1.はじめに
1980年代の米国では、フリー・キャッシュフ ロー(Free Cash Flow: FCF)を現在価値に割引く 方法を企業価値の評価に用いることが一般的に支 持され、多くの財務論の教科書で紹介されてきた [Copeland et. Al 1990]。一方1990年代に入り経済 的付加価値(Economic Value Added: EVA)[Stewart 1991]や残余利益(Residual Income: RI)を用い て時価総額を推定する方法([Ohlson 1995])が 発表され、会計的利益からも企業価値が算定でき ることが明らかになった。このことは、投資家が 企業を評価する場合にキャッシュフローによらず 会計的利益からの算出が可能になったことを示 す。財務会計制度の重要な目的の一つとして投資 家の意思決定支援機能があるが、公表財務諸表の 情報から企業の将来の利益について最善の予測が 可能になることの意義は大きい。また、管理会計 でも投資利益率(Return on Investment: ROI)にか わってEVAが業績評価尺度として利用されるよう になった。本稿では、このFCFモデルとEVAモデ ル、RIモデルが等しいことを確認したうえで、割 引現在価値法をめぐる理論モデルとその有効性に ついて企業評価論と管理会計論の研究をサーベイ し、その意味を検討する。なお、[香取1998]に おいてすでに証明し計算例を示したが、本稿で修 正した。 2.FCFモデル 以前は投資家による企業評価の基準が株価収益 率(Price Earnings Ratio: PER)や自己資本利益率 (Return on Equity: ROE)といった一期間の利益率 であったが、その基準が将来を予測する情報に基 づく経済的価値に移行したことによって、経営者 は短期的な期間利益の最大化を目的とするのでは なく長期的企業価値の最大化を目標とすることに なった。現在割引価値を企業評価に用いるモデル の基本は、割引配当モデル(discounted dividend model)である。投資家は企業の株式を保有する ことで株主となる。投資家は将来の株式の値上が りを期待しているので、株価が目標とする値段に 到達すれば株式を売却する。しかし、株主がその 企業の所有者として残る場合、高い株価は喜ばし いことであろうが売却はせず、配当を受け取るこ
割引現在価値モデルの理論と有効性
香 取 徹
Theory and Efficiency of Discounted Present Value Model
Toru Katori
〈要旨〉 キャッシュフローに基づくFCFモデルと会計的利益に基づくEVAモデルは理論的には同値であることが証 明されているが、このモデルの有効性について企業評価論と管理会計論とでは異なる。文献サーベイや計算 例からその意味を検討する。 〈キーワード〉 現在割引価値、フリー・キャッシュフロー、残余利益、経済的付加価値、FCF、EVA、RIとになる。株主は持続的に配当を期待することで 株主たり続けることになる。したがって将来受け 取る配当の現在価値合計額が現在の株価と考える ことができる。 dj:j期配当 r:資本コスト Po:現在の株価 現在の株価の理論値が求められれば、その値に 発行済み株式数を掛けることで株式の時価総額を 推定する。 VD:配当割引モデルによる株式時価総額 Dj:j期配当金 この方法は仮定が単純でわかりやすい。しかし、 現実には将来の配当を予測することは難しいし、 配当も配当可能額が全額配当されるわけではな い。そこで考えられたのがキャッシュフローモデ ルである。このモデルでは営業キャッシュフロー から投資キャッシュフローを差し引いたフリー・ キャッシュフロー(FCF)の金額がすべて株主に 配当されると仮定している。 FCFj:j期フリーキャッシュフロー Rj:j期負債返済額 Ij:j期支払利息 この式の右辺の負債の返済額と支払利息の現在 価値総額は、負債の現在価値を表すので、企業価 値全体から負債価値を控除すれば、現在の資本が 将来生み出す事業価値が求められる。これが株価 時価総額の理論値となる。 このモデルの問題は二つある。第一の問題は キャッシュフローの予測である。フリー・キャッ シュフローは回収したキャッシュフローから投資 に向ける分と配当や借入金の返済などに向ける分 の合計額を差引いた残額である。したがって投資 と返済・配当の振り分けを予測しなければならな い。第二の問題は資本コストである。このコス トは、通常負債の資本コストと自己資本コスト との加重平均値(Weighted Average Cost of Capital: WACC)によって求めることが多いが、この自己 資本コストは投資家の期待収益率を反映したもの であり、期待収益率は将来の配当や株価の値上が り率なども考慮されたものであるので、推定方法 が合理的であっても実行可能かどうか判断は恣意 的にならざるを得ない。 3.EVAモデルと残余利益(RI)モデル EVAモデルとRIモデルでは配当やキャッシュ フローとは異なり、会計的利益をもとに算定す る。[Stewart 1991]では、市場付加価値(Market Value Added: MVA)が提案された。一般に、ある 一時点における株主資本の市場価値は、株式時 価総額、つまり同時点における株価に発行済み 株式総数を掛けたものとして求めることができ る。この市場価値ベースの株主価値に有利子負債 価値を加えた企業価値から投下資本を差し引い た額をMVAという。EVAは税引後営業利益(Net Operating Profit after Tax: NOPAT)から資本費用 (capital charge)を差し引いたものであり、MVA は株価時価総額と自己資本簿価との差額である。 EVAの現在価値合計がMVAになると主張した。 したがってMVAが求められれば、それに現在の 自己資本簿価を加えたものが株価時価総額の理論 値となる。 Lj:j期有利子負債 Ej:j期自己資本 i:加重平均資本コスト この式からわかるように、企業価値が株主価値 と有利子負債価値との合計と考え、強く資本コス トを意識した指標となっている。EVAの向上が株 主価値を高めることになり、株主重視の経営と考
えられている。 また、1990年代後半よりRIモデルが提案され た。このモデルは現在、オールソンモデル、EBO (Edward-Bell-Ohlson)モデル、割引超過利益モデ ルなどの総称で呼ばれ、企業価値評価モデルと して注目されている。RIモデルの特徴は、割引配 当モデルにクリーン・サープラス(clean surplus) 概念の前提とRIという概念を再構成したものであ る。クリーン・サープラス会計とは、ある期の株 主資本は、前期の株主資本に当期の利益から配当 などを差し引いた額を加えたものに等しいという ものである。 bj:j期末の株主資本簿価 xj:j期当期純利益 dj:j期配当額 また、RIの概念とは、当期利益から正常利益を 差し引いたもので、正常利益とは期首の株主資本 に資本コストを掛けたものである。 RIj:j期残余利益 NPj:j期当期純利益 Ej:j期自己資本 rf:リスクフリーレート [Ohlson 1995]では、RIの将来の期待値の流列 から求めた割引現在価値に自己資本簿価を加えた ものが、配当割引モデルと一致することを証明し たのである。そうすると、株式時価総額は、現在 の自己資本簿価と将来のRIの割引現在価値総額の 和として現わすことができる。 [Ohlson 1995]のRIモデルは、EVAモデルと細 部では異なる点が多いが、会計的利益から導出で きることからRIモデルの変形と見ることができる。 4.FCFモデルとEVAモデル 上でみたように、キャッシュフローに基づいた FCFモデルと会計的利益に基づいたEVAモデルや Ohlsonモデルとではモデルの基本が明らかに異な る。しかし実はこの両モデルが等しいことは数理 的に証明できる。この証明は[香取1998][松井 1998][小倉2001a]などがすでに明らかにしてい るが、ここでは[香取1998]を修正して証明する。 sj:j期売上 ej:j期現金費用 dj:j期減価償却費 oj:j期営業利益=sj−ej−dj wj:j期運転資本増分 Io:初期投資 i:加重平均資本コスト z:実効税率 税引後資本コスト 資本費用:j期首使用資本×資本コスト 税引後キャッシュフロー=税引前キャッシュフロー−営業利益×税率
ATCFj:j期税引後キャッシュフロー=(sj−ej−wj)−oj×z=(oj+dj−wj)−oj×z=oj×(1−z)+dj−wj
EVA=営業利益−資本費用−税金
以上の様に、FCFモデルとEVAモデルが同値で あることが証明できる。この同値性を前提にして 実証的研究からモデルの有効性の検討が行われて いる。ここでは以下の研究をとくに紹介したい。 5.モデルの有効性に関する研究
(1)[Penman & Sougiannis 1998]では割引配当モ デル、FCFモデルとRIモデルに基づく株価評 価モデルを比較し株価との関連性を検討し ている。彼らは各モデルにより予測された理 論値としての株価と実際株価との評価誤差を 測定した。その結果、RIモデルの方が割引配 当モデルやFCFモデルよりも誤差が少ないこ とを実証した。会計的利益と純資産簿価の予 測に基づいた株式評価は配当やキャッシュフ ローの予測よりも有効であると結論付けた。 (2)[藤井・山本1999]では、1998年3月期の一部 上場の代表的製造業6業種317社について1983 年から1998年の株価についてOhlsonモデルと FCFモデルを株価説明力で評価した。その結 果、会計情報を直接用いたOhlsonモデルは FCFモデルよりもすぐれた結果を示している と結論付けた。このことからOhlsonモデルで は会計方針の相違や変更などによる恣意性の 影響が中和化されていると示唆した。 (3)[Francis et al 2000] で は 米 国 市 場 の 場 合、 FCFモデルと配当割引モデル及びRIモデルに よる株式価値評価を比較して、RIに基づく株 式評価の推定値の方が信頼性は高いと報告し ている。 (4)[竹原・須田2004]は、東京証券取引所一部 上場企業のうち3月決算企業延べ12,943社を 対象に、1980年から2000年のFCFモデルとRI モデルにより集計した株主価値と実際の株価 との関連性を分析した。その結果、RIモデル により集計した株主価値の方がFCFモデルよ りも株価との関連性が高いこと、超過リター ンの獲得に役立つ投資情報とした場合には、 短期的にはRIモデルの方が投資情報が相対的 に有効であること、長期的にはFCFモデルの 方が投資情報の有用性が大きいことが報告さ れている。 また[Dechow et al. 1998]は、将来のキャッ シュフローを予測するにあたって、当期のキャッ シュフローよりも当期の会計的利益のほうが良い 予測値を示すことを実証した。[八重倉2001]は、 企業の価値を正確に推定できる会計基準が投資意 思決定に有用であるとすれば、RIモデルのフレー ムワークは会計システムを比較するための有用な 実証ツールになると指摘する。このようにOhlson モデルやRIモデルの方がFCFモデルよりも有効で あることが実証されている。一方以下のような研 究がある。 (5)[Rappaport 1986]は、会計的利益ではなく ここで、NPV(EVA)の後半を展開する。
キャッシュフロー関連情報が投資の意思決定 には有用であるという。ここで示されたモデ ルは財務諸表ではなく利用者(証券アナリス ト)のための計算手法をモデルとして一般化 したものである。 (6)[佐藤・柴1992,1993]では[Rappaport 1986] の株主価値アプローチを実証したものである。 それによると、税引後利益によって計算した 株主価値は、キャッシュフローを用いた場合 よりも低くなる。実際の株価に対してキャッ シュフローの方がより近い値を示していると 結論付けた。 (7)[橋本2007]も、[Rappaport 1986]、[Rappaport & Mauboussin 2001] の モ デ ル を 実 証 し た。 日経NEEDの日経225採用のデータを用いて、 電気機器・化学・輸送用機器の57社を抽出 し1978年から2003年までの株主価値を計算し、 実際の株価との相関関係を調べた。その結果、 Rappaprotモデルは企業評価モデルとして相 当機能していると結論付けた。 以上のように、理論的には各モデルの同値性が 認められるとしても、議論は理論の合理性からモ デルの有効性へと移行している。現実的には投資 家などの利用者サイドはモデルの制約が少なく僅 かなデータと短い予測期間からできるだけ誤差の ない予測値を求める。このような要求にこたえる ことがモデルの有効性を高めていくことになる。 では、経営者への有効な情報の提供という管理会 計の側面からは、このモデルの有効性をどのよう に求めることができるのか。 6.管理会計におけるモデルの有効性 管理会計の目的は、経営者にとって有用な会計 手法や考え方を提供することである。投資家によ る企業評価の基準が、株価収益率や自己資本利益 率といった一期間の利益率から、将来を予測する 情報に基づく経済的価値にシフトしたことによっ て、経営者は短期的な期間利益の最大化を目的と するのではなく長期的企業価値の最大化を目標と することになった。そのため管理会計には長期的 な企業価値を増大させるために有用な意思決定情 報やその結果の業績評価技法が求められることに なった。 企業経営者が長期にわたる設備投資などの意思 決定を行う場合、キャッシュフローを現在価値 に割引く割引現在価値法(Discounted Cash Flow: DCF)が使われている。この方法は、すでに19世 紀から実務において開発され普及したのは1970年 代に入ってからであるが、現在では資本予算の有 効な意思決定手段として利用されている[香取 2008]。この方法は、本稿で扱うFCFモデルと同 じ計算構造である。したがって、意思決定技法と してFCFモデルを援用することに問題はない。で はOhlsonモデルやEVAモデルのようなRIモデルを 意思決定に利用することはできるのだろうか。表 1の計算結果からわかるようATCF(NPV)とEVA (NPV)が等しい。このことは、FCFモデルでの 意思決定の結果がEVAを用いても得られるという ことである。したがってEVAモデルをはじめとす るRIモデルの利用は可能である。 ATCF(NPV) 0 1 2 3 4 5 (1)売上 1,000 1,500 3,000 5,000 2,000 (2)営業費用 750 1,125 2,250 3,750 1,500 (3)運転資本増分 200 100 300 400 -600 -400 (4)固定資産増分 1,000 (5)使用資本 1,200 100 300 400 -600 -400 (6)税引前CF -1,200 150 75 350 1,850 900 (7)減価償却費 500 250 125 63 63 (8)営業利益 -250 125 625 1,188 438 (9)税金 -130 65 325 618 228 (10)税引後CF -1,200 280 10 25 1,233 673 ATCF(NPV) 652 表1 ATCF(NPV)とEVA(NPV)
管理会計のもう一つの側面である業績評価はど うか。業績評価とは、過去の一定期間個人やグ ループ、事業部の単位で行われた企業への貢献分 を測定することであり、これを期間比較すること で業績の向上を図るものである。したがって、企 業評価モデルのように将来の期間のキャッシュフ ローや会計利益から現在の株価を推定する計算構 造では一期間の予測値と実績との比較による評価 を行うことになる。 1960年 代 後 半 か ら 事 業 部 制 が 導 入 さ れ、 そ の 業 績 評 価 尺 度 と し て 投 資 利 益 率(Return on Investment: ROI)が主に用いられていた。1980年 代後半からROIよりもRIの方が株価との相関関 係が高いことが明らかにされてからRIが注目さ れ始めた[Kaplan & Atkinson 1982]。そしてRIの 一形態であるEVAが1994年に発表されたのであ る[Stewart 1994]。以前からROIが資本コストを 計算の中に考慮していないという指摘はあった が、EVAはその点を克服したのである。このよう にもともとEVAやRIは業績評価尺度として利用さ れるための指標なのである。それに対してキャッ シュフローは業績評価尺度にはならない。[小倉 2001b]は、東京証券取引所1,2部上場企業378社 について、売上高が伸びている企業と減少してい る企業のFCFを調べた結果、株式市場は売上高の 増減をバリュー・ドライバー(企業価値の指標) として捉えており、短期のFCFは売上高の増減と 逆方向の動きを見せる確率が高いと指摘し、業績 評価尺度としてFCFは適切ではないと結論付けて いる。FCFが多いからといって良い業績とは限ら ず、かえって問題を生ずることさえある。業績が 赤字であるがFCFがプラスの企業は買収される危 険性がある。また、逆に活発な投資活動の結果 一時的にFCFがマイナスの状態が生じたとしても、 それが業績の悪化を示すとは限らないのである。 7.むすび 1980年代までの議論では、会計的利益に基づく 企業評価よりもキャッシュフローによる評価の方 が適切であると考えられてきた。その理由は、会 計的利益は調整が可能であり、決算が恣意的なプ ロセスで行われること、また支払利息を計算に含 めるので時間価値換算ができないため長期的な経 済的利益の測定ができないというものである。し かし、1990年代後半には、会計的利益をもとにし たRIモデルではキャッシュフローを用いなくても、 配当割引モデルやFCFモデルと理論的に同じ計算 が行えることがわかった。EVAモデルやOhlsonモ デルが長期的にみればRIの割引現在価値に資産簿 価を加えたものであり、FCFの割引現在価値に一 致することは、RIによる企業評価の可能性を示し た。それ以後、このような分析的研究の結果を受 けてモデルの有効性を求めて、実証的研究が現在 進められている。将来に対する予測は不確実であ るが、限られた情報から可能な限り正確な結果を 導く有効なモデルの構築に向けて研究されている。 企業評価論のような投資家などの利用者の視点 からではなく、経営者のための情報という管理会 計からの視点からモデルの有効性を考えると、少 なくともEVAモデルやRIモデルなどの会計的利益 に基づくモデルは意思決定や業績評価の果たすこ とは可能であるが、FCFモデルを業績評価に用い EVA(NPV) 0 1 2 3 4 5 (1)売上 1,000 1,500 3,000 5,000 2,000 (2)営業費用 750 1,125 2,250 3,750 1,500 (7)減価償却費 500 250 125 63 63 (8)営業利益 -250 125 625 1,188 438 (11)運転資本 200 300 600 1,000 400 0 (12)固定資産 1,000 500 250 125 63 0 (13)使用資本 1,200 800 850 1,125 463 0 (14)資本費用 120 80 85 113 46 (15)資本費用控除後税引前利益 -370 45 540 1,075 391 (16)税金 -192 23 281 559 203 (17)EVA -178 22 259 516 188 EVA(NPV) 652
ることは有効ではない。
EVAはStern Stewart社の登録商標である。
参考文献
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