ER
富士通総研経済研究所
経済・経営・技術読本
8
May 2018
『ER』第8号は、「日本学から知を考える」と題して、日本の精神性 や心について、さまざまな識者の知を集めました。以下に、そのエッ センスをご紹介いたします。 東大寺長老の森本公誠氏をお訪ねし、「寄り添う」とはいかなる行 為であり、どのような意味を持つのかについてうかがいました。実は、 森本氏は仏教の僧侶でありながら、イスラム史の研究者でもあります。 今回のインタビューでは、人間のあるべき姿や生き方について、文 字通り“ありがたい”メッセージをいただきました。 今年3月の『日本経済新聞』の「私の履歴書」に登場された宗教学 者の山折哲雄氏は、日本人の根底にある意識や価値観、精神構造、 さらには日本の精神史や風土について研究を重ねてきた斯界の権威 のお一人です。複合的でありながら要素還元できない「こころ」には、 宗教を代替しうる力があるというお話をいただきました。 あらゆるものに「有限性」という制約が存在しますが、それゆえ人 間は成長や繁栄を求めるのではないでしょうか。鎌倉女子大学教授の 竹内整一氏が、有限性の意義について考える重要な概念や文献を紹介 されながら、この問題への理解を深める論考を寄せてくださいました。 日本人にとっての美の本質とは何か。日本人の美意識はどこから生 まれるのか――。『九鬼周造−偶然と必然』(ぺりかん社)で、宗教 や哲学に関する優れた著作に授与される第1回中村元賞を受賞され た日本女子大学教授の田中久文氏に、本居宣長や藤原俊成、唐木順 三らの思想をうかがいながら、上記の問題について考えます。 ハーバード・メディカルスクールで教鞭を執るジョン・ハラムカ氏は、 大の日本通として知られる救急医です。日々世界最高レベルの医療 やICTに囲まれながら、日本の自然に溶け込み、旅先で出会った人々 に心を寄せ、数々の実践を通じて日本的精神を理解しようとする姿 には感服します。 新進気鋭の研究者である山口真一氏には、インターネット上の「炎 上」とネット言論について、洞察の成果をご紹介ただきました。曰く、 炎上に書き込む動機の大半が「正義感」である――。この軌道を切 り替えるのが、他者を尊重するという倫理観というのは大変興味深 い点です。 スイス北部にある美術館で館長を務めるカタリーナ・エプレヒト氏 には、長谷川等伯の代表作である『松林図屏風』(国宝)に見られる 日本的精神についてお話をうかがいました。「無」や「不完全性」の 中に生命の真摯さがあり日本的精神があるという主張は、日本芸術 に対する憧憬に充ちています。 富士通グループの研究員も日頃の研究活動の成果を披露しており ます。合わせてご笑読いただければ幸甚です。 この4月より、富士通総研経済研究所長を拝命するとともに、『ER』 編集長を務めることになりました。1996年に「将来の日本、世界の ために“かくあるべし”と勇気をもって問題を提起し提言すべき」と 言った富士通の山本卓眞会長(当時)の言葉を忘れずに尽力していく 所存です。また、『ER』に関しては、一橋大学名誉教授の野中郁次郎 先生の「日本を拠点にした世界の賢慮の知の探索と発信」というトポ ス会議の趣旨を体現すべく継続して参りたいと思っております。これ まで同様、皆様のご指導ならびにご鞭撻を賜りたく、よろしくお願い 申し上げます。 2018年5月 株式会社富士通総研 取締役執行役員専務 経済研究所長
長堀 泉
経済研究所長ごあいさつ
P03
経済研究所長ごあいさつ
長堀 泉 株式会社富士通総研 取締役執行役員専務 経済研究所長P06-11
包容力を示す
森本 公誠 東大寺長老P12-15
日本の精神性
山折 哲雄 宗教学者P16-19
ゆたかな有限性の方へ
竹内 整一 鎌倉女子大学教授P20-23
美意識にみる日本人の精神性
「あはれ」
「幽玄」
「さび」
田中 久文 日本女子大学人間社会学部 教授P24-27
魂の遍歴
日本の心を受け入れる
ジョン・ハラムカ ハーバード・メディカルスクール 教授P28-31
データが示す炎上の意外な事実と
2018
年
5
月
21
日発行号 目次
株式会社富士通総研 経済研究所
P32-33
曖昧さと不完全性の中に存在する「無」と「有」
絵画から日本の精神性を知る
カタリーナ・エプレヒト 万聖教会博物館(スイス・シャフハウゼン) ディレクターP34-35
私たちの地方創生
高知家 × 富士通「協定」活動の現場から
岩山 尚美 富士通株式会社 四国支社 エリア戦略推進部 川村 晶子 富士通株式会社 四国支社 エリア戦略推進部 由比 良雄 富士通株式会社 四国支社 高知支店P36-37
地域資源の戦略的活用
再生可能エネルギー事業による
地域経済循環をめざして
渡邉 優子 株式会社富士通総研 経済研究所 上級研究員P38-39
人類
2.0
だけが生き延びる
日本型の感性が導く新しい人と社会の形
武 理一郎 株式会社富士通研究所 准フェローP40
ER
バックナンバー
P41
編集後記
浜屋 敏 株式会社富士通総研 経済研究所 研究主幹相手の立場に立つということ 仏教の場合は、寄り添う手段として布施、愛語、利行、同事という 4つの事柄があるという建前になっています。これらは、お釈迦さん 自身が言われている言葉を纏めたものです。 相手の立場に立つということは、実際はなかなか難しいことなの ではないかと思います。なぜなら、人間は自己中心的な生き物だか らです。相手の立場にばかり立っていたら、自分自身を見失ってしま うということにもなります。「人間とは何ぞや」ということを考えた場 合、やはり欲望の存在であることは間違いありません。しかし、そ れを突き詰めていくと、自己破壊になるでしょうから、人間は集団を 組むのだと思います。ところが集団になると、それが悪いかたちで表 れることがあります。例えば、戦争といった、多くの犠牲を払わなけ ればならない政治的な行動です。 自己中心的な行動をしていると、「相手を傷つけることによって本 当に自分自身は幸福なのか?」という疑問が出てくるでしょう。です から、やはり何かあった場合は、一旦は相手の立場に立ってみるとい うことを仏教的には教えていると思うのです。 では、具体的にはどういうようにして相手の立場に立つのかという ことが問題になっていきます。一番わかりやすいのは、自分の持って いる物を相手に与えるという布施です。お金に限らず、労働力でもい いし、知恵でもいい。自分の持っている何かを相手に与えるのです。 愛語は、相手にできるだけ優しい言葉をかけてあげることです。人 間はどうしても相手に厳しくなり、批判的になりがちです。そして、 相手がやっていることを否定して、「そんなことしてたらダメだ!」と きつく叱る。それがしつけのやり方だという考え方ももちろんあるわ けですが、それでは辛くなってしまうでしょう。 この愛語という言葉は、インド思想を中国の仏教学に取り込んだ ものです。それを、日本の禅宗の偉い坊さんで曹洞宗の開祖である 道元という人が日本語的に解釈し「人は誉むべきなり」ということを 言っておられます。これはなかなか当を得ている言葉ではないかと、 私は思っています。 人間にとって、人を非難するのはありがちなことです。ところが、 いま、「寄り添う」という言葉が流行ってきているような気がしますが、仏教では元々そういう考え方を説いています。お釈迦さん は幼い頃から「人間とは何か」「人生とは何か」について非常に悩み苦しんだ人です。その悩みを解決するために修行をし、ひとつの 境地に至りました。その経験を生かして、自分と同じように悩みを持っている人たちを救おうというのが出発点だったと思います。 「あなたが悩んでいるようなことは、あなただけのことではありませんよ」と、一旦は相手の気持ちになって寄り添うのです。しかし、 そのままではなかなか救いにはなりません。それなりの客観性を持ち、「何を教えてあげることができるのか」を考えます。それで も悩みは解けない場合が多いものです。寄り添うというのはそのような態度のことで、これは現代社会においても大切なことです。
森本 公誠
東大寺長老Morimoto, Kosei Abbot Emeritus, Todaiji Temple
人を誉めるというのは、なかなかできないものです。身近な例えで 考えると、自分の好きな相手であれば気に入ってもらおうと、その相 手を誉めて誉めまくる。すると、その相手が自分の方に寄って来ると いうことになるでしょう。愛語は、相手の立場に立った寄り添い方と しては、非常に積極的な言葉のかけ方だと思います。 利行は、人のためになることをすることです。ボランティア活動な どが該当すると思います。そして、同事は、全く相手の立場に立つと いうことです。これが直接お釈迦さんの教えなのか、お釈迦さんの 教えを集約して後の仏教徒がそういうふうに纏めたのかは、ちょっと 私もわかりません。 「相手のことばかり考えていたら、自分はどうなるんだろう?」とい うのは誰しも思うことです。「そんな立派なことは自分には到底でき ない」と思う人も多いでしょう。しかしまた世の中には、人のために 尽くすということが、悪い方向に利用されることもあります。例えば、 かつての日本では、滅私奉公で戦争に行く、すなわち、国家のため に人を殺しそして自分を殺すなどということもありました。自分と相 手の関係について、どこからどこまで線引きするかは現実的には非 常に難しいものです。 キリスト教も、イスラム教も、ユダヤ教も、全て一神教です。私は、 人類の歴史の中で、一神教という宗教観はおそらく後から発生した ものだと思います。しかしながら、一神教の宗教観、さらには世界 観というのは、もともとインド以東の東アジアにはありません。仏教 と他の宗教を比較したとき、これが最も大きな違いだと思います。 なるほど、キリスト教もアガペーといって絶対愛を説きます。我々 もキリスト教を学校で学んだ時に、「右の頬を叩かれたら左の頬を差 し出せ」という思想を知りました。しかし、「叩かれたら叩き返す」と いうのが人間の本来の姿だと思うのです。やられたらやり返す。こ れが人間の本性です。子供の間だけではなく、大人の世界にあては めて考えてみてもそうです。ですから、それを信じろ、実践しろ、と いうのはなかなかできないものです。ということは、普通の常識を 超えた愛というものが、キリスト教の場合は存在しているのだと思 います。 キリストは、全人類を救うためにこの世に救世主として出てこられ た。しかし、考えてみたら、キリスト本人は神から救われましたか? 救われていません。ですから、彼は磔になった時に神に「なぜ私を見 捨てたもうたか」と言ったという。では、誰がこのキリストを救うのか。 神すら見捨てたこのキリストを誰が救うのか。これは私が言っている のではなくて、かつて何かの書物で読んだのですが、どうもバッハが そのようなキリストを自分の腕に抱いて、何とかして救おうと、そう いうことを音楽で表現しようとしたのが受難曲だということでした。 初めてキリストの受難曲を聴いたとき、心から感動しました。 やりたいことをやればよい 私は1953年に京都大学に入学し、修士課程を経て1959年に博士 課程に進級しました。専攻はイスラム史です。諸外国の文献を研究す るうちに、やはりイスラムの現地へ行って確かめたい、留学したいと いう気持ちが強くなってきました。 その時私は既に得度をしていましたから、周囲からは、仏教の研 究をやりなさいとか、仏教史を勉強しなさいとか、サンスクリットを 学ぶとか、あるいは仏教美術史を学ぶとか、色々と言われました。し
かし、それらの分野は、専攻している人が多く、優れた研究実績も たくさんあります。ですから私は、「誰もやっていないことをやってみ よう」と思ったのです。これは若気の至りだったかもしれません。し かし、冒険かもしれないけれど、自分がもし学問というものを志す のであれば、やはり挑戦してみたいと思ったのです。ところが、いざ 研究を始めると、大学に文献資料もほとんど無く、アラビア語もな かなかわかりづらく、本当に大変でした。 幸いエジプト政府の交換留学生試験に合格しました。もっとも滞 在費は支給されるのですが、留学のための旅費は自弁ということで したので、この費用をどうするのかという問題がありました。1960年 のことです。当時、京都大学の教授の月給が7万円ぐらいだったでしょ う。それに対して、東京からカイロまでの飛行機賃が20万円だった と記憶しています。ですから、大学の教授たちですら、国費での研 究留学でも、ほとんどが貨客船を利用されました。横浜からスエズ 運河を経由して、ヨーロッパへ行く。そこからフランスへ行ったり、 他の国々へ行くという人が多かったのです。そのような苦労があるの ですから、私のようなお寺の学生がどうしてエジプトなんかに行くん だ、と思っていた人もいたでしょう。ところが、当時の管長に事情を 話すと、「若い時にはやりたいことをやればよい」と励まされました。 本当にそれだけでも有難かったですね。東大寺からは戦後初めての 海外留学だということで、弟子という身分にも関わらず、管長は盛大 な送別会を開き、一同から万歳三唱を受けました。この時の感激を 私は忘れられません。 ところで、留学は認められたものの、旅費をどう工面するかが問題 でした。あちこち尋ねて情報を求めたり、教授に相談したりしていた ところ、大阪の丸善石油(現コスモ石油)がクウェートまでタンカー に乗せてくれそうだという話を聞きました。お金のない学生や芸術家 を助けてくれる、そういう制度ができたらしいと知り、すぐさま大阪 の本社へ行ったのです。すると、「確かにそういう制度は設けました。 だけど、学生さんの場合は、あなたが所属している大学の一番トップ の人の推薦状をもらって下さい。」と言われたのです。つまり、京都 大学総長の推薦状が必要だ、と。一学生が総長に頼んですぐに貰え るというのは、とても考えられないのですが、総長を尋ねました。と ころが、事務の方から、「ここは学生が来るところではない」と追わ れそうになりました。 当時はまだ学園紛争の前ですから、総長という存在は本当に雲の 上の人です。事情を話すと、「あなたの所属が文学部なら、文学部長 から総長へ申請をするように」と指示されました。自分が所属してい る東洋史の教授に一部始終を話すと「そりゃ君ダメだよ」と笑われま した。 今考えてみると、それもひとつの経験だったと思います。自分で考 えて、手探りでもいいから道を見つけ出す。諦めずに行動する。そう するしかなかったのです。 日本からタンカーに乗っての船旅は、だいたい2週間ほどでした。 ほぼノンストップに近い状態でクウェートまで行きます。むろん船賃 は無料です。その間、食事や寝泊りの世話をしてくれるボーイさんが おり、彼へ3千円のチップを渡すように言われました。船の世界とい うのは一種の高級ホテルのようなものです。船長以下の高級船員と 一般船員とは食堂も違うし、料理も違う。私はこの高級船員並みの 接待でクウェートまで行かせてもらいました。
包容力を示す
クェートでは当時まだ発足して間もないアラビア石油という日本の 企業のお世話になりました。実は京都大学にアラビア語の非常勤講 師として来ておられた大阪外国語大学(現大阪大学)の先生にエジプ ト留学の話をすると、「卒業生で確かアラビア石油に入った者がいる はずだから、連絡してみるよ」ということで、クウェートに着く直前、 その卒業生の方に電報を打つと、港に迎えに来てくれました。これも 縁です。飛行機の便があるまで会社の職員寮に2泊ほどしたでしょ うか。 クウェートからカイロまでの切符は、「直行でも、ベイルート経由 でも、値段は一緒だ」ということだったので、「それならば」と思い、 遠回りしてベイルート経由で行きました。当時は飛行機の便数が少 なく、乗継のための待ち時間を利用してベイルートの街を見学しよ うと考えたのです。 不幸は向うからやってくるが、幸運はみずから掴まねば 色々なことがあり、その都度その都度、たくさんの人たちのお世 話になりました。しかし、それでもやりたいことを実現できたのは、 諦めなかったからだと思います。 京都大学まで行ったのなら仏教学の勉強をすればという批判もあ るなかで「若い時にはやりたいことをやればよい」という、当時の管 長の言葉に背中を押された形だったのですが、幸運はみずから掴み に行かないとやってこないというのが実感です。 話は変わりますが、東大寺には二月堂修二会(通称お水取り)とい う行事があります。ある年の行中の真夜中、私は転倒して、足の膝蓋 骨(通称皿)を骨折してしまいました。これをひとつの不幸と見ると、 「どうしてこんなことになったのか」と考えてしまうのですが、しかし、 起こったことは仕方がないし、考えてもどうすることもできないので す。交通事故にあう人もいます。自分に何の落ち度もないのにもかか わらずです。これはまったく不幸が向こうからやってきてしまった出 来事です。病気というのも、ある程度自分が気を付けないことによっ て患ってしまう病気もあるだろうけれども、伝染してしまう病気や遺 伝してしまう病気もあり、これは避けられないことです。しかし、だ からこそ、やりたいことは絶対に努力し、自分で幸運を掴みに行かな ければならないのです。 会社の中でもそうだと思いますが、部下の資質をやはり上司の人 は見極めてあげたり、「やりたい」と強い思いを持っている人がいる のなら、背中を押してあげたりすることが必要です。「自分の意志と は違うけれども、ひょっとしたらこれは伸びるかもしれんな。応援し てあげよう」という判断が出来るかどうかです。これは、上司自身が 持っていなければならない資質であると言えるかもしれません。 「そんなことして何の役に立つんだ!」と言って拒否してしまうと、 やっぱり部下はげんなりするものです。上司自身も、部下を含めて 色々な相手に寄り添うということが必要なのです。私自身には、この ように人を見る目があるとは絶対に思わないのですが。 しかし、色んな人の話を聞いていると、やはりあの人は相手をちゃ んと見ておられたんだな、と思わざるを得ないことが多くあります。 非常に成功した人は、全く自分だけで成功したのではなく、その時 に勇気付けられたとか、背中を押してもらったとか、大先輩の人がお られてそれでその人のアドバイスで急成長した、などという背景があ るように思います。
宗教が果たすべき現代の役割 宗教が果たす現代的な役割というのは、次第に幅が狭まってきて います。人間は、最後の最後に追い詰められても、心の問題という のは尽きないわけでしょうから、苦しく虐げられて生きるよりも、や はり人生というものをできるだけ安らかに生きるほうが望ましいこと は間違いありません。昔の人は、「この世ではつらいけれどもあの世 に行ったら極楽へ行けるんだ」という思いで暮らしていました。中世 では、宗教が日常的であり、それが宗教の果たした役割であると言 えます。 ところが、今はみんな極楽や天国があるとは、日常的に意識しては いません。むしろ、「天国ってみんなあると思っているのかな?」と現 実的に考えている人が多いのだと思いますが、仮にそのような天国 というものがあるとして、私たちは、亡くなった人に対して「あの方 は天国へ行かれたんだ」と思うこと、それ自体が自分を救っているわ けなのです。なぜなら、「自分の父親は地獄に落ちて…」と考えるこ とは、自分を苦しめることになるからです。私たちは、時に宗教のバッ クグラウンドを利用して生きているのです。 昔の人は、心身、つまり心と体を別々に分けて捉えていました。し かし、現代では、これだけ科学が発達して、病気だけではなく、脳 の作用などまで分析が可能となり、症状の原因なども解明されてき ています。これは、かつて心が占めていた分野、すなわち精神領域が、 モノ化しているとも言えます。それだけ心の領域が非常に狭まってい ると思いますので、はたして心に訴える宗教という存在意義があるの かと考えると、なかなか難しいことです。難しいけれども、やはり人 を感動させる話であるとか、相手を思いやること、寄り添うことの大 切さなどは、人々の中にしっかりと残っています。宗教という既成概 念ではなく、新しい人間の精神的な感情として、そこに宗教が果た す新しい役割があるのかもしれません。 日本の精神性 日本人というのは、赤ん坊が生まれたらお宮参りに行き、そしてあ る程度成長して結婚式を挙げる時は、信者でもないのに教会でした り、お葬式はお寺で執り行ったりする。一神教の人たちからみると、 なんていい加減な民族だろうという感じになる。特に知識人ほど顕 著だと思いますが、「言われてみれば、我々は何ともいい加減だなあ」 と自信を失うのです。 そうではなくて、日本人というのは昔から「神も仏も敬う」という 精神でずっときているのです。日本人にとっての神というのは非常に 多く、あらゆる存在物には精霊が宿っていると考えられてきました。 ですから、いわゆる生物学的な生きものだけではなくて、例えば巨 石信仰のように、巨大な岩や鉱物にも神が宿るという信仰が先史時 代の日本にありました。岩だけではなく、樹木や川や滝などあらゆる ものに神が宿っているという感覚を持っているのです。そこへ伝来し てきたのが仏教です。仏教とはお釈迦様の教えです。キリスト教はイ エス=キリストの教え、イスラムは預言者ムハンマドの教えです。つ まりこれらは教祖あっての宗教です。そこには教祖の説く教えがある。 ところが、神道に教えというのがありません。あらゆるものに精霊が 宿っているという精神性があるだけなのです。 それを日本の仏教徒は、山川草木悉有仏性と置き換えました。草 木の中にも仏になる種がある、と考えたのです。仏になれるのでは
包容力を示す
なくて、種があると。そのような信仰がさらに進んでくると、山川草 木悉皆成仏といって、生物だけではなく鉱物みたいなものでもみんな 仏さんになれる、と説いて来ました。 しかし、このような考え方は、人類史的に言えばどんどん破壊さ れていきました。例えば、かつてはゲルマン社会にも神話的世界が 存在していましたが、キリスト教の布教とともに、それらは全て間違っ た、あるいは遅れた信仰で、キリスト教の方がずっと素晴らしいのだ と説かれ、徐々に捨てられていきました。それだけ一神教の持つ布 教力や説得力、発信力が強かったのだと思います。ケルト族も、古 くからあらゆるものに精霊が宿っているという信仰を持っており、中 には、今でもその精神を伝え続けている人たちもいるようです。そ れはとても大事なことではないかなと私は思います。 世の中が多様性を重視する時代になってくると、一人ひとりの違い が大切になります。これまでの一神教的な考えを以って全てを見ると いうことは、全部コピー人間になりなさいということで、ちっとも面 白くありません。同じ人間ばっかりになって、一人のリーダーが「右 向け右!」と言ったら「ハイッ!」と言っている社会は軍隊と同じです。 この世の中は、非常に多くの人間がいて、考え方も暮らし方も、実 に様々なのです。「いかにして違った考え方の人が共存できるか」と いうことこそが、今の人類にとって大きなテーマだと思います。そう いうことからすると、日本人は昔から共存してきた。そう言えると思 います。 本当は、このような昔ながらの日本の考え方が、今の時代に必要な のではないでしょうか。お互いの存在意義というものを認め合いな がら共存していく。これは、日本の源流です。ですから、自信を持っ て良いのではないかと思います。相手を排除するのではなく、受け入 れ、寄り添い、思いやる。たまたま「排除」という言葉を使ったこと で大敗した政党もあります。今、やはり世の中全体に包容力が必要 なのだということを示していたのではないかと思います。 聞き手:富士通総研経済研究所 主任研究員 吉田倫子 研究員 ニック・オゴネック 中山元子 文学博士。1934年、兵庫県生まれ。15歳で東大寺に入寺。1957年京都大学文学部卒業。 1964年京都大学大学院博士課程修了。1968年京都大学文学博士学位取得。 1965∼98年京都大学文学部講師(非常勤)。 東大寺図書館長、東大寺学園常任理事、東大寺財務執事、同教学執事、執事長・華厳宗々務長、同上院院主・東大寺学園理事長等を歴任。 東大寺第218世別当・華厳宗管長(2004年∼2007年)、東大寺長老(2007年∼)、東大寺総合文化センター総長(2010年∼2013年)。 2015年、外務大臣表彰。著書に『初期イスラム時代エジプト税制史の研究』(岩波書店、1975)(日経・経済図書文化賞受賞)、『世界 に開け華厳の花』(春秋社、2006)(圓山記念文化賞受賞)など多数。 また訳書にタヌーヒー『イスラム帝国夜話』上下(岩波書店、2016−17)(日本翻訳文化賞受賞)など。
日本の精神性
山折 哲雄
宗教学者Yamaori, Tetsuo Religious Studies Scholar
万葉集から今日までの日本の文献を調べると、常に出てくるのは「こころ(心)」という言葉です。ですから、心という言葉は日本の根幹であると言えます。 最近、心は禅のように国際語になりつつあるのではないかと思うことがあります。海外の学術文献を読んでいると、心、心イズムという言葉が少しずつではあ りますが、使われてきていることがわかります。 私は、心が宗教に代わる存在になりうるのではないかと考えていました。しかし、心について真剣に考えている機関は少ない。一般的な大学教育、特に人文 学の領域ではもしかするともうできないような状態にあるのかもしれません。今は、大学よりも大企業の研究所が果たす役割が大きいかもしれない。心や文化 などについて考えるような、かつての人文系の研究所のような、塾のようなものをつくる、そこでこの問題を真剣に研究する、そういう時代ではないでしょうか。 日本を俯瞰する 日本列島を3,000メートル上空から俯瞰すると、沖縄から本土ま では大海原が広がり、本州は南から北に向かって行けども行けどもこ んもりとした森と山が脈々と連なっていることがわかります。しかし、 視点を降下させると、次に見えてくるのは耕作地帯としての平野です。 そして、さらに高度を下げると、そこに展開される空間は、近代的な 都市の姿です。 このように、日本列島は三層構造で出来ていることがわかる。一番 の深層の部分に縄文的な価値観あるいは人間観と言ってもいいもの が横たわっていて、そこから滲み出てくる重要な考え方として挙げら れるのが何といっても「無常観」でしょう。 そもそも自然というのは、ひと時も留まるところがない。変化を繰 り返している。変化の循環を繰り返している、つまり永遠なるものは ひとつもないけれども、風土そのものは独自の持続性があって残り続 けているわけです。自然そのものの中には絶えず変化があり、それが 地震、津波、台風等々という自然災害を起こす。日本は、そのような 風土的環境で出来上がっており、そこから何事も「常ならぬ」無常観 という考え方が生み出されてきました。この日本列島に住む人々は、「無 常は当然のこと」と受け取り、毎日の暮らしをたててきたと思います。 この国の教科書的な知識では、6世紀に仏教が日本に入ってきて、 それと共に様々な思想が伝来したと言われています。それはそれで事 実ではあるけれども、観念としての仏教の無常観以前に、つまり風土 としての無常は、もっと古くから日本に存在していたものです。風土 と人間との関係を根底的に方向付ける無常観がそもそも縄文時代か らあったということです。このようなことを考えると、無常観もまた 二重構造になっているということがわかる。そしてここに日本人の精 神性の一番の根本があると私は思っています。 西洋的な風土、その風土から生み出された西洋的な思想の基本に は、古いものを否定し、それを土台にして新しいものを生み出してい く、という進化論的な考え方が主流でした。古きものは滅んで新しい ものを生み出すという前提があります。この思考のメカニズムが色ん な面で非常に強く働いている。常にそうだというわけではありません
けれども、根底に存在している。 ところが日本の場合は、農業革命を経て、弥生的な価値観や人間観 が生み出され、それが縄文的な価値観や人間観と重なっていった。前 代の縄文的な森林社会的な価値観、世界観をそのまま受け継ぎなが ら、積み重なって展開していきました。過去を否定して発展するので はなく、それを抱え込んで発展する。東洋と西洋を二元的に区分して しまうと味気ないことになりますが、あまりにも明らかな違いです。 それでは、この無常観を抱え込んだ新しい弥生的な価値観とは何 かというと、これは色々あるわけです。その中で一番重要なのは、私 はやはり勤勉性だと思っております。この勤勉性の特質というものは、 後に「勤勉革命」という独自の言葉が生み出されたほどでした。 もうひとつ、これは一般的にあまり意識されてはいないのですが、 一種の「日和見主義」もこの時代の特徴といえるでしょう。農耕的な仕 事は、絶えず天候に左右されます。特に日本の場合には、四季が非常 にはっきりしており、そのため季節それぞれの天候の状況、天象、気 象の問題には非常に敏感で、それに対応する農作業がどうしても必要 となってくるわけです。それはなにも日本の農業だけではないのです けれども、しかしやはり気象の変化を観測する方法や度合いというも のは、ヨーロッパやアメリカの農業の場合とは違います。 その点を表す実にいい大和言葉が「日和見」なのです。もともとは 天候を見るということですが、それが政治的にも転用されて、日和見 主義の政治家という言い方にもなった。別の角度から見ると、この日 和見主義は、柔軟性のある政治行動と言うこともできるんですね。そ れは無原則といった面でもあるのですが、柔軟な身の処し方というわ けで、功罪相半ばする。 相手あっての自分・共同体・国家 さて人間関係の問題になりますが、「相手あっての自分」とういうの が、そもそもかつての日本人独特の考え方だったと思います。日本人 の人間関係の基本は、相手あっての関係で、それが拡張して、相手あっ ての村社会、共同体、国家だと考えられてきた。友人関係、夫婦関係、 兄弟関係、師弟の関係等々色々な二者関係がありますが、相手がいる ということが前提にあった。この相手あっての二者関係の基本構造を 明らかにしたのが、土居健郎さんの『甘えの構造』です。ここは誤解 されやすいのですが、土居さんの言う「甘え」というのは基本的に人 間同士の信頼関係を表す言葉、強い結びつきの関係であり、最近の 日本人がよく使う絆という言葉に繋がります。 ところが最近はこの「相手」という言葉が使われなくなっています。 その代わりに多くの人が「相手」に代わって「他者」という言葉を用い るようになった。親子の親も他者、先生も他者、友人も他者。テオドー ル・アドルノなどの外来の思想が影響しているのでしょう。 西欧近代社会が生み出される過程では、唯一の神と自分との関係 でいつも考えなければならない、いってみれば思考の軸でした。その 神との関係を断ち切ることが近代への入り口に繋がっていたと思うの ですが、その場合、切断するための神をまず他者と認識することが必 要だったわけです。その理論がこの地上における対人関係においても 適応されている。これは契約の問題と同じです。神と個人との契約の 関係が、神の存在の否定によって、今度は個人対個人の契約に変わっ ていった。これが西欧社会における近代化の自然の流れだったと思い ます。しかし、その「他者」という言葉を無媒介に日本の社会に導入 しようとしている。これは非常に残念なことです。他者という言葉は、
信頼に基づく二者関係、相手あっての自分というものを、色んなとこ ろで分断してしまうわけです。これが日本の社会における一種の混乱 を招いています。 他者という考え方が無意味だなんて私は言っていません。他者の中 で一番重要な対象はやはり死者でしょう。戦争や災害の死者をどう見 るか、鎮魂するか、慰霊するか。他者論で考えると、いつまでたって も死者は他者のままなのです。私は、日本人の根底的な価値観には、「先 祖」という考え方があると思っています。日本人の千年の歴史におい て非常に重要な問題は死者、すなわち他者である死者をいかにして自 分の先祖として祀るかということだったと思います。日本人の先祖崇 拝の基本です。それはヨーロッパにおける神の位置づけと同じで、し かもその意味合いはまるで違う。 西洋人が近代化の過程で神、つまり超越神としての神といかに付き 合い、戦い、克服しようとしたかという、その血のにじむような努力 を我々はやっていないと私は思います。日本の先祖は、それほど強力 な、神的な存在ではなかった。もっと違う、一種の内在的な価値を持 ち、人々の心にずっと宿り続けてきた存在です。それを単なる他者に 還元してしまっているのは、やはり残念です。 この問題は、次のような観点からも議論できます。すなわち、「わ たし」という一人称単数についてです。西洋近代語では、一人称単数 はひとつしかありません。英語の場合にはI(アイ)、ドイツ語の場合 にはich(イッヒ)、フランス語の場合はje(ジュ)だけです。ところが、 日本の場合、一人称単数は無数にあります。オレ、あたし、ワシ、手前、 朕、臣。このことに注目した人が正岡子規でした。当時、130例ほど 数えあげていました。方言まで入れたら、もっともっとあるでしょう。 いったいこれは何を意味するのかということです。世界を見渡し、 そして、社会を見たり人間を観察したりする時、西洋近代語は、一人 称単数の観点からすべてを見る。これはこれですごいことです。我考 える故にあり。自分が考えるから世界があるのだという考え方に繋が ります。しかし、日本人の「私」という主体は、省略することが当たり 前のものとして扱われてきました。例えば俳句や和歌では「我」が前 面に出てくることがありません。主語である一人称単数は、いつでも 自分の地点から発せられるだけではなく、気がつくと相手の側に立っ て発言している。相手の背中に回り込んで発言している。色々な身分 になり変って発言している。色々なものに変わる、その場所にいる多 様なものになり変わって発言する。そうすると、社会を見ながら天の ことを意識したり、自然のことを視野に置いたりということになりま す。遠景近景にいつでも飛んでいける。そういう主体が日本人の考え 方の背後にあります。そういう変幻自在な存在としての一人称単数な のです。そういうところから、相手の立場になるという問題も出てくる わけです。これはいい面です。しかし、悪い面も当然出てくるわけです。 つまり、発言する主体の責任はいったいどこにあるのか、と。 宗教を代替する「心」 私は、既成の大宗教の賞味期限はもう切れているのではないか、と いうことを前からずいぶん言ってきました。キリスト教もイスラム教も 仏教も、そのような世界宗教というものの生命力はもう衰えてしまっ ています。今日の世界を取り巻く大問題、地球規模の環境問題、そ して民族紛争もそうですが、もうこれら大宗教の力では解決できない 状況です。むしろ、対立と紛争を煽っている。しかし、人類は宗教な
日本の精神性
しで今後生きていけるのかというと、それはできないでしょう。では、 次に新しい宗教が生まれるのかどうか、それがアニミズムではないか と、しかしそういう単純な議論ではないだろうと思います。 このような状況の中で、日本人として、あるいは日本列島に住んで きた人類の後裔として何が言えるのかということを考えますと、もし かすると、大和言葉の「心」という言葉がこれからの宗教の核になる キーワードではないかとずっと前から私は考えてきました。 そのように考え始めたひとつの契機は、かつて勤めていた「国際日 本文化研究センター」(日文研)での出来事です。外国から日本に関 心のある人がずいぶんいらっしゃいましたが、その多くが、「心」とい う問題に関心を持っていたのです。心とはよくわからないものだ、と。 しかし、わからないけれども非常に重要な言葉だということはわかる、 と。みんな、日本の心を何とか理解したいと思っていました。その中 で、特に宗教について関心を持っていたイギリス人が、「心という言葉 を何とか英語にしようと思ったけれど、ついに一つの言葉にはならな かった」と言うのです。もちろん英語にはheartとかspiritとかmind とかたくさんの言葉があります。しかし、心はどれにも当てはまらな い、と。仕方がないから、自分は論文を書く時に、「ココロイズム」と いう英語を作って書いた、と言ったのです。 その頃から、心とはいったい何かと考えるようになりました。心とい う日本語とreligionという西洋では伝統のある言葉とを比較してみたこ とがあります。そうした時、religionという言葉では、日本人が使って きた心という言葉を包摂することはできないということがわかりました。 ところが、これを逆に考えると、心という大和言葉の中にreligion がすっぽり含まれていることに気づいた。それから、moral(倫理)も 入るかもしれない。aesthetics(美意識)の世界も入ってくる。真善美 のすべてがこの日本語の心の中に包摂できるのです。この両者のあい だのギャップをどう表現するかです。心=レリジョンというと、今度は 限定的になって具合が悪い。 それ以来、心を大事にするという我々の伝統というものが、これから の世界に何らかの役割を果たすのではないのかという漠然とした予感 を持つようになったのです。今、私が考えている最大の課題は、まさに そこです。宗教という我々の言葉をまず転換させなければなりません。 むしろ使わない方がいいかもしれない。ある信念体系に基づくキリス ト教とかイスラム教のような一神教的世界観に対して、心というのはも う少し多元的な価値を包摂した宗教的なマインドです。religionという 言葉からいかにして離陸するかということが大事なのだけれど、現在の グローバリゼーションの世の中においては、これもまた至難の業です。 そのような仕事を始めるために、何が必要かと思い悩んでいる時に、 「あっ、これだ」と思ったのは、AI(人工知能)です。AIによって、お そらく一神教的世界の様々な宗教言語が無効化する時が来るだろう、 意味がなくなるだろう、と感じたからでした。その時に、心という問 題とAIロボットという存在とが本質的に出会うことになるだろう、と。 それを比較して、問題を掘り下げることができると考えたのです。私は、 基本的にはAIに否定的ですが、既存の強力な体系をぶち壊すために は、AIの力を借りるのがいいかもしれない。そういう役割をそれは果 たしてくれるに違いないと期待しております。 聞き手:富士通総研経済研究所 主任研究員 吉田倫子 研究員 ニック・オゴネック 宗教学者。 1931年、米国サンフランシスコ生れ。 1954年、東北大学インド哲学科卒業。 国際日本文化研究センター名誉教授(2001∼05年所長)、国立歴史民俗博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。 京都新聞大賞文化学術賞(2001年)、和辻哲郎文化賞(2002年)、第54回NHK放送文化賞(2003年)、南方熊楠賞(2010年)を受賞。 著書に『日本宗教文化の構造と祖型宗教史学序説』東京大学出版会(1980年)、『死の民俗学』岩波書店(1990年)、『近代日本人の宗 教意識』岩波書店(1996年)、『近代日本人の美意識』岩波書店(2001年)、『危機と日本人』日本経済新聞出版社(2013年)、『「ひとり」 の哲学』新潮選書(2016年)など多数。
東日本大震災から
7
年すこしが経ちましたが、震災・津波からの復興も、福島第一原発の事故収束も思うように進ん でいません。その意味でわれわれは、いまだ大きなクライシス・危機に直面しています。クライシスcrisis
という英語は、 危機と同時に、転機・転換という意味があります。われわれは今、この危機をどう乗り越えるかということと同時に、そ れをどう「よき」転機へと転ずることができるかということも問われているということです。ここでは、「はかる」「はかど る」こと第一主義の現代文明のあり方に、「ゆたかな有限性の方へ」という視点から「よき」転機になるものを考えてみた いと思います。 「文明は進むほど災害はその激烈の度を増す」 物理学者の寺田寅彦は、「いつも忘れられがちな重大な要項」とし て、「文明は進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を 増すという事実」(「天災と国防」)を指摘しています。関東大震災や 昭和三陸地震をふまえての指摘ですが、「事実」としてかなり大事な 指摘だと思います。われわれは、根拠もなくどこかで、文明が進め ば防災技術なども進んで災害の度を減らすことができるのではない かと思っているところがあります。が、そうではない、逆にひどくなっ てきているのだ、という警告です。 この警告は、今あらためてしっかりと考えてみる必要があるように 思います。東日本大震災では、想定外とか想定以上といった言葉がく りかえし使われていました。たしかにマグニチュード9.0は相当な規 模であったかもしれませんが、すこし最近の災害の歴史をふりかえっ てみればすぐわかることですが、自然の猛威はつねに想定外の暴力 をもって、われわれを襲って来ていたはずです。だからこそ、何千、 何万という犠牲者が出てきているわけです。 にもかかわらず、想定外・想定以上という言葉がこれだけ使われ たのは、それだけ今のわれわれが、知らず知らずのうちに、現代文 明の力を、とくに高度に発達させてきた科学・技術の力をいかに過 信してきたかということを示しているように思います。安全神話とは、 ほんとうは「はかりしれない」自然の働きやこの世のさまざまな出来 事を、どこかで「はかりうる」、「はからいうる」のではないかと高を くくってきたところに形成されてきたものだということです。 「はかる」という営み ここで、「はかりうる」「はからいうる」のもとになっている「はかる」 という言葉についてすこし確認しておきます。「はかる」の「はか」と は、もともと「イネやカヤなどを植え、また、刈ろうと予定した範囲 や量」(『岩波古語辞典』)のことです。「はかがいく」「はかどる」の「は か」でもあります。 この「はかる」という言葉には、いろいろな意味がふくまれてい ます。まず、ものごとを計量・計測するという「計る」「量る」「測る」ゆたかな有限性の方へ
竹内 整一
鎌倉女子大学教授があります。つぎに、そのようにして計量したものをもとに、あれこ れ調整・案配・推測したりする「衡る」「料る」「忖る」や、「会議には かる」の「諮る」があります。そして、そうしたものをまとめ、何ごと かを目も く ろ論み企てるという「図る」「画る」「策る」が、さらには「謀る」 があります。 つまり、「はかる」というのは、人がある意図や計画をもって生活 していくうえでは、かならずや求められる基本的な営みということが できます。その意味で文明とは、人間がさまざまに「はかって」きた 歴史の蓄積でもありますが、その「はかる」ことが、アンバランスな までに突出して求められ、それゆえ、ある種の変質をもって求められ てきたのが、近現代の文明、とりわけ科学・技術的な考え方という ことができます。 近代の科学・技術の基本的な発想は、ものごとを「はかり」にかけ て計量し数値化し、調整し目論むことによって、人生や世の中を、さ らに便利に、さらに安全に営もうとするところにあります。そこでは、 ひたすら明瞭に「はかる」こと、効率的に「はかどる」ことが求められ ます。そして、それは科学・技術にとどまらず、やがて、経済や文化、 社会の仕組みのあり方にまで、「はか」第一主義が支配・貫徹するよ うになってきたわけです。 「はか」第一主義が支配する社会が、いわゆるbusiness(busy-ness =忙しさ)社会ですが、そこでは、何より「はか」がいくこと、はかば かしく結果を手に入れることが求められています。西洋近代が抱え 込んできた、プロジェクト・プロデュース・プロモーション・プログレ ス…といった、プロpro-といった言葉に表れている前のめりの姿勢 (「前望構造」G・バタイユ)、今ここを生きるのではなく、ひたすら目 論んだ未来・目標のために生きるといったあり方のことです。 が、われわれは、このたびの震災で、あらためて、自然の力とは、 ついぞわれわれのそうした「はかる」「はからう」営みなどに飼い慣ら されるようなものではないということを思い知らされました。さらに はまた、核エネルギー ― それは、もともと太陽の核融合のエネル ギーで自然といえば自然ではありますが、そこに手を突っこんで取り だしてきたこのエネルギーが、はたしてわれわれの「はかる」ことの できる手の内にある技術なのか、どうか、きわめて深刻に問わざるを えないところにまできてしまったということでもあります。 私のここしばらくの考え方の枠組みでいえば、自然「おのずから」 の働きと、われわれ「みずから」の営みとの「あわい」(「あわい」とは、「合 はふ」の名詞で、二つのものが働き合う、せめぎ合うという意味です) をどう考えるかという問題でもあります。 半世紀も前から、現代文明を生きるわれわれの未来に強い危機感 をいだいていた文明学者・梅棹忠夫は、未刊の『人類の未来』構想 ノートで、このままではかならず人類は破滅すると警告しているので すが、それでもなお、最後に「光明」という言葉を書きつけています。 そして梅棹は、その光明のヒントの一つとして、「理性対英知」という ことを言っています。 「理性」とは、「真実をあきらかにし、論理的にかんがえ、知識を蓄 積する」という働きであり、まさに「はかる」ということですが、そ のような働きだけでなく、「人間のものの考え方として今までとちが う考え方」としての「英知」という営みの提唱です。つまり、論理や 知識を使って頭で考えるというだけではなく、体や心で触れ、感じる といったこともふくめての、より深く、より柔らかく、より細やかに、
より根源的に考える考え方としての「英知」ということだろうと思い ます。(―「考えるということは理屈をつけることではなく、深く感 じるということである。深く感じる力を自分の中に育てられないと何 も見えてこない」長田弘)。 「はかない」という感受性 以上のことを念頭におきながら、ここで、「はかる」という営みの 対照として、「はかない」という思想感情について考えてみたいと思い ます。「はかない」とは、さきに見たように「はか」が「ない」こと、「仕 上げようと予定した仕事の進みがないこと、つとめても結果をたしか に手に入れられない、所期の結実のない意」です(『岩波古語辞典』)。 それはむろん、いわゆる無常感を表す言葉として、基本的にはネ ガティブな意味内容をもっていますが、しかし同時に、そこにおいて こそ可能であるようなポジティブなものを見いだすことができる感情 でもあります。つまり、「はかない」ということを、あらためてきちん と感じ取ることにおいて、これまでの「はかる」「はかどる」こと第一 主義であったビジネス(busy-ness)社会の「忙しさ」のなかで、心亡 ぼしてきた―“忙”という漢字はそういう意味です ― 何ものかを 取りもどすことができるのではないかということです。 このへんの微妙な問題は、よりくわしく慎重に論ずる必要がありま すが、ここでは、二つの要点にまとめておきます。①「はかない」と いう感情は、それを介して、今ここにある「みずから」の存在や営み が、けっして「はかる」ことのできないかけがえのないものであると いうことを感受できる感情だということ。―ひたすら結果・成果の みへと「はかる」「はかどる」ことではない、今ここにあること自体の 一回性の尊さ、いとしさ、面白さの感受が可能であるということです。 ②そうしたことを感じ取るということは、同時に、「みずから」を包 み込んである、「はかる」ことのできない何ものか(「おのずから」、神 や仏)の働きの感受でもあるということ。― 阿弥陀仏とは、アミー タ、無量(はかりしれない)仏ということであり、こうした仏にいだき とめられるには、まずもってわれわれが「はかない」存在だと思い知 ることが前提だということです。 つまり、「はかない」という「みずから」の有限性を感受する思想感 情を介してこそ、現れ出てくる価値や意味、あるいは面白さや美しさ というものがあるということです。 ゆたかな有限性の方へ 「地震や風水の災禍の頻繁でしかも全く予測し難い国土に住むもの にとっては天然の無常は遠い遠い祖先からの遺伝的記憶となって五 臓六腑にしみ渡っている」(寺田寅彦「日本人の自然観」)と言われる 日本人は、じっさい、その「はかない」という無常の考え方・感じ方から、 生きる大事なポジティブなものを見いだしてきています。 例えば、無常感文学の代表といわれる吉田兼好『徒然草』は、き びしい無常感を語りながら、しかし、その世界は、面白く、明るく、 また楽しげでもあります。兼好は、このような生き方を可能にするも のが、ほかならぬ無常感だと言っています。ものごとが移り行かず人 も死ぬことがなかったら、「もののあはれ」、生きることの根源的な 感動もなくなってしまうし、さまざまな味わい・興趣もなくなってし まうだろう、と。 紙幅がありませんので、ひとつひとつには立ち入りませんが、「幽
ゆたかな有限性の方へ
玄」とか、「秘すれば花」とか、「わび」「さび」といった美のあり方も、 基本的には同じところから成立しています。それらはみな、哲学者の 九鬼周造の言い方をかりれば、「万物の有限性からおのずから湧いて 来る自己内奥の哀調」(「情緒の系図」)といったものを基調にした美 のことです。哀調・「かなし」とは、「語幹カナが、…しかねるのカネ と同根とされるもので、何事かをなそうとして力およばない、届かな いという切なさを表す」言葉です(『岩波古語辞典』)。弱く有限で未 完性・不完全であるということ自体において見いだされてきた美のあ り方ということができます。 現代のわれわれには、環境・資源・人口問題をふくめて、あらため て、“有限性”というものを、どう現実の可能性として引き受けられる のかが問われています。が、かといって、簡単に欲望を否定すること もできないのも事実であります。はやくからレイチェル・カーソンや ローマ・クラブがどれだけ確かなデータをもって警告しようとも、わ れわれは、なおずっと成長を重ねて欲望をとめることができないで います。 理性がないわけではありません。核のゴミの処理ができなければ 何千年、何万年も毒を出し続けるものであふれてしまうことはわかっ ている、わかっていてもやめられない、我慢できないのです。だから、 理性、頭だけの問題だけでなく、「英知」の問題として、心や体の問 題もふくめて、その欲望・情動のあり方を考えるということも必要で はないかと梅棹は提起していました。「はかなさ」や「かなしさ」はそ のためのひとつのカギとなる感情です。有限なのだから欲望を抑え よ、我慢しろというのではなく、有限なのだから、その有限自体を 楽しめ、それをゆたかに受けとめろ、ということです。 1946年長野県生まれ。 東京大学文学部倫理学科卒業。 現在、鎌倉女子大学教授・東京大学名誉教授。前日本倫理学会会長。 専門は倫理学、日本思想。 NHK高校講座「倫理」「こころをよむ」講師、「サイエンス・ゼロ」コメンテーター、「日めくり万葉集」選者、などを務める。 著書に、『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』(ちくま新書)、『「おのずから」と「みずから」』(春秋社)、『「かなしみ」の哲学』 (NHKブックス)、『花びらは散る 花は散らない』(角川選書)、『やまと言葉で哲学する』(春秋社)、『やまと言葉で〈日本〉を思想する』 (春秋社)、『「やさしさ」と日本人』(ちくま学芸文庫)、『ありてなければ』(角川ソフィア文庫)、『日本思想の言葉』(角川選書)など。 それは例えば、節電ですこし暗くなった照明は、露出過多の輪郭 のはっきりしない光景より、むしろ味わい深い陰影が感じられるとい うようなことでもあります。つとに谷崎潤一郎「陰いんえい翳礼らいさん讃」が、蝋燭 からランプ、ガス燈、電燈へと絶えず明るさだけを求めることから、 ゆたかな陰翳の世界を取りもどせ、と訴えていたように(「陰翳・か げ」という言葉は、月かげ・人かげというように、光の届かない暗い 部分だけでなく、光そのもの、および光に当たる明るい部分もふくめ た意味の言葉です)。 今世界でもっとも読まれている日本の作家の一人、村上春樹さん は、カタルーニャ文学賞の受賞記念講演で、無常を「日本文化の基 本的イデアのひとつ」として取りあげ、それを基本に、「効率」や「便 宜」という名の現実に立ち向かう倫理を再生しようと訴えていまし た。また、現在、海外に広がりつつあるクールジャパンという日本の サブカルチャーの基本理念にも、(cool=生産的であることから離れ ているように見える)未完成・未成熟・有限性といったものをそれと して楽しむ要素を指摘することができます。 こうした、有限性それ自体に備わっているゆたかさを感じ取る発 想は、現代文明の危機を転機に替えうるカギの一つとして、あらため て継承し発展させ、世界に発信すべき可能性のある考え方 ・ 感じ方 のように思います。
美意識にみる日本人の精神性
「あはれ」
「幽玄」
「さび」
田中 久文
日本女子大学人間社会学部 教授Tanaka, Kyubun Professor, Faculty of Integrated Arts and Social Sciences, Japan Women's University
しばしば、日本人には「哲学」がないといわれる。明治の初め、中江兆民は「わが日本古より今に至るまで哲学なし」と 断言している。仏教や儒教といった既存の「教え」を前提とした思想はあっても、最初からみずからの頭で「哲学」したわ けではないというのだ。しかし、日本でそうした「哲学」がまったくなかったわけではない。意外に思われるかもしれな いが、日本では美や芸術についての議論において独創的な思索が展開されてきた。しかも、それらは西洋的な狭い意味 での美や芸術の概念に収まるものではなく、同時に存在論であり、宗教論であり、倫理学でもある。それらは日本人の精 神性を考えるとき最も重要な素材となるべきものである。 「悲しみ」はどこから来るのか 平安時代の和歌や物語に登場する美意識として最も重要なもの が「もののあはれ」である。江戸時代の国学 者本居宣長(1730∼ 1801)は、『源氏物語』の本質は「もののあはれ」の一言に尽きるとし、 その意味を解明している。 宣長によれば、「あはれ」という言葉は、物事に感動したとき思わ ず口をついて出る「ああ!」と「はれ!」という言葉が結びついてでき たものだという。それは悲しいときばかりでない。喜怒哀楽すべての 感情についていわれる。 そして、宣長はなぜ「あはれ」に「もの」が付くのかということを問 題にし、「あはれ」は主観的な感情ではなく、対象の「もの」に内在す るものであるとした。たとえば、日本語には「淋しい雨が降っている」 といった表現がある。科学的に考えれば、雨はいつも同じ成分であ り、そこに人間の側の「淋しい」という主観的な感情を投影している だけだということになる。しかし、日本人は古来、対象の雨のなか に淋しさが内在しており、それを人間が受けとめたときに淋しいとい う感情が起こるのだと考えてきたのである。 宣長は、この世界のすべてのものは無味乾燥にあるのではなく、 それぞれに、これは悲しむべきこと、これは喜ぶべきことといった性 質を内包して存在していると考えた。そして、それぞれのものに内在 する「もののあはれ」を我々が感知することによって、「物の心」「事 の心」すなわち物事の本質を知ることができるとしている。 その際、宣長はこうした「もののあはれ」には浅深があるとしてい る。「あはれ」は喜怒哀楽すべてについていわれるが、嬉しいこと楽 しいことの感動は軽く浅いのに対して、悲しいことは重く深いという のだ。悲しいことの方が「あはれ」が深いということは、悲しい感情 をもった場合の方が、物事の本質により深く触れているということを 意味していると考えられる。表面的には物事は喜怒哀楽それぞれか らできていると考えられるが、しかし、どのようなことも深く掘り下 げていけば、すべてその本質は悲しみからできていると宣長は考え ているのである。 悲しみというものは、通常であれば避けたい負の感情であろう。
しかし、それは世界の最も深い本質に導くものでもある。そう考え たとき、悲しみは人間に深い慰謝をももたらすことになる。だからこ そ、「もののあはれ」は美意識といえるものになるのである。 宣長は、こうした「もののあはれ」を最も深く知る機縁となるもの は恋の体験であるとしている。したがって、最も多くの恋を経験した 光源氏こそが、人間として最も深く「もののあはれ」を知った人だと している。 「無」をみつめる 中世に入ると、歌論や連歌論において中心をなす美意識として「幽 玄」というものが登場する。 「幽玄」という言葉を最初に本格的に多用したのは、藤原俊成(1114 ∼1204)である。俊成の「幽玄」は、多様な意味を含んでおり、簡 単には要約できないが、王朝の華やかな美意識に、さまざまな意味 で「深み」を与えようとしたものと考えられる。俊成自身は、「幽玄」 を次のように説明している。 「おほかた歌は‥‥ただよみあげたるにも、打詠じたるにも、なに となく艶にも幽玄0 0にもきこゆることのあるべし。よき歌にもなりぬれ ば、其詞すがたの外に景気のそひたるやうなることあるにや。たとへ ば春の花のあたりに霞のたなびき、秋の月の前に鹿の声をきゝ、垣根 の梅に春風の匂ひ、峰の紅葉に時雨の打ちそゝぎなどするようなるこ とのうかびてそへるなり。」 これによれば、「幽玄」とは、直接言葉が表現する「詞すがた」を超え たところに現出する「景気〔けはい〕」といったものであるという。そ れを自然現象に喩えれば、「春の花」に「霞」、「秋の月」に「鹿の声」、 「垣根の梅」に「春風の匂」、「峰の紅葉」に「時雨」といったものだと している。それぞれの組み合わせにおいて、前者が「詞すがた」、後 者が「景気」ということになる。これを喩えとしてではなく、自然現象 そのものに関する美意識と読めば、「花」「月」「梅」「紅葉」という王 朝の明快な形式美に、「霞」、「鹿の声」、「春風の匂ひ」、「時雨」といっ た不定形なもの、朦朧としたものがオーバーラップする重層性に「幽 玄」をみているといえる。 こうした俊成の「幽玄」概念を継承しながらも、それをより深めた のが、俊成よりも四十歳余り年下の鴨長明(1155頃∼1216)である。 長明は「幽玄」について次のように説明している。 「たとへば、秋の夕暮れ空の気色は、色もなく声もなし。いづくに いかなる故あるべしとも覚えねど、すずろに涙こぼるるごとし。・・・・ 又、霧の絶え間より秋山を眺むれば、見ゆる所はほのかなれど、お くゆかしく、いかばかり紅葉わたりて面白からんと、隈なく推し量ら るる面影は、ほとほと定かに見んにも優れたるべし。」 「霧の絶え間より秋山を眺むれば、・・・・・・」は、俊成の「春の花のあ たりに霞のたなびき、・・・・・・」を意識的に受けたものと思われる。た だし、俊成がそこに重層性に基づく奥行きのある美をみようとして いたのに対して、ここでは、美が隠されることによって、その「不在」 が一層際立ち、それを補うべく、人間の側の「推し量」るという想像 力の働きが要請されている点が大きな違いといえる。 そのことは、「秋の夕暮れ空の気色は、色もなく声もなし」という 言葉によく現われている。色も声もない秋の夕暮れ空とは、「無」の 象徴ともいえよう。それは、王朝の美意識を夢幻化させた同時代の 藤原定家(1162∼1241)の美意識とも共通している。定家の代表的