パブリックアート活動における

エゴセントリックネットワークの質的変化

横山 美和

1

・羽藤 英二

2

1学生非会員 東京大学大学院 工学系研究科(〒113-8656 東京都文京区本郷七丁目3-1)

E-mail: yokoyama@bin.t.u-tokyo.ac.jp

2正会員 東京大学准教授 工学部都市工学科(〒113-8656 東京都文京区本郷七丁目3-1)

E-mail:hato@bin.t.u-tokyo.ac.jp

本研究ではパブリックアート活動を中心とした芸術を用いた都市計画・まちづくりに着目する.そこで は,都市計画・まちづくりを一つの物語として捉えた上で,物語(ナラティヴ)を創ること,つまり,ま ちづくり(まちを創ること)を考える.その際,都市計画・まちづくりにおける芸術の意義を,関わりの 中から抽出し,エゴセントリックネットワークという側面からアプローチすることで,その質的変化につ いて議論する.そうすることで,都市計画・まちづくりにおける芸術の意義とそのメカニズムが明らかに する.

Key Words : Public art, Egocentric network, town development on a regional scale

1. はじめに

パブリックアートとは,美術館やギャラリーといった 建築空間,いわゆる箱の中で設置される芸術作品とは異 なり,主に広場や道路,公園など公共的な空間の中で設 置される芸術作品のことを指す.近年,このパブリック アートは,絵画や彫刻など,比較的モニュメント性の高 い芸術作品がそれまでの主流だったが,都市計画や建築 計画とのコラボレーションの中で,公共空間にある意図 を持って設置されたオブジェやベンチ,噴水や公園その もの,光や風,音などを扱うメディアアート,その場所 性の意味を強く反映したインスタレーションといった現 代美術もまた,パブリックアートと言える作品が多くな ってきた.古くは先史時代の洞窟絵画や教会にある絵,

彫刻なども公共性という意味ではパブリックアートであ るという話も言われて久しいが,パブリックアートと公 共政策の関係は,1930年代頃の欧米に起因すると一般的 に言われいる1).1950年代のフランスでは公共建築を建 設する際に,総予算の一部を芸術作品の設置・購入に割 り当てることを義務づけた「1パーセント装飾」政策が 法令化したことをきっかけに,アメリカでは「アートの ためのパーセント」プログラム(Percent for Art Program)

という名称の下で,公共事業の建設事業費の1%を芸術 文化に費やすことを義務づける条例が,国や地方自治体

のレベルの法令化によって進んで行われてきており,今 日の文化政策の制度として定着している.我が国日本で も,それを受けて,多くの地方自治体で受け入れられて いる.例えば,丹下健三氏設計の東京都庁舎の計画もま た,その条例の極限をを行ったという話もある.無論,

こうした活動は主に,公的機関,民間企業,市民,芸術 家など,様々なセクターの相互関係の中で実施され,今 日では,中国や韓国,台湾といったアジアでも取り入れ られ,法令化されつつあるのが実情である.そもそも,

パブリックアートを公共空間に設置する目的は,市民に 芸術をより身近に知ってもらい感じてもらうことのほか,

その空間をより魅力的に高めること,さらには都市計 画・まちづくりなどに結びつけその都市の文化的価値を 社会に知らしめることなどが挙げられる. こうした目的 は,都市再開発事業の中で主流とされてきた目的であり,

見方でもあったが,この流れをより一層深め,新しい示 唆を与えたのが,昨今に見られる,地域振興,地域活性 化を目的とした,都市やまち,あるいはその地域全体で 行われるアートプロジェクトである.特に,芸術祭やト リエンナーレといったアートプロジェクトでは,設置さ れる場所が棚田や空き家,店舗,倉庫,廃校になった小 学校,使われなくなった納屋などとなり,設置される作 品も多様である.そのため,従来のパブリックアートの 目的をより卓越したサイトスペシフィックな作品に出現

(2)

する傾向がある.また,芸術家が作品を制作する上でも 地元住民との恊働作業が求められることもあり,より他 者と密接に関わりながら作業を進めていくのがこれまで のパブリックアートとの流れとは大きく異なる.

本研究ではこれらの流れを汲み取りながら,そこで行 われた行為をパブリックアート活動として大きく捉え,

都市計画・まちづくりにおける芸術の意義を関わりの中 から見つけ出すことを目的とする.そのための方法とし て,エゴセントリックネットワークという側面からアプ ローチし,その質的変化について議論する.そうするこ とで,都市計画・まちづくりにおける芸術の意義とその メカニズムを確認したい.

2. 研究の目的と位置づけ

本研究では,都市計画・まちづくりを一つの物語とし て捉えた上で,物語(ナラティヴ)を創ること,つまり,

まちづくり(まちを創ること)を考える.そこでは「ス トーリー」や「筋書き」といった線的な出来事の流れや 物語の規範といった「内容(語られていること)」では なく,物語がそれぞれの都市空間という容れ物の中で変 形,加工,再現される形式(システム)化の度合いに注 目する.すなわち,本研究では「まちづくり」における こうした物語形式化の必要性がまちづくりにはあるとい う立場をとる.

上述したエゴセントリックネットワークとはネットワ ーク分析の中でも,集団を含むある特定の社会的行為者 が,どのようなネットワークを,自分の周囲に取り結ん でいるかをはじめに特定した上で,他行為者と中心とな る自分がどのような関係を形成しているかのネットワー クを分析するものである2).例えば,企業などのエゴ セントリックなネットワークでは,その企業が他企業と どのような関係性があるのかなどを分析したりするとき に用いられる分析手法である.本研究の場合,特定の社 会的行為者を,芸術を用いた都市計画・まちづくりの中 で中心となるアートディレクタを軸とおくことで,その まわりに取り結んでいる他者との関係性のネットワーク を分析し,記述することを目的とする.そうすることで,

より関係性を明確化させ,そのプロジェクトにおけるプ ロセスのそれぞれの段階の妥当性について検討すること ができる.これにより,プロジェクトの全体像を俯瞰す ることができるだけでなく,どのような要因が起因とな って何が形成されたなどの出来事を把握することできる.

従って,これらから芸術を用いた「まちづくり」のプロ セスに役立つ有益な知見が得られると期待される.

3 研究方法

本章では具体的な研究方法について述べる.

「まちづくり」では,以下の要素が時間軸に沿って展開 していくことにより物語が形成される.

l 登場人物(キャスト) 主要人物 l 場 どこの場で繰り広げられたか?

l 交換される対象 人・物・出来事 l 登場人物同士の関係性 所属や人間関係 l 登場人物の行為 どう動いたか?

さらには,「まちづくり」における制約的条件は上記 における要素あるいは関係性のいずれかに対して付与さ れる可能性がある.つまり,

(1) 物語を構成する要素に対する制約 コストや場所 など

(2) 物語要素の関係性に対する制約 これまでの人間 関係やその構築,それぞれの立場

従って,このことから「まちづくり」を物語として,

考えていくと,「まちづくり」は上述した様な所与の条 件を満たす形で,そして各々の都市空間の中で付加的な 構造を構築するということに相当すると考えられる.ま た,各々の構造は時間軸に沿って展開するため,時間属 性が各々の構造に付与されることとなる.そして,関係 性・行為に関しては一定の類型化が可能であり,またそ の類型化様式は対象のジャンルによって異なる.そこで は,普遍的な類型化も可能ではあるが,普遍性―個別性 という自由度は,そのモデルの記述力と相反する関係に あるため,一概に普遍性をモデルに求めることできない.

以上により,以下の作業が派生する.

(1) 物語要素の定義

(2) 物語要素間の関係性,その生起時刻の定義

(3) 物語要素における関係性の類型化 そこで,本研究では1つ以上の関係により結びつられ た(個人や組織を指す)ノードからなる社会的な構造を

「ノード(nodes)」と「つながり(ties)」という観点から社 会的隣接性を考察するソーシャルネットワーク分析と呼 ばれる研究手法を用い,当該プロジェクト内における集 団の個人や組織が持つ社会的関係を明らかにすることし た. そして,時間軸に沿って,プロジェクト内に存在し た複数の事業やイベントの状況に焦点を当てた分析をエ ゴセントリックネットワークとして捉え,詳細に行うこ と考えた.そのため,上述した検討課題を踏まえて,本 研究では,一人のアートディレクタが実際に関わってき た,異なる四つのアートプロジェクトの事例を取り上げ,

まずは物語の詳細な内容の記述を行うこととした.そし て,その関係性の中で,特定の社会的行為者とみなされ るアートディレクタからオーラルヒストリーと呼ばれる 直接話を聞き取る口述記録手法を用いて,インタビュー を行い,研究を始めた.また,インタビューを行う際に は公式ガイドブックや資料,プロジェクトの概観がわか

(3)

る作品集などの図書資料を参考として,後述記録の際の 足がかりとした3)4)5)6)7)8)9)

3. 本研究で扱う事例

上述した通り,本研究ではエゴセントリックネットワ ークという側面からアプローチするため,扱うプロジェ クトの中での中心人物の特定の社会的行為者が必要とな る.本研究の場合,芸術を用いた都市計画・まちづくり に深く根ざす者として,アートディレクタという芸術表 現を援用して総合演出を手がけ,なおかつ,各種芸術祭 や展覧会,プロジェクトなどの企画や立案,運営を専門 的に行う職能をもちうる専門家が特定の社会的行為者な ければならない.そこで,本研究では昨今の芸術祭やア ートトリエンナーレなどで活躍しているアートディレク ター北川フラム氏の取り組みを取り上げる.

北川フラム氏は,新潟県高田市(現上越市)の生まれ で東京芸術大学美術学部卒業後,アートディレクターと して国内外の美術展,企画展,芸術祭を多数プロデュー スしており,1994年完成のファーレ立川のアートプラン ナーにて,日本都市計画学会計画設計賞を受賞している.

ファーレ立川をはじめとして,横浜のクイーンズスクエ アや,代官山アドレスアートワークなど,都市計画・建 築計画の中に芸術作品を用いることに積極的に関与して きた経緯がある.これらはすべて都市空間に美術作品を 設置していくというこれまでのパブリックアートの流れ を組む従来型の取り組みであったが,北川氏は次第に舞 台を都市ではなく,地方に移行していく.「20世紀の都 市が都市型で都市の時代であり,都市のグローバリゼー ションが進む中で人類の進む方向は都市のもつ可能性に 委ねられていたと同時に,均質な空間にのみ成立する作 品の形態,均質化されたものが求められていた時代であ る.20世紀の美術は都市から生まれた美術といっても過 言ではない」と北川氏が指摘するように,都市が万能と はいえない,都市の病という状態から,地方という都市 と対立し,孤立した絵図の中で地方は都市への人口流出 が続き,農業は衰退してきたと同時に,芸術も病んでし まったという時代である.そうした背景の中で,北川氏 は地方から美術を発信することは,地方の再生や美術の 再生という意味で大きな意義があると確信し,1997年よ り越後妻有アートネックレス整備構想に携わり, 2000年 から開催されている「大地の芸術祭 越後妻有アートト リエンナーレ」では総合ディレクターを,,昨年瀬戸内 地方で開催された瀬戸内国際芸術祭でもディレクターを 勤めている.

本研究ではこうした時代の流れと北川氏が直接関わっ てきた多数のプロジェクトから以下の4つのプロジェク トを取り上げることとした.いずれのプロジェクトは時

間が重なりながらも,時系列で並走している.

(1) 代官山のまちづくり (2) ファーレ立川アート計画 (3) 越後妻有大地の芸術祭 (4) 瀬戸内国際芸術祭

そして,北川氏の参画の仕方と,その時間軸の流れの 中で行われた出来事,関わりについて議論することで,

芸術が都市計画・まちづくりにおいてどのように有効で あったのか,またどのようなプロセスがそこにあったの か.何がキーとなるかを明らかにし,質的変化に対して の答えを導き出す.下記に,それぞれのプロジェクトの 詳細とエゴセントリックネットワークに時系列にした図 版と共に記す.

4. 代官山のまちづくり

代官山は,代官山に先祖代々住み続けてきた地主,か つ施主である朝倉家と建築家・槙文彦氏が30年以上の歳 月をかけて実現させた10棟からなる複合建築,ヒルサイ ドテラスを中心に,住居と商業区域,自然環境との共生,

そして芸術文化活動の発信の場としても今なお,生長し 続けるまちである.

北川氏が代官山のまちづくりに関与したのは1984年の ことで,ヒルサイドテラスの将来にとってギャラリーが 必要だという話になったとき,槙文彦氏を中心とした建 築家たちが北川氏を知っており,誘致されたのがきっか けである.その頃から,北川氏はヒルサイドテラス内に 位置するヒルサイドギャラリーの運営をはじめ,1992年 には北川氏の事務所をヒルサイドテラスに移転し,本格 的に代官山のまちづくりに関与していく.都市文化発信,

文化交流を目指した数々の取り組みはメセナ大賞の受賞 へとつながった.

図-1 代官山における主要人物による初期の紐帯

朝倉家

槙文彦

アートフロントギャラリー

北川フラム

(4)

図-2 北川氏が代官山のまちづくりに関わっていく

図-3 北川氏が代官山のまちづくりに文化を導入する

図-4 代官山インスタレーションのアートイベントを企画

図-5 北川氏が都市(代官山)と地域(越後妻有)を結ぶ

しかしながら,北川氏のソフト面としての芸術の功績 だけでなく,「渋谷会議所」が重要文化財になった後の 運営のあり方や,代官山一帯に押し寄せている高層ビル 開発を抑えること,まちの景観を崩す落書きなどの取り 締まりなども北川氏は一住民として行っている.2000年 になると,北川氏は「アーバンヴィレッジ代官山」構想 を立ち上げる.これは,代官山アカデミアといったまち づくりやネットワークなどの現代の様々な問題について 学ぶ学校を開催したり,アーティスト達が代官山の場を 再構築するといった代官山インスタレーションといった アートプログラムから構成され,まちをつくる全ての人 やモノが関わり,まちを作り上げていくプロジェクトを 立ち上げ,その活動は今なお続いている.また,後述す る越後妻有大地の芸術祭に登場するサポータ,こえび隊 の運営事務局を代官山にする,また,都市には地域との 交換hが必要だという認識により,2003年にはまつだい 雪国農耕文化村センター「能舞台」が産声をあげたのを きっかけに,まつだい代官山クロスカントリーを「食」

と「農」を通じて,将来的には妻有全域と首都圏の人の 交流を目的としてオープンさせている.

5. ファーレ立川アート計画

ファーレ立川とは,東京・立川市の立川駅北口で進め られてきた,第一種市街地再開発事業のことである.立 川市は,東京都のほぼ中央部に位置し都心より30km圏内 にある.新宿から鉄道で30分のところに位置する立川の 歴史は鉄道というよりも1922年の立川飛行場開設により,

空の都というして栄えた歴史がある.戦後,立川飛行場 が米軍に接収されて「基地の街」として復興の道を辿る ことになったが,駅のまわりには背後に利用できない国 有地(旧立川飛行場跡地)が拡がっていたために,賑わい もわずかで,奥行きの浅いまちが形成されつつあった.

朝倉家

槙文彦

アートフロントギャラリー

北川フラム 代官山の住民

朝倉家

槙文彦

アートフロントギャラリー

北川フラム 代官山の住民

アーティスト アーティスト

アーティスト

アーティスト

朝倉家

槙文彦

アートフロントギャラリー

北川フラム 代官山の住民

アーティスト アーティスト

アーティスト

アーティスト

朝倉家

槙文彦

アートフロントギャラリー

北川フラム 代官山の住民

アーティスト アーティスト

アーティスト

アーティスト

松代地区(越後妻有)

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図-6 ファーレ立川における主要人物による初期の紐帯

図-7 アーティストの選定

1977年,米軍基地約480haが全面返還され,その利用 について1979年,「立川飛行場返還国有地の処理の大綱」

が出され,国営公園(昭和記念公園),広域防災基地,そ して立川駅に近い地域を市街地整備にあてることとされ た.その一方,1976年に国土庁より発表された「第3次 首都圏整備計画」で策定した「業務核都市構想」で,立 川・八王子ほか4地区が選ばれたこともあり,東京都と 立川市が,それぞれ,1982年,東京都は「立川・昭島地 域総合整備計画」(多摩都心立川計画)を策定,立川市は

「立川都市基盤整備基本計画」を策定し,立川地域には より高次の商業・文化などのサービス機能を集積させ,

広域的な業務管理機能などの立地誘導を進め,都心部と 機能分担をさせながら,多摩地域の「心」の一つとして 位置づけ育成することが約束されたのがはじまりである.

そうした背景の中で,住宅・都市整備公団は,1982

年に立川市,1983年に東京都の要請をうけて,立川基地 返還国有地とその関連地区約5.9haを対象に商業・業務 市街地を形成する目的で,第一種市街地再開発事業を施 行した.ファーレ立川を立川地域開発のパイオニアプロ ジェクトとして,多摩都市モノレールの敷設,周辺地域

図-8 ファーレ立川アート計画の終焉

の区画整理,市街地整備,昭和記念公園の整備等が進み,

立川に新しい文化が築かれていく.当再開発事業では,

土地利用として公共施設用地約23,600㎡,宅地約35,000

㎡と,地域の幹線道路等の整備に大きな役割を果たし,

施設建築物の延床面積約265,000㎡,容積率約650%(再開 発前は約78%)と都心にふさわしい有効利用をはかり,事 業地内は7つの街区にわかれ,11棟のインテリジェント ビルから構成される.就業人口はおよそ1万人,来訪者 を合わせると1日3万人を超える人々がここに集まること になる.事業地は主に業務市街地(オフィスゾーン)と商 業市街地(コマーシャルゾーン)で構成され,立川駅北口 との一体化を図った回遊性を高める計画であった.

ファーレ立川のアートプロジェクトは公団が実施した 指名コンペで行われ,北川氏率いるアートフロントギャ ラリーは「驚きと発見の街」という計画を提案して,選 ばれることとなった.北川氏の主な仕事は,もうすでに 計画されて構成されつつある都市空間の中で出品作家,

作品の選択,交渉などで,参加した作家は総計36カ国,

92人に及んだ.計画のコンセプトは,「世界を映す街」

「機能(ファンクション)を美術(フィクション)に!」

「驚きと発見の街」が掲げられ,作品の多くは,換気口 や排気口,機会搬入口,ベンチ,サイン,該当,車止め,

散水栓など,街の機能をもっている.ビルの合間を縫う ように設置されたこの計画は日本都市計画学会設計計画 賞を受賞するなど,都市計画としては高い評価を受けて おり,他の都市計画にも多大な影響をもたらした.

6. 越後妻有大地の芸術祭

新潟県にある越後妻有地域は,長野県の隣接し,世 界でも有数の豪雪地帯である.広域の6市町村(全域

立川市

UR 都市住宅整備公団 アートフロントギャラリー

北川フラム

立川市

UR 都市住宅整備公団 アートフロントギャラリー

北川フラム

アーティスト

アーティスト

アーティスト アーティスト

立川市

UR 都市住宅整備公団

アートフロントギャラリー

北川フラム

アーティスト

アーティスト

アーティスト アーティスト

(6)

図-9 各自治体に企画を打診

図-10 越後妻有各地区住民への説明を開始

図-11 企画に前向きな自治体がある反面,

多くの住民から反対される

762k㎡)で人口約7万8000人,65歳以上が人口の4分の1 を占める.若者は都会へ流出し,農業の後継者は不足,

先人たちが苦労してつくった棚田は放棄されていく,い わゆる近年に多く見られるような典型的な過疎化を招い ている地域である.

構想当初の背景には,平成の大合併と新潟県平山征夫 知事の政策「ニューにいがた里創プラン」,新潟県にあ る122市町村を13の広域圏にまとめ,その広域圏でソフ ト事業(建物を建てるだけではない,地域の取り組み)

を行うために,10年間最大5億円に限って県もお金を出 していくという政策があった.そこで,県知事より依頼 された県の職員が東京の北川氏に相談をもちかけること からはじまっていった.アートをきっかけにしてまちづ くりを行うにあたって,北川氏は数々の勉強会や合宿に しながら広域の自治体幹部らと話し合いを重ねる.「ニ ューにいがた里創プラン」の十日町版をどのように進め るかが当初の大きなテーマであり,その苦労ははかりし れないものだったという.この地域には正式には越後妻 有という名称はなく,6市町村をどうまとめて呼ぶかと いう議論もなされた.ようやく合意がとりつけつつある 頃,十日町地域の越後妻有アートネックレス構想,整備 事業が本格的に立ち上がることになる.これは地域がも つ様々な価値を,芸術を媒介として掘り起こし,その魅 力を高め,自律へ向けた道筋を築いていこうというもの で,4つのプロジェクトを始動させることが決定された.

①写真と言葉による「越後妻有8万人のステキ発見」② 広域を花でつなぐ「花の道」③各地域の特色を活かした 拠点施設・ステージづくり「ステージ事業」④3年に一 度の大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレといっ たものである.特に大地の芸術祭に際しては,地元住民 からの構想当初からの反対があり,北川氏は4年に渡り,

2000回にも及ぶ住民説明会を行う.しかしながら,住民 はまっこうから反対し,当初,1999年予定されていた芸 術祭は延期される.そこで,北川氏はこう着状態を打破 するために,あえて,過疎の,農業を仕事としてやって きたお年寄りたち,妻有の土地性と対極の人々,都会の,

若者を,そこにぶつけることでこのこう着状態を打破し ようと考えた.それがサポータのこえび隊である.それ により,若者が地域に直接入り,仕事をすることで,地 元住民たちは次第に芸術祭に心を開いていくようになっ た.しかしながら,全員が全員,賛成というわけにはい かず,第一回目の芸術祭は2000年に開催されたものの,

他人の土地に作品を設置するという試みにおいて,集落 内の作品誘致に手を挙げた集落は5~10集落程度であっ たため,多くの作品は森や山の中や公園など,パブリッ クな場所で制作された.そして,多くの作品がこれまで のパブリックアートの流れとは異なり,地域住民との共 同作業や場所性を取り込んだ作品を制作した.

新潟県

十日町地区代表

松代地区代表 松之山地区代表

中里地区代表

川西地区代表

津南地区代表 アーティスト

アーティスト

アーティスト

北川フラム

アーティスト

アーティスト アーティスト

新潟県

十日町地区代表

松代地区代表 松之山地区代表

中里地区代表

川西地区代表

津南地区代表 アーティスト

アーティスト

アーティスト

北川フラム

アーティスト

アーティスト アーティスト

十日町地区住民

松代地区住民 松之山地区住民

中里地区住民

川西地区住民

津南地区住民

新潟県

十日町地区代表

松代地区代表 松之山地区代表

中里地区代表

川西地区代表

津南地区代表 アーティスト

アーティスト

アーティスト

北川フラム

アーティスト

アーティスト アーティスト

十日町地区住民

松代地区住民 松之山地区住民

中里地区住民

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津南地区住民 反対住民

反対住民

反対住民 反対住民

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図-12 参加アーティストに打診

図-13 こへび隊の結成

図-14 こへび隊の投入

図-15 アーティストが地域に関わっていく

図-16 地域の受け入れがスムーズとなる

図-17 アーティストと住民の恊働制作

新潟県

十日町地区代表

松代地区代表 松之山地区代表

中里地区代表

川西地区代表

津南地区代表 アーティスト

アーティスト

アーティスト

北川フラム

アーティスト

アーティスト アーティスト

十日町地区住民

松代地区住民 松之山地区住民

中里地区住民

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津南地区住民 反対住民

反対住民

反対住民 反対住民

新潟県

十日町地区代表

松代地区代表 松之山地区代表

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川西地区代表

津南地区代表 アーティスト

アーティスト

アーティスト

北川フラム

アーティスト

アーティスト アーティスト

十日町地区住民

松代地区住民 松之山地区住民

中里地区住民

川西地区住民

津南地区住民 反対住民

反対住民

反対住民 反対住民

こへび隊

こへび隊 こへび隊

こへび隊

こへび隊

新潟県

十日町地区代表

松代地区代表 松之山地区代表

中里地区代表

川西地区代表

津南地区代表 アーティスト

アーティスト

アーティスト

北川フラム

アーティスト

アーティスト アーティスト

十日町地区住民

松代地区住民 松之山地区住民

中里地区住民

川西地区住民

津南地区住民 反対住民

反対住民

反対住民 反対住民

こへび隊

こへび隊 こへび隊

こへび隊

こへび隊

新潟県

十日町地区代表

松代地区代表 松之山地区代表

中里地区代表

川西地区代表

津南地区代表 アーティスト

アーティスト

アーティスト

北川フラム

アーティスト

アーティスト アーティスト

十日町地区住民

松代地区住民 松之山地区住民

中里地区住民

川西地区住民

津南地区住民 反対住民

反対住民

反対住民 反対住民

こへび隊

こへび隊 こへび隊

こへび隊

こへび隊

小さな集落等で地元と活動する作家系

小さな集落等で地元と活動する作家系

新潟県

十日町地区代表

松代地区代表 松之山地区代表

中里地区代表

川西地区代表

津南地区代表 アーティスト

アーティスト

アーティスト

北川フラム

アーティスト

アーティスト アーティスト

十日町地区住民

松代地区住民 松之山地区住民

中里地区住民

川西地区住民

津南地区住民 反対住民

反対住民

反対住民 反対住民

こへび隊

こへび隊 こへび隊

こへび隊

こへび隊

小さな集落等で地元と活動する作家系

小さな集落等で地元と活動する作家系 こへびを介在することで

地元住民との密接を構築 した作家系

新潟県

十日町地区代表

松代地区代表 松之山地区代表

中里地区代表

川西地区代表

津南地区代表 アーティスト

アーティスト

アーティスト

北川フラム

アーティスト

アーティスト アーティスト

十日町地区住民

松代地区住民 松之山地区住民

中里地区住民

川西地区住民

津南地区住民 反対住民

反対住民

反対住民 反対住民

こへび隊

こへび隊 こへび隊

こへび隊

こへび隊

小さな集落等で地元と活動する作家系

小さな集落等で地元と活動する作家系 こへびを介在することで

地元住民との密接を構築 した作家系

海外からの招待作家系

海外からの招待作家系

(8)

図-18 第一回大地の芸術祭開催

図-19 前回と同じ場での同アーティスト作品制作と 福武氏の視察

図-20 中越地震による被害に対し支援

図-21 福武氏によるおおへび隊の結成

図-22 空き家プロジェクトなどの地域と関係するテーマへ

図-23 第四回大地の芸術祭の開催

新潟県

十日町地区代表

松代地区代表 松之山地区代表

中里地区代表

川西地区代表

津南地区代表 アーティスト

アーティスト

アーティスト

北川フラム

アーティスト

アーティスト アーティスト

十日町地区住民

松代地区住民 松之山地区住民

中里地区住民

川西地区住民

津南地区住民 反対住民

反対住民

反対住民 反対住民

こへび隊

こへび隊 こへび隊

こへび隊

こへび隊

小さな集落等で地元と活動する作家系

小さな集落等で地元と活動する作家系 こへびを介在することで

地元住民との密接を構築 した作家系

海外からの招待作家系

海外からの招待作家系

新潟県

十日町地区代表

松代地区代表 松之山地区代表

中里地区代表

川西地区代表

津南地区代表 アーティスト

アーティスト

アーティスト

北川フラム

アーティスト

アーティスト アーティスト

十日町地区住民

松代地区住民 松之山地区住民

中里地区住民

川西地区住民

津南地区住民 反対住民

反対住民

反対住民 反対住民

こへび隊

こへび隊 こへび隊

こへび隊

こへび隊

小さな集落等で地元と活動する作家系

小さな集落等で地元と活動する作家系 こへびを介在することで

地元住民との密接を構築 した作家系

海外からの招待作家系

海外からの招待作家系 福武総一郎

新潟県

十日町地区代表

松代地区代表 松之山地区代表

中里地区代表

川西地区代表

津南地区代表 アーティスト

アーティスト

アーティスト

北川フラム

アーティスト

アーティスト アーティスト

十日町地区住民

松代地区住民 松之山地区住民

中里地区住民

川西地区住民

津南地区住民 反対住民

反対住民

反対住民 反対住民

こへび隊

こへび隊 こへび隊

こへび隊

こへび隊

小さな集落等で地元と活動する作家系

小さな集落等で地元と活動する作家系 こへびを介在することで

地元住民との密接を構築 した作家系

海外からの招待作家系

海外からの招待作家系 福武総一郎

新潟県

十日町地区代表

松代地区代表 松之山地区代表

中里地区代表

川西地区代表

津南地区代表 アーティスト

アーティスト

アーティスト

北川フラム

アーティスト

アーティスト アーティスト

十日町地区住民

松代地区住民 松之山地区住民

中里地区住民

川西地区住民

津南地区住民 反対住民

反対住民

反対住民 反対住民

こへび隊

こへび隊 こへび隊

こへび隊

こへび隊

小さな集落等で地元と活動する作家系

小さな集落等で地元と活動する作家系 こへびを介在することで

地元住民との密接を構築 した作家系

海外からの招待作家系

海外からの招待作家系 福武総一郎 おおへび隊 おおへび隊

新潟県

十日町地区代表

松代地区代表 松之山地区代表

中里地区代表

川西地区代表

津南地区代表 アーティスト

アーティスト

アーティスト

北川フラム

アーティスト

アーティスト アーティスト

十日町地区住民

松代地区住民 松之山地区住民

中里地区住民

川西地区住民

津南地区住民 反対住民

反対住民

反対住民 反対住民

こへび隊

こへび隊 こへび隊

こへび隊

こへび隊

小さな集落等で地元と活動する作家系

小さな集落等で地元と活動する作家系 こへびを介在することで

地元住民との密接を構築 した作家系

海外からの招待作家系

海外からの招待作家系 福武総一郎 おおへび隊 おおへび隊

新潟県

十日町地区代表

松代地区代表 松之山地区代表

中里地区代表

川西地区代表

津南地区代表 アーティスト

アーティスト

アーティスト

北川フラム

アーティスト

アーティスト アーティスト

十日町地区住民

松代地区住民 松之山地区住民

中里地区住民

川西地区住民

津南地区住民 反対住民

反対住民

反対住民 反対住民

こへび隊

こへび隊 こへび隊

こへび隊

こへび隊

小さな集落等で地元と活動する作家系

小さな集落等で地元と活動する作家系 こへびを介在することで

地元住民との密接を構築 した作家系

海外からの招待作家系

海外からの招待作家系 福武総一郎 おおへび隊 おおへび隊

おおへび隊 おおへび隊

(9)

民との共同作業や場所性を取り込んだ作品を制作した.

芸術祭開催そのものについては,その反響は大きく,述 べ16万人の来訪者が一夏に押し寄せるほどであり,3年 後の第二回の開催も決定された.2003年の第二回では,

第一回で招聘されたアーティストがさらにまた同じ場で 作品をつくったりすることで,徐々に地域住民の中にア ーティストが入り込んでいく姿も見られた.また,後述 する瀬戸内国際芸術祭の立役者である,ベネッセコーポ レーションの福武總一郎氏が視察に訪れ,瀬戸内国際芸 術祭を模索していた福武氏にとって,北川氏の姿は魅力 的にうつったという話もある.その一方で,翌年,中越 地震によって妻有地区が被害を受けたときには,北川氏 は,芸術祭関係の企画を立ち上げ,地域を盛り上げる支 援を行う.それにより,芸術祭はより地域住民により密 接になっていく関係が築かれ,2006年には第三回目が行 われる.そこで空き家プロジェクトと呼ばれる,より地 域と関係するプロジェクトを更に掘り下げた企画を用意 することで,更に地域全体を巻き込んでいく方向へ北川 氏は船頭をきっていく.同時に,この時点でこれまでの 運営方法とは別に,芸術祭を運営する予算をどう設定す るかという話が浮上する.そこで,福武氏の協力のもと,

企業支援というかたちでおおへび隊が結成される.そう した適切な仕事により,芸術祭の継続が決まり,2009年 には第四回目を開催,2012年には第五回目の開催が予定 されている.

6. 瀬戸内国際芸術祭

2011年に瀬戸内国際芸術祭は瀬戸内海の島を舞台に開

催された現代美術の国際芸術祭である.芸術祭の舞台と なる瀬戸内海ははるか昔より交通の動脈として機能して きた.瀬戸内の島々には伝統的な文化や美しい自然景観 が残っているが,越後妻有同様,島々は高齢化,過疎化 により活力を失いつつある.また,島の歴史は決して明 るい歴史とは言い難い.豊島の産廃問題や大島のハンセ ン療養所の問題など,本州や本島では受け入れられない 闇をかぶった部分を背負わされてきたという歴史もある.

その中で開催された瀬戸内国際芸術祭は,直島,豊島,

女木島,男木島,小豆島,大島,犬島,高松港周辺が会 場とされ,18の国と地域から75組のアーティスト,プロ ジェクト,16のイベントが参加した.目的は島の住人と 世界中からの来訪者の交流により島々の活力を取り戻し,

島の伝統文化や美しい自然を生かした現代美術を通して 瀬戸内海の魅力を世界に向けて発信し,地球上のすべて の地域の「希望の海」となることである.瀬戸内国際芸 術祭が開催される構想の段階では,2つの大きな流れが 同時並行的に行われていた.一つは香川県である.香川 県は2003年の時点で「アートツーリズム」推進しており,

図-24 福武氏が北川氏に打診

図-25 瀬戸内国際芸術祭実行委員会の設立

図-18 三度に渡る基本計画,実施計画の策定

香川県

福武総一郎

直島代表

豊島代表 小豆島代表 男木島代表

大島代表 女木島代表

犬島代表 高松港代表

宇野港代表

アーティスト アーティスト

アーティスト アーティスト

アーティスト

アーティスト アーティスト アーティスト

アーティスト

北川フラム

香川県

福武総一郎

直島代表

豊島代表 小豆島代表 男木島代表

大島代表 女木島代表

犬島代表 高松港代表

宇野港代表

アーティスト アーティスト

アーティスト アーティスト

アーティスト

アーティスト アーティスト アーティスト

アーティスト

北川フラム

香川県

福武総一郎

直島代表

豊島代表 小豆島代表 男木島代表

大島代表 女木島代表

犬島代表 高松港代表

宇野港代表

北川フラム

アーティスト アーティスト

アーティスト アーティスト

アーティスト

アーティスト アーティスト アーティスト

アーティスト

北川フラム

(10)

図-27 開催1年前にアーティスト大竹伸朗の直島銭湯が オープン

図-28 こえび隊結成

図-29 各島にて住民に説明が始まる

図-30 芸術祭開催に最後まで反対する住民

図-31 こえび隊の活動が活発になる

図-32 アーティストと地域住民との交流を活発化する

香川県

福武総一郎

直島代表

豊島代表 小豆島代表 男木島代表

大島代表 女木島代表

犬島代表 高松港代表

宇野港代表

北川フラム

アーティスト アーティスト

アーティスト アーティスト

アーティスト

アーティスト アーティスト アーティスト

アーティスト

北川フラム

香川県

福武総一郎

直島代表

豊島代表 小豆島代表 男木島代表

大島代表 女木島代表

犬島代表 高松港代表

宇野港代表

北川フラム

アーティスト アーティスト

アーティスト アーティスト

アーティスト

アーティスト アーティスト アーティスト

アーティスト

こえび隊

こえび隊

こえび隊 こえび隊

こえび隊

こえび隊 こえび隊

北川フラム

香川県

福武総一郎

直島代表

豊島代表 小豆島代表 男木島代表

大島代表 女木島代表

犬島代表 高松港代表

宇野港代表

北川フラム

アーティスト アーティスト

アーティスト アーティスト

アーティスト

アーティスト アーティスト アーティスト

アーティスト

こえび隊

こえび隊

こえび隊 こえび隊

こえび隊

こえび隊 こえび隊

大島住民

小豆島住民 豊島住民

男木島住民 女木島住民

直島住民

犬島住民

宇野港住民 高松港住民

北川フラム

香川県

福武総一郎

直島代表

豊島代表

小豆島代表 男木島代表

大島代表 女木島代表

犬島代表 高松港代表

宇野港代表

北川フラム

アーティスト アーティスト

アーティスト アーティスト

アーティスト

アーティスト アーティスト アーティスト

アーティスト

こえび隊

こえび隊

こえび隊 こえび隊

こえび隊

こえび隊 こえび隊

大島住民

小豆島住民 豊島住民

男木島住民 女木島住民

直島住民

犬島住民

宇野港住民 高松港住民

反対住民

反対住民

反対住民 反対住民

北川フラム

香川県

福武総一郎

直島代表

豊島代表 小豆島代表 男木島代表

大島代表 女木島代表

犬島代表 高松港代表

宇野港代表

北川フラム

アーティスト アーティスト

アーティスト アーティスト

アーティスト

アーティスト アーティスト アーティスト

アーティスト

こえび隊

こえび隊

こえび隊 こえび隊

こえび隊

こえび隊 こえび隊

大島住民

小豆島住民 豊島住民

男木島住民 女木島住民

直島住民

犬島住民

宇野港住民 高松港住民

反対住民

反対住民

反対住民 反対住民

北川フラム

香川県

福武総一郎

直島代表

豊島代表 小豆島代表 男木島代表

大島代表 女木島代表

犬島代表 高松港代表

宇野港代表

北川フラム

アーティスト アーティスト

アーティスト アーティスト

アーティスト

アーティスト アーティスト アーティスト

アーティスト

こえび隊

こえび隊

こえび隊 こえび隊

こえび隊

こえび隊 こえび隊

大島住民

小豆島住民 豊島住民

男木島住民 女木島住民

直島住民

犬島住民

宇野港住民 高松港住民

反対住民

反対住民

反対住民 反対住民

北川フラム

(11)

図-33 アーティストと地域住民との交流も活発化する

図-34 瀬戸内国際芸術祭開幕

その影響を受けてか翌年の2004年には県の若手職員によ り,島々を舞台にした国際美術展の開催を知事に提言し ている.そしてもう一つはすでに直島でのアートをもち いたまちづくりに参与していた直島福武美術館財団が

「瀬戸内アートネットワーク」構想を同時期に発表して いたことである.この構想は直島での業績をふまえ瀬戸 内の島々をアートで結ぶというものであった.そしてま た,前章で上述したとおり,福武氏は越後妻有大地の芸 術祭を視察,応援,参加し,北川氏に瀬戸内での芸術祭 構想を打診していたという経緯がある.そうしたことか ら,二つの構想を一つにしようという動きが生まれ,開 催することが決定された.2008年には瀬戸内国際芸術祭 実行委員会が設立され,香川県知事が実行委員長,福武 氏が総合プロデューサー,北川フラム氏が総合ディレク ターとなる.越後妻有で地元とのこう着状態を打破する サポータ,こへび隊はこえび隊と名前を変え,2009年に 結成され,島民への説明がはじまっていく.反対されつ

つも懸命な努力により,越後妻有同様,アーティストに よる島民とのコラボレーション,交流がはじまり,翌年 2010年7月には瀬戸内国際芸術祭が開幕する.来場者数 は約 93 万 8 千人であり,当初 30 万人の来場者見込んで いたが,その約3倍の数字を表した.このような大きな 反響を受けて,2013年の第二回目の開催が決まり,開催 が予定されている.

7. 考察

本章では前章までをうけて本研究での考察を記す.

代官山も立川も既存の都市計画・建築計画のあった場 所での参画の仕方である.まちの規模は異なるが,代官 山がソフト面を重要視して他者と断じて同等の立場で,

また一住民として関わりながら,芸術以外のまちづくり にも寄与しているのに対し,ファーレ立川は北川氏の上 位レベルに住都公団がいるため,トップダウンで物事が 進んでいる.いわゆる,システムオリエンテッドの形で ある.パブリックアートの観点から言えば,既存の容器 の中にモノを配置していくことを行っていると言えるが,

従来のパブリックアート,すなわち公共空間に作品を設 置するということの中でも建築部位に対して機能をつけ るようなアート作品を選択しておりこの点においては計 画と共存する形の新しいあり方を提示したと言える.

それに対し,越後妻有も瀬戸内は地方であり,高齢化,

過疎化などの問題を抱えているため,その目的は地域振 興と地域活性化に力が注がれた形となっている.両者の 問題は都心のまちづくりとは異なり,コミュニティがす でに形成され,作品が設置される舞台は農村であったり,

島であったりする,他者の土地であり,公共空間から見 ればやや異なるため,他者との関係も複雑化する.特に,

越後妻有では,基本的に構想はありえても,地元住民の 理解や合意形成という都市型の都市計画とは異なる問題 が浮上する.ゆえに,ボトムアップ型にならざるを得な い.越後妻有の場合,住民の理解が示されず,地元住民 と対極にあるこえび隊を導入することで他者との関係を 築き,心を開いてもらうようにするが,これは山口が指 摘したような周縁理論と同等なことが起こっていると考 えられる1).山口は周縁が中心を活性化するという

「中心と周縁」理論を説いている.

また,越後妻有も瀬戸内もアーティストが地元住民と 恊働作業をおこなうような作品制作を数多く行うことで,

より芸術祭執行側が地域に入り込んでいこうという姿勢 が見られる.北川氏の越後妻有での経験は瀬戸内に引き 継がれており,瀬戸内は北川氏以前に構想の話が2つの 場所で浮上していた事も相重なり,同等の構造を置く事 で比較的短い期間で開催までこぎつけている.いずれの 4つのプロジェクトは重なりながらも,また,スケール

香川県

福武総一郎

直島代表

豊島代表

小豆島代表 男木島代表

大島代表 女木島代表

犬島代表 高松港代表

宇野港代表

北川フラム

アーティスト アーティスト

アーティスト アーティスト

アーティスト

アーティスト アーティスト アーティスト

アーティスト

こえび隊

こえび隊

こえび隊 こえび隊

こえび隊

こえび隊 こえび隊

大島住民

小豆島住民 豊島住民

男木島住民 女木島住民

直島住民

犬島住民

宇野港住民 高松港住民

反対住民

反対住民

反対住民 反対住民

北川フラム

香川県

福武総一郎

直島代表

豊島代表

小豆島代表 男木島代表

大島代表 女木島代表

犬島代表 高松港代表

宇野港代表

北川フラム

アーティスト アーティスト

アーティスト アーティスト

アーティスト

アーティスト アーティスト アーティスト

アーティスト

こえび隊

こえび隊

こえび隊 こえび隊

こえび隊

こえび隊 こえび隊

大島住民

小豆島住民 豊島住民

男木島住民 女木島住民

直島住民

犬島住民

宇野港住民 高松港住民

反対住民

反対住民

反対住民 反対住民

北川フラム

(12)

や規模が異なりながらも,芸術を通して,共に常に新し い試みを行っているのが特徴である.

4. まとめ

本研究では,アートディレクタ北川フラム氏が関わっ てきた芸術を用いた都市計画・まちづくりから4つのプ ロジェクトを取り上げ,その質的変化をエゴセントリッ クネットワークという側面からアプローチし,その姿を 明らかにした.いずれの4つのプロジェクトも時間が重 なりながらも,また,スケールや規模が異なりながらも,

芸術を通して,共に常に新しい試みを行っていること,

経験を活かして,次につなげていることがわかった.

参考文献

1) 工藤安代:パブリックアート政策 芸術の公共性とアメ リカ文化政策の変遷,勁草書房,2008.

2) 安田雪:ネットワーク分析―何が行為を決定するか,新 曜社,1997.

3) 前田礼:ヒルサイドテラス物語―朝倉家と代官山の まちづくり,現代企画室, 2003.

4) 北川フラム他:ファーレ立川アートプロジェクト― 都 市 ・ パ ブ リ ッ ク ア ー ト の 新 世 紀 , 現 代 企 画 室 , 1995.

5) 北川フラム他:大地の芸術祭̶越後妻有アートトリエ ンナーレ 2000,越後妻有大地の芸術祭実行委員会,

2001.

6) 北川フラム他:大地の芸術祭̶越後妻有アートトリエ ンナーレ 2003,大地の芸術祭花の道実行委員会東京事 務局,2004.

7) 北川フラム他:大地の芸術祭̶越後妻有アートトリエ ンナーレ2006,大地の芸術祭実行委員会,2007.

8) 北川フラム他:大地の芸術祭̶越後妻有アートトリエ ンナーレ2009,越後妻有里山協働機構,2010.

9) 北川フラム他:瀬戸内国際芸術祭 2010 作品記録集,美 術出版社,2011.

(2011. 8. 5 受付)

参照

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