いて
著者
藤本 有美
雑誌名
論集
巻
41
発行年
2014-12-31
URL
http://hdl.handle.net/10097/00130329
0.
Vyavaharabha�ya第2章における
心の不調な僧について
(57)藤 本 有 美
本稿では, ジャイナ教聖典Vyavaharasiitra II 9-1がの注釈であるbha�yaを もとに, khittacitta, dittacittaという二通りの精神状態の僧について紹介したい。khittacitta (Sk. k�iptacitta) 「心を失った〔僧〕」, dittacitta (Sk. diptacitta) 「心 に火の付いた〔僧〕」はVyavaharasiitra II 9 -10に見られる語である。 鬱と躁に 相当する精神状態の僧であろう。 2スートラは, そのような僧について「僧団 から追い出されず, 世話されるべきであり, あとから非常に軽い裁定が確定さ れるべきである」と簡潔に規定する。 しかし, bha�yaでは, そのような状態 になる理由・状況と対処とが詳説されている。 本稿ではこの文献箇所を取り上 げ, 古代インドのジャイナ僧の生活について, 紹介の一つとしたい。 文献の年代について, Vyavaharasiitraの成立は, 紀元前三世紀以前にはさか のぼりえない。 Vyavaharabha�yaは, 4, 5世紀の成立という見解が示されて いる30
t
虹は13世紀にMalayagiriによって書かれた。 bha�yaはt
政aなしには 読めないが, しかしながら諏aで説明される具体的な状況がそのままbha�ya の時代にもあったと理解することも難しい。 それぞれの文献における補則や詳 しい場面の描写が, どの時代のどういう状況のジャイナ教僧団を反映している のかはこれから考えていく課題とし, 本稿では, 文献箇所の内容紹介を主な目 的としたい。 最後に若干の考察を行っている。 1 VTIIIでは,p. 7 (目次)ではスートラ番号9及び10, p.557及び573 (本文)では スー トラ番号10及び11となっている。2 Caillat 1966: 61ではそれぞれen etat de depression, en etat d'xaltationと訳されている。
k�iptacittaについては, VT III apahrtacitta ity arthal). 刊k�iptacittaとは〕心が取り去 られた者という意味である」と, apahrtaで置き換えた説明がある。
1 . 心を失った僧について 1 . 0 スートラ
Vyavaharasutra II 9 : khittacittaip. bhikkhurp gilayaq111_1arp no kappai tassa ga1_1avacchciyassa nijjuhittae, agilae tassa karanijjam vcyavadiyaq1 java tao ro g'ayaitkao vippamukko, tao paccha tassa ahalahusac namam vavaharc pat!haviyavve siya. 「心を失った, 病気にかかっている{普を, そのグループの「ごか追い出すのは 適切ではない。 嫌がることなく, 柄と苦しみから解放されるまぞ, その者に奉 仕がなされるべきである。 そして, あとから, 実に, その行に非常に軽い'贔 定が確定されるべきである。」 1. 1 心を失った僧となる理由
bhasyaでは, 心を失コた者となる坪由(karana)は3つ,
1
愛苦(raga), ②恐怖(bhaya) 6 , (�)イ<名汲(凸 avam油1ta)と·\:←れな教義的に, 3 J はそれそ れ世俗の者Oaukika)と, 出世間の者(lokuttariya), つまりジャイナ{曽とに 分けて説明される。 ジャイナ{曽についてはVBh!Oo:lに簡略に示されl0fl4ff. でより詳しく説明される。 :ragena va bhayena va ahava avamar1ito narirytder1a / echiryt khittacitto var1iyadi paruviya loe //1061// =BKBh619:i bhayato somilaha<;!uo sahasottharito va sarytjuyad1su
4 ganavacchedikaとは 僧川(ガナ)人 ,'
. - I Jでaciiryaとupiidhyiiyaに次く地位てあり, 力 ナ内のグ)レープのKを指すと考えられている, cf. Dco 1950 : :!21 f. 等恐, 同)!J(j() ;
27など。
5 VBh I Q,19-1053とその!邸(cf. Caillat 196G, p.ll I)によれば, yathalaghusvakaとしi
う裁定の場合の胎罪は, G l::J間にわたりvikrti (乳製品など[()種の滋韮のある食品) を避けることである。 vikrtiについてはCaillat Hl7;'i: 91やSchuhring 21100: �7(if. 1£ と 6 直前のスートラとのつながりについて, この語をとって次のように説明する。
ghorammi lave dinne bhayet;ta sahasa mahavijja khitto u /gelant;taq1 va pagayam り//「脅威を与えるU費罪か課された場ュ恐湘によっ agilakaranam ca saI[lbandho //!05, ム
て, しかしながら. 僧は直ちに心を失った者となる。或いは病となる。そして, その 佃に対して嫌がらずに〔奉仕が〕行われるべきである。 これがこのスートラ(siltru \l)
Vyavahiirabhii�ya第2章における心の不調な僧について (59) dhai:iahara1)ei:ia pahui:ia va vimai:iito loiya khittc //1062// =BKBh6196
ragammi rayakhu�1o jaMadi tirikkha cariyavayammi / 1063ab = BKBh 6197ab
「①愛培によって, ②恐怖, 或いは, ③人々の王によって不名誉を受ける。 こ れらの坪由によって心を失った者となる。l仕俗の者〔で心を失ったものとして は〕は, 商人等が〔①愛沿による〕例として説明される。 //1061// ②戦いなどにおいて急いで広がり出たソーミラという名の愚かなバラモンは (敵に包囲され〕恐怖ゆえに[心を失ったものとなる)。 ③玉によって財産を 没収され, 辱められた者〔は心を失った者となる]。[これらが〕世俗の者で心 た者である。 //1062// ①愛消の場合には, 上子で未の者が〔のように], ②象などの獣[を見た場合 のように, 恐怖により], ③チャラカ(苦行者の 利戸)との論争で[負けた者 がのように, 僧は心を失った者となる」 ① 愛着により心を失った佃について
rager_ia jaha khitto tamaham voccham samasena // I 06:kd = DKBh 6197 cd jiyasattunaravaissa pavvajja sikkhana vidcsammi /
kau1_1a poya1_1amm1 savvayam nivvuto bhayavam //1004// = BKBh {ii卵 ekko ya tassa bhaya rajjasirim payahii'11_1a pavvaito /
bhauga anuragenam khitto jato imo u vah1//1065// = BKBh 6199
[[木の[子がJ党着により心を失った者となる。 そのことを餅l単に私は話そう。 『ジタシャトル[という名の〕ギが出家し, 学腎[にはいった](ジャイナ僧 となった)。 彼は, ヴィデーサClエIJのホータナ[という名の町]において, 止しい論を詰してから, 貨い者として死んだ。 彼には 人の兄弟がいた。 その 兄弟も[ジタシャトルヘの党許によりJT肛lど点を放東し,出家した。彼は[ヴィ デーサで逝去した]兄弟への愛着により, 心を失った者となった。 しかし、 次 のことか[この場合の〕方法である。」(この後, VBh I 066-1 Oli8 - BKBh(i200 - 62():)では, 死んでシッディに全ったものについて晩くべきではないIとi兌ホ される場面が続く) 80
7 Mehta 1970; 2り6 (caragaの項)は, チャフカを, tridandin (二木棒を持つ苫1I者) の 種であり, 乱屈な方法で食べ物を得る者逹と況叫する。
⑰ 恐怖により心を失った僧について
ja99面tericche satthe agan1ya thal).iya vijjii ya /Bhl 069ab = BKBh 6204ab
「象などの勁物達, 刃物達, 火, 雷鳴〔を聞いてから〕. 雷光を見てから. 〔僧 はJ心を失ったものとなる。〔その僧より]若い僧が, 〔象などに関して〕反対 に驚かす[べきである]。
③ 不名誉により心を失った僧}こついて
ome pa<,iibhisanaya caragam puvvaqi. pariiveuqi. // VBhl 069cd = BKBh 6204cd avahirito va gal).il).a ahava !).a saganel).a kamhii pamae /
vayammi va caragadI par且jito tatthima jayana //1070// = BKBh 6205
9③チャラカに前もって説明してから, 〔そのチャラカ自身の口から出た言葉 によって, 彼の心を失った状態は, 離れ去らせられるべきである〕,0 ガナ(=グループ)を持つ者(tikaではacarya「先生」)によって無視された〔場 合〕,彼自身のガナ(国且ではグループの長等)から何かうっかりしていて〔厳 しく指導された場合〕, 口輪においてチャラカ等に打ち負かされた〔場合, 以 上の場合に, 不名誉ゆえに僧は心を失ったものとなりうる]。 そして, 次のこ と(本稿1 . 2 a参照)が〔心を失った僧のための:努力である。」 1. 2 a 心を失った僧のための努力 VBh 1063ff. (本稿1. 1)では, 心を失った僧について, ①愛着②恐怖, ③不名誉という, 3つの原因が詑明された。 同107lff. は, そのように心を失っ てしまった僧のために行う努力(yatana)を説明する。 3つのうちの①につい ては厳密には, 努力ではなく説示(desan且) が与えられる。 ② 恐怖によっ て心を失った者についてはその対象に恐怖を感じないようにさせる, という 努力が行われる(bha�yaだけでは具体的に分からないため,tikaも引用した)。 ③不名誉(具体的に説明されるのは, 論争に負げた場合)では, 論争に勝った チャラカに負けたジャイナ僧を褒めさせ, その僧がそうして自信を取り戻し, 正常に戻るようにしている:
9 VT III 6 51, l 5f. : tatas carakam iirvam p . prariipya prajfiapya tadanantararp tena svamukhoccaritena vacasa tasya k�iptacittatottaritavya //1069//
Vyavaharabha�ya第2章における心の不調な僧について (61) ① 愛着によって心を失った者への説示 愛着によって心を失った者については,努力に関する規定がない。本稿1. 2. ①で引用した VBh1063ff. の物語で語られるように, 死んでシッディに至った ものについて嘆くべきではないと説示するのが適切なのであろう。 ② 恐怖によって心を失った僧のための努力 ka⑩ ammi esa sTho gahito aha dha<,iito ya so hatthI /
k hu99alatarage1_1a tume te vi ya gamiya pura pala //1071// = BKBh 6206
「彼等〔象或はライオンの〕飼い主達も, 前もって, 承知させられて〔いる
べきである〕。 君より若い僧によって, このライオンは耳を掴まれた。 或はそ の象は外へ連れ出された。J
VT III 562, lff.: pa.la ity ukte hastipalal:_i sirµhapala va dra�tavyal:_i, te'pi pura purvarµgamital:_i pratibodhital:_i kartavyal:_i I yatha-asmakam ekal:_i k�ullako yu�madiyarµsirµharµhastirµva dr�tva k�ob ham upagatal:_i, tatal:_i sa yatha k�ob harµ muficati tatha kartavyam I evarµte�u praibodhite�u sa k�iptacittib hutas te�am antike niyate, nitva ca te�arµmadhye yal:_i k�ullakad api laghutaral:_i tena sirµhal:_i karQ.e dharyate, hasti va tena dharyate, tatal:_i sa k�iptacittal:_i procyate - tvatto'pi yal:_i k�ullakataral:_i atisayena laghus tena e�a sirµhal:_i karQ.e grhital:_i I atha va sa hasti anena dh取ital:_i, tvarµtu bibhe�i, kirµtvam etasmad api bhirur jatal:_i ? dhar�tyam avalambyatam iti 「何々使いと言われて, 象使い達或はライオン使い達が理解されるべきであ る。 彼らもあらかじめ, 前もって承知させられ, はっきり理解させられるべき である一 「私たちの中の一人の若い〔僧〕が, 君のライオン, 或は象を見て, 怯え震えるようになってしまった。 そこで, その者が怯え震えるのをやめるよ うに, そのようになされるべきである」。 一このように彼ら (何々使い達)が はっきり理解させられてから, その心を失った〔僧〕は, 彼らのもとに導かれ る。 導いてから彼らの真ん中で, 若い〔僧〕(=心を失った僧)よりもより若 い〔僧〕によって, ライオンは耳を掴まれる。或は象が, その〔より若い僧に〕 よって掴まれる。 そしてかの心を失った〔僧〕は〔次のように〕教えられるべ きである。『君よりも若年の若輩の彼によってこのライオンは耳を掴まれた。
或は, 象は彼によって連れ出された叫しかし, 君は恐れている。 君はこんな ことにでも臆病になるのか。 勇気が拠られるべきである』と。」
sattha' ggirµtharµbheurµpaIIollaIIarµllassae va so hatthI /
thera cammavikac;lc;lhaIIa alayacakkarµva dosurµtu
//1072//
= BKBh6207
「刃物と火〔を見て,恐怖で心を失ったものとなった場合,呪文(vidya) 11によっ てそれを〕 つくり据えてから, 追い払う〔べきである〕。 或は, その象は自ら 反対方向へと消え去る。〔雷鳴を聞いて心を失ってしまった僧には〕年長者達 が皮を伸ばしている〔音だと説明する〕。 両者(火と雷光)〔を恐れる〕場合, 火の中の車輪〔を見させるべきである〕。」
VT III
562, 12ff. :
yadi sastrarp. yadi va agnirp. dr�tva k�ipto'bhavat tatal) sastram aginirp. ca vidyaya stambhitva tasya padabhyarp. pra1._1odanarp. kartavyarp. bh血tavyarp. ca tarp. prati e�o'smabhir agnil) sastrarp. ca padabhyarp. pro1._1odyate, tvarp. punar etabhyarp. bibhe�i? iti I yadi va pa頂yena'rdr政ftya has⑱ dibhil) so'gnil) sprsyate, bha1._1yate ca―etasmad api tava kirp. bhayam? tatha yato hastinal) tasyabhaym abhilt sa hastI svayarp. paranmukho gacchan darsyate, yatha -yatas tvarp. bibhe�i sa hasfi nasyati nasyan vartate, tat曲katharp. tvam evarp. bhiror api bhirur jatal) ? I tatha yo garjitarp. 細tva bhayam agrahit tarp. pratyucyate -sthavira nabhasi su�karp. carma vikar�ati akar�ati, evarp. coktva su�kacarma1._1a akar�a1._1asabdal;i sravyate, tato bhayarp. jarayati I tatha yady agnel;i stambhanarp. na jfiayate tada dvayol;i agnau ca vidyuti ca bhayarp. prapannal;i san alatacakrarp. punar akasmat tasya darsyate yavad ubhayor api bhayarp. jir1._1arp. bhavati.
「もし, 刃物を, 或は火を見て, 恐怖で心を失ったものとなった場合, 刃物と 火が呪文によってつくり据えられてから, その者の両足によって追い払いがな されるべきである。 そして, その者に向かって, 『この火は, 刃物は, 私たち によって両足で 追い払われる。 しかし君は両者を恐れるのか』と, 述べられる
10
Pkt. ..f dha<,1はnir-..fsr, nir-..fsii.rayと同義である,cf. Paiasaddamah皿1).avo, dh囮の項,およびHemacandra IV 79: nissarer 1).mar a -nila-dhaga-varah叫曲. f ..f nissarの代わりに
..fn和ara, ..f nila, ..f dha(,ia, ..f varaha(,iaが〔用いられる〕」。
11
VBh 1119 (本稿 2. 2に引用)は,vidya (呪文)を用いた後に清めをするべきで あると規定する。Vyavaharabhasya第2章における心の不調な僧について (63) べきである。 或は, 水によって湿らされた手などによって, その火は触れられ る。 そして『このことで君に何の恐怖があるのか』 と述べられる。 そして, 彼(心を失った僧)が恐怖したその象が, みずから反対方向へ向い て行きつつあるのを見せられる。 そして, 例えば『君が恐れるその象は消えゆ く, 〔つまり〕消え行きつつある。 なぜ君は, このように恐れを恐れる者とな るのか』〔と言われる〕。 そして, 雷鳴を聞いて, 恐I布を得たその者は, 説き明かされる, 9年長者達 が雲のなかでに乾いた皮を様々に伸ばし, 引っ張っているのだ」と。 このよう に言って, 乾いた皮を引っ張る音として聞かされる。 そして恐怖は褪せたもの となる。 そして, 火が〔呪文によって〕つくり据えられるのが認識されない場合, 両 者〔つまり〕 火と雷光について恐怖した者は, 火の中の車輪を, 両者ともへ恐 怖が褪せるまで, 何度も, 突然見させられる。」 ③ 不名誉によって心を失った僧のための努力
eei:ia jito mi aharµtarµpui:ia sahasa na lakkhiyarµi:iei:ia /
dhikk:aya kaiyava lajjavito ya paui:ie tato khu<;i<;io //1073// (パラレルなし) 「〔チャラカとの論争に負けて心を失った者となる場合, 論争に勝利したチャ ラカは前もって承知させられる。 そしてそのチャラカはやって来て言う〕。『私 はこの者との論争に勝利した者である。 その際, しかし,[自分の勝利は〕 こ の者[ほどの〕 の速さによっては特徴づけられていない。 [それゆえ人々の間 で私の勝利へのうわさ(疑い)がたった』と言って〕, dhikという〔残念がる 嘆きの〕声を出してから, 恥じ入らせられたものとなる。 そして若い〔僧は〕 まっすぐ〔になる〕。」 1. 2 b 心を失った僧が正常にならない場合 上述1. 2 aの努力をしても心を失った僧が真っすぐ (pragm:ia), つまり正 常にならない場合は, 保護されるべきである。 保護しない場合には, 4つの重 い(短縮のない)月からなる贖罪が課される。 保護されていないと, 放火, 窃 盗をしたり, 或は自身がけがをしたり攪われたりしかねないからである。 保護 とは, 具体的には, 監禁である。 ゆる<縛っておき, 栄養のある食べ物を与え,
時々話しかける。 彼が出て行ってしまった場合には探しだす。 6ヶ月たったら, 親族の者に相談すること場合もあった。 その際には, 親族が引き取って世話す ることも, 僧達が行って世話を続けることもあり, 彼が還俗させられそうな場 合には親族に渡さず僧たちのところで世話をすることもあったようである。 :
tahavi ya athiiyam恥e siirakkhamarakkhai:ie ya caugurugii / iil).iiil).o ya dosii, jarµsevati jarµca pavihifi //107 4// = BKBh 6209 chakkiiyiil).a vir恥ai:ia jhamai:ia tei:ia' tiviiyai:iarµceva /
aga<;ie visame ya pa<;iito tamhii rakkharµti jayal).iie //1075// = BKBh 6210 sassagihiid'il).i <;iahe tei:iejja vaso say岬vii hirejja
り
miiral).a pittai:iam ubhaye taddosii jarµca ses面arµ//1076//= BKBh 6211 mahi<;i<;ihi u抽anivesai:ia ya iihiira vigirµcai:iii viussaggo /
rakkharµt恥a ya phi<;iie agaves皿e horµti caugurugii //1077// = BKBh 6212 amharµe ttha pisiito, rakkharµtiil).arµpi phittai kayiiI /
so hu parirakkheyavvo, maha<;i<;ihie rakkhie kahal).ii //1078// = BKBh 6213 miub皿1dhehi tahii i:iarµjamerµti jaha so sayarµtu ut血eti /
uvvaraga sattharahite b狛i kuda叫e asUl).1).atµca //1079// = BKBh 6214 uvvarayassa ya asafi, puvvakhayii'safi ya khammae aga<;io /
tassovarirµ ca cakkarµ, na phi<;iai jaha upphi<;iarµto vi //1080// = BKBh 6215 niddhamahurarµca bhattarµkarisasejjii ya no jahii viiu /
divviya dhatukkhobhe niiurµussagga to kiri ya //1081// = BKBh 6216 aga<;ie palaya maggal).ii annagai:iavavi je i:ia siirakkhe /
gurugii ya jarµca jatto, tesirµ ca nivey平karai:iarµ //1082// = BKBh 6217 chammiise pa<;iiyariurµai:iicchamai:iesu bhujjatarago vi /
kulagai:iasamghasamiie puvvagamei:iarµi:iiveejjii //1083// = BKBh 6218 rai:ii:io niveiyammi tesirµvayai:ie gavesai:ia hoti /
osaha vejja sarµbarµdhuvassae fisu vI jayal).ii //1084// = BKBh 6219 puttiidii:iarµkiriyarµ sayameva dharammi koi kiirejja /
ai:iujai:iamte ya tahirµime vi garµturµpac_licara ti //1085// = BKBh 6220 osahavejje demo pa<;iijaggaha i:iarµiharµ thiyarµceva /
Vyavahiirabhii�ya第2章における心の不調な僧について (65)
tesirµvirtivabhavarµna derµti ma i;iarµgih政ujja//1086// = BKBh 6221
aharauvahisejja uggama-uppayai;iadisu jayarµte /
vayadikkhobhammi vi, jayarµti patteya missa va //1087 // = BKBh 6222
puvvuddhittho u vihI iha vi karerµtai;ia hoti taha ceva /
tegicchammi kayamm頂desa t畑i suddho va //1088// = BKBh 6223
「そのように〔努力が行われつつあっても, 心を失った状態が〕止まない場合, 保護〔がなされるべきである〕。 保護がない場合, 4つの重い〔月々からなる 贖罪が与えられるべきである〕。 定め(aj証)〔に反する〕など13の諸々の汚点(罪) がある。 それを行えば, 得れば〔それに関して贖罪がある〕。//1074// 6身への損害, 火付け, 盗み, 殺害, 井戸に落ちる, 穴にはまる, 〔などが, 適切な保護がない場合に生じうる〕。 それゆえ, 努力をともなって保護するべ きである。//1075// 穀物〔の保管された〕家を焼くかもしれない。 盗みを行うかもしれない。 或は 自身が捜われるかもしれない。 殺害傷害その両方〔があるかもしれない〕。 その〔心を失った者の〕汚点ゆえに, 他の〔僧〕達に〔殺害や障害が及ぶかも しれない〕。//1076// (1)マハルッディカ〔という, 村或は町の守り手の話が話されるべきである〕。 (2)立つことと座ること〔が自分でできるようにゆる<縛る〕。(3)〔油っこい, 甘い等の〕食べ物〔が与えられるべきである〕。(4)隔離。(5) 〔もし神格による 災難であると理解される場合, 神格への表敬のために〕身体放棄14 (が行われ るべきである〕。〔僧達が〕守りつつあっても〔心を失った僧が〕落ち出て行く 場合, 〔探索がなされるべきである〕。 探索しない場合, 4つの重い〔月々から なる贖罪が課される〕。//1077// (1)マハルッディカという守り手の話〔がなされるべきである〕 15。(2)「ここで保 護しつつある私たちの中にいるこのピシャーチャ(=心を失った僧)は, 時々, 出ていってしまう。 彼は囲んで保護されるべきである。//1078//
13 tikaは,「など」をanavastha 「不安定な状態」,mithyatva 「虚偽の性質」,viradhana 「損 害」と説明する。
14 kayotsarga f身体放棄」は, avasyaka 「日常儀礼」の一つであり, 両足を少し広げ,
手を下げて, 呼吸を整え, 一定時間立ち続けることである (cf. Deo 1956 : 157など)。 また, 10種の贖罪の一つでもある (cf. Caiilat 1975 : 143)。
彼らは, 彼が自分で立つことができるように, そのようにその者を ゆるい束 によって制限する0[彼は)内側の部屋に〔とどまらせられる〕。 刃物はも ちせない。 外側で筋索な棒〔によって閉じられる]。 孤独にして[おくへきでは] ない。(折々, 起こされるべきである。 そうでなければ, さらに平く心を失っ たものとなりかねない。) //1079// もし小さな部届がない場合には彼は以前に掘られた, [枯れた‘井戸[に入 れられるべきである〕。[それも]ない場合には, [業JrしいI Jlrが1)崩られるヘ きである。 その[井戸Ci)J上に申輪が附かれるべきてある。 彼は外へ出てこう としていても, 出て行かない。//1080// (:1)訓がたっぷりで甘い食べ物[りえられるべきである]。(4',{主まいは牛糞[か らなるものが作られる。 暖かさを保ち.暑い貼に風と痰を取り除くからてあるJ•. (5) (彼の心を失った状態が)神々による[災雌なのか, 或は‘[均体の土疲J 要素の揺れ[によるのか〕即解してから, [神格への敬息Cl)為にJ身体放東か なされるべきである。//1081// 加,[あるいは部崖)から"かれが逃げ出た場合, 探し求め[が行われるへき である)。 別のガナ逹か[遠く, あるいは近くに矢
u
られている場合], (皮らへ0) 告げ知らせを行う。 しかし,[探し求めない場合とL保護していない場合. 使 らに]重い[4つの月々が贖罪として与えられる]。//1082// 6ヶ月間, 彼らはその者の看病をするべきである。[かれらが石恥をそれ以 トしたくなければ, クラ, ガナ、 教団の集会の中で, 以前の(す てに述べられ た) "やり方によって, 彼らはその佃について仏げ知らせるべきてある。 //108:l// [干ーの息子などであれば]エヘ, [或は, 親族の者達へ]告げ;;0らせたあこ. 彼ら(親放の者逹)の言染により[そこ(親放逹のところ)へ. 心を失ったi曽 は導かれる)。[そこ(親族のところ)で,{曽逹は枯を]探し求める。 [たか或は: 親族の打逹は薬と医者[を彼に与えるLC親族逹がその僧を還俗させようとし ている場合, 彼らのところへその{曽を焉かない。 僧たちの〕部屋[で彼は俣囲 されるべきである〕。 →秤類(食物, 11m
品, 寝場所について)の努力[が僻 たちによってなされるべきである)。//1081// 16 t1kaは, この7格は5格の滋味であると説明する。 17 述べられている箇所については特定できなかった。-81-Vyavaharabha�ya 第2章における心の不調な僧について (67) 〔王, 或は親族のものが, 僧達によって告げ知らされる前に〕 みずから家で息 子等の治療を〔行う〕。〔告げ知らされた後〕 かれらが許可するならば,〔彼を そこに連れて行き〕 この者達(ガッチャに住む僧達) も行って, 看病する。 //1085// 〔時に, 親族のもの達は言うかも知れない〕「私達は薬と医者を与える, そして, 〔唯一〕, ここにいる彼を君たちは覚醒させよ」と。〔その際〕 彼ら(親族達) の変化を〔理解して, 僧達は心を失った僧をかれらに〕 与えない, 「彼を在俗 の者にすることがあるな」と考えて。//1086// 食べ物 日用品, 寝場所〔という領域において〕,〔食べ物の〕由来と発生など において"彼らは努力をしている。〔体内の〕風などの揺れ(病気) の場合に, 個別に(共食の僧達だけで), 或は混合で(共食をしない僧達と一緒に), 彼ら は努力する。//1087// そして, 以前に説示された19やり方が, ここでも〔奉仕を〕 する〔僧〕 達に, そのように〔用いられる〕。 治療がなされ,〔心を失った僧がまっすぐになって から〕,〔贖罪に関して〕 3つの指示(guruka「重いlヶ月」,laghuka「軽い1ヶ 月」 かlaghusvaka 「軽い=5日間」, pramai:ia� 「相応のものj) 20がある。 或は, かれは清らかである(贖罪が与えられない)。〔他の者の力によって, 愛着と憎 しみを持たずに, 行ったゆえである〕。 //1088// 1 . 3 心を失った僧が犯す汚点(罪)について 以下1089-109921は, 心を失った僧が生き物への損害などを行った場合に.
do�a I汚点(罪)」があるかないかの議論である。(後にも述べるが, dittacitta「心 が点火された〔僧〕」についてはこのような議論は見られない。) bha�yaでは. 心を失った僧に汚点 はない. という見解が示される。 心のはらたき(cetai;ta) 18 注釈は, 「等という語に基づいてe�aqa等の汚点(do�a)が理解される」と説明する。
由来(udgama), 発生(utpadana), 探し求め(e�ana)という語は乞食に関する汚点 である, cf. Deo 1956 : 288ff.。 19 tikaではkalpadhyayanaの第一章のglanasutraと説明されるが, 詳しくは特定できな かった。 20 Cf. VBhT III 568, 22ff. およびVBh l lOOff. 21 VBh 1089-1099= BKB h6221-6231。 VBh 1100-1105 (= VBh 1018-1053 = BKBh 6235-6240)では重い, 軽い, より重い, より軽い等の期間の異なる贖罪が規定され る。
がなく行っているので業の集積が生じないためであり, 自分ではない者の力に よって動かされて行うためである(この見解は上記VBh 1088とそのtikaにも 示されている)。
cauro ya hurµti bharµga tesirµvay叩mmi horµti pai:ii:iavai:ia / parisae majjhammi patthavai:ia hoi pacchitte //1089// = BKBh6224 va<;l<;lhati hayati ubhayarµavatthiyarµca car叩arµbhave cauha I
khaiyarµtahovasamiyarµmisamahakkhaya khittarµca //1090//
=
BKBh6225 kamarµasavadaresu vaWto palaviyarµbahuviharµca Ilogaviruddha ya paya logottariya ya aii:ii:ia //1091//
=
BKBh6226 na ya barµdhaheuvigalattai:iei:ia kammassa uvacao hoi Ilogo vi ettha sakkhI jaha esa paravvaso kasI //1092//
=
BKBh6227 ragaddosai:iugaa jiva kammassa barµdhaga horµti Iragadivasesei:ia ya barµdhaviseso vi ya avigito //1093//
=
BKBh6228 kui:iamai:iI vi ya cettha paratarµta i:iattiya bahuviha u Ikiriyaphalei:ia jujjati na jadha emeva eyarµpi //1094//
=
BKBh6229 jai icchasi saserI aceyai:ia tei:ia se cao natthi Ijivapariggahiya pui:ia borµdI asamarµjasarµsamaya //1095// = BKBh6230 ceyai:iamaceyai:iarµva paratarµtattei:ia do vi tullairµI
na taya visesiyarµettha kirµci bhai:iatI sui:ia visesarµ//1096//
=
BKBh6231 n叩u so ceva viseso jarµegamacey叩arµsacittegarµIjaha cetai;ie viseso taha bh叩asu imarµi:iisamehi //1097// = BKBh6232 jo pellito parei:iarµheu vasai;iassa hoi kayai:iarµI
tattha na dosarµicchasi logei:ia samarµtaha tarµca //1098//
=
BKBh6233 pasarµto vi ya kaye apaccalo appagarµvidhareurµIjaha pellito adoso emevamimarµpi pasamo //1099//
=
BKBh6234「行いについて, 増大と減少に関して4つの区分がある。 それらの説示によっ て, 群衆の真ん中で布告がある。〔続いてもし, 清めのみという贖罪が与えら れるべきならば, その場合は〕贖罪の確定が行われる。 //1089//
行いは増大する,減少する,両方である,一定である, の4 〔通り〕である。〔つ まり〕 (1)滅止の場合(修行者としての軌道 (k�apakasrei:ii) に入った者の滅止
Vyavaharabha�ya第2章における心の不調な僧について (69) の行いが増大する〕。(2)〔鎮めの軌道(upasamasrei:ii)に入った後〕 鎮め〔の 行いは減少していく〕。(3)混合(= k�ayopasamika)の場合, 減少したり, 増 大したりする。(4)心を失った僧の場合,述べられた通り行いは一定である。〔心 を失ったものの行いは, 他の力によってであり, 自身の愛着と憎しみがないゆ えである。 それゆえ, 彼には贖罪は課されない〕//1090// 彼(心を失った僧)は, 漏という手段によって輪廻する者(但間の者)に, 好 きなように様々に話しかける。 世間で禁じられ, 出世間の者達に禁じられてい る言葉が, 使われる。//1091// 束縛の原因(愛肴と憎しみ等)がないため,〔彼に〕 業の集積はない。 世俗の人々 も, この場合, 彼が他の力のせいで行ったとみなす。//1092// 愛着と憎悪に従う生き物達は, 業に束縛された者達である。 愛着などの特徴に よって束縛の特徴がある。〔束縛がない者には〕陥りがない。〔それゆえ心を失っ た者に業の集積がない〕 //1093// (女の木製操り人形)も, 他人の糸によってさまざまに演じつつも, 行為の結 果によっては, 結び付けられない。 心を失った僧も同様である。//1094// (対論者:)『もし君がその操り人形の女のことを心のはたらきのないものと して考えたいならば, この理由により, 彼女(女の木製操り人形)には〔業の〕 集積はない。 しかしながら, 身体は命によって所有されている。 それゆえ[女 の木製操り人形のたとえと〕 等しいものは, 〔心のはたらきの有無に関する2 つのたとえとは〕 一緒にはならない』。//1095// (先生:)心のはたらきをもつ, 或は心のはたらきをもたないものでも, 両者 とも, 他によって動かされるという性質では等しい』。〔対論者は言う〕『そこ においては(業の集積を考える場合は), 君によって何も詳しくされていない』。 〔先生は言う,〕 『詳しく聞け』 と。//1096// 『実に, 詳しくは次の通りである。 つまり, 片方は心のはたらきを持たないも のである。 もう片方は心(citta)を持つものである』。〔対論者は言う〕『心の はたらきにおける詳細のように 同様に話せ』。〔先生は言う〕『これを聞け。 //1097// 別の者に突き飛ばされる場合そして諸身(地身等)との摩擦がある。 その場 合,(君は〕汚点(do�a)を欲しない。〔君はなぜ欲しないのか〕。 世間と等しく, 〔つまり, 他人の力によって起きた場合には罪がないと世間で考えられるよう
に, そのような見方に基づいて, 諸身との摩擦を原因とする汚点はないと考え られるべきである〕。同様に, 彼(心を失った僧)も〔汚点のないものである〕。 //1098// 見えていても, 自身で諸身(地身など)を損ねることができないものは, 他の 者から動かされたもののように, 汚点がない。このようにこのもの(心を失っ た僧)を私たちは理解する』。//1099// 2. 心に火のついた僧について 2. 0. スートラ
Vyavaharasiitra II 10 : dittacittarµbhikkhurµgilayarµIi;iarµno kappai tassa gai;iavaccheiyassa nijjuhittae. agilae tassa karai;iijjarµvey ava<,liyarµjava tao rog'ayankao vippamukko, tao paccha ahalahusae namarµvavahare patthaviyavve s1ya. 「心に火のついた, 病気にかかっている僧を, そのグループの長が追い出すの は適切ではない。嫌がることなく, 病と苦しみから解放されるまで, その者に 奉仕がなされるべきである。そして,あとから, 実に,その者に非常に軽い〔贖 罪〕の裁定が確定されるべきである。 2. 1 心に火のついた僧となる理由 まずbha�yaでは, 心を失ったものは不名誉(理由③)を理由とするのに対し, 心に火のついたものは名誉を理由とする, と説明される。そして, 心に火のつ いたジャイナ僧の説明としては, 何かを獲得して興奮する僧が例示されている。 世俗的な説明としては, 獲得に酔う者強敵に打ち勝った者と説明され, 例と してサータヴァーハナ王の話が示されている。心に火のついた僧(dittacitta) は, 心がなくなった僧 (khittacitta) ほど, 整然と, 詳細には説明されていない。 一般に 注釈文献では, はじめに詳しく説明され, 後になるほど説明が簡潔に なることがあり, ここもその例かもしれない。或は, 心を失った状態(つまり 鬱)ほどには頻発しなかった。或は症状として深刻ではなかったとも考えられ る。この状態の僧が犯した過失については何も述べられない。 心に火のついたものとなったジャイナ僧の例はVBhl l l5に全てあげられて いる。続く1116-1117は, そのうち幾つかの語を説明しており, BKBhにはそ
-77-Vyavaharabhasya第2章における心の不諜]な僧について (71) のパラレル箇所はない。 :
cscva gamo niyama diltadir:iaiµpi hoti nayavvo /
jo hoi dittacitto so palavai anicchiyavvaim //1106// = BKBh 6241 iti esa asammar:io khitto samma1.rnto u havati ditto/
aggi" va i1�1dhanehiiµdippai citlaf!l imehi1µtu //1 I 07 // = BKBh 6212 fabhamader:ia va matto ahava jeuna dujjae sattu /
dittammi satavahano tamaham voccham samasenam //1108// = BKBh 624:� //110// - //1114//=BKBh G241-6249 (引用省略)
mahajjhayaryabhattakhi"re ka1µbalagapa9iggahe phalaga saddhe / pasae kappa(!he vayam kauna va ditto //1115// = BKBh 62り() puiµdariyamaiyaiµkhalu ajjhayai:iam ka<cJ<olhiOt)a divasct)a / hariscna d1ttac1tto cvam . hojja hi koi u //1116// (パラレルなし) dullahadavvc dcsc payiscviya tarp aladdhapuvvam va /
aharovahi vasaht ahunavivaho va kappattho //1 I 17 // (パラレルなし)
「他ならぬご0)やり力(fH俗的なものと出
pr
間的なものというに別なとが), 心に火のついた者等にも必ず岬解されるべきてある。 心に火のついた者となっ たその者は, 望まれるべきではない事たちを喋る。//11OU// 以I·. OJように, この心を失ったは[名悩がないことゆえ, 不名登ゆえになる]。 しかし, 心に火のついた者且, 名蛉ゆえになる。 火が燃えるもの達によこ)ての ように, ごれら(次のごと)によって, 心は燃える。//1107// 獲得の酔いによコて酔→た[場合], 或は勝ち難い敵辻に勝った場合` 〔このご つの場合で〕心に火のついた者について[世俗的な例は],サータウァーハ」[の 王]である。 それについて, 私は手短に話そう0 //1108// (IIOfl-1111は引川省略)'1 (1)旦大きな学箪[が私によコて1 11で, 或は3時間で学j1化された, という歓汽 22 VBh 1109-11111 = BKBh (i2,t.1-G211!J。 この物話且Bollee, 200!! ; ·1 I ffに収録されている。 サータウ了ーハナエは息了'OJ誕生とマトゥフー0)陥落を聞いて百びの余り, ごうべ きではなことを叫�り, 壁, 杵, 寝台左1111き砕いて, 大伸在蹴りとはしたりしたか, しかし, 巧みな大伸によって, 上は党醒せられた, という物語てある,9 23 こごては, VBh 1118ffとの対応をわかりやすくするために(1)から(G)の番号を使宜 [つけた。によって〕,(2)食べ物生乳, 布, 器長椅子,(3)信仰(入信者),(4)パーサー
ダ(建物の一種),(5)適切な状態のもの(弟子)[が得られたという歓喜によっ
て〕,(6)論争を行って〔勝利した歓喜によって〕, 僧は心に火のついた者となる。 //1115//
(1)ある者が paurp.dar政aの学章を一日で, 〔或はlpauru�I =三時間で)獲得して,
歓喜によって心に火の付いたものとなり得る。 このように[学章の獲得によっ て, 心に火のついた者となり得る)。//1116// (2)物質的なものが得難い地域で, 或は以前にそれが得られたことがない場合に, そうする(獲得する) 場合,〔心に火のついたものとなる)。 食べ物(米など), 日用品(布の贈物など),(4)住居,(5)今結婚した者の適切な状態(弟子になる こと)。〔以上の場合, 僧は, 歓喜によって心に火のついた者となり得る〕。 //1117//
」
2. 2 心に火のついた僧のための努力 このように歓喜によって僧が心に火のついたものとなった場合, その歓喜を 鎮めるためにどういう努力がなされるか, 後続の bha�yaで示されている。 例 えば, その僧よりもさらに短い時間で学章が獲得されたと話して彼の誇りを捨 てさせる, 自分の得た住居などよりもっと素晴らしい建物が若い僧によって獲 得されたと知らせる, などである。 論争に勝った歓喜で心に火のついた僧の場 合には あらかじめ示し合わせたうえで, 彼の前で, 彼より若い僧がチャラカ に勝利するのを見させる。:divaseQ.a porisiya va tumae山aviyarµimeQ.a addheQ.arµ/
eyassa natthi gavvo dummehatarassa ko tujjharµ//1118// = BKBh 6251 taddavvassa dugurµchai:ia ditth皿to bhavaQ.a asariseQ.arµ/
pagayammi pa岡avetta vijjadi visohi ja kammarµ//1119// = BKBh 6252 ukkosabahuvihiyarµaharovagaraJ;taphalagamadiyarµ/
khuddeQ.omatarei:iarµ 呵tobhamito pauQ.o //1120// (パラレルなし) additthasac,lc,lhakahaQ.arµautta abhiQ.avo ya pasao /
kayamette ya viv曲e siddhadisuya kaiyaveQ.arµ//1121// = BKBh 6255 caragadi paQ.Q.aveurµpuvvarµtassa purato jiQ.averµti /
-75-Vyavaharabha�ya第2章における心の不調な僧について (73) o mataragel)a tato pagul)atti obhamito evaqi //1122// (パラレルなし)
「(1)『君によって, 一日か, 或い1 paur�I (三時問)を適じて, [paui:igarika等 の学章]は学び終えられた。〔しかし,Jこの者によって半分〔の時間〕 で〔学 習された〕。 そして, この者に誇りはない。 考える力の弱い〔君〕 に, 何〔の 誇り〕 があるのか?』//1118// (2) 〔獲得によって心に火のついたものとなった場合〕 それらの物についての軽 蔑〔がなされる。 例えば『これはそんなに素睛らしくはない』或は『これには この欠点がある』と言う〕。〔或は〕 例(他の者によってもこのようなものが得 られたとわからされる)。 同じではないものに関して, 〔つまり, 劣った者に関 してその例えについて〕発展〔させられるべきである〕。〔後輩の僧に素晴らし いパーサーダが作られることを, やり方に従って在俗信者か, 片方の者に〕 わ からせてから, 〔そういう者がいない場合に〕 呪文など〔によってわからせて から〕,〔彼のパーサーダの〕工事〔が行われている間に, その後輩の素晴らし いつパーサーダは完成する。 そして彼はまっすぐとなる〕。 清めが〔呪文など を行ったことによる罪の清めの為に, とりかかられるべきである。〕//1119// 最上のたくさんの各種の食べ物道具, 長椅子などが, 若い後輩によって, 引 き寄せられる。〔これを見て〕 心に火のついた者ではなくなる。 彼はまっすぐ になる。//1120// (3)信仰の見られたことのない者についての話が〔僧によって話される〕。(4)〔僧 たちは彼のところに〕やってきて『新しいパーサーダが〔これこれの若年の者 に与えられた〕』 という。(5)瞬しによって, シッダプトラ等の子息達は結婚し たばかりであり〔誓戒のためにお仕えしているとする〕。//1121// (6)前もって知らしめてから, 彼(論争に自信のあるもの) の前で, 後輩の僧に よってチャラカなどに勝利させる。 そして, このようにして, 心に火のついた 者ではなくなり, まっすぐになる。//1122// 3. まとめ 以上のようにbha�yaでは,khittacitta, dittacittaという二語を詳しく説明し ている。 本稿で扱った箇所から始まるVS II 9-17では,「心を失った」(同9)
と「心に火のついたI (同I 0)の他幾つかの状態勺こついても同じスートラ が繰り返される。 これらの語についてbha�yaの記述は比齢的. 簡潔である。 khittacitta (心を失った), dittacitta (心に火のついた)については, ,�z. v、 し のような状態になる僧がしばしばおり, 特別な配慮が必要なために, 文献に しく残されることになったのであろう。 このような, 現代で言えば精神病に当たる状態の僧が犯した行為は、 罪とは ならないとbha�yaは説明する。 教義的には, そのような僧には心のはたらき かなく, 愛着ど憎しみがないために業が生じないからである。 世俗的忙も、 そ ういう状態の{曽がおかしな発言をしても, 心を病んでいるとわかるため間題と ならない。 ただし, 放火や窃盗などを行ったり, 或は怪我や)J閉い等に漕いか ねないため, そのような僧には保巡が必迎である点も規定される。 BKBhとの関係について, VBhの木稿で扱'_)た箇所はBKBhにパラレ)しか ある已Fkaを合めた文献箇所の大きさからいえば、bhasya中の珀の解説の合閉 に物語を柿入しているBKBhのはうが大さい。 しかし, khittacitta, <littacitta という二品についての bhasyaはほぽj,iJじであり, むしろVBhにしかなしl ;,\� 町 (er. 本諭2. Iと2. 2)をもっVBhのほうが成立が遅l'とも考えられる。 VBhとBKBhとのパラレル箇所は他にもあり, 今後も詠な進め槌討していさ たい。 一次文献と略号
RKBh SrI KsemakTrtyacarya, Brhatkalpasiitram, VoUi, Ahmedabad. India,:」(1(1'.Z KS Schubring, W. Das kalpa-s11/ra, Kleine schriften, l 08ff.
VBh Acarya V ijaya Municanclrasilri, Srt VyavahiJnmJtram, Surat, India. 2010 (Ganadhipati Sri Tulsi-Acharya Mahaprajna-Samani Kusumpra.1na, Vyiiviihiir Bhasyii, Jain Vishva Bharati Institute, Ladnun, India, HnJ(iも参 2/J ヤクシャが憑いた(VSTT I I : jakkhait\harp), 狂気を得た(12 : ummayapattarn). 災 いを得た(13 : uvasaggapatt叩1),
n
論をしている(l ,t : sahigaranam). 胎冗し□しiる(1:i : 可apayacchittaf!1), 死ぬまでの断食に人った(16: bhattapanapadiyaikkhittarn).
H的のできた(I 7 : at\hajaya111)。
25 BKBh fiUltl-6240 (KS VI 10へのbha�ya) =VBhl060-l 105 (VS 11 10 : khittacittaの bha�ya), BKBh 621 Hi255 (KS VI 11へ のbha�ya) = VBhl IOll-1121 (VS II l l : dittacittaへのbha�yalo
Vyavaharabh邸ya第2章における心の不調な僧について (75) 照した。)
VS Schubring - Caillat, Drei Chedasutras des Jaina-Kanons, Alt- und Neu Indische Studien 11, Hamburg, Germany, 1966
VT III Acarya Vijaya Municandrasiiri, Srf Vyavaharasu traY[l, Vol. 3, Siirat, India, 2010 二次文献 Bollee, W. Caillat, C. Series Deo, S. B.
Tales of A tonement, Stories from Malayagiri's Commentary on the V yavahara Bha�ya, Pandit Nathuram Premi Research Series Volume 28, Munbai, India, 2009
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History of Jaina Monachism from Inscriptions and Literature, Deccan College Dissertation Series 17, Poona, India, 1956 Jaina Monastic Jurisprudence, Poona, India, 1960
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Sheth,H. T. Paia-Sadda-Maha��avo, (The second edition, Prakrt Granth pari$ad granthati.ka 7, V ar面asI, 1928), Reprint, Motilal
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Schubring, W. T he doctrine of the Jainas, (reprint and revised edition) Delhi, India, 2000
Vaidya, P. L., Prakrit Grammar, Bhandarkar Oriental Research Institute, Poona, India, 1958
About monks of mental illness depicted in Vyavaharabha�ya II
Yumi FUJIMOTO
This paper explains about monks of mental illness based on two words, khittacitta "depressed" and dittacitta "exalted". Both words are seen in Vyavaharasiltra II, 9-10 and expatiated in Vyavaharabha�ya II.
According to their commentary, a monk might feel depressed when he lost his beloved one, when he got strong fear, or when he was dishonored. Other monks were expected to attend the depressed monk with various efforts such as showing animals tamed (for a case of fear), making him consoled (for a case of dishonor), and so on. If they could rot cure the monk, it is said that they had protect him with a loose tie in a locked room. Even if he made any action which usually required atonement, he was considered innocent and not charged any penalty because he made the action without mental process.
About monks who became exalted, the commentary provides less detailed explanation. A monk might feel exalted when he finished a chapter in a short period, when he attained any precious item or lodging, and when he defeated caraka (a class of mendicants) in argument. Having learned that any younger monk also did the same or in a better manner, the exalted monk might recover.
Both conditions, depression and exaltation, might be sometimes seen among ancient Jain monks and therefore the detailed rules would be provided in Vyavaharabha�ya II.