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日本感性工学会論文誌

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Academic year: 2021

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(1)

1.

緒 言 初めに,本稿でシャネルを取り上げる背景を説明する. シャネルは,言わずと知れた世界に名だたるブランドであ る.世界で常にトップレベルの評価を保ち続けている.また, 日本での人気も高く,バブル経済の崩壊にも影響を受けるこ となく,不動の人気と業績を保ち続けるスター・ブランドで ある.世界で最も高い収益を上げる巨大ブランドコングロマ リットである,

LVMH

モエヘネシー・ルイヴィトンの社長 ベルナール・アルノーは,ブランドを成功させるために必要 な特質として,「タイムレス」「モダン」「急成長」「高収益」 の

4

つを挙げている.歳月を超えて通用するのに,きわめ てモダンに感じられるような商品を生み出すことに成功すれ ば,それはスター・ブランドになり,企業に高い利益をもた らし続ける.こうしたスター・ブランドには,伝統が必要で, タイムレスという質を育てるのには,長い時間がかかる.だ からこそ誰にでもできるものではない,というアルノーの主 張は,もっともである.また,そうして築き上げたブランド の品質を維持するためには,献身的な人材に長期間にわたっ て働いてもらうことも不可欠であると彼は主張する.なぜな らば,こうした人々にはブランドの歴史と意味が骨の髄まで 染み込んでいるからである.このようなスター・ブランドの 特質には,日本の伝統的なものづくり企業における,終身雇 用の人材育成型組織や,技術蓄積型の経営手法と共通性を見 出すことができる. このようにして確立したブランドの人気や価値は,容易に 崩れることはないし,顧客からの支持や羨望を集める要因と なる.しかし,いかに強いブランドであっても,その地位に あぐらをかいていては,いずれ失速する.景気や流行といっ た外部環境の変化から受ける影響も大きい.しかし,戦略の 欠陥や外部環境への不適合もまた,失速要因となりうる.ブ ランドというものは,デザインやイメージといった,定量的 な計測が不可能な要素に依存する部分が大きいという性質ゆ えに,不確実性が高い.変化や,競争が激しい環境において, このように不確実性の高い要素に依存した経営をするのは, リスクが高いと言えるであろう.では,これからの時代に, (日本の)ものづくり企業は何を経営の基軸にすれば良いの だろうか.著者は,現在でも不動の地位を維持し続けている ブランド「シャネル」にそのヒントを見出した. 著者は,成功しているブランドの成功要因についての先行 調査で,製品やサービスの質はもとより,マーケティングや 営業手法の巧拙による部分も大きいのではないかという示唆 を得た.具体例として欧米のブランドを挙げて説明する. 日本で欧米のブランドが一般に流通し始めたのは,

1970

年代のことであった.当時,ルイ・ヴィトンやエルメス・グッ チといった欧米の一流とされるブランド製品は,それが「ブ ランドである」というだけの理由で売れた.製品の質やサー ビスといった,本来重要視されるはずの要素は二の次に考え られ,消費者は「それがブランドだから」という理由で競う ように購入した.輸入ブランド品市場と,その顧客が成熟化 する前の日本では,製品の質が,確かな技術によって支えら れているということや,デザインが優れているといったこと よりも,「高級ブランドだということを,誰が見てもわかる こと」が重要であった. しかし,数十年が経過した現代では,流通する輸入ブラン

技術経営ブランド「シャネル」に学ぶ技術とものづくり継承の手法

杉本 香七,長沢 伸也

早稲田大学ビジネススクール

THE SUCCESSION OF TECHNOLOGY AND PRODUCTION OF

THE TECHNOLOGY MANAGEMENT BRAND OF “CHANEL”

Kana SUGIMOTO and Shin’ya NAGASAWA

Waseda Business School, Waseda University, 1-6-1 Nishi-waseda, Shinjuku-ku, Tokyo 169-8050, Japan

Abstract : This study offers recommendations for the corporate management of most Japanese manufacturing companies. While it is

true that no company can avoid relying on unstable business resources, such as its company “brand,” consistent efforts over an extensive period are required to develop a powerful brand with long term prospects. However, any well-established brand can easily lose its positive image. Companies must respond appropriately to rapid changes in the market, including consumption patterns, consumer trends, and technological developments. This study focuses on a top luxury brand, Chanel, as a model company for both its sustained efforts and appropriate responses to market changes. The findings show that Chanel’s approach of achieving its targets through the application of basic business resources, such as though its corporate philosophy, human resources, organization, and the succession of technology and skills, has enabled it to maintain its position as a top luxury brand since the company was established. The conclusions of this study have implications for the management of traditional Japanese manufacturing companies.

Keywords : Technology management, Luxury brand, Production, Chanel

(2)

ドの種類も増え,販売チャネルも拡大した.消費者の経験値 が蓄積された成熟市場となった今,一部のブランドを除いて は,「それがブランドだから」という理由のみで支持される ことは少なくなってきている.長い歴史の中で蓄積された, 確固たる技術力に裏打ちされた品質や企業哲学あるいは理念 よって生み出される価値も,顧客にとっては重要になってき ているのである.さらに,絶え間ない環境変化の中でも,顧 客からの支持を獲得し続けるために,迅速な革新を,継続的 に遂げる能力を問われる時代になった.また,革新を遂げる だけでなく,提供する製品やサービスそのものに加えて,顧 客との接触時点に生じるさまざまな手段や場面―セールス窓 口(営業),広告,店舗,イベンド,ウエブサイトなど―に おいて,顧客の感性に訴えかける価値を付加することも,同 時に求められるようになっている.一言で表現すると,「今 までのやり方は通用しない」ということである. こうした状況を理解し,自社が置かれる立場や強み・弱み を把握し,身の丈に合った戦略を考えて実行することが重要 なのである.極めて標準的な手法であるが,実行できている 企業はあまりないのではないだろうか.この標準的な手法を 創業以来,着実に実行し,トップ企業の座に君臨し続けてい るのが,老舗ラグジュアリー・ブランドのシャネルである. 繁栄を続けている老舗ブランドやメーカーでは,創業者の哲 学や理念,伝統は守り,継承しつつ,変革すべき部分は大胆 に変革し,環境変化に適応することで成功している.本稿で は,代表的な成功事例として,技術経営企業としてのシャネ ルを取り上げ,技術やものづくり及びその継承手法について も分析を行う.そして,ものづくり企業全般に通用する示唆 を得ることを本稿の目的とする.なお本稿では,ラグジュア リー・ブランド産業に関する文献や,シャネルの歴史・もの づくりに関する文献等を参考に考察する.

2.

シャネルの技術とものづくりにおける伝統と革新

―香水

No.5

を事例に― 以下では,シャネルにおける香水事業の中で最も長い歴史 と,最も多い顧客支持(売上げ)を持つ香水「

No.5

」を例 に挙げ,ものづくりやマーケティングに見られる企業理念や 技術継承の手法を考察する.

2.1

 香水

No.5

誕生の歴史 シャネルの高いブランド認知および利益の源泉として,重 要な役割を担っているのが,シャネル初の香水

No.5

である.

1921

年に発表された,この香水の歴史は,ブランド創始 者であるココ・シャネルが調香師

Ernest Beaux

(以下,ボー) の元を訪れたところから始まった.ブランド創始以来,衣服 を通して常に革新を起こして来たココが,香水の世界でも革 新を起こしたいと考えたのである.まず,ココが依頼したの は,彼女のパーソナリティを表現した,何か抽象的でユニー クな香り,というものであった.

No.5

が登場する以前の香 水は,実際の花の香りを表現したものであり,ココが依頼し たような,「抽象的な香り」は,存在しなかった.既存の, スミレやバラ,オレンジの花といったフローラルベースの香 水は,ココにとって退屈なものでしかなかった.実際の花の 香りが「退屈である」という点以外にも,当時の香水には技 術的な問題があった.それは,すぐに香りが揮発してしまう, という点である.香りそのものに関する問題と,香りの持続 性に関する問題の

2

つを同時に解決する革新が創出された. ココの依頼を受けて,ボーは調香作業に取り掛かった.彼 は,グラース産のジャスミン,ローズ・ドゥ・メ,コモロ産 のイランイラン,レユニオン島のベチバー等,異国情緒あふ れる素材を混ぜた.こうして出来上がった香りは,あまりに も濃厚であったため,何かバランスを取る成分を加える必要 があった.そこでボーは,それまでの香水に用いられること のなかった合成香料アルデヒドを

3

種類加えた.アルデヒド によって,香りに強さや奥行き,持続性が生まれた.それは まさしく,ココがリクエストした「女性の香りを思い起こさ せるような花を抽象化したもの」であった.ボーは,香水に アルデヒドを加えたことについて「まるでイチゴにレモンを 加えるような感じだった」と述べたという. こうして出来上がった香りについた「

No.5

」という名前 の由来にもまた,革新が見られる.ボーは数ある試作品の中 で,最初のグループに,

1

番から

5

番を,次のグループに

20

番から

24

番の数字をふって,ココに提示した.彼女は最 初のグループの「

No.5

」と書かれたボトルを選び,それが 名前となった.それまでの香水の名前は,ロマンティックで 装飾過多な名前が多かったが,このような古い因習を嫌った ココ・シャネルはシンプルな数字を選んだ.それまでの香水 と決定的に異なるという点で革新的な試みだと言えよう. さらに,容器についても,図

1

に示すように素っ気ない シンプルな角型の容器を採用した.この容器の形は,ココが 所有していた男性用旅行化粧品からヒントを得ていると言わ れている.ファッションにおいても,本来男性用であったス タイルや素材を利用して,女性用に全く新しい形態で生まれ 変わらせてしまうシャネルの技を,ここでも垣間見ることが できる.ネーミングと同様に,凝った名前が主流であったこ の時代においては,画期的なアイデアである.このように, 誕生の過程においても,実に革新的で,従来には無い試みの (a)正面 (b)側面 図1 シャネルの香水No.5の容器 出典:シャネルHP

(3)

蓄積によって

No.5

が完成したということがわかる.

2.2

 香水

No.5

の技術・デザインに見られる伝統継承と革新 前項で述べた

No.5

誕生の歴史に見られる,革新を整理す ると,以下のようになる. • 香り:フローラルベースの単調な香りから,抽象的で複 雑な香りへ • 成分:揮発しやすい花の成分に合成香料アルデヒドを添加 • 名前:装飾過多からシンプルへ • 容器:装飾過多からシンプルへ ここから,香水

No.5

は技術力と,ココ・シャネルが持つ 革新の哲学から創出されたものであることがわかる.しか し,最初は革新的であっても,時代を経るにつれて陳腐化し てしまう例も多くある.にもかかわらず,シャネルの

No.5

は,今でも絶大な人気を誇っており,世界中のどこかで

30

秒毎に

1

本売れている,と言われている.

No.5

は,表

1

に示すように継承と変化の組み合わせによっ て,誕生から

80

年以上経過しても,未だに陳腐化していな い.理由の一つに,「見た目」の変革が挙げられるだろう.

No.5

のレシピは,発売以来一切変わっていない.言うまで もないが,名前も同様である.しかし,容器については,環 境や文化の変化に応じて,少しずつ変化させている.例えば,

1924

年には,強度と密閉性を高めるために,本体とキャッ プの縁に,特別なカット(エメラルドカット)が施された. その後,形を継承しつつ,キャップの厚みは微調整を繰り返 し,進化している.ここにも,シャネルならではの技術と品 質へのこだわりの継承が見られ,長く顧客から支持される要 因であると解釈することができる.

2.3

 香水

No.5

のマーケティング事例に見る企業哲学 発売後数年で確立した「売上げ世界一の香水」としての地 位から,過去に転落した経験を持つ.しかし,シャネルには, 「創始者であるココ・シャネルの精神や哲学を頑固に守るの と同時に,変化させ,広げていく」という習慣が,組織の隅々 まで浸透していた.これが,失墜から見事な回復を遂げさせ た要因であると推察できる.この過程と手法について,以下 で分析する.

1974

年に,

No.5

はまだ世界の香水事業におけるリーダー 的存在であった.当時,約

9

億ドルのアメリカ香水市場で, 約

4%

のシェアを占めていたが,その数字は次第に落ちて いった.数年間にわたるマネジメントの失敗によって,市場 から,「

No.5

は時代遅れで二流の香水だ」というイメージを 持たれるようになっていたためである.トップの地位を確立 しても,流通やイメージ戦略の舵取りを誤れば,ブランドの 価値は容易に失墜することの良い例である. 表 1 香水No.5の要素における継承と変化の分類 継承 変化 中身 成分(レシピ) ― 外側 ネーミング 容器 しかし,その後

No.5

はトップの座を再び取り戻した.シャ ネルが行ったのはまず,希少性と独自性を演出するために, ドラッグストアの棚から

No.5

を撤去した.そして,ワシン トンの弁護士事務所と契約をして,ロビンソン・パットマン 法(価格差別の禁止を定めたアメリカの法律)に反すること なく,アメリカのディスカウントドラッグストアから

No.5

を撤去することに成功した.結果として,

No.5

の取扱店を

18,000

から

12,000

にまで減らすことが出来た.シャネルは, シャネル製品がグレーマーケットの販売チャネルに流出しな いよう,コントロールを熱心に行った.販売チャネルの整理 を行うと同時に,数百万ドルの広告費を投じて,香水と化粧 品事業のブランドイメージ回復を図った. このような,シャネルにおける香水・化粧品事業における 伝統維持と革新における中心人物が,

Jean Hoehn Zimmer-

man

(以下,ジーン)である.ジーンは,

1978

年に,シャ ネルでのキャリアをスタートさせた.当時の化粧品事業の売 上げは,年間わずか

100

万ドル以下だったという.その後 の活躍によって

1990

年代には,ニューヨークのマンハッタ ンを拠点として活躍するマーケティング・営業部門の副社長 にまで昇格した.当時,彼女は,アメリカの専門誌“

Marketing

News

”の記事で,伝説を損なうことなく,戦略の転換に成 功した人物として,高い評価を受けている. ここで重要なのは,彼女が伝説,すなわち,ココ・シャネ ルが作り上げた価値観や商品,イメージといった大事な企業 資産を毀損することなしに革新した,という点である.ここ に,まさしく創始者ココ・シャネルが一貫してこだわり続け た「伝統的な文化や技術を守りながら革新していく」という 価値観(哲学)と,行動との一致が見られる.経営学的な表 現を用いるなら,「戦略と行動の一致」と言って差し支えな いであろう.シャネルという企業において,何か新しいこと を始めたり,古いものに変更が加えたりする時はいつでも, 徹底して社内,時には社外(顧客)とも共有されているココ の価値観(哲学)に基づいて行われる.その結果が,商品や サービス,マーケティング手段に具現化されて顧客のもとに 届けられる.ここに見られる一貫性が,シャネルの長期的な 優位性維持を可能にしている要因の一つだと考えられる. ここで,ジーンが用いた具体的なマーケティング手法を見 ていく.例えば,保守的で確立されたイメージに徹底してこ だわる,という点である.シャネルで働くデザイナーやマー ケティング担当者は,シャネルの伝統から外れた行動をしな いように,細心の注意を払っている.他の香水ブランドが, 市場の流行に合わせるために,短期間で次々と香水を発売し ても,シャネルはあくまで自社のポリシーを貫く.ジーンは, シャネルは顧客がシャネルに何を求めているかをよく理解し ており,(短期間に商品を乱発したりして)顧客を混乱させ ないのだと主張する.そして,企業として正しいこと(シャ ネル社の人間として哲学を守った行動をすること)をしてい る限り,顧客は自分たちの元に帰ってくるだろう,と言い切っ ている. 彼女は,シャネルが顧客に提供するのは,モノではなく精

(4)

神であるとした上で,その結果シャネルの広告イメージは, 一貫性のあるハイレベルを追求する姿勢を見る者に与え,顧 客に決断を(シャネルを選択する,あるいは選択しないとい う決断を)させるのだ,という持論を持つ.企業において, 営業やマーケティング部門は,いわば技術や,技術から創出 される商品を市場に伝道する役目を果たす.伝道者のトップ に継承されている,このような信念が,シャネルの方針と行 動における一貫性を与えているのである. 競合企業がやっているように,短期間で何種類もの香水を 発表し,短い間に市場から消えていく,という運命は,シャ ネルとは無縁である.古くても新鮮で,時代を超えて,かつ 新しい存在であり続けるというのは,継続的なチャレンジ だ,という信念に支えられ,(売上げ規模や単価が)小さい 製品ラインに対しても,挑戦と改善を繰り返しながら差別化 を図る努力を続けてきた.このような理念と手法で,シャネ ルは香水だけでなく,化粧品事業においてもトップの地位を 確立していった. この,

1980

年代における化粧品や他事業での成功体験を 通して,ジーンの部下たちは献身とブランドロイヤリティの 感覚を養ったとのことである.これは,個人としてではなく, 良くも悪くもチームとして成し遂げた結果によるというの が,ジーンが強調している点である.伝統にこだわりつつも, そこに革新を加え,チームで一体となってその価値観を製品 やサービスに体現するこの姿勢に,チームワークや蓄積を重 視する,日本の伝統的ものづくり企業との共通性を見出すこ とができる.

3.

シャネルの技術とものづくりにおける伝統と革新

―ショルダーバッグ「

2.55

」を事例に―

3.1

 「

2.55

(ショルダーバッグ)」誕生の歴史

1929

年にシャネルの歴史に登場し,

1955

2

月に本格的 な生産が始まった.シャネルを象徴し,代表的なアイテムで あるこのショルダーバッグは,誕生の日を記念して「

2.55

」 と名付けられている.

1929

年当時は,キルティングのポーチという形で発表さ れたが,その後改良を重ねて現代まで受け継がれ,さまざま な素材・色・形でシャネルの人気と財源を支えている.シャ ネルが最初に加えたのは,長さの調整可能なチェーンを付け てショルダーバッグにするという改良である.ショルダー バッグの起源は,兵士が戦場で使った雑嚢の一種だと言われ ている.ショルダーチェーンが無いバッグは,どちらかの腕 で抱えていなければならず,片手を使うことができない.こ の不自由なバッグに図

2

に示すようなチェーンを付けるこ とで,シャネルは女性の片腕をバッグから解放した.さらに, 革ヒモに編み込まれたチェーンは,重い荷物を入れたときに もヒモが切れないようにというシャネルのアイデアから生ま れた技術である. エレガンスと機能性を兼ね備えた

2.55

には,他にも,不 用意にバッグが開かないための折り返し,収納力のための広 いマチ,口紅を収納できる内ポケット,型崩れを防ぎ,補強 効果もあるキルティング加工などの技術や工夫が盛り込まれ ている.

3.2

 「

2.55

」の技術・デザインに見られる伝統継承と革新 前項で述べた,

2.55

誕生の歴史に見られる革新について 整理すると,以下のようになる. • 腕をバッグから開放するための肩掛け機能 • 不用意にバッグが開かないようにするための折り返し機能 • 収納力を考慮した広いマチ • 利便性を考慮した内ポケット • バッグを強化し,型崩れを防ぐためのキルティング • 重い荷物に耐えられるように,革ヒモに編み込まれた チェーン 現在,このクラシックタイプの

2.55

から派生した,さま ざまな大きさやデザインのバッグを展開している.いずれの バッグにも,ブランド創始者であるガブリエル・ボヌール・ シャネルの愛称「ココ・シャネル(

Coco Chanel

)」のイニ シアル「

C

」を二つ組み合わせて作られたブランドロゴの, 「

CC

マーク」が付けられている.ほとんどのデザインには, 金具や革などで作られた「

CC

マーク」がバッグの表面に付 けられており,人々はそれを見れば,「シャネルのバッグ」 だということがわかる. しかし,

2.55

で特筆すべきは,図

3

に示すように,「

CC

マー ク」がついていなくても,革ヒモに編み込まれたとチェーン 図2 クラシックタイプの「2.55」 2.55の,最もクラシックなタイプ.写真ではチェーンが中に収 められているが,外から引っ張ると長さの調整が可能な構造に なっている. 出典:シャネルHP 図3 2008年秋冬コレクションの「2.55」 CCマークは付いていないが,キルティングやチェーン,形など を見れば,シャネルの2.55シリーズのバッグであることがわかる. 出典:シャネルHP

(5)

やキルティングの組み合わせから,一目で「シャネルのバッ グだ」とわかるという点である.つまり,それほど強く「シャ ネルのスタイル」が,普遍的なイメージとして人々に認識さ れているのである. ここから,シャネルのものづくりは,単なるデザイン性だ けではなく,技術力と,ココ・シャネルが持つ革新の哲学か ら創出されたものであることがわかる.根底にしっかりとし た哲学や技術があるからこそ,残るべき要素は継承され,そ こに新たな要素が加えられることで,目新しさや利便性の追 求も同時に果たしていると言えるであろう.

3.3

 「

2.55

」のマーケティング事例に見る企業哲学 シャネルは,徹底して最高級で高品質なものづくりにこだ わっており,ブランドとしての位置づけは「ラグジュアリー」 である.しかし,ラグジュアリー・ブランドはマスの概念と, 相反するものだと一般的には理解されている. ところが,山田(

2008

)によれば,ココ・シャネルは高 級ファッションにおけるマスの概念を容認し,それを逆手に 取る戦略を用いている.他の高級仕立て服デザイナー達と異 なり,マス・マーケットの存在を容認することで,かえって 少量生産である自分たちの価値を高めるという逆説の戦略に 成功したという指摘が妥当であることは,以下に示す

2.55

のマーケティング事例からわかる. フランスのジャーナリスト,

Dana Thomas

2007

)は, ほとんどのラグジュアリー・ブランドでは,バッグの利益幅 がおよそ原価の

10

倍から

12

倍という驚異的な大きさと考 えられることを指摘した上で,

1990

年代後半からハンドバッ グや,皮小物製品が,ラグジュアリー・ブランドの入門商品 (

entry item

)として香水と同様に重要になってきているとし ている.バッグは,服と異なり購入者サイズも必要なければ 試着も要らない.香水よりも簡単に作ることができ,最も売 りやすいラグジュアリー・ファッションの製品であるという 彼女の指摘は,的確に事実を表している.

Thomas

のような部外者の評価と,ブランド内部の評価に は,一致が見られる.

1983

年からシャネルのアートディレ クターを務めるカール・ラガーフェルドも,ラグジュアリー・ ブランドのバッグは誰もが手の届くアイテムであると認めて いる.

2009

年現在,日本の直営店販売価格で,平均

20

万円 以上するシャネルバッグを,誰もが買えるのかどうかは別に して,ブランドにとって,バッグを商品ラインに持つことが, ビジネス上重要であるのは間違いない.公にされているデー タではないが,シャネルと同じくフランスを代表するラグ ジュアリー・ブランドのルイ・ヴィトンでも,東京の店舗に おける売上げの

40%

1

階,すなわち,ブランドのアイコン・ バッグや革小物を売るフロアが占めているという話もある. この,バッグ優勢の予兆は,

1980

年代のアメリカで既に 見られた.女性の社会進出が進み,職場に行く時も使える, 男性のブリーフケースの役割に相当するようなバッグを,女 性たちが必要とするようになった.しかも,男性が使うよう なものではなく,派手でなくクラシックな感じのものが求め られていた.上質な革製バッグは,高い投資だと考えられて おり,すぐに流行遅れになってしまうようなデザインは敬遠 された.そこで,シャネルの重役たちは発売してから約

30

年経た

2.55

を全面的に押し出そうと考えた.当時の

CEO

だっ た

Arie Kopelman

は,バッグのキャンペーンを大々的に行 うことを決め,それまで香水と化粧品以外にはほとんど行っ ていなかった広告を行い,同時に製品ラインの拡充を図っ た.カール・ラガーフェルドが,

2.55

の本質に新たな解釈 とアレンジを加えたデザインは多くのファンを生み出し, シャネルのバッグ事業は,急成長した.バッグだけにおさま らず,カール・ラガーフェルドは,

1986

年に

2.55

にインス パイアされた高級既製服のガウンを発表している. 香水にしても,バッグにしても,シャネルを代表する,技 術や工夫が集約されて創出されたアイテムがもたらす高い利 益は,長期開発案件の資金源となり,シャネルのコアコンピ タンスの一つである技術開発や,イメージ作りに投資され る.このサイクルの継続が,シャネルのものづくりにおける 確固たる優位性創出の源となっている.たとえば化粧品の開 発についても,他ブランドが短期間で開発し,発売するとこ ろを,シャネルでは十分に時間をかけているという.仮に現 場が業績を上げようとして,短期間で開発をし,品質が十分 でないうちに発売しようとしても,他社であれば推奨される かもしれないが,シャネルでは決して受け入れられないだろ う.それは,ココ・シャネルの価値観に反しているからであ る.シャネルが貫く方針は,短期的利益を追いかけるような 経営手法とは一線を画す.長期的な視野が必要だが,これを 実現させるためには,育成に値する技術や人,そして資金力 が欠かせない.

4.

結 言 最後に,これまでに得られた考察結果を用いて,シャネル が持つ,技術経営ブランドとしての優位性を整理し,日本の ものづくり企業への示唆とする. これまでの考察結果から導き出された,シャネルの優位性 をまとめたものが,以下の

2

点である. • 経営やものづくりにおいて,一貫性のある価値観を維持 している • 守られている価値観に基づいて,継続的に革新を行って いる 日本法人のシャネル株式会社で代表取締役を務めるリ シャール・コラスの発言には,上述したシャネルの企業体勢 が集約されている. 「シャネルの創始者であるココ・シャネルは,ひとつのス タイルを築きました.そのスタイルが,ブランドになり,そ のブランドは,世界中で,価値と名前が知られるようになり ました.その名前を持つすべてのクリエイションは,一貫性 のある価値を持ち続けています.ブランドシャネルの現在と 未来を語るとき,ブランドのルーツである創始者ココ・シャ

(6)

ネルのスピリットと,彼女の様々な革新の歴史なくしては, 正しい伝達はできません.」[青山学院大学公開講座における 講演「ファッション:ビジネスとクリエイティビティ」,

2007

11

7

日] このように,シャネルは,確固たる哲学と戦略を背景にしっ かりと持ったビジネス展開をしており,しかも,哲学に基づ いて戦略を継続的に革新している.これが,成功の要因であ ると考えられる.取り立てて奇抜な手法ではなく,極めてオー ソドックスな内容である.他の企業が真似られないような次 元ではない. しかしこの手法を実行するのには時間と忍耐が必要である こと,技術や人,哲学は短期間で簡単に構築することはでき ない企業価値であることを,忘れてはならないだろう.シャ ネルで行われているように,自社にとってのコア=強みの源 泉を十分に認識し,あらゆる行動に一貫させることが,最も 重要なのである. 以上,シャネルを事例に,ブランドの基盤であるものづく り力や技術力の継承手法および顧客への訴求力について考察 を行い,結果からいくつかの示唆を得た. 参 考 文 献

[1] Berman, Phyllis, and Sawaya Zina: The Billionaires Be-hind Chanel, Forbes, April, pp.104-108, 1989

[2] Oliver, Joyce Ann: She Innovates Without Destroying a Legend, Marketing News, December, p.10, 1990

[3] Thomas, Dana: DELUXE: How Luxury Lost Its Luster, The Penguin Press, 2007

[4]アルノー,ベルナール:LVMH スター・ブランドの育成法, ハーバード・ビジネス・レビュー,ダイヤモンド社,2002 年3月号,pp.80-89,2002 [5]コラス,リシャール:ファッション−ビジネスとクリエイ ティビティ−,青山学院大学公開講座講演,2007 [6]長沢伸也:ブランド帝国の素顔LVMH モエヘネシー・ル イヴィトン,日本経済新聞社,2002 [7]長沢伸也編著,大泉賢治・前田和昭共著:ルイ・ヴィトン の法則−最強のブランド戦略−,東洋経済新報社,2007 [8]ハイ・ファッション編集部:カール・ラガーフェルドが継 承する,ココ・シャネルのモダニティ,High Fashion,文 化出版局,2008年2月号,pp.18-44,2008 [9]秦郷次郎:私的ブランド論−ルイ・ヴィトンと出会って−, 日本経済新聞社,2006 [10]ボット,ダニエル監修,高橋真理子訳:CHANEL,講談社, 2007 [11]山口昌子:シャネルの真実,人文書院,2002 [12]山田登世子:シャネル−最強ブランドの秘密−,朝日新聞 社,2008 参考

Web

サイト

[1] Beauty Packaging: CHANEL 2004 Company of the year Excellence in Packaging,

http://www.beautypackaging.com/

[2] Perfume Projects: Lightyears Collection Ernest Beaux, http://www.perfumeprojects.com/

[3] Reference for business.com: History of Chanel, http://www.referenceforbusiness.com/ [4]シャネルHP,http://www.chanel.com/ 杉本 香七(学生会員) 1997年東洋英和女学院大学社会科学部社会科 学科卒業.専門商社,外資系IT企業等を経て, 「スギーズ式米語発音教授法」発音指導者お よび英語学習アドバイザー,教材企画・開発 を担当,現在に至る.2007年9月早稲田大学 ビジネススクール(大学院商学研究科MBAプログラム)入学, 現在在学中.専門はラグジュアリーブランド・マネジメント. 長沢 伸也(正会員) 1980年早稲田大学大学院理工学研究科博士 前期課程修了.立命館大学経営学部教授など を経て,2003年早稲田大学ビジネススクー ル教授,現在に至る.仏ESSECビジネスス クール客員教授.工学博士.専門は感性工学, 商品デザインマネジメント論,環境ビジネス.日本感性工学会 (前・副会長),商品開発・管理学会(理事)などの会員.経済 産業省・環境省委託各種委員会委員長・委員を歴任.著書・共著・ 執筆分担60冊.

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ASTM E2500-07 ISPE は、2005 年初頭、FDA から奨励され、設備や施設が意図された使用に適しているこ

層の積年の思いがここに表出しているようにも思われる︒日本の東アジア大国コンサート構想は︑

彼らの九十パーセントが日本で生まれ育った二世三世であるということである︒このように長期間にわたって外国に

に至ったことである︒

表 2.1-1 に米国の NRC に承認された AOO,ATWS,安定性,LOCA に関する主な LTR を示す。No.1 から No.5 は AOO または ATWS に関する LTR を,No.6 から No.9 は安定性に 関する