J.デューイの地理学習の『民主主義と教育』におけ
る構造的位置
著者
梶原 郁郎
雑誌名
教育思想
巻
44
ページ
21-36
発行年
2017-03-31
URL
http://hdl.handle.net/10097/00121495
J.デューイの地理学習の
『民主主義と教育』における構造的位置
梶原 郁郎(愛媛大学) [はじめに]本稿の課題と方法 本稿の課題は、J.デューイの地理学習の『民主主義と教育』(1916)におけ る構造的位置を明らかにすることである。 デューイの主著『民主主義と教育』は経験主義教育論と民主主義社会論と の内的関係を論じたものだが、松野安男が指摘するように、「社会情況や他の 思想の批判に多くの紙面が費やされて」体系的に組織立てられてはいないの で「彼の積極的主張を全体的に把握することは容易ではない」1。この難題は 次の課題を課してくる。仕事 occupations を中軸とする地理・歴史および科 学学習であるデューイの教育課程に2、(1)形式陶冶批判や二元論哲学批判等 のデューイの作業は“どのように”結実しているのか3、(2)デューイの積極的 主張である民主主義社会論は“どのように”対応づけられているのか。同論は 後述のように認識形成を土台とする資質形成論として構想されているので、 その対応関係は認識形成の水準で問われなければならない。この場合、デュ ーイの教育課程ではどのような知識が扱われていたのかではなく、どのよう な認識形成が可能となるかが検討対象となってくる4。 1 松野安男「解説」J.デューイ著、松野訳『民主主義と教育(下)』岩波書店、1975 年、 252-253 頁。2 J.Dewey(1915), The School and Society, Southern Illinois University Press, 1976, pp.15,
J.Dewey(1916), Democracy and Education, A Free Press, 1966, pp.199-200. なお本稿 は前書の訳出の際、宮原誠一訳『学校と社会』(岩波書店 1957 年)、後書の訳出の際、 松野安男『民主主義と教育』(岩波書店 1975 年)を参照している。 3 この課題については次の拙稿で検討している。「J.デューイの形式陶冶批判-[進歩 主義-経験主義]の認識論的関係の構成手続き-」『日本デューイ学会紀要』第 43 号、2002 年、205-210 頁、「J.デューイの二元論批判と教育課程論-自然学と人文学 との関係に着目して-」『浜松学院大学研究論集』第5 号、2009 年、13-25 頁、「J.デ ューイの二元論哲学批判の『民主主義と教育』における構造的位置」『日本デューイ 学会紀要』第50 号、2009 年、65-74 頁。 4 民主主義社会論との関係でデューイの教育課程を問題とする以上、同教育課程に関 する研究は教育過程研究とならざるをえない(拙稿「教育過程分析の基礎条件-内
その課題(2)に対する取り組みは、1990 年代のデューイ研究の動向の中 に、直接的ではないながら見出せる。R.B.ウエストブルックは、再適応・協 働概念に着目してデューイの民主主義社会論を考察するとともに、デューイ の教育課程における仕事と科学についても、協働的探求の用語等を用いて論 述している5。W.ファインバーグらによって広く共有されているその問題意 識は6、デューイの民主主義社会論と教育課程論との関係を認識形成の次元で 問おうとするものだが、こうした動向を前に市村尚久は「教科主義と活動主 義(経験主義)とを調停する実践論理」の究明をデューイ研究の課題として 指摘している7。これは、デューイの教育課程研究が認識形成の水準で進めら れてきていない現状を示している。 この点を拙稿は次のように検証した8。「料理は、単純だが基礎的な化学の 諸原理と諸事実への“自然な通路”となる(強調点は引用者、以下同)」9、「オ キュペーションは、学年段階にそって、初歩的で身近な経験から、次第に社 会的空間的な広がりを持ち、複雑な技術を基礎とした経験へと“発展してい る”」10、こうした教育課程研究では“どのように”「自然な通路」になり“どの ように”「発展」したのかという認識形成過程(教授学習過程)が不問に付さ れている。それ以降の研究でも同様であるその現状の下では11、市村の課題 容と方法に関するJ.デューイの二元論批判を踏まえて-」『日本デューイ学会紀要』 第54 号、2013 年、65-74 頁)。
5 R.B.Westbrook, “School for Industrial Democrats:The Social Origins of John Dewey's
Philosophy of Education”, American Journal of Education, The University of Chicago Press, vol.100-4., 1992, pp.401-419.
6 W.Feinberg, “Dewey and Democracy at the Dawn of the Twenty-first Century”, Educational
Theory, vol.43-2, 1993, pp.195-216, E.W.Ross,“Educating and Organizing for a Democratic
Society”, Theory & Research in Social Education, Vol.26-3., 1998, pp.306-309.
7 市村尚久「未完の進歩主義教育の現代的意義-子どもからの教育理論再考-」『教育
学研究』第67 巻、34-37 頁。
8 前掲拙稿(2013)、66-68 頁。
9 L.N.Tanner, “The Meaning of Curriculum in Dewey's Laboratory School(1896-1904)”,
Journal of Curriculum Studies, 23-2, 1991, p.106.
10 佐藤学『米国カリキュラム改造史研究-単元学習の創造-』東京大学出版局、1990 年、52 頁。 11 小柳正司「シカゴ大学実験学校の実践記録:1896-1899 年」『鹿児島大学教育学部研 究紀要(教育科学編(51))』1999 年、115-215 頁、森久佳「デューイ・スクール(Dewey School)におけるカリキュラム開発の形態に関する一考察-初期(1896-98 年)の活 動事例を中心として-」『教育方法学研究(28)』2002 年、23-33 頁、高浦勝義『デュ
提起に対応できず、したがってデューイの教育課程論と民主主義社会論との 内的関係を描き出していくことはできない。 その現状の原因は直接的には、わが国の教育課程研究の「伝統」として指 摘されている内容研究の不在にあるが(デューイ実験学校ではどのような知 識が扱われていたのかを整理する教育課程研究では、それらの知識(内容) の学習も研究も必要条件とはならない)12、間接的には、デューイの民主主 義社会論からデューイの教育課程の研究視点が導き出されてこなかった点に あると考えられる13。なぜならデューイの民主主義社会論は政治形態論とし てではなく、認識形成を土台とする資質形成論として構想されているからで、 デューイの民主主義社会論に教育課程の分析視点を求めれば、教育課程研究 は認識形成の水準で進めざるをえないからである。 以上のようにデューイの民主主義社会論と教育課程論との内的関係を課題 意識の大枠として、さらにそれは教育課程研究の在り方をどう規定するのか を踏まえて、本稿は、デューイの民主主義社会の資質形成(他の社会集団の 他者と目的・関心を共有できる資質形成)における地理学習の役割を以下の 方法で問う。その資質形成は、成員の生活に連結されている未知の他者圏(他 者の繋がり)の認識形成を前提とするので、次の二点を検討する。(1)その 認識形成において地理学習はいかなる役割を担っているのか、(2)その他者 認識は、他者圏と目的・関心を共有するように成員を促す形態であるのか。 デューイの民主主義社会論を考察した後、この二点を問うことで、デューイ の地理学習の『民主主義と教育』における構造的位置を把握する。 [1]デューイの民主主義社会論-同社会が要求する資質形成- 本章では、『民主主義と教育』第七章第二節を考察の拠点として、デューイ の民主主義社会論が成員に要求する資質形成の中身を明示する。その資質の 素地をデューイは、何等かの思想の中にではなく、産業革命が当時顕著化し てきた米国社会の現実の中に見出して、その資質を提示している14。 ーイの実験学校カリキュラムの研究』黎明書房、2009 年。 12 それは「授業方法レベルでの工夫(どのように教え学ぶのか)に視野が限定されが ち」(石井英真『今求められる学力と学びとは』日本標準、2015 年、34 頁)である、 教育内容研究不在の「伝統」である。 13 拙稿「J.デューイの教育内容論の分析視点-民主主義社会論から導出されるその分 析視点-」『東北大学大学院教育学研究科研究年報』第51 集、2003 年、126 頁。
(1)民主主義社会が要求する資質-目的・関心を共有できること- 同章第一節においてデューイは、「現実に存在する社会生活の諸形態の望ま しい諸特徴を抽出して、それらを使って望ましくない諸特徴を批判して、改 善を提案する」と指摘して、その特徴を二点明示した後15、続く第二節にお いてその二点は「ともに民主主義を指向している」として、次の二点を民主 主義社会の要件として提出している16。 (1)共有された共同の関心がより多くのより多様な事柄に向かうことに加え て、相互の関心を社会統制の一要因として認める。 (2)社会集団がより自由に相互作用することに加えて、社会的習慣を変化さ せる-すなわち、様々な相互交渉によって産み出される新たな情況に対 処して絶えず再適応 readjustment する。 これらは、「民主主義は単なる政治形態ではなく、それ以上のものである」の 指摘もあるように17、民主主義社会の成員の資質として提示されている。 この点は、デューイの別稿では次のように述べられている18。 “政治的”民主主義が民主主義の全てをなすわけではない。〔----〕民主主義は、 それが社会的であるところでのみ-道徳的であるところという方がよい-効 果的に維持されうる。“社会的”民主主義は、機会が広く多様に行き渡っている 社会生活の状態を明らかに意味する。それは社会的流動性、すなわち地位や身 分が変わる機会があるところ、“共通の関心と目的が広く見られること”に寄与 する、経験と観念の自由な循環があるところ、成員に対する社会的政治的組織 の有用性は、社会のために成員に暖かく絶えず支持してもらうことによること が明らかなところである。 米国の成員の生活が国内外の他者の生活に結びつけられて、両者に関わる「共 通の関心と目的」が見られるようになった状況では、上述の要件(1)に定式 化されたように、両者が「共通の関心と目的」を認識・共有できることが、 社会的民主主義を指向する成員の資質となってくる。 op.cit., pp.8-9.
15 Dewey, Democracy and Education, op.cit., p.83. その二点自体を栗田は「或る社会が民
主主義社会であるかどうかを判定するための基準」としている(栗田修『デューイ 教育学の特質とその思想史的背景』晃洋書房、1997 年、92-93 頁)。
16 Dewey, Democracy and Education, op.cit., pp.86-87. 17 Ibid., p.87.
18 J.Dewey, “The Need of an Industrial Education in an Industrial Democracy”, The Middle
さらに上記二つの要件が提示された後、次の説明がされている19。 一つの関心を共有する人々の数がますます“広い範囲に拡大していく”とい うことは、人々が自分たちの活動の完全な意味を認識するのを妨げていた階級 的、民族的・国土的障壁を打ち壊すことと同じことなのである。このように“接 触点がますます多くなりますます多様になる”ことは、“人が反応しなければな らない刺激がますます多様になる”ことを意味する。 「共有された関心の範囲」の拡大は「熟慮や意識的努力の所産」ではなく、 前世紀初頭から顕著化してきた、科学の応用による「工業や商業や旅行や移 住や相互交信の諸要式の発達によって産み出された」20。 このように階級・民族・国家を越えて他者との接触点が拡大した状況は、 「生産活動による影響を受け、消費生活に影響を及ぼす人間の生活圏の範囲 が限りなく拡大してきたので、ほとんど無限に広い範囲の地理的および政治 的考察が入り込むほどになった」というデューイの指摘を踏まえれば21、次 のように述べ直すことができる。成員が日々消費する生活財が、階級・民族・ 国家を越えたところの他者圏(他者の繋がり)によってもたらされている、 すなわち、生活財がその他者圏をすでに内包しており、生活財を通して成員 は他者圏と“実はすでに”接触している。 (2)他者圏の認識形成-他者との目的共有の課題の前提- 以上のように産業革命の進行は米国社会の成員の生活を、国土を超えた他 者(他者の生活)に関係づけるようになり、自己が「反応しなければならな い刺激がますます多様になる」ことになった。この現実を前に、民主主義社 会の上記要件が提示されているということは、次の点を意味する。成員は、 国土を超えた他の社会の成員(他者)をも含めて、「自分自身の行動に目標や 方向を与えるために他者 others の行動を熟考しなければならないように」な ったのだが22、成員がそれらの他者と関心・目的を共有して、自己と他者と が相互の生活を熟考して行動するという地点には至っていない。したがって 他者との関心・目的の共有をデューイは、社会が民主主義社会の方向に進み ゆくための課題(人間の資質形成の課題)として提示したわけである。
19 Dewey, Democracy and Education, op.cit., p.83. 20 Ibid., p.83.
21 Ibid., p.259. 22 Ibid., p.87.
この点が社会的課題であることは、『民主主義と教育』の11 年後に公刊さ れた『現代政治の基礎』においても次のように確認されている23。 〔産業革命による〕機械時代は“間接的諸結果の及ぶ範囲をいちじるしく拡 大し”、多様化し、劇化し、複雑化したために、また“行動における巨大で統合 された結合”を共同社会の基礎よりはむしろ非人格的な基礎の上に形成したた めに、結果として生じた公衆は“自己を認識し、識別できないでいる”。しかも、 こうした発見は明らかに公衆の側における“有効な組織化のための先行条件” なのである。〔----〕“公衆を民主的に組織するという課題”は、それが過去の政 治上の事柄とかけ離れたものであればあるだけ、第一義的にまた本質的に知的 課題となるのである。 成員と国内外の他者との影響関係の形成によって、相互の「行動における巨 大で統合された結合」が課題化したが、それは「人格的な基礎の上に」形成 されておらず、思想状況としては成員は「自己を認識し、識別できないでい る」。したがってここに「公衆を民主的に組織という課題」を通して「統合さ れた結合」をどう具現していくかが、課題化してきたわけである。 これが「第一義的にまた本質的に知的課題」とされている理由を今少し考 察してみよう。デューイの次の見解は、『現代政治の基礎』における上述の指 摘のしばらく後に示されているものである24。 〔機械時代以前の〕地域的で面識的な共同社会に侵入した諸力は、巨大で、 その発端において遠隔的で、範囲においては広範囲に及び、作用において複雑 かつ間接的であったために、地域的な社会単位の構成員からみれば、“未知な もの”であった。〔----〕仲間たちが遠く離れたところで“各自の目に見えないよ うなやり方で”行動する場合、人間が仲間たちと仲良くやっていくことは一層 困難であろう。未完成な公衆は、ただ間接的な結果が認知され、そうした結果 をひき起こした事態を秩序づける機関を計画することができる場合のみ、組織 化が可能なのである。 成員の生活に関係づけられている他者圏、特に国外の「仲間たち」は、成員 において「未知なもの」で、成員も「仲間たち」も「各自の目に見えないよ うなやり方で行動する場合」、「人格的な基礎の上」に形成された「行動にお ける巨大で統合された結合」は期待できず、これは、民主主義社会の要件で
23 J.Dewey, The Public and Its Problems, The Later Works(2)1925-1927, Southern Illinois
University Press, 1984, P.314. なお同書訳出の際、本稿は阿部斉訳『現代政治の基礎 -公衆とその諸問題-』(みすず書房 1969 年)を参照している。
ある関心・目的の共有から程遠い状況を意味する(この「未完成な公衆」の 問題は現在進行形でそのままわれわれ自身の課題でもある25)。 以上本章の考察によれば、産業革命を通して国土を越えた他者圏に成員の 生活は関係づけられたが、その関係を成員が認識できていない状況の下、デ ューイは、成員が他者圏と目的・関心を共有する資質形成を民主主義社会の 人間の要件として提示している。その資質は、成員の生活に関係づけられて いる他者圏の認識を“前提とする”ので、その認識保障が課題となってくる。 [2]デューイの地理学習論-他者圏の認識形成との対応関係- 本章では、民主主義社会における成員の資質形成の課題にデューイの地理 学習論がどのように対応づけられているのかについて考察する。その対応関 係は直接記述されてはいないので、デューイの地理・歴史学習論の中に、そ の資質形成に関わる指摘を見出して本章の作業を進める。 (1)民主主義社会における学校教育の課題-他者圏の認識形成- 国土を越えた他者圏との目的・関心の共有と教育との関係について、デュ ーイは次のように指摘している。「共有された関心の範囲が拡大することや、 一層多様な個人的能力が解放されること」が「自然のエネルギーを制御する 科学の力から生じた工業や商業や旅行や移住や相互交信の諸要式の発達によ って産み出された」社会状況の下、「一方で個性化が一層進み、他方で関心が 一層広い範囲で共有されるようになった後には、そういう個性化や関心の共 有を維持し拡充することが、計画的な努力の問題なる」26。ここに「関心が 一層広い範囲で共有されるようになった後には」とあるが、その共有から程 遠い「未完成な公衆」という当時の状況(前章)を踏まえれば、“その共有に 至る過程”がまず「計画的な努力の問題」となる。 この点はデューイの別稿でも「“教育のみが”、関心と目的 aim が広範囲に 行き渡る共同体をもたらすことができる」と述べられているが27、これはい 25 例えばわれわれは銅を日常的に消費しているが、銅の原料である銅鉱石の一部はパ プアニューギニアに依存している(朝日新聞朝刊2010 年 5 月 9 日)。その鉱山稼働 による森林破壊、フライ川の水質汚濁は、現地住民の生活に深刻な打撃を与えてい る(同上)。そうした他者の生活を認識してわれわれ自身の生活を見直す習慣の形成 は、われわれ自身の公衆化の問題である。
26 Dewey, Democracy and Education, op.cit., p.87. 27 Dewey, The Middle Works(10), op.cit., p.139.
かなる根拠に基づくのであろうか。その共同体形成における成員の要件、す なわち成員が他者圏と目的・関心を共有する資質形成は、成員の生活に関係 づけられている他者圏の認識形成を前提とした。この点を踏まえてデューイ の指摘を見てみよう。「ある共同社会が、その地域やその時代を越えたところ に存在するものに、かなりの程度依存するようになれば、共同社会は、自己 の全ての資産の適切な伝達を確実にするために、学校という確固たる機関に たよらなければならなくなる」、これに次の指摘が続いている28。 古代のギリシャ人やローマ人の生活はわれわれ自身の生活に深く影響を及 ぼしているのだが、彼らがわれわれに影響を及ぼす方法は、われわれの通常の 経験の表面には現れてこない。また全く同様に、現存はしているが、空間的に 遠く離れている民族、イギリス人やドイツ人やイタリア人も、われわれ自身の 社会の事柄に直接に関わりをもっているのだが、その相互作用の本質は、はっ きりと述べられ、注目させるのでなければ、理解できない。 時間的のみならず「空間的に遠く離れている」他者圏と成員の生活との繋が りは「はっきりと述べられ、注目させるのでなければ、理解できない」。その 繋がり以前に、他者圏の認識形成自体が日常生活には期待できない(この点 は、紙・銅等の現在の消費財が内包する他者圏をわれわれも認識できていな いことからもわかる)。したがって他者圏の認識形成の保障は、民主主義社会 を指向する場合、学校という制度的「機関」に委託さなければならない。 では、見えないところで成員の生活に連結されている時間的・空間的に遠 く離れた他者圏の認識形成を、デューイはいかなる教育課程で児童生徒に保 障しようと意図しているのであろうか。デューイの教育課程は仕事を中軸と する地理・歴史および科学学習であるので、仕事を通した地理・歴史学習、 科学学習それぞれが他者圏の認識形成にどのように関係しているのかが問わ れなければ、成員が他者圏と目的・関心を共有する資質形成(民主主義社会 の成員の要件)における地理・歴史学習および科学学習の役割をつきとめる ことはできない29。地理学習のその役割の検討が次節以降の課題となる。 (2)他者圏の認識形成とデューイの地理学習 その課題を前に本稿は、デューイの地理学習と歴史学習とは相補的関係と
28 Dewey, Democracy and Education, op.cit., p.19.
29 科学の知識による他者認識形成については一度検討している(拙稿「普通教育の概
念構想への一視座-科学の知識による職業教育と道徳教育-」『浜松学院大学短期大 学部研究論集』第2 号、2006 年、23-24 頁)。
して組織されているので、他者圏の認識形成における地理歴史学習の役割を 考察する中から、地理固有の役割を把握する。『民主主義と教育』の第16 章 「地理および歴史の意義」における指摘にまず着目してみよう。「遊びや仕事 での作業の究極的な教育価値」は「意味の拡張の最も直接的な手段となる点 にある」と述べて、デューイは次のように続けている30。 遊びや仕事は適当な条件の下で行われれば、限りなく広い範囲の知的考察を 収集し保持する“磁石”となる。それらは、情報を受容し同化する生きた中核と なる。〔----〕情報は、活動それ自体のために遂行される活動の中に-手段とし てであろうと〔遊び・仕事の目的の具体化のために用いられようと〕、目標の 内容の拡大としてであろうと〔遊び・仕事の後の認識形成に用いられようと〕 -要素として入り込むときに、有益なものとなる。 原料と道具で生活資料を協働で作り出す仕事は、「学校の学科の中でも特に情 報的知識を与える学科」である地理・歴史をひきつける「磁石」となる31。 したがってデューイは地理歴史学習の前に仕事学習を位置づけている。 では、仕事を土台として成り立つ地理学習はどのように性格づけられてい るのであろうか。デューイの次の指摘を見てみよう32。 「地理を学習する」ことは、日常的活動の“空間的・自然的、、、諸関連”を認識す る能力を、「歴史を学習する」ことは、本質的にはその“人間的諸関連”を認識 する能力を増すことである。というのは、系統的に述べられた学問としての地 理学といわれているものは、われわれの生活している自然環境に関して“他者 の経験 other men's experience において”発見されてきた諸事実や諸原理の体系 にほかならず、“われわれの生活の”個別的な活動が“それとの関連において”説 明されるからである。同様に、系統的に述べられた学問としての歴史も、“わ れわれの自身の生活に”連なっている社会集団の活動や受難に関して知られて いる諸事実の体系にほかならず、それとの関連を通してわれわれ自身の慣習や 制度が明らかにされるからである。 ここに歴史学習の本質は「人間的諸関連」の認識形成とされているが、地理 学習も“人間の生活”に関する認識形成として性格づけられている。人間の「日 常的活動の空間的・自然的諸関連」の認識形成、すなわち“「他者の経験」に おいて”自然環境に関する「諸事実や諸原理」を理解することが、地理の学習 30 Ibid., p.208. 31 この根拠については拙稿「経験主義の学習組織論における仕事と地理・歴史の認識 連関-幼児の言語獲得過程に遡って-」(『日本デューイ学会紀要』第44 号、2003 年、 149-155 頁)にて検討している。
対象とされている。 このようにデューイにおいて地理学習は、“人間の生活から切り離して”地 形・地質などの自然について学習することではない。自然に働きかけて生活 資料を生産する他者の仕事は、“どのような自然的条件の中で行われているの か・行われてきたのか”に焦点を当てれば、地理学習に展開され、“どのよう な「人間的諸関連」(他者圏)の中で行われているのか・行われてきたのか” に焦点を当てれば、歴史学習に展開されるということである。言い換えれば 地理と歴史はともに他者圏の認識形成を共通の課題として、他者圏における 他者の生活の自然環境的側面が地理の認識対象とされている。ここに、他者 圏の認識形成における地理学習の役割を特定できる。 ここで留意しておきたいのは、「人間的諸関連」(他者圏)は、“成員の生活 に連結させて”児童生徒が認識するように計画されている点である。時間的・ 空間的に遠く離れた他者圏は成員の生活に実際に繋がっているのではあるが、 その繋がりは「はっきりと述べられ、注目させるのでなければ、理解できな い」ので、その留意が要求されるわけである。他者圏が「われわれの自身の 生活に連なっている社会集団」として認識されるように、他者圏の自然環境 的側面に関する地理の情報も、「われわれの生活の個別的な活動」との関連で 理解されるように意図されている。他者圏の認識形成が成員の生活から切り 離されたものとならないことが地理歴史学習の原則となっている。 以上のように地理学習は、成員が他者圏と目的・関心を共有する資質の形 成という民主主義社会の課題に対して、次の役割を担っている。その課題は、 成員の生活に関係づけられている他者圏(歴史軸の他者の繋がりと空間軸の 他者の繋がり)の認識形成を前提とする。その中には仕事に従事している現 在の他者と従事した過去の他者とが多く含まれるが、その他者の仕事の自然 環境的側面に焦点を当てて、地理学習は他者圏の認識形成を保障する。 [3]デューイの民主主義社会論における地理学習の構造的位置 本章では、『デューイ実験学校』における地理・歴史学習の実際を考察した 後、成員が他者圏と目的・関心を共有する資質形成(民主主義社会の成員の 要件)と地理学習との内的関係について検討する。後者は、他者圏の認識形 成と地理学習との関係を把握した前章の作業の次のくる課題である。 (1)デューイの地理学習における他者認識形成の実際 デューイの地理学習論は教育内容にどの程度具現されて、他者認識形成は どの程度保障されたのであろうか。この点を、『デューイ実験学校』における
地理・歴史学習の考察を通して把握してみよう。 成員の生活に連結されている他者圏は、空間軸の「人間的諸関連」と歴史 軸の「人間的諸関連」とで構成されたが、前者についてまず見てみよう。ま だ遊びの学習段階にある児童(6 歳)は「生活に必要な食物の供給」を主に 行い、「自分の家もほかの家と同じように、郵便・食物・衣服その他日常生活 の必需品を運ぶ多くの人々を通じて、大きな世界に依存していることを認識 した。興味は、運ばれてくる物ではなく運ぶ人に主に集中した。その人たち が何をどうやっていて何が結果してくるのかが、児童の好奇心をいつもかき たてた。〔----〕人々に関する興味は拡張して、遊びが家と近所から児童を連 れ出す活動に拡大するにつれて、興味は〔----〕人々の活動から活動の客観的 結果へと移った。牛乳屋さんから、牛乳はどこから来てどう作られるかに移 った」33。このように児童は、見えないところで現在の自らの生活を支えて いる他者圏を認識しはじめており、4 歳から 6 歳までの三年間のまとめは次 のように報告されている。遊びは「家族を模倣する遊びから、家庭生活を支 える人々への遊びへと広がった。興味は次第に、その人々の活動とその人々 が作ったり買ったりする物へと広がった」34。 この空間軸の他者圏に関する認識形成の中に地理学習は見出せないが35、6 歳の学習報告において次の地理学習が報告されている36。綿・小麦・トウモ ロコシ等の種子を播いて、どれが最も早く発芽するかを見た。仕事に関わる この実験と関連して、(1)「気候が問題になり、綿がよく育つのは地球のどこ かを見つけた」、(2)「綿栽培の地球上の分布を調べた際、児童はエジプトと サハラ砂漠に注目し、なぜ砂漠で綿が育たないのか理解できずにいた。〔----〕 綿は暑さのほかに水を必要とすることを児童は知った。するとある児童はす ぐに、水がないとき農夫はどうするのか尋ねた」。普段消費している綿製品を 前に児童は、その原料が内包する他者(綿栽培をする農夫)の仕事の自然環 境的側面として地理を学んでいる。以上『デューイ実験学校』において、空
33 K.C.Mayhew, A.D.Edwards, The Dewey School, 1936, Reprinted by Atherton Press, 1965,
pp.76-77. なお同書訳出の際、本稿は梅根悟・石原静子訳『デューイ実験学校』(明 治図書 1978 年)を参照している。
34 Mayhew, Edwards, op.cit., p.93.
35 この点は遊び学習の性質による。遊びでは児童の注意の対象は「家庭生活を支える
人々」にあり、その人々が作る物にはないので、人間と自然環境との関わり(地理) は児童の思考には自ずと入ってこない。
間軸の他者圏の認識形成に関する報告は6 歳に限られている37。 これとは対照的に歴史軸の他者認識形成については『デューイ実験学校』 は、7 歳から 11 歳にかけての歴史学習の中で詳しく報告されている。仕事を 組み込んで原始時代(7 歳)からはじまる歴史学習は、9・10 歳において米国 植民地の歴史が取り上げられている38。9 歳の学習は「自分たちの住むここか らがいい」としてシカゴから出発した。児童はフランス人探検者の生活の話 を聞いた後、「その人々の経路を地図上で辿った。その地理学習では、大西洋 からセントローレンス川と五大湖を経てミシシッピーに至る旅の道を見出し、 砦の位置を決めた。〔----〕イギリス人とフランス人の抗争、各々の領分の主 張が説明されて、児童は未保護の領土へのフランス人の侵入と抗争の地点と を探した。インディアンとの敵対、五部族連合の現場、東部での毛皮交易の 不振が、フランス毛皮商人の経路の理解を助けて、商人に西への道をとらせ た。新しい領分で砦作りの仕事が必要となり、その位置は川の入口と湖の上 端の運輸をおさえる地点であることが確認された。〔----〕それは、商業的に は西部との毛皮貿易の地点として利益を掌握させた」。このように児童は交通 路の要衝となる地理をおさえながら歴史学習を進めている。 次の10 歳の学習では「当時の家内工業の過程は、羊毛・亜麻・綿の栽培と 加工において多くの研究と実験を提供して」、その中で児童は亜麻を研究対象 として、「こんなに根が細いのだから軽い土が必要だろうと考えて、適地とな る渓谷を地図で探した」39。また開拓小屋作り・炉作りの仕事の後、児童は、 航海条例(1651)等をめぐる英国との諸抗争、レキシントンの戦い(1775) 等の独立戦争を学習する中で、抗争が起きた地点の地理的理由が問題とされ、 「大きな起伏地図を用いて、自分たちのグループが選んだリーダーの指揮の 下、〔想像の中で攻撃や防御等〕様々な軍事的戦略を試みた」40。児童の祖先 ある開拓者は、児童の生活に連結されている「人間的諸関連」(他者圏)の縦 軸の一部をなすものだが、他者の生活の自然環境的側面の学習に支えられて 他者圏の認識形成が進められている。 この後の「植民者のヨーロッパ的背景」の学習(11 歳)では、児童の祖先 である植民地開拓者がどのような他者圏を背後にしていたのかが取り上げら 37 この事情は、デューイ実験学校の実践に関する新たな資料を用いた近年のデューイ の教育課程研究(註(11)の文献)でも同様である。
38 Mayhew, Edwards, op.cit., pp.145-147. 39 Ibid., p.175.
れて、成員の生活に連結されている歴史軸(縦軸)の他者圏の認識形成につ いてはさらに報告されている41。これに対して空間軸(横軸)の他者圏の認 識形成については、4-6 歳の学習報告に非常に限られたものとなっている。 ここに教育内容構想上の課題を残しながらも、デューイ実験学校の実践にお いて地理学習に支えられて他者圏の認識形成が進められており、デューイの 地理・歴史学習論が具現されている箇所を実践報告の随所に把握できる。 (2)デューイの民主主義社会論における地理学習の構造的位置 以上の地理・歴史学習による他者圏の認識形成は、前章に触れておいたよ うに、“児童の生活から切り離されたものとならないように”留意されている。 この点をまず、デューイの指摘の中に確認してみよう。「ひとつの制度として、 学校は、家庭とその他のもろもろの“より大きな社会的組織体”との中間であ る。したがってそれは、前者から自然に成長して、後者へと自然に導いてい かなければならない」、この後にデューイは次のように述べる42。 〔衣食住に関する〕諸活動の考察と熟知は、“自らが依存している一層大き な諸関係”に子どもをつれ出す。例えば、木材、石、食物についての考察は、 現存の社会的諸活動という大きな領域を“その中に包含しており”、また、現在 の社会を生み出したかつての社会状態へと子どもをつれ戻す。 児童の仕事が「一層大きな諸関係」に依存しているということは、その仕事 がその他の諸仕事と見えないところで関係づけられているということ、仕事 で用いる諸原料・諸道具各々が他者圏を包含しているということである。 このように「木工、調理、裁縫、織物といった多種多様な〔仕事〕学習」 の選定は、「それらが外部の実社会における最も重要な諸活動のいくつかを、 すなわち、日常的な衣食住の問題や、家庭生活の問題や、人の移動と物資の 交易に関する問題を、よく代表しているという理由に基づいている」43。あ る仕事学習は、実際の産業社会におけるその仕事に学習者の思考を導くのみ ならず、仕事における個々の原料は、その生産・流通(交易)に関わった人々 の繋がり(他者圏)を内包しているので、仕事学習は「一層大きな諸関係」 41 Ibid., pp.185-199.
42 J.Dewey, “Plan of Organization of the University Primary School”, The Early Works(5)
1882-1898, Southern Illinois University Press, 1972, p.225.
43 J.デューイ著、遠藤昭彦・佐藤三郎訳「大学付属小学校の三年間」『実験学校の理論』
である他者圏の学習の土台ともなるわけである。 したがってある仕事が、産業革命以降において国内外の他者圏と関係づけ られるようになった段階では、その仕事が内包する他者圏は国際規模のもの となっている。この点を踏まえれば、学習者はその仕事に関係している他者 を身近な他者から辿りゆけば、最終的には国土を越えた他者にまで到達する ことになる。したがって仕事を通して「幼い子どもたちは、家庭生活や家庭 の仕事から始める。六歳なると家庭の外の仕事、より大きな社会の産業-農 業鉱業、林業など-を研究させて、生活が依存している複雑多様な社会の産 業を理解でき」、学習者は「一つの仕事から一つの仕事へと、一つの家具から 一つの家具へと、ひとつの関係からひとつの関係へ移行」できる44。その「移 行」を通して認識される「人間的諸関連」(他者圏)は、学習者の仕事から出 発してその仕事に関係づけられている他者として認識されるので、最終的に “学習者の仕事に包含される他者圏として”理解されることになる。 この点を踏まえて、デューイの民主主義社会論に立ち返ってみよう。国土 を超えて拡大する他者(自己の生活に関係している他者)と目的・関心を共 有するという民主主義社会の成員の資質形成は、その他者圏の認識形成を前 提として成立する。その認識形成と地理学習との関係を把握した前章の作業 の次に問われるべきは、“同認識形成は民主主義社会の資質形成に連動しうる かどうか”という点である。その他者圏の認識形成が、他者と目的・関心を共 有することにつながるのかどうかが問われなければならない。この問題を前 に、次の二種類の他者認識の形態を比較してみよう。 (1)自己の生活を取り巻く他者圏を、自己の生活(諸仕事)を実際に支えて いる他者圏として学習者が認識“しながら”、他者認識形成を進める。 (2)自己の生活を取り巻く他者圏を、自己の生活(諸仕事)を実際に支えて いる他者圏として学習者が認識“しないで”、他者認識形成を進める。 国外の他者が直面している深刻な社会問題が、学習者の生活に“実は”関わっ ている場合、(2)の形態では学習者は“認識において”他者との「接触点」を 欠いているので、その社会問題は“国外の他者の問題として”、すなわち“学習 者自らの生活とは関係のない問題として”受容される。その社会問題は学習者 において「反応しなければならない刺激」とはなりえないので、同問題を他 者と共有しようとする意識や必要性は生まれにくい。この点を踏まえれば、 そうした社会問題を含めて他者と広く目的・関心を共有していく資質形成の
ためには、デューイにおいて原則とされている(1)の他者認識形成が求めら れる。(1)の場合、学習者自らの生活は他者の生活に影響を与えているとい う認識が伴うので、他者と目的・関心を共有する必要性の意識が生まれる、 少なくともその意識が生まれる可能性が用意される45。 以上のように他者認識形成の形態までも把握すれば、デューイの民主主義 社会論における地理学習の構造的位置を次のように明示できる。デューイの 民主主義社会における人間の資質形成のひとつは、他者(国内外の社会集団) と目的・関心を共有できるようになることであった。(a)その資質形成が前 提とする他者圏の認識形成において地理学習は役割を担い、(b)その他者認 識形成は学習者の生活に連結された形態であるので、他者と目的・関心を共 有する必要性の意識が随伴する。その形態は民主主義社会の資質形成に連動 可能であることが見出されたこの地点において、デューイの『民主主義と教 育』における地理学習の構造的位置が明らかとなる。 [おわりに]デューイの民主主義社会論研究の今後の課題 以上本稿は、デューイの民主主義社会論と教育課程論との内的関係が改め て課題化してきている研究動向を前にして、デューイの地理学習の『民主主 義と教育』における構造的位置を明らかにしてきた。この作業を終えて、最 後に今後の課題を明示しておきたい。デューイの歴史学習は「人間的諸関連」 (他者圏)の縦軸(歴史軸)に関する教育内容は詳細に報告されているが、 横軸(空間軸)に関する教育内容は非常に限られている。この点は横軸にお いて、デューイの地理・歴史学習論の内実が伴っていないことを意味する46。 この課題をデューイから引き継いで、他者圏の横軸に関する教育内容を開発 45 その形態(1)は、他者と成員の両社会にまたがる社会問題を前に、成員は他者の側 から自らの生活を視る視座転換を促すので、同問題を“他人事”と見なす可能性が小さ くなる、すなわち「反応しなければならない刺激」として受け止める可能性が大き くなる。視座転換と他者認識形態との関係は、拙稿「『君たちはどう生きるか』(吉 野源三郎)の社会認識形成論-視座転換を可能とする他者認識の段階的形成の筋道 -」(『愛媛大学教育学部紀要』第58 号、2011 年、1-20 頁)で検討している。 46 この点は、デューイに“完全無欠な”理論を意識のどこかで求める「状態的思考」(丸 山真男)の下では、課題としてではなくデューイの欠陥として受容されて、学者は デューイから別の理論家にためらいなく鞍替えすることになる(拙稿「教師のキャ リア形成と教育学-専門的技能形成を支援できる教育学(者)の基礎条件-」桜木 晃裕(編)『女性の仕事環境とキャリア形成』税務経理協会、2006 年、180-182 頁)。 このように「状態的思考」の有無は研究の在り方を根底から規定する。
していくことが求められる。これは、デューイの文献・資料の解釈研究では どうにもならない課題である。これに取り組まなければ、他者圏の横軸に関 する教育内容をデューイの地理歴史学習論は今後も持ちえない状態が続くこ とになる(縦軸に関する教育内容についてもわれわれの時代と社会の中で引 き継ぐには開発が勿論必要となる)。その結果、デューイの民主主義社会論が 要求する資質形成は、それを実際に保障する内容と方法を今後も一部欠いた ままとなる。したがってデューイの民主主義社会論と教育課程論との内的関 係に関する研究は、教育内容“開発”の課題を必然的に含むことになる。 この課題はわれわれに、教育課程研究における方法主義の先述の「伝統」 の自覚をまず求めてくる。この「伝統」がデューイ研究にも根を張っていれ ばこそ、デューイの教育課程研究は多く蓄積されてきているにもかかわらず、 2000 年の時点で「教科主義と活動主義(経験主義)とを調停する実践論理」 の究明が課題として提示されたわけである47。この「古典的」課題に取り組 むには、特に他者圏の横軸の認識形成に関して、さらには科学(純粋科学) の知識の組織過程に関して、教育内容の開発が前提となる(後者の教育内容 もデューイの教育課程において欠落している48。それらの課題は、デューイ の民主主義社会論を資質形成の次元で問う場合、不可欠な作業となる。 47 この課題提起にはデューイの教育課程研究(者)の自己矛盾が炙り出されている。 内容研究の中から方法を引き出す一元論に基づくデューイの教育課程を検討対象と しながら、われわれ自身は内容研究から離れた「伝統」(二元論)に立っているから である。一元論に基づいてデューイの教育課程を研究していれば、仕事(活動)と 教科とを「調停する」内容開発の事例は蓄積されてきているはずで、“振り出しに戻 るかのような”そうした課題提起は出てこないはずである。 48 例えばデューイ実験学校では金属精錬の仕事が実践されているが(Dewey, The
School and Society, op.cit., p.32, Mayhew, Edwards, op.cit., pp.110-111.)、同仕事 からどのような科学の知識の組織化が展開可能かは、他の仕事実践の報告同様に不 明となっている。この課題状況を前に筆者は、金属精錬の仕事を起点とする酸化還 元の知識の組織過程を検討して、それを保障する教育内容を提示している(拙稿「教 科内容学としての教育課程研究-J.デューイの教育理論に基づく教育過程の内容構 想-」『日本教科内容学会誌』第2 号、2016 年 3 月、13-25 頁)。