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エドゥアルト・シュプランガー : 一般的人間陶冶 ?

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エドゥアルト・シュプランガー

一・

ハ的人間陶冶?

村 田 昇    Eduard Spranger Allgemeine Menschenbildung? Neboru Murata  ミー般的人間陶冶、という表現は,ドイツ人 にとって荘重な響をもつ。ドイツ教育制度を真 に支える礎石をなす学校形式が,ミー般的陶冶 の学校、と特色づけられることには,なにびと も躊躇しない。ギムナジウムでは,既にちょっ としためんどうが起っている。ギムナジウムの 古い古典的形式である古典的ギムナジウムは, 19世紀末に,それに要求されていた多くの教科 にひびが入る,という危険におちいった。人文 主義的ギムナジウムと並んで,9年課程の二つ の違った類型の学校,すなわち,実科ギムナ

ジウム(Realgymnasium)と実科高等学校

(Oberrealschule)が同権利をもつてあらわれ たことは,確かに内的必然であった。その分裂 は,時としてなお進行している。二つのより 若い形式のギムナジウムもまた,人文主義的精 神で教育することを重視した。後者(実科高等 学校)に近代語が,前者(実科ギムナジウム) に自然科学がわもてに出てきた時には,そのこ とを,ちょっとした重心の置きかえとしか思わ なかった。しかし,もっとそこにミー般的人間 陶冶。の放棄をもし認めたとすれば,そのよう なことは大いに斥けていたであろう。  ドイツの大学の最古の形式たる大学(Uni・        ロ         versit互t)ですら,19世紀初頭には,一般的科 学的陶冶の施設であることを,はっきりと綱領 にかかげた。この転換は,大学の前史に必ずし も合っていなかった。というのは,本来,文科 (Facultas artium)(訳註,中世大学における他 の三学科の予備的階梯)だけが, ミー般的な,予 備陶冶の場であって,はっきりした職業学部, すなわち,神学部,法学部,医学部は,ミー般 的な.予備陶冶の場を蔑視したからである。し かしながら,七球場科(Artistenfakultat) (訳註,中世大学の文法・修辞。論理。算術・幾何・ 音楽・天文の七学芸科)はますます重要となり, ミ純粋のミまだ職業に関係のない研究がいよい よ伸長した。この時,哲学部は首学部となつ t。ところが,他の三学部はより多くミ応用。 科学の側に所属していると蔭口された。  しかし:不思議なことには,この,一つの一般 的科学という理念が浸透していた同じ19世紀 は,他学部についで一つの専門単科大学(Fach・ hochschule),とりわけ,工業,農業,獣医, 林業,商業ないしは経済などの単科大学を成立 せしめた。20世紀になってはじめて,科学はた だ一つである,という思想が,新しい強さでおこ ってきた。この思想を確信する代表者たちは, あてにならなくなった専門単科大学を,再び母 のもとにミつれもどす.ように要求した。そこ で専門単科大学はしばしば総合大学の単なる学 部として編入されたし,あるいはまた人は,大 胆に思いきって,一つの工業単科大学を簡単に ミ工業大学ミ(Technische Universittit)と 呼んだ。その際,すべての単科大学は,学生の 入間性陶冶を約束するものである,だから専門 家主義(Spezialistentum)をはばまなければ ならない,という思想もまた,一つの役割を演 じていた。  しかし,このような傾向が,突如また断絶し

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たのは,確かに,かく成立したマンモス的施設 (Mammuntanstalt)が組織的にもはや使いこ なされなかった,という理由からだけではな い。むしろ,一般的人間陶冶であれ,一般科学 であれ,一体ミー般的なもの・。を奉ずることは 正しいのかどうか,ということに関して,ある 不安が感じられるようになったのである。  実際, ミー般的人間陶冶.という計画には, 単に用語法的な意味だけでない,一一つの問題が 横たわっている。そうしてその問題はもう一骨 熟慮に値する。以下は主として学校(Schule) に関しておこなわれる筈である。中頃で単科大 に拡げられるのは,それとの比較が学校段階学 に一脈の光を投げ帰すという,ただその理由だ けからである。 工  ウィルヘルム・フォン・フンボルトガ1809/1 0年にプロイセンで典型的な学校改革一やが てそれに相応する運動がすべての州国家で相次 いでおこったが一を実施して以来,前衛の完 全な転移が生じた。当時戦われた前衛は,大フ ランス革命で最初のはげしい打撃を受けた,古 い階級社会であった。ラテン語学校に対立し て,当時ミドイツ語学校.と呼ばれた段階に存 在すべきものは,今や,貧民学校でも,世襲的 隷民の子供のための学校でも,市民学校でも, また衛戌学校ないしは軍入孤児学校(Militllr− waisenhausschule)でもなくて,僅かに自由で 平等なミ人間.のための学校だけである。その 時ミー般的人間陶冶)。,について語られていたと すれば,そこにはある社会改革が存したのであ る。一般的人権の承認からなされた教育学的帰 結が大事である。それはまだ,ヘルバルトによ って与えられたミ均等的多方興味。.:(gleichsch ・webende Vielseitigkeit des Interesses) と は,さしあたって無関係である。むしろ人は, ペスタロッチーの,1801年から1807年までの著 作の申で発展させたような,基礎的方法に結び ついた。しかも大抵は確かにペスタロッチーを 超えて行った。というのは,ペスタロッチー は,子供たちが学校の中で産業的に有用で収入 のある仕事をやはり行わなければならないとい うことに,全然悪感情を抱かなかったけれど も,彼の傾倒者の殆どは,子供を労働力として 属地産業の構成につかせる,重商主義的経済組 織の下酒に逆つたからである。人はミー般的人 間陶冶・。というスローガンをもつて戦われるべ きもの,すなわちミ子供を営利的労働につかせ る基礎的産業学校.を思い浮べるとき,当時の ミーハ的人聞陶冶・sの意味を最も明確に会得す るのであるQ  ギムナジウムの段階でも,階級社会に対して 同一な攻撃が行われている。ここでもまた”階 級学校Ns(Standesschule)に逆ってなされた のである。昔のリッター。アカデミー,ア・一一一デ ルス・アカデミー,軍人学校(幼年学校は別と して)などは廃止されている。私費の家庭教師 による教育もすたれている。いちじるしく栄え た専門学校(Fachschule)は,階級学校と同 様背後におしやられている。いずれにせよ,ど のような陶冶過程もそれらの学校とかかりあう べきでない。商業学校と実業学校はもっと後の 年令になってはじめて適合する。陶冶にめぎ めた上流市民は,ギムナジウムに通学しなけ ればならない。その上,フンボルト自身は,協 力者のシュラィエルマッヒャーやジュフェルン とは異なり,一種の中等学校を意味するミ階級 学校.とミ市民学校・。に反対している。  市民階級を高上させるための陶冶財を,その 運動の指導者(ヘルダー,ゲーテ,シラー,W. v.フンボルト,ジュフェルンら)自身が見出 したところ,つまり古代ギリシャとn・一マに求 めたことは,自然である。ここに,小売商人の 偏狭さから脱し得る精神界があった。教育小説 『ウィルヘルム・マイスターの修業時代』 (Milhelm Meisters Lehrjahre)は,たとえ ウィルヘルム・マイスターが既に学令を超えて いるとしても,解放の傾向をなおかなり明瞭に 示している。従って,新人文主義への道は,こ こでは語られていない。しかしながら,学校改 革の指導的理念は,ミ単に有用の考えから出て 精神の自由な範囲へ。古代とかかりあうこと が,なお没目的的な,’人間、の諸力の練習を 可能にする。.である。  当時, ミ純粋人間性s。に関する二つの見解が

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エドゥアルト・シュプランガー:一般的人間陶冶?(村田) 87 互いに混りあっており,その後の発展に禍とな        コつたことは,否定できない。力の陶冶(Kraft・        bildung)としての全面性と事物の陶冶(Sach・ bildung)としての全面性とがある。  前者の場合には,精神と身体のすべての力が 訓練され,そのことを通じて展開されることだ けが問題となる。このミ全体性。(Totalit釜t)        コ       コ について,例えばペスタロッチーは,認識 (Kennen)と能力(K6nnen)と意欲(Wollen)        つ との三重性を以て考えた。フンボルトが,彼の 学校改革の原理としてミ各種の学校において常 に諸力の訓練を完全に欠陥なく行うこと。しか したとえ如何に必要であろうとも,一般に諸力 の訓練を概して殆ど促進せず,あるいはこれを 余りに一面的に促進する知識を,学校教授から 除外して,生活のためには特別な学校をふりあ てること。。1をあげているとすれば,彼もま た,かかる形式陶冶の思想を定式化しているの である。  1) エドゥアルト・シュプランガー『ウィルヘル  ム。フォン・フンボルトと教育制度の改革』  (”Wilhelm von Humboldt ulld die Reform des  Bildumgswesens.”)ベルリン,1910年,131頁。  しかし,残念ながら,事態はこのような実り 多い思想に何時までも留まってはいなかったの である。人がミ全力.を活動させる時には,一 切のミ事物.をもとらえたがるように,余りに も容易にさそわれがちである。その時,たましい の文化(Seelenkultur)の全体性はふくれあが って,事物の認識(Sachkenntnis)の普遍性に なる。もちろんミ普遍性ミ(Universalitat)力玄 語られているとすれば,やはり誇張である。言         うまでもなく,教科目(Schulfach)だけしか 常に問題となり得なかった。自然科学は,当時 まだ余り多くの活動範囲を必要としなかった。         たゴーつの形式の上級学校一新人文主義的ギ ムナジウムーだけしか存在しなかった時に は,人はそれにこのような多くの副科という荷 物を負わせなければならなかった。その外注意 すべきことには,19世紀初頭にはまだギムナジ ウムに専門教師の組織がなかった。2もちろん そのために,生徒の過度な要求はしめ出され た。あの時代の教案をやや祥細に観察すると, 全く古典語・数学に重点が置かれている。ドイ ツ語教授も,徐々にではあるが要求されだし た。その他の数科はすべてつけたりであった。  2)上掲書230頁。更にブリッツ・ブレットナー『シ  ュライエルマソヒャーのギムナシウム教育学』シュ  プランガー祝賀記念論文集『人間らしさへの教育』  (Fritz Bltittner,,,Die Gymnasialptidagogik Sch−  leiermachers”in der Festschrift ftir E. Spranger.  ”Erziehung zur Menschlichkeit.”)テユービンゲ  ン,1759年,168頁参照。  ヘーゲル主義者ヨハネス。シュルツェの影響 をうけたフンボルトのかなりの素材普遍主義  (Stoffuniversalismus)が, プロ・イセンでた        り         えられなくなり始めたのに,ティールシュがバ       コイエルンでより多くの規準をあげ,またW・ク           ルンプがヴュルテンブルクで既に上級教育制度 の分肢を奨励したことは,ここで思いだされる に及ばない。ギムナジウムの独占権(Monopol) とそれによって条件づけられた普遍主義の幣害 が,19世紀末に到る処で上級学校制度の分化に 導いていく。そして,実科ギムナジウム(近代 語ギムナジウム)に並ぶ実科高等学校の突如的 出現が,ここで特に興味をひく。この学校形式 は,明らかに,技術の凱旋行列と産業・技術的 社会の前進と関連するものだったからである。  この簡潔な概観からミー般的陶冶.という標 語の解釈に対する結論を導くとすれば,次のよ うなことが明らかになる。すなわち,  1. 一般的陶冶は当時論争の問題と考えられ ている。つまり,本来の青年期に対する学校 は,階級学校であっても,また専門学校であっ てもならなかった。それは,まだ未来の職業的 要求を考慮すべきでなく,全くこれと反対の意 味でミー般的人間陶冶ミと呼んでいい陶冶を伝 達すべきであった。特に青少年の一切の基礎力 の陶冶に考えおよんだ時だつたからである。  2. しかし,フォルクスシュ.一一レでも,また ギムナジウムでも,概して伝統的な教科目だけ しか考慮されなかったので,一般的人間陶冶に よって,真の普遍的陶冶(Universalbildung)        は全然考えられることができなかった。上の両 種の学校では,教科規準はドイツ精神史から導 かれている。たとえば,フォルクスシューレに 公民科を,ギムナジウムに英語とイタリア語, 芸術史と経済学などをとり入れることは,全然 考えられなかった。人は,全然普遍的智識を意 味しない,古い教材の系列に留まっていた。

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 3.従って, ミー般的人間陶冶.が,必要に して十分な陶冶財の,歴史的に特別な一形式だ けしか考慮しなかったので,私は既に40年前に まちがった道に導く名前一般を棄てて,その代 りに ミ基礎陶冶ミ (grundlegende Bildung) を用いるようにすすめたことがある。3この基 礎陶冶は,19世紀初頭に,今日と同様,(ま だ動乱しつつある中間学校(Mittelschule) (訳註 フォルクスシューレとギムナジウムとの中間  に位する学校形態。すなわちフォルクスシューレ  より更に高い教養を与えると共に,ギムナジウムよ  りは職業的生活と中産階級の要求とを深く考慮して  編成されている。18世紀の後半頃からおこり,1872  年に始めて国家によって公認された。グルントシュ  ーレ修了者を入学せしめ,修学年限は6ケ年。) の形式を無視すれば)二つの形態であらわれ た。すなわち,フォルクスシューレの初歩陶冶 としてであり,また,ギムナジウム段階におけ る,新人文主義的に解釈されたギリシャ・V一 マ的古代との結びつきとしてである。文化の事 情が異なれば,基礎陶冶に対しても異なった結 晶点(Kristallisationspunkt)を招くであろう ことは,許され得ることであった。 ミ基礎.は 種々に作られ得るからである。  3) 『基礎陶冶,職業陶冶,一般陶冶』(,,Grund−  legende Bildung, Berufsbildung, Allgemeinbil−  dung”)は,最初,プロイセン補習学校新聞第9巻,  1918年。の中で公にされた。1919年以来,論文集  『文化と教育』(”Kultur und Erziehung.”)の第  四版にも集録された。       皿  ドイツの大学は,珍らしく平行する誤謬がた しかめられるので,この関連の中で一緒に取扱 われる。  a)大学(Universittit)という名称は申世に 由来する。しかし根源的には,教授者と学習者 (docentium et discentium)との全体,だか ら一つの団体を意味する。19世紀以前にも既に 諸科学の総体が考えられていたかどうかは,私 はよく知らない。むしろ私は一もちろんなお 吟味されるべき一推察,すなわち,この意義 が,1810年に創設されたベルリン大学の本館 に書かれた     Universitati Litterariae ‘ という銘によって始めておこった,と推察して いる。  4) 一般には,Universitati literarumが引用さ  れている。それがより善きラテン語であることは疑  いない。しかし一しにあげた措辞が,クレメンス。ブ  レンターノの大学創設祝祭詩から確証されるのであ  る。参照マソクス・レンツ『ベルリン大学の歴史』  (Max Lenz.”Geschichte der Univrsittit Berlin)  第一巻,ハレ,1910,30頁。  さて人はまさしく当時,その表示の考え方を どのように改めるに到るのだろうか?,その背 後には,全科学の統一を強く強調しようとする 意志が横たわっているにちがいない。既に17世 紀に,この思想のための路がひらかれた。この思 想は当時なお宗教的背景をもつている。すなわ ち,人は,もし全宇宙を知的にとらえる時,その ことによって万有の根源である神に近づくとい うのである。汎歯学は,例えば予言者的教育学 者コメニウスにあっては,宗教的動機をもつた 陶冶理想である。バロヅク時代におけるミ宇宙 的な共感と調和。の体系は, ミ宇宙。という力 強い形象を詳細に鏡に映すという課題を,人間 にあてがっている。ライプニッツがその古典的 代表者である。そのほかに百科全書主義者(En− zykloptidist)がいる。彼らは一しっかりした 哲学的枠組なく一大量の智識を積み重ねたに すぎない。ある部分は巨大な辞典の中でなされ ている。(1695年以来の)ベイル(1647−1707)の 辞典が思い出される。  一箇の包括的な智識,より良く言えば,共働 によって成立した一箇の包括的な科学という計 画は,18世紀に既に世俗化してあらわれてい る。(1750年以来)ダランベールとディドゥロ ーがつくった大百科全書は既に純現世的徴候が あらわれている。しかしドイツでは,18世紀か ら19世紀への転回期頃に,個々の全知識に対し て基礎と枠組を与える思弁哲学の思想が,再び 支配する。その宗教的(神秘的)な根は,なお はっきりと認められ,世界精神とその顕現に関 する包括的な理論において,神智学と宇宙論と         を統一している。ヘーゲルがこの理念の完成者 となるのである。  しかし,ベルリン大学の創設も確かにこの徴 表のもとにある。フィヒテとシェリングとシュ ライエルマヅヒャーの体系が,ベルリン大学し 代父であった。真の知識が存在するのは,そオ, が一つの哲学的宇宙体系から生じた時だけであ

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エドゥアルト・ンユプランガー:一般的人間陶冶?(村田) 89 るというのが,その指導的理念である。専門的 知識,つまり応用し得る智識しかもたないもの には,価値高い科学的陶冶がない。基礎科学か らその名をとってこられた哲学部が,本来首学 部である。だから,すべての学生は,以前には かく呼ばれたミ上位ミ学部の学生もまた,哲学 をやらなければならない。哲学が学校における 一般的人間陶冶と同様な役割を演じている。哲 学からのみ人文化する作用があらわれる。哲学 なしには,神学部。法学部・医学部は単なる専 門学校であろう。フランスで,古い大学をかか る専門学校にくずしてしまったところであっ た。1810年の王に捧げられた題辞,すなわち Universitati Litterariae(学芸の綜合)は, このような精神に対する抗議と解されなければ ならない。それは,この家で肝要なのは一束の 個別科学ではなく,丁度1803年にシェリングが 大胆に思弁的な『大学の研究方法に関する講 義』 (”Vorlesungen inber die Methode des akademischen Studiums”)において展開した ような,ミさまざまに現われる。一箇の科学 (die Eine Wissenschaft)であることを意味 すべきである。フィヒテがエルランゲン時代以 来,大学の本質に関して表明した思想は,必ず しもそう建設的なものでなかった。  b)ゲーテの世界詩が,またヘーゲルの哲学 が等しく果している,一切を抱型せんとする渇 望(Drang zum Allumfassen)は,人が思弁 的体系の可能性と妥当性を確信した限り,大学 を支配することができた。実証主義的科学観が ドイツにも侵入して以来,哲学が科学的陶冶に 与えた枠組は,いよいよ廃止された。にも拘ら ず,哲学は,少くとも工大学的試験において, 相変らず必修科目であった。哲学が,専門研 究から人文主義的要素を護るべきであったろ う。しかし,かく普遍的であった哲学は,もは や殆ど存在しなかった。少くとも新カント主義 者と共に,統一を創る哲学の力は澗渇した。受 験者からは,とっくに,哲学は他の諸教科に並 列する一教科である,と受取られていた。哲学 は,ごくまれに精神陶冶的作用があらわれアこた めに,綱領の上には存続していた。  学芸の綜合(universitas literarum)の統一 的きつなを得ようとするドイツ的あこがれの中 には,何か宗教的なものがあるし,また同様に 陶冶への願いがある。しかし,実証主義の個別 研究にとっては,形而上学は死せるものであっ た。1925/26年頃にマックス・シェーラ・一・・は,形 而上学は,社会事情がその勃興のために恐らく はもう一度好都合になるまでは, ミ休息、して いるにすぎない,ということを基礎付けようと した。注意すべきことには,彼は形而上学を ミ陶冶知、(Bildungswissen)とも呼んだ。し かし,偉大な包括的な形而上学こそは,もはや 存在しなかった。個別科学の単独価値という徴 表の下に,とにかく総合は可能であった。言う までもなく, ミ総合.とは,再び大学から陶冶 の場を進んで作り出した,プロイセン文部大臣       ロ       ハインリヅヒ・ベッカーの気に入り言葉であっ た。個々の結果を全体観へ連合することは,む りにはできなかった。自然科学においては,丁 度あの時代頃に,ある問題事情から大々的な協 同が生じた。精神科二面では,学派と方向の分 裂がますます大きくなっていった。それらは一 つのミー般的.世界に根をおろさなかったし, またこのような世界観へも導かなかった。それ と共に,単科大学は,自らのミ人間陶冶的な。 教育的な力を失ってしまったかのように思われ た。  第二次世界大戦の破局後,人は自然に,このよ うな欠陥をひしひしと感じとった。州の最上級 の陶冶の場は,科学的業績のあらゆるきらびや かさにも拘らず,性格陶冶においては全く役に たたなかつt。シラーがr美的教育への書簡』 (,,Asthetische Briefen”)において,ミ専門家” による人間性の破壊,人間本性のこのミ断片。 を嘆いた150年前と同様に,再び大学,とりわ けいちじるしくは工業大学と経済大学におい て,単なる専門研究と生活のための学問に対す る情熱的な戦いが始まったのである。         注意すべきことには,1945年にはまだ,一般         的人間陶冶の申にその薬を再び見出し得る,と 信じていた。大学の段階では,この一般的人間         陶冶の路は,一般研究(studium generale)を 通じてひらかれるべきであろうとする,再び, 中世的な表現が誤解ないしは転釈された。とい

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うのは,studium generaleとは,中世におい て,領域を越えて主務庁から特権を与えられた 科学の育成場を意味したからである。studium generaleという表示は,一般陶冶と全然かか りあうものではなかったのである。  しかし今や,単なる専門研究が導いてきた視 野の狭さは,一般的・科学的研究によって整え られるべきであった。それによって単なる作業 人(Leistungsmensch)であるミ人間。が救わ れるべきだろう。哲学の善き用立ても再び求め られた。しかし一般研究の途上において到達せ られたのは,僅かに学生がミ折にふれて.他の 諸科学の研究からもミ知る。ぐらいのことが, せきのやまであった。言いかえると,入は科学        そのものに全然根をおろさない損傷を,知識の 単なる拡大によって救おうとしたのである。し かし少くとも,諸学芸の綜合(universitas li・ teraria)が純粋に個別科学に細分された時代に あっては,科学のみによって性格を陶冶するこ とは,可能でない。  一般研究と呼ばれた改革案から生じた意見 は,至極尊敬に値するものと認められなければ ならない。しかしこの改革:案の中には,ここで 徹頭徹尾我々の念頭を去らない同一のドイツ的 特徴が,すなわち,一般的人間性への渇望が, 実に達成され得ない形で存していた。しかし,    コ         内奥の全体性は確かに考えられるし,その意味 はいっか明らかにされなければならない。  自分の専門に閉じこもっている学生に欠けて いたし,今なお常に欠けているものは,専門以 外の諸科学への一瞥ではない。専門以外の諸 科学に軽く触れることは,やはり道楽趣味的 (dilettantisch)であるし,その結果十分にマ スターしない事柄に口を挾むことにしかならな        い。先ず第一に欠けていたのは,世間智(Welt・ kenntnis)とりわけ彼自身の限られt生活を 営んでいる世界における地位の認識である。入 ・が全体に対して如何なる責任を担うべきかを知 るためには,この場所を熟考しなければならな い。しかしそれもまた,単にミ知る,ことに留 るを許されない。第二に欠けていたのは,強 く,限られた立地と共に与えられた課題を道徳 的精神でみたし,その課題をより勇敢にやり通 させるようにする,意志エネルギーの発展であ る。性格は,講義の聴講によってではなく,文 化的理念に専念する共同社会での活動的な共働 を通じて陶冶される。それと同時に人は,自己 が生活している文化の構造を枠組から(rah− menhaft)知らなければならないし,自己のう ちに活動的な性格(Ethos)を発展させなけれ ばならない。            ゲーテの生涯を通じて,如何に彼の初期の普 遍主義的な夢想が段々と制限され,日常の要 求,つまり今ここでの(Hier und Jetzt)要求 という現実主義的な意識に屈するかを,人は 追求することができる。『ウィルヘルム・マ イスタ・一一一の遍歴時代』(”Wilhelm Meisters Wanderjahre”)は,決して到達し得ない全面 性という青ざめた人間性を超え出る,彼の成長 のあかしである。人は例えば,小説における現 実主義者ヤールノ・モンターンの, ミ汝の身を 一つの血管とせよ。人間が一般生活において善 意をもつて汝に如何なる地位を授けるであろう かを待て。。(コタ版第XIX巻,39頁)という言葉 を,このように理解しなければならない。  この発言の背後には,階級的に制約された陶 冶の枠に対する戦ではもはやなく,ゆらぎつつ ある分業社会が既にある。産業・技術的時代の 前兆が到る処で感知され得る。そこでは普遍性 はもはや正当な意味をもたない。その中で専門 家主義に躍起となって反対するのは,空しくも ある。  今日我々がこの運命におちいっていること         は,打消しがたい。とにかく内面的全体性はま だ栄え得る一ゲーテはかかる内面的全体性を 時々ミ内面的完全性。とも呼んでいる。人はま だ一人の澄人・s(ganzer Mensch)たり得 る,しかしもはや多面的な人間たり得ない。人 はまだ,自己のうちなる精神の本質的な全詮索 に生命を与えることはできるが,しかしすべて の事物をとらえることはもはや可能でない。人 は,自らが立っているところでは,常に限られ た視野をしかもたない。だが大事なことは,洞 観(Schauen)だけでなく,意志力,良心性, 専門的知識,責任などの活動である。以上が, うまくいった均等的な一般的人間陶冶.の偶

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エドゥアルト・“ノユプランガー=一般的人間陶冶?(村田) 91 像から残る善き意味である。 皿  一般的人間陶冶は, ミ多面的な力の陶冶.と いう意味において,確かに一面の正しさがあ る。それは予備教育施設の枠内で行なわれるこ とができる。  a) もちろん,人間の諸山を如何なる観点の 下に整理すべきか,という問題がまだ残ってい る。身体の民力と心意の底力とは,どうしても 区別きれなければならない。心意面では,認 識,感情,欲求という三区分が,わが国におい て採用されている。周知の如く,アリストテレ スとプラトンは他の区画を行った。因みにそこ では既に価値判断が同時に働いている。上の三 区分にはずっと前から知られた欠陥がある。と りわけ,二つの能力の一つずつに孤立した教育 学的作用が働きかけるのは望ましくないし,ま た実現もされない。知的陶冶,美的陶冶,政 治的・社会的陶冶,宗教的陶冶は,それぞれ互 いに関係しあっている。しかしこういう区分を すれば,何時でもちがった種類の意味づけが明 瞭に前面にでてくることになろう。かつまた, 経済的・技術的陶冶が共に考慮され得るという 長所をもつだろう。有用な作業の訓練が全然さ けられるような場合には,心意形成の全体性は 問題になり得ないのだろう。  ドイツ古典主義の時代には,有用性の価値は 押しのけられた。当時農夫と市民の間では,有 用性の価値が肥大して他のすべての生命価値を 圧迫する恐れがあったからである。このような 時代の情況から,いわゆるミ没目的的.陶冶が 真の人間陶冶である,という理念が生じた。こ の理念は明らかに心隔である。この省略のもと になったのは,ギムナジウムの中心的な陶冶財 である。畢意,奴隷経済は何の典型をも与え得 ないものであったので,学校でギリシャ人とロ ーマ人の経済生活を無視することができたから である。古代人が当時,生活の経済的・技術的 な面を万一度外視していtとすれば,彼らは決 して足を踏まえてこの世にこなかったであろ う。5  5) ニールゲン。ブラーケ『古代陶冶における経済  と性格』(Jtirgen Brake, Wirtschaften und Chara・  kter in der antiken Bildung.) フランクフルト。  アン。マイン,1935年。における,この問題範囲に教  えるところの多い研究。更に,ヨーゼフ・フォーク  ト『古代奴隷における人間らしさへの道』(Joseph  Vogt, Wege zur Menschlichkeit in der antiken  Sklaverei.)学長就任演説,チュービンゲン,1958  年。を参照。  このミ勧学的高貴さ。こそ,今日もはや許す ことができない。現代人は先ず第一に労働人 (Arbeitsmensch)である。大いにそうである から,我々がミ人間のうちなるより高きもの。 を早くから有効にするもろもろの対抗物を念頭 におくべき根拠が,今なお存するのである。し かも,産業的・技術的社会において,経済的並 びに技術的行為が排除されている人間像を規範 にたてることは,もはやできない。それらの行        り     為もまた大いに精神の行為だからである。道徳 的評価の際に産業的並びに技術的行為をなおざ りにしたことが, ミ経済的唯物主義.と言われ る,極端な一面性をもつた世界観に導いた。近 代経済学そのものは,最高度,精神の所産であ る。労働のヒューマニズム化(Humanisierung der Arbeit)は,現在,焦眉の教育学的課題であ る。  一般的人間陶冶が多方面的な力の陶冶と解さ れる時には,教材過多(StoffUberlastung)の 危険は軽減される。全体性(Totalit盗t)は,普 遍性(Universalitat)(総体Allheit)と幾分 異なるからである。力をめぎます形式陶冶の意 味について,W.v.フンボルトはかつてウェルカ ーにあてた書範のなかで,これ以上なくみごと に言いあらわした。すなわち,大事なことはた だ,ミ自己のうちに感知されるすべての能力が, 完全に没頭する一つの対称を一度自己のうちに 〔自己に対して〕見出したことである。ところ がその時には,どんな新しいとりくみもいわば くりかえしにすぎないだろう。。6と。この言 い廻しのなかには今日ミ範例教授及び学習. (exempiarisches Lehren und Lernen)とい う多義の概念の下に重要な場合として共に包含 されるであろう,一つの教授学的処置が同時に 特徴づけられている。  6) エトゥアルト・シュプランガー『ヴィルヘルム・  フォン・フンボルトと教諭制度の改革』135頁.参照.

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 b)一般に,この,多面的な力の陶冶の計画 と同時に,現在解決されたものとは決して考え られることのできない大きな課題が,教育学的 考察に対して立てられる。というのは,ここで 考えられた意味での形式陶冶は,常に事物内容 のためにも受容される価値のある対象に即して 行われなければならないからである。両者,す なわち,形式的陶冶価値と内容的陶冶価値とは       コ     あいまって,基礎陶冶の中に色々な陶冶財をと りこむことを正当化する。ところが人は,その 基礎陶冶を以前には一種の材料的完全性と誤解 していた。  この意味での一般的人間陶冶が実際に存在す るとすれば,それこそはある程度,時代の変化 とは,もちろんまた国民の差異とは無関係なも のでなければならないだろう。しかしながら, このようなミ固定在庫.(eiserner Bestand) は,読・書・算の外には殆ど確定されない。ユ ネスコ機構の経験によると,未開民族の初等学 校が既にこのような文学的性格をもつ必要があ るかどうかということきえ,疑わしい。先ずド ィッで一1810年頃に“一一般的人間陶冶・Nの手 ほどきをしたもろもろの陶冶財が,どのように して集められたかを吟味する時,およそ人間の 概念の定義からなされた一般陶冶の由来とは全 く異なった諸連関にでくわすであろう。その時 人は,フォルクスシューレにも,またギムナジ ウムにも,同様に,ミ貯蔵過程。(Ablagerungs・ prozess)を認めるのである。つまり,固有な 文化期はすべて,固有の陶冶財をのこしてい る。そしてそれらは,一いくたの戦を経なが ら,また折にふれてふるいおとされながら一 永久に基礎陶冶の規準のなかにとり入れられて いる。  だから,教育史もまたそれが教育案と学校施 設の歴史である限り,このように記述されなけ ればならないだろう。これをウェルナー・イェ ーガーはその古典的な三巻の著作『パイディァ」 (Werner Jaeger, Paideia.)(第一版,1934年か ら1947年まで。)においてなしとげた。彼は, いわばたましいの文化という精神形象が漸次 築きあげてきた諸層を明らかにした。ドイツの フォルクスシューレに対しては同様なことを, ウィルヘルム・ブリソトナーはその著「フォル クスシューレ思想の四起源』 (Wilhelm Flit・ ner, Die vier Quellen des Volksschulgedan− kens.)(初版,1941年。再版,ハンブルク,1947 年。)の中で行った。私は「ドイツ・フォルク スシュ 一一レの歴史のために』(,,Zur Geschichte der deutschen Volksschule”.)(ハイデルベル ク,1947年。) という書名で,それに若干の補 充,ないしはそれ以上の解明を附け加えた。  もちろん,ギムナジウムの内容も,既1こ,古 典語ギムナジウムが独占権を所有した時代に, 無変化に留ってはいない。ざっとした傾向とし ては,フリートリヒ・パウルゼンが今日まで凌 駕されることのない『古典語教授の歴史』 (Friedrich Paulsen, Geschichte ’des gelehr− ten Unterrichts.)(第三版,ルドルフ・レーマ ン編,ベルリン,1919/1921)のなかで,古代 の陶冶内容についての変化する色々な見解を詳 論したものが,今日なお価値をもつ。個々の点 においては,その書物が著者自身によって最後 に改訂されてから60年以上たつうちに,姿はか なり変ってきている。その書名は全く特徴的で ある。ギムナジウムはもはや明白なミ古典語学 校,では決してない。古典語学校としての使命 は,ラテン語の論:文が廃止きれた時(プロイセ ンでは1892年),最終的に衰えた。今日入は, 上級学校制度の歴史を, ミ学者学校から教養 入学校へNN (Von der Gelehrtenschule zur Gebildetenschule)という標題で書くことがで きよう。しかしミ教養人。とは決してミ純粋人 間。ではない。ここでもまた,特にあの三区分 以来,時間に制約された陶冶財の選択が,しば しば行われていて,相変らずなされている討論 は,人が組織上のもろもろの根拠から,余りに 広大に進みすぎる多様な基礎に恐れをなしてし りごみしなかったならば,第四,第五の,より 高い基礎陶冶の形式を,恐らくはなお作ること ができるであろうことを教えている。  およそ日本人に,ドイツの最良の古典語ギム ナジウムでミ純粋な一般的人間陶冶.を獲得せ よ,と言われた時,彼は如何なる態度をとらざ

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エドゥアルト・シュプランガー:一般的人間陶冶?(村田) 93 るを得ないかを,心に描こう! 我々の(形の 多い)古代のヒューマニズムにあたるものは, 日本人には支那に由来する儒教である。我々の キリスト教にあたるものは,彼には多く分派し たマハラや仏教である。最後に,太古の国民精 神,すなわち神道は,ドイツ国民意識以上の変 化を経過してきた。西欧では,確かにすべての 国民が,自らの独自なもろもろの精神的伝統財 を所有している。この伝統から,すべての国民 は,小学校,中学校,高等学校において ミ基 礎.を与える陶冶財を取り出すのである。この 段階の学校がまだ一定の職業に導くものでない ことを強調しようとする時にのみ,その学校を ミーハ的.ないしミー般・人間的、と言うこと ができる。だからミー般・人間的・。とは,常に ミ専門に無関係ミ(nicht−fachbezogen)なもの のみを意味する。 IV  一般的人間陶冶の理想と共に,一切の必修的 なもの(alles Verpflichtende)が教育および 学校の仕事の領域から減少しないだろうか?も し完全な人類性への高上的努力という目標でな いとすれぼ,青年には如何なる目標を置くべき だろうか?  もちろん入は,未来にもまた,完全な人類性 への高上的努力の目標と言いあらわすことがで きるだろう。ただ,それを何と理解し,また理 性的に何と理解することができるかが,大事な のである。我々ドイツ人は,教育学的根本態度 に二つの遺伝的欠陥をもつている。そして人は その欠陥を,幾世紀を通じてあとづけることが できるのである。つまり我々は,生産的諸国を 害することのさけられない,一切を包括せんと する渇望をもつているし,また,多くの智識は 確かに道徳的に善たらしめるという,主知主義 的な信仰を抱いている。我々はここで,後者の 欠陥とかかりあいたくはない。人は,道徳的性 格を,読んで身につけることができないし,ま た,講義を聴くことによっても獲得しないこと を,次第に認め始めている。しかしもともと我 々のテーマの中核は,前者である。完全性への 愛着が,ドイツ人を怠屈させている。多面的な 受容性(Empfanglichkeit)が,行動力を取去 っている。7普遍性の理想は,およそ一度も達 成可能でないということによって,既に反駁さ れている。とりわけ学校では常に有害に働いて きた。普遍性の理想は,本来,行為へとかりた てる,青少年の暴力を麻痺させるものだからで ある。  7) ウィルヘルム・マイスタPtの修業証書塾感覚  感受性)は拡大させるが,しかし麻痺させる。行為  は活気づけるが,しかし制限する於(コタ版第  XVII巻,324頁)  だから結局我々は,一面性への勇気をもと う!何としてもそれがいつまでも我々の運命 だろう。基礎陶冶の段階で大事なのは,世界と 文化へ定位づける道をひらく一つの枠組だけで ある。その枠組は,基礎学校が,8年(恐らく やがては10年)の陶冶過程を行うか,あるいは 10年置13年の陶冶過程を行うかに従って,色々 な結果を生じぎるを得ない。この基礎に続い て,例えば既に単科大学では,はっきりした職 業陶冶が来る。しかし職業の訓練,だから日常 の生活のなかではじめて,人がひかえめな意味          コ     で一般陶冶と言っていいもの,すなわち,ゆる やかに拡がって成長する世間智と生活智が獲得 される。手工業者は,大企業者,学識ある歴史 家,あるいは指導的政治家と同様に,それらを 自らの仕方で獲得する。拡がりのみが作らな い。強度もまた存在する。言いかえると,自己 自身と常に深く識り合いにならない人は,浅薄 な世間智にしか達しないのである。  では一体,基礎陶冶は民族の中に如何にして 築きあげられるべきかは,何時までも,拡大さ れる輪の体系における特に重要な問題であろ う。それに関して大切なことは,決して任意に 任せられない。ここで再三再四,良心的な吟味 が必要である。善の力は,あらゆる場合に訓練 されなければならない。永却性が何を要求し, 時間性が何を要求するかが,慎重に考慮されな ければならない。良心は永却性との関係なしに は,だから宗教的な内的生命を養うことなしに は,栄えない。しかし時代は,常に固有な課題 を立て,絶えず道徳的展開の新たな困難性をも ち来るのである。同種の討究において,教育学

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的思考が真に生産的とならなければならない。 基礎的学校に対して規範的な陶冶目標を立案す ることが,偉大な道徳的義務でさえある。その 際,確かに一つの人間像が念頭に浮んでくる。 すなわち,単に青ざめたミー般的な.人類性で は決してなく,全く具体的な,その上簡素な, しかし非常に中核のある人類性が。  申核のある像は意心的に選ばれる。人が陶冶 を処置と考えようが,あるいは処置の結果と考 えようがどちらでも同じことだが,そこに陶冶 の固有な内的法則への論及が存する。人間の正 しい形成はすべて,世界における彼の位置によ って,彼の性質によって,また彼の二二の環境 によって規定され,あらかじめ限られた中心に        の 結びつく。ペスタッチーはそれを総括して個人 リ   コ     的事情(lndividuallage)と言った。その中核 の廻りに,次第に拡がりに成長していくことの できる庭が形成されるのである。かく生活が我 々を陶冶する。我々もまたかく陶冶されるべき だろう。  基礎的学校では,先ず中核を規定することが 大切である。たとえ我々が国家的理念の花盛り の中にもはや生きるものでないとしても,初歩       コ   コ   コ        的な学校陶冶は,やはり母国語的なものと祖国        的なものを中核として選ばれなければならない       ロ   コ       ことは,自ずと理解される。両者はキリスト教       の 的なものとわかち難く結びついている。そこか ら世界への定位が行われる。人が如何程に広く 進もうとするか,また進まねばならないかは, 使われる時間に,天賦に,また時代の要求に準 ずるのである。        コ      フォルクスシューレは,その時々の郷土的な     り ものによる分化しか行われないだろう。(新た に拡大された意味での)ギムナジウムに対して は,上述の三区分が目的にかなったものとわか った。すなわち,古典語ギムナジウムは,我々 に所属する歴史的なものに拡がり,実科ギムナ ジウムは,西欧の,我々に隣接する諸民族の精 神的固有世界に拡がる。実科高等学校は,西欧 が努力してかち得た,そして現代の技術化した 労働界が土台にしている,自然科学的知識を強 調する。  三つの全学校形式において,中核はやはり母 国語的なものと祖国的なものとキリスト教的な ものである。独特な種類の上級学校をミドイツ 高等学校. (Deutsche Oberschule)という名 前で基礎付けるのは,1924年のプnイセンにお けるリヅヘルト学校改革の正しい考えではなか った。何故なら,我々を担う歴史であれ,同時 代の偉大な文化民族の精神様式であれ,あるい は,生命なき自然と生命ある自然の固有法則性 であれ,人が(まだ)自己のものでないものに 導き入れられることが,一切の陶冶に必要だか らである。自国固有のもの(das Heimische) が,偉大な古典的な産物の中に尊重されなけれ ばならない。古典的というに値するものは,時 々,良心的に改めて吟味されなければならな い。ここに,最も重要な道徳的・宗教的陶冶が 存する。拡がりに導く陶冶のミ庭.が,しかし ミーリを包括する者.の名誉欲におちいること は許されない。ここでは,以前に語られた,む       りしろ形式的,精神的な力の陶冶にとどめておこ う。この制限がいとも本気に考えられないなら ば,中心,すなわち自国固有のものとその時々 に特徴的な中核は,自らのミ人間形成的な,ヒ ューマニズム化する.力を発展させることがで きない。その時には,一切のものは単なる学習 素材に留り,青少年の心情は,完全な独自な存 在へと解放されないで,圧し潰されるのであ る。  提起された陶冶原理からなされる,単科大学 の段階に対する帰結は,ここではもはや導き出 されない。この施設が説きふれられたのは,た だこれによって,普遍的なものへの渇望におけ る誤りをくわしく説明するためであった。ここ でどのように行われるかは,次の主要理念をし っかりともっていたならば,自ずと明らかにな るだろう。すなわち,  一般的人間陶冶ではなく,一面性のみが存在 する。そうしてその一面性がそれ独自の力と高 さへ高上的陶冶されなければならない。しか し,その制約については,次の,ウィルヘルム・ マイスターの修業証書からのゲーテの言葉によ って,自らを慰めよう。 ミ人類性〔人間性〕を

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エドゥアルト・シュプランガー:一般的人間陶冶?(村田) 95 形成するものはすべての人間に外ならない。世 界をとりまとめるものはすべての力に外ならな い。ミ

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 これは,ドイツの教育雑誌『ウェスターーマン 教育学的寄稿』(Westermanns Padagogische Beitrbge, eine Zeitschrift fUr die Volksschu− le. hrsg. v. C. Schietzel, H. Sprenger, O, Wommelsdorf, A. K:ern, K. Odenbach.)の第 10巻第一号,すなわち1959年一月号の巻頭を飾 る,エドゥアルト・シュプランガー教授の同名 論文の全訳である。教授はそれを,直筆の手紙 (1959年5月8日付)と共に私に贈って下さっ た。その御好意にこたえると共に,この,示唆 に富む教授の思想を広く紹介する意味で,でき るだけ原文に忠実に訳してみた。訳者の無力の ため,教授の真意を誤り伝えているであろうこ とを恐れている。御叱正をお願いしたい。  おわりに教授からの手紙を関係部分だけ訳し ておこう。この論文の理解のために,また教授 の全教育思想の理解のためにも,極めて有益で あると思われるからである。  ミ前略 …  万人に対する基礎的学校としてのフォルクス ・シューレは,ドイツでは, ミ職業学校ミ (Berufsschule)ほどには重きをおかれており ません。職業学校とは,わよそ1920年以来,職 人の親方の許で見習いしながら,約三ケ年間若 干時間継続する義務学校です。ここで多くの新 しいことがおこっているのです。しかしまた多 くの問題もあります。職業訓練は二重の方法, つまり職場と学校という二重の方法のままにし ておくきべでしょうか? あるいはまた,申央 徒弟作業場というフランス式組織が慎重に採用 されるべきでしょうか? 到る処で没落しつつ ある手工業は,職業訓練に対してもまた,やが て産業に入って行く徒弟に対しても,いつまで も重要な位置に留るでしょうか? すべての古 典的職業(例えば,靴屋,仕立屋など)は,そ の意味を失ってしまいましたQ40年前にはまだ 考えたことのなかった他の職業が,産業・技術 的社会に対して重要なものとなってきました。 それでは,どのような基本的職業が,職業学校 の編成に対して規準的なものとして立てられる べきでしょうか?  日本にも同様な問題があると信じます。あな たがこの領域に注意を向けられますと,あなた は今や,全文化国家で逃れることのできない現 代の転換に共働することになります。私はこの 範囲で行った一つの論文(むしろ歴史的)を同 時にあなたにわ送りしましよう。

 ……後略……

参照

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