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ジョサイア・チャイルドの貿易論(下)

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(1)

。シ

。サイア・チ。イルドの貿易論 ︵下︶

β

七 し  チャイルドの貿易論も、原則としては、道内涜業との關連において、.原料の輸入と製品の輸出ということを志向してい

た。しかし、彼が、製造品の輸出貿易および原料の言入貿易とならんで、他の貿易を踏んでゆくべき貨物を供給する貿易

に一いいかえると東インド畜産的中綴貿易に特殊の地位をあたえていることは、彼をトーマス・マンの後新考として特

徴づける。   彼は書いている。 ﹁名号ある東インド琴芝が楡出するよりもはるかに多くの貨物をイギリスへ輸入すること、およびその貨物を購入  するために年々多量の金と銀を搬出することを同製は否定しないであろう。けれども世界の貿易についτ何物かを理解しているものは  誰で6、イギリスがその貿易によって損失をするとは断言しないであろう。オランダ人は東インドの貿易が彼等に有利なのぱアメリカ  における金山布よび銀山がス。ヘインの國王にとって有利であるより以上だと評古しているが、立派に理由のあることである。そして、  もしイギリスの會肚が議了の七型によってオランダ人がもっているほどの纏威をあたえられ、それによつτオランダ人がなすほど十分 置の貿易をそこで嵩むよう翼翼されたならば、それは同肚の成員の私的利得よりはむしろこの王國一般の公盆に資オるであろうと私は信  する。さもあらばあれ、それがこの國民の現在管6/でいる最も有利な貿易であることを証明するのは、困難ではないであろう。けだ  し、第一に、この貿易は不臨にイギリスにおける最も戦争に適した船舶を二+五隻ないし三+隻使用し、各船舶は五十名ないし百名を  使用するが、二・三年のうちには一髪多くを使用するにいたるであろう、そしてこの貿易を治こなうために同肚は最近強制されること ジョサイア・チャイルドの貿易論 ︵下︶ 四一

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ジョサイア・チャイルドの貿易論 ︵下︶ 四二  なしに大船の建造にいちじるしい奨働をあたえてきたが、これは好影響をおよばしてきた。第二に、それは三民に不蜥かつ十分に硝  石という現代においでは敏くことのできない材料を供給する。第三に、それは國民を雇傭しで年々十五萬ないし十八萬ポンドに干する  胡微.藍・キャラコおよび若干の有用な藥晶を清費するをえせしめる。第四に、それは我々に年々二・三十萬ボンドに点耳るトルコ・        ロンゲクロじス   イタリア・スペイン・フランスおよびギニアの貿易に適した胡椒・寳貝・高級綿布およびその他のキャラコならびに染料を供給する。  この供給がなかったならば我々はこれらの貿易を蕾んでも大した利盆をおさめえないであろう、そしてこれらの輸出品は外國において  ーイギリスへもちかえれば−一同肚がここから鹸出する正貨の形での財欲の六倍を生む。そこで、上述の利釜だけでなく、さらに、  もし我々がそれらの供給を奪われたならば、人数および軍備の点でも、また艀舶や硝石に弄しても、國民はいかなる損害を蒙るであろ  うかと三重に考慮するならば、さらにまた、それが上に遽べた他の多くの貿易にあたえる助成に關して愼重.に考慮するならば、この貿  易は一その轍入がその豊艶を超過するとはいえーイギリスにとって最も有利な貿易であることが容易に明かとなるであろう。けだ  しもし我々が我々のすべての胡椒やキャラロなどをオランダ入から買わなければならないとすれば、彼等は我が胡搬︵それはいま國民  にとウインドではポンドあたり約三シリングにつくにすぎないのであるが︶を、彼等が肉立直冠・丁子および干肉豆州冠の貿易を聾.恥しで  以來、これらの貨物へそれはオランダ入にとりインドではポンドあたら胡椒よりそう高くはっかないので.あるが︶を騰貴きせた割合な  いしそれに近いところまで引上げるであろう。そして、イギリスに蓄けるキ†ラコ使用は一葉高い便格で外国のリンネルによつτ供給  されるであろう。その結某、この士民の猛悪から確保されうるものは、おそ5。く、彼等にとって、現在よりは年に四十萬ポンド以上高  くっくであろう。そしで、イタリアやギニアなどに封ずる置鼓[の貿易は、上述した供給の敏如のために、一部分衰退するであろう。﹂   と︵︾咳¢♂くb﹃02螢OO馬麟、毎︵5亨Hゴー姓嚇︶o  チャイルドは右のごとく束インド貿易の重要性を張調することによって東イ、ンド會瓶を擁護しているばかりでなく、さ

らに東インド魯瀧そのものの組織を讃美することによってこれを擁護している。すなわち、國王が同盟爾係をもたなかっ

たり、あるいはその距離∴野籔ないしはキリスト教國の君主との無交渉等のために同盟關係をもちえす、軍隊や塗量を維

持することが必要であるような國々に回しては、商入倉産が絶封に必要であり、それ以外の場合には商入含肚は疑わしい

存在であるが、fしかしてこの種の商人耳食には﹁株式魯試﹂︵○し日℃讐臥。ω言さ響けωけco貯㌧と﹁制規倉猛﹂︵OoヨO拶三〇ω

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       も ≦ず。三巴①β♀び団曽す幹ωεoぎび葺○βぞ母Φ瓢巳①吋螢臓。<Φ琶ヨ。暮曽巳﹃Φツq三鉾凶。ロ︶との二形態が匿別され、前者

の方がより多く公釜に合致するが、東インド倉砒はこれらの條件に最もよく合致した商人會灘だというのである。

、 ∂  彼は書いている。﹁貿易の制限はすべて無釜であり、したがって、いかなる曾祉もf株式會紅であれ制規宙肚であれ一臣民のす べて或はいすれでもが極く少額の人肚金でもつて容易に何時でも問題の會肚のすべて或はい率れかに加入することができるのでなけれ ば、公共の編利に合致するものとはいえない。そして、もし人肚金が加へにともなう一切の負担をふくめて二十ポンドを超えるなら ば﹂それは遍大である。⋮⋮貿易によって最も繁託しており且つ繁榮への最も確實な準則をもつているオランダ入は、自馬身の何人に も、いなそれにとどまらず、ユダヤ入にさえ、そしてすべての挿類の他國入に、自学のい串れの商人團休にも、また自國のいすれの都 市もしくは自治町にも参加するの自由を認めているがゆえて、ある。世界の何物も、 一般の参加を認めることがもたらす入手と資本の増 加ほど、我々をしでいかなる貿易においてもオランダ人と赦雫するをえせしめるものはない。多敷の人手と多量の資本は、人間と貨幣 が職争に必要であるのとおなじく、どの貿易の繁榮にとつτも必要である。會肚が銀翼に封ずる幅利としてあげうるのは、ただ箪に貿易 の秩序と統制のみである。そして、もしそれが維持されるならば、︵五って統轄に服するすべでのものの蓼加を認めることはbこれの 妨げとなりはしないであろうが︶、會祉の望む皇民の細利はこれによって蓬成される。:⋮オランダ人は、イーストランド會耽をもつ ていないけれども、東部諸地方と我々のおこなう+倍の貿易をおこなっている。また、イタリアやスペインやポルトガルについては、 我々は曾肚をもつていないけれども、オランダ入よら多いとはいえないにしても、これに劣らないだけの貿易を留保してきた。また、 ロシアやグリーンランドについては、我々は︵たしか議會の條例によつτ設立された︶會祉をもつているけれども、我が貿.易は實質上 全然失われているのに、オランダ人は會祉なしにその貿易を現在我々の手に満っている貿易額の四十倍以上にも増加せしめてきた。こ のことから、つぎのことが推論されうる。船制限され範士を限定された興野は、それだけでは貿易を維持し増加せしめるにたらないと     や いうこと6励二三を限走された會肚は、議魯の野寺によって設立されたものであっても、貿易を失うことがあるということ。㈹會批が なくとも貿易はキリスト教國のいかなる地方ともおこなわれることができ、増加せしめることができるとかうこと。㈲我々は會融に限 定された貿易においてはすべでの臣民が雫等な貿易の自由をもつできた他の貿易におけるよりも衰退をしめしできた、すくなくもその 増加において劣るものがあったということ、これである。﹂と︵同一一一i止四頁︶。       も  も  も  も  へ  も  た  も  も  も  も  も

このようにチャイルドは、いわばキリスト教世界内における自由貿易論を展開した後、つづけて、これに淫して豫想さ

ジョサィア・チャイルドの貿易論 ︵下︶ 四三

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ジョサイア・チャイルドの貿易論︵下︶ 四四 れる反封論を一々駁撃し、束インド皇胤的組織原則の模範的優秀性を論結している。       シヨブキ﹁パー..ス   ます、 ﹁もしすべての人がこのように容易な條件でどの商人會瀧.に加べしてもよいことになるならば、青年紳士や小亭商人やその        マーチヤント  他いろんな人々が貿易商人になるであろうが、彼等は熟れないために、ここでは我が本國商品に高く支点い、これを外國で安く費  りまた外國で外國商品を高く買い、それをここでその費用以下で当り、自分自身の破滅と貿易の破壌にみちびくであろう。﹂といった  反⋮封に心して、いっている。 ﹁各個人として日分のことに注意せしめよ︵鐸﹂と戸a。三鴛巨︻・同二。。げざ艶・冒葛。ヨプ中︶、そうすれば疑いも  なく彼等ばいま會肚のある貿易においでも、會阯のないものにおけるとおなじことをなすであろう。立法者の注意が第一に且つ宅とし  τ配慮すべきは人民全体であって、各個人ではない。そしで、もしかくも容易な加入の結果が、いわれるごとく、我が心眼晶を外國で  安くし、外寸昂をここで安くすることであるならば、我が懸腕一般は幽方から利釜をおさめることになるであろう。﹂と︵同一一四、−   一五頁︶。彼の見るところによれば、﹁國民一般の共通の利釜は安く買うことなのである﹂︵同一一六頁︶。つぎに、﹁もしすべτのもの  がかくも容易な條件で許されるならば、それは、トルコ會就やハンブルグ曾祉がなしてきたごとく、外國において特灌や免税灌を購入  するために自ら或は先輩が多額の支挑をなした商人會砒に封ずる不正ではなかろうか﹂という反理論を繁く一蹴し︵同一一八頁︶、最  後に、﹁もしすべてのものが上述のごとく加入を認められるならば、多激の小費落入その他が︹貿易︺商圏闘体に入ってきて、多数決に  よってそれぞれの會瀧の絡裁・副総裁および助役を大々的に攣更し、無智な人々をそれらの支配的地位につかしめることによって、そ  の貿易に一般的な損害をあたえるであろう﹂という反⋮封に答えτ、書いている。 ﹁一年忌二十人もの小事商入が一曾祉に入ってきて、  選塁にいちじるしい影響をおよぼすというようなことは考えられない。しかし、もっと多くが入ってくるならば、それは亡霊にとって   一旦よいことであろうし、會肚にとっても悪いことでないであろう。けだし、すべての人々は自分の利釜によって導かれるものがある  からである。そして貿易が賢明にして正直であら且つ有能な人々によって統制され支配されるということは、どの貿易にせよこれに從  平するすべτの入塾の共通の利釜︵・・あるから、疑いもなく大抵の人々は自分がそうであると﹂評賞するような人々に投票するものであ  る。このことは東インド曾祉の場合に明白であって、この隠勢においては最初紳士も小叩商人も排除されなかったが、現在もまだ除外  されていす、イギリス人は誰でもその會瀧に加罪することを許されているのであつで、そうするためには株を買い、加入料として會杜  に五ポンド支台いさえすればよく、しかも打消しがたい纒瞼はこの点に費してすべての反⋮封者を納得させτきた。そしてこの會瀧はき  わめで廣範な國民約基礎をもつてきたので、また、以前にそれが挾隆な基礎の上に立っていで何人む五十ポンド以下ではその會肚の自  由を享受することを許されえなかった頃よりも、打響きはるかに立派な総裁や副絡裁や助役をもつτきた。このことは、成功をもつで

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 報いられた。けだし、狭く限られた利釜に固着した最初の會肚は、現在のそれよりも大きな資本をもつていたけれども、嚢退し、絡に  は破滅し崩愛したのに反して、現在のそれは一頭合理的な・したがって一穂.公正でもあれば一暦有利でもある原理を基礎としでいるの  で紳の慈みをうけて新畑し最初の資本の三倍にも護冠してきたからである。﹂と︵同一一九−一一二〇頁︶。かくして、チャイルドによれ  ば、東インド會就はその内部組齢纐からいつでも、商人會肚の模範として推奨するにあたいしたのである。        も  た

 却々、チャイルドは、東インド貿易を擁護したが、しかし彼は軍に東インド含肚のために同貿易を擁護したのではなか

       も  セ  カ

つた。そうではなくて、同貿易が軍に束インド會瓶の利下にとどまらす同時にイギリス國民増力の利釜に合致するものと

して、これを擁護したのである。實際、 ﹁少数の一部が少し苦しもうと、多数入民の幅利を配慮するのが立法者の慧智で ある﹂というのが︵序文三二頁︶、彼の信條となっていた。そのため、彼は護者の﹁私慾を去った肌國への全的愛情﹂を要 求して、こうも書いている。 ﹁商人の下墨と王國の利得とは必ずしも並立するようなものではけっしてなく、それらはし

ばしばたがいに背馳するものである、もっとも大抵の入々はその教育と業務とによってその目と狙いとを杢く前者に固定

しつ、も、貿易に蒸する思想と議論においては通常これらの二つを混同している、しからざれば前者を後者と考えちがい

している。そしてそこから貿易に弄する談つた方策や多くの通俗的な誤謬がおこってきたのであるが、その若干は人々の

しばしば犯す誤解のゆえに一般的となっているほどで、ただに一般の人々ばかりでなく、もし上述の匿別を正しく考察し

たならば一二よく知ることができたであろうような人々の口からもしばしば聞かれるのである。﹂と︵同四一頁︶。  このように見てくると、 ﹃貿易新論﹄の全休は、けっして軍に束インド樽就を擁護することをもって主内容とするもの        ︵註︶ ではなく、イギリスの全貿易を擁護せんとするの意圖をもつものであったといってよい。いいかえると、それは、 ﹁①我       ストノク

々はすでにあまりに多くの思入をもつ。働イギリスの資本はイギリスの貿易にとってあまりに大きすぎる。⑧何人も二つ

の職業に從事すべきではない。ゆ特に小賛商人︵ωげ︵︶oぎ8爲︶は貿易商人︵言誤。疑5¢たるべきではない。噺奢移とあ

る程度の浪費は有利でありうる。㈲我々は十分の人民を、雇傭しうる以上の人民をもつている。㎝工匠をして欲するだけ

   ジョサイア。チャイルドの貿易論 ︵下︶       四五

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   ジョサイア・チャイルドの貿易論 ︵下︶       四六 の徒弟をもたしめることは、貿易を破滅させることである。㈹他國人を受入れることは、我々自.身の口からパンを奪い食 う他人を呼びいれることである。働その他の自由民︵蹄ΦΦBp﹂昌︶でないものは何人も團体で生活したり貿易したりすべき       

ではない。10また自由民の息子であるか七ケ年の徒弟奉公をつとめたことのあるものでなければ、何入も自由民たりえな

     ︵        

い。11一割の塵事で三百ポンドといった割合の取引をするよりは、二割の学制で百ポンドだけの取引をする方がよい。12

  ︵       ︵ 我が植民地はイギリスの入口を減少せしめ、したがってこれを貧乏にする。L︵同四一一四三頁︶などと主張する普通一般の 誤謬を訂正せんとするの意圖をもつていたのである。 ︵註︶ この点に關蓮して、チャイルドが商人を農業者および工業者と同列に國民の富の創造者の例に立たせていることは、銘記さるべき  である。すなわち、いう。﹁商人︵冒話危μ§冨︶・工員︵鴛鉱津戸・桑︶・農業者︵営二胃;嶺︷︶=導傷︶は一そしτ彼等に依存する入玉すなわ  ち船員・漁夫・家畜飼養者・園藝家等は、これを簡潔にするために我々はここではこれらの一般的名辞の一つにふくめてよいがーーそ  の努力と勢働︵。・欝ξ巳益ぎぎ一己によって一彼等だけではないとしτもi−主としτ外邦から一二民に富をもたらす三種の入々で  ある。碁勢の入々、すなわち貴族・進・貴族・法律家・瞥者・あらゆる種類の學者および小費商人は、國内においてそれを或るものから  他のものへ手渡しするにとどまる。﹂と︵同二七頁︶。

 かくしてチャイルドは軍に東インド會託のために東インド貿易を擁護したのではなくて同時にイギリスの全貿易を擁護

      も  も  へ  も

するところがあったといってよいが、しかし、彼がイギリスの全貿易を擁護したのは、どこまでもオランダとの封抗にお

いてであった。すなわち、 ﹁ネザーランド入の内外貿易・富および船舶数の莫大な塘加は、現代の羨望の的であり、將來

世代の驚異であるかも知れないが、しかも彼等がよってもってかくも進歩した方法は十分に明かであり、大部分は他の大

抵の諸國民によってしかもこのイギリス王國の我々によって旧暦容易に模倣されうる﹂というのが︵本文一頁︶、彼の貿易

論の實賎的眼目となっている。その点、彼の立場はどこまでもトーマス・マンのそれに近接蓮締するものであった。

      八

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 しかし、といって、チャイルドの思想にトーマス・マンの段階における以上の進歩が兇られないなどというわけでは毛

頭ない。それどころか、彼はマンの段階におけるとは異った閥題をつかんでいたといわるべき側面がある。新大陸におけ

る植民地の問題がそれである。アメリカにおけるイギリス領植民地とその貿易の爽展が、チャイルドをして、マンにおけ

るごとくこれを不問にするをえざらしめたのである。

 彼が植民地はイギリスの人ロを減少せしめしたがってこれを貧乏にすると圭張する思想に訂して批判的な態度をしめし

ていることについては前に一言したところであるが、彼は﹃貿易薪論﹄の第九章︵﹃植民地について﹄︶においてこの種の        O 思想を徹底的に批判している。

 ます、彼は、イギリスの人民は植民によって大して減少せしめられるようなことはなかった、むしろ反封であったとし

て、書いている。    ﹁きわめて多くの人民が過去四十年聞ほとんど毎年この王國から出τ行ったし、現在も出て行き、そして外國における我が植民地に  定住してきたし、現在もひきつづきそうするということは、全く確かなことがらである。しかし第一の問題は、もしイギリスが外國に  これらの人民を移佳さすべき植民地をもたなかったならば、彼等は本馬に留まって我々と生活を共にすることができたが、或はそうす  ると欲したかどうかであろう。彼等はそうしなかったであろうし、また、そうできなかったであろうというのが、私の意見である。こ  の問題を解決するためには,我々は、外学における我が植民地に移佳してきたし・また馨佳するのは、どういう種類の入質であったか   ・またあるかを考察しなければならぬ。誰でも知っているごとく、もと昌ユ;・イングランドに潜みつき、以後ひきつづきこれを充し  てきたのは、ピューリタン︵清教徒︶とよばれる種類の人々であったがb彼等はイギリスの落懸教に從うことができす、教會の非難や  迫害に我慢できなくて、余儀なく祀國を捨で、斬しい佳所を多くはドイツやオランダならびにニュー・イングランドに求めたのであっ  た。それで、もし彼等のうちの一部を受け入れたニュー・イングランドがなかったとしでも、ドイツやオランダがおそらくその余のも  のを受け入れたであろう。しかしオールド・イングランドが彼等のすべてを失ったことは確實である。げ7ージニアやバルバドスに移民  したのは,邪悪にして本筈で生活の手だてをもた韻・一種の放縦な浮浪民であった。彼等は勢働に不向きであるか、雇ってくれるもの  を見出すことができないか、あるいは誰も仕事をあたえないほど女郎買・窃盗その他の堕落によって身持の悪い二士であった。それを ジョサイア・チャイルドの貿易論 ︵下︶ 四七

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  ジョサイア・チャイルドの貿易論︵下︶       四八          工1ジエンツ 商人や船乗が彼等の差配もしくは所謂スピリッツ︵扱︸︶凶角皿︶を通じτロンドン市街その他の場所から叢り集め、衣服をあたえ、輸 良して、植民地で使用することにしたのてある。してみれば、この連申は、もし世界にイギリスの海外植民地がなかったならば、おそら くは本丁に住んで祀國に奉仕することができないで、絞殺されるか餓死するか.ないしは貧窮や罪悪からおこってくる直る種の悲滲な 疾病によって結局は死ぬにいたったであろう。そうでなければ、身を三つで兵士となり.幾千の勇敢なイギリス人が低地越州においで そうであったごとく、またドイツ・フランスおよびスウェーデン等の戦璽においてそうであったごとく、我が隣入の紛孚に際して頭を なぐって殺されるか餓死するかしたであろう。あるいは塾もし彼等が乞食その他の方法で、オラン〆にたどりつくにたるニシリング六 ペンスの金を得ることができたならば、彼等は何人乏も拒まないオランダ入の下僕となったであろう。しかして、上述のヴァージニア やバルバドスの植民地の主要な成長と護展がおこったのは、我國における最近の内乱中およびその直後においてであった、その際、敗 れた蕪派は職爾の蓮命によってその財塵を剥奪されたが、彼等のうちの計るものは螢働の⋮教育を受けたことがなく、他のものは兵士生 活の獺惰な習慣によって勢働に不向きにされており、彼等のすべでを陛下とともに外國で扶養する資力もなかったので、彼等の多くは上 述の植民地に行き、王軍に属した多難のスコットランド兵はウォーセスター合戦後その當時の支配的樫力によって自儘的にそこへ逡う こまれたのであった。上述の植民地さらにはまた島ユー・イングランド・ジャマイカおよび西インドにおける他のすべての占領植罠地 への今一つの大群すなわち新円民の増大が、王政復古につづいでおこった。王政復古に際し、以前の支配的難派は紳の囁理によって鎭 堅され、軍隊は解散され、多くの士宮は免宮となり、公の管玉を新しく買ったものはすべてその備試した土地や財産などを剥奪された ので、多くのものが貧乏になり失業した。それゆえ、本國において生活のたすきを見出すことのできなかったもの、および教會法の復 活を恐れ・その下では生きてゆくことができないと考えた一部の入々は、余儀なくイギリスの海外植民地へ渡るなり、激年間身を費っ で他人の手を通じてそこへ蓮ばれるなりした。これらの植民地がその後もつてきた不臨の人口供給は、私が上に述べたごとく、特にロ ンドンの市街および郊外で拾い上げられた放縦な俘無記、および有罪の宣告をうけ・法律によればそのために死ぬるにあたいする罪入 によっておこなわれた。それらのうちの或るものはクウェーカー教徒とよれば、宗教的信仰を口實とする集曾のために流刑に庵せられ たのであった。そこで、上に述べたところがら、すべての時代に我が植民地を起してきたのは如何なる種類の人々であったかを正しく 考慮するならば、それは、もし陛下が彼等のたよりとすることのできた海外植民地をもたれなかったとしても、いすれは失わざるをえ なかったような人々であったし、またそのような事情の下においてであったということが明かになるであろうと、私は考える。﹂と︵本 丈一九六一ご00頁︶。

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 このようにチャイルドは植民地は事事の人口を減少せしめるものではないと主張するのであるが、この主張をさらに理

論づけようとして、彼はグラントの入口理論を援用し、つづけてつぎのごとく書いている。

   ﹁死亡表の闘察の俊敏は著者たるキャプテン・グラント︵○壱討ぼ霧p茸Gはいっている、⋮⋮ロンドンの人口は、疫病その他に  よって死亡率がどうあろうと、 一・二年のうちにその佳民を回復する、 と。・⋮:また、 ロンドンで百入に封ずる奨働があるとすれば  ︵すなわち百人が田舎におけるよりもよりよく生きてゆくことのできる道があるとすれば︶、その数の四分の一ないし三分の一の減少は  まもなく田舎から補充されすにはおかない、すなわちそれだけは短期閲に田舎からロンドンへ移り、ついには都市は受容と奨勧の触如       ゆ  のために彼等を吐き出し古り返えすまで、そうしつNける、と。ω彼がロンドンについて証明していることを、私はイギリス一般につ  いていう。そして、おなじことは世界のいかなる正負あるいは地方についでもいえる。我々が人民のために多くの仕事をもてば、それ  だけ我が人民は多いであろう。そしてもし我々がイギリスにおいてわすか百人のための仕事をもつにとどまるのに、我々のあいだに百  五十入も生み育てると假定するならば、五十入は我々のところがら去って行くか、餓死するか、あるいはそれを防ぐためには絞殺され  るかしなければならない、我々が海外植民地を持とうと持つまいとそうである。②もし、我々が、我が海外植民地における生活の便宜  のために、かかる植島地をもたなかった場合よbも多くの人民菱排出するならば、⋮⋮そしτもしその排出が過度になるならば︵私は  植民地のためにそ五なことがおこったことはますはないと信じるが︶。その減少はそれ自身の救濟を求めるであろう。けだし人民の大  鮫乏は賃銀の縢貴を招湿するであろう、そして賃銀の騰貴は、もし我が法律が奨金をあたえるならば、我々としてオランダ入の場合の  ごとく養育費なしに人民の供給を確保せしめるであろう。﹂と︵同ごOO一二〇一頁︶。  ついでチャイルドは、これらの主張に封ずる批判を豫想し、ます、 ﹁植民地へ王命されるの便宜は、人々を詮得してそ

こへ行かせるのに通常使用される誘惑的方法、および我々自身の言葉を話す人々にそこに一緒に住むことの晦ましととも

に、我が人民を我々から引離す強い動機ではないか、そしてそれらは、そうでなかったならば我々のところを去って言葉

を知らない外國へ行くよりも多くの人々を、我々から引離しはしないか﹂という疑問に答えて、いっている。

  ﹁第一、我が植民地へ渡るよりも、オランダへ渡る方がはるかに困難だというわけではない。第二、我が植民地へ行くものの多くは、  もし彼等がそこへ行くことができなかったならば、たとえ植民地へ行くよりも十倍も困難だとしても、外心へ行くであろうし、行かざ    ジョサイア・チャイルドの貿易論 ︵下︶       四九

(10)

ジョサイア・チャイルドの貿易論 ︵下︶ 五〇  るをえない。しからざれば、きわめて多くの人々の73.しτきたごとく、乞食や餓死をまぬがれるたbには絞殺されるの硫陰をおかすで  あろう。第三、植民地へ行くの便宜が、逡難所としでは外事しかない場合におけるよりも若干多くのものをして、我々のところを去ら  しめるかも知れぬ、ということを私は承認する。しかし、その場合,我が植民地は大抵は我がイギリス人の製造品および殆んどありと  しあらゆる種類の製造品を途方もなく多量に漕費し、かつ我がイギリスの杢船舶の三分の二ちかく︾使剛することにより、これに不断  の糧をあたえ、ここ本國におけるおそらく二+萬入に不断の糧をあたえるということを考えるならば、私は杢休としてはどうしても、  アメリカにおける我がイギリス植民地のためにイギリスの市民は少くなることなく、多くなっていると結論せぎるをえない。﹂と︵同二  〇二一三頁︶。  つぎに、 ﹁全世界は、ヨーッロバにおけるスペインの多くの立派な王國が、その人民が鍋墨西インドへ渡ったがために

大部分人口の減少をきたし荒駿せしめられているのを、見はしないか。そして他のすべての國民も、海外植民地を領有す

るにいたった後は、入民を減少せしめはしないか。﹂という反封に答えて、いっている。  ﹁私見によれば、宗教統一のための闘孚は、一切のアメリカ植民地よbも十倍も多く、スペインの人口減少に貢献したではなかろう か。アンダルシア・グラナダ。アラゴンおよびその他の地方の大抵の宅要都市を建設して・これに尻住した幾千にものぼるムーア入の 追放を惹起したのは、これ以外の何であったか。きわめて多激のユダヤ入を、その家族と財箆もろとも、ドイツやそタリァやトルコや オランダやイギリスへ放逐してきたのは、そして現に臼々放逐しτいるのは、これと異端糾問以外の何であったか。スペイン王と低地 諸州とのかの垂範にして長期にわたる戦争と、スペンイのきわめて多くの血と財費の流出と七州の終局的喪失とを惹超したのは、こ れ以外の何であっにか。しかし我々のい立見るごとく七竃は非常に富み入事も一様であるのに、スペインは入口少く貧乏であり、フラ ンダースは隣人の餌食となる不図の恐怖から人口孝心にして貧錫である。⋮・・植民地はスペインの君民を奪い去ったとしても、それが イギリスもしくはオランダから入興を奪い去つτきたとか奪い去るとかいうことにはならない。なんとなれば、良由と軸重とが十分の 保護を受けでおらす、金利が一割二分にものぼることを許されτいるところでは、重要な製⋮造業︵ぎ讐三ダ。甘﹁ぎ⑳︶はありえす、我々 が一般にいうごとく生命と軸力とを保つより以上の耕作や牧畜はありえないからである。そしで製造業も土地の耕作もほとんど存在し ないところでは、植民地の利回の最大の部分は母國にはねかえらないで、=暦多くの製造贔と御暦多くの土地生毒物とのある他の國々 へはねかえるであろう。このことから、このようにして遍身される植民地はその母國から窮民を奪い去る.ということが明かになる。と

(11)

 ころが、自由と禁厭がよりょく保護され金利が低率に抑制される三品に賀する植民地においては、各人は彼が使用することを強制され  たり・彼とともに使用されたりする黒人や用其とともに冠り出される、ということになる。たとえば、ア・りヵにおける我郁諸島にお  いτは、どの植民地においても、思人の召使一入に詳しで八人ないし言入の黒土を使用する慣わしとなっている。してみれば、この場  合には、我々は、食料品・衣服ならびに家具・艦長および船舶の建造や蟻裟や糧食積込に使用される他のすべての人々のために、バル  バドスやジャマイカにおける各イギリス人は本管における四入のために仕事を作り出す、と計算してよい。:・・オランダは年々スペイ  ンと同敏ないしょり多くの人民を邊り出して東インドにおけるその植民地や要塞に佳まわせたり・船舶に乖小込ませたりしτいる︵ばか  りでなく西インドへも多くを邊り出している︶、しかも本國におけるその入民籔は減少するどころか、あきらかにそれは驚くべき増加  をしめしている。⋮⋮イギリスもアメリカにおける植民地の創設以來、オランダ入ほど大きな割合においτではないけれども、不臨に  本國の人口を増加させてきでいるのである。﹂と︵同二〇=7⊥一Q六頁︶。  最後に、チャイルドは、植民活動がイギリス本瓦の人口を減少せしめてこなかったという+工張に封しては、 ﹁もし我々

が、現在、以前の諸時代におけるよりも多くの入民をもつとするならば、ヘンリー四笹および五世の時代およびその他の

昔時において、我々がきわめて大きな軍隊を集め、これを國王の三面に使用して、しかも王國の防衛と本直における國土

の耕作とに十分の入敏を保留することができたのは、どうしてであるか﹂といわれるかも知れないとして、書いている。

 ﹁軍隊の大きさは必ずしも=官民の多数であることの確實な徴候ではなくて、むしろ政治と土地の分配との性質のそれであることが       ヴ しばしばである。たとえば、君主や諸侯が全領土の所有者であるところでは、人民は稀少であっても、軍隊は必要に慮じてきわめで大 でありうること、東インビやトルコやフェツおよびモロッコ玉筆に見るごとくである、⋮⋮、しかるに、イギリスにおいては自由土地 保有者︵げ、お鉱5三〇塾︶がきわめτ多く、奴隷的土地保有︵訟韓く出。衆、︼託お︶が攣改されたので、疑いもなく、多激の人々を甘露⋮戦雫にさ くことが一層困難でポあれば、旧暦重い負担でもあるのである。﹂ばかりで㌘く、﹁世界における新しい火砲・蝿丸および銃器の探用以 來、一切の職争は入道よりも貨幣の費用の方が大きぐなった、そしで成功は人証よりはむしろ貨幣を最も多量かつ長期間支出しうるも のに俘う♪したがってヨエロッパにおける君主の軍隊はその人民鍛よりはより多くその財布に比例するにいたっている。﹂と︵同二〇 八一二〇九頁︶。 ジョサイア・チャイルドの貿易論 ︵下︶ 五一

(12)

   ジョサイア・チャイルドの貿易論 ︵下︶      五二  右のごとくチャイルドは、植民地は母胎の入口を減少せしめるという議論に封し、断乎として反等している。しかし、.          も  も  も

彼は植民地をもつてつねに母國に有利なものとしているわけではない。すなわち、彼は、植民地の貿易が適當な法律とそ

の緻行とによって母國に制限されなければ、すべての植民地は郷里に損害をもたらすとして、書いているQ﹁植民地が最

初に人民の供給を受け・その後ひきつづきその補給を受けたのは、その母國からであったから、そして入民は富であるか

ら︵”08冨σ①ぢ騎瓜。げ。ω︶、母國にとっての人民のその損失は・∼それが多かろうと少かろうと一海外におけるそれら

の人民の使用が母國本土におけるそれだけ多くの県民の使用を招均するのでなかったならば、たしかに損害である、そし

てそういうことが可能であるのは、ただ貿易がその母國に限定される場合のみである﹂と︵同二一〇頁︶。

 これは、たしかに、重商主義的奮植民制度を理論づけたものと見てよい。しかして、奮植民制度の福軸としての航海條

例に封ずるチャイルドの讃美は、我々のすでに見たところである。

      九

 チャイルドが重商主義古塁植民制度を理論づけたことをもって、我々は彼がイギリス重商主義思想皮上トーマス・マン.

的段階を一歩踏み出したものと評帯してよかろうが、しかしそれにもかかわらず、彼はなむマン的段階の水窪線上に足を

とどめていわるべきところがある。けだし彼は、重商主義的奮植民制度を理論づけるにあたって、なおもつばらオランダ

に封ずる競孚意識を基本的動機としているからである。       −  彼は、 ﹁その貿易がその本來の母國に嚴重に制限されなかったならば、オランダ人は、ヨーロッパのいすれの臆断に由 來するにせよ、すべての植民地の最大の利釜を牧得するであろう﹂という命題をかかげて、いっている。 ﹁この命題は、 低利と低率關.税の性質を理解するものには誰にでも容易に理解できよう。市場が自由なところでは、最も安いものを壷る

(13)

ことのできるものが、すなわち最も高く買って最も安く費るものが必ずや貿易の勝利者となるであろう。これをよくしう

るのは、下民的にいえば、最低の金利で貨幣を取得し最低の關税を支貰うもの、すなわちオランダ人だけである。そして

これが、航海條例以前には、 イギリス船一隻に平してオランダ船十隻がバルバドス貿易に從事した眞實の理由である。﹂ と︵同二二頁︶。  もっとも、チャイルドは、 ﹁オランダ人は︵貿易上は非常に繁榮しているけれども︶その植民地の護蓮によってこの王

國に損害をあたえることはおそらくなかろう﹂として、いっている。﹁實際、オランダ人はけっして植民活動において大

した繁榮をしめさなかった。﹂新世界においてそうであったばかりでなく、 ﹁東インドにおいて彼等のなすところも、た

だ、その地の全商業を確保するために、職争・貿易および海岸に要塞都市や城塞を建設することによってであり、彼等の

征服する人民をもつてであって、 イギリス人がなしてきたごとく土地の清掃・分割および植民によってではない。﹂けだ し、 ﹁オランダにおいては、利子と關視の低いことが、貿易に封ずるその他の奨働とあいまって、⋮⋮本玉に生れ且つ育

つたすぺての人民とさらにぱ多数の外気入とに職業をあたえる。またオランダ人がすべての宗教に、ユダヤ人にも蕉教徒

にもセクタリー︵のΦo冨二霧︶にも、自由あるいは少くとも黙認をあたえることが一旦におけるすべての佳民に安々をあた

え、何人をも追放せす、何人にもその理由で亡命するの必要を感ぜしめない。本國において彼等が貧民のために注意ぶか

く驚くほどの配慮をなし、これを雇傭することは、そのすべての人民をして全く餓死の危瞼や窃盗の必要を・したがって

絞殺の恐怖をまぬがれしめる。加うるに、彼等は長.いあいだ自分たちのあいだの内鼠をまぬがれてきた。これらすべての

事情から、オランダ人は植民活動によって繁榮してこなかったごとく、繁榮することができないし、また繁摩しないであ

ろう。﹂と︵同二=一二一四頁︶。

 かくして、チャイルドが植民地との關係においてオランダに脅威を感じ、それを契機として植民制度体系化の必要を痛

   ジョサイア・チャイルのド貿易論︵下︶      五三

(14)

   ジョサイア・チャイルドの貿易論 ︵下︶       。      五四

感ずるにいたった所以のものは、もつばら貿易上の観点からであって、狭義の植民活動そのものに關してではなかったと

いってよい。したがって、そのかぎり、彼は航海條例制定茶時の獲展段階を出ていないといってよい。しかし、チャイル

ドの當時、オランダが独義の植民活動において脅威をあたえることのなかったことは事實だとしても、オランダ以外にイ

ギリスの虻朋孚者はなかったであろうか。        ︵註︶

 チャイルドは、 スペインやポルトガルは無論のこと、フランスの植民活動も恐れるにたらないとして、書いている。

       も  も  も  き  も

﹁フランス八が酉インドに足場をもつてきたのはイギリス入とほぼおなじころからであったということは確かである。ま

た彼等が植民活動において、いちじるしい進かをなしてこなかったということも同様に確かである。⋮⋮第一に、フラン

スは專制政体︵餌ぴωO一嵩酔① OO<①誉Pヨ①P什︶であったので、ほんのごく最近までは航海や貿易になんらの助成ないし漿働をあ

たえてこなかったからである。第二に、そして主として、西インドにおけるフランスの植民地は、イギリスの場合のごと

く自由土地保有者︵閑﹃①Φ70一鎚O噌η︶を基礎とするものではなくて、 フランス西インド雪暮に服從するものであったが、 こ

の曾肚はそれが植民する土地の領主としての当歳の支配下にあり、國,王の欲するままに住民に課税することができたの

で、それが植民活動の進歩においてイギリスの場合のごとき成功をおさめることができなかったからである。﹂ と︵同二 一四一一五頁︶。 ︵註︶ チャイルドは、スペイン植民地の獲達速度がのろく、 イギリスにとって恐れる必要のない理由をあげて、 いつτいる。﹁スペイン  人は西インドにおいて既に建設され住民をもつた多くの都市を襲見し、土地の多くは彼等が來る以萌に改良され耕作されでいるのを護  見した。﹂そして、﹁彼等がそこに雪見し征服した住民は、スペイン入の名子がそれと混交することができ且つ混交してきたごとき人民  であった、そしてそこからメスティーゼス︵≧う獣一ろψ︶とよばれる一種族が生じできた。﹂そのため、﹁ひペイン人は西インドのいかな  る地方においでも稀薄であって、一ケ月聞に一萬入の二二を召集することは到底不可能なほどである。﹂のみならす、﹁スペイン人は植  民地において母國におけると同一の一般ならびに宗敏政策をとっているが、その結果として、海外におけるその人民は、本國において ず

(15)

 人民を塞薄にするとおなじ原因から、丸面にしで稀薄である。﹂また金利や關税の高いこと、および﹁スペイン人の金銀鑛山における  激烈にして異常な勤螢、そこにおける作業が、その入江の・寸くなくともその奴隷の多くを破滅せしめ、彼等をしで大部分土地の耕作  とその紅紫からおこつτくる貨物の生産とを等閑麗せしめる﹂こと、さらには結婚を禁止された宗教下之者の多いことなども、スペイ   ン植民地の獲達を阻害している、と︵同ご一五−一一九頁︶。そして、彼の見るところによれば,以上スペインについて述べたとほぼお  なじことがポルトガルについでもあてはまる。

 チャイルドがフランスについて蓮べているところは、一部分は眞實であり、一部分は誤りであった。終局的には、たし

かに、フランスは植民活動におけるイギリスの敵ではなかった。しかし、イギリスがフランスを堅倒して、植民帝國の建

設において世界の覇者たるためには、一世紀有余にわたる斗雫が必要であった。しかも、この斗争は、チャイルドの在世

中ーー﹃貿易新論﹄の潤版當時一すでに開始されていた。そして、この胆管のもつ歴史的必然性を理解しようとしてい

ないところに、チャイルドの東インド言論的1ートーリー的硯野の限界が指摘されうる。いいかえると、彼はイギリス重商

主義のトーマス・マン的段階を完訳に脱却するというところまで行きえていないのである。

 狭義の植民地問題について大畠になされた重要な獲言においてトーマス・マン的段階からの一歩前進を見せていなが

ら、しかも本質的にはなおそれを完全に脱却するというところまで行きえなかったことが、また、チャイルドにとり、ニ

ュー・イングランド植民地の重要性を正欝に評写することの妨げとなっている。すなわち、彼は、 ﹁ニュー・イングラン ドはこの王國に最も有害な植民地である﹂として、書いている。  ,    ﹁我がアメリカの植民地はすべで、ニュー・イングランドのそれをのぞいて、砂糖・煙草.ココア・羊毛・生霞・諸種の染料木等の  ごとき、この王國のそれとは異った性質の貨物を生冠する。しかるに、ニュー・イングランドは、一般に、我々がここてもっとおなじ    ジョサイア・チャイルドの貿易論 ︵下︶      五五      一        ’

(16)

ジコサィア。チャイルドの貿易論 ︵下︶ 五六  もの、すなわち穀物・家畜・若干量の魚類を生饗する:・我々がその住昆から取得する他の貨物は少しばかりの太い帆桂・毛皮および  鯨油であるが、その年慣値はきわめて僅がであり、はるかに大きな贋値は砂糖・棉花・羊毛・煙草といった貨物の形で蹄ってくる。し  かもb彼等はこれらの貨物を最初どこか他の王領植民地から受坂るのであるが,それは干鱈・塩鯖・牛肉・豚肉・パン・ピール・花卉  ・髄豆などと交換する二とによってであって、彼等はこれらをバルバドスやジャマイカなどに供給することにより、それだけこの王國  で出來るこれらの貨物の警醒を減少せしめる。⋮⋮ニュー・イングランドの人民は、彼等の最初の特許状によつで乙の三潴の法律の嚴  守を拘束されでいないので、時としτは航海條例に反した交易の自由を上坂し、そのゆえに我がアメリカ晶の多くは一特に煙草や砂  糖はーイギリスに陸上げされることなく、また運勢になんらの關税をも支梯うことなく、ニュー・イングランド船で直接スペインそ  の他の外乱へ轍邊される。これは國王にとって損失であり、オールド・イングランドの航海にとつで損害であるばかりでなく、ニュー  ・イングランド船が貿易する諸港におけるこれらの貨物の販路からオールド・イングランド商人を全面的に排除するものである。なん  となれば、ニュー・イングランドにおいてはこれらの貨物に封しτなんらの關税も支携われす、オールド・イングランドにむいではこ  れに一大關税が支抽われるからちその結果、必然的に、ニュー・イングランド商入はオールド・イングランド商人よりも市場においで  はるか廉慣にその貨物を提供することができるであろうからである。そして最も康慣に費ることのできるものは,おそかれ早やかれ、  まちがい.なく杢貿易を濁評するであろうからである。すべてのアメリカ植民地のうちで、國王は、二・ユー・イングランドほど、船舶の  建造に適したものをもたす、その入民の自然約勤勉のためのみならず土としτその鱈むよび鯖漁業のために船員の大成に比較的適した  ものをもたない。そして卑見によれば、植民地や拓殖地や厨領における船舶の増加ほど母國に有害なものはなく、危瞼の見込まれるも  のはない。我々のもとを去つτバルバドスおよびその他の西インド植民地におもむく人民は、⋮⋮樋常、十人ないし八人の黒人に封し  て一入の割合でイギリス人に仕事をあたえる。そしてもし我々が上述の植民地の貿易を全部イギリスに留保するならば、イギリスはか  かる排出によつで佳民を減少せしめないで、むしろその人民を増加せしめるであろう。なんとなれば、その一入のイギリス人は、彼と  ともに働く湾入の黒表とともに、彼等の食ったり使ったり着たりするものを計算すると、イギリスにおげる四人に仕事をあたえるであ  ろう・⋮:。ところが、我々の乏ころからニュー・イングランドやアイルランドへ出てゆく十人については、おそらく、我々が彼等に邊  つたり彼等から三三つたりするものは、イギリストにおいて一入をも雇傭しないであろう。﹂と︵同ご三〇一三三頁︶。

 もっともチャイルドはニュー・イングランドをイギリスにとって箪に無盆有害な植民地と考えているのではなく、他方

ではいっている。 ﹁我々は彼等が我が海外植民地と無制限に貿易することによって損失するけれども、しかも我々は彼等

(17)

0

のオールド・イングランドとの直接的な貿易によって多大の利得をおさめる。イギリスの製造品・萎芽およびその他の貨

物の當地から宮地への我が年々の輸出は、.私の計算によれば、彼地から輸入されるものの贋値の十倍にものぽるから、⋮

⋮我々のその入民との貿易關係における改革が考えられる場合にはいつでも、卑見によれば、それは大の深切ときわめて

愼重な注意とを必要とするであろう。﹂と︵同二三三一三四頁︶。       し  も  畢寛、チャイルドが恐れ案じたのは、 ニュー・イングランド入のオールド・イングランド以外との自主的な貿易であっ

た。しかし、おもうに、このような貿易は、實は、ニュー・イングランドとオールド・イングランドとの直接的貿易の聞

接的な基盤ないし背景となっていたのではないか。その点に注意をめぐらすことのできなかったところに、彼の重商主義

的覗野の狭塩が指摘されねばならぬ。無論、チャイルドの危惧が杞憂でなかったことは、彼が﹃貿易新論﹄を斎けにして

から一世紀たらす後にいたって、事實として諮明された。その点、彼は、下立革命にまでみちびいていったアメリカ植民

      ①      −

地問題に關するイギリスの先畳者であったということもできる。しかし、アメリカにおけるイギリス領植民地を猫立革命

にまでかりたてていった根本原因は、チャイルド流のニュー・イングランド植民地観にもとづいて、奮植民制度の枠内へ

これを無理矢理に再編成しようとしたところに胚胎したと見らるべきである。軍に、改革に際して、チ†イルドの注意し

ているような深切と二重が等閑にされたということが問題なのではない。彼の根本思想となっているようなーニュー・

イングランドは植民地として前記に奉仕すべきものというi重商主義的植民地観そのものが根本問題であったのであ

る。その点から見れば、チャイルドは、ニュー・イングランドとオールド・イングランドから分離させていかざるをえな

       ② かった重商主義的奮植民制度を最初に体系化した思想家であったといえる。 ︵註︶① チャイルドの著書の﹁植民地に冒する篇は、きわめて卓越した・しばしば予言者的に多くの判臨を含んでいる。⋮⋮チャイルド  は、將來にとって最も恐ろしい一つの敵手が一一ユー・イングランドにおいて︵殊に海上灌に捌し︶護生するを見ている。彼は合衆國の    ジョサイア・チャイルドの貿易論 ︵下︶      五七

(18)

   ジョナイァ・チャイルドの貿易論 ︵下︶       五八  後世の強大を燗眼にも予見したのである。﹂︵ウイルへ〃ム・ロッシャー、杉本英一鐸、﹃英図而立學史論﹄、一三九一一四〇頁︶。 ︵註︶② ﹁チャイルドは、植民政策學の見地からすれば﹂植民に理論的根撮を初めて明確に與えたものであると云えよう。また初期的な  植民の研究が貿易論の一部門おいでなされたことを示す最初にして・また代表的な人物と云える。﹂︵黒田謙一﹃植民経濟論﹄、昭和十  三年b 六三頁︶O

 しかし、それにしても、チャイルドがニュー・イングランドの自主的獲展を軍に母國に有害と観じたのは、トーマス・

マンの線上罵、イギリス帝國を主として商業多書として、その敵夢占をもつばらオランダと観念したことと無關係ではな

かった。オランダとの競雫という点から見たところで、すくなくともこと大西洋方面に關するかぎり、ニュー・イングラ

ンドはイギリスのオランダ制墜の重要質点であった。いわんや、フランスとの競孚においては、その重要性には一層大な

るものがあった。自主的なニュー・イングランドがあったからこそ、イギリスは北アメリカからフランスを馳寒して、す

くなくとも一時、廣大な植民帝國を建設することに男爵したのであった。チャイルドの時代は、この強敵フランスとの斗

孚のまさにはじまろうとする時代であった。しかし、彼はオランダとの封抗に目をうばわれて、イギリス帝國のこの焚展

方向に封し十分の洞察をもつことができなかったのである。そのかぎり、マンの事業の終るところ、すなわちチャイルド

      ①

の事業の始まるところであるなどということはできない。マンの段階におけるとは異った新しい事業は、ウィリアム・べ

      ②  . ッティにはじまるのである。 ︵註︶① 編田徳三、経濟學全集第三途、一五五頁、蓼照。   ② 拙稿﹃ベッティの政治算術論﹄、纒濟論叢、昭和十八年+月、蓼照。

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