岡山大学経済学会雑誌32(1),2000,145-156
近代農村工業 の展開要 因についての一考察
-
神立春樹 『
近代蘭産業の展開』をめ
ぐって-内
田
豊
士
1.は じ め に
「蘭蓮」 とい う言葉にお 目にかか ったのは この害が初めて とい う方 も多い のではなかろ うか。蘭延 とは,蘭草を原料 と した延類 (畳表 ・共産 ・花延 等)の総称で,本書では蘭草 も分析 の対象に含めている。 この蘭延の起源を 、lL 遡 ると弥生時代 ,ひ ょっとす ると縄文時代に到達す るか もしれない。 こうし た長い歴史を持つ蘭延ではあるが,近世期においては寺院や武家屋敷な どを 除けば一般にはそれほ ど普及 していない。蘭延頬が本格的に普及す るのは明 治以降のことであ り,そ こに近代蘭産業の展開を分析す る意義が もとめ られ る。 この書評では,本書の内容について私な りの検討を加えなが ら紹介 し,級 半部分では本書が積極的に関与 しなか った明治20年代の花延生産 の急展開要 因に対 してい くつかの指摘を試みたい。2.
本書の意義について
長い歴史を持つ製造業だけに,蘭建関連の研究あるいは報告書類は少な く (2) ない。 しか し,そ うした もののほ とん どが畳表や花延 といった蘭延の箇別の -145-品 目を対象 とした ものか ,ある地域 におけ る蘭延業 の考察に限 られていた。 本書は ,蘭延 (蘭草 も含 めて)を近代期全般にわた って ,しか も全 国を分析 対象 としているのである。但 し,本書を もって近代期におけ る蘭延業展開の 全容が解 明された とい うことではない。は しが きに も記 されているとお り, 畳表 の生産形態や花延 におけ る金融 の問題等にフいてはその分析に まで及 ん でいないのである。 しか し,本書はそ うい った諸問題 に対 して も関連資料 の 掲載や ,指摘をお こな うな ど今後 の蘭延業研究 の指針を示そ うとしているO そ うい った意味で ,本書は蘭延製造業 に関す る最 も包括的で ,かつ基本的な 研究書 であるといえるのである。 著者である神立春樹氏は ,日本 の産業革命をテーマ として研究活動を続け て こられた。産業革命研究におけ る蘭延製造業 の意義について1973年 に発表 された論文
,
「明治期輸 出花産業 の展開過程」(岡山大学産業経営研究会 『研究報 告』第6集)にその叙述 がみ られ るoそ こでは花延製造業 を研究対象 とす る意 義 として 「花延業 とい う今 日ではわが国産業構成上 ネグ リジブル 〔とるにた らない〕 ともいえる一産業 を と りあげ るのは ,これが明治期 におけ るわが国 産業 の発展過程 の把捉をふかめ る うえでの重要な手がか りとな ると思われ る か らである」 として ,産業革命 の一側面 としての蘭延製造 の展開を位置づけ ているのである。3.
本書の構成 と内容について
本書 の構成は以下 の よ うにな ってい る。 第 1章 明治初期の蘭延生産 第2章 明治中期の蘭延生産 第3章 明治中期∼大正期の蘭延生産 第4章 明治期における花産業の展開 第5章 日本花延の対アメリカ輸出停滞をめぐって -146-第6章 主要蘭業地早島町における蘭産業 付論 官庁統計における蘭産業の把握 第 1章では近代的な展開に先立つ明治初期の蘭蓮お よびその原料の蘭草の 生産状況を把撞す ることをめざ している。近世期における蘭延の全国的生産 状況が把握できないため ,明治初期 (明治7年 と10年)の分析で,近代産業 展関前の状況を明らかに しようとしている。 本章では 『府県物産表』や 『全国農産表』を分析 した結果,r明治以降にお け る畳の普及 ・一般化に先立つ時期には藁製品やそれ以外の植物を原料 とす (3) る多様な敷物が生産 され」た ことが明らかにされているo Lか し,『府県物 (4) 産表』の全体に占める髭席頬の割合は0.4%に過 ぎず ,決 して大 きな産業 で はなか った ことがわか るo さらに髭席規における蘭延の比重についても考察 がすすめ られ るO第1表に よれば,耗席類全体の79%に相当す る蘭草 ・稲藁 素材の延焼に対 して,蘭稲以外の延類が19%,敷物以外の戟席類が2%とい う構成であることがわか るQちなみに畳類 (製品である畳 と畳床 ,畳表の合 計)の生産額は31%に過 ぎず ,明治初期においてほ蘭延の比重の小 ささが際 立つのである。つ ま り,「明治以降の蘭延業の展開は,これ ら多様な敷物類に (5) 蘭延が代替 してい く過程」 ともいえるのである。 第2章 と第3章では 『農商務統計表』を利用 して,明治 ・大正期の蘭延及 び蘭草の生産状況の統計的整理を試みている。丹念な分析ではあるが図示 し た方がわか りやすい と思われ るので,第
3
章付表 Ⅰをグラフ化 してみた。な お,実質化の処理をおこな っているので表中の数値 とは違 った軌跡をみせて いる点にはご注意いただ きたい。 明治期においては莞延 (花延の別称) の生産額 の圧倒 的 な大 きさが 目立 つC ピークは明治28年 と35年で,31年を中心 とす る生産額 の激減をみせてい る。 この31年か ら33年にかけての生産額激減は後に取 り上げ られ るアメ リカ 関税法改正の直接的影響 と考 え られ る。36年か ら41年 まで200万円代後半の -147-図1 蘭蓮生産額 生産額 (円) 百万 5 4 3 2 1
0
明272829303132333435363738394041424344大234567891011121314昭 2345678910111213 治 正 和 25 1 l 注)神立春樹 『近代蘭延業の展開』第 3章付表 Ⅰの数値に より作成。ただ し,日本銀行 『明治以降 卸売物価指数統計- 100周年記念資料-』 (昭和62)年掲載 の 「総 合卸売物価 戦前基準指数」 (明治25・27・28年を100とす る指数に変更)をデフ レーターとして実質化処理をおこな って いる。 生産額を示すが,その後大正4年を中心 とす る最大級の低落を示す。大正10 年以降は200万円前後の生産額に上昇 している。 これに対 して共産 は明治 ・ 大正期を通 じて (昭和13年を除けば)100万円以下の生産額 しかな く,安定的 な生産 といえる。琉球表 (七島蘭を原料 とする畳表)についても共産 よりも 振幅が大 きいもののその生産額は100万円前後で,明治期 よ りも大正期 に若 干生産額を増加させている。花菱 と対照的な動 きをみせてい るのが備後表 (蘭草を原料 とす る畳表)の生産額である。明治中期までは琉球表や共産 と 同様の動 きをみせているが,明治40年代以降増加傾向に転 じ,大正3年には 莞延の生産額を上回 り,その後 も増加傾向を続ける0 第2章の分析の結果 ,「蘭延の生産は少数の県に集中 してい るOそれは畳 義 ,輸出向莞建いずれ もであるo畳表は大分 ・広島 ・岡山の3県で52%を占 め,輸出向莞延は岡山,広島で82%ほ どを占める。蘭延生産はこの岡山 ・広 一148-(6) 島 ・大分の3県」が中心 とな っていることが明らか となる。なかでも岡山県 は蘭延生産 の
4
割を生産 してお り,第4
章では岡山県における蘭延生産 の状 況について考察 され る0 第4章 と第 5章では輸 出花延業の分析をお こなっている。筆者は花延生産 の展開過程における論点 として 「第-に,明治20年代におけ る発展の諸条件 と存立形態 ・存立条件 ,第二に,1902(明治35)年を ピークとす る停滞の要 (7) 因な どが主要な検討点 となる」 としている。第4
章は この 「第二の論点に到 (8) る過程について検討す る」 としている。第 1の論点を分析 していないのは, は しが きにおいて,「明治10年代後半か ら20年代におけ るア メ リカへ の輸 出 (9) の急増については,それを深 く検討 していない」 ことに由来す る。 しか し第 4章 で紹介 されている多彩な資料類 (特に綾延合資社の分析)は明治20年代 の花延生産 の展開を説明す るためのキーワー ドとなっている。筆者は しっか りと第1の論点の分析 のための材料は提供 しているのである。 この明治20年 代におけ る花延生産 の展開状況についてはあとで考察 したい。 第5章は第 2の論点である明治35年を ピークとす る停滞要因を検討 してい る。筆者は最大の敷物市場であるアメ リカをめ ぐる 日本製花延 ,中国製花 延 ,アメ リカ国産 の花蓮類似製品 (紙製延や野草延な ど)の競争の結果 とし て 日本製花延が敗退 し,撤退を余儀 な くされた とす る。そのきっかけ とな っ たのが明治30年のアメ リカ関税法の改正である。 この改正で 日本製花延の う ちで も上等な ものが従価税の対象 とな り,実質 的に輸 出不 可能 とな った結 果 ,中等品や下等品が輸出の中心 となるのである。花延に対す る高率関税は 明治42年に適正な ものに是正 され ることになるが ,この間に成長を遂げたア メ リカ国産品 と,より低賃金化 した中国製花延に市場を席巻 された とす る。 しか し,以下 の点でその説明は不十分であると考えられ る。第 1にアメ リ カ製野草延や紙製マ ッ トの生産量が明らかにされてお らず ,日本製花延に対 抗す る生産量があったのか どうか不明である。第2に ,第5章の第1表をみ る限 り,アメ リカにおけ る輸入花延の総額が減少 してお り,しか も中国製花 -149-延 よ り日本梨花9-延の方が終始優位に立 っている。筆者に よれば中国製花9-延の 優位は後年に至 るほ ど明か となるとの ことであるが根拠 となる数値が提示 さ れ るべ きであろ う。 この点については今後 の検討課題 として残 されていると 考 える。 第6章では 「蘭延生産 の状況を よ り具体的に把握す るための町村 レベルで ∴い の検討の試み」 として岡山県都窪郡早 島町 の蘭延生産 の様 子 を検討 してい る. この早島町における蘭延生産の重要度は,第6葺第6表の早島町の物産 高でみ ると,蘭延 (畳表 ・ミノ英産 ・花蓮 ・蘭草)生産額が農村地域の代表 的生産物である米の約2.3倍に達す ることでもわかるo また蘭延 生産 の集 中 度についてみて も,大正11年の早島町の花延職工一人当た り両建 (畳表 ・共 産 ・花延 ・野草延)生産額は535.8円で,岡山県平均322.7円 ,都 窪郡平均 361.2円と比較 した ときその大 きさが際だつ。ただ残念な ことに資料 の残存 状況が悪 く,時代をおっての変化がつかみに くい。 この章では,早島町の佐藤悦太郎氏の記録が紹介 され てい る。『あ る老 人 の思い出の記』 と 『ある百姓 の 日記』の2冊であるが,佐藤氏の生年 (明治 33年)か ら考えて,記録 されている内容の時期はおそ らく大正中期 と考えら 一二、 れる。 この時期の副業的蘭蓮生産の様子が実に鮮明に記録 されていて興味深
い。
4.
若干の問題点
冒頭で も述べた ように,花延生産が明治20年代急展開 した要田について, 若干資料を示 しなが ら私見を述べ させていただ きたい。 ここで考察を明治20 年代に限定す る理 由としては,本書の中で も指摘 されているように,花延生 産が明治30年のアメ リカ関税法の改正に よりダメージを受けて生産形態を大 き く変容 したたためである。 近年発表 された清川雪彦 ,牧野文夫氏の研究では この明治20年代お よび30 - 150-年代前半におけ る花延生産の急展開につ いて積極 的 な検討 が試 み られ てい る。両氏は 「明治20年代お よび30年代前半の花延輸 出の急激な成長を支えた 要因 としては,何 よりも技術 の改良 ・革新の重要性が,指摘 されなければな (ほ) らない」 と結論づけている。 しか しこの研究における最大 の問題 点 は,「急 激な成長」 の要因を花延製造業の中にのみ もとめているところにある。花延 製造業を取 りま く経済情勢や農村における労働力の問題な どが加味 され る必 要を感 じる。 また ,技術 の改良について もそのプラス面のみが強調 されてい るが,特許制度のマイナス面について も検討が必要ではなかろ うか。 花延生産がなぜ明治20年代に入 って急展開をみせ るのか とい う課題を解明 す るための第1の要因は,花延生産に新規参入す る際に必要 となる高額 の資 本が どこか ら調達 されたか とい う問題である。明治20年代初期に生産を開始 した花延工場は広大な工場敷地に多 くの織機を据え付けた工場制生産の形式 を とっていた。本書でも紹介 されている綾延社の資本金は2万円,株主は16 (14) 名 ,職工数は300名であった。綾延の発 明者は藤原丈七 と三宅周三郎 であ る が,綾延社の経営にあた ったのは佐藤永俊 ・塩津亀三郎 ・吉 田平五郎等 で あった。た とえば,佐藤永俊は約70町歩の土地を所有 してお り,貴族院議員 _lさ\ 互選人名簿の常連であった。明治25年花延工場 として 『第15回岡山県勧業年 報』に掲載 されているものが19社確認できる。その うち株式阻織を とるもの が13社 あった。この13社 の株主数は432人で,1社 あた り33.2人 となる。ちな みに1社当た りの職工数は115.2人であった。地主制の確立については,「岡 山県南部平坦地帯におけ る大寄生地主の発生 とその土地集積は,明治10年代 後半の松方デフ レを経過 した明治20年代初頭においてすでにはぼ完了 してい (16) る」のであ り,それに伴 って中小地主の経営 もこのころには当然確立 してい た といえるO こうした地主資金が ,その投資先 として当時注 目されつつあっ た花延製造業に投入 された ことで,綾延社 の ケースの よ うに資金 的バ ック ア ップが得 られた もの と考 えられ る。 次に技術面において も急展開を可能 とした要因が もとめ られ る。清川 ,敬
-
1 5 1-ド・ 野論文では 「間接的に発 明特許活動が ,輸 出の増加 とも関連 していた」 とさ れ,「と りわけ初期には,岡山県での発明改良活動が決定 的重要性 を担 って (18) いた」 としているO 花延生産技術には 「引絞」技術や染色技術等 ,新規参入を阻む技術的障壁 があった。 しか もこうした技術は特許登録 され ,その保護下にあった。 こう した保護下の技術は 「許諾契約」 とい う方法で新たな参入者に伝えられ るの であるが ,なぜ岡山県において特許申請が多か ったのか ,あるいは多 くなら ざるをえなか ったのか ,花延製造において最 も早 く (明治
1
8
年)特許を取得 (19) した磯崎眠亀はつ ぎの ように述懐 している。 当時 (明治13年-筆者江)村 内ノー両名 ノ老ノ、私 ノ発 明 ヲ盗 マン トシマシタ又近 村 ニモ此類 ガ多 ク起 リマツタガ何 レモ皆望 ミヲ達 セズ シテ中途 ヨリ止 メマシ タガ是 レ ガ私 ノ幸福デア リマシタソコデ私 ガ思マシタ-此仕事 ヲ僅 ノ資本デ狐鼠 々々致 シテ 居 リマスル内ニイツカ他人 二其法方 ヲ盗 マ レテ-折角苦心 シテ発 明シ困難 シテ輸 出 ノ端緒迄開キタルモノ 、遂 こ水 ノ泡 (後略) となることを恐れての ことであった。つ ま り,特許登録の多 きは,開発の旺 盛 さを意味す るのではあるが,同時に開発 した技術を無条件で他-伝 えない ための防御策的色合いが強か った と考 えられ る。 本書の第4
章で紹介 されている,綾延社が特許権を所有す る綾延織機の偽 (20) 造事件 も同様の技術保護が 目的の告訴事件であるo こうした技術を保護 しなが ら,しか も生産量を増加 させ る方法が ,本書で も紹介 されている綾延社 のケースにみ て取 れ るO この綾延社 は本社 以外 に 3矧局 130余の分社を もつ。分社は特許綾延織機の使用を許諾 され てお り,そ こに は特許権使用許諾契約を伴 う 「本社一分社」構造が展開 しているのであるO 明治10年代か ら20年代にかけての花延 の生産構造は特許権に より保護 された 範囲内での展開 しか認めない,む しろ秘匿性を重視 した展開構造をみせてい -152-るのである。次に この 「本社一分社」構造 を裏付 け る史料 を確認 してお こ し'=、 う。 契約書 貴殿御営業特許延製造第二十場分工場 ヲ相設 ケ職業仕度御示談 中上御承諾被成 下 , 依 テ自今該延製造 二係 り左之粂 々固 ク相守 り可申侯 ,万一違背之義有之節 -何 時職 業御差止 二相成候共 ,聯異議無御座候 第一粂 製造機数-五台 卜定 メ之 ヲ増減 セ ン トスル時-其都度御届御東 諾 ノ上実 業可致候事 第二粂 製造延-素 ヨリ其他 二付 ,貴殿且御代理御指図二従 ヒ万事注意 ヲ加 -精 良之品製出可致事 第三粂 製造蓮 ヲ貴殿御引取御勝手御販売可相成 ,万一該品二対 シ損害等 有之節 - ,拙者 二於 テ一切引受柳御迷惑相掛 申間数事 第四条 本文中相互 二懇意 ヲ旨 トシ,不正之挙動致間数事 第五条 製造品 ヲ勝手 二使用 シ,或-譲与 ,蜜亮等-堅 ク致間数事 第六条 特許延外之延 -貴殿 ノ許可ナクシテ製造職業致間数供事 第七条 製造職工賃其他諸費共貴殿之御見込 ヲ以テ相 当金員御渡 シ可被下 ,賃銭 代価 二対 シ異議 中上間数事 分工場持主 [ 人 名 ] 明治廿八年 月 日 川 井 令 作 殿 この契約書にみ られ るように織機数 か ら製 品 の販売 ,賃金 にいた るまで 「本社」が管理す る構造がみて とれ る。 しか し,こうした技術保護のための 分社管理は,生造技術の広が りを制限 した ことで技術革新を著 しく阻害 して いた ともいえる。 - 153…
以上資本調達及び技術の広が りとい う2つの観点か ら花建生産急展開の要 因についてみてきた。そ して 「本社一分社」構造が製造技術 の拡散を阻止 し ていた点 も指摘 したO さらにもうひ とつ ,花建製造技術の発展を阻害 してい た要因 として,労働力の供給の問題が残 され る。 本書では花延生産において機械化が実現 されなか った経済的要因を,蘭延 、='L 製造業が展開 した農村部での 「農閑期余剰労働力」が豊富に存在 した点に も とめている。 しか し,同時に 「農閑期余剰労働力」は花延の低価格生産に貢 献 している。 ただ し,明治28年の ように生産規模が急拡大 した場合 ,花建労働力は不足 を来 している。例外的に遠隔地か ら労働力を補充す るケースす らみ られ るの である。 香川県の女性2名が岡山県浅 口郡下の花延製造所に年期雇用 された際の契 ・ご4、 約書が残 っている。 この製造所は明治28年職工45人 を雇用 す る製延所 であ る。 この年 ,近隣の業者 との間で職工の争奪戦がお こなわれ るほ ど職工不足 は深刻であった。 定約善 一 私義今般花延職工 ,貴館 二於 テ就業仕度 二付願 出候処 ,御採用被降難有奉存候 , 然ル上老来ル明治廿八年八月■満二 ヶ年間定約仕侯処相違無之 ,付テ-御 館 則 ヲ遵守 シ万事御指揮 二従 ヒ可 申-勿論 ,期限中決テ退館不仕 ,且他 ノ製 産家 ヨ l),如何 ナル耳言申釆ルモ曹 フテ変心不仕万 々一年限中脱走其他不都合致供 節 (不脱 カ) 老御館則 二依 り,如何様之御処分有之 モ其節-柳苦情申 出 間 ,為其定約番商人 置侯処如件 明治廿八年 讃州宇 田郡阪本村 八月廿九 日 [人名1]二女 [ 人 名 2 ] 年 廿一才 - 1 5 4
-同三女 [ 人 名 3 ] 年 十五才 備中浅 口郡 [村名 1] 引受人 [ 人 名 5 ]殿 [ 人 名 4 ] 労働力を農村の 「農閑期余剰労働力」に依拠 している蘭延 の生産は,その 急拡大期においては労働力の不足 とい うブ レーキに より,労賃の高騰や ,職 工の争奪戦 まで引 き起 こす とい うマイナス面 も合わせ持 っている。 こうして急展開を遂げた花延生産ではあったが ,明治29年の粗製濫造反動 不況 ,30年のアメ リカ関税法改正の影響 を うけ て地 主資金 が撤退 し,明治 31・32・33年の不況を経てその生産形態を大 き く変貌 させ る。 「出機」生産 ・_ltL51 の展開である。
5.
お わ り に 著者の神立春樹氏が岡山大学の教官 として着任 してきた1970年は,岡山県 における蘭建生産が衰退傾 向を強めてい った時期に当たる。 それ よ り少 し前の昭和30年代には梅雨明け頃の蘭草刈 ,盆頃か ら始 まる新 蘭に よる畳表 の製織は当時の風物詩 として新聞等でも必ず報道 された もので あるo昭和30年代半ばか ら始 まる水島干拓 と,コンビナー ト企業の誘致に よ り次第に蘭延生産者の後継者が勤め人 となるようになる。結果 として蘭延生 産は先細 りとな り,ポ リプロ ・ピレン製花延の登場や ,九州の産地に よる産 出量拡大な どの諸条件が重な り合い,岡山県の蘭産業は衰退期に入 るのであ るO神立氏が岡山にや ってきたのはそ うい う時期であった。2000年3月 ,神 立氏は退官をむかえられ ,岡山の地を去ろ うとしておられ る。偶然ではある が現在 ,岡山県蘭業はその影をひそめて しまった。 - 155-注 (1)伊藤実 「たたみの起源を探る- ムシロの考古学-」『備後表一畳の歴史を探 る-』平 成2年11月 広島県立歴史博物館 (2)本書においても様 々な研究成果が解介 されているが,清川雪彦 ・牧野文夫 「花延産業 における技術改良の意義一明治期農村工業品の輸出促進要 困の検討-」 (『経済研究』 Vo149,No.3,Jul.1998)には東京高等商学生が学校へ提出 した調査報告集等が紹介 されてお り参考になる。 (3)神立春樹 『近代蘭延業の展開』10ペ ージ (4)古島敏雄 『資本制生産の展開 と地主制』47ペ ー ジ (5)神立前掲壱10ペ ー ジ (6)神立前掲書42ペ ー ジ (7)神立前掲書78ペ - ジ (8)同上 (9)神立前掲書は しがきviペ ー ジ (10)神立前掲書134ペ ージ (ll) 『岡山県統計年報』大正11年 (12) 『早島の歴史』 (3 史料編)にも抄録されている。 (13)清川 ・牧野前掲論文215ペ ージ (14)『岡山県第15回勧業年報』 (明治25年) (15)東京大学社会科学研究所 『倉敷紡績の資本蓄債 と大原家の土地所有』昭和45年 (16)同上責 (17)清川 ・牧野前掲論文215ペ ージ (18)清川 ・牧野前掲論文213ペ ージ (19)磯崎眠亀 『於大懇親会席上談話』(磯崎キヌ-家文書) (20)神立前掲膏93ペ ー ジ (21)神立前掲苦99ペ ー ジ (22)川井潔家文膏 「契約膏 」 (23)神立前掲書130ペ ージ (24)個人所蔵文書 「定約書」 (25)『早島の歴史』(4 蘭業史編)において詳述 しているのでそちらをご参愚 いただ き たい。 [付記]この書評に史料の利用を快諾いただいた磯崎キヌ-様 ,川井潔様 ,史料の筆耕を し ていただいた倉敷市史編 さん室の小熊ちなみ様に心 より感謝申し上げます。 (倉敷市総務局総務部市史編 さん室) (『近代蘭延業の展開』 御茶の水書房 2000年 vB+180ペ ー ジ)