岡山大学経済学会雑誌31(4),2000,325‑345
労働価値説 と貨幣論
‑伊藤幸男氏の所説 を手掛 りとして‑
和 田 也㌧11̲
Ⅰ.は じめ に
マルクスが 『資本論』 を中心 に展 開 した貨幣論が,労働価値説 を前提 とし ていることは周知である. しか し,彼が課題 とした貨幣の必然性の論証や貨 幣の諸機能の分析が,労働価値説の基礎 をなす労働 による交換価値の実体規 定 といかなる関連 を有するかについては, さまざまな見解がある.労働価値 説 自体 を否定する論者は もとよ り,資本主義分析 における労働価値説の有効 性 を何 らかの点で承認する論者 にも,貨幣論の展開にあたって労働価値説 を 用いない立場 は多 くみ られる.
貨幣論 における労働価値説否定論 は, じつは生産価格論 における労働価値 説否定論 と基本的に同一の論理構造 をもつ.生産価格論 における労働価値説 否定論が, steedmanの研究1において典型的 に示 された ような,労働価値説 の分析上の不要性 を主張す る消極的否定 と労働価値説 に内包 された 「欠陥」
を指摘する積極 的否定の二重の論理 によって構成 されているように,貨幣論 における労働価値説否定論 もまた,消極的否定 と積極的否定の2系統の論理 によって構成 され うる.
steedmanの研究が現代 の生産価格論 にお ける労働価値説否定論 を代表す
1 I.Steedman,MarxafterSraffa,NLB,1977.
‑3 2 5 ‑
るものだ とすれば,わが国の伊藤幸男氏 は, さしずめマルクス派貨幣論 にか んす るSteedmanであるといって もよいであろ う.伊藤氏 の著書 『貨幣の原 理 と展開』Zは,労働価値説の消極的否定 と積極的否定 を高次元で融合 させて マルクス派経済学の貨幣論 に根本的な内容変更 を迫 った,壮大で まれにみる 挑発的な研究 となっている.
小稿 は,現在 もなお労働価値説 を堅持 している筆者が,そ うした伊藤氏の 研究 に触発 されて, 自らの立脚す る労働価値説の方法的基礎 をまとめた もの である.立入った検討の必要上,伊藤氏の著書か らの引用 ・要約が相当の紙 数 を占めてはいるが,それ らはあ くまで筆者の観点か ら抽出 した一面的 ・部 分的なもので,中立的 ・網羅的な書評の ようにはなっていない. また,伊藤 氏の研究が,小塙の検討の対象外である貨幣論 プロパーの具体的な諸問題, たとえば中央銀行券の性格規定や不換 ドルの流通根拠 について も独創的な見 解 を数多 く含んでいることを申 し添 えてお きたい.
Ⅱ.
伊藤幸男氏の交換等式分析伊藤氏は,貨幣論の展開に先立 ってマルクスの交換等式 における交換価値 の実体規定 を検討 し,氏が労働価値説 に賛成で きない理由をそれに代 わる積 極説 とあわせて提示 している.
伊藤氏はは じめに,マルクスの例 にそ くして
「1
クオーターの小麦が Ⅹ量 の靴墨,Y量の絹,
Z量の金な どと交換 された場合」 を取 り上げ, ここでⅩ 量の靴墨,Y量の絹,
Z量の金の交換価値が互いに等 しいのは小麦 との関係においてであ り,Ⅹ量の靴墨,Y量の絹
,
Z量の金の交換価値が一般 に等 し い とはか ぎらない と指摘 している. とい うのは,た とえば 「靴墨 と絹 とがⅩ 対 Yの比率で交換 されるか どうかは,貨幣経済 における一物一価 の確立 を前2 伊藤幸 男 『貨幣の原理 と展 開』 (中部 日本教育文化会,1997年)
労働価値説と貨幣論 991
操 に しないか ぎり言 えない」3か らである. したが って,考 えてみるべ き問題 は正確 にいえば,ある 1商品 (ここでは 1クオーターの小麦) との交換関係 の中で存在す る 「一つの同 じもの」 は何 か, とい うことで なければな らな い.この よ うに問題 を設定 した後 で,伊藤 氏 はマ ル クスの交換等 式
「1
クオーターの小麦‑aツェン トナーの鉄」 を考察 し, この等式 における 「一 つの同 じもの」 は両商品の 「交換価値」その ものであるとしている.す なわ ち, この等式 によって表 されているのは
,
「小麦の所有者 は 自分の小麦 には 交換価値があ り,その 1クオーターは鉄 との関係ではaツェン トナーの鉄 と 交換 される程の大 きさであると考 え,他方,鉄の所有者は自分の鉄 には交換 価値があ り,そのaツェン トナーは小麦 との関係では 1クオーターの小麦 と 交換 される程の大 きさであると考 え,か くして両者の考 える交換価値が一致した」
4
とい う事態 にほかならない.しか しなが ら,伊藤氏の考察は 「交換価値」その ものの段階にとどまって はいない.「商品にあれ これの大 きさの交換価値 を付与す る ものが何 である かはまだ明 らかではないか ら」
5
,交換価値がそれ 自身 とは区別 される 「ある 実質」の現象形態だ とい うマル クスの考 え方 自体 は 「私 に もよ く理解 で き る」 6 .
ただ し伊藤氏 は, この 「ある実質」 を 「抽象的人間労働 の凝固」 にで はな く 「使用価値の社会的有用性」 に求める点で,マルクス とは決定的に異 なる. しか も,その使用価値 は使用価値一般ではな く,交換当事者 にとって の具体的有用性である.なぜ ならば,交換当事者の主要な関心事が相手商品 の使用価値 にあ る一方,商 品の生産 に費や された諸労働 は,彼 らによって まった く考慮 されないわけではないが,交換価値の大 きさを規定する第一義 的要因で もなければ唯一の要因で もないか らである.伊藤氏 はさらに,同 じ3 伊藤幸男,前掲書,8頁 4 伊藤幸男,前掲番,10頁 5 伊藤幸男,前掲書,10頁 6 伊藤幸男,前掲書,10頁
ー 327‑
「抽象的人間労働の凝固」 を含んでいて も諸商品の交換価値の大 きさは一披 に異 な り,交換価値 をもたない場合す らあるとい う事実や,労働 による交換 価値規定の核 となる 「社会的平均労働」概念 には複雑労働 の還元問題等の困 難があることに言及 して
,
「使用価値 の社会的有用性」 こそが交換価値 の大きさを規定する第一義的要因である とい う自らの主張 を補強 している.
概略以上の ような伊藤氏の主張 を知 るに及んで,誰 しもが想起す るのはか のB6hm‑Bawerkによるマルクス批判であろ う.交換価値 の実体規定 にかん す るB6hm‑Bawerkの古典 的批判 は,要約すればつ ぎの4点か ら構成 されて いた7.
(1)交換 は,諸商品の同等性 ではな く,使用価値や所有の不等性 ない し偏在 性 を前提 として成立す る.
(2)か りに諸商品の交換価値 の大 きさが諸商品に共通 な属性 によって説明 さ れなければな らない として も,共通 な属性 は,それ らが労働 の生産物で あることだ とはか ざらない.諸商品には,使用価値一般,稀少性,需要 と供給の対象であること,所有 の対象であることなど無数の共通 な属性 がある.土地や天然資源等 の非労働生産物 までが商品 になっていること を考慮すれば,労働生産物であることは交換価値の実体 として妥当性 の 低い属性であるといわなければならない.
(3)労働価値の計算 に必要 な複雑労働の単純労働への還元 は,諸労働生産物 の市場 における交換比率 を介 して行われるのだか ら,交換価値 の大 きさ を労働 によって説明 しようとすれば循環論 に陥って しまう.
(4)生産価格の労働価値か らの乗離や市場価格の変動 をみれば,個 々の商品 の交換価値 を労働 によって説明で きない ことは明 らかである.か りに説 明すべ き問題 を交換価値 の変化 に限定 した として も,労働 は交換価値の
7 EugenYonBohm‑Bawerk,ZumAbschlusdesMarxL‑ChenSystems,1896,PaulM.Sweezy編, 玉野井芳郎 ・石垣博美訳 『論争 ・マルクス経済学』法政大学出版局,1969年,所収.
労働価値説と貨幣論 993
変化 を引 き起 こす数多 くの有力な要因の一つ にす ぎない.
はた して伊藤氏 の主張 は, こうしたB6hm‑Bawerkのマルクス批判の単純 な再現であろうか.要素的にみれば,た しかに両者 には類似 した議論が多 く 存在す る.Bbhm‑Bawerkが挙 げた四つの批判 は こ とご と く,ニュア ンス こ そ異 なるが伊藤氏の中にも認め られる. しか し,同時 に注 目されることは, 伊藤氏の交換価値実体論が,独 自の価値形態分析 をベース とした貨幣論展開 の準備作業 として位置づ け られていること,交換等式か ら交換価値 の実体 を 析出するとい うマルクスの分析方針 を基本的に継承 したままで経済学的内容 の入替 えを企図 していることである. これ らの点は,労働価値説の 「誤 り」
をお もに生産価格論 を中心 とした価格水準分析 の中で摘 出 し
,
「誤 り」の根 源 としてマルクスの方法 の論理的破綻 を執鋤 に批判 の姐上 に載せ たBbhm‑Bawerkとの,見落 としてならない相違ではないだろうか.
この ような伊藤氏の交換価値実体論 を整合的に理解す るためには,さらに 幾つかの疑問 を解消する必要がある.
真 っ先 に浮かぶ疑問は,そ こで追究 されるべ き 「一つの同 じもの」がいか なる関係の中で見出されてい るか とい うことである.以下では叙述上の節約 のために,具体的な諸商品の関係 に代 えてつ ぎの ような抽象的交換等式 を想 定す ることに しよう.
Xl‑x2
‑X3
‑Xn
ただ し,xl,・‑,xnはそれぞれ第1‑第n商品の数量.伊藤氏 は3種 の関 係 にかん して 「一つの同 じもの」の有無 を述べている.す なわち
(丑x2,‑,Xnはxlとの関係 の中で 「一つの同 じもの」 をもっている.
② x2,‑,Xnがxlとの関係 の外 で 「一つの同 じもの」 をもっている とは
‑‑‑329‑‑
必ず しもいえない.
③ xlとx2,Xlとx3,‑,Xlとxnは そ れ ぞ れ 「一 つ の 同 じ もの」 を もっている.
ところが,伊藤氏が 「一つの同 じもの」が何であるのかを論 じているのは③ の関係の中であって,その内容が①の関係の中で存在するとされた 「一つの 同 じもの」 と 「同 じもの」であるか否かは,直接 には論証 されていない.こ の点にかん しては,そ もそ も両者の一致が,交換等式の成立 という前提条件 のみでは論理的必然 にならないことに注 目する必要があるだろう. とい うの は,xlとx2の間の 「一つの同 じもの」はAであ り,xlとx3の間の 「一つ の同 じもの」はBであ り,‑ といった事態が,形式的には十分 に可能だか ら である.それ どころか仔細 にみれば,xlとx2の間の 「一つの同 じもの」が xlの所有者の側か らはAlであ り,x2の所有者の側か らはA2である,‑ と いった事態や,xlの所有者の側か らはxlよ りもx2のほうにAlが多 く含
まれ,x2の所有者の側か らは x2よ りもxlのほうにA2が多 く含 まれるよ うに思われた結果,商談が成立 して Xlとx2が交換 された・・・といった事態 す ら大いに発生 しうる.伊藤氏が,① における 「一つの同 じもの」 と③ にお ける 「一つの同 じもの」 を 「同 じもの」 と考えていることは明 らかだが,そ うした同一視が可能であったのは, じつは伊藤氏が 「一つの同 じもの」 を諸 商品の 「交換価値」その ものに求めたか らにはかならない.その場合 には, x2,・.・,Xnはいずれ も等 しくxlとの交換可能性 をもってお り, しか もそ れはxlの側か らみた x2,‑,Xnとの交換可能性 と,いずれかの側 の表現 を能動態か ら受動態に変えれば一致するか らである8.
‑万,マルクスは① と③の関係 のみな らず② をも含めてすべ てに共通 の
「一つの同 じもの」が存在す る と考 えたが,この同一視が可能であったの ち,マルクスが交換価値の内容 を結局は 「抽象的人間労働の凝固」 とい う請
8 伊藤幸男,前掲啓,13頁
労働価値説と貨幣論 995
商品に共通の量的属性 に求めたか らであった.言い換えれば,伊藤氏の場合 であろうとマルクスの場合であろうと,諸商品が③の個別的交換等式 を越え て 「一つの同 じもの」 をもつことが確実になったのは,その存在 を裏づける 諸商品に共通の交換価値の内容がそれぞれによって見 出されたか らであっ
て,逆ではないとい うことである.
ともあれ,商品 xl,‑,Xnが③の個別的交換等式 を越えて何 らかの 「一 つの同 じもの」 をもっ ことは,承認 してよいであろう.伊藤氏はこれを諸商 品の 「交換価値」にはかならない としているのだが,次の疑問は,伊藤氏に よる 「交換価値」の内容把握 にかかわる.周知のようにマルクスは,諸商品 の交換比率 を 「交換価値」 とよび,その背後 に存在すると考えられた 「一つ の同 じもの」 を 「価値」 とよんだ.伊藤氏の 「交換価値」は,そうしたマル クスの 「交換価値」あるいは 「価値」 と同一の ものだろ うか.マルクスの
「価値」 についていえば,それが最終的に 「抽象的人間労働の凝固」 に行 き 着 く点で伊藤氏の 「交換価値」 と異なることは確かだが,問題は,伊藤氏の
「交換価値」が 「抽象的人間労働の凝固」 に行 き着 く以前のマルクスの 「価 値」 と等 しいか否かである.
伊藤氏 自身は,著書の第1車の注(3)に掲 げた図の中で,マル クスの 「価 値」 をもっぱら 「抽象的人間労働の凝固」 とイコールの関係 にある概念 とし
て捉 える一方,伊藤氏の考 える 「一つの同 じもの」 を 「交換価値」お よび
「交換比率」 とイコールで結ぶ とい う理解 を示 している9. しか しなが ら筆 者 には,この図解は過度 に簡略化 されたもので,ほかならぬ伊藤氏の理論展 開にそ くしてみるといちじるしく不正確であるように思われる.なぜ なら, 伊藤氏 とマルクスの間には,第1の疑問 として確認 したような 「一つの同 じ もの」の存在範囲にかんする見解の相違があって,その相違が伊藤氏の考え る 「交換価値」 に固有の限定 を与えざるをえないか らである.伊藤氏が 「‑
9 伊藤幸男,前掲書,35頁
‑3 3 1 ‑
つの同 じもの」の内実 とする 「交換価値」 は,マルクスの場合の ようにあ ら ゆる商品間の交換比率 を一括 して含み うる概念 とはなっていない.任意のあ る 1商品を一方の極 に置いた交換等式の範囲内で成立 し, この 1商品 との関 係でみた交換等式 中の諸商品の交換比率である. したがって,伊藤氏の 「交 換価値」 はマルクスの 「交換価値」 よ りもはるかに狭い.先の記号例でいえ ば,伊藤氏が 「一つの同 じ
」
「交換価値」か ら排 除 した x2,
‑,Xn相互 の 直接的交換比率が,マルクスの 「交換価値」 には含 まれている.そ して,こ うした伊藤氏 とマルクスの 「交換価値」 にかんす る相違 は,伊藤氏の 「交換 価値」 を,マルクスの 「抽象的人間労働 の凝固」以前の 「価値」 とも異なっ た ものにせ ざるをえない.伊藤氏の 「交換価値」が,交換等式 中の特定商品 の使用価値量 (前例 ではxl/x2,‑,Xl/Xnない しはxlその もの)であ る のにたい して,マルクスの 「価値」 は,あ らゆる商品の交換比率の背後 に存 在 し,いかなる特定の使用価値か らも区別 される別次元の量的属性 とされて いるのである.伊藤氏 による交換価値 の実体規定 にかんす る最後の疑問は,い うまで もな く交換価値のそのまた背後 に存在する 「ある実質」 を 「使用価値 の社会的有 用性」 に求める氏の主張 にたいす る ものである. この点 にかん しては
,
「交換価値」の 「第一義的規定要因」 はあ くまで 「使用価値の社会的有用性」で あるけれ ども
,
「交換価値 の 「実質」の一要因 としてな ら 「抽象的人間労働 の凝固」 を挙げることは当然」10とい う微妙 な言い回 しが されていることに注 目しなければならない.伊藤氏の こうしたスタンスは,遡ればやは り 「一つ の同 じもの」の成立範囲 と内実 にかんす る独 自の見解 に支 えられている.伊 藤氏の議論では,諸商品の間の量的共通性が任意のある 1商品を一方の極 に 置いた交換等式 中の 「交換価値」で尽 きているので,マルクスの場合の よう にあ らゆる交換価値の背後 にある 「ある実質」 を追究す る必要は もはや認め10 伊藤幸男,前掲書,11頁
労働価値説 と貨幣論 997
られないのである.
ところで,交換価値の背後の 「ある実質」が この ように多様であってよい とすれば
,
「第一義的規定要因」 とされた 「使用価値 の社会的有用性」 自体 も具体的で多様 な有用性のままでいっこうに構 わない と考 えられて も不思議 はない. じっさい, これが伊藤氏の結論であることは紹介の とお りである.しか しなが ら,それが,諸商品の具体 的で多様 な有用性 が 「一つの同 じも の」 として見出 された 「交換価値」 を直接 に規定す るとい う主張であるとす れば,はた して論理的 ・現実的に受 け入れ可能な議論 だろうか.そこでいわ れているのは,た とえばセーター 1着 とステーキ1食の交換価値 はセーター の保温効果 とステーキの栄養 によって規定 されている, といった類の関係で ある. これはいっけん もっともなようだが,保温効果 と栄養がそれぞれの商 品の交換価値 といかなる量的関連 を有するかが不可解であろう. また,保温 効果 と栄養が直接 に比較可能な要因でないことはい うまで もない.現実の関 係 として も,セーター とステーキの交換価値 は,それぞれの生産費,需要 と 供給の価格や所得 にたいする弾力性,超過需要 (超過供給)の程度 と調整速 皮,‑等の さまざまな要因によって直接 ・間接 に規定 されていることは明 ら かであ る.具体 的で多様 な 「使用価値 の社会 的有用性」 と 「一つの同 じも の」 としての 「交換価値」 との間には,まさに数多 くの 「忘れ られた環」が 存在す るといわなければならない.
それでは逆 に
,
「使用価値 の社会 的有用性」が何 らかの抽 象 的同一性 を もった概念だ とした ら,疑問は消散す るであろうか.否であろう.その場合 には,保温効果や栄養 といった具体的で多様 な有用性がそれ らに共通の抽象 的有用性の一定量 に還元 される方法が示 されなければならないが,そ うした 還元が困難であることは,いわゆる基数的効用理論 の衰退史が物語 ってい る.あるいは伊藤氏は,
「使用価値 の社会的有用性」 とい う概念 を,市場 に おける需要ない しは買い手の選択 といった程度の意味で用いたのか もしれな いが,それで は分析すべ き対 象 が たん に言 い換 え られ ただけで,
「交換価‑333‑
倍」の真の規定要因は何一つ解明されないまま残 されて しまう.
マルクスもまた,諸商品が社会的使用価値 をもつ ことが商品が商品 として 実現 されるための必要条件であることを力説 したが,異なる商品の使用価値 が使用価値一般の次元で量的に比較可能であるなどとは考 えていない.諸商 品の需要 と供給が長期平均的な水準で一致 しない場合の価格 (交換価値)汰 定は 『資本論』で も扱われているが,伊藤氏 と異なってそうした分析は,需 要 と供給が長期平均的な水準で一致 した場合の交換価値 を分析 した後でそれ からの乗離 として把撞するという基本方針で一貫 していた.そ して,資本制 下で需要 と供給が長期平均的な水準で一致 した場合の諸商品の交換価値の大 きさは
,
「抽象的人間労働の凝固」 を起点 とした法則的な不等労働量交換の 積み重ねとして説明可能 と考 えたのである.以上 をまとめると,伊藤幸男氏の交換等式分析か ら直接 に看取 される問題 点は,交換等式中に見出される 「一つの同 じもの」の存在範囲が氏の意に反 して論理的必然的に導出された範囲ではないこと,その 「一つの同 じもの
」
が 「交換価値」その もの とされる点はさしあた りの現象描写 として承認 され て も,そのまた背後 に見出される 「使用価値の社会的有用性」は抽象度や量 的規走性が不明確 な概念であ り, したがって 「使用価値の社会的有用性」が どうして 「抽象的人間労働の凝固」 を退けて 「交換価値」の 「第一義的規定 要因」 とされるのかの根拠 も不明確であること,などであろう.
Ⅲ.
伊藤幸男氏の価値形態分析前節でみたように伊藤幸男氏は,マルクスの交換等式 を分析する中で,交 換価値の実体が 「抽象的人間労働の凝固」ではな く 「使用価値の社会的有用 性」であるとい う結論 に達 している.こうした交換価値実体論は,これに続 く伊藤氏の価値形態分析 にどのような影響 を及ぼ しているだろうか.伊藤氏 自身は,交換価値の実体 を 「抽象的人間労働の凝固」 に求めることがつ ぎの
労働価値説と貨幣論 999
ような二つの誤 りを引 き起 こす と主張 している.
第 1は,任意の 1商品の 「展開 された価値形態」の右辺 ‑等価形態 には, それ以外 のあ らゆる商品が置かれるとい う理解である.
第2は,一般 に価値形態の右辺 ‑等価形態 には,本来の使用価値 をもち抽 象的人間労働が含 まれた商品でなければ置かれない とい う理解である.
第1の理解が どうして誤 りとされるのか といえば,それは伊藤氏が 「展開 された価値形態」 を,左辺 ‑相対的価値形態の商品所有者の 「交換欲求」の 表現 と考 えるか らである.等価形態 に置かれる商品が相対的価値形態の商品 所有者の 「交換欲求」の対象だ とすれば,それがそれぞれの 「展開された価 値形態」で特定の諸商品にか ぎられることは当然である.商品所有者の欲望 ない し 「交換欲求」 をベース に価値形態の成立 を捉 える こと自体 は研究 史 上,珍 しいことではないが,伊藤氏の場合 には,それが 「使用価値の社会的 有用性」 を交換価値の 「第一義的規定要因」 とみる立場 と一体化 している点 に特徴 がある.伊藤氏 に よれば, もしも 「価値」が 「抽象的人 間労働 の凝 固」であるとすれば,諸商品の 「価値」 としての同等性 は 「展開 された価値 形態」 によって完全 に示 され
,
「一般 的価値形態」への移行 を必然 とす るよ うな 「価値概念 と表現様式の矛盾」 などは見出されない.マルクスのい う逆 の関連 はつねに含 まれ,直接的交換が成立 して しまうであろう.この ような 「展開 された価値形態」の理解 は,伊藤氏が貨幣の必然性 を論 証す るさいの出発点 となっている.す なわち,いまか りに 「展開された価値 形態」の右辺 ‑等価形態 に左辺 ‑相対的価値形態の 1商品以外 のあ らゆる商 品が置かれるとすれば,任意の2商品の間で直接的交換が成立 し,貨幣の成 立する余地はない. しか し,jR実 には 「= 商品世界 は直接的交換の不成立で充 満 している
」
1ユところか ら,経済全体でみれば諸商品の価値すなわち 「使用価 値の社会的有用性」が立証 されているにもかかわ らず,それ らが実現 されな11 伊藤幸男,前掲書,26頁
‑3 3 5 ‑
い という矛盾が存在する.貨幣は, この矛盾 を解決す るために社会が何 らか の 「合意」 によって生み出 し,諸経済主体 にたい して発行す る 「価値証明の 孝標」 にはかならない. こうした貨幣理解 は,内容的にはいわゆる交換過程 論の論理 による貨幣の必然性の論証であるといって よいが,伊藤氏 はそれを 一貫 した価値形態の発展過程 として表現す ることを意図 している.そ して, そのためにはマルクスの価値形態論 に残 され た 「ほんのわずかばか りの不 備
」
12を除去す ることが必要である と考え,独 自の価値形態, T ‑
\ここ
x2
X J X A X
nを 「忘れ られた環
」 1 3
として 「展開 された価値形態」 と 「一般的価値形態」の 間に挿入す るのである.つ ぎに,第2の理解が誤 りとされる論拠 は,一つには 「今 E]貨幣 といえば 紙幣である」14とい う現実があるが,理論的には,貨幣の成立 ・維持 に不可欠 の契機である 「社会的合意」 と貨幣の本質的機能である 「価値証明」の内容 理解 に密接 にかかわる.す なわち,伊藤氏 によれば,物 々交換 の中か ら交換 当事者の 「無意識 的 な共 同行為」1L=jによって 自然発生 的 に出現す る貨幣 は,
「商品の使用価値の特殊性 に依存 した部分的共通等価物」16にとどまる.資本 主義社会は 「多少 とも発達 した部分的共通等価物 な ど存在 し得 ない ような仝
12伊藤幸男,前掲書,21頁.
13 伊藤幸男,前掲書,19頁.
14伊藤幸男,前掲書,lol賀.
15 伊藤幸男,前掲書,46頁 . 16伊藤幸男,前掲番,48‑49頁
労働価値説と貨幣論 1001
面的商品社会」17であるか ら,その ような 「原始的な物品貨幣」は 「とうてい 資本主義的商品流通 を支 える もの とは言えない
」 ユ 8
.資本主義的貨幣の形成 に は,
「意識的 ・計画的」 な社会的共同行為 によって得 られる社会的合意が必 要であ り,その 「もっとも典型的で完成 された形態 は国家 による貨幣制定で あろう」 1 9
.この場合 には 「貴金属貨幣 といえ ども,その一般的購買力はその 素材 の使用価値の社会一般的有用性 に基づ くものではな く,それが貨幣 と認 定 され共通の了解が成立 しているか らと言 って よい」 2
O.そ して,
「貨幣が直接表現するもの」21は,商品の 「抽象的人間労働 の凝固」 とい う側面ではな く
「使用価値の社会的有用性」であるか ら,貨幣素材 自体が 「抽象的人間労働 の凝固」 した物である必要はない といって よい.
もっとも,貨幣素材が 「抽象的人間労働 の凝固」 した物である必要はない として も,た とえば貴金属のような労働生産物が貨幣 として機能する上で有 利 な物理的特徴 を多 くもっていれば,貨幣の発展形態は,結果的に本来の使 用価値 をもち抽象的人間労働が含 まれた商品に落ち着 くことになるだろう.
しか し伊藤氏 は,紙幣 と比較 した貴金属貨幣の さまざまな欠点 を列挙 してこ うした可能性 にピリオ ドを打 っている.すなわち,稀少 な貴金属 だけでは恐 慌時の貨幣需要の急膨張 に応 えられないこと,摩滅 しやすいこと,持 ち運び
に不便 なこと,低額の貨幣 を造 りに くいこと,などである22.
以上のような価値形態分析 における伊藤氏の議論 は,はた して正当なもの であろうか.結論的にいえば筆者は,伊藤氏の貨幣の必然性の論証が交換過 17伊藤幸男,前掲書,49頁.
18 伊藤幸男,前掲書,63頁.
19 伊藤幸男,前掲書,77頁.なお,伊藤氏 は,貨幣の形成 だけでな く管理 に も国家の役 割が原理的に不可欠であることを指摘 している.それは,た とえば貨幣の鋳造 ・贋金 の排除 ・通用最軽量自制の実施 ・補助貨幣や紙幣の流通などにかん してである.
20伊藤幸男,前掲書,79頁.
21伊藤幸男,前掲書,79頁.
22伊藤氏 は他方で,紙幣は社会的合意が崩壊 した り存在 しない場合 に無価値 なることを 指摘 しているが,そのことが絶対的 ・恒久的なデメリッ トであるとは考えていない.
‑33 7 ‑
程論の論理 を基調 に している点 と,一一般的等価形態 に置かれるべ き貨幣 を労 働生産物の商品形態 に限定 していない点は,いずれ も肯定的に評価 したい.
しか し,こうした基本的に正 しい分析方針が労働価値説の採用 によって誤 っ た方向に曲げ られて しまうとい う伊藤氏の主張 には,同意で きない.労働価 値説は,理論の構成次第では,交換過程論の論理 を基調 とした貨幣の導出 と
も紙幣や電子マネー といった非 「物品貨幣」 とも矛盾な く両立可能である.
それ どころか,交換価値の実体 を労働 に求める分析視角 によって,貨幣が市 場経済における社会的分業の編成のために果たす不可欠かつ特殊歴史的な役 割が浮かび上が って くる, とい うのが筆者の見解である.
Ⅳ.
労働価値説の再構成交換等式 と価値形態 にかんす る伊藤幸男氏の分析 は,たいへ んに刺激的な 労働価値説否定論であった. しか しなが ら,詳細 な検討 を終 えた今で も,筆 者の立場が労働価値説擁護であることは変わ らない.その論拠 を明確 にす る ために,本節では,これ までに随所で指摘 して きた諸問題 を念頭 に置 きなが ら,伊藤氏の貨幣論が もつ積極面 と整合的に結合 させ うる労働価値説の理請 構成 を,幾つかの段階 を踏んで提示 してゆこう.
は じめに,諸商品の交換価値の実体 を労働 に特定することが,いわゆる交 換等式の分析 によって本当に可能か どうかだが,これは二つの理由で不可能 である.その一つは,第2節で述べ た ように,あらゆる商品に共通 な 「一つ の同 じもの」が存在す ることが交換等式の成立のみか らは必然的に導けない とい うことである.い ま一つ は,B6hm‑Bawerk以来繰 り返 し指摘 されて き たように,あ らゆる商品に共通な 「一つの同 じもの」が存在す ることは受け 入れ られた として も,諸商品にはそれ らが労働 の生産物であるとい うことの ほかにさまざまな共通の属性があるとい うことである.
しか し,交換等式分析 のこの ような限界は,直 ちに労働価値説の否定 につ
主体的要素
客体的要素
労働価値 説 と貨幣論 1003
労 冊 力 ;労 働
(過程 を起動)
(変換)
労働 対象 >労世成果 図1 一般 的労働 過程 の構 造
ながるものではない. というのは,マルクス派経済学の労働価値説が拠 って 立つ究極の基礎 は
,
『資本論』第 1巻冒頭の商品分析や交換等式分析ではな く,第5章第 1節 「労働過程」で与えられた生産の歴史貴通的な構造認識だ からである.筆者は,これを 「労働過程論 の視角」 とよび,以下のような諸 命題の連鎖に拡充 ・整理 している23.① 人間が,何 らかの目的に有用 な外在的事象の獲得 を意図 し,その手段 と して意識的にお こなう活動 を労働 とよぶ.また,労働 を可能にする人間 の肉体的 ・精神的諸能力 を労働力 とよぶ.
② 労働過程 を構成する諸要素は,労働 の本質規定①か ら図 1の構造中に位 置づけられ,合 目的的な内容 と量的比例 を要請 される.
③ あ らゆる労働 は,生命体 として同種 な人間の生存時間の断片であ り,か つ共通の本質規定① と構造的位置② をもつ点で,同質的である.
④ 労働過程の合 目的的編成② と諸労働 の同質性③ を前提 とすれば,個 々の 労働成果を獲得す るために直接 ・間接 に必要 とされた総労働 を求めるこ
とがで きる.これを当該成果の投下労働 とよぶ.
23和 EE!豊 「マルクス派経済学の貨幣理論 一労働過程論の視角 による原理的解 明‑
」
『岡山 大学経済学会雑誌』第25巻第3号,1994年2月, を参照. また,伊 藤氏 が研 究生活 の 中で大 きな影響 を受 けた大 島雄 一 『価 格 と資本 の理論 ‑現代 マ ル クス経 済学 の‑展 開‑』 (未来社,増補版1974年)では,価値法則が 「生産 。椴の本源的法則」 とされて いる点 にも注 目されたい.‑339‑
ここで,生産 にかんす る命題
⑤ 人間によって有用性が認め られた事象の フィジカルな属性 を使用価値 と よぶ. また,人間によって意図 された外在的使用価値 の獲得 を生産 とよ ぶ .
⑥ 生産は人間の生存 に不可欠である.
を前提 し,これ を労働過程論の視角① ‑④ か ら捉 えると,つ ぎの命題が得 ら れ る.
⑦ 生産にかかわる人間の意識的活動 は労働 である. これ を生産的労働 とよ べ ば,生産過程 は生産的労働過程 を含み,命題② ‑④ は生産的労働 に具 体化 された形で再述で きる (図2は図1を具体化 した もの).
⑧ 生産的労働 は人間の生存 に不可欠である.
さらに,社会的物質代謝 にかんする命題
⑨ 社会の複数の構成主体 にまたが る使用価値の生産 ・分配 ・消費の総体 を 社会的物質代謝 とよぶ.
⑲ 社会的物質代謝は人間の生存 に不可欠である.
を前提 し,これに 「労働過程論の視角」か らみた生産認識⑦ ,⑧ を適用する と,つ ぎの命題が得 られる.
⑪ 社会的物質代謝 は,諸使用価値の投下労働 を用いて記述で きる.これ を 生産的諸労働の社会的循環 とよぶ.
⑩ 生産的諸労働の社会的循環は人間の生存 に不可欠である.
以上の諸命題の内容 は,基本的にはマルクスの認識 を継承 した ものだが,労
生 産 的 労 働
労 働 対 象 . ‑ 使 用 価 値 図
2 生産的労働過程 の 構 造
‑
労働価値説と貨幣論 1005
働 の一般的規定 と労働過程の構造認識 をは じめか ら生産的労働 に限定 しない 点でマルクス と異 なる.いずれにせ よ 「労働過程論の視角」か ら捉 えた生産 においては,無数 にある生産諸要素の うちで労働 のみが主体的 ・根源的な要 素 とされ,生産 された使用価値が労働の投下量 に還元 されている.こうした 分析視角が,唯一絶対の ものではな くて選択 された ものであ り,分析視角の 選択基準が,それによって得 られる分析結果の有益 さに大 きく依存すること はい うまで もない.
ところで,労働 による交換価値の実体規定が 「労働過程論の視角」 によっ て究極 的 に支 え られるのであれば,交換等式 の分析 は労働価値説 の展 開 に とって まった く無意味であったのだろうか.そ うではない, とい うのが筆者 の考 えである.交換等式 は,確かに全商品に共通の 「一つの同 じもの」が必 ず存在することを示 しては くれないが,それが必要 とあ らば存在 しうること を示 している.そ して, さきに述べたように 「労働過程論 の視角」か ら社会 的物質代謝 を 「生産的諸労働の社会的循環」 として把握す ることが歴史貫通 的なレベルでつねに可能であるとすれば,いずれの経済 システムの内部で も それぞれに特殊歴史的な生産的諸労働 の存在形態 と生産的諸労働 の社会的循 環 を可能 にす る機構 とが備 わっていなければならない.市場経済では,商品 と貨幣がその存在形態であ り,商品流通 ‑交換がその機構である. したが っ て 「労働過程論 の視角」 をいわば光源 として交換等式 を照 らし出せば,諸商 品に投下 された諸労働が相互 に社会的な関係 を取 り結びつつ流れてゆ く様子 が透か し絵 の ように浮かび上が って くるのである別.
さて, この ように して労働 による交換価値の実体規定の基礎が与 えられた としよう.つ ぎの問題 は,いかなる労働が諸商品の交換価値の実体 になるの か とい うことである.マルクスの労働価値説 を継承す る論者の多 くは,商品
24 前掲拙稿 においては,交換等式 を分析すれば全商品に共通 な 「一つの同 じもの」が析 出されるもの と考 え られてお り,交換等式分析の こうした限界 と意義 は認識 されてい なかった.
‑3 4 1 ‑
の交換価値の実体である価値が,それを生産するために社会的平均的 (もし くは社会的標準的) に必要 とされる投下労働 によって与えられると考えてい る. しか しなが ら,筆者は,それは当該商品の投下労働ではな く支配労働 に よって与えられなければならないと思 う.そ して,商品交換が直接交換では な く貨幣 と一般商品 との交換 という間接的形態 をとる場合には,商品の価格 に相当する貨幣の社会的平均的支配労働 (その貨幣量 によって購買可能な諸 商品の投下労働の社会的平均)が,商品の交換価値の背後 に存在すると考え るのである25.
諸商品の交換価値の実体 をそれぞれの商品の支配労働 に求めることは,商 品の 「交換価値」の意味する内容が当該商品 と引 き換 えに獲得可能な他商品 の数量であることか らも, きわめて自然な把握である. また,これはけっし て投下労働価値説 と矛盾する見解ではない.いずれの商品の支配労働 もその また実体は,当該経済の諸部門で諸商品の生産のために投下 された諸労働 に はかならないからである.
さらに,諸商品の価格が表す交換価値の実体 を社会的平均的支配労働 に求 める見解は,労働価値説にもとづ く貨幣や価格水準分析の理論構成にも大 き な変化 をもたらす.貨幣はそれ自体の投下労働 をもたな くて も,社会的平均 的支配労働 を有することによって,貨幣 として十分 に機能で きる.また,従 来の単純な投下労働価値説では,労働価値体系 もしくは 「価値価格」体系の みが,投下労働の体系 もしくはそれに照応する価格体系 として,生産価格体 系 ・市場価格体系 ・独占価格体系 といった 「価値価格」以外の諸価格体系 に たいする本源的な地位 を許 されていたのであるが,新たな支配労働価値説で
25 こう した貨 幣 の社 会的 平均 的支配労働 の規 定 は,D.K.Foleyらを中心 とす る欧米 の転 化 問題研 究 で脚光 を浴 びた 「貨幣価値」概念 と基本 的 に同 じであ る.そ う した欧米 の 諸研 究 を紹介 ・検討 した もの と して は, さ しあ た り,和 田豊 「欧米 にお け る転 化 問題 論 争 の 現 局 面‑1990年 代 の研 究 を 中心 に‑
」
『岡 山 大学 経 済 学 会 雑 誌』第30巻 第3号,1999年3月,を参
照.
労働価値説と貨幣論 1007
は,労働価値体系 もしくは 「価値価格」体系 と他の諸価格体系 とが,実体的 にはいずれ も支配労働 の体系 として同質の もの とみなされる.他方,真の投 下労働 は,個 々の商品の生産 に実際 に投下 された個別的投下労働以外 には存 在 しない. したが って,た とえば労働価値体系 もしくは 「価値価 格」体系 は,すべての市場で1物 1価が成立 した場合 に発生す る不等労働量交換の結 果,諸商品の個別的投下労働 から乗離 した,市場経済一般の レベルの支配労 働体系であ り,生産価格体系 は,諸生産部門平均利潤率が経済全体で均等化 した場合 に発生す る不等労働量交換の結果,労働価値体系 もしくは 「価値価 格」体系か ら乗離 した,資本制経済一般の レベルの支配労働体系である,‑・
といった具合で重層的に位置づけられてゆ く26.
そ してまた,この ような貨幣や価格水準分析の理論構成の変化は,分析対 象 とされる商品の範囲にも影響 を及ぼす.従来の単純 な投下労働価値説の も
とでは,商品 として市場で売買 される ものの中で労働生産物だけが プラスの 労働価値 をもったのであるが,新 たな支配労働価値説 によれば,非労働生産 物 まで もがその価格 に対応 した社会的平均 的支配労働 を有 し,必要 に応 じて 価格体系の中に組み込 まれ うるか らである27.
最後 に,以上の ように して労働価値説の 「難点」が解消 されて も,労働価 値説の分析上の不要性 を主張す る消極的否定 はなお残 るであろ う.「交換当 事者 にとって主要な関心事 は使用価値 に他 な らない」 ところか ら 「交換価値 の第一義的規定要因」 を 「使用価値の社会的有用性」であるとした伊藤説は
26 こうした価格水準分析の理論構成 にかん しては,和 田豊 「マルクス派経済学の価格理 論 一不等労働量交換の重層的展開‑」『岡山大学経済学会雑誌』第26巻第3・4号,1995 年3月,お よび和田豊 「結合生産商品の労働価値規定‑不等労働量交換分析 の‑一・環 と
して‑
」
『岡山大学経済学会雑誌』第28巻第2号,1996年8月,の該当個所 を参照, 27 こうした分析対象の拡張 は,あ くまで必要が生 じた場合 に選択 されることである.漢た,拡張 された場合で も,非労働生産物の投下労働がゼロであることはい うまで もな い. したがって,貨幣の社会的平均 的支配労働 を労働生産物のみで規定すれば,非労 働生産物 を含 む諸商品の総価格が表 わす支配労働 は,給投下労働 よりも名 目的に大 と
なる.
‑3 4 3‑
その典型である28.この ような見解 にたい しては,まず もって交換当事者の 意識だけが経済学の分析対象 として 「第一義的」な現実ではないことを,当 然のことなが ら指摘 したい.加 えて,これが とくに大切な点であるが,経済 を構成する使用価値の体系 と労働の体系 と価格の体系は形式的には互いに同 値の関係 に置かれているので,そのいずれを 「第一義的」 と考えて分析 を行 うかは経済学的な 「選択」ない しは 「意味づ け」の問題 だ とい うことであ る.それは,たとえば交換過程論の論理 を基調 として貨幣 を導出す る場合 に
,
「欲望の二重の一致の困難」か ら間接交換の不可避性 を説 くことはもち ろん可能であるが,
「私 的諸労働 にたいす る社会的承認 の困難」 ない しは「私的諸労働間の社会的分業の困難」か ら間接交換の不可避性 を説 くことも 等 しく可能であるとい うことにはかならない29.
V. おわ りに
小塙では,伊藤幸男氏の著書 『貨幣の原理 と展開』 において展開された壮 大かつ挑発的な労働価値説否定論 を検討 した.筆者の結論 は伊藤氏の主張 に 反対であ り労働価値説の擁護であるが,そのためには労働価値説の展開にた い して交換等式 と価値形態の論理的分析が有する限界 を乗 り越えなければな らない.この限界は,マルクスによる論理的分析が不徹底であったところか ら生 じた限界ではな く,論理的分析 をマルクス以上 に徹底 させることによっ て明 らかになる限界である.その意味で伊藤氏の労働価値説否定論 には一理 あ り,B6hm‑Bawerkのマルクス批判は的確であったといえよう.
28 伊藤幸男,前掲番,10頁.
29′ト稿の冒頭で指摘 した貨幣論 における労働価値説否定論 と生産価格論 における労働価 値説否定論の同一性 は,内容的には,使用価値の体系の内部で完結 した分析が可能だ か ら労働の体系 を分析す る必要は認め られない, とい う共通の見地 によって支えられ .ている.
労働価値説と貨幣論 1009
しか し,労働価値説擁護論 には,交換等式や価値形態の分析 とは別の強固 な基礎が同 じ 『資本論』の中に準備 されている.労働価値説は歴史貫通的な
「労働過程論 の視角」か ら再構成す ることによって復活 させ ることがで き る.そ うして得 られる労働価値説 は,個別的投下労働の体系 を起点 とした支 配労働価値説であ り,その もとでは,貨幣の必然性 と諸機能が市場経済 にお ける 「生産的諸労働 の社会的循環」 を可能 にす るもの として,また諸商品の 価格水準が各種の 「不等労働量交換の重層的展開」 を表す もの として,それ ぞれ分析 されるのである.
小塙の内容 にかん しては,筆者の浅学ゆえに思わぬ誤解や欠陥が散見 され ることを恐れる次第だが
,
「若 き日」 に「
『資本論』 こそ最高の経済学である と思 った」30伊藤氏のご再考 とご教示 を切 にお願い したい.30伊藤幸男,前掲 奮,は しが き
‑345‑