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パウルゼンに於ける科学的教育学の基礎付けの問題

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11 b

パ ウ

ノレ ゼ

ンに於け

科学的敏育学の基礎付けの問題

』昇

D亘eProb互e皿der Wissenschaf樋量che Begritndung

    der Padagogik in Friedrich Paulsen.

       Noboru Murata ・

       一  N   Fiedrich Paulsen was einer typischer Vertreter einer “Personaiium” zwischen “ Philosophie und Ptidagogik.   Die Padagogik als die Lehre von der Kunst der Menschenbildung geh6rt nach− Pau王sen zu der praktischen Wissenschaften. Als so!cher f巨llt.nun der Ptidagogik die Aufgabe zu, ein “ System von Regeln,, anfzustellen, wodurch die bildende Ein− wirkung der Erziehers auf die werdende Gestalt bestimmt wird. Die Padagogik soil eine,, Philosophie der Erziehung und des Unterrichts “ sein, um,, die Summe der Gedanken und Erfahrung der Denker und Meister dieser Kunst zur Einheit zusammenzufuhren, sle zu einem System zu machen und wom6glich aus Prinzipien abzuleiten.   Paulsen fordert, dafo sich die Padagogik auf alle angrenzenden Wissenschaften stUtzt, deren Erkenntnisse sie fUr.die praktische Gestaltung verwertet. Hilfswissens− chaften der Ptidagogik sind die Anthropologie,皿it ihren Zweigen, der Physiologie und der Psychologie, und・ die Ethik.   Die Paidagogik erhalt ihre Stellung neben oder inerhalb der Politik, als “Lehre von der richtigen Verfassung.岨d Funktion des Gemeinschaftsleben,”, insQfern ist Erziehung eine Funktion der Ge皿einschaft, Durch die vielseitige BegrUndung der Ptidagogik, wird seine Pa’dagogik zur Kulturphilosophie. Und er betont, dald die Padagogik keine Eigenbewegung habe, sondern ihre ganze Entwicklung als Folge− erscheinung anderer Kulturverhaltnisse aufzufassen sei.   Somit mufi ich Paulsen ein grofoer Vater der Kulturptidagogik nennen. 1  教育の理論がソクラテス以來二千数百年の昔から存 在してゐ.ても,それに確乎たる学的基礎と整然たる体 系とを附與して,言葉の嚴密な意味に於ける「教育学」 を建設せんとする努力が梯はれるに到ったのほ,漸く        (1) 第19世紀に於いてであると云はなければならない。而 して我々はその科学的教育学の創設者としてヘルパル i・J.F. Herbart(1776−1841)を見る。邸ち,彼はその 主著「一般教育学」Allgemeine Ptidagogik.1806.の 序言に,「若し教育の科学にしてその翼の概念に從ひ 一個の独立せる思考:方法を研究の中心とすることに依 って,遠隔の他國入から属領扱にされないようになれ ば幸であるQ各科学が同じ力を以て皆その独自の道を        (2) 歩む時,初めて相互に利することが出來る」と述べ教 育学を一・個の独立した科学たらしめようとし,更に「教 育学講義綱要」Umriss pddagogischer Vorlesungen. 1835・に於いて,「科学としての教育学は実践哲学と心 理学とに基礎を有す。前者は教育の目納を示し,後者       (:g) は方法と手段と障害を示す」ものとして,「教育学を        (4) 実践哲学及び心理学とによってコ重に基礎付け」た(こ Nに云ふ所の,実践哲学’praktische Philosophieとは 倫理学を意味する.ものである)。’ヘルバルトが果して 教育学を.独自の科学たらしめたかど5かと云ふこと. 更には彼の教育学的倫理主義が結局は教育学的主知主 義若しくは教育学的機械主義への途を辿るに到った経 緯については今こkに述べる暇はないが,とも角も, 混沌としてた奪》事実や意見の軍なる羅列に過ぎなかつ

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滋大論集

第  2 集

1 9 5 3 教育学がヘルバルトによって初めて一個の科学として た体系化されたのである  ヘルバルト教育学の後を受けて第19世紀末葉から 第20世紀の初頭にかけて,教育学体系の組織及び発 展があらゆる角度から企てられた。(それは叉何等か の意味に於いてヘルバルト教育学の批判と克服をめ ざして行はれたと云ってよい。)而して,各科学が拠 て立つ足場そのものを対象とするよ5なものは哲学で あり,二って,凡そ各科学が自己の立つべき基礎を定 めるには,少くともその一一!Pを「学の学」としての哲学 に忌めなければならなかった。教育学も自己の足場を 明かにしようとして,先づ哲学に浸めた事は当然であ る○勿論ベルデマソP.Bergemann(一1862一 ),ライ W. A.Lay(1862−1926),乃至はモイマンE.Meumann (1863−1915)等によって代表される実南朝教育学em− pirische Padagogikの一系統の如く.クレツチユマー J.R. Kretzschmar .の揚うごた.「哲学的教育学の終焉」 Das Ende der phiIosophischen Padagogikの標語と 共に,哲学から独立して專ら経験科学の上に教育学を       (t:)) 建設しようとす.る企てもあった。しかしリントTh. Litt(1880一 )も言ふ如く,実証主義の根底には実 証主義によって読明する事の出來ない根本的な仮定が 秘められてをり,そ()仮定こそは彼等の最:も敵視した 形而上学であった。從って彼等は教育方法の上に若干 の資料を提供し得たのみで,科学としての教育学の建 設は到底及びも出露なかったのである。かくしてプラ トンPlaton此々とも言はるべき哲学と教育学との関 係は到底否み難き駈以のものとなり,それは薫育学の 基礎付けに於いて,先づ最初の面縛な場面を展げ,こ こに「教育哲学の世紀」とも云はれるべき一時期を画 するに到ったのである。  我々はそれを現代特にナトルプ.P, Natorp(1854− 1924)を以て代表される批判釣1敦育学die kritische Padagogikとして,叉,シュプランガーE. Spranger (1882一  )とりットを以て代表される:文化教育学: di。 K。1、。,pad。g。gikとして見られるであらう敷二 叉は此れ等の流れの中で哲学と撤育学の両面に亘って 深い造詣を有し,哲学者にして教育学を講じ牽独逸大 学の小数の学者の一人であったパウルぜンFriedrich Paulsen(1816−19C8)が,教育学を如何に解し,科学: としての教育学を如何に建設したかと云ふ事に関して 考察して見たい。 2  実際の仕事に從事して,その方面に多くの経瞼を持 ってるる人々は,軍なる理論を余り信頼しない。特に 経験に富んだ教育の実際家は,自己の仕事が,前々か ら簡軍に決定する事の出來ない檬な,数多くの要素に よって制約せられてみる事をよく知ってみて,彼等は 往々にして,「理論は一般に実践に対しては何の意味 をも有しない,そこでは眼光Blickや氣轄Taktや天

稟BegabUngや練習Ubungが問題となるものであ

る。理論は方法主義と共にかへっ直接性を妨げるもの であり,若し杓子定規な方法狩猟家Methodenjager とでも云ふべき人が,自酌の規定を他人にも亦強制し ようとした場合には,理論は実に耐え難きものとな る」と理論を遠ざけ,教育理論が,まして叉,学的教 育学が,実際の教育に於いて,確かな指導,確かな指 示を與へるとは考へないものである。  然らば敏育理論は無用なものであら5か? 一体, 教育学の意i義は何処にあるのであら5か?  パウルゼシによれば教育や教授は技術である。しか し軍なる機械化可能な技術die mechanisierbaren KunstではないQ印ちそこでは,「理論的に陶冶され た技術老の理解が機械的蓮動に参心し,彼の作業は全 く機械的蓮動の理解によって決定される」のであるが 教育や教授は決してさうであってはならない。実に理 論の規則にしばられ,覗学官の監督の下に働いてみる 教師は憐むべきものであり,そこに個人の力が問題と なる事は当然である。読・書・計算の初歩の段階なら まだしも,精神的・道徳的陶冶にまでも機械的に販扱 ひ,教師がかのヘルバルトの四段階の如き決った枠に 入れられて拘束されたならば,人間は個入の力を麻痺 させ鵬翼を殺してしまうであらう事は想像に難くな い。かくして「世の中に存する仕事の中で最も困難で     (1) 又最も払い」入間陶冶の技術は,パウルゼソに隔ては 機械術ではなくて,「自由術」die freie kunstでなく       (g) てはならない。  蓋し,「理性的動物animal rationaZとしての入間        (e}) の本質は皮省活動に有する。」帥ち,入間は目的及び 手段について思考し,なほ,何の爲にWozu叉は何

故にWarumを自ら問ひ,殊に失敗について反省す

るものであるQ從って思考する教師は自己の活動につ いて,叉,自己が何を意志するかについて,自発的に 反省するに到る。個性的・精紳的陶冶は何がその本質 であるか? 少年少女が学んでみる所のあれやこれや の事は正しいだらうか? 叉必要な事であらうか? 行はうとする事が思ふように進渉せず,生徒も事柄を 理解せず又喜びを感じないのは何が原因であらうか? と云ふが如き事は失敗や妨害に際して誰もが反省し思 考する問題であら5。かかる際に個入がそれに対する 思考と経瞼を公の前で発表する事によって,教育や教

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パウルゼンに於ける科学的教育学の基礎付けの問題 (村田) 13 授の搬理論は必然的に生じてくるのである。  では理論は再び実践に対して如何なる意義を與へる であらうか,パウルゼンはそれを医者との類推に於 いて求めようとする。我々は自己の健康を軍なる経験 家によりも,学問的に陶冶された医老に委ねるであら 5。軍なる経験家は,拘束された行路の上を進むにす ぎないのに反し,科学的に陶冶された医者は,実際の 原因に向けられた研究によって各々の場合の特殊性を 認識し,夫々に鷹じての予防手段を施す事が可能であ り,云ほぼ,現実の数限りない多様性の中に自由に適 毒する能力に於いて軍なる経瞼家に優れるからであ る。と巽南な事が我々の教育に於いて安織するであら う。勿論,理論のみが有能な教師を作らない事は当然        (10) であり,薦の教育者は,「自己の科学に於ける深化」 は元より,「先天的素質,事実に関する喜撹,青少年     (12) に対する愛情」が必要である。しかし,「理論に注意 を梯ふ者は,多くの起り得べき場合の中から実際の原          (12) 因を発見する事が出來,」更に,「理論的把握は云はば 国事の目,i若しぐは望遠鏡となり,……属的に関して 明析性に安全腔を與へ,目的と手段の関連に洞察を與 へ,人聞の本性,師ち其の内的構造及び発展の法則の        (13)認識を通じて先天的眼光を憎くする事が出贈る」ので ある○自由術としての教育の仕事はかくしてかかる理 論の所有によってのみ始めて行はれるものであり,更 に,理論が経瞼を軍なる輝瞼以上のものとし,実際教 育の改造の原動力ともなることを,我々はルソーやペ スタロッチー等の実例と共に承認せざるを得ないので ある。  かかる見地からパウルゼソは,自由術としての教育 や教授の仕事は決して箪なる三一から割り出される所 の披術」P一一種の藝術の如きものと解されるべきもので はなくて,それは実に理論の所有によってのみ可能で あると考へ,教育学及び教授学の必要及び可能を信 じ,「生ひ立つ形態に対する教育者の陶冶活動を決定 する規則の体系」を建設せんと企てたのであるQ  しからばそのよ5な 「規則の体系」System von Regelnは科学となり得るであらうかQそれを論ずる 前に,パウルゼンの云ふ所の科学の概念について一言 しなければならない。 3  パゥルゼyによれば,「科学jWiSSenSchaftの概念 はその「対象」Gegenstandとその「形式」Formに よって,云ひかへれば,知識の内容と方法とによって     (14) 決定される。  先づ形式によれば,科学は「理論的」the・retische科 学と「実践的若しくは技術的」praktische oder techni・ sche科学の二群,云ひかへれば,認識そのものの中に 目標を有つ科学と,認識を通じて何かの構成Gestalt・        (1 ro) ungを目標とする科学とに区別せられる。更に対象に よれば,「自然科学」Naturwissenschaftと「精融科学」       (16) Geisteswissenschaftに区別される。 EPち,自然科学 は現実の全体,就中室間に充満して動く実体的世界と しての形態に於いて感覚に現象ずる駈のものを対象と するに対し,精神科学は直接に我々の自意識にのみあ らはれる現実,印ち,表象,思想,感情,努力,理想 の世界,精神,歴史の世界を対象とする。云はば前者 は現実の外面Aussenseite der Wirkiichkeitであり, 後者は現実の内面Innenseite der Wirklichkeitであ る。然して,この精聯科学及び自然科学は夫々「逆蓮的 科学」beschreibende Wissenschaftと「概念的科 学」begri田iche Wissenschaftとに区別され,前者は 個々のものと具体的なもの,自運ち「事実」die Tatsache に向けられ,後者は一般的なもの,自Pち 「法則」die Gesetze に向けられる。  よって,科学には,記述的自然科学,概念的自然科 学,記述的精碑科学,概念的甲立科学の四つの形態を ・持つものが存在することになる。  今此等の個々の科学について詳述する暇はないが, しかし彼は玩の分類によって決して科学相互の聞に超 ゆべからざる境界線を設定しようとするものではな いQ諸科学は無数の関係の糸によって互に結合されて みるのであり,相互に補助科学として助け合ふべきで ある。しかも,諸科学は一つの統一的な組織を別つ所 の機関と解せらるべきであって,然もこの組織は決し て與へられるものではなくて,常に入間に課せられて みるものである。世界の統一に懸ずるものはすべての 科学的認識の統一の理念である。而して此の常に求め られて決して完成されることのない「世界科学」Welt− wissenschaft,これが邸ちパウルゼンめ云ふ所の「哲          (17) 学」Philosophieである。  かくしてパウルゼンに継ては,「一切の学酌認識の        (IS) 総和若しくは統一が哲学であり,」それは云はば,「あ らゆる科学が合流する所の総括的科学Vniversalwis・ senschaft,若しくはあらゆる科学が起点とする所の根        (10) 本科学Grundwissenschaft」とも云ふ事が国難るで あらう。從って,哲学の課題は,「現実に統一的認識         (LiO) を與へることであり,」自然的及び精帥的・歴史事実 を一個の宇宙目的に統一するのが哲学の究局の目標と なるのである。 4

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14 ’ 滋 大 論 集

第  2 集

1 9 S 3  しからば,「教育学は貫実の科学であらうか?」パ ウルゼンは,その問題については左程重漏してみな いQと云ふのは,彼がその事は名入が科学の概念を如 何に定義するかによって決定されるものであり,從っ て或る意昧に於いては任意であると考へたからであ る○邸ち,数学が科学であると云ふ意味の「普遍的・        (?1) 必然的眞理の体系に対する名称」としてではなくて, 倫理学,政治学,医学,法律学等が科学であると云ふ 意昧の「事実及び観察,問題及び仮設に関する一個の          (22) 相対的に完成せる全体」として科学を定義すれば, 「児童の教育,邸ち身体及び精解,意志及び知性の陶

冶に淵さ泌所の盤な螺瓢び研究問題及び・

論争,洞察及び認識を與へる」所の教育学は当然科学 であると云ひ得るのである。  かくしてパウルゼンは, 「あらゆる技術の最:高のも        (:74) の,部ち氏間陶冶を対象とする教育学」を,内容的に は概念的野酔科学(精榊的・歴史的生活の法則を見出       (L,5) す事をH的とする)の中に,更に形式的には実践的若        (2b) しくは技術的科学の申に分類し,それを,「入王陶冶 の按術に関する学」die Lehre von der K:unst der       (27) Menschenbiユdungと決定したのである○  先にも述べた如く,ヘルバルトが倫理学と心理学に よって教育学の科学的建設を試てから,教育学は倫理 学か若しくは心理学に附属する一種の技術学と長く看 徴され,20世紀初頭迄,それは傳統的思想として教 育界を支配してをり,かのザルヅィルクErnst von SallwUrk(1839−1926)等1ま明らかに教育学を科学と        (2S) せずに軍なる技術論とさへみなしてみる。しかしやは り教育学を技術的科学若しくは実践的科学としてみて も,「人間は本質的に理論的存在であると云ふより も,恐らくは先づ第一に実践的若しくは意欲的存在で ある。從って実践的課題ほ理論的課題よりも重要であ る。科学は課題の解決の爲に案出されたものであり, 認識は少くともその根源に於てほ実際の目的に対する 手段である。……そして哲学若しくは理論的認識一般 も亦根源的には生活の意義と課題についての問題によ          (!9) つて生じたものである」と述べ,パウルゼンが実践的 科学の贋値を高く認めてみる事に我々は注意しなけれ ばならない。けれども,パウルゼソに影響されたレー マソRudolf Lehmann(1855−1925)が実際的教育学 帥ち技術学としての教育学と理論的撤育学とを対立せ しめ,後者は教育活動の本質を明かにするを其の任務

とし・巌的観察法響く贈学貞囎あ髄学白偲考

との関連に於いて生じると説いてみるのをみても撤育 学が軍なる技術学や実践学ではなく,叉それのみであ ってはならない事は当然である。勿論,パゥルゼン が, 「一切の実践酌学問は理論的学問に基くものであ り,理論的学問は実践的課題の解決に対して理論的認        (31) 識を使用する事以外の何物でもない」と述べてみる以 上,彼の技術論としての教育学の根底にレーマンの意 図する所の理論的教育学が仮定され,その根底から來 る技術論である事は承認しなければならないが,(今後 の考察からその事は幾分理解されるものであるが), そこにやはりパウルゼンの論証の弱さを感じざるを得 ないQ  「入間陶冶の技術に関する科学」としての撤育学  . は,パウルゼンに於いては,「教育に関する思想家及 び專門家の思想と経瞼の総和を統一に迄結合し,それ を一つの体系に作り,出痴る限り原理から導かんとす   (32) る企」に外ならず,その爲には彼の教育学は「教育及      くお  び教授の哲学」Philosophie der Erziehung und des UnterrichtsとならなけれならなかったQ 1而してその 「教育と教授の哲学」は,恰かも哲学が入聞の理論的 必要から,云ひかへれば,自己自身及び世界乃至其の 地位を明白ならしめる必要から生じたのと同檬に,人 問が実践家として行ふことを明白ならしめようとする 必要から発するものであり,「教育の本質と課題手        (3岳) 段と取扱方とを統一一的に原理の上に洞察する事」がそ の目的である。かくしてパウルゼンは,「自然的及び 心意的な入間学が提供するが如き入間,とりわけ見童 の本性の認識を基礎として,更に倫理学が暗示するが 如き人間陶冶の目標の認識を基礎とし,生ひ立つ形態 に対する教育老の陶冶活動が決定する所の一個の規則          (35) の体系を建設する事」を教育学の課題とした。  かくしてパウルゼンが教育学と哲学との密接な関蓮 を主張する事は明かとなった。実に彼に於いては,「教 育学を哲学から分離する事は,激育学を根底なきもの       (36) とし,叉,枯渇せしめる」所以のものであった○それ 故に,彼は,「教育学,割ち一般教育理論は哲学の柱       (37) 幹の上の一つの枝である」と考へ,教育学と哲学との 間の Personalunionを目論んだ。 ラウレ Georg Lauleが,「パウルゼソの哲学はその究局的目的に於        (39) ては大規模に企てられた教育学である」と言ってみる 如く,彼の哲学と教育学とはかくして内的に融合され てみるのを我々は認めなければならない。  此の点に関して一言しなければならない事は,大学: に於ける教育学の講座に対する彼の見解である。ドイ ツの大学に於ては第18世紀以來教育学の講座は行は れてるたが,しかし他の講義と結びつけられてみた。 即ち,第18世紀に於いてはラテン語学校の教肺にな る者に対して言語学と結合して,第19世紀に於ては 内容上最も近いものとして哲学と結合して講義されて

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パウツセシに於けるN¥的教育学の基礎付けの問題 (村田) 15 みた。それに対してパウルゼソは此の際「教育学の特

  , (39)

別な講座」を設立する事を要求した。しかし,先にも 述べた如く,教育学を哲学から分離する事は科学とし ての教育学そのものの内的な破滅であると考へたパウ ルゼンは,その事を防止する爲にそれを哲学の特別な 一講座として設立しようとした。EPち,彼は当時の心 理学と論理学の理論的学科及び哲学史の二講座である 所の大学の哲学講座に,更に第三のものとして実践的 哲学としての教育学講座を特設すべきであるとする。 そしてそこでは教育の理論及び撤育制度の重要な歴史 を含む教育史が講義の中心を占めるのであるが,それ を倫理学及び心理学にも拡張する事は,講座担当者自 身が自分の聴講者に教育の理論の前提を関北的に明示 する爲には当然と云はなければならない。  而して大学に於ける教育学の教授者は,教育と教授 の全領域についての講義やそれに附随する談話や理論 的練習に精通し,意志陶冶,知的:文化の目的,課題 方法を洞察し,倫理学,心理学,社会理論,政治学へ の結合線を引き,陶冶や教育制度の排列を全文化組織 の申に示し,一種の科学の哲学を青年陶冶の見地から 教育の哲学に関蓮せしめ,教育制度の歴史を研究し, 更に,現在,掌校形式と教授方法,問題と注意を精瀞 文化の全額動から理解する事に導かなければならな (40) い。此れがパウルゼンに於ける教育学者の課題となっ たのである。 5‘  以上の考察から,科学としての教育学は必然的に多 方面的な基礎を要求する事は何人も承認せざるを得な いであらう。実に,パウルゼンに於いては,「事物, 就中,生活と歴史の全体に向けられた見解を所有する く41) 事」が教育理論の領域に於ける豊富な活動の本質的な 仮定であったQ從って彼はそれに隣接する全科学の上 に教育学を整頓する事を要求した。  先づ教育が人間陶冶の理論である限りに於いて,第 一の補助科学は,入聞に関する学問,邸ち,身体組織の 器官と機能に関する学問である所の「生理学」die Phy− siologieと精騨組織の三宮の機能の学問である所の 「心理学」die Psychologieとを両技とする「入聞学」 die Anthropologieである。叉,教育学が青少年の 正しい陶冶への道を示すものとすれぽ,入間の完全な る形態を知らなければならない事は当然であり,入間 の使命若しくは完全なる本質形成及び生活活動を論ず るものは外ならぬ倫理学die Ethikであるが故に,       (・12) 教育学の第二の補助科学は「倫理学」である。  しかし,我々はここで,パウルゼソの入間学の内容 をなす心理学は,経験的心理学の確実な方法によって ヘルバルト的心理学からの蒋向に寄附した所のかのヴ ントWilhelm Wundt(1832−192⑪)とショT一・ペンハ ウエルArtur Schopenhauer(1788−1863)との影響 を受けた「主意主義的心理学」voluntaristische Psy一        (43) chologieであり,更:に,倫理学も箪に道徳的事実の 科学ではなくて,同時に規範的科学normative Wis・ senschaft,云ひ換へれば実践的な行爲に対する規範       (“) Normを與へるべきものであったと言ふ事を注意しな ければならない。印ち,「生活の目的若しくは最高善 h6chste Gutを決定する事,及び,それに到達する方

蘭島臆を示嬉㌘)の三つがパウ,、哲の催学の

課題である。ここで云ふ肪の最高善とは完全なる入間 生活vollkommenes Menschenleben,凱ち,身休閑 ・精瀞的力を完全に調和的に発展し,あらゆる人聞的 生活範囲に於いて,云ひかへれば,最も近く結合して みる社会に於いて,そして肥大社会形式の歴史的・町 彫的な生活内容に多方面的に関齢する事に於いて立派        (46) に活動し得る生活」である。かくして,彼の倫理学は 方里論WerUehreとして哲学的科学の総括的性格を        (47) 維持するものであり,此の意味に於いて,パウルゼン にあっては,あらゆる科学は究局的には倫理学に関係 するとも云ひ得るであらう。  從って,「教育の課題は,畢寛,個入の自然的なそ して歴史的な生活環鏡を理解し,そしてその中に活動 出來るように個条の発展を導く事であり,そこにすべ ての大なる生活範囲と生活内容,宗教と詩,科学と藝 術,職業と公的生活,風俗と習慣に対する正しい関係 が抱擁される。明瞭な洞察と確実な判断とを以て,思 想と理念,彼の歴史的環境の生活形式と努力とに対し て如何なる態度を取るべきかを知るものこそは陶冶さ       (4S) れた入Geleildeteである」と解したパウルゼソガ, 教育学を政治学と同檬に,入聞生活に対する正しき影 響を対象を持つ所の倫理学に依存するものであると見 てみる事は当然の事としなければならない。而して, 彼は教育学の科学に於ける位置を,「入間的社会生活 の正しき状態並びに機能の学」として,政治学と並ん で若しくは寧ろ政治学の中に保持せんとし9彼の主 著の一つである「倫理学体系」が詳しくは「国家学及 び社会学の概観を件ふ倫理学体系」System der Ethik mit einem Umrifi der Staat:und Gesellschaftslehre であり,その第2巻に於いては相等部分r陶冶」に関 して論じてみるのと思ひあはせて興味ある問題であ る。教育学が政治学に属ナるか否かの吟味は,教育の イデーと政治のイデーとが共に,社会的構成に関する 所の,それ故に必然的な歴史的な,具体的なイデーで

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滋大 論 集

第  2 集

1 9 5 2 あることの論証に猛たねばならない事は当然であり, それを無條件で容認する事は加齢ないが,しかしここ に我々はクリt一クE.Krieck(1862一 )やペテル ゼンP・Petersen(1884−1952)に於いて見出す所の思 想を既に想起せしめるのを見のがす事は出來ないQ  かくして彼の教育学は,哲学はもとより,入間学, 生物学,心理学,倫理学,政治学,七会学,国家学 等,国軍に云へば全文化科学KuIturwissenschaftと 密接に関連するに到るのであるQ        、 6  今,篠原博士と共に第20世紀の教育学的傾向を観    (〔馳Q) 察すれば,第19世紀に於ける教育が言はば個々の地 盤に建設せられた個々の建築であるに対し,第20世 紀の夫れは廣い地盤に立つ共同の建築とも称し得ら れ,そしてこれは教育に於ける一つのコペル=クス的 轄回を意味する。前者では個々の秀でた思想家が一定 の教育理念からして独自の教育体系を形成し,之を自 己の活動領域に実現したに止まるに対し,後者では国 家は云ふに及ばず,社会一般の教育に対する関心が著 るしく高まり,新らしい教育の理念,教育の吟味,其 の実践等が,個々人の主観より寧ろ語い國家的社会的 な地盤に立つに到ったと言ふ事,第二に,第19世紀 に於ける教育思想が直線的であるに対して今や立体的 であり,少くとも立体的たらとしてみる。嘗ての偉大 な教育体系が概ね,自己の世界観,人世観を基礎と し,教育の目的と之が実現の方法を説くに專らであっ たが,今や教育に関するあらゆる部門を夫々科学的に 考察し,其の成果を教育的に拷撫し,之を体系的に綜 合しようと力めるのである。或ひは兇童及び青年の心 理的研究の,或ひは社会的,狭くは環境の,或ひは生 物的発展の,或ひぼ文化の哲学的及び歴史的研究の, 或は自然科学的研究の成果を教育に活用し,是等を全 体に統一しよ5としてみるのである。此の傾向を考へ る時,衆に先んじて「教育及び教擾の哲学」と命名し, 「科学としての教育学」を建設した所のパウルゼンは, その論述が幾分学的嚴密性を欠き,ゴェットラーJo・ seph Gbttlerも云ってみる如く,「彼の哲学説も教育 説も,築凡邸ち傳統的な学派の何れにも売出しないと        (51) 共に,3ζ独創的な学説も提唱しない」といふきらひも ないではないが,しかし科学としての教育学に確実な 基礎を要求し,それが昏怠ややもすると一方的に見ら れてるたのに対して廣汎な地盤の上に置か5とし,叉 教育学を孤立的な科学と見ずに他の文化関係に丙的必 然的に随画すると見,建って他の文化開係㊥全発展を 理解しなくてはならない事を力面した態度は注意され なげればならない・かのシュプランガーが・「謙育学 は根本的には,文化現象の一一である陶冶過程に属す諸 方面から規定せられるのである」と述べ,教育学を, (1)「陶冶理想」Bildungsideal,(2)「陶冶性」Bild・ samkeit,(3)「教師」Bildner,(4)「陶冶社会」Bildun一        (52) gsge皿einshaft,の四つの見地から,若しくは,(1) 社会学的部門,(2)精目論的noologisch部門,(3)        (o’3) 心理学的部門,(4)規範的部門の四部門から組織せん る立場は,廣い意昧のカント学者でありながら,必ら としてみずしも理念の軍なる演繹に教育学の基礎を求 めずして,個人の実在と社会の実在とを明らかにする 諸科学を搬販せんとするパウルゼンの思想の中に既に 感知されるのではなから5か。而してその態度は,教 育の本質とは,「先立つ世代から解るる世代へ理念的文       (.rl) 化財ideelen Kuiturbesitzesを傳蓬する事である」と 考へ,具体的な,從って歴史的な民族的な文化を重ん じ,かつ,文化の丙容を挾く美的:文化に限らず文化一 般を公正に取り入れようとした態度と共に,現世紀の 教育学,特に文化教育学KuIturpadagogikの発展に 一つの光明を投げ與へたものであると云はざるを得な い。文化教育学の代表者であるかのシュプランガー は,パウルゼンの高弟であり,且又彼の「教育学論文 集」Gesammelte padagogieche Abhandlungen,1912. の編者であるが,彼こそは,教育学の基礎なるべき心 理学こそディルタイW.Dilthey(1833−1911)に相傳 したものであるが,虞の撫育学は文化教育学でなくて はならぬと言ふ教訓はまがひもなく此れを恩師として のパウルゼソに承けたものであると云ふ事は何入も否 定する事が出來ないであら5。       1952 ・ 12 ・ 1 言主 (1)長田新:近世西洋教育史.1936.S。191 ff・ (2) Karl Kehrbach:Jo.Fr.Herbarts’ Samtliche   Werke. Bd. 1. T887. S. 8. (3) lbid. Bd. 10. 1902. S. 69. (4) lbid. Bd. 10. 1902. S. 70. (5)長田:前掲書S・207ff・ (6)長田:前掲書’S.211ff,及びS。223ff. (7) シュプランカ㌧著,小塚新一郎訳:現代丈化   と国民教育.1938.S.3. C8) Fr. Paulsen: Padagogik. (hrsg. von Willy (9) (le) (1!) (12) (13) (14) Kabitz)1911.5. Au乱1912. S.34. Ibid. S. 35. Ibid. S. 39. Ibid. S. 36. Ibid. S. 37. Ibid. S. 38. Ibid. S. 1.

(7)

パウツセンに於ける科学的教育学の基礎付けの問題 (村田) 17 (15) Paulsen:Syste皿der E’thik. Bd.1.1889.11.    und 12. Aufl. 1921. S. 1.; Plidagogik. S. 1. (16) Paulsen; Gesamrnelbe paidagogi’sche Abh−    andlungen. hrsg. von E. Spranger. 1912. S.    3;Padagogik. S. 261. (17) Padagogil{. S. 262; G. p. A. S. 4. (18) Paulsen: Ejnleitung in die Philosophie.    ユ89226.Aufi.1914. S.19,34. (19) (2e) (21) (22) (23) (24) (25) (26) (27) (28) Pddagogik. S. 3.?.3. E. in. d. Philosophie. S. 35. Padagogik. S. 1. Ibid. S. 2. Ibid. S. 1. G. p. A. S. 463. Ib{.d. S. 4. Padagogik. S. 1. Ibid. S. 1. W. Moog : Geschichte der Padagogik. 193    3. Bd. 3. S. 495. (29) S. d. Ethik. Bd. 1. S. 3. , (33) R. Lehman:Das doppelte Ziel der Erzie一 (31) (3i?一) (33) (34) (35) hung. 1925. S. 4f. S. d. Ethik. Bd. Ptidogogik S. 35 1bid. S. 36. Ibid. S. 36. Ibid. S. 3. 1. S. 2. (36) G. p. A. S. 455. (37) lbid. S. 455. (38) G. Laule:Pad”dgogik Friedrich Pauisens.    Z914: S. 20. (39) (40) (4ユ) (42) (43) (44) (45) (46) (47) (48) (49) (50) (51) sophie. 1907. hrsg. von Hinneberg. Teil. L S. 394. Ptidagogik. S. 3ff.; G. p. A. SL 454ff. G. p. A. S. 462f. Ibidn S・ 455 Padagogik. S. 2. Laule : lbid. S.28. Ibid. S. 22. S. d. Ethik. Bd. 1. S. 4. Ibid. S. 4. Paulsen : Die Zukunftsaufgaben der Philo−       In,, Kultur der Gegenwart.”        Abteilung VI. G. p. A S, 137. Ptidagogik. S. 3. .篠原助市:独逸教育思想史.1929.下春、S,28ff. J. G6ttler : Die Padagogik des zwanzigsten    Jahrhunderts. S. 136. (52) E. Spranger: Kultur und Erziehung. 2    Aufi. 1923. S. 180. (53) シュプランが一著1小塚新一郎訳:現代丈化    と国民教育.S.19ff., (54) Padagogik. S. 6−7. ’

参照

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