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制定の歴史を通して見たる帝國憲法の本義-香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

清 水 谷 隆 寛

﹂ 近代欧洲渕家の政治的機構を仙賞する政治原則は法治主義である。個人重蔵白焼主義の傲治約分野に於ける硯 はれであつて、真の具盟約結晶は﹁自由構﹂であり、之を確保す牒馬の制度は﹁三椎分一望である。 自由主義が如何にして近世の初頭に現はれたかは、此所に更めて説明する必蓼はない。けれど牒、自由主義が 政治的分野Ⅵ於ては、何故に法治主義の形をとるか、それよりも法治塵儀とは﹂礪何か、これだけは是非とも本 倫の初めに明かにして若かなければならない。 法治主義は、贋義に於ては、﹁法律に依って治める主義﹂なる意味に解樺される。けれど牒、かゝ考贋義k於て は、封建的専制君主国も、亦法治主義閑寂と呼ばれ得る。こ1に法治主義といふのは、中世封建的君章専制黛義 制定の歴・皮を通して見たる帝国憲法の本義

軽い臍∴研究螢十義弟三銑︵一器計針術︶

制定の歴史な通して見たる帝問憲旗の本義

︵二〇≡︶ ﹂

(2)

発十仙巻 第三渋 ︵二〇四︶ こ た働する言葉であつて、行政は人民の代恕府たる議愈の制定した旗律に依ってのみ行はれ、行政府たる政府 は、法律に依るに非れば人民の自由を促し得奄いとする義塾である。即ちこれは鱒殊的車親的人間的な樵力に依 らずして、普遍的客観的非人間的な法律に任Lって治めむとする主義である。中低はキリスト教倉の数樵が絶封権 を振った時代である。さうして之と密接に結合した君主の俗怖が人民を支配した時代で潜る。近他は梅囁に禁欲 的なる申せキリスゝ教主誌に反封し、教愈と中世専制君達の礪断専制主義から人間を解放した時代である。それ は神秘と侍琉の他界より人間を解放し、哲啓乃至料率を神輿の侍女たる地位より光来の地位に回復せしめた時代 である。此の時代色は政治的分野に於ては必然に自由の馬の推力の制限となつて硯はれて乗る。特殊的人間的な る支配は、かくして極端に排斥せられ、普遍的非人間的なる法律が之に代るやうになつた。摘もそれは普遍的理 性的なるが故に立法者をも拘残した。君主も、試食も、自ら創造した淡の下に、僕姻として臍倍せらる1に室つ、 たのである。樵力に封する法律の優越、これこそ嘗に法治義盛の中心を馬す本質的特徴である∩而して横力に封 し法層の優越を認めることは、国家を以て一個の法秩序と見ることである。何者、閑寂k於て貴高の地位を占む るものは法律であつて、君主も人民も悉く法律に依り支配せらる1からである。然らば法治固家に於ては、開家 は最早主械によりて統治せられる人民の困鰻ではなくして、人民を統治する馬の叫つの制度である。而も此の制 度は、賛は図表の紫螢の蔑のものではなくして、人民の自由を権力より確保せんが蔑めのものである。それは、 法律の権力に封する優越が、人民の自由を確保せんが焉のものたることによつて知られる。然らは閑寂は人民の

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統治国牌ではなくして、樵カに封し人民の自由を確保せんが馬の制度に外ならない。是が法治黄義の包耕する国 家戯である。 要するⅥ法治主義は近世の市民的飼家といふ特殊な事情の下促成立した主轟であり、膵史的に見れぼ、中世の 専制主儀北辰封し、人民の自由を簡保せんが為に生れた叫主義に外ならない。 法治主義は、法律に依るに非れぼ人民の自由は優し得ないとする毒薬である。けれども此の主養は、法治黄義 なる文字に於て、或叔抽象的なる條文として、窓法の上に其の存在を有するのでは凌い。それは常に具牌的に、 法律に依るも、・或は法律に依るに非れば優し得ざる自由の規定として、∵履具醜的に晋へぼ、併有の自由、言論 の眉由等の名に於て、行政府の侵犯を禁止する旨の規定として、怒法にその存在を有してゐるに過ぎない。法治 主諒の具膿的慮るこの表現、これが法治主義の樵化たる自由樵なのである。 然るに、法治茸義は、自由の保障を一潜有効ならしむる番、更に三櫻分山止の制度を創設し・た。 ンテスキ晶−の考が生み出した制度であつて、開家の椎カを立法、行政、司法の三者に寓分L、≡者が相苫に牽 制し合ふこ 府を支配するにある。此の制度に於ては、淡律の制定は試食のみが之を管笹する。政府は之を寒行するに過ぎ す、裁判例は之を維持するに止る。 要するに西欧近代の政治機構は、三雄分立の下に立港の趨越を謎め、立法の優越の下に人民の自由を確保す 制定の歴史を通して見たる帝図憲法の本義 ︵二〇五︶ ≡

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る∵思想的佗は自畑箋義、個人主義た豆脚七、政治的には法治手車、民主毒義に所属する。我が閑古釆の民堆思 ﹂想、・我が国周有の政治思想とは、自ら趣の異なる仕組のものである。 然るに、その日本が、外見上とはいへ、繭清二十二年には法治卓鶉の外型に倣ひて憲法を制定し牽。即ち興が 固に協て鳴月由樵の規定、三聯分立の制度が存在することゝなつた。菟に於て、幾多の鱒討伐衷あるに拘らす、 我▼が憾も亦自由主義を採用したるにあらざるかの疑問を懐く薯あるに至った。さうしてこれは、一つには、語法 の外観が西欧諸国の民主主義憲法に類似せることにも起因んて居るが、叉一つには、憲法制定の約後を通じ、自 由主義運動が国民の問に行はれて釆たこ′とにも起因してゐる。滴洲事欒を契機とし、問家毒義思想の復興と北ハ に、・香、金環図表主義周想の壇頸と共に、日本怒法の精帥は、弼々園児の聞に諒解されむとLてゐる。然し憲法 垂上に於ける民主々遠慮想は、明治、大正、昭和を通じ、常に自由主義点想と共に存在し、之と共に消長してゐ 畠。さうしてそれは、自由主義思想が我が園には癒用のものなることゝ、憲法勧衰上の精神・沿革が自由毒薬想 想に基かざることに蘇付かざるに出で1居る。自由主義思想が我が国には準用なることば、我が闘の薗鰐を明懲 にすることによつてのみ知られる。怒法の棺紳が自申重義思想に基かざることは、憲法制定の沿革を知ることに 依つてのみ明瞭となる。本編は主として憲法制ぉの滑革を通し、審問憲法の有する眞精紳之知らむとするにあ 一る0 第十三琴∴ =第二二 蛇 ︵二〇K︶ 四

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〓 帝鯛憲法の精細は明治元年の五節條の御誓文に先づ汲初に、最も明際に表現されてゐる。帝観憲法の精神は先 づ第÷には御誓文の尿意を知ることに依りて諒得される。 五箇條の御誓文が宜明された明治元年に於て、二十二年後に制定される憲法の内容が橡党されてゐた筈はな い。けれども二十二年に制定され存意法の精紳は五節條の御誓文の中に存してる。瓦解僚の御誓文に甲乙・がある 繹はないが、地坪一項の﹁贋ク合議ヲ興シ萬機公論二決スペシ﹂と、第三項の﹁官武岬途庶民二至ル迄各其ノ志ヲ 途ゲ人心ヲシテ俺マザラシメン↓一トヲ要ス﹂と、第五項の﹁智識ヲ世界二求メ大工皇基ヲ振起スベシ﹂とは中で も最も重要である。而して各項の精紳は、明治二十二年に恐布された帝周憲法の骨文、審決黎布勅語、帝園恵法 上論中に夫々現はれて居る。触蜂この意味に於て、怒法の精神は兜づ御誓文に表現されてゐ.るといふ。骨女﹂勅 語、上諭の夫々の場所を指摘して見よう。 骨 文 ﹁願・ミルニ他局ノ進運二贋り人文ノ預達1叶随ヒ 宜ク 皇組 制定の歴史を鵡して見たる帝閲憲法の本義. ︵土L〇七︶ 五

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第十忘甘敬二ま塘 ︵二〇八︶ 六 ヽ︳ヽ︳ヽヽtヽ 豊宗ノ造訓ヲ明敏ニシ此ハ潜ヲ成立シ債蟄ヲ昭示シ内ハ以テ子孫ノ率由スル析卜焉シ外ハ以テ臣民翼賛ノ造ヲ頗 、、、、、、、、、、、−、、ヽ−−− ヽ ヽ︳︳ヽ ヽ ヽ メ永遠三越行セシメ益々閑寂ノ董基ヲ驚周ニシ八洲民生ノ慶稲ヲ増進スベシ﹂ 悪法畿布勅語 、、I−、、、、、、−、−、ヽヽヽヽヽ︳ヽ ヽ ﹁朕凶家ノ隆昌卜臣民ノ慶踊トヲ以テ中心ノ欣柴トシ朕力租宗嘉クルノ大轡1依り現在及将来ノ臣琴南シ 此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス﹂ ﹁験我力臣民ハ即チ租宗ノ思慮ナル臣民ノ子孫ナルヲ回想シ其ノ隈力意ヲ寧慣シ股力啓ヲ奨順シ相輿三和衷協 、−、、−−−、、、−、、、、、、、、−、、、 、、、,、、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 同シ益々我力帝国ノ光柴ヲ中外二軍揚シ組完ノ遽弟ヲ永久三筋間ナラシムル希望テ同クシ此J負槍ヲ分ツー壷 フルコトヲ疑ハサルナリ﹂ 御誓文中に後年蟹布せられた帝鯛怒法の精仰が存在してゐるとレふ、、この見解に勤しては、二方南からの反封 論がある。∵つは、御誓文に所謂﹁馬磯公論﹂は列薄愈講的萬磯公論に過ぎない。列藩密議的商機公論は研謂議 愈的商機公論ではない。非議静的公論に依る萬磯め決定は憲法の精神でない。故に忍法の精紳は未だ御啓文の瓢 忙は率い、といふのであり、伯は、御誓文に斯謂﹁萬磯公論﹂を傾りに議命的萬横公論と見るも、常時の慧Rは民 主々誰的試合でない。非や王々義的銭愈の公論に依る馬機の決定は窓漆の精神でない。故に怒淡の将帥は未だ御 誓文中にはないといふのである。韮に注意すべきは﹁所謂議愈﹂なる語と、﹁民主々量的議空なる語の意義であ る。所謂議脊蕗る語は、人民に主棟の存す寄と否とを間はす、民群議員より成る試命を意味し、民主々萄的議禽

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とは、尭柿を科する人民の代表より成る議脅を意味する。即ち、第一の反封諭は、審法の精神が兎も角も民選議 員より成る議倉の公論に依る濁磯の決定にあ急ことを命接として、御誓文には未窄憲法の精紳なしと育ひ、第二 の\反射諭は、憲法の精紳が、外形は兎も角、贋質的には人民代案であり、人民の樵利を代行する民選議院の公論 に依る萬厳の決定にあることを諭墟として、御誓文に怒疲の精紳なしといづてゐるのである。 常時の﹁萬磯公論﹂が列涛昏議的公論しか意味しないといふ尿封論の論墟の第∵は御誓文草案の作成に開興し た闊間者弟の﹁五簡保御背丈卜政憾書ノ由来﹂中の次の言葉である。︵閲家拳骨桐、明治憲法経済史論劇−二鱒貰︶ ﹃叉私ハ常時天下ノ時務ヲ虚緋スル方針ノ要綱トシテ左ノ案件ヲ立テテ居夕。

兵庫談判之専

一国慣撃換

簾前盟約之事

一諸侯食談

︵申 昇︶ 韮二闘概攣換兵庫談判之軍トアルハ兜ヅ第山大梯朝廷二辟シ更始一新ノ政治ヲ開クコトヲ上下内外三且明シ ⋮⋮。叉次二諸侯密議簾前盟約ノ項ハ眈三大柿朝廷工辟シ、天下ノ大命二一こ聯廷ヨリ椚ヅルー〝至ツタ以上ハ ヽ ● ヽ ︳ ︳ ヽ ヽ t ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ▼ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ︳ ヽ ヽ ︳ ’ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ’ l ヽ ヽ ヽ ゝヽ 朝廷ガ諸侯ヲ召集シ其諮絢ヲ経テ大串ヲ決行スべシトスルノデブル。而シテ諸侯愈議ハ敢チエ凹二限ラズ何 ヽ ヽ ヽ ● ヽ ヽ ヽ ヽ ’ ヽ ヽ t ヽ ヽ ▼ ヽ ︳ ヽ ︳ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ’ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 回l〓アモ催スベキモノデアルガ、旅前盟約ハ之卜異ナり只〓園ノミ行ハルベキモノデアル。即チ天皇ノ田御 アラセラル、御簾ノ苗−㌦於テ諸侯ガ劇天子ノ下−︸和讃協同天下ノ事務一こ仕ズルーイフ誓約ヲ立テルコ土ヲ謂 制定の歴史を通して見たる静観憲法の本義 ︵こ〇九︶ 七

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\ ー,、ヽ、、、−、、ヽヽヽヽ ∴更晶述ノ原案ノ各項ノ文句ハ如何ナル欝昧合ヂアックカヲ音速べヤウ。由利ご単三朝廷卜諸侯ノミ言 、−−、、−−、−−−、−−I−−−、、−、、−−I、、−、、、、、、、、−−、、︳ヽ ヽ ヽ一ヽ ヽ ヽ ズ表庶民ヲモ眼中二遮イテ居夕楼デアッ クガ、私ハヤハリ官武志即テ朝廷︵公卿︶ノト諸侯ガこ琴トナツテ 、、−−、−、、−、、、、−、−、、、、、、、、、、、、、−、1、−I−、,、、−−、、ヽ ヽ ヽ t 夷下ノ政治ヲ行フト云フ鮎ヲ眼目トシ義庶民ハ強チ之 ヲ畔ンズルトイフ轡三ナイガ政治上′二軍素トハ 、、、、−、、、− 、、−−、−、、、−、、−I、−、−−、、 、、,、、−、、、−ヽ︳ヽ ヽ ヽ︳ 見ナカッタノダアル。私ハ諸侯合議ヲ以テ筆者ノ事業卜考へ・、列侯合議ヲ輿シ萬礫公論二次スヘシ﹂ト努 ヽヽ’ヽ 警掲ゲ竺第二項l姦テ﹁庶民志ヲ途ゲ云々﹂ト由利ノ書イタノヲ﹁官武十遜庶民≠室ル迄各其志ヲ途ゲ 云々﹂ト改メタノデアル。﹄ ﹁列快食議ヲ輿シ﹂が﹁贋ク合議ヲ興シしに攣ったことは、将来陀封する遠大の意閲ありてのことにせよ・、差

寛十姦 策≡班

︵三〇︶ 八 フノデアル。即チ攣剛盟約ノ趣旨ハ後ノ花簡億御誓女ノ狩警際シテ天子ガ天地和明1壷ハレタ御精神卜大 隈相漕ルモノプァル。′⋮;∴・ソ。デ此草案偲牒宣二漕述べヤウ。此寄算中由利ノ偲草シタ原案ハ次ノ 通リデアル。 ︵中 暑︶

之ヲ私ガ加筆修正シテ結局次ノ楼工数メタ。

.辛 い. ︳ ︳ ヽ ︳ ︳ ヽ ヽ・︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ

叫 ∧列快食議ヲ興シ萬械公論七決スヘシ

︵申 署︶

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し雷り列藩昏議がこの中に包含せられぎ′る筈はなく、稿岡が列藩愈議の開催を計試せる事賛は↓馬横公論﹂が列 藩合議的公論なることを誇嘘豆てる⋮根墟となすに足るものである。 ﹁罷磯公論﹂が﹁列藩密議的公揃﹂しかし意味しないとす.る反判論の攣石諭接は列落合議論が鑑に恵末に於 て幕府や諸侯に存Lたことであるバ 日本怒傲史届佐竹猛者︶の将ふる鹿によれば、幕府は安政五年の日米億俄に際し諸大名を柳営紅集めて日米 條約成っき且ハの億見を徹して冶空文久二年牒には蔭落せ向牒猫太郎欄、稔平眉優に儲きて﹁藁腰の名ある者漉 −人も洩らさす廟堂に集めて共に政事を討議す“ること肝勢なhことて島津久光を評議に列せんことを勧督して居 る。慶應三年二月六日、彿公使”ロセスと慶富が大阪城に愈したときの談話のこ即に臆 各観共宰備にのみ依頼して立候故十分に無之、天下の人民に依頼するを含政と致し申候、御国にて.も諸侯を組 合、参府政事を試せしむる棟被遊可然倣 と恒ふのがあるっ朝廷に於ても文久二年以東時々列藩愈誌を召集されたが、慶應三年方月には、二億城に、一橋 慶菩、蕗平春嶽、山内密堂、伊達宗城、島浄久光を召集し、以来壁別に常設的な列薄合議を開いてゐ′る。⊥日本 藩政史 ∴吏T∴七貫︶ 御誓文宣布常時の政情も﹁萬機公論﹂を以て、列藩倉議と解繹する叫資料たり得る。徳川幕府は倒れ、新政府 は樹立の将についたけれども、未だ庸自己自身の軍隊や財政を有する繹ではない。而もその下には、各々猫自の 制定の歴史を通して見たる帝国憲抹の本義 ︵〓一仙︶ 九

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第十劇巻 第三輩 〇二二︶ 劇○ 兵力財力を有する相浦が残存してゐる.さうして、”柁々もすれば新政府は諸大所のカによつて左右される。新政 府は、蛇等諸勢力の均衡と外聞勢力に対する共同載線の上に宰じてその存在を維持Lて居るに過ぎない。大久保 ならずとも﹁内外ノ大難皇凶危急存亡ノ秋﹂であり、﹁天下ノ人心拘々トシテ共乱ル、コト百萬ノ兵弐動クヨ“り 芸恐﹂︵畑摘配舶四朋鮒和郎︶時期で雪。この時に管て明治政府が列警議に管国論の疏盲計らむとせ ることは見安き道理であり。況んや明治以前より其の資例の存するに於てをやである。 ﹁商機公論﹂が常時に於ては列洋食議的公論しか意味しないとする反封論の攣この諭嬢は、明治八年四月十四 日に快哉せられた豊詔中の﹁繁文ノ意ヲ礪充シ﹂なる文字である。塗説は次の如くである。 験即位ノ初首トシテ群臣ヲ愈シ五番ア以テ神明二審ヒ園長ヲ定メ常民保全ノ道ヲ求ム幸三鱒宗ノ堅卜群臣ノ ー−■ヽ ヵトーー析り以テ今日ノ小旗ヲ縛クリ顧フニ中興日躇ク内治ノ事啓一鹿作男張スヘキモノ少ナシトセス股今潜 −、、、、、、−、−−、−、、、−、、−、、− 1 、、、、−、−、、−、−− ● −、 ヽ −︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 文ノ意ヲ腐充シ鼓三先老院ヲ濯キ以デ立法ノ瀕ヲ靡メ大審院ヲ置キ審判ノ橙ヲ輩クシ叉地方官ヲ召袋シ以テ 、 、 、 、 ▼ 、■ 、 ︳ − 、 − ︳ − 、 − ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ − ヽ ︳ ヽ ︳ ︳ ︳ ヽ 民情ヲ通シ公益ヲ闘り漸次観衆立憲ノ政鰭ヲ立テ汝衆庶卜倶−壷ハ慶長頼ラント欲ス汝衆庶或ハ褒二泥ミ故二 慣ル、コトナク叉或ハ進ムニ軽ク焉スエ急ナルコト莫ク其レ能ク股力旨ヲ牒シテ翼賛スル朗アレ 伊藤博文が明治元年十仙月版籍奉遠の聞頓に閲聯し上奏せる左記眉見書中の﹁天下ノ公論﹂なる文字ぼ萬機公 論を列藩禽議的公論と見る反判論の又叫つの論接であるい︵鈴木安織怒法の歴史的研究 脚〇五寛︺ ﹁然後直三共藩領地ハ府願ノ制一l傲ヒ是ヲ所定セシメ共布士ノ弘壮ナル者ハ攣ア朝廷ノ兵トナシ吏才アル者

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(11)

’■︳’ ハ吏トシ其飴ハ悉ク土着二障シ老君自ラ給スル能ハザル者ハ是ヲ蕃育スルノ法ヲ立ツヘ′シ於是速二天下列藩 既にかくの如き列洋食議論あり、時の政柄叉その開催を必要としたとせば、御誓文の﹁萬機公論﹂が列藩倉議 ヽヽヽヽヽ、、、、、−−1▼−−、、、、、−、−−、−、 ニ布野シテ叫大命議ヲ興シ天下ノ公論ヲ取り豊園ノ基本ヲ建テ内ハ紳武天皇ノ印璽ヲ慰シ奉り外ハ萬閥ヲシ テ威儀セシムル是レ今日春親犬臣ノ職クルヘシ﹂ 的公論藍息昧すとの論も、必ずしも誤りではない。然し、御誓文と同年間四月二十一日に蟹布された政礪書の文 章瞞岡家弟の﹁五常備御誓文卜政鰭菩ノ由来﹂中の他の言菓、明治以前より存在した多くの議愈論、その他多く の事茸より推論すろと、御啓文の﹁常機公論﹂は此の時眈に直接﹁譲合的公論﹂を目標としたことが明かとなつ て来る。私はこの断よりして御誓文には憲法の精神は現はれてないといふ議論に反封する。 先づ政餞書から検討して見よう。政鰻苔の概要は次のやうである。 慣 政 劇 大王斯蜘是ヲ定メ制度規律ヲ建ツルハ御誓文ヲ以テ目的トス ︵中 幕.︶ 右脚誓文ノ催件相行ハレ不惇ヲ以テ旨趣†セリ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 、 ヽ 1 ヽ −−、− ヽ I ,、、−、−−− I 、、、−、、−、、−、、 1、、、、、−−、− 仙 天下ノ杵力線テ之ヲ太政官二蹄ス則チ政令二途−1出ツルノ患ナカラシム太政官ノ碓カヲ分テ立法行法司法 ヽヽtヽ︳ ノ三雄トス則偏巽ノ患無ラシムルナサ 制定の歴史を通しじ見たる帝国憲法の本義 ︵二〓ニ︶一山

(12)

ヽ ヽ 第十忘甘缶=手紙 ︵三四︶一二 、、、−、、、、、−、−−、、、、、、−、ヽ︳ヽ ヽ’︳︳ 叫 立普ハ行法官ヲ警ルヲ待ス行法官ハ立法官ヲ億莞ヲ得ス但シ臨時都府巡管外図應援トノ如晶立 汝官得管之 、小 =丘− −、−、、、、、−、−、、、トー、、、、、−,−−、−、、、−ヽ ● ヽ ︳ ヽ もへ ⋮各府各藩各願皆買士ヲ出シ議員トス議事ノ制ヲ立ツルハ輿論公議ヲ執ル所以ナリ ︵中 署︶ 鵬 官 職 太政官分属七官 ヽヽヽ ○ 議政官︵分上下二局、管劇司、日々誌司︶ 上 局 、− 、−ヽヽ︳ヽ 議定八人︵以親王緒王公卿諸侯公選充之内二人乗輔相︶ 政億ヲ創立シ法制ヲ適作シ磯警決誉三等官以Jヲ鐙衡シ賞罰ヲ明カニシ條約ヲ誉和戦ヲ嘗 参輿十五人ハ以公卿諸大夫士庶人公選充之︶ 笹岡議定 ︵中 −暑︶ F

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(13)

’ヽヽヽ 議長二人︵閉幕兼之︶ ヽ ヽ ’ ︳ ︳ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ● ヽ ヽ 議員︵貢士 大藩三人 中津二人 小藩一人︶ 議員ハ上局ノ命ヲ承ケ議スル朗︼lさlア傭件左ノ如シ 和税之肇程 好適之苛程 通貨簡 定樵盈 輿外国結新約 内外通商章態 柘璧且補講和 水陸捕食 招兵衆櫨 定点戯 築城砦或武庫於薄地 彼薄興此藩訴訟 右側骨執立法之腫 ︳ ヽ ヽ ○ 行法官 − ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ 輔相こ人︵議定菓之︶ 天皇ヲ輔佐シ議事ヲ奏意シ関内事情ヲ督シ宮中庶務ヲ級別スルヲ掌ル ’ヽ 桝事十人︵以公卿諸侯大夫士庶人公選充之枕桝事亦倣之︶ 内外庶事ヲ受ケ宮中庶務ヲ礼判スルヲ馨ル 政健吉の制度は撃奉改iEせられ、殆止どその資行を見ずして止んだが、二藤分立の制度、上下両局よりなる 議政官の新鹿はその直接の目的が何たりしにせよ、御誓文の﹁馬磯公論﹂が畢に﹁列藩合議的公論﹂豊息味した ものでないことを記するには飴りある。

次には師岡針弟が政讐の由来につき語つ害警瞼討して見よヱ許離雛監機軸ノ鉾醐四轡

制定の歴妃を過して見たる帝閲憲法の本義 ︵こ鵬五︶一こす

(14)

輩†山容 弟三番 ︵二劇六︶ 山四 ﹁常時カ、ル・制度ヲ定ムルニッキ参考卜馬スベキ典籍ハ誠−脚少ク僅カニ前額令轟解職原抄交歓通考、買上明 ︳ヽヽtヽヽヽヽ’ヽ︳ヽヽヽtヽヽヽヽヽヽヽ︳ 兜、大武鑑、田澤事情ノ数寄7ルー鵬過ギナカツタ。殊二政鰭吾輩案起稿二就イテハ北米合衆閥ノ制度ヲ汲鐸 ヽ ヽ ︳ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ シタ﹁聯邦変容﹂トイフ書物ヲ傘考シタ ー、●、、−、、、−、、、−、−−、−、︳ヽヽ︳ヽヽヽヽヽヽ 政鰭蓄ニ′腺ル官制ハ北米合泉城ノ如ク三躍ノ分立ヲ以テ根種一馬ス草/デブル。立法樵ハ上下二局ヨリ戚ル議 定官之ヲ行ヒ司法樵ハ刑法官;於テ執行スルコト、シ行法棟︵行政棟︶ハ行政官並孟ハ下工位スル榊嘩密計、 軍務、外囲ノ初音ヲシテ之ヲ行ハシムルノ定ヂアル⋮⋮:・︵中暑︶⋮⋮⋮叉≡椎ノ紛史ヲ防止スルタメ厳三丑法 官行法官ノ乗臓ヲ禁ジタ。 三槽の分立は名ぁつて資なく、上下粥局の紐絨舵眼も本質的に今日の議愈と興ってゐるけれども、北米合衆固 の利彦に倣って作成したといふことは、政鰭蓄の文革と北ハに御背丈の﹁萬機会澗﹂が列藩薗議的公論に止るもの に非ざ説ことを推知せしむるに充分である。 次には試合論方面の論接について述べて見やう。 議密漁は明治以前より我が圃に存在してゐた。日本旗政変︵尾佐竹猛者 二二−二正員︶掟依れぽ 土佐藩のものとしては、坂本龍渇の八策中正﹁上下議政朗﹂﹁諸侯愈盟﹂なる目がある。その滞論となつたも のには 上下犠政局を設け議員を起きて馬機宜しく公議に決すべき事

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の項があり、之が修iEせられて儀土盟約となつたものには 議事院上下を分ち議感官上は公卿より下陪臣庶民に至る迄正義純潜の潜を退歩し倫且つ諸侯も自ら其職掌にて 上院の任に禿つ とあり、政権奉遷の建白の申では 議政所上下ヲ分チ議成官ハ上公卿ヨリ下陪臣庶民二至ル迄正明純良ノ士ヲ選容スヘシ となつてゐる。 幕府方面のものとしては、文久二年幕臣大久保息寛が政治挽裁松平森嶽に奉った建白の中に﹁大小公議合﹂の 論がある。慶應三年十二且鱒軍慶喜の政治顧問団周助が起案した列藩合議害の添附書﹁議題腹碗﹂には西洋の制 に法を立つる樺、法を行ふ樺、法を守る椿の別あることの論と英に、我が囲に紺する禁裏撥、政府之擢、大名之 横︵議政院之櫨︶に閲する詳細の説明がある。帯び諸藩の方面を見れば越前藩の橋本左内は、安政の頃﹁西洋事 情﹂なる苔に於て欧米の議院政治を紹介し、叉自らは西欧立憲の精神に則り、購買む議長とし、十筒石以上の大 名を議員とする密議を開くべき旨の意見を有して屈た。叉文久二華幕府の政治渦裁となつた越前藩主松平攣氷 は、慶永自記の﹁虎豹轡単備考﹂軋次の設を述べてゐる。 ハルワモ・ノヲノモンス 天下公址ハの論を議Lて.これを用ふるには巴力門、高門士如上院下院之螢なくんぼあるべからす、満臍日本之制 度は自ら槽を政府に掌超して窓に賞罰謝捗を用ふ、酉洋紹洲之史をみるに八∵ルけ二†ン、コンモンスありて国中 制定の歴史を油して見たる帝国憲法の本義 ︵二丁七︶一五

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︵二仙八︶ 仙六 男十剛啓 発 二血渋 之政事を公共之論議に静養七れを賞別離捗せしめ輿奪といへども叉然り英の王俳の帝といへどもこれを自由正 することを得ず、今皇胡之制度も﹂欒草して巴力門を江戸に高士門を江戸に創建仁此巴力門は幕府之臣又は諸 侯の内たるべく高士門は諸藩士有名之者也 又は巴力門を諸侯の藩士忙脅し高士門は百姓町人又は庶人を加ふるも仙法なるべし 天子婦徳といへども此公共五輪にいたつては之を動棉することを得す 狛朝廷天下之政事を幕府に委任し、朝命を奉じて古来之制度を改むる零なきときは幕府の罪尤も盟L、こゝを 以天下之公共の論を求むる巴力門高門士之螢なくんぼあるペからざるなり 慶應三年には慶永聖願聞横井小柄が自ら﹁議申院、上院、下院﹂を建白し、同年の五月には上田藩主赤稔小三郎 も﹁議政局、上周、ヰ局﹂.を春獄に建言してゐる。此の外薩満広ありては巷間時俳人モンブランが燕士に上下両 院制を説き、任禦にありては副島二郎、大隈八太郎がフルベツキに就き米輯憲法を畢び、大木民平、江藤新平は 藩論と停構して盛者虚分を上下両院の議に附すべき旨を建白してゐる.︵以上日本憲政及に依る︶ 読替論の状態が既にかくの如しとせぼ、五筒條御誓文を宣布するに常り、明治政府が之と無関係に商機公論な る文字を使用する筈はない。﹁萬磯公論に決すべし﹂と同視すべき﹁萬機宜しく公論に決すべし﹂の語が、議禽 設避の論議上して使用されてゐた時代に於ては殊に然りである。差し常りの意味の何たるにせよ、終局的には ﹁萬横公論﹂が民選議院の創設を目標としたことは故早明かである。唯その議命に如何なる性質、細織、横根を ′

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解せしむべきやにつきては、兵馬勿々の際、歯路者にも凍だ確固たる信念は布衣しなかつたのである。前掲﹁五 節傭御沓文卜政鰭贅ノ由来﹂に於ける闊岡の先の冨は、この鮎につき常時の雷政者の心中を汲む大脇に・且つ率直 に表白してゐる。 或ハ御薗文−こ硯ハレテ屠ル胤想ノ系統ヲ索ヌル著ノ中一一ハ肥後ノ横井小柄ノ開明的民主的女益ノ托レヲ吸ふ山 利子ノ進歩的意見一︻加フル三踊岡子ノ幸傍流ノ思想ヲ以テシ好一で此ノ基礎′上二木戸公ニヨル長川流ノ主義ガ 加ハリ此三思想ガ融合シ■三濃ヲナシクモノデブルト許ス=ルモノモアルガ此観察ハ至極固自イケレドモ暦際普 時是程嘲瞭−則我々ガ自覚シテヰクノデハナカッタノヂアル。︵明治憲政紳済史1劇九1二〇空 夢するに御留文が後年敬布され雀憲法の将帥む包癒してぁることについては嫁がない。 御誓文が﹁嵩械公編﹂に於▲て議愈制度を像想したとしてもハその議愈は民主主義的譲合でない用故に抑留焚ほ 憲法の粕紳を包絆せすと、いふ第二め反封論忙封しては、私はその綾想せる議倉が民主素養的議昏でな って憲法の精紳を包赦するといふ結論を導くと答へ慶い。 論者の晋の如く御誓文の漁想した試食は盟主々鶉的せはなかつた。それは政蔑嘗の盤めた試食の議員が藩の耽 遺骨盛であることから明かであるや併し之が御曹文の辣想した最終のものでないと同時に、後年御足された憲法 上の譲合も亦民主々義のものではなかった。何者、明治十四年の調合の層践に外ならない怒法は十四年の詔勅に 依れば明治八年の政倦改革の昭班であhソ、八年の聖詔に伐れば八年の改革は﹁誓文の意の疎寵﹂、に外ならない。 b 制定の歴史を過して見たる帝国憲法の本義 ︵二一九︶ 一.セ

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“ ︵こ二〇︶一八 第十一巻 第三躾 賂るに御誓文の琢想した政憾はゃ王々義ではない。それは次に掲ぐる常時在廷の大官の憲法意見忙徹して明かで あ計。然らば憲法の精抑は戌主々義でなく、それは姶よれ御誓文中灯包裁されて屈るといつて過貢で紅い。故に 御誓文の尿意を推測せしむるに足る在廷大官の憲法意見を掲げて見よう。 明治二年四月二十毘臼、問是命議の清純に際し山階官晃親王が草簡保の御誓文に閲し奉られた奉答書には 一曹釆の晒習を破れ天地の公道に基くべし 御観中大小様々御璽革可被馬行使々可被焉在候得共尤重大抄ことは閻怒と奉存候彼全く那楳全く封建等 ヽ ヽ ヽ、ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ▼ ヽ ヽ − ヽ 、、 、−、、− 、 −、・、+− − のことは方今決而不可行我と奉存候乍恐君政lニ箇民政二箇の中常民同清に被仰出公明正大確然不抜之圃 ヽヽヽ’ヽ\ヽヽヽ・▼︳ヽ 憲を抑制立被馬在候は、御中興乃御感発と車存催事 ︵大搾淳サ郎 大日本憲政良 男劇攣三ハ貫収録︶ とある。親王の御意見では哲釆の随想を破りて茸現せらるべく礫想された政府は常民回漕制であつたのである。 三年遅れて明治五年に宮島訴劇郎は立駒建議を建白し夜?その中で彼はこんなこLを言ってゐる。 ﹁共闘意ヲ定ムル如何、苗釆固有ノ君主澗裁ヲ以テ之ヲ定ムルーキハ、或ハ人民ヲ抑過 艶寄ブルヲ免レズ。常民同治ノ法ヲ取テ之ヲ定ムルヲ尤苧宜シトス、雑然文明ノ化未ダ下民二及バズ、教育ノ 造未ダ成ラズ、今恨令民政議院ヲ設クルトモ、国是ノ論ヲ取ルべキモノ萬人中二恐ラクハ一人ヲ得ルコト難ク 却ツテ紛擾ヲ招クエ車ルヘシ。然ラバ則君主濁裁ノ牌へ君民定律ノ中ヲ取テ国憲ヲ走メ、常機憲法三徴シテ之 ヲ行フヲ可トス﹂′ へ伊藤博掌編、憲法餐料 下容四四大彗

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考民間清刷たよる民選議院の創設が理想であるが時期爾早だとしてゐるのである。

水戸孝允は維新の功臣中では比較的進歩的な意見の持主であつた。しかし其の憲法上の意見は漸進主薬であり

㌢の洛局の日棟は君民間治忍法であつた。彼は六年七月貯過日書を率ウたが、むの年の九月には之を学的した左

の自記を物した。

﹁常民岡治ノ憲法工学アハ、人民ノ協攣1有ラザレ、バ自治ノ憲法卜認メサルハ同ヨバナリ。今我、天皇陛下励

精量縞、而テ維新ノ日甜未ク洩ク、智識進畢ざア人民ノ合議ヲ設ルニ至ルハ、白ラ多少ノ歳月ヲ費サ、ルヲ得

ス。故l膚今日子於テ︿政府ノ有司寓機ヲ論議シ、天皇陛下夙二猫裁セラル、ハ閻ヨヴ富ヲ侠クサルナリ、而テ自

ラ偏式偏軽ノ患有ワテ現二紛擾ヲ生シ、必奇人民ノ不幸三関スルモノ少カラス、依テ 天皇陛下ノ英断ヲ以テ

民意ヲ迎へ問務ヲ傑例シ、其裁判ラ課シ以テ有司ノ随意ヲ抑制シ二囲ノ公撃一供ネル三軍フハ、今日二於テ

猫裁ノ憲法下輝モ、他日人民ノ協議起ルニ至り、同治憲法ノ根株トナヮ、大王人民車両ノ基トナルヤ必セリ。

故二孝允ノ切子希重言ル桝1⋮テ、政府緒公品番ヲ畠シ、速二憲法ノ制定アランコ妄陳述セリ、儒盲璃

容レラレサル㌃ク自ラ信シ1箋ス、此注意ヲ隊旗言ルモ孟警手﹂恋議諾撃

故後に大久伽御感の意見を奉げて見よう。大久保は維新の功田中で粗放も保守的な部類に屈する。故に憲法上

の意見に於て著しく保守的である。そうしてこの意見は伊藤博文を通して叉後年の帝囲憲法をも安配Lてゐ怒 彼は政鱒諭.の申で加州なる政儲をとるべきかに閲し次の如く述.べて居る。.へ明治大卒︶ 制定の轡望遠して見たる帝国憲法の本義 ︵こi〓l︶・一九 、−

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ヽ−︳ヽヽヽヽ−ヽヽ、ヽヽヽ、●ヽ−ヽtヽ、 ﹁然ラバ即ハチ敢鰻以テ民主二由スヘキカ田ク不可。宰未ノ秋、腰薄ノ命下り、天下漸ク那願三郎シ政令一途 二親ツルト鞋モ、入鹿久シク封建ノ腰制よ慣レ長ク偏僻ノ隙間以テ性ヲ成ス殆ント千年、意工風俗人怖ノ以テ ▼ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ■ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ 之レt−随テ我力政牌ヲ立ツル宜シク定律国法以テ之レカ目的ヲ定ムヘキナリ﹂ ヽヽ︳︳ヽヽ’tヽヽヽヽ’︳t ﹁然ラハ即ハチ今日ノ要務党ツ我力闘牌ヲ議スルヨり大且ツ急ナルハナシd 筍シクモ之ヲ議スルl︻序ア︰り妄り ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ t ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 一l畝洲各園常民此ハ治ノ制二擬スヘカラス。我カ国自ラ皇統一系ノ法典アリ亦人民開明ノ程度アリ、宜シク其得 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ▼ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 央利弊ヲ溶接酌旛シテ以テ法怒此ハ帝ヲ立定スヘシ﹂ ﹁治団ノ道クル英政府ノ牒敦二於テハ各共観古来ノ風習人情二従ヒ、或ハ立君弼裁、或ハ常民共冶、或ハ共和 ︳ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ● ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 政治等ノ異ルアリト雄、国中苗端ノ事務ヲ議窟施行スルニ至テハ必犬猫立不掬ノ樵ヲ有スル所有ヲ以テ断然之 ヽ ヽ ヽ ヽ ▼ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ t ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ’ ヽ ヽ ヽ ヽ ○ ヲ行フニ非レハ衆論眉根典諭紛々、経二窟基ナク人々剛己ノ私論ヲ主張シ、庭草志向ヲ裁り施行順序ヲ失ヒ、 ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ 遊マント欲シテ退キ急ナラント欲シテ綬ナルノ弊ヲ生シ、国政不振基礎不立ノ憂ヲ教ス﹂ 民主制は我が園には不可である。常民共治は範とするに足る鬼憲法制定にあたりては宜十く問偲を考慮し、人民 開明の程度を参酌して抹香を決すべきであるといふ 要するに、﹁政健吾﹂的政鰹は政経的なものではなく政府常路者の預恋したと思はる1最経的な政鰐は民主制 ではなかつた。而して明治二十二年に欽定された帝阻憲法軋元より民主制ではない。私はこの意味に於て日永憲 法の精油は御誓文の中に明瞭に存在すると言ふ。憲法の條規は御誓文の精神を挿充L且つ明徴にしたものに外な らない。︵未完︶ 第十︼怨 第三㌍ ︵二ニーご 二〇

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