─研究論文─
タイの中等教育後期課程卒業生へのインタビューから見るタイ・日文化認識
─日本の精神文化に対する認識とその背景─
内田 陽子 要 旨 本研究は、タイ中等教育後期課程の学習者が日本語学習を経て、日本およびタイ文化に 対してどのような認識を抱いているのかを調査し、日本語学習体験が与える影響を考察し たものである。本稿では「行動様式や価値観と考えられているもの」を精神文化とし、そ の認識内容と認識形成の背景を示す。 調査は、日本語専攻コースの卒業生 20 名に日本およびタイ文化認識を問う質問紙調査 とインタビューを実施した。分析の結果、卒業生は「時間を守る」、「秩序・規律正しい」 といった日本人・日本社会イメージが強く、タイと対比して認識していた。また、これら を自分やタイ社会に取り入れたいという志向も見られた。認識の背景には、メディアの影 響、日本人との接触、教師の教示、教材の中の日本があり、中等教育機関での日本語学習 体験はメディアで生成された認識を具体化、再確認するにとどまっていた。その理由とし ては、自分の認識に合う情報を無意識に選択していること、日本語教育の場でメディアか ら生成した日本人・日本社会イメージを検証する機会が少ないことが考えられる。 【キーワード】 タイ中等教育機関 日本語学習体験 文化認識 精神文化 メディア 1.はじめに 国際交流基金の 2012 年海外日本語教育機関調査によると、海外の日本語学習者のうち 中等教育機関の学習者が占める割合は50%を超えており、海外中等教育機関における日本 語教育の重要性は高い。稿者は2007年4月から2010年4月まで北部タイ中等教育機関の 日本語教育支援に携わる機会があり、日本語を学ぶ高校生に数多く出会った。しかし、卒 業後日本語を使わなくなる学生も多く、高校時代の3年間という貴重な時間を日本語学習 に割く、その意義は何なのだろうかと常々感じていた。 矢部(2001)は、海外の初等・中等教育での日本語教育には、大学・成人を対象とした ものや日本国内におけるものとは異なる側面があると述べ、その側面として以下を挙げて いる。(p.16) ① 言語そのものの習得以上に、「人間教育」として、異なる文化を捉え、受けとめ、対 応する能力の育成が重視されていること ② 日本語(外国語)の授業の場が、普段の生活の中で直接にふれにくい「異文化」に意 識的に接触させ体験させる使命をもち、そのための手続きが必要とされること 矢部(2001)の述べる日本語教育の側面は、タイ教育省『タイ仏歴2544(2001)年基礎教育カリキュラム』(以下、基礎教育カリキュラム)1)の「内容2 言語と文化」に相当すると 考える。「内容2 言語と文化」には2つの学習水準2)が挙げられている。 2.1:言語とその言語の話し手の文化の間の関係を理解し、時と場合に応じて活用できる。 2.2:言語及びその話し手の文化とタイ語・タイ文化の間の類似性と相違性を理解し、理性 的に活用する。 上記の学習水準を日本語教育に置き換えると、本学習水準では、日本語と日本文化との 関係の理解と活用、日本とタイとの類似性と相違性の理解と活用を目指していることにな るが、実際はどうであろうか。その検証は重要であると考える。 そこで、本研究は中等教育機関後期課程日本語専攻コースを卒業した日本語学習経験 者3)を対象とし、日本及びタイ文化に対する認識、およびその認識を形成した背景を調査 し、そこから中等教育機関での日本語学習体験が与える影響を考察することを目的とする。 2.先行研究 2.1 文化とは 文化は研究者の研究目的により、様々に定義されている。文化は固定的で本質なもので あり、客観的に把握される事実であるという見方は批判され、多用な価値を内包した雑種 的なものであるように変わってきた。また、客観的世界への実在性への信念に疑問が呈さ れ、文化は言説的に構築されたものであるという構築主義的な考え方が台頭してきた(久 保田, 2008;箕浦, 2003)。本研究は、箕浦(1990, 2003)に沿い、日本文化を「学習者の外 にある言語以外の日本や日本人に関する意味体系」(外にあるもの)として考え、学習体験 前後を通じて何がどのように学習者の中に取り込まれたかを探ることとする。 2.2 日本語学習者の文化認識調査 日本語学習者の文化認識調査には、呉(2008)の日本人イメージ調査、張(2013)の異文 化態度調査などが挙げられるが、これらは大学生日本語学習者を対象としたものである。 海外の年少者日本語教育における文化の取り扱いに焦点をあてた調査には、李(2003)、 鈴木(2003)があり、李(2003)は教師が「何」を文化として扱うか、鈴木(2003)は教師が「な ぜ」「どのように」文化を扱うかを調査しているが、教師の調査でとどまっている。中等 教育機関学習者の認識を調査することで、中等教育機関での日本語学習体験が与える影響 1) タイの初等・中等教育機関の日本語教育内容は、タイ教育省が出した2001年『タイ仏歴2544(2001)年 基礎教育カリキュラム』の外国語の学習内容として定められている。(2008年に改定版が出されている) 内容1 コミュニケーションのための言語/内容2 言語と文化/内容3 言語と他の学習内容グループとの 関係/内容4 言語とコミュニティーや世界との関係 2) 学習水準は「知識、技能、過程、道徳、倫理、価値観の面での規定である。それは、学習者の望ましい 資質を身に付けさせることを目標とするものである」(タイ教育省、森下稔・鈴木康郎・カンピラパーブ スネート訳,2004) 3) 後期課程の日本語専攻コースに注目したのは、3年間と長期にわたって日本語学習を行っているため、 学習水準の求める内容が明確に表れるのではないかと推測したことによる。
を考察することは重要であると考える。 3.調査と分析の方法 3.1 調査方法 北部タイの中等教育機関後期課程の日本語専攻コース(週6〜10コマ)で3年間日本語を 学んだ卒業生 20 名を対象に①質問紙調査、②質問紙の解釈を確認するインタビューを実 施した(2011年12月、2012年03月)。 卒業生は、中等教育機関A〜E校4)の教師に依頼し、卒業後大学で日本語を主専攻で学 んでいる者2名、日本語以外を主専攻にしている者2名、計4名を紹介してもらった。質 問紙の内容は、日本語学習を振り返り、日本文化や自文化について気づいた点をタイ語で 自由記述するものである(資料 1 参照のこと)。インタビューは約 30 分、タイ語通訳を介 して行った。インタビュー内容は調査協力者の了解を得て録音し、インタビュー後に、調 査協力者に自身のタイ語発話を文字化してもらった5)。調査協力者による文字化は、発話 一字一句ではなく、要約されていることもあったが、それも協力者自身の語りであると考 え、データとして採用した。 質問紙の回答、及び調査協力者が文字化したタイ語スクリプトは、筆者が日本語訳を行 い、タイ人留学生(日本語能力試験2級保持者)によるチェックを行っている。以下本文で 引用する発話は、この翻訳及び文字化によるものである。引用の際には、以下の記号を用 いる。
調査協力者ID:(例) 01SAJ (A校出身、日本語主専攻)、07SBN(B校出身、非日本語主専攻) 囲みなし :日本語学習経験者が作成したタイ語スクリプトの日本語訳 「 」 :日本語学習経験者の日本語発話 ( ) :日本語学習経験者のタイ語発話の日本語訳 (日本語学習経験者作成のタイ語スクリプトには存在しないが、補足情報として追加) 《 》 :筆者によるタイ独特の事柄や表現に対する補足説明 3桁数字:発話番号 アx :アンケート回答。x は設問番号を示す。 3.2 分析方法 分析対象は、質問紙回答と調査協力者自身による発話文字化資料の日本語翻訳版である。 佐藤(2008)の定性的コーディングを参考にし、タイ及び日本の社会、文化に関して語っ ている部分から、「何を」「どのように」認識しているか2重のコードを付し、日本語学習 経験者が持つ文化概念をまとめた。また、それぞれの文化概念ごとに認識するようになっ た背景を併せて抜き出し、リソースとして分類を行った。(図1) 4) 5校は、所在地、公立/私立、進学校か否かのバリエーションがつくように選択した。 5) 05SBJ、06SBJは時間の都合で文字化作業が出来なかったため、通訳に文字化を依頼した。
図1 学習経験者の文化認識分析例 4.結果 日本について「何を」認識しているかに注目した「認識対象コード」([ ])から、日本 語学習経験者の日本文化認識は、「伝統文化」 「精神文化」 「生活文化」 「大衆文化」 「日本社 会」 「タイ日関係」6) にわたっていることがわかった。このうち言及の多かった「伝統文化」 「精神文化」 「生活文化」についての認識を概観すると、表1の通りである。 表1 「伝統文化」「精神文化」「生活文化」認識の概観 伝統文化7) 文化体験の印象が強く、日本文化への興味関心を感じている。また、日本は文 化を保持しているという認識が見られ、タイ人・タイ社会と対比して認識され ている。認識の背景にはメディアの影響がみられ、日本語学習体験はメディア の中の日本に注目するきっかけをあたえている。(内田,2013) 精神文化8) 時間を守る、秩序・規律正しいといった日本人・日本社会イメージが強く、タ イ人及びタイ社会と対比して認識されている。また、これらを自分やタイ社会 に取り入れたいという志向も見られる。認識の背景には、メディアの影響、日 本人との接触、教師の教示がある。 生活文化 料理に関する体験の印象が強い。また具体的な言及が多く、生活文化の差異に 興味関心を抱いている。教師の教示や、教材など、日本語学習体験によって形 成された認識が多い。 本稿では、表1の精神文化の「時間を守る、秩序・規律正しいといった日本人・日本社 会イメージ」を詳細に見ていくこととする。「時間を守る」「秩序・規律正しさ」を多くの 6) 「伝統文化」 「精神文化」 「生活文化」 「大衆文化」概念は、佐々木(2002)の文化分類枠組みを参考にして いる。佐々木(2002)では、「日常生活」文化概念としているが、本研究では他の概念名に合わせて「生 活文化」とした。 7) 伝統文化の語りとして分類したものは、[踊り] [折り紙] [かるた] [茶道華道書道] [年中行事] [服装文 化] [風呂敷] [祭り]である。[年中行事]に関して、佐々木(2002)は「日常生活重視」文化概念に含め ているが、「伝統文化」にも重なる部分があると述べている。筆者も[年中行事]を生活文化に重なる部 分があると考えているが、本調査ではお正月、七夕など伝統的な行事についての言及が多かったことか ら伝統文化に入れている。 8) 佐々木(2002)では「精神文化」を「『日本人』の考え方、価値観、思想、など、見えざる文化、内面」と しているが、本研究では学習経験者によって日本人の行動様式や価値観と考えられているものを精神文 化としている。
学習経験者が言及しており、共通点が見られる点が興味深いためである。 4.1 では「時間を守る」、4.2 では「秩序・規律正しさ」について、学習経験者に「どの ように」認識されているかに注目した「認識プロセスコード」(< >)、および文化概念を 認識するようになった情報源を示す「認識リソースコード」(【 】)を示しながら、認識の 特徴とその背景を示す。 4.1 時間を守る (1)認識の特徴 学習経験者は、よく「日本人は時間を守ると思う」という日本人の時間感覚、行動に関 する認識を述べている。この[時間を守る」認識は、A校では4名全員、D校3名、E校 では2名、C校では1名9)が語っている。B校での学習経験者にはこの語りは見られなか った。以下、網掛け部分は日本について語っている部分、下線部分はタイについて語って いる部分である。(表2) 表2 [時間を守る]認識の例 発話者 番号 01SAJ ア6 まず、タイ人は熱心ではなく、ゆっくりのんびりしていると思う。 日本人の働い ているところを見ると時間通りだし、責任感も強い。 その他にも違う点が多い。 だから、自分自身を変えたいと思う。これらのことをもっとよくしたい。 03SAN 006 ほとんどのタイ人はあまり時間を守らないので、私たちは日本人は時間を守ると 思うし、それは良いことだと思います。 14SDJ 022 違うところは、例えば、時間を守るところです。日本人や日本人の先生はとても 時間ぴったりです。 でも、タイ人はあまり守りません。 15SDN 060 日本は厳しい文化があると思います。(たとえば時間を守るなど。日本人はとて もよく時間を守ります。)(中略)(日本の文化はときどき厳しすぎるので、)プレッ シャーがあります。例えば時間を守ることです。 18SEJ 074 タイは気楽なことが好きだと思います。日本人の多くは、時間を守る人たちです。 タイ人は時間通りじゃないことが多いです。 上記のように、日本人は[時間を守る]といった、日本人を一般化した<日本人イメー ジの生成>が語られ、同時に<日本人とタイ人との比較>が行われている。タイに関して は、「人によって違うと思います。時間を守ることに意識があって熱心な人もいるし、皆 違います」(01SAJ: 050)10)と、多様性も感じつつ傾向が述べられている。(<タイの個別認 識>)。 この[時間を守る]ことについて、14SDJ 、15SDNは「厳しい」という言葉を使っており、 9) 10SCJ、20SENも日本人の時間感覚について言及しているが、10SCJは高校時代の日本滞在経験(2週間) から、20SENは大学に入ってからの認識であるため、数には入れていない。 10) 引用括弧中、“:”の前は発話者のID、後ろの番号は発話番号を示す。
15SDNは更に「プレッシャー」であると<厳しさによるストレス>を語っている。しかし、 15SDN は「タイにも日本と同様、美しい文化がある。しかし、あることについて、まだ 厳しさはない。日本のような厳しさを取り入れて、応用すべきだと思う」(15SDN: ア6)と アンケートに書いており、厳しさを否定的にとらえているわけではないことがわかる。そ して、その厳しさを取り入れるべきという<日本的発想の取り入れ>を述べている。同様 の<日本的発想の取り入れ>は、「自分はもっと時間を守るようにしたほうがいいと思い ます」(03SAN: 082)、「日本人の性格のようになりました。つまり責任を持つようになり、 時間を守るようになりました」(02SAJ: 099)、「私は生活の中に取り入れて、もっと時間に 綿密で厳密な計画を立てるようにしました」(11SCN、028)といった発言にも見られる。 概観すると、[時間を守る]認識には①一般化、②タイ人及びタイ社会との対比、③厳 しさを感じながらも肯定的に評価、④「自分やタイ社会に取り入れたい」という日本的発 想の取り入れ志向、といった特徴が見られる。 (2)認識の背景 「時間を守る」認識を持つ背景としては、【教師の教示】【日本人との接触】【メディアの 中の日本】が挙げられている。 【教師の教示】には2つのタイプがある。一つは、日本人の時間感覚を教師が説明するタ イプ(表3: 11SCN, 19SEN)、もう一つは授業開始時間の厳守や宿題提出期限の厳守ルール のように授業運営に組み込まれるタイプである(表3: 04SAN, 15SDN)。授業運営が厳しい のは、教師の性格や運営方針によるものではないかと考えられるが、02SAJ、04SAN に よると、教師もそれを日本的なものと説明している。15SDN は、日本語専攻コースに入 ってから日本人の[時間を守る][厳しさ]イメージを強化している。 表3 [時間を守る]認識の背景:【教師の教示】 発話者 番号 02SAJ 060-062 教室に入るとき、もし10分遅刻したら教室に入らせませんでした。または床に座 らせました。 ──それは、日本のやり方だと先生は説明したんですか。 それは、例を挙げました、もし遅刻したら日本人はこのように入らせないんだよと。 04SAN 039 時間を守るというのは、教えてくれた先生が時間に厳しかったです。先生は、授 業の教室に入るとき、もし10分以上遅く来たら、教室に入らせませんでした。だ から私たちは時間までに来なければなりませんでした。そして、先生が課題を出 すときも、先生がこの日に出しなさいと言ったら、その時間通りに出さなければ ならなくて、もし何か用事がなければ遅く出しに来るのはダメでした。 046 えっと、タイ人の先生は日本人のいいところを選んで使って学生に教えています よね。先生が教えたのは、将来もし日本人と働くなら、あなたたちは時間に厳し くならなければならないと、日本人はとても時間に厳しいから、先に来てもいい けど、遅れて来てはいけないということでした。
11SCN 004 07CT 先生は、(日本人の)性格や考え方をタイ人の考え方と比べて教えました。 たとえば、タイ人はあまり時間を守らないとか。 15SDN 064-068 時間を守ることは知っていたんですけど、日本語を勉強する前は、日本人がこん なに時間に関して厳しいとは思いませんでした。(中略)私がこのように思うよう になったのは、タイ人はよく時間に遅れて行くので、プレッシャーを自分にかけ ています。もし、日本語の授業に遅れて行ったら、前に立たせて「先生、すみま せん」何回も部屋に入る許しを言わなければなりません。(中略)日本人の友達も タイ人は時間に遅れがちだけど、日本人は遅れたらだめだと言います。 19SEN 052-054 秩序正しさや、清潔できちんとしていること、時間を守ることや、マナーについ てです。たとえば、ご飯の前に言うことや、お土産のことです。(中略)勉強して いるとき、先生が説明しましたから。 次に、【日本人との接触】であるが、学校にいる日本人教師や、交流活動で出会った日 本人高校生の行動様式や歩き方などの観察から、学習経験者の中で<日本人イメージの生 成>が行われている。02SAJ、11SCNは【教師からの教示】によってできた認識を【日本人 との接触】によって再認識している。(表4) 表4 [時間を守る]認識の背景:【日本人との接触】 発話者 番号 02SAJ 067 そして、日本人の例を見ました。私がホストファミリーを受け入れたとき、6時 に起きるといえば、彼は6時に起きます。彼は時間通りにしました。8時に帰る と言えば、彼は8時に帰りませんかと言います。このようなこともわかりました。 03SAN 006 活動をするときや、日本人と約束をするとき、時間通りに来ます。 11SCN 022 07CT 先生は日本人がどんな人たちかを教えてくれました。(会った)日本人は、 あまりその範囲から出ませんでした。 14SDJ ア5 日本人の先生を観察すると、歩くのがはやいし、時間をきちんと守る。それで、 タイの学生とは違います。 16SDN 030 他の日本人と会ったときも、日本人のイメージは変わりません。やっぱり時間を 守ります。 最後に、[時間を守る]認識の背景として【メディアの中の日本】を挙げた発話を表5に 示す。02SAJは「日本語を勉強したら、日本のことに興味を持ち」(136)、テレビで偶然 見た日本のドキュメンタリーに注目するようになった。このように日本語学習体験は【メ ディアの中の日本】に注目するきっかけともなっている。03SANは、日本語学習以前から 【メディアの中の日本】により[時間を守る]という<日本人イメージの生成>を抱いてお り、日本語専攻コースに入った後、【日本人との接触】により再認識している(03SAN: 表 4)。
表5 [時間を守る]認識の背景:【メディアの中の日本】 発話者 番号 02SAJ 119-120 ──タイのテレビとか、タイの本はそういうことを言うことが多いんですか? はい。秩序正しいことや、時間を守ること、それで、日本人は仕事の効率がタイ 人よりいいことなどです。 133-138 ──日本とタイのその違いは、日本語を勉強する前も知っていましたか。 あることは知っていましたが、日本語を勉強してからもっとわかりました。(中略) マスコミからです。日本語を勉強したら、日本のことにもっと興味を持ちます。 (中略)特別な目的がなく見ているだけです。でも偶然に、ちょうど日本につい てのドキュメンタリーを見ました。 03SAN 041-044 ──えっと、勉強する前は、どんな考えだったんでしょうか。 日本人について、一つは時間を守る、そしてとても秩序正しいです。日本人は規 則に従うし、日本の制度はタイよりもいいように見えます。 ──それは勉強する前に思ったことですか。 はい。外国を紹介するテレビをみましたし、(本などで)読んだこともあります。 046 日本語を勉強してからわかったこともあるし、増えたこともあります。でも、基 本的な部分はこの内容です。 以上を概観すると、「時間を守る」認識の背景には【教師の教示】【日本人との接触】【メ ディアの中の日本】があり、これらが重なって認識が維持、強化されていることがわかる。 4.2 秩序・規律正しさ (1)認識の特徴 [秩序・規律正しさ]は広く抽象的な概念であり、[時間を守る]も[秩序・規律正しさ] の認識を構成する一部と言える。ただし、[時間を守る]と異なり、[秩序・規律正しさ] の場合「町」「国」といった言葉が同時に使われることが多い。つまり、「秩序・規律を守 る日本人が、秩序・規律ある社会を維持している」という<日本社会イメージの生成>が 行われている。以下、網掛け部分は日本について語っている部分、下線部分はタイについ て語っている部分である。(表6) 表6 [秩序・規律正しさ]認識の例 発話者 番号 03SAN 062 日本人は秩序正しいです。 でも、タイはだらだらしているところがあります。 ある人たちは、あまり国の秩序に従わないです。 076 国の秩序なら、たぶん沢山応用することができると思います。 (規律については)国も人もどちらもです。人について、日本人のように時間を 守ることを応用できます。そして、国については、何をするのも、規則や秩序を 意識することです。(自分のことだけでなく、皆のためを考えること)
04SAN 050 秩序みたいなものと思います。人の秩序や、国の(世の中)の秩序です。 日本は人が秩序正しく、町もきれいです。 私たちの町の殆どはあまり秩序があり ません。たとえば、運転やごみの捨て方などです。それで私たちの町は日本のよ うにきれいにはあまり見えません。 07SBN ア5 日本は服や言葉、文化などの美しさがある国に見える。なぜならあらゆることが システマチックで秩序正しく、配置されている。 11SCN 064 日本人はあまり日本の法律違反をしませんが、タイ人はたくさん違反をします (だから、タイの法律は細かく書いてある)。 たとえば日本では横断歩道を渡らなければなりませんが、タイではどこでわたっ ても大丈夫です。 13SDJ 040 タイは、もし日本と比べると、同じではありません。日本の規則については、厳 しさがあります。例えば、ごみを捨てることです。 15SDN 078 タイも日本と同じようにいい文化があります。でも、あるタイの文化は日本のよ うには厳しくないです。 私たちの国にもっと秩序をもたらすために日本のやり方 を取り入れるべきだと思います。 16SDN ア5 日本の国、日本の国民は秩序正しい。(中略)厳しく秩序のある国、とても堅実 な国だと思う。 ア6 タイやタイ国民は、自らを律する秩序が少ない。 ア7 日本文化の知識の良い面は、日常生活に応用することができる。たとえば、秩序 を守ること、時間を守ること、謙遜深いことなど。 20SEN 014 日本のやり方は秩序があります。つまり消防車が通ったら、(皆)止まります。 でも、タイではルールの通りにしません。 表6を見ると、ごみの捨て方(04SAN,13SDJ)、車の運転の仕方(04SAN)、道の渡り方 (11SCN)、消防車通過時のルール(20SEN)が語られており、これらの知識や体験から[秩 序・規律正しさ]という<日本人イメージの生成>もしくは<日本社会イメージの生成> が行われている。 次に、日本について語っている部分、タイについて語っている部分を見ると、<日本人 とタイ人との比較>、<日本社会とタイ社会との比較>が多く行われていることがわかる。 「ある人たちは、あまり国の秩序に従わないです」(03SAN: 表6)と、タイ人に関して多様 性も感じつつ傾向を述べる<タイの個別認識>も見られる。 また、[秩序・規律正しさ]に関しても、<日本的発想の取り入れ>が見られる(03SAN、 15SDN、16SDN)。15SDNは「このように考えるのは、高校2年生からです。今もそう思 っています。それは、日本人が頑張っているから。もし私たちが頑張ったら、日本人と同 じように発展すると思います」(082)と述べており、<日本的発想の取り入れ>が[国の発 展]に繋がると語っている。16SDNも「国全体をみればわかります。発達していて最先端 の国で、危機から迅速に回復することができます。例えば、戦争や、地震、津波などです。
このように国のイメージを作り上げたのは、日本人が何をするときも精一杯、一生懸命に、 努力している結果です」(026)と [国の発展]と結びつけて語っている。 これらから、[秩序・規律正しさ]という<日本的発想の取り入れ>の背景には、①日 本の[国の発展]の要因の一つとして、[秩序・規律正しさ]があると認識しており、②タ イの発展のために日本の国の発展要因を取り入れたい、という思いがあると推測される。 (2)認識の背景 (1)で見られたごみの捨て方、車の運転の仕方などの知識はどこから得ているのだろう か。学習経験者の語りからは、【メディアの中の日本】、【教材の中の日本】、【教師の教示】、 そして【日本人との接触】の4つのリソースが挙げられた。 02SAJのリソースは【メディアの中の日本】であり、「テレビでもみたのは、日本人は秩 序をよく守るので、国が急速に発展したということです。タイについていえば、あまり秩 序がないので、発展が遅いです」(118)と語っている。02SAJは4.1で述べた通り、日本語 学習体験からテレビで見た日本のドキュメンタリーに注目している。また、02SAJは【教 材の中の日本】と自分の経験を合わせて[秩序・規律正しさ]の<日本社会とタイ社会の比 較>を行っている。 03SANは [時間を守る]認識と同じく、日本語学習以前から【メディアの日本】により [秩 序・規律正しさ]認識を持ち、日本語専攻コースに入った後、【教材の中の日本】により再 認識している。 20SENは、「教えてもらったのは、日本のマナーとか、食事についてとか、日常生活に ついてです。エスカレーターの使い方や、横断歩道や車道についてです。日本のやり方は 秩序があります。つまり消防車が通ったら、(皆)止まります。でも、タイではルールの 通りにしません」(013-014)と述べており、教師の日本の生活に関する話から [秩序・規律 正しさ]の認識を持っている。(【教師の教示】) 08SBN、15SDNは【日本人との接触】から [秩序・規律正しさ]を認識している。08SBN は交流活動で出会った日本人高校生が自分の家にホームステイしたとき「何も迷惑なこと をしませんでした」(082)と語り、15SDNは高校時代に出会った日本人について語ってい る。このように、学習経験者が出会った日本人の行動様式を観察し、 [秩序・規律正しさ] という<日本人イメージの生成>を行っていることがわかる。 5.考察 これら精神文化認識の特徴としては、メディア等を通じて日本に対して肯定的な認識を 持っていることが挙げられる。教材や教員の取り組みが異なっていても学習経験者が共通 の認識を持つのは、このためであろう。 また、学習者が日本語学習体験から独自に日本の精神文化についての認識を形成してい ることが見て取れる。例えば、時間感覚については、教師の振る舞いや授業運営から学習 者が総合的に認識を形成している。[秩序・規律正しさ]に関しても交通事情、ごみ処理
などの具体的事例から学習経験者が意味をくみ取って認識を形成している。 中等教育機関での日本語学習体験から形成された認識は、メディアで生成された[時間 を守る]「秩序・規律正しさ」 認識の具体化や再確認となっており、日本語学習体験によ って、メディアで生成された認識が大きく書き換わることはないと言える。 この理由は2つ考えられる。まず、学習者が自分の認識に合う情報を無意識に選択して いると考えられる。社会心理学では、人には、ある信念をもつとそれと一致する事象が生 じると予期する傾向があり、その予期に従って新しい情報を探索し、解釈する傾向(仮説 検証型の情報処理傾向)があるとされている。(上瀬,2002) 2つめの理由としては、日本語教育の場でメディアから生成した日本人・日本社会イメ ージを検証する機会が少ないことが考えられる。トムソン(2002)は「海外の日本語教育 の現場は、日本国内での日本語教育と比較して、学習者が接触可能な日本社会文化リソー スがその量、バラエティともに限定されている」(p.5)と述べている。また、「海外の日本 語教育現場では、学習者の日本、日本語、日本語を使ったインターアクションに関するス キーマの絶対的不足が現実だ。しかも、学習者それぞれが既に持つスキーマ(時にはステ レオタイプ)は、総合的でない場合が多く、バランスを欠いていることも多いだろう」(p.8) と述べている。タイの中等教育機関においても、トムソン(2002)の述べる海外の日本語 教育の状況が当てはまり、「外集団均質性効果」(上瀬,2002)による画一的な判断がされ やすい状況にあると言える。 学習経験者の「時間を守る」認識には、日本に対する過剰な理想化も見られた。これは、 教師が授業運営において日本を理想化し、時間を守る動機付けを図っていたからではない かと考えられる。教師は、このような指導により学習者の文化認識の一般化を助長する可 能性があることを意識しておく必要があるだろう。 6.まとめと今後の課題 以上、「精神文化」認識を例として、タイ中等教育機関日本語学習経験者のタイ・日文 化認識とその背景を記述した。タイにおける日本社会文化リソースは限定されているため、 学習経験者の日・タイに対する認識の偏りは、ある程度避けられないものであろう。トム ソン(2002)はこの点に対し、「この現状下では、ステレオタイプでも構わない、何らかの スキーマを得ることで、スキーマのバラエティを増やし、スキーマの検証を重ねていくこ とで、ステレオタイプが超えられるスキーマ群の構築に向かうことが重要なのだ」(p.8)と 述べている。学習者は教室内外の様々なリソースから総合して日本文化を認識していく。 そのプロセスを学習者と共に教師も知ることが大切であろう。そのための仕掛けとして、 金(2012)の相違点の背景を考える授業や、鈴木(2004)のCM分析、国際交流基金(2010) のポートフォリオの活用が考えられる。 本稿では、日本語学習経験者の日本及びタイ文化認識に共通する点を取り上げたが、実 際には文化認識プロセスにはかなりの多様性がある。今後は一人ひとりの認識を事例とし て分析することで、文化認識プロセスの多様性を浮かび上がらせることも必要であると考
える。また、教師が教室で文化をどのように扱っており、学習者にどのような認識をもた らす可能性があるのか───具体的には教師の日本文化認識はどのように学習者に提示さ れるのか、また学習者の認識はどのように教室内で提示され、教師はそれをどのように取 り上げているのかを課題に研究を進めていきたい。 参考文献 李 炫姃(2003) 「韓国の年少者日本語教育に見られる『文化』概念」 「21世紀の『日本事情』」 編集委員会編『21世紀の「日本事情」』第5号,くろしお出版,pp.130-139 呉 正培(2008) 「日本語学習者の日本人イメージにみられる特徴とその形成要因 ─韓国の 大学における学習者と非学習者の比較─」 『世界の日本語教育』第18号,国際交流基 金 日本語国際センター,pp.35-55 内田陽子(2013) 「タイの中等教育後期課程卒業生へのインタビューから見るタイ・日文 化認識 ─日本の伝統文化に対する認識とその背景─」 『国際交流基金バンコク日本 文化センター日本語教育紀要』第 10 号,国際交流基金バンコク日本文化センター, pp107-116 上瀬由美子(2002) 『ステレオタイプの社会心理学:偏見の解消に向けて』サイエンス社 金 美珍(2012) 「特定課題研究報告 韓国の高校における日本文化理解授業の試み:学習者 間の相互作用を中心に」 『日本言語文化研究会論集』第 8 号,日本言語文化研究会, pp.75-102 久保田竜子(2008) 「日本文化を批判的に教える」佐藤慎司・ドーア根理子(編) 『文化、こと ば、教育 ──日本語/日本の教育の「標準」を越えて』明石書店,pp.151-173 国際交流基金(2012) 『海外の日本語教育の現状 2012年度日本語教育機関調査より概要』 国際交流基金(2010) 『日本語教授法シリーズ11 日本事情・日本文化を教える』ひつじ書房 佐々木倫子(2002) 「日本語教育で重視される文化概念」細川英雄編『ことばと文化を結ぶ 日本語教育』凡人社,pp.218-234 佐藤郁哉(2008) 『質的データ分析法 原理・方法・実践』 新曜社 鈴木京子(2003) 「オーストラリアにおける日本語教育の『文化の学習』観に関する一考察」 21世紀の『日本事情』編集委員会編 『21世紀の「日本事情」』第5号,くろしお出版, pp.140-148 鈴木みどり編(2004) 『Study Guide メディア・リテラシー 入門編』 リベルタ出版 タイ教育省(森下稔・鈴木康郎・カンピラパーブスネート訳)(2004) 『タイ 仏暦2544(2001) 年基礎教育カリキュラム』 張 勇(2013) 「日本語学習者の異文化態度に関する意識調査 ─日本語専攻の中国人大学 生を対象に─」 『日本語教育』第154号,日本語教育学会,pp100-114 トムソン木下千尋(2002) 「海外の日本語教育における日本文化の学習を促すコースと教師 の役割」 「21世紀の『日本事情』」編集委員会編『21世紀の「日本事情」』第4号,くろし
お出版,pp.4-18 箕浦康子(2003) 『子供の異文化体験 増補改訂版』新思索社 矢部まゆみ(2001) 「海外の初中等教育における日本語教育と<文化リテラシー>」 「21世 紀の『日本事情』」編集委員会編 『21世紀の「日本事情」』第3号,くろしお出版,pp. 16-29 資料1.質問項目 (フェイスシート部分を除く) 1. (今、高校の日本語の授業を振り返って、どう思いますか。日本語のこと、先生のこと、 友達のこと、活動のこと、なんでもかまいません。自由に書いてください。) 2. (日本語を勉強して、日本について何か気づいたことがありますか。具体的に書いて ください。) 3. (日本語を勉強して、タイやタイの文化について何か気づいたことがありますか。具 体的に書いてください。) 4. (高校の日本語の授業の経験(日本語、先生、友達、活動など)で、今の生活に活用で きることがありますか。具体的に書いてください。)