運動指導における運動感覚の言語表現と動感共鳴 : 陸上競技のクラウチングスタートについて
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(2) 北海道教育大学紀要(教育科学編)第60巻 第1号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(Education)Vol.60,No.1. 平成21年8月 August,2009. 運動指導における運動感覚の言語表現と動感共鳴 一陸上競技のクラウチングスタートについて−. 戸倉 広晶・佐藤 徹* 北海道教育大学札幌・岩見沢枚 保健体育研究室 *北海道教育大学岩見沢枚 スポーツ教育課程. VerbalExpressionofMovementSensationand KinestheticResonanceinMovementCoaching. −On the CrouchStartofTrack andField− TOKURAHiroakiandSATOToru* DepartmentofPhysicalEducation,SapporoandIwamizawaCampus,HokkaidoUniversityofEducation. *DepartmentofSportEducation,IwamizawaCampus,HokkaidoUniversityofEducatioIl. 概 要 スポーツにおける運動学習では,表現された言葉に対して抱く動きのイメージ(運動表象)が個人によっ て異なることが原因となって,動作の改善が困難になる場合がある。そこで,北海道教育大学陸上部の部員 24名を対象に,クラウチングスタートの動作分析,および運動感覚のインタビュー調査を行い,指導者と学 習者が共通のイメージをもつことができるためには何が必要かという問題について考察した。言語活動や運 動は,場面や状況に応じた一回性を持つ出来事である。そのため「言語表現=共通の理解. 」という単純な図. 式は成り立たない。指導者に必要なことは,学習者の「動感」に共鳴できる能力を備えることである。. Ⅰ.緒 言 指導者が教えるべき動き方いわゆる動きのコツ. というものは,「このような感じ」という具体的. は少なくない。その原因の一つとして考えられる のは,表現された言葉に対して抱く動きのイメー ジ(運動表象)が個人によって異なることである。. 筆者もかつてクラウチングスタート(以後ス. に表象(イメージ)できる言葉で選手に伝えられ. タート)について,「蹴るのではなく押す」とい. なければならない。. う指導を受けたが,指導者の言う「押す」という. しかし,指導者がどれほど動き方を表す言葉を 駆使しても,求める動きを習得できずにいる選手. 感覚がわからなかったため,動作を改善すること はできなかった。スタートの指導において,「押す」. 203.
(3) 戸倉 広晶・佐藤. 徹. あるいは「蹴る」という言葉は頻繁に使用されて. 体が意味され」,く知〉 は「単なる知識ではなく,. おり,同様の経験を持つ選手は珍しくない。これ. 新しい出来事に対して適切に判断し解決できる身. らの経験から,言葉の持つイメージによるズレが. 体の知恵」4 ̄p・2)が意味されている。そのような生. 発生することのない指導方法が必要だと考えられ. 命的身体のもつ運動能力を く身体知〉 ないし く動. る。. 感身体知〉 と呼び,動ける感じをとらえる能力と. そこで本研究では,スタート時の指導に多く使 われている「押す」「蹴る」という言葉に着目し,. 理解できる。. 金子は運動指導の前碇として,学習者にとって. 選手の運動の外的経過,および選手が抱いている. はく創発身体知〉,指導者にとってはく促発身体知〉. 運動感覚としての運動イメージの異同あるいは多. が内在していることを条件としている。. 様性を探り,さらに,選手の運動感覚を調査する. 創発身体知とは,「自らの動感運動を形成する. ことで,今後の指導方法開発に役立つ情報を収集. 選手自身の身体能力」であり,促発身体知は「生. することを目的とした。. 徒や選手の創発志向体験を触発してその動感形態 の発生を促すことができる指導者自身の身体能 力」6 ̄p・50)と説明されてい. Ⅱ.「動感共鳴」について 1)物体の運動と人間の運動(動感運動)の区別. まず,ここで取り上げる「運動」という概念を 明確にしたい。 金子が提唱している「発生論的運動分析」3 ̄p・452). において「動感」という言葉は重要な概念である。. る。指導者は自らの創. 発身体知を分析し,自分がどのように動感運動を 発生させたかがわからなければ,他人に教えるこ とはできない。「名選手,名コーチならず」とい う言葉はこのことを表している。 3)動感共鳴. 前述したように,この研究で取り上げる運動は. 動感とは現象学の祖フッサールがギリシャ語の運. 動感運動を意味する。したがって,運動指導は学. 動(kinesis)と感覚(aesthesis)を合成しドイ. 習者の動いているときの感覚を直接指導するもの. ツ語にした「キネステーゼ(Kinasthese)」8p・89). であり,合理的に学習者の運動獲得を目指すマネ. が意味されている。キネステーゼは日本語では「運. ジメント的な指導とは区別される。. 動感覚」と訳されるが,心理学や生理学的な運動. 「そのように動きたいのに動けない」「今の動. 感覚と現象学的な運動感覚を区別するために「動. き方よりももっとうまく動きたい」といった動き. 感」という言葉が用いられている。. への関心が出てくると学習者は自分の動く感じを. さらに金子は,「運動とは,生き生きと運動す. 知ろうと努力する。この努力が前述した運動学習. る私の生身にありありと感じられる く身体性〉 を. の前碇条件の創発の領域である。それに対して指. 含意した運動なのであり,約言すれば,有体的な. 導者は,学習者の感覚に潜入するように観察分析. 動感運動が意味され」,く動感〉 とは,「私の身体. し,運動の形態発生を促す指導を行わなければな. 性のなかに息づいているく動いている感じ〉」4 ̄p・24). らない。. と述べている。. この研究での「運動」とは,この動感運動が意. その際,指導者は学習者に「共感」9 ̄p・129) がら指導することが必要で,両者のあいだで,相. 味され,物理学的な位置移動の運動からは裁然と. 互に運動感覚が理解し合える状態になっていなけ. 区別されるものである。. れば効果的な指導とはならない。このような状態. 2)前提条件としての創発・促発身体知. を金子は動感共鳴と呼んで,一方的に自分の「コツ」. 「動感」と同じく,発生論的運動分析の重要概. を押しつけるような指導を戒めている。金子は「本. 念に「身体知」がある。ここで言う 〈身体〉は「今. 来的に固有な動感身体をもつ伝え手と受け手が,. ここに息づいて動きつつ感じ,感じつつ動ける身. お互いに二声の共鳴化を生み出す努力がなけれ. 204. しな.
(4) 運動指導における運動感覚の言語表現と動感共鳴. ば,動感運動の指導はできるはずもない」5 ̄pp・197). ビデオ撮影し動きの分析資料とした。後日,個別. と述べている。. にスタート時の感覚についてインタビュー調査を 行った。. Ⅱ.研究方法 Ⅳ.結果と考察. 1.調査対象者について 調査対象者は,北海道教育大学岩見沢校陸上競. 1.動感共鳴不成立の指導. 運動指導を行う際,動感共鳴が成り立たない原. 技部に所属する筆者を含む短距離選手,男子15名,. 因をはっきりさせるために,緒言に記した筆者の. 女子9名の計24名である。 この24名の中には,スタートを得意とする者,. 動感共鳴不成立の体験を取り上げることにする。. 筆者が改善するように指導された動きは,誰か. 逆に苦手とする者,中には北海道規模の大会で. 100m走上位に入賞する選手,ハードルや400m. らも注意されるような目立った外的欠点であっ. の選手が含まれており,種目・実力にはかなりの. た。欠点がわかりやすいように,熟練者の動きと. ばらつきがある。そのため,スタートの良し悪し. 比較しながら考察を進めたい。. の判断は,Sven14rp・41)のクラウチングスタート. 1)筆者の外的経過の欠点. に必要とされる技術をまとめたものを参考にした。. 筆者のスタートには,陸上競技の指導者であれ ば,誰が見てもすぐに指摘できる欠点があった。. 2.研究資料 クラウチングスタートをスタートライン横から. 図1は筆者のスタート 図2は熟練者のスタート を図にしたものである。. 図1 筆者のスタート. 図2 熟練者のスタート. 205.
(5) 戸倉 広晶・佐藤. 徹. 筆者の特徴的な欠点は,図1の8∼11,11∼14 に見られるような両脚を上に巻き上げるような動 作(図3)である。. 運べ. 熟練者. 図5 動作中の姿勢. ブロックから足が離れた直後の筆者と熟練者の. 図を比較すると,筆者(図6左)は足がブロック 上にあり,熟練者(図6右)に比べて前に進んで いないことがわかる。 図3 筆者の重ね図(図1,11∼14). 熟練者(図4)と比べると,前に振り出す脚も 後ろに残っている脚も,巻き上げるような動作を しながら前に振り出されていることがわかる。 Svenの研究では,構えている時に後ろにある脚は 「水平に引き出す」「踵を背部に引きつけない」14 ̄p・41). としている。中村は「最悪なのは,かかとがすぐ にお尻の方に巻き付いて遠回りすること」. 11 ̄P・182). 図6 足がブロックから離れた直後. と述べており,筆者のスタートはこれに当てはま る。. 2)運動感覚と運動の外的経過印象の相違. 上記の筆者の欠点は,今まで何度も指摘された にもかかわらず改善されることはなかった。欠点 改善のためになされた指導は「∼のように動いて いる,だから…に直しなさい」という選手の動き の欠点を指摘して目標とする動きの説明をする一 般的なものであった。この指導は「蹴るのではな く押す」という指示にまとめられた。. 上記のような欠点を指摘して,目標とする運動 像を説明する指導で動きが改善されれば理想的で ある。中にはそれだけで運動が改善される選手も 図4 熟練者の重ね図(図2,10∼13). いるだろう。だが,筆者のように運動が改善され ない選手がいることは事実である。. ブロックに力を加えている局面における筆者 (図5左)と熟練者(図5右)を見くらべても,. 指導を受けたとき,実際には図3のように脚を 巻き上げる動きをしているが,筆者の意識ではま. 筆者は弱々しい感じを受けるが,熟練者はブロッ. さに熟練者のように,素早く脚を前方へ水平に引. クに力を強く加えられる姿勢といえる。. き出すような動き(図4)を目標像として行って. 206.
(6) 運動指導における運動感覚の言語表現と動感共鳴. いたのである。指導者から言われる「蹴るのでは. 色」と説明すれば自分が欲しい色を伝えられるだ. なく押す」という動作は,筆者がそのとき行おう. ろう。. と思っている動作そのものであった。. このような,目立った外的欠点を指摘するだけ. 尼ケ崎は「実例(見本)にせよ,言葉で『例え』. を挙げるにせよ,く事例〉 は普通の言葉では曖昧. の指導は,ある程度の経験がある指導者であれば. にしか指定できないものをより正確に限定できる。. それほど難しいことではない。しかし,筆者のよ. こうして私たちが,概念としてではなくイメージ. うに長い間どうしてもそのように「動きたくても. としてつかんでいる認識内容を共有化しようとす. 動けない」と苦しんできた者にとって,欠点を指. るとき,『例え』は有効な手段となるのである」1 ̄p・17). 摘するだけの指導者は,わかりきっていることを. と述べている。. 言ってくる,影響力が何もない傍観者とそう変わ. 運動指導においても,指導者が伝ようとする動. らないものである。このような指導では,指導者. きのイメージは,言葉で表すことが難しい感覚的. への信頼を失わせていくことになる。. なものである。そのイメージを学習者に正確に伝. 前述した筆者の例のように,学習者が自分の動. えるためには,「例え」を用いて相手の理解を促. きに対して持っている運動イメージと外的運動経. す努力が必要である。. 過が大きく違っていることは多い。それに気がっ. 1)スタート時の「押す」「蹴る」. かない原因は,指導者が運動の外的経過から受け. 同じ場所で,同一の話題について言語表現する. た印象を筆者の運動感覚とすり合わせることな. とき,人は同じ言葉であれば,つねに共通したイ. く,指導が指導者から筆者へ一方的で動感共鳴が. メージを持つというわけではない。. 成立していないことにある。. 長い間,改善できずに動きの癖として自動化し. 陸上競技のスタートや走り方の指導には,よく 「押す」「蹴る」という言葉が使われ,筆者も過去. てしまった筆者のスタートを直すのは容易なこと. に「蹴るのではなく押す」という指導を受けたこ. ではなく,指導してすぐに直るというものではな. とはすでに述べたとおりである。その際,筆者は. いだろう。しかし,この指導者が,筆者の運動感. 押しているつもりなのだが,それでも指導者から. 覚を聞き出しそれに応えるように指導を工夫して. は「押せ」という指示をくり返し受けた。. いれば,筆者は指導者を信頼し,改善に取り組み 続けることができたのではないだろうか∩. その経験から,筆者は「押す」という同じ言葉 でも人によってはイメージが異なることがあるの ではないかと考え,今回のインタビュー調査を. 2.言語とイメーシ. 運動を指導する際に,不可欠なものが言葉であ る。私たちは言葉でものを考え,言葉でものを説. 明する。運動の模範を見せるときでも何らかの補. 行った。. 調査対象者に,クラウチングスタートの飛び出 す瞬間のブロックに力を加えるイメージを「押す」 「蹴る」,あるいはそれ以外の言葉で表現しても. 足説明を加える。では,運動指導の場面であれ,. らい,それぞれのイメージにどのような違いがあ. 日常生活であれ,他人に何かを伝えようとすると. るかを調査した。. き,どのように説明すれば理解してもらえるだろ うか。. 例えば,黄色という色を言葉で説明することは. その結果,予想していたことではあるが,スター ト時は個人で「押す」「蹴る」「押す,蹴る以外」 とイメージに違いがあることがはっきりした。. 容易ではない。多様な色調の中から自分が考えて. スタート時の「押す」と「蹴る」イメージの違. いる黄色のイメージを正確に伝えるには見本を碇. いについてまとめると次のようなグループに分か. 示するしか方法はない。見本がなければ,相手が. れた。. 知っている同色の例をだして「レモンのような黄. 207.
(7) 戸倉 広晶・佐藤. 徹. ① 方向感覚的イメージ(図7). ③ 力の強弱イメージ(図9). 二つの言葉を方向感覚的に捉えて,「押す」と. このグループは,「蹴る」は「押す」に比べて. いうのは直線的にブロックに力を加えるイメージ. 弱いというようなイメージをもっている。このイ. で,「蹴る」というのは曲線的に力を加えるイメー. メージは,時間感覚的イメージに対応することが. ジだというグループである。筆者もスタート時に. 多い。「押す」のは少し時間が長いが力は出る。. 限っては,このようなイメージで. それに比べて「蹴る」は,力は押すよりも弱いが. 「押す」と「蹴. る」を区別していた。方向感覚的にイメージをし. 力を発揮する時間が短いというようなイメージに. ている選手にとっては,スタートでは「押す」イ. なる。そうなったときはスタートは「押す」とい. メージだけが存在した。. うイメージで行われていた。. 図7 方向感覚的イメージ. 図9 力の強弱イメージ. ② 時間感覚的イメージ(図8). ④ その他. 方向感覚とは違って,時間の長短でイメージを. もちろん,スタートは「押す」「蹴る」という. 区別するグループである。「押す」ほうが力を加. 言葉だけで表現されない場合がある。「押す」「蹴. える時間が長く,「蹴る」はそれに比べて短い。. る」とは異なる感覚の表現としては,「踏み込む」. このイメージを持っている選手はスタートを「蹴 る」というイメージで行っていた。. 「踏ん張る」「バネをためて発射」「両脚で飛ぶイ メージ」等があり,さらに「ふんっ」「ガン」と言っ た擬音があった。 スポーツを行っている選手同士で動きの感覚に. ついて話すとき,擬音を使ってイメージを表現す. ㌶罰. ることは多い。それは,客観的に聞くと意味のわ. からない謎めいた表現であるかもしれない。しか し,同じスポーツを行う者同士が,他人には謎と. 思えるような擬音に対して共感することはよくあ ることである。金子は「動感情報を効果的に交換 できるために,文字言語や音声言語の他に,. には言語と言えないようなシンボルないしメタ ファー表現や身振りあるいは擬声語さえも動感言 図8 時間感覚的イメージ. 208. 語として交信手段に取り上げる」5 ̄p・194)と述べ. 厳密.
(8) 運動指導における運動感覚の言語表現と動感共鳴. て,動感言語を介して指導者と学習者が交信する. に学習者の感覚世界への潜入を妨げることになる. のでなければ,そこに運動発生を促す営みは成立. からである。修正場面において,指導者の関心事. しないことを説明している。. は,学習者がその運動のなかで何を知覚し,何を. 現在,大学陸上競技界で活躍する福島大学の指. しようとしたかという内実そのものである。学習. 導にも擬音語が取り入れられていることが,川本. 者の言表をこれほど慎重に扱わざるをえないの. 監督の著『2時間で足が速くなる!』から読み取. は,言語の意味が個人の知識経験の量によって異. ることができる。. なってくるからである」2 ̄p・142)と述べている。. 尼ケ崎は,私たちは言葉の意味に対して二つの. 川本は,日本のトップアスリートたちも「ボン」 「スーツ」「ガツーン」といった擬態語を持って. 立場をとっているとして,「一つは,言葉の意味. いるとし,その中身は選手によって異なり,本人. は言語体系という制度の一部として決定済であ. とコーチにしかわからないという。監督と選手で. り,個人が勝手に動かすことのできぬルールであ. 「今のはガツーンじゃなくて,カツーンじゃなかっ. り,原則的に一定不変のものとして扱うことがで. たのか」「そうですね,いまいちでした」などと. きるとする言語制度説である。もう一つは,言葉. 会話し,二人だけの「ボン」「スーツ」「ガツー. ン」. の意味は使用のつど主体が与えるものであるとす. を育てることが必要だと述べ,「指導するときに. る言語過程説である」1 ̄pp・94)と述べている。前者. 最も大切なのは,『この子はどのように感じてい. は,語の意味は定義可能であり,定義的意味こそ. るんだろう』と,選手の立場で考える」7 ̄p・170)こ. が語の本来の意味としている。後者では,語の意. とだとしている。. 味とは実際の使用においてそのつど意味を与え直. 2)状況と言葉の意味. されるものであり,どちらの態度も捨てるわけに. 今回,「押す」や「蹴る」というイメージは, スタートという場面でのイメージを調査した。. そもそも,私たちは「押す」という言葉の明確 な定義を理解して使っているだろうか。「押す」 を『大辞泉』10)では. 「動かそうとして上や横から. はいかないのだという。 今回の調査で得られたイメージというものは,. 調査対象者(主体)が,スタートのイメージ(素 材)を想起して筆者に伝えるという活動(場面) の中で意味が与えられたものである。前述した「言. 力を加える」と定義している。「蹴る」といえば. 語過程説」として捉えると,筆者と調査対象者の. 足を前に動かしてボールを蹴るような動作をイ. 言語活動は,状況に応じてそのつど経験し直され. メージする人が多いのではないだろうか。この辞. る一回的な出来事である。. 書では,「足で勢いよく突く。また,足にはずみ. 指導者が,言葉と状況との関わりとしての意味. をつけるようにして突いて飛ばす」「足で地面な. をまったく考慮せずに運動指導を行うと,学習者. どを強く押す」と説明されている。「蹴る」の後. との運動イメージにズレが生じやすくなってしま. 者の定義であれば,スタートに適した言葉である。. う。. しかし,筆者は普段の会話においては,厳密な定. 例えば,「押す」という言葉を図7のように直. 義まで考えて「押す」「蹴る」というような言葉. 線方向でイメージしている指導者が,図8,9の. を使ってはいない。. ように時間感覚,強弱的に「押す」イメージをし. 運動修正の言語認識において金子は,「指導者. ている学習者に,単にもっと「押せ」と言っても. は,学習者の感覚世界に潜入し,それに合う言語. 指導者が狙っている指導効果は得られない。. を捜す必要に迫られる。当然,学習者の感覚を引. 3)指導における動感共鳴の必要性. き出すためには,名辞と概念が対応するという一. 言語活動が,状況に応じた主体の思想の現れで. 般的理解をいっさいとりはらわなければならな. あり一回的なH来事であるならば,なぜ私たちは. い。というのは,言語の概念理解だけでは,とき. それを恒常的な意味として理解できるのだろう. 209.
(9) 戸倉 広晶・佐藤. 徹. 運動感覚を理解し,指導していくことができなく. か。 尼ケ崎は,日本語の「学ぶ」が「まねぶ」,即. なってしまうからである。. ち真似るから来ていることに注目し,「模倣」と「な ぞり」の二つを区別している。. 3.スタートの動きの新しい「見え」方. 彼は,「模倣とは同じものを作ろうとする操作. 尼ケ崎によれば,「見え」とは,「ある構えをもっ. 活動だが,『なぞり』とは自ら同じものに成ろう. た主体がそのとき対象から汲み出した意味,ある. とする反復活動」1 ̄p・184)であると述べている。例. いは対象に与えた意味にほかならない。」. えば,踊りの稽古で,入門者がわけもわからず師. 1 ̄p・95). たとえば,「駅伝の映画」を見た場合,陸上競. 匠の動きを真似しているのは「模倣」であり,稽. 技の経験のない人にとっては感動的な良い作品. 古の末,その動きを自ら主体的に産み出すことが. だったとしても,陸上競技選手が見ると,俳優の. できれば「なぞり」が成功しているといえる。. 走る姿が素人そのものなので感情移入できずに終. さらに,「『なぞり』とは,自身が何者かに成る. わってしまったということがありうる。前者は純. ための手段であるとしても,これに二つの段階が. 粋にストーリーを楽しめているが,後者は俳優が. 区別されるわけである。第一は,手本である人の. 陸上競技に関わりのない人間であることが分かっ. 身になるという理解。第二は,手本と同じ心身を. てしまいストーリーを楽しむことができなくな. 身につけるという成就(陶冶)」1 ̄p・187)であると. る。. 説明している。. このように,同じ物,あるいはできごとを見た. 第一段階の「他者の身になる」という理解のし. としても,それが誰にも同じように見えているわ. かたに注目すれば,「なぞり」はコミュニケーショ. けではない。それを「誰もが同じように見えてい. ンにも非常に役立つ行為と考えられる。言語活動. る」と思っていることをフッサールは「自然的態. が一回的な出来事とすると,聞き手もその意味を. 度」と名付け,それを「エポケー(判断中止)」15 ̄p・50). そのつど自分の身体によって経験しなおさなけれ. しなければ,物事の本質がみえるようにはならな. ばならないものである。つまり聞き手が話し手の. いとしている。. 言葉を理解するとは,自分の心身によって相手の. スタートにおいては,指導者が全員同じ視点で. 心身をなぞることに成功することにほかならな. 運動経過を見ているわけではない。それぞれが重. い。「それは『相手の言葉を理解する』というより,. 要だと考えることは異なることがあり,各自の視. 端的に『相手を理解する』こと」. 点で学習者の運動観察を行っているのである。. 1 ̄p・191)だと尼ケ. 崎は述べている。 これらのことは運動指導の場面と対応させて考. 1)他選手の感覚に基づく共感的運動観察 今回,筆者を除く調査対象者23名からスタート. えることができる。運動は今ここでそのつどの「一. の運動感覚を聞き出した。そこで得られた選手の. 回性」から構成されている。運動指導においては,. 運動感覚に関する言表の意味を解釈しながらス. 指導者が学習者の感覚を「なぞり」ながら動きを. タートの運動経過を見ることで,新しい見え方が. 観察しなければならない。指導のための言葉も定. できるのではないかと考え,ビデオ映像から運動. 義的に捉えるのではなく,そのつどの状況に応じ. 観察を行った。. た「一回的」な理解をする必要がある。. 発生論的運動分析においては,指導者と学習者 が,お互いの動感身体に共鳴していく能力,「動. 感共鳴」が運動指導において重要とされている。. インタビューにおいて,選手数名から「腰を入 れる」という,今までの筆者には抱いたことのな いイメージを聞くことができた。. その選手たちは,「腰を入れる」という動作は. それは,お互いに共鳴するような相互関係が成り. 「(ブロックを)蹴ると同時に腰を地面に押しつ. 立たなければ,動き方を変えようとする学習者の. けるように斜め下に出す」,「上体をバンって起こ. 210.
(10) 運動指導における運動感覚の言語表現と動感共鳴. すのではなく入れる」などと説明し,それを筆者 は図10のようなイメージであると考えた。. 図14 筆者の腰の軌跡. 図10 腰を入れるイメージ. このイメージを参考にスタートを行っている選. 図15 B選手の腰の軌跡. 手の運動経過を観察すると,よい動きと思われる 選手に共通して,腰の位置が下がりながら前方へ 移動していることが分かった(構えが低い場合は, 腰が下がらず真っ直ぐ移動する選手もいた)。. とくにA選手は,腰が大きく下がりながら前方 へ移動していることが分かる(図11)。. スタートを得意とする熟練者とA選手,スター トを苦手とする筆者とB選手,これら4名の腰の 軌跡を比較すると,熟練者とA選手の腰の動き(図 12,図13)は下がりながら前方に移動している。. 筆者は構えの姿勢から腰の高さが変わらず,比 較的高い位匿で水平に移動している。(図14). B選手は腰が上下に動きながら移動している (図15)。 2)スタートイメージに関する選手の言表内容 熟練者は,後ろ脚を水平に後ろに押し,前脚は. 意識していない。飛び出しは腰を水平に前に移動 するイメージで行っている(図16)。. 図‖ A選手のスタート重ね図. 図16 熟練者のスタートイメージ. A選手は,方向は気にせず一気に両脚でブロッ クを押す。飛び出しは頭から斜め上に50度くらい 図12 熟練者の腰の軌跡. 図13 A選手の腰の軌跡. のイメージで行っている(図17)。. 図17 A選手のスタートイメージ. 211.
(11) 戸倉 広晶・佐藤. 徹. 筆者は,前後に脚を開くように前脚のみでブ. それと同じように,運動の中には「暗黙知」12). ロックに力を加え,頭から真っ直ぐ飛び出すよう. として,意識されず潜在的に行われている動作が. にイメージしている(図18)。. 数多く存在する。指導者はこの潜在的な身体知も 明らかにし,指導の材料にしなければならない。 フッサールはこれを「志向分析」という言葉で表 し,それを「意識の顕在性のうちに含まれている 潜在性を露呈すること」5 ̄p・136)と述べている。. 図18 筆者のスタートイメージ. Ⅴ.結 論 B選手は,前脚のみでブロックに対して垂直に. 筆者の陸上競技歴は11年であるが,その間ス. 押し,頭から斜め上に飛び出すイメージで行って. タート技術が改善されることはなかった。スター. いる(凶19)。. ト技術について修正指導される機会が少なかった. ために,いつの間にか癖として身体に染みついた 欠点のある動きは上達しない原因となり筆者を苦 しめた。. ′吊 図19 B選手のスタートイメージ. 現在,筆者のこのスタートは,まだ十分とは言. えないながらも改善されつつある。改善のきっか けとなったのはこの研究を始め,チームメイトと 動感に関する会話が増えたことである。. 3)運動感覚の潜在性. 運動の外的経過として,前述したように腰の軌 跡を見ると熟練者とA選手には類似した動作が見 られた。しかし,熟練者もA選手も「腰を入れる」 というイメージは持っていなかった。 「腰を入れる」イメージを持っていると答えた. しかし,単純に他人の動きのコツを聞いたから といって,誰でも動作が改善されるということは ない。 それは,運動の熟練した者が,必ずしも指導に. 役立つ運動感覚意識をもっているわけではないの で,「ある運動がうまくできるようになった者た. 選手でも全員が同じ動きをするということはな. ちに動きのコツを尋ね,共通した点を一般妥当的. く,イメージが必ずしも外的経過に現れるとは限. なコツとして引き出そうとしても,初心者の指導. らない。逆に,熟練者とA選手のように,意識し. に役立つ内容が出てくるとは限らない」13 ̄p・26)か. ていないことが外的経過として現れることもあ. らである。. る。. ここで述べた運動のイメージは,インタビュー から分かった選手の運動感覚の一部である。運動. したがって,運動指導においては,学習者が動. 感として共鳴できるような言葉あるいはイメージ を探していく指導者の努力が求められる。. 感覚は選手本人ですら,すべてを把握しているわ けではない。 参考文献. 例えば,「歩く」という運動は,ほとんどの人. にとって自在化された運動である。携帯でメール. 1)尼ケ崎彬(1990) ことばと身体,頚草書店.. を打ちながらでも,友人と会話しながらでも何も. 2)金子明友・朝岡正雄(1990) 運動学講義,大修館. 意識せずに歩くことができる。どうやって歩いて いるかを説明するほうが難しいだろう。. 212. 書店.. 3)金子明友(2002) わざの伝承,明和出版.p.452..
(12) 運動指導における運動感覚の言語表現と動感共鳴 4)金子明友(2005) 身体知の形成(上),明和出版. 5)金子明友(2005) 身体知の形成(下),明和出版. 6)金子明友(2007) 身体知の構造,明和出版.. 7)川本和久(2008) 2時間で足が速くなる!,ダイ ヤモンド社.p.169−170.. 8)木田元他編(1994) 現象学事典,弘文堂.p.89. 9)マイネル:金子訳(1981) スポーツ運動学,大修 館書店.p.129. 10)松村明(1998) 大辞泉,小学館. 11)中村宏之(2008) 中村監督と福島千里が女子100mll 秒36日本タイ記録を解説,陸上競技マガジン7月号. ベースボールマガジン社.p.182. 12)ポラニー:佐藤・伊東訳(1980) 暗黙知の次元, 紀伊国屋書店.. 13)佐藤徹(2007) 指導者の運動感覚意識覚醒の意義 と方法−アンダーハンドパスの指導事例に基づいて−, スポーツ運動学研究20.p.24.. 14)Sven・Michel(2001) DerStartist(fast)alles, 訳者不明(2002) 陸上競技研究第50号No3 p.39−42. 『スタートが(ほとんど)すべて』,(社)日本学生陸 上競技連合. 15)谷徹(2002) これが現象学だ,講談社現代新書. p.50.. (戸倉 広晶 札幌・岩見沢校大学院生) (佐藤 徹 岩見沢校教授). 213.
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