(表紙題字・陳舜臣) 大連は中国東北部遼寧省に位置し 、瀋陽 市に次ぐ大都市で 、人口は六二三万人であ る 。仙台市と同緯度にあり 、日本では司馬 遼太郎の ﹃坂の上の雲﹄の舞台として有名 である 。文学作品では清岡卓行が ﹃アカシ ヤの大連﹄で芥川賞を受賞している 。大連 には十八の大学と国立 、公立 、私立の中高 有名校が多いので 、文教都市の一面も特色 といえる。 新華書店 ︵約八〇〇坪︶は大連駅から五 分位の所にあり 、多くのお客様を集めてい る 。店舗は四層で充実している 。中でも三 階の学参売場の広いこと 、陳列量の多いこ とに驚嘆した 。初中試巻 、中学課本 、日語 学習 、高中試巻 、大学英語 、考研図書 、保 育健身と分類されていた。 二階には旧書コーナー ︵約五十坪︶ があっ た 。これはこの店の古書部である 。内容は 古典、古典名作、歴史書が中心であった。 四階はこどもの本、 こどもの広場である。 二階は専門書 、芸術 、小説類 、音楽書 、 実用書等。 一階はビジネス 、法律 、経済 、歴史 、哲 学書等。 文学書コーナーに盗墓小説と都市小説 コーナーがあった 。日本にはない分類であ る 。現地の人に聞いたところ 、前者は墓を 舞台にしたミステリーで人気があるとい う 。 後者は都会の O L やサラリーマンの恋 愛心理描写小説で 、やはり人気が高いとい う 。この書棚の前には若い女性が多く 、選 書していた。
世界の本屋さん
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vol.45
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中国・大連
新華書店
ノセ事務所 能勢 仁9 月
世界の本屋さん 45 ﹁書標﹂歳時記 9月 1 著書を語る○
521 ﹁ぼくの ︿那覇まち﹀放浪記﹂ 新城 和博 2 書標・書評 ﹃イタリアのしっぽ﹄ほか 4 特集 死者との邂逅 6 狂気塾入門 10 今月のおすすめ 社 会 科 学 16 コ ン ピ ュ ー タ 18 自 然 科 学 19 医 学 書 20 人 文 科 学 21 文 学 ・ 文 芸 22 文 庫 ・ 新 書 23 芸 術 24 実 用 書 25 地 図 ・ 旅 行 書 25 語 学 ・ 辞 典 26 児 童 書 27 読者から 28 インフォメーション 30 本屋うらばなし ﹁ POP 作りの話﹂ ※表示価格はすべて本体価格です。 大伴家持が晩蝉の歌一首 隠りのみ 居ればいぶせみ 慰むと 出で立ち聞けば 来鳴くひぐらし ﹃新潮日本古典集成 萬葉集 二﹄ ( 新潮社︶より著
書
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語
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︱︱○
521 那覇に生まれて 、 ずっとこの街で暮らしている 。ほぼ半 世紀である。 その間に沖縄は、 アメリカ世 からヤマトぬ世 に、 琉球政府から沖縄県庁に 、つまり一九四五年沖縄戦の後 、 二十七年間にわたり米軍統治下だったこの島々が四十二年 前に ﹁日本復帰﹂して 、喜んだり悔やんだり退屈したり異 議申し立てしている今日まで 、この街でこっそりと生活し てきた。今は ﹁なは﹂ と言うが、 百年ちょっと前までは ﹁なー ふぁ ﹂と言ったそうな 。五 、六百年くらい前 、つまり琉球王 国の黎明期には ﹁うきしま﹂とよばれる 、珊瑚礁の切れ間 に漂う小島だったらしい。 そんな街にある出版社で編集者として 、沖縄の本をつ くってきた 。二十代から三十代にかけては 、 一九九〇年代 の沖縄の生活文化をサブカルチャー的視点で切り取る企画 を出し 、コラム雑誌を編集した 。そしてそれらを ﹁沖縄県 産本﹂と名乗るようにしていた 。生まれも育ちも沖縄の本 です 、というくらいの意味だ 。いま考えると若気の至り 、 と思わないでもないが、まぁしかたない。 そうこうしているうちに 、気がついたら僕は 、ほとんど 旅というものをしていないヒトになっていた。 そのかわり、 ということでもないが 、時の流れを背にして 、後ろをむい て 、 近くて遠くにあるものに 、目がいくようになった 。そ れは街の風景である 。僕がずっと暮らしてきた那覇の風景 が 、気がつくとずいぶん変わっていた 。それを僕は ﹁街角 の消滅﹂と名付けた 。馴染みの本屋や喫茶店 、電気屋さん に雑貨屋さんが 、いつのまにか道路拡張やら新たな駐車場 やらになったりしている 。日本全国各地の地方都市で見ら れる光景かもしれないが 、那覇の場合 、 この十年でどどっ と開発の流れがやってきたようだ 。ヤマト政府の政策の余 波が南の果てには少し遅れてやってくるみたい。 失われた街角 、そこがかつて海岸だったことは知ってい るけれど 、どんな店があったかは意外にすぐに忘れてしま うものだ 。いったいこれはどうゆうことだろう 。それで 、 この慣れ親しんだ那覇のご近所を旅してみようと思いたっ たのである。 最初は、 記憶の中の那覇の地図を思い浮かべて時を遡り、 今の風景と重ね合わせて 、街の風景の移り変わりにどんな﹃ぼくの︿那覇まち﹀放浪記﹄
新城
和博
『ぼくの〈那覇まち〉 放浪記』 ボーダーインク・1,600 円 意味があるのか、 ないのか、 確かめてみた。 簡単に言うと ﹁散 歩﹂なのだが 、最近は ﹁ まち歩き﹂と言うと話が早い 。そ こで感じたのは 、戦後のアメリカ世から復帰後のヤマト世 へと変化 ・消滅していく風景のグラデーションだった 。少 し寂しい気持ちになって、 そこでさらに気がついた。実は、 那覇という街は 、戦前と戦後ではまったく違う町なのであ る 。﹁街﹂と言ったり 、﹁町﹂と言ったりしているが 、まさ にそんな感じで 、沖縄戦によって 、かつての中心の町は消 滅し 、戦後 、自然発生的に新たな場所に市街地が形成され たのである 。那覇を訪れる観光客のほとんどは知らないだ ろうし 、那覇市民のほとんどは気にしちゃいないのだが 。 町は一瞬にして消滅するし、時間をかけて生まれ変わる。 そう気づいて僕は 、戦前の那覇の民俗地図や琉球王朝末 期の地図を手にして 、かつて ﹁うきしま﹂と呼ばれた頃か ら歴史を重ねていた港町 ・交易都市 ﹁なーふぁ ﹂の痕跡を 探す旅に出たのである。 今度は折りたたみ自転車を漕いで、 川をわたり、海側の町へ。 戦前の那覇は 、琉球王朝の面影を残しつつも 、明治 ・大 正の頃のモダンなコンクリートの建物にデパートや芝居小 屋に映画館商店街が建ち並び、 町の中心を路面電車が走り、 そのそばにはガジュマルに囲まれた ﹁うふまち﹂と呼ばれ る露天の大市場を抱えていた。 今はない町を旅するために、 ﹃南島風土記﹄ ︵東恩納寛惇著︶という戦前執筆された地名 辞典をガイドブック代わりにした 。それは今ある観光ガイ ドの百倍おもしろいのだが 、そこで綴られている那覇の地 名のほとんどは戦争で消滅してしまった 。徹底的にやられ てしまったのだ 。しかし 、微かな地形の傾斜 、 道のわずか なゆがみ 、崖の位置や 、奇跡的に残った石門などを手かが りにして 、古の地図を見ながらずっとずっとシャーシャー 自転車を漕いでいたら 、 不思議なことに失われた町 ﹁ なー ふぁ ﹂の面影が 、少しずつ少しずつ浮かびあがってきた 。 他人はそれを ﹁妄想﹂と呼ぶわけだが 、自分の生まれ育っ たまちが 、まるで初めて訪れたような感覚になるのは快感 だった。 この追憶と妄想のまち歩き ・自転車散歩のことをまとめ たのが ﹃ぼくの ︿那覇まち﹀放浪記﹄なのだが 、この ︿那 覇まち﹀とは 、こうしたいろんな歴史が重なり合って見え ていく 、僕の心の中の ︿まち﹀なのである 。ちなみにこの 本ももちろん ﹁沖縄県産本﹂なのです 。那覇にお越しの際 にはウラガイドとして手にとって欲しい、です。
﹃イタリアのしっぽ﹄
内田洋子 集英社・一五〇〇円 女性誌を読むのが好きだ 。きれいな人 、 センスの良いインテリアを眺めて素敵 ! と思う 、 その時間が楽しい 。イタリア在 住三十年の著者によるエッセイ集に登場 するのは 、まさに雑誌の中にいるような 、 素敵なライフスタイルを持つイタリア人 たちである 。明るい日射しの国で確固と し た ス タ イ ル を 確 立 し た 大 人 は と て も かっこよく見える 。けれども ﹁スタイル を持つ﹂ということは、 取捨選択をし、 そ のスタイルに入らなかったものがあり、 時 にそれは家族であることもある。 獣医のルイザは仕事と引き換えに家族 を失い 、 犬を飼う 。島で過去の成功にと らわれるマリーノはタコのアルベルトと 暮らし 、彫刻家のエンリコは息子が自分 の代わりにと置いて行った犬を看取り、 山 の上で生まれ育つアリーチェは馬に運ば れ恋を成就させる。 そして著者と人びとの出会い自体が 、 パートナーとなった飼い犬が運んできた ものであり 、著者自身の近況や暮らしも 正直に語られる。 ﹁気ままな暮らしにやっと返ったという のに 、この漠とした気分はどうだろう 。切 なさと不安が 、しんしんと忍び寄ってく る。 ﹂ 一生懸命生きたら、 そばに残ったのは、 しっぽを持つ生きものだけだった 。冷静な 視線と同じ土地に暮らす隣人への愛情が文 章にあふれ 、エッセイ集というより 、まる で連作短篇小説を読んでいるよう。 異国の景色の中の 、癒しと孤独のコン トラストが余韻として長く残る。 ︵尚︶﹃現代暴力論
﹁あばれる力﹂を取り戻す﹄
栗原 康著 角川新書・八〇〇円 国家は、 ある部族が他の部族を征服、 奴 隷化して収奪することによって成立した 。 だから、 国家の源には必ず暴力があり、 国 家が存続する限り 、﹁征服者/奴隷﹂の図 式は維持される。 度重なる増税や借金まみれの人生を押し つけられ 、それでも国家の暴力に気づかな い 、あるいは甘受してしまうのは 、﹁奴隷﹂ たちが見事に飼いならされているからだ 。 原発再稼働に反対する官邸前デモに参加 、 警察官ともみ合った栗原は 、デモ主催者と 思しき女性から 、﹁おまわりさんのいうこ とをきいてください﹂ と咎められたという。 ﹁飼いならし﹂のために国家が利用する のは 、絶対的な恐怖である 。例えば 、世 界的な核保有や原子力発電は 、それが危 険であればあるほど有効な支配装置とな る 。 実際の攻撃 ・事故によるリスクは全 く計算不能だから 、人びとはいまある社 会秩序に全面的に服従しながら 、核シェ ルターの中で ﹁ただ生きている﹂ ことしか、 出来ないのだ 。こうして ﹁征服者/奴隷﹂ の図式は亢進する。 大杉栄は 、﹁生きるとは爆弾みたいなも のだ﹂と言った 。 大杉の ﹁生きる﹂は単 に﹁生き伸びる﹂ ことではない。 むしろ、 ﹁い かに死ぬか﹂にも自覚的な ﹁生きる﹂な のである。 但し 、それは 、﹁死を恐れぬ﹂ことと同 義ではない 。たとえばテロリズムは 、自 らの犠牲を何らかの目的と釣り合わせよ うとしがちだ 、と栗原は指摘する 。重要 なのは ﹁あばれる力﹂を爆発させ 、生を 拡充することなのだ。 ﹁生は 、永久に解決のない闘い﹂ ︵大杉︶ なのだから。 ︵フ︶﹃不思議というには地味な話﹄
近藤聡乃著 ナナロク社・一六〇〇円 ニューヨーク在住の現代アーティスト 、 近藤聡乃のエッセイ集。 日常生活でなんとなく不思議に思うこ と 、 何気なくしてしまっていること 、 特 に人に話すようなことでもないようなこ と 、ひとつひとつを小さい頃の経験など を通してとても丁寧に考え 、綴られてい る。書籍のタイトルとなっている通り、 不 思議なことは不思議なのだが不思議とい うにはたしかに地味な話ばかりだ。 〝夜道ですれ違ったら一番怖いものは何 か〟という話がある 。作者が夜道を歩い ているとき 、ついこの問いについて考え てしまうとのことだ 。この答えとして人 としてありえないサイズの ﹁二回りほど 小さい自分﹂が不動の一位であると答え ている 。 そして 、この答えは作者にとっ てとても味わい深い答えであると書かれ ている 。この問いと答え 、そして 〝味わ い深い〟という表現がおもしろい 。特に この〝味わい深い〟がとても印象的で、 ふ わふわとした近藤聡乃の魅力の端を捉え たような気がしてしまう 。また 、〝夜道で すれ違ったら一番怖いものは何かと夜道 で考えている〟というところにも漠然と 作者らしさを感じずにはいられない。 はじめとおわりには漫画が収録されてお り 、話と話の合間にはその話と関連してい るイラストがある 。少し妖しくて怖いよう な、 懐かしいようなイラストが素敵である。 毎日ポロポロと零してしまっている重要 だったり重要じゃなかったりする日常のカ ケラを拾い集めて大切にしようと思える 、 宝物にしたくなるそんな本だ。 ︵ね︶﹃暴力階級とは何か
情勢下の政治哲学2 011 ︲ 2 0 1 5﹄
廣瀬 純著 航思社・二三〇〇円 ﹁資本主義の終焉﹂を目の当たりにした 今日の情勢下で 、﹁暴力﹂は様々な別名で 使用される 。ここでは 、﹁暴力﹂から直ち に想起されるであろう人物がソレルやベ ンヤミンであるにもかかわらず 、﹁平井玄 /フーコー/ベンヤミン﹂と題された章 でも 、直接ベンヤミンが論じられること はない 。それは本書が 、﹃暴力批判論﹄に おける法措定の神話的暴力の批判や 、法 に規定されない純粋な暴力に可能性を見 出すという事から遠く離れて 、﹁暴力﹂を 論じようとする試みだからである。 ここでの ﹁暴力﹂ とは、 マルグリット ・ デ ュ ラスの ﹁生の発露﹂としての ﹁暴力階級﹂ のことである 。それは 、原発事故以降の悲 惨な政治に対しての反対運動のようなもの ではなく 、 バイトテロやヘイトスピーチ 、 著名人脅迫 、イスラーム国への参加 、無差 別殺人など ﹁善/悪﹂の線引きなきスキャ ンダラスな事件が引き起こす影響のことだ と廣瀬はいう 。資本のもとに社会全体が包 摂されている閉塞状況では 、恥辱を感じた 個人が発狂する自由を見出し 、﹁暴力﹂が 噴出する 。﹁絶望﹂のあとにくる事件は 、 権力に対する根底的な異議申し立てであ り 、それは分離︱結合を繰り返す 。事件は ﹁暴力階級﹂の到来を告げている。 敵はあくまでも ﹁権力の網の目﹂ ︵フー コー ︶を作り出す暴力諸装置であり 、自由 を奪う ﹁パノプティコン﹂ ︵同︶的な抑圧 装置であった 。それらに抵抗する手段とし ての ﹁暴力﹂ 、そういった意味において 、 一度は遠く離れたはずのベンヤミンの ﹁暴 力﹂論に急接近しているのも偶然ではない だろう 。﹁暴力﹂に抗うのは純粋な ﹁暴力﹂ でしかない 。両者とも 、蜂起を促している のではなく 、決起せざるを得ない状況それ 自体に警鐘を鳴らしている。 ︵涼︶今月の﹁愛書家の楽園﹂は、道家英穂 ﹃ 死者との邂逅︱ ︱ 西欧文学は ︿ 死﹀を どうとらえたか ﹄︵作品社・二四〇〇円︶ を中心に、同書で取り上げられた文学作 品、参照されているさまざまな人文書を 展示するフェアを行ないます。 ︽本書は 、西欧文学史に残る作品に繰 り返し描かれてきた、死別の場面や、死 者と思いがけず再会する場面に着目し 、 そこを中心に、作品に表された死生観を 先行作品との違いや時代思潮との関連に おいて時代順に考察したものである。 ︾ 著者の道家氏は、東京大学大学院博士 課程在学中にダンテ﹃神曲﹄の読書会に 参加したことをきっかけに死生観の変遷 をテーマにした研究をはじめ、一九九三 年には本書第一章、第二章の原形となる 最初の論文を発表しています。この本は 一九五八年生まれの道家氏の初めての単 著ですが 、その二十余年の 、あるいは 三十年になんなんとする長い年月の、ま さに集大成と言えるでしょう。 この﹃死者との邂逅﹄が、文学史上の 名作に現われる死生観やその背景となっ た時代状況をどのように分析しているの か、同書からの抜粋で見ていくことにし ましょう。 ホメロス、 松平千秋訳﹃ オデュッセイア ﹄ ︵全二巻、岩波文 庫・上 九〇〇円、下 八四〇円︶ ︽古代ギリシアの詩人ホメロスの作と される叙事詩 ﹃オデュッセイア﹄では 、 トロイア戦争を戦い終えたギリシアの英 雄オデュッセウスが、故郷イタケに戻る までに経験する、不思議な冒険の数々が 歌われる。その冒険のひとつに、冥府ハ デスを訪れる話がある。オデュッセウス は魔法をあやつる女神キルケの指示に従 い 、盲目の予言者テイレシアスの霊に 会って自分の将来の運命を教えてもらう ために、生きたまま冥界に行く。このエ ピソードに、我々は当時の死生観をうか がうことができる。 ︾ ウェルギリウス、杉本正俊訳﹃ アエネー イス ﹄︵新評論・五五〇〇円︶ ︽古代ローマの詩人ウェルギリウスは、 ホメロスから強い影響を受けながら、叙 事詩﹃アエネーイス﹄を書いた。この作 品の主人公アエネーアスは、ギリシアの 敵、トロイアの英雄である。トロイアが
陥落して、国を追われたアエネーアスの 一行は、辛酸をなめながら地中海をさま ようが、ローマ建国の使命を担って、や がて定めの地であるイタリアにたどり着 く。そこで先住民と戦い、最後は一騎打 ちでいくさに勝利を収める。この﹃アエ ネーイス﹄にも、その中ほどの第六巻に 冥界下りのエピソードがあり、そこには ﹃オデュッセイア﹄の影響と共に 、新し い独自の死生観が見られる。浄罪と輪廻 転生の考え方が見られることや、冥界の なかにエリュシオン︵極楽︶とタルタロ ス︵地獄︶が存在することがその特徴と 言えよう。 ︾ ダンテ 、 原基晶訳 ﹃ 神曲 ﹄︵ 全 三 巻、 講 談社学術文庫・地獄篇一四三〇円、煉 獄篇 一四五〇円、天国篇 一四八〇円︶ ︽﹃神曲﹄の思想的基盤をなすのは中世 西ヨーロッパのキリスト教的宇宙観・死 生観である 。ダンテは古典古代の文学 、 わけても﹃アエネーイス﹄を強く意識し て﹃神曲﹄を書いたが、そこには叙事詩 の伝統を受け継ごうとすると共に、キリ スト教の立場から古代ギリシア・ローマ の世界観を修正しようとする意図を見て とることができる。また﹃オデュッセイ ア﹄や﹃アエネーイス﹄においての来世 への旅は、主人公が経験するさまざまな 冒険のなかのひとつのエピソードに過ぎ なかった 。これに対し 、﹃神曲﹄は全篇 が来世への旅の記録である。 ︾ シェイクスピア、小田島雄志訳﹃ シェイ クスピア全集 23 ハムレット ﹄︵白水 U ブックス・九〇〇円︶ ︽イギリスの宗教改革は葬儀を簡略化 し 、﹁とりなし﹂の儀式を廃止した 。だ がそれによってすぐに国教会の考えるカ トリック的﹁迷信﹂を消し去ることは簡 単にはできなかった ︵⋮⋮︶ 。一般の人々 の意識から煉獄の概念がなくなっても 、 やはり人々は近親者の死後の運命に強い 関心を持ち続けた。むしろ儀式が簡略化 されたために、人々はかえって死別の悲 しみを自己の内面において引き受けなく てはならなくなったのである 。︵ ⋮ ⋮ ︶ 死は終わりであり、死後の世界は未知で あるという認識、それにも関わらず、愛 する人への思いは死を隔てても断ち切れ ないという心情が﹃ハムレット﹄には盛 り込まれている。それは復讐劇という本 来単純な枠組みとは釣り合わず、それゆ えに﹃ハムレット﹄では、情緒が客観的 相関物の器からあふれ出てしまうのだ。 ︾ ディケンズ 、村岡花子訳 ﹃ クリスマス ・ キャロル ﹄︵新潮文庫・四〇〇円︶ ︽﹃クリスマス・キャロル﹄とは、守銭 奴スクルージのもとに、かつての共同経 営者マーリーの亡霊が現れ、ついでマー リーが遣わした過去、現在、未来の三人 のクリスマスの霊が、それぞれスクルー ジを時空の旅に連れて行く。そしてその 結果、この偏屈な老人が改心するという 物語である。発表当時から大変な評判を 呼んだこの作品は、クリスマスの楽しく て心温まる雰囲気を体現した話として 、 現在も広く親しまれている。/しかしな がらこの﹃クリスマス・キャロル﹄の冒 頭では、 ﹁死んでいる﹂ ︵ d ea d ︶とい う言葉が執拗に繰り返される 。︵ ⋮ ⋮ ︶ スクルージもマーリーが死んだことをよ く承知していたと語り手は強調した上 で 、﹃ハムレット﹄を引き合いに出す 。 ︵⋮⋮︶ ﹃ハムレット﹄の亡霊への言及に より、これから始まる物語にマーリーが 亡霊となって出てくることが示唆され
︽カーマイケル氏は詩人であり 、無口 だが人の心の内が読めるらしい謎めいた 老人で 、預言者を思わせる人物である 。 カーマイケル氏がウェルギリウスを読ん でいたことと、ラムジー夫人の死と内容 的なつながりはない。またカーマイケル 氏がウェルギリウスの何を読んでいたか ということも全く触れられていない。だ が第一章と第二章の末尾で彼がウェルギ リウスを読んでいたことを繰り返し述 べ 、さらに第三章の終わりで突然ラム ジー夫人の死を告げるという書き方は 、 両者の間になんらかの関連があることを 示唆しているように思われる。 ︾ ジェイムズ・ジョイス、丸谷才一訳﹃ 若 い藝術家の肖像 ﹄︵集英社・三八〇〇円︶ ジェイムズ ・ジョイス 、丸谷才一訳 ﹃ ユ リシーズ ﹄︵全四巻、集英社文庫 ・ 第一巻 一一五〇円、 第二巻∼第四巻 一一四三円︶ ︽スティーヴンは 、ジョイス自身と同 じ、イエズス会系のクロンゴウズ・ウッ ド校とベルヴェディア校に学び、厳格な 宗教教育を受ける。そのベルヴェディア 校時代、 思春期を迎えたスティーヴンは、 心のなかに湧き起こる欲情に悩まされ る。ある日、 彼は街をさまよった挙げ句、 売春宿に入って女を知る。以来、罪の意 識にわななきながらも、繰り返し足を運 ぶようになる。/そんなとき、学校で静 修を受けることになる。静修とは、イグ ナティウス ・デ ・ロヨラによる ﹃霊操﹄ 以来、広く行われるようになった精神修 養で、一定の期間、俗世間を離れ、講話 を聞いて、祈りや黙想をして過ごすもの である 。﹃肖像﹄で 、静修を施すアーノ ル神父は 、自分がこれから数日間にわ たって話すのは、 ﹁四終﹂すなわち﹁死 ・ 審判・地獄・天国﹂についてであると言 う。アーノル神父からまず、死と審判に ついての話を聞くスティーヴンは、神父 の説くままに自分の最期を思い描く。そ れは、 ︵⋮⋮︶ 売春宿に通うようになって、 自らを罪深い人間と感じていたスティー ヴンにとっては、大変切実で恐ろしい体 験だった。 ︾ ︽﹃ユリシーズ﹄は 、ホメロスの ﹃オ デュッセイア﹄を小説の枠組みとして用 いており、 第六挿話は、 ﹃オデュッセイア﹄ の第十一巻、オデュッセウスが冥府ハデ スを訪れる話に対応している。またこの 挿話には、ウェルギリウスの﹃アエネー る。語り手は﹃ハムレット﹄同様、この 物語も、 本物の亡霊が登場する、 ﹁不思議 ・ 驚異的﹂な話なのだと主張しているので ある 。だがそのユーモラスな語り口が 、 この物語とシェイクスピア悲劇との乖離 を示している。 ︾ ヴァージニア ・ ウルフ、ジーン ・ リース、 鴻巣友季子 ・小沢瑞穂訳 ﹃ 灯台へ/サ ル ガッソーの広い海 ﹄︵ 河出書房新社 ・ 二六〇〇円︶ ︽﹃クリスマス ・キャロル﹄において 、 簡潔に語られるスクルージの妹ファンの 夭折はこの作品の隠れた側面を垣間見せ るものであった 。︵ ⋮ ⋮ ︶ これに対し 、 二十世紀の小説家ヴァージア・ウルフの ﹃灯台へ﹄では 、主人公であるラムジー 夫人自身が小説のなかば、第二部第三章 で亡くなってしまう。 しかも彼女の死は、 前後の文脈とは切り離された次のような 短い文章で唐突に語られるのである。 [ラ ムジー氏は暗いある朝、廊下をよろめき 歩きながら両腕を差し伸べた。だがラム ジー夫人は前の晩に突然亡くなってい て、両腕を差し伸べるも、腕のなかは空 のままだった] ︾
イス﹄ 第六巻への引喩 ︵アリュージョン︶ が随所に見られる 。﹃アエネーイス﹄の 第六巻も、主人公のアエネーアスが冥界 に行く話であった。 ︵⋮⋮︶ ﹃ユリシーズ﹄ 第六挿話は、ブルームが友人ディグナム の葬儀に行く話で、死がモチーフになっ ているという点では ﹃オデュッセイア﹄ や﹃アエネーイス﹄と同じだが、死者と 直接対面する場面はない。ブルームは会 葬馬車のなかから、誰に対するともなく 訴えかける死者の彫像を見るにすぎな い。 /オデュッセウスもアエネーアスも、 母の霊、父の霊と抱き合おうと試みて果 たせなかったが、 再会することはできた。 だがここでは、死者は命のない彫像とな り、 生者と意思をかよわせることはない。 ここに現代の死が示されている。 ︾ マルセル・プルースト、角田光代・芳川 泰久訳 ﹃ 失われた時を求めて 全一冊 ﹄ ︵ 新 潮社・二三〇〇円︶ ︽結局プルーストは救いの問題につい て、明確な回答を提示していない。ダン テが﹃神曲﹄で示した、来世の実在と宗 教的な救いを彼は否定する。 彼にとって、 宗教的な救いの代わりとなりうるのは 、 無意識的回想のもたらす至福感であっ た。 無意識的回想は時間を超越するとし、 その一瞬の横溢感を作品に描くことに よって定着させようとした。だが人生の 意味は 、そのつかの間の瞬間だけにか かっているのだろうか。もしそうだとし たら、彼はなぜこれほどまでに長大な小 説を書いたのか 。︵ ⋮ ⋮ ︶彼はあくまで 生の実相を緻密に丹念に描き出し、分析 する。時間の世界に生きる人間のさまざ まな相矛盾する心情を︵時間を超越した ものに対する願望をも含めて︶余すこと なく描き出そうとした、その試みが﹃失 われた時を求めて﹄なのである。 ︾ また、紙幅の都合から詳しい内容の紹 介はできませんが、本フェアでは以下の 書籍の展示も行ないます。いずれも、人 間がその歴史の中で﹁死﹂というものを いかに想像してきたかを考えるうえで 、 たいへん興味深いものです。 ジャック ・ルゴッフ 、渡辺香根夫 ・内田 洋訳 ﹃ 煉獄の誕生 ︿新装版﹀ ﹄︵法政大学 出版局 ・ 七〇〇〇円︶/アリス ・ K ・ タ ー ナー、 野崎嘉信訳 ﹃ 地獄の歴史 ︿新装版﹀ ﹄ ︵法政大学出版局 ・ 四三〇〇円︶/コリー ン ・ マクダネル、バーンハード ・ ラ ング、 大熊昭信訳 ﹃ 天国の歴史 ﹄︵ 大修館書店 ・ 五五〇〇円︶/鈴木道彦 ﹃ マルセル ・プ ルーストの誕生 ﹄︵藤原書店 ・ 四六〇〇円︶ /フィリップ ・ アリエス、 成瀬駒男訳﹃ 死 を前にした人間 ﹄︵みすず書房 ・ 八四〇〇 円︶/スティーヴン ・ グリーンブラット、 河合祥一郎訳 ﹃ シェイクスピアの驚異の 成功物語 ﹄︵白水社 ・四二〇〇円︶/修 道士マルクス 、修道士ヘンリクス 、千葉 敏之訳 ﹃ 西洋中世奇譚集成 聖パトリッ クの煉獄 ﹄︵講談社学術文庫 ・八四〇円︶ /イグナチ オ ・ デ ・ ロヨラ、 門脇佳吉訳 ﹃ 霊 操 ﹄︵岩波文庫 ・八四〇円︶/平井呈一 編﹃ ミセス ・ヴィールの幽霊 ﹄︵沖積舎 ・ 二五〇〇円︶/立花隆 ﹃ 臨死体験 ﹄ ︵ 全 二巻、文春文庫・各七一〇円︶ ︵作品社編集部・青木誠也︶ ︽ ︾内はすべて ﹃死者との邂逅﹄から の引用です。 * 愛書家の楽園 ・特集 ﹁死者との邂逅﹂でご 紹介した書籍は 、池袋本店一階エレベータ 前と福岡店三階 、丸善名古屋本店一階と京 都本店地下二階にて 、九月十日∼十月九日 までフェア展開中です。
八月某日、永遠に思われた夏休みも終 盤に差し掛かり、子ども達が読書感想文 の締め切りに怯え出す今日この頃 。今 、 誰よりも子ども達の気持ちに寄り添える 大人は私です 。締め切りを目の前にし 、 この原稿の前で静止すること六時間。一 文字もない原稿用紙はまさに銀世界、涼 感はおろか寒気すら感じます。最近は読 書感想文の書き方がわからない子ども達 のために、読書感想文のテンプレートな るものが存在するそうです。私もダウン ロードしてこの原稿に取り掛かろうと思 う⋮⋮気持ちに蓋をして、読書感想文か ら逃げ続けた青春時代を呪うとしましょ う。今年の夏休みも読書感想文が書けな かった子ども達 、悪いことは言わない 、 来年こそは夏休みの全てを費やしてでも 読書感想文を完成させよう。 さぁ、話が激しく逸れましたが、読書 感想文における最大の難関・導入部を全 く関係のない話でやり過ごすという狂行 に及んだ私も、四の五の言わずに、本の 紹介をしたいと思います。 ただいま、ジュンク堂書店藤沢店では ﹁狂気塾入門﹂なるフェアを開催してお ります。不良漫画のタイトルみたいです が、狂気とは⋮⋮とムツカシく考えるの はまた今度 ! ということで 、読書感想 文にほろ苦い思い出がある大人の方にも 体当たりで気軽に狂気に触れていただこ うというフェアでございます。気軽と言 いつつも、ちょっとばかりハードな道場 なので、道場破りのつもりでハートを鍛 えながら楽しんで頂ければと思います 。 押忍。いざ、狂気塾へ⋮⋮ 喜怒哀楽を置き忘れ、退屈を極めた者 のみが、ふらりふらりと迷い込む、とあ る下町 。﹁呑んべい横丁﹂の名で親しま れるその横丁の、寡黙なオヤジが独りで やっている煮卵が美味い店。その手前の 角を曲がると古ぼけた雑居ビル、一階に はレコードショップだ。吸い込まれるよ うな三角形が描かれたレコードジャケッ トは、ずっとウインドウに置かれている せいか日焼けして今にも消えてなくなり そうだ。あのレコードのタイトルは﹁狂 気﹂⋮ ⋮そんなことを思い出しながら 、 気付けばビルの階段を登っていた。 油粘土色のドアには張り紙 、黒いマ ジックでこう書き殴られている 。﹁狂気
ンビ ・サバンナのツッコミ担当なのに天 然ボケ八木真澄が 、まだ出会ってすらい ない 、いつか出会う運命の女性へ書いた ラブレター ﹃ まだ見ぬ君へ ∼ pure love ∼ ﹄ ︵ベストセラーズ ・ サバンナ八木真澄著 ・ 一三五〇円︶ 。 前者は愛おしさすら感じて しまいそうな女の子の可愛さ 、後者はと きめきを覚える純粋さ 、普通に読めばク スッと笑いつつも 、ちょっとホッコリし てしまいそうなこの二冊 。しかし 、この 逸脱した妄想力を狂気と呼ばずしてなん と呼ぶのか⋮ ⋮ 。妄想とは誰もが持ち合 わせる、一番身近な狂気なのだ。 『東京タラレバ娘』 同じく狂気ビギナーにおすすめしたい ﹃ 東京タラレバ娘 ﹄︵一∼三巻 、講談社 ・ 東村アキコ著・各四二九円︶は、描写力 とツッコミが冴え渡る人気漫画家・東村 アキコによる、アラサー独身女子の黙示 録である。結婚への焦燥がアラサー女子 三人組から正気を奪い、行きつけの居酒 屋で繰り広げる大暴走の女子会︵と言う 名の井戸端会議︶ 。私自身もお馴染みの その光景が、こんなにも狂気じみたもの だったと気づくと、笑い飛ばしたくても 笑えない。アラサー女子には今回紹介す るどの本よりもハイダメージな一冊だ が、出来ることならばポケットに入れて 持ち歩きたいバイブルである。 『長崎乱楽坂』 これならいける、 と入門を決めてしまっ た残念な貴方に 、まずはストレッチ代わ りにジワジワ効く静かな狂気を 。極道の 家に生まれた少年の心の成長と 、その心 が蝕まれて行く様を美しく描いた ﹃ 長崎 乱楽坂 ﹄︵新潮文庫・吉田修一著・四〇〇 円︶ 。決して荒れることも、乱れることも なく 、ただただ緩やかに滑り落ちて行く 塾 貴方の狂気を鍛えます。 ﹂引き返そう にも、振り返れば階段がない。残された 道は嘘みたいに軽いドアを開け、中に入 ること。積み上げられた本の山がカッパ ドキアを彷彿とさせる部屋である 。ぼ うっと突っ立っていると、ピンク色の豚 が﹁あ、道場破りの方ですね。事前予約 されています ? あ 、 大丈夫ですよ 。ぺ ちゃくちゃぺちゃくちゃ⋮ ⋮ 押忍 。﹂ と 喋りながら、本の山ひとつを貴方に差し 出し、勝手に本のプレゼンテーションを 始めるのであった⋮⋮。 『架空 OL 日記』 まずは体験入門気分で気軽に読める狂 気がこちらの二冊 。圧倒的な実力を誇る ピン芸人 、バカリズムが OL になりすま してリアルな OL 生活を綴ったブログを 書籍化した ﹃ 架空 OL 日記 ﹄︵小学館文庫 ・ バカリズム著 ・五三三円︶と 、お笑いコ
そして好奇と嫌悪の世間の目。みずみず しい描写の中に、弟か、世間か、それと も誰か、見えない狂気の存在に悪寒を感 じる、考えさせられる一冊だ。 『うつくしい子ども』 戦争という強大な狂気に翻弄された三 人のアドルフをめぐる手塚治虫の超大作 ﹃ アドルフに告ぐ ﹄︵全三巻、講談社手塚 治虫文庫全集・各八五〇円︶も外しては ならない。息つく暇もない緊張感と歴史 に隠された人間ドラマ 、そしてそのス ケールの大きさに発狂寸前になりながら も抜け出せない。 ページを開いたら最後、 朝までページをめくる手が止まらない全 人類に自信を持って薦める作品だ。 まだトレーニングに入っていないのに 倦怠感たっぷりの貴方には、そろそろ水 分補給、 ﹃ アル中ワンダーランド ﹄︵扶桑 社 ・まんしゅうきつこ著 ・一一〇〇円︶ をどうぞ。お酒に逃げ、溺れ、狂わされ た奇才漫画家まんしゅうきつこの衝撃の ノンフィクション・エッセイ。渇いた喉 に笑いと悲しみのどぎつい狂気をお見舞 いします。水分補給でアルコール漬けに されるとは、なかなかクレイジーな道場 だとお気付きの方、一度入門したら最後 までついていくしか選択肢はありませ ん。押忍。 『ドン・キホーテ (まんがで読破)』 続いては試合に備えて 、実践的なト レーニングを積もう。まずは文学界にお ける二大狂気作品と言っても過言ではな い 、王道の二冊 。﹃ ドン ・キホーテ ︵ま んがで読破︶ ﹄︵イースト・プレス・セル バンテス原作・五五二円︶は、狂人世界 代表のドン・キホーテの狂った冒険でお 馴染みの一冊。読書感想文アレルギーの この何とも言えない感覚は 、強いて言う なら狂気 。貴方に悪酔いに似た感覚をも たらす、抜け出せない苦しみの一冊だ。 『ぼくんち』 そんな静かな狂気の中でもショッキン グなものがこの二冊。貧困と非行と狂気 にまみれた町で、とても器用とは言えな い生き方でなんとか生きようとする姉弟 の姿が一度読んだら忘れられない﹃ ぼく んち ﹄︵小学館 ・ 西原理恵子著 ・ 五二四円︶ 。 狂気の中でも感じられる人の暖かさにじ わりと胸を打たれるが、全体的に薄汚れ た世界観が世の中の不条理をストレート に突き付けてくる。そして、社会問題と いえる残虐な少年犯罪をテーマにした ﹃ うつくしい子ども ﹄︵文春文庫・石田衣 良著 ・五〇五円︶ 。九歳の少女を殺害し た容疑者となってしまった十三歳の弟 、 その弟の真実を探し求める十四歳の兄 、
方のために漫画でご用意いたしました が、漫画でも十分な破壊力があり。ロマ ンに全身全霊すべてを捧げる狂った老人 に呆れてしまう。 文豪・芥川龍之介の﹃ 歯車 ﹄︵ ﹃羅生門 蜘蛛の糸 杜子春 外十八篇﹄収録 ・文春 文庫・芥川龍之介著・五六○円︶は、芥 川を自殺へと追い詰めた様々な狂気が描 かれた重苦しい一冊。自ら創り出したカ オスの十字架を背負う芥川文学に、貴方 は耐えられるだろうか。これを読まずし て狂気語るべからずと言える、芥川の最 高傑作だ。 『愛のむきだし』 常人には理解し難い狂気をまざまざ と見せつけられたところで変化球 、 B 級サブカル臭がキツいこの二冊 。映画 監督 ・園子温による壮大な恋愛叙事詩 ﹃ 愛のむきだし ﹄︵小学館文庫 ・ 園子温著 ・ 五七一円︶は、エログロナンセンスをこ れでもかと詰め込んだ、タブーのオンパ レード。変態・宗教・暴力、ありとあら ゆる狂気のデパートは、一度入店したら トレーニングの足りない塾生は一発 K・ O 間違いなしの、コッテコテの B 級小説 だ。 ﹃ 耳かき仕事人サミュエル ﹄︵青林工 藝舎・堀道広著・九〇〇円︶は、耳かき によって悪人を暗殺する主人公と悪の秘 密結社﹁黒い綿棒﹂の対決を描いた、ゆ るい絵 ・ ふざけた設定 ・ 陳腐なストーリー と世界観、その全てにおいて一級品のサ ブカル漫画だ。 読後に思わず ﹁金返せ ! ﹂ と思ってしまったら、すでにサミュエル の狂気ワールドの虜である。 『青い春 松本大洋短編集』 そろそろハートもいい感じに仕上がっ てきたところで、 試合をしよう。大丈夫、 地獄のトレーニングをくぐり抜けた貴方 なら、対戦相手はもはや敵ではない。む しろ大好物だ。試合は全部で四試合。ど の対戦相手も狂気塾でトレーニングと言 う名の修行を積んだ猛者だ。押忍押忍。 第一試合 ﹃ 青い春 松本大洋短編集 ﹄ ︵小学館文庫 ・松本大洋著 ・六一九円︶ 若さという狂気を武器にした不良たちの 青春の記録。男子高校生を子どもだと油 断するべからず、ここまで不良らしい不 良はなかなかいない、いや、いないだろ う。彼らの無鉄砲感、突き動かす青春の エネルギー、若さって眩しい。キラキラ と輝く狂気が眩しい。松本大洋の青春漫 画は何故こんなにも眩しいのか⋮⋮あま りにも眩しすぎて、勝てる気がしない。 『バンド・オブ ・ザ・ナイト』 第二試合﹃ バ ン ド ・オ ブ・ザ・ナ イ ト ﹄ ︵講談社文庫 ・中島らも著 ・五九〇円︶ 。 ジャンキー集いし﹁悪魔の館︵ヘルハウ
ス 、ようするに中島家︶ ﹂で繰り広げら れる中毒者たちの乱痴気悲喜交々。読ん でいるこちらまでラリってしまいそうに なるトリップ描写と常識を逸脱した生活 が衝撃的。徐々に崩れ落ちて行く、夢の ような狂気の底辺暮らしが何とも言えな い哀愁を漂わせる。 『絶景のポリフォニー』 第三試合 ﹃ 絶景のポリフォニー ﹄︵赤々 舎 ・ 石川竜一著 ・ 五○○○円︶ 。﹁写真の悪 魔に魂を売り渡した﹂ と評される写真家 ・ 石川竜一の詩的かつ哲学的な写真集だ。 沖縄で生まれ育った彼の目で切り取ら れた、生々しいほどのありのままの沖縄 の姿。初めて目にする人の誰もが息を飲 む圧倒的な力強さで、彼の目には狂気が 宿っているに違いない。木村伊兵衛賞の 受賞はもはや当然と言わんばかりの敗北 感を感じさせるダークホースだ。 第四試合 ﹃ 絶対安全剃刀 ﹄︵白泉社 ・ 高野文子著 ・ 一一〇〇円︶ 。とある書店で、 カオスな漫画たちに囲まれながら、一見 狂気と無縁に見えて吸い込まれるような 異臭を漂わせていた一冊。どの作品もや わらかく、とてつもなくナイーブ、プス リと針を刺すように一瞬の狂気がこっそ り攻撃してくるのである 。﹁とんでもな い漫画を読んでしまった 。﹂と何年先も 心に残る、貴方の心に小さな狂気を宿ら せる名作だ。 『絶対安全剃刀』 壮絶な四試合 、屍寸前でズタボロの勝 利を納めた貴方にマッドなイギリス代表 との練習試合をブッキングした 。 狂気塾 のスパルタ試合を制した貴方でも 、 丸腰 では挑めない ﹃ 自殺うさぎの本 ﹄︵全三巻、 青山出版社・アンディー ライリー著・各 九〇〇円︶ だ。油断するのも無理はない、 相手はちょっとクレイジーだが飛び抜け てキュートなウサギさん 。そう自殺願望 が強すぎるウサギさんだ 。淡々と 、あり とあらゆる自殺方法にチャレンジするス トイックなウサギさんに背筋が凍る 。 死 に向かって心乱されることなく無表情で 突っ込んで行くその姿 、狂気を孕んだノ ンストップのウサギ地獄絵図である。 『自殺うさぎの本』 数々の試合をくぐり抜け 、屈強な狂気 マスターへと成長 ︵あるいは変貌︶した 貴方に 、狂気塾出身 ・狂気三階級世界王 者との試合を用意した 。さあ 、王者への 道は開かれた 。この道をデス ・ロードに するか 、ウイニング ・ロードにするかは 貴方次第 。松竹梅全ての階級を制するこ とができた暁には、貴方も立派なマッド ・ マックスだ 。今回の対戦相手は一筋縄で はもちろんいかない 、マニアックで強烈
なリアリティーを戦術にする個性が強す ぎる面々だ。 気合い新たに、 押忍押忍押忍。 『東海道中床屋ぞめき』 梅級︵居酒屋でお馴染みの美味しそう な響き ! ︶世界王者 ﹃ 東海道中床屋ぞ めき ﹄︵風人社 ・ 林朋彦著 ・ 一四〇〇円︶ 。 こやつ、床屋に魅せられ取り憑かれたの か ⋮⋮? 国宝級の古き良き床屋を選り すぐった東海道中、床屋コレクターの狂 気がはみ出す執念の床屋あつめ。知らぬ 間に貴方も床屋にハマらぬよう、 要注意。 あの店先にあるトリコロールカラーの不 思議なグルグル看板に狂ったように魅 入ってしまったら間違いなく負けるぞ。 竹級︵隠れ家的小料理屋の名前?︶世 界王者 ﹃ 九龍城探訪 魔窟で暮らす人々 City of Darkness ﹄︵イースト・プレス・ グレッグ・ジラード他著・三五〇○円︶ 。 今はなき幻の巨大スラム街 ・九龍城砦 、 ﹁一度入ったら二度と出られない﹂など 様々な都市伝説を持ち、外部の人間の侵 入を拒み続けた謎に包まれし魔窟に侵入 し、無事に帰還した勇者による魔窟の謎 に迫った一冊。香港の高層スラムという 特異な景観と、劣悪な無法地帯の中での 過酷な暮らし、人間のパワーが竹級世界 王者の風格を匂わせる。 『九龍城探訪』 ついにラスボス、松級︵うな重はやは り、 松ですね︶世界王者﹃ 奇界遺産 ﹄ ︵ 全 二巻、エクスナレッジ・佐藤健寿著・各 三八〇〇円︶ 。奇妙マニア ・佐藤健寿が 世界中から集めた選りすぐりの珍景エ リート。奇妙な想像力か、強烈な信仰心 か、平々凡々に生きていたらお目にかか れない裏・世界遺産を集めたエキセント リックな狂気のテーマパークを、部屋に 置いたらなかなか邪魔な有難いサイズ感 でお届けする。 摩訶不思議溢れる世界に、 世の中を知ったような顔はできても、世 界を知った顔には誰もなれないなと思い 知らされる。そう、これが世界王者の実 力だ。どうやら修行がまだ足りないらし い。世界、狂ってるなぁ。⋮⋮ばたん。 『奇界遺産』 松級世界王者の前に 、敢え無く撃沈 。 貴方の無敗記録は破られたのであった 。 しかし、狂気塾には狂気マスターとして 貴方の名が刻まれた。そして傍らには息 が上がったピンク色の豚が倒れていた。 退屈を極めし者よ、道場は狂気塾だけ ではない。読書という修行の道は、果て なく険しい。まだまだ破らねばならぬ道 場が、書店には星の数程ある。 To be continued... ︵藤沢店・成島︶