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1927年の輸出入禁止制限撤廃条約交渉とその今日的意義 (2)

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Academic year: 2021

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(1)1927 年の輸出入禁止制限撤廃条約交渉と その今日的意義 ⑵ 林 正 德. 目次 Ⅰ はじめに. ⑶ 留保品目交渉. Ⅱ 交渉の発端と準備交渉プロセス. (ア)留保を認める手続. 1 発端. (イ)各国の留保品目の「仕分け」. 2 準備交渉. 3 条約のその後. ⑴ 起草前の意見聴取 ⑵ 条約案の起草 ⑶ ‌経済委員会原案に対する意見と経済委 員会の考え方. (以下,本号) Ⅳ 交渉会議での日本政府の対応 1 米をめぐる状況と政策. (ア)総論. 2 日本政府の対応の経過. (イ)撤廃の例外. ⑴ 対処方針. ‌平常時の措置/特別異常時の措置. ⑵ 適用除外交渉. (ウ)紛争処理手続. ⑶ 留保品目交渉. (エ)留保品日. Ⅴ 本条約交渉の今日的意義. ⑷ ジュネーブ国際経済会議. 1 多国間貿易交渉の系譜. (ア)関税措置. ⑴ 多国間貿易交渉における関税と非関税 ‌. (イ)輸出入禁止・制限措置. 措置の優先順位. (ウ)農業分野. ⑵ ウルグアイ・ラウンド SPS 交渉. Ⅲ 本交渉プロセス. ⑶ 無差別原則. 1 交渉の枠組み. ⑷「見 ‌ せ か け の 原則」か ら 実効性 の あ る. 2 交渉の経過. ルールへ. ⑴ 総会での交渉参加国による意見表明. 2 多国間貿易交渉における日本の行動様式. ⑵ 成文化交渉 . ⑴ 日本の「例外アプローチ」の背景. (ア)平常時の措置. ⑵「例外アプローチ」以外の可能性. ‌要件/動植物検疫・公衆衛生/国内. ⑶ 歴史の教訓. 措置の適用/その他の条項 (イ)特別異常時の措置 (ウ)紛争処理手続. 付表 輸出入禁止制限撤廃条約の平常時の措置 の例外条項と GATT 第 20 条との比較 参考文献.

(2) 26. (496). 横浜国際社会科学研究 第 18 巻第 6 号(2014 年 2 月). 張してきた「通商の自由および公平待遇の原則」. Ⅳ 交渉会議での日本政府の対応. に合致し,国際連盟経済委員会草案も原則的に. 1927 年 に 行 わ れ た 輸出入禁止制限撤廃条約. 支持しうる内容で禁止制限の範囲はできるだけ. 交渉は,初の多角的貿易交渉であった.しかし. 制限すべきであるが,他方「帝国国防の見地並. ながら,我が国ではこの交渉の重要性はほとん. びに国内産業の現状に鑑み国家存立の基礎とな. ど認識されていないと言ってよい.本交渉をと. るべき主要産業を確立するため相当の保護を加. りあげた論述には,我が国は通商自由化の立場. える必要があるのみならず,国民の主要食料た. であったが,欧米主要国が留保その他条件付け. る米は国民の多数が生産に従事し,かつわが国. を行ったことから,不本意ながら調印したと. 民特異の食料品たるをもって,この需給関係の. 1). いった記述すら見られる .日本政府が,この. 円滑を図りかつこの生産の基礎を安固ならしむ. 交渉の準備交渉プロセスで「国家の死活的利益. るの要あるところ,右は帝国にとり死活の問題. にとり必要な産業の確立維持」の場合には条約. なるをもってこのためとるべき輸出入制限の措. の適用対象外とすることを求め,本交渉では米. 置はこれを本件協約の適用より除外せしむるこ. の例外扱いの確保に奔走した事実は,すっかり. と極めて必要なる」ことが,米を例外扱いする. 忘却されている2).. 理由であった.こうしたことから,①特別異常. 今日,外務省が作成した交渉会議報告や交渉. 時の措置と経済上・財政上国家の重大な利益を. に関し外務省本省と現地日本政府代表団との公. 保護するための措置は本条約の適用除外とする,. 電のやり取りが公開されている .本節は,こ. ②紛争処理手続については,特別異常時の措置. れらによって日本政府の本交渉への対応の経過. 条項(第 5 条)に関するものは義務的仲裁裁判. を検証する.. の適用から除外すること等としたとされている.. 外務省が交渉終了後に作成した交渉会議報告. 本交渉会議に関する外務本省と現地代表団と. によれば,日本政府は米を例外扱いすることを. の往復公電によると,実際の交渉経過はこの事. 3). 基本的な対処方針とした,とされている .す. 後的説明とは異なっている.これを明らかにす. なわち,輸出入禁止制限の撤廃は日本政府が主. る前に,なぜ米の適用除外が重大な問題であっ. . . 4). 1)外務省百周年事業の一環として編纂された「外 務省の百年」はジュネーブ国際経済会議については 触れているが,国際連盟が主宰した国際経済問題交 渉への日本の関与については沈黙している(外務省 百年史編纂委員会[1969]959~961 ページ) .記述 しているものでも,日本は通商自由化の見地からこ の条約の趣旨に賛成であったが,各国が留保や条件 を多く付した等のこともあり,アド・レフェレンダ ムで署名し, 「その後関係省庁で審議した結果,条 約の内容は甚だ不完全であるが,その主義は日本の 主張と一致するものとして参加することとし」たと するもの(鹿島平和研究所[1972]186 ページ) ,こ の交渉会議では「かくのごとく戦後における世界の 経済体制は制限主義に傾き,当初日本が主張したる がごとき無条件に輸出入制限撤廃を規定するがごと き国際条約の締結ははなはだしく困難となった」と している(日本学術振興会[1951]348 ページ) . 2)管見 し た 限 り で は,ジュネーブ 国際経済会 議に随員として出席した荷見安(農務省産業組合. 課長)の伝記に,米の留保に関する記述がある. 「国 際経済会議では,国際間で貿易の障害になるものを とりのぞき,経済交流を盛んにしようというのが, おもな議題であった.原則的に輸出入の禁止,制限, 関税障害をできる限りとりのぞき,国際自由貿易を すすめよう,というのが目的であった. (中略)日 本は米と染料だけは,輸出入の禁止と制限を設けて いいとの,除外例を主張した.いまの国際開放体制 の推進案と似ている」とあり,これに引き続いて行 われた輸出入制限撤廃条約会議では「大蔵省の津島 寿一が出席してさきに主張した米と染料の除外案 を各国に認めさせた」とされている(荷見安記念事 業会[1967]116 ページ) .この記述の根拠は示さ れておらず,本人の談話によったものと思われる. 国際経済会議でこのような論議があったことは確 認できず,あった可能性も少ない.交渉会議と混同 されているものと思われる. 3)それぞれ外務省[1992a] ,外務省[1992b] . 4)外務省[1992a]373~374 ページ..

(3) 1927 年の輸出入禁止制限撤廃条約交渉とその今日的意義 ⑵(林). (497). 表 2 1921, 1925 年度の米需給状況 年度. 生産 (1). 移入. 輸入. 朝鮮. 輸・移出. 台湾. 27. (単位 : 万石). 輸・移入- 輸・移出 ⑵. 供給 ⑴+⑵. 消費. 1921. 6.321. 82. 290. 103. 28. 447. 6.768. 6.503. 1925. 5.717. 514. 443. 152. 191. 1.018. 7.256. 6.704. 注 1.年度とは前年の 11 月 1 日から当年の 10 月末日まで. 2. 「消費」とは今日の「食料需給表」と同様供給ベースの数字である. 3.輸・移出の大部分は朝鮮,台湾,樺太地域への移出である. 4.‌前年度からの在庫持越しが 1921 年度,1925 年度期首にそれぞれ 551,521 万石あるが,次年度への繰り越しも 行われるので,この表は「フロー」ベースで作成した. 出所: 「第二次米穀統計(日本之部)」,「米穀統計年報(日本之部,大正 14 年度)」による.. たのか,当時の日本にとっての米の重要性と日. 1925 年度について見ると,消費量の 85% を国. 本政府の米政策を概観することが必要である.. 産米で賄い,不足分は朝鮮,台湾地域からの移 入(約 10%)と 外米輸入(5%)に よって 補 わ. 1. 米をめぐる状況と政策. れていた.朝鮮地域の生産量の 3 分の 1,台湾. 当時,米は一つの作目だけで農業生産額の半 5). 地域では 4 分の 1 が移出に向けられる一方,こ. 分以上を占める農産物である とともに,消費. れら地域に外米が移入されていた.1915 年度. 面でも名実ともに「主食」の地位を占めていた.. 以降生産量が最も多かった 1921 年度において. 政府はコメを基幹作物として「食糧自給自足政. も,国内消費 を 満 た す に 至 ら な かった(生産. 策」を とった が,国内生産 で は 需要 を 満 た す. 量が最も少なかったのは,米騒動が発生した. 6). ことができなかった .総人口 6 千万人弱に対. 1918 年の 5.457 万石であった).. し,少なくとも毎年 6.500 万石(一人当たり 1.1. 1918 年の米騒動後,日本政府にとって米の供. 石)の供給を確保することが必要とされたが,. 給の確保と価格の安定は,農業政策にとどまら. 「新領土」である朝鮮,台湾地域からの移入米,. ず政治的にも重要な政策課題であった.供給量. さらに「外米」と呼ばれた輸入米によって,よ. を増大させるため,品種改良など技術革新,イ. 7). うやく必要量を確保していた (表 2 参照) .交. ンフラ整備などによる生産性の向上を通じたコ. 渉会議が開催された時点で確定値が出ていた. メの増産政策が国内と「新領土」で推進される. . 5)1923~27 年代には米のみで 54% を占め,米 以外 の 耕種作物 は 31%,養蚕 11%,畜産 4% と 推 計されている(Hayami[1975]21 ページ). 6)当初米 の 自給自足政策 を 日本国内 で 達成 し ようとしたものの国内需要の増加から困難となり, 米騒動を契機として植民地での産米増産計画が実 施された結果,日本国内と植民地を合わせた形で の自給自足が実現することになったとされている (東畑[1969]4 ページ). 7)当時,米需給 は「内地」を 中心 に「新領土」 との移出入,これら以外との輸出入として整理さ れ て い た.本文 で「国内」と は「内地」と 同義 に 用いている.米についての計量単位は容量単位で ある石が用いられていた.. とともに,需給状況を反映した価格変動を管理 するための制度化がすすめられた. 「明治を経て 大正の時代に入りてより米価の激変が一般社会 に及ぼす影響はますます深刻の度を加え,特に 大正 7 年の米騒動等の醸成したる社会不安はも はや米穀の調節につき単なる応急措置をもって 当面を弥縫するを許さず,何らかの適切なる恒 8) 久的制度を樹立することの急務なる」 ことから,. 1921 年に米穀法が制定された.これにより,政 . 8)荷見[1937]7 ページ.以下 の 記述 は 同 7~ 13 ページによる..

(4) 28. (498). 横浜国際社会科学研究 第 18 巻第 6 号(2014 年 2 月). 府が「米穀の需給を調整する必要があると認め. 米 を 圧迫 す る に 至った11).1927 年 2 月,前年. るときは米穀の買入,売渡,交換,加工または. の作柄が悪く供給不足が見込まれることを理. 貯蔵」を行い(第 1 条) , 「必要ある時は勅令を. 由 に,「外米」の 輸入税 を 10 月末 ま で 免除 す. もって期間を指定し米穀の輸入税を増減・免除. る 輸入促進策 が 米穀委員会 で 決定 さ れ た.し. しまたはその輸入もしくは輸出を制限する」 (第. か し 8 月 に は 需給事情 が 改善 し た こ と か ら,. 2 条)ことができることとされた.数量面での. 輸入制限のため既契約分を除き輸入税が復活. 「需給の調節」では不十分であったから,4 年後. す る こ と に なった12).さ ら に 翌 1928 年 3 月,. の 1925 年に「米穀の需給」を「米穀の数量また. 前年度 の「米 の 収穫高 は 内地植民地 と も に 近. は市価」に,買入 ・ 売渡価格を政府が「時価に. 年まれなる豊作にして需給推算の結果は供給. 9). 準拠してこれを定める」と改正された .米穀法. 過剰にして本年もし平常の通り外米の自由輸. の制定と同時に,同法の施行に関する重要事項. 入をなさしむるときは一層供給過剰をきたし. を調査審議するため「米穀委員会」が設けられ,. 米価に悪影響を及ぼすものと認めたるをもっ. 国内,朝鮮,台湾のみならず主要な外国米生産. て」8 月末まで外米の輸入制限を行うことが,. 地での米の作柄や国内需給見通し等をもとに,. 米穀委員会で決定された13).. 米の買入れ・売り渡し,輸入米への関税の減免,. 「外米」については,輸出国側の需給事情い. 10). 輸入制限等に関する決定が行われた .. かんにより輸出制限が行われた.なかでも,中. 国際経済会議と条約会議が行われた 1927 年. 国では「古来」から全国的・地域的な食糧の欠. から翌 1928 年にかけては,それまでの供給不. 乏の救済・予防のため,穀物の外国への輸出,. 足から過剰への需給基調の変わり目の時期で. 国内での移動禁止措置がとられていた.中国は. あった.米の増産政策が国内はもとより朝鮮. 基本的に米の純輸入国であり(表 3),しばし. と台湾地域でも計画的に推進された結果,こ. ば輸出・移動禁止措置である「防穀令」が発動. れ ら 地域 か ら の 米移入量 が 飛躍的 に 増加 し,. された14). 「外米」輸入に占める中国米の比重は. 「外米」輸入と相まって国内市場で割高な国産 . 9)政府による買入れの機会が売渡しに比べ多 く特別会計資金の欠乏を招いただけでなく,政府 が買入れを行うほど市場への還流の観測から米価 が一層下落する問題などが生じていた.1931 年に 最高・最低価格 を 公定 す る 改正 が 行 わ れ た の ち, 1933 年には米穀統制法が制定されることになる. 10)大正 10 年 5 月 14 日付勅令第 208 号.農商 務大臣(1925 年の農林省と商工省への分離後は農 林大臣)を 会長 と し,農商務次官,同食糧局長, 内務省地方局長,大蔵省理財局長,逓信省管船局長, 鉄道省運輸局長 の ほ か,学識経験者等 で 構成 さ れ た(荷見[1957]). 11)朝鮮と台湾地域からの米移入量は大正年間 (1912~26 年)にそれぞれ 25 倍,3 倍増加してい た(荷見[1937]275 ページ).米の過剰対策は昭 和年代に入って大きな政治問題に発展する.当初 「補充倉庫」として位置づけられたこれら地域での 米作農業が内地との競争者となったという内地・ 外地間の「経済の問題を政治の問題に転化するこ とによって解決せんとした」ところに問題があっ たと指摘されている(食糧庁[1986]265 ページ).. 小さかった15)ものの,地理的にも近く,米質も . 12)農林省[1928]1 ページ. 13)農林省[1929]1~3 ページ.勅令による米・ 籾の輸入許可制は 9 月以降も延長され,1931 年の 米穀法の改正により恒久化された. 14)日清間の条約に穀物の輸出禁止規定はなかっ たものの,1912 年の英国と清国政府との改正「通 商章程」の「収穫減少または飢饉のおそれがある 場合」に事前通告のうえ「米その他の穀類の積み 出しの禁止」ができる規定が,清国通商航海条約 (1986 年)により日本人に対しても適用され, 「防 穀令」が発動された場合には陸路,海路を問わず 米穀を中国から日本向けに輸出することができな かった(南満州鉄道[1914]1 ~ 8 ページ) .なお, 江戸時代の日本でも米の不足・価格高騰時には幕 府 に よ り 産地囲米処分令,回米令,他国積 の 禁止 が行われ,各藩でも 「津留」が行われた (本庄[1924] 151~155,187~196 ページ) . 15)1922~26 年までの日本の外米輸入は,英領 インド,タイ,仏領インドシナで 9 割を占め,中国 からの輸入量(約 2%)は米国からのもの(約 6%) より少なかった(農林省農務局[1927]18 ページ) ..

(5) 1927 年の輸出入禁止制限撤廃条約交渉とその今日的意義 ⑵(林). (499). 29. 表 3 1920 年代前半の世界の主要米貿易国・地域と貿易量(1922~24 年平均)  (単位 : 万石) 主要輸出国・地域と輸出量. 主要輸入国・地域と輸入量. 英領インド. タイ. インドシナ. 中国. 蘭領インド. 1.576. 870. 723. 775. 349. 出所: 「昭和 2 年版日本国勢図会」(万国農事協会調査,ドイツ統計年鑑). 近かったから,日本の輸入業者等はこの解除・ 16). 「協定案に対するわが方見解」が参考として付 されている.. 撤廃を求めていた .. この「協定案に対するわが方見解」によれば, 2. 日本政府による対応の経過. 日本政府 は ①特別異常時 の 例外条項(第 5 条). ⑴ 対処方針. の「国家の死活にかかわる経済的・財政的利益. 交渉会議開催 に 3 ヵ月先立 つ 1927 年 7 月 16 17). を保護するため」は広義に解されると本協定成. か ら 外務. 立の趣旨が没却される恐れがあるので「趣旨を. 大臣あてに,条約交渉会議を 10 月 17 日から開. 制限」するため,これに代えて「国家存立の基. 日,パ リ の 国際連盟帝国事務局長. 催するとの招請状が届いた旨の電報が発出され. 本をなす重要産業を確立するため必要なる時」. た.この電報に,会議開催に至る経緯を説明し. (to safeguard the industries, the maintenance or. た「輸出入禁止制限撤廃問題 に 関 す る 調書」 ,. creation of which is or may be required by the. 国際連盟経済委員会が作成した条約原案の英文. vital interests of the State)とする,②同条第 2. テキストとその日本語訳および前年 2 月 13 日. 文の「国産品を保護する」 (protecting national. 付の外務大臣発パリ国際連盟帝国事務局次長宛. products)は存置するが①が実現すれば各国が. . 16)日朝間では外交問題に発展した咸鏡道防穀 令事件が 1889 年に発生した.揚子江流域の米剰余 量が相当量に上ると試算され,これを日本に輸出す れば国内の米価調節にも資すること大であるにも かかわらず,前年日本大手商社が中国官憲の許可を 得て江蘇米の日本向け輸出を行おうとしたものの 「民食を奪うもの」とする「無知なる支那農民」に よる妨害にあった事件があった.こうした状況を背 景に,上海(日本)実業家協会がこの際防穀令を解 除撤廃して米穀の中国からの自由な輸出を可能と するよう請願書を外務大臣に提出したことが報じ られている(1913 年 5 月 1 日付大阪朝日新聞) . 17)今日の日本政府国際機関代表部に相当する 組織 が「国際連盟帝国事務局官制」(大正 10 年 8 月 13 日勅令第 384 号)上ジュネーブにおかれ,佐 藤尚武特命全権公使を局長として 7 名体制とされ ていた.しかし,実際には「外務大臣必要と認む る場合においては事務局職員を国際連盟本部所在 地以外に在勤せしむることを得」(官制第 7 条)の 規定に基づき,パリにも事務局が置かれ,「主力」 はパリに常駐していたようである(もともとパリ に事務局,次いでジュネーブに出張所が置かれる ことになった経緯を反映したものであろう).. この削除を求めた場合にはこれに応じてもよい 等とした.このように,準備交渉プロセスにお ける日本政府の関心はもっぱら特別異常時の措 置の例外にあり,平常時の措置の例外条項は関 心の外にあった.また,経済委員会や他の主要 国が特別異常時として一過性の事態を念頭に置 いていたのに対し,日本政府の念頭にあったの はこれとは対極的な「重要産業の確立」であっ た. 会議開始まであと数週間となった時点で,パ リの日本帝国事務局は,輸出入禁止・制限の具 体的内容の検討が必要であることに気付く.9 月 30 日付外務大臣あて電報で,今回の国際連 盟総会でのオーストラリアやインドなどの演説 からみて条約交渉会議では相当の議論が予想さ れるので,他国の輸出入禁止制限により「本邦 が制限を蒙る場合あるにおいては右なるべく詳 細にご通知願いたい」と要請するとともに, 「本 邦の輸出入の禁止または制限」に該当すると考.

(6) 30. (500). 横浜国際社会科学研究 第 18 巻第 6 号(2014 年 2 月). えられるもののリスト18)を示し,これらに「止. 「特別かつ異常な状況に対処し」の要件だけで. まるや否やその他当方において特に心得おくべ. は濫用の口実を与えかねないので, 「国家の死. きこと」を至急連絡願いたいと要請した.この. 活にかかわる経済的・財政的利益を保護する」. 電報から明らかなように,日本政府は準備交渉. も加えたものであり,両条件ともに「具備する. 段階で,自国のどのような措置が輸出入禁止制. ことを要することは明白」との回答であったと. 限に該当し,他国の措置によりどのような貿易. 報告し,経済委員会原案附属説明書の該当箇所. 上の問題があるのか,具体的な検討を行ってい. を「参照ありたし」と付言した(この付言から,. なかった.上記のリストには動物検疫や米の貿. 二つの条件が “and” で結ばれている条文テキ. 易制限は含まれておらず,現地の日本政府代表. ストの解釈を,改めて事務局に照会することを. 団にとって,これらは認識の外にあった(動物. 命じられた現地日本政府代表団の心情を読み取. 検疫が認識されなかった一方,植物検疫が認識. ることができよう).. されていたのは,この当時植物検疫の実施組織. 条約交渉会議に臨む日本政府の対処方針は,. が税関組織の一部となっていたことによるもの. 会議開始日の前日の 10 月 16 日に発出された.. 19). であろう) .. ここで本節冒頭に紹介した「根本方針」が闡明. 一方,本省は特別異常時の措置(第 5 条)の. されるとともに 20),「貴官等は右事情を篤とお. 適用条件にこだわっていた.10 月 8 日付の本. 含み置きありたい」とし,続けて①生糸,柑橘,. 省発電報で,条文案の「特別かつ異常な状況に. マッチなど我が国の輸出品に対する取締法令に. 対処し」と「国家の死活にかかわる経済的・財. よる禁止・制限措置が本条約の適用除外となる. 政的利益を保護する」の二つの条件は「かつ」 ,. のか否か明確でないので,輸出入手続に関する. 「または」いずれと解すべきか疑義があり,こ. 第 2 条「その他適当の場所においてその趣旨を. の点は「帝国の対策決定上重要なる点につき連. 明らかにすること」 ,②平常時の措置の例外条. 盟事務局係官の意見を至急取り糺したうえで回. 項である第 4 条 3 号の “disease” は虫害を含む. 電ありたし」と訓令が発出された.3 日後の報. と解されるがそうでない場合には規定を改め. 告電は,国際連盟事務局係官の意見によれば. ること,③特別異常時の措置の例外条項(第 5. . . 18)関税法,専売法に規定するもののほかに① 染料輸入許可に関する件(農商務省令),②木材の 移出または輸出に関する件(樺太庁令),③黄燐マッ チ 製造禁止法(第 2 条),④輸出入植物取締法(第 7 条),⑤輸出石鹸取締規則(農商務省令),⑥馬匹 の輸出を禁止するの件,⑦ラッコ・オットセイ獣 猟獲取締法(第 3 条)お よ び ⑧「金輸出 に 関 す る もの」を挙げた.なお,⑦はラッコ・オットセイ の乱獲を防止するためロシア,米国,カナダ,日 本 4 ヵ国により締結されたラッコ・オットセイ保 護国際条約(1911 年調印,1925 年失効)の 国内実 施のために 1985 年に制定された. 19)江戸時代に朝鮮半島経由で牛疫の侵入と西 日本での蔓延を見ていたことに加え,明治期に家 畜改良を目的とした家畜輸入が推進されたこと等 を背景に,家畜伝染病の港湾検疫が 1871 年の太政 官布告により開始され,その後内務省達牛疫処分 仮条例(1876 年),農商務省令獣類伝染病予防規則 (1886 年),獣疫予防法(1899 年),海港検疫法(同. 年)が 制定 さ れ,1922 年 に 獣疫予防法 を 全面改正 して家畜伝染病予防法が制定されていた.1927 年 1 月には,食肉による伝染病の侵入を防ぐため,指定 港で牛などの生肉を検査する食肉輸入取締規則(農 林省令)が定められていた.植物検疫については明 治期に種苗とともに多数の病害虫の侵入を見,特に 1908 年の米国から輸入されたオレンジの種苗に付着 していたカイガラムシの侵入・蔓延は大きな問題と なった.1912 年に米国が植物防疫法を制定し政府に よる検査証明書を輸入条件としたことから,翌年輸 出植物検査証明規程が制定され,1914 年には輸出入 植物取締法が制定されるとともに,実施のため植物 検査所が設置され,1924 年に大蔵省に実施業務が移 管され税関組織の一部となっていた(農林省[1957] 978~982 ページ, 農 林 省[1958]156~160,234~ 238 ページ,農林省[1964]29~30 ページ,農林水 産省百年史編纂委員会[1980]160,176 ページ) . 20)ただし,米の「需給を円滑ならしめ」は米 の「供給を円滑ならしめ」となっていた..

(7) 1927 年の輸出入禁止制限撤廃条約交渉とその今日的意義 ⑵(林). (501). 31. 条)については, 「特別かつ異常な状況に対処. 最大の関心事であった(米穀法に基づく貿易制. し」と「国家の死活にかかわる経済的・財政的. 限措置もその延長上にあった).. 利益を保護する」のいずれか一の要件が満たさ. さらに深刻であったのは,国際連盟の常任理. れればよいように改めるとともに, 「死活的利. 事国であり,経済委員会での条約原案の検討に. 益」 (vital interests)に よって「根本方針」で. 参加していた22)にもかかわらず,国際連盟事. 述べた「我が国特殊の必要」を満足することが. 務局や他の主要国の考えを理解することも,こ. できない恐れがある場合には,交渉会議の場で. れらによる貿易ルール化の「ゲーム」に参加で. 我が国の見解を表明したうえで,これを議定書. きていなかったことである.日本政府は, 「国. に記載させるか少なくとも議事録にとどめるよ. 家の死活的利益にとり必要な産業の確立維持」. う確保されたいとし, 「本条は我が国の特に重. と米に関する貿易制限措置を経済委員会原案の. 要視するところなるにつき討議の経過は随時電. 適用除外とするか,特別異常時の措置に関する. 報ありたし,かつ右方針貫徹困難なる場合には. 例外条項(第 5 条)で 手当 て し,「輸出品 に 関. 改めて請訓せられたし」等と指示した.. する取締法令」は条約原案の「適当の場所」で. 先の照会については,同日,①「本邦の輸出. 処理すればよい,と判断した.一方,準備交渉. 入の禁止または制限」に該当するものとしてパ. プロセスにおいては,こうした措置を条約の適. リの帝国事務局が示したリストの措置のほか,. 用除外とすることなど問題外であり,特別異常. 米穀法(第 2 条) ,肥料取締法(第 2 条)等 21). 時の措置の例外条項(第 5 条)についても,削. が該当すること,②「他国の輸出入禁止制限に. 除すべきという強い意見,削除しないまでも適. より本邦が制限を蒙る事例」として,米国が量. 用に厳しい制限を設けることが,大勢であった.. 目不足の張り紙を付した缶詰の輸入を認めな. 準備交渉プロセスでの検討を真っ向から否定す. い,英国,インドが髭剃ブラシの輸入を炭疽菌. る日本政府の対処方針のもとで,本交渉開始後,. の付着を理由に認めない,オーストラリアに口. 現地日本政府代表団は以上の「付け」を払うこ. 蹄疫予防のため我が国からの荷造り用の藁の輸. とになる.. 入制限を行おうとする動きがあるが,「本邦に. ⑵ 適用除外交渉. は口蹄疫の発生無きにより」交渉中である等 5. 訓令の執行が不可能であることは,交渉会議. 件が連絡された.. 冒頭の各国による意見表明によって判明する.. 以上の条約交渉会議に向けての対処方針形成. 交渉開始 3 日目 の 19 日,現地日本政府代表団. の経過から明らかなことは,日本政府は準備交. は「総会における各国の陳述は多く抽象的なる. 渉プロセスで貿易ルール化の対象としてとりあ. も大体において第 4 条および第 5 条の除外例を. げられた輸出入禁止制限措置を日本の制度・措. 局限すべしとの意向」が大勢であるが,「ご訓. 置や貿易上の問題に照らし,組織的かつ具体的. 令の通り主要産業および米に対する除外例を求. に検討していなかったことである.日本が輸出 上直面する問題を貿易上のルールとして解決し ようとの発想がなく,経済界の要望を聴くこと もなかった.日本政府にとって, 「国家の死活 的利益にとり必要な産業の確立維持」のための 自国の政策への国際的な掣肘を避けることが, . 21)機密電報にも言及されているが,内容は明 らかでない.. . 22)外務省関係者による著書は,国際連盟での 通商交渉 で 日本政府 は「通商公平待遇」の 実現 に 重点を置き,国際連盟経済委員会では日本側から の提案により①税関手続の簡捷,②不正競争防止, ③輸出入禁止制限の撤廃,④外国人待遇の標準の 4 項目を主要課題としてとりあげることとし,国際 経済委員会での日本代表に在パリ平和事務局次長 伊藤(述史)参事官をあてたとしている(日本学 術振興会[1951]336~337 ページ) .この伊藤氏は, 本条約交渉会議の日本政府代表である..

(8) 32. (502). 横浜国際社会科学研究 第 18 巻第 6 号(2014 年 2 月). むる希望を陳述しこれが貫徹方努力中」と本省. れるにつき折り返しご回訓を乞う」として,米. に報告した.. の除外問題についての対処方針を本省に改めて. 交渉開始直後,経済委員会原案に対する修正. 請訓した.先週の総会で,中国代表から関税自. 案が交渉参加国から事務局に提出されたが,現. 主権が回復するまでは本条約の拘束を受けない. 地日本政府代表団は訓令された修文提案を提出. と表明するとともに,「米その他の穀類の輸出」. せず23),5 日目の 21 日に「非常時禁止制限条項. と塩の輸入禁止を本条約の適用から除外するよ. に関する拡張修正案提起見合わせ方請訓」を本. う要求する発言があったことに加え,24 日の. 省宛に打電した.現地代表団としては,会議の. 総会審査でも中国とタイが米と穀類についての. 大勢が特別異常時の措置の例外条項(第 5 条). 一般的除外を要求し,オランダからオランダ領. を削除しないまでもその適用を局限することに. インドについて凶作など特別の事情がある場合. 傾いていることから,この条項の適用範囲の拡. の米の除外を求める発言があった.こうした発. 大は「ほとんど不可能なる現状にあり」 , 「会議. 言から見て,我が国も同様の要求を行って米を. の空気にかんがみこの際わが方より到底貫徹困. 本条約の適用から除外した場合には訓令の目的. 難なる第 5 条拡張修正案を提起することはこれ. は達成できるものの,我が国がこれまで主張し. を見合わすよりほかなし」 と認められるものの,. てきた支那防穀令撤廃要求と矛盾するだけでな. につい. くタイ,オランダ領インド,インドシナとの関. ては国防に関係ある工業」として平常時の措置. 係から見て我が国の米穀問題の解決上「すこぶ. の例外条項である第 4 条の 1 号に含めることが. る不利益の結果となるやに考えられる」 ,米の. 可能と考えられ,米についても同様とすること. 輸出を自由とする一方で輸入のみを禁止するこ. ができるとの「大体の見込み」であるとした.. とは我が国の利益には合致するものの「多数国. その上で,この 2 点を議定書その他の方法で明. の国際会議において到底承認を得がたきことご. 確にすることにより訓令の趣旨を貫徹する望み. 承知 の 通 り」で あ る.し た がって,方策 と し. がある場合には,このように措置することで差. ては(ⅰ)特別異常時の措置の例外条項(第 5. 支えないか「折り返しご回訓を仰ぐ」とした.. 条)を米に適用して特別の事情に基づく国家重. 交渉会議が第 2 週に入った 24 日には,C 委. 大の利益にかかわる場合に限りその禁止制限を. 員会に付託される平常時の措置の例外条項(第. 認めることとする(この整理なら平常時に行わ. 4 条)と特別異常時の措置の例外条項(第 5 条). れる支那防穀令のような措置は廃止を要求でき. の審査が,総会で行われた.現地日本政府代表. るが,日本も凶作の場合を除く平時の米価維持. 団は,わが方の態度を表明する必要上「困り居. のための手段としては輸入数量制限でなく関税. 24). 「主要産業中わが方の重要視する染料. 引き上げが必要になる),(ⅱ)条約の適用から . 23)日本が 10 月 20 日付で提出したのは,第 4 条 3 号 の “diseases” には “diseases caused by insects” も含まれるのでこの旨明確にすることが望ましい, 2 号の公衆衛生の後に “and morality” を加えれば 4 号は削除可能,7 号は末尾におくべきといった,些 末な内容の修文意見であった(CIAP/C/12) . 24)最も重要であったのはコールタールを原料と するアニリン染料であり,良質・安価なドイツ製品 の輸入が大戦により途絶したことから約 2 割の関税 を課すとともに国内産業振興政策がとられていた. 大戦後ドイツからの輸出が再開されたが,国内産業 保護の見地から 1924 年 6 月に輸入制限を実施した.. 除外するこれまでの訓令の方針を維持する,の 二つが考えられる.これが現地日本政府代表団 の「見立て」であった.3 日前の電報で,染料 と米について平常時の措置の例外条項(第 4 条) の 1 号の「国防」条項での正当化の見込みがあ るとしながら,今回は特別異常時の措置の例外 条項(第 5 条)からの例外措置に方針転換する か,それとも当初の訓令通りの適用除外で行く かの二つの選択肢を本省に示したわけである. 支那防穀令撤廃要求との整合性の問題があった.

(9) 1927 年の輸出入禁止制限撤廃条約交渉とその今日的意義 ⑵(林). (503). 33. とはいえ,現地日本政府代表団のスタンスは相. に関する総会での論議を終え,C 委員会第 4 条. 当「ぶれ」ていた.. 起草分科会での審議が開始された 25 日までに. 本省からの新たな訓令は,翌 25 日に発出され. は,留保品目に関する交渉参加国間の非公式の. た.訓令は,米についての「根本方針」を繰り. 接触も始まっていた.現地日本政府代表団も,. 返し,米の輸出入の禁止・制限が必要であるか. 米国から飛行船用ヘリウムガスを「国防上必要. らこそ現に米穀法を施行しつつあるのであり,. な物品」とするよう要求するので支持してもら. 平常時の措置の例外条項(第 4 条)に新たに「国. いたいと要請を受けた.ところが C 委員会第 4. 民の主要食糧の供給を危殆ならしめざるためま. 条起草分科会 で は,「国防」を 削除 し 関連品目. たはかかる食糧を生産する産業にして国民の多. を限定するドイツ,イタリア案の採用が大勢と. 数がこれに従事するものを危殆ならしめざるた. なり,これに反対する日本代表は,各国から除. めの禁止または制限」の号を設けることが望ま. 外品目を留保品目として列挙したらよいではな. しいが,これが難しいようなら米が第 4 条 1 号. いか,日本はどの品目を除外したいのか明示せ. の「軍需品」に該当する旨の解釈を議定書に記. よと迫られた.こうして,日本政府の平常時の. 載するようにせよ,米をこのように整理するこ. 措置を「国防」関連品目として整理しようとの. とは支那防穀令のような制度も是認することに. 目論見も外れることになった.. なるが, 「右は十分考慮の上のことなるにつき. ⑶ 留保品目交渉. お含みの上しかるべくご措置ありたし」とした.. 27 日には C 委員会非公式会合が開催され,交. 本省は,平常時の措置の例外条項(第 4 条)で. 渉参加国がどのような品目を留保品目として要. 手当てすることに方針転換したのである.. 求しようとしているのか,これを条約上どのよ. あわせて,本省はこの電報で,染料について. うに手当てするか,議論が行われた.主要国が. 英国が我が国と同じ立場のようだから同国の態. それぞれ除外品目を開示したなか,日本も態度. 度を確認して報告するよう指示した.これを受. を表明せざるを得なくなり「さしあたり染料お. けて現地日本政府代表団が英国代表に質したと. よび米を留保する」旨発言してしまう25).とこ. ころ,①英国は染料のみの除外でよいと考えて. ろがこの日,本省から留保品目として窒素製品. いる,②平常時の措置の例外条項 1 号の「軍需. を追加するとの訓令が届く.本省は,「わが方. 品」の範囲としては「国防関係産業」といった. より進んで窒素製品を明示することは止むを得. 漠然とした除外は認められない,とのことで. ざる場合のほかこれを避けたき意向」から,「染. あった.理解に苦しむことであるが,現地日本. 料ならびにこれと同一程度において重要かつ直. 政府代表団は以上を報告したうえで, 「軍需品」. 接軍用と関係ある工業品」のような形で目的を. の除外品目としてほかに要求すべき品目があれ. 達成するよう尽力してもらいたいとした.. ば, 理由を付して折り返し連絡してもらいたい,. この訓令に対し現地日本政府代表団は,交渉. と付け加えた.これに対し,本省は新たに窒素. 会議は「すこぶる緊張したる」状況にあり,一. 製品を適用除外とするよう指示する.英国の染 料,米国のヘリウムガスともに平常時の措置の 例外条項の「軍需品」から締め出されて留保品 目とせざるを得ないことになってゆくなか,現 地日本政府代表団は,追加された窒素製品の取 り扱いをめぐり一層苦境に陥ることになる. ジュネーブの交渉現場では,平常時の措置の 例外条項(第 4 条)についての各国の修文意見. . 25)国際連盟事務局が作成した議事録によれば, 日本政府代表は「中国,タイ,蘭領インドが米の 輸入制限を行う場合には日本も同様の措置を講じ ざるを得ない,染料については制限措置を有して おり,重要度の高いドイツとこの品目について合 意を最近行った」と述べたうえで,状況が変化し た場合にはさらに追加がありうる旨述べたとされ ている(CIAP/Comité des Rapporteurs/PV1) ..

(10) 34. 横浜国際社会科学研究 第 18 巻第 6 号(2014 年 2 月). (504). 般的な留保を求めたりすれば「会議決裂の提起. これに対し,本省は翌 4 日, 「追って何分の. あるべき形勢」にある,抽象的な除外例でも 「到. 訓令するまで調印差し控えられたし」と指示. 底会議の承認を得がたきのみならず強いてこれ. し,現地日本政府代表団 は 5 日午前, 「調印差. を主張せば極めて不利益なる立場に陥る恐れあ. し控えは不得策」と返電した.意見具申の形式. ると認めらるる」ので,この際明示が必要と直. を とった が,先 の「窒素製品 に つ い て は 断念. ちに返電した26).. し,染料と米の 2 品目を期限付きの一時的留保. 各国の留保品目審査のための条文整理委員会. 品目とせざるを得ない」との現地判断を日本政. での日本の審査は,11 月 2 日に行われた.日. 府代表団として表明してしまったことの事後報. 本は米に関する措置は国際貿易に影響を及ぼす. 告でもあった.英国や米国は日本の立場に同情. ようなものではないと説明したが,留保の取り. 的で総会であえて反対の立場を表明することは. 扱いはこの場で決まらず,総会で改めて検討さ. 差し控えるとしたが,積極的な支持を得ること. れることとなった .. は困難で,ドイツ,フランス,イタリアは窒素. 各国の留保品目審査が条文整理委員会で終了. 製品の留保を認めれば各国からの新たな留保品. し,総会での審議が開始された 11 月 3 日,現地. 目提案を誘発し収拾がつかなくなる恐れがある. 日本政府代表団は, 「会議決裂の空気さらに濃厚. ことから認められない,窒素製品の例外扱いを. となりたるなか」 ,染料については英国と同様,. 主張するとは「連盟成立以来常に通商の自由公. 新たに設けられた留保品目条項(第 6 条)の一. 平待遇を主唱してむしろ各国を導き来れる日本. 時的留保品目として各国の了解が得られたもの. のため極めて遺憾なり」と諭されてしまう有様. の,米については「デミニミス」品目とする方. であったこと,総会審議でもチェコスロバキア. 向で努力中だが「国際貿易に重大関係あるため. は現在実施している甜菜糖とレンズ等の輸出禁. 各国を納得せしむることすこぶる困難」な状況. 止,酒および自動車の輸入禁止措置の留保を求. である,そもそも留保品目審査は現時点で措置. めたものの,各国が一斉に反対し数時間に及ぶ. が実施されているものを対象に行われているな. やり取りの末,輸出禁止措置については一時的. か,我が国の窒素製品はこれに該当しないうえ. 留保が認められたものの輸入禁止措置について. に範囲が漠然としているので,留保品目として. は留保が否決されるような状況28)の下で,日. 認められることは厳しい状況にあると報告した.. 本の留保品目審査が行われた.現地代表団とし. このような状況では染料に加え米の 2 品目を一. ては訓令通り主張を行ったが,染料については. 時的留保品目として協定に調印するか,協定へ. 一時的留保が認められたものの,窒素製品につ. の調印を差し控えるかのいずれかしかないが,. いてはドイツ,フランス,イタリア,スイスが. 現地日本政府代表団としては染料と米がこのよ. 反対意見を述べ,米についてはオランダが反対. うな扱いとされたとしても実際上の支障は来た. した29).以上の「各国の態度ならびに会議全般. 27). さないと思料すると述べ,5 日に予定される調 印に間に合うよう回訓願いたいと打電した. . 26)交渉終了後の報告(外務省[1992a]392 ペー ジ)では,第 4 条 1 号の「国防」と「または秩序」 の削除理由について,28 日に分科会報告を行うに 先立って染料,米および窒素製品を経過規定に留 保するよう訓令を得たのでこれを申し入れた結果 であると説明してつじつまを合わせている. 27)CIAP/CT/PV4.. . 28)これに先立ち 11 月 3 日に行われた第 5 回 条文整理委員会も,ほとんどがチェコスロバキア の留保品目をめぐる論議に終始していた(CIAP/ CT/PV5). 29)米を 「デミニミス」品目とすることについて, インドとフランスは「米に関する日本の特別の地 位」を認めて容認する発言をした一方,オランダ が「国際貿易上重大な関係があること」を理由に 反対した.染料と窒素製品についてはフランス代.

(11) 1927 年の輸出入禁止制限撤廃条約交渉とその今日的意義 ⑵(林). (505). 35. の空気よりみて窒素製品および米の永久的留保. 輸出入禁止制限撤廃条約の調印は,現地時間. は到底会議の承認を得がたきを察しこれを固持. 8日の午後 3 時に行われた.日本国外務大臣か. することかえって不利益と認めたるにつき」日. ら「米および染料に関する留保を付し調印方訓. 本としてはこれらが認められなければ条約に調. 令」が現地日本政府代表団あてに発出されたの. 印することは難しい,しかしながら妥協の見地. が日本時間 8 日午後のことであったから,本条. から「小官等の責任をもって」提案中染料およ. 約の調印は日本政府代表団が本国政府の了解を. び米を一時的留保とし,窒素製品については追. 得るのを待って行われたものと思われる.. 加留保の余地を残しつつ改めて請訓を待つこと として交渉会議としての意向を決定願いたいと. Ⅴ 本条約交渉の今日的意義. 述べた結果,総会で染料と米の 2 品目を一時的. 未発効 に 終 わった も の の,輸出入禁止制限. 留保品目として承認することが決定された.現. 撤廃条約の平常時の措置の例外条項(第 4 条). 地日本政府代表団からの電報は,米を「デミニ. が,第二次世界大戦後締結された「貿易と関税. ミス」品目とすることと窒素製品の留保を認め. に 関 す る 一般協定」(GATT)と「世界貿易機. させることは全く不可能な状況にあるが, 「こ. 関のためのハバナ憲章」の関連条項のモデルと. の際調印を差し控えることは本邦通商政策の将. なったことは周知のとおりである.本稿では,. 来にかんがみ極めて不得策なりと認めらるるに. WTO 協定の成立につながる多国間貿易ルール. つき」染料と米の 2 品目を一時的留保品目とす. の系譜と多国間貿易交渉における日本の行動様. る内容で調印したい, 「右事情ご考慮の上何分. 式の二つの視点から,本条約交渉の今日的意義. の儀至急ご回訓を乞う」と結んだ.. を検討する.. 5 日は土曜日であり,調印は週明けの 7 日に予 定されていた.本省はとりあえず,米と染料は. 1.多国間貿易交渉の系譜. 請訓の通り処理してよいが,窒素製品について. 輸出入禁止制限撤廃条約交渉 は,①非関税措. は追加留保の余地を残すよう引き続き努力して. 置が最初の多国間貿易交渉となったこの交渉で. もらいたい,ただしこの扱いについて「政府部. 取り組まれた,②ウルグアイ・ラウンド SPS 交. 内に内議もある事情なるをもってお含みおきあ. 渉の先駆であった,③無差別原則がすでに意識. りたし」 と付け加えて返電した. この段階に至っ. されていた,といった点で興味深い交渉である. ても本省は細かな指示をする. 「猥褻刊行物に. だけでなく,WTO 協定につながる多国間貿易. 関する条約の前例に倣い」紛争処理規定(第 8. ルールの系譜の起点であると言うことができる.. 条)が「日本国司法官憲により日本国の法令を. ⑴ ‌多国間貿易交渉における関税と非関税措置. 適用してなされたる行動に影響を及ぼすものに あらざることを宣言」するよう訓令した.. の優先順位 GATT 発足 か ら WTO に 至 る 経過 を「関税 引下げから非関税措置の削減・撤廃へ,非関税. . 表から「単に国内工業を保護する性質」のものの 疑いがある,また「今日まで日本の染料について は日本の染料工業に協力するある国の利益のみが 考慮されてきている」と指摘し,輸入制限措置が「単 にある国の生産品についてのみ与えられるのでな くすべての国に公平に分配される保証がないので あれば承認することは困難である」と述べ,この 発言を議事録に残すよう要求した(外務省[1992a] 412~413 ページ).. 措置のなかでも生命・健康にかかわる国内規制 への国際規律による制約が及ぶこととなった」 (あるいは「貿易自由化の要請に基づく規制緩 和」 )とされることがあるが,このような理解 は「国際貿易に関する国際ルールの形成」の一般 論としては成立しない.初の多国間貿易交渉で あった 輸出入禁止制限撤廃条約交渉会議 の 課題 が,非関税措置のルール化であったからである..

(12) 36. (506). 横浜国際社会科学研究 第 18 巻第 6 号(2014 年 2 月). 今日では想像しがたいことであるが,関税は. 次に,撤廃対象となる措置が特定されなかっ. 各国の「主権」にかかわる事項として,容易に. たから, 「撤廃しなくてもよい例外をいかなる. 交渉できず,ましてや多国間で交渉して引き下. 要件のもとに許容するか」を決めるアプロー. げることなど考えられなかった.1927 年のジュ. チをとらざるを得なかった.準備交渉と本交渉. ネーブ 経済会議 で も,関税率 に 上限 を 設 け る. での論議の焦点が平常時の措置と特別異常時の. ことに国際的に合意することが提案されたもの. 措置に関する例外条項であったのは,このアプ. の,各国の有識者は関税分類の共通化等の「透. ローチをとった当然の帰結であった.. 明性」に関する事項に合意したに過ぎなかった.. このような「二重の消去法」による条約交渉. この交渉会議後,国際連盟のもとで関税引き上. は,成文化交渉から例外条項に該当しないもの. げ競争の自粛( 「関税休戦」 )に取り組まれたも. についての「救済規定」の検討およびこれに基. のの,失敗に終わった30).. づく各国の「センシティブ」品目の留保交渉へ. こうした状況下では, 「すべての輸出入制限・. と転化せざるを得なかった. 「統合型」のルール. 禁止の撤廃」を目的とする交渉を多国間で行う. 交渉による「互恵性」が,ルールそのものにお. ことが「セカンド・ベスト」の選択肢として多. いてではなく, 「センシティブ」品目の特例扱. くの国々から支持を得たのは,当然であった.. いによって確保されることになったのである.. つまり,この交渉の「交渉設計」は「二重の消. 今日,関税交渉を「主権」問題として受け止. 去法」に基づいていた.. める向きはないと言ってよい.これは,GATT. まず,非関税措置が交渉対象としてとりあげ. における累次のラウンド交渉を通じて,多国間. られたのは,そもそもの問題であった関税が「よ. の関税引き下げ交渉のプラクティスが確立され. り一般的で論争の的となる」からであった.し. たことによるものである.GATT は,締約国. かし,関税措置に関し何らの合意も存在しない. に関税率の上限を国際的に登録(譲許)させる. なかで非関税措置の原則的撤廃に合意しても,. ことにより, 「透明性」を確保して貿易上の不. 撤廃された輸出入制限・禁止措置が高関税に形. 確実性を減少させただけでなく,この水準を変. を変える「尻抜け」を防ぐ手立てはない.この. 更する場合の手続や,この水準からの貿易相手. 問題は準備交渉段階でも認識されていたが,最. 国の期待利益を損なう措置(関税譲許による利. 終議定書の附属書で宣言がなされる31)にとど. 益の無効化・侵害)からの救済の仕組みを設け. まらざるを得なかった.. た.「主要供給国」間 の 関税交渉結果 は,そ の. . 30)1929 年の国際連盟総会での英国とベルギー からの「各国がとりあえず 2,3 年間関税引き上げ を差し控え,その間に各国が個々に交渉して関税 引き下げの可能性を求める」提案を受け,1930 年 2 月に 30 ヵ国が参加して「関税休日会議」が開催 されたが,ヨーロッパの 11 ヵ国により「現存する 二国間協定を 1 年間廃棄しない」ことが合意され たにとどまった(朝倉[1983]377~378 ページ). 31)こ の 協定 は, 「意図 す る 措置 に 代 わって 過 度の輸出入関税その他の障害に置き換わることを 認めるものではない」(should not warrant the establishment of excessive export or import duties or hindrances of any other kind which would replace those that it is the aim of the Convention to remove)とされた.. 他の中小国にも均霑された.関税交渉の方式も, 初期のラウンド交渉のように締約国による二国 間の関税交渉を集中的に行うに過ぎないものか ら,一定の引き下げ方式を決め,これに基づき 引き下げを行う方式が採用されたことで,「分 配型」の関税交渉にルール交渉の要素が導入さ れることになった32).非関税措置に関する交渉 と異なり,関税交渉については交渉結果の「互 . 32)東京ラウンド交渉における「スイス・フォー ミュラ」が最初の,またもっとも有名な関税引き 下げ方式である.このラウンド以降, 「モダリティ」 (Modality)と呼ばれる関税引き下げ方式を決める ことが,関税交渉の焦点となった..

(13) 1927 年の輸出入禁止制限撤廃条約交渉とその今日的意義 ⑵(林). (507). 37. 恵性」 の客観的な評価が容易であることに加え,. ない.関税,非関税措置などさまざまな交渉分. このような交渉方式が採用されたことで関税交. 野を取り扱う以上,包括的に合意することで「リ. 渉がより「技術レベル」の交渉として行いうる. ンケージ」による合意を可能にした.これによ. ようになり, 「脱政治化」が可能になったので. り定量的な評価が困難な非関税措置の分野を含. ある.. めての全体的な「互恵性」の確保が可能になっ. GATT におけるラウンド交渉で非関税措置. た反面,さまざまな分野を対象とする大がかり. がとりあげられ, そのルール化が成功するには,. な交渉とならざるを得ず,合意に至るまでに長. 関税交渉の「ゲームのルール」の確立とともに,. 期間を要することは避けられなかった.. 非関税措置についての理解の深化が必要であっ. 多国間交渉の開始に際しての「交渉設計」の. た.そもそも,非関税措置は貿易以外の本来の. 重要性は,いくら強調しても強調しすぎること. 政策意図と必要に応えて設けられたものであっ. はない.GATT ウルグアイ・ラウンド農業交. たから,さまざまな形態のものがあり,貿易制. 渉で,農産物全品目についての譲許が実現する. 限効果があることは事実としても,関税に置き. と と も に,数量制限 な ど 国境措置 の 関税化 と. 換えること( 「関税化」 )もできず,関税のよう. ともに SPS 協定が成立することとなったのも,. に引き下げ・撤廃を行えばよいというものでも. 偶然ではない.農産物についての国境措置を関. なかった.こうしたことから,GATT ではま. 税の形でコントロール下におくためには,動植. ず非関税措置についてのデータベース作りと,. 物検疫・食品安全措置についての実効性のある. これをもとにしたルール化のためのフィージビ. ルールが必要であった.この逆も,真であった.. リティ・スタディが,締約国「参加型」のプロ. ⑵ ウルグアイ・ラウンド SPS 交渉. セスにより行われた.東京ラウンドとウルグア. 1927 年 の 輸出入禁止制限撤廃条約交渉会議. イ・ラウンドの準備交渉プロセスでは,締約国. で最も論議を呼んだのは,動植物検疫と公衆衛. が直接参加した形で問題意識の共通化と交渉対. 生規制に関する条項をめぐってであった.しか. 象についての実際・ルール両面からの「学習」. も,その論議には約 70 年後に具体的な貿易ルー. が行われ,その過程で交渉対象の特定と交渉方. ルとして結実する,多くの論点や概念が含まれ. 法についての論議が行われた.こうした「下地」. ていた.. が,非関税措置のルール化のために不可欠で. 交渉会議への準備プロセスから交渉会議を通. あった.. じて,①各国政府が動植物検疫・食品安全措置. 1927 年 の 輸出入禁止制限撤廃条約交渉 と 比. をとる正当な権利があることに異論の余地はな. 較してのもう一つの大きな違いは,さまざまな. く,他方②これら措置が本来の政策意図とは異. 交渉分野を一括して受諾する方式( 「シングル・. なる貿易制限の手段として用いられることがあ. アンダーテーキング」 )が,東京ラウンド以降. る事実も認識され,③「これら措置の貿易への. 採用されたことである.東京ラウンドは,交. 影響をできるだけ少なくする見地からいかなる. 渉開始にあたって閣僚宣言がまとめられ,また. ルール を 定 め る べ き か」が 課題 で あった.こ. 非関税措置が本格的にとりあげられた,最初の. れらはまさにウルグアイ・ラウンド SPS 交渉. GATT ラウンドであった.このことと,一括. への参加者の認識であり,交渉課題であった.. 受諾方式が東京ラウンドで採用されたことは,. 1927 年当時,人 の 生命・健康 の 保護 が 動植物. 偶然ではない.GATT のラウンド交渉でさま. の生命・健康の保護の延長上の問題としてとら. ざま な 分野 を 包括的にとりあげるためには,. えられていたとはいえ,こうした認識の一致は. 「何を」 , 「どのように」 , 「いつまでに」交渉し, 合意するかの交渉の枠組みを決めなければなら. 注目に値する. ウルグアイ・ラウンド SPS 交渉におけるさ.

(14) 38. (508). 横浜国際社会科学研究 第 18 巻第 6 号(2014 年 2 月). まざまな論点も,1927 年秋の条約交渉の際に. することになる.また,紛争処理に関しては,. すでに提起されていた.. WTO の一般紛争処理手続に基づきつつ専門家. 第一に,貿易ルールと専門国際機関による国. を関与させてプラグマティックな判断がなされ. 際行動規範・基準との関係が認識されていた.. ることで,実現を見たと言えよう.. この当時,動植物検疫分野に関する国際機関の. ⑶ 無差別原則. 設立はようやく緒に就いたばかりであったが,. GATT 成立史によれば,GATT 第 20 条柱書. この分野に関する国際行動規範・基準作りに貿. において内国民待遇原則が最恵国待遇とともに. 易ルール作りの側からも期待がかけられてい. 規定されるに至ったとされている33).このこと. た.このことは,条約最終議定書に規定された.. は,GATT 第 20 条 の モ デ ル と なった 1927 年. 第二に,動植物検疫・食品安全措置に「科学」. の輸出入禁止制限撤廃条約第 4 条の柱書におい. が必要であることも, 認識されていた. ジュネー. て,最恵国待遇原則のみが規定されていたこと. ブ国際経済会議勧告の該当部分では「科学的な. を 意味 す る.し か し,1927 年 の 輸出入禁止制. 取り組み」がキー・ワードであった.また,条. 限撤廃条約交渉では,動植物検疫と公衆衛生規. 約最終議定書では「有効性が証明され,予想さ. 制に関し,異なる外国間の比較のみでなく,明. れた感染リスクに比例した厳しさの措置のみを. らかに国内と外国との比較に基づく議論がなさ. とるべき」ことが規定されていた.. れており,無差別原則34)はこの当時において. 第三に,非関税措置をめぐる貿易上の問題を. も意識されていたと見るべきである.. 司法的に「裁く」ことの困難性とともに,貿易. なぜなら,交渉の過程で平常時の措置の例外. 問題解決のための「専門家」の関与の必要性も. 条項で国内と外国の差別を念頭に「外国の」を. 認識されていた.交渉会議の紛争処理手続をめ. 削除することが提案されたからである.病気が. ぐる論議では,動植物検疫や公衆衛生規制をは. 発生した特定の国からの感染の拡大を防止する. じめ非関税措置をめぐる紛争を国際司法裁判所. ために輸入禁止措置がとられることが明らかに. の「司法」手続にかからしめることに極めて慎. 認識されていた.また,今日の GATT におけ. 重な態度をとる意見が多かった一方,国際連盟. る表現と類似の言葉で,しかしより広い意味で. における「専門家による勧告的な仲裁」に期待. 無差別原則が語られていたことにも注意しな. を寄せる意見が多かった.特に動植物検疫・食. け れ ば な ら な い35).1927 年国際経済会議報告. 品安全問題の解決における「専門家」による助 言の役割が重要とする指摘があった. このほか,禁止よりも「予防的」であること の重要性,病虫害の発生を国単位ではなく地域 単位でみる「地域主義」の概念,措置の実施・ 変更についての通報による「透明性」の確保の 重要性も指摘されていた. 1927 年の交渉会議はこれらについて十分議 論されることなく終わったものの,GATT に おける非関税措置に関する取り組みと多国間に おける合意形成のための手法の進化,さらには 専門国際機関における国際基準への取り組みの 進展に伴い,SPS 分野について実効ある国際 ルールがウルグアイ・ラウンドに至って実現. . 33)このような理解は,1927 年の輸出入禁止制 限撤廃条約で「同じ条件のもとにあるすべての外 国の国々に」とされていたのが,1947 年の GATT 第 20 条柱書では「外国の」が落とされて「同じ条 件のもとにある国々の間で」と改められたことを 根拠 に し て い る(Irwin et al.[2008]264 ページ, Charnovitz[1991]6 ページ) . 34)本稿で「無差別原則」を通常の理解と同様, 最恵国待遇原則と内国民待遇原則の二つからなる ものとして用いている(中川ほか[2005]93~103 ページ,Van den Bossche[2008]38~39 ページ, Hoekman & Kostecki[2009]41~43 ページなど) . 35)当時, 「最恵国待遇」は もっぱ ら 関税措置 の 文脈 で 用 い ら れ て い た.国際連盟経済委員会 に よ る 条約原案附属説明書 は,輸出入禁止制限措置 が「不当 な 差別」 (unfair discrimination, unjust.

(15) 1927 年の輸出入禁止制限撤廃条約交渉とその今日的意義 ⑵(林). (509). 39. 書 に お い て も,ま た 輸出入禁止制限撤廃条約. とはできない.忘れてはならないことは,1927. 交渉会議においても, 「内国民待遇」 (National. 年の輸出入禁止制限撤廃条約は非関税措置の原. Treatment)の言葉は使われなかったものの,. 則的撤廃を定めたものであり,その第 4 条柱書. 内国民待遇原則 が 念頭になかったわけではな. はこの原則的撤廃の例外として認められた措. かった.輸出国の立場からすれば輸入国におけ. 置についての要件を規定していることである.. る輸入禁止・制限措置そのものが問題であった. GATT 第 20 条柱書 の テ キ ス ト と 1927 年輸出. のであり,「平等に」禁止・制限されていれば. 入禁止制限撤廃条約第 4 条柱書のそれとの間に. 許容されるわけではなかった.輸出入禁止制限. 明らかな類似性があることは事実であるが,そ. 撤廃条約の交渉者たちによって,平常時の措置. れぞれの条約における位置づけは,根本的に異. の例外に関する第 4 条柱書の要件として内国民. なっている.. 待遇を含む無差別原則を規定することが意図さ. 1927 年の交渉会議における論議は,動植物検. れていたと見るべきである.. 疫・食品安全措置の実際と特性を踏まえていた. 関連 し て 注意 しなければならないことは,. か ら,後 の SPS 協定 で 実現 す る 無差別原則 の. GATT 第 20 条 の GATT 全体 の な か で の 位置. 変更につながる重要な論点を含んでいた.. づけである.GATT 第 20 条柱書は,その各号. 第一に,動植物検疫措置の場合,比較される. に列記された措置の実施が GATT のその他の. のは「同種の産品」についての取り扱いではな. 規定によって妨げられると解してはならない,. く「同じ状況」である.注意すべきことは,比. ただしある条件のもとにおいてであると規定す. 較対象となる国における疾病や病虫害の発生状. る.と こ ろ で,GATT に お い て は,最恵国待. 況が問題となるだけでなく,発生状況によって. 遇(第 1 条) ,内国民待遇(第 3 条) ,数量制限. 差別が行われるかどうかのメルクマールは輸入. の一般的禁止(第 11 条) ,数量制限の無差別適. 国において発生があるかどうかである.輸入国. 用(第 13 条)といった「その他の規定」に対し,. に疾病・病害虫の発生がない場合,発生がない. 第 20 条が一般的例外として位置づけられ,そ. A 国と発生している B 国とは全く同じ産品の. の柱書が例外措置についての要件を規定してい. 輸入において差別されることは正当化される.. るから,この柱書の「ある条件」に最恵国待遇. 他方,自国で発生がある場合にはこれら A 国. 原則や内国民待遇原則が含まれると理解するこ. と B 国とを輸入において差別することは正当. . 化 で き な い.し か も,発生 の 状況 の 程度・範. discrimination) , 「偽装された禁止または恣意的な 制限 の 手段」 (disguised prohibition or arbitrary restriction)となりうるとした.ジュネーブ国際会 議報告 で は,輸出入禁止制限 に 起因 す る「恣意的 な措置と偽装された制限」 (arbitrary practices and disguised discriminations),「恣意的または差別的 な」 (arbitrary or discriminatory)関税分類, 「国内 生産に対する偽装された保護」 (disguised protection for national production)を 与 え る 貿易政策 が 糾弾 され,関税や貿易条件での「公正で公平な取り扱 い」 (fair and equal treatment)の保障,課徴金に関 して輸入後の「国産品との公平な取り扱い」 (equal treatment with home products) ,国際交通に関する 安定的なシステムと「不公正な差別のない公平な国 際的取り扱い」 (equitable international treatment without unfair discrimination)の 重要性 が 強調 さ れた.. 囲(時間の経過とともに変化するであろう)を 何によって「同じ状況」と判断するのかの問題 もある.1927 年当時に「同じ」なのか「類似」 なのかの議論がなされたのは,こうした問題が 念頭におかれていたと見ることができる.無差 別原則は,こうした問題を解決するためのガイ ダンスを与えるものではない.疾病や病虫害の 発生状況に着目することは,内国民待遇原則に 関する次の問題を提起する. 第二に,疾病や病虫害の発生の「状況」は, 国境単位で異なるとは限らない.当局の管理・ 対処体制 と 運用 の み な ら ず 地理的・気候上 の 自然条件にも左右されるから,同じ国内でも.

参照

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