• 検索結果がありません。

『国富論』における<労働>把握 : <労働=本源的購買貨幣>説をめぐって

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "『国富論』における<労働>把握 : <労働=本源的購買貨幣>説をめぐって"

Copied!
14
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

は じめに

国富論』における く

労働〉把撞

<

=

>

島 伸

た この部分の地形図を紹介 しなが ら,書 き加 えら れ るべ きであ りなが ら見落 されて きた指標を提出 す ることに しよ う。 わが国におけるアダム ・ス ミス研究は,戦前 ・ 戦 中か ら綿 々と積 み重ね られて今 日に至 って い る。 ス ミス研究に関す る内外の研究動向について は, さまざまな角度か ら展望が与 えられて きてお り,経済学史や社会思想史の分野でマルクスと並 ぶ双壁を形 づ くってい る こ とは周知 の事実で あ る。 ところで,経済学説史の通史研究を (世界の 尾根〉の縦走 になぞ らえれば, ス ミス山脈 の登頂 ルー トお よび下山ル- トは,い くつかの コースが 開拓 されて きた。例 えば,イギ リス重商主義,近 代 自然法思想,初期労働価値論史, スコッ トラン ド歴史学派, フラソス重農主義 などの各研究ルー トを通 じて ス ミス山系に接近す るとい うのが,多 くの先人た ちによって踏 み慣 された登撃 コースだ と言 って よいだろ う。 また,ポス ト・・ス ミスの下 山ルー トとしては, マル クス経済学の学史登山家 には リカー ドをめ ざす コースが,近代経済学の登 山家にはマルサスをめざす コースが,好んで選 ば れ るのが現状である。 こ うして, ス ミス研究の裾 野は,巨峰 ス ミス山系の四周に数々のルー トを用 意 して拡が っている。(1) 小論では,直接 これ らの研究ルー トを歩 くこと は しないが,従来の成果 を前提 とした うえで,追 徳哲学 ・法学 ・経済学か らなるス ミス連峰の最高 峰 『国富論』その ものの踏査に向かお うと思 う。 もちろん,全

5

第か らな るこの蜂 も, さまざまな 難所 をかか えている。本稿は,その うちの第1篇 第5章か ら第 7章 にかけて展開 されている価値 ・ 価格論 の検 討 のため の予備調査 を行 うにす ぎな い。 しか もこの箇所 は, この峰の中心的位置を占 めていることもあって,従来多 くの精密な地図が 書かれなが ら,現在で もなお書 き込むべ き標識が 残 されてい る。そ こで ここでは,従来書かれて き Ⅰ 「商業社会」の位置づけ ス ミス価値論の検討にさい して, まず最初 に明 らかに しておかなければならない点は,第4章の 最初 のパ ラグ ラフで登場す る 「商業 社会」(c om-mercialsociety)を どのよ うに把蛭 し,それを 『国 富論』体系中に位置づけるか, とい うことである。 第

4

葦冒頭の文言,すなわち 「いったん分業が徹 底 して確立 される と,-・-かれ 〔ひとりの人〕は, 自分 自身の労働の生産物の余剰部分のなかで, 自 分 自身 の消費を こえてあ ま りあ る ものを,他 の 人 々の労働の生産物のなかで, 自分が必要 とす る よ うな部分 と交換す ることによって,その もろ も ろの欲望 のは るか大部分を充足す る」(2)とい う指 摘 は,すでに第1章の 「統治が よくゆ きとどいた 社会 では」(3)で始 まるパ ラグ ラフや第2章 の第 3 パ ラグラフな どでの発言を受 けて書 かれた もので あ る。 しか も,それが第

5

章 冒頭のパ ラグラフに ほ とん どそのままの表現で受 け継がれ る, とい う 関係にあ る

川したが って第

5

章は,分業の徹底 ・ 深化によって成立す る 「商業社会」 を前提 として 価値論を展開す るために設定 された章 とみなす こ とができる。 ところで, この 「商業社会」では

,

「あ らゆる人 は,交換す ることによって生活 し,つ ま りある程 度商人になる」とされている。 この 「商人になる」 とい う表現は,「自分 自身の労働の生産物の余剰部 分」の 「交換」 とい う指摘 とともに,単純商品生 産者のイメージと重ね合わせて読 まれがちな表現 である。そ こで,従来 「商業社会」 は,独立生産 者 だ け か らな る社会 と解 され る こ とが 多 か っ た。(5)た しかに,第2章第3パ ラグラフでは

,

「狩猟 - 1

(2)

3-民 または牧羊3-民 の種族」 のなかで, いわゆ る交換 性向の帰結 として どの よ うに して職業が特化す る かを例証す る過程で,既 に引用 した第

4

章 冒頭 と ほ とん ど同 じ文章が現われている。 この点 は,上 の解釈 に充分な根拠 を与 えているよ うに見 える。 したが って,第

5

章 の 「商業社会」 は,第

6

章 に 至 ると,「資財 の蓄積 と土地の占有 との双方 に先行 す る初期未開の社会状態」(6)と重ね合わ され る,と い う解釈 を生む ことに もなる。(7) しか しなが ら,分業- これは,工場内分業 とし ての商品生産における労働の分割 と同時に,社会的分 業 としての職業分化にともな う商品交換をも意味す ち- が くまな くゆ きわた った末 に成立す る 「商 業社会」 の構成 メンバ ーは,独立生産者だけだ と 断定で きるだろ うか。分業論 (第

1.

-3

章)の帰結 として設定 された 「商業社会」は,三階級分化 の 資本主義社会 とは異質の非階級社会 として与 え ら れている としか解釈で きないだろ うか。 第1章でス ミスが社会的分業 の効果 を例解す る ために採 り上げた ピソ ・マニュファクチ ュア内の 10人の職人たちは,独立生産者でない ことは言 う まで もない。また

,

「自分 自身の労働生産物 の余剰 部分」 の 「交換」 とい う表現 も, ス ミスのはあい には,賃労働者 にはあてはまらない, とい うこと にはな らない。賃労働者の生産 した労働生産物 は, 資財 の所有者 に帰す ると考 えているのではな く, 労働者 は 「自分 自身の労働の生産物」 をかれ らと ともに 「分け合 う」 と考 えているか らであ る。(8)さ らに,第

5

章で 「商品」や 「貨幣」 に対 して 「労 働」を不変の価値尺度 として選定す るさい, ス ミ スは資本一賃労働関係を前提 として次 の よ うな発 言を してい る。「等量 の労働は,いつ どの よ うな と ころで も,労働者 に とっては等 しい価値であ る。 -・-/ しか しなが ら,・・-・かれを使用す る人 に と っては,ある ときには比較的大 きな, またあ る と きには比較的小 さな価値であ るよ うに見 える」。(9) この よ うに

,

「商業社会」 において も

,

「かれを使 用す る」資本家 が登場 していることは,否定 しえ ない。 もともとス ミスの支配労働 とい う概念 じた いが,商品に含 まれている労働 (したがって労働生 産物)に対す る支配,つ ま り購買力 とい う意味 とと もに,労働者 の労働その ものに対す る支配,つ ま り雇用力 とい う意味 とを含 んでい る。(10)した が っ て,分業論の展 開の帰結 として設定 された 「商業 社会」 の中に, ある時は独立生産者を指 し, また あ る時 には賃労働者を意 味す る 「労働者」 と並 ん で,使用者 (雇主)がその構成 メンバー として含 ま れ てい るのはむ しろ当然 の こと と言 え るので あ る。 それでは,独立生産者だ けでな く賃労働者 も「交 換す る ことに よって生活 し,つ ま りあ る程度 (in somemeasure)商人 にな る」 と見 な されたのは ど の よ うにしてであろ うか。 ス ミスは第10章第2節 で,労働者を 「自分の労働 以外 に生活手段 を まっ た くもたない老」(ll)と規定 し

,

「あ らゆ る人 が 自分 自身の労働 とい う形で所 有 してい る財産 こそ,也 のい っさいの財 産 の本源 的 な基礎 なの で あ るか ら,そ れ は も っ と も神 聖 で 不 可 侵 な もの で あ る」(12)と指摘 している。この点か らすれば

,

「労働」 とい う「財産」ない し「生活手段」を商D。Jヒして,(13) 雇主にそれを売 る賃金労 働者 も, ス ミスに とって は

,

「あ る程度商人になる」と判断 されたのではな いか。 ス ミスの眼前 にみ ていた社会は,労働者 ・ 資本家 ・地主 とい う 「あ らゆ る文 明社会 の三つの 大 きな,基本的 な構成要 素 をなす階級」(14)か らな る三階級分化の社会であ った。 しか し階級社会 に おいて も,その流通面で展 開 されている事態 は, 自由 と平等 を前提 とす る交換 として しか現われな いか ら,階級関係 も,労働 と資財 と土地 のそれぞ れの所有者間の商 品交換 関係 と見 なされ る ことと なったのである。社会的 分業 と工場内分業 とを理 論的に区別す る必要を感 じなか った ス ミスに とっ て,分業は商品生産を意 味す ると同時 に商 品交換 を も意味 していた。分業 の発展だ けか ら階級社会 が論理的に出て くるとは考 え られないに もかかわ らず, ス ミスの設定 した 「商業社会」 の構成 メン バ ーが独立生産 者 だ けに 限定 され なか った理 由 紘

,

「労働」を唯一の 「財 産」として所有す る賃労 働者を も,商品交換の当事者 としての 「 商人」-- 「ある程度」とい う限定詞つ きの比境的な商人-と見な したか らであると考 え られ る。 したが って

,

「商業社会」は,単純商品生産者だ けか らなる非現実的で抽象的 な社会 とみ なす こと はで きない。三階級分化社会 の 「基本的 な構成要 素」 としてほ独立生産者が含 まれ ないに もかかわ らず

,

「商業社会」でその存 在 が否定 され る どころ

(3)

か,あたか も全面をおお うかのよ うな印象を読者 に与 えることになっている理 由は

,

「商業社会」が ス ミスの時代の ヨー ロッパの現実だけでな く,そ こに至 る歴史過程を も反映 した もの として設定 さ れているか らである。 ス ミス自身の語るところに よれは,当時の「ヨー ロッパのあ らゆる地方では, 独立の職人1人に対 して,親方に奉仕す る職人は

2

0

人」 とい う比率になってお り,例 えば,独立生 産者 が必要 以上 の資 材 を獲得 した場合 に数人 の 「渡 り職人」 を雇用す ることも可能であ り, した が って景気変動の推移に よっては

,

「使用人や渡 り 職人に対す る独立の職人 の割合」が変動 しうるよ うな状況にあ った。(15)独立生産者を 「基本的 な構 成要素」か ら排除 した三階級分化社会に対 して, 「商業社会」 は,分業の拡大 ・深化の過程を反映 す るもの として,つ ま りス ミスの時代の ヨー ロッ パの現実に至 る歴史的基礎過程 を も包摂 し うるも の として,設定 されている。 それは,第6章で始 めて明示的 に言及 され る二つ の社会像- 「初期 未開の社会状態」と 「資財の蓄積 と土地の占有」以後 の三階級分化社会 とい う一応の歴史的区分をもつ二 つの社会像 - を分業 の発展を通 して媒介 し,橋 渡 しす るために設定 された二重の社会像 として与 えられてい るのであ る。(16)それゆえ

,

「商業社会」 を 「初期未開の社会」 にだけダブらせて理解す る ことも,それを三階級分化の社会 としてのみ理解 す ることも,(17)正 しい解釈 とはいえない。 そ うであ るとすれば,第5章 と第6章 との関係 は,従来の よ うに,前者 は投下労働量 と支配労働 量 とが一致 した単純商品生産社会-「商業社会 」-「初期未開 の社会」,後者 はそれ らが不一致の三階 級分化社会-「資財 の蓄賃 と土地 の占有」以降の 社会, とみ な し両章が歴史的前後関係にあるとい うよ うに解 釈す るわ けにはいかな くなる。(18)む し ろ第5章は,三階級分化社会 における価値論の前 提 として, いわば超歴史的 な基本的規定を与 える ために用意 された章であ り,両社会 に通ず る一般 的規定を説 いている箇所 と見 なすべ きであ る。 こ の よ うな判 断は,それまでの諸章(第1-4章)が, 商品交換が個 々人の うちに内面化 され超歴史的 に 説かれてい るとい う事実を想起すれば,それ と対 応 した妥当な判断 といえよ う。それに対 して第6 章は,その冒頭でス ミスな りに一応 の歴史的区分 を もっこつの社会状態を対比 し,特 に三階級分化 の社会 になると

,

「初期未開の社会状態」と比べて 生産物 の分配関係に どの よ うな変化があ らわれ, それにつれて投下労働量 と支配労働量 とのあいだ に どの よ うな変化があ らわれ るかな説 くことに よ って,本来の課題である 「諸商品の価格 の構成部 分」の検討に移 っている章, とみなす ことがで き る。 したがって,第5章 と第6章の関係は,連続 的関係 とい うよ りもむ しろ重層的関係にあるとい えよ う。そ こで,誤解をおそれずあえて対比すれ ば,両章の関係は, ともに交換過程視 されている とい う違いを除けば

,

『資本論』における 「労働過 程」論 と 「価値増殖過程」論 との関係になぞ らえ ることがで きるのであ って,移行の問題- 第1 篇 「商品と貨幣」第2篇 「貨幣の資本への転化」から 第3篇 「 絶対的剰余価値の生産」への移行の問題-になぞ らえることはで きない。生産力の増進 とい う超歴史的な課題設定の もとで分業論か ら始 まる 『国富論』体系は,個 々の労働過程 の分業的連関 を超歴史的に検討するとい うス ミス独 自の視角か らその考察が始め られている, とみなすべ きであ る。(19)したが って,マル クスが第 5章 と第 6章 の 関係を移行の問題 として- つまり「諸商品に対象 化された労働量」による交換の次元から 「対象化され た労働 と生きている労働とのあいだの交換」の次元へ の移行の問題 として- 検討 している点 は

,

『国富 論』体系の編別構成についての理解 に問題を残す 解釈 といえる。(20) ⅠⅠ 支配労働 としての 「労働」把握 ス ミスは第5章の課題 を 「交換価値の実質的尺 度(realmeasure)とは どのよ うなものであるか, す なわ ちすべての商品の実質価格 (realprice)は どのよ うなものに存す るか」 の解明にあて,その 表題を 「諸商品の実質価格お よび名 目価格につい て,す なわち,それ らの労働価格(priceinlabour) お よび貨 幣価格 について」 と記 して い る。(2りこれ らの文言だけか らで も, ス ミスに とって 「交換価 値 の実質的尺度」

,

「商品の実質価格」 および 「労 働価格」 のあいだに厳密な区別 はない, とい うこ とがわ か る。(22)そ して冒頭パ ラグラフで 「ある商 品の価値 は,・・・-その商品がその人 に購買 または

(4)

支配 させ うる労働の量 に等 しい」 といい,第2パ ラグ ラフでは 「あ らゆ る物 の実質価格,つ ま りあ らゆ る物 がそれを獲得 しよ うと欲す る人 に現実 に つ いや させ るものは,それを獲得す るための労苦 や煩労 (toilandtrouble)であ る」 とい う。従来, 前者 は支配労働価値説,後者 は投下労働価値説 と 呼ばれて きた。 まず支配労働価値説(これは最近で は価値規定ではな く価値尺度論だ とも主張 されてい るが(23))か ら検討 しよ う。 第

5

章 の第

3

パ ラグラフで ス ミスは次の よ うに い う。 「その 〔財産の〕所有が,ただちに, しかも直接に かれにもたらす力は,購買力すなわちそのときその市 場 にあるい っさいの労働 またはいっさいの労働生産 物に対する一定の支配である。かれの財産の大小は, この力の大 きさ,いいかえればその財産がかれに購買 または支配 させ うるところの,他の人々の労働の量 か,またはこれと同一のことであるが,他の人々の労 働生産物の量か,のいずれかに正確に比例する。あら ゆる物の交換価値は,それがその所有者にもたらすこ の力の大 きさにつねに正確に等 しいにちがいないの である」。(24) ここで 「市場 にあ るい っさいの労働 ・--に対す る一定 の支配」 とい うのは,既 に指摘 しておいた よ うに,労働その もの (マルクスのいわゆる生 きて いる労働)(25)に対す る支配 を指 し,他方 「労

生産 物」には労働が対 象化 (体化)されて いるか ら

,

「労 働生産物」 に対す る支配 とい うのは, いわ ゆ る対 象化 された労働(26)に対 す る支 配 を指 す とひ とま ず考 えておいて よいだろ う。(27)ス ミス 自身 は,第

7

章で 「市場 にあ る諸商 品 または労働」 を 「市場 にあるすでにな された作業 (workdone)または こ れか らな され るべ き作業 (worktobedone)」(28)と 言 い換 えてお り,その限 りで両者 の区別を一応認 めてい る とも考 え られ るが, ここでは支配労働 と しては両者 は 「同一」であ る とされて いる。 した が って, マル クスの指摘す るよ うに 「労働 と労働 生産物 とを等置」(29)してい る と言 って よい。それ ゆ え, ス ミスの用 いる 「労働」 とい う用語 は,坐 きてい る労働 と対象化 された労働 との双方 を意味 し,両者 は 「同一」 の もの と判断 されてい る場合 が多い。 ス ミスの 「労働」把捉 の特徴 は, む しろ この点 を厳密 に区別 しない ところにあ るといえる が, かな らず Lも常 に両者 を等置 しているわ けで はない。そ こで, ここでは 「労働」が生 きている 労 働 だ け を 指 して い る場 合 を 採 りだ して お こ う。(30) 「労働は価値の唯一の普遍的な(universal)尺度で あると同時に,唯一の正確な尺度であるとい うこと, すなわち労働は,いつでもまた どこでも,われわれが それによって さまざまの商品の価値を比較で きる唯 一の標準であるとい うことは,明白であるように思わ れる」。(31) これ は, ス ミスが不変 の (invariable)価値尺度 を求め るにあた って

,

「商 品

「貨幣

「労働」の三 者 を比較 し,前二者 は価値変動 を避 け られ ない こ とか ら,それ を 「労働」 に求めた結論 の文章 であ る。「商 品」や 「貨幣」は労働生産物 であ り,それ らには労働が含 まれてい るが,例 えば 「金 ・銀 で 購買 または支配 し うる労働 の量,つ ま りそれ と交 換 され る他 の財貨 の量」(32)は,不断 の変動 に さ ら されている。 それに対 して 「労働」は

,

「いつで も また どこで も」つ ま り時空 を問わず超歴史的 に価 値変動 しない 「唯一の正確 な尺度」であ る, とさ れてい る。 とすれば, ここで不変の価値尺度 とし て選定 された 「労働」 は,生 きている労働 を指 し ている ことは明 らかであろ う。 ここでの支配 「労 働」量 は,労働生産物 としての 「商品」量や 「貨 幣」量 (つまり対象化された労働量)ではな く,労働 その もの (生 きている労働)を意味 しているのであ る。 労働 を生 きている労働 だけで考 えているケース は,他 の箇所 か らも抽 き出す ことがで きる。例 え ば,第

6

章 の第

5

/ミラグラフで

,

「自分の資財 をあ えて投 じるこの事業 の企業家」が 「その完製 品を 貨幣 ・労働 またはその他 の財貨 のいずれか と交換 す るはあい」(33)を想定 してい る ケースは,そ の一 例 と考 え られ る。ス ミスにおける資本-賃労働 関係 は,一方での雇主 に よる賃銀 (-完製品)の前払 い と資財 の前貸 し,他方での労働者 に よる 「労働」 の提供 とい う 「交換」関係であ るか ら, ここでの 「労働」が 「市場 にあ るい っさいの労働」 ない し 「これか らな され るべ き作業」 としての生 きてい る労働 を指す ことは明 らかであろ う。 また,第

5

(5)

章 におけ る 「あ らゆ る商 品は,労働 と交換 され, またそれ に よって比較 され るよ りも, い っそ うし ば しば他 の諸商 品 と交換 され, またそれ らに よっ て比 較 され る」(34)とい う指 摘 も,上 述 の点 を勘 案 す れ ば,一 般 には商品は 〔貨幣を媒介にして〕相互 に交換 され るが,雇主がその完成 品を 「労働」 そ の もの と交 換 す るケース も考 え られ る, とい う表 現 とみ なす こ とがで きる。 この よ うに

,

「労働」が 対 象化 され た労働 とは区別 された生 きてい る労働 としてのみ把 え られてい る箇所 は,「不変 の価値尺 度」 論以外 に も検 出で きる。 しか しなが ら,上 の よ うに 「労 働」 が生 きてい る労働 としてのみ考 え られ てい る場 合 に も,それ と 「貨 幣」や 「財貨」 とを並べ て 「いずれか と交換す るはあい」 とい う よ うに処理 されてい る点 は留意すべ きで あ ろ う。 ここで は

,

「労働」が,生 きて い る労働 だ けに限定 され なが ら, 不変 の価値尺度論 におけ る 「労働」 とは異 な って,他 の労働生産物 との交換 と「同一」 の こ ととして処理 されて い るか らで あ る。 また,第 11章第1節 冒頭 のパ ラグ ラフには次 の よ うな指摘 が あ る。 「食物は,つねに多量または少量の労働を購買また 支配で きるのであ って, しか もこれを獲得す るため に,よろこんでなにごとかをしようとい うい く人かの 人は,いつで も必ずいるものである。--・食物は,あ る部類の労働 がふつ うその近隣で維持 されてい る程 度に応 じて維持 しうるだけの労働量をつねに購買で きるのである」。(35) 食物 の支 配 「労働」量 とい うのは, この場合 に も,労働主 体(「よろこんでなにごとかなしようとい う」人)を想定 してい るこ とか ら明 らか な よ うに, 「これ か らな され るべ き作業」 としての生 きて い る労働 の 「購 買」 ない し 「支配」 を指 してい る。 ほほ 同様 の用例 は,第

2

編第

4

葦 に も見 られ るの で あ って

,

「それ ら 〔の財貨〕が支配 し うる労働 の 量,つ ま りそれ らが扶養 した り(maintain),使用 した り(employ)し うる人 々の数」(36)と言 い換 え ら れ てい る点 に も示 されて い る。 ここで 「扶養」 と 「使用」 の ニ ュアンスの違 いは, おそ ら く前者 は 不生産的労 働者 を,後者 は生産的労働者 を念頭 に 置 いてい るか らであ ろ う。地 主 の 「労働」 に対 す る支配 とい う場合 には,不生産的労働者 の「維 持」 ない し 「扶養」を考 えてい るのであ って, 例 えは, 「地 主 の分 けまえ 〔地代〕の実質価値, つ ま り他 の 人 々の労働 に対す るかれ の実 質的支 配」(37)とい う 表 現 がそ うであ る。 しか し, これ らの場合 に も, か な らず Lも生 き てい る労働 の支配 だけを ス ミスが考 えてい る と判 断す る ことはで きない。第

5

章 の第

3

パ ラグ ラフ で ス ミスは 「労働 と労働生産物 とを等 置」 して い た のだ か ら,それ は当然 とい えるが, 以下 に2

3の例 を挙 げて この点 を傍証 しよ う。 「〔優等地における〕地主の地代--は,つねに比較 的多量の労働を維持(maintain)しうるであろうし, したがってまた,地主が比較的多量の労働を購買また は支配できるようにするであろ う。かれの地代の実質 価値,すなわちかれの実力 と権威,つま り他の人々の 労働がかれに供給 しうる生活必需品お よび便益品に 対す るかれの支配力は,必然にはるか大 きなものにな るであろ う」。(38) 「地主の分けまえ 〔地代〕がおよそ どのようなもの であろ うとも,その分けまえは,つねに これ らの人民 の労働 と,この労働がかれに供給 しうる諸商品 とに対 する支配権を地主にあたえるであろ う」。(39) 地主 の 「支配 力」 ない し 「支配権」 は, ここで は 「生活必需 品お よび便益 品」つ ま り 「諸商 品」 に対す る購 買力 とも解 されて い るので あ り, その 限 りで は, それ らを 「供給」 す るの に要 した対 象 化 された労働 に対す る支配 を も意 味 して い る。既 に述べた よ うに,支配労働 とい うの は, 購買力 と 雇 用力 との両方 を指 して用 い られて い るか らで あ るが, 同 じ箇所 か らの次 の引用文 がそ の確た る証 拠 を示 してい る。 「スペイン領西イン ド諸島が発見 され るまで, ヨー ロッパでの もっとも多産的 な鉱山--・の所有者の分 けまえ 〔地代〕は,かれがそれで等量の労働または商 品のいずれか(eitheroflabourorofcommodities) を購買 または支配 しうるほ どの ものであ ったであろ う」。 したが って, ここで改めて確認 しておかなけれ ばな らない点 は, ス ミスの支 配労働量 は,一般 に は生 きてい る労働 に対す る支配 と対 象化 された労 - 1

(6)

7-働 に対する支配 との双方が考 えられているが,第

5

章で,労働の価値の不変性 -価値の普遍的な尺 度 としての労働を検 出す るさいには,そ して この 場合 においてのみ,生 きている労働だけが考 えら れている, とい うことである。不変の価値尺度論 で,支配労働量を生 きている労働だけに限定 した ス ミスは,それをその後の展開において守 りとお したわ けではない,(40)とい う点 には充分注意を払 ってお きたい。 したが って,支配労働を生 きてい る労働 に対す る支配 にだけ限定 して 『国富論』体 系を整理す る試みは, ス ミスの真意に即 した もの と言 うことはで きないのであ る。(41) ⅠⅠⅠ 投下労働 としての 「労働」把握 つ ぎに, ス ミスの投下労働価値説 について見 よ う。従来 これに対す る解釈 としては, マル クス流 の対象化 された労働だけが考 えられて きた と言 っ て よい。マルクスの「正 しい価値規定」(42)とい う評 価以来, ス ミスの投下労働 に関す る規定は,マル クス との差異を検討す るよ りも,む しろ両者の同 一性を前提 とした うえでの議論が多か った よ うに 思われ る。 しか し,結論を先取 りして言 えば, ス ミスの場合には,投下労働 は厳密 に言 えはマルク スの対象化 された労働 と同一視す ることはで きな い し, またそれだけに限定 して把捉 されていると は言 えない面を残 している。支配労働を規定す る さい,対象化 された労働 (労働生産物)に対す る支 配 と生 きている労働 (労働そのもの)に対す る支配 とが区別 されず,ほ とん どの場合にそれ らが等置 されていた よ うに,投下労働の場合に もそのよ う な側面を抽 き出す ことがで きる。そ こでまず,従 来対象化 された労働 と解釈 されて きた論点を再検 討す ることか ら始め よ う。 第5章でス ミスは,16世紀の価格革命 によって, 「ヨー ロッパの金 ・銀の価値 は,それ以前の約3 分の 1に縮減 した。それ らの金属を鉱山か ら市場 へ もた らすのには比較的わずかの労働がついや さ れたか ら,それ らの金属がそ こへ もって こられた ときに もまた,比較的わずかの労働を購買 または 支配 し うるにす ぎない」(43)と指摘 して い る。 この 文章 には,次の よ うな注 目すべ き論点が含 まれて いる。第

1

,

「比較的わずかの労働がついや され た」 ことを根拠 に して,つ ま り投下労働 を根拠 に して,支配労働 を説いている点に留意 してお きた い。この点は,後 に再び立 ちかえることにす るが, 「労働 こそは,最初の価格,つ ま りいっさいの物 に支払われた本源的購買貨幣であ った」(44)とい う ス ミスに独 自の労働把捉を前提 とし根拠 とす る関 係で可能 となった指摘である。第

2

,

「それ らの 金属を鉱 山か ら市場へ もた らすのには」 とい う表 現は

,

『国富論』第1・2篇中に くり返 しあ らわれ るものであるが,(45)それは,生産物 の「購買は,か れ 自身の労働の生産物が完成 され るばか りか,売 られて しまっては じめて可能 となるのであ る」(46) とい う認識 と照応す る.そ して, それが また第 2 篇第5章で,資本をその用途の多様性に応 じて4 つに分頬 し検討を加 えていることとも対応す るわ けである。(47)しか し,第3に,ここで最 も注 目して お きたい点は

,

「労働がっいや された(cost)」とい う言いまわ しの もつ ニュアンスである。あ るいは,

「1

時間のつ らい作業のほ うが

,2

時間のや さし い仕事 よ りもい っそ う多 くの労働 をふ くんでいる か もしれ ない (theremaybemorelabour)」(48)とい

う場合のス ミスの 「労働」把捉である。 こ うい う ス ミスの表現か ら,投下 「労働」 は,マル クス自 身によって も, またマルクスに拠 るス ミス研究者 によって も, マルクス流の対象化 された労働を指 す とみなされて きた。果た してそ う言い きれ るで あろ うか。 第6章 にお け る 「職人 た ちが原料 に付加す る (add)価値」とい う表現や第 8章 における 「労働 がついや され る(isbestowed)ことによって原料 に 付加 され る価値」 とい う表現にも,微妙な含意が ある。(49)ところで,これ らの規定は,第2篇第 3章 における生産的お よび不生産労働 の規定 と密接 な 関連 を もつ ものであ ることは言 うまで もない 。(50) そ こでは,生産的労働は「対象の価値を増加(add) させ

「価値を生産す る(produce)」労働 とされて いる。 しか しまた,それは 「ある特定の対象 また は売 りさば きうる商品に 〔労働〕それ 自体を固定 し た り(fix)実現 した り(realize)す る」労働であ り, 「いわば,ある他のはあい必要 に応 じて使用 され るために,貯蔵 され(stock)貯 えられ る(storeup) 一定量の労働」であるともされている。それ と対 応 して,不生産的 「労働 もその 〔労働の〕価値を も

(7)

ってい る(labour-hasitsvalue)」が,「一般的に はそれがお こなわれ るまさにその瞬間に 〔価値が〕 消滅 して しま うのであって,あ とになってか らそ れ とひ きか えに等量 の労務 を獲得 し うる ところ の,あ る痕 跡 つ ま り価 値 を そ の背 後 に の こす (leaveanytraceorvaluebehindthem 〔seⅣices〕) とい うこ とが め った に な い」 と規 定 され て い る。(51) こ うした ス ミスの発言を総合 してみると,不生 産的労働者 の労働にして も,労働一生産過程 におけ る労働者の労働に して も,は じめか ら 「〔労働の〕 価値を もっている」 もの として前提 されているこ とがわかる。労働者の労働が,原料 ないし対象の 価値 に 「付加」し,価値を 「生産」 した り 「増加」 した りす る と言 うはあいにも,価値の移転 と創造 に よる労働 の対象化 とい うよ りも,「価値を もって いる」労働 の持手交換 (労働者から生産物への価値 の持手変換) とい う性格が強い。「固定」 とか 「貯 蔵」 とか 「価値をその背後 にの こす」 とかい う表 現 は,その現われ といえるが,(52)いわゆ る価値移 転 と価値形成 (創造)との区別をな しえなかった ス ミスに とって,それはむ しろ当然の ことであ った。 しか も,ス ミスには,労働 に対す る独特な認識 と して,それを 「本源的購買貨幣」 とみなす理解が あ った。投下労働が,厳密 には対象化 された労働 として把握 されているとは判断で きない根拠は, ス ミスの この考 えの中に示 されているのである。 く労働-本源的購買貨幣〉説 は,周知のごとく, 超歴史的な人間 と自然 との社会的物質代謝の過程 において,人間は 「労働」を 「貨幣」 として 自然 に対 して支払 い,その代価 として労働生産物を受 け取 るとみ なす考 えであ る。(53)この関係は, ス ミ スによれば

,

「初期未開の社会」で も,三階級分化 の社会で も見 られ る一般的関係 と見なされ る。既 に述べた よ うに,第

5

章は

,

「商業社会」を前提 に して, こ うい う超歴史的な基礎的関係を解明す る ために設定 された場であった。しか も,この説は, 労働一生産過程 とい う本来交換過程 に解消で きな い社会的物質代謝過程を 「労働」と 「労働生産物」 との交換過程 とみなす ことに特徴を もっている。 ここか ら 「労働 と労働生産物 との等置」 も出て く ることにな るし,投下労働量 と支配労働量 とによ る二面的価値規定がス ミスな りに整合的に説かれ た根拠 も説明で きる。(54)しか し, この説の もつ意 味はそれに とどまらない。労働一生産過程を交換過 程化す るとい うことは,超歴史的な物質代謝の過 程を,特殊歴史的な商品経済的過程 とみなす こと になるが,それによって,三階級分化社会 として の資本制社会では価値形成増殖過程 として現われ る事態を も,価値交換の過程 とみなす ことになる。 労働 と労働生産物 との関係が,労働の対象化によ る労働生産物の生産を通ず る価値の生産過程 とは 意識 されずに,労働 とい う「痕跡」の 「固定」化 -「労働の価値」(価値をもつ労働)の提供 と

,

「労働 の価値」を含む労働生産物の獲得 とい う価値の交 換過程 とみなされることになるわけである。 自然 と人間 との関係を上の よ うに価値の持手交換 と把 えれば,それ と商品交換関係- 「それら 〔貨幣ま たは財貨〕は,一定量の労働の価値を含んでお り(co n-tain),それらを等量の 〔労働の〕価値を含む と思われ るものと交換するのである」(55)- とが次元の異 な る関係であるとい う認識が希薄 にな り,対 自然的 関係 と対社会的関係 とが同質の もの とみなされ る ことになるのは,む しろ自然であろ う。 こうして,生産物の生産過程を交換過程祝 した ス ミスには,価値の生産過程 (価値形成増殖過程) を価値 の交換過程 とみなさざるをえない面が残 さ れてい るのであって,ス ミスの投下労働価値説は, 厳密にいえは対象化 された労働 による価値規定 と して把握 されているとは言えない, とい うことに なる。労働それ 自体には価値 はな く,資本の生産 過程 において労働力の使用価値 としての労働を行 な うとい うことが,一方で原料や機械 な ど労働手 段 に含 まれている過去の対象化 された労働を新生 産物 に移転 させ ると同時に,他方で価値を新たに 創造 し対象化す ることだ,とい う考 えは,このく労 働 -本源的購買貨幣)説か らは検出す ることがで きないか らである。 ところで, この ことは,支配労働における 「労 働 と労働生産物 との等置」を介 して,投下労働を, ス ミス独 自の対象化 された労働 とい う理解 の他 に,労働その もの(本来は労働力の使用価値 としての それ) とも把 える側面が残 されているのではない か, とい うことを予測せ しめ る。そ こで改めて, 労働は不変の価値尺度だ とい うス ミスの議論を検 討 しよ う。 ス ミスは,既に引用 した結論の文章 に - 1

(8)

9-至 る過程 で次 の よ うに言 ってい る。 「等量の労働は,いつどのようなところでも,労働 者にとっては等 しい価値である,(56)といって さしつか えなかろ う。かれの健康 ・体力および精神が平常の状 態で,またかれの熟練および技巧が通常の程度であれ は,かれは自分の安楽,自分の自由および自分の幸福 の同一部分をつねに放棄 し〔1aydown〕なければなら ないのである。かれが支払 う価格は,それ とひきかえ にかれが受け とる財貨の量がお よそ どのよ うな もの であろ うとも,つねに同一であるにちがいない。実際 の ところ,この価格が購買す るこれ らの財貨は,ある ときは比較的多量であろ うし,またあるときは比較的 少量であろ うが,変動するのはそれ らの財貨の価値で あって,それ らを購買する労働の価値ではない。--・ それゆ え,それ 自体 の価値 が け っ して変動 しない (nevervaryinginitsownvalue)労働だけが,いつ どのようなところで も,それによっていっさいの商品 の価値が評価 され,また比較 され うるところの,窮極 の,しかも実質的標準である。労働はいっさいの商品 の実質価格であるが,貨幣はその名 目価格であるにす ぎな

」。(57) 引用 中最後 の文章 は,第

5

章 の表題 と照応す る もので あ るが, ここでは「かれが支払 う価格」(the pricewhichhepays)とい う表 現や 「この価 格が購 買す る (purchase)これ らの財貨」 とい う表 現 に, 特 に注 目してお きた い。 い うまで もな く, この表 現 は 「労働 こそ は,最初 の価格(丘rstprice),つ ま りい っさいの物 に支払われた(waspaid)本源的購 買貨幣であ った」 とい うス ミスに独 自の労働認識 に固有 の比境的表現 であ る。 したが って, ここで の 「労働」は

,

「労働者 に とっては」とい う指摘 を も考慮 に入れれ ば,(58)支配労働 で は な く投下 労働 を指 してい る こ とは明 らかであろ う。 しか も,そ れ は,これ まで検討 して きた よ うな意味での(つま り厳密にいえはマルクスのそれ とは異なった,それゆ えス ミスに特有の)対象化 され た労 働 とい うよ り も, む しろ労働 その ものを指す とい うことも明 ら かであ ろ う。 ここで ス ミスが述べ てい るこ とは, 例 えば

1

0

時間 の労働 その ものは,「いつ どの よ うな ところで も」- つまり第6章で始めて議論の対象 になる 「初期未開の社会」で も 「資財の蓄積 と土地の 占有」以後の社会で も,また後者の社会における例え は p./ ドンでもェディンバ ラで も- 「労働者 に と っては」- つまり小生産者に とって も賃労働者に とって も-

1

0

時間分の 「安楽

「自由

「幸福」の 「放棄」

-

「犠牲」 を意味す るのだか ら

,

「等 しい 価値 で あ る」 とい うことであ る。 そ して,第6章 におけ る議論を先取 りして敷宿 してお けば,労働 者 が 自然 に対 して貨幣 として 「支払 う価格」 は, つ ま り 「本源的購買貨幣」 としての労働 は, ス ミ スの考 えに よれ は

,

「初期未開 の社会」において労 働 の全 生産物 を獲得 しよ うが,三階級 分化社会 で それを資財 の所 有者 と 「分け合 う」 こ とに よって そ の一 部 を獲得す ることになろ うが, また,後者 の社会 で 「分 け合 う」比 率が さまざまに変化 しよ うが

,

「それ とひ きか えにかれが受 け とる財貨 の量 が お よそ どの よ うな もの で あ ろ う と も,(59)っ ね に

」1

0時間分の 「労苦や煩労」の支 出 (-犠牲)と い う点 では 「同一」 であ る。 ここで スヾスが考 え て い るのは,交換過程化 された労働-生産過程 にお け る労働 その ものの提供 (支払い)であ る, とい う ことは明 らかで あろ う。 こ うして, ス ミスの 「労働」 は,一方 で支配労 働 にお ける対象化 された労働 と生 きて い る労働 と い う二 面が検 出で きたが,他方,投下労働 も, ス ミスに独 自な対象化 された労働 だ けで な く,犠牲 として の労働 その ものの支 出を も意味す るはあい があ るわ けであ る。 この点 を念頭 に置 いて,第5 章 の展 開 の スジ道 を要約 してお くことに しよ う。

「商業社会」 における 「労働」把握 第

5

章 に お け る ス ミスの価 値 論 は,分 業 の拡 大 ・深化 を通 じて第4章 冒頭 で設定 された 「商業 社会」 の再説 とともに展 開 され る。 したが って, それ は,歴史的区分 を問わ ない超歴史的規 定 とし て与 え られ ることになる。 そ して まず,商 品の価 値 は, その所有者 に とっては,非 使用価値 であ る か ら, それ は支配労働量 に等 しい とす る。 この支 配労働 による商 品価値 の規定 は,ス ミスに よれ は, 「市場 にお ける」労働 その ものの支配 と考 えて も, 労働生産物 (したがって生産物に含 まれている労働) に対す る支配 と考 えて も 「同一 の こ と」 であ る。 ス ミスが 「労働」 に対す る支配 とい う場 合 には, マル クスのいわ ゆる生 きてい る労働 と対 象化 され

(9)

た労働 との双方 に対する支配が念頭に置かれてい るわけであ る。 ところで, このよ うに支配労働量 によって価値 を規定 し(regulate)評価す る (esti -mate)ことがで きるのは,その商品に 「労苦や煩 労」が費や されてお り,労働を 「最初の価格」 と して支払 ったか らである。つま りス ミスは,労働 -生産過程における,労働 による労働生産物の「獲 得」を根拠 に して,交換過程における他人の労働 ない し労働生産物 に対す る支配を説いているので ある。そ して, このよ うな対 自然的関係における 価値規定 と社会的関係におけるそれ とを媒介 し, 整合 させ ることが可能であった究極の根拠 こそ, 労働過程を交換過程化 して把えた く労働 -本源的 購買貨幣)説 であった。 つづいて, ス ミスは 「交換価値の実質的尺度」 つ ま り 「商 品の実質価格」 ない し 「実質価値」を 労働に求め なければならない理 由を改めて論議す る。そ して 「諸商 品の価値の正確な尺度」は,「そ れ 自体の価値 が間断な く変動す る」商品や貨幣で は不適当であ るとす る。要するに商品や貨幣に含 まれている- といっても,労働過程を交換過程視 するス ミスは,価値の交換を通じて含まれていると見 なしているのだが- 労働 (価値)量は不断の変動 をまぬがれがたいか ら,「それ 自体の価値がけっし て変動 しない労働だけが,いつ どのよ うな ところ で も,それ に よっていっさいの商品の価値が評価 され また比較 され うるところの,窮極の, しか も実質的標準である」 とい うわけである。 こ うし て,商品や貨幣で 「購買 または支配 しうる労働の 量」とい うのは

,

「それ と交換 され る他の財貨の量」 つ ま り労働 生産物 の量 で はない とい うこ とにな る。 したが って,支配労働 とい うのは, ここでは 生 きている労働その もの, ス ミス自身の表現によ れば 「市場 にあ るいっさいの労働--・に対す る一 定の支配」あ るいは 「これか らなされるべ き作業」 に対す る支配 の意味に限定 され る。 その理 由は

,

「等量の労働は,いつ どのよ うな と ころで も,労働者 に とっては等 しい価値である」 か らである。労働者が労働一生産過程で 自然に対 し て 「支払 う価格」 は,その代価 として受け とる労 働生産物 -賃銀 (「自然的賃銀」あるいは資本主義的 賃銀)が どの よ うに変化 しようとも,安楽・自由・ 幸福を放棄 し,それ らを犠牲にしなければな らな い とい う点では,「つねに同一である」か らである。 資本家的な観念つ ま り 「通俗的な意味」(popular sence)か らすれば,労働生産物 -賃銀の変動に 目 を奪われて

,

「労働の価値」 ないし 「労働 の価格」 は変動す るように見 えるが,労働者 に とっては, 労働 「それ 自体の価値」は不変である。 ここでス ミスが念頭に置いている対 自然的な労働は,商品 に対象化 されている 「すでになされた作業」 とい うよ りはむ しろ

,

「これか らなされ るべ き作業」と しての労働その ものである。 「自然的賃金」であれ,資本主義的賃銀であれ, 労働者の受 け とる賃銀 を 「労働 の報 酬」(recom・ penceoflabour) と把 えた根拠は,労働一生産過程 を犠牲 としての労働 と貨銀 との交換 とみな し,質 銀 を労働その ものの提供 に対す る代価 と見たか ら である。それがまた,第6章以降で,価格の構成 部分 としての賃銀 と労働 とを同義の表現 とす る場 合が生ず る想源を もな しているわけであ る。(60)漢 た,労働一生産過程を通 じて生み出され る商品に価 値が付与 され るのは

,

「これか らなされ るべ き」労 働 「それ 自体」に 「価値」があると見たか らであ る。「労働の価値」が,交換過程祝 された労働一生 産過程で付与 され ることによって,商 品は価値を もつ とみなされたか らである。 ところで従来のス ミス価値論の評価 は,「商業社 会」 においては 「正 しい価値規定」 として維持 さ れていた投下労働価値説が,第6章の三階級分化 社会では 「放棄」 され ることになるとい う点 に焦 点をあわせた ものが多かった. こうした通説的見 解を批判す る論者 の場合 にも,投下労働価値説は, マルクスのいわゆ る 「正 しい価値規定」 として, この点 につ いては疑 問の余地 はない もの とされ た。商品の価値の実体は,商品に対象化 された労 働量によって規定 される, とい う見解がス ミスの 場合にもマル クス と等 しくあてはまるとし.、う解釈 は,ほ とん ど疑われ ることはなかった。 しか し, ス ミスの投下労働価値説 じたいは,すでに くり返 えし述べて きた よ うに,対象化 された労働 に しぼ った 「正 しい価値規定」 とは言えない ものを含ん でいた。労働過程 を交換過程化す るス ミスに とっ ては,その視角は価値規定にまで影響を及ぼす も のであったか らである。 こ うした点か らすれば, ス ミス価値論の検討の - 2

(10)

1-焦点 の一つが,投下労働価値説 は 「放 棄」 された か否 か, をめ ぐって行 なわれ て きた点 に反 省 を促 す こ とになろ う。「放棄」された と主張す るに しろ, され ない と判 断す るに しろ,前提 としての投 下労 働価値説 じたい の検討 は,度外視 され るこ とが多 か ったか らで あ る。 しか し, ス ミス価値論 をめ ぐ る所説 の詳細 な検討 は稿 を改めて論ず ることに し て, ここでは分業 の拡大 ・深化 に もとづ いて設定 された 「商業社会」 におけ るス ミスの労働価値説 が,既 に くり返 え し指摘 した よ うに,労働一生産過 程 を踏 まえて展 開 されてい る点 を特 に強調 してお きた い。 ス ミス以前 の初期労働価値論 が,例 えば べテ ィにおけ る よ うに,公収 入 に関す る議論 の「余 論」や 「副次的 な問題」(61)として しか現われ て こな いの も,つ ま り,経済学 の基礎 理韓 としての 「原 理」体系 の中 に位置づ け られていないの も, それ が社会的物質代 謝過程 を踏 まえた価値論 には な っ ていなか ったか らであ る。 また, ス ミスの同時代 人 の一人

J

.

ステ ユアー トの主著 『経済学原理』の 第

1

篇 は,彼 自身指摘 してい るよ うに

,

「人 煩 の増 殖 と農業 の進 展」 が 「世 界のあ らゆ る時代 におい て全体 の基礎」(62)っ ま り超歴史 的 な物質代 謝 の基 礎過程 であ る との判 断に もとづ いて展 開 され てい る。 そ して, そ の限 りで経済学原理 の体系化 も可 能 にな った とい える。しか し,その価格決定論 (第 2篇第 4章)は, マル クスも言 うよ うに,(63)「実質 価値」 を労働 時間 と並 んで賃銀 と原料 に よって規 定す る もので あ り,結局 は労働価値論 とは言 えな い もの にな って い る。 以上 の点か らもすで にス ミス価値論 の特質 は充 分明 らかであろ うが, これを マル クスの価値論 と 対比すれば, なお一層 明確 となろ う。 ス ミスの投 下労働価値説 は,厳 密 に言 えば マル クスのそれ と 比べ て明瞭 さを欠 く諸点 があ る とはい え, マル ク スがそ の価値論 を 「労働過程」論 を踏 まえた 「価 値増殖過程」論 で展開す る以前 に,す で に冒頭商 品論で与 えてい る点 に思いをめ ぐらす時, ス ミス 価値論 の意義 はおのず か ら明 らかであ ろ うと思わ れ る。 (1) 学史 ・思想史に関する主題および人物研究文献 (文献 目録,学界動向,導入史研究など)につい ては,拙稿 「経済学史 ・社会思想史研究文献解説 - T.モアか らJ.S.ミルまで-

(『長野大学 紀要』5-1,1983年8月)を参照。 とりわけス ミ スについては,123,129-30ページを見 よ。

(2) Adam Smi th,An Inquiry into theNature andCausesofikeWealthofNai2'ons,editedby EdwinCannan,6thed.,2vols.,London1950. vol.1,p.24.(以下Wealtjl0fNations,p.24と略 記)。邦訳には,岩波文庫,中公文庫版などにも原 本ページが記 されているので,翻訳ページの付記 は省略する。引用中の

〕は筆者の もの。以下 同様。 (3) 同様の表現 として以下のようなものがある。 「文明で盛大な諸国民」(WealthofNations,p. 2.cf.p.13)「最高度の産業 と文明を享受 している 国」(p.7)「文明社会」(p.7.cf.p.56)「進歩 した 社会状態」(p.49.cf.p.53,102)「改良された状 態」(p.162)「生命財産がかな りの程度に保証 され ているすべての国」(p.267)0 (4)第2篇の序論にも,ほぼ同様の記述がある(p. 258)

0

(5)この解釈は,言 うまでもな くマルクスによって 与 えられ多 くの論者に受け継がれた。『剰余価値 学説史』(Theorieni;berdenMehnt'ert,inKarl Ma7X-Fn'edrichEngeLs Werke,Bd.26,Erster Teil,Berlin1965)における次の 「仮定」は,マ ルクス自身にはス ミスに即 した 「仮定」であると 考えられている。「仮 りに,すべての労働者が商品 生産者であ り,単に自分たちの商品を生産するだ けでな く,それを売 りもす ると仮定 しよ う」(S. 42.以下Mehywert,MEW,Bd.26-1,S.42と略 記)。 (6) WealthofNations,p.49.ほぼ同じ内容を意味 する指摘 として以下の ものがある。「狩猟民や漁 労民 とい う野蛮民族のあいだでは」(p.2.cf.p. 17)「未開状態の社会」(p.7,102,258.cf.p.25, 162)「土地が共有であった時代」(p.51)「事物の 本来の状態」(p.66,67)「農業が粗放におこなわ れていた初期の時代」(p.166)0 (7) 例えば,時永淑 F経済学史

j

〔改訂増補版〕法政 大学出版局,1971年,226-7ページ。小林昇 『国 富論体系の成立』未来社,1973年,96ペ ージ, 174-5ページ。 (8) 「まず しい独立の職人は,出来高払いで働いて

(11)

いる渡 り職 人 よ りも一般 にい っそ う勤勉 であ ろ う。前者 は 自分 自身の勤労の全生産物を享受す る が,後者 はそれを 自分の親方 とともに分けあ うの であ る」(WealthofNatl'ons,p.85)O (9)ibid.,p.35. (10) ただ しス ミスは雇用力 とい う用語 は使用 して いない。 いずれの場合 に も,購買力 (thepower ofpurchasing,p.33)ない し支配力 (thecom・ mand,p.40.cf.p.160)とい う用語で括 ってい る。 ス ミスは両者 を と りた てて区別す る必要 を感 じ なか った ためであろ う。しか し,後 に見 るよ うに, ス ミスに は両者 を区別 して い る箇所 もあ る。 な お,第4章 では,「交換価値」を 「あ る特定の対象 を所有す ることに よって もた らされ るところの, 他の財貨 に対す る購買力」(p.30)と規定 してい る。 (ll) ダム〟.,p.139. (12)ibid.,p.123. (13) マル クスは,「労働」の商 品化をス ミスの生産的 労働論 の中の指摘 (後述)か ら確認 したあ と,吹 の よ うに批判 している。「労働その ものは,その直 接的定在 す なわ ちその生 きた存在 においては,直 接 に商 品 として とらえることはで きない。 〔直接 に商品 として とらえ うるのは〕労働能力だけであ り,そ の一 時的 な発現 が労働 その ものなので あ る」(MehnL,ert,MEW,Bd.2611,S.141)0 (14) WealthofNations,p.248.ここでの労働者 は, ス ミス 自身 の 言 葉 に よ る と 「賃 銀 で 生 活 す る 人 々」で あ り,独立生産者 は含 まれていない。別 の箇所 で ス ミスは,「賃銀 に よって生活す る人 々, つ ま り労働者 ・渡 り職人 ・あ らゆ る種類の使用人」 (p.70)と言 い換 えている。そ して 「さまざまな 種類の使用人 ・労働者お よび職人 は,あ らゆ る大 きな政治社会の大部分を組成 している」(p.80)と も言 って い る。三階級分化社会 における独立生産 者 は,ス ミスによれば,賃銀だけに よって生活 し ているのではな く,賃銀 お よび利潤 〔および地代〕 によって生計をたてているのであ る(cf.p.55)0 (15) cf.,ibid.,p.68,71,85.この よ うな 「流動的 ・ 過渡的」状況 につ いては,小林昇 「イギ リスにお ける 町市民社会』の理論

(『小林昇経済学史著 作 集jII,38ページ)お よび 『国富論体系の成立

156ペー ジ,175-76ペ ージを見 よ。稲村勲 「ア ダ - 2 3-ム ・ス ミスの経済原理論 と 『商業社会

J

(

1

)

」(

『論 集』〔札幌商科大〕31,1982年)では, これを 「対 流的展開関係」(68ページ)と把握 してい る.なお, 経済史の分野で大塚久雄氏 は これを 「社会的対流 現象」としてい るが,氏の所説 については,拙稿 叩資本論』と重商主義- 大塚久雄,宇野弘蔵両 氏の所説 をめ く・って-

(『唯物史観』25,1983 年11月) を参照 されたい。 (16) この よ うな私見 は,時永淑 氏の次の よ うな指摘 か ら示唆を得た。「ス ミスが 『国富論』第1編 第5 章で-- 「商業社会」を対象 とし,次 に,第6章 以降で,三階級分化の社会 を対象 とし 「初期 未開 の社会状態」 との一応 の歴 史的区分 を与 えなが ら,やは りこの三階級分化の社会を も同 じく 「分 業 の徹底 した」社会像の うちに, したが って 「商 業社会」像の うちに,包摂 され る関係 において考 察 した展開方法 ・・

-・

(r古 典 派経 済学 と く資 本 論)』法政大学 出版局,1982年,184ペ ージ)。但 し, 時永氏 には,「商業社会」じた いの二重性だけでな く,「第5章 と第6章以降 とに兄 いだ され るス ミ スにおける二重 の社会像」(203ページ)とい う把 捉が併存 してい る。 この見解 は,第5章 を 「初期 未開の社会」と重ね合わせて理解す る立場 に通ず るものであ り,私見 とは異な る。なお,時永氏の 後者 の見解 は,前掲 丁経済学史』229ペ ージに も見 られ る。 (17) 羽鳥卓也氏 は,本稿 IIで見 るよ うに,ス ミスの 支配労働が生 きてい る労働 の支配 を意 味す る点 に注 目して,第5章で ス ミスは,「労働力が商 品化 されている社会状態」つ ま り 「資本制的雇用関係 を念頭 においている」と判断 してい る (「ス ミスの 価値論 と 『初期 未開の状態』

『三 田学会雑誌』67 -10,1974年10月。引用 は35,38ペ ージ)。それ に 対 して 「初期未開の社会状態」は,「成熟 した資本 主義社会を念頭 にお きつつ,そ こか ら資本 ・賃労 働関係を捨象す ることに よって 〔つ ま り,純粋 に 論理的 な抽象 とい う操作 に よって〕構想 ・設定」 された 「単純商 品生産社会」である と解釈 してい る(47べ-ジ。 〔 〕内は43ページか ら補足)。 し か し,本文で述べた理 由か ら,第5章は 「資本主 義社会」 と 「単純商品生産社会」 とを 「念頭」に おいて 「構想」された二重の社会像 として 「設定」 されていると判 断すべ きではないか と思 う。

(12)

(18)(歴史 的前後 関係)説 の批判 として,渋 谷正「A. ス ミスの資本 主義社会像 につ いての一考察」(r経 済学j〔東北 大〕41-3,1979年12月)があ るO氏 は, 「商業社会」を 「商 品生産 の全面的 な展開 とい う, 資本主義 社会 の基礎 的 な側面 を示 す概 念」(68ペ ージ),「資本主義社会 を も包括す る概念」(70ペ ー ジ) と規定 してい るO また, 島博保 「ス ミス価値 論の構造

」(

F経 済学』41- 4,1980年2月)ち, それを 「二つ の状態 が想定 され」て い る 「複合」 的 な概 念 と促 えてい る。なお,利潤 範噂の確定 を 基準 に して,成立史的 に検討 した水 田健「ア ダム・ ス ミス商 業 社 会 論 の成 立

(r法 政 大 学 大 学 院 紀 要』10,1983年3月)は

,

「r国富論』にお け る商 業社会 が,独立 した商 品生産者 に よる商 品交換社 会であ るこ とは否 定 し難 い事実 で あ ろ う」(35ペ ージ) としなが ら, それが 「資本制社会 に も貫徹 す る基礎 的社会 像」(37ペ ージ)で もあ る とい う微 妙 な評価 を与 えてい る。 (19)社会的分業 としての 「社会全般 の仕事 にお よは す分業 の効果」(WealthofNations,p.5)を考 察す るに さい して, それ を 「特定 の製造業」にお け る工 場 内 分業 に よって例解 しよ うとす るス ミ スの考 察方 法 は,後 に も検討す る よ うに,第5章 で説かれ る (労働 -本源的購買貨 幣)説- つ ま り超歴史的 な労働一生産過 程 と交換過程 とい う商 品経済 に特 有 な過 程 とを 同一 視 す る考 え方-と対応 関係 にあ る とい えよ う。 CZO) vgl.,Mehrwert,MEW,Bd.2611,S.43ff.マル クス 自身 の古 典 派 を中心 とす る経 済学 批 判 の基 本的観 点 は,「資 本 と労働 とのあ いだ の交 換」 を 「二つ の過程」に分けて考察す る点 にあ った。 こ の考察方 法 の意義 と限界 につ いては,時永淑 『経 済学史J398ペ ージ以下 お よび r古 典派経 済学 と く資本論)J第3部 を参照。また,その視角 が ス ミ ス価値 論批 判 との関 係 で は らむ 問題 点 につ いて 検討 した もの に,平林千牧 「r経 済学批判 体系jの 一考察」(3)(

4

)T経済志林J〔法政大〕42-1,43-4, 1974年1月・1975年12月があ る。

C

Z

l

) WealthofNations,p.30,32. CZZ) ス ミスのはあい,価値 と価 格,交換価値 と価値 は,ほ とん どの はあいに同義語 として用 い られ て い る。 そ のため 「実質価 格」(ibid.,p.30,35)に 対 して 「実質価 値」(realvalue,p.38,40)とい う用語 も使われてい る。

3) 羽鳥卓也前掲論文,36べ -ジ以下o三輪春樹 「7 ダム ・ス ミスの価値論 につ いて

(『経済学論 究』 〔筑波大 ・院〕 2,1982年12月)18ペ ージ以下。 後者 は,「ス ミスは支配 労 働 を もって価値 を規定 してはいない。・--価 値 の実体 と価 値 の尺度 とを 区別 して論 じて 〔い る〕」(21ペ ージ) と主張 して い るが,本文 で もふれた よ うに,「交換価値 の実質 的尺度」 と 「実 質価格」-「労働価格」-「労苦 と 煩労」とは区別 されて い る とはい えない。第5章 冒頭 パ ラグラフの,「あ る商 品の価値 は,--〔支 配労働量〕に等 しい。 それ ゆえ,労働 は, --・交 換価値 の実質的尺度 で あ る」とい う指摘 も,価値 規定 と価値 尺 度 とを区別 して い な い こ との表 わ れ と見 るこ とがで きる。 C4) WealthofNations,p.33.傍 点 は引用者。 以下 同 じ。 C25) r資本論j第1巻 (DasKaz)i血l.ErsterBand, inMEW,Bd.23)の 「労 働過程」論 や 「価値増 殖過程」論 で説 かれて い る よ うに,生 きてい る労 働 (1ebendigeArbeit)とは, 労働 力 の使用価値 としての労働 その もの を指 す。もちろん,注(13)で も述べた よ うに,労働 と労働力 の区別 をつ けえな か った ス ミスには, そ れ が 「価値 の源泉 であ りし か もそれ 自身 が もって い る よ りも大 きな価 値 の 源泉 だ とい う独 自な使 用 価 値」を もつ, とい う認 識 は存在 しない (ibid.,S.208)。 C6)マル クス の タ ー ムで は,Vergegenst左ndlichte Arbeitのほか に,過 去 の 労働 (vergangne Ar・ beit)や死 んでいる労 働 (toteArbeit)が同 じ意 味 で使われて い る。 「資 本 家 は---諸商 品 の死 ん で い る対象 性 に生 きて い る労 働 力 を合体 す る こ とに よって,価値 を,す なわ ちすで に対象化 され て死 んで い る過去の労 働 を,資本 に,す なわ ち 自 分 自身 を増 殖す る価値 に転 化 させ る」(ibld., S. 209)

0

¢7) ここで 「ひ とまず」 とい うのは,後 に述べ るよ うに, マル クスの (対 象 化 された労働 )概念 に相 当す るス ミスの観念 は,マル クスのそれ とは異 な る もので あ り,両者 の規 定 の違 いを明確 にす る こ とが本稿 の 目的 の一つ で もあ る,とい う含み を こ こで も残 してお きたい か らであ る。以下 の本文 中 で (対象化 された労働 ) とい う用語 を ス ミスに対

(13)

して用 い る場合 に も, この ことが考慮 されてい る。 鯛 Wealth

o

fNations,p.61. 位9) MehntleYi,MEW,Bd.26-1,S.47.また,「他人 の労働 とこの労働 の生産物 とを混 同 してい る」 (ibid.,S.46)とい う指摘 もある。 即) これは,ス ミスの議論を観察者 としてのわれわ れが整理す るはあいに,どうして も必要な手続 き である。 とい うのは,価値 と価格,価値規定 と価 値尺度 な どの区別に して も,ス ミス自身が厳密 に かつ意識 的に説いているのではないの と同様 に, 生 きてい る労働 と対象化 された労働 との区別 も, ス ミス自身は,多 くの場合に両者を等直 し混 同 し 同一視 しなが ら,観察者の立場から見 ると,部分 的には両者を区別す ることがで きるし,また区別 しなけれ ばな らない箇所があ るとい う性格 の も のだか らであ る。 (31) Wealth

o

fNations,p.38. (32) ibid.,p.34. 03) ibid.,p.50. (34)ibl'd.,pp.33-34. 05) ibid.,p.147. C36)ibid.,p.336. (37) ibl'd.,p.247. (3g) ibid.,p.160. (39)ibid.,p.174. (40) その理 由については,ibid.,p.40を見 よO (41) 三輪前掲論文,25-26ページ。第5葦 の第4パ ラグラフ以降は,支配労働 (これは氏にあっては 価値尺度 に限定 されている.注 03)参照)が生 きて いる労働だけを指す と主張 されているが,マル ク スが 『剰余価値学説史』で2度にわたって引用 し ているス ミスの指摘- 「完成品を貨幣 ・労働 ま たはその他の財貨のいずれか と交換す るはあい」 - は,再 び 「労働 と労働生産物 との等置」に陥 ってい る と判 断せ ざるをえない ものではないだ ろ うか (vgl.,MehntJert,MEW,Bd.26-1,S.50, 51)0 (42)Mehntlert,MEW,Bd.2611,S_45.「彼 〔ス ミ ス〕は事実上,意識 していなかったにして も,彼 が議論を展開 している箇所では どこで も,商 品の 交換価値 の正 しい規定- す なわち,商品に費や された労働量 または労働時間 によるそれの規定 - 2 5-- を固持 している」(ibid.,S.42)。 (43) Weal

t

h

o

fNations,p.34. (44)ibid"p.32. (45) 例 えは,ibid.,p.38,56,60な どを見 よ。「土地 の地代 と,それを産 出 し,製造 し,またそれを市 場へ もた らす のに費や された全労働 の価格 とを 支払 ってなおそのあ とに どの よ うな部分が残 ろ うとも,それは,必然にだれかの利潤 にならなけ ればならない」(ibid.,p.54). (46) ibid.,p.258. (47) cf.,ibid.,pp.340ff..4つの用途 とい うのは,(1) 粗生産物の調達 (農 ・鉱 ・漁業資本), (2)その製 造お よび調整 (製造業資本), (3)粗生産物または 製造品の運送 (卸売商業資本),(4)小売 のための 分割 (小売商業資本)を指す。 (4g) ibidリp.33. (49)ibid.,p.50,67. 伽) ス ミスの生産的労働論 (これは 『国富論』第4 編第9章で も再説 されている。特に, Wealth

o

f

Nations,vol.2,pp.172-76を見 よ)に対するマル クスの批評については,Mehnt,ert,MEW,Bd.26 -1,S.122-44を見 よ。すでに見た よ うに,マル ク スはス ミスの価値論に二面性を兄いだ し,投下労 働に よる価値規定を 「正 しい価値規定」 と評価 し ていたが,生産的労働論に対す る評価の仕方 も, それ と対応 しているよ うに思われる。しか し,他 方で,生産的労働が商品に実現 され る労働である とい う第2の規定は,「第1の規定〔資本 と交換 さ れる労働であるとい う規定〕に事実上含 まれてい る規定」(ibt'd.,S.134)であ り 「もう一つの見解 と交錯 している」(S.141)規定であ るとも述べて いる。本稿では,「正 しい」視角 と 「誤 まった」視 角の併存 とい う二分法による評価 を避 け,「正 し い」とされている評価その ものを再検討するとい う立場に立 って以下の考察を行 う。 (51)Wealth

o

fNations,pp.313-14. (52)マル クスは

,

F経済学 批判 要綱』(GnLndn'sse derKyitik derPoliiischen Okonomie(Rohe -niwuゲ)1857-1858,Berlin1974)の中で

A.

ス ミスは労働の対象化を,有形的な対象の うちに固 定化 されている労働 として,い くらか大 まかに把 握 した ことで しくじったにす ぎない。しかしこれ は彼 にあ っては些事であ り,表 現 の まず さであ

(14)

る」(Grundn'sse,S.729)とい ってい る。だが果 た して 「表現」の問題 に解消で きるであろ うか。 (53) こ うした解釈 に対 しては,揚武雄氏 に よる批判 がある (「アダム・ス ミスの価値尺度論 につ いての 一考察- 労働-「本源的購買貨幣」説 の解釈 に も関係 して-

『経済学雑誌J〔大阪市立大〕71 -5,1974年11月)。その反批判 として,時永淑 F古 典派経済学 と く資本論)』172-73ページお よび小 黒佐和子 「アダム・ス ミスの価値尺度論 について」 (『経済研究』〔明治学院大〕53,1979年)を見 よ。 (54)時永淑 F経済学史j230-37ペ ージお よび嶋田力 夫 「アダム・ス ミス価値論の原理的性格 について」 (『本州大学 〔現長野大学〕紀要』1,1972年)36 ペ ージ。 (55) WealthofNations,p.32.マル クスは, この引 用文中で使われてい る 「労働 の価値」に対 して, 「価値 とい う言葉 は余計であ り無意味である」と 述べてい る(MehnJ)ert,MEW,Bd.26-1,S.47)。 しか し, この言葉 は,労働その ものが 「価値 を も つ」 とい う独 特 な考 えか ら出て きてい るので あ り, ス ミス自身 に とっては 「余計」で も 「無意味」 で もない。そ う考 えられ るのは,マル クスのス ミ ス解釈が,投下労働を もっぱ ら対象化 された労働 としてのみ把 え,「労働 の価値」による規定をそれ とは無関係の もの と把 えているか らであ る。 (56) マル クスは

,

r

経済学批判要綱

l

や F経済学批判』

(zurKriEikderIblilischen∂konomie,MEW, Bd.13)や 『資本論jで この箇所を引用 してい る が,「等 しい価値である」(beofequalvalue)を, 多 くの場合 「等 しい価値 を もつ」(denselben〔od. gleichen〕Wert haben)と訳 して い る。Vglり Grundyisse.S.504.Krilik,MEW,Bd.13,S. 45. DasKapih2l,MEW,Bd.23,S.61. (57) WealthofNations,p.35. (58) 「労働者 に とっては」とい う言葉 の含意は

,

「か れを使用す る人 に とっては」ともか くとして,労 働者 こそが「労苦 と煩労

,

「た え しのばれた辛苦, または働か された創意」(ibid.,p.33)の提供者で あ る, とい う認識 に基づ くものであろ うOまた, 労働 その ものを 「労苦 と煩労」(toilandtrouble) や 「辛苦」(hardship)とみな した ス ミスの独 自な 視角 と,「下級の職業 においては,労働の楽 しみの すべては労働 の報酬 (recompenceoflabour)に あ る」(ibidりp.124)とい う考 え とは,対応関係 にある と考 えられ る。 (59) 「それ とひきかえにかれが うけ とる財貨」つ ま り 「労働の報酬」 とい う場合の 「労働」は,対象 化 され た労 働 で はな く労働 その ものを指 す こ と は言 うまで もあ るまい。 (60) 例 えは

,

「労働 は,それ 自体 を労働 〔=賃銀〕に 分解す る価格部分の価値 を測 るはか りで はな く, それ 自体を地代 に分解 す る価 格部 分の価 値 お よ びそれ 自体 を利 潤 に分解 す る価 格部 分 の価値 を も測 る」(ibid,,p.52)とい う指摘 に典型的 に現わ れてい る。 この ことと対応 して,「地代 ・労働お よ び利潤」 と 「地代 ・賃銀 お よび利潤」 とい う表現 が並存す ることにな っている(ibid.,p.58.p.52の キ ャナ ンの注13も見 よ)0 (61) W.Petty,A Treatiseof Tares&Conlrib u-tions,London1662,inTheEconomicWritings ofSirWilliam Pelly,2vols.,Cambridge1899.

邦訳 F租税貢納論j (岩波文庫)75,77べ -ジ。 (62) J.Steuart,AnJnqui7yintothePn'nciplesof

Rolitical 0economy,London 1767,in TJle WoTlks,6vols.,London1805.邦 訳 F経 済学 原 理l (岩波文庫)(1)127,283ペ ージ。

参照

関連したドキュメント

目する必要がある.そして,消費者はシーズ ンや月ごとに利用する部門を変更している のではないかという仮説にもとづいた百貨

法の説明に続き,本章では剰余価値率の推計

かくて(i)(ii)いずれの場合にも,労働力の中に価値が「実在」すると考える  

(図 3)。2015 年の雇用者(役員を除く)5284 万 人のうち、いわゆる非正規労働者(非正規の職員 ・従業員)は約

労働力の価値と年功序列賃金   (松井)

'

労働力の価値と労働市゜場   (松井)

 先に「計画」では「過労」という言葉がほとんど使われていないことを指摘したが,「生