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Title
歴史に学ぶ歯科医療の打開(II) : 静脈内注射事件(そ
の2)
Author(s)
吉澤, 信夫
Journal
歯科学報, 111(2): 153-162
URL
http://hdl.handle.net/10130/2375
Right
11.第8回公判での検事の論告
しかし最大の注目は,なんといっても1937
(昭和
12)年12月20日の第8回公判であろう。まず検事の
論告(資料1−8)が興味深い。歯科の歴史と進歩発
展,そして本質と現状をよく知り,歯科側の証人の
発言内容を詳細に吟味して公判に臨んでいることが
わかる。また,それに論駁する中井川,山崎両弁護
士の弁論内容は綿密な調査と分析にもとづいた冷静
な論旨とともに,時には明治人の気魄を秘めた熱情
を垣間みる思いが感じられる。今日でも模範とすべ
き種々の内容が,随所に現われていると思う。
検事は冒頭,「元来,歯牙口腔の如きは身体の重
要な部分でありまして,之に関する疾患或は其の治
療と云ふやうなことは,全身的に重要な関係を持っ
て居るものでありますから,全身医学教育を必要と
することは敢て一般の医師と異なるべきものではあ
りません。」と述べている。さらにつづけて「従っ
てここに理想を申上げますと,今日のやうに特別の
医師でなくして,一般医師の1専門科,(中略)之を
法律的に申しますと,歯科医師法といふものは医師
法中に解消すべきものである,斯様に考へます。」
とまで断言している。医歯二元論を死守しようとす
る者に対しては,正攻法といってよいであろう。後
に最初の弁論を展開する中井川弁護士でさえも,
「(前略)其の点に於きまして,歯科医学と云ふも
のは,理想論を申しますと,1分科である方が宜い
かも知れません。それは検事さんの論告中にありま
したけれども,私もさう云ふ意見を持って居ない訳
ではありません。併し今日の法制に於きましては
(中略)仕方がないと思ふのであります。故に私は理
想論をここで申すのではありません。」と応じてい
る。
検事の論告は,たたみかける。「歯科医師の全身
的医学教養水準と云ふものは,一般医師に比して
稍々遜色があると云ふことは,国定試験の項目程度
並に歯科医学の発達の歴史等に徴して明白でありま
けだす。蓋し是は業務の目的が身体の一局所に限定せら
れて居る関係上当然のことであらうと考へます。」
「其の静脈注射が他の条件と合致して身体に悪影
おもんばか あらかじ響を生ずることを慮って,予め全身的の審査をしな
ければならぬと云ふことは,當法廷に於きまして奥
また村証人(前号,資料1−5)も亦加藤証人(資料1−
6)も等しく申述べて居る所であります。」と引用し
ているが,つぎの発言は,やや論理を飛躍させてい
る。
「全身の機能を調べて,静脈注射を禁ずべき状態
を発見すると云ふやうなことは,明白に是は歯科医
師の業務範囲でないのであります。」
「殊に静脈注射が特異体質にしてショック其の他
の全身的悪影響を生じたる場合,直ぐに之を発見
し,適切なる善後処置を取ると云ふことは,医師に
あらざればなし得ざる所でありますから,静脈注射
自体が歯科医業の範囲外なることは以上を以て明白
であると考へます。」
立場上,あくまで検事であることを踏まえた論告
で,論理の組み立てに苦労しながら,最終的に原審
通り罰金20圓を求刑している。しかしその表現も内
容も,時に新しい歯科への前向きな評価を巧妙に織
り込んでいるように受け取られる。
― 解 説 ―
歴史に学ぶ歯科医療の打開(Ⅱ)
静脈内注射事件(その2)
吉 澤 信 夫
山形大学名誉教授
153 ― 25 ―12.歴史に残る両弁護士の弁論
弁護側の弁論は,一層慎重な理詰めである。話し
ことばがそのまま文字になっているので,資料を読
むときはかなり冗長な感を禁じ得ないが,実際の法
廷で,それも裁判官や検事等,医学にはかなり疎い
相手にわかりやすく説明しながら主張するので,何
度も繰り返しやダメ押しをしながら進めるのも必
要,やむをえないところであろう。
中井川弁護士の場合(次号資料1−9)はかなり具
体的で,臨床に直結する内容が多い。まず,有罪と
された第1審での記録では検事側証人の証言のみが
取りあげられ,自分の弁論要旨も遠藤教授の証言も
実際とは懸け離れていたことを強調して,公判の流
れを変えようとしている。これは,逆転判決を勝ち
取ろうとする意欲的戦術であるといえよう。
つぎに同弁護士は,1907
(明治40)年4月に出され
た神奈川県知事に対する内務省衛生局の回答書を引
用している。それは「歯科医師の業務は専ら歯牙治
療又は保護に関する施術をなすの外,歯科治療上直
接関係ある歯齦,顎骨,其の他口腔局所の治術をな
すにあり」というものであるが,このときはさら
に,鎮痛,誘導(この意味は不詳),消炎の目的で下
剤を交付することは差支えない,との解釈が添えら
れていることを紹介した。これは胃腸をなおすため
に下剤を用いるのはいけないが,歯牙の目的ならば
差支えないという,「御念の入った文書」であると
皮肉まじりに解説して,歯科における治療方法の制
限論には誤謬があるとする一方,歯科医師の治療に
ついては無制限論を正当とする,重要な口火を切っ
たといってよい。内服薬が消化器系を通じて吸収さ
れ,全身に循環することを承知の上で,差支えない
とされていることは,とりもなおさず同様に全身的
治療である静脈注射を否定できないではないかと,
間接的に迫った瞬間である。
局所麻酔薬でさえ,拡散する。口腔の局所に止ま
ることなどありえない。口腔内治療にこだわって,
炎症のある口腔の局所に直接注射などしようものな
ら,病菌を拡散してかえって危険である。したがっ
て治療のアプローチは口腔内に限定せず,口腔以外
のルートから薬物投与はもちろん,必要に応じて今
日的治療ならば高カロリー栄養なども含めて積極的
に管理すべきだ。さしづめ現代ならば当然の論旨で
あるが,薬の採否については,「歯科医師の自由裁
量によってこそ,はじめて歯科医学の効用というも
のが発生する」というふうに,慎重に言葉を運んで
いる。
健康保険は公的に認められた契約であるために,
歯科医業の範囲であることの証拠として提起してい
る。顎骨骨折は当時から歯科の得意とする傷病であ
り,背景に戦時体制のあったことから,これは歯科
側に有利に働いたにちがいない。超短波療法につい
からふとても,樺太(現サハリン)からの照会に対する内務省
衛生局長の回答書では是認されたようで,本治療法
はまさしく口腔内ではなく,口腔外からの治療であ
ると強調している。
13.鍼灸術と歯科医療
ただ検事側の加藤証人ばかりでなく,中井川弁護
士までも鍼と灸に関しては「今日かなり世界でも日
本の歯科医師と云ふものは進歩したとは言へ,灸を
やるとか,鍼をやると云ふやうなことはまだ文献に
出て居りません。それ故に歯科医師の業務範囲でな
いと云ふことは,歯科医も之を承知して居るのであ
ります。」と述べていることに,時代の変化を痛感
する。
第2次世界大戦後,上海の病院で扁桃腺摘出術に
応用された針麻酔が,1965
(昭和40)年頃になって広
く日本でも紹介され,無痛分娩や抜歯にも応用され
た。筆者らも追試したが,鎮痛効果は確かにある一
方,抜歯窩からの出血は,血管収縮薬を添加した局
所麻酔薬を用いる浸潤麻酔にははるかに及ばなかっ
たことを経験している。しかし,漢方医学が再評価
つ ぼされるきっかけとなり,経絡や経穴といった西洋医
学にはない人体の概念を知ることになった。今日,
鍼灸の有用性が広く認識されていることはいうまで
もないが,針麻酔の歯科における臨床応用の現状
は,遺憾ながら寡聞にして知らない。
14.山崎弁護士の医史学と医事法制
これに対し,山崎弁護士の弁論は格調の高い哲学
調である。冒頭,氏は裁判所へ敬意を表したいと述
べ,本件がわずか罰金20圓という略式命令で済むよ
うなごく軽い事件にも拘わらず非常に「御鄭重に」
歯科学報 Vol.111,No.2(2011) 154 ― 26 ―証人調べを行い,また期日すなわち日程調整につい
ても便宜を計らってくれたことを感謝している。こ
れは新憲法下の今日では当然のことであるが,明治
憲法の,しかも戦時下の司法であるから,現代とは
まったく事情が異なる。
「尚昨今,世間では,何か裁判所と検事と弁護士
とが対立するやうな忌はしい評判を耳にしますが,
本件に於ては,立会の検査官も亦虚心坦懐に本件の
真相,真実の発見に御努め下さいました。」と,検
事にまで気遣いを示している。
弁論内容を見ると,本件は山崎弁護士のもっとも
得意とする医史学と医事法制を含む領域であったよ
うだ。この人物を弁護士に担ぎ出した背景は知る由
もないが,興味深い裏話があったに違いない。「医
事法規の如何は医学発達を支配す」というタイトル
では,江戸末期のエピソードを紹介している。コレ
ラの大流行があった際,禁止していたオランダ医学
を幕府があわてて許したこと,明治天皇に高階少典
安芸守が密かに建白書を送って西洋医学全般の差し
許しが布達されたこと,それにより明治10年のコレ
ラの大流行を防いだこと,そして種痘術の発達に合
わせて種痘に関する色々の規則ができ,制度化した
ことが,内地で“あばた”の顔を見なくなった理由
である,などとしている。
あ ん ま按摩については徳川時代,盲人がやるのが原則で
杉山流が支配していた。ところが目明きで按摩をや
る吉田流が登場し,按摩規則がつくられた。そこで
甲種(目明き)と乙種(盲目)の2種につき資格条件を
設定したところ,矛盾した条項があり,受験願書を
出した者が無免許按摩をやったとして告発起訴,罰
金20圓に処せられたことがとんでもない法規の解釈
の結果だと非難している。この他,1899年にシャ
ドックが血球凝集反応を発見していたにもかかわら
ず,大正時代に輸血療法の導入をめぐって医学の進
歩と,それについていけない社会の感覚との間にズ
レがあって実施は見送られていた。しかし,結局輸
血療法を規制する法規などは制定されなくても,後
年次第に実施されるようになった。
ここで山崎弁護士は,現代にも通ずる医療と法制
の関係のあり方について「医療の発達は,必ずしも
法規の制定によらなければならぬわけではなく,医
学の進歩発達につれて,その領域が伸縮するもので
ある」と断じ,このことが判決にも影響を与え歴史
的に重要な判例となって残されている。
15.医療倫理から生命倫理へ
しかしこの時,暗に問題提起されているように,
医療の発達がすべて医療従事者の自由裁量に委ねら
れてよいのか,換言すれば法律で規制されていない
から何をやっても許されるのかというと,当然そう
ではない。
第二次世界大戦時,医学はとんでもない人体実験
をした。それも毒ガスの開発をはじめとする非人道
的な,原爆製造にもまさる「悪魔の科学」である。
戦時下で,軍による圧力があってやむをえなかった
と抗弁する者もいたが,それを実施したのは他なら
ぬ医学者であった。
このような事例はドイツばかりでなく,日本の旧
軍政下で九州帝国大学でも手術ならぬ生体解剖が行
われた事例があるが,我が国の場合は長い間一般に
は知られていなかった。1958
(昭和33)年に発表され
た遠藤周作氏の小説「海と毒薬」は大体がフィク
ションであるが,1979
(昭和54)年になって当時の現
と う の と し お場の目撃者であった東野利夫氏は,文芸春秋から
「汚名 九大生体解剖事件の真相」を出版した。同
氏は日本ペンクラブ会員で,現在も講演活動をつづ
けている。
ヨーロッパでは有名なニュルンベルグの国際裁判
で,ナチスが行った残虐な人体実験の事実が明るみ
に出されて世界に衝撃を与え,ニュルンベルグ綱領
(人体実験を規制する10項目からなる基本理念)が制
定された。この後1947
(昭和22)年9月に第1回世界
医師会がパリで開催されて以来,ジュネーブ宣言,
ヘルシンキ宣言,リスボン宣言等次々と多くの政策
文書を採択し,医師自らを律する傾向が定着した。
しかしこれが一般医療の現場に倫理として現れる
までには,まだかなりの時間を要した。米国でも
1950年代に医師が患者に対して詳しい説明をすると
いった習慣はなく,1960年代になってようやく新し
い概念としてバイオエシックス(bioethics,生命倫
理)という考えが芽生えはじめた。これは,従来か
ら存在したメディカルエシックス(medical ethics,
医の倫理)という概念とは,性格を 異 に す る。メ
ディカルエシックスは医聖ヒポクラテス以来の職業
歯科学報 Vol.111,No.2(2011) 155 ― 27 ―倫理をふまえて,英国マンチェスターの Thomas
Percival(1740∼1804)が1803年に出版した同名の書
から一般に使われるようになったもので,いわば医
師の側からの自制自戒である。
これに対してバイオエシックスは,米国における
第二次世界大戦後の市民の権利主張の潮流に乗っ
て,患者の人権意識が高まった結果生まれてきた概
念と考えられる。したがって,ヒトを対象とした
biomedical research の被験者のみならず,医療を
受ける患者の人権保護のための法的概念として発達
し,結果として informed consent なる規範を確立
するとともに,bioethics 自体は新しい倫理の学問
体系を意味する用語になった(星野一正「説明と同
意について」日本医師会雑誌101巻第4号;平成元
年2月15日)ことに注目しなければならない。
し か し,1990年 頃 に 米 国 か ら 輸 入 さ れ た
in-formed consent は,日本の医療行政でかなりの誤
解と混乱を生じた。基本的に inform という用語は
片方向性であり,communicate する双方向性では
ない。ともすれば一方的に説明さえすればよいとの
誤解が,実際の臨床で少なからず生じた。最近に
なって説明責任(accountability)という言葉が医療
以外でも使われるようになり,ようやく前者は患者
の権利で,後者は決して高邁な対応ではなく,医療
者の義務にすぎないという関係が理解されるように
なった。
この説明責任という用語も概念も,わがくにの医
療の世界では21世紀になるまで,明確ではなかった
といわざるをえない。ただし,最近では政治家の世
界でも金にまつわる不透明な事件が起ると,この説
明責任という掛け声がマスコミをはじめ多方面から
強調されるようになった。情報公開と個人情報保護
という本質的には矛盾したルールの狭間で,社会全
般が困惑しながら複雑な人間関係を体験している現
在,医療関係者は自身の苦境をもっとアピールして
もよいのではないだろうか。
16.医事法規の解釈運用は揺れ動く
山崎弁護士の弁論にもどる。氏は,医事法規が如
何に完備していても,その(行政,司法による)解釈
取扱が誤っていたら医学の発達や働きを阻害し,医
療の適正を妨げる,と繰り返し強調している。江戸
時代,医師には種々の特権を認めていた例として,
城の門への夜中の出入とか,殿様の行列を医師が往
診の際に横切ってもこれを許したといった話を紹介
する一方,明治以降になって地方の行政官庁や裁判
所が「往々間違ひをして居ることが少なくない」と
指摘している。また,見習看護婦を無免許看護婦と
して罰金に処し,指示した医者をその教唆として処
罰した下級裁判の1,2審に対して,大審院がこれ
をくつがえし無罪判決を下した三重県津の事例を引
用し,痛烈に批判している。
この山崎弁護士の弁論で,明治時代の内務省衛生
局が死産証書と死胎検案書との区別について誤った
通牒を出したことがある,と指摘したのは,平成の
今日でも大きな問題となっている医師法21条の解釈
にも通ずるところがあると思われる。まして産婆が
「妊娠診察」と看板に出したところ,産婆は診察す
ることはできないと警察が取り締まったのは,明ら
かに警察の無智から起った誤りとしている。助産師
の存在は産科医よりも歴史的に古く,法制上も別格
である。ちなみに助産師は医師と同様に死産証書,
死胎検案書を作成,届け出ることができる。この規
定は,歯科医師関係法規にはない。
診察については,無制限論優位の根拠が列挙され
ている。灸術者が聴診器や診察用の器械を用いた事
例に対する無罪の判例は,有力な証拠であろう。
17.歯科医療から鍼灸を排除できない
中井川弁護士が先の弁論で,鍼灸を歯科医療から
排除したとも取れる発言をしたのは,治療方法の無
制限論からすると矛盾し問題が残るとして,筆者は
針麻酔による除痛法で抜歯した例を紹介した。この
ことに通ずる展開を示したのは,山崎弁護士の巧妙
な文献引用である。昔は歯牙の治療に盛んに鍼術を
用いたとして,関白藤原兼実の日記「玉葉」から,
し ぎ ん歯齦に鍼術をやったことを紹介している。
18.山崎弁論の総括
山崎弁護士は,
「裁判事件につき事案に対する判断,法規の解釈
取扱は,裁判所が公正の見解に基いてすべきもので
あって,行政庁の取扱振りなどは顧慮すべきもので
はないのであります。殊に衛生当局者は法律家では
歯科学報 Vol.111,No.2(2011) 156 ― 28 ―ないのでありますから,従来随分誤った訓令,解釈
をして居ります。」と,裁判所の判断に従わない行
政官を痛烈に批判している。
そして「治療方法及び何がその科の領域であるか
は,其の時代の医学及び医術の発達によるもので
あって,一概に論談することはできぬものであっ
て,その時代の医学の発達を対照として断定しなけ
ればならぬのであります。」とだめ押しした。これ
は長野県知事からの問い合わせに対して衛生局が,
歯科医師は鍼術や灸術はその業務の範囲でないとい
う回答(衛医第883号)をしたことにやんわりとその
誤謬を指摘して反論する一方,中井川弁護士の危う
い発言を中和する深謀があったとみるのは穿ち過ぎ
であろうか。
(参考文献等は最終回に一括して掲載)
資料1−6
加藤寛二郎(警視庁医務課長)氏証言
裁判長 歯科医師はその治療範囲はどういふ範囲が許さ れておるか。 加藤氏 一歯科雑誌に殊更に感情的に私を誹謗して居る のは甚だ心外とするところである。良心の命ずるま まに陳述するのであって,何ら私心を挟まないもの である。 只今お尋ねの歯科医師の業務でありますが,現在は 医師法並に歯科医師法と云ふものがあって対立して居 ります。さうして各治療の分野が独立して居るのであ ります。従って免許の範囲も医師法に於ては一般全身 の疾患を治療すべき免許を与へ,歯科医師に於ては所 謂歯科領域の範囲に於て免状を与へて居るのでありま す。従って歯科医師の教育は口腔の疾患,歯齦の疾 患,技工といふ範囲の診療能力が附与されて居ると考 へます。従って歯科の実力の有無の問題でなくして, 法制の上に明かに歯科領域に於ける診療能力を附与さ れてあって,一般の全身の治療は出来ないことになっ て居る。そこで国家試験でも歯科医師法に基いて科目 が定められて居て,薬物学でも病理学,口腔外科学等 も歯科医師に必要な程度に止められて居る。実際問題 と致しましては全身の方面に対して造詣を持って居る 方があるかも知れませんが,規則の上に於ては,法制 的にはさういふことは要求して居りません。併し医学 の教育といふやうな建前から現に歯科医学専門学校あ たりでは,国家試験に定められて居る以上に,教材を 充実して居ると存じて居ります.それは一般の医学者 が歯科の領域に関することを研究することも亦,反対 に歯科医学者が全身に関係する事柄を研究することも 自由であると思ひます。学術の進歩といふものは当然 さふなって然るべきだと考へて居ります。 併しながら所謂研究の範囲を超越してそれを業とし て行った場合には,それは違法であると信じて居るの であります。そこで仮に歯科医師の教育に於きまして も非常に高いものもあり,低いものもあると思ひま す。が歯科医師法の立場から定めますと,少くとも現 在の国定試験が歯科医の水準であると信じて居りま す。歯科といふ領域を定めて,それに依て国家が免状 能力を附与するのでありますから,最高の歯科医を要 求するのでもなければ,最低の歯科医を要求するので もない。その国定試験を標準にして,それが歯科医術 の普遍的の教養であると考へて居るのであります。併 し一面,歯科医学専門学校は先刻も申しあげましたや うに,非常に科目が多いし,教材も充実し,到底国定 試験の比でないのであります。 併しながら仮りに学校で全身関係の事柄を教へたと 言ひましても,其の法定の制限を教へたといふ事実に 依って撤去すべきでないと信じております。それは何 故かと申しますと,私共が考へます時に,一般医術を 教へる医者の方に於きましても,歯科の技工に対して は禁止されて居ります。それを行はんとする時には, 内務大臣に特に許可を要することになって居ります。 自らなすことが出来なくてもそれを知って居るといふ ことは好ましいことであり,当然さうあるべきことと 思ひます。 それと同様に歯科医術に於きましても,少くも必須 科目以外のことを知って置く必要がある。例へば産婆 は正常分娩を扱ふのが本旨で異常分娩は扱へないこと になって居ります。産婆教育の実際を見ますと,正常 分娩ばかりでなく,異常分娩に関しても教育を受けて 居ります。それは当然のことと思ひますが,それある が故に制限された以上のことまでやることは宜くない のであります。静脈注射等もさうであります。先刻申 し上げますやうに,歯科医師の免許能力が歯科領域の 診療能力である。口腔内の疾患といふやうなことが歯 科の許された歯科医術であります。従って全身に関係 する事柄については出来ないものと考へて居ります。 現在の法制上の見地から見ますと,歯科医業の関係は さういふものであります。全身関係ののことに対して 或は出来る人もあるかも知れませんが,それは一般的 のものでない。研究であるとか,新しい学説とか或は 定められた以上の事柄を知って居るといふのは是は一 部のものでありまして,決して一般的にそれが歯科医 全体に普及して居るといふ考へは持てないと思ひま す。 裁判長 そこで歯牙疾患に関する口腔内の疾患を治療す 歯科学報 Vol.111,No.2(2011) 157 ― 29 ―る目的で歯科医が「クロール,カルシウム」の静脈注 射をすることは,歯科医業業務に属するのですか,ど うか。 加藤氏 属せないと考へます。其の理由の第一と致しま しては,静脈注射の治療上の地位を申上げたいと思ひ ます。静脈注射といふのは全身的に影響を齎す一つの 療法であります。単一な臓器機関を治療すると致しま しても,全身関係を除去しては考へられない一つの方 法であります。従って是は医学上,選択療法と申しま して色々選択して行はなければならぬものでありま す。全身に影響する限り,静脈注射といふものは一般 医学の研究範囲であると信じて居るのであります。静 脈注射に関する研究実験は,一般医学を基礎として始 めてされる研究事項と思ひます。一般医術を修得して 居るものが,歯科医学者に於ても全身関係の一般医学 の知識,経験を持った方が研究される事項でありまし て,此の原則は将来に於ても決して此の規範を脱する ことは出来ないと思ひます。之を考へます時に静脈注 射の治療上の地位といふものは,一般医学の領域に属 するものであって,一般の医術を体得したものが之を 行ふべきものであると信じて居るのであります。 第二には,先刻申上げましたやうに,静脈注射とい ふものは特殊の治療方法でありますが故に,予め注射 を行はんとする其の人の個人的体質とか,健康状態と か,疾病とかを綿密に診断を行った後に,始めて施行 すべきものと考へて居ります。医学的に当然の原則と 思ひます。仮りにさういふ点に於て注意を欠く時には 相当危害を招来することは,予測しても差支ないと思 ひます。個人的に特異体質を持つものもありますから 施行前に十二分の予防的診察を行はねばならぬ。それ に依りまして或る程度まで危険の防止もできませうか ら,救はれると思ひます。予め斯ういふ場合に際会す ることを思って充分知識を具備したものが行はなけれ ばならぬものと信じて居ります。 それから静脈注射の危害に関する報告は,悪い方面 の報告は割合に少ないのでありますが,此の種のもの が危険であるといふことを最初に申上げますれば「ク ロイドギン」は,初めは非常に流行ったものでありま すが,危険を伴ふことが非常に多い。消炎剤として使 はれる注射でありますが,余り使はれなくなった。其 の次に「サルバルサン」でありますが,是は禁忌症が 非常に多いし又薬に依る特異性も相当に多く,不慮の 結果を起すことが多いのであります。それから近年 「トリパフラビン」といふものがありますが,是は消 炎剤として使はれて居りますが,中毒致しますと,死 亡することが相当にあります。それから最近には有名 なものでないやうに考へられました「カルシウム」製 剤の「サルチル」酸「カルシウム」,それに依っても 死亡したという報告を見たのであります。斯ういふや うなものは,ありふれた薬でありますけれども,矢張 適応を誤ったり或は事前に対する注意を欠いた場合に 於ては今申上げたやうな薬品の危険があることが報告 されて居るのであります。それから薬品に依るもので はありませんが,ショック死亡といふものもあり得る のであります。薬品の種類を問はずして吾々の身体に 入りました時に,卒然として行ふものであります。血 圧亢進を起す為だといふことになって居りますが,是 の特異体質等に多いのでありますが,是は診断しても 分らない場合が多いのであります。さういふやうな ショックを受けた時に,中止して適当なる治療を行っ たならば,さう云ふやうなショック死亡を途中で防い だといふ例もあるのであります。それから又最近に於 きましては斯ういふ学説が発見された。それは全身の 濾過装置である所の肝臓機能が全体的に障害を起して 居る場合に於ては,何んでもないと考へた薬でも, 往々にして不慮不測の結果を招来する,さういふ学説 を発表されて居る。又方面を変へて,技能上の拙劣に 依って起る危害も考へられるのであります。それは注 射に際しまして空気が注射管に入って居るのを気附か ずに一緒にやるとか,注射器の無消毒不完全消毒に 依って炎症を起したり,化膿するといふやうな場合も あり得るのであります。是等は申す迄もなく一般医術 の範囲に於て行ふべきものと信じて居るのでありま す。 次に問題の『クロール,カルシウム』でありますが 先刻申上げましたやうに静脈注射は歯科医業の範囲外 と思ひます。「クロール,カルシウム」は一時一般医 術の方面に於きまして非常に流行ったのであります。 殆んど万病に効く,結核に効く,出血炎症に効くとか で,一時は流行ったものでありますが,現在では大分 使用の範囲が厳格に批評されるやうになりました。 「クロール,カルシウム」が歯科方面に於て効くとい ふことは認めなければならぬ。認めて居りますが,そ れは唯今申上げた如く,決して「クロール,カルシウ ム」といふものはさう卓絶した効果を持つものではな いといふやうに,医学は批評して居ります。それが独 り歯科医術に於て卓絶した効果があるとは信じて居ら ないのであります。或る程度まで危険があるといふこ とがあり得ると信じます。 裁判長 併しさういふ静脈注射は必要欠くべからざる治 療方法だとふが。 加藤氏 それは考へられません。特に歯科方面にさうい ふ効果があるとは,学理上考へられないのです。吾々 の修得した所に依りますと,全然危害はないといふこ とは考へられません。一つの副作用のあることも考へ なければならぬ。「クロール,カルシウム」が特に特 歯科学報 Vol.111,No.2(2011) 158 ― 30 ―
効があるとは考へられません。今日の医学界の批評か ら申すと,消炎剤としても遥かに低い。それが歯科医 学者だけが独断的にさういふやうに決定すべきもので ないと思ひます。理論は別と致しまして「クロール, カルシウム」といふものが歯科医療上欠くべからざる ものであると,殆んど常識的に普及されて居るといふ 考へ方は観点が違って居ると思ひます。私共の教へら れた知識に依ると,さういふやうに絶対必要性を持っ て居るものでないと信じて居ります。 裁判長 訊きたいと思って居たことは大体話されたやう ですが,何か外に。 中井川弁護士 証人は今年九月行はれた歯科医の国家試 験に「クロール,カルシウム」の静脈注射に関するも のが出て居ったのを御存知ですか。 加藤氏 聞いております。 中井川弁護士 出題者は内務省ですか。 加藤氏 内務省は大体事務職員で,試験委員は皆その方 面に関する技術者でありまして大体民間の者もありま せうが,東京高等歯科医学校の先生方が試験委員に なって居るやうでございます。 検事 各道府県歯科医師会の診療報酬料金表は地方長官 の認可を得るものですか。 加藤氏 さうです。が地方長官は大体盲判を押すもので す。 山崎弁護士 地方長官は盲判を押しても,之を審査する 主務者は庁(編者註;道?)府県の衛生課長がやるもの と思ふが,此の料金表の中に静脈注射が認可されて居 るはどう云ふ訳か。 加藤氏 さあそれがどうも解りません。
資料1−7 奥村鶴吉氏上申書
奥村鶴吉氏は12月8日(前回;第7回公判)証人として 証言せられたが,更に証言を補足する為め次の如き上申 書を12月15日附を以て大野裁判長宛提出せられた。 拝啓益々御隆盛邦家の為め奉慶賀候 陳者小生儀去る12月8日証人として出廷致し御訊問に御 応へ申候得共不馴れの事とて言辞或は曖昧且つ不充分の 為め万一誤解等有之候ては誠に相済まざる次第に付き左 記の点に付書面を以て説明を補足致候間何卒御推読奉願 上候 昭和12年12月15日 東京市淀橋区下落合三丁目1,321番地 奥 村 鶴 吉 東京刑事地方裁判所第三部乙 大 野 裁 判 長 殿 記 歯科的疾病に対する静脈注射の危険性に就て ㈠ 塩化「カルシウム」を歯科に於て使用する場合に は,大概2%溶液10∼20CC を1回乃至3回内外,静 脈注射するものなり。本品は元来無害なる普通薬にし て前記の用量に於ては何等の危険なく,又不快なる全 身的影響を来さず。 他科の医師は特殊の場合を除き通例10回以上30回内 外の注射を行へども尚安全にして死亡を来したるが如 き例を見ず,僅かに本年1月皮膚発疹に対する本品静 脈注射に際し警戒すべき症状を呈したる旨の1例報告 ありたるも,同例は応急手当により直ちに快癒し,且 つ本品の中毒によるや否や明白ならず。 歯科医師が本品を使用するは其の疾病の種類及目的を 異にし従て注射の回数少く益々其の安全を保ち得るも のなり。 塩化「カルシウム」静脈注射が腎臓炎患者に対し, 其の使用を禁ずべき程有害なりとは信ぜられず。又余 の渉猟せる範囲に於ては本邦文献上に報告せされたる を見ず。 尤も歯性炎症に於ては炎症生産物等の刺戟により, 既存の腎臓炎を一過性に増悪する恐れ有るが故に局所 的療法に加えて,静脈内注射等により速に歯牙周囲及 顎骨の炎症を軽快せしむる必要あるなり。 ㈡ 中性「トリパフラヴィン」は前者よりも全身的影響 多きものなるも,歯科的使用の範囲に於ては未だ危険 なる結果を来したることなし。本品によりて中毒を起 したる場合には其の 軽症に於ては皮膚及鞏膜を黄色となす。之れとて も患者自身苦痛なく又危険なし。本品は歯科に於て は通例0.5%溶液5CC を2∼5回注射するものに して(他科の治療に於ては屢々10数回乃至20回以上 に上ることあり)軽症中毒すら之を起すこと稀な り。 東京歯科医学専門学校附属病院に於ては毎年少くと も50名以上の患者に対し,本品の静脈内注射を行ひ つつあるも,最近9ケ年間に於て前記程度の中毒と 見做すべきもの僅に2例ありたるのみなり。然も其 の黄色変化は患者自身之を認めざりし程度にて2日 内外にして消褪せり。 本品による中毒の重きものは,前記の黄色に加ふ るに,嘔吐口内炎或は口内灼熱感,消化障害,頸部 絞搾感,筋肉痛,発熱等を起すべきも,之は歯科以 外の医療に於ける報告にして歯科的治療のための使 用に於ては,斯くの如き症候を呈し又は死亡を来し たることなし。 葡萄糖液,薬品其のものによる危険は全く之を認 めがたし。尚歯科医師は現今静脈内注射の歯科的適 応症を知悉すると共に,之が使用上禁忌を要する場 合も判別し得,且中毒症候に対し応急的処置をなし 歯科学報 Vol.111,No.2(2011) 159 ― 31 ―得る能力ありと信ず。
資料1−8 第8回公判における検事の論告
元来,歯牙口腔の如きは身体の重要な部分でありまし て,之に関する疾患或は其の治療と云ふやうなことは, 全身的に重要な関係を持って居るものでありますから, 全身医学教育を必要とすることは敢て一般の医師と異な るべきものではありません。従ってここに理想を申上げ ますと,歯科医師といふものは今日のやうに特別の医師 でなくして,一般医師の一専門科,例へば内科とか,小 児科とか産婦人科と云ふ風な一般医師の一専門科になる べきである。之を法律的に申しますと,歯科医師法とい ふものは,医師法中に解消すべきものである,斯様に考 へます。之は理想でありまして,今日の歯科医学の発展 過程と申しますか,歯科医学が外科的乃至技工的の発達 を遂げて来た関係上,医師にあらざる所の特別の医師即 ち歯科医師と云ふものを生じ,従って医師法の外に歯科 医師法といふものが制定せられて,現に施行せられて居 るのであります。医師法の外に歯科医師法と云ふものが 制定せられて施行せられて居ります以上は理想は如何で ありましても,医師と歯科医師との間に,業務上の分界 を定めなければならぬのであります。 然らば歯科医師の業務範囲はどうであるかと云ふこと でありますが,歯科医師法には其の業務の範囲を明示し てありません。それは歯科医師の発達,歯科医学の医学 的教養水準の上昇に従って,其の業務範囲と云ふものは 漸次拡大されて居りますから,其の時代に於ける歯科医 師の医学的教養水準及び歯科医学の発達の程度と云ふも のを適用せしむることを得策として,斯様に歯科医師法 に於ては業務範囲と云ふものは明記してなかっただらう と思ひます。 然らば歯科医師の業務範囲を決定すべき基礎になるべ きものは何んであるかと申しますと,唯今申しました歯 科医学の発達の状態及び歯科医師の医学的教養水準と云 ふものでありますが,之を形態の上から見ますと,其の 業務範囲と云ふものは治療の対象即ち疾患と申します か,それと治療方法,所謂対象と治療法ー疾患と治療方 法,此の二者に分けて考ふべきであります。先づ歯科医 師の治療の対象は何であるかと申しますと,是は無論歯 科医学の発達に従って,新たなる病原等が発見されるこ とがありますと,是も漸次拡大されるのでありますが, 今日の如き歯牙の疾病或は歯牙に関係の口腔の疾病,斯 様に見て先づ大体論はなからうと考へます。只問題にな りますのは治療方法の範囲如何と云ふことであります が,其の治療方法の範囲如何と云ふことに就きまして は,直接口腔歯牙の疾病治療を目的とし,之に直接作用 する以上治療方法に制限はないと主張する,所謂無制限 論とでも申しませうか,さう云ふものと直接口腔歯牙の 治療を目的とし,直接に歯牙に作用する治療方法と雖 も,全身的影響を生ずる治療方法は,歯科医の業務範囲 でなお,斯様に主張する所の所謂制限論と申すものがあ るのであります。 現今,歯科医学と云ふものが非常に進歩して居ること は聞き及んで居り,又歯科医専等に於て生理学とか,病 理学と云ふ風な全身的の医学教養に相当の時間を割いて 居ることも當法廷に現れて居る所であります。又最近に 於ては歯科医師になるには,一定の学校の教育を必要と すると云ふ状況になって居ります。さう云ふ関係上,近 来歯科医学,医学的教養水準と云ふものは非常に高く なって来て居ると云ふことは,認めるに充分であらうと 考へます。併しながら歯科医師法の予定した所の業務範 囲と云ふものは,先程申上げました通り,必ずしも歯科 医学の先端を行くものではありません。と申しまして歯 科医学の末端を行くものでもない其の中道,其の中庸を 行くべきであらうと考へます。其の中道とは何か,是が 即ち歯科医師の医学的教養水準と申すべきものであらう と考へます。併し現在に於ける歯科医師の全身的医学教 養水準と云ふものは,一般医師に比して稍々遜色がある と云ふことは,国定試験の項目程度並に歯科医学の発達 の歴史等に徴して明白であります。蓋し是は業務の目的 が身体の一局所に限定せられて居る関係上当然のことで あらうと考へます。先程理想を申上げました通り,一分 科でなければならぬと云ふやうに考へて居るのでありま すが,現在の法制上,歯科医師の業務範囲と云ふもの がー治療の部位が一局所に限定されて居る関係上,全身 の医学的教養水準が一般医師に比して,稍々劣って居る のは当然のことである。斯様に申して居るのでありま す。歯科医師の全身的医学教養水準が一般医師に対して 仮りに相当の懸隔がある以上,仮令其の目的が口腔歯牙 の疾病にあり,治療の効果が直接口腔治療に作用すると 雖も全身的影響を生ずるやうな治療方法は之を避けなけ ればならぬと考へます。斯様な意味で,私は所謂制限論 を正当であると考へます。 然らば,本件に於ける「クロール,カルシウム」の静 脈注射は其の制限内でありませうか,或は制限外であり ませうか即ち歯科医師の業務範囲であるか,業務範囲外 であるかと云ふことであります。先づ静脈注射と申しま すと注射と云ふものは,甲たると乙たると問はず,血液 に何等かの異物を注入混和することであります。其の血 液は順調に身体の各組織を循環致しますから,全身的治 療方法であると云ふことは,議論の余地はないのであり ます。静脈注射をするに当りましては,消毒を厳重に し,其の操作に就ては空気を入れてはいかんとか,色々 な医学的の技術と云ふものが必要であります。其の技術 を修得するには相当な教養を必要とすることは当然であ ります。 歯科学報 Vol.111,No.2(2011) 160 ― 32 ―暫く是は問題外と致しましても,静脈注射をするに 当っては,其の静脈注射が他の条件と合致して身体に悪 おもんばか 影響を生ずることを慮って予め全身的の審査をしなけれ ばならぬと云ふことは,當法廷に於きまして奥村証人も 亦加藤証人も等しく申述べて居る所であります。即ち静 脈注射に際しては必ず全身的の予備審査を必要とすると 云ふことに就ては,是は問題がないのであります。只奥 村証人は,所謂事前の審査が現在の歯科医師の教養水準 にて足ると述べ,加藤証人は足らずと述べて居る点が相 違して居るだけであります。併しながら歯科医師の全身 的教養水準と云ふものが医師に比して稍々劣って居ると 云ふことは前述の如くであり,又其の上全身の機能を調 べて,静脈注射を禁ずべき状態を発見すると云ふやうな ことは,明白に是は歯科医師の業務の範囲ではないので あります。従って静脈注射をなすに当りまして全身の状 態を審査すると云ふ,それ自体に於きまして歯科医業の 範囲外であると云ふ事を物語るものであると考へます。 殊に静脈注射が特異体質にしてショック其の他の全身的 悪影響を生じたる場合,直ぐに之を発見し,適切なる善 後処置を取ると云ふことは,医師にあらざればなし得ざ る所でありますから,静脈注射自体が歯科医業の範囲外 なることは以て明白であると考へます。 併し「クロール,カルシウム」に対する特異体質があ ると云ふことは,明白と云ふ程に分ってはおりません が,少くとも腎臓炎に対しては厳禁すべきものであるこ とは明かであります。此の点に関して奥村証人の供述し た所に依りますと腎臓炎に対しては「クロール,カルシ ウム」は利尿剤として効果がある,斯様に述べておりま すが,加藤証人は之を駁して医学上「クロール,カルシ ウム」が腎臓に厳禁なることは明白になって居ると云ふ ことを述べて居ります。尚加藤証人の口吻を見ますと, 左様なことを誤るが故に所謂静脈注射をさせることが危 険であると云ふやうに聴き得たのであります。勿論本職 は医学上のことは専門外でありまして,果して何れが正 当かと云ふことに就ては確信をもつ者でございません。 併しながら腎臓炎と云ふものは一般医師の治療範囲に属 する関係上,矢張加藤証人の証言の如く「クロール,カ ルシウム」は腎臓炎に取っては厳禁すべきものと考へる のであります。 以上述べたやうに,本職は「クロール,カルシウム」 の静脈注射と云ふものは歯科医業の範囲外であると考へ ます。併しながら「クロール,カルシウム」の静脈注射 は歯科治療上,絶対的に必要なことであるか,即ち全身 的に及ぼすことあるべき多少の悪影響を犠牲としても, 尚歯科医業の範囲内と認めなければならぬ程特効があり や否やと云ふことに就て考へますと,加藤証人は之を否 定して居ります。然かも加藤証人の調査した所に依る統 計を見ますと,218人中−218人の「クロール,カルシウ ム」の静脈注射の適症と認むべき者の中で,只一人だけ が此の注射を受けて居ると云ふ所から考へて見まして も,必ずしも絶対的に必要な程度ー多少の全身的悪影響 を犠牲にして迄やらなければならぬ程の特効薬であると は考へられないのであります。 次に「クロール,カルシウム」の静脈注射は歯科医師 の社会に於て普遍的に慣行せられて居る方法でありませ うか。弁護人提出の地方に於ける報酬規定には「クロー ル,カルシウム」の静脈注射は幾らと云ふ風に規定がご ざいます。 其の点から見ますと一応普遍的な治療方法のやうに見 受けられるのでありますが,報酬規定中には明白に歯科 医師の業務範囲でない所の「カンフル」注射等も列記し て居るのでありますから,結局緊急巳むを得ざる場合に 「カンフル」をやり「「クロール,カルシウム」をやる 訳でありませうが,其の場合に於ける価格を規定したも のと,斯様に考へるのが穏当であらうと考へます。又先 程述べました218人の「クロール,カルシウム」の静脈 注射の適応患者で只一人だけ注射を受けて居ると云ふ事 実を考へますと,左程普遍的に行はれているものとは考 へられないのであります。 元来「クロール,カルシウム」の静脈注射等歯科医師 が今日学校で教へられて居ることは,必ずしも業務とし て通常行はれることだけを教へて居るのではありませ ん。常に使用しないが,時に臨んで緊急の処置としてや らなければならむことも教へるのは当然であります。 従って学校で教へることが総て業務の範囲と断定するこ とは出来ないのであります。しかも静脈注射を為すに際 しては,予め全身的の審査をなすべきものであると云ふ ことは,医学上の常識とする所であり,全身的審査を必 要とする治療方法は歯科医業の領域に属するものか,是 は容易に判断がつく所であるから何等の疑問もない。然 るに「クロール,カルシウム」の静脈注射は歯科医の業 務範囲内であると云ふ風に考へて,被告が施術したもの であると考へられるのであります。少くとも斯く主観的 に被告が思ってやったと云ふことになりますと,斯る断 定をしたことに対しては被告人に過失がないと云ふこと は云えないのであります。 斯ういふ結論に対しまして若し「クロール,カルシウ ム」の静脈注射を必要とする患者に,一応医者の所で静 脈注射を受けて来い,それから歯牙,口腔の治療をする と云ふことになりますと,患者に対して一種の負担を増 すと云ふ議論が出て来るのであります。成る程其の通り であります。斯るが故に先程も述べたやうに理想からす れば,歯科医師法と云ふものは医師法の中に解消し,歯 科医師は医師の一分科でなければならぬと考へます。今 日の状態に於きましては勿論左様なことにはなって居ら ないのでありますが,斯様な一種の負担,患者の負担と 歯科学報 Vol.111,No.2(2011) 161 ― 33 ―
云ふのは避けなければならぬものであると思ひます。併 し「クロール,カルシウム」の静脈注射をなすに際し て,予備的の全身的審査をなす負担の如きは,身体に悪 影響が生ずると云ふことが,前述の通りだとすれば「ク ロール,カルシウム」の静脈注射をする事に就て医者に 行き,更に歯科医者の所に行くと云ふ両者を煩はす負担 は救ひ得る所の負担であります。併しながら若し体に厳 禁すべき状態があるのに,予め審査をなさずして「ク ロール,カルシウム」の注射をなしたとすれば,是は救 ふべからざる負担になると思ひます。真の軽重は国民の 健康上に於て非常に重要なことでありますから,充分に 御勘考を賜わりたいと思ひます。 以上述べました通り,本件被告人の行為は医師法11条 に抵触する行為と考へまして原審通り罰金20圓が相當と 考へます。 歯科学報 Vol.111,No.2(2011) 162 ― 34 ―