国語科読書指導論の研究
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(2) 国語科読まδ指導論の研究. 研究の私“義ヒオ法. 呂次. 心戦後国語科読圭三指導・の動向−. 紐届二期の特質. 催.格未分・化の読圭9指導. h第一期の特貿. 読書指導・論の展開とその特質. 触即. 戦後国語科読書指道塗のL慨・観. ・序立早量匹;−トー:−:−. 舶昂一立 脚. ”弔. 章 ん日勝. ケ日量. 第二”即. 舶弔. 田. ”弔二漱即. 文学教育的な読書指導馬. /. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. /!. IZ !ク. 4/. 43. S6.
(3) O三細即. 第三期の特 説明的文. 第四期の塒 ﹁生活読 第五期の特.. 停滞の状 ”希六期の特. を. 主とする読書指導論. 読書指導論. 求める添書指導・論. とその要因. の. ,について. 最近の談書指・導k つのて 大村はま氏の南天萩. ﹁読書生活指. ﹁読書生活指. の磐代催. 67. 8z. 9S. ”系四四即. 第五飾. 舶二六山回. 個近畿み. L. 読書指導の充実と その 課題. 蟹佃二七の終わりに 第三立早. 締稲二子. ”希凹”即. 終わ41に. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 三 節. !ts 〃9 /06 !83 ノク。 152 !43 128. を質 i7v質 み貿 言質. 導導 ts し. 85. 第 第.
(4) 序・音†. 育活動さえも、その一部−分でしかないということになる。. よく知られていろように読書指道マと呼ばれていること は、国語科だけで行うものではなく、総べての教去月活動 の中で行われるべきものであるとされている。総べての 教育活動ということになれば、それは学校教育という教. まず述べておこう。. この考察は、国語科読書指導・に関するものであり、そ の考察の範囲を戦後のおよそ四+年に眼っている。 そこで、本研究で対象とする国語科読書指導kついて. ●. 現﹂笑にそれは学校の中だけでなく、地域のサークル活 動や公共図書館などの社会教育でも行われているし、家 庭教育でも行われている。また学校教育においても、特 別教育活動の学級指導を初めとして、その質を論じなけ れば様々な教科・領域で読書指導は行われている。従っ てここで問題としている国語科における読書指導という ことになると、それは読書指導のほんの一部分てしかな. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 1. 2.
(5) 乎. いこヒ k る る 。. 数字で示セば・薪読書指導事典﹄︵第一法規凄を例 k−た場合、.㌧の圭・物は総→ジ五三四ぺ←〆であるべ臨 この中で国語教育との関連を主として思考・指導についス絡 述べてある都分は、その二四七ページから二六六ページ轟 までの+九ページにすぎず・割合から言えば四パ8セン窯 トにも充たないという事実が、モの・、とを端的仁物舘.浄 ていると霊えよう。もちろん他の古言の記述が、国語科蟹 の読圭・指導と関係がないわけではないが、国語科読圭・指辮. 導が読圭・指導の中の一部分であるとは言えよう。 齪 しかし・、の研究では、研究を焦点化するため、国語科論 における読書指導ということに絞って論じてい︽ことに饗 ロ トロ. 波る. ・する。 郎賄. 国語科読書指導とは、どのような読書指導であろうか。働舜 滑。許諾聖夫氏kよれば、読ま自通道可の内突σは・次のようにな. る・ 油 ω 鮭三子目打の油田展 の. ロ へっ. ②読書技術:万法の習得 切. 嚴 @曇碗圭陶立た欲・興味の開∵発 る轍 ㈲ 読 書 成 、 習 慣 の 形 怠 エ亀. ⑤読書領域の拡充 二. 三読書甕の篶 . るには問題がある・ 湿. なされているので、国語科の読圭﹃山道可にそのまま諺週用∵す. と述べているように、読書指、導を広くとらえる観点から骸瀬. ヨウリ. 読書指導﹂をとらえる。注2 襯甥. 指導を含んでもっと広範な読書指導ヒ手を志すボ展窪田 ︵畦に 開が必蓼である。 亀田 そうしたひろい視野をも釜場から・わたしけ﹁麟辮. ︵国餌壷学習指導は︶学校図書館・学級・文庫による︶雄. ω 読書蓮動の推進 閉山 ヰげ ただこのの∼④は、滑川道夫氏が、 瀦. 漏. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 63. 3.
(6) 夕. そのような滑蝋道夫氏の提実する読書指導の内容を踏 まえたうえで、長谷川孝±先生は・国語科読書指導にお いてなされるべさ内容を・国語科だけがしなければなら ない読圭・指導の内容と、国語科もしなければならない読ヴ 童日晒壷可の内・容とk分・けて・考占面することの典莇マ催を説き、 酬. 次の卵綴資蝕瓢が慕と氣ば、ぎり汀醐 門. べておら水る。そして、長谷川孝信先生の迷べら拠た、こ注注 の考え方は、田中義真氏がその著書﹃若い国語の先生に﹄ 注‘ ︵ 黎 の中k引用して自説を述べていることから 明 書 房︶ もうかがえるようk、妥当催を点している。 長谷川・考士先生のこの提ム案を援用して、この研う究にお いては国語科読書指道マを、 ﹁読書力の油養ハ﹂を中核とし. て、 ﹁読書技術・方法の習得﹂、 ﹁読書竜門・興味の開. 発﹂、﹁読書習慣の形成﹂、﹁読書領域の拡充﹂、これ らを国語科の授業の中で行うことであると考えることk した。. このような読書指・導の充実は、国語科における主要なヴ. 課題の;であり・その必享性はだれしも認めるところ耀 のものである.従って、後に莚・へることになる梱、読書賄 指導は終戦直後から国語科の指導の中にも取り入れられ、糊 昭和二す二年k発行された最初の﹃学習指導要領﹄にも柚 紹 モのことが明らかにさ嘗ている。また、国語科の場内に 限らるいが、読書指導の重要性び強く謂われるようにな注. 兵庫教育大学. 怪獣監漏新論解離粛籍晒蝋蒸器雛. 6.
(7) つたのは、戦後のことであった。 伽 最初kこの研究の範囲を・戦後の国語科読書指導につ遭 いスであるヒ限定したことは・このことが理由である。組. ところで・圖蓑馨指導の峯牲は、﹃醤指導要鰭 領﹄に転載されていることからも明らかであるが、現実轄. には﹃馨世論調喜︵言新聞社︶覧られるよう燃. に、中沢ナ生k限承ば四、産業上もの生徒が本を今・にし・ない 引. ヰ. という事実がある・碧 転 このこと﹃そのまま国語科の責任であるとは虐えな搬 い.しかし、国語糾にもモの噛端はあると考えられる。撃 て. え な い か ら で あ る 。 属中 も. 総論擁∴灘喉歎畿霧廟欝漁 ク. そのような虚実を前にすれば・馨指導k閲青る考察躍勅. の甦要なことは明らかヒなろう・ 滋 次に研究の牲格であるが、面子科読書指導論に閲する 本研究は、国語科教育研究の領域としては、基礎的研究. しているわけではない。現在の国語科読書指道マにも・三ロ引. し、モれ乞歴史研究の成果とも融合して、国語科読書指 道可に生かそうとする試みも行うことにする。. もちろん臨床的な研究ではないので限界は為るもの咬 現実の国語科授覗菜に生かせることを視野k並数て研・心し ていく . 本研究でば、戦後四ナ年に反ぶ国語科誌書指導の.流れ をまずたどることにする。次にその流煮を袈つかの時期 に区分して、それで承の時期を横断−的に考家示し、それぞ、. れの時期k現れた国語、智読書指導に関する指導論・匙潮. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. に属斗9る。また基礎的研究の分野の中では、国語科﹂言言 史論の研晃に属するであろう。 しかしこの研究は、国語科読書指導の一歴史的なゆ題産を 整理して跡封け、その言質をと・﹂ノえることだけを目標と. 8.
(8) ヲ. について理解を深めたい。その過程では、その底に流れ ている法則性を見出すこともねらいとなる。最後に現在 の読書指導の実践を見蓄えなグ・﹄、望ましい国語科読書庖 指導のありかたを提﹄案したい。 巾 そのような研・究の方向を持弓た本論支は、三つの立早で臆. 構成している. 傷 第一章では、﹃教育科学国語教育﹄︵明治図書︶を殉 基本資料に・国語科読書指導の流れをたどり、時代毎の隔. 区分を行うている. 破. . 第二章においては、そ承それの時期の特層只を探るため瀦 に、各々の時期を代表する国語科読書指導論や、読書指搬 導についπの寸心潮を取り上げて論じる。 轟,. 国語科教育史論としての考寮は・この躬二章が中心と鍵. な っている。 繍軟 まワ ワニ 章 は 、 ﹃ ま 国 語 教 室 摩 書 ・ a 躬 三 大 村 は ﹄ ︵ 筑 に 代 表 マ箋. される﹁読書生活︵の︶指導﹂という読書指導のとらえ注. 方と、そ承を生かすための単元学習を論じて、 国語科読 圭自指断ての望ましい・万向を﹂考齢上しπいく。. 兵庫教育大学 兵庫教育大学.
(9) ”昂舜立早. 戦後国語科読圭自指遁可の慨観. 第二鱈即 研究の立匙義と方法. この”薦一章においては、国語科読書韮層導・の︷戦後約四十. 年の歩みをたどりつつ考落・を加えて、歴史的な位置付け. を与えることkする。そこで、その﹂うる歴史的る考察 の音甥義についπまず述。へたい。. 温故知新という建山は、どの﹂うを研究を行う場合に おい一も必ず要求されることである。萄にこの論考にお いて取り上げ﹂うとするような、今までに様々な研究や 実銭が積み重ぬられて現在に至うているようる書辞につ い一は、現在までの歩みを正し︽理解しπお︽ことは、 研究の窮一歩である。. そのまう5先行研究は、先んの貴重る研究・実銭を現 在に生かそうということの現れである.研究を深あるこ とによって、 かつての先覚者の歩みを正しい形で理鯉¶し、. 継承することにもなるのである。. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 1/. /2.
(10) 飛田多士号雄氏が、. 私の史的考察についπの所思についてであるが︵中 略︶私が、労多き史的研究に固執するのは、﹁歴史 を知り、現代を歴史的に把握することによってのみ、 真k現代を知り現代を自覚的に生きることができるe という先覚の支・葛を堅︽信じ■いるからである。 と述べ 、 一・更に. 教育新世紀という未来への予見も、そうした竜味で の歴史的事実の認識から、ということが老来の私に も、内心の衝迫ヒもいうべき体験的自覚として分か. ぞ考、たよう竃う. 注− 胸 と、 ∼ ・心 6 教云 ・ 万 法語 ﹄ ︵ 明治 圭 巳 ︶ にあいπ述匹 ﹃ 結 証 開 月 史 図 . べているこヒの重大さを感じるいでぽいられるい。 朝 ところでこの研究は、躬二章以下における国語科読書嚇 指導論研究のための基礎的研究であって・単k歴史的事階 ノ 実を羅列すること自体が目的でないこヒは壱う3でもる注 し こ とてある. ぢ ぬ む. この章では、国語学読書指導の歩んできたおよそ四+ 年間を大きく六つの時期に区分し、次にモの理由を述べ ることkする。 旧故なら、区分するこヒによっπ、現在の目から見れ ば様々に主張され、展開さ斯ていた観のある読書指導論 が、いわば時代の必然催を担って国語科の中k現れてさ たことが理解しやすくなるのではるいかと思あれるから あ む. であ,る. 分蒸し、モれを総合することが重要であるのだび、そ の分析のたのの第一段階として、この章を位置付けるこ とに寸−る。. 研究の・不法とし一は、基本資料として教育雑誌﹁叡育 科学 国語教育﹄︵明治図書︶を用い了いる。この雑誌 に掲載された国語科談書指導に関する文献を元に、約四 +年に及ポ戦後国語科読書指導の歩みをたどり、歴史的. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. ノ3. 停.
(11) に位置付けるこヒにした。 注z 具体的には、創刊号以来の﹃教・育科学 国﹁語教育﹄掲.. 載の論支や実践記録などの中から、読書指導に関すろも のを選び出しス検討を加えたい。. 兵庫教育大学. その際、﹁読書指導しという用語が活用されているか瓢 を、資料と一−採用する一つの目審とした。また、﹁読嘲桝 書指導﹂ヒいう用語が用いられマいるい場合には、﹃新蜜 蝋日指導辞典﹄︵茎法規准ぞ取り扱われていることグ翻. 論文彙希薄録などの内巡るっているか一九が国語諜 幾 科 図 あ る か で 判 断 と 壮 し た 。 生湿. とこ5で芳書指導は、国語科だけで行われているもの鰍滑. で暑いし・覆だけでるさ委いるわけでも盗.多欝 種多様な競書指導が実施されている。しかしこの研究は、鮒灘. 罐黛搬聴講畿戴簸疑掴犠藩 基本資料と重て用いた﹁教育科学 国語教育﹄につい てであるが、この月刊の国語教育雑誌は、﹃学習指導專 領﹄においス﹁読志こと﹂の二面が﹁読解﹂と﹁読書﹂ とに系統化された頃︵昭和三+四年三月冷4に創刊されて 現在k至・ている。いわば、戦後の国語科読書指導の歩. みと共に続いているものである・ 騎. で. また、現在刊行されπいる国語教育に関する雑読の中旧 では、昭和三+年代から現在まで休刊:廃刊・することなゆ く続いており・同種のものとしπは、これが最もボピュ璃 和 ラーなものであると尾われる。更に、一つの主義・主張瑠 に.、だある.、とな︽、穏←ヨ右方針kよる編集がなさ九て卸. いる﹂うである。 喝. おせ. 以上の﹂うる認識に立つπ、・、の雑誌を研究の際の基縛. 本 賀 料 と し た ・ 轄 仔. 注チ. 兵庫教育大学. ノタ. /6.
(12) 第二層即 戦後国語科読書指導 国語科読書L指“導一の戦後豹四十年の歴・史は、 ほぼ次の六. つの時期伏分けるこヒができる。 ︵昭和二十二年∼昭和四十二年︶ ︵詔和四十二年一画面四+六年︶ ︵昭和四+六年一昭和四+九年︶ ︵昭和四十九年∼詔和五十二年︶ ︵昭和五+二年一昭和五+九年︶ ︵昭和五+九年一昭和・ス+三年現在︶ 国語机叡士肉﹄の鼎座を桶規してこのッ、と. 兵庫教育大学. 導入啓茜盛期. 内容検討期 内容充実期 再検討期 停滞期 再評価期. 資料﹃教高月科学. を確かめていくこと に し よ うO ﹃教育科学 国語教育﹄は、昭和三+四年三月の創刊 号から現在に至るまで一つ一つの号び、それぞれ看んら かの特.集になっている。たとえば創刊号は﹁国語教・育の 実践的課題﹂という鱒集・で、︾ての時の巻頭論・丈は西尾ゆ天. 傅.士の﹁教育科学とし了の﹃国語﹄﹂であった。 ︵ここ. ではそれぞれの号の特集名についπは省略する。潅ダ その鱒集を昭和六+二年†二月号︵箸三く七号︶まで 調べてみると、読書指一覧が特集・になっていたもりぱ、次 の各号・であった。. 1 ﹁読書指導﹂という用語が欝集名の中k用いπあ’る もの︵特象名は省略︶ 一月の 一三五号. [〇六二写. 一九六七 ︵昭和四十二︶年 一九七〇 ︵昭・和四十五︶年. 一月の 一四亡号. 隔くtゆ了. 一月の [︿六号. 十月の. 四月の 一←﹂五号 八月の 一八。号 ︻八三号. 二月の. 一九t一 ︵昭和四+よハ︶年. 一月の 一志品川亨. 階}. 兵庫教育大学. 六五四三ニー 一九t三 ︵詔和四+八︶二. ¥︸四 ︵昭和四十九︶生一. こ月の. 鰐の詫言‘の・iTIL資脊嚇の叱 注. !ク. /e.
(13) A. B召. ((内1旨(( 昭 H召 容 導 日召 8召. 限係和和和和 らす六五五国 なる十+++. 和. オn孝ロは」赤ロ禾v. 四. 四三読と六六. +一t”書い†寸. 七. 土 ノ、 書旨 う 二 一. コ用)). 年年t・”,語年年. 閲は 載四八八六八五・ナ七へ係特五八 でさ月月月月月月一ケ月し{集月月 はれのののののの月のの「(危のの ぞて三ニニ繍一一の一五い‘く三三 のい六三六九六六一五.十る用k六. 噺九七四. 一九セ九 一九八四. 一九八六. 年. の特高白川万だけk.限らないが こ. こ掲. 出る一六五二k三五三£もい五七. qの爵号爵号十号’ヒ号号のら翌号. 介以 い は上 注6 魅画因講下川の貌③瑚孕縛の呼唱骨弁朔湘割τ呼野欣一・ftは. のは注 号 れ 紹・6 て. ケ 五十四年・五十九斥干・六†一当・六十二年−、の鼻血干k轄眺姻 罫 書唱道マの特集があフたこヒが分かる。 日 よ ζのことから、次の﹂うな大まかな傾向、がっかめるの申 γ ではなかろうか。 に. 四十五年・’四十六午・四十←﹂年・・四十,八年・・四十九年− 鰍. 時代順にこれらを配列すると、三+八年・四+二年・嘩. 省︽.、. ・が年年年午. )). が献)))). ,.一‘,,. 読書指導に関係する丈献. い丈一一一九四九. l輝」犠鄭t筑雛劉罐指骨闇汁お乙ぜべて05・. 一九へt︵昭和六†二︶倉† 五月の三七五号 五 ﹁読書指導﹂という用語は特集危k用いられていな な. 十. ク. 初めとする補助強面料,を’参考kしス譜画したのが、”豹馳期. 期鶴鶏麟停嘆撃臨群網羅薦雛酔轟勘松難ク隷職. ・最近kな・て、閏袋再び強ま・ている. 廟漁. 嚇蕊踊吻無慧冠U剛縞 . 。昭和四†年以前kは国語科読書指導は論議の対象姻鼠. 13S’is・1回腸豹鋪・’5幡ノ63多・16ク多・’69多・ノク2;・・1ク39・〃呼!2・Y・m3 g. 一九八六︵昭和六寸一︶年・ 八月の三六七号. けに((((. に関昭昭H召昭. 一. の一応・入啓蓑〃期か・﹂ノの六期にわたる、戦後国語科読虚日直覧マ注. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. /9. 20.
(14) の時践区分である。. 次に時べ区分にしたがって、 その根拠などを詳しく述 、べることにする。 竺⋮用’湘別 ﹁導入訪甘続景湘劉﹂について. 先に述べたように、基本資料である﹃教育科学 国藷 教云目﹄では、昭和四十一年・以図削には﹁読書指導﹂という. 用語が用いられた特隻甲は、一回も組ま水てはいない。 もフとも、設書指導k関係する特集・として、昭和三+ 八年八月の第五+七号に﹁速読みの訓練と指導方法﹂と いう雲集が組まれている。しかし、この讐集の内容を調 べπみると、騎集名が﹁速読みの訓練と遣道マ方法﹂とな ・πいることからも推察できるようk、速読の技術kつ いπである。読書技術の指導という面から考えれば、速 読みも読書指導の内容であると考えられるものの、現在 の国語科読書指導という立場から見れば、述べられてい. る内蓉ば国語科というよりも、tしろ心理学的な色彩の 濃いものであるようk思わ水た。たとえば、払魚文の中に 用いこノれマいる・資料なども、阪’本一、即氏の射訳畜百遂・度につ. いマの文献からの引用などが目立った。 しかも弐た、この後の国語科.読圭臼指∵導隆盛の要因kな瑚. る昭和四+三年目小学校︶・昭和四+四年︵中学校︶の伸 ﹁学習指導要領﹄の二宮・告示三つながる教育課程審議は. 83. 、 主8 榊. 会の答申﹃この茎期の最後の年にあたる・昭和四+働. について還する場ム.仁は、原則と−π﹃小学校学習指指. 二年に出されπいるのである。、、諾︵今後﹃学習学道茜々領﹄曜月 つ . 導要領﹄のこととする。︶ 魏 このまうなことから読書指導は、それが戦後の国語科雛 に導入された二丁二+二年から昭和四+鞠一瓢+二年頃傭 狡計 までは、まだ一部の理解と実践にとどま.マいたと考え纏 られる。. ど. ところでここで述べている﹁道叉啓蒙期﹂を、昭和二漣. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 2ノ. 22.
(15) +二年からとしていることkは理由がある。それは、戦 後の国語科読書指導の始まりが、この昭和二+二年から であると考えたからτある。 昭和二+年へ月以後を戦後ヒ考えることは歴史的には 正しいのだが、国語科訳書指導ヒいう観点からは異るる. 嚇欝禦器総総熱謙媚犠凱無 難慧調囎罷群襯勢藩面構講騰燭 以上のようる事実によれば、国語科読書指導にと・て講瓢. 覧警麓織繊まりであり、読圭。指導が雛 三つスこの時期を、朗和二+二年の﹃学習指導要領﹄ によって・読書指導が呈の国語教育界に﹁導入﹂され湖歎 ﹁啓蒙﹂さ淑ていフた時期ととらえたのである。 笈耐二期 ﹁内容検討期﹂kついて ﹃学習指導画論﹄は錯二四+三年の七月に改、訂・省示 されたものの︵中学綾においπは昭和四+四年四月︶、 そ承による教育課程が全面的に実施さ承たのは、移行期. を経た昭和四十六年・度︵・南学∴校においては昭和四†七年. 度︶からであった。 そして、その四+六年度僅用の敬科書から﹁読書指導 教材︵単元︶﹂が提出さ承るようになる。 このよう有ことから、紹和四+六年を次の時期との境 目と考えることの妥当右ことが理解詩客よう。 ところで、この時期の﹃ 面面科学 国証脚教云月﹄・を調べ. るヒ、鋳筆画べきことが一つ認められる。それは、この O四+五年∼切+六年の読書指導の警堂号には、座談 会が組まれているものが、昭和四+五年一月と昭和四+ 03. 兵庫教育大学. 23 24.
(16) 六年一月置二つもあるというこヒである。読書指導・kつ いコの座談会は、﹃教育科学 国語教育﹄の中で、この 二回だけ6のである。. こつの座談会の内容は、両方とも国語科談書指導の大 き右問題としマ、証書まτまだ+分kは転子さ痢ている. と喝教黙認無難復、﹁華指導と哲肇冑指毒と礁学. 齢瑚舗講論贈砿誉鋼蝋纈犠藩瓢黙 の問題が読圭・指導の実践に際一、倒語教育現場での話題講鱒. 綿織雛轡論説” 罫鷲U孫貿礁解離羅 うか・ 熱烈. 罪四+葦二男喜雄豪 雛鵡. 国語科における読書指導の問題は、現場にさまざま2 な及響を好んだ・というよりも・その受けとり方が油引. ,. さまざまで、やや実践的混迷に陥フているというの. が実択である・謬 嚇ノ. と、その頃の国語科読書指導の実状を述べマいるこヒか らも、この時期の現場への読書指導の浸透ぽ†分にうか がわれるのである。 づ. これらのことからこの時期を・国語科読書指導が本格鹿 角に、国語教育仁携わフていた人たちkよ・て、多︽の糊 実践を鐙まえながら、その﹁内容﹂について﹁検討﹂さ綿 淑るようkをつた時期とと・﹂ノえて﹁内容検討期﹂とした琴 昭. のであろ。 第. 醐 32. と・、うで、・、の時期の説明kあたって、座談会を取−−結. 上げたが、﹃教育科学国語教育﹄と同様な国語教育に蠣 関すろ雑誌である﹃国語の教育﹄︵国土社︶においても樽. この時期に・皇胤指導を国語科でどう考えるかしと瓢 された座談会が、滑川一通夫氏右一どkよって行あれている。4. その小見出しを列記すると・指導琴領のめざでもの・油. 兵庫教育大学. 2S 26.
(17) 時間は足りないが、次元の壱醜い詰みの指導、国商科,で伺. を分担するのか、長編の扱い方、だれが選定寸るか、ヒ いうようになる。こ夙を見淑ば、国語科読書指導のその. 頃の押湯がうかがわれる。漆 恥 納. 第三期﹁内容充実期しkつの■ 繍 この・雑言+六年からの数年間はら教育科学国蜘. も. 語教育﹄で読書指導k関する特集が鍛度も組ま承ている砂 ことからも分かるように、国語科読書指導が全国的伏非雛. 常な盛り上がりを見せた時期である・ 雌 重て、この時期の讐色としては、読書指導の授業二瀬 践 が か な り の 量 を と が 最 初 に あ げ の 報 告 占 め て い る こ ら 囑 滑 ン れよう・更に読書指導を実施する際に問題となる・個々壌 の技術kつりπ論じたものが多いということも資料を見蹴 てもえる特色の一つ.−ある。 タ ノ こ血らのえとは先k述べたことであるが、昭和四+六注. 年度から教科書に﹁読書指導教材︵学元︶﹂が掲載され るようになったことが犬きく影響していよう。. 教科書に﹁読書指導敬材︵学元︶﹂が提出されたこと によって・読書指導に否定的な教師や、︷れまで読書指 導kついての理解が+分でなかった教師も、何はともあザ 承教材・をこなさごるを得なく有ったということが、x一の躯. へ ず. 楚にあると台われる. 瑚. 教育現場の実践は、そのことの良否は別として、 齢 だ 教科書の影響をつよく受けるものである.詐言。指導曙. の喫践も例外ではなかった。 袴 瑠 という・その時期kるされた小川末吉氏の指摘が、その禰 語 ことを物語っている。 国 な 教科書の中k﹁読書指導教荷︵単元︶﹂が提出さ水た納 ことkよって・現場での実顕が数多く行わ斯るようにな判. り 、 そ の 実 か ら 、 畿 に お い ス 生 徒 にノ6 践 の 中 書 指 導 児 音 7 身に付けさせる“へき技能の闇題ヒ、教帥の指道7万法や技注. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. z7 2g.
(18) 術などの問題が、この頃はワきりと顕在化したのである。. こう考えると、授業実字についての論文や読書の技能酵 指導についての論文の多いこ差了解されよう.読書指塒 導ということが現場においてしっかりと受け止められ、翻 ﹁充実﹂してきた結果であると考えられるので・この義 ら 。 定. 期 を ﹁ た の て あ る 内 容 充 実 期 ﹂ と し 国立国語研彪納所﹃編の﹃国﹁語年鑑﹄の小湯ナ校の一展望一歳に伽. は おいても、 箪 執 今までは国語科読書指道マの考え方・根拠・計画と戯 実銭方法が課題であり論議の的となっていた.とこ堺 うが現在は、そ一ういった本質論から離脱しこれまで銑. D鐸鷺鋸盤偉総懸潔繋輔繊繍. 具体的施策がなされているというのが実情の﹂・フで僻. . あろ。注円. け. というようる、この時期の終わりに近い昭和四十八年の注. ・実状グ述べ・﹂ノれており、国語教・育苗一場において、国語科 読圭日磯際マが着二実kメ︵の﹁内容﹂を﹁充実﹂させてきた様︸. 子がうかがわれるのてある。. 笏四期 ﹁専検討期﹂について なあ ﹃教育科学国語教育﹄の第一八六号の蒔集は、﹁読 書の指導過程はどうあるべきか﹂というものであり、統 まヨ く第︷八七景ぱ、﹁説明皇猷章教材における読書指導﹂ という塒集であった.そし又、この特集梱組まれて以後 長く、直接国語科読書指導k関係する讐集は企画されて いたUい。. また、読書指導の特集が少ないということの別な面が肉朗 らの現象でもあるのだが・読書指導に関係した論文や刊雛 行図書そのものの数も・それまでの数年間k比べれば、畿. 非常に減少している. g﹃ その﹂うる亨実から、この時期︵昭和四+九年以後︶注注. 兵庫教育大学 兵陣教育人’Yi. 29 30.
(19) は、国語学での読書指道Mに対する熱立亀が、それまでの数. 年間に比べてやや落も着きを示すようkな;てきた、い うる承ぱ﹁沈静﹁化ししてきた時期であると掃うこと駅で キ㌧るのてある. サ . ただ.㌧の.沈静化﹄という壱葉は、国語科読書指導く準㍗. のものが現場侭おいて取りト浮、㌧れなくなってきた、と蹄 いうことを示しているわけではない。何故なら、昭和二心. +奪房馨書か言出さ曳いた.読書指導霧︵獅 単元︶﹂は、昭和四+九年度改訂版教科書にも掲載され55 ていたからである・学才現場において﹃読書指導の授雛 業実践そのものは、前の時期と変わることなくなされて患 いたと考えること加・箸三期のところで81亡した小川末聯 吉乱の﹁教育現場の実践は︵中略︶教科書の影響をつよ鱒 く受ける畦ビいう指摘を待つ設でもる︽・当然だと思え鴨 へ る の で あ る 。 20. そのよう看ことから考えれば、この﹁沈静化﹂は国語注. 教育現場kおい了読書指導実銭雌減少したことを竜湿す るものではなく、マンネリ化の現れを示していると考え るべさであろ・フ。. その視点に曾てば、先の二つの特集号の持つ一いる喜樽 味も納⋮得できるものとなる。 ・. つま咳読解指導との区別が鷹きりしない・現場で噸 の読書指導の授業実践に対する﹁読書の指導過程はどう燗 するべきか注脚という提壱や・国語糾読書指導が丈学教育協 ヒの関係から威立一たという一面をも持っている閲係上、纏 読書指導がやや文学教材“偏重しπいる面があるので、継 の それを・疋正するという竜門からの、.説明的文章教材k囎 おける読書指導﹂論の官憲がなさ承た時期である、と考は 計 えられる。 靴 そ一て・興味深いこヒには・こ水らのことはこの時初嚇 めて論じら煮たわけではな︽、それ以前から話題になつ ていたことなのである。この時舳期には、∠︵水らが﹁再﹃注. 打. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 31. 32.
(20) ﹁検∴討﹂されたのである。そのようなことから、この昭. 和四+九年から下和五+二年までの時期を、個語科読書 指道マの﹁再検萄期﹂と命名したのである。 ところで、国語科畿書写道可び文学教材に偏重していた 回 向については、 イ 国語科の読圭日指∵遁マで取り扱う・教材や丈野阜が文当ナ作品ヴ. に偏り・読書指導腔丈学作品をめぐフての指奪のこ階 とく黒われていることに対する疑問も提起考、れるよ糊 うになった・三州 紳 昭 という藤原宏氏の文章に、その間の事情がまとめら猛て︾ 32 いる。 箸 また望月久貴氏が、昭和五+年の国語科読書指導の祷野 ヨニ ”巴を﹁混迷△呂みの定着、であると、曾和一二工年の五月鞍 k第一=九号︵これは臨時増刊号で.国語教育研究与讐糞 土+六年版である︶で論じ一いることも篭再検討を專し 潔23 たヒいうことの証左kなろう。 注注 ただ、この時期一の国語科融碗圭目指舌骨の再検、討kよフて、. そホが面目を一新﹃して国語科の中で禁園んに取り上げられ. る﹂うにはならなかった。検討はさ承たものの・﹃学習制. 弔 三道マ面マ領﹄の改訂を間近に.控え、 党. 本年度は﹁小学校b中学喜び高等学校の教育課嵐 る. の基準の改善kついて﹂の中間ゴとめ並びに答申を障 めぐ・ての話題で仁ぎわった・︵噸川栄宝貸馬筆紙輪 う というように、国語科の闇刷心は読書指導・を離れ、他のも︵. のk移っていワたのである. 曾 26. 第五期﹁停滞期﹂kついて 鴨 、 甚. 第一期から時代区分に従って述べてきた過程て明らか噛 版 に な っ た よ こ こ ま で 徐 展 ・ 深 田 ・ て聯 う k 、 々 k 発 拡 充 し よ きたように恩われる国語斜設書指導が、国語科教育の冷暗 で﹁停滞﹂しスしまうのが︵現象的に見れば、・停滞と書乎 へ うよりも・衰退している面も多いようである︶この時期て注. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 33. 34.
(21) ある。. それが昭和五+二年七月に告示された第五次の﹃学習 指導尊宿﹄が出されたのと、期を一kしユいることは、 ほぼ国語教育界の定説と有っている。 たヒ・ん。は﹃教〃育q科学 回証卯馬沓﹃﹄の中・でも、闇佃戸・等圭我. まぎ 氏は次のようk述べπいろ。、,.2. 版 学 習 指 導 ・ 笠 指 導 ・ も 昭 和 五 + 二 年 石 の 改 正 ぽ 、 読 書. いあゆる文学敬育を後退させた。改訂に携あった人 々の素図はどうであ承、その後の国語教育界の状況 ジ は、受験体制の強化とともに読解主義に傾斜し、チ俸 ノ どもたちからへ読み﹀の楽しみを奪;てしまった。 調 関・安義氏は、丈量教育と読害指導とを周一のものと嚇 みなtているが・いずボにせよ昭和五+ 年版の﹃学習略 . 指導嶺﹄が読書指導を後退喜た、と述べているので鵜 ある。その結果、学校現場は、 夕 熱気が消えてしまフたので・す。出版物や研究物は注. 書棚に眠り、図書室kは閑古鳥び重いフいます。教 育で、国語教育で、﹁読書指導﹂は典專がなく右っヴ 峨. ヒ阿欝靴穿彗つ毒にるっ一まフたので鵬. ある・ 蜘廟. 育潔塞け欝っ覇窓謬灘響纐綜封礒繍 な った一智の︵小学撃は昭和五†正正から実施さ鵜癩 和廿才. 漁πいる︶.、とをまと崎マある、昭和五+t年版﹃国語知潔 年讐践あみ刊行図ま・畷面諭よれば、.蓼.読圭・指診騰噸 関係の刊行図書はわずか四置講ず、一の一豊年、﹁創の半㈱即 分 k な つ マ い る と い う 事 実 以 下 が 、 国語科董.指導がそ醜細. 貿緩べ停滞したという.﹂との別を視占榔がらの証明鰹 ﹃学習指導要領﹄の二字kよ・て、国語の授業時闇獣類 統のものが削減されたり、3た一方でけ表現力を高める注症. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 3S 36.
(22) ということが強︽要請されたこともあって、︶ての頃強調. された関連指導k関心が移フたりしたこともあって、読. 書指導は停滞したのであろう。 駕 し¢、停滞の最大の要因になったと田薫れるのは、融 その頃の国語赦育界の状態であろう.かつて奮多喜雄醤 氏が﹁国語科kおける読書指導の問題は、現場kさまざ95拙. 誠遍藩論鎧弊誌訴篇溌究鶏響灘 ケ 六年に述べていた状二心から面し切れていなかった国逝50教号㌍. 三界は、この曾和五+二年の﹃学習指導要領﹄の改訂に鴛. 津罫結締緊鍵続語物推煽窓雛驚 そのたあに、それまで読圭・指導に注ザれていたエネルギ群斌. −が急激に減少し、競書指導が停滞したことも無理から攣 ぬことのようである。 28 注. ”弟六期一 ﹁再許・学期﹂について そ水では、A7ま。て述べてきた国語科読圭日指道マの信リ滞が. 昭和五十二年頃から昭和六十三年の現在に至るまで続い ているのかということになると、それについては疑問と の ゐゆ せさるをえなし 基本資料の、昭和六+一年八月の短弔三六七号の鋳集は ﹁士兄刀牛、’ニロん用言、﹂・読書へ・どんな課題を与えるか﹂であり、は. っきり﹁読書﹂という語を用いπいることからも分かる ようk、読書指導を士心向するもので・ある。. つまり、停滞していた国語科読書指導がここにきて改 めて見直されているのである。 そして、このような形で現れた国語科読書指道マに対す る﹁再許価﹂の兆しは、﹃教育科学国語教去月﹄におい ては、昭和五+九年から認められるの。てある。. 詔和五+九年・八月と+月の二つの特集、それらにはい ずれも読書指導という用語は用いられてはいないが、た. 兵庫教育大学 兵陣教育人学. 37 38.
(23) とえばそのうちの一つである、昭和五+九年八月号の巻 頭に掲げてある椋鳩+氏の論丈は、︷の﹁謡言楽しさを すべπの子に﹂という題名からだけでも、これが競圭6指 導の提案であるこヒが分かり、︷の醤集号ぴ﹁心許価し の現れであることがうかびえる。 このような傾向は、それから現在までの数年の問続い 一おり、読書指詰に対する関心は箸五期の頃に民べれば はるかに高くをっているようである。︿の他の事・実需こ の事を幽畏付けるもの梱多い。. ただその内蓉梱、﹁読解指導と読書指導・﹂であるヒか、. ﹁どのような教材が読書指導によりふさわしいのか﹂と いった、以前k話題になったことと異なって、読書生活 を含めて、’ん’人の競みなどが話題になっていること が注目さ承よ・フ。. そのようる事実と言言することkなるが、読書指導に 関する文献は掲載される量が、その前の時期に比べると 確喫に増加しているの、1ある。. 以上の三絃から、昭和五+二年■学習指導要領﹄の改 笥k伴フて決定的k右フていた、国語科読書指導の停滞 は、昭和五+九年頃k終わり、現在はその﹁再評価﹂の. 時期にあた.マいるというのが、本章の考察の結論.−あ ろ。. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 39. 40.
(24) 短扇二立早 読圭﹃指導論の屋低開とその特〃貿. この磁菊二立山kおいスは、ぬ則章で行った昭和ニナニ年か ら昭和六+三年現在までの、 ﹁戦後国語科読紫竹指道寸の概. 観﹂にお口て想定した時代区分を生かしながら、つまり 鱒弟一期の﹁導入啓蒙期﹂から芋麺六期の﹁再、評価期﹂まで の、それぞれの時.期の国語科読二日指道マの鱗馬頭をロ取も皮汽. 表しスいると思われる事柄を選んで論じフ、いくことにす る。. その中には、個人によって主張された読書指導論もあ るが、囲語教育界の一般的な毘潮というようなものもあ る。. それぞれの二期の特質を示すものとして選んでいるこ ヒの中には、必ずしもその時期に最も強くノヘマに+面持−さ. れπいたわけではないものもあると思もれるが、それぞ れの時期の特質ということから、昭和六+三年現在の視 点から取り上げ又論じている.. 只庫教育大学 兵r申教育大学. 4/. 42.
(25) 第;丁田一期の回田 燗 −性格未分化の読書指導f 烈 さ. 一. 言式領. 凹目. 案』. 領おた 』りフ. 導と 落し. とて. じた後. 参後出 考のさ にも承. が’は. 5こに る徒. s .二. こに. 次十 の二 よ念 うの と対. にし. て、聞. 継高富は「ヒ峨三線のオinvは(㌣鱒,瓜骸御館濡動覚れ細饗(中略パ縦 け1調語撰醐舛τ斌下川∼軽熔鵡れ志田勧と述べて・,る. E絢購期晦(禰妹勉温熱苧勲会)・・B*”S・鯛の・・6嬉陥る・. 注3. 澤国. れとは るな’. ょ1. な「 藩学. 庭造施 が中蒔 歯しの. に昭 は和. s s 、. つ . 指が』. つ童 ず生. を’て. 書t・Si三. 富画工 ’討. 学スにらで導 習事三煮の論 指さ回よ読の 磨れにラ書特 重てわ.指占 のる 中・. 兵庫教育大学. 戦和二+二年、戦後の新教育の体制を警”︷し、教育改謙 革を実現するに当た.て、その旨取も重西諺基盤となった灘. ﹁ 日 法 ﹂ の 施 行 ﹁ 教 育 基 本 本 国 竃 k 続 い て 法 ﹂ 、.学校織 教育法L等が施行され、戦後の国語科教育が始ま・た。報. 乏読書蒙も、阪杢鷲や滑受益の論述によ瓢 も も ヱ れ ば、国語科における読書指・導としてではないが、昭和鯉. 二+’年ぐらいの段階で、占領軍からの指示に従ぞ始懲必. められようと一たようである・注, 難㎞. の倉繕禦雛諏謬騰錦織灘 ﹃障と已. を特って国語科。て読書指・導が論じられることはなかうた有無乱声. ’の. r1し:春月iデ味ヰ自. 』あ. )と蒙あ竜書 ’む礫. )『 ナ. z実子がい読. の国学 面訴習 か科指 らの重 こは と’. 示回のたと時3倉官指訂 教導の とは導こ’期 し試入と広の 育にr ヒ導. 告Aこい論の姦瓦解改 科指 編導 (要. 兵庫教育大学. と考えら承る。どちらかといえば、詔和二+八年に﹁学. が指最べはい{一科そともみ・B3. 校図書館法﹂が成立し㎏ギ情などもあり・また後で述錨潔. く あ導初て罷るの体ののがあの和 こ国る尋のみ部(こと読よ多つ指三 と語.領rた大藩とな書うかて導+ ’科 国学い臣初をっ指奄っ’で三 ●話学 語習.のの’て導こた図学年 す習 こ指. こど宅克る. 歯舞 述の1 頭語 . 43. 44.
(26) あら巾る環境におけることばのつかいかたに熟達さ せるような経験を与えることである。 このように述べて、まず経験主義の立場を明示し、 ところが、こホゴ▼で、国語科逗子習︸指予ては、 せまい. 教室内の技術として研究せられることが多く、きφ うくつ后読解と、形式仁とらわれた作文に終始した きらいがある。. として、それまでの︵戦前の︶国語科教育の不備を指摘 している。そして、国語科としては、 今後はことばを広い社会的手段として用いるよう な、 要求と能力をやし看・フように つとめなけホば一な £ つゐ な しむ. ヒ述べている。その後に﹁それを具体化すると次のよう になる。﹂として、面輪体的な四つの目標を示しスいる。 その三に、. 三 知識,を求めるため、娯楽のため、些旦かる文哩字. を味わうためというような、いろいろなばあい に亮ずる読書のしかたを、身につけようヒする 要求と能力とを発達させること。 ヒいう項目があり、これが、、戦後の国語糾読書指道マにつ いての公的奄、最初の具体的看記述と考え、5れる。 以上に述べた黎一立早に結⋮いて、短垢二立直の第三舶即では、. 国語の指導・におけろ読みかた学習指導・にあたって. は、教師は次のような読みかたの目標を+分考慮し なけ承ばなら右りい。. ヒして、まず﹁読みかた指導・の 一般的目操﹂を+四項目 にわたってあげ、次に﹁読みかたの指導にはいるまえの 準備活動﹂として七項目、﹁進歩をさまたげることが・と として四項目一等々かなりの分皿里を割いて、読みかた学習. 指導について論じている。その一々kついては、ここで は論じないが、それらは、現在の﹃学習指導要領﹄を読 んだり、学校教去血管場の実蕩心を知る老から寸・れば、国語. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 4S 46.
(27) も ラ. 科だけにとどまらず、特別教育活動の内容にあたる事祇 についての論述も見られるが、読書指導、それも広い亀知 じ ロバ 味での鼓圭・指導にフいて記されマいると考えられるもの繭 が多︽あるのである。 鉗 ω 、㌔のような方針は、次の昭和二+六年の﹃学習指導要矯 領﹄にも引き継がれている。昭和二+六年七月に発行さ継. れた﹃学習指導要領一般編︵試案詳の﹁皿教育畳語 の﹁専 各教科の発展的系統﹂の部分で 幟. ︵−︶国語科 購 国語科は・民主的社会人と≒成長する児童解団 徒が・ことばを正し易果的に使用する習慣と態度縣 を養い、技能と能力をみがき、讐貝と知識と理解を難 増し、理想を高めていくための教科である。 ゴ に として、国語科を規定した上でさらに﹁国語科の目標は鼠 次のようになる。﹂として、 ︵杁︶∼︵d︶の四つをあ 4・ げ、て いる。その︵c︶は、 注. 知識や情報を獲得するためや、経験を広めるため や、娯楽や鑑賞のために、広︽読書しようとする習 慣や態度を養い、技能と能力をみが︽。 ということが書小水マいる。こ水は先に、昭和二+二年置 版﹃学習溶血マ要領国語科編︵試案︶﹄について論じた際 の﹁第二気早 第二層面﹂の四つの目標の中の、 ﹁三 知識. を求めるため︵以下省略︶﹂という記述とほとんど同じ へ. てある。. このようなことが述べら爪ている一般編に対応して示 されている﹃小学校山鼠指導要領国語科編︵鉱山︶﹄で も、短気一嵩早の磁第三短即﹁国語科学習指忌寸の=般目標↑は句⑦ において、. 3知識を求めたり、情報を得たりするため、経験 を広めるため、娯楽と鑑尚且のために広︽読書しよう とする習慣と態度を養い、技能と能オをみが︽。 と、一般編の記述を受けた後で、. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 4ク. 48.
(28) こ承からの読でことでは、 ︵中略︶広く読んだり、 た7くさんの書物の中から、自分に必要な圭旧物を早く 見いだしたり、また、その書物の中から、自分の典 要る頂目を早くさがしだしたりするようる技術も、 大いに必要である。 と述べて、読書指導・の重要性が論じら迅ている。 つまり 広く読古という多読、たくさんのま日物から必薯る・書物を. 探す適書選択、必要な項目を探すという調べ読み、以上 の必要性が論じられているのであろ。 ここまでは小学校編について述べてきたが、昭和二+ 六年版の蝪刀合には、﹃中陽ナ校・歯局天慶学・校単・習一指道て面†領国. 語科編︵試案︶﹄として示されたものの中kも、先k小 学絞編で述べたこヒと同じ﹂うることが書かれている。 また注目すべきこととして、ッ、の﹁学習指導・要領﹄に は、﹁上扇塗立早 中学校の国語科の単元の例﹂として、当. 時唱えられていた単元学習の例が示してある。その中の. 第二学年での例と一て掲げてある﹁単元伝記の選び方棚 と読み方﹂は・読書指導と結びつ︽も,のである・ 辮. て このような、経験主義・の理念に・基づく教育の見直しの展 動きが・Lノ、詔和三+三年k層溺三次の﹃学習指導面マ領﹄が纏. も 示 さ た 茅 姻 れ ・ 程. この﹃学習指導要領﹄が、戦後の壱語経験重視の国語騰 科を修正して・基礎学力の系統的指導を志向するように漱. も なったことはよく壱わ水ることである。つまり小学校に禦 り おいては﹁第二立早 各教科 適当一哲即 国語﹂の中の﹁僧弔纈. 二面学年の目標および内容﹂における﹁読むこと﹂の舗 目標が・﹁読解﹂に関すること.﹁書函的基礎﹂に関す♂ ること・﹁読書﹂に関すること、以上の三つの系統に整準 ゆと 理さ淑ている・、とがそれである。 。褒 このことについては、﹁学習指導要件kみる読書指導鵬. 観の変遷﹂という嬉野竺氏の論考k、次のようる蚕簿 があった。 注. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 49 よO.
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