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子どもの興味を重視する学校教育の研究 : セレスタン・フレネの「興味の複合」概念に注目して

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(1)

平成

27年

学位論文

子 どもの興味を重視する学校教育の研究

―セ レスタン ロフレネの「興味の複合」概念に注 目して一

兵庫教育大学大学院

学校教育研究科

人間発達教育専攻

教育 コ ミュニケー シ ョンコース

M14003D

枝 廣

直樹

(2)

目次

序章 研究の 目的・・ 口・・ 口・・ 0・ ・・ 口・ ロロロロロロロ・・・・・・・・・1 第

1節

問題の所在 ロロ・・・・ 0・

00・

・・ 0・ 0・ ・・・・ ロロ・・・・ 1 第

2節

先行研究の検討 口・・・・・・・・・・ “・・ 口・・ ロロロロ・ 口・・

2

3節

論文構成 ロロロロロロ・ 0・ ・・ 0・ 6● ●●●口・・ 口・ ロロ・ 口・

3

1章

「教 える一学ぶ」関係 の特徴 と問題点 口・

00・

・ ロロ・ 0・

000・

4

1節

「教 える一学ぶ」関係論の対立点・

0000・

・ 0・ ・・ 0・ 0・

4

2節

「教 える一学ぶ」関係論の特徴 ロロ・・ 0・

000・

0・ ・・

00・

6

3節

「教 える一学ぶ」関係 における子 どもの興味・・ 口・・・ ロロロロニ

12

2章

フ レネ教育思想形成の歴史的考察・・ 口・・・・ 口・ 口・・・・・・ 口・

15

1節

フ レネ教育思想の形成・・・ ロロ・ 口・・ 口・・ 口・・・・・・ 口・

15

2節

フ レネ教育の展開・・ 0・ 口・・・・・・・・・・・・・・・・・・

24

3節

ス コラ教育 (scolastique)の 歴史的考察 口・ 0・ ・・・・・・・・・

30

4節

新教育運動の歴史的考察・・・・ 口・・

000・

・・・ 口・・・

0041

3章

「興味の複合」概念の特徴・ ロロロ・・・・ 口・・ ロロ・ 0・ 口・・ 口・

47

1節

「興味の複合」概念の先行研究 口・ ロロ・ 0・ ・・・・ 口・・・・・

47

2節

教育学説史か らみた興味論の考察・・・ ロロ・・ 口・ ロロロ・ 0・ ・

49

3節

興味についての考察 口・・・・・・・・・・・・ 口・・ 0・ ・・ 0・

51

4節

「興味の複合」概念形成の歴史的経緯 (新教育運動の影響か ら)・・・

55

5節

「興味の複合」概念形成の歴史的経緯 (コ ンプ レックスの影響か ら)・

61

6節

「興味の複合」概念の興味論的位置付 け・・・・・・・・・・・・・

66

終章 「興味の複合」概念の可能性 と限界・・ 0・ 0・ ・ 口・・・・ ロロロロロ・

68

1節

現代 日本の教育問題 に対す る「興味の複合」概念の示唆 ロロロ・ 0・

68

2節

「教 える一学ぶ」関係 に対す る「興味の複合」概念の可能性 と限界・

69

追記 フランス学校見学について・・・ 口・ 口・ 口・・・ ロロロ・・・・・・ 口・

81

(3)

序章

研究の目的

1節

問題の所在 本研究の 目的は、セ レスタン・ フ レネ(Freinet Celestin,1896-1966)の 提唱す る 「興味の複合 (oomplexes d'interets)」 概念について、興味論の視点か ら検討 した上 で、 「教 える一学ぶ」関係の現在 と問題点 を参照 しなが ら、子 どもの興味 を重視す る 学校教育の有効性 を明 らか にす ることである。 なぜ今子 どもの興味 を重視する学校教育なのか。教師の権威が失墜 し、「教 える」 ことが困難にな った結果、子 どもの興味 を重視す る学校教育の有効性 を検討す ること が必要にな った と考 えるか らである。 近代教育の成立以降、学校 において「教 える」 を主体 に した教育が行われ 、社会 よ りも進んだ存在 と しての学校が、遅れた存在である親や子 どもを指導す るとい う枠組 みが成立 していた。 しか し1970年 代以降豊かな情報社会 となるにつれ 、文化的落差や 経済的有用性が見 えに くくな つた。 これ によ り学校 の権威が失われ、無理難題 を押 し 付 ける親の増加や勝手な立ち歩 きをす る子 どもの増加な ど「教 える」 を成立 させ るこ とが困難な状況が多 く発生 した。 この学校の権威喪 失 と言 える現実 を踏まえ、教育学 者の間で「教 える一学ぶ」関係 を捉 え直す試みが進 んでいる。捉 え直 しの主要 な論 と して、教育関係 を対等なコ ミュニケー シ ョンや他者 との対話 によって再構築す るもの が ある1。 しか し、広田照幸 は、教育関係 を対等なコ ミュニケー シ ョンや他者 との対話 で再構 築す る努力は何か を学ばせ るという意味でのアウ トプッ トの保証が得 られ ない とし、 「教 える」を主体 としない教育の実現可能性 を否定する

2.確

か に「教 える」 を主体 と せず に「学ぶ」を保証す るのは難 しい。 しか し、現代に至 って もなお、 日本の教育の 主流 は教師中心の「主体―客体」的教授 である3。 慣行通 りに「教 える」 を重視すれば 権威が保てず、「学ぶ」 を重視すれ ば学びが保証で きない。「教 える一学ぶ」関係 に おける現代教育は他律 によ り自律 を促す とい う近代教育の抱 えるパ ラ ドックス4の前で 1宮野安治「戦後教育 と子 ども理解―関係論の立場か ら一J『教育哲学研究』、第77号、1998年 、高橋勝「技術論か ら 相互関係論ヘーく教師―生徒〉関係の組みかえ―J、『 教育哲学研究』第75号、1997年 など。 2広田照幸「く教える一学ぶ〉関係の現在」『近代教育フォーラム』11巻2∞2年 3例えば、村井実は、 日本の教育は明治維新以来の「近代化」を目標 と した「教化」 (啓蒙)の働 きを続 けて今 日に至 つていると指摘 している。(村井実「 日本教育の根本的変革J,:1島書店、2013年)。 4例えば、岡田敬司は「子 どもは教育者の他律の導きに順応する生活の中で、それとは逆の自律の能力を身につけなけ ればならない」というパラ ドクスが存在するという。(岡田敬司「『 自律』の復権 教育的かかわ りと自律 を育む共同 体」 ミネルヴァ書房、2∞4年、5頁)。

(4)

果然 と立ちつ くしているよ うに見 える。 この「教 える一学ぶ」関係の行 き詰ま りに対 処す るため、筆者 は「教 える」 を取 らず興味 を重視 して学校教育 を組織す ることを提 唱 した フ レネの思想 に依拠 し、興味 を重視 した教育 によ り「教 える一学ぶ」関係のオ ル タナテ ィプを提案 したい。 フ レネは、 自身の子 ども時代の学校生活や小学校教師 と しての経験か ら、近代教育 の成立 によ り生 じた一斉授業形式の「教 える」による全 く興味の存在 しない教育 に異 議 を唱えた。彼は一斉授業による「教 える」 をとらず に子 どもの興味 によ り教育 を組 織す るフ レネ教育法 を考案す る。フ レネ教育法の鍵概念 となるのが 「興味の複 合」で ある。 第

2節

先行研究の検討 「興味の複合」について、主な先行研究 と して佐藤広和 、坂本明美の ものが ある。佐 藤 は、「生活組織の教育学」の視点か らフ レネ教育 を分析 し、子供の 自由な表現が どの よ うに学習へ発展す るのか、「興味論」の立場か らフ レネ教育 を分析 している5。 坂本 は 「興味の複合」概念の生成 を歴史的にフ レネの思想変遷 を踏まえ考察 している6。 しか し、「教 える一学ぶ」関係 に対 して、「興味の複合」概念の有効性 を検証 した研究は見つ けることができない。また、「興味の複合」概念の有効性 を明 らかにす るためには、フ レネが概念発明に至 る社会的、政治的、歴史的背景 を明 らかに し、現代の「教 える一学 らt」 関係の行 き詰ま りの背景 との異 同を示す必要が ある と考 える。だが、坂本が指摘す るよ うに「興味の複合」概念の社会的、政治的、歴史的位置付 けは充分にな されていな い部分が ある

7.特

に長尾十三二が指摘す るよ うに、興味 を重視 した教育は社会への適 応 に回収 されて きた歴史が あるが8、 「興味の複合」概念 と社会適応の関係 についての研 究 は充分ではない。 したが つて、本研究はフ レネの「興味の複合」概念形成の過程 について、興味論の 観 点か ら社会的、政治的、歴史的に考察 し、 フ レネの 目指 した教育の形 を明 らかにす ることを試み るものである。 これによ り、「教 える」の行 き場 を失 つたかに見 える学校 における興味 を重視 した教育の可能性 と限界 を明 らかにす るものである。 5佐藤度和『生活表現 と個性化教育』青木書店、1995年 。 6坂本明美『セ レスタン・ フレネにおける「興味の複合Jの試み-1920年代∼1950年 代を中心に一」『 フランス教育学 会紀要』第 13号 、2∞1年. 7坂本明美「セ レスタン・ フレネにおける「興味の複合」の試み-1920年代∼1950年 代を中心に一」『 フランス教育学 会紀要』第 13号 、2∞1年 、29頁 。 8長尾十三二『新教育運動の歴史的考察』明治図書、1988年 、27頁 。

(5)

3節

論文構成 以下 に本研究の構成 を述べ る。 第

1章

において「教 える一学ぶ」関係論 を概観す る。まず 、「教 える一学ぶ」関係論 の現在 と問題点 を指摘す る。続 けて、「教 える一学ぶ」関係論か ら子 どもの興味 を重視 した教育の必要性 を考察す る。 第

2章

では、フ レネ教育思想形成の過程 を、フ レネの生涯 に沿 つて、社会・政治・歴 史的な文脈か ら考察する。特 に、「労働階級 と有閑階級 との分裂」に対するフ レネの態 度 については、本研究 において特に重要な部分であるため、節 を設 けて考察す る。フラ ンスの歴史に沿 つて フ レネの思想 を丁寧 に読み解 く中か ら、フ レネの 目指 した教育の形 を明 らかに してい く。 第

3章

では、「興味の複合」概念形成の過程 を興味論の文脈か ら考察す る。初めに興 味が教育学説の中で どう捉 え られてきたか を確認す る。次 に「労働階級 と有閑階級」に 対す るフ レネの態度 を踏 まえた上で、興味論 における「興味の複合」の位置付 けを行 い、 「興味の複合」の独 自性 を示 したい。 最後に終章 において、興味 を中心 とした 日本の教育の流れ と「興味の複合」概念形成 の社会、政治、歴史的背景 の異同を示 し、現代 日本の教育問題に対す る「興味の複合」 概念の示唆の可能性 を提示す る。また、「興味の複合」 と「教 える一学ぶ」関係論の現 在 と照 らし合わせ、「興味の複合」概念の可能性 と限界 を示 したい。

(6)

1章

「教 える一学ぶ」関係の現在 と問題点

本章では、「教 える一学ぶ」関係の現在 と問題点 をま とめる。第

1節

において 「教 え る一学ぶ」関係論の対立点を確認す る。第

2節

において「教 える一学ぶ」関係論の対立 点を検証す る。第

3節

において「教 える一学ぶ」関係の可能性 と限界 を考察す る。 第

1節

「教 える一学ぶ」関係論の対立点

(1)「

教 える」 を重視す る論の論点 「教 える一学ぶ」関係 を捉 え直す ことによ り、暗礁 に乗 り上 げたかの よ うに思 える「教 える」に対す るオル タナテ ィプを提示 しようとす る教育学者の試みが進んでいる。その 多 くは、教師 を「教 える」に、子 どもを「学ぶ」に固定せず捉 え直そ うとい うものであ る1。 しか し、広田照幸 は「教育関係 を『 対等なコ ミュニケー シ ョン』とか『他者 との対話』 とい う理念で再構築 しようとす る努 力は、原理的にみて、何か を学 ばせ るとい う意味で のアウ トプッ トの保証が得 られ ないか、も しくは、よ り権 力性が隠蔽 された『教 える一 学ぶ』関係になるかの どち らかにす ぎないのではないだ ろうか。」と し、「教 える」側 に 中心 を置かない「教 える一学ぶ」関係が従来の「教 える一学ぶ」関係のオルタナテ ィブ とな り得ないことを示唆す る2. 確かに、広田の言 うよ うに、「『 コ ミュニケー シ ョン』 とか、『 対等な相互作用』 とい う関係の形式が、子 どもに とつて所期の学習機能 を持つか どうかは、偶然性 に依存す る 3」 ことは避 けられ ないことのよ うに思われ る。広田の問いか ら「教 える一学ぶ」関係の 対立点を概観 してみたい。 広田は図1、 図

2を

挙 げて、「教 える一学ぶ」関係が 自明の連結 関係にない (「教 える 一学ぶ」関係の偶然性

)こ

とを示す。例 えば教 えな くても学ぶ、教 えても学ばない可能 性が ある。そ こで、「コ ミュニケー シ ョン」とか、「対等な相互作用」とい う教育関係の 形式 を持つ ことによ り、子 どもにとつて学習機能 を持つ ことが偶然性に依存す るように なるとす る。また、図

3を

挙 げて、「教 える一学ぶ」関係 を見か け上集団 レベルで成 り 立たせ るために、全般的なイデオ ロギーや権 力の必要性 を挙 げる。 1渡邊隆信「教育関係論の問題構制」『 教育哲学研究』第1∞号、2009年 、高橋勝・広瀬俊雄編著『教育関係論の現在 「関係Jから解議する人間形成』′ll島書店、2∞4年などに詳 しい。 2広田照幸「〈教える一学ぶ〉関係の現在J『近代教育 フォーラム』11巻 、2∞2年、89買 。 3広田照幸『く教える一学ぶ〉関係の現在」『 近代教育 フォーラム』11巻 、2∞2年、89頁 。

(7)

主体

A

主体B 教 える

学ぶ 労働す る ―

学ぶ 遊ぶ

学ぶ い じめ る ― 学ぶ 死ぬ

― 学ぶ 図 1 主体

A

主体 B 教 える

一 学 ばない 労働す る ―

学 ばない 遊ぶ

学 ばない い じめ る ―

学 ばない 死ぬ

― 学 ばない 図

2

主体

A

主体B 教える 一 学ぶふ りをする 図

1

2

図3 図2、 図

3が

成立す るよ うになつて きた経緯 として、広田は「教 える一学ぶ」関係の 歴史的変容 を挙 げる。

1970年

代以降、未来の社会の展望の上 に教育課題が設定 され る ことがな くな つていつた。これ によ り、進んだ存在 と しての学校が、遅れた存在 である 親や子 どもを指導す るとい う枠組みが崩壊 した4。 っま り、教 える側の優位性が失われ て、学ぶ側の優位 な時代 にな つた と言 う。 そのため、学ぶ側が優位 に立つ ことで教 える側 は

2つ

の方向で教育関係 を再構築 して きた と言 う。第

1に

、学ぶ側の論理 を中心に した教育関係論 、第

2に

、教 える側の役割 を多方面で不定型なものに広 げる論で ある。 前者 について広田は、対等なコ ミュニケー シ ョンや対話 は相手 を選ぶ ことがで きない ため、子 どもの側 に関係か らの離脱 を認めないとい うことは、隠蔽 された権 力が働か ざ るを得ないと言 う。また、「教 えても らつて学ぶ」 ことを学ぶ側 に委ね た場合に、学校 に来ない、学校 に来 るけれ ど学 ばない ことを否定す る論理が用意できないと言 う。 後者 について広田は、前者 と合わせて、教 える側が「教 える」権 力を正当化す るイデ オ ロギー を喪失 していることによる混迷の結果 とす る。 最後に今後の方向性 について触れ ている。「教 える一学ぶ」関係 には複数の選択肢が あると し、学ぶ側が 「教 える一学ぶ」関係 にもっとコ ミッ トす る道、「教 える」 をやめ て しま う道、「教 える」を復権 させ る道 を挙 げ、「論理的に収敏す るわ けでな く、共約不 可能な前提の間での価値的な選択 になるはず」 と している。その際、「成熟の落差」を どう考 えるか、未来の社会の望ま しい形は どのよ うなもの と考 えるか、とい う

2つ

の視 点が重要 とす る。

(2)「

対等な コミュニケー シ ョン」 を重視す る論の論点 4広田照幸『 日本人の しつけは衰退 したか』講談社、1999年 、第4章。

(8)

広 田が、教育関係 を「対等なコ ミュニケー シ ョン」、「対話」 と して見 る動 きと して、 名前 を挙 げて批判 している論文 を

2つ

取 り上 げる。

1つ

日は、宮野安治 「戦後教育 と子 ども理解一関係論の立場 よ リー5」 でぁる。 宮野は、教師 と子 どもの関係が、戦前 日戦 中の権威・ 服従的「タテ関係

Jか

ら、民主 的な「ヨコ関係」に移行 した と述べ る。 しか し、子 どもは教師の側 に、宮野の言葉 を援 用すれ ば、「彼方」 ではな く「此方」にあると考 え られてきたために、教師 に とって子 どもは どういう存在 であ り、子 ども理解 とは どうい うことかが、十分 に検討 されて こな か つた。そ こで、ノール

(Nohl,H)の

教育関係論の一方的な志向性 を批判 し、「客体」 としての子 どもか ら「主体」としての子 どもへの転換への可能性 を挙 げる。しか し、教 師―子 どもが「主体―主体」関係 となる ことによ り (「同一性」のカテ ゴ リー に とどまる こととな り)、「教育」関係 とな り得ないとす る。宮野は子 どもを『他者」と して見る視 点の必要性 を挙 げる。「他者」 とは「此方」ではな く、「彼方」にあるもの と し、自分 と は異質なもの、 自己を挑発す るものであるとす る。「彼方」にある「他者」 を理解す る ためには「対話」が必要 になるとす る。

2つ

目は、高橋勝「技術論か ら相互関係論ヘー〈教師―生徒〉関係の組みか え-6」 でぁ る。高橋 はコメニウス以来、教師が 「教 える技術者」 とな り、「教育的意 図」 とい う名 の操作空間に子 どもが囲 い込 まれてい くことを批判す る。こうした近代教育の技術主義 的性格 に対 し、教育の基本関係 を『成熟 した人間の成長 しつつある人間に対す る情熱的 な関係」とするノールの教育関係論の有効性 を指摘す る。しか し、ノールの論 にある「成 熟の落差

Jは

結局教 える側 中心であるために乗 り越 えなければな らず、話 し合 いを通 し て相互 に納得のい くヨコの関係 を作 り出す ことで、対等に共同決定で きる能 力を獲得で きると している。また、その際の教師のアイデ ンテ ィテ ィと して、学校外の多様な 自然、 事物、他者 との関わ りか ら学ぶ子 どもを秩序づけ、コーデ ィネー トす ることに教師の役 割 を求めている。 「教 える一学ぶ」関係 において、「教 え」 を重視す るのか、「学び」 を重視す るのか、 相互主体性 を重視す るのか、教育学者の中でも意見が分かれている。以下、両者の意見 の異 同を示 し、「教 える一学ぶ」関係の特徴 を指摘す る。 第

2節

「教 える一学ぶ」関係の特徴 5宮野安治「戦後教育 と子 ども理解―関係論の立場か ら一」『教育哲学研究』、第 77号 、1998年 。 。高橋勝「技術論から相互関係論ヘーく教師一生徒〉関係の組みかえ一」、『教育哲学研究』第 75号 、1997年 。

(9)

(1)「

教 える一学ぶ」関係の非対称性 先に述べたよ うに、広田は「教 える」と「学ぶ」の関係 は自明の連結 関係 にないと し、 「教 える一学ぶ」関係の偶然性 を挙 げている。一方、宮野は、「教師―子 ども」関係に限 定 した上で、教師に とって子 どもは「彼方」にあるもの と言 う7。 高橋勝は、モ レンハ ウ アー

(Mollenhauer,K)か

ら援用 しなが ら8、「教 える」 とは単 に知識や技術 を伝達す る (提示

)こ

とではな く、それ らを意味付 ける世界の秩序、規則、構造 その もの を暗黙の うちに子 どもに提示す る (代表的掲示

)こ

とでもあると言 う。「学ぶ」 とは、与 え られ た世界 の解釈枠組み (framing)に 対す る子 ども(学び手)の側か らの再解釈 (reframing) が存在す るか らこそ成 り立つ行為 とす る。つま り「教 える」と「学ぶ」は非対称的なも のである と している。「教 える」 と「学ぶ」の非対称性 に関 しては、広田 と宮田・高橋 の論は一致 している。

(2)「

子 ども」の他者性 と「暗闇の跳躍」の必要性 「教 える一学ぶ」関係において、宮野のように、子 どもを「他者」と捉 えることによ り「主体―主体」関係 における「教育」の成立 を目指す論が ある。吉 田敦彦は、 ロジャ ーズ とブーバー による援助的関係 についての対談 を援用 しなが ら、援助が必要な他者ヘ の助力 を目的 とす る関係 には対等 な関係 はあ り得 ない とす る9。 教師に子 ども理解 は要 求 され るが、子 どもに教師理解は要求 され ない。「教師一 子 ども」関係はそ うした種の 非対称性 を持つものである。この立場に立つ と、教師 に とつて子 どもは他者 であ り、彼 方 にあるものであると言える10。 杉尾宏 は「教師子 ども」間において、ク リプキの言 う 「暗闇の中での跳躍」が行われ ることになると言 う11。「暗闇の中の跳躍」は成功す るか どうかわか らない。しか し「教 える」行為に備わ る性質 として異 質な他者 との交流 とい う側面が ある以上、「暗闇の中の跳躍」 を避 けることはできない。 子 どもは教師か ら見て異質性 を備 えた他者であると捉 える ことがで きる。対等でない、 異質な他者 に教 えるためには「暗闇の中の跳躍」にな らぎるを得 ない。「教師子 ども」 関係 において どのよ うな「跳躍」が考 え られ るかは教育が提示 し続 けなければな らない 課題で ある12。「子 ども」 を「他者性」の視点か ら、「教 える」 を「暗闇の跳躍」の視点 7宮野安治「戦後教育 と子 ども理解欄 係論の立場か ら一J『教育哲学研究』、第 77号 、1998年 、46頁 。

8 ‖。::enhauer, K Vergessene Zusalmenhange Ober Kultur und Erziehung" Juventa Ver:ag, Weinheim und

Manchen,1985.(今 井康夫訳『忘れ られた連関―〈教える一学ぶ〉とは何か』みすず書房、1987年 、56頁)。 9吉田敦彦『 ロジャーズに対するプーバーの異搬 助的関係における「対等性」と「受容」の関係をめ ぐって一J『 育哲学研究』第 62号 、1990年 、32-44頁 。 10宮 野安治「戦後教育と子ども理解―関係論の立場よリー」『教育哲学研究』第 77号 、1998年 、44頁。 ‖ 杉尾宏『教育コミュニケーション論』北大路書房、2011年 、218頁 12例 えば、丸山恭司は教師自身が超越的態度を了承 した上で必要となるのは子どもに対する倫理的態度であると言う

(10)

か ら捉 えることで、「教 える一学ぶ」関係の非対称性が浮かび上が って くる。

(3)「

教 える」 ことの不完全性 高橋 は、コメニウス以来、学校 で示 され る「代表的掲示」が「真の規則・構造」 とさ れ る「大 きな物語」 とされ 、く教 える

)と

く学ぶ〉が予定調和的に接続す ると考 え られ てきた (それ によ り知の専門集団 としての教師が信頼 された

)が

20世

紀初頭の産業化 によ り、教師がテクス トを介 して提示す る「代表的掲示」が あ くまで一つの世界解釈 に す ぎないことが 自覚 され るよ うになるとす る13。 高橋 の論 に依拠 して考 えるに、「教 える」 には世界の解釈枠組みが あ り、それ を受 け取 る側 (学ぶ側

)に

は世界の解釈枠組みの再 解釈が存在す る。これ は「教 える一学ぶ」関係 を取 る際に避 けることのできない原理的 なものである。換言すれ ば、「教 える」時点ですでに本 当に必要 な「学ぶ」 ことが成立 しないと考 え られ る。「教 える」には不完全性が伴 つていると言える。 ここまで、「教 える一学ぶ」関係には、原理的に言 つて非対称性が伴 い、「教 える」に は不完全性が伴 うことを指摘 した。 ここか ら、「教 える」 を主体 と して教育 を組織す る ことには限界が あると言 える。そ こで、「教 える」だけに依拠 しない教育 を組織す る必 要が生 じる。

(4)「

教 える一学ぶ」関係 と「成熟の落差」 広田は「成熟の落差」をどう考 えるか、言 い換 えると、大人 と子 どもの違 いをどう考 えるかがポイン トになると述べ る14。 ノールの言 う大人 と子 どもの「成熟の落差

Jは

教 育的相互作用論 において問題 とされ 、よ り相互性 を徹底 させ よ うとす る。教育的相互作 用論 はブーバーやボル ノー らの「対話」理論、ハーバーマスの コ ミュニケー シ ョン的行 為理論の影響 を受 け、

1970年

代以降活発化す る15。 そ こでは、「教 える◆学ぶ」関係の構 築が 目指 された と言 える。高橋 は、教師 と生徒、親 と子 どもは、タテの関係ではな く、 ヨコの関係 を作 ることを目的 とすべ きと言 う16。 広田は「成熟の落差」 を重要視す る側 に立 ち、高橋 は、否定す る側 に立つ。 (丸山恭司「教育・他者・超婦 りえぬものを伝 えることをめ ぐって一J『教育哲学研究』第 84号 、2001年 、49 買)。 岡田敬司は教育 を異文化交流 と捉え、教師が「歓待」の態度を持つ ことを提案する。(岡田敬司『 共生社会の教育 学 自律・異文化葛藤・ 共生』世織書房、2014年)。 杉尾宏は レイヴとヴェンガーの「正統的周辺参加Jを例に挙げ、 教師 と子 どもの「相補的関係」のあ り方 を提示する (杉尾宏『教育コ ミュニケーション論』北大路書房、2011年 、218 頁)。 “高橋勝「く教える一学ぶ〉関係の非対称性J『近代教育フォーラム』第 11号 、2∞2年 、132-135頁 。 14広 田照幸「〈教える一学ぶ)関係の現在J『近代教育 フォーラム』第 11号 、2002年 、94頁 。 15松 浦良充「教育関係論から「学び」論へ『近代教育フォーラム』第 11号 、2002年 、112頁 。 “高橋勝「技術論か ら相互関係論ヘー く教師―生徒〉関係の組みかえ―」、『 教育哲学研究』第75号、1997年 、9頁 。

(11)

しか し、

(3)の

よ うに「教 える」 ことに不完全性が伴 つているのであれ ば、ノール の言 う「成熟の落差」は結局教 える側 中心であるために乗 り越 えな ければな らないとい う高橋の論 は正当性 を持つ。つま り、た とえ「成熟の落差」を重視 した としても「教 え」 の不完全性は残 るのである。 ここか ら、「成熟の落差」は乗 り越 えなけれ ばな らないも のであ り、重要視す るものではないと言 う立場 に立つ ことができる。

(5)「

教 える一学ぶ」関係 と権 力 広田は、「教 える一学ぶふ りをす る」関係 を集団 レベルで成 り立たせ るために、全般 的なイデオ ロギーや権 力の必要性 を挙 げている17。 宮野 は権 力を問題 とす るのではな く、 「他者」 として子 どもを見る視点が必要であるとする18。 教師が教 え導 く立場 にある以 上、教師 に原理的に権 力性が存在す るのは 自明の ことである。しか し、広田の指摘す る ように、現代において教 える側 の権 力性 は揺 らいでいる と言 える。また、多様 な情報 に 瞬時にアクセスできる現代において、コメニウス以来の「大 きな物語」に支 え られた教 師の優位性 を復活 させ ることは不可能であると言 える19。 では、 どうすればよいのか。 ここで「教 える一学ぶ」関係 と権 力関係の在 り方 について考 えてみたい。権 力の とら え方には

2つ

の系譜がある。「第一は、権 力を人間や人間集団によつて所有 され、行使 され る道具、あるいはもの と して とらえる、実体的、道具的権力概念の系譜 である。第 二は、権 力を具体的な状況の もとでの人間や人間集団の相互作用関係 において とらえる、 関係的権 力概念の系譜節」である。教師にイデオ ロギー的な道具的権 力を求めるよ りも、 後者の ような関係的権力を、子 ども同士の相互作用の うちに求める こともで きる。木村 浩則は、い じめの消えた小学校 での実践 を例 に、教師 と子 ども、子 どもと子 どもの相互 的 コ ミュニケー シ ョンによつて 自律的に生み出 され る権 力 (合意の権威

)を

組織す るこ とこそ教師 に求め られ る役割であるとす る四。合意の権威 を創造す ることで、「教 える」 の全般的なイデオ ロギー的権 力は重要 でな くなる。合意 の権威によ り「教 える一学ぶ」 関係 を構築 し、学習機能 を保障することは理論上可能 である。

(6)「

教 える一学ぶ」関係再構築の可能性 広田は、学ぶ側が「教 える一学ぶ」関係 にもっとコ ミッ トす る道 、「教 える」 をやめ 17広 田照幸「〈教える一学ぶ〉関係の現在」『近代教育フォーラム』第 11号、2∞2年、90-93買 。 “宮野安治「戦後教育 と子 ども理解―関係論の立場か ら一J『教育哲学研究』、第 77号 、1998年 、44頁 。 "例えば柄谷行人は、「教える」立場は、決 して優位にな く、逆に「学ぶJ側 の合意 を必要 とする弱い立場であるとして、 「教える一学ぶJ関係を権力関係 と混同 してはならないとする。(柄谷行人『探求I』 講談社、1992年 、8頁)。 "小玉重夫「権力」教育思想史学会編『教育思想辞典』勁草書房、2∞0年、260頁 。 a木村浩則「教師の く権威)と何かJ(山崎英則編『教育哲学のすすめ』 ミネルヴア書房、2∞3年、64頁 )。

(12)

て しま う道 、「教 える」 を復権 させ る道の中か ら、共約不可能 な価値的判断の中で選択 せ ざるを得 ないと言 う22。 しか し、高橋が指摘す るよ うに23、「教 える一学ぶ」関係にコ ミッ トす る方法 を広田は提示 していない。また、「教 える」 を辞め る道は広田 自身時期 尚早 と認めてお り、「教 える」の復権 は、

(3)で

指摘 した よ うに「教 える」には不完全 性が伴 つてお り、元々不完全なものを無理 に復権 させ るのは困難 である。不完全なまま に無理 に行 つた としても、昨今の情報 消費社会の中では、「教 える」の不完全性 はす ぐ に見破 られて しま うだろう。す なわ ち、広田は「教 える一学ぶ」関係の再構築が必要で あると言 いなが ら、再構築案 を提示す ることができていない。 「教 える一学ぶ」関係の再構築に関 しては多 くの提案が ある。上に見たよ うに、「成 熟の落差」を重視せず、「合意の権威」による学習の成立 を視野に入れ ることで、「教 え る一学ぶ」関係 は多様 に再構築する可能性 を持つ。「教師一生徒」関係だけでな く、老人 を含めたライフサ イクル を考 えたもの24、 タテ .ョ コの関係 に加 えナナ メの関係 を加 え た もの25、 子 どものオ ンとオ フの関係 を考 えた もの26、 子 ども同士の「教 える一学ぶ」関 係 を考 えた もの27など多様である。いずれ も興味深い論ではあるが、明確 なオルタナテ ィブと して確立す るには至 っていない。 しか し、これ らの提案か ら、旧来の「教 える一 学ぶ」関係 の枠 に収 ま らない、多様 な関係 を持つ可能性が導出 され る。

(7)「

教 える一学ぶ」関係の力動性 教育関係 は非対称性 を備 えてお り、「主体―客体」関係では捉 えきれ ない。そ こで教育 関係 を「主体―主体」関係 と して捉 える研究が ある20。 しか し「教 える一学ぶ」関係 においてそもそも相互主体性 は持 ち うるのか。例 えば、 2広田照幸「〈教える一学ぶ〉関係の現在J『近代教育 フォーラム』第 11号 、2∞2年、94頁 。 四 高橋勝「〈教える一学ぶ〉関係の非対称性J『近代教育 フォーラム』第 11号 、2∞2年 、138頁 。 2高橋は、旧来の二項対立的教育関係か ら脱 し、老人を含めた円環するライフサイクル (時間軸)と多様な他者 との 関わ り合い (空間軸)の中で教育関係 を作 りなおす必要を指摘する.(高橋勝「人間形成における「関係Jの解締 験・ ミメーシス・ 他者」高橋勝 。広瀬俊雄編著『教育関係論の現在 「関係Jから解読する人間形劇 川島書店、2004 年、1■2頁)。 あ 宮澤康人は、タテ・ ヨコにナナメを加え、世代間の全ての可能性を視野に入れる必要を指摘する。(宮澤康人「教育 関係の誤認 と く教育的無意識)」 高橋勝・広瀬俊雄編著『 教育関係論の現在 「関係」か ら解読する人間形成』′:l島書 店、2004年 、39-82買)。 “松下春彦は、現代の情報社会がオンばか りのつなぎつばな しの社会 とな り、シニシズムを生きていると述べ、オ ン でもオフでも自由につながる「教える一学ぶJ関係 を提案する。(松下春彦「教育的関係の神秘性 とリア リティJ『近代 教育 フォーラム』第 11号 、2∞2年、97-104頁)。 27渡邊満は、子どもと子どものかかわ り、子どもたちの様々な活動を考慮に入れた教育の行為モデルに必要性を指摘 す る。(渡邊満『 自己形成的 トポスとしての『教室 という社会』の再構キ 『 共生』 に基盤 をお く道徳教育の可能性―」 『教育哲学研究』第85号、11-15頁)。 28丸橋静香「教育 目標 としての『責任ある存在』に関する―考察「討議倫理学/討議人間学における「共同責任J論 を手がか りに一J『教育哲学研究』第 94号 、2006年 、日中毎美「おとなの成熟 と異世代間相互規制」『 教育哲学研究』 第 94号 、1990年 、p←11な ど。

10

(13)

松浦良充は次のよ うに指摘す る。相互作用論 は両極の同一性が強まれ ば強まるほ ど、教 育が人間関係一般や コ ミュニケー シ ョンに霧散 して しま つている。そのため、「教育的 関係」における「教育」 も「関係」 も見 えな くな り、「関係性」その もの を喪失 し追認 す る機能 を生み出 している。つま り、相互作用論はオル タナテ ィブた り得ない と言 う29。 メンチ ェは、ノールによ り定式化 された教育関係論 について、極端 な教育関係の単純 化によ り、様 々な文脈の特徴が捨象 され 、政治や社会 日経済 と教育の現実的関係が見損 なわれ ているとし、よ リー層分化 され 、力動的で現実諸問題 を取 り込んだ教育関係のモ デルの必要性 を説 く30。 メンチ エの説 くよ うに、現実諸条件 を取 り込んだ力動的な教育 関係 を考 えなけれ ば「教 える一学ぶ」関係の手む難問は解消で きない。 現実状況に合わせた教育関係 を類型化 したもの と して、岡田敬 司のかかわ りの四類型 が挙 げ られ る (図 4)。 岡田は封建的⇔民主的なもの として、縦のかかわ り、横のかか わ りを措 く。横の軸 として、対立 口葛藤関係 と安定・ 調和的関係 を措 く。 安定・ 調和的関係 対立・ 葛藤的関係 図

4

教育的かかわ りの四類型

岡田は「教える一学ぶ」関係は、縦のかかわりX対 立・葛藤的関係である「権力的か

20松 浦良充「教育関係論から『学び』論へ」『近代教育フォーラム』第 11号、2∞2年、113=114頁 ∞ クレメンス・メンツェ「現代 ドイツ教育学における根本思想の変化数 育関係の解釈をめ ぐって一」『教育哲学研 究』第 42号 、1980年 、73-77頁 。

曇寒魏 電曝轟

:醜

かかれ

,り 縦のかかわ り 横 のかかわ り 嫌農:鯉かかわり

(14)

かわ り」の象限 においてまず現れ るとす る。大人に促 されて ピアノに触れ る子 どもが音 楽の楽 しさに 目覚め るように、権 力が不可欠 とす るのは先に検証 してきた結果 と同一で ある。しか し、権 力的かかわ りに固定 され るのではな く、岡田は権 力的かかわ りが権威 的かかわ り (縦のかかわ り

X安

定・調和的関係

)に

移行 してい くとす る制。 権 力的かかわ りは信頼関係が築かれ るに従 い、権威的かかわ りに移行す る。 しか し、 信頼関係は先に見たよ うに、「教 える」の不完全性 を呼び起 こす。「代表的提示」として の「教 える」は「学ぶ」側 に とつて完全足 り得ない。 そ こで認知葛藤的かかわ り (横のかかわ り

X対

立・葛藤的関係

)に

移行す る場面が必 要 となる。前 に見たよ うに、「成熟の落差」 を重視せず、「合意 の権威」 を措 くよつて、 この象限は成立 しうる。この段階において、他者の他者性が重要 となる。岡田は、独創 性が期待 され る課題 において他者 との衝突は多産性 を示す と している32。 模倣 に とどま る権威的かかわ りの段階では思考の進展 は期待できない。 受容的・ 呼応的かかわ り (横のかかわ り

X安

定・ 調和的関係

)の

象限 に至 ると、相手 の人格 を無条件 に信頼 し、聞 き合 う関係が作 られ る。 ここでは、ブーバーの言 う 〈我― 汝〉の関係が構築 され33、 子供の 自主性やアイデ ンテ ィテ ィの基礎 とな る部分が構築 さ れ るとす る。合意 の権 力が子 ども一教師間で形成 され るの も、この象限においてだ ろう。 受容的かかわ りがなけれ ば、認知葛藤的かかわ りも貶 し合 いに終わ つて しま う。「暗闇 のりし躍」 を成功 させ るための手がか りとなるのが この象限である。 もちろん岡田の四象限 も複雑 な教育関係 を単純化 したものであることは否めない。た だ、状況によ り力動的に「教師―子 ども」関係が変化 し、一時的な「主体一 主体」関係 を想定す るとすれ ば、関係の霧散 によ り「主体一 主体」関係 を持 ち得ないとす る松浦の 論は退けることがで きる。つま り、力動的関係 と して「教 える一学ぶ」を捉 えることで、 教育関係 を保ちなが らも (一時的にせ よ)「 主体―主体」関係 を把持す る ことがで きる。 第

3節

「教 える一学ぶ」関係 における子 どもの興味

(1)「

学ぶ」 を主 と した教育の限界 31岡 田は権力と権威の違いを次のように述べる。すなわち、権力は強制的に他者を服従させるもの、かつ、功利主義 的理性が育まれるもの、権威は他者を自発的に服従 させるもの、かつ、信頼、規範意識が強化され るもの としている。 (岡田敬司『かかわ りの教育学 [増補版]―教育役割 くず し試論=』 ミネルヴァ書房、2006年 、12-16頁)。 鑢 岡田敬司『かかわ りの教育学 [増補版

]嗽

育役割 くず し試n―Jミネルヴア書房、2∞6年 、152頁 。 “岡田はプーパーが「教える一学ぶJ関係 を権威的かかわ りに見ていたことを指摘 し、〈我―汝〉関係においても教師― 生徒間の一時的であれ真に相互性な関係 を持つことができると述べている (岡田敬司『かかわ りの教育学 [増補版]― 教育役割 くず し試論―」 ミネルヴア書房、2006年 、189-196買)。

12

(15)

以上 に見たよ うに、「教 える一学ぶ」関係において、「教 える」を主 と した教育は不完 全性 を拭 いきれ ない。そ こで「学ぶ」を主 とした教育 を (部分的にせ よ

)取

り入れ る必 要が出て くる。 「学ぶ」を主 とした教育の提唱の一つ と して「教育の呼応モデル」が ある。松下良平 は、世界の側か ら働 きか けて くることを最広義の「教 える」と して捉 え、受動 と して経 験 され る「教 えること」を含む「学ぶ」を考 えることができるとす る「教育の呼応モデ ル」 を提唱する34。 松下は、学び を他律 に支 え られた 自律 と して、つま り学ぶ ことと教 えることを切 り離せないもの と して捉 えることによ り、また、重層的な関係 と して「教 える一学ぶ」を捉 えることによ り、他律 によ り自律 を促す近代教育のアポ リアは生 じな い とす る35。 しか し、松下の「教育の呼応モデル」に対 し、「弟子がま つた く呼応 しない場合 もあ るのではないか36」 とぃ ぅ今井康雄の指摘 は注 目に価す る。広田は、見習 いの間 に何 も 身につかなか つたものがた くさん いた ことを無視 していると して、徒弟制や学習共同体 を批判 している37。 前述の レイヴ とヴェンガーによる「正統的周辺参加」論38に関 しても 広田の批判 を越 えるものではない。 い くら柔軟な関係 を思 い描 いても「学ぶ」を中心 に した教育 はアウ トプッ トの保証が ないとい う広日の指摘 を脱 しきれていない。岡田は、一定量の知識 を蓄積す る子供は、 すでに前向きな興味 を示 しているもの と している39。 換言すれ ば、前 向 きな興味のない 子供は どの象限 を取 ろうとも知識が立ち上が っていかない。

(2)「

教 える一学ぶ」関係の現在 と問題点 「教 える一学ぶ」関係の非対称性や他者性、「教 える」の不完全性 に注 目す る ことで 次の ことが言える。すなわ ち、「教 える」 を主に した教育 には限界が ある。そ こで (部 分的にせ よ)「学ぶ」 を主 と した教育 を取 り入れ る必要が出て くる。 「学ぶ」を中心 と した教育 は合意 の権 力を取 り結 び、力動的な関係 を持つ ことによ り 部分的には実現可能である。 しか し、「学ぶ」 を主 と した時に学ばない者が出て くる可 “松下によれば、呼応モデルにおける「教えること』は以下の3つに類型化することができるという。教える主体の ない「教える」(自学型)、「学ぶ ことJを導 き支える「教えるJ(介在型)、 学ぶ者の世界に招 き入れ られた者による 「教 えることJ(交接型)である.(松下良平「教育の国果モデル と呼応モデ′い教 えることの諸相―J『教育哲学研究』 第 114号 、2014年 、8-13頁)。 "松下良平「教育の困果モデルと呼応モデ′レ教 えることの諸相―」『 教育哲学研究』第 114号 、2014年 、13頁 。 ∞ 坂越正樹・森川直「研究討議の総括的報告J『教育哲学研究』第 109号 、24頁 。 37広 田照幸「く教える一学ぶ〉関係の現在J『近代教育 フォーラム』第 11号 、2∞2年、89買 。

38 Lave, & Wenger, E Situated Learning Legitimate Periphera! Participation" Cambridge university

Press,1991.(佐伯絆訳『状況に埋め込まれた学習 正統的周辺参加』産業図書、2003年 。

(16)

能性は否定 しきれ るものではない。ここに「学ぶ」を主 と した教育の限界点が ある。現 実的には「教 える」と『学ぶ」を併用 した教育の形 を考 えてい くしかない。学 ばない者 が学ぶには どうすれ ばよいか。岡田の指摘す るように子 どもの興味 を引き出す教育 を考 える しか道はないのではないか。

(17)

2章

フ レネ教育思想形成の歴史的考察

本章では、フ レネが実際 に生 きた当時の ヨー ロッパおょび フランスの時代背景 を元に、 フ レネ教育思想の形成理由を明 らかにす る。第

1節

において、フ レネの人生 を辿 り、フ レネの思想の変遷 を確認す る。第

2節

において、フ レネ教育が フランス、日本、および 世界 において どのよ うに受 け入れ られていつたか を確認 し、フ レネ教育の有効性 を見 る。 第

3節

において、 フ レネが批判 したス コラ教育 (scolastique)が どういった ものであ ったか、1850-1925年頃の フランスの歴史 を元に考察す る。第

4節

では、フ レネが両義 的な態度 を取 り、最終的に反発 を表明 した新教育が どういつた性質の もので あつたか、 新教育の歴史 を元に考察す る。 第

1節

フ レネ教育思想の形成

(1)フ

レネの幼少時代における教育観 (1896年

-1915年

) フ レネは

1896年

10月 15日 、南 フランスのアル プ・ マチ リム県、ガールの村で生ま れた。そ こはニースの街か ら山岳地に入 り込んだ、半農半牧畜の小 さな村である。家 は羊飼 いと農業 を営む農家であ り、フ レネは大 自然の中で羊飼 いを しなが ら幼少期 を 過 ごす。フ レネは子供の頃 を回想 し次のよ うに語 つている。 大気を胸 いつぱいす って、私たちは学校への道 をゆ く。 自分たちの現在 と未 来の 生活 とかかわ つて深 い意味 を持つ様 々な仕事 、 自然の遊 びや小鳥の歌声が私 たち の心 を満た していた・ 0・ 。私たちは学校 に近づ く。確かに独創的な考 えが尽 き ることはない。鋭 さとユーモアに満ちた ことばが次々に とび出す。良きにつ け悪 しきにつけ、や りたいことが山ほ どある。その時突然、鐘が鳴 る。それはたちま ち私たちの存在 に空 自のよ うなもの を引きお こす。生活はそ こでス トップ し、学 校が始まつた。新 しい世界、私たちが生 きて きた世界 と全 く違 つた別の規律 、別 の義務、別の興味、いやもつと重大な ことには、そ こには劇的 と言 えるほ ど興味 の存在 しない世界1。

l Freinet Ceiestin :L'Education du travall(1946)ed, De:achaux et Niestle, Neuchatel, 1967, Moderniser :'Eco:e,Bibliothё que de‖oderne,C.E.L,1960。 (宮ヶ谷徳三訳『仕事の教育』明治図書出版、1986年 、14頁)。

(18)

フ レネは この記憶 を持ち続 け、 自分が教育す る子供たちを子供 として感 じ取 り理解 できることを、 自分の教育者 と しての唯―の才能 と表現 している。 フ レネは1913年、ニースの師範学校 に入学 し、

1915年

第一次世界大戦のため戦地 に赴 く2。 フ レネは戦地において、「私 たちの先生が酒 々 と説 いたあの神の威信一科 学 、教育、家族、祖国一、その神が実は偽 りの神であ り、血 なま ぐさい犯罪的な神に過 ぎない3.」 と感 じる。第一次世界大戦 はフ レネに戦争や教育への不信 を抱かせ、 フ レ ネに とつて後の教育改革の原動 力とな つてい く。

(2)フ

レネのパール ロシュル・ ルー小学校教員時代 における教育観 フ レネは第一次世界大戦 によ り肺 と喉に重 い障害 を持 つ。1920年、 フ レネは故郷近 くの村、バール ロシュル・ ルーの小学校教 員 となる。汚れた環境で数分間話 をす る と、猛烈な疲労が襲 つて来 る。 フ レネは呼吸困難に陥 りなが ら休み休み授業 をす る う ち、「伝統的な授業形態が、彼 自身 と同様 に子 どもたちに とっても、や りに くいもの だ4。 」 とぃ ぅことを理解 してい く。 ある日、動物の友 と紹介 され る児童 ジ ョゼ フは授業開始のための整列 を抜 け出 し、 美 しい青 い羽 を持 つた毛虫 を捕 まえる。ジ ョゼ フの毛虫 を目で追 う輝 きを目の当た りに した フ レネは、子供の関心や興味 をきちん と評価 し、子供の関心 を教育に採 り込む必要 性 を強 く感 じるよ うになる5。 また ある日、 フ レネは子供たちを外へ連れ出す 。そ こで子供たちが見た ものは村の 人々の生活であ り、子供たちは帰 つた後 に生 き生 きと話 を交わす。教科書の内容 に興味 を持てず、読み書 きもできないはずの子供たちが、自分たちの 日か ら出たテキス トをス ラス ラと読む ことができる姿 に、フ レネは「自由テキス ト (texte‖ bre)」 の着想 を得 るよ うになる6。 フエリエールの『 活動学校』を読み、新 しい教育に 目覚めた フ レネは、

1923年

、スイ スで開かれた新教育会議に出席す る。そ こで フエリエール らの話に感銘 を受 けなが らも、 「新教育は子供の活動や教育の個別化 (indi宙

dualization)を

可能 にす る教具や設備

2 Freinet Celestin:L'Education du traval:(1946)ed, Delachaux et ‖iestle, Neuchatel, 1967, ‖oderniser r Ecole,BibHothёque de‖ oderne,C.E.L,1960.(宮 ヶ谷徳三駅『仕事の教育』明治図書出版、1986年 、14頁)

3 Freinet Ce!estin:L'Eduation du travall(1946)ed,Delachaux et‖ iest:e,Neuchatel,1967.‖oderniser !'Eco:e,B!b:iotheque de‖oderne,C.E.L,1960。 (宮ヶ谷徳三訳『仕事の教育』明治図書出版、1986年 、16買)

4 Freinet E:ise:Naissanee d'une pedagogie:Francois masper。 ,1969.(名和道子訳)『フレネ教育の誕生』現 代書館、1985年 、20-21買)

5 Freinet Elise:Naissanee d'une pedagogie:Francois‖aspero,1969.(名 和道子訳)『フレネ教育の誕生』現 代書館、1985年 、23-24頁)

Freinet Ce!estin :L'Eduation du travail(1946)ed, Delachaux et Niest:e, Neuchate:, 1967, Moderniser l'Eco!e,Bib!iotheque de‖oderne,C.E.L,1960.(宮 ヶ谷徳三訳『仕事の教育』明治図書出版、1986年 、21頁)

(19)

の整 つた学校では比較的容易で、適用 しやす いものであるが、バール・ シュル・ ルーの 学校 では問題が全然異 なることに彼は気づ7」 く。そ こか ら、フ レネの課題は「農村の プ ロ レタ リア学校でいかに して新教育の理論や成果 を取 り入れた実践ができるか」とい う 点に設定 され る。この課題設定が、学校 印刷機や学校間通信 といつた フ レネ技術 を生み 出 してい くことになる。

(3)フ

レネの新教育会議への立場 (1923年) フ レネはスイスでの新教育会議の後 1923年 10月 に出 された論文 「プロレタ リアの 学校 に向けて」において、教育における

2つ

の異 なる立場 を説明す る。

1つ

は教育イ ンターナ シ ョナル

(l'International de l'Enseignement)と

い う国際的 プロレタ リ ア運動 と連帯 した教員達の組織 であ り、も う

1つ

は「新教育のための国際連盟」

(FederatiOn internationalle pour l'Education nouvelle)で ある。 フ レネは自分 を前者 に位置付 け、後者 を「基本的に教育学、心理学の領域 に とどま つている

Jし

、 社会 と学校の関係 といつた社会的、イデオ ロギー的考 え方はないとす る。ただ、よき 教育 を実現 させ るための諸条件 として、学校建築、 自然的環境 を重視 し、知識 よ りも 人間形成に重 きを置 き、自由、相互援助 、共同的活動、人間性 を作 ろ うとす る教育的 努力を再編成 しよ うとする団体 である点 を評価す る8。 フ レネは フェ リエール を高 く評 価 し、「新教育連盟に多 くの助言 を求めるだ ろうし、その人々の研究が発表 され る書物 や雑誌の中にプロレタ リア的学校の教材 を見つけ出す こともあるだ ろう

9Jと

してい る。 ここにおいてフ レネは、学級 を自由な学校共同体 と して 自由規律 を組織 し、生徒 自身のもつ 自主的学習能力によって個 々の子 どもたちが個別的に学習 してゆ けるよう な教育の技術、そ こにおける教師の役割 といったテーマを設定 している。

(4)自

由テキス トの成立 (1923年) ある日、子 どもたちが蝸牛の レースに熱中 している様子 を見た フ レネは黒板に蝸牛の レースを元 に一つのテキス トを書 く。レースの興奮冷めや らぬ子 どもたちは、自分たち の登場す る この短 いテキス トを読み、まだ字の書 けぬ子 どもも黒板の字 を見て真似なが ら、各々が ノー トに書 き写す。しか し、子 どもの興奮はつかの間そ こにあるに過 ぎない。

7 Freinet Ce:estin:L'Eduation du travai:(1946)ed, De:achaux et ‖iest:e, Neuchate:, 1967, ‖oderniser r Eoo:e,Bibliotheque de‖oderne,C.E.L,1960.(宮 ヶ谷徳三訳『仕事の教育』明治図書出版、1986年 、28頁)

8 Freinet Ce:estin:les iustituteues,C:art6・

n° 29.15 janv 1923.(宮ヶ谷徳三訳『仕事の教育』明治図書出

版、1986年 、29-30買)。

(20)

黒板は消 され ノー トはめ くられ、事件の明白な痕跡 は影 を止めな くなる10。 フ レネは「 こ の子 どもたちの生活や試行 を表現す るテキス トを何かの形で固定 し、残せないものだ ろ うか。11」 と考 え、す ぐに印刷機 を注文 し取 り寄せ る。 フ レネは この印刷機の使用の良 さを、「子 どもの表現意欲 をか き立て、その 自由な表現 と、 これ をみんなで検討 し、批 判す ることによ り子 ども同士の 自由なコ ミュニケー シ ョンが活発にな り、それが よ り明 白に、よ り具体的な形 をとつて実現 され ること12」 と述べ ている。また印刷機の使用 に よ り、「自由な学校共同体」の規律が 自然 と出来上が ってきた と している13。 子 どもたち は教室内外で経験 した個人的な出来事や冒険な どを書 き留め る。これ らは教室で発表 さ れ討議 され、添削 され た後で、編集 され、子 どもたちの共同作業によつて最終的に印刷 され る。フ レネは こうした取 り組み を自由テキス ト (texte libre)と 呼び、 このテキ ス トは学級 日記 (Livre de vie)や学校新聞 (Journal scolaire)と してま とめ られ る よ うになる。

(5)学

校間通信の成立 (1924年)

1924年

以降、フ レネのクラスで生み出 された学級新聞は、フ レネ と同様 の考 えをも つ 教 師 と 定 期 的 に 交 換 さ れ る よ う に な る 。 フ レ ネ は こ れ を 学 校 間 通 信 (Corresponndannce scolaire)と 呼ぶ。 しか し、 こうした フ レネの実践は、教師仲間 か ら「私たちの教科書の中には、もっと別 に興味深 く、確固たる文学的内容 をもった も のが ある」 と して、「気違 い沙汰」なもの といった反応によつて受 け止め られ るのが一 般的であった14。

_方

で、フ レネの運動 を高 く評価す る者 も現れ始める。フ レネは作家 バル ビュス (Henri Barbusse)と 会見 し、「今はすべて下か らや つて くるのでなけれ ば な らない。」 とい うパル ビュスの言葉 に意 を強 くす る。 ここでの下

(bas)は

「下か ら の改革」を意味 したもの と思われ るが、普段教壇 に立つ フ レネにとつて、下は教壇の下 にいる子 どもたちの ことが 自然に連想 された。パル ピュス との会見の後 、フ レネは教師 の教壇 を取 り除 き、印刷機台 と して利用す る。教壇の撤去は教師が フ レネ教育法 を実践 す る契機 と しての象徴的行為であると宮 ヶ谷 は述べている15。 フ レネはパル ビュス との 会見以降′ヽル ビュスの行 う「クラルテ」運動 によ リー層積極的に参加 し論文 を多 く発表

m Freinet Elise:Naissanee d'une pedagogie:Francois Maspero,1969.(名 和道子訳『 フレネ教育の誕生』現

代書館、1985年 、41頁)。

:1宮 ヶ谷徳三『仕事の教育』明治図書出版、

12名和道子『 フレネ教育の誕生』現代書館、

13名和道子『 フレネ教育の誕生』現代書館、

14 Freinet Celestin:Le texte :ibre p5-6. :5宮 ヶ谷徳三『仕事の教育』明治図書出版、 1986年 、30頁 。 1985年 、33頁 。 1985年 、33頁 。 (宮ヶ谷徳三訳『仕事の教育』明治図書出版、1986年 、37頁)。 1986年 、39買 。

18

(21)

す る。

(6)フ

レネによる教科書批判 と「興味の複合」概念への経緯 (1925年)

1925年

、フ レネは教科書批判の論文 を発表する。批判 は次の

3点

である。第

1に

、教 科書 は大人の一方的思考にもとづいて作 られ、子 どもは 自分の生活や思考 とは全 く無関 係 な世界 に導かれ ることにな り、他者の思考 を思考す ることが求め られ るよ うになる点。 第

2に

、教科書は教師をも奴隷 に し、教科書通 りに画―的に伝授す る癖 を身につけて し まい、子 どもの理解 を気にか けな くなる点。第

3に

、大人の思考 を押 し付 ける ことによ り、子 ども自身の 自己表現 、自分の思考 を押 し殺 して しま う点。以上か ら、子 どもが 自 己を高めるのに必要 なものは、教科書 ではな く子 どもの側か ら表現 され るパ ロール、言 語活動、 自由な 自己表現である とす る16。 同年、フ レネは ドクロリーの「興味の中心」理論 にもとづ く「最新の教科書 (子ども たちの興味の中心 となるべ きテーマを季節 を追 つて配合 し、各 々を順次学習 してゆ くと い う一種の合科的学習法の教科書)」 を取 り上 げた論文 を発表す る。 ここでフ レネは、 「非常に移 ろいやす く、またわれわれの生徒の生活の よ うに地域 によ り様 々に異 なる生 活 を一体誰が分類 した り、一冊 の本の中に固定 した りできるのだ ろう17」 と言 う。本 当 の興味は実際の生活の中にあるのであつて、 ドク ロリーの「興味の中心」も、いかに進 んだ教育法 とはいえ、その興味 とは要するに「学校的インタ レス ト」に他な らないとし て、フ レネは ドクロリーの「興味の中心」に批判 を加 える。フ レネの教室 において、生 徒の興味によ り印刷 された内容の主題が「興味の中心」派の人々が唱 えている範囲 とほ ぼ一致 している点において、印刷機 だけが この「生活 (子供達の生 き生 き した 目や小 さ な頭 の中にあるもの)」 の実現 を可能に した と述べている18。

(7)G.E.L成

立の経緯 (1925年

-28年

) 同年夏、西欧教育視察団の一員 と して、フ レネは革命間 もないロシアを訪れ る。そ こ で ロシアの教育原理「コンプ レックス」を「 プロレタ リア文化の手法」と捉 えた フ レネ は、フランスに根付 くブル ジ ョワ教育学 (興味の中心

)に

プロレタ リアー トの教育手法

10 Freinet Ceiestin:Les manuels soolaires, 図書 出版 、1986年、41頁)。

:7 Freinet Celestin:Les manue!s sco!aires,

Clart6. n° 73. ler Avr. 1925.

C:art6, n° 73. ler Avr. 1925.

(宮ヶ谷徳三訳『 仕事の教育』明治

(宮ヶ谷徳三訳『 仕事の教育』明治

6oo:e.Clart6,n° 75.juin 1925.

図書出版、1986年 、42買)。

18 Freinet Celestin:Contre un enseignement livresque― l' lmprimerie a :' (前掲書、43買)。

(22)

を取 り入れ よ うと考 えるよ うになる19。

1927年

、フ レネに賛同す る者たちによ り、「学校 印刷機」運動の第

1回

会議がツール

で開かれ る。

1928年

にはパ リで第

2回

の学校 印刷機会議が開かれ 、非宗教教育共同組 合 (CoopOratine de l'Enseignement LaTc―

C.E.L)が

設立 され る。

(8)フ

レネによるサ ンポールでの取 り組み (1928年

-32年

)

1926年

にエ リーズ と結婚 したフ レネは、

1928年

2人

でサ ンポール・ ド “ヴアンス の小学校 に転任す る。サ ンポールは当時貧 しい農村地帯であ り、学校 に水 もな く、手 を 洗 うところもな く、便所は汲み取 られ ていないまま、長机は足がクラグラす るとい う状 態であった。フ レネは荒れた学校 を子 どもたちと修理す るところか ら始める。子 どもた ちは こうした手仕事 を喜んだが、汚 い言葉の応酬 、けんか、怪我は毎 日続 出す る。フ レ ネはそ うした不和 に対 し、力による制圧ではな く、自由な表現や共同の作業によつて相 互 理解 、連帯 を生み 出 させ る よ うな規律 の確立 に務 め る。その 中で「学校 協 同組 合 (Cooperative scOlaire)と い うプロフィの概念 をフ レネ流 に適応 した技術が考案 され てい く。

1930年

の機関紙「学校印刷機」において、フ レネは伝統的規律 を「強制 された 規律」 とし、「自由な規律」 と対比 させている。規律の「唯―の基準は、子 どもがお と な しく、従順で あ り、静かに しているか、とい うことではな く、彼 らが熱心 に、元気― 杯働 いているか、 とい う点にある。」 と述べている20。 フ レネは教科書 に変わ る、いつでも子 どもが利用でき、子 どもの個別化学習に役立て るよ う充分に柔軟 なものの製作 に取 り組む。C.E.Lの仲間は項 目別に本や雑誌の切 り抜 きを集め、

13.5X19cmの

カー ドに貼 り付 け、子 ども向けの注釈 をつけた もの を

500

枚用意す る。「共同的学習カー ド (Ficher scolaire cooporatif)」 と名付 け られた この カー ドは

1929年

に出版 され 、1932年には学習 カー ドを取 りま とめたバ ンフ レッ トコ レ クシ ョンである「学級文庫 (BibliothOque de travail― B.T。

)が

出版 され る。

(9)サ

ンポール事件への経緯 (1932年) 同年、新教育国際連盟第

6回

会議がニースで開催 され る。フ レネの この会議 に対す る 態度 は

1923年

に抱 いたもの と大 き くは変わ つていなか った。エ リーズは、モ ンテ ソー リの子供達が様 々な玩具や装置 の間 を黙々 と遊んでいる姿に不 自然なもの を感 じ取 り、

:O Freinet Ce!estin:Vers:'6oo:e du proletariat,C!arte n° 47.15 novttbre 1923.(宮 ヶ谷徳三訳『仕事の

教育』明治図書出版、1986年 、p10←106)、 坂本明美「セ レスタン・ フレネにおける「興味の複合Jの試み-1920年代

∼1950年 代 を中心に一J『フランス教育学会紀要』第 13号 、2∞1年 、22頁 。

"Freinet Celestin:Les manue:s sco!aires,C:art6,n° 73.ler Avr.1925.(宮ヶ谷徳三訳『仕事の教育』明治

(23)

「学者猿」 を想わせ ると表現 している四。ニース会議 において、フ レネは「サ ンポール 教育会議」を企画す る。サ ンポール教育会議への

100人

ほ どの参加者の中には、パ リの 初等教育視学官クジネや、 ドク ロリー教育法の推進者 デュボア、ベルギーのマヴ ェ夫妻 (J.et L.Mawet)、 ソ連のルウバキ ンな どが いた。 フ レネは この会議 をニース大会 に は欠 いていた新 しい民衆教育の理念 を打ち立てた意味で成功であった と評価 している。 しか しこの後、当時人 口が

1000人

にも満たない保守的な農村 に革命間 もないロシア人 が来ていた とい うことで、「 フ レネは ロシアのスパ イ・・ ・」 とい うささや きが起 こ り 始める。また、1932年春、機関紙「学校 印刷機」は「プロレタ リア教育者」と名前 を変 える。 プロレタ リア とい う語 に攻撃性 を感 じる人々か ら反発が醸成 され始める22。

(10)サ

ンポール事件 (1932年…

33年

) 1932年 12月 、町にフ レネの中傷 ビラが貼 りだ され る。それは、無料で設備 を して く れ な い町長 を殺 しフ レネが町長 になる とい う夢 を見た とい う作文 を用 いて授業 をす る ことを非難する内容である。また「アクシ ョン ロフランセーズ」という右翼紙 にフ レネ を中傷する記事が出たの をきつか けに、右翼派 と左翼派 でフ レネ非難

/擁

護の新聞論争 が続 く。議論は左右のイデオ ロギー対立の構 図の中で フランス全上に広が つていった。 サ ンポールでは町長は公然 とフ レネを非難 し、地主や金持ち達 は小作人たちに子 どもを 登校 させぬよ う圧 力をか けた。1933年、復活祭の休み 明けに登校 したのは

40人

14人

だけであつた。 この 日、学校再開 を阻 も うとす るフ レネ反対派の組織 したデモ隊が学校 に押 しか け、 フ レネ を支持す る親たちが学校の問を固める中で、窓 ガラスを破 つて乱入、発砲す る騒 ぎが起 きる。フ レネは視学官の勧めによ り

3ヶ

月の体職 をす る器。 この事件は当時の ヨー ロッパの歴史的 コンテキス トの中で考 えなければな らない。第 一次世界大戦後、ロシア革命影響下の フランスには フランス共産党が設立 され、1924年 の選挙で左翼連合が勝利 し、急進社会党のエ リオ内閣が成立す る。一方 ドイツでは 1932 年にナチスが第一党 とな り、翌年 ヒッ トラーが首相 になる。この頃か らフランスの右翼 の活動 も活発にな り、

1934年

にはパ リで右翼の暴動事件が起 きる。

1936年

には人民戦 線が選挙で勝利 しブルム内閣が成立す る。こうした激動の左右の対立の中でサ ンポール

創Freinet Celestin:Les manue:s sco:aires,C:arte,n° 73.ler Avr.1925.(宮ヶ谷徳三訳『仕事の教育』明治図

書出版、1986年 、55頁)。

2 Freinet Celestin:Les nlanueis sco:aires,C:arte,n° 73.ler Avr.1925.(宮 ヶ谷徳三訳『仕事の教育』明治

図書出版、1986年 、58頁)。

"Freinet E:ise:Naissanee d'une pedagogie:Francois‖ aspero,1969.(名 和道子訳『 フレネ教育の誕生』現 代書館、1985年 、192-214頁)。

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