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エジプトのコインと経済 (特集 途上国とコイン)

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Academic year: 2021

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エジプトのコインと経済 (特集 途上国とコイン)

著者

ダルウィッシュ ホサム

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

215

ページ

26-28

発行年

2013-08

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00003651

(2)

●はじめに

  コインや紙幣は、私たちの日常 生活と密着していて、多くの人が ほぼ毎日触れているものだろう。 日常生活のなかで、たとえば一〇 〇円玉を手に取ってまじまじと観 察することはあまりないが、誰も が他の国を訪れ、その国の紙幣や コインを手にしたとき、そのデザ インに見入った経験があるのでは ないだろうか。   世 界 の コ イ ン に は、 金、 銀、 銅、青銅、アルミニウムなど様々 な材質があり、私たちはそこに記 さ れ た 絵、 日 付、 数 字、 発 行 場 所、 大 き さ、 金 属 の 種 類 な ど か ら、その国の歴史やその国を統治 してきた人物などについて知るこ とが出来る。また、その国の統治 制度がどのように発展してきたの か(例えば王国から帝国、そして 共和国へ)を垣間見ることが出来 る。コインや紙幣は、その国が成 し遂げてきた偉業、重要な建造物 や記念日、そして多大な影響力を 誇った人物なども教えてくれるの だ。

一.

  エジプトで通貨としてポンドが 導入されたのは、一八三四年のこ と で あ る。 そ れ ま で エ ジ プ ト で は、オスマン帝国下にあった際に 導 入 さ れ た ト ル コ の ク ル シ ュ ( Kuru ş ) を も と に し た ピ ア ス ト ル を通貨として使用していた。一八 三四年にエジプトポンドが導入さ れて以降も、ピアストルは一ポン ドの一〇〇分の一の値で流通し続 けた。その後、一八八五年から一 九一四年まで、エジプトポンドは 非 公 式 な が ら 金 に 対 し て 固 定 さ れ、一九六二年までは公式にイギ リ ス ポ ン ド に 対 す る 固 定 相 場 と なった。一九六二年以降はアメリ カ ド ル に 対 す る 固 定 相 場 に 変 わ り、一九八九年からは変動相場制 になっている。   エジプトポンドは、アラビア語 ではジネー・マスリといい、エジ プト方言ではギネー・ミスリとい う。エジプトポンドの補助単位は ピアストルまたはキルシであり、 一〇〇ピアストルが一ポンドに値 する。ギネーというのはアラビア 語ではなく、一六六三年から一八 一四年の間にイングランド王国、 後にグレートブリテン王国、そし てイギリスで鋳造されたギニーコ インに由来する。   エジプトは、一九五二年の革命 で君主国から共和国へと移行する までは、通貨をインドとイギリス で鋳造していた。この革命後、エ ジプトは鋳造費用を抑え、国内の 通貨流通の需要に見合うように、 国内で通貨を鋳造するようになっ た。

二.

 通貨のデザインから見る

エジプト

  エ ジ プ ト の 通 貨 は 、 多 く の 国 と 同 じ よ う に 十 進 法 で あ る 。 紙 幣 に は 、 二 〇 〇 、 一 〇 〇 、 五 〇 、 二 〇 、 一 〇 、 五 、 一 ポ ン ド 札 が あ り 、 コ イ ン は 五 、 一 〇 、 二 〇 、 二 五 ピ ア ス ト ル コ イ ン が 公 式 に 流 通 し て い る 。 エ ジ プ ト 政 府 は 、 小 額 紙 幣 を コ イ ン に 置 き 換 え 、 五 、 一 〇 、 二 〇 、 二 五 ピ ア ス ト ル コ イ ン の 鋳 造 を 中 止 す る と し 、 二 〇 〇 五 年 に は 五 〇 ピ ア ス ト ル コ イ ン と 一 ポ ン ド コ イ ン が 発 行 さ れ 、 翌 年 か ら 流 通 す る よ う に な っ た 。 一 ポ ン ド 紙 幣 は 今 後 廃 止 さ れ る 予 定 で あ る 。   コ イ ン の 利 点 は 、 紙 幣 よ り も 長 持 ち し 、 古 く な り に く く 、 偽 造 さ れ に く い と い う 点 で あ る 。 紙 幣 を 洗 う こ と は 難 し い が 、 コ イ ン は 洗 っ て き れ い に す る こ と が で き る 。 筆 者 が 二 〇 〇 五 年 に 初 め て エ ジ プ ト を 訪 問 し た 際 、 エ ジ プ ト の ぼ ろ ぼ ろ に な っ た 小 額 紙 幣 の 汚 さ に 驚 い た も の で あ る 。 一 ポ ン ド 紙 幣 や 額 面 の 小 さ な 紙 幣 は 、 特 に 職 人 や 経 済 的 に 貧 し い 層 で 頻 繁 に 使 わ れ 、 多 く 流 通 し て い る 。肉 屋や 食 料 品

特 集

途上国とコイン

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を 扱 う 人 々 の 使 う 小 額 紙 幣 を 調 べ た と こ ろ 、 高 い 割 合 で 紙 幣 に 細 菌 が 付 着 し て い る こ と が 判 明 し た と い う 報 告 が あ る ( 参 考 文 献 ① )。 こ の た め 、 小 額の 紙 幣 を コ イ ン と 置 き 換 え る こと で 、 病 気 の 流 行 を 予 防 す る こ と が で き る と 期 待 さ れ て い る 。   エ ジ プ ト の 通 貨 で 、 多 くの 人 々 の 興 味 を 引 く の が 、 そ の 多 彩 な デ ザ イン で あ ろ う 。 エ ジ プ ト の 紙 幣 や コ イ ン に は 、 有 名 な 歴 史 的 建 造 物 、 モ ス ク 、歴 代 フ ァ ラ オ な ど が デ ザ インさ れ て お り 、 土 産 と し て 持 ち 帰 る 人 も 多 い 。 例 え ば 、 新 し く 流 通 し た 五 〇 ピ ア ス トル コ イン に は 、 ク レ オ パ ト ラ の 横 顔 が 、 一 ポ ン ド コ イ ン に はツ タン カ ー メ ン 王 の マ ス ク が デ ザ イ ン さ れ て い る 。 二 人 と も エ ジ プ ト を 代 表 す る 歴 史 上 の人 物 と し て 有 名 だ 。紙 面 の 関 係 上 す べ て の コイ ン を こ こ に 掲 載 す る こ と は で き ない の で 、 エ ジ プ ト 中 央 銀 行 の ウ ェ ブ サ イ ト を ぜ ひ 参 照 し て い た だ き た い ( h ttp : // w w w .c be .o rg .e g/ E n gli sh )。   五 ピ ア ス ト ル に は 製 造 年 に よ り い く つ かデ ザ イ ン が あ る が 、 代 表 的 な の は エ ジ プ ト の 観 光 名 所 の ひ と つ で あ る ギ ザ の 三 大 ピ ラ ミ ッ ド が デ ザ イ ンさ れ た 銅 色 の コ イ ン で あ る 。 一 番 大 き い の が ク フ 王 の ピ ラ ミ ッ ド 、 中 央 に 位 置 す る の が ス フ ィ ン ク ス に 護 ら れ た カ フ ラ ー 王 の ピ ラ ミ ッ ド 、 そ し て 小 さ い の が メ ン カ ウ ラ ー 王 の ピ ラ ミ ッ ド で あ る 。 写 真 は 、 別 のデ ザ イ ン の 五 ピ ア ス ト ル コ イ ン で 、 イ ス ラ ー ム 的 な 模 様 が 刻 ま れ た 壷 が 描 か れ て い る 。             一〇ピアストルコインは、五ピ ア ス ト ル と ほ ぼ 同 じ 大 き さ で あ り、色は金色である。一八一六年 に亡くなったムハンマド・アリー の息子を偲んで建造されたカイロ にあるムハンマド・アリー・モス ク が デ ザ イ ン さ れ て い る。 写 真 は、一九七二年に鋳造された別の デザインのコインで、象徴的な統 合にとどまり一九七七年に解体し たアラブ共和国連邦の国章の鷹が デザインされている。   ア ル= ア ズ ハ ル ・ モ ス ク が デ ザ イ ン さ れ て いる 銀 色 の コ イ ン が 、 二 〇 ピ ア ス ト ル コ イ ン だ 。ア ル = ア ズ ハ ル ・ モ ス ク は 大 部 分 が フ ァ ー テ ィ マ 朝 期 の 九 七 二 年 に 建 造 さ れ 、 今 で は モ ロ ッ コ の ア ル = カ ラ ウ ィ ン 大 学 に 次 い で 世 界 で 二 番 目 に 古 い 大 学 と し て 知 ら れ て い る 。     二五ピアストルコインにもデザ インが複数あり、日本の五円玉の よ う に 真 ん 中 に 穴 の あ い た も の と、 穴 の な い も の が あ る。 イ ス ラーム的な唐草模様に似たデザイ ンが施されている。   五〇ピアストルコインには、表 に古代エジプトの最後のファラオ で あ る ク レ オ パ ト ラ の 横 顔 が あ り、裏にはアラビア語と英語で五 〇ピアストルと記されている。   一ポンドコインは、二種類の金 属から成る。外側は銀色、内側は 金色で、一九二二年にツタンカー 筆者撮影

エジプトのコインと経済

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メン王の墓から発掘された黄金の マ ス ク の デ ザ イ ン が 施 さ れ て い る 。

三.

 コインからみるエジプト

経済

  現在エジプトで使用されている コインは、五〇ピアストルと一ポ ンドコインがほとんどだ。この二 つの新しいコインが製造されたの にはいくつか理由があるが、紙幣 に比べて鋳造の費用がかからない ことと、紙幣よりも長持ちすると いうのが大きな理由である。新た にコインを作ることで、汚れた小 額紙幣と置き換えることが可能に なり、コインのリサイクルも可能 となった。エジプト政府は、新し いコインを導入することで、エジ プト通貨に対するイメージ向上を 狙い、紙幣製造のコストを削減し ようとしたのである。以前はピア ストルの紙幣も作られていたが、 今では二五ピアストル紙幣、五〇 ピアストル紙幣、そして一ポンド 紙幣はほとんど使われておらず、 逆に使おうとすると受け取っても らえないこともしばしばなので、 エジプトに行く際には注意が必要 だ。   エジプトポンドの価値は日に日 に弱くなっており、コインをたく さん持ち歩かなくてはならないと いう問題が起こっている。多くの 商 店 で は、 そ の 日 店 じ ま い す る と、膨大な量のコインを数えなく てはならないという事態に陥って い る。 そ の 数 が あ ま り に 多 い た め、金額を正確に数えるのではな く、コインを重さで計算するとい う人も少なくないのだ。例えば、 一キロの一エジプトポンドコイン を集めると、およそ四一ポンドに なる。また、五〇ピアストルコイ ンの一キロ分は三〇ポンドに相当 す る( Ahram 、 二 〇 一 〇 年 七 月 三 一 日 )。 エ ジ プ ト ポ ン ド の 価 値 がさらに下がれば、より多くのコ インが必要となり、店主たちは頭 を抱えることになるだろう。   二〇一一年の「アラブの春」の 革命前、エジプトの通貨は、比較 的大きな外貨準備高によって支え ら れ て い た。 二 〇 一 一 年 初 め に は、エジプトの外貨準備高は、三 六〇億米ドルに達していた。二〇 一一年の一月二五日革命後の政治 的混乱、資本の流出、経済成長率 の低迷により、エジプトの外貨準 備高は一五〇億米ドルへと二年の う ち に 激 減 し た( Eg ypt Inde -pendent 、 二 〇 一 三 年 一 月 一 五 日 )。 ホ ス ニ ー・ ム バ ー ラ ク 政 権 の崩壊以降、海外からの投資と観 光収入が激減し、外貨準備高は六 〇 % も 落 ち 込 み、 経 済 成 長 率 も 三%低下し、エジプトポンドの急 激な切り下げが起こっている。こ れら全てが、食糧価格の高騰、失 業率の高まり、燃料と調理用ガス の不足という事態につながり、エ ジ プ ト 人 エ コ ノ ミ ス ト の ガ ラ ー ル・アミン曰く、エジプトは一九 三〇年代以降、最悪の危機的状況 に 陥 っ て い る( Ahram 、 二 〇 一 三年五月一七日) 。   エジプトは、食糧や燃料を含む 多 く の 必 需 品 を 輸 入 に 頼 っ て い る。エジプト経済は、小麦や燃料 に対する補助金を減らすなどの改 革を実行すれば、現在の混乱と政 治不安がさらに悪化するかもしれ ないというジレンマに直面してい る。他方で、何も対策をとらなけ れば、経済状況は悪化の一途をた どり、人々はより大きな困難に直 面することになる。そうすれば混 乱と政情不安は悪くなる一方で、 エジプトの移行期政治プロセスを 脅 か す こ と に な る。 言 い 換 え れ ば、エジプト政府は、政党間で合 意を形成し、安定を約束すること ができない限り、勝ち目のない状 況に置かれているのである。 (二〇一三年五月二九日脱稿) ( Darwisheh Housam /アジア経済 研究所   中東研究グループ) 《参考文献》 ① A .F . S ah ab , B ah ia D is so ki, S o h ie r S a h a b a , S e h a m B a d ie , a n d O lf a t H a n a fy 2 0 1 2 . “S tu d ie s o n F u n g a l C o n ta m in a tio n o f C u rr e n t E g yp tia n P ap er B an kn o te s ” In te rn a ti o n a l Jo u rn a l o f M ic ro bi ol og ic al R es ea rc h 3 (1): 75-81.

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参照

関連したドキュメント

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端を示すものである。 これは漸江省杭州市野下人 民公社に関する 1958

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出版者 日本貿易振興機構アジア経済研究所/Institute of Developing Economies (IDE‑JETRO) .

権利 Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア 経済研究所 / Institute of Developing.

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国際図書館連盟の障害者の情報アクセスに関する取

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