2 を重んじてきた人たちがいたからでした そういう人たちに対して 自分は宗教に熱心であると思っても つまり 形 を整えることに一生懸命であっても と語りかけているのです 今の私たちに当てはめるならば 洗礼を受けたといっても とか どんなに礼拝を守っているとしても とか あるいは 奉仕を一生懸命やって

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説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2018年10月7日(日) 主 題:「どんな管理人ですか?」 ―3つの特徴― テキスト:ヤコブの手紙1章26−27節 はじめに ・丁度4週間ほど前、私たちはヤコブの手紙からみことばをいただきました。そこで大切 なことを学びました。皆さんは、覚えておられるでしょうか。 それは、みことばを実行する人になる道です。著者は、みことばをただ聞くだけの者で あってはいけない。実行する人になりなさい。と命じました。 ・聖書には確かに、尊い、貴重な教えが多く書かれています。その教えは、単に聞くだけ であってはいけません。行いが伴うことが求められています。 しかし、現実生活で、みことばを実践することは容易なことではありません。 ・では、どうすれば、みことばを実行する人になれるでしょうか? 自力では、到底不可能なことは明らかです。しかし、神は助けてくださいます。みこと ばを実行する秘訣は、「鏡から離れない」ことにあるのです。 鏡が私たちを映し出すように、みことばは私たちの心を映し出してくれます。 ・心を写し出す「みことばの鏡」から、いつも離れないことです。聖書は、神の祝福を受 ける人は、「完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人」(1:25)と 教えています。 ・神は、命を私たちに与えてくださいました。それは祝福の人生を送るためです。今日の 箇所は、前回述べられた真理(22−25節)の適用となります。その内容は、「むなし い宗教」と「汚れのない宗教」の、どちらに従うかであると教えています。 2点 大切なポイント 1.むなしい宗教(信仰) ・1:26 自分は宗教に熱心であると思っても、自分の舌にくつわをかけず、自分の心を欺 いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。 ・聖書には「信仰」という言葉はたくさん出てきますが、「宗教」という言葉はほとんど出 てこないと言ってもいいでしょう。それにもかかわらず、ここであえて「宗教」という 言葉が使われています。ここで「宗教」と訳されている言葉は、礼拝、洗礼式、聖餐式 といった儀式的なもの、形式が含まれたものを表す言葉です。 ・ところで、ここで「宗教」という言葉が使われている背景に、この書簡が書かれた時代 に理由がありました。それは、旧約の時代から新約の時代へ移っていく、過渡期(通り 道)のような時代であったことが関係していると思います。 ・と言いますのは、クリスチャンになっても、旧約時代からずーと伝統としてこの「形」

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を重んじてきた人たちがいたからでした。そういう人たちに対して、「自分は宗教に熱心 であると思っても」、つまり「形」を整えることに一生懸命であっても、と語りかけてい るのです。 ・今の私たちに当てはめるならば、「洗礼を受けたといっても」、とか「どんなに礼拝を守 っているとしても」とか、あるいは「奉仕を一生懸命やっているといっても」などと、 言えるかも知れませんね。 ・私たちは外側の形式だけを守っていても、それは真の信仰とは言えません。 外側がどれだけ立派に見えても、熱心に宗教形式を行ったとしても、もし自分の舌を管 理していないならば、それはむなしい宗教にすぎません。 ・「自分の舌にくつわをかけない」とは、「舌が暴れ馬のようになっている人」のことです。 これはヘブル的で、絵画的な表現ですね。少し想像してみてください。馬に「くつわ」 がなければ、馬は制御されずに思うままに進みます。 人も同じです。口から出る言葉を制御する「くつわ」をかけない馬のようです。 ・そのような人は、自分を欺いているのです。動詞は現在形ですので、「欺きつづけている」 という意味となります。その人は、外面的な形式さえ行っていれば、それでよいのだと 自分に言い聞かせているのです。 ・皆さん。ヤコブは礼拝を守ることや、洗礼を受けること、聖餐にあずかるという儀式的 なことに意味がないと、言っているのでは決してありません。どうぞ、誤解しないでく ださい。 ・そうではありません。儀式も大切です。儀式がなければ、形は崩れてしまうでしょう。 著者は次の27節で、もう一度「宗教」という言葉を使っています。もし「儀式的なこ とは、意味がない。どうでもいいのだよ。神を信じてさえいればいいんだよ」と言おう としているなら、再び「宗教」という言葉を用いなかったでしょう。 ・しかし、そのような宗教はむなしいものです。つまり何の実をつけることも、永遠の価 値を生み出すこともないということです。それに対して、著者は汚れのない信仰を持つ 人は、自分の舌を管理する人であると言います。 2.汚れのない宗教(信仰) 1:27 父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているとき に世話をし、この世から自分をきよく守ることです。 ・むなしい宗教に対して、汚れのない宗教(信仰)は三つもの特長を持っています。つま り、三つの意味でみことばを実践するということです。 1)父なる神の御前 ・神はたくさんあるのではありません。神はお一人です。神はこんな罪人の私を愛してく ださり、救い主を送ってくださいました。そして、私たちがどんな問題を抱えても、そ れに解決を与えてくださいます。そういう神の前に、私たちは一人の人間として生かさ れています。ですから、その神の前に生きていくことを教えられているのです。

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・ある方は、そういう生き方は窮屈で不自由であると感じるかも知れません。 雨が降っても、家でゆっくりできないからです。教会があるからです。ある方は、天気 が良いので、礼拝を休んでリクレーションに行こうかと思います。 ・私たちの生き方は、礼拝の時だけではありません。家庭にあっても、職場にあっても、 娯楽を楽しんでいても、いつも神の前にあります。何をしてよいとか、いけなないとか を言っているのではありません。そのことが神の前にあるものであれば、それはそれで いいのです。 ・皆さん。どういうことが良いことで、どういうことが悪いことかは、自分自身が神の前 に生きていれば、自ずと分かってくるものです。例えば、クリスチャンはお酒を飲んで もいいのか、タバコを吸っていいのか、ということがよく議論されます。 ・それは律法的な意味で、良いか悪いかが決まるというより、神の前で信仰を持って歩む ならば、信仰の中で自ずと決まってくることではないでしょうか。その選択は、別に窮 屈で、また堅苦しくギスギスしたものではなく、むしろ最高の喜びとなっていくもので す。 2)弱者への思いやり 1:27 父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っていると きに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。 ・さらに、「汚れのない宗教」は、孤児や、やもめたちが困っている時に世話をします。当 時のユダヤ人共同体では、孤児とやもめが最も悲惨な状況に置かれた人たちでした。彼 らは貧困層の代表でした。みことばを実行する人は、不幸な境遇にある人たちを助ける のです。 ・旧約聖書で、モーセの律法は「孤児とやもめ」を特に取り上げて、彼らに配慮するよう に教えました。申命記 27:19 「在留異国人、みなしご、やもめの権利を侵す者はのろわれる。」民はみな、ア ーメンと言いなさい。 ・預言者たちも、「孤児とやもめ」に配慮するようにとのメッセージを語りました。詩篇 68:5 みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神。 ・初代教会も、「孤児とやもめ」に対する配慮を重視していました。 1テモテ5章 5:3 やもめの中でもほんとうのやもめを敬いなさい。 『例 話』 救世軍の William Boos & 山室軍平 ・1865年、英国のメソジスト教会牧師であった William Booth は、ロンドン東部のス ラム街に住む、貧しい人々のために働く決心をしました。その地域は人口が密集し、多 くの人たちは失業し、貧困に苦しみ、酒飲みが多く、犯罪が頻繁に発生し、不道徳なこ とが多々起こっていました。 ・その地域に蔓延していたのは、社会悪と呼ばれるものでした。そこでキリスト教諸派が、 その人々をボランテイアで支援していました。William Booth 師もその一人でしたが、

この働きが ”The Christian Mission” と呼ばれているものでした。運動は急速に発

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・1878年、William Booth 師は突然召しを受け、「我々はボランテイア・アーミーでは なく、「サルベーション・アーミー」(救いの軍隊)である」と示されました。この導き は直ちに、側近の同労者たちの賛同を得ました。このようにして、「サルベーション・ アーミー」(救いの軍隊)は生まれました。邦訳では救世軍と呼ばれるようになりまし た。 ・日本では、1895年(明治28年)に始まりました。12人のイギリス人士官が横浜 に上陸し、活動を開始しました。日本人最初の救世軍士官は、名説教家であった山室軍 平師でした。彼は、キリストの福音を平易に説いた名著「平民の福音」でよく知られて います。彼は遊郭から婦人を解放し、廃娼運動設立や、結核療養所設立などにも力を注 ぎました。救世軍は現在も尊い奉仕活動をつづけています。彼らの生きる姿を知った時、 本当に脱帽します。 ・このように、私たちの信仰の先人たちは神のみことばに従順にお従いしました。かれら の生き方が、尊い証しとなっているのです。貧しい人、弱い人へ助けの手を差し伸べる 人は、みことばを実行する人のことです。もう一点あります。 3)きよい生活を志す 1:27 父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っていると きに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。 ・ 3 番目に、汚れのない信仰を持つ人は、「この世から自分をきよく守ります」。 これは非常に難しいことです。今の社会は、新聞、ラジオ、テレビ、インターネット、 すべてが世俗化しています。知らず知らずの内に、この汚れに染まってしまいます。 ・「この世」とはギリシャ語でコスモスです。これは天地を造られた神によって でなく、悪の力に支配されているコスモスのことです。聖書は「暗闇の世」と言います。 ・考えてみてください。私たちが生きる世界には、汚職があり、不正があり、真実に欠け ます。そしてその世の中で生活すると、知らない間に、悪の力の支配下に置かれてしま います。悪を悪と思わず、それが普通となってしまいますから、恐ろしいものです。 ・つまり、暗闇の世に生きるならば、人は大きな悪の影響を受けるのです。 外側の悪だけでなく、内側まで影響を受け倫理、道徳面においても、悪の影響を受けて しまいます。 ・では、どうすればよいでしょうか。暗闇が支配するコスモスで生きる秘訣は、どこにあ るでしょうか。私の内には、力がないことを知っています。私に力ないために、イエス・ キリストは来られました。ですから、メシアであるイエス・キリストに、助けを求める ことです。 聖書は、光であるイエスを次のように語っています。ヨハネ福音書 1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。 ・光であるお方は天におられます。しかしイエスは、次のように言われました。 ヨハネ福音書14章 14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがた にお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるた

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めにです。 聖霊の助けをいただいて生きなければ、人は皆「世の汚れ」に染まり、身も心も清く保 つことは不可能です。サタンが一番恐れるのは、クリスチャンがきよく生きることです。 ここにサタンの影響を受けない「生き方」があります。 ・暗闇の力を受けない生き方の秘訣は、光の力の影響を多く受けることです。 それは、生きておられる神、光である神と交わることです。デイボーションを守ること にあります。 ・皆さん! みことばを聞くだけの人と、それを実行する人の違い、お分かりでしょう。 いかがでしょうか。私たちの信仰はむなしいものでしょうか。あるいは、汚れのないも のでしょうか。 ま と め 主 題:「どんな管理人ですか?」 −3つの特徴― ・神は私たちに命を与え、人生をお与えくださいました。なんのためでしょうか。生涯で 神の祝福を受けるためではありませんか。著者ヤコブは、神の祝福を受ける人生を過ご す人は、次のような人であると言いました。 1.父なる神の御前に歩む人 2.弱者への思いやりを持つ人 3.きよい生活を志す人 ・これら3つの特徴を持つ人こそ、良い管理人と言えるでしょう

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