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医師の説明義務と患者の承諾 : 「仮定的承諾」序説 (平成17年度 退職記念号 武藤 節義 教授 田中 学 教授 丹藤 佳紀 教授) 利用統計を見る

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医師の説明義務と患者の承諾 : 「仮定的承諾」序

説 (平成17年度 退職記念号 武藤 節義 教授 田中

学 教授 丹藤 佳紀 教授)

著者名(日)

武藤 眞朗

雑誌名

東洋法学

49

2

ページ

5-39

発行年

2006-03-25

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00000592/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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︻論 説︼

医師の説明義務と患者の承諾

        ﹁仮定的承諾﹂序説

一 二 三 四 五 間題の所在 ドイツにおける判例 治療行為における患者の承諾・推定的承諾 仮定的承諾の概念をめぐって 結  語

東洋法学

問題の所在  外科手術等、身体的な侵襲を伴う医療措置に際して、体系的に、傷害罪の構成要件該当性を肯定した後に違法 性が阻却されるのか、あるいは、その他の要件と並んで患者の承諾という要件が充足される場合にはそもそも傷

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医師の説明義務と患者の承諾 害罪の構成要件該当性が否定されるのかについては、学説・判例で争いがあるにしても、原則として、患者の承       ︵−V 諾を必要とするのは争いがない。患者の自己決定権が犯罪性を否定する︵違法阻却説によれば正当化する︶根拠 であるとした場合、この承諾が患者の真意に基づくものであることが必要であり、そのためには、判断するため の十分な情報が与えられていなければならない。医療行為においては、患者の身体状態、治療方法、当該侵襲に よる身体への影響については、もっぱら医師が正確な情報をもつことができ︵もちろん、医学上すべてが解明さ れているわけではないので、絶対的な情報をもつとは限らないが、患者に比較すれば、少なくとも相対的には正 確な情報を有する︶、医師が患者に説明することによって、判断材料が与えられることになる。  典型的な治療行為は、医師の十分な説明に基づき、患者が自己決定権に基づいて判断し、承諾を与えるもので あるが、患者が意識不明で、医療措置を行うのに説明・承諾を待っていたのでは十分な治療効果が得られない、 あるいは、悪化させ、生命に危険を与えてしまう場合すらありうる。この場合、現実的な承諾に代わって、推定 的承諾の法理を用いて、治療が正当化されることも、ほぼ争いなく認められている。後述するように、推定的承 諾が認められるのは、本来承諾を得るべき時点において、何らかの理由でこれを得ることが不可能であることが 前提とされている。これに対して、医療措置を行うのに際して、十分な説明をし、承諾を得ようとすれば得られ るにもかかわらずに、承諾を得なかった、あるいは、不十分な説明をし、それに基づく承諾を得た場合には、現 実的承諾または推定的承諾の法理によって犯罪性を否定することができなくなる。このような事例については、 常に医師に刑事責任を間うべきかどうかが間題とされる。このような間題をめぐり、ドイツにおいて、﹁仮定的承

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諾︵ξ冨浮&零冨田昌三一一蒔§鵬︶﹂という法理を用い、医師の刑事責任を否定しようとする動きが、判例および        ︵2︶ 学説においてみられるようになってきた。本稿は、ドイツにおける議論状況を紹介し、間題点を明らかにしたう えで、日本においても適用すべきかどうかについての理論的前提を提供することを目的とする。 ニ ドイツにおける判例

東洋法学

 前述のように、医療侵襲が患者の身体的完全性または健康を侵害する場合には、それが、医学的適応があり、 医術的に正当なものであっても、傷害罪︵二二三条︶の構成要件に該当し、患者の承諾があってはじめてその違       ︵3︶ 法性が阻却されるというのが、ドイツの判例である。承諾という正当化事由︵学説上は構成要件該当性を否定す るとするものもあるが︶は、その有効性のためには、それが真意に基づくものでなければならず、医療の場面に        ︵4︶ おいては、それが医師の説明に基づき、患者の自由意思によって決定されたものでなければならないはずである。 ところが、医師が患者に十分な情報を提供せずに承諾を得て、医療侵襲を行った場合に、常に可罰性を肯定する のではなく、﹁仮定的承諾﹂の法理に基づいて医師を不処罰に導く判決が連邦通常裁判所によって下されており、 この概念および犯罪論上の位置づけが間題とされるようになった。この概念は、当初、民事判例において用いら     ︵5︶ れていたが、一九九〇年代になり、刑事判例としても実質的にこれに依拠したとされるものがみられるようにな った。そこで、本章においては、﹁仮定的承諾﹂の法理を実質的に用いたと思われる判例を紹介していく。

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医師の説明義務と患者の承諾          ︵6︶  ω 脳腫瘍手術事件  [事実] 被告人である医師は、患者の脳腫瘍に対しては化学療法が効果をもち、場合によっては、まず化学療 法を行い、その後に手術によって腫瘍を除去する可能性があることを注意義務に反して認識しておらず、したが って、これらの可能性について患者に説明しなかった。このような可能性があるにもかかわらず、鑑定人によれ ば、ただちに手術をしようという被告人の決定は、この手術による死亡率が約二〇%であり、﹁実行可能なものの 限界﹂であったものの、当該事情の下では医術的正当性の枠内にあるとされた。手術は技術的には正当に行われ たが、患者は、腫瘍が原因というよりも手術が原因で、その九日後に死亡した。ラント裁判所は、被告人を過失 致死罪で有罪とし、罰金刑を言い渡したが、連邦通常裁判所は、この判決を破棄した。  [判旨] 原審で、被告人が患者に対して十分に説明をしなかったことにつき非難されているのは正当である。 患者は治療方法に選択肢があることを知ってはじめて実際に行われた医的侵襲の長所・短所を衡量することがで きたはずなのであり、十分な説明をするという要件が欠如しているので、患者が与えた承諾は無効である。  しかし、被告人を過失致死に問うことができるのは、患者の腫瘍を化学療法によって治療し、または、手術に 先立って化学療法を行った場合に、現実に患者が死亡した時点よりも確実に患者が長く生きたであろうという場 合に限られる。本件において、まず化学療法を行っていれば、実際の死亡時期よりも長く生きたということを、 確実性に境を接する蓋然性をもっていうことはできない。  このように判示して、原判決を破棄し、事案を差し戻している。

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 本事例においては、患者の承諾自体は無効とする一方で、別の治療方法を用いた場合の結果について仮定し、 現実に発生した死の時点と、他の方法を用いた場合の死の時点を比較して、結果︵患者の死︶の帰属を決しよう とするものである。       ︵7︶  ② 外科手術用人工骨事件  [事実] 大学病院の神経外科主任である被告人Aが、頚椎椎間板切除術を数回にわたって行い、その際に、損 耗した頚椎椎間板を摘出し、その代わりに、境界を接する部分にスペーサー︵>びω鼠巳鴇巴けR︶を入れた。当時、 ドイツでは自分の骨を用いる︵治療方法a︶のが通常であったが、Aはこれに代わって、一九九〇年頃から日常 的に牛の骨による外科手術用人工骨を用いた︵治療方法b︶。  自分の骨を用いることの短所は、患者の腸骨稜に対する手術を行わなければならず、著しい痛みを伴い、その 箇所における感染症、そして、腸骨稜を弱めることになる可能性があるというものであった。他方、この方法の 長所は、人工骨を用いた場合と異なって、境を接する椎体に骨がそれ自体から接合し、望ましい程度に固定され ることに役立つというものであった。これに対して、外科手術用人工骨からは、骨の形成はされず、境を接する 椎体から骨が成長してくるための足場となるにすぎなかった。そのために、自分の骨を用いた場合に比較して骨 の接合は遅れ、したがって、より長い期間にわたって合併症が生じる危険があった。  外科手術用人工骨を用いる場合には、薬事法の規定によれば認可が必要とされたが、これは、当時、連邦保健 局の認可を受けていないものであった。

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医師の説明義務と患者の承諾  被告人は、通常通り人工骨を用いたが、六例においてその手術の後に合併症が生じた。侵襲の前には、各患者 に手術の危険性について説明されたが、スペーサーとして使用している素材それぞれの長所・短所については、 患者を不安にさせないために、説明されなかった。ザールブリュッケン・ラント裁判所は、患者がもし異なった 素材が使用される可能性およびその特有の長所・短所を説明されたとすれば、患者は手術には同意しなかったで あろうし、少なくとも即座に同意することはなかったであろうと認定し、︵故意による︶傷害で有罪として、罰金 刑を言い渡した。  [判旨] これに対し、連邦通常裁判所刑事第四部は、以下のように判示して原判決を破棄し、ラント裁判所に 差し戻した。  被告人が行った侵襲は、傷害罪の構成要件に該当し、適法となるためには患者の承諾が必要であり、患者が侵 襲、その経過、成功する見込み、その侵襲の危険、可能な治療の選択肢について、必要な方法で説明を受けてい る場合にのみ承諾は有効である。そのようにしてのみ、患者の自己決定権および身体的完全性に対する権利が保 障される。  しかし、どのような治療方法を取るかについて説明が求められるのは、異なった治療方法が患者に異なった負 担をもたらし、または異なった危険と治療結果の見込みをもたらす場合であるが、これらの相違は重大なもので なければならず、他の治療方法を取った場合に合併症が生じる可能性がわずかに少なくなるという程度では、説 明義務は負わない。 10

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 他方、治療方法の選択は第一次的には医師の事項であり、その限りにおいて患者に説明する義務を負わないと いう原則は、適用された治療方法が医学的水準に対応していないか、または、深刻な争いがある場合には、妥当 しない。本件においては、被告人が手術に用いた人工骨は認可を必要とするにもかかわらず認可されておらず、治 療の選択肢について説明しなければならなかった。これについて説明されていないので、いわば、認証︵O葺窃δ鴨一︶ が欠けていたことになるが、これこそ個々の患者の決定にとって本質的であるかもしれないのである。  しかし、本件においては、被告人は、当該外科手術用人工骨が認可を受けていないことについて知っておらず、 これは故意を阻却する行為事情に関する錯誤であるので、故意の傷害罪を認定した原判決は誤りである。  ﹁外科手術用人工骨﹂が患者本人の骨に比べて本質的な欠点があることから説明義務違反を肯定したとしても、 被告人を故意犯に問うことはできない。この場合でも、有効な承諾の事実的前提に関する錯誤があり、これは、 故意の傷害罪の可罰性を阻却するものであるからである。被告人は、外科用の人工骨を用いると患者本人の骨を 用いた場合よりも融合する時間がかかる可能性があることを認識していたとしても、様々な情報から、外科手術 用人工骨について全体として肯定的な印象をもっており、他のものを用いた場合よりも合併症が頻繁に起こるこ とはないと考えていたとする供述を、ラント裁判所は論駁されたとはみていなかった。       ︵8︶  このように述べて、原判決を破棄し、差戻し審に対して、次のような示唆を与えている。  ①説明の蝦疵が傷害罪による医師の可罰性を基礎づけるのは、十分な説明を受けていたとすれば、患者はそ の侵襲を承諾していなかったであろうという場合だけに限られ、疑念が残る場合には、適正な説明を受けていて 11

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医師の説明義務と患者の承諾 も承諾が与えられたであろうということを出発点としなければならない。  ②事実審裁判官は、現実に発生した合併症と被告人が違反した説明義務の間に必要とされる連関が存在する かどうかに注意を向けなければならない。  患者の身体的完全性を侵害する治療行為は、それが成功したかどうかにかかわらず傷害罪の構成要件を充足し、 正当化のためには患者の承諾が必要であるが、だからといって、説明にどんな蝦疵がある場合でも、無効な承諾 に基づいて行われた侵襲によって傷害罪として可罰的になり、または、その侵襲から生じたすべての危険につい て責任を負わなければならなかったということにはならない。保護目的思想から可罰性を制限することがあり うる。  説明の報疵が、たんに治療の選択肢を示さなかったことだけで、患者が侵襲の種類および程度に関する基本的 説明を受けており、考えられる最も重大な侵害についても情報を与えられている場合には、保護思想の観点から、 患者に対する説明不足を理由とする医師の可罰性が欠落することが考慮される。  本決定では、治療侵襲が構成要件に該当すること、正当化のためには患者の承諾を必要とすることは従来の判 例に従いながらも、治療方法は、危険性に重大な差異がなければ医師の裁量に任されており、複数ある治療方法 の長所・短所について詳細に説明する必要はないとする一方で、当該治療方法︵本件では、人工骨を用いること︶ が認可されていない事実は説明する必要があり、この説明がない場合には、承諾を無効としたうえで、本件では 行為者が錯誤に陥っていることを理由に故意を阻却している。そして、差戻し審での審理において、仮定的承諾 12

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および保護目的思想から、医師の可罰性を制限することを示唆している。        ︵9︶  ⑥ 椎間板ヘルニア事件  [事実] 被告人が神経外科部長をしている0病院における画像診断の結果、患者燈は腰椎脊柱の思\9に重度 の、また、その下にある椎間板9\曽に軽度の椎間板ヘルニアがあると診断され、重度のヘルニアは手術すべき であるとされた。次長医師Kは、医員とともに手術を実施したが、その下の階層にある需\曽を手術したことに 気づかずに、小さな椎間板ヘルニアを除去した。翌日、駈の下肢に麻痺状況が発生したが、これは、神経繊維を 傷つけていることを示すものであった。手術をした階層を取り違えていたことがこの原因であることが判明した ため、Kは被告人に助言を求めたところ、手術ミスについては患者に黙秘し、実際には手術していない思\頴の 手術を早期再発のために再び行う必要があることを患者に説明し、二度目の手術では重度のヘルニアおよびその 下に位置する腰椎骨5の椎骨を除去して、二度目の手術の報告では、前述の椎骨および場合によっては小さな椎 間板ヘルニアを除去したことを伝えるように指示した。Kはこれに従った真実に反する説明をし、患者は観\曽 の除去が行われることを知らずに、二度目の手術を承諾した。  ラーヴェンスブルク・ラント裁判所は、二度目の手術における除去に医学的適応があり、さらに、患者がもし 真実を知っていたとしたら、医学的適応があるこの手術を承諾したであろうし、この手術は、結果的には患者の 意思にもその利益にも合致するものであったと認定したが、被告人もKも患者の﹁推定的承諾﹂を出発点として いなかったとして、被告人に傷害罪の教唆の成立を認め、罰金刑を言い渡した。 13

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医師の説明義務と患者の承諾  [判旨] 連邦通常裁判所刑事第一部は、以下のように判示して、原判決を破棄し、ラント裁判所に差し戻した。  ①ラント裁判所が、医師の治療行為は、二二八条に基づき、意思の蝦疵の影響を受けていない患者の承諾に よってのみ正当化されるとしたのは適切であり、第二の手術が必要となった原因について欺岡によって得られた 承諾は無効であって、正当化効をもたないとしたのは、法的に誤りはない。  ②原審が﹁推定的承諾﹂といっているのは、実は、明らかに﹁仮定的承諾﹂のことである。すなわち、本件 では、意向を聞くことができない患者の推定的意思に合致した医的侵襲が間題になっているわけではないからで ある。  ③仮定的承諾に関しては、原判決の認定は、客観的領域において不完全である。すなわち、真実に合致した 説明をしていれば、K医師によって具体的に行われた手術を患者が承諾したであろうことが推定される︵正しく は仮定される︶ことを、被告人およびK医師が出発点としていなかったという事実認定で満足することは許され ない。このことによって、被告人が違法な故意行為を教唆しようとしていたという行為の主観面を証明している にすぎないからである。  真実に合致した説明がされていれば、患者は現実に行われた手術を承諾したであろうという場合には、違法性 が欠落する。説明に綴疵があることによって傷害罪およびその教唆としての可罰性が導かれるのは、適正な説明 がされていたとすれば、承諾が与えられなかったであろうという場合に限られ、これに疑いが残る場合には、﹁疑 わしきは被告人の利益に﹂の原則に従って、医師側に有利に、適正な説明がなされていたとしても承諾が与えら 14

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れていただろうということを出発点としなければならない。  説明の暇疵の因果性を審査する際には、各患者の具体的な決定の結論に着目しなければならず、いずれにして も手術を受けなければならない、または、合理的な患者であれば承諾したであろうということは重要ではない。 ラント裁判所は、患者が真実を知ったならばK医師が手術をすることを承諾するのか、あるいは、他の医師が手 術をすることを求めるのかということ等を認定しなければならなかったのであり、二度目の手術が結果として患 者の意思および利益に合致していたということでは十分ではない。  連邦通常裁判所は前記のように判示し、差戻し審において被害者の推定的承諾を間う際には、患者の発言およ びその理由が評価されなければならないと示唆した。  本事例は、一度目の手術において重大な技術ミスを犯し、二度目の手術においてこれを修正・隠蔽しようとし たが、その際に真実の根拠を説明しなかったものであり、連邦通常裁判所は、従来刑事事件においては過矢傷害       ︵−o︶ の可罰性制限にのみ適用されていた仮定的承諾という法形象を故意の傷害にも適用したものである。本判決では、 原判決において﹁推定的﹂承諾とされていた概念が、実際にはこれと異なる﹁仮定的承諾﹂の間題であることが 明示的に示されている。  本判決では、患者の仮定的意思を認定するうえで、当該患者の仮定的意思に焦点を当てなければならず、客観 的利益、合理的一般人の意思では不十分であるとしている。 15

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16 医師の説明義務と患者の承諾 三 治療行為における患者の承諾・推定的承諾  ドイツにおいては、定着した判例が示すように、治療侵襲は、医学的適応があり、医術的正当性に適っていて、 それによって健康状態が改善または維持され、生命が救われたとしても、一時的には身体的完全性を害する以上、 傷害罪の構成要件に該当するとされている。そのうえで、患者がその侵襲を承諾することによって、被害者の承 諾の法理を用いて、その違法性が阻却されることになる。  ω 現実的承諾・推定的承諾・仮定的承諾  被害者が当該侵害法益について正しく認識し、この法益保護を現実的に放棄する場合には、一般的に犯罪を構 成しないとされているが、ドイツでは、生命の侵害に関しては、嘱託殺人罪︵二一六条︶によってなお違法性は       ︵n︶ 残り、身体の侵害については、﹁善良な風俗﹂に反しない限り、その違法性は阻却される︵二二八条︶。もっとも、        ︵12︶ 現実的承諾については、違法阻却的効果に加えて構成要件該当性を否定する効果をもつ場合もあるとする見解と、       ︵13︶ 常に構成要件該当性を否定するとする見解がそれぞれ有力に主張されている。  これに対し、現実的承諾が得られない場合に、﹁﹃被害者﹄が当該事情を知ったならば、その法益侵害行為を承 諾するだろう﹂と推定されれば、この推定的承諾によって、当該構成要件該当行為の違法性が阻却されることは、 共通理解である。そして、現実的承諾については、構成要件該当性を阻却する︵場合がある︶とする見解も、推       ︵14︶ 定的承諾については、違法阻却事由と理解している。推定的承諾が考慮されるためには、現実的承諾を得ること

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        ︵15V      ︵16︶ が不可能であること、または、期待可能なエネルギー投入では現実的承諾を得られないことが前提とされている。 すなわち、たとえば、意識不明で病院に運ばれ、ただちに手術が必要な場合に、推定的承諾が現実の承諾に代替 するものとされ、その意味において、現実的承諾と補充関係にあるとされている。  推定的承諾の違法阻却根拠については、被害者の現実的承諾に類似するものとして、被害者の自己決定権保護       ︵17V       ︵18︶ の観点から説明する見解と、緊急避難に類似するものとして、被害者の客観的利益保護に重点を置く見解に大別 することができる。  ところで、前述の判例で間題となった事例は、脳腫瘍、頚椎椎間板損傷、椎間板ヘルニアの治療方法が、客観 的には複数の選択肢があり、それに対して、前二者については、行為者としての医師が適用可能な治療方法の属 性、長所・短所を知らなかったために、患者に適切な情報を提供せず、結果として、より侵害性の高い治療方法 を用いた事例であり、最後のものは、第一の手術における技術的ミスを修正するために第二の手術を行ったもの である。これらは、現実に選択した治療方法について、または、第二の手術について、患者に説明をしたうえで、 その承諾を得、それに基づいて施術をしたものであるので、その意味において、現実的承諾に基づく治療侵襲に 属するということができる。しかし、後に検討するように、被害者の承諾は、被害者︵医療の場面においては患 者︶の自己決定権尊重を正当化根拠とするために、十分な説明によって正しい情報が与えられることを前提とす るはずである。その点において、ここで挙げた判例の事例では、形式的には患者による現実的承諾が存在するも のの、この承諾は患者の真意に基づく自己決定権の行使とはいうことができず、無効であることになる。 17

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医師の説明義務と患者の承諾  他方、実際、間違った情報提供に基づいて承諾がなされていることからも明らかなように、治療を行うのに際 して、患者の承諾を得ることは、困難であるとはいえず、現実的承諾を得ることが不可能ないしは困難であると いう、推定的承諾を援用するための前提が充足されていない。  そこで、前述の各事例における治療侵襲が、傷害罪︵または過失傷害罪︶の構成要件に該当し、現実的または 推定的承諾による正当化が認められないために、違法とされるのか、なお、当該治療侵襲の違法性または可罰性 を否定して、医師を処罰から解放する可能性があるのかどうかが、議論されることになるのである。  民事判例は、﹁︵現実には適切な説明がされていないが、︶適切な説明がなされていたとしても、患者は当該治療       ︵19︶ 侵襲を承諾したかどうか﹂を基準とし、これが肯定されれば、不法行為に基づく損害賠償責任を否定していたが、 刑事事件においても、同様な基準に基づいて医師を処罰から解放する可能性を認めるに至ったのである。もっと も、処罰から解放する可能性が犯罪論体系上、どのような意味をもつのかは、検討を要する。このように、現実 にはなされていない適切な説明が存在すると仮定し、その場合の患者の意思を仮定して行為者︵医師︶の処罰を 免れさせる事由を﹁仮定的承諾﹂とよび、判例・学説とも推定的承諾と区別して理解しようとしている。  の 承諾の前提としての説明義務  被害者の承諾が違法阻却効︵住居侵入罪、窃盗罪等のように、被害者の意思に反してはじめて構成要件的行為 となる場合には、構成要件該当性がすでに否定されることになり、また、前述のように、一律に構成要件該当性 を否定しようとする見解も存在するので、﹁犯罪成立を否定する効果﹂というべきであるかもしれないが、︶をも 18

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つのは、それが被害者による法益処分という性格をもつからであり、そのためには、真意に基づく自己決定がな されていることが前提となる。医療の場面において、患者は、自らの身体状況、治療侵襲による身体の完全性へ の︵一時的であるにせよ︶侵害、これによる健康状態の改善・維持の可能性、健康状態を悪化させる危険性、副       ︵20︶ 作用等について、正しく認識していることが前提となる。これらの医療に関する情報は、極めて専門的であるた めに、医師の説明が重要な役割を果たす。インフォームド・コンセントは、本来は、被害者の承諾一般において 間題になるが、医療の場面において特に強調されるのは、このためである。  前述した判例の各事例においては、いずれも、医療侵襲にあたって、医師は患者に対して説明は行っているが、 より危険性の低い別の治療方法について、使用する治療方法が当局の認可を受けていないことについて、すでに 行った治療において技術的ミスを犯したことが第二の治療侵襲を行う理由であること等について、適切な説明を 行っていない。このような不十分な説明に基づく承諾が﹁現実的承諾﹂として無効であり、正当化されないこと        ︵21︶ については、判例・学説とも争いはない。  一般的には、被害者が侵害される利益を正しく認識したうえで、この利益を処分すれば、それに基づいて行わ       ︵22︶ れた︵侵害︶行為の違法性が阻却される根拠を利益不存在︵要保護性欠如︶と理解する場合だけではなく、優越 的利益の原則から理解したとしても、承諾に基づく侵害行為によって被害者に客観的利益がもたらされることは、       ︵23︶ 積極的には意識されていない。承諾に基づく行為を不可罰にすることによって、法益を処分した﹁被害者﹂の自 己決定権が保護され、この﹁自己決定の自由﹂という利益が侵害された客観的利益に優越することが正当化の根 19

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医師の説明義務と患者の承諾        ︵24︶ 拠だと考えられるのである。これに対して、医療の場面における﹁患者の﹂承諾は、治療行為︵たとえば外科手 術︶のような身体に対する客観的侵害によって、健康維持・改善という身体に対する客観的利益を得る︵ことを 求める︶のか、医療侵襲という客観的利益侵害を受けず、したがって、健康状態を維持・改善しないのかを選択 すること、または、複数の治療方法︵利益侵害︶とそれにともなう治療効果︵利益増進︶のセットの中からいず れかを選択するという性質をもっており、単純な利益放棄と必ずしも同一に扱うことはできない。すなわち、一 方で客観的利益︵保護︶を放棄し、他方で客観的利益を増進するという性質をもつ。被害者の承諾が、抽象的な 利益としての自己決定権︵自由権︶であるにせよ、客観的利益と結びついて、客観的利益の選択であるにせよ、 法益侵害説を前提とした場合には、自己決定権の保護が正当化根拠の中核である点については、変わりがない。 適切な︵十分な︶説明をし、正しく事情を認識し、それに基づいて承諾することが、被害者の自己決定保護のた めの前提である。したがって、適切な︵十分な︶説明をして、患者がそれを認識したうえで承諾を得ることが可 能であったにもかかわらず、﹁不適切な説明を行い﹂、﹁無効な承諾を得た﹂場合には、現実的承諾が無効であるの は当然である。  患者に対して説明の機会があり、正しい認識の下に承諾を得ることができたにもかかわらず、これを怠った場 合には、﹁補充性﹂欠如を理由として、推定的承諾を援用することもできないのに、﹁補充性﹂を前提としない﹁仮 定的承諾﹂の理論によって医師を処罰から解放してしまえば、実質的内容をともなった自己決定権保護を確保す       ︵25︶ るために課される説明義務の意味が失われてしまうのではないかという疑間が提起される。この間題については、 20

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後述する。 四 仮定的承諾の概念をめぐって

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 qD 仮定的承諾の体系的地位  前述のように、刑事判例においても、﹁仮定的承諾﹂の法理を用いて可罰性を否定する傾向が定着し、真実に合        ︵26V 致した説明をしても承諾が得られると仮定される場合には違法性が欠落するとしているが、学説においても、﹁仮 定的承諾﹂を理論的に体系づけようとする試みがなされている。        ︵27︶  クーレンは、従来は構成要件該当性の段階において展開された客観的帰属の理論を正当化論においても展開し       ︵28V ようとするプッペの見解に着目し、仮定的承諾を正当化事由における客観的帰属の︵欠如の︶間題として把握す ︵29︶ る。すなわち、構成要件該当性において一応の義務違反性について、また、違法性において確定的な違法性を事 前判断において行うだけではなく、構成要件該当性認定の後で客観的構成要件該当性の枠内において、次に正当 化されないことが確定された後で客観的違法性の枠内において、客観的帰属を否定することによって不法の制限 を事後的に行う可能性を認めなければならないとする。現実的承諾・推定的承諾が正当化事由であるのに対し、       ︵30︶ 仮定的承諾を正当化事由における客観的帰属の一つとして位置づける。現実的承諾・推定的承諾その他の正当化 事由があれば、それによって、評価対象となる行為の違法性が阻却されることになり、その場合には、正当化段 階における客観的帰属は間題とならない。これらの要件が充足されず、その意味において違法性が阻却されない 21

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医師の説明義務と患者の承諾 場合にはじめて、客観的帰属として仮定的承諾が間題となるのである。通常の理解と異なり、構成要件に該当す る行為について正当化事由が充足されないことが確定しても、既遂の客観的違法性の審査が完結するのではなく、 結果発生が正当化事由の存在しないことに客観的に帰属可能な形で由来するかどうかが間われ、これが肯定され        ︵3 1︶ た場合に既遂の違法性が確定するとしている。  ω 補充関係︵ω⊆σω藝①ユけ警︶  前述のように、推定的承諾は、現実の承諾を得ることが不可能または困難であることを前提として援用され、 この意味において推定的承諾は現実的承諾に対して補充関係に立つとされるが、承諾を得ることが可能であった にもかかわらずこれを得なかった場合に仮定的承諾によっても可罰性が阻却されるとすれば、推定的承諾の補充 性を著しく制限することになるのではないかが間われる。  クーレンは、仮定的承諾を現実的承諾・推定的承諾と並ぶ独立した正当化事由と把握すれば、仮定的承諾によ って推定的承諾の独立した意義が奪われてしまうが、仮定的承諾は、独自の正当化事由ではなく、現実的・推定 的承諾と関連した可罰性阻却が問題とされるのであって、正当化されない場合の客観的帰属の阻却であると主張  ︵3 2︶ する。  ミッチュは、﹁補充関係﹂を、法条競合等における競合関係の意味で捉え、観念的には推定的承諾が存在しうる        ︵33V 場合でも、現実的承諾が存在する以上はこれを排除し、表面化しないという意味として補充性を理解している。 したがって、仮定的承諾も、このような意味において、現実的承諾に対して補充関係に立つとしている。これに 22

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対して、クーレンは、﹁補充関係﹂は多義的であり、ミッチュのように競合関係の文脈で用いることもあるが、推 定的承諾においては、このような用法ではなく、現実的承諾を得ることが不可能である場合にのみ考慮されると       ︵34︶ いう意昧であり、ミッチュの理解によれば、推定的承諾も、現実の承諾を得ることが不可能であるという要件は          ︵35︶ 必要でないことになると指摘する。  推定的承諾の要件を充たさない場合の可罰性を間題にする際に仮定的承諾の概念を用いるのであれば、補充関 係を﹁現実の承諾を得ることができない﹂という意味で理解して、推定的承諾との区別を明確にすべきである。 もっとも、現実的承諾との﹁補充関係﹂の存否を区別の基準であるとした場合、﹁補充関係﹂のない仮定的承諾の 適用範囲が拡大すれば、違法性が完全に阻却されるのか、完全に阻却されるわけではないが正当化の段階におい て客観的帰属が行われないかという体系的位置づけの区別はあるにせよ、推定的承諾の適用範囲が相対的に限定 されることになる。  前述のように、推定的承諾において補充性を厳格に求めながら、仮定的承諾では、この要件を外した場合に、 もし両者の法効果が同一であるとすると、推定的承諾は、仮定的承諾の中に実質的に吸収され、現実的承諾を得 ることも、そのための適切な説明をすることも、実際上重要な意味をもたなくなる。プッペは、説明の報疵と結 果発生の間の因果連関の存否を積極的に確認することが困難であることから、医師が回答困難であることを知っ て、患者に対して意図的に不十分な説明をし、医師自らが選択した治療方法を強要することができてしまうとす ︵36︶ る。もっとも、クーレンは、仮定的承諾が認められる場合には、暇疵ある行為を結果に客観的に帰属することが 23

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医師の説明義務と患者の承諾 できなくなるだけであり、したがって、仮定的承諾が認められたとしても、既遂が成立しないだけで、未遂犯と        ︵37V しての可罰性は残るとしている。そして、ここにこそ、推定的承諾と仮定的承諾を区別する意義があると主張す る。前述の判例において、連邦通常裁判所は未遂の可罰性について検討していないが、これは、行為当時、傷害 罪について未遂処罰規定が存在しなかったためであり、その後の改正によって未遂処罰規定が設けられているの で︵第六次刑法改正法による二壬二条第二項の新設︶、両者の区別には実質的な意味があることになる。  ⑥ 義務違反連関と結果帰属連関︵説明の暇疵と結果発生の因果連関︶  前記各判例は、十分な説明を受けていたとしたら、患者はこの治療侵襲を承諾しなかったであろうという場合        ︵38︶ に限って、説明の暇疵が傷害罪の可罰性を基礎づけるとしている。  仮定的承諾が正当化段階における客観的帰属の間題であるとすると、構成要件的結果の構成要件該当行為への 客観的帰属を構成要件の枠内において審査し、それが欠如する場合に既遂犯の客観的構成要件が排除されるのに 対応して、説明の蝦疵と結果の間の義務違反連関および危険連関が客観的違法性の枠内で審査され、これが欠如       ︵39︶ する場合には、客観的不法が排除されるとする。承諾に関しては、既遂犯の成立が排除されるのは、承諾の客観 的要件を充足するか、または、有効な承諾によって正当化されないが、承諾に帰属と関連した報疵があるが、結 果の発生がこの報疵に客観的に帰属可能な形で由来していない場合とされる。この要件は、承諾に蝦疵がなかっ たとしても︵有効な承諾があった場合に︶結果が生じたであろうという場合︵義務連関の欠如︶、または、承諾の       ︵40︶ 欠陥に特有の危険が結果に実現していない場合に充足されるとするのである︵危険関連の欠如︶。 24

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 義務に適った説明をしたとしても、当該侵襲を承諾し、それに基づいて侵襲が行われたであろうという場合に は、その侵襲による︵傷害︶結果は、客観的に帰属可能な形で説明の暇疵に由来していないことになり、義務関       ︵41︶ 連が欠如することになる。  仮定的承諾の存否を判断する際に間われるのは、第一に、﹁適切な説明﹂と﹁承諾﹂との間の仮定的因果経過で  ︵42︶ ある。すなわち、現実には適切な説明が行われずに被害者︵患者︶がこれを承諾している場合に、﹁もし、適切な 説明が行われたとしても、同様に承諾が与えられるか﹂どうかが間われることになる。前項で述べたように、推 定的承諾が、﹁承諾を得ることができなかった﹂場合の法理であり、被害者︵患者︶の承諾が現実には存在しない 場合の法理であるのに対し、仮定的承諾は、承諾を得ることが可能だった場合に間題とされる法理であり、﹁そも そも承諾を得なかった﹂場合の他に、﹁不適切な説明をし﹂、もしくは、﹁適切な説明を行わずに﹂、﹁︵一応の︶承 諾を得た﹂場合にも適用可能であることになる。本稿で挙げた事例に関しては、代替可能な治療方法︵選択肢︶ について説明せずに︵脳腫瘍手術事例、外科手術用人工骨事例︶、または、治療方法およびそれを行うに至った経 緯について真実に反した説明をして︵椎間板ヘルニア事件︶、患者の︵一応の︶承諾を得た事例である。  仮定的承諾の法理の前提としての仮定的因果性について本質的な疑間を提起するのはプッペである。脳腫瘍手 術事件において、連邦通常裁判所は、治療方法の選択肢について完全な説明をしたとしたら、危険の少ない治療 方法を選択するだろうということを前提として、︵現実には行わなかった︶他の治療方法を用いたとしても、死が 同時期に発生したであろうかどうかを間いかけ、同時期に死が発生した可能性が排除できない以上、﹁疑わしきは 25

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医師の説明義務と患者の承諾 被告人の利益に﹂の原則に従って、注意義務違反︵ここでは、より危険性の低い治療方法について説明しないこ と︶の因果性について証明がないことを理由として、被告人である医師を無罪にしている。しかし、このような 因果連関の認定方法には次のような欠点があると指摘する。第一に、ここで仮定的因果連関が調査されていると するが、﹁仮定的﹂というのは、﹁事態が場合によっては真実であるかもしれず、その仮定を行う者が、おそらく それが真実であろうと考える場合﹂に用いるのに対し、﹁注意義務に合致した行為をしたとしても結果が発生した であろうか﹂という間いによって認定されるのは、この因果過程は現実にはたどっていないことを確定するので あって、これは仮定的因果関係ではなく、虚構の因果関係であるとしている。第二に、行為者の行為が結果発生 のための必要条件でなければならず、この場合にのみ因果的であるとするのは過大な要求であり、ある行為が現 実にたどった因果過程の必要的構成部分であり、この構成部分が因果法則に従って再構成可能であれば十分であ      ︵43︶ ると指摘する。現実には行われなかった代替原因を行為者に有利に考慮することは刑法学の要請であるとしても、 これによって、やがて滅びていく法益客体︵保護客体︶の保障が失われるという帰結に至ってしまう。また、﹁そ の法益客体が侵害され、破壊されなかったとしても、近い時期に自然と滅びてしまうかどうか﹂という虚構の間 いには回答できないことがしばしばある。やがて滅びゆくことが確実であり、または、その可能性がある法益客 体であっても保護することは有意義であり、そのような客体が没落することの帰属に反対するために﹁疑わしき       ︵44︶ は﹂の原理をもちだすべきではないと主張する。 26

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 @ 傷害罪の保護法益ー身体の完全性か、処分権か?  仮定的承諾が、正当化段階における客観的帰属の間題であり、間題となる行為︵医療侵襲︶が正当化事由の客 観的要件を充足しない場合にはじめて間題になるとすれば、医療侵襲が成功し、身体に関する客観的利益が得ら れた場合には︵健康状態の改善・維持︶、客観的帰属の間題は生じないことになる。ミッチュは、仮定的承諾が、 ﹁適切な説明がなされたとしても被害者︵患者︶がその侵害行為を承諾したであろう﹂という場合に認定されると すれば、そもそも客観的利益が得られる場合が想定され、これによって客観的に正当化されるのであるから、客 観的に正当化されないことを前提とした正当化段階における客観的帰属の間題として取り扱う必要はないのでは        ︵45︶ ないかと指摘する。すなわち、医療侵襲によって身体の完全性が侵害されても、それによって健康状態が改善さ れるのであれば、差引勘定によって結果無価値が欠落するのであり、これによって違法性が阻却されるので、客 観的帰属をもち出す必要がないというのである。  これに対して、クーレンは、傷害罪の保護法益と関連させて考察する。すなわち、医師の治療侵襲が成功した 場合には傷害罪の結果無価値が欠けるとすれば、むしろ、治療に成功した場合には、すでに傷害罪の構成要件的       ︵46︶ 結果が欠けることになると捉える方が一般的である。このように、治療が成功した場合に構成要件該当性を否定 し、あるいは、正当化を認めたとしても、傷害罪の結果︵無価値︶は、もっぱら健康侵害にのみ焦点が当てられ        ︵47︶ ることになり、患者の自己決定権の保護に欠けることになるとする。レナウは、不十分な説明または欺岡によっ て現実に患者の自己決定権が侵害され、したがって構成要件に該当する不法が実現したことは、事態を仮定した 27

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医師の説明義務と患者の承諾 としても変わらないので、傷害罪の保護法益について患者の自由な自己決定に重点を置いた場合、適切な説明を       ︵48︶ しても患者は承諾したであろうという論拠は間題にならないことを指摘している。  治療行為は、それ自体︵外科手術等︶が、一時的であるにせよ、身体の完全性を侵害し︵一次的侵害︶、それに        ︵49︶ よって健康状態が悪化し、副作用が生じ、生命に危険性を及ぼす可能性がある︵二次的侵害︶。クーレンも、外科 手術用人工骨事件において、侵襲と結びついた身体の完全性侵害と後に生じた健康を害する合併症に分けて、検     ︵50︶ 討している。治療の成功というのは、二次的侵害がないこと、少なくとも、治療を行わなかった場合と比較して、        ︵51︶ 全体としての健康状態が改善し、または、維持された場合を指すと考えることができる。この意昧において、治 療が成功しなかった場合には、一次的侵害、二次的侵害の両者とも存在することになる。これらは、患者の承諾 によって正当化されるが、承諾がない場合には、観念的には両者とも違法ということになる。これに対して、治 療が成功した場合に、承諾の有無にかかわらず、二次的侵害は存在しないことになるが、一次的侵害をどのよう に評価すべきかが間題となる。二次的侵害が存在しない以上、もはや、一次的侵害における身体の完全性侵害の 部分は客観的に正当化されることになるのか、あるいは、それは客観的には残り、承諾によってはじめて正当化 されるのかが間題となる。前者だとすれば、承諾を得ない侵襲は、たんに抽象的な自己決定権侵害︵自由の侵害︶ になるのに対し、後者だとすれば、身体的利益侵害が残ることになる。  治療が成功した場合には、そもそも客観的に正当化されるのだから、患者の承諾を仮定して客観的帰属を否定 するという論理構成は不要だとする見解によれば、いずれにせよ、一次的侵害に関する自己決定権が考慮されて 28

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いないことになる。事後的に見て、当該治療︵一次的侵害︶を承諾したかどうかを仮定することは、一定の意昧 をもつことになる。これについては、判断基準と関連させて、後述する。  ㈲ 仮定的承諾の判断基準1﹁疑わしきは被告人の利益に﹂の原則の適用  仮定的承諾を認定するためには、︵現実には適切な説明が行われていないが、︶もし、適切な説明が行われたと すれば、その行為︵医療侵襲︶を承諾したであろうという関係が存在することが要件となる。その際に、この可 能性を、客観的・一般的な基準に求めるのではなく、当該被害者︵患者︶を基準として、個別的な判断がなされ るべきであるとするのが判例の立場であり、それが合理的であるかどうかを間わないというのが、通説的な立場    ︵52︶ でもある。また、仮定的承諾の対象は個別具体的なものである必要がある。クーレンは、椎間板ヘルニア事件に おいては、一度目の手術が失敗であり、それを修正するためにこ度目の手術を承諾するかどうかだけではなく、 一度目の手術を失敗した当該医師が二度目の手術をするということについても承諾するかどうかが間われなけれ          ︵53︶ ばならないと主張する。  前述のように、推定的承諾が行為時における事前判断であるのに対し、仮定的承諾は事後判断であるとされて いる。ミッチュは、発生した結果から行為を回顧的に考察し、﹁このような結果が発生したのであるから、この行       ︵聾 為を承諾したであろう、あるいは、承諾しなかったであろう﹂ということを基準とすべきであるとする。  クーレンは、このように現実に発生した侵襲結果を知っていたとすれば︵知っていたとしても︶、その侵襲を承 諾したであろう場合に仮定的承諾を肯定する考え方を﹁結果に方向づけられた構想︵R8虹ωaδ再一R8 29

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医師の説明義務と患者の承諾 囚o菖8氏9︶﹂、または、﹁結果関連的見解︵R8置筈90鴨器>亀鍵ω釜鑛︶﹂とよび、これは通常の理解とは異な るとする。医師の説明義務は、すでに行われた侵襲の帰結ではなく、侵襲と結びついた治療の見込みまたは危険 性について侵襲前に可能な情報を与えることを内容とするので、適切な説明を受けた患者が侵襲の前に帰結につ いて知らずに承諾をしたであろうかどうかが間題となると主張する。この見解を﹁決定関連的︵9房9Φ箆琶暢− σΦNo晦窪︶﹂とよぶ。この見解によれば、医学的適応のある行為については仮定的承諾が認められることが多いが、 医学的適応のない侵襲は治療の見込みと危険のバランスがとれていないために、推定的承諾も仮定的承諾も否定 されることが多いとする。もっとも、いずれにしても、当該患者個人の意思が問題とされるので、これと異なっ た認定もありうるとする。たとえば、信仰上の理由から輸血を拒否するという態度は考慮されるが、この場合、 このような輸血拒否が侵襲の際に医師に認識不可能であれば、事前判断である推定的承諾には反映されず、事後        ︵55︶ 判断である仮定的承諾には反映されるとする。  仮定的承諾が、患者の身体に対する純粋な客観的利益ではなく、患者の自己決定権保護に関連したものである 以上、患者の自己決定に関する個別的事情を考慮するのは当然である。その際に、現実に発生した結果を前提に 仮定的承諾の存否を認定するとすれば、患者の客観的利益の保護は図られることになるだろう。しかし、この場 合、現実的承諾とはかなり距離を置くことになると思われる。すなわち、現実的承諾の理念的な形としては、承 諾に基づく行為によって侵害される利益を正しく認識したうえでそれを処分するという性質をもつものであろう が、医療侵襲の場面では、その治療行為を受けることによって、健康改善・維持が予想され、期待されるものの、 30

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それはいまだ可能性の間題にとどまるからである。治療が成功する確率が高いほどそれを承諾する可能性は高い が、成功の確率が低くても、そのわずかな可能性にかけて治療を承諾することはありうるからである。結果的に 失敗した治療に関して、その結果からさかのぼって仮定的承諾の存否を認定したとすれば、現実的承諾と結論が 異なることがあるだろう。  間題となるのは、このような仮定を行った場合に、被害者︵患者︶がこれを承諾するかどうかにつき、手がか りが見つからず、承諾するともしないともいえない場合の扱いである。判例は、﹁疑わしきは被告人の利益に﹂の 原則に従って、患者が承諾する可能性が排除されていない限り、仮定的承諾があるものとして扱うべきだとして  ︵56︶ いる。  仮定的承諾の法理によって、現実的承諾を得る可能性の有無にかかわらず、事後的な判断によって患者の意思 との合致がみられる場合に、その侵襲によって生じた結果を客観的に帰属しないことの間題性は、プッペの指摘 するとおり、実際に行われた治療侵襲が患者の意思に合致しないことの立証が困難であることと結びつくことに よって倍加される。すなわち、現実に存在しない適切な説明を前提にした場合、客観的に患者の身体状況を改善・ 維持した以上、信仰上の理由等、特別の事情がない限り、これに承諾を与えることが通常だからである。そして、 これと反対のことが立証されない以上、﹁疑わしきは被告人の利益に﹂の利益によって、医師に︵少なくとも既遂 の︶刑事責任を間うことができなくなる。  医師は、患者の身体的利益を改善・維持することを任務としており、合理的基準に照らしてその任務に合致し 31

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医師の説明義務と患者の承諾 た行為をしている以上、処罰対象を拡大することは妥当ではないが、前述のように、それにもかかわらず、患者 の自己決定権を尊重し、その侵害があれば、処罰対象とするという前提に立つと、承諾する患者に正しい情報が 与えられていることの重要性も否定しがたい。﹁疑わしきは被告人の利益に﹂の原則は、現代刑事法の基本原則と して、保持していかなければならないとすれば、どのようにこれを調和させていくべきかが重要な課題となる。 五 結 転口Fl 32  以上の間題点を次のように整理しておこう。  ω 結果への帰属  医師が適切な︵十分な︶説明をしたとすれば、別の治療方法が選択されたであろうが、その治療方法を実施し た場合には、現実に実施した治療によって生じた結果と同じであるかどうかという間いかけは、仮定的承諾︵特       ︵5 7︶ 有︶の間題というよりも、むしろ、仮定的因果関係一般の間題に関わる。この場合、いずれの治療方法をとった としても、同様に治癒した、または、どちらにせよ治癒しなかった︵あるいは、ほぽ同時に死亡した︶という最 終結果︵前述の二次的侵害に関連︶のみを考慮するならば、不十分な説明に基づいて得られた承諾︵選択︶に従 った治療侵襲を客観的に帰属できないことになるかもしれない。  しかし、治療によってどのような治療効果が現れたかが重要であることは当然だとしても、どのような治療方 法を実施したのかも患者の関心の対象であり、前述の表現を用いれば、選択した治療方法によって一次的侵害の

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内容が異なる以上、適切な説明によらない承諾による治療侵襲は、客観的に帰属されるべきであると思われる。

 ②仮定的承諾

 これに対し、適切な説明が行われたとしても、現実に実施された治療侵襲を承諾したであろう場合には、現実 的に行われた治療は、事後的にみれば患者の意思に合致していたことになり、その点では、患者の自己決定権が 侵害されていないことになる。これによって、治療侵襲それ自体︵一次的侵害︶も正当化されると考えることが できるかもしれない。  しかし、患者に対する適切な説明を行う機会があり、それによって現実的承諾を得る可能性があるにもかかわ らず、これを行わなかった場合に、事後的にみて結局は患者の意思に合致していれば正当化され、あるいは、少       ︵58︶ なくとも既遂の違法性が排除されるとすれば、被害者の承諾は事前のものでなければならないとする原則の変更 につながる可能性があることに注意すべきであろう。  たしかに、説明義務違反それ自体を処罰の対象とするのは妥当ではない。説明義務が客観的身体利益であろう と、抽象的な自己決定権であろうと、法益侵害を生じさせた場合に限って処罰対象とすべきである。他方、説明 義務は、患者の承諾が真意に基づくことを確保するための手段である。前述のように、通常の被害者の承諾にお いても処分すべき利益について、被害者は正しく認識していなければならないが、治療行為は、①たんなる法益 処分ではなく、一次的侵害を受け入れることによって健康状態の改善・維持という身体に関する客観的利益獲得 に奉仕するものであり、②疾病、治療方法、予後等の高度に専門的な事項に関わるために、専門知識を有する医 33

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医師の説明義務と患者の承諾 師に十分な説明を受け、事態を適切に把握したうえで、患者本人の嗜好、性格、さらには人生観をも考慮して自 己決定がなされるのである。説明︵義務︶の対象となるべき事項は、基本的には患者の身体的利益に関連する自 己決定の対象となる事項である。実際上は、合理的な判断に導かれた医師の意向が強く反映することが多いとし ても、医師の協力を得て患者が自己決定しているのである。仮定的承諾が客観的帰属を否定する法理として利用 可能であるとしても、この意味における個人の視点を考慮すべきである。  ㈹ 今後の課題  医師による治療侵襲が患者の身体的利益を侵害し、またその危険性をともなう以上、患者はそれについて情報 を与えられ、それを前提として承諾を与えることは、治療の正当化のために必要である。したがって、医師に説 明義務が課されることは必然的である。  他方、医師の説明義務の範囲が過剰に拡大していけば、医師がそれを嫌うために萎縮医療を招く可能性がある。 仮定的承諾の法理が、これを避けるために、医師の説明義務という負担を実質的に軽減する機能をもつとすれば、 有益であるとも考えられる。  しかし、翻って考えれば、﹁現実には適切な説明をしなかったが、もし適切な説明をしたならば承諾したであろ う﹂として客観的帰属を否定するということは、ここで現実に行われなかった説明は、実は説明義務の対象外で あったと理解することもできるのではないだろうか。すなわち、仮定的承諾の法理によって導かれる結論は、刑 法上の説明義務の範囲を限定することによって到達することが可能であるかもしれない。もっとも、クーレンも 34

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指摘するように、客観的帰属が否定されても、未遂の可罰性が残る以上、なお、﹁仮定的承諾の法理﹂は有用であ るかもしれない。       ︵5 9︶  日本では、専断的治療行為に関する刑事判例はまだ存在せず、したがって、不十分な説明に基づく承諾につい       ︵60︶ ても刑事事件としては扱われていない。自己決定権に関する意識が高まり、医療情報の公開が進むにつれ、この ような事例が刑事裁判に登場することは十分に考えられるだろう。患者の自己決定権を保護しつつ、萎縮医療に 至らないようにするため、﹁仮定的承諾の法理﹂は一石を投じたものといえよう。ドイツでは、本稿で紹介した判       ︵6 1︶ 例が出されて以来、活発な議論がなされており、今後も重要な論点となると思われる。筆者もこの議論をふまえ つつ、医師の説明義務の範囲、蝦疵ある説明に基づく治療の可罰性につき、治療に成功した場合と矢敗した場合 に分けて、分析、検討していくこととしたい。

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 丙Oω什謡︸o ︵成文堂・二〇〇五年︶二二九頁がある。  ﹁仮定的承諾︵同意︶﹂の概念について、批判的に紹介したものとして、山中敬一﹃ロースクール講義 刑法総論﹄  武藤眞朗﹁治療行為の違法性と正当化﹂早稲田大学法研論集五九号︵一九九一年︶一九五頁以下を参照。 o謡旧ω○缶ωけ一ザ一旨Fp  ωoま昌屏Φ−ωoぼ9R向ωΦぴω叶O団ま・>亀一。砺旨o 。”園づo 。㎝拝勾○図一Pωけ墨ヰΦo算>↓ω蝉pαHo 。.>仁暁一’︵一〇Sγ留ω 幻po 。P  ωO国乞︸≦一〇〇 〇“︸一ω零。  国O国一勾一8“”㎝置■ 35

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医師の説明義務と患者の承諾 パ  パ  ハ  パ  パ 11109 8 7 )  )  )  )  ) ︵招︶ パ  パ  パ  パ  パ 17 16 15 14 13 )  )  )  )  ) ︵18︶

212019

)  )  )  ωO国ZωけN一8ρG o蒔  ㊥O国ZωけN一8ρω9  ωO自Zω什N−菊勾80ト一①。  ゆO頃一NNOO倉o oOρo oO一ヨ詳Nqω壁>巨日菊α5昌蝉F  傷害罪と承諾の問題については、武藤眞朗﹁承諾に基づく傷害の許容範囲   ドイツ刑法の規定との比較﹂﹃宮 澤浩一先生古稀祝賀論文集︵3︶  現代社会と刑事法﹄︵成文堂・二〇〇〇年︶六五頁を参照。  この見解によれば、構成要件該当性を否定する承諾を﹁合意﹂︵田嚢Rω薮且巳ω︶とよび、違法性を阻却する承諾 ︵国冒&∈讐畠︶と区別されることになる。このように二分論をとるのは、OΦ①巳90>9”ま蝉田あ魯矯一錦密甲 昌①畠\譲Φ蒔窪ρωけ声ヰΦ。辟>↓9︾琶。︵一8①︶﹄ω合ω。げg溶−ω。ぼ&①目−一Φ誇ざΦさ孚pO.︵>旨旨、“︶こく・二ωρ 寄8拝ω霞魯窪壽吋浮\内9一。pωq緯おo算︾↓H伊>邑。︵N。8﹄P寄試h  ωoげ日置跨餌仁ωΦぴωq鋤坤oo辟>日いoぼσ仁o﹃N。>鼠一.︵一〇胡ン留鯉菊昌旨F鉾  園o×一P鉾四●○。︵>昌ヨ。“γ留ρ勾づ一駅厩こ留o o勾ロN漂い  勾o臥Pp騨○。︵︾昌露・“ン留o o”勾β一〇,  凶9一①p男ω胤母国o図ぎ︵N。。H︶るωど。 。ω。 。。  ωOびα⇒犀Φ−ωOげ目ααR−いΦ昌O屏昌Φぴ鉾鉾○,︵︾⇒ヨ﹄︶︸く○﹃㈱ω押勾ロ㎝9勾O箆P鉾騨○。︵>巨日●藤ン留O O博園P畦‘ ω嘗簿窪壌震9\訳9一①P鉾鉾ρ︵>ロ5旨︶﹄P勾口ω伊 また、内藤謙﹃刑法講義総論︵中︶﹄︵有斐閣・一九八六年︶ 六一八頁。  ω畠日こ浮ぎωR︾鉾ρ︵>昌5旨ン留M国昌お“譲Φ冒ΦどU霧8暮ω魯①ω霞畦おo窪一一・>鼠欠お$γ8’また、前 田雅英﹃刑法講義総論︵第三版︶﹄︵東大出版・一九九八年︶一一八頁。  劇○頃NOρ一〇G o。F鉾  一8評ロR\囚q年ω什○炉器.︾鼠一。︵一〇8ン留No 。”勾ロ一斜旧園α昌昌四F一NNOO企o 。Oρo 。O一。  ω○国2ωけN一〇〇ρG 。合国O国2ωけN−勾肉NOO♪嵩旧ωoげα昌犀Φ−ωoぼα血R−国ωoぴ鉾鉾○●︵︾昌ヨ﹂γ竃器︸勾旨お旧 36

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東洋法学

パ  ハ

2322

)  ) ︵24︶ パ   パ    パ    パ    パ    パ    パ    パ    パ    パ    パ    パ    ハ    ハ    パ 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29 28 27 26 25 )    )    )   )    )    )    )   )   )    )    )    )   V    )    因○臨P騨9 0。○●︵︾昌目.薩γ留o 。︸園昌o 。9  内藤謙・前掲書︵注17︶五七五頁。  内藤謙・前掲書︵注17︶五七七頁以下は、患者にとっての客観的な優越的利益についての自己決定を﹁患者の同意﹂ として、﹁被害者の同意﹂一般とは区別する。  たとえば、曽根威彦﹃刑法における正当化の理論﹄︵成文堂・一九八O年︶一四九頁。また、井田良﹃刑法総論の 理論構造﹄︵成文堂・二〇〇五年︶一九〇頁以下は、必ずしも、利益衡量の一方の要素としているわけではないが、 個人の自己決定権の思想を承諾の正当化根拠とする。  ︸仁℃℃ρO︾NOOG o”ま♪ミ“。  ω○国乞ω什N−園肉NOOト一ρ嵩畠  胃○圏P鉾鉾ρ︵︾昌日.俸︶︸留ピ  ℃巷づ①﹂N一。。 。。︸認G 。㌔8■  囚昌一①p四●鉾○。︵︾pヨ。一。︶博。 。ω一中  囚昌一①p鉾騨○,︵︾昌ヨ●一。y。 。ωド  因¢巨ΦP騨鉾ρ︵︾昌ヨμ①yωωo oい  囚q霞ΦP鉾鉾P︵︾pB。一〇yo 。ωωh  言津ωo戸一NNOO9曽紳NO o一’  因q巨ΦP︸NNOO9置G 。、  囚q匡ΦP一NNOO9野曽●○。︵>昌B。逡ン刈置・  勺二℃唱ρ○︾NOOG 。”p鋭ρ︵︾p日﹄㎝ン刈$9  囚昌一①P一肉8。合旨8旨P  国O=Zω§一89ωト3“団O=Zω叶N−園殉NOO♪一ρ一S  囚但霞ΦP鉾鉾P︵︾昌ヨ・一〇yωo 。刈h 37

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医師の説明義務と患者の承諾

ハパパパパパパパパパ

49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 )  )  )  )  )  )  )  )  ) )

ハ ハパパハパパパ

58 57 56 55 54 53 52 51 50 )    )    )    )    )    )    )    )    ) ︵59︶ 囚9一①p曽■pO。︵>づB.一〇︶る斜。・  内¢匡ΦP卑pρ︵>昌gμOγも o島. 囚9一①p曽●pO。︵︾昌B.一①︶る蒔N●  ℃qOOρO>NOOo op鉾○・︵︾p旨●謡ン刈OS  悶二も℃ρO>NOOω卑卑ρ︵︾昌ヨ’舘ン刈①o o9  窯一けωoダ騨鉾P︵︾昌目’o oo oγN刈PNo oω.  たとえば、ω畠9パΦ’ωoぼ9R自ωR︶鋭PP︵︾p日ら︶留器”勾⇒G 。9  国二巨ΦP一NNOOμ”・騨○●︵︾昌ヨ・逡︶”目刈●  勾α昌昌”F一NNOO合”●騨ρ︵︾昌ヨ・NOyo o8●  プッペは、﹁自分の身体的完全性に介入する治療行為を受けるどんな患者も、健康の回復を、まずは健康を犠牲に することによってあがなう﹂とする︵℃8もρ騨pρ︵︾昌5謡︶︸蕊“︶。  閑昌一①p閃ω胤盲肉o圏p騨騨○■︵︾昌5一。︶︶認一●  武藤・前掲﹁治療行為の違法性と正当化﹂︵注1︶二〇四頁以下を参照。  国q巨ΦP︸N809讐鉾P︵︾昌日■o 。“︶博謡仰1⊆℃℃ρO︾NOOo 。鋤。蝉・○●︵︾ロ日.謡ン刈$。  国q巨ΦP︸国NOO倉鉾騨P︵︾昌日,ミ︶”旨O。  蜜一房oダ鉾勲P︵>昌ヨωω︶﹄。 。一。  国二巨oP一N809P卑○・︵︾昌日■認︶”配S  ωO=乞ω什N一89ω♪ω曾ωO国ZωけN−肉勾NOO♪一ρ嵩・  勺后oρ○>88騨Pρ︵>⇒箏謡︶”ざ。 。は、仮定的因果関係自体についても批判的な見解を述べている。  閃O国ωけ一80 。㎝O旧ωo﹃α昌犀?ωoぼααR−一①昌o犀昌oぴ鉾勲ρ︵︾p目●藤︶4くOH㈱G o曇勾昌Q 。仰肉o圏P卑pO.︵︾昌ヨトン留ω 即旨㎝O●  患者の意思に反する治療行為について、医師に民事責任を認めたものとして、最判平成一二年二月二九日民集五四 38

(36)

︵60︶ ︵6 1︶ 巻二号五八二頁︵輸血拒否事件︶などがある。  民事事件において医師に説明義務違反を認めたものとして、最判平成二二年一一月二七日民集五五巻六号一一五 四号︶、最判平成一七年九月八日裁判所時報一三九五号一頁などがある。  たとえば、本文で紹介したものの他、○辞ρ甘轟8。合雪曾ω9ぎお盲N。8る謡等がある。また、即o臥P ω窪緯おo拝︾↓ωきαH卜>仁胤一。︵88︶は、留G 。℃勾昌崔O以下で、﹁仮定的承諾﹂について、詳細に論じている。

東洋法学

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