はじめに
『徒
然
草
』
注'� 本論文はrr徒然草」の研究ーr白氏文集」受容 考ー (-)|」 に続くものである が、 前稿においては、 以下のような事柄につい て考察した o r徒然草』におけるr白氏文集』(以下本詮文におい ては『文集 L とする)受容の様相を検討してみると、『徒然草』 に引用されている白楽天の詩句のほとんどは和歌や物語、 或いは r千戟佳句Lr和漢朗詠集』に代表される佳句選等の先行する日 本の古典文学作品の中にその受容例を見出すことが可能である。 そして一瞥したところ、 川口久雄氏が「徒然草の源泉ー漢籠ー」 で説かれるごとく、『文集」の詩句を崖接受容したか否か疑問視 されるケースも少なくないかに感ぜられる。しかしながら、『文集』 は三代集やr伊勢物語』r源氏物語 L と並ぶ歌人にとっての必読 , 柑 であり、r枕草子』に典型的に見られるように王朝人の文学や 美意識の規範で もあった。r徒然草」における 白詩の受容は 先行 の日本古典文学における受容例も視野に入れた上で、 やはりr文の研究
ー『白氏文集』受容考(
二
)ー
集』そのものを熟続する過程から生じて来たものであったと推察 されるのである。 ところが、r徒然草』におけるr文集」の受容の様相を個別に 検討して行くと、単に修辞のレベルに留まらず、 詩の主題そのも のを発想の源泉としたり、内容や構想の面でごく近似している事 例も散見されるのである。本論文においては、 主題や構想面にお いても白詩の影響を受けたと考えら れる若干の章段を取り上げ、 兼好のr文集』受容を違った角度から考察してみたいと思う。 『徒然草』の章段の内容とその文章の典拠とされる『文集」詩 文の内容との間に相通うものが認められる事例には以下のような ものがある。 ●r徒然草』第七段とr文集」の「不致仕」 ●r徒然草』第八段•第九段とr文集』の「古塚狐」 ●『徒然草』第一子八段と『文染』の「勧酒」 ・「澗底松」 ・「続金
文
峰
古詩十首」 の第四首 ● r徒然草』第四三段とr文集」の「尋春題諸家園林」・「又艇 一 絶 」 ●r徒然草』第一七四段•第七五段と『文集」の「老来生計」 ●『徒然草」第二三五段とr文集」の「凶宅」 これらの事例のそれぞれについて、兼好は白詩の内容をどのよ うにr徒然草」に取り入れているか、さらに具体的に検討してみ . た い 。 第七段と「不致仕」の共通性については、戸谷三都江氏の「r徒 注 3 然草」の方法ーr白氏文集」受容に おけ るー」と題する論文で 詳論されている。この戸谷氏の論文を踏まえて、改めて両者の関 係について考察してみたいと思う。 第七段は、「世は定めな きこそい みじけれ」を宙き 出しにして、 無常の肯定と人間の生の長さに触れ、その長い人生における内的 充実を心がけず、際限なく欲望を肥大させる人間の醜さ を批判し ている。一方、第七段の典拠とされる『文集』のr不致仕」は官 職に恋々たる者を諷喩する内容である。両者の対応する箇所に共 通の番号を付して次に掲げる。 住みはてぬ世に ①見 にくき姿を待ちえて、 何 かはせむ。命長 ければ恥多し。 ② 長くとも、 四十に足らぬほどにて死なん こそ、めやすかるべけれ。 そのほど過ぎぬれば、①がだサ を恥づる心もなく、③人に交はらむことを思ひ、④夕の日に .. し・
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子孫を愛して、さかゆく末を見むまでの命をあらまし、⑤び たすら世をむさぽる心のみ深く、⑥物のあはれも知らずなり ゆくなむ、あさましき。 (第七段) 七 十而ニ シ テ致仕 スルハヽ祖法ーー有立明 文 lo⑤何ゾ乃チ貪ルレ 究 者 、斯言如シレ 不 サ ル レ開。①可ンレ怜ム八九十、歯磁ぷ文 眸昏.ン。⑤朝露貪リニ名利ヲ_‘④夕隔憂7-1子 孫 ヲ一 。 ③掛ント シ テ レ号顧『『ゴ翠矮ヲ—‘懸ントシテね舟惜ム -l 朱輪ヮ― oli 不げ慶、但俄シテ入立一君門二.。誰ヵ不ザラン レ 愛 七――宮賃 ヲ_‘ 誰ヵ不ザランレ緬 i ハニ君恩ヲー。 ② 年高クシテ須勺.ン レ謂グ>老ヲ ヽ 名遂ア合心シ レ退クレ身ヲ。⑥少ぷ吋ハ共孟翌硝スレドモ ヽ呪紺劉 訃。賢ナル哉既二辣、彼独リ是 レ 何 人ゾ°寂窯タル束門ノ 路、無ン弓今継グニ去臨ヲー。 (不 致仕) 第七段の④「夕の日に子孫を愛して」がr文梨』巻二「不致仕」 注4 の④「夕陽涎子孫」に拠っているということはr寿命院抄」を 始めとする甜注で指摘されている 。 しかし、右に番号で示したよ うに、その他の細部の叙述においても第七段と「不致仕」との間 には通うところが少なくないことが窺われる。「不致仕」が官職 に執滸する生き方を楓刺しているのに対して、第七段では生命に 恋々たる者を非難している 。また、「不致仕」では、 七十歳を致 仕の年とし、八、九十歳を「可怜 J と言っているのに対して、第 七段では四十歳を以って「死なんこそ、めやすかるべけれ」とし ている。一見したところ、七十歳と四十歳とでは全く異なるよう-103-に思われるが、r文集』の中には四十歳を 人 生の区切りとするこ とを詠んだ詩が多く見られるのであって、戸谷氏は、『徒然草」 第七段に示される四十歳を以って老と若との境とする見方自体が、 白詩の影響下に得られたものではないかと 推察されていが。こ のように「四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」 という記述にも白詩の考え方の投影が認められるとするのである ならば、第七段はその主題構想から叙述の細部に至るまで「 不 致 仕」を始めとする白詩の影響下に成立したと理解することも十分 に可 能 である。 • r徒 然草」第八段•第九段は 人 間の 色 欲に関して『徒然草』全 体の中でも姫も具体的に述ぺている段である。この両段で踏まえ られている白詩は「古塚 狐 」とr太行路」の二首であるが、ここ では第八段、第九段と「古塚狐」との関係について検討してみた いと思う。 ① 世の 人 の心まよはすこ と、色欲にはしかず 。人 の 心 は怨か なる物かな。②匂ひなどは仮の物ぞかし。③しばらく衣装に 胃と知りながら、④えならぬ匂ひにはかならず 心 ときめ きする物なり 。 ⑤久米の仙人の、物洗ふ 女 の屁の白を見て通 を失ひけんは、⑥まことに手足、はだへなどの消らに、肥え あぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらむかし。 (第八段) 要は髪のめ でたからむこそ、 人 の目立つべかめれ、 人 のほ ど、心ばへなどは、物言ひたるけはひにこそ、物越しにも知 らるれ。(中略)まことに、愛滸の道、その根 深 く、源遠し。 六底の楽欲多しといへども、皆厭離しつべし。其中に、④刈7 かの惑ひの一っやめがたきのみぞ、老 たるも若き も、智ある も愚かなるも、変る所なしと見ゆる。されば、⑧女の髪筋を よれる絹には、大象もよく繋がれ、 女 の履ける足駄にて作る 笛には、秋の鹿かならず寄るとぞ言ひ伝へ侍る。⑨身づから 戒めて、恐るべく、慎むべくは、この惑ひなり。 (第九段) 古翌 狐 ⑨戒ム ル ニ艶 色 /也 古雙狐 妖ニシテ見 老 タリ°②
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為テ l ―婦 人 ニー顔 色 好シ。 ③・⑦頭ハ愛翌雲髪二面ハ嬰げ粧二。大尾曳ープ作竺長紅裳 �。徐徐行 ク 傍之ー荒村ノ路 1-l 。 日 欲 スル レ暮ント時 人 ノ静ナ ル 底。或ハ汽或ハ舞ヒ或ハ悲諦ン。翠眉 不 ズシテレ挙ゲ花 ノ顔但リ。 ④忽然一笑千萬 ノ 態。見ル者十人ー一 八 九ハ迷フ 。 ① ・⑥釦釦ハ 迷 ハ ス n此 人 ヲ猶若、ンレ邑。真色ノ迷ハスハレ合応心シ レ 過グ釦T
。彼真此俵倶-]迷ハげ人ヲ 0 人心 悪デレ候ヲ裳―皿瓦ヲー 。 狐砥スルハ ニ女妖ヮ l害猶浅ク。 一 朝一夕迷ハスノミニ 人 眼ヲlo 女 ノ為スハ―― 狐児 l 害即チ深ク 。 日;唸月;Kジテ溺N
二人心 ヲー 。 ⑤何`況ンヤ褒姐之色善ク盛惑スルラ ヤ 。能ク 喪、之F今家 ヲ 霞 ス ニ今国ク。君看ョ為げ宮ラ浅深ノ間 。 登孟匁――恨 色 ヲ 両ウ七ン ヤ_一興 色 ―-lo注? 第八段の③「しばらく衣装に薫物す」の部分については、 詩注 一 致して『文集」巻三「太行路 」の 「為君蒸衣裳」に拠っていると 指摘し、 冒頭の ①「世の人の心迷はす、 色欲にはしかず」の部分 について.は、 『寿命院抄』が『文梨』巻四「古塚狐」の「俄色迷 人猶若是。真色迷人応過此」を典拠 として指摘するのを節頭に、『野 注6 槌」『慰草』『文段抄』も「 古塚狐」の同一 の詩句を引いている。 これに対して、r徒然草解釈大成」や新日本古典文学大系『方丈 ・記・徒然草」では⑥「外の色ならね ば、 さもあらむかし」の部分 の典拠として「俄色迷人猶若是。 真色迷人応過此」の詩句を挙げ ている。 『徒然草」第八段、第九段と白詩のr古塚狐」との対応する箇 所を見ると、 確かに全体として両者の内容はよく近似しているよ うに思われる。「古塚狐」で は、 婦人に化けた狐のさまざまな態 |「雲髪」r粧」「長紅裳」ーを「見」た人々が惑わされるという ことについて言及して「仮色迷人猶若是 L と述べ、 本物の人間の 女性の妍をなすがごとき振舜いに惑わされることを「真色迷人応 過此」と評している。 つまり視貨を通じて人々は迷ってしまうの である。 これに対して 『徒然草』では、 最初に「匂ひ」、それか ら「蕉物」 「手足、 はだへ」「髪」「物言ひたるけはひ」と、 ほん のかりそめの ものである衣裳の薫物にも心をときめかせる人々の 様子を述べる一方で、 つやつやと脂ののった肌の美しさに代表さ れる女性のあら がたがたい本質的な魅力に惑わされてしま‘ユ安を も描き出す。すなわち嗅悦、視度、 屁覚と いうさまざまな官能を 通じて男性が女性の容色に惑わされるさまを述べるのであ る。 注 目されるのは、 兼好も白楽天も同様に女性の舷力を象徴するもの として「髪」を挙げている点である。 さらに、その具体例として 白楽天は周の幽王が褒似に、 殷のtt王が姐己に惑わされ国を亡ぼ したことを引き、 兼好は久米の仙人が女の胆の白さを見て通力を 失った伝説を引いている。仮のものである「匂ひ」に心惑わされ、 さらに「外の色なら」ぬ女性の本質的魅力には久米の仙人までも が眩惑されるとするr徒然草』 第八段の叙述には、「個色迷人猶 若是」と「真色迷人応過此」とを対比して述べる「古塚狐」の構 想が投影していると考えたい。 第三八段は、 人生における名利はすべて 空しいと いう醒めた認 識について語っている。まず、三八段の第一、第二段落と「勧酒」 との関係について検討してみる。 名利に使はれて、 閑かなる暇なく、 一生を苦しむるこそ 、愚 かなれ。 (悌一段落) 財多ければ、 身を守るにまどし。害を買ひ、 煩ひを招く中だ ちなり。身の後には金をして北斗を支ふとも、 人のためにぞ わ[.2らはるぺき。 愚かなる人の目を喜ばしむる楽しみ、 ま たあぢきなし。(中略)利に惑ふはすぐれて愚かなる人なり。 (第二段落 ) 勧ムニ君ご盃ヲ一君莫 レ レ辞 スル 、 勧 ム ニ君 二 両 盃?君英ご疑
-105-フ。 勧 ムニ竺――一盃ヲ一君始メテ知ラン、而上今日老ュルヲ――昨日 ヨリー 。 心中酔フ時勝竺醒ムル時ニー。 天 地追追トシテ自ラ長久。 白兎赤烏相趣テ走ル。 身後 堆クシテレ 金 ヲ 柱 フルモーー 北 斗 ヮー 。不 げ如立一生前一樽ノ酒ー。 (勧酒) 三八段において否定されるのは、第一に 「財」 である。続いて「人 の目を喜ばしむる楽しみ」を挙げ、こ れもrあぢきなし」と述べ ている。傍線部分のr身の後には 、金をして北斗を支ふとも」は、 r柱命院抄』以来の多くの注釈密がr文集』ょ勧酒」の「身後堆 金 北 斗、不如生前一樽酒」に拠っていると指摘している 。 名利 .のために世間 の人々が営々辛苦して、死後に 天 上の星を支えるほ ど金宝を積もうとするが、 死んでしまったら何の役にも立たない というのがその内容である。この第三八段と『文染』との関係に ついては、戸谷三都江氏も詳論されているが、右の「勧酒」詩と の関係につい ては、r単なる引用程度」とし、考察の対象として いない。だが、「身の後には、 金をして北斗を支 ふとも」の一節 ははたして戸谷氏が 説かれているように「単なる引用」でしかな .いのであろうか。 もちろん「身後堆金 柱 北 斗、 不 如生前一樽酒」を除く「勧酒」 詩の中の他の詩句と、第三八段の第一、第二段落との間に直接対 応する箇 所 は見られない。 しか しながら、酒を勧めることを通じ て死後に余財を残すことの 無意味を説くのが「勧酒」の趣旨であ る。白楽天は人間の生は死によって完結するということを十分に 認識した上で、この世の空しさをかみしめていた。.「勧酒」に類 する内容の詩は、r文集』中に少なくない 。例えば、巻八・閑適 四の「狂歌詞」 (0357) は、「生前不ズンパ-]歓 楽 七ー 。死後 有ラムニ 餘貨―°焉ゾ 用 フルヲーー黄墟ノ下。珠余玉匝ヲ l 為サン」と、これも人 生のはかなさを述べ、時に及んで行楽すぺきことを 説いている。 巻九、感傷一の「別楊頴士慮克柔殷尭瑞」 (0433) は「人生苦ダ 営々 。 終日群動ノ間 。所 レ務ル雖モレ不ズトレ同ジ。同ジウスー云咆、於 不閑--lo」と、世の人が皆物欲に駆られて終日あくせくとして安 んずるところなく閑暇のない生き方をしているのが、憐れに見え ると詠んでいる。 名利を無用のものとする第三八段の第一、第二段落と、死後に 余財を残す ことの無意味を 説く『文集』のr勧酒」との間にはそ の趣旨においてやはり共通するところがあるように思われる。 第三八段の第三段落を戸谷氏は『文染』の「澗底松」との近似 性から綸じられている。首肯されるぺき見解であるが、ここでは 「統古詩+首」の第四首をも合わせて考えてみたいと思う。まず、 第三八段の第三段落、「澗底松」及ぴ「統古詩十首」第四首の本 文を掲げる。 注8 埋もれぬ名を永き世に残さんこそあらまほしかるぺきに、 位も高く、やむごとなきをしもすぐれたる人とやいふべき。 ①愚かにつたなき人も A 家に生れ、時に過へば、高き位に至 り、奢りを極むるもあり。②いみじかりし賢人、翌人も、み
づから賤しき糾にをり1時に過ぱ計し℃勺みぬる、又多し。 ひとへに高き官位を望むも、次に 愚 かなり。 (第三八段第三段落) ②有リレ松百尺大+囲。生ジテ在翌 澗底 ―-る匁且ッ卑シ° 澗 深 ク山険ニシテ 人 路絶工 。老死スル不げ逢ハニェノ度ルニ l レ之" 。天 巧明堂欠クニ梁 木 ヲー。此-ぷぢ彼二有リ両ッ不ズレ知ラ°誰ヵ 諭ラン蒼蒼タル造物ノ意。但ダ輿ヘーご之__材ヲー不・ズレ卑ハヘレ地ヲ゜ ①金 張 9 世 禄セラレテ②源烹質す 。 牛 衣 ハ寒賤ニシテ紹蝉ハ捉シ。 牛 衣 高下雖モレ有?釘殊ナ ル。高者未ダ―必ズシ モ賢ナラ_。下者 未竺必ズ・ンモ 愚 ナラー。君不ズヤレ 見 沈 沈 海底正1ジニ珊瑚ヲー。 歴歴天上ー一種エタル ヲ II 白 楡ヮlo (澗底 松念盃盆竺也) ①雨露森 ズニ繊草"一 、 山 苗 モ高ク入げ氣ー 。 ②風雷ハ折ル II 勁 木 ヲ—‘ 澗松 モ樅レテ為ルレ薪!°風ぷ血 ルハ此レ何ノ意ゾ、雨―― 長ズルハ彼 レ 何ノ因ゾ 。②百丈ナルモ 澗底 二死 レ ‘①寸茎天山上二 月。可ペシレ憐ム苦節ノ士 、感 ジ テレ此涵盈ッレ巾ニ・ (続古詩十首の第四首) 「澗底松」でいうr金張」は、ともにその子孫代々皆大官となっ た漢の金日輝と張安 世 を指しており、「原憲」は、梢貧に甘んじ た魯の原惑のことを指す。「絞古詩十首」第四首は、澗底に倒れ ている「勁木」「 洞松」と山上に時を得ている「繊 草」 「山苗」と を人間社会に喩えて、社会の不合理を悲しむ詩人の心境を詠んで いる 。 三八段の第三段落で兼好が斥けたのは、「ひとへに高き官位を 望む」ことであり、また、名声を求めて腐心することも否定され ている。第三段落と「澗底松」及びr綬古詩十首」第四首との対 応する箇所を見ると、r徒然草』で言う「愚かにつたなき人」に 対して「澗底松」では 「金張」の名を挙げ、「続古詩十首」第四 首では「級草」 と「 山 苗」を挙げている。いずれも素質才能はな いが 、 よい環境に恵まれ、時迎に遇ったがために出世することが できたのであ る。一方、『徒然草」に言う「いみじかりし賢人、 聖人」に相当するものとして 「澗底松」 では谷底に生い育ったr松」 とr原恋」を挙げており、「統古詩十首」 では「勁 木 」とr澗松」 を挙げている。「澗底松」は白楽天自注に「今ぎ寒伍竺也」とある が、「掲」は俊に同じで、俊オが貧賎に沈愉してしまうことを喩 えているのである。 「洞底松」.r絣古詩十首」第四首のごとき趣旨の詩はr文集』 に散見する。「嘉駿」(0008)、「哭劉敦質」(0016)、「和大紫烏」 (0104)、「海陽三題井序」(0061) などがその例である 。 世に 容れられぬ俊オの悲劇は白詩の大きなテーマであるが、兼好はそ のことを当然承知しており、共感を抱いたであろうと推測される 。 このように見てくると、「澗底松」及び「続古詩十首」 第四首と、 r徒然草』第三八段の第三段落の記事との間には共通性が広く認 められるのであって、立派で才能がある人であっても、環境に恵 まれなければ自分のオを十分に生かせないまま沈油してしまい、
-107-逆に、たとえ愚かな人であっても豪華な家に生れ遥がよければ高 い官位に至ることができるという人間杜会の現実に対する苦い認 識という点で右の三者は共通している。世俗の名利を否定する人 生観は、何も白詩に限って見られるものではなく、例えば、日本 の仏教説話などにもしばしば示される考え方であるが、これらの 白詩受容の実例を鑑みると、兼好の名利観に白詩の人生観からの 少なからぬ影響があるのは否定しきれないであろう。 . 第 四三段は、春の暮 、 風雅な家で一人読杏する若い男を垣間見 た話を記している。「庭に散しほれた る花、見過ぐしがたきを、 入て見れば J の部分の典拠として、 r 文集」巻六六の「葬春題諸 家園林」のr遥見人家花 便 入」を最初に指摘したのはr寿命院抄』 であり、『野槌』r慰草』r文段抄』などの近世の諸注釈書もこの 指摘を踏襲するが、現代の注釈世では新日本古典文学大系本が脚 注に挙げるぐらいであまり受け継がれていない。 ①春の暮つかた、②のどかに鈍なる空に、③いやしからぬ家 の、奥深く、木立古りて、④庭に散しほれたる花}見過ぐし がたきを、入て見れば(後略) (第四三段) 閏朝朝出 デ ‘①乗ジテレ賽函竺尋ヌ 。② 天 ハ供立 l 閑 日 月ヲ—‘ ③ 人 ハ借スニ 好園林 "-°漸ク以ッf后究‘為シレ態卜 、 都テ無シ
l
悶ノ到ルーレと。平生身得レドげ所ヲ、未”レ省七 似 タルヲニ而 今 _一一。 貌ハ随f乙年5翌欲ス竺何如七ント-‘典ハ過f>春土禿尚ホ有 訊餘リ 。 ④ 遥 -l 見 f一 人家 ヲ工化アレー 便 チ入 リ、 不ズレ論竺貴 賎卜衷 l 親疎トヲー 。 (緑春題諾家園林又題一絶) 右に 掲げた『徒然草』第四三段と『文集』「尋春題諸家園林」の 叙述を対照してみると、両者はその構想面において相通じるとこ ろがあると思われる。第四三段では、まず「春の暮つかた L と季 節を示し、「のどかに娩なる空」の癸しさを背景として、「いやし からぬ家の、奥深く、木立古りて」と風雅な邸宅の仲まいを描き、 「庭に散しほれたる花、見過ぐしが たき を、入て見れば」以下、 語り手の眼前に展開する情毀を描く。一方、「器春題諸家園林」 では、まず「春 」という季節の枠組みを提示し、「 天 供閑日月」 と天候の様子を示す。さら に詩の舞台となる「好団林」という空 間を定めて詩人の思いと行動を以下に述べる。 さきにも述べた が、第四三段の「庭に散しほれたる花、見過ぐ しがたきを、入て見れば」の部分の出典を「粒 春 題諸家園林」の 「遥見人家花便入」 に求めるという指摘は、r寿命院抄』を始め とする近世の注釈書でなされた もので、現代の注釈書はほとんど 言及していない 。 しかし、右に述べたごとく、『徒然草』第四三 段と「尋春題諸家園林」は、その舞台となる時間、空間の枠組み を定めていく叙述の運ぴ方に非常に近 似 したものが認められるの であって、本段における r 文染』の受容についても積極的に認めるべきではないかと思われるのである。 第一七四段は、 鷹狩に用いる犬の話から所縁 を放下して仏道に 志すことを 勧める段である。この段とr文集』とのかかわりを検 討するには、諸縁を放下し、世俗との交わりを避けて、閑かな生 活を送ることを主張する第七五段をも併せて考える必要があるよ うに思われる。 (前略)①凡割象がる中に、 道を楽し むより知暇深きはなし。 是、 まことの大事なり。一度道を開きて是に心ざ、む人、 い づれ のわざか廃れざらむ、何事をか営まん。愚かなる人とい ふとも、賢き犬の心に劣らむゃ。 (第_七四段) (前略)いまだまことの道を知らずとも、②緑を離れて、身 を閑かにし、事に与らずして、 心を安くせむこそ、 しばらく 楽しむとも言ひつべけれ。「生活、 人事、 伎能、学問等の誇 縁をやめよ L とこそ、底詞止観にも侍めれ。 (第七五段) 老来ノ 生計君看取セ ヨ、 白日 遊行.ンテ夜酔吟ス°陶令有リテレ田 唯種げ稲 、 郡家無クシテレ子不げ留メレ金ヲ 。①十②人 間ノ栄 耀ハ因縁 浅ク 、林下 ノ 幽 閑ハ 氣 味 深 シ°煩慮漸ク錆シテ虚 白 長ジヽ 一 年ぶ3ハ勝レリニ 云ぢ 心 ヨリモー。 (老来 生 計) 第一七四段の「道を楽しむより気味深きはなし」が、r文集」「老 来生計」の「人間栄耀因縁浅、林 下幽閑氣味深」 に拠っていると いう指摘は、『解釈大成』r全注釈」及ぴ戸谷三都江氏の論文 や新 日本古典文学大系本などでなされたも のの、 近泄の注釈曹ではほ とんど言及されていない 。「人事」の中でも特に「道を楽しむ」 ことを専ら 勧めているが、 ここで言っ「道」 は仏道修行を指すと 考えられよう。第七五段の「まことの道」も同様の意であり、「生 活、 人事、伎能、学問」にわた って諸緑を放棄する心得を述べて いる。諸緑を離脱した閑雅な生活を勧めながら も、 人として最終 的に願い求めるべきは仏道に帰依して真の悟りに至るこ とだとい うのがこの二段に見られる兼好の主張である。 これに対して「老 来生計」の詩において白楽天が願う「林下幽閑」はどのような境 地であるだろうか。 この詩を詠じた時、 白楽天は太子少側分司という官戦に任ぜら れていた。 太子少僻分司は「分司」 (2382) という詩からも窺わ れるように、 公務と言っても、官寺に参詣したり上奏文を草する くらいの勤めしかない 。その余暇は「涵プレ畦二引ぎ一泉詠?‘ 輝rレ径ヲ避ク――蘭芽ヲ一 」 (「営閑事」 3116) 、「今 日 北窓ノ下、 自
砿
7何ノ所ゾレ為ス 。欣然トシテ得タリ――三友ヲ_ 、 三友ハ者為スレ誰トカ 0 琴罷占吃、挙ゲ レ酒ヲ 、酒 罷プ輛チ吟げ詩ヲ」(「北窓三 友 」 2985) というように、 老後の生活を楽しむことに専ら宛てていたようで ある。「林下幽閉 」 は、 世間の煩わしい因縁とはかけ離れた長閑 な生活を指す のであって、白楽天が常に敬慕していた陶淵明のご とき境地であ ったと考えられ る。「人事多か る中に、道を楽しむ より気味深きはなし」と「林下幽閑氣味深」との言い回しの類似 から考えて、第一七四段を構想する兼好の念頭に『文集』の「老 109-来生計」があった蓋然性は高 い。 しかし ながら、ひ たすら仏道修 行に専心して真の悟りを求めることに人 生の最高の価値を見出す 兼好の考え方と、陶淵明的な脱俗安逸の境地を希う「老来生計」 詩に見られる白楽天の心境との間には、少なからぬ隔たりが存在 する。兼好にも淘淵明的な隠逸嗜好があったことは確かであり、 それが 「 老来生計」詩の 受容を促したと解してよいのであろうが、 白詩と異なって r 徒然草」が仏道への志を強調することは十分に 注意されてよいであろう。 第二三五段は、 心の実体や本質につ いて語っている段である。 ',この段の典拠とされでいるのは、『文 集』 の 「 凶宅」詩である。 主ある家に は、すゞろなる人、心のま、に入り来 ることなし。 主なき所には 、道行き人みだりに立ち入り、①狐、巣やうの 物も、②人気に塞かれねば、③所得がほに入り住み、
e泊釦.
な どいふけし からぬ⑤形も顕る、物也。(後略) (第二三五段) 長安ぷク立ー大き、列ッテ在リ云臼酋束――_。往往朱門ノ 内 、 房廊相封、ン テ 翌゜鵞咲嗚竺一松桂ノり、 狐 ら―蘭菊ノ 剛「一。蒼苔黄包地、日隻多立_旋風一。 (凶宅) 傍線部分①「狐、菜やうの物」がr文集』巻一「凶宅」詩の 「 菜 嗚松桂枝、狐蔵蘭菊叢」に拠るという指摘は、『野槌』r慰草」r文 段抄』でなされ、『徒然草諸注集成」、新編日本古典文学全集、r徒 然草全訳注」、また戸谷氏の前掲論文な どに踏製されている。「凶 宅」詩は、長安の人々に不吉の家として忌まれる荒廃した大邸宅 を例として、不吉が 生じるのはその家に住む人に拠るものであっ て、家自体が不吉なのではないと説き、さらに家も国もその凶因 はつまるところ人凶であると述べ、人々の迷愚を悟らしめ ようと した諷喩詩である。 この段のr白氏文集』受容について‘-P谷三都江氏は『源氏物 語』との関係から論じられている。r寿命院抄』以来r源氏物語』 蓬生巻の末摘花の屋敷の描写との類似が指摘されている。 もとより荒れたりし宮の 内 、いとど①狐の住み処になりて、 うとまし うけ遠き木立に、①梨の声を朝夕に耳馴らしつつ、 ②人けにこそさやうのものもせかれて影隠しけれ、9 ど、けしからぬ物ども③所を得てやうやう⑤形 をあらはし、 注9 ものわぴしきことのみ数知らぬに(後略) (r源氏物語』蓬生巻) 傍線を付した部分の典拠について は、r河海抄』 が『文集』「凶宅」 詩の「稟嗚松桂枝、狐蔵蘭菊叢」を指摘して以来、r細流抄」r眠 江入楚』r湖月抄』等の注釈世がその説を受け継い でいる。r源氏 物語』蓬生巻のこの一節には明 らかに「凶宅」詩の投影が認めら れると言ってよいが 、 また全体として『徒然草』第二三五段との 間に強い親近感があることも否定できない。荒廃した場所が狐、 菜の住処とされるという記事は『源氏物語』夕顔巻にも見られる ものである。「こはなぞ、 あな もの狂ほしのもの怖ぢや。①荒れたる所は、 狐などやうのものの人おぴやかさんとて、 け恐ろしう思はす るならん。(中略)夜半も過ぎにけんかし、風のやや荒々し う吹きたるは。まして松の響き木深く聞こえて、気色ある鳥 のから声に嗚きたるも、菜はこれにやとおぽゆ゜ (最氏物梧』夕顔巻) . 右 の傍線を付した部分の典拠として、 r河海抄』 ·r眠江入楚』r湖 月抄』はいずれも前に掲げた「凶宅」詩の「菜境松桂枝、 狐蔵蘭 菊叢」を挙げている。戸谷氏は、r徒然草』第二三五段の典拠と してはその表現の近似の度合から言えばまず湛生巻の記事を挙げ るべきであるが、 二三五段の主題となっている「家 」 と「心」 の 関係から見ると、 夕顔巻の記述の方がより近いのではないかと述 べられ、さらにr兼好の心にまず「凶宅」があったにせよ、「凶宅」 と夕顔と蓬生の三者が、 三様の角度から兼好に影響を及ぼした と いうことは否定できない」と説かれている。 ところで、「凶宅」詩は「家」 の問題を主題にしており、 そこ からr家」と「主」との関係について論じている。このような発 想は、 住 居について強い関心を持っていた兼好にも見られるもの である。殊に注目すべきは第一0段の記事である。 家居のつきk\しくあらまほし きこそ、 仮の宿りとは思へど、 興ある物なれ。 よき人のどやかに住みなしたる所 は、 さし入 りたる月の色も、 ひときはしみぐと見ゆるぞかし。今めかし くきららかならね ど、 木立物古りて、 わざとならぬ庭の草も 心あるさまに、 箕子、 透垣たよりおかし く、 うちある調度も、 昔覚えて安らかなるこそ、 心にくしと見ゆれ。 いい家にはいい人が住み、 悪い家には悪い人が住む。家は住む人 の如何によって雰囲気も変ってくるというのが兼好の住居観であ る。家とそこに住む人とのか かわりを砥視する同様の考え方は『方 丈記」にも見られる。他方、r文集』の「凶宅」詩においても、「人 凶非宅凶」とあるように、家は住む人の良し悪しに拠るのだとい う考え方が示されている。第二三五段と「凶宅」 詩は、 この点に おいても類似しているのであ る。 つまり、 叙述の細部のみならず、 章段全体の構想においても第二三五段は「凶宅」詩からの触発を 受けていると考えられるのである。 以上述べてきたように、r徒然草 J におけるr文集」の受容には、 修辞の次元における詩句の引用に止まらず、 章段全体の主題や構 想にわたって白詩のそれ を採り入れた事例も見 受けられるので あって、 ここから兼好の『文集」についての教炎のあり方を十分 窺うことができる。 r徒然草』に引用されているr文集」の 詩句については、 従来 よりその直接の出典をr文集』そのものに求めるか否かというの が議論になっている。また、 近世の注釈粛では白詩受容の指摘が
おわりに
-111-見られるものの、現代の注釈管ではほとんど言及されていない事 例も少なからず存在する。 このような事情を踏まえ、本論文にお いては戸谷三都江氏の論に倣って、白詩の詩句を引用しているr徒 然草』の章段とその典拠になっている白詩との関係を、 作辞の次 元に限らず、 その主題・構想等様々な角度から洗い直し、 共通点 もしくは相違点を探ってみる作業を試みた。既述のごとく、 第八 段、第四三段について は、 近世の注釈書の多くは、 白詩の受容を 指摘するものの、 現代の注釈昏ではその指摘はあまり継承されて いない。逆に、 第一七四段については、 近世の注釈書では言及さ ・ れ ることがなかったが、 現代の注釈蜜では白詩との関係を認めて いる。r徒然草』における白詩の受容の実状を見る と、 白詩をそ のまま読み下してそれと分かるような形で『徒然草』の文章の中 に採り入れている場合と、 詩句を和文化して文章の中に自然に溶 け込ませているような場合と がある。 前者については白詩の受容 として詫注釈嘗に広く認められる事例が多いが、後者については 白詩受容をあまり積極的には承認しない場合が少なくないようで ある。 しかしながら、後者の事例の中にも章段全体の主題や構想 において、 白詩 との近似を指摘し得るケースが散見されるので あって、 兼好の白詩に対する理解がその内容面にまで及ぶことが 痰われるのである。 r徒然ぎの本文は、正徹本を底本とする久保田淳校注のr方丈記・ 徒然草』(新日本古典文学大系、岩波術店、一九八九年一月)に拠った。 一方、『白氏文集』の本文・詩番号は那波本を底本とする平岡武夫· 今井消編r白氏文染歌詩索引』(同朋舎 、 一 九八九年十月)に拠り、 訓点については、 佐久節『白楽天全詩集」全四巻(一九二八年八月ー 一九一110年八月)と新釈漢文大系r白氏文集』三、 四、 六(明治由院、 一九八八年七月・一九九0年十一月・一九九三年三月)を参照して付 し た 。 (1 )r岡山大学大学院文化科学研究科紀要』第十 l] 号 ( =1001 年十一月)。 (2)r徒然草講座』第匹巷(有梢盆、 一九七匹年十月)。 (3)『学苑」一九七四年一月号。 (4)秦宗巴rつれ<草寿命院抄』 、林辺春r野槌 L 、松永貞徳
a翠』
は、 初刻本を底本とする吉沢貞人r徒然卒古注釈集成』(勉誠社、 一九九六年二月)に拠った。 (5)拙稲r兼好と白楽天の病気観・飽康観について」(r岡大国文綸 稿』第二^号、 二000年三月号)参照。 (6) 北村季吟r徒然草文段抄』。本論文は笈文七年の板本を利用した。 (7)--_谷栄 l .峯村文人編r徒然草解釈大成』(岩崎店店、 一九六 六年六月)^) (8)r埋もれぬ名を長き世に残す」の部分につい ては、 諸注一致し て「題故元少手集後二首」の「迎骨不埋名 J に拠っていると指摘 している。 しかし、「身の後の名、 残りてさらに益なし」と述べ る第一一_八段と、 文名の不滅を説く「題故元少手集後二首」詩の趣旨とは必ずしも一致せず、「埋もれぬ名を長き世に残す」と「埋 骨不埋名」の関係については、戸谷氏が説かれるように「単なる 引用」の次元に止まると理解してよいであろう。 (9)r源氏物語』の本文の引用は、新編日本古典文学全集本(小学館) に拠った。源氏物語の古注釈柑は、『紫明抄』r河海抄』r花島余情』 『細流抄』r峨江入楚』『湖月抄』等を参照した。 (きん ぶんぽう 岡山大学大学院文化科学研究科) 三七、 三八 会) 十四 山形女子短期大学紀要(山形女子短期大学) 山口国文(山口大学人文学部国語国文学会) 一一四 研究室受贈図書雑誌目録IX 文研論集 (専修大学大学院) 文莫(鈴木腺学会) 二四 別府大学国語国文学(別府大学国語国文学会) 方位(熊本近代文学研究会) ニニ 三田園文(三田図文の会) 三三、 三四 武血川国文(武耶川女子大学国文学会) 五六、 五七 無差(京都外国語大学日本語学科) 八 明治大学日本文学(明治大学日本文学研究会) 11 八 百舌烏国文(大阪女子大学大学院国 語学国文 学専攻在浣生の 四 山邊道(天理大母因語屈文學會) 立教大学大学院 日本文学論叢(立教大学大学院文学研究科日本 文学専攻) 創刊号 立教大学日本文学(立教大学日本文学会) 論究日本文學(立命館大学日本文学会) 綸樹(論樹の会) +五 論戟(駒沢大学大学院国文学会) 二九 論集(南山大学日本文化学科) 創刊号 和洋匿文研究(和洋女子大学国文学会) 四五 一六 八五、 八六 七四、 七五