キーワード:旧約聖書,『士師記』,申命記史家,オトニエル
Key words:Old Testament, Book of Judges, Deuteronomist, Othniel
はじめに
旧約聖書の『士師記』は,イスラエルの民 によるカナンの地への定住から王国の成立に 至る以前の時代における彼らの歩みについて 記したものである。この文書の大枠は,学術 的に「申命記史家」(Deuteronomist)と呼 び慣わされる人々の手による編集によって形 成されたと見られる。彼らは,「士師」(ショー フェート,jpevo
/šōpēṭ,士2:18.19,11:27)と呼 ばれる民の指導者的な人物たちについてのい くつかの物語伝承を軸に据えつつ,これらに 一連の定型的な表現からなる導入定式ならび に締め括り定式を付すことで,それぞれの物 語に枠付けを行い,それらを配列することに よって,ある一貫した脈絡のある叙述に仕上 げたと考えられている1)。 現行の『士師記』には,「士師」として計12 人の名が挙げられている。オトニエル(3:7− 11),エフド(3:12−30),シャムガル(3:31), デボラとバラク(4−5章),ギデオン(6−8章), トラ(10:1−2),ヤイル(10:3−5),エフタ (10:6−12:7),イブツァン(12:8−10),エ ロン(12:11−12),アブドン(12:13−15),サ ムソン(13−16章)である(9章に登場するギ デオンの息子アビメレクを除く)。本稿は,これ らの「士師」の内,最初に登場するオトニエル に着目する。オトニエルについて述べられた『士 師記』3章7−11節の分析を通じて,申命記史 家による編集の痕跡を精査し,本記述が生まれ最初の「士師」オトニエル
山 吉 智 久
Tomohisa YAMAYOSHI 目次 はじめに 1.テクスト 2.文学的構成 3.綱領部分(2:11−19)なら びに各士師の枠部分との 比較 4.固有部分の考察 おわりに [Abstract]The First ‘Judge’ - Othniel
The story of Othniel (Judges 3:7-11) was composed by the Deu-teronomist not only in terms of its schematic framework but also in its finer details. It is not to be assumed that there once existed an independent tradition regarding his work. At the beginning of the series of judges’, the Deuteronomist has used the figure of Othniel found in the tradition of Caleb in Joshua 15, so as to introduce a person related to the tribe of Judah. This is in contrast to the rest of the ‘judges’, who all came from the northern tribes. At the same time, in referring to the relative of Caleb, a contemporary of Joshua, the continuity is established between the time of Joshua and the ‘judges’.
るに至った背景ならびに経緯の再構成を試みる こと,それが本稿の目的である。
1.テクスト
『士師記』3章7−11節の詳しい分析のた めに,まずはマソラ本文(BHS)2)の日本語 訳テクストを示す。本箇所のマソラ本文は, 比較的よく保持されており,本文批評上の問 題はさほど多くないが,文法的,語彙的な説 明と併せて,その都度,訳注にて論じる。 翻訳 7イスラエルの子らは,ヤハウェの目に悪を 行った。彼らは,彼らの神ヤハウェを忘れた。 彼らは,バアルたちに,またアシェラたちa) に仕えた。8ヤハウェの怒りが,イスラエル に対して燃えた。かれは,彼らをアラム・ナ ハライムb)の王クシャン・リシュアタイムの 手に売った。イスラエルの子らは,クシャン・ リシュアタイムに8年仕えたc)。9イスラエ ルの子らは,ヤハウェに叫んだ。ヤハウェは, イスラエルの子らd)のために救助者を立て, 彼は彼らを救ったe)。ケナズの子,カレブの 兄弟,その内の小さい方f)のオトニエルをg)。 10ヤハウェの霊が彼の上にあり,彼はイスラ エルを裁いた。彼が戦いに出ると,ヤハウェ はアラムの王クシャン・リシュアタイムを彼 の手に与えたh)。彼の手は,クシャン・リシュ アタイムに対して力強かった。11この地は40 年i),平穏であった。こうして,ケナズの子 オトニエルは死んだ。2.文学的構成
『士師記』では,3章1−6節において,ヤ ハウェがイスラエルを試みるために住まわせ た近隣諸国民の一覧が示され(1−4節),彼 らの内に住んだイスラエルの子らがヤハウェ から離反して異教神崇拝に走ったことが語ら 13,10:6,サム上7:4,12:10など。なおペシッ タやウルガタも参照)。この「アシュタロト」 という読みは,士2:13, 10:6に合わせたものと 考えられ,マソラ本文を読み替えるべき根拠 とはならない3)。七十人訳では,「アルソスたち」 (a;lsojの複数形)4)。 b)七十人訳では,「(2つの)大河の(間の)シリア」5)。 c)七十人訳(アレクサンドリア写本)ならびに ウルガタでは,「彼らは彼に仕えた」6)。直前 に出る固有名詞の繰り返しを忌避したものと 思われる。 d)七十人訳では,「イスラエル」で7),「子ら」(ui`oi.) を欠く。8ab.10節aaの「イスラエル」に合わ せるための変更か。 e)動詞「救った」の主語である3人称男性単数 形は文法上,「ヤハウェ」とも「救助者」とも 解し得る。試訳は,2:16の並行表現を参考に, 「救助者」を主語と見なす。f )「 そ の 内 の 小 さ い 方 」(
WNM,mi !joQ'h;
/haqqāṭōnmimmænnû)は,士1:13におけるオトニエルの 説明にも見られる表現。しかし,これと並行し, オトニエルの名が旧約中,最初に出るヨシュ 15:17のマソラ本文では,この表現を欠く。 g)体格標識(nota accusativi)と共に出る「オ トニエル」は,動詞「立てる」(
~wq
/qwm hif.) の目的語で,構文上,前出の「救助者」の同格 であるが,動詞「救う」([vy
/yšʻ hif.)の後に置かれており,その位置が不自然8)。エフドの 場合にも同じような構文が見られる(士3:15) 他,名前を後置することによる強調が意図され ているとも考え得る(創22:2など参照)9)。 h)「手に与える」という表現は,士3:28,4:7.14, 7:9.15,18:10,20:28などにも見られ,G. フォ ン・ラートによれば,古代イスラエルにおける 「聖戦」を構成していた一要素10)。ここでの「手」 (
dy"
/yād)は,支配や勢力を象徴的に表す11)。 i)七十人訳(アレクサンドリア写本)では,「50 年」12)。 訳注 a)マソラ本文は,hr"vea;>
/’ašērāh「アシェラ」の 稀有な複数形であるtArveea;>
/’ašērôt(一般的に は~yrIvea;>
/’ašērîm)。旧約中の用例は,本箇所 以外,代下13:3,19:3のみ。2つの写本で は,tArT'v.[;
/ʻaštārôt「アシュタロト」(士2:れる(5−6節)。その後の3章7節には,「イ スラエルの子らはヤハウェの目に悪を行っ た」という一文が来る(2:11参照)。これと ほぼ同じ文が,3章12節にも繰り返されてい る(更に,4:11,6:1,10:6,13:1も参照)。 すなわち,イスラエルの民によるこの悪とさ れる行為が,その後に生起する一連の出来事 の契機であると同時に,その様子について述 べる物語の導入となっていることが分かる。 従って,この表現が出る3章7節と12節に挟 まれた7−11節が,一つの文学的なまとまり を構成していると見なすことができよう。 本単元で語られるのは,ケナズの子オト ニエルが最初の「士師」として登場,活躍 した様子についてである。この3章7−11節 における構文上の特徴として,いずれの文 もwa=yiqtol形(ワウ未完了継続形)による, いわゆる叙述文で組み立てられている13)。そ れぞれの文を構成している主語ならびに述語 を列挙すると,次のようになる。 本単元における文章の主語として出るの は,11節aの「この地」を別にすれば,「イ スラエルの子ら」(7.8b.9節aa),「ヤハウェ」 (8a.9ab.10節aa.d),ならびに「救助者」とし て の「 オ ト ニ エ ル 」(9ag.10ab.g.10b.11節b) の3つであることが分かる。こうした主語の 転換も考慮に入れつつ,『士師記』3章7− 11節の文学的な構成をまとめると,以下のよ うになろう。 本単元を導入しているのは,イスラエルの民 の悪行である。ここには,彼らがヤハウェを 「忘れ」,他の神々に「仕えた」との説明が含 まれる(7節)。それによって引き起こされ たのがヤハウェの怒りであり,神は民をアラ ム・ナハライムの王クシャン・リシュアタイ ムの手に「売る」(8節a)。彼らはそれゆえ, この王に8年の間,「仕える」ことを余儀な くされたという(8節b)。この「仕える」 (
db[
/ʻbd)という動詞は,先の7節において, 民が他の神々を崇拝したことを表す際にも用 いられていた。同じ動詞を,主語を同じくし て,目的語を変えて繰り返すことによって, イスラエルの民がヤハウェでなく他の神々を 崇拝することが,他国の王に服属する結果を 自らに招くことになるという構図が際立たさ れている14)。 こうした状況に陥ったイスラエルは,―― 8年後になってはじめてか,あるいは8年間 にわたって――叫びを上げる(9節a)。す るとヤハウェは,救助者たるオトニエルを「立 て」,彼は民を「救った」とされる。オトニ エルはイスラエルを「裁き」,アラムとの戦 いに勝利したというのである(9b−10節)。 本段落に出るオトニエルの「手」(dy"
/yād)は, 前出8節aにあるヤハウェがイスラエルの民 を敵対者の「手」に売ったという表現と呼応 している。 本単元を締め括っているのは,この地が40 年の間,平穏であったとの記述(11節a), そしてオトニエルが死んだことの報告である(11節b)。 本単元には,登場人物によるセリフが一切 なく,出来事の推移のみがごく簡潔に述べら れている。イスラエルを苦しめた敵の抑圧が どのようなものであったか,イスラエルに平 穏をもたらしたというオトニエルによる救助 や裁きがどのように行われたのかなど,個々 の場面についての詳細な描写を欠いている点 も,本単元の特徴と言えよう。
3.綱領部分(2:11−19)ならびに
各士師の枠部分との比較
オトニエルは,『士師記』において具体的 に名の挙げられる「士師」の中で,最初に登 場する人物である。彼について語る3章7− 11節の文言は,「士師」時代の概要をまとめ た先行の2章11−19節の綱領部分と多くの点 で共通する。共通部分の一致度合いは,個々 の言い回しにまで至り,それらは次のように 一覧で表される15)。 (A)3:7a=2:11a 「イスラエルの子らは,ヤハウェの目に悪 を行った」。 (B)3:7b=2:11b 「彼らは,バアルたち」などの異教の神々 に「仕えた」。 (C)3:8a=2:14a 「ヤハウェの怒りが,イスラエルに対して 燃えた」。 (D)3:8b=2:14b ヤハウェが,敵の「手に彼らを売った」。 (E)3:9b=2:16 「ヤハウェが,救助者/士師たちを立て, 彼/彼らが,彼らを救った」。 これらの内,(A)民の悪行と(D)敵への 売渡については,その後のすべての「大士師」 の導入部分(3:12.13,4:1.2,6:1 10:6.7, 13:1),(B)異教神崇拝ならびに(C)ヤ ハウェの怒りは,エフタ(10;6.7),(E)士 師の起こしはエフドの物語にも登場する(3: 15)16)。これらの表現は,逐語的な一致を示 すだけでなく,それぞれが登場する順序も共 通している。 本単元には更に,上の一覧には含まれない ものの,各士師の枠部分と共通する要素とし て,以下のものがある。 (a)敵への服属とその期間(3:8b) 3:14(エフド),4:3(デボラ),6:2(ギデ オン),10:8(エフタ),13:1(サムソン) (b)民の叫び(3:9a) 3:15(エフド),4:3(デボラ),6:6(ギデ オン),10:10(エフタ) (c)敵の屈服(3:10a) 3:30(エフド),4:23−24(デボラ),8:28 (ギデオン),11:33(エフタ) (d)士師の裁き(3:10a) 4:4(デボラ),10:2(トラ),10:3(ヤイル), 12:7(エフタ),12:9(イブツァン),12: 11(エロン),12:13−14(アブドン),15: 20,16:31(サムソン)17) (e)地の平穏(3:11a) 3:30(エフド),5:31(デボラ),8:28(ギ デオン) (f)士師の死去(3:11b) 4:1(エフド),8:32(ギデオン),10:2(トラ), 20:5(ヤイル),12:7(エフタ),12:11(イブツァン),12:12(エロン),12:15(アブドン) 以上のことから,『士師記』3章7−11節の オトニエルについての記述は,そのほぼすべ てが2章11−19節の綱領部分ならびに各物語 の枠部分に共通して見られる表現によって組 み立てられていることが分かる。イスラエル が犯した悪行が発端となって,神ヤハウェに よる怒りと,敵への売渡という形での災いが イスラエルに襲い掛かる。しかし民が叫びを 上げると,ヤハウェは救助者たる士師を彼ら のために立てることによって,この危機から 救う。『士師記』において繰り返されるこの 図式は,「申命記史家」がイスラエルの民の 歩みの中に見出した歴史の法則であった。オ トニエルの物語の筋書は,この「申命記史家」 による「循環的定式」の図式に則った典型例 である18)。
4.固有部分の考察
本単元の記述は,大部分が「申命記史家」 の手に帰される定型的な表現からなるが,こ の物語に固有の事項もいくつか見られる。そ れらの由来を見定めることが更なる課題とな る。 a.ヤハウェを忘れる 本単元では,イスラエルの子らによる悪行 の説明として,彼らが神ヤハウェを「忘れた」 (xkv
/škḥ)と言われる(3:7)19)。『士師記』 において,同じ文脈で多く見られる動詞は, 「 見 捨 て る 」(bz[
/‘zb) で あ り(2:12−13, 10:6.10.13),「忘れる」は,『士師記』では, 本箇所にのみ見られる表現である。 イスラエルがヤハウェを「忘れた」という 批判は,『ホセア書』に初めて見られ20),そ の後『エレミヤ書』21)や『申命記』ならび に申命記史書に取り入れられている22)。それ らの箇所におけるヤハウェ忘却は,神による イスラエルの民のエジプト脱出の回顧,神と の契約締結などと対比される形で挙げられて いる。そこには,民による神ヤハウェの過去 の行為に対する信頼の喪失を表すと共に,故 意に神を蔑ろにする行為,神との間に築かれ た共同体の破壊といった側面が含まれる23)。 とりわけ『申命記』6章と8章,『サムエル 記上』12章,『列王記下』17章の文脈では, 民によるヤハウェの忘却が,彼らの異教神へ の崇拝と結び付けられている。加えて『サム エル記上』12章は,サムエルによる「士師」 時代の回顧になっている。 本箇所における「ヤハウェを忘れる」とい う表現は,これらの箇所と同様,「申命記史 家」の手によるものと見て差し支えないだろ う24)。 b.アシェラたち 綱領部分の2章11.13節やエフタ物語の導 入部分の10章6節と同じく,本単元でも民の 悪行は他の神々への崇拝と結び付けられてい る(3:7)。これら3つの箇所すべてにおい て名が挙げられているのが,「バアル」であり, 本単元では,それと並んで「アシェラ」が挙 げられている(2:13,10:6[およびサム上 10:6]では「アシュタロト」)。 「アシェラ」(hr"vea]
/’ašērāh)は,フェニキ ア・カナンの宗教で広く崇拝された豊饒女神 である25)。ウガリト文書では至高神エルの, カナン宗教においては豊饒神バアルの配偶女 神とされた。旧約聖書では,「アシェラ」の 語は,[jn
/nṭʻ「植える」(申16:25),@rf
/śrp「燃 やす」(王下23:6),~yf
/śym「置く,据える」(王 下21:7),rbv
/šbr pi.「壊す」(出34:13,申7: 5),trk
/krt「切り倒す」(士6:25以下)な どの動詞と結び付いて用いられており,直立 した木製の祭具を表した。北イスラエル王国 の民(王下17:10),また歴代の王たちの内, ヤロブアム(王上14:15),レハブアム(王 上14:23),アハブ(王上16:33),ヨアハズ(王下13:6),マナセ(王下21:7)による「アシェ ラ」の建立が批判され,アサ(王上15:13), ヒゼキヤ(王下18:4),ヨシヤ(王下23:6) はこれを破壊したとして肯定的に評価されて いる。 但し,本箇所において,「バアル」と「アシェ ラ」はいずれも抽象化ならびに一般化を表す 複数形で表現されており26),それぞれ男神と 女神の総称として挙げられているものと考え られる27)。従って,この記述の背後に,何ら かの具体的な異教神祭儀を想定することはで きない28)。 【付論】ヤハウェとかれのアシェラ 古代イスラエルにおける実際のアシェラ崇拝を 伺わせる史料として注目を集めているのが,クン ティレット・アジュルドならびにヒルベト・エル・ コムで発見された碑文である29)。 クンティレット・アジュルド(Kuntillet ‘Ajrud, ヘブライ語名Ḥorvat Teman)は,ネゲブ砂漠に あるエジプトとイスラエルの国境地帯,死海とア カバ湾のほぼ中間地点に位置し,ガザから南に 延びる隊商ルート上,カデシュ・バルネアから約 50km南方にある遺跡である。自然の要害上に建 てられたこの城塞跡は,テル・アヴィヴ大学のZ. メシェル(Meshel)指揮の下,1975−1976年に計 3回の発掘が行われた。発掘は地表に露出してい る建物を掘り出すことに集中されたため,層位学 的な検証が不可能であるが,およそイスラエルの ヨアシュ王の時代,前800年頃と年代付けられる。 この遺跡からは,ピトス(貯蔵壺)や石製容器, 漆喰壁に記された数多くの碑文が見つかってい る。建物Aから出土したピトスAの側面には, さまざまな図像が描かれている(図表1参照)。 2頭の動物(アイベックス)が1つの木に向き 合う形で配された,いわゆる「生命の木」の図像, また牛頭を持つベス神が2体並んで描かれてい る。その上方部分には,次のような2行の碑文 が赤色のインクで書かれている30)。 1 言った,[…]………は,………,「言え,ヤー ヘリーa)に,そしてヨーアサーb)に,そして [………]に,『私はあなたたちを祝福したc)。 2 サマリアのヤハウェに,そしてかれのアシェ ラに』」。 a)語根llh/hll「輝く」ないし「賛美する」に由 来する人名。 b)前7世紀の印章にも用例がある人名。 c)「あなたたち」は,前掲の人々を指すと見られ る。この語句が書かれた破片は,その前の部 分と直接は接合せず,破片の上方に刻まれた 横線の位置関係から,おおよそのスペースが 割り出される。 同じく建物Aから見つかったピトスBにも, いくつかの図像が描かれている。とりわけ目を 引くのは,両手を上げた5人の人物たちである。 このピトスBには複数の碑文が確認できる(図 表2参照)。中でも注目に値するのが,一連の人 物たちの右側に配された10行の碑文である。 1 言った, 2 アマルヤウa)は, 3 「言え,わが主b)に。 4 『元気ですか,あなたは。 5 私はあなたを祝福した。 6 テマンc)のヤハウェに, 7 そしてかれのアシェラに。 8 かれが祝福しd),あなたを守るように。 図表1 クンティレット・アジュルド出土の碑文 (ピトスA)
9 かれがわが主と共にいるように』」。 10 ……… a)語根rma/’mr「言う」にヤハウェの一部が 組み合わされた人名(代上19:11,24:23, 31:15参照)。 b)固有名が挙げられておらず,この「わが主」 が誰のことを指すか定かではない。 c)テマンはエドムの主要都市ないし領域。しば しばエドムと並んで挙げられ(エレ49:7.20, エゼ25:13),ヨブの友人エリファズは,この 地の出身とされるが(ヨブ2:11),場所の同 定はできていない。そもそもテマンが町を表 すのか,あるいは地域を指すのかも定かでは ない。 d)あるいは,2人称単数男性の接尾辞が語末の カフと同化したと考え,「かれがあなたを祝福 するように」と訳すことも可能。興味深いこと に,主語は複数形(ヤハウェとかれのアシェラ) ではなく,単数形(ヤハウェ)になっている。 またヒルベト・エル・コム(Khirbet el-Qom) は,ラキシュとヘブロンのほぼ中間地点,テル・ ベト・ミルシムの北北東9㎞のユダの丘陵地に 位置する遺跡である。1967年,W. G. ディーヴァー (Dever)指揮の下,エルサレムのヘブル・ユニ オン・カレッジによって発掘が行われた。この 発掘により,鉄器時代の二つの墓(墓IとII)が, 多数の鉄器時代の土器や物品と共に出土してい る。そこからは更に,前8世紀の終わり頃に年 代付けられる碑文が,計3点発見されている。 その内,墓IIで発見されたのが,次の碑文3で ある(図表3参照)31)。 1 ウリヤフーa),富豪b)がこれを書いた。 2 ウリヤフーがヤハウェに祝福されるように。 3 そしてかれは,彼の敵からc),かれのアシェ ラによってd)彼を救った。 4 オニヤフーe)によって。 5 そしてかれのアシェラによって。 6 [………]そしてかれのア[シ]ェラによって。 a)「ヤハ(ウェ)は(わが)光」を意味する人名 (エレ26:20−23)。なお,サム下11:3−26, 12:9−10.15,23:39,王下16:10−16,イザ8: 2,エズ8:33,ネヘ3:4.21,8:4に出る人名 ウリヤも参照。 b)「金持ちな」,「富豪」(エレ9:22,ミカ6:12, 箴18:10,ヨブ27:19,コヘ5:11,10:6.20 など)。 c)文字がW W M M Ṣ [?] Ṣ R R Y Y H Hとすべて 二度書きされている。 d)左隅の5,6行目に,同一表現が繰り返されて いる。 e)「ヤハウェはわが力」を意味する人名。 クンティレット・アジュルドならびにヒルベ ト・エル・コム出土のこれらの碑文には,神ヤ ハウェによる祝福の定式が見られ,このヤハウェ と並んで,「かれのアシェラ」との言及がある。 図表2 クンティレット・アジュルド出土の碑文 (ピトスB) 図表3 ヒルベト・エル・コム出土の碑文3
この「アシェラ」の意味をめぐっては,これが ある一個の独立した女神,すなわちヤハウェの 配偶神としての女神を表しているのか,それと もヤハウェの様式化された木製の祭具を指して いるのか意見が分かれる。ヘブライ語において は原則として固有名詞に人称接尾辞は付かない こと,またクンティレト・アジュルド出土のピ トスB上の碑文8−9行目で,続く動詞の主語 が単数形であることに鑑みるに,後者の意味で 解する方が妥当性は高いと思われる。 いずれにせよ,これらの碑文資料は,古代イ スラエルにおけるヤハウェ一神教の実情の一端 を伝えるものとして,きわめて貴重である。 c.アラム・ナハライムの王クシャン・リシュ アタイム 本単元において,イスラエルが服従を強い られたのは,「アラム・ナハライムの王クシャ ン・リシュアタイム」であったと言われる(3: 8,なお10節では,「アラムの王」とされる)。 この王の支配地域とされる「アラム・ナハ ライム」は,古くはアレッポからハブルまで のユーフラテス川流域を指し,後にシリアに まで拡大された地域であり,王国時代中頃か ら,パレスチナに侵攻を繰り返したアッシリ アや新バビロニアの軍勢の拠点であった(用 例は他に,創24:10,申23:5,詩60:2,代 上19:6)32)。すなわち,北メソポタミアと いう地理的にパレスチナから非常に遠く離れ た場所である。 これに対して「クシャン・リシュアタイ ム」という王の名前は,連語形連結によっ て構成された稀有なものである33)。被支配名 詞(Nomen regens)の「クシャン」(
!v;WK
/ kûšan)は,本箇所以外に『ハバクク書』3 章7節に見られ,そこではミディアンと並行 して遊牧民の部族として登場する。この語は 更に,エジプト南方の「クシュ」の地を想起 させる34)。いずれにせよ,この語は,王の支 配地域とされる北メソポタミアとは対極にあ るミディアン南方を示唆している35)。 一方の支配名詞(Nomen rectum)の「リ シュアタイム」(~yIt;['v.rI
/rišʻātayim)は,「悪」ならびに「罪」を意味する名詞
[v;rE
/rēšaʻの 双数形で,「二重の悪」といった意味合いを 持つ。『創世記』14章2節に出るソドムの王 ベラア([r:B,
/bœraʻ,「悪の中に」の意)やゴ モラの王ビルシャア([v;r>Bi
/biršāʻ,「罪の中に」 の意)などと同じく,多分に象徴的な意味が 込められた語である36)。この語形は更に,先 の「ナハライム」と韻を踏んでいる(naharāyim - rišʻātayim)37)。 この王の名前を,外国語の語音転換と考え, 周辺諸国(フリ,ヘト,エジプトなど)の中 から似たような音の人物の名を探し出そうと する試みは38),いずれも成功していない。こ の名前が示唆するのはむしろ,イスラエルに 対するあらゆる攻撃が「罪」ないし「悪」に よってもたらされるということであり,その 背後に,ある確固たる伝承を見出すことはで きない39)。 d.ケナズの子,カレブの兄弟オトニエル イスラエルの子らのために救助者として, 神ヤハウェによって立てられた最初の「士 師」とされるのが,「オトニエル」(laeynIt.['
/ ʻotnî’ēl)という名前の人物である(3:9)。 オトニエルは,!t,[o
/ʻoten*という語に,「神」 を表すlae
/’ēlが組み合わされた,神名要素を 含む人名(theophoric name)であると考え られるが,最初の!t,[o
/ʻoten*の語義は不確か である。アラビア語ʻatana「力強い」40)から の類推で,「神は(わが)力」,あるいはアモ リ語ḫtn41)やアッカド語ḫatanu「守る」42)か らの類推で,「神は(わが)守り」などを意 味すると想定される43)。 このオトニエルは,『士師記』1章13節で 既に登場しているが,『士師記』1章10−15 節は,『ヨシュア記』15章13−19節に個々の 言い回しに至るまで並行する記述があり,これを基に申命記史家よりも後の時代になって 付け加えられたものであると考えられる44)。 そこでは,オトニエルがキルヤト・セフェル の地を撃ってこれを奪取し,カレブの娘アク サを妻とした人物として描かれている。 13ヨシュアへのヤハウェの命令によって,彼 はエフネの子カレブに,ユダの子らの真ん中 の部分,アナクの父キルヤト・アルバを与え た。それはヘブロンであった。14カレブはそ こから,アナクの3人の子ら,シェシャイ, アヒマン,タルマイというアナクの生まれの 者たちを追い払った。15彼はそこから,デビ ルの住民たちのもとに上った45)。デビルの名 はかつて,キルヤト・セフェルだった。16カ レブは言った,「キルヤト・セフェルを撃ち, これを奪取する者,私はその者に,わが娘 アクサを妻として与えよう」。17ケナズの子, カレブの兄弟46)のオトニエルがこれを奪取 した。彼(=カレブ)は彼に,彼の娘アクサ を妻として与えた。18彼女が出かけるときの ことである。彼女は彼に,彼女の父から野を 求めるよう促し,ろばの上から降りた。カレ ブは彼女に言った,「お前,どうした」。19彼 女は言った,「私に祝福を与えてください47)。 あなたは私にネゲブの地を与えてくださった のですから,私に水の泉を与えてください」。 彼48)は,彼女に上の泉と下の泉を与えた。 カレブは,カナンの地を偵察するためにユダ 部族から遣わされたエフネの子で(民13:6), ヌンの子ヨシュアと並んで「ヤハウェに従っ た」ために,約束の地を見ることができると 言われた人物である(民14:30,申1:36)。 『士師記』2章10節によれば,「士師」の時 代は,ヨシュアや彼と同世代の人々が死に絶 えた後のことになっているものの,本単元で はカレブとの関わりがある人物が登場するこ とによって,そこにヨシュア時代との密接な 結び付きが生まれている。 オトニエルは,「ケナズの子」で,「カレブ の兄弟」であったとされている。『士師記』 1章13節と3章9節では更に,「その内の小 さい方」,すなわちカレブの弟であったこと を説明する文言が加わる。これは,オトニエ ルがカレブよりも長生きしたこと,あるいは 姪と結婚するのに年老いすぎていなかったこ とを説明しようとしたものかもしれない。し かしそれ以上に,オトニエルが,ヨシュアや カレブとは異なる,ヤハウェがイスラエルに 行った業を知らない新しい世代に属していた ことを強調しようとするものであろう49)。 オトニエルとカレブとの間の関係について 混乱を招くのは,カレブは,「エフネの子」(民 13:6,14:6.30.38,26:45,34:19,申1:36, ヨシュ14:13,15:13,21:12,代上4:15,6: 41),「ケナズ人エフネの子」(民32:12,ヨシュ 14:6.14)と呼ばれる一方で,オトニエルのよ うに「ケナズの子」とは一度も呼ばれていな いことである。加えて厄介なのが,『歴代誌上』 4章の記述である。そこではまず13節におい て,ケナズの子らが挙げられており,その中に オトニエルが含まれる。その後15節になって はじめて,エフネの子カレブが挙げられ,この 節の終わりに,なぜか再びケナズの名が現れ る。これらの混乱はおそらく,異なる氏族に由 来する複数の系譜が一つにされていることに 起因すると考えられる50)。 いずれにせよ,オトニエルは,南方のユダ の山地に定住し,後にユダ部族に組み入れら れた氏族の名祖であった。「申命記史家」は, キルヤト・セフェル奪取の挿話で有名なユダ 出身の戦士であったオトニエルを,イスラエ ルを救った「士師」の列に加え,しかも彼に よって「士師」時代を幕開けさせているので ある。 e.オトニエルによる活動 オトニエルによる活動は,「起こし」―「救助」 ―「霊の付与」―「裁き」―「出陣と勝利」と
いう順序で記述されている(3:9−10)。最初 の「起こし」―「救助」の組み合わせは,綱領 部分の2章16.18節の順序に則ったものである。 『士師記』におけるヤハウェの霊は,軍事行動 の開始や超人的な力の発揮を促す役割を担って おり,「霊の付与」―「出陣と勝利」は,ギデ オン(6:34.35),エフタ(11:29),サムソン(14: 19,15:14.15)の物語にも見て取れる流れである。 彼がイスラエルを「裁いた」(
jpv
/špṭ)という 注記は,3章9節の「救助者」([:yviAm
/môšîa‘) の語に対応する綱領部分の2章16節の「士師」 (jpev o
/šōpēṭ)という語を念頭に置きつつ,「士師」 としてのオトニエルの活動を明確にするために 加えられたものと思われる51)。 オトニエルの活動を特徴付ける,「彼の手 は,クシャン・リシュアタイムに対して強かっ た」との表現(3:10)は,語根zz[
/‘zzを動 詞として用いる稀有なものであるが52),ギデ オン物語を導入する6章2節で,「ミディア ン人の手はイスラエルに対して強かった」と 言われており53),この文言を,力関係を逆転 させる形で取り入れたものと思われる。 以上の考察を踏まえると,最初の「士師」 オトニエル物語の背後に何らかの固有伝承を 想定することは難しく,むしろ物語の全般が 「申命記史家」自身の手によって組み立てら れた仮構であると考えられる。 「申命記史家」は,『士師記』の中で一連の 「士師」の活動についての描写を展開するに 当たって,『ヨシュア記』15章のカレブ伝承 を参考にしつつ,そこに登場するオトニエル を利用した。その背後には,「士師」として その名と活動について伝承されていた人物た ちが,いずれも北イスラエルの諸部族出身で あることを踏まえて(図表4参照),ユダと 関わりのある人物を,それも「士師」の筆頭 として登場させようとする意図があった。そ こには更に,ヨシュアの世代とは時代的な隔 たりを前提とする「士師」時代にあって,ヨ シュアと同世代のカレブの近親者を挙げるこ とで,ヨシュア時代からの連続性ならびに継 承性を示唆する狙いがあろう。おわりに
『士師記』3章7−11節のオトニエル物語 は,その図式的な枠組みだけでなく,詳細に 聖書箇所 イスラエルの敵 士師 出身地 抑圧期間 平穏期間 3:7-11 クシャン・リシュアタイム オトニエル ――― 8年 40年 3:12-30 エグロン エフド ベニヤミン 18年 80年 3:31 ――― シャムガル ――― ――― ――― 4:1-5:31 ヤビン デボラ ――― 20年 40年 6:1-8:35 ミディアン人 ギデオン マナセ 7年 40年 9:1-57 ――― (アビメレク) ――― ――― (3年) 10:1-2 ――― トラ イサカル ――― 23年 10:3-5 ――― ヤイル ギレアド ――― 22年 11:1-12:7 アンモン人 エフタ ギレアド 18年 6年 12:8-10 ――― イブツァン ベツレヘム ――― 7年 12:11-12 ――― エロン ゼブルン ――― 10年 12:13-15 ――― アブドン エフライム ――― 8年 13:1-16:31 ペリシテ人 サムソン ダン 40年 20年 計 111年 299年 図表4 士師たちの出身地と抑圧・平穏期間ついても「申命記史家」によって構成された ものである。「申命記史家」は,オトニエル を最初の「士師」とすることで,「士師」時 代をユダ部族ならびにヨシュア時代と関連付 けて幕開けさせている。 出典
図表1:Z. Meshel (Hg.), Kuntillet ‘Ajrud (Ḥorvat Teman). An Iron Age II Religious Site on the Judah-Sinai Border, Jerusalem 2012, 87, Fig. 5.24
図表2:Ibid., 92, Fig. 5.35
図表3:J. M. Hadley, The Khirbet El-Qom Inscription, VT 37 (1987), 52 図表4:筆者作成 注 1) 山吉智久「『彼らはヤハウェの目に悪を行っ た』―士師記の『循環的定式』―」,『北星論集』 58(1), 21ff頁参照。
2) Biblia Hebraica Stuttgartensia, Stuttgart 1990. 3) B. Lindars, Judges 1-5. A New Translation and
Commentary, Edinburgh 1995, 131; BHQ, *48参 照。 4) 秦剛平訳『七十人訳ギリシア語聖書 士師記』 青土社,2019年,40f参照。 5) 秦『士師記』,40f参照。 6) BHQ *49参照。 7) 秦『士師記』,40f参照。
8) W. Groß, Richter (HThK.AT), Freiburg u.a.
2009, 222参照。
9) U . B e c k e r , Richterzeit und Königtum.
Redaktionsgeschichtliche Studien zum Richterbuch
(BZAW 192), Berlin 1990, 106参照。
10) G. von Rad, Der Heilige Krieg im Alten Israel,
Göttingen 1951, 7ff〔G. フォン・ラート『古代イ スラエルにおける聖戦』山吉智久訳,教文館, 2006年,11ff頁〕参照。
11) A. S. van der Woude, Art.,
dy"
, in: THAT I(19945), 670参照。 12) 秦『士師記』,40f参照。 13) Groß, HThK.AT, 218参照。
14) J. P. Floß, Jahwe dienen, Göttern dienen.
terminologische, literarische und semantische Untersuchung einer theologischen Aussage zum Gottesverhältnis im Alten Testament (BBB 45),
Bonn 1975, 382参照。
15) H. Niehr, Herrschen und Richten. Die Wurzel špṭ
im Alten Orient und im Alten Testament (fzb),
Würzburg 1986, 153参照。
16) 山吉「循環的定式」,28ff頁参照。
17) なお,サム上4:18(エリ), 7:6, 15-17(サムエル),
王下23:22も参照。
18) Becker, Richterzeit, 104; Lindars, Judges, 129;
J. C. McCann, Judges, Interpretation, A Bible
Commentary for Teaching and Preaching, Louisville 2002, 42〔J. C. マッカーン『現代聖 書注解 士師記』山吉智久訳,日本基督教団出版 局,2018年,77頁〕; A. Scherer, Überlieferungen von Religion und Krieg. Exegetische und reli-gionsgeschichtliche Untersuchungen zu Richter 3-8 und verwandten Texten (WMANT 105),
Neukirchen-Vluyn 2005, 27; Groß, HThK.AT, 218; 山吉「循環的定式」,31頁など参照。
19) 語根
xkv
/škḥの語義については,W. Schottroff,Art.
xkv
, in: THAT I (19955), 898ff; H. D. Preuß,Art.,
xk;v'
, in: ThWAT VII (1993), 1318ffなど参照。 20) ホセ2:15, 4:6, 8:14, 13:6。 21) エレ2:32, 13:25, 18:15, 20:11, 23:27.40。 22) 申4:9.23, 6:12, 8:11.14.19, 9:7, 25:19, 32:18, サム 上12:9, 王下17:38。 23)Groß, HThK.AT, 219参照。 24) Becker, Richterzeit, 105参照。
25) アシェラについては,C. Frevel, Aschera und
der Ausschließlichkeitsanspruch YHWHs. Beiträge zu literarischen, religionsgeschichtlichen und ikonographischen Aspekten der Ascheradiskussion
(BBB 94), Bonn 1995; BHH 136f〔『旧約新約 聖書大事典』,45f頁〕; NBL 184f; 山我哲雄『一 神教の起源―旧約聖書の「神」はどこから来 たのか』,筑摩選書,2013年,187f頁など参照。 26) GK28 §124参照。 27) これはメソポタミアにおいても見られる現象 で,ištaru(m)「 イ シ ュ タ ル 」 は, 特 に 複 数 形で「女神たち」を表し得た。D. O. Edzard, Mesopotamien, in: H. W. Haussig (Hg.), Götter und Mythen im Vorderen Orient (Wörterbuch
der Mythologie 1), Stuttgart 1965, 82参照。
28) Groß, HThK.AT, 219参照。
29) Frevel, Aschera, 854ff; Scherer, Überlieferungen,
33ff; 山我『一神教』,184ff頁参照。
30) 碑 文 の 翻 字・ 翻 訳 に つ い て は,Z. Meshel
(Hg.), Kuntillet ‘Ajrud (Ḥorvat Teman). An Iron Age II Religious Site on the Judah-Sinai Border,
くの44例が『詩編』に集中する)。 53) 7:11では更に,別の動詞
qzx
/ḥzqを用いて,ギ デオンの「手は強くなる」と言われている。 また,デボラ−バラク物語の4:24には,「イス ラエルの子らの手は,カナンの王ヤビンの上 にますます堅くなった」(hvq
/qšh)という表 現も見られる。 Jerusalem 2012, 87ff参照。 31) 碑文の翻字・翻訳については,J. M. Hadley,The Khirbet El-Qom Inscription, VT 37
(1987), 51ff参照。 32) HAL 640; BHH 119〔『旧約新約聖書大事典』, 78〕など参照。 33) 七十人訳では,Cousarsaqaimと一語に音写さ れている。 34) 王下19:9//イザ37:9, イザ11:11, 20:3-5, 43:3, 45:14, エゼ30:4.9, 詩68:32など参照。 35) Groß, HThK.AT, 220参照。
36) E. A. Knauf, Richter (ZBK.AT 7), Zürich 2016,
56参照。
37) Groß, HThK.AT, 220; Knauf, ZBK.AT 7, 56参照。 38) H. Hänsler, Der historische Hintergrund von
Ri 3,8-10, Bib 11 (1930), 391ff; Bib 12 (1931),
3ff; A. Malamat, Cushan Rishathaim and the Decline of the Near East around 1200 B.C.,
JNES 13 (1954), 231ffなど参照。
39) Becker, Richterzeit, 106; Groß, HThK.AT, 220
など参照。
40) G. Ryckmans, Les noms propres sud-sémitiques I,
Louvain 1934, 172参照。
41) H. B. Huffmon, Amorite Personal Name in the
Mari Texts, Baltimore 1965, 206参照。
42) AHw 335f参照。
43) HAL 856; H. Rechenmacher, Personennamen
als theologische Aussagen. Die syntaktischen und semantischen Strukturen der satzhaften theophoren Personennamen in der hebräischen Bibel (ATS
50), St. Ottilien 1997, 28fなど参照。 44) 山吉智久「ヨシュアは二度死ぬ―士師記の二 重の始まり―」,『聖書学論集』48(2017年), 9f参照。 45) 士1:11では,「行った」。 46) 士1:13では,「その内の小さい方」という文言 が加わる(士3:9参照)。 47) 用いられている動詞は,本箇所では
!tn
/ntnであ るのに対し,士1:15ではbhy
/yhb*(創29:1, 30:1, 47:15, サム上14:41, 詩60:13, 108:13など参照)。 48) 士1:15では,「カレブ」。49) Lindars, Judges, 128ff; Scherer, Überlieferungen,
29f; Groß, HThK.AT, 222参照。 50) Groß, HThK.AT, 222参照。 51) Groß, HThK.AT, 222参照。 52) 本箇所以外には,士6:2, 詩9:20, 68:29, 89:14, ヨ ブ37:6, 箴8:28, コヘ7:19, ダニ11:12。頻繁に見 られるのが,形容詞の