• 検索結果がありません。

九州鉄道会社改革運動の初期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "九州鉄道会社改革運動の初期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主"

Copied!
33
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

This document is downloaded at: 2017-01-06T07:37:02Z

Title

九州鉄道会社改革運動の初期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と

株主

Author(s)

東條, 正

Citation

経営と経済, 66(3), pp.111-142; 1986

Issue Date

1986-12

URL

http://hdl.handle.net/10069/28305

Right

http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp

(2)

九州鉄道会社改革運動の初期段階に見る 明治期鉄道企業の経営者と株主 東條正

1.はじめに

我国の会社制度導入期である明治期において鉄道企業がその中核の一つを

なしたことは周知のごとくである。このため当該期の鉄道企業の株主は種々

(1) の階層から構成されていたことが知られている。だがそれらの種々の株主や 経営陣が経営の具体的局面においてどのような理念を持ちどのように行動し たかといういわば動態的な分析はこれまで比較的等閑視されてきたといって (2) も過言ではないであろう。無論これは当該期の鉄道史資料の全般的欠如及び このような課題の実証的解明の困難さといった基本的制約に基づくと考えら れる。しかし当該期の鉄道企業史研究ひいては企業史研究をより精緻なもの にするためにはこのような課題の解明も不可欠といえよう。このため筆者は 先に当該期の鉄道企業における経営紛争の代表的事例の一つとされる九州鉄 道会社改革運動事件を事例に取り,その全貌や要因を解明する中でこの紛争 (3) をめぐる株主や経営者の動向の一端を明らかにした。しかしそれは紙幅の制 約もあって株主や経営陣の動向や理念を詳細に明らかにするには至らなかっ た。そこで本稿ではこの紛争の初期段階に対象を絞り,その経過を詳細に検 討する中で明治中期の鉄道企業における株主や経営者の理念や動向,更には 経営者と株主及び株主相互間,経営陣内部の関係等についてのより精密な分 析を試みることとしたい。九州鉄道会社改革運動事件を再び事例として取り 上げたのは,それが会社内紛という特殊局面ではあるが,逆にそれ故に株主 や経営者の理念や動向を最も先鋭的な形で露呈していると考えられるからで ある。またこの紛争においては新聞,雑誌の報道が大きな役割を果している。

(3)

このため本稿においては企業経営における報道の役割についても注目してい き

f

こL

[註] (1) 中西健一『日本私有鉄道史研究J(日本評論新社, 1963年) 65-85J.(,杉山和雄「明 治30年代における鉄道会社の大株主と経営者J(~成区大学経済学部論集J 7巻2号), 伊牟田敏充「明治期における株式会社の発展と株主層の形成J(同『明治期株式会社分 析 序 説J,法政大学出版局, 1976年)。 (2) 無論当該期の鉄道企業史の諸論考が部分的にそれに触れている他,中西前掲苫及び 杉山和雄「企業の財務・投資活動と文化的背景J(~経営史学J 10巻l号)等が幾つか の局面における株主と経営者の動向について論じている。 (3) 拙稿「明治期鉄道会社の経営紛争と株主の動向J(~経営史学 J 19巻 4号,以下拙稿 Iと略称)。 (4) 明治期の株式会社の資金調達における新聞広告の役割については伊牟田敏充「企業 勃興期における社会的資金の集中J(伊牟田前掲書)がある。

2

.

紛争発生時の株主と経営陣

九州鉄道会社は明治

2

1

年(1

8

8

8

)

に設立され,明治

4

0

年(1

9

0

7)に固有化 されるまでの約

2

0

年間九州における幹線鉄道網をほぼ独占し,明治中-後期 における我国最大規模の企業として存続した。九州鉄道会社(以下九鉄と略 称)の設立は地元九州の福岡,熊本,佐賀,長崎の有志によるもので,明治

2

2

年(1

8

8

9

)

に博多・千歳川(久留米)間が開業したのを皮切りに路線を延長 し,明治

2

4

年(1

8

9

1)には門司・熊本間及びそれより分岐した鳥栖・佐賀閉 まで開通したが,その後は明治

2

3

年(1

8

9

0

)

恐慌等の影響もあって路線の延 長も停止し,極度の緊縮経営を余儀無くされた。しかしその後日清戦後ブー ムの中で積極経蛍'に転じ,明治

2

9

(

8

9

6

)

には八代まで路線を延長,更に 明治

3

0

年(1

8

9

7

)

には筑豊の石炭輸送の中核となりつつあった筑豊鉄道会社 と合併,翌明治

3

1

年(1

8

9

8

)

には長崎及び佐世保までが全通し,更に伊万里 線を買収開業していた。この間資本金も明治

2

7

(

8

9

4

)

までの

7

5

0

万円か ら明治

3

0

年には

3

0

0

0

万円へと急膨脹しており,本稿が対象とする九州鉄道 会社改革運動が発生した明治

3

2

年度(1

8

9

9

)

上期段階では資本金

3

0

3

5

万円

(4)

九州鉄道会社改革運動の初期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主 113 (総株数

6

0

7

千株),株主数

3

9

5

9

名,社員数

6

2

0

2

名を数え,本社は門司 に置かれていた。 第

1

表 九州鉄道会社大株主 氏 名 持株数 備 考 岩 崎 久 弥 56, 188 三菱合資社長 三 井 銀 行 26,884 総長三井高保名義 岩 崎 弥 之 助 20, 762 三菱合資監務,前日銀総裁 足 立 銀 行 16,449 頭取足立孫六名義 明 治 生 命 6, 225 頭取河部泰蔵名義 安 川 敬 一 郎 6,199 炭破業,若松築港会社社長 黒 田 長 成 5,866 侯爵,旧福岡藩主家当主 野 本 貞 次 郎 5,402 株式仲買人 田 中 藤 蔵 4,772 伊万里銀行取締役 麻 生 太 吉 4, 731 炭碩業,嘉穂銀行頭取 毛 利 元 昭 4,500 公爵,旧山口藩主家当主 住友吉左衛門 4,419 住友銀行行主 諸 戸 清 六 4,165 大地主,相場師 今 村 清 之 助 4,083 道今取村締銀役行頭取, 山陽・関西両鉄 山 崎 隆 篤 3,909 島津公爵家 塚 本 合 名 3,400 亀 田 介 次 郎 3,296 相場師 上 羽 勝 衛 3, 142 九州商業銀行頭取 註)明治32年3月末日現在。 出典)九州鉄道株式会社『株主人名表~ (明治32年3月末日現在),備考は明治31年 度『日本全国商工人名録~ (鈴木喜八他編)等による。 ところでこの紛争発生時の大株主は第

1

表のごとくであった。三菱(岩崎) は久弥,弥之助の両名で総株数の

12.6%

を所有し,第

2

位の三井銀行の

4

.

4

%以下を大きく引き離していることが判明しよう。三菱(岩崎),三井は従 来から第

1

位,第

2

位株主の立場を保っていたが,三井の持株増大の後再び 三菱(岩崎)が第2位の三井銀行以下を大きく引き離したのは,三菱(岩崎)

(5)

がその株式の過半を握っていた筑豊鉄道会社と九鉄が明治30年 (897)に合 併以後のことであった。地域別に見るなら東京府所属の株主の持株が26万2, 164株と全体の43%を占め,以下熊本の6万8,449株,大阪の6万7,080株, 福岡の5万8,397株,静岡の2万1,845株,三重の1万8,945株と続いてい た。これを株主数で‘見ると熊本908名,東京794名,福岡511名,大阪464名, 佐賀269名,長崎134名のI1民であった。 一方経営面では取締役が「一切ノ業務ヲ統括施行スルノ責ニ任ス」とされ ており,実質的には取締役と監査役からなる重役会が経営執行の最高機関と なっていた。ところで取締役は200株以上,監査役は100株以上の株主中から 株主総会において選出される規定であり,重役の中では取締役中から互選さ れる専務取締役の社長だけが常勤でその他は非常勤の社外重役であった。 第

2

表九州鉄道会社重役 氏 名 役職 持株数 所属府県 兼 職 仙石 只 社長 275東 尽 今村清之助 取 締 役 4,083東 尽 今村銀行頭取,山陽・関西両鉄道取締役 井上保次郎

"

2,475大 阪 井上銀行頭取,豊什│鉄道監査役 江 副 義 朗

"

209佐 賀 佐賀商業会議所会員 鹿 野 淳 二 ノγ 204

?

有馬伯爵家顧問 麻 生 太 古 11 4731

?

岡 炭砿業,嘉穂銀行頭取 小林作五郎 11 495 f 岡 福岡県農工銀行取締役 田中市兵衛 11 200 大阪商船社長,豊州鉄道監査役 本 山 彦 一 11 595 藤田組支配人 松田源五郎 11 781 十八銀行頭取,長崎商工会議所会頭 安川敬一郎 11 6199 炭蹟業,若松築港会社社長 阪井 等 か 200

R

E

日本セメント監査役 山 崎 隆 篤 監 査 役 3,909鹿 児 島 島津公爵家 斉藤美知彦

165 岡 門司築港会社取締役 小河久四郎 ノ〆 1175

?

十七銀行頭取,博多商業会議所会頭 註1)明治32年度上期現在。 2 )持株数は昭治32年3月末日現在。 出典)~九州鉄道株式会社第弐拾式回報告』及び九州鉄道株式会社『株主人名表Jl (明 治32年3月末日現在)による,なお兼職は明治31年度『日本全国商工人名録』等 によっfこ。

(6)

九 州 鉄 道 会 社 改 革 運 動 の 初 期 段 階 に 見 る 明 治 期 鉄 道 企 業 の 経 営 者 と 株 主 115 この粉争が発生した明治32年度上期における重役陣は第 2表に見るごとく である。社長の仙石貢は元筑豊鉄道会社専務取締役で、明治30年に筑豊鉄道と 九鉄が合併した際九鉄の副社長となり,翌明治

3

1

年(1

8

9

8

) 5

月には創立以 来の高橋社長を追う形で社長に昇格していた。仙石は社長就任時

4

1

歳,東京 大学出の工学博士で,元逓信省鉄道技監とL、う経歴が示すように当時我固有 数の鉄道技術者でもあった。また仙石は高知県出身で、同郷で、もある岩崎(三 菱)の要請によって岩崎が株数の過半を占めていた筑豊鉄道会社の専務に転 じたとされており,九鉄における仙石の社長就任も岩崎(三菱)の支援によ るものと

f

l

されていた。その後仙石が政界に転じた後も三菱と仙石との関係 が長く続くことは周知のごとくである。また取締役中,安川,麻生,本山, 小林の

4

名は仙石と共に筑豊鉄道取締役から合併後九鉄の取締役に転じた人 々であった。第

2

表から判明するように持株の上からは安川敬一郎,麻生太 吉,今村清之助,山崎隆篤,井上保次郎が重役中卓越した地位にあったこと が窺えよう。 [註] (1) 解散時の資本金6,200万円,社員数9,378名で当該期においては日本鉄道会社と並ん て‘突出した巨大企業であった。 (2) 明治20年代の九鉄経常の詳細については拙稿「明治20年代における九州鉄道会社の 経営実態J

(

r

エネルギ一史研究j13号,以下拙稿Eと略称)を参照されたL。、 (3) 九州鉄道株式会社各回『報告j(日本国有鉄道九州総局所蔵)による。 (4 ) 向上。 (s) 九州鉄道株式会社第弐拾弐回報告』。 (6) 九鉄における大株主の推移については前掲拙稿II,及び拙稿Iの8-11頁を参照さ れたし、。 (7)

r

株主人名表j(明治32年3月末日現在)による。 (8) 向上。 (9)

r

九州鉄道株式会社主役会録j(1麻生文力」くA 5,麻生家所蔵)中の「九州鉄道 株式会社定款」第 19条。 (10) 向上22条による。 (11) 同上21条。

(7)

( 1の 日本交通協会編『鉄道先人録~ 0972年)201-202頁。 ( 1ゆ 馬場恒倍『政界人物同景~ (中央公論社, 1931年)180 頁,泉彦蔵『麻生太古伝~ (第 一書房, 1934年)349瓦。 (14) 後に見る「九鉄改革談J

r

九州新聞』明治32年7月29・30日を参照されたし、。 (15) r九州、|鉄道株式会社第十八回報告~ 11頁。

3

.

紛争の発生

まずこの紛争に至る経過の概略を見てみると,仙石社長就任後配当が急落 する中で,明治

3

2

年(1

8

9

9

) 4

月に三菱(岩崎),三井に次ぐ大株主であっ た静岡の足立孫六ら一部株主が同月末の役員改選に向けて仙石社長排斥の動 きを開始した。足立は所謂「株屋」集団と目される経済研究会等が当時進め ていた鉄道国有化運動と深く関わっており この動きの背景にも鉄道固有化 への思惑があったと推定される。この折の動きは結局表面化することなく一 時挫折するが,三菱・仙石ラインによる九鉄支配に対する熊本の一部大株主 らの反発もあって再然、し 鉄道固有調査会の活動再開が伝えられる中,まず 同年

7

月初旬熊本で一部大株主が会合して「冗費」削減をめざす九鉄「改革」 が決議され,続いて

7

月中旬には東京において九鉄「改革」の運動が公然、化 し

T

こ。 一方この運動は

7

月初旬の熊本における一部大株主の動きを熊本の『九州 新聞』が報じて以降各地の新聞にその動きが散発的に報じられていたが,

7

月中ば以降全国の新聞・雑誌にその発生が大きく報じられるようになった。 このような運動の全面的表面化のきっかけとなったのは,九鉄「改革」を 求める一部大株主らによる趣意書の一般株主への送付であった。この趣意書 は「九州鉄道株式会社株主臨時総会ヲ請求セントスルニ就キ各株主諸君ニ賛 成ヲ求ムル趣意書」と題するものでその内容は次のごとくであった。 九州鉄道株式会社定款第三十一条ニ擦リ,左ノ目的ヲ以テ株主臨時総会ヲ請求セ ントス,九州鉄道株式会社株主中ヨリ調査委員七名以内ヲ選挙シ,同会社ノ近頃俄 然営業費ヲ増加シ,之レカ為メ利益配当ノ暴減シタル理由ヲ調査シ,併セテ将来利

(8)

九 州 鉄 道 会 社 改 革 運 動 の 初 期 段 階 に 見 る 明 治 期 鉄 道 企 業 の 経 営 者 と 株 主 117 益 増 加 ノ 見 込 ヲ 定 ム ル 件 ヲ 委 托 ス ル 事 右 臨 時 総 会 ヲ 請 求 ス ル ノ 止 ム ヲ 得 サ ル 理 由 ヲ 述 ル 事 左 ノ 如 シ として,仙石社長就任前後

4

営業期の 1哩当の収入,営業費及び配当率等 を比較して,仙石社長就任後 1哩当の収入が増加しているにもかかわらず, 営業費の急増によって配当が

1

割から

7

5

厘にまで低下していることを指 摘すると共に,山陽鉄道,関西鉄道といった同規模の鉄道会社の営業指数を 掲げ,それと比較しでも九鉄の営業費の増大が異常で、あることを数字をあげ て示しそれらの鉄道と較べて本来九鉄が諸条件において経営的に有利な位 置にあることを詳述した後に 収 入 倍 々 増 加 ス ル ニ モ 拘 ラ ス , 営 業 ノ 成 積 ハ 悲 シ ム ヘ キ 悪 結 果 ヲ 来 シ , 社 運 今 日 ノ 形 勢 ニ 沈 治 シ タ ル ハ , 其 原 因 無 ク ン ハ ア ラ ス , 想 フ ニ 創 立 以 来 無 事 安 隠 ニ 経 過 セ ル 九 州 鉄 道 ニ シ テ , 仮 出 金 ノ 多 キ , 貯 蔵 品 ノ 複 雑 ナ ル , 借 入 金 , 預 ヶ 金 ノ 始 末 , 購 入品ノ方法,社員ノ多寡,貨物ノ硫通,乗客ノ接待等之レヲ調査シ之レヲ明確ニシ, 既 往 ニ 照 ラ シ テ 将 来 ニ 竪 ミ , 他 会 社 ノ 比 例 ニ 倣 ヒ 業 務 ノ 整 理 ヲ 謀 ラ ハ , 費 用 節 減 利 益 増 加 ノ 上 ニ 於 テ 充 分 ナ ル 余 地 ア ル コ ト ヲ 確 信 ス , 若 シ 又 此 億 ニ 放 任 シ テ 顧 ミ サ ル ト キ ハ , 株 金 ノ 払 込 増 加 ス ル ニ 随 ヒ , 事 業 益 々 混 雑 ヲ 極 メ 乱 費 調 々 多 ク , 而 シ テ 固 定 資 本 平 均 額 近 年 著 シ ク 上 レ ル カ 如 シ , 斯 ノ 如 ク ニ シ テ 止 マ ス ン ハ , 我 々 株 主 ハ 終 ニ 測 ラ サ ル ノ 損 害 ヲ 被 ラ ン モ 知 ル ヘ カ ラ ス , 故 ニ 葱 ニ 調 査 委 員 ヲ 設 ヶ テ , 以 テ 既 往 ノ 事 蹟 ヲ 調 査 シ , 併 セ デ 将 来 ノ 施 設 ヲ 考 へ 痛 ク 冗 費 ヲ 省 略 シ 大ニ利益増加ヲ謀ラ ン事ヲ欲スルモノナリ と述べ,臨時株主総会請求のため定款

3

1

条の同意を募るとして同封の委任 状を東京銀座の事務所へ送付することを求めていた。この趣意書は

1

0

0

株以 上の株主へ送付されると共に,その全文や一部が

2

0

日前後の中央・地方の新 開・雑誌にも掲載されている。この趣意占の発起者は三菱(岩崎),三井に 次ぐ大株主であった静岡の足立孫六(足立銀行頭取,

1

8

9

4

9

株),東京の尾 崎三良(貴族院議員・前法制局長官・男爵

1

9

0

5

株),佐々田怒(東京株式 取引所理事, 1,

0

3

4

株),梶津嘉一郎(徴兵保険会社専務,

1

8

0

0

株),山中隣 之助(浪速銀行取締役, 1,

2

0

4

株),神奈川の田中新七(横浜綿糸綿花金属株 式取引所理事,

2

8

7

3

株),熊本の上羽勝衛(九州│商業銀行頭取,

3

1

4

2

株),

(9)

堀部直臣(第九銀行頭取

5

6

6

株) 住江常雄(熊本銀行頭取,

2

3

0

3

株),沢 村大八(百五十一銀行頭取,

7

7

0

株),中村才馬(第九銀行取締役, 1,

1

8

9

株), 他熊本米穀株式取引所の仲買人3名,それに大地主で相場師としても知られ る諸戸清六の関係者等の三重県株主

4

名 の 計

1

8

名 の 大 株 主 か ら な っ て い た。東京,神奈川の発起者は鉄道国有化運動を中心となって進めていた経済 研究会会長の尾崎三良,同会幹事の佐々田怒をはじめ所謂「株屋」と目され る人々であり,一方熊本の発起者は主要銀行の頭取と株式仲買人からなって おり,これに三重の相場師諸戸清六の関係者を加えると,この運動の発起者 は各地の「株屋

J

と熊本の銀行家からなっていたことが判明しよう。またこ の趣意書では,運動発生に至る大きな要因となったと考えられる鉄道固有化 や三菱の九鉄支配については全く触れられておらず,九鉄「改革」による利 益増,つまり配当増のみが唱えられていることが注目される。 ところで臨時株主総会請求の根拠とされた九鉄の定款

3

1

条は,

I

本会社総 株五分ノー以上ヲ有スル株主ヨリ会議ノ目的ヲ明記シテ臨時総会ヲ請求スル トキハ取締役之ヲ招集ス可シ

J

,と規定しており,一方この時の九鉄の総株 数は先に見たごとく

6

0

7

千株であったから,臨時株主総会請求のためには

1

2

1

4

0

0

株以上の賛成株数が必要であった。しかしこの運動の発起者は

1

万8,

9

4

9

株を所有する足立孫六をはじめそのほとんどが1,

0

0

0

株以上を所有す る大株主であったから,発起者

1

8

名の持株合計のみで既に

4

5

0

0

0

株余に 達しており,臨時株主総会請求の必要株数を満たすだけであれば,あと

8

万 株弱の賛成で事足りた。 ところでこの運動が東京で表面化した同じ

7

月中旬には,鉄道国有調査会 が買収対象と目される各鉄道会社の重役を招換して買収の基準ともなる諸事 項を諮問し

8

3

0

日までに回答することを求めており,この運動と鉄道国有 化との関係が改めて注目される。 [註] (1) この運動の発生に至る経緯の詳細については拙稿「明治32年九州鉄道改革運動の発 生過程についての一考察J(W秀村選三教授退官記念論文集~,思文間,近刊,所収,以

(10)

九州鉄道会社改革運動の初期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主 119 下拙稿固と略称)を参照されたい。 (2) r 九州鉄道株式会社臨時総会請求ニ係ル事件ニ関スル書類~ (1麻生文書」くA6. 以下『九鉄事件書類』と略称)中の同趣意書による(なお読点は引用者,以下本稿中 の汗簡・日記等についても同様である)。 (3) 九鉄改革運動続報J

r

門司新報』明治32年8月16日,以下新聞・雑誌・日記等の記 事の明治32年分は年を省略。 (4) 7 月 19 日付の『時事新報~. r 中外商業新報~. r 東京日日新聞~.及び同月 20 日付の『九 州日日新聞.n.同月22日付の『東京経済雑誌.n.

r

福岡日日新聞』等がその一部を,同月21 日付の『門司新報』がその全文を掲載してL、る。 (5) ( )内の株数は持株数で明治32年3月末日現在の『株主人名表』から抽出,また 肩書は鈴木喜八他編『日本全国商工人名録』明治 31 年度版,及び『人事興信録~.

r

日 本全国諸会社役員録~.

r

日本紳士録』の各版等によった。以下本稿中の九鉄株主の持 株数及び肩書は特記のない限り同様である。 (6) 経済研究会と鉄道固有化運動の関係については前掲拙稿皿を:参照されたし、。 (7) 前掲『九州鉄道株式会社重役会録』中の「定款」による。 (8) 前掲『株主人名表』明治32年3月末日現在より算出。 (9) 1昨日の国有主査会Jr万朝報~ 7月19日。

4.

紛争発生当初における両派の対応

こうした中で7月21日付の地元熊本の『九州新聞』は「九鉄臨時総会請求 と当県下の株主」と題する記事でこの運動の中心のーっとなっていた熊本の 九鉄株主の状況を,

I

今当県下における株主の意向を聞くに,上羽九州商業 銀行頭取を始めとし,各銀行頭取等は伺れも臨時会請求書に連署し居る位に て,重なる株主の反対なきは勿論其の他如何なる少数の株主と難も悉皆同意 を表し居れり

J

,と報じており,運動の一つの中心となった熊本では当初か ら発起人となった各銀行頭取を中心に,大株主から中小株主に至るまで臨時 株主総会の開催支持に結集していたことが窺える。 これに対して経営側では,同じ21日九鉄の取締役で大株主でもあった筑豊 の砿業家安川敬一郎が門司の九鉄本社に出社の折,副社長格の計理課長志立 鉄次郎から九鉄改革談発生の報告を受けていたが,仙石社長が長崎出張中で

(11)

あったためこの段階では対抗策を講ずるに至らずに終っている。 一方中央では翌22日付の『東京経済雑誌』が「九州鉄道会社株主臨時総会 を請求せんとす」とL、う見出しでこの紛争について論評を加えていた。この 記事は「九州鉄道改革を唱ふるの一派の株主,即ち尾崎三良,足立孫六,田 中新七外十五名は臨時総会を請求するの撤文を株主に配付し,賛成を求めた りと云ふj,として撤文の大略を伝えた後,

I

九州が運賃低廉なる石炭を主要 貨物とする以上営業費の割合に巨額なるは免れざるの数なりと云ふものあり ……去れば一概に営業費減少を責むるは酷と云はざる可らずj,と一方で経 営陣を弁護しながらも,他方では「一般営業振の乱雑不規律より云へば節す べきの冗費も決して少きに非るべく,株主が当時者を督励して社務を拡張せ しむるは至当のことなりj,と経営陣批判の株主を正当化し,最後に,

I

但し マサカ例の会社乗取主義に出でナこるにはあらざらんj, と結んでいる。 一方向じ22日地元では『福岡日日新聞』が「九鉄改革派の運動」と題する 記事を掲げ改革側の趣意書の要旨を報じ,発起者の中心が熊本の上羽勝衛一 派と東京の経済研究会中の株屋筋の模様として上で,運動の展望について, 「今回の臨時総会とて仮令全会開催の暁となるも権利数の上にては到底其目 的を達すること能はさるべしといふものあり現に大株主中の大株主たる東京 の三菱,三井両家の如きは調査委員を設くるの必要なしとて之に賛成せざる 旨を明言し居れるよしj,と報じていた。この記事からも判明するように紛争 の当初からそのゆくえを占うものとして三菱,三井の動向が注目されていた。 一方向じ22日に筑豊の碩業家で、九鉄の大株主で‘しかも取締役でもあった麻 生太吉が,臨時株主総会請求発起者の一人である足立孫六に次のような書簡 を発していた。 拝啓益御清光奉敬賀候,今般九鉄会社御改革ノ目的ヲ以テ臨時総会御請求ノ趣詳 細御照会了承仕候,御案内モ御座候通リ永遠ノ安全ヲ保ツニハ,目前株主配当ハ薄 クナルモ其会社ノ基礎ヲ堅固ニシ 又目前ニ株主ニ利益配当スルヲ専一ニスルト, 両様之有,前後ノ利害大ナル関係有之候モ全ク会社ノ為ニハ野心ナキヲ証スル次第 二御座候,九鉄ノ収入割合ニ営業費相嵩候ハ畢克従来鉄道保存十分ナラサルヨリ生 スル結果トナリ,仙石君モ合併後種々心配ノ末改革モ漸次ニ其緒ニ就キ,新任課長

(12)

九州鉄道会社改革運動の初期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主 121 ニハ士、立氏ノ加キ敏腕ノ人モ入社相成追々適当ノ人物モ入社セラルルニ可至,会社 ノ営利ヲ全フスルニハ手足ノ働キ允分ナラスシテハ如何ナル完全ノ鉄道通ニテモ全 フスル事ハ可不能,此際臨時会御開設相成候ハL只管故意的ノ改革ニ不相成様偏ニ 御厚配奉願候,尤モ小生等ノ如キハ地方居住ノ縁故ニテ重役ニ相加ハリ居候次第ニ テ無御遠慮会社ノ為メ御配慮奉願候,倍固有問題ニ付過般来御書翰相頂候ニ付,其 後上京致御拝顔仕度候処丁度九州御出張中ニテ御面会ヲ不得,安川君ヨリモ御聞達 ニ相成居ル可ク小生ハ減法ニ固有希望ノ者ニテ御座候,或ノレ政治家ノ、鉄道ヲ国有ニ スルニ当テハ株券屋又ハ投機者ニ利益ヲ与へ,且ツ国有ニ就テハ一時経済ヲ素乱ス ルノ恐レアリ,且買上ニ付其方法順序ニ於テ到底実行ノ出来得ヘカラサル等承知仕 候モ,国家ノ利害ヲ研究スルニ当リ何物ニ利益ヲ与フルトシテモ本来国家ノ為メニ 可尽次第二テ,嫉妬心ノ為メ国益ヲ実行セス且ツ経済ヲ素乱,買上方法等ハ如何ニ モ重大ノ事柄ニハ相違ナキモ其方法ト順序トハ人為ヲ以テ成シ得ヘキ事ニ有之候, 国有問題ニ就テハ鄭重ニ慎重ニ調査ヲナシ大ニ御意見ヲ拝聴仕度奉存候 文面から足立より麻生宛に臨時株主総会請求についての照会が先になさ れ,その返書としてこの書簡が書かれたことが判明しよう。大株主ではある が現経営陣の一員でもある麻生に対してまで臨時株主総会請求への照会がな されていることが注目されるが 足立はこの運動の発端ともなったこの年

4

月の仙石社長批判の九州株主遊説の折にもやはり大株主で取締役でもある安 川敬一郎に対しても仙石社長批判を説いていることを考え合わせると,足立 ら改革側の当初の目的はあくまでも仙石社長一人への批判にあったと見るこ ともできょう。一方麻生はこの照会に対して,経営方針としては,株主への 配当を少くしても会社の基礎を固めるか,株主への配当を第一とするか,の 二通りがあり,どちらもその状、況の中で、の一つの方、法で、あることを認めなが らも,それに続けて九鉄の営業費の増大は従来の保修が充分で‘なかった結果 であるとして,暗に現在の九鉄としては配当を制限してでも整備を図るべき 時期であることを示唆し,更に仙石社長による改革も開始されているとして, 臨時株主総会実現の折にもそれが「故意的ノ改革」にならないよう配慮を求 めており,腕曲な表現ながらも改革側の意図的な動きに懸念を表明している といえよう。なお麻生のいう人事刷新による仙石社長の改革とは同年春来の

(13)

課長ら幹部社員の更迭を指すと考えられる。九鉄では重役会の下日常業務は 総務,計理,運輸,汽車,工務の

5

課に分掌され執行されていたが,先に見 たごとく社長を除く重役は全員非常勤の社外重役であったから,各課長は常 勤社員としては社長に次ぐ地位にあった。これら課長のうちこの年2月には まず工務課長が,

5

月には計理課長が,次いで

7

月には運輸課長,汽車課長 が更迭されていたが,残る総務課長は筑豊鉄道会社の出身であり,この春来 の人事刷新で高橋前社長時代の課長は一掃されていた。これら旧幹部にかわ ってこの年の春の日銀内紛で辞任していた前日銀西部支庖長の志立鉄次 郎が副社長格として新計理課長に就任していたが,書簡中の新任課長志立 氏とは彼のことを指すと思われる。この書簡の中で麻生は志立らの新陣容に よる会社改革に期待するとして足立にも理解を求めているが,改革側はこれ らの人事刷新を仙石派による高橋派の排除と見て反発を示しており,また志 立は日銀内紛において前総裁(岩崎弥之助)派の一員として辞任していた経 緯を考えると,志立の九鉄入りも三菱系人事の一環と見ることもでき,反三 菱の要素も一部に強く持つ足立ら臨時株主総会請求側は志立らの入社による 社内改革に反発こそすれ期待するはずはなかったともいえよう。事実志立は この後仙石社長の片腕として経営側の臨時株主総会対策の中心の一人となっ て彼等と鋭く対立することとなる。続いて麻生は過般来の足立からの鉄道固 有化についての書簡に触れ,上京の折足立と面談しようとした際足立が九州 出張中であったため実現には至らなかった経緯を述べ,安川より自分が固有 化に全面的に賛成なのは聞き及んでいようと述べているが,ここで述べられ ている麻生上京時の足立の九州出張とは

4

月の足立による仙石社長批判の九 州株主遊説時のそれを指す可能性が大きく,鉄道国有化に関しては安川より 聞及んでいようとしているのも この遊説の折足立が安川と鉄道固有化につ いて論じている経緯を指すものとも考えられる。これらのことから足立がこ の運動の表面化以前から鉄道固有化問題を中心に九州在住の九鉄大株主と度 々接触を図っていたことが判明し,この運動と鉄道固有化推進の動きとの関 連が改めて注目される。ここで麻生と鉄道国有化推進の動きとの関連につい て付言するなら,麻生は同年

7

3

日に行なわれた福岡県第

3

区の衆議院議

(14)

九州鉄道会社改革運動の初期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主 123 員 補 欠 選 挙 に お い て 憲 政 党 か ら の 推 薦 に よ り 当 選 を 果 し て お り , 一 方 憲 政 党 の 領 袖 星 享 ら に よ っ て 第13議 会 へ 提 出 さ れ た 鉄 道 国 有 建 議 案 が 同 党 の 全 面 的 支 持 の も と 同 年

2

月 に 成 立 し て い た 経 緯 を 考 え る な ら , 麻 生 が 鉄 道 固 有 化 に 全 面 的 に 賛 成 で あ っ た の は 少 く と も 憲 政 党 議 員 の 立 場 か ら い っ て も 当 然 と 見 ることもできょう。 翌23日付の『門司新報

J

は「九鉄改革運動の前途」と題する20日付の『時 事新報』の記事を転載し,運動の見通しについて次のように報じていた。 経費の過大及び会計の不整理を標目として起りたる九州鉄道の改革運動は果して 如何なる運命を以て終る可きや,三菱は現在の社長に縁故浅からざるより内々之を 保護するの意向も無きにあらねど併し内部不整理の実情は予め黙認し居れるが如 く,三井とても同社の施設を非難せること日久しく改革派の主張に同情を表せるが 如し,唯だ今日の改革派と事を共にするは余りに大人げなしと云ふ位にて賛否何れ とも判然せず,其他大株主の向背も今日の処は旗色判明せす,随て改革派の希望が 無事に達し得可きや否やは尚ほ疑問なれども,併し同社に於ける内部不整理の事実 及び施設に遺策多き事は既に一般株主の承認せる所なるが故に,仮令今回の改革運 動が奏功せざるまで:も他の改革運動は続出して早晩会社事務の刷新を見るに至る可 しとなり こ の 記 事 か ら も こ の 時 点 で は 紛 争 の 前 途 に つ い て 三 菱 , 三 井 の 対 応 を は じ め見通しが判然、としていなかったことが窺えよう。 また同じ23日に東京では『万朝報』が「九鉄の改革運動」と題してこの運 動の発生を次のように報じていた。 三菱と云ふ大株主の控へ居れパにや是迄改革熱の流行に侵されざりし九州鉄道も 昨今に至り遂に之に侵され堀部直臣外十七名の株主発起人となり臨時総会を請求せ んとし運動の結果最早十万株以上の賛成者を得たれバ五六日中にハ請求の手続に及 ぶべし右ハ三菱攻撃の目的もありとの事なれパ愈よ臨時総会を開くの暁きハ多年埋 伏せし幾多の秘密も暴露せらるるに至るベし この記事中にある「改草熱の流行」とは前年来の日本鉄道会社,日本郵船, 十五銀行,日本銀行等の我固有数の企業での内紛の続発を指すと考えられる。 一 方 経 営 側 の 動 き と し て 翌 々 日 の25日には取締役の麻生太吉が同じ九鉄の

(15)

取締役であった大阪の藤田組支配人の本山彦ーに次のような書簡を発してい た。 拝 啓 益 御 清 光 奉 敬 賀 候 , 倍 九 鉄 臨 時 総 会 株 主 ヨ リ 請 求 相 成 候 由 地 方 新 聞 ニ 掲 載 致 , 定 メ テ 大 阪 ニ テ モ 同 様 ニ 奉 存 候 , 足 立 孫 六 氏 ヨ リ モ 通 報 及 来 候 , 頃 日 ハ 従 来 ノ 課 長 惣 テ 辞 職 シ 志 立 氏 ノ 如 キ 敏 腕 ノ 適 任 者 入 社 モ 有 之 漸 次 完 全 ノ 整 理 相 立 気 運 ニ 達 シ タ ル 折 柄 ニ テ , 純 然 タ ル 改 革 ナ レ ハ 無 比 上 奉 存 候 モ , 表 面 ハ 会 社 ノ 為 メ ト 口 実 ヲ ナ シ 其 実 故 意 的 野 心 臨 時 総 会 ハ 甚 タ 会 社 ノ 為 メ 追 感 ニ 奉 存 候 , 大 阪 株 主 ノ 意 向 如 何 ノ 模 様 カ 御 探 知 ニ 相 成 居 可 申 ニ 付 御 報 知 可 被 下 候 , 不 取 敢 以 吉 中 如 此 ニ 早 々 也 この書簡からまず麻生が臨時株主総会請求の動きを地元新聞の記事や足立 孫六からの通報によって知ったことが推定される。また麻生は腕曲な表現に 終始した足立への返書と異って,人事面からも会社改革を進めている折の「改 革」を口実とした「故意的野心臨時総会」は会社のため甚だ遺憾として臨時 株主総会請求の動きに強い反発を示しているが,これが麻生の本音であった と思われる。また本山に大阪株主の動向の報知を求めているのも改革側に対 する対決の意志を既に示しているものと見ることもできょう。麻生が取締役 の中でも特に本山宛にこのような書簡を送った理由のーっとして,先に見た ごとく両者は共に筑豊鉄道会社の取締役から合併後九鉄の取締役に転じてい たとし、う経緯が考えられよう。 一方改革側の動きとして同じ25日に熊本の改革発起者の代表格であった九 州商業銀行頭取上羽勝衛が各地支庖視察のためとして熊本より来博していた が,この上羽の博多行は運動の一環であった可能性が少くないと思われる。 [註] (1)

r

鉄道会社ニ至リ志立ニ面ス,九鉄改革談ノ生シタルヲ聞ク,仙石長崎行セルノ故 ヲ以テ之カ対抗策ヲ議スルニ至ラスJ(安川敬一郎『日記j7月21日,北九州市立歴史 博物館架蔵,以下『安川日記』と略称)。 (2)

r

麻生太吉書簡控J(足立孫六宛,前掲『九鉄事件書類j)。 (3)

r

鉄道界全報J11万朝報j2月6日。 (4)

r

九鉄計理課長の更迭J11門司新報n.5月10日。 (5)

r

松田,水野氏送別会J11福岡日日新聞n.7月26日。

(16)

九 州 鉄 道 会 社 改 革 運 動 の 初 期 段 階 に 見 る 明 治 期 鉄 道 企 業 の 経 営 者 と 株 主 125 (6) 総務課長菊池武徳は元筑豊鉄道会社文書部書記であった(商業興信所編『日本全国 諸会社役員録』明治28年版)。 (7) 志立は東京大学法学科の出身で日銀に入行,後に住友銀行支配人,日本興業銀行総 裁等を歴任,福沢諭吉の娘婿でもあった(内尾直二編『人事興信録』第3版等による)。 (8) [""志立氏と副社長J~門司新報Jl 7月16日。 (9) 後に見る7月29日・ 30日付の『九州新聞』の改革派株主上羽勝衛の「九鉄改革談」 を参照。 (10) 日本銀行の内証J~東京経済雑誌Jl 3月4日。 (11) これらの経緯の詳細については前掲拙稿皿を参照されたい。 (12) [""第三区補欠選挙の模様J~福岡日日新聞Jl 7月15日。 ( 川 「十三議会衆議院(昨九日 )J~万朝報Jl 2月10日。 (14) 麻生太古苫筒控J(前掲『九鉄事件書類Jl)。 (15) [""上羽勝衛氏J~福岡日日新聞Jl 7月25日。

5

.

改革派の攻勢

一方この間臨時株主総会請求の動きは急速に全国の九鉄株主の間に拡大し ており,先の『万朝報』の記事でも運動表面化数日後の

2

0

日過ぎには既に

1

0

万株が改革側に集結したとも報じられていたが,麻生が本山に書簡を発した 翌26日付の『門司新報』は23日付の『東京日日新聞』の「九鉄の株主臨時総 会」と題する記事を転載してその様子を次のように伝えていた。 世 間 株 主 中 に も 同 感 者 多 数 な り と 見 え , 東 京 , 大 阪 を 始 め と し て 発 起 者 に 対 し て 委 任 状 を 送 付 す る も の 頗 る 多 く 既 に 四 万 四 五 千 株 に 達 し , 其 重 立 ち た る は 角 田 八 百 蔵 , 加 島 銀 行 , 上 回 り う , 手 島 秀 一 , 土 方 久 元 , 富 岡 敬 明 , 烏 尾 小 弥 太 , 大 前 退 蔵 , 竹 尾 治 右 衛 門 , 渡 辺 治 右 街 門 , 渡 辺 昇 , 渡 辺 甚 吉 , 竹 添 進 一 郎 , 石 崎 政 政 , 河 鰭 実 文,屯田介次郎,清む

i

l

杢 吾 等 に し て , 請 求 発 起 人 の 持 株 を 合 す れ ば 優 に 過 半 数 に 達 す る 難 き に あ ら ず と な り 元 来 今 回 の 臨 時 会 請 求 の 主 題 は 世 間 に 有 触 れ た る 辞 職 述 又 は 不 平 連 の 野 心 に 出 で た る 会 社 乗 取 策 の 如 き に あ ら ず し て , 極 め て

z

f

実 隠 当 に 調 査 し 改 革 方 案 を 講 ぜ ん と す る も の に し て , 発 起 人 中 に 一 人 の 役 員 希 望 者 あ ら ず と 云 へ り , 九 州 鉄 道 と 云 へ ば 高 橋 新 吉 氏 社 長 た り し 時 に で も 種 々 の 非 難 を 受 け た る も の

(17)

にして或は無理配当を為し来たれるの形跡なきにあらずして 仙石氏が社長となり 俄に配当の減じたるは高橋氏時代の欠損額を補はんが為め斯くは配当の減少となり たるなりと云ふものあるも 此の弁護説は到底成立せざるべしとは会社内部の事情 に通ずるものの熟知する所なる由 即ち仙石氏の借置に対し三十有余の非難あるが 中にも として,第21回報告(明治31年10月---32年3月)中の石炭費が営業明細表 と同内訳表では2万7,400円余異っている問題を取り上げ,これが,

r

伝ふる 所に依れば右の報告に対しては同会社員中激しく争ひたるものありしも,株 主は斯かることに気が付くものにあらず,拾参万円余の石炭費を拾壱万円余 となすにあらざれば七朱五厘の配当をんなす能はず,とて仙石氏は無碍に排 斥したるなりと

J

,とし、う経緯によるものとしてこの粉飾に関する仙石社長 の責任は免れ得ないであろうと報じていた。この石炭費に関する疑惑はこの 後改革側の追求点のーっとなってくる。ところでこの記事の中で臨時株主総 会の開催に賛同して委任状を送付してきた主な株主として名をあげられてい る人々について見てみると,渡辺治右衛門(二十七銀行頭取, ,1187株),竹 尾治右衛門(摂津紡績会長, 718株),渡辺甚吉(十六銀行頭取, 130株)と いった関東,関西,中部の実業界の中心人物,亀田介治郎(相場師,

3

,446 株),石崎政蔵(東京精米会社社長, 60株),角田八百蔵(東京株式取引所仲 買人, ,1600株)といった所謂「株界」の有力者,それに清浦歪吾(司法大 臣, 161株),土方久元(前宮内大臣・伯爵, 480株),渡辺昇(前会計検査院 長・子爵, 332株),烏尾小弥太(元近衛都督・子爵, ,1302株),竹添進一郎 (元駐韓弁理公使, 501株),富岡敬明(元熊本県知事・男爵, 200株),河鰭 実文, (子爵, 50株)といった政官界の有力者等からなっていることが判明 する。これらの人々のうち,清浦,竹添,富岡らは熊本出身若しくは熊本と 深い関係にあり,また土方,渡辺昇,河鰭らは運動発起者の一人尾崎三良男 爵と深い関係にあったことが知られている。 ところで同じ26日付の『福岡日日新聞

J

は前日の在京社員発電として「九 鉄改革に就て」と題する記事を掲げ,その中で「九州鉄道会社改革派の意向 は専ばら経費の点に在り確実穏当を期する由なれば臨時総会に於ても可成穏

(18)

九州鉄道会社改革運動の初期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主 127 和の手段を守り重役更迭の如きは無論なかるべしj,として同日の『門司新 報』の記事と同様に改革側が人事的野心はないとしていることを報じている が,これは先の『東京経済雑誌』の記事に見られるような会社乗っ取りへの 懸念に対する改革側の対応と見ることもできょう。 翌

2

7

日になると『門司新報』が東京発電として

2

6

日午前までに改革側への 委任状が既に

1

5

万株以上に達したと報じていた。また同じ

2

7

日付の熊本の『九 州新聞』は前日の『門司新報』と同様の記事を掲げ,その中で委任状が

5

万 余株に達し,発起者の株数を合わせると

1

0

万株以上に達して,一両日中には 過半数を超え請求者提出の運びに至るであろう とさえ報じていた。また同 記事の中で委任状送付の有力株主として前出の人々の他に三条公美(公爵,

1

.

4

4

9

株所有),三重の相場師諸戸清六

(

4

1

6

5

株所有) 資産家で相場師とし ても知られる東京の医師樫村清徳

(

9

3

9

株所有)らの名があげられているが, 三条公爵の名があがっているのは前出の尾崎三良の旧主家とL、う関係による 可能性が大きいと思われる。 また同紙は別欄で「九鉄株の騰貴」と題して,

I

九鉄会社の臨時総会を請 求せんとするに至りし結果投機会社にては早くも葱に着目し坂地を始め各地 も亦之に連れて多少の相場を引上けたりj,と報じ この運動をめぐる投機 筋の思惑から九鉄株の株価が上昇気配にあることを伝えている。 同じ鉄道株の動きについて翌28日の『門司新報』は「鉄道株激変せん」と L 、う見出しで先の鉄道国有調査会の調査と株価の関係について触れ,

I

来る 八月中に各鉄道会社より答申書を差出したる上は必らず鉄道株の激変を見る べく主査委員長たる星享氏及び其幕下に属する経済研究会の株屋連は暴利を 博する疑ひなしと伝へらるj,と報じていた。 同じ28日の『九州新聞

J

は「九鉄改草運動の由来」と題する記事を掲げて, 熊本での運動発生の経緯について詳しく述べているが その内容は

2

4

日付の 東京の『中央新聞』の「九州鉄道の改革運動始末」と題する記事を転載した と推定されるもので,三菱の九鉄支配の状況を強く批判しており,熊本の大 株主が東京の経済研究(同志)会と結托して三菱以外の株主を集めんとした のがこの運動であるとし 前社長の高橋新吉も同調し 三井も同情を寄せて

(19)

いるとの風間もあるとも報じている。 同じ

2

8

日の『門司新報』は「九鉄計算報告中の疑義」と題して,先にも問 題となった九鉄の第

2

1

回報告中で当座借越金が

5

0

万円あるにもかかわらず, 預金が

1

2

8

万余円ある点を取りあげ,財政素乱の極を示すものとして次のよ うに断じていた。 石炭質に就て虚為の報告をなすに止まらず斯く迄財政素乱をなし居るかと思はし むるの一条こそあれ即ち同報告に依れば当座借越金五十万円あるに拘はらず預金は 百二十八万六千百九十七円七銭四厘あり銀行の計算報告ならば兎に角も鉄道会社と して斯る矛盾童着せし計算を公然株主に報告するに至っては其無頓着に驚かざるを 得ざる次第なるが其の内情如何に付き熊本某株主の語たる所を聞くに此の借入金は 昨年十月中約束手形を以て七十万円を東京の今村銀行より借り入れ其の後約束手形 を以て継続借入れをなしたる帳尻にして其借入れをなすの当時は十月十日の払込あ りて百五十万円以上も預金ありて前途別段に借入金をなさざるも支払ひ差支へなき に仙石社長の意見は必要に応じ其都度借入れをなすのは手数なりとて取締役会にも 更に此れを謀らず専断を以て今村銀行より借入れ直ちに此れを一二の銀行へ当座預 となし置き日々の支払は営業収入と未納株金の払込とに依り差支なく支弁し借入金 は其侭預金となし更に使用する事なく常に百万円以上の預金を現存せしめ居る一事 を以てすら会社経済の如何に不始末にして財政の素乱せるかを知るに足るべきなり ":E¥々 この問題はこの後各新聞にも取り上げられ,改革側の攻撃点のーっとなっ ていくが,特にこの借入や預入が取締役の一人今村清之助の経営する今村銀 行にからむものだけにこの後仙石社長に対する責任追求と共に今村に対する 改革側の批難が高まることともなる。なおこの記事は「熊本某株主の語たる 所」に依ったとしているが,先に見たごとく

2

5

日から熊本の改革発起者の代 表格である上羽勝衛が福岡入りしており,この記事も上羽の談によった可能 性も否定できないと思われる。事実翌

2

9

日から

3

0

日にかけて熊本の『九州新 聞」も上羽が福岡で語ったものとして「九鉄改革談」と題する記事を掲げて いた。この記事によると九鉄改革の事は今日急に発生したものではなく,熊 本地方の株主間では一両年来唱えられていたが,今日に至り東京の株主間に

(20)

九州鉄道会社改革運動の初期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主 129 も期せずして改革説が発生したため公然発表に至ったとした上で,まず改革 発起者中に熊本株主が特に多い理由として,熊本株主の持株が東京,大阪に 次いで多いことをあげ,このため「会社の措置其宜しきを得ると否とは直接 に我県に影響するもの鮮なからず,是れ実に東西呼応して会社の革新を謀ら んとするに至りし所以なり」としている。更に賛成者の見込について,

I

臨 時総会を請求し得べき株数に達するや否やを危むものあれども,発起者中既 に成竹あるのみならず,株主自己の利益を増殖せんとするの議に就ては何人 と難反対すべき道理なし,尤も三菱の如き大資本家に取りては現今の配当に 甘んずべきも,凡そ得らるべき利益を得ざる程馬鹿気たるものはあらざるべ く,此点に就ては誰人も同意する処なるべければ,ヨシ三菱等の意向を慮、り 多少臨時する者あるとして,四十万株の三分のーを得て優に総会を請求し株 数に達し得可しj, と述べると共に,三井の対応について,

I

今春三井家の中 上川彦次郎氏九州巡遊の際,親しく九鉄施設の実蹟を調査して捻頭する処あ り,傍人に向ひ其非を鳴らせし由なれば,全然、三菱に合体して今回の挙に不 同意を唱ふることはなかるべし」 との見込を漏らしている。ところでこの 記事中の今春の中上川の九州巡遊とは同人の

4

月初旬の九州各地の視察を指 すと考えられる。また運動の結果については,

I

九鉄の株主中には,内蔵頭 及華族を始め三菱などの有力者ありて成否素より予期し難きj,としながら も,

I

決議の結果万一失敗に終るとするも警醒,京JI撃に因りて得る処る効果 蓋し鮮少ならざるべきか」と論じ,続いて総会請求の理由として,他鉄道よ りも好条件にありながら収益は逆に悪化していることをあげ,

I

其根源に湖 り精細なる調査を遂げ将来に資するに非すんば 或は悔ゆるも及ばざるに至 らん,ことに鹿児島線開通の暁には其収益の度実に本邦唯一のものたらん此 有望有利なる会社を,挙げて徒に偽すなき人に委し敢て顧みざるか如きは, 宣株主の患を表せるものならずや,吾々が所謂『憎まれもの』となりて他株 主に率先し,調査革新の議を唱ふるを見て,乗取策なり,野心家なりなど中 傷し百方之を防けんするに至りては殆んど其意を解するを得さるとなりj, として今回の運動が株主として当然、の行為であることを強調している。更に 具体的な批判点として,第一に買収線の不適当をあげ,

I

新設会社の線路を

(21)

買収するに際し,同意を表する能はさるもの少なからず,就中伊万里線合併 事件の如きは吾々同志の最も感服せざる処なりし」とし 第二に工事の緩急 を察せずとして,仙石社長のやり方が

3

年かかるものを

2

1

年で急速に仕 上げようとし, しかもその工事が過度に慎重であるとし,これは「社長其人 が技術家たるに依りて其職責を重んずるの結果」で,

I

自己の資格即ち『工 学博士』たる肩書を重んずる結果より惹いて過度の慎重,不急の工事を速成 せしむるに非ざるなきか此等は無論吾々素人の日より打算し来ることにし て,一概に如此しと断言すること能はされども,一部株主間にては此説既に 輿論となれるが如し,調査問題の起る宣夫偶然ならんや

J

,とした後,第三 に社長の技能を取り上げ"

I

現社長仙石氏は実に当世の才物,有名なる技能 家にして才芸の上に何等の啄を容るべき廉なきがごとくなれども,本邦屈指 の大会社長としての技能は果して如何なるべき 此辺既に同志間に定論あり と難も,今に於て敢て紫説するの要なかるべし

J

,として仙石の社長として の不適格を示唆している。続いて上羽の談は筑豊鉄道会社と合併後の社内の 状況について触れ,高橋前社長の辞任が三菱・仙石ラインを中核とする旧筑 豊クソレープによる追落で,社内では高橋派,仙石派の対立が続き,仙石社長 による社内改革は高橋派排斥であったとした後,最後に九鉄の不備の現況に 触れ,その端緒が高橋社長時代からのものであることを認めながらも,近年 それが増々甚しいとして,設備の不完全,事務員の横暴 旅客及び輸送貨物 の不安心,上から下に至る収賄の風説等をあげ,

I

同社の既往及び将来を察 して深く根底より調査を遂げ情弊を刷新して社務を改革し併せて営業費の増 加を防ぎ多数株主の安全を図らんとするにあり又何ぞ乗取策なぞ卑随の野心 に出づるものならんや

J

,と結んでいる。 この談話の主の上羽勝衛は熊本県宇土の出身で,熊本洋学校教授(漢学), 県学務課長,県内各郡の郡長を歴任した後,第

1

回,第

2

回の総選挙に自由 党系の熊本改進党の候補者として出馬しながら苦杯を重ね,実業界に転じて 九州商業銀行(!日宇土百三十五国立銀行)頭取となっていた。上羽は筑豊鉄 道と合併前の九鉄においては九州在住最大の大株主で この紛争においても 熊本株主中最大の大株主として 改革派熊本株主の代表的存在となってお

(22)

九州、│鉄道会社改革運動の初期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主 131 り,この後も改革側のリーダー格の一人として活動を展開してし、く。 同じ29日の『門司新報』は『長崎商報』の記事を転載した「長崎の九鉄株 主と改革」と題する記事を掲げている。それによると長崎の九段株主は一部 重役派の外は「委任状を彼の改革派に送るもの齢、からざるの有様」で,九鉄 の現状では「其株主が此際臨時総会を請求して調査委員を挙け大に改革を試 みんとするは当然の事」であり,また九鉄は「九州の唯一交通運輸の機関」 であるから,

I

之が為め九鉄の運輸に一大改良を加ふるの端緒を開き従来の 弊を一変することなれば独り九鉄株主の利益なるのみならず世人の幸之に過 ぎざる可し

J

,と論じている。この記事ではこの紛争が巣なる一企業内の問 題としてだけではなく,公共輸送機関としての視角からも論じられているの が注

H

される。この『長崎商報』の記事は同日の『九州、│新聞』にも「長崎市 に於ける九鉄株主」と題して転載されていた。 このように改革派支持の動きが高まる中で経営側の動きも一部開始されて くる。同じ29日に取締役の安川敬一郎と麻生太古が会談し,

I

反抗運動ノ事 ニ及フ,先ツ麻生氏ハ博多ニ小河,小林,鹿野ニ会スベキニ決シ」ていた。 記事中の小河,小林,鹿野とは先に第

2

表で見た福岡県在住重役の小河久四 郎,小林作五郎,鹿野淳二のことを指すと思われる。 一方改革側の勢いは増々盛んで翌

3

0

日の熊本の『九州│日日新聞』は前日の 東京発電として,発起人以外の賛成株が

1

6

万株に達したと報じており,また 同じ

3

0

日付の『福岡日日新聞』もやはり前日の東京発電として改革派は

3

0

万 株に至るべしと伝えていた。この二つの東京発の電報記事のもととなったと 思われる29日付の『中央新聞』の「九鉄改革派の勢力」と題する記事が8月 1日付の『門司新報』に転載されているが,それは改草派の状況を次のよう に述べていた。 仙石社長の後援には三菱一派あり其他重役派の株主も亦砂なからざるを以て縦し 臨時総会請求の権利数丈は同志を得るとするも総会に於て或は勝を占むる事能はざ るの懸念なきにしもあらざれば首明者に於ても最初はjt成効を必期したるに非ざり しが如し然るに改革の戸一旦新聞紙に伝へられ且首唱者熱心に運動せる結果窓外に も形成益す盛んとなり質成中迄の丸信は続々各地より到:?lし今や十六万株の多数に

(23)

及びたる由其重立たる姓名は既報の外公爵三条実美,松平正直,久保勇,大塚磨, 麻生太七, IlJ口半七,五百井長平,美作宗吾諸氏を初め大阪,福岡,熊本,大分, 佐賀,長崎等にて中にも松方伯と深縁ある久保氏の賛成に至って一層改革派に勢力 を添ふるものなりと而して蕊に特報すべきは九鉄会社と関係ある九鉄一円の貨物取 扱問屋は非常に仙石氏に反対し彼等は夫々酸金して株主を遊説し又現に会社に衣食 せる者にして仙石氏を嫌忌し反対者に向って種々の材料を輿ふる者出づるに至れり とぞ是等は仙石氏が剛頑の人物たるを恐れ前社長高橋氏の如き円満の人物を迎へん とする卑劣の行動に依るならんが要するに此等の一事を以て見るも氏が課員及び株 主に人望なき一斑を知るに足るべし左れば今日の模様にては改革派は多分三十万株 以上の賛成者を得るべしと云ふ この記事の内容から

7

3

0

日付の『九州日日新聞』と『福岡日日新聞』の 東京特発電報もこの『中央新聞

J

の記事によったものであることが推察され よう。また委任状送付の有力株主として新たに松平正直(前内務次官,

2

6

0

株所有),久保勇(横浜蚕糸銀行専務, 550株所有),大塚磨(山陽鉄道取締 役,

1

0

0

株),麻生太七(嘉穂、銀行監査役,

1

0

7

株),五百井長平(前堂島米穀 取引所理事長,

6

2

7

株),美作宗吾(前九鉄取締役,

3

9

8

株)らの名前があげ られ,特に松方伯(蔵相)と深縁ある久保の賛成は改革派に勢力を添えると されているが,これは久保がかつて松方蔵相の秘書官をつとめ松方と近い関 係にあることを指すものとみられる。また松平は熊本の前々知事をもっと め山県首相の懐万としても知られており,五百井や大塚は関西実業界の有 力者で,美作は前九鉄取締役で熊本実業界の有力者でもあったから,彼等の 改革派支持を伝えるこの報道は,社内にも同調者がいるとの報と相侠って改 革派に有利に作用したと考えられる。なおこの記事では九州の貨物取扱問屋 が醸金までして株主を誘説していると報じられているが,これが事実である とすれば,その理由はこの記事で述べられているような単なる仙石の剛頑な る性格を嫌つてのものではなく,仙石社長となってからの大幅な貨物政策の 変更に対する不満によると考えられる。

(24)

九 州 鉄 道 会 社 改 革 運 動 の 初 期 段 階 に 見 る 明 治 期 鉄 道 企 業 の 経 営 者 と 株 主 133 [註] (1) 典拠は第3節 の 註 [5 ]に同じ,以下本節中の九鉄株主の肩書,持株数も同様である。 (2) 清浦,竹添は熊本県出身,富岡は15年にわたって県令・知事をつとめた(下回曲水 『近世肥後人物史』上巻,稲本報徳舎, 1925年)。 (3) -t:方,渡辺は明治維新時からの尾崎の旧友であり,河鰭は尾崎の旧主弓条実美の弟 であった(~尾崎三良白叙略伝』上・中・下巻,中央公論社, 1976・1977年)。 (4 ) 同様の内容は「九鉄臨時総会請求運動」と題する7月25日付の『鎮西日報J(長崎) の記事中にも見えるが,これらの記事はその内容から7月23日付の『中央新聞』の「九 州鉄道臨時総会の請求」と題する記事に拠ったものと推定される。 (5) 1日本全国五十万円以上の資産家J~時事新報』明治 34 年 9 月 22 日, 1小田原電鉄時 貴の内幕J~万朝報J 6月19日。 (6) 前掲『尾崎三良白叙略伝』。 (7) 公人私人J~万朝報 J 4月5日。 (8) 九鉄はこの当時八代まで開通営業していたが,八代・鹿児島聞は官線が工事中であ った (1官設鉄道新設工事の概況J

r

東洋経済新報』第124号)。 (9) 伊万里鉄道買収についてはそれが決議された前年10月の臨時株主総会でも大きな問 題となり株主の意見も賛否両論に二分された (1九州鉄道会社総会J~門司新報』明治 31年10月29日)。 ( 1の前掲『近世肥後人物史』上巻50-55頁, ~熊本県史』近代篇第 2 巻 (1962年) 11-14 頁。 (11) 九州鉄道株式会社『株主人名表J(明治32年3月末日現在)による。 (12) 前掲『安川日記J7月29日。 (13) 前掲『人事興信録』。 (14) 秦郁彦苦『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事J(京大出版会, 1981年)。 (15) 1松平辞職に決すJ~万朝報J 4月7日。 ( 1の 五百井は大阪の有力米穀商でこの年の4月まで堂島米穀取引所の理事長をつとめて いた (1堂島重役の辞職J~万朝報 J 4月8日)。 (17) 大塚は山陽鉄道会社の大株主で取締役もっとめ,

m

限的経営方針をとる山陽鉄道社 長時代の中上川彦次郎を退陣に追い込んだ主役でもあり,鉄道虐使を以て知られてい た(日本経営史研究所編『中上川彦次郎伝記資料』東洋経済新報社, 1969年, 170頁・ 178

.

8

:

.

18Ht及び「大塚磨氏の談片Jr福岡日日新聞J7月11日)。 (18) 卯野木卯一良『肥後商工先達伝J(熊本県立商業高校, 1956年)47-52n。 (19) 九鉄は仙石社長となってから専属問屋市IJの廃止等の大幅な貨物政策の変更を行って いた (1九鉄専属荷物取扱自の一大恐慌JnM[品,l口[]$JrlmJ明治31~f-6月18日)。

(25)

6

.

経営側の反攻開始

8

月に入ると経営側の本格的な対応が開始されることとなった。まず

1

日 には長崎出張から前夜帰任した仙石社長を福岡に迎えて,安川,麻生,小河, 鹿野,小林等の福岡県在住の重役が会合し,

I

九鉄反対派ヲ打撃シ尽サレハ 止マス」と決議していた。仙石はこの夜博多商業会議所の招待会に出席して いるが,この席で博多の商工業者らは支線の敷設を条件に仙石支持の密約を 交したとも後に報じられている。 一方改革側の動きも相変らず活発で同じ1日の『門司新報』は前日の東京 発電報として改革派の五ヵ条にわたる会社批判点の要点を伝えていた。その 内容は

4

日付の同紙及び同日付の『九州、旧日新聞』によると次のようなもの であった。 1 .無用の借入金一一第21回報告によると預金が128万余円あるにもかかわらず一 方で50万円の当座借越を行うような不経済極まる手段を専断で行っていること。 2.賞与金支給方の失当一一従来利益金の中より職員以上に支給していた賞与金を, 昨年度上期よりの営業費増大による利益金の減少に伴い,重役の賞与金のみを利 益金より支出し,その他は営業・興業の両費から支払うとL、う蒲縫策を採用した が,興業に従事する職員は営業に従事する職員の10分の lにも及ばないのに賞与 金の半額を興業費に負任させ, しかも賞与の支給を全社員(職工を含む)に拡大 したため筑豊鉄道合併前の両社賞与合計の2倍以上に増加していること。 3.漫然、資本金を募集すること一一昨年来金融通迫の中で株金の払込を9回も連続 し, しかもその資金は線路延長以外は昨年中の一時的車両不足を生じる程の炭況 好況に乗じて将来の程度も考えず無数の車両購入に充てられたが,今はその置場 にも困却している上に,宏壮美麗なる社宅の建築を進めるなど株主の利益を全く 眼中に置いていないこと。 4.営業方針の偏固一一物産の多寡,送先の如向,舟車の使否等に応じて運賃割引 其他の便宜を図ることなく,単に公平を装って単一の運賃割引しか行っておらず 商売ということを忘れていること。 5.職員の冗多一一筑豊鉄道との合併後従来の職制を廃し各課に掛と事務所を新設

(26)

九州鉄道会社改革運動の初期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主 135 したため,社員数が増大し費用増となった上に繁文縛礼に陥り,却って事務の敏 活を欠く傾向があること。 このように改革側の会社批判は資金調達及び運用,賞与金,営業方針,職 員数等多岐にわたっているが,その多くは九鉄の現状を鋭く突いており,経 営側にとっては手痛い批判であったと思われる。なおこの改革側の

5

ヵ条の 批判点の要点については『福岡日日新聞』も 2日付の東京発電報記事として 伝えていた。 また1日付の『九州新聞』は「九鉄株主改革派を是認す」と題して改革側 の盛り上がりを.

I

九鉄内部に三菱派の践雇し種々の弊害を醸し延いて営業 上齢、からぬ不都合を与へつつあるは今や世間一般の認むることころなるが (中略)只小倉,門司の銀行のみは会社と取引ある為め預り金の引出されん ことを気遣ひ日下両者の聞に迷ひつつあり

J

.

と報じていた。同じ 1日付の 『九州新聞』は「仙石社長辞職の噂」と題して仙石社長辞任の風説すら流し ていたが,これが虚報であることは先に見た同日の重役会合の決議からも明 らかであろう。 更に同じ1日の夜には熊本の改革派発起者の一人である第九銀行頭取堀部 直臣が門司を出帆した山陽鉄道連絡船で‘東上していたが,その後の経過から 見てこれは東京で、の運動に加わるための上京の途上であったと推察される。 翌2日には,前日の在福重役会合での改革派撃滅の決議を受けて経営側も 具体的な対応を開始し,取締役の安川と麻生が.

7

月下旬より福岡に帰省中 で前夜佐賀視察から帰着したばかりの大株主黒団長成(侯爵.5.866株所有) を訪ね.

I

九鉄ノ件具申」をしていた。経営側がまず黒田侯への工作を開始 したのは,同侯が大株主の一人であると共に,旧福岡藩主宗家当主としての 福岡株主への影響力や,有力貴族院議員の一人としての影響力をも考えての 対応であったと推察される。また安川がこの任に当ったのは旧藩時代からの 関係に依ると考えられる。 一方向じ2日付の『門司新報』は「大阪と九鉄改革」と題する前日の東京 発の屯報記事を掲げ,大阪株主の状況について.

I

従来九鉄の大阪株主は同 会社の改革に対しては殆んど冷淡の位置にありしが昨今九鉄非難の声喧すき

(27)

に伴れ改革派に向け続々委任状を発送するもの彩多し

J

,と報じていた。ま た同じ『門司新報』は別欄で「九州鉄道改革派の意気込」と題する『千代田 新聞』の転載記事を掲げ,改革派が

2

0

万株以上に達し鎮圧不可能となったた め仙石社長が前高橋社長に仲裁を依頼しているが,従来会社側であった岩崎, 三井の両家も今回は厳正中立の立場で内心は改革を支持しており,熊本では 重役の坂井等までが加っていると報じていた。この記事は

4

日付の『九州新 聞』にも転載されているが 記事の内容の多くは信恵性を欠くものと思われ る。 翌3日の早朝には改革派熊本株主の代表格であった上羽勝衛が山陽鉄道連 絡船で上京の途についていた。上羽はこの後

8

月下旬まで滞京して運動の中 心となって活動している。 同じ

3

日には『門司新報』が「九鉄改革と佐賀県大株主の談」と題する記 事を掲げているがその中で,某株主は「営業費の多きを以て一概に会社経済 の不整理と断言するは当を得たるものにあらず(中略)営業費に相応すべき 施設が会社に於てなされつつあるや否や其施設が会社の営業上必要たるや否 の二点の疑問なるに外ならず」とした上で,九鉄の施設や制度の不備を列挙 しその改革の必要性を説いている。この記事は

5

日付の『九州新聞』にも転 載されていた。 翌

4

日には,三菱長崎造船所における日本郵船の新造船河波丸の進水式に 出席した後,筑豊の炭坑を視察して帰京の途上にあった九鉄の筆頭株主岩崎 久称を,仙石社長と安川が下関に訪ねて協議していたが,その内容について 安川は日記に,

I

岩崎男亦積極的方針ヲ取レリ依テ井上伯ノ援助ハ最大必要 ナルヲ以テ余ハ今夕徳山ニ航シ山口ニ入ル事ヲ約シテ帰着ス

J

,と記してい る。井上馨が設立時から九鉄に深くかかわっていたと思われる経緯はあるも のの,何故この協議で井上の援助が最大必要とされたのかは必ずしも判然と しないが,経済界における井上の特殊な地位を改めて示唆する現像といえよ う。この協議の結果安川が急逮徳山を経て山口に向かうことになったのは, この頃井上が大阪を経て九州│各地を歴訪した後山口で静養中だったためで、あ る。安川は約に従って同日深夜門司を出帆した山陽連絡船で徳山に向ってい

参照

関連したドキュメント

自動車や鉄道などの運輸機関は、大都市東京の

① 新株予約権行使時にお いて、当社または当社 子会社の取締役または 従業員その他これに準 ずる地位にあることを

平成28年度は社会福祉法が改正され、事業運営の透明性の向上や財務規律の強化など

このような状況のもと、昨年改正された社会福祉法においては、全て

鉄道駅の適切な場所において、列車に設けられる車いすスペース(車いす使用者の

平成 30 年度介護報酬改定動向の把握と対応準備 運営管理と業務の標準化

二月八日に運営委員会と人権小委員会の会合にかけられたが︑両者の間に基本的な見解の対立がある

取締役(非常勤) 森下 義人 東京電力パワーグリッド株式会社常務取締役兼東京電 力ホールディングス株式会社経営企画ユニット経理室 監査役. 松下