仏法不信をめぐる応報観の変容 ー「カミ」の役割
に焦点を合わせて
著者
陳 頴傑
雑誌名
日本思想史研究
号
50
ページ
1-20
発行年
2018-03-25
URL
http://hdl.handle.net/10097/00129313
仏法不信をめぐる応報観の変容
の役割に焦点を合わせて
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は じ め に 日本仏教の因果応報甲誼に関する研究は、すでに数多く 存在する。その代表的な視座は、因果応報論の時代的特質 を め ぐ る 研 究 で あ る 。 白 土 わ か 氏 は 、 ﹃ 日 本 霊 異 記 ﹄ ( 以 下 ﹃ 霊 異害と略称)が中国で発展した因果応報論の系譜に繋が る、古代日本人の宗教的エネルギーの所産だと述べ、その 成立を、先駆とされる冥報記等を参照して、律令仏教に対 す る 民 衆 の 対 抗 が 想 定 さ れ る と 論 じ て い る 。 広 川 勝 美 氏 は 、 ﹃ 霊 異 記 ﹄ の 応 報 思 想 に つ い て 、 ﹁ 善 悪 の 評 価 軸 は 明 ら か に 現 世 に お け る 生 命 充 足 の 欲 求 の 成 否 に も と づ い て い る ﹂ と 、 現 世 利 益 的 な 応 報 思 想 の 特 徴 を 論 じ て い る 。 益 田 勝 実 氏 は 、 ﹃ 霊 異 記 ﹄ の 特 色 を ﹁ 徹 底 し た 善 悪 現 報 主 義 ﹂ と し 、 ﹁ 来 世 での応報を主として考える教団の教理本意の因果思想から すれば、この世での現報は副次的な問題であるのに、ここ では、逆に手近い現報がひたすらに追及される﹂と述べて陳
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いる。﹃霊異記﹄の仏教説話の応報観を現世内部で完結す る も の と 捉 え 、 そ れ が 死 後 世 界 へ と 広 が っ て い く 処 に 、 墨 田 異記﹄以降の展開を展望することが大方の認める処となっ て い る 。 もう一つの方向性は、罪業観の深化に応じる、根源から 因果の連鎖を抜け出す手段に光をあてたものである。中尾 正 己 氏 は ﹃ 一 法 華 験 記 ﹄ ( 以 下 ﹃ 験 記 ﹄ と 略 称 ) を 中 心 に 、 ﹁ 因 果の理﹂を﹁宿世の理論﹂と結びつけて、深刻な罪障意識 を示すことによって、逆にそれを克服するための修験的苦 行の重要性が強調されたと述べている。高木豊氏は、宿世 論と結びつけられている因果応報思想の展開を述べた上 で、因果から離脱を目指す仏教者たちのさまざまな試みを 探 っ て い 説 。 松 野 純 孝 も 、 ﹁ 宿 業 観 は 罪 悪 観 の 内 面 化 に よ っ て次第にあらわれになってくるようである﹂と述べ、平安 初期の勧善懲悪の現報から、次第に宿業と死後の応報の思想が結びつくようになり、鎌倉期になると、信心によって 罪業の宿業を逆転させる可能性も説かれるようになったこ と を 論 じ て い る 。 平 安 中 期 か ら 、 欣 求 協 同 土 の 思 想 の 勃 興 に 伴い、現世及び人間界は罪の代表となり、応報観のポイン トは﹁現世安穏﹂から﹁後生善処﹂へと移行していくので あ る 。 また日本における応報観の展開は、いかなる存在が懲罰 を担当するのかというテ
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マ と 密 接 な 関 係 に あ っ た 。 ﹃ 議 異記﹄下巻・第十八には、﹁噺かに知る、説法の刑罰なる こ と を 。 愛 欲 の 火 、 身 心 を 燃 く と 雌 も 、 姪 れ の 心 に 由 り て 、 被吉行を為さざれ﹂と、また﹃験記﹄巻中・第五十九に、 ﹁羅利女、聖人に白して言はく、この破戒無悔の類、清浄 善恨の境界に来り至れり。当に現罰を与へてその身命を損 ずべしとい起﹂と書かれるように、諮法、羅利女が、車線 に関わる重要な役割を果している。さらに、日本の神は罰 を 下 す 例 も 見 ら れ る 。 ﹁ 延 暦 大 衆 解 ﹂ に は 、 ﹁ 五 日 朝 者 神 国 也 、 以敬神道、為国之勤、謹討百神之本、無非諸仏之述、(中 略)為札善悪之業困、更施賞罰之権化﹂とあるように、仏 の罪法である神は賞罰を施す存在であることが分かる。こ れについて、アップル荒井しのぶ氏は、﹃霊異記﹄におけ る ﹁ ﹃ 法 塾 経 ﹄ 前 経 / 写 経 / 持 経 者 を 誹 読 す る 者 に 対 す る ( 輔 副 法普神による)刑罰としての悪報﹂が、極めて日本的な発 想だと論じ、そこにおける諮法普神は﹁守護的、肯定的威 力と攻撃的、否定的威力を兼ね備える存在﹂だと述べてい る 。 佐 藤 弘 夫 氏 は 、 賞 罰 を 行 使 す る 此 土 の 神 仏 を ︿ 怒 る 神 ﹀ と定義し、その役割は﹁衆生を真の信仰に目覚めさせ、仏 法へと結縁させることによって究極の救いへと導くことに あった﹂と論証している。このように、因果応報の思想に 関しては豊富な研究の蓄積があり、仏法不信をめぐる悪報 に護法善神などの超越的存在日カミ(以下、日本の伝統的 な﹁神﹂を含め、不思議なパワーをもっ超越者を﹁カミ﹂ と表記する)が深く関与しているという問題もすでに指摘 さ れ て い る 。 しかし、従来の先行研究は限られた時代におけるカミの 役 割 を 論 じ る も の が 多 く 、 広 い コ ン テ ・ ク ス ト の 中 で 、 史 料 に即してその特質を明らかにし、長いスパンにおいて因果 応報思想の変容の方向性を見通したものはほとんどないと いってよい。例えば、懲罰である来世の堕地獄の観念が広 がっていたにも関わらず、仏法を守諮するカミは依然とし て、現世で刑罰を下す役割を果たし続けていた。この超時 代的な宗教現象は、日本仏教の応報観の特徴と深く関わっ て い る と 思 わ れ る の で あ る 。 こうした問題提起を踏まえ、本稿では、八世紀から-三 世紀までの期闘を視野に入れ、悪報に携わるカミの役割の変遷をたどることによって、古代から中世への転換の過程 で生じた、仏法不信に対する応報観念の変容を明らかにし と 、 。
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し 一 、 ﹃ 日 本 霊 異 記 ﹄ に お け る 悪 報 平安初期に成立した﹃霊異記﹄(原名﹃日本国現報善悪 霊験記﹄)は、その題名の通り、現報の理に深い関心が寄 せ ら れ て い る 。 中 巻 ・ 第 十 一 に 、 ﹁ ( 前 略 ) 現 報 を 得 た り 。 口に百舌を生じ、万言に白すと雌も、償、僧を誹ること莫 ︽ " と かれ。候ニ災を蒙らむが故なり﹂と書いてあるように、僧 侶を誹ることにより、現報として災いがもたらされるので あ る 。 一 方 下 巻 ・ 第 十 四 で 、 景 戒 は ﹃ 方 広 経 ﹄ を 引 用 し て 、 ﹁賢しき人を誹誇る者は、八万四千の国の塔を破壊する人 の罪に等し﹂と、賢人を誹ることが、罪行為であると述べ ている。広川勝美氏は、﹃霊異記﹄において、人聞による 罪を、天の災禍等と明らかに峻別したと、﹁在来の未分化 の 罪 は 、 さ ら に 、 内 在 化 さ れ る と と も に 、 善 悪 の 裁 き と な り 、 因果応報の強調となって﹂現れてくると主張している。確 かに﹃祝詞﹄における、破いという方法で、罪と災いをま と め て 排 除 す る 行 為 は 、 ﹃ 霊 異 記 ﹄ に は 見 ら れ な い 。 し か し 、 その点から﹁在来の未分化の鵬﹂が、善悪の裁きとなるほ ど 内 在 化 さ れ た か に つ い て は 、 少 々 疑 問 か 残 る 。 ﹃ 霊 異 記 ﹄ の 場 合 は 、 前 文 で 述 べ た 中 巻 ・ 第 十 一 と 下 巻 ・ 第十四の例を見てみると、僧侶を誹る﹁因﹂が同様であっ ても、前者は﹁災い﹂を蒙るに対して、後者は﹁罪﹂を得 ると書かれている。また下巻・第三十では、法花経か書き 写した女人の過失を誹って、口が歪んだ人の話を景戒が取 り 上 げ 、 ﹃ 法 華 経 警 喰 品 ﹄ を 引 用 し な が ら 、 ﹁ 其 の 般 を 誘 ら ︽ 凶 ︾ 不れ。大きなる災を蒙らむが故なり﹂と評価している。と と ろ が 、 ﹃ 法 華 経 世 宮 崎 品 ﹄ 原 文 の 部 分 を 見 て み る と 、 ﹁ 誘 斯 経故獲罪如是若得為人諸根暗鈍(後附)﹂とあるよ うに、﹁罪﹂とされる内容が﹃霊異記﹄では﹁災﹂と書き 換 え ら れ て い る こ と が 明 ら か で あ る 。 こ の よ う に 、 ﹃ 霊 異 記 ﹄ における罪と災いは、依然として緊密な関連性を持ってい る こ と が 明 ら か で あ り 、 そ の ま ま ﹁ 罪 が 善 悪 の 裁 き と な る ﹂ と 解 す る の は 再 検 討 が 必 要 で あ る 。 では、﹃霊異記﹄における裁きは、どのように実現され たのか。中巻・第一では、長屋王が自害に追い込まれた原 因は、天皇が他人の説言を信じて、彼を疑ったためである と書かれている。ところが景戒は、﹁妖災蜜ムル日には帰 る 所 元 く 、 唯 一 日 -に 滅 び き 。 誠 に 知 る 、 自 ら の 功 徳 を 恰 み 、 彼 の 沙 弥 を 刑 ち 、 護 法 吻 滅 み 、 韮 田 神 憎 み 嫌 ふ 。 ( 中 略 ) 袈 ︽ M M ︾ 裟を著たる人を打ち侮る者は、其の罪甚だ深し﹂という評 語を書き添えている。つまり、景戒から見れば、長屋王に起こった災いは、彼の沙弥を打った事と直接に無関係のよ うに見えるが、実は彼の仏法冒涜の罪が、説法善神を怒ら せ た 故 に 降 り か か っ て き た の で あ る 。 現報は﹃霊異記﹄で、護法神等が関与するものと描かれ るのが他にも見られる。中巻・第三十五では、﹁天骨邪見 して、三宝を信けず﹂という宇遅王は、沙門を迫害したこ とによって、重病にかかり、最後は墨のように黒くなり死 亡したという現報を受けた。己れも、﹁狂王宇遅、邪見太 ︽ 泊 ︾ 甚しく、護法、罰を加ふ﹂に知られるように、護法神の罰 によるものだったのである。また下巻・第十九では、法華 経と八十華厳経を読諦する尼を、﹁外道﹂と嚇った三人の 僧は直ちに現報を受けたことを、﹁神人空より降り、枠を ︽ 剖 ︾ 以て僧を裳か将とす。僧恐り叫びて終に死にき﹂と書かれ ている。このように、﹃霊異記﹄において、仏法不信の罪 を犯した人に、災いの悪報が招かれる過程で、護法、神人 と い っ た カ ミ が 治 罰 に 携 わ っ て い た こ と が 分 か る 。 ところが、﹁堕地獄﹂の悪報も災いとして記される事例 が ﹃ 霊 異 記 ﹄ に 散 見 で き る 。 中 巻 ・ 第 七 に は 、 ﹁ 誠 に 知 る 、 ︽ 盟 ︾ 口 は 身 を 傷 ふ 災 の 門 、 舌 は 善 を 曲 目 る 銘 き 鍛 な る こ と ﹂ と あ るように、行基菩薩を誹った智光の﹁堕地獄﹂を﹁
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と 記されている。下巻・第二十二では、他田舎人蝦夷は私利 私欲を満たすために地獄で罰を与えられ、また法花経を写 四 したことにより、現に善の応報を得る。すなわち、﹁誠に ︽ 沼 ︼ 知る、善を作せば福を来し、悪を作せば災を来すこと﹂で ある。同じく下巻・第二十三では、寺の物を私用した罪に 問 わ れ て 、 地 獄 に 召 さ れ た 大 伴 述 忍 勝 は 、 ﹁ 物 を 用 ゐ る 災 、 是 れ 我 が 招 け る 罪 に し て 、 地 獄 の 答 に 非 拘 ﹂ と 述 べ て い る 。 では、﹃霊異記﹄における地獄は、どのように認識され ているのか。前述した下巻・第二十三では、大伴述忍勝の 地 獄 に 行 く 道 が 記 さ れ て い る 。 往く道の頭に甚だ峻シキ坂有り。坂の上に登りて、鴎 路ヒテ見れば、三つの大きなる道有り。一つの道は平 に広く、一つの道は草生ひ荒れ、一つの道は践を以て ︽ お V 塞 が る 。 この話から、地獄は現世と連続する場所にあると推定さ れる。また、地獄のことを﹁黄泉﹂と記し、地獄の食物を ︽ 泌 ︼ ﹁ 黄 寵 火 物 ﹂ と 呼 ぶ 例 も 多 数 見 ら れ る 。 笹 岡 弘 隆 氏 は 、 ﹃ 霊 異記﹄の冥界について、日本固有の黄泉の観念や死に関す る タ ブl
の念が引き継がれており、地獄と現世とは陸続き ︻ m u v であって往来も比較的簡単であると述べている。つまり、 空間上で、地獄が現世と繋がるものとして描写されている の で あ る 。 また、巻中・第十に、﹁誠に知る、地獄の現に在ること ︽ お ︼ を﹂と、さらに巻上・第二十七に、﹁地獄の火来りて我が︽ お ︾ 身を焼き、苦を受くること此くの如し﹂と書かれている。 石 田 瑞 麿 氏 は 、 こ の よ う な 地 獄 の ﹁ 現 在 性 ﹂ に 注 目 し 、 ﹁ 人 と地獄とが二重写しに重なっている姿、人であり地獄でも ︽ 却 ︾ あ る と い う 奇 妙 な 存 在 状 態 が 現 実 に あ る ﹂ と 分 析 し て い る 。 時間上での地獄は、来世という観念に拘らず、現世に生き ているままで経験できるという﹁同時性﹂の特徴を持つの ︽ 幻 ︾ で あ る 。 ﹃霊異記﹄の地獄観を、災いとされる悪報と結びつけて 考 え る と 、 ﹁ 堕 地 獄 ﹂ も 災 い と 描 か れ る 発 想 は 、 当 時 の 人 々 が共有する世界観に基づいたものと考えられる。元々仏教 経典に書かれる地獄は、輪廻する責め苦の世界という性格 を有するが、﹃霊異記﹄において、現世の延長線に位置づ けられる地獄は、来世の世界という認識が欠落して、現世 で の 罰 と し て 悪 報 開 叫 が 生 ま れ て き た の で あ る 。 また、災いである﹁堕地獄﹂という意識は、地獄を掌る 王の位置づけの転倒を起こしている。﹃霊異記﹄下巻・第 九で、地獄に召された藤原朝臣広足は、自分を闘に呼び寄 せた﹁人﹂の名前を聞いたところ、関擁王であることが知 ら さ れ る 。 ﹁我を知らむと欲はば、我は悶羅王、汝が固に地蔵菩 薩 と 称 ふ 、 是 れ な り ﹂ の た ま ふ 。 即 ち 右 の み 手 を 下 し 、 我 が [ 項 ︺ を 摩 で て 告 り た ま は く 、 ﹁ 我 、 印 点 す る が 故 に 、 ︽ 辺 ︼ 災 に 遊 は 不 。 速 忽 か に 還 り 往 け ﹂ と の た ま ふ 。 速水備氏は、旧訳﹃地蔵十輸経﹄所説に基づく悶羅王地 蔵一体観はここに見られるが、地蔵信奉による地獄抜苦の ︽ m v 信 仰 が ま だ 見 ら れ な い と 指 摘 し て い る 。 こ の 話 で は 広 足 は 、 亡き妻の供養のため、法華経を写す等の善を修したことに よって、霊験を得たのである。その中で、悶羅王は地蔵菩 薩 で あ り な が ら 、 災 い を コ ン ト ロ ー ル す る 存 在 と さ れ る 。 そもそも﹁菩薩﹂について、﹃霊異記﹄上巻・第五にで は 、 物 部 弓 削 守 屋 の 大 連 の 公 は ﹁ 今 、 国 家 に 災 を 起 こ す は 、 隣 国 の 客 神 の 像 を 己 が 圏 内 に 箇 く に 依 討 ﹂ と 、 ﹁ 菩 薩 三 駆 ﹂ を 災 い に 関 わ る ﹁ 客 神 ﹂ と 思 わ れ て い る 。 と こ ろ が 、 ﹁ 神 ﹂ と﹁仏﹂を同視する考えが存在する一方で、明らかに両者 の区別をつけようとする傾向も﹃霊異記﹄に見いだすこと ができる。中巻・第五には、﹁此れより己後、効に神を杷 ら不、三宝に帰信し、己が家に植を立てて寺と成し、仏を ︽ お ︾ 安 き 、 法 を 修 し 、 放 生 す ﹂ と 、 ﹁ 神 ﹂ の 祭 組 を 諦 め 、 ﹁ 仏 ﹂ へ 帰 依 す る と 説 か れ て い る 。 ま た 下 巻 ・ 第 二 十 四 に は 、 ﹁ ( 修 行の)従衆を妨ぐるに由りて、罪報と成る。後生に此の繍 獄の身を受けて、此の社の神と成るが故に、斯の身を脱れ ︻ 邸 ︾ むが為に、この堂にして、我が為に法華経を読め﹂と、陥 我の大神が神身を離脱するために、仏教の力が必要たと説 い た 。 つ ま り 、 ﹃ 霊 異 記 ﹄ に お い て 、 ﹁ 神 仏 ﹂ の 違 い が 若 干 五
認識されているものの、両者の厳密な区別を付けようとす る意識がなく、あくまでもカミというレベルで把握されて い る の で あ る 。 このようなカミの観念は、﹁陥我の大神﹂の説話にも裏 付けられている。前述した陥我の犬神の話を、僧恵勝が山 階 寺 の 満 預 大 法 師 に 告 げ た と こ ろ 、 そ の 植 越 の 師 、 受 け 不 し て 言 は く 、 ﹁ 此 は 狼 の 語 な り 。 我 は 信 け 不 。 受 け 不 聴 さ 不 ﹂ と い ふ 。 ( 中 略 ) 堂 童 子 ・ 優婆塞、念々ぎ走り来りて言はく﹁小さき臼獄。堂の 上に居り。繊見れば、九聞の大堂伏るること微塵の如 く、皆悉に折れ擢け、仏像皆破れ、僧坊も皆伏る﹂と い ふ 。 とあるように、陥我の大神の話を信じなかったことによっ て 仏 像 が 破 り 、 僧 坊 が 倒 れ る と い う 災 い が 訪 れ た の で あ る 。 ここで、神身離脱の方法とされる﹁仏法﹂も、﹁神﹂への 冒 涜 に よ っ て 、 逆 に 災 い を 被 る 対 象 と な っ て い る 。 このような﹁神仏﹂置換も可能な因果応報の説話につい て、政敏晴氏は、﹁仏も神もなく、あるいは、聖も俗も、 神仙も、儒教もなく、それらの存在する全世界を普く覆う 秩序としての因果の理法こそ﹃霊異記﹄は諮ったのであ ︽ m v る ﹂ と 述 べ て い る 。 そ れ も ま た 、 ﹁ 神 仏 ﹂ と い う カ テ ゴ リ ー を 超 え る カ ミ の 活 躍 に も 即 応 し て い た の で あ る 。 ー 」 ノ 、 す な わ ち 、 ﹃ 霊 異
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下巻・第九では、閥羅王を地蔵菩 薩だと記すのは、救済者ではなく、応報に携わるカミと捉 える傾向が見られるのである。この点について、中巻・第 七には興味深い話が記録されている。行基を誘って地獄に 召 さ れ た 智 光 は 、 そ の 悪 報 を 受 け た 経 緯 が 書 か れ て い る 。 時に閤羅王の使二人、来て光師を召す。西に向かひて 往 き 、 見 れ ば 前 路 に 金 の 楼 閣 有 り 。 問 ふ ﹁ 是 は 何 の 宮 ぞ ﹂ と い ふ 。 答 へ て 日 は く 、 ﹁ ( 中 略 ) 当 に 知 る べ し 、 行 基 菩薩来り生まれ将とする宮なりと﹂といふ。その門の 左右に、二の神人立ち、身に銅鎧を著、額に緋の績を 著 け た り 。 使 長 脆 き て 白 し て 日 は く ﹁ 召 し つ ﹂ と い ふ 。 問ひて臼はく﹁是は豊葦原の水穂の固に有る。所謂智 光 法 師 か ﹂ と い ふ 。 智 光 答 へ て 白 さ く ﹁ 唯 然 り ﹂ と い ふ 。 即ち北の方を指して臼はく﹁此の道より将往け﹂とい ︻ m v ふ 。 二人の神人に指示されて、智光は様々な刑罰を与えられ た が 、 そ の 後 に 地 獄 の 刑 罰 を 受 け る 理 由 を 知 ら さ れ た 。 宮門に在る二人告げて言はく﹁師を召す因縁は、葦原 の固に有りて行基菩薩を誹誘る。其の罪を滅さむが 為の故に、諮け召すのみ。(中略)今は忽に還れ﹂と ︽ 岨 V、
h ' h v z j h 己 の 説 話 は 、 後 ほ ど ﹃ 一 一 一 宝 縦 ﹄ 、 ﹃ 日 本 往 生 極 楽 部 ﹄ 、 ﹃ 験諮 ﹄ 、 ﹃ 今 昔 物 語 集 ﹄ 、 ﹃ 元 亨 釈 艶 ﹄ 、 ﹃ 私 自 罰 百 因 縁 響 、 ﹃ 聖 誉 紗﹄、及び﹃当麻受陀羅疏﹄等にも収録されている。記述 の方法によって微妙な差はあるものの、ある一定のイメー ジが共有されていると思われる。それは、刑罰の命令を下 し、そして、智光に連行の趣旨を説明して、元の世界に帰 ら せ る の は 閥 羅 王 で あ る と い う 認 識 で あ る 。 一 方 、 芸 品 田 県 記 ﹄ で は 、 一 連 の 役 割 を 果 た し た の は 、 行 基の転生する宮殿を守護するこ人の神人である。神人につ いては、尼を誹る僧を処罰し、舎利菩薩を守護する存在と して、下巻・第十九にもみられる。ここの場合は、二人の 神人は行基の転生する宮殿を守りながら、行基を誘った智 光に刑簡を命じており、守護と治罰の役割を兼ねている故 で あ ろ " つ 。 この点において、アップル荒井しのぶ氏によると、﹁諮 法厳罰諦﹂における﹁神人の両義性﹂が、民間での﹃法華 経﹄信仰の受容に通ずるという指摘は妥当のように見える が、智光は﹁悶羅玉、我を召して餓銅の柱を抱か令剖﹂と 述 べ た よ う に 、 名 義 上 で 閥 羅 王 、 実 際 の と こ ろ は 一 一 人 の 神 人が、刑罰に携わったととは明らかである。滅罪厳罰のた めに、問魔王の役割を神人に担わせる点は、氏の言うよう な﹁神祇の両義性﹂に基づく仏教理解よりは、神人を閥経 王と同じく、災いである悪報に携わるカミと見なす、﹃霊 異 記 ﹄ の 悪 報 観 の 問 題 と し て 捉 え る べ き で あ ろ う 。 また、中巻・第十に、常に烏の卵を食べる男が、知らな い兵士の召喚に応じたところ、麦畑に押入れられ、そこで 地獄の火に焼かれた話がある。文末の﹁地獄の現に在るこ と﹂と書かれるように、この兵士は男を罰する地獄の使者 ︽ 関 ︾ と 考 え ら れ る 。 こ れ も ま た 、 二 元 的 世 界 観 を 基 盤 と す る ﹃ 霊 異記﹄で、仏法不信によって、カミに持たされた現世内部 で の ﹁ 悪 報 ﹂ と も 考 え ら れ る だ ろ う 。 このように、﹁内在化される罪﹂による裁きよりも、む しろ罪人にカミが災いをもたらす方が、﹃霊異記﹄におけ る一般的な懲罰方法だと考えられる。さらに、罪人を罰す る カ ミ の 役 割 が ﹁ 地 獄 ﹂ ま で に 及 ぶ と い う 発 想 が 恕 定 さ れ 、 それこそ当時の人々が共有する二冗的世界観に基づいたも のであると考えられる。現世の延長線に位置づけられてい る地獄に、乙の世での現報を担当するカミの力が届くのも 当然である。この段階では、厳密な神仏の区別がなく、諮 法も地獄の役人も、同じく悪報を下すカミとして把握され て い る の で あ る 。 以上、仏法不信をめぐる悪報には、カミの行使する現世 の災いに、﹁堕地獄﹂が加えられることをみてきた。地獄 の 刑 罰 も カ ミ に よ る 災 い と し て 描 か れ て い る こ と か ら 、 ﹃ 霊 異記﹄の悪報観は現世内部での災禍に収飲されていたと見 ー じ
るべきであろう。そ己に現世中心の世界観を見出すことが 可 抽 出 た と 考 、 え ら れ る 。 二 、 二 重 構 造 の 悪 報 思 想 の 形 成 景戒は、因果応報の絶対性を解き明かすために、現報の 一 点 に ス ポ ッ ト を 当 て て き た 。 そ れ を 前 提 と し て 、 ﹃ 霊 異 記 ﹄ の悪報諮は、現世の罰か﹁堕地獄﹂のどちらかが詳細に書 かれるのが普通であった。そして、悪報を下すカミの登場 も ま た 、 意 識 的 に ピ ッ ク ア ッ プ さ れ て き た の で あ る 。 ところが、平安中期になると、カミの登場に変化が現れ てきた。﹃三宝絵﹄下巻(一)修正月には、次の内容が記 さ れ て い る 。 身ノ上ノコトヲ祈リ、年ノ中ノッ、シミヲナスニ、寺 トシテオコナハヌナク、人トシテキヨマハラヌナケレ パ、年ノハジメハ国ノ中ニ善根アマネクミチタリ。マ サ ニ 知 る べ シ 、 帝 尺 ノ 玉 ノ 鏡 ニ 照 シ 、 闘 王 ノ 金 ノ フ ・ タ ニ シ ル ス ベ シ 。 この話では、人々と寺は年の初めに善根を積むことが書 か れ て い る が 、 最 後 に 帝 釈 天 、 闘 王 の 登 場 は 注 目 に 値 す る 。 つ ま り 、 と こ か ら 帝 釈 天 と 悶 王 は 、 そ れ ぞ れ 人 の 善 軍 第 ﹄ 監 督することが分かる。そして、このような変化に対応する ように、平安中期から、現世と後生に分かれ、それぞれの 八 悪 報 が 説 か れ る 史 料 、 か 見 ら れ る よ う に な っ て き た 。 天徳二年(九五八)十二月十日の﹁橘元実伊賀国玉瀧柚 施入状案﹂によると、伽蕗へ材木の奉施を邪魔すると、悪 報 が 下 さ れ る こ と が 記 録 さ れ て い る 。 若 後 代 之 人 破 此 願 者 、 天 神 地 祇 四 王 諮 法 、 見 罰 其 人 、 現 世 池 疾 疫 災 積 、 永 断 子 孫 、 後 生 堕 三 途 苦 処 、 生 無 仏 世 また、長保五年三
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三)八月十九日の﹁八幡大菩薩宇 佐 官 司 解 ﹂ に も 、 若犯用若破障、不令勤仏神事者、是人必終得破辱十方 三所諸仏菩薩一切賢聖之罪、落大地獄無数劫中、永無 出離、又十方一切諸天資王帝釈四(大脱)天王天龍八 部金剛蜜跡護法談培大善神主及普天率士有大威力天神 地祇七廟尊霊井佐命立功大臣将軍之霊、共起大禍滅 ム / ﹂ ミ とあるように、仏法不信の悪報として、現世の罰と後生の 堕 地 獄 が セ ッ ト と な っ て い る の で あ る 。 現 世 の 罰 を 見 る と 、 ﹁ 天 神 地 祇 ﹂ 、 ﹁ 七 廟 尊 霊 ﹂ 、 ﹁ 佐 命 立 功 大 臣 将 軍 之 霊 ﹂ と ﹁ 四 王 護 法 ﹂ 、 ﹁ 諸 天 党 主 帝 釈 四 天 王 天 龍 八 部 ﹂ 等 が 一 絡 に 列 挙 されているのは、日本の神、死者の霊が仏教の守護神と同 じく、災いを下すカミと見なされていることが分かる。そ し て 、 ﹃ 霊 異 記 ﹄ で の 現 世 の 災 い と 同 視 さ れ る ﹁ 堕 地 獄 ﹂ は 、 救 済 者 の い な い ﹁ 無 仏 世 ﹂ に 生 れ る と い う 後 生 の 罪 報 と な って き た の で あ る 。 こ の よ う な 、 現 世 の 災 い と 後 生 の 堕 地 獄 と い う 悪 報 観 は 、 ﹃ 道 賢 上 人 冥 途 記 ﹄ ( 以 下 ﹃ 冥 途 記 ﹄ と 略 称 ) に も 見 ら れ る 。 苦行していて仮死状態に陥った道賢は、太政天となった菅 原道真の案内によって異界を訪れ、太政天の谷属神が世に 災いをもたらしていること、延喜玉はそれによって﹁身肉 六府悉畑壊﹂という罰を受けたことを知らされる。ここで も 現 報 は 、 カ ミ の 担 当 だ っ た 。 また、地獄に導かれた道賢は、そこで延喜王と対面し、 次 の よ う な 言 葉 を 聞 く 。 我是金剛覚大王之子也、而今受此鉄窟之苦、(中略) 我父法王令険路歩行心神困苦、其罪一也、予居高殿、 令聖父坐下地焦心落涙、其罪二也、賢医無事、誤流、 其罪三也、久貧困位、得怨減法、其罪四也、令白怨敵 害他衆生、其罪五也、是五為本、余罪枝葉無量也、受 苦無休、苦哉悲髄 ここでは延喜王は、自らが犯した五つの罪の報いによっ て鉄窟(地獄)に堕ちたとされる。﹃冥途記﹄では、カミ による現世の災いが、自らの罪業による堕地獄と分離して いて、カミはもはや、人を地獄に落とす機能を有していな い の で あ る 。 ﹃験記﹄にも同様な悪報観が共有されている。下巻・第 九十六の最後には、﹁現報かくのごとし、後世の受くる苦 ︽ 岱 ︾ びは、勝げて計ふべからず﹂と、持経者を誹ったことによ り、口が歪み、声が失われた現報と、﹁後世の苦﹂とが別 次 元 の も の と し て 描 か れ て い る 。 平安初期の﹃霊異記﹄では、災いと同視された現世の治 罰と﹁堕地獄﹂は、平安中期になると、異なる悪報とされ るようになるのはなぜか。それは、堕地獄が後生の悪報と なって、独り歩きしてきたことに窺われるように、地獄に 対する認識が変わってきたことが重要な理由と考えられ る。中でも、摂関から高揚となってきた浄土信仰の果した 影 響 が 大 き い の で あ る 。 例えば、平安中期に成立した、往生の指南書とされる ﹃ 往 生 要 集 ﹄ ( 以 下 ﹃ 要 集 ﹄ と 略 称 ) で は 、 源 信 は 、 極 楽 と いう来世の理想世界に対して、地獄を輪廻する﹁綴土﹂の ︽ 鎚 ︾ 一つであり、厭離すべき処だと説明している。そこは来世 としての死後世界であることが、﹁未来の大苦はただ身に 受けんそれ衆悪を造れども即に報いず万剣の己もども 傷ひ割くが知くにあらざれども臨終に罪相初めて倶に現 れ後に地獄に入りてもろもろの苦を嬰かん﹂と説かれる のである。それは、﹁竜樹菩薩の禅陀迦王を勧発せる偶﹂ から引用された内容だと﹃要集﹄に書かれていて、源信の 認識している地獄は、仏教の教説に基づくものであること 九
が分かる。例えば、先ほどに述べた、智光の堕ちた﹁阿鼻 地 獄 ﹂ に つ い て 、 ﹃ 要 集 ﹄ に は 、 ﹁ 阿 鼻 地 獄 と は 、 大 焦 熱 の ︽ 鑓 ︼ 下、欲界の最底の処にあり﹂として、﹁六道﹂という綴れ た世界の、空間的にもっとも底辺に位置する領域であるこ と が 強 調 さ れ る 。 振り返ってみれば、﹃霊異記﹄における地獄は現世の一 部であり、徒歩で容易に往来可能な場所にあるのである。 つ ま り 、 水 平 に 現 世 と 連 続 し て い た 地 獄 は 、 ﹃ 要 集 ﹄ に 至 っ て、空間的に現実世界と上下の方位に垂直に分断された異 界となり、時間的には現世と両立不可能な来世の世界とさ れ る の で あ る 。 このような、現世から切断された地獄の観念は、平安中 期以降の様々な史料に散見される。﹃冥途記﹄では﹁金峯 ︽ 的 ︾ 並 百 薩 令 悦 子 見 地 獄 ﹂ と 書 か れ 、 ま た 道 賢 冥 途 諦 の 、 も う 一 つのバージョンである﹃日蔵夢記﹄には、﹁仏子云、金剛 臓王神通力所至也、唯願見地獄苦闘﹂として、地獄は菩薩 の神通力に頼ってこそ辿ってきた別世界となっている。そ し て 、 ﹃ う つ ほ 物 語 ﹄ の ﹁ 吹 上 ﹂ 巻 下 で は 、 ﹁ さ る 罪 な き 人 のためには、あやしき心を遺ひたまふ。しかありける報い にかかる身とまりぬ。来む世には、地獄の底に沈みて、浮 かむ世あらじ﹂とあるように、地獄は来世の報いと認識さ れ て い る こ と が わ か る 。
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そして、地獄観の発達に伴い、従来災い、時にカミの下 し た も の と さ れ た ﹁ 堕 地 獄 ﹂ に も 大 き な 変 化 が 訪 れ て き て 、 カミによる災いとかけ離れるものとなってきたのである。 まず、罪人の堕地獄について、﹃要集﹄では以下のよう に 述 べ ら れ て い る 。 ・ 獄 卒 、 罪 人 を 町 責 し て 云 く 、 ﹁ 心 は こ れ 第 一 の 怨 な り 。 この怨、最も惑となす。己の怨、能く人を縛り、送り て悶羅の処に到らしむ。汝、独り地獄に焼かれ、悪業 の た め に 食 は る 。 ( 後 鵬 ) ・ か く の 如 き 業 風 、 悪 業 の 人 か 将 ゐ 去 り て 、 か の 処 に 到 る 。 既にかしこに到り己れば、閤魔羅王、種々に崎貴す。 阿責既に己れば、悪業の縞にて縛られ、出でて地獄に ︽ 伺 V 向 ふ 。 ・悪業の虚妄なるすら猛利なるを以ての故に、なほ能く 一 生 の 善 業 を 排 ひ て 悪 道 に 堕 せ し む 。 こ の よ う に 、 罪 人 を 縛 っ て 、 地 獄 に 送 り 込 ん で く る の は 、 その人自身の作った悪業であることが明らかである。そし て、地獄で受けた刑罰について、以下のように書かれてい る 。 -閥 羅 人 、 こ れ を 阿 賞 し て 言 く 、 (前略)火の焼くはこれ焼くにあらず悪業乃ちこ れ焼くなり火の焼くは即ち減すべし。業の焼くは減 す べ か ら ず ( 後 雌 ) ・ 時 に 閤 羅 人 、 限 怒 の 心 を 以 て 答 へ て 回 く 、 或は増劫或は減劫に、大火、汝が身を焼く痴人己 に惑を作る今何を用てか悔を生ずるこれ天・修 羅・健迷婆・竜・鬼のなせるにあらず業の羅に繋 ︻ 防 ︾ 縛 せ ら れ た る な り ( 後 略 ) ・悶羅常にかの罪人に告ぐ少かの罪も我能く加ふるこ となし汝自ら界を作りていま自ら来る業報自ら 2 M ︾ 招 い て 代 る も の な し ( 後 略 ) ここでは、悶羅人、天などではなく、﹁業﹂が地獄の処 ︽ 側 ︾ 罰者だと書かれている。﹃霊異記﹄に見られる、罪人を冥 府に連行して、地獄に行かせ、罰を与える閥羅人や神人の 役 割 は 、 ﹃ 要 集 ﹄ で は 、 罪 人 の 作 っ た 悪 業 が 果 た す も の と な っ て き た 。 坂 東 性 純 氏 は 、 ﹃ 要 集 ﹄ の 地 獄 は 業 に よ る 峨 受 ( 業 感 ) であり、苦を与えているのは罪人自身の罪業であって、い 内 側 ︾ わ ゆ る 罰 す る 者 な き 罰 だ と 述 べ て い る 。 こ れ に つ い て 、 ﹃ 日 蔵 夢 記 一 ﹄ に は 、 ﹁ 自 他 作 業 重 故 堕 此 獄 、 所 其 他 者 太 政 天 也 、 其天神以怨心、令焼滅例法損害衆生、其所作悪報、惣来我 ︻ 加 ︾ 所 、 我 為 其 怨 心 之 根 本 ﹂ と あ る よ う に 、 そ の 撰 者 の 、 ﹃ 要 集 ﹄ の 業 の 思 唄 夢 二 歩 押 し 進 め て 、 天 神 の 怨 心 の 根 本 を 追 求 し 、 その源は延喜王の悪業にあるという、徹底した自業自得の 立 場 が 考 え ら れ る の で あ る 。 こ の よ う に 、 一 元 的 発 想 に 収 ま る ﹃ 霊 異 記 ﹄ の 地 獄 観 は 、 平 安 中 期 に な る と 、 現 世 と の 断 裂 が 見 ら れ る よ う に な っ た 。 かつて現世のカミが支配する﹁地獄﹂は、罪人各自の業報 によって成立した来世の悪報となり、カミによる現世の罰 と 一 緒 に 悪 報 の 二 重 構 造 を 構 成 し て き た の で あ る 。 ま た 、 二 重 構 造 の 悪 報 思 想 が 形 成 す る 背 景 に 、 当 時 の 人 々 は 仏 教 と カ ミ に 求 め る も の の 変 化 も 挙 げ ら れ る 。 ﹃ 霊 異 記 ﹄ に お い て 、 ﹁ 或 る は 法 僧 を 誹 り て 現 身 に 災 を 被 り 、 ( 中 略 ) 或るは深く信け善を修めて生きながら枯を箔る﹂とあるよ うに、仏教は現世利益をもたらす存在として信仰されてい る。それに対し、﹃三宝絵﹄下の(二十五)比叡不断念仏 では、源為憲は﹃阿弥陀経﹄の﹁又彼仏ハ此土ノ衆生ニ大 誓願アリ。此土ノ衆生ハ彼仏ニ大因縁アリ。一度ソノ名ヲ 唱レパ、音ヲアグルホドニ八十劫ノ生死ノ罪ヲケシ、忽ニ ソノ国ニムマルレバ、腎ヲノブルアヒダニ十万億ノサカヒ ヲコエヌ﹂という部分を引用して、仏教の役割が﹁欣求浄 土 ﹂ に あ る と 述 べ て い る 。 ﹃ 験 記 ﹄ 巻 下 第 九 十 こ に は 、 ﹁ 夢 に 八 大 金 剛 章 子 あ り 。 ( 中 略)皆悉く合掌して、異口同音に讃嘆して日く、奉仕修行 ︻ n v 者、猶如滞伽鍍、得上三摩地、与諸菩薩倶といへり﹂とい う言葉があり、巻下第九十九には、﹁定途の夢想に、木像 の仏、いまだ口を聞き舌を動さずして言はく、我はこれ弥
陀なり。汝を引摂せむがために、常に来りて守諮すといへ り﹂という言葉がある。ここに登場する八大金剛童子、木 像の仏は、守護することで、修行者の往生の助力になる存 在とされる。ここでも、来位の救済が仏教に求められるも のとなり、カミはそれを実現するために現世で守護し、奉 仕する役割を果たしているのである。従って、仏法不信の 場合は、現世でカミの守護は得られず、聖や修行者を誘る 罪 を 犯 し た 時 、 カ ミ に よ る 現 罰 を 与 え ら れ る こ と も あ る が 、 死 後 に な る と 、 仏 教 に 救 わ れ る こ と な く 、 当 に ﹃ 要 集 ﹄ ﹁ 大 文第一厭離綴土﹂に書かれる﹁己の無関獄は寿一中劫な り。︿倶舎論﹀五逆罪を造り、因果を扱無し、大乗を誹認 し、四重を犯し、虚しく信施を食へる者、乙の中に堕つ o A n ︼ ︿ 観 仏 三 昧 経 に 依 る ﹀ ﹂ と あ る よ う に 、 来 世 の ﹁ 堕 地 獄 ﹂ の 悪 報 を 受 け る こ と に な る の で あ る 。 ﹃霊呉記﹄に記される悪報は、現世後生を問わず、カミ による災いと一括して認識されていたが、地獄観や浄土信 仰の浸透に従って、現世と来世の分離が進み、堕地獄は来 世の悪報となり、現世で治罰を担当するカミの機能から切 り 離 さ れ る こ と に な っ た の で あ る 。 = 一 、 現 世 後 生 に 連 続 す る 悪 報 思 想 以上述べたように、平安時代の後期に入ると、この世の カミは基本的に死後の懲罰には関知しなくなった。それで は、中世になると、カミは来世とはまったく無関係の存在 となるのであろうか。実は、一部のカミが独自の形で死後 の救済と深く関わるようになるのである。その代表が日本 の 伝 統 的 な 神 祇 だ っ た 。 貞応二年(一二二三)作とされる﹃版天記﹄では、山王 大明神の役割について以下のように記されている。 サテ尺迦如来。我滅度後。於末法中。現大明神。広度 衆生ト仰ラレケルハ。山王トイフ神ニ現ゼントスルナ サトイフ金言ナリ。(中略)不浄ヲ誠メ不信ヲ懲シ。 僻怠ヲ夕、リ精進ヲス、メテ。信不信ニ付テ賞罰ヲ正 ︻ 施 ︾ シクシテ。現世後生ノ願ヲ満ント思食シケル也。 己こでは、山王権現は釈迦如来の垂漣として、末法時代 に生きている衆生を救うために現れると述べられている。 これと類似する内容は﹃北野天神縁起﹄にも見られる。 さて本地申せば、観世音のすいじゃく、十一面の尊容 なり。法性の高山よりおりて西方の補処をしめし、極 楽の浄利よりいで﹀天満天神とあらはれましノ¥て、 不信の者をいましめ信心のものをはぐ﹀みて、二世の 悉 地 を 成 就 し ま し ノ ¥ 、 今 生 に は 百 年 の 算 を ま も り で 、 万歳のタベに必みづから紫金台をさ﹀げてこしらへの ︽ 材 ︾ せ給て、西方極楽世界に送り置給なり。
こ こ で は 、 神 が 現 世 だ け で な く 来 世 の 利 益 に も 関 わ る こ とが明確に述べられている。神は、彼岸の本地仏がこの世 の 人 々 を 救 い 取 る た め 出 現 し た そ の 化 身 ( 垂 迩 ) だ っ た 。 そして、垂迩とされるカミは、山王権現や天満天神のよう な名高い神だけではない己とが次の引用文から窺うことが で き る 。 ・ 南 山 大 師 。 聖 徳 太 子 。 弘 法 大 師 。 此 三 人 ノ 権 者 達 、 何 レ モ 十 二 月 ニ テ 出 生 ア リ ( ﹃ 八 幡 用 品 童 訓 甲 ﹄ ) ・ 右 弟 子 運 心 合 掌 。 自 仏 言 。 弘 法 大 師 。 釈 迦 尊 之 分 身 。 虚 遮 那 之 垂 迩 也 。 聖 教 東 涜 。 伝 此 日 域 ﹃ 弘 法 大 師 御 伝 ﹄ ) ・ か の 仏 菩 薩 は 、 五 濁 の 我 等 を 救 は ん が た め 、 専 ら 大 慈 大 悲 の 響 願 を 催 さ れ て 、 か の 法 性 の 都 の 中 よ り 出 で 、 恭 く も 稼 悪 充 満 の こ の 土 に 雑 る 。 感 応 利 生 、 眼 に 遮 り 、 耳 に 満 ち 、 霊 神 験 仏 、 此 に 在 同 ( ﹃ 愚 迷 発 心 集 ﹄ ) ・ 夫 日 本 国 本 ヨ リ 神 国 ト 成 テ 。 国 々 里 々 ニ 。 鎮 守 明 神 イ カキヲナラベ烏居ヲ顕シテヲハシマス事。延喜式ニ定 メ被誠数三千-百目二所トゾ承ル。一万三千七百余座 ト モ 申 ス 。 夫 ハ 髄 ノ 説 イ マ ダ 不 承 及 。 神 々 皆 是 本 地 ハ 。 往 古 ノ 如 来 法 身 ノ 大 士 山 山 。 ( ﹃ 輝 天 記 ﹄ ) ・ 有 一 菩 薩 。 名 午 顕 天 神 菩 薩 。 従 無 量 劫 来 。 成 就 大 慈 大 悲。善修習無量法門。為諸衆生。令得安穏。故出現於 世云々。然又天王不忘本誓。為化受苦群情。権号素蓋 烏 尊 。 垂 跡 於 吾 朝 。 来 鎮 諮 皇 城 。 抜 済 人 回 。 ( ﹃ 祇 園 牛 頭 天 王 縁 起 ﹄ ) ことに挙げられているのは、いずれも中世人の、垂漣に 対する理解を示す史料である。その内容をみると、雨岳大 師、聖徳太子、弘法大師などの仏教の祖師たち、﹁三界所 有 の 天 王 ・ 天 衆 ﹂ と い っ た 護 法 普 神 、 日 本 国 の ﹁ 霊 神 験 仏 ﹂ や延喜式の神々、さらには疫神に至るまで、すべて垂迩と されている。佐藤弘夫氏は、このような中世日本に定着し てきた﹁独特な本地垂漣観念﹂を、﹁救済を使命とする彼 岸 の 仏 H ︿ 救 う 神 ﹀ と 、 賞 罰 を 行 使 す る 此 土 の 神 仏 H ︿ 怒 ︽ m v る 神 ﹀ と 定 義 し て い る 。 それでは、死後の救済を担当する垂漣としてのカミの観 念を、別の角度から検討してみよう。以下に掲げるのは、 中 世 を 代 表 す る 文 書 の 様 式 で あ る 起 詩 文 で あ る 。 ・治承五年(一一八二正月付・中原兼遠起請文 上は党天・帝釈、四天王、日月三光、七耀九星、 二十八宿を始め奉り、下は内海・外海龍神八部、堅 牢地祇、冥官・冥衆、日本国中七道諸国の大小の諸 神、鎮守玉城の諸大明神、驚かし申して白さく、(中 略)若し偽り申さば、上件の神祇冥衆の罰を、兼遠が 八万四千の毛孔に蒙りて、現世・当来永く神明仏陀の 利益に漏れ奉るべきの起請の状
-久安四年(-一四八)四月十五日付・三春是行起論文 若実申テ候ヲ不申テ候者、東大寺大仏、薬師如来十二 神 将 、 鋲 守 八 幡 大 並 口 薩 、 当 所 八 所 御 霊 、 惣 シ テ ハ 日 本 朝中大小神祇冥道神罰冥罰是行丸身候テ、現世貧窮無 ︻ 邸 ︾ 福シテ、後生断三世仏種 ・ 乾 元 元 年 ( 一 三
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二)十二月十四日付・紀伊神野荘公 文平義信起請文 此条若構申虚誕者、蒙 党天帝釈四大天王、日本国中大小神祇、天野四所 部類審属、大師金剛天等両部諸尊神罰冥罰於、義 信 身 上 八 万 四 千 毛 肌 ( 孔 ) 、 今 生 受 白 痢 黒 廟 重 病 、 ︽ ω 巴 来世堕無関地獄、不可有出期之状如件 これらの史料では、宣誓に背いた場合、現世は神仏の罰 を受け、後生は無関地獄に堕ちるとされる。なぜ、地獄に 落ちるのであろうか。それは、起請文に勧請される神仏の 位置づけと役割に関わっていると考えられる。起請文に登 場するカミは、いずれも中世では本地仏の垂迩として認識 されていたものだった。すなわち、垂迩であるカミと約束 を 結 び 、 自 分 の 現 世 後 生 の 利 益 を 掛 け て 盟 国 岡 聞 を 立 て る こ と に よ っ て 、 そ の 約 束 を 断 固 と し て 守 る 決 心 を 見 せ る た め に 、 起詩文は作成されたのである。したがって、約束を破った 場合、それは垂逃を裏切る行為にほかならず、現世利益は 四 もちろん、本来約束された浄土への媒介という役割も期待 できなくなって、無関地獄に堕ちるというメカニズムが生 じ る の で あ る 。 こ れ に 関 連 し て 、 ﹃ と は ず が た り ﹄ 巻 四 で は 、 ﹁ 本 地 弥 陀 三 尊 の 本 願 に 漏 れ て 、 長 く 無 間 の 底 に 沈 み は ベ る ベ し 。 ( 中 略 ) 春 日 の 社 へ も 参 り 出 で ば 、 四 所 大 明 神 の 擁 護 に 漏 れ て 、 ︽ U V 空しく三途の八難苦を受けむ﹂という言葉が見える。本地 仏の本願や垂迩の大明神の擁護に漏れて、(無関)地獄に 堕 ち る と 述 べ ら れ て い る 。 そ も そ も 、 末 法 時 代 の ﹁ 堕 ( 無 間 ) 地 獄 ﹂ に つ い て 、 鎌 倉 時 代 の ﹁ 黒 谷 源 空 上 人 伝 ﹂ に は 、 ﹁ 縦 人有テ念仏ヲ誹誘ストモ。驚ベキ二アラズ。末法濁世ノ罪 ︽ 槌 V 人 ノ 定 レ ル 習 ナ リ 。 来 報 ハ 定 テ 阿 鼻 地 獄 二 ア ラ ン ﹂ と し て 、 ﹁堕地獄﹂は末法の世に生きる、仏法不信の罪人の定めた 罪であると述べられている。との点について、﹁沙門深阿 連 署 起 請 文 ﹂ 安 貞 二 年 十 二 月 四 日 条 に よ る と 、 若可令書写敗、若可違如此之制誠者、不蒙三世諸仏、 ︽ 糊 ︼ 殊尺迦弥陀諸仏之冥助、永以無関獄可為桜之状如件 と あ る よ う に 、 ﹁ 堕 ( 無 間 ) 地 獄 ﹂ は 、 ﹁ 不 蒙 三 世 諸 仏 、 殊尺迦弥陀諮仏之冥助﹂によるものと述べられている。さ ら に 、 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ 巻 第 六 ﹁ 入 道 死 去 ﹂ で は 、 消 防 蹴 の 妻 は 、 南浮提金銅十六丈の虚遮那仏を焼き滅ぼした罪により、活 感は無関地獄に堕ちるという夢を見て、のちに消盛がなくな り 、 最 後 に ﹁ 神 明 一 二 宝 の 威 光 も 消 え 、 諸 天 も 擁 護 し た ま はず。(中略)日ごろつくりをかれし罪業ばかりや獄率と なツて迎へに来りけ叫﹂とあるように、堕地獄は、神明諸 天の擁護に漏れた罪人の罪業によるものであり、垂漣のカ ミ が 下 し た 悪 報 で は な い こ と が 一 目 瞭 然 で あ る 。 なぜ中世の日本に垂迩のカミが必要たったのか。鎌倉旧 仏教の僧である貞鹿の﹃愚迷発心集﹄には、﹁仏前仏後の 中聞に生れて、出離解脱の因縁もなく、栗散扶桑の小国に 住して、上求下化の修行も開けたり。(中略)惑業深重に し て 、 既 に 十 方 恒 沙 の 仏 国 に 嫌 わ れ 、 罪 障 な ほ 厚 く し て 、 今また五溺乱慢の辺土に来れり﹂とあるように、末法に生 きているだけでなく、当時の日本は﹁五濁乱慢の辺土﹂で あるという仏教世界観が広がっていたのである。このよう に、﹁末法辺土﹂に生きている日本人は、自力救済が難し いゆえに、垂迩のカミに祈ることが、往生の方法であると 考 え ら れ た 。 例 え ば 、 ﹃ 諸 神 本 懐 集 ﹄ に は 、 ﹁ ソ レ 仏 陀 ハ 神 明ノ本地、神明ハ仏陀ノ垂迩ナリ。(中略)垂迩トイヒ本 地トイヒ、権トナリ実トナリて、トモニ済度ヲイタス。タ ダフカク本地ヲアガムルモノハ、カナラズ垂迩ニ帰スルコ ︽ m v トハリアリ﹂と書かれるように、本地仏の救済を得るため に は 、 、 必 す 垂 漣 の カ ミ に 結 縁 す る こ と が 必 要 で あ っ た の で あ る 。 以上、﹁末法辺土﹂の日本に生きていた人々の思惟構造 には、垂漣のカミに結縁することによって地獄に堕ちず、 彼岸仏に救済されるという理解があったことが明らかに な っ た 。 裏を返せば、垂逃のカミに不信を働いた人々は、カミに よる現罰を受けることとなり、また﹁末法辺土﹂の日本に 生きているから、カミは導く権限を行使しないことによっ て、死後に無間地獄に堕ちるしかないと言えるだろう。す なわち、死を境として、現世の罰と死後の﹁堕地獄﹂に分 けられていた二重構造の悪報は、垂迩のカミを遇して連続 す る も の と な っ た の で あ る 。 お わ り に 本論は、仏法不信をめぐる悪報の観念が、古代から中世 への転換の中でどのように変容したかを、カミの果たす役 割 の 変 化 に 焦 点 を 当 て て 考 察 し た 。 因果の理を﹁現報﹂として解釈する﹃霊異記﹄において は、﹁堕地獄﹂はあくまで現報の一貫であり、カミの罰と しての現世の災いと同一視されていた。それは地獄を現世 の延長線に位置づけ、現世の中に地獄を見出す一元的世界 観 を 土 台 と し た も の だ っ た 。 ﹃ 霊 異 記 一 ﹄ に み ら れ た ﹁ 堕 地 獄 ﹂ と ﹁ 現 世 の 災 い ﹂ が 共 に ﹁ 現 五
報﹂として混浴する古代的な悪報恩怨は、平安中期を転機 として大きく変化し、両者が分化し始めるのである。地獄 は現世との断裂が見られるようになり、一方、カミは現世 で罰を下す話が依然として仏教説話に見られながら、地獄 の 責 め 苦 を 担 当 し な く な る 。 ﹁ 堕 地 獄 ﹂ は カ ミ の 罰 で は な く 、 厳然たる因果の理法に基づく現象だった。つまり、中世的 な 悪 報 の 一 一 重 構 造 が 生 ま れ る の で あ る 。 中世において現世から切断された来世の浄土と地獄は、 この世の多彩なカミが彼岸の本地仏の垂逃と位置付けられ ることによって、現世との通路が設定される。祖師、仏像、 日本の神などの垂迩は、現世において信者を守護するだけ でなく、その祈りに答えて人々を浄土に送り出す機能を担 当するようになる。逆に、衆生救済を使命とする垂迩とし てのカミへの不信は、自ら死後の救済の道を断ち切る行為 に他ならず、自力救済が不可能とされる末法の悪人は地獄 に 堕 ち る し か な か っ た 。 この世とあの位が対峠するこ元的世界観は、垂漣のカミ を通して連続するものとなっていった。しかし、一見古代 と同じように見える﹁堕地獄﹂は、カミの直々に下した現 世の悪報から、救済力を行使しないカミによる、間接的な 懲 罰 へ と 変 化 し た の で あ る 。 ム
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註 ( l ) 白 土 わ か ﹁ 日 本 霊 異 記 に あ ら わ れ た 因 果 応 報 思 想 ﹂ ( 仏 教 思 想 研 究 会 編 ﹃ 仏 教 思 想 3 因 果 ﹄ 平 楽 寺 書 底 、 一 九 八 二 年 ) 三 一 三 1 = 一 三 二 頁 。 ( 2 ) 広 川 勝 美 ﹁ ﹁ 日 本 霊 異 記 ﹂ に お け る 罪 悪 感 ﹂ ( ﹃ 人 文 科 学 ﹄ 2 ︹ ( 2 ) ︺ 、 一 九 七 四 年 ) 。 ( 3 ) 益 田 勝 実 ﹃ 説 話 文 学 と 絵 巻 ﹄ ( 一 三 書 房 、 一 九 七 二 年 ) 八 七 頁 。 ( 4 ) 中 尾 正 己 ﹁ 法 華 験 記 の 罪 業 観 ﹂ ( ﹃ 印 度 学 側 教 学 研 究 ﹄ 通 号 六 二 、 一 九 八 コ 一 年 ) 。 ( 5 ) 高 木 監 ﹁ 因 果 応 報 恩 恕 の 受 容 と 展 開 ( 大 附 和 雄 編 集 ﹃ 因 果 と輪廻行動規制と他界観の原理﹄春秋社、一九八六年) 一 三 七 i 一 八O
頁 。 ( 日 ) 松 野 純 孝 ﹁ 宿 業 制 の 系 譜 ﹂ ( 大 限 和 雄 編 集 ﹃ 因 果 と 輪 廻 行 動 規 範 と 他 界 観 の 原 理 ﹄ 春 秋 社 、 一 九 八 六 年 ) 一 八 一 1 二 二 五 頁 。 ( 7 ) 遠 藤 嘉 基 ・ 春 日 和 男 校 注 ﹃ 日 本 霊 異 記 ﹄ 日 本 古 典 文 学 大 系 刊 ( 岩 波 蔀 底 、 一 九 八O
年 ) 三 六 七 頁 ー ( 8 ) 井上光貞・大曾根章介校注﹃往生伝法華験記﹄日本思想 大 系 7 ( 岩 波 書 届 、 一 九 七 七 年 ) 一 二 七 頁 。 ( 日 ) 竹 内 理 三 編 ﹃ 鎌 倉 池 文 ﹄ 古 文 書 編 第 五 巻 ( 東 京 堂 出 版 、 一 九 七 六 年 ) 二 七 二 良 。 ( 叩 ︺ ア ッ プ ル 荒 井 し の ぶ ﹁ 日 本 古 代 の 法 華 経 滅 罪 信 仰 の 形 成 と 民 間 へ の 浸 透 に つ い て ︹ ( l ) ︺ ? │ │ ﹃ 日 本 霊 異 記 ﹄ の 法 華 経 滅 罪 説 話 群 に 焦 点 在 当 て て ﹂ ( ﹃ 東 宝 哲 学 研 究 所 紀 要 ﹄ 逝号 泣 号 、 二
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六 年 ) 。 ( 日 ) 佐 勝 弘 夫 ﹁ 一 崇 り 神 の 変 身 ( │ 崇 る 神 か ら 罰 す る 神 へ ﹂ ( ﹃ 日 本 思 恕 史 学 ﹄ 幻 号 、 一 九 九 九 年 ) 。 ( 臼 ) 前 掲 乱 7 、二二頁。 ( 日 ) 前 掲 注 7 、 三 五 七 頁 。 ( M ) 広 川 勝 美 ﹁ ﹁ 白 木 霊 異 記 ﹂ に お け る 罪 悪 感 ﹂ ( ﹃ 人 文 科 学 ﹄ 2 ︹ ( 2 ) ︺ 、 一 九 七 四 年 ) 。 (日)従来の罪と災いと同質的なものとする見方に、既に異論 が提出されている。山本幸司氏は、古代人の思想様式で は、罪と災いとは明確に区別されていたと主張し、その関 係 在 、 ﹁ 罪 ( 人 間 の 行 為 ) ﹂ が 神 に 対 し て 謝 罪 さ れ な い 場 合 に、人聞に降り懸かってくるのが﹁災い(神の怒りによる も の ど で あ る ( 日 ) と 述 べ て い る 。 ( ﹃ 織 と 大 誠 ﹄ 平 平 凡 社 、 一 九 九 一 一 年 、 一 八 八 l 一 一O
七 頁 ) 。 ( 日 ) 前 掲 注 7 、 = 一 七 三 頁 。 ( 口 ) 坂 本 幸 男 ・ 岩 本 裕 訳 注 ﹃ 法 華 経 ( 上 ) ﹄ ワ イ ド 岩 波 文 庫 川 出 ( ⋮ 岩 波 書 底 、 一 一 O 一 二 年 ) 一 一 一 一 一 頁 。 (日)この点について、小林信彦は﹁薬師悔過の日本受容﹂を論 じ る と き に 、 言 及 し た こ と も あ る 。 ( ﹁ 古 代 日 本 の 薬 師 悔 過 ││﹃おほはらへ﹄の成立過程で注目された異文化要素﹂ 桃山学院大学総合研究所紀要第加巻第 2 号 、 一 一 000 年 ) 。 ( 目 ) 前 掲 注 7 、 一 七 五 頁 。 ( 却 ) 前 掲 注 7 、 二 八 一 1 三 八 五 頁 。 ( 引 ) 前 掲 注 7 、 三 七 一 頁 。 ( 幻 ) 前 掲 注 7 、 一 九 九 頁 。 ( 路 ) 前 掲 注 7 、 三 七 九 頁 。 ( 叫 ) 前 掲 注 7 、 三 八 三 頁 。 ( お ) 前 掲 注 7 、 = 一 八 二 氏 。 ( 加 ) ﹁ 黄 泉 の 事 ﹂ は 、 ﹃ 霊 異 記 ﹄ 上 巻 第 三 十 、 第 三 一 十 五 に 見 ら れ 、 ﹁ 黄 由 市 火 物 ﹂ は 中 巻 第 七 に 見 ら れ る 。 ( 幻 ) 笹 岡 弘 隆 ﹁ ﹃ 往 生 要 集 ﹄ 成 立 以 前 の 冥 雪 ( 田 中 純 男 編 集 ﹃ 死 後の世界││インド・中国・日本の冥界信仰﹄東洋書林、 二 OO 二 年 ) 一 一 一 O 頁 。 ( 問 ) 前 掲 注 7 、 二 O 九 頁 。 ( 却 ) 前 掲 注 7 、 一 三 三 頁 。 ( 叩 ) 石 田 瑞 麿 ﹃ 地 獄 ﹄ 法 蔵 選 書 出 ( 法 蔵 館 、 一 九 八 五 年 ) 一 一 一 一O
頁 。 ( 出 ) 生 き て い る ま ま 、 ﹁ 堕 地 獄 ﹂ を 受 け る 例 は 、 平 安 初 期 の 成 立 と さ れ る ﹃ 日 本 感 霊 録 ﹄ に も 見 ら れ る 。 ﹁ 常 倫 仏 灯 得 現 報 縁 ﹂ には、盗んだ仏の灯油を売りに出した人は、後ほど盲目と な っ て 、 聞 や 寺 の 不 浄 物 を 掃 す こ と を さ せ ら れ た こ と を 、 ﹁ 満 未改人趣乍生堕於黒問地獄不見三光不覚昼夜宣可非大希奇 事 哉 又 聖 教 言 極 悪 之 人 元 有 中 有 即 身 箆 於 元 閥 獄 中 其 調 之 哉 ﹂ と 、 地 獄 の ﹁ 現 在 性 ﹂ が 普 か れ て い る 。 ( 原 ・ 塙 保 己 一 補 ・ 太 田 藤 四 郎 編 纂 ﹃ 続 群 書 類 従 ﹄ 第 二 十 五 関 下 釈 家 部 川 巻 ( 続 群 書 類 従 完 成 会 、 一 九 八 四 年 ) 一 一 一 五 頁 。 ) ( 幻 ) 前 掲 注 7 、 三 四 三 頁 。 ( お ) 逃 水 佑 ﹁ 日 本 貴 族 社 会 に お け る 地 蔵 信 仰 の 展 開 ﹂ ( 桜 井 徳 太 郎 編 ﹃ 地 蔵 信 仰 ﹄ 一 九 八 三 年 ) 八 九 頁 。 ( 剖 ) 前 掲 注 7 、 八 三 頁 。 ( お ) 前 掲 注 7 、 一 八 九 頁 。 ー ヒ( 叩 ) 前 掲 注 7 、 二 八 五 十 弓 ( 訂 こ 間 拘 注 7 、 三 八 七 頁 。 ( 間 ) 薮 敏 晴 ﹁ ﹃ 日 本 霊 異 記 ﹄ の 神 々 ﹂ ( 説 話 と 説 話 文 学 の 会 編 ﹃ 説 話 の 中 の 普 悪 拙 柏 村 ﹄ 清 文 堂 、 二 OO 七 年 ) 一
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一 一 一 七 頁 。 ( 叩 ) 前 掲 注 7 、 一 九 五 頁 。 ( 叫 ) 前 掲 注 7 、 一 九 七 頁 。 (引)馬淵和夫・小泉弘・今野迷校注﹃三宝絵詞﹄新日本古典文 学大系羽(岩波書底、一九九七年)九四 1 九 五 頁 。 ( 叫 ) 前 掲 注 8 、 一 七 頁 。 ( 品 ) 前 掲 注 8 、 五 二 頁 。 (判)池上淘一校注﹃今昔物語集・三﹄新日本古典文学大系羽 ( 岩 波 書 鹿 、 } 九 九 三 年 ) 一 凹 頁 (品)黒板勝美編輯﹃日本高僧伝要文抄元亨釈書﹄新訂増補 国 史 大 系 第 三 十 一 巻 ( 吉 川 弘 文 館 、 一 一 000 年 ) 二 O 六 頁 。 ( 判 ) 南 依 文 雄 代 表 編 集 ﹃ 大 日 本 仏 教 全 書 ・ -四 八 ﹄ ︹ 仏 書 刊 行 会 、 一 九 一 二 年 ) 一 二O
頁 。 ( 訂 ) 南 候 文 雄 代 表 編 集 ﹃ 大 日 本 仏 教 全 書 ・ 一 一 一 一 ﹄ ( 仏 書 刊 行 会 、 一 九 一 二 年 ) 四 五 三 頁 。 但 し 、 ﹃ 聖 誉 紗 ﹄ の 場 合 は 、 間 線 王 は登場せず、代わりに獄率がその役割を果たしているので あ る 。 こ こ で は 、 獄 率 在 岡 田 軸 王 の 代 理 者 と 見 て 間 違 い な か 場 合 宝 つ 。 (岨)野津俊問﹃浄土宗全書﹄第十三一巻(浄土宗典刊行会、 -九 三O
年 ) 四 四 五 頁 。 ( 判 ) 前 掲 注 7 、 一 九 九 頁 。 ( 日 ) 閤 羅 王 の 使 い と し て 、 人 在 地 獄 に 召 す ﹁ 知 ら ぬ 兵 士 ﹂ は 、 ﹃ 霊 八 異 記 ﹄ 下 巻 ・ 第 三 十 六 に も 登 場 し て い る 。 (日)馬洲和夫・小泉弘・今野迷校注﹃三宝絵詞﹄新日本古典文 学大系出(岩波書底、一九九七年)一四 O 頁 。 (回)竹内理三編﹃平安迫文﹄古文書編第一巻(東京堂出版、 一 九 八 七 年 ) 三 九 八 1 三 九 九 頁 。 (日)竹内理三編﹃平安迫文﹄古文書編第九巻(東京堂出版、 一 九 九 二 年 ) = 一 五 O 五 頁 。 (日)其壁俊信校注﹃神道大系神社編十-北野﹄(神道大系編 築 会 、 一 九 七 八 年 ) 八 O 頁 。 ( 日 ) 前 掲 乱 8 、 一 七 八 頁 。 ( 日 ) 石 田 瑞 麿 校 注 ﹃ 源 信 ﹄ 日 本 思 怨 大 系 6 (岩 波 書 府 、 一 九 七 O 年 ) 一 一 頁 。 ( 引 ) 同 前 、 四 五 頁 。 ( 日 ) 同 前 、 二 三 頁 。 ( 悶 ) 前 拘 注 M 、 六 七 頁 。 ( 印 ) 前 掲 注 目 、 六 七 頁 。 ( 削 ) 中 野 幸 一 校 注 / 訳 ﹃ う つ ほ 物 語 ︹ ( l ) ︺ ﹄ 新 編 日 本 古 典 文 学 全 集 H ( 小学館、一九九九年)五四 O 頁 。 ( 回 ) 前 掲 注 回 、 一 四 頁 。 ︹ 回 ) 前 掲 注 問 、 二 二 頁 。 ( 削 ) 前 掲 社 目 、 二 八 五 頁 。 ( 出 ) 前 掲 注 問 、 二 一 一 1 二 三 頁 。 ( 郎 ) 前 掲 注 目 、 二 三 1 二 四 頁 。 ( 町 ) 前 掲 注 問 、 四 三 頁 。 (郎)﹃霊異記﹄にも、業といった言葉があるが、前文述べた中巻 ・ 第 七 に は 、 ﹁ 口 業 の 罪 に 由 り て 、 閲 羅 王 、 我 を 召 し て 餓 銅の住在抱か令む﹂とあるように、業と処罰者は、異なっ て い る 己 と が 分 か る 。 そ も そ も 、 ﹃ 霊 異 記 ﹄ に お け る 来 世 の 堕地獄の意識が薄く、業は﹁勧善懲惑のためのものであっ て 、 深 刻 味 を お び て は お ら ず ﹂ と い う 意 見 も あ る 。 ( 田 村 芳 朗 ﹁ 日 本 に お け る 業 と 自 然 の 思 想 ﹂ ﹃ 業 思 想 研 究 ﹄ 平 楽 寺 書 脂 、 一 九 八 七 年 ) 。 (印)坂東性純﹁第十三章日本文学にあらわれた因果思怨 ││往生要集││﹂(﹃地獄の世界﹄北辰堂、-九九一年) 四 五 七 i 四 七 O 頁 。 ( 叩 ) 前 掲 注 目 、 六 八 頁 。 ( 円 ) 前 掲 注 7 、 五 五 頁 。 ( η ) 前掲注引、二